『魔を滅するメイジと使い魔たち』
初出;「Arcadia」様のコンテンツ「ゼロ魔SS投稿掲示板」(2011年3月から2011年12月)


第一部「メイジと使い魔たち」第一章第二章第三章第四章
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト
第二部「トリステインの魔教師」第一章第二章第三章第四章
番外編短編2「ルイズ妖精大作戦
第三部「タルブの村の乙女」第一章第二章第三章第四章
番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!
外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」前編中編後編
番外編短編4「千の仮面を持つメイジ
第四部「トリスタニア動乱」第一章第二章第三章第四章
番外編短編5「いもうとクエスト ~お嬢さんのためなら~
第五部「くろがねの魔獣」第一章第二章第三章第四章
番外編短編6「少年よ大志を抱け!?
第六部「ウエストウッドの闇」第一章第二章第三章第四章第五章終章
番外編短編7「使い魔はじめました
第七部「魔竜王女の挑戦」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
第八部「滅びし村の聖王」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
番外編短編8「冬山の宗教戦争
番外編短編9「私の初めての……
第九部「エギンハイムの妖杖」第一章第二章第三章第四章
番外編短編10「踊る魔法人形
第十部「アンブランの謀略」第一章第二章第三章第四章
番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ
第十一部「セルパンルージュの妄執」第一章第二章第三章第四章
番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海
第十二部「ヴィンドボナの策動」第一章第二章第三章第四章第五章
第十三部「終わりへの道しるべ」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編13「金色の魔王、降臨!
第十四部「グラヴィルの憎悪」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙
第十五部「魔を滅せし虚無達」第一章第二章第三章第四章第五章

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第十四部「グラヴィルの憎悪」(第一章)

 それは通りの奥から、かすかな風に乗って流れてきた。
 硬いもののぶつかりあうような音......すなわち、剣戟の響き。
 戦っているのだ。何者かが。

「......とりあえず、ここを離れた方がよさそうね」

「ああ......」

 私もサイトも、よくわからぬ争いに首を突っ込むつもりはない。
 頷きあうと、音に背を向けるようにきびすを返し......。

「......止んだ......」

 サイトがつぶやく。
 剣戟の音が消えたのだ。
 戦いが終わったのだろうか......?
 思った刹那。

 ドガァッ!

 すぐそばの民家の壁が、轟音と共に砕け散る。

「......な......!?」

 飛び散る破片、舞う土煙。
 二人はとっさに飛び退いて、破片の直撃はなんとか避けていた。
 夕日を浴びて、オレンジ色にたゆたう土煙の中......。

「......何者だ!? 貴様ら!?」

 現れ出たのは影二つ。
 片方は、長剣を片手に、軽装鎧を身に着けた剣士。
 そしてもう片方は......。
 全身を黒い服で包み込み、その顔も、目の部分を除いて、すっぽりと黒い布きれで覆っており、性別すらわからないほど。つまり、典型的な暗殺者スタイルというやつだ。
 杖を手にしているが、『ブレイド』をかけているらしく、魔力の刃が青白く光っていた。
 私たちに誰何の声をかけてきたのは、暗殺者メイジではなく、剣士の方である。

「メイジと剣士か......どこの手のものだ!?」

 再び問いかける剣士。
 ......いや......どこの手のもの......とか言われても......。私もサイトも、この村には来たばかりなのだが......。

「ただの通りすがりよ」

「......」

 正直に返せば、剣士はしばし沈黙し、

「......なるほど......正直に言うほど馬鹿ではない、ということか......」

 納得したようにつぶやいた。

「......いや、だから私は正直に......って......言っても無駄みたいだけど......」

 暗殺者メイジの方は、その間、無言で佇んで......。
 いきなり何の前触れもなく、大きく後ろに跳ぶ。あっという間に物陰へと姿を消し、すぐにその気配も消え去った。
 私たち二人を敵と思い込み、三つ巴を嫌ったのか、それとも無関係と判断し、これ以上の騒ぎは無用と退いたのか......。

「......ふん......」

 一方、剣士は、暗殺者メイジの消えた方に嘲笑を送り、

「どうやら俺にはかなわぬと悟って逃げたようだな。......残るは......」

 キッと私たちの方を睨みつけ、

「貴様らだけだ!」

 ......おいおい......。

「誰に雇われたか、おとなしく話して、今すぐ村を出てゆくなら、見逃してやってもいいぞ! ああん!?」

「なあ。なんか誤解してないか? あんた......?」

 呆れたような、怒ったような顔で言うサイトに、男は片眉つりあげて、

「......誤解......だと? そうか、二対一なら自分たちが有利、と言いたいわけか! しかし......」

 ドゴォォォォン!

「ヒィィィィッ!?」

 私のエクスプロージョン一発で、名もない剣士は吹っ飛んでゆく。

「あーうるさかった。あのね、サイト。あんなの相手にしちゃダメよ。時間の無駄なんだから」

「......っつっても、問答無用で叩きのめすわけにもいかんだろ?」

「娘っ子はそうしたがな、相棒」

 デルフリンガーに言われて、サイトは黙り込む。

「まあ、何はともあれ......」

 ちょっと言い過ぎたかな、と思って。
 なかば話題を変える意味で、私はつぶやいた。

「よくわかんないけど......この村も、なんだかやっかいごとが持ち上がってるみたいね......」

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 グラヴィルは、シュルピスから三日ほどの距離にある村である。
 おそらくシュルピスは有名であろう。何個かの街道がつながる、かなり大きな宿場街として。
 一方グラヴィルは、海岸沿いのひなびた漁村であり、それほど名も知られていない。ところがどうやら、グラヴィルのサンドウェリー寺院には、何やら大きな秘密が隠されているらしい......。
 そんな噂を聞きつけて、私たちは興味本位で、このグラヴィルに来てみたのだ。まさか村に入ってすぐに、剣士と暗殺者の争いに出くわすとは思ってもみなかったが。

「そうですか......ご覧になったのですか」

 とりあえず村を散策する前に今晩の寝るところを確保......ということで宿屋に来た私たち。
 さきほど目にした戦いをチラッと話してみたら、宿屋の主人にそう言われたのだった。

「......って......ああいうのが日常茶飯事なわけ? この村?」

「それじゃ観光客も来なくなって、大変なんじゃねーか?」

 私とサイトの問いかけに、宿屋の主人は、苦い表情でこっくり頷いた。

「港を臨む丘の上にある......サンドウェリー寺院のことはご存知ですかな?」

 私とサイトは、顔を見合わせる。
 宿屋の主人が言っているのは、隠された秘密とやらのことだろうか? 宿屋が泊まり客にペラペラ話して聞かせるような内容ならば、そんなもの秘密でも何でもないわけだが......。

「ふた月ほど前に焼け落ちて、サンドウェリー寺院は現在、機能していないのです」

「へ?」

 思いもよらぬ言葉が出てきて、驚く私たち。

「......そもそもは......それがすべてのはじまりでした......」

 宿屋の主人は語り始める。
 ......なんでもこのグラヴィル、小さな村でありながら、サンドウェリー寺院の他にも四つの分院があるらしい。
 四つの魔法系統を象徴するように、東西南北に一つずつ。それぞれの分院を運営する四人が、ゆくゆくは本院の司祭となる......という仕組みだ。
 そして、今を去ること約二ヶ月。
 原因不明の火事が起き、本院は焼失。司祭は亡くなり、突如、分院の四人から後継者を選び出す必要に迫られた。
 しかし、四人を統括すべき立場だった司祭は、このような事態を想定しておらず、まだ後継者を指名していなかった。やむを得ず、四人が話し合いで決めることになったのだが......。
 本院の司祭は、四人の誰もが望む地位である。モメないわけはない。
 最初に持たれた『話し合いの場』は、自慢と相手の悪口のオンパレード。『おまえが火をつけたんじゃないか』などというセリフまで飛び出して、単なる口ゲンカの場に成り果てた。
 物別れに終わった『話し合い』は不和の種だけを残し......ほどなく、ゴロツキや傭兵を用いる抗争へと発展したのだった。

「......ひでえ話だなあ。かりにも宗教家なんだろ......」

「ま、しょせんそんなもんよ」

 サイトの真っ正直な感想に、私は悟ったようなことを言う。
 基本的にハルケギニアの者たちは、みんなが始祖ブリミルを信仰している。聖職者でなくとも、それなりに信心深い人たちばかり。それなのに、人々の間に争いは絶えない......。
 逆に。
 聖職者の顔をしていても、心の中ではロクに神なんぞ信じておらず、ただ利用してやろう、って奴もいる。たとえば、かつて私たちが敵対したクロムウェルなども、もともとは司教だったはずなのだ。

「それにしても......」

 私は、サイトから宿屋の主人へと視線を戻し。

「おじさん、ずいぶん詳しいのね。サンドウェリー寺院のゴタゴタに関して」

 宿屋なんて経営していたら、自然と色々な情報も集まってくる......と言われてしまえば、それまでかもしれない。
 だが、話を聞いていてなんとなく、内情に詳し過ぎるような感じがしたのだ。
 ......そもそも私たちだって、サンドウェリー寺院には秘密があるらしい、ということで、この村に来てみたわけだ。ここの主人が何か知っているのであれば、突っついてみる価値はある。
 という魂胆で、宿の受付で立ち話を続けていたわけだが。

