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2009.01.16 考察:レイアウトに関する新しい発見

ファイル 76-1.jpg

モーションを作っている途中でふと気がついたことをメモ。

女の子が前を指差して男の子を気遣うモーションを作ってたんだけど、
そもそも指を分割してモデリングしていなかったので
どうしたもんかと悩んでいて。(画像左のポーズ)
どうも「ゆけ!」って命令しているように見えるんです。
それで試しにカメラをクルクルさせていて、どうも反対側から
映したほうがそれっぽくなるということに気がついたので、
指を刺す手を逆にしてみると、やっぱりこっちのほうが
それっぽくみえるようです。(画像右のポーズ)

どうも今までの僕が学んできた考え方だけでは説明が
つかないぽいです。
レイアウトの違いとしては、指を指す手が被写体(胸)を
横切っているか、そうでないかの違いだけだと思うんだけど、
被写体をまたぐかまたがないかで、その動作の意味合いが
少しずれてくるのだろうか。

画像左の指差している肩のウェイトがおかしいので
そうみえるんだろかと思って、手で隠して見てみても
多少直ったとはいえ、やっぱり画像右のやりかたの方が
それっぽく見える。

ひょっとして、カメラからみて自身を解放してみえるように演技すると
男性的な意味合いになり、
カメラからみて自身を覆うように演技をすると
女性的な意味合いになるってことなんだろか?

うーん。あんまり当てにならない推測だなぁ。
とりあえず少し頭に留めておく程度にしておこ。

2009.01.01 考察:年明け、演出のはなし

あけましておめでとうございます!

年明け早々ですが、メモがきです。
今たまたまみてた格付けランキングで、崔監督と髭男爵のひぐち君が
それぞれどっちの映像を演出したかを考える問題があって、
正解はBが崔監督だったんだけど、Bで答えていた人たちは
テンポがよかった、面白かった、
(取っ組み合いのシーンを)はなしてとるのは映画を分かってる人しかできない
等など答えてたんだけど、はじめにみたAのシーンを
僕はレイアウトはどうなんだろうって視点でみてて、
ストーリーの展開上、すごく違和感なく撮影されていたので
これはこれでありなんじゃないかと思っていて、
プロの人とそうでない人の演出の違いって何だろうと思ってみていた。

正解紹介後の崔監督のコメントで、監督は
「コメディらしく、調和を意図的に崩して演出した」とおっしゃっていて、
技術書なんかで書かれている技法通りに進めるだけではなく、
その予定調和を崩したところまでいってはじめて、
プロの演出なんだなと思いました。

そういえば、昨年は年賀状に短いアニメを制作したけど、
今年は卒制が近いのでそれが終わってから、
頃合を見て年賀状を作ろうかと思います。

2008.11.30 考察:"企業"でものづくりするということ(+宮崎監督について)

今まで頭の中が少しもやもやしてたので
すこしばかり、社会人になってからの制作に対するスタンスを
明確にするためにメモすることにします。

今まで大学では”個人”制作でものづくりをすることを強制されてきたし
僕自身も、僕個人の力だけで制作できるに越したことはないというような
ジェネラリスト的な考え方で制作してきたんだけど、
その考え方のまま社会人になってやっていけるのかという
疑問が今まで頭から離れずにいました。

制作ではなく仕事だと割り切ってやればいいのかと考えてみても
おそらく、それだといいものを作れるとは思えないし
何より仕事が嫌になってくるだろうと思う。

かといって、会社ではひとりで作るものではないし、
それだと何のための会社なのか分からない。

しばらく考えてみたけど、”企業”でものづくりするということは
決して他人に責任を任せるのでは無く、一人一人がその作品”全体”に対して
責任を共有するということなんではないかなと思う。

企業はジェネラリストではなく、プロフェッショナルを求めて
いるということを聞くけれど、だからといって自分の仕事以外の部分を
完全に放棄してしまっていいのかといえば、
それはNOなんじゃないかと僕は思う。
学生時代の経験でしか無いけど、その考え方で結局うまく
いったためしが無い。

アニメーションでいえば、自分のパートの原画を描くときには、
自分の前後の演出が理解できていないといい作品が
作れないということと同じだと思う。

自分の仕事は徹底してプロフェッショナルでやらないといけない。
けれども、それ以前に他のパートの人たちがどのくらいの
プロフェッショナルで、全体を通してどのくらいの演出ができるのかによって、
自分の行う仕事の質も変えなきゃならないということ。
我を通すのではなくて、どうやったら自分のパートで
今よりいい作品ができるのかを考える。
つまるところ、それはやっぱり個人制作で培ってきた
ジェネラリストの精神なのではないかと思う。