「あの......貴族のメイジさまで?」

 後ろからの声に、私は軽く振り返る。
 そこには、私と同じくらいの年齢の、巫女服を着た少女が立っていた。

「そうだけど?」

「安心しなさい。こちらのお方は、まだどの陣営にも属しちゃいませんよ」

 私の返事に続いて、宿屋の主人が少女に告げる。
 途端。
 彼女はホッとしたような顔になり、

「お願いがあります。この抗争を終わらせるために......手を貸していただけないでしょうか?」

########################

「......じゃ、あんたは分院ではなく、あくまでも本院の者だ......ってことなのね」

「そうです。マチス司祭にお仕えしていました」

 巫女服の少女は、やや悲しそうな表情で頷いた。
 ......場所は、宿屋の一階の食堂。
 立ち話もなんなので、ということで、軽く何か食べながら話をすることになったのだった。
 彼女と私とサイト、三人がついたテーブルには、若い女の子ならば誰でも気に入るような甘いデザートが並んでいる。が、彼女は、あまり食欲がないらしく、もっぱら食べるのは私だけ。

「マチス司祭......というのは、亡くなった司祭の名前?」

「はい。マチス司祭のためにも......このような騒動は、早く終わらせなければなりません」

 なるほど。
 本院のトップは焼け死んだとはいえ、そこで働いていた者たちまで死に絶えたわけではない。
 ならば、残った者たちで何とかしよう、という動きが生まれるのも当然であり。
 そのためには、傭兵やゴロツキたちを抑えつけられる戦力が欲しい、と思うのも当然であり。
 ......本院の生き残り組は、この宿屋に足繁く通ってきていたわけだ。まだ分院の派閥にスカウトされていないメイジを求めて。
 だからこの宿屋の主人も、事情に詳しかったわけね。

「......本院の火災の原因がハッキリしない......というのも、一つ大きな問題なのです......」

 彼女は言う。
 マチス司祭の後釜となるために平気で他人を焼き殺す者がいる......と信じる者がいるのだ、と。
 そう信じる者は、次に自分が狙われるかもしれない、と不安になり......。
 悪党に殺されないためには、先に相手を倒すしかない、という発想につながったのだ。

「なるほど......一種のパワーゲームね」

 頷きながら、つぶやく私。
 最初は、誰かが雇ったゴロツキ。それがはじまりだったのだろう。
 そして、目には目を、だ。別の誰かが別のゴロツキを雇い、それに対抗するために、やはり誰かが、より強い者を雇う。
 そうやってエスカレートした結果が、さきほどのような、剣士と暗殺者の戦いである。

「でも、そんな荒れ果てた状態じゃ、今さら本院から『やめてください』って言っても無駄でしょうね」

「そうなんです。だから......私たちも、力あるメイジの方々の強力を必要としているのです。......抗争要員ではなく、抑止力として」

 いや、待て。
 抑止力といえば、確かに聞こえはいい。『本院の者たちが分院の動きを監視しているので、ムチャなことはしないでください』という無言の圧力をかけたいのだろう。
 しかし......。
 甘い。大甘もいいところである。
 暗殺者まで雇う、というところまで逆上しまくった連中が、『それじゃ仕方ないです』などと、おとなしくなるわけはない。場合によっては、『邪魔だ、やっちまえ』になりかねない。

「数日。ほんの数日でいいのです......」

 私の顔色を見て。
 さらに彼女は、追いすがるように説明を続ける。

「一週間後に、ふたたび四人が集まり、話し合いをすることになっています。その場で今度こそ、本院の司祭を決定する......という約束で」

「それって......かえって危険なんじゃないの?」

 次の会談も物別れに終わる......というのであれば、まだマシ。四人が互いに不信感を抱いているのであれば、『顔も合わせたくない、その前に何とかしよう』と、誰かが暴走する可能性もあるのだ。
 それくらい、本院の生き残り組だって心得ているはず。目の前の巫女服の少女は、重い表情で頷き、

「だから......お願いします。私たちに手を貸してください」

########################

「......なんだかんだいって、押し切られちゃったな」

 昼食を済ませて宿を出て。村の北へと向かう道すがら。
 私と並んで歩きながら、サイトがポツリとつぶやいた。

「何よ。別に押し負けたわけじゃないわよ」

 つい反論する私。
 そう。
 確かに私たちは、あの巫女の持ってきた依頼を引き受けることにした。横で話を聞いていたサイトには、単純に『私が断りきれなかった』と見えたのかもしれないが......。

「覚えてる? もともと私たち......ちょっくらサンドウェリー寺院を見てみようか、って思って、この村に来たのよ」

 何やら秘密があるらしい、というサンドウェリー寺院。
 いざグラヴィルに来てみれば、騒動が持ち上がっているし。本当にウラがありそうなところである。
 実際、あの巫女さんも、それらしい態度を見せていた。

『ところで......サンドウェリー寺院の秘密って何?』

 という私の質問に対して、

『秘密......ですか? さあ、私は知りません。そういうことは、上の者にきかないと......』

 一応とぼけたフリをしていたが、何か知っているという表情になっていたのだ。
 ......まあ、どんな秘密であれ。事件にクビを突っ込んでいるうちには、オモテに出てくるに違いない......。

「でもよ、けっこう危ない話じゃん。分院の四つの陣営すべてから狙われる可能性もあるんだろ?」

「大丈夫よ。私たちなら、敵に襲われたって、はねのければいいだけだから」

 立場上、私を守るのは使い魔サイトのわけだが、私だって十分強い。そんじょそこらのゴロツキや傭兵に、負けるつもりはなかった。

「そうか。ま、考えてみりゃ......俺たちこういう、お家騒動みたいのには慣れてるもんな。トリステインのお姫さまのところとか、村人みんな人形だった村とか......。あ、魔竜王のゴタゴタも魔族内部のお家騒動、って言えるかな?」

「いやそれは違うと思うけど......」

 こうしてあらためて列挙されると、私たちの旅って一体なんだったんだろう、と少し気も滅入ってくるが。

「ともかく。とりあえず四つの分院とやらに行って、問題の四人とやらに会ってみましょう。そんなに大きな村でもないし......今日中に全員と顔合わせくらいは出来ると思うわ」

########################

 村の北にある『水の分院』。
 そこには壮麗な寺院が佇んでいた。
 四大系統のうち『水』をイメージしているからなのだろうか。建物は、ブルーを基調にした洗練されたデザインで、敷地の方もかなり広い。
 ただ......さすがにここしばらくの騒動のせいで、いまいち庭などは手入れが行き届いていない。玄関近くには、いかにも貴族くずれっぽい傭兵メイジが数人、たむろしていた。

「......荒れてるわね......」

 隣のサイトにも聞こえぬ程度の小声で、ボソッと漏らす私。
 しかしとりあえず、この分院のボスに会わなければ、話は始まらない。

「ここのトップ......えぇっと、『水の司祭』って呼ぶんだっけ。その『水の司祭』はいる?」

 たむろする貴族くずれたちに向かって、私は呼びかけた。

「......ん? 何かね?」

 傭兵のリーダー格なのだろう。こちらに背を向け、マントに包まっていた男が、言いながらユラリと立ち上がる。
 こちらを振り向き......って......!

「ギーシュ!?」

「おや。サイトにルイズじゃないか。ひさしぶりだね」

 お互いに、見知った相手だった。
 ややクセのある金髪の巻き毛。フリル付きシャツを着たキザ男。『青銅』のギーシュである。
 いくどか同じ事件に関わって、しばらく前にも、ゲルマニアの一件で共同戦線を張ったばかりだった。
 その事件が終わって、別の道へと旅立った......はずなのだが......。
 また会ったよ。おい。

「ここへ来たということは......君たちも『水の分院』で働きたいのかね? そうか、ではまた一緒だな。よろしく、サイト」

「わりぃ。俺たち、もう別のところで雇われちまって。......な、ルイズ?」

 男二人で話を進めるのは構わないが。
 サラッと重要なことを言ってしまうところが、バカ犬のバカ犬たる所以である。
 案の定、ギーシュの態度が変わった。
 顔には出さないものの、薄い殺気を身にまとい、

「......ほう。僕は一応、外まわりの警護ということになっているので......聞かせてもらいたいな。君たち......どこの味方についた?」

「本院よ」

 迷わず私はそう答えた。サイトが迂闊なことを言う前に。

「......本院? しかし争っているのは四つの分院だと聞いていたのだが......ふむ。ついに四つ巴から五つ巴になったのか......」

「違うわよ!」

 急いでツッコミを入れる私。
 サイトほどではないが、どちらかと言えばギーシュもクラゲ頭属性なのだ。放っておくと、とんでもない勘違いをしかねない。

「なんで本院が分院と並んで争わなきゃいけないのよ。......仲裁役ってことよ、ようするに」

「ああ、そういう意味か」

 ギーシュは一瞬、沈黙し......。

「......わかった。ついてきたまえ」

 言って背を向け、歩き出す。
 ずいぶんアッサリ信じてもらえたけど......いいのか? 外の警護役が、そんなんで?
 とはいえ、ツッコミを入れて「じゃあやめた」と言われても困るので。
 入り口付近にたむろする傭兵メイジの間を抜けて、私とサイトは玄関に入ってゆく。

「......こっちだ」

 ギーシュの先導に従って、大きな廊下を抜けて奥へ。
 中にもやっぱり、傭兵だかゴロツキだかわからないような連中が多い。これでは寺院というより、まるで盗賊のアジトである。
 やがて......。

「ここだ」

 ギーシュが足を止めたのは、奥まった場所にある一室の前だった。ドアをノックして、

「ギーシュです。客が来ました」

『......客?』

「本院からの仲裁役......だそうです」

『......お通ししてください』

 中から聞こえた声に従い、ギーシュは扉を開ける。
 そこは、それほど大きくもない部屋だった。
 見知った顔が一つと、知らない顔が三つばかり。
 もちろん見知った顔とは、『香水』のモンモランシーのこと。縦ロールで飾った金髪と、後頭部の大きな赤いリボンが、例によってチャーミングである。
 水メイジである彼女は、ギーシュとはカップルであり、土メイジであるギーシュが『水の分院』陣営に加わったのも、おそらくモンモランシーとセットだからであろう。
 さて。
 知らない三人のうち、二人は傭兵らしき男女。そして最後の一人が、問題の『水の司祭』らしい。
 年の頃ならば二十代の半ば。なかなかのハンサムだが、温厚......というよりもむしろ、気の弱そうな感じのする、黒髪の男である。

「本院から来られたのですか?」

 座っていた彼は立ち上がり、控えめな口調で言う。

「......ここの責任者の『水の司祭』です......」

 世俗を捨て神に仕えるという意味で、分院の司祭たちは固人名は使わない......というのは、私も事前に聞いていた。じゃあなんで本院は『マチス司祭』と名前で呼んでるんだ、とツッコミたい気持ちもあったが、そこら辺が本院と分院の違いなんだろう。

「本院の者から、このたび、村の警護を依頼されました『ゼロ』のルイズと申します。こちらは私の使い魔で......サイトといいます」

「村の警護......ですか......」

「ええ」

 私はニッコリ微笑んで、

「この村、何かと物騒になってるみたいですから。早まった連中がバカをやらかさないように見張る役......ってわけです」

 露骨なあてつけのつもりだったのだが......。

「そうなんですよね! 最近もぉ物騒で物騒で!」

 とぼけているのか、素で気づいていないのか。私の言葉に『水の司祭』はコクコク頷いて、

「あの火事以来、みんなギスギスしちゃいまして......互いに嫌がらせをやったりやられたり......。私のところなんかにも、誰かの雇った連中がやって来たこともあって、もぉ怖くて怖くて......。そんなわけで結局、私自身も護衛の人を雇わなくちゃあ、安心して眠れもしない、なんて状況になっちゃったんですけど......この費用がけっこう馬鹿にならないんですよ」

 ひと息にベラベラしゃべり始める。

「......えっ......あのっ......」

「私は亡くなったマチス司祭から、ここの分院を任されたわけですけど、ほら、ここって『水』の系統をイメージしてるじゃないですか。......私がこういうこと言うのもなんなんですけど、ほら『水』って、病気やケガの治療の時だけ重宝する魔法......ってイメージじゃないですか。世間じゃあ『水は弱い』と思ってる人たち、っていうのがけっこう多かったりするんですよねぇ......困ったことに」

「......えと......あの......」

「それで、ひらたい話をするならば、ほかの分院に比べると、ここっていまひとつ人気がなかったりするんですよね......『水の分院』だからといって、ここでみなさんの治療が出来るわけでもありませんし......。でもってその......通俗的な話で恐縮なんですが、なんというか、お布施というのも、他の場所に比べるとちょっと......というところがあるんですよ。それでもマチス司祭が健在な頃は、そのあたりのことは管理してくださってたんで、そんなに不自由はなかったんですけどねぇ。マチス司祭が亡くなられて、それぞれが独自でやりくりしはじめるようになると、やっぱりそういうのがハッキリと出て来ますからねぇ。そこに、護衛の人たちのお手当とか......」

 もう言葉を挟む隙すらない。
 いつものことなのだろう。私の隣では、ギーシュが肩をすくめている。
 ......目が滑ると言うか、耳が滑ると言うか。『水の司祭』の愚痴は、えんえん続くのであった......。

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 ......夕暮れの迫った村は......。

「......って、なんでもぉ陽が傾いてんのよぉぉぉっ!」

「おい! 待てルイズ! 俺に八つ当たりすんのも、通りの真ん中でエクスプロージョンぶっ放すのもダメだぞ!」

 私と並んで歩きながら、サイトは物騒なことを口にした。
 いくら私でも、そんなことするわけないのに......こいつは私は何だと思っているんだ!? もう今晩はお仕置きエクスプロージョンね!

「......長かったからな......あいつの話......」

 疲れた口調で言ったのは、サイトの背中のデルフリンガー。剣がそう思うくらいだから、よっぽどである。
 ......今日中に分院四つ全部回るつもりだったのに......。
 さすがにこの時刻になってから、ほかの三つ全部回るのは無理である。長い愚痴につき合わされて疲れたし、とりあえず今日は宿へと戻るのが得策だろう。

「まったく! これもみんなあいつが悪い!」

「......けどルイズ、そう思うなら、話、途中で止めればよかったじゃん」

 浅はかなことを言うサイトに、私はチッチッチッと指を振り、

「あまいわね。世間話とか愚痴とかの中にこそ、事件を解くカギとなるものが混じってたりするもんでしょ」

「......っつっても、この事件に謎なんてないだろ? 四人がケンカしてるから、おとなしくさせといてくれ、って話じゃん」

「わかってないわね。そもそもの原因は、本院が焼けて、マチス司祭って人が死んじゃったから。けど、事態が混乱してるのは、その火事の原因がハッキリしてないからなのよ」

 誰かが火をつけたのではないか......という噂が持ち上がり、四人の疑心暗鬼を生んだ。
 それが、今の争いを招いているのだ。
 ......つまり......。
 最初の火事がなぜ起こったのか。
 事故か。放火か。
 放火なら犯人は誰か。
 この謎をハッキリさせれば、四人の疑心暗鬼も解けるはずなのだ。

「なるほど。で、そのあたりの手がかりが見つからないか、と思って、おとなしく話を聞いてたんだな」

「そゆこと」

「......で、手がかりは?」

「それが結局なんもなかったから、こうして腹立ててるんじゃないの」

「......うっ......」

 怯えたような顔をするサイト。
 ......こいつ......私が八つ当たりするって本気で思ってるな......。

「まあ、済んだことは仕方がねえやな。ほら、娘っ子も、村の景色にでも目を向けてみな。......夕映えの中の、ひなびた漁村......ってのもイイもんだぜ」

 剣のくせに......と思いつつ。
 デルフリンガーに言われて、ふと視線を上げれば。
 港を臨む丘の上に、サンドウェリー寺院が目に入った。
 ......ふぅむ......。

「サイト、とりあえず、ちょっとあの焼け跡、寄ってみましょう」

「......? ああ、俺は別に構わないけど......」

 宿への道を少しそれ、私たちはそちらへと向かった。

########################

 道に迷う心配はなかった。焼け落ちたとはいえ、丘の上には本院の建物が見えているのだ。丘を目ざして進めば、何も考えなくてもそこへと至る。
 やたらとだだっ広い敷地。噴水に庭木にベンチ。
 そして......焼け焦げた大きな寺院。
 その前には、いくつもの花が供えられていた。
 建物の入り口には、いたずら目的で入り込む者がいないように、見張りの役人が二人、やる気なさそうな顔で立っている。
 ......うーん......入れてくれるかな......?
 などと思っていると。

「あら、ルイズじゃないの。何やってんの、こんなところで?」

 背中にかかった、聞き覚えのある声。
 まさかと思いつつ、振り向けば......。
 赤い髪を風になびかせ、通りの向こうから私に手を振る、褐色肌の巨乳娘。

「キュルケ!?」

 かつての旅の連れの一人。
 ......『微熱』のキュルケであった。


(第二章へつづく)

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第十四部「グラヴィルの憎悪」(第二章)

「あら、ルイズじゃないの。何やってんの、こんなところで?」

「キュルケ!?」

 私がサイトと出会った頃、共に旅をしていた仲間......それが『微熱』のキュルケである。
 ひょっこり突然いなくなることもあったが、魔族と本格的にやりあうようになってからは、だいたい一緒で、冥王(ヘルマスター)の一件が片づいた後、私やサイトとは別の道へと旅立った。
 覇王(ダイナスト)との対決中にいきなり現れ、加勢してくれた後、ガタガタになったゲルマニアを立て直すため、ヴィンドボナに残ったはずなのだが......。