で、他人との駆け引きという考え方が:"企業"でものづくりすると
いった場合に必要になってくるんだけど、ここで勘違いしてしまいがちなのが、
いざ制作するということは結局個人との戦いだということ。
その部分をなあなあにして、”制作のモチベーションをあげるために
コミュニケーションをとる”といったことは本末転倒で、
身近に他人がいないと制作が出来ないという人は、正直表現者には
向いていないのではないかと思う。
むしろ身近に人がいないからこそ、表現しないといけなくなるわけで。

ジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんと糸井重里さんの
ダーク・ブルーの試写対談をみていて、鈴木さん曰く
宮崎駿監督はでっかい弁当箱にご飯とおかず(たくあんと
ソーセージとからしい)をぎゅうぎゅう詰めにいれてきて、
その半分を昼食べて夜にまた半分食べるそうです。
しかも一回の時間がたったの5分でこれを今まで
何年もずーっとやってきてるそうで。

これを聞いたとき、あぁ僕と同じなんだなって思ったんです。
僕は大学3年次にアニメーションを制作するときに、
今までクラスメイトと昼御飯を食べてたんだけど、それだと
時間がもったいないから大学へ向かう途中のコンビニで
100均のカリントウか、芋けんぴを買ってきて
昼になってその場で5分くらいでササッと御飯を済ませてたんです。
それを半年苦笑。ちなみに今はコンビニのおにぎりかカップ麺だったりします。

だれかと食べることは確かに楽しいんですけど、
だからといって作品がよくなるわけでもないし、
面白くないからこそ、がむしゃらに制作をしていたし、
そのほうが制作が進むことが楽しいんですよね。
宮崎監督もインタビューで、”退屈だからこそ描く”
ようなことをいってましたし、何か表現者として似た部分っていうのが
あるのかなと思うんです。

僕と宮崎監督を比べるのもすごくおこがましい気がしますが、
プロフェッショナルでありジェネラリストでもある宮崎監督は
僕の大きな目標だなと思います。

2008.11.03 考察:ハンターハンターにみる漫画の可能性

今日はハンターハンター26巻を読んだので、少し思ったことをメモ。

冨樫さんはキメラアント編に入ってから(その前からなのかもしれないけど)
独特な世界観が一層深みを増したような気がします。
それが一体どこから来るのか考えてみると、ナレーションの
使い方なのではないかなと思いました。

ナレーションは、一般的にはストーリー進行を円滑にするために語られる
”第3者視点”のセリフのため、無機質な台詞回しになるんだけど
ハンターハンターにはナレーションに妙な熱っぽさがあるんです。

そもそも漫画にはセリフとナレーションと擬音の3つが説明される言葉としてあり、
さらにセリフには、実際に口に出すセリフと、心の中を表現するセリフがあるけど、
ハンターハンターでは本来ナレーションには適さないはずの心の中のセリフまで
ナレーションで表現しているシーンが多々あったりするんです。

それに”決して”、”全細胞が”等のナレーションにはあまり
適さないセリフを入れたりすると、本来なら説明的に
なりすぎてしまうのだけど、ナレーションの入り口を
心の中のセリフと同じスタンスからはじめることで
ナレーションとセリフの垣根が無くなり、説明的になり過ぎず
サイレントなシーンであっても画面に熱をもたせることが
できているのだと思います。

よくよく考えてみると、漫画は映画とは違って、
実際に口に出すセリフも、心の中のセリフも、ナレーションや擬音に至るまで
全て”文字”でしかないんですよね。
こんな、文字媒体としての独特な表現を逆に逆手にとれるのが
漫画としての可能性なのかなと思いました。

まぁ、もともとは”冨樫先生、仕事してください”で有名なように、
手抜きをしたいがために生まれた使い方なのかもしれませんけどね笑。

2008.10.29 考察:RokDeBone2のUIを考えよう

ファイル 52-1.pngファイル 52-2.png

ひさしぶりの更新です。

RokDeBone2が新しくウィンドウ一体化するということで、
僕も休憩がてらUIデザインを考えてみることにしました。
上が元のUI、下がペイントソフトで僕が加工してみたUIです。

以下、どう変更したのか概要をメモ。

・これまでのRDB2は高機能の割にフォントやタブなどの
表示が大きくウェイトを占めていたため、
結局表示切替に時間がかかってしまうものだったので、
なるべくメニューをコンパクトにまとめて、
メイン画面に頻繁に使用される機能を詰め込み、
切り替えを行わずにスムーズに制作できるようなUIを
心がけてみました。