「何やってんの......って......あんたこそ何やってんのよ!? 祖国ゲルマニアはどうしたの? ほっぽり出してきたの?」

 こちらに歩いてくる彼女に、私は問い返す。

「いやぁねぇ、そんなわけないじゃない。ある程度ちゃんと落ち着くまでは見届けてきたわよ」

 と言ってから。
 キュルケは、なんだかトホホな表情に変わり、

「......でもね。あのまま国に残っていると......貴族のゴタゴタに巻き込まれそうだったから。だってひどいのよ、あたしの両親なんて、あたしをさる老侯爵と結婚させようとまでして......」

 あちゃあ。
 そりゃ逃げるように国を飛び出してくるわな。
 しかし......あんな事件の後で早速、貴族同士の権力争いとは。ゲルマニアも永くないな......。

「そ......それはひどい話ね......」

「でしょ? で、旅してるうちに......どこか海外沿いの漁村で美味しいものでも食べようか、っていう気分になって、この村に来てみれば......」

 焼け焦げた寺院を指さすキュルケ。
 本院の火事そのものを示したわけではあるまい。それが招いた抗争のことを言っているのだ。
 ならば彼女も、現在のグラヴィルの状況は理解しているというわけだ。
 その上で、焼け跡まで来たということは......。

「ところでルイズ、サイトは?」

「へ?」

 考え始めた私の思考を、キュルケが遮った。

「......村の中を連れ歩くのも物騒だから、あたしのフレイムは『火の分院』に置いてきたけど......あなたもそうしてるの?」

 サラッと所属陣営を明らかにするキュルケ。
 ちょっと待て。
 たしかにサイトは使い魔であるが、火トカゲなんかと一緒にされては困る。クラゲ頭のバカ犬、というのは比喩であって、あれでも一応れっきとした人間である。
 などと思ったちょうどその時。

「ルイズ、入っていいってよ。......って、いつのまにかキュルケまでいるじゃん!?」

 サイトの声に振り向けば、いつのまにやら彼は、見張りの役人たちのそばにいた。

「......ちょ......ちょっと......!」

 駆けつける私に、役人の片方が、

「では私が、内側を案内させてもらいます」

 なんだかフレンドリーな口調で言ってくる。

「......え......えぇっと......それじゃ、マチス司祭の部屋、見せてもらえます?」

「ええ。それでは私について来てください」

 先に立ち、建物の中へと入ってゆく。

「......ちょっとサイト、なんて言って説明したのよ?」

 役人から数歩遅れて歩みつつ、私は小声でサイトに問いかけた。

「なんて......って......。そのまま『ここの人たちから頼まれた者なんですけど、中を見せてもらえますか』って言っただけだぞ」

 ......それでアッサリ通れるとは......いいのか、そんなことで......?

「へえ。あなたたち、顔がきくのね。......なんだか知らないけどラッキーだわ」

「......っつうかキュルケは違うじゃん。ダメだぞ、ついてきちゃ」

「いいじゃないの。細かいこと言いっこなしよ」

 ちゃっかり同行しているキュルケに、サイトが咎めるようなことを言っているが、別に本気で止めようとしているわけでもない。
 とりあえず二人の軽口は無視して、

「......そちらの調査ではどうなってます?」

 階段を登りゆく役人の背中に、私はそう問いかけた。
 これでは調査の方も結構いい加減なのでは......と心配になってきたのだ。

「たぶん単なる失火ですよ。これは」

 肩越しに振り向き、苦笑を浮かべて彼は言う。

「放火だとか暗殺だとか、物騒な噂は流れてますけどね。......ま、世間ってのは、そういう噂が大好きですから」

 二階に上がって、廊下を渡り、さらに別の階段へ。
 白い壁は炎と煤とで焦げ、汚れ、床の上には炭化した絨毯の残骸らしきものがこびりついていた。

「マチス司祭のご趣味で、礼拝堂では魔法の明かりではなくロウソクを使ってましたし、あちこちで香を焚いていましたからね。それが壁掛けや絨毯なんかに燃え移ったんですよ。......ここが、マチス司祭のお部屋です。」

 役人が足を止めたのは、思ったよりこじんまりとした部屋だった。
 焼け落ちた窓から空が見える。
 もはや家具などなく、ガランとしちゃった部屋の床には、ただ灰が薄く積もるのみ。
 熱のせいで、壁は引きつったようになり、積もった灰の上には、いくつもの足跡がついている。おそらく、前に調査に入った役人たちのものだろう。

「......まあ、参考になるようなものは残っていませんけどね。......他にどこかご覧になりたいところは?」

「なあ、この建物の中って、今、俺たちの他に誰かいるのか?」

 それまで黙っていたサイトが、いきなりそんなことを言い出した。

「いえ。誰もいないはずですが......」

「......なあ、ルイズ......」

 サイトが言う。真剣な目を私に向けながら。

「さっきからどうも......誰かに見られてるような気がするんだけどな」

「......!」

 私はキュルケと顔を見合わせる。
 二人とも何の気配も感じていなかったのだが......。

「......相棒の言うとおりだな。なんかいるぜ」

「おや、インテリジェンスソードですか? ......でも、気のせいですよ。ほら、火事があって人が死んだ現場ですから、そういう気がするんでしょうね」

 案内の役人は気楽な口調で言う。
 ......しかし......。
 こんなところの見張りに回されているような、こっぱ役人の軽い言葉である。それよりはサイトとデルフリンガーのカンの方が、よっぽど信頼できる。

「どこかわかる?」

「......なんとか......」

「行くわよ」

 短い会話を交わしてから、サイトが、そして一歩遅れて私とキュルケが部屋から飛び出した。

「......あ! ちょっと!」

 後ろの役人の声は無視。
 階段を一気に駆け下り、廊下を走る。

「......動き出したぜ、相棒」

 デルフリンガーの言葉に頷いて、進路を変えるサイト。
 どこかへ続く長い回廊。
 天井には、たぶん以前はステンドグラスか何かがあったのだろう。しかし今は割れてなくなり、オレンジ色に染まり始めた陽の光が、廃墟となった壁を照らしている。
 そして......。

「ここだ!」

 言うと同時に、サイトが部屋の一つに飛び込んだ。
 私とキュルケも続く。
 そこは、やはりガランとした部屋だった。
 私たちが入ってきた場所以外に出入り口はない。
 焼けたシャンデリアのみが天井から下がって揺れ、他には何もなく......誰もいない。

「......消えた......?」

「......みたいだな」

 サイトが、そしてデルフリンガーが、小さな声でつぶやく。

「......困りますよ! 勝手に......あちこち走り回られちゃあ......。ほら、誰もいないでしょう!?」

 やっと追いついてきた役人の言葉を背中に聞きながら。
 私は、妙な予感を胸に抱いていた......。

########################

「奴らの誰かがやったに決まってるんだっ!」

 自己紹介も終わるか終わらないかのうちに。
 ここのボス......『火の司祭』は、いらついた声を張り上げた。
 ......昨日は結局、『水の司祭』の愚痴のせいで予定が変わり、日をあらためて今朝、私とサイトは、村の東にある『火の分院』を訪れたのだった。
 ここにキュルケが雇われているので、彼女に取り次いでもらい、顔を合わせて名乗った途端......。
 彼は声を荒げてまくし立てた......というわけである。
 年の頃なら四十前後。短く刈った金髪に、ガッシリとした体格の中年で、ワインのような赤色を基調としたローブを身に纏っている。

「......マチス司祭は、まことに惜しいかただった......。何事にも公正で、常に慈悲の心を持っておられた。神がそのようなおかたを、不慮の事故などでお召しになるはずがないっ! となればあの一件は、悪意を持った何者かによる暗殺、としか考えられんではないかっ!」

 なんだか、えらく観念的な意見を述べ始めた。
 信仰心だけで事故が防げるほど、世の中、甘くないというのに。

「......まあ、いずれにしても......。あと一週間ほどで、新たな司祭を決める話し合いが開かれます。ですから、それまで軽はずみな行動は控えてくださいね」

「軽はずみ、だと!?」

 言った私の言葉に、『火の司祭』は眉をつり上げ、

「マチス司祭が謀殺されたことに目をつむって、おざなりな話し合いで新たな司祭を決めることのほうが、よほど軽はずみではないのか!? マチス司祭のお言葉だと思えばこそ、本院の指示にも従ってやろうという気持ちにもなったが......」

 分院の司祭とは、こんな連中ばかりなのだろうか? 昨日の『水の司祭』とは性格は正反対のようだが、やはり同じように一気にまくし立てる。

「ほかの分院司祭の中に謀殺の犯人がいるなら、わしは決してそやつを許さん! ましてや......まかり間違って、そのような奴がマチス司祭の後継者になろうでもしたら......! そのようなことだけは、たとえどんな方法を使ってでも止めてみせる!」

「......その結果、あなたが本院の司祭になれないとしても?」

「かまわん!」

 私の問いに、迷わずキッパリ答える『火の司祭』。
 ......こりゃダメだ。視界の隅では、キュルケも肩をすくめている。
 私はため息ひとつつき、一応は丁寧な言葉遣いのまま、

「......その覚悟には感服しますが......。もしも謀殺が事実で、三人の分院司祭のうち一人が犯人だったとしても、逆に言えば残りの二人は何もやってないわけですから。そのことだけは忘れないでください。......では、私たちはこれで失礼します」

「うむ。......なんとか話し合いの時までに、犯人の名を明らかにしてもらいたいものだ。ことを大きくする者が現れないうちに......な......」

 それができない場合にはことを大きくする覚悟がある......。そう宣言してるも同じだった。

########################

「なんであんな奴のところで働いてるんだろな、キュルケのやつ」

 次の目的地......村の西にある『風の分院』へと向かう道すがら。
 不思議そうな声でサイトはつぶやいた。

「そりゃあキュルケは『火』のメイジだもん。それだけの理由でしょ。分院司祭たちの性格なんて気にしてなかったんだわ」

「そういや前にメイジの学校で似たような争いがあった時も、キュルケは『風』の先生じゃなくて『火』の先生を味方してたな」

 私の言葉に、納得の声を上げるサイト。
 サイトが言っている『メイジの学校』とは、トリステイン魔法学院のことだろう。
 たしかにあそこでも学院長の座を争うような事件があったし、あの時キュルケは「だってミスタ・コルベールは、あたしと同じ『火』のメイジだもの」と言ってたっけ。
 だが、そんなことよりも......。

「......困ったもんね......」

 不景気な声でつぶやく私。

「......あの『火の司祭』......トラブル起こす気満々だわ......」

「でもよ、ルイズ。そもそも『犯人』なんていない、って可能性もあるんだろ。あの火事も事故かもしれないし」

 言うサイトに、しかし私は左右に首を振り、声もひそめて、

「......それはないわ。のんきな役人は『事故だ』なんて間の抜けたこと言ってたけど......あれは間違いなく暗殺よ」

「娘っ子の言うとおりだな。もうちょっと相棒も、ちゃんと見なきゃダメだぜ」

 マチス司祭の部屋の様子を見れば、剣であるデルフリンガーにも一目瞭然だったらしい。あの場で意見交換はしなかったが、おそらくキュルケも私と同じ意見だろう
 なにしろ。
 部屋に行くまでの廊下などには、絨毯や壁掛けが炭化してこびりついていたのに、マチス司祭の部屋だけは、全部が灰になっていたのだ。壁も少しではあるが、引きつったようにただれていた。
 つまり。
 あの部屋だけが、壁が溶けただれ、全部が灰になるような超高温にさらされたのだ。
 たきぎや油が置いてあった倉庫、というならば話はわかるが、司祭の部屋を物置代わりにするわけもない。
 ということは......。

「......誰かが強力な火炎呪文で、あの部屋ごとマチス司祭を丸焼きにして、それから建物の他のところにも火を放って、普通の火事に見せかけようとしたのね」

「じゃあやっぱり......四人の分院司祭の一人が......?」

「......そこまではわかんないけど......」

「ルイズさんとサイトさん......じゃありませんか......」

 唐突に。
 聞き覚えのある声は横手から聞こえてきた。
 見れば、ギーシュとモンモランシーの二人を連れた『水の司祭』の姿。

「......あ。噂をすれば何とやら。容疑者の一人だ」

 サイトのつぶやきは小声だったので、彼には聞こえていないだろうが......。
 それでも最悪。こんな通りの真ん中で、愚痴大好き人間に出会うとは!

「いやぁ。あとでギーシュさんとモンモランシーさんとに聞きましたよ。なんでもお二人とは以前からのお知り合いだったとか。しかし縁というのも奇妙なものではありますねぇ。昨日の今日で、こんなところでお会いするとは」

 うわあやっぱり。
 私が何か言うより早く、一気にまくし立て始める。

「実は私、毎朝本院に......マチス司祭に花を供えに行ってるんですけどね。今はその帰り道、というわけですよ。ギーシュさんとモンモランシーさんからは、物騒だから不用意に出歩くのは控えた方がいい、とは言われてるんですけどね。マチス司祭には、生前はずいぶんお世話になってましたから、せめて花くらいは、と思いましてね。まあ、こうしてお二人にご同行して頂いてますから、安心していいのではないかと......」

「......村の真ん中で直接ご勧誘とは、熱心なこったな」

 彼の言葉を止めたのは、私ではなかった。
 少し離れた通りの向こうにたむろする、十人ほどのゴロツキたち。
 おそらくは、他の分院で雇われた連中だろう。生まれも育ちも悪そうな、そんな格好と足取りで、こちらに向かって歩きながら、口々に、

「......まあ『水』なんて使えねえ魔法ありがたがってるんじゃあ、それくらいのことしねぇとやってけねーよな」

「『水』が役立つのは治療のときのみ。だが本気の決闘の場合にゃ、治療以前に、まず命がなくなってらあ。相手の命を奪うほどの攻撃力がなければな」

「魔法のイメージはともかくとして、だ。お天道様の下で、村ん中で堂々と物騒なことされちゃあ、迷惑なんだよ。俺たち罪もない一般人からするとな」

「......誰が罪もない一般人よ。あんたたちなんて、存在自体が物騒で迷惑じゃないの。鏡を見たことないの?」

 ぴきっ。

 私の客観的で真っ当な意見に、なぜか空気が凍りついた。

「あああああっ! ルイズさん、なんてことをおっしゃるんですか!?」

 及び腰の『水の司祭』などは慌てまくっているが、もちろん無視。

「......おい......ちんちくりんの小娘......今なんつった!?」

 ヅドォォォォムッ!

 売り言葉に買い言葉のつもりだったのか。とんでもない発言をしたゴロツキが、エクスプロージョン一発で吹っ飛んだ。
 もちろん、周りの仲間たちも同じ運命で、ピクピク転がっている。

「自己紹介が遅れたけど......」

 彼らを見下ろしながら。

「本院から村の警護を依頼された者よ。今回の件で物騒な連中が動いているから、そういった連中が騒ぎを起こすのを防いでくれ、って」

「......あ......あんたが今......その物騒なことを......」

 ピクピクしながらも反論する一人を、私は鼻で笑って、

「ふっ。『あんたが騒ぎ起こしちゃダメ』とは言われてないもん」

「......そんな......理屈が......」

「まあ、それは冗談として。とりあえず、あんたたちがトラブル起こしそうなところを止めたんだから、これも頼まれた仕事の内よ。......というわけで、白状してもらいましょうか。あんたたちを雇ってるのは誰なのか」

 まだ抵抗するようなら、もう少し本気のエクスプロージョンでも撃とうかと思ったのだが。
 ゴロツキたちは、意外にもアッサリと、

「......『風の分院』で......『風の司祭』から頼まれて......」

「わかったわ。協力ありがとう」

「......あの......これは......いくらなんでも......その......」

 なにやらモゴモゴと言う『水の司祭』。

「気にしちゃダメよ。......ま、とにかく。やっぱり外出は控えたほうがいいわ。今みたいに、あんたを見かけたゴロツキが因縁つけてきて、それで騒動が持ち上がる、ってことはあるんだから」

 パタパタ手を振りながら、敢えてフレンドリーに私が答えると、隣でサイトが頷きながら、

「そうですよ。本院の司祭を暗殺した奴が誰かもわかってないんだから。あんまりウロウロしてると、次はあなたの番かもしれません」

 ぴきっ。

 その言葉に、ふたたび空気が凍りついた。
 ......こ......このクラゲ頭のバカ犬は......!

「......あ......暗殺って......」

 かすれた声を上げたのは『水の司祭』。すっかり怯えた表情で、

「じゃあ! マチス司祭は、本当に誰かに殺されたんですか!?」

「間違いないです。だってルイズもデルフも、そう言って......。な、ルイズ?」

 サイトは『僕ちゃんと理解したよ』という表情を私に向ける。
 だが。

「......こぉぉおおのバカ犬がぁぁぁっ!」

 どがすっ!

「ぐぼぉっ!?」

 私の渾身の飛び蹴りが、サイトの背中に決まった。

「......な! 何するんだよ、ルイズ!?」

「それはこっちのセリフよ! なんてこと言うのよ、あんたは!」

「......は......?」

 眉をひそめて間の抜けた声を上げるサイトに、私は身を寄せて声をひそめて、

「だから! マチス司祭が暗殺されたこと、なんで言っちゃうのよ!?」

「......え? でも、それがハッキリしないからモメてるんだろ? じゃあ教えてあげれば問題解決じゃん。......あれ? だったらさっきの『火の分院』でも、言ってやればよかったのに......」

「あのねえ! まだそういうこと明らかにしちゃまずいのよ! 言っていいなら私もキュルケも、本院にいた案内の役人にちゃんと説明してるわよ!」

 対立している四人の分院司祭たちは、火事の原因は事故かもしれない、と思っているうちは、まだ比較的おとなしくしているだろう。だが、もしもあれが暗殺だったという噂が広まれば、みんな一斉に動き出すに違いない。
 特に......さっき会った『火の司祭』! 彼などは自分が正しかったと思い込んで、他の三人に攻撃しかけそうだ。
 それになにより、四人の中に真犯人がいる可能性も高いのだ。その場合、自分が犯人だと突き止められるより前に、急いで動き出すに決まっている。どうせ殺人だとバレてしまえば、何人殺しても同じ。他の三人を始末しようとするかもしれないし、調査をしている私たちを狙うかもしれない......。

「なあ、娘っ子」

「何よ、デルフ。今は、このバカ犬サイトに、きっちり説明してやらないと......」

「いや......相棒もそうだが、娘っ子も迂闊だぜ。見てみな」

「......へ?」

 言われて。
 ふと我に返れば。
 いつのまにか......『水の司祭』たちがいなくなっている!?