・具体的には、面マテリアルの設定はモーションエディタと
同じくらい使用するので(個人的にですが)、
モーションエディタをコンパクトにして、右の余白に
面マテリアルの設定をコンパクトに入れてみた。
マテリアル設定があるだけでなんだかプロっぽくてかっこいいです!(謎)

・また、モーションを作成するときに手軽に数値入力で
ボーン位置を指定できるように、階層エディタの下に
ボーンプロパティを表示する部分を設けてみました。

・モーションエディタで座標変形するボックスを
ボーンプロパティのほうにまとめることによって、
コンパクトで分かりやすい設定になりました。

・画面にちらほら白が表示されていると、あまり見やすいものとは
いいづらいので、階層エディタのバックを灰色にして
シックな感じにしてみました。

・最後にそれぞれの機能の枠の角を1dot丸めて
少しスタイリッシュにしてみました。
あまり、必要性は無いですけどね笑。

こんな感じですかね。
画像ではモーションエディタは基本操作が表示されてますけど、
他のタブも同じように少しコンパクトにする必要があります。
(説明の文字を省略したりボックスを小さくしたり。)

ほんの2・30分で作るつもりが、子一時間もかかってしまいました。
今日中に就活の書類作らないといけないのに。

ちなみに、就活用に描いた画は審査が終われば、
サイトでも公開しようかと思います。

今が踏ん張りどころなので、少し頑張ろうと思います。
面接の勉強もちゃんとしないとなあ。

2008.10.09 考察:インタプリタについて

ARToolKitを勉強する以前に、僕が高校のときに
挫折したC言語のポインタ変数について
ポインタ虎の巻さんのサイトで少し勉強していたら、
インタプリタについても記述されていたのでメモ。

インタプリタは通常C言語のようなコンパイラ型言語よりも
処理速度が遅いっていわれていて、なぜそうなのか
今までよく分からなかったんだけど、虎の巻によれば
インタプリタでの変数の値は、変数名と対応したデータベースに
格納されて、その変数への参照があったときに、一度データベースから
変数名をキーとして検索してから、その値を使って演算処理を行うらしいです。
(なぜデータベース化する必要があるのかは分かりませんけど)

ということは、データベース化したり、データベースを一度
参照するといった処理が、変数を扱うごとにコンパイラ型
よりも増えてしまって、全体の処理速度が落ちるってことなんですねー。

けど、最新のHSP Ver3.2β1については従来よりも
20%も演算処理があがってるそうなのであまり
インタプリタっていうデメリットも無く扱えるように
なってるんじゃないかという気はします。

2008.10.07 考察:ARについて考察

最近ARToolKitの本を購入したので、時間を見つけて
勉強したりしてるのですが、ふと気がついたことがあったのでメモ。

現状のARだと、カメラからキャプチャした画像と
その”上”に3Dオブジェクトを表示させるといった、
完全にカメラ画像と3D画像は分離された状態なんだけど、
例えばエレベーターなんかで使われてる赤外線距離センサーを
組み合わせて使うことで、キャプチャ画像のZ値を求めて、
その値によって3Dモデルを表示させたり後ろへ隠したり
できるんじゃないかなと思いました。

けど、カメラには距離センサーはもちろんついていないし、
2つ用いるってことは、どうしても別々の位置に設置しないといけない。
(限りなく近い位置に設置することはできるけど、
それでも2つのキャプチャ画像で映されたものの位置が
全く同じになることはまずないと思う。)

やるとするなら赤外線センサー単体で画像解析できるような技術を
身につけないといけないんだろうな。

げー、難しいな。

2008.09.29 考察:フィールドで使えるデータサイズの考察

ぼちぼち制作に移りたいと思います。
今まで呑気にしすぎました。
HTMLマリオから始まって、ドット画に興味を持ち出して新しく勉強しはじめて、
サイトいじってたらウェブデザインが気になりはじめて
HTMLとJavaScriptを勉強して、新しく掲示板立てて。
まぁ、掲示板立てたのはモチベーションを制作に戻そうという試みだったんですけどね。

で、今日は僕のPCのスペック等について色々考察してたので、メモ。
すごく…長文です。

everestでPCのスペックを調べてみて、
グラフィックカードのビデオメモリは最大64MBと書いてあるんだけど
利用可能なローカルビデオメモリの覧をみてみると、なぜか6MBしかなくて。

調べてみて分かったは、どうも僕の使ってるオンボードPCというのは、
メインメモリからビデオメモリを共有して使用してるようです。
で、利用可能なローカルビデオメモリの下に
利用可能な非ローカルビデオメモリ (AGP)という覧がありましたが、
これは実際に使用できるメインメモリということのようです。