「娘っ子が相棒に蹴りツッコミ入れたところでな。あの勢いを見て、相棒の言葉は本当なんだ、って確信したみたいだぜ。おともの二人を連れて、真っ青な顔で、逃げるように行っちまいやがった」

 しまった。
 ついいつものクセで衝動的にツッコミを入れてしまったが......せめて『水の司祭』が立ち去るまで我慢するべきだったか!

「......で......どうする?」

 私の顔色をうかがうサイト。
 こうなったら、多少強引なテを用いてでも、なんとか犯人を突き止めないといけない。敵が本格的に動き出す前に。

「とりあえず今は......行き先に変更なしよ。『風の司祭』に会いに行きましょう。......もっとも......対応の仕方は、予定とは変えなくちゃいけないけどね」

########################

 風が流れる大空をイメージして、白と空色に塗り分けられた建物。そして手入れの行き届いた広い庭。
 西にある『風の分院』は、色を除けば北や東の分院と全く同じ形をしていた。
 ちなみにさきほど立ち寄った東の分院は、『火』だけあって赤......というかレンガ色をしていたが。
 この『風の分院』も、やはり最近騒ぎが持ち上がっているせいか、近くに参拝者らしき者の姿は見えない。だが不思議なことに、今までの二つとは異なり、分院の前にゴロツキたちがたむろしている様子はない。

「さっきルイズが通りでぶっ飛ばした連中が、本来ここの番やってたんじゃねえの?」

 サイトの言うとおりかもしれない。
 毎日『水の司祭』が本院まで花を供えに行っていることを知り、因縁つけに出かけて私に成敗された......といったところか。

「ま、何にしても、これで中に入りやすくなったことは確かね」

 言いながら。
 私とサイトは、玄関の扉に手をかけ、押し開き......。

「......うっ......!」

 同時に小さく呻いていた。
 ......そこには......。
 むせ返るような血の匂いが充満していたのだ。

「サイト!」

 瞬間。
 返事もせずに、駆け出すサイト。御主人様を無視するなんて......などと怒っている場合ではない。私も続く。
 内部の構造は、訪れた二つの分院と同じ。
 ただ違うのは......通路に転がっているいくつもの死体。僧侶らしきもの、傭兵メイジらしきもの......。
 おそらく刺客は、警備の人数が薄くなった時を見計らって、襲撃を仕掛けたのだろう。
 やがて角を曲がって、まっすぐ伸びた廊下へと出る。
 その正面に一枚の扉。建物の構造が同じなら、ここが分院司祭の私室のはず。

 ドンッ!

 入っていいかと尋ねることもなく、勢いよくドアを開ける。
 もしかしたらまだ......というかすかな期待もあったのだが、世の中そんなに甘くなかった。ここまで刺客らしき者と出会わなかったことから考えても、すでに襲撃から、いくばくかの時間が過ぎていたのだ。

「......これじゃ......確かめるだけ無駄か......」

 サイトがポツリとつぶやく。
 そう。部屋に足を踏み入れる必要はなかった。ドアから中を見るだけでも十分。
 室内では......。
 何人もの傭兵メイジたちに混じって、その男がこと切れていた。
 司祭のローブを身にまとった男......すなわち『風の司祭』が。


(第三章へつづく)

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____
第十四部「グラヴィルの憎悪」(第三章)

 村は騒然となった。
 当たり前である。
 誰かが雇った暗殺者に、分院司祭の一人が殺されたのだ。これ以上ないというくらい、はっきりとした殺人である。
 そしてそのことは、『マチス司祭は火事に見せかけて殺された』という噂に、いっそうの真実味を帯びさせた。
 事件当時『風の分院』にいた者は皆殺しであり、暗殺者の姿を見た者もいない。第一発見者の私とサイトは、役人から質問責めにあった。
 しかしさいわい、本院の者たちが身元を保証してくれたおかげで、その日のうちに解放してもらえることとなった。
 ......ただし。事件が解決するまで村から出ないこと、という条件はついていたが。
 かくて。
 二人が南の『土の司祭』のもとを訪れたのは、事件の翌日になってからのことだった。

「貴様らか! 事件を最初に発見したというのは!?」

 出会って自己紹介を済ませるや否や。
 彼は、やたら高飛車な口調で言い放った。
 年の頃なら四十前後。茶色い髪には、白いものもかなり混じっている。体格もよく、低くて渋い声。
 しかし、取り巻きの傭兵十人ばかりを周りに配して、椅子にふんぞり返って怒鳴るその姿は、単なる気の短いおっさんである。
 
「まさか......本院からの仲裁役というのを隠れ蓑にした、どこかの暗殺者なんじゃあないだろうな!? え!?」

 ......もし彼が黒幕でないのなら、同じ立場の一人が殺されて、神経質になっているのはよくわかる。疑心暗鬼にかられるのも、無理のない話ではある。
 だが、わかっていても、腹立つものはやはり腹が立つ。
 それに。
 彼が黒幕であり、これが全部演技だという可能性もあるのだ。
 私はコクコク頷いて、

「いやぁ。たしかにその性格じゃあ、どこの誰に恨み買って暗殺者さし向けられても不思議じゃあないですけど......」

「なにいっ!?」

「ま、とりあえずは安心してください。私たちは、そういう者じゃありません。あなたなんかをどうこうするつもりは全然ありませんから」

 私の挑発をまともに受け取ったのか。『土の司祭』は、怒りに顔を赤く染め、

「......な......! あなた『なんか』だと......! なんと無礼な......!」

「それを無礼というなら、初体面の人間をいきなり暗殺者呼ばわりするのは、もっと無礼なんじゃないですかね」

 ニコニコ顔で返してやる私。

「......ぐっ......」

「ともかく、不安なのはわかりますが、くれぐれも軽はずみな行動はしないように。でないと、事件の黒幕だと思われますよ」

 なおも何やら言いかけた彼を遮り、私はキッパリ言い放つ。

「それだけはお忘れなきように。......では私たちは、これで」

「......む......ぐっ......!」

 言うだけ言って、私は『土の司祭』にクルリと背を向ける。サイトを連れて、そのまま部屋をあとにした。

「......娘っ子も、いろいろ計算してるんだな......」

「え? どういうことだ、デルフ?」

 分院の出口に向かいながら、ポツリとつぶやくデルフリンガーと、剣に問いかけるサイト。

「......今の奴が黒幕じゃなければ、今ので怒りの方向が、ほかの司祭候補じゃなくて、娘っ子に向く。逆に黒幕なら、やっぱり娘っ子を狙うことになる。......つまりどっちに転んでもベストってわけだ」

「あら。よくわかってるじゃないの、デルフ」

「......なるほど。単に言われたから言い返した、ってわけじゃなかったのか」

「当然よ、サイト。よーく考えて発言してるのよ、私は」

 などと言いつつ建物を出たところで......。

「やあ」

 私たちを待っていたのは、ギーシュとモンモランシーの二人だった。
 周りをザッと見渡しても、『水の司祭』の姿はない。
 私やサイトの視線に浮かぶ疑問の色に気づいたのか、モンモランシーが静かな口調で言う。

「『水の司祭』の依頼で来たのよ」

「君たち二人だけじゃ人手も足りないだろうし、手助けをするように......と言われてね」

 補足するギーシュ。
 ......どうやら、マチス司祭が暗殺されたと私たちから聞いて、『水の司祭』は、村の役人のダメさ加減がわかったらしい。暗殺を見抜けなかった役人たちより、私たちこそが事件を解決する、と考えたのだろう。

「それはありがたいけど......護衛のほうはいいの?」

「僕としても少し心配ではあるが、昨日の事件があったせいで、役人が何人か護衛として派遣されてきてね」

 ふむ。
 どうせ村のお役所の兵士ごときでは、プロの暗殺者を相手にするのは荷が重い。それくらい、臆病者っぽい『水の司祭』にもわかっているはずだ。
 それでもギーシュとモンモランシーをこちらに回したのは、それだけ彼が、事件に怒りを覚え、解決を強く望んでいるのだ......というのが、素直な解釈である。
 しかし。
 本院からの仲裁役である私に恩を売っておいて、本院への覚えをよくしておこうという下心があるのかもしれないし、あるいは彼こそが黒幕であり、私たちと顔見知りの二人を邪魔に思ったのかもしれない。
 ......とウラ読みもできるわけだが、とりあえず今は、人手が増えることを単純に喜んでおこう。

「わかったわ。じゃあ手を貸してもらうわ。まずは聞き込みからよ」

########################

「......それにしてもこの村、規模は小さいくせに、意外と栄えてるのね」

 少し大きな街ならば。
 怪しい店と怪しい酒場、そして汚れた家々とが、薄暗い通りに軒を連ねている......そんなゴロツキたちの溜まり場が、必ず一つ二つは存在するものだ。暗殺者のような裏の世界の人間も、そうした場所にある安宿に潜伏しているのが定番である。
 ひなびた漁村であるはずのこのグラヴィルにも、そんな裏通りがあり、私たち四人は今、そちらに向かって歩いていた。

「たぶんサンドウェリー寺院のせいよ。ほら、サンドウェリー寺院って......ちょっと普通じゃないから」

 私のつぶやきに、隣を歩くモンモランシーが答える。
 まあ、たしかにサンドウェリー寺院は『普通』ではない。四つも分院があったり、司祭の座をめぐって争いが繰り広げられていたり。
 ......だが、今モンモランシーが言ったのは、そういうニュアンスではない気がする。私はハッとして、

「モンモランシー。あんた、もしかして......ここの秘密について何か知ってるの?」

「秘密って......例の修道院のこと?」

「......修道院......?」

 聞き返す私。
 この村には、寺院はあっても修道院はないのだが......はて?
 ここで、後ろを歩いていたギーシュが、私たちの会話に加わってくる。

「そうか、ルイズは知らなかったのか。セント・マルガリタ修道院......一部では有名な話なのだがね」

 セント・マルガリタ修道院。
 突き出した岬の突端に位置しており、陸路も通じておらず、切り立った岩壁は、船も近づけない。陸の孤島のような場所に存在する修道院だという......。

「......つまり身を隠すには、うってつけの場所でね。昔からワケありの女性が逃げ込む場所らしい」

「何よ、それ。......で、なんでギーシュがそんなこと知ってるのよ」

「まあ、それはその......僕の御先祖様の中には、そこを利用した者もいるらしくてね」

 ......なるほど、そういうことか。
 たぶんそのマルガリタ修道院とやらには、世を捨てたくて訪れる者だけでなく、生まれながらにして送り込まれる者もいるのだ。
 つまり、存在が明るみに出るとまずい、貴族の私生児が。

「ようするに......ギーシュの浮気性は、先祖伝来のもの、ってことね」

「いやあ。そう言われると照れるなあ」

「ちょっと、ギーシュ。別にルイズは、褒めてるわけじゃないのよ......」

 呆れ混じりのモンモランシー。
 サイト一人は、まったく話が見えていないようで、とても不思議そうな顔をしている。

「......この村の寺院は、どっか別のところにある修道院の玄関口だった、ってこと。大物貴族の秘密をたくさん抱え込んでいるであろう、特別な修道院の、ね」

 サイトのために、できるだけ簡単に説明してみた。
 彼は、少し首を傾げてから、

「それが......グラヴィルの寺院の秘密だった、ってことか?」

「そうみたい」

 思わせぶりな噂やら態度やらのせいで、大きなお宝でも眠っているのかと期待していたのだが。
 結局のところ、私たちには何の役にも立たないゴシップ話だったわけだ。
 まあ、そうした修道院やら寺院やらであれば、諸国の有力貴族たちの間でも顔が利くのだろうし......。『普通』の寺院以上に、権力闘争が勃発するのも自然な流れだったのかもしれない。 

「......さてと......そろそろ、それっぽい場所についたわね。二人ずつに別れて、聞き込みをしたらいいのかしら?」

 モンモランシーの言葉に、あらためて周りを見回せば。
 私たちは、いかにもウラ街といった、いかがわしい雰囲気のエリアに足を踏み入れていた。
 普通の村娘も歩いているが、迷い込んだのではないかというくらい、ここには相応しくない感じだ。
 ちょうど前からは、酔ったゴロツキ風の男たちも近づいてくる。まだ陽も高いというのに、すっかり出来上がっているらしい。
 中の一人の髭づらが、ニマリと下品な笑みを浮かべて、私たちに話しかけてきた。

「よう、お嬢ちゃん。俺たちと遊ぼうぜ」

 なんとまあ。
 こちらが女だけというなら、まだしも。
 サイトやギーシュがいるというのに、ナンパしてくるとは。
 ......酔いが回りすぎて、男二人の姿が見えていないのだろうか?

「あんたたち......どっかの分院に雇われたんじゃなくて、本当に、ただのゴロツキみたいね。じゃなきゃ、こんな昼間から酒くらってないでしょうし。......なら、用はないわ。どっかいって」

「おいおい。そんなつれないこと言うなよ」

 私の言葉にもめげず、ひげ面が近寄ってきた。
 サイトとギーシュが、私やモンモランシーをガードするかのように、スッと前に歩み出たが......。

「なんだ? 後ろのあんちゃんたち......俺たちとやろうってぇのか?」

 ゴロツキたちの他の三人が、二人に詰め寄る。
 サイトやギーシュは、ただの酔っぱらい相手に本気を出すのは大人げないと思ったようで、問答無用で斬りかかるような素振りは見せていない。どうあしらおうか、困惑気味の表情だ。
 三人が二人に絡んでいる間に。
 最初のひげ面は、なおもしつこく、私とモンモランシーの方に手を伸ばしてきて......。

「きゃっ!?」

 とっさに私がモンモランシーを突き飛ばしたのと。
 ひげ面たち四人がバッと飛び退いたのと。
 同時だった。

「......いいカンしてるなぁ。殺気は完全に消したはずだったのによぅ......」

「こう見えても、場数はそれなりに踏んでるんでね。なんとなくわかるのよ」

 ヒゲ面の口調は、完全に変わっており、その手にはナイフが握られていた。
 そう。
 こいつら......ただの酔っぱらいなんかじゃなかった!
 ゴロツキを装って私たちに接近し、ナイフで斬りつけようとしていたのだ。
 気づいたのがギリギリで、さすがの私でも呪文詠唱が間に合わず、狙われたモンモランシーを突き飛ばしたわけだが......。

「モンモランシー!?」

「大丈夫。今......呪文唱えるから......」

 駆け寄るギーシュに軽く手を振ってから、自分に『治癒(ヒーリング)』をかけるモンモランシー。
 私が気づいたのもわずかに遅く、ナイフは脇腹をかすめていたらしい。まあこれくらいの傷、モンモランシーならすぐに治せるだろうし、グッサリやられなかっただけよしとしよう。

 ザンッ!

 斬撃の音。
 すでにサイトはゴロツキたちに斬りかかっており、敵は三人がかりでサイトの相手をしていた。
 残る一人のひげ面は、私にナイフを向けている。こんな奴、私のエクスプロージョン一発で......。

 ぞくりっ。

 さきほどと同じような、妙な予感が背中を駆ける。
 ヒゲ面のゴロツキを睨み、呪文を唱え続けたまま。
 私は半ば反射的に、大きく横へと跳んでいた。

 ......ザッ!

 なびいた私のマントが裂け......。

 ドンッ!

 振り向きもせずに放ったエクスプロージョンが、私の背後で爆発する。

「何やってんだ、ルイズ!? そんなところに......」

 叫ぶサイトだったが、途中で気づいたらしい。
 私たちの後ろにいた、普通の通行人らしき少女が......とても一般人とは思えぬ身のこなしで、私の魔法を避けたことに。

「サイト! そっちのヒゲ面も任せたわ!」

 さすがに無視できず、ゆっくりと振り返る私。
 そこに立っていたのは、緑色の髪の少女。私たちと同じくらいの年頃で、いかにも村娘といった素朴な格好をしているが、どうにも似合っていない。
 私のマントを切り裂いたのは風の刃だと思ったのだが、杖は手にしていなかった。では、見えなかっただけで、あれは投げナイフか何かだったのだろうか?
 少女は私を見てニヤリと笑いながら、口を開く。

「......さすが『ゼロ』のルイズだわ。あれをカンだけで避けるとは......」

 彼女の声を聞いた瞬間。
 私の体に悪寒が走った。
 この声......聞き覚えがあるぞ!?
 それに。
 酔っぱらいを装って近づいてくる手口。杖なしで放つ風の刃。そうした敵にも覚えがある......。

「あんた......人魔ね......? たしか名前は......シーコとか言ったっけ」

 私の言葉に。
 彼女の口元の笑みが濃くなった。

########################

 かつてアンブランという村に、亡国の姫君がいた。
 そもそも彼女が非道な魔法実験を行っていたがゆえに祖国は滅んだわけだが、彼女は懲りずにアンブランでも研究を続けていた。
 そして編み出したのが、人間と魔族を融合させる技術。すなわち......人魔。
 レッサー・デーモンの魔力と人の知恵とを持った彼らの中には、肉体を持つ身でありながら、空間を渡る能力を得た者すらいた。
 ギーシュやモンモランシーを含む私たちの活躍により、その姫君もついに捕縛。彼女の親衛隊やら取り巻きやらも、きっちり叩き潰したはずだったのだが......。
 まさかその残党に、こんなところでお目にかかろうとは。