今までビデオメモリが64MBもあって、PS2は8MBしかないのに
何でこんなに処理が重いんだろうという謎が少し解けたような気がします。
要するに、使われるデータサイズを最大でも6MBに抑えないと
いけないということなんですねぇ。

ちなみに、オンボードのビデオメモリはBIOSセットアップで変更できる
らしいんだけど、どうも僕のPCにはそんな項目が見つからず。
仕方なく、ビデオカードを増設してみようかなと思って調べてみたら
僕のPCで使われてるPCIバスというのは、今はほとんど使われていなくて
探してもPCI-Expressというのばかり。がっかりです。
昔からPCをいじるのが苦手だったので、分からないことだらけでした。

単純にPC変えればいいんだろけど、けど僕のPCは液晶ペンタブだし、
4年前から使ってて慣れ親しんでるので、あまり変えたくないんですよね。
イラスト用と3D用の2台にするべきかな。
まぁ、今はお金無いので、まずは社会人になってからですね。


ここからはE3Dの話。
以前試した、E3DでBMPにしてもPNGにしても、
どうも処理速度が変わらないことを考えると、データサイズは非圧縮時の
サイズでカウントしなきゃいけないようなので、それをふまえて
試しにメインキャラを非圧縮でカウントしてみると、689KB。
これだけだと、全然いけるけど、フィールドの処理を残りおよそ4-5MBで
やらないといけない。
(4bitテクスチャを使っても内部的に16/32bitに変換され直ることによって、
データ容量が変わっていないような気がするんだけど、どうなんだろ。)

16bit換算と32bit換算だとサイズが違うので、16bitでいきたいところだけど、
chgdisp処理を使っているので、8bitか32bitモードしか使えず
結局は32bitモードにしなければいけない。
32bitモードの場合、単純にテクスチャのみで計算した場合、
256x250pxが20枚に相当する。
3Dモデルも考慮すると、約半分を3Dに割くと考えて5MBの2分の1の約2.5MB。
つまり表示されるフィールド画面では、256pxのテクスチャ10枚しか使えないことになる。
これはきついっ!

とりあえず、僕のPCは全然3Dゲーム用じゃないということが分かりました。

2008.09.22 考察:ヒカルの碁をみました。

3日かけてヒカルの碁というアニメを観ました。

今まで、碁についての話ということであまり興味が無かったんですが
デスノートの小畑健さんが原作ということで、観てみることにしました。

全話通してみてみて、色々と学ぶことが多かったのでメモ。

今まで、物語を表現する上で重要なのが、キャラを立てることなのでは
ないかということばかり考えていて、あまりそれ以外の要素については
考えたことがなかったんですが、ヒカルの碁をみて、"知識としての
面白さ"をいれることの重要さに気がつきました。

ただ、物語の中に人物がいて、ドラマが構成されていて、在り来たりな
ストーリーテリングでもって表現したところで、観る人は何もそこから
学ぶことも無ければ、広げる面白みも無い。
けれど、ジョジョやヒカルの碁のように、面白い物語には
魅力的なキャラクターの相関図があって、更に物語自体に複雑な
知的要素が絡んでいることが多いのではないだろうか。
ジョジョでいえば、世界の不思議現象だったり、スタンドだったり。
ヒカルの碁でいえば、お化けであったり、そのお化けにまつわる
バックストーリーだったり、それ自体奥の深い囲碁だったり。

そういった"知識としての面白さ"を物語に絡めることによって、
その世界に深みがでるし、観る人がその世界にのめり込んで、
その世界を観る人の内側で広げようとするのではないだろうか。

キャラクターの相関図と物語の関係もとても興味深いと思いました。
主人公のヒカルとライバルのトウヤ、それとお化けのサイの3人を中心に、
うまく互いのキャラを引き立たせるように展開されていて、もちろん、
それだけだと昼ドラのようにくどくなりすぎるので、ダレキャラをいれて
ダレ場をいれることによって対位法的に三角関係を強調したり、
3人の関係をストーリーを負うごとに崩すことによって、
とてもうまく物語を展開させてます。

ただ、後半手前でサイがいなくなってヒカルがふて腐れる回が長くて
大事な部分でダレてしまったのが残念だなと思いました。
デッドセンターを引き伸ばしてダッシュアップをより魅力的に
演出しようとしていたのか、制作側の都合によって引き伸ばしていたのか
分かりませんが、ヒカルがふて腐れる回で、ただヒカルがネガティブに
なるだけの演出が続いていて、少し説明的だなと感じました。
ふて腐れる演出で僕が一番印象に残っているアニメは"あしたのジョー"
なのですが、あの演出はとてもうまいなぁと今でも思います。
力石が死んでジョーが、どこか遠くへ逃げ出したり、長い回をかけて
ドサ周り編をやったり、普通だったら、あれだけ長くやるとダレて
しまうのだけどジョーの内側にある魅力だったり強さをみせることに
よって、逆に今のジョーの心境を劇的に表現することができる。
例えば、ジョーが孤児のときにずっと独りで生きてきた回想をみせる
ことによって同時に、見ず知らずの母と息子の再会のシーンでも
魅力的にみせることができる。
そんな感じで、ヒカルのなかに元々もっている碁に対する情熱とか
強さを対位法的に演出できればよかったのになぁと思いました。

なので、後半は気分的にすこしダレてしまいましたが、
全体を通してはとても出来のいいアニメだなぁと思いました。
それと、話はヒカルが小6で囲碁と出会ってからの3年間を描いていますが
回をおうごとに、引っかからない程度に少しづつ背や顔つきが
成長しているのには驚きました。

それと、ここからはヒカルの碁とは直接関係のない余談。
キャラクタをどうするかとか演出をどうするかといったことよりも
先に、まずもっと根本的に必要なことがあるのではないだろかと
いったことのメモ。

最近になって僕が本当に表現したいと思える世界が出来つつあるんだけど
そんな中で気づいたことが、素晴らしい物語を表現している人って
観る人がその物語を好きになる以上に、その作者自身が一番その作品の
ことを愛していないとそういった作品が作れないのではないだろうかと
思うようになりました。
画がどうとか、演出がどうとかいうことよりも、まず自分自身が誰よりも
作品に対する思い入れを持っていること。それでいて、どこまでも客観的に
眺めるという姿勢を怠ってはいけない。
例えば僕の好きなスラムダンクを描いた井上さんは、きっと他の誰よりも
スラムダンクの世界を愛してるからあんな漫画が描けたんだろうと思う。

なんとなく画が好きだから絵描きを目指したり、漫画家を目指したりして
いくら長い時間制作に費やしても、何か自分の内側に広がる情熱が無いと
ただ手癖で出来た薄っぺらいものしか出来ないんじゃないだろか。
昔、僕が高校のときに観たピンポンという映画のなかで、
アクマとトイレにこもってるドラゴンとのやりとりがあって、
当時はそのシーンがよく理解できなかったんだけど、今になってようやく
自分のなかで整理できるような気がします。
自分自身が本当に卓球を好きでないと強くはなれない。
自分自身に抗うものは、結局いずれは破綻してしまう。
そういうことなのだと思います。

つまり、本来他の人のために作られるはずのものは、
実はそれ以上に、自分のために作られなければいけない。
そういう点で、何かを表現する世界っていうのは、
実はとてもクールな世界なんだなと思う。

長文になってしまいました。
僕自身まだまだだなと実感したし、頑張ろうと思います。

2008.09.10 考察:Madameを観て

大学のレポートが出来上がったので、息抜きに
カナダのMadameというアートアニメーションを観てみました。

パペットアニメーションなんですが、実写との融合を試みた作品で
僕はパペットの何ていうか土臭い質感が嫌いなんだけど、
実写の潤んだ瞳などと合成することによって、パペットと
実写のいい部分が見事に引き出しあってると思います。
とても魅力的な作品でした。
ちなみにその瞳っていうのがマダム(メインの女の人)の
瞳なんですが、おそらくパペット制作をした2人のうちのひとりの
Maciek Szczerbowskiさんではないかと思われます。
女装癖でもあるのかな。

あと、これは僕の経験論だけど、いい作品って、パペットアニメだから
パペットだけを使うとか、アニメだからアニメ的な表現だけを
使うとかいうのでなくて、そのジャンルの枠を飛び越えた
作品にならないと素晴らしい作品にはならないような気がします。
今回の僕の制作もそれを少し考慮にいれた作品に仕上げる
予定なんだけど、それが”必然”にみえてくるような作品に
しないと、よく分からない、嘘臭い作品になってしまう。
なので、いい作品に仕上がるように頑張ろうと思います。

今は制作するだけで、精一杯ですが苦笑。


それと、これは余談で、Madameの中で室内灯のついていない
電車内のシーンが登場しますが、僕自身、室内灯の全く
ついていない真夜中の電車にのったことがあります笑
うっかり回送の電車に間違えて乗ってしまったんですが、
真っ暗で何にも見えない車内を、電車が走ることによって
ひゅん、ひゅんって外の光によって照らされるのが
とても印象的でした。

よい子は真似しないように。