「シーコだって!? そんな馬鹿な!」

 ギーシュが叫ぶ。
 モンモランシーを抱きかかえたまま。
 ちゃんと彼女は自分で『治癒(ヒーリング)』をかけているというのに。
 サイトが一人で四人と斬り結んでいるというのに。
 何を悠長なことをしているのだ、ギーシュは。

「......シーコなら、あの時たしかに死んだはずだ! 僕の『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』で真っ二つになって!」

 アンブランにおける最終決戦では、シーコの相手はギーシュとモンモランシーに任せて、残りは奥へ進んでいる。だから私はシーコの最期について、詳しくは聞いていなかった。ただ『倒した』と聞いただけで。

「あら。死んでないわよ。あんなの、上半身と下半身が別々になっただけじゃないの。......私が死んだと思って、あなたたちは先に行っちゃったけどね」

 理不尽なことをサラリと言う。そんな状態から再生したというのか。

「それで......復讐に来たってわけ? あのお姫さまの......」

「そういうこと」

 シーコは、私の言葉を軽く肯定して、

「ベアトリス殿下に従う仲間たちは、全員がアンブランにいたってわけじゃないのよ。ベアトリス殿下の御命令で、あちこちに散らばっていたんだけど......ベアトリス殿下が亡くなられたので、今はこんな商売に身をやつしてるの」

「ちょっと待って! 私たち、あのベアトリスってやつを殺してはいないわよ!? 捕えてガリアに引き渡しただけで......」

 私が言った瞬間。
 シーコの目が変わった。

「......亡くなられたのよ。ガリアで『尋問』中に」

 激しい憎悪を瞳に浮かべたまま、彼女はサラリと言う。
 ......そういうことか。
 ベアトリスが研究していた技術は、確かに非道なものであったが、軍事大国ガリアにとっても、興味津々なものだったのだろう。
 ならば過酷な『尋問』が行われたことも、容易に想像がつく。『尋問』というより『拷問』というべき類の......。
 ベアトリスが素直に吐いたところで、「まだまだ何かあるんじゃないか」と思われれば、その責め苦は続いたわけだ。彼女が死に至るまで......。
 あの時アンブランで私たちがベアトリスを殺してしまわなかったがために、もしかすると、彼女は死よりも苦しい目にあったのかもしれない。もちろん元はと言えばベアトリスが続けてきた悪事のせいなのだが、それを棚に上げて、人魔の残党たちは、私たちやガリアを恨んでいるのだ。

「......だからね。あなたたちには......ただ死ぬんじゃなくて、たっぷり苦しんでから死んでもらうわよ」

 悪鬼のように笑うシーコ。
 これで、だいたいの事情はわかった。
 向こうが最初にモンモランシーを狙った理由も。
 ......私たち四人の中では、モンモランシーが一番弱いと知っていたからだ。先に弱い敵から片づけていく、というのは戦略的に間違っていない。
 せっかく酔っぱらいのフリをして私たちを油断させるのだから、強者である私やサイトを狙ってもよかったのだろうが、まあ私やサイトならば、間一髪でかわしていたはずだ。実際に私は、ヒゲ面に注意が向いていた状態で、背後からのシーコの攻撃すら回避してみせたわけだし。

「おい、ルイズ! いつまでも喋ってないで、少しは加勢してくれよ!」

 サイトの声が聞こえてきた。
 チラリと見れば、四人と斬りあっていたサイトは、すでに一人を倒し、今は三人を相手にしている。
 別に私はサボっているわけではなく、不可視の衝撃波を放つ強敵シーコを前にして、迂闊に動けないのだが......。
 というか、あとの二人はどうした!?

「ギーシュ! このシーコは私がやるから、あんたとモンモランシーはサイトの援護を......」

 モンモランシーだって、そろそろ回復した頃合い。
 そう思って視線を送れば......。

「!?」

 回復どころの話じゃない。
 ギーシュの腕の中で......彼女の顔色がドンドン生気を失っている!?
 あんなナイフが軽くかすめた程度で......。
 ......まさか!?

「......言ったでしょう。『ただ死ぬんじゃなくて、たっぷり苦しんでから死んでもらう』って」

「毒! あのナイフに......毒が塗ってあったのね!?」

 私は再びシーコを睨む。
 よく見れば......憎悪の中に、わずかに歓喜の色が見てとれた。

「ただの毒じゃないわ。......東方から取り寄せた特殊な毒薬よ。これが体内に入れば......一日と経たぬうちに心を失い、廃人となって......やがて死に至るのよ。ハハハッ......!」

 哄笑を上げながら、シーコが退いてゆく。
 同時に、サイトと戦っていた三人も撤退していくようだが......。
 今は彼らを追っている場合ではない!

「モタモタしてらんないわ! 治療所に行くわよ!」

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「医者が......いない!?」

 対応に出た女の言葉に、ギーシュは声を荒げた。
 村の東の方にある、治療所でのことである。

「どういうことかね、それは!?」

「......け......今朝ここも襲撃を受けたんです!」

 女の話によると。
 分院どうしが争っている状態なので、もともと腕の立つ水メイジたちは、どこかの分院から引き抜かれて、ここにはいなくなっていた。
 それでも昨日までは、さほど優秀ではないとはいえ三人の水メイジが詰めていたわけだが......。
 今日の午前中に何者かに襲われて、今は三人とも寝込んでいる状態なのだという。

「......秘薬の棚も荒されてしまいまして......。薬が残っていれば、私でも応急処置くらいは出来るのですが......」

 ......やられた。
 これもシーコたちの仕業に違いない。
 ならば。
 四人の中で最初にモンモランシーを狙ったのも、彼女が水メイジだから......ということか。
 何があっても解毒などさせないために......。

「なあ、ルイズ。あいつが言ってた『東方の毒薬』って......もしかしてエルフの秘薬か?」

「......みたいなもんでしょうね」

 小声で問いかけるサイトに、私は答えた。
 東の方ではエルフと交易があるとか、逆にエルフと争っていてエルフの技術を模倣しているとか、そんな噂も聞く。
 また、前に旅の仲間だったタバサの一件があるように、エルフの世界には人間の心を『奪う』薬があるのは、確実な事実なのだ。

「じゃあ、あのエルフを見つけだして頼めば、モンモランシーも何とかなるのか?」

「......それは無理ね」

 タバサの母親は、エルフの薬によって心を壊されていたが、ルクシャナというエルフと知り合い、解毒薬を作ってもらえることになった。単に心を奪うだけで、命まではとらない薬だったから、それも可能だったのだ。
 だが今回シーコが使ったものは、それとは少し違う。『やがて死に至る』という毒薬なのだ。
 それに、かりにエルフならば解毒できるとしても、今からエルフを探し始めたところで間に合うわけもない。

「とりあえず......今は、優秀な水メイジのいそうな分院をあたるしかないわ。あっちこっちの分院にスカウトされてるんでしょ?」

 私の言葉に、対応の女性が頷く。
 水メイジということなら、それこそ『水の分院』が一番ふさわしいだろうが、ギーシュもモンモランシーもそこで雇われていたのだ。内情はよく知っている。モンモランシー以上の水メイジがいるのであれば、真っ先に向かっていただろう。
 しかし実際には、この治療所に来た。つまり......『水の分院』はアテにならない、ということ。

「ここから一番近いのは......『火の分院』ね」

 私がつぶやく頃には。
 モンモランシーを背負ったギーシュの姿は、すでに見えなくなっていた。

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「いないはずがないだろう!?」

 ギーシュの声は、もはや悲鳴に近かった。
 村の東にある『火の分院』で。
 毒を受けた者がいる、急ぎ治療医にとりついでくれ、と頼んだ私たちに、いったん奥に引っ込んだ傭兵が返した答えは......。
 そんなものはここにはいない、だった。

「ここは『火の分院』だからなあ。水メイジなんて一人もいないぜ。......『火の司祭』様も、そうおっしゃってるんだ」

 見張りの傭兵は、小馬鹿にしたような笑みさえ浮かべて言う。
 ......明らかに嘘である。少なくとも、『治癒(ヒーリング)』を使える者が一人もいないなんて話、とても信じることは出来ない。

「......そうそう。『北で雇われてるなら、北で治してもらえばいいじゃないか』ともおっしゃってたぜ。ま、もっともな意見だわな」

「......きさまっ......!」

「ギーシュ!」

 傭兵に突っかかろうとするギーシュをサイトが押しとどめている間に。

「じゃあ、キュルケを出してちょうだい。ここに雇われたメイジの中に、赤い髪したキュルケってのがいるはずだけど」

「ああ、あのちょっと色っぽいねえちゃんか。彼女なら、今は外回りだぜ。中にはいねえなあ」

 キュルケに取り次いでもらえば、話も通るかと思ったのだが......。

「キュルケっ! いないのっ!? いるなら出てきてっ!」

「だからぁ。いねえって言ってんだろ」

 大声で叫んでも、ウンともスンとも返事がない。どうやら本当に外出中らしい。
 
「どうする、ルイズ? ここで傭兵たちをぶち倒して中に乗り込むか?」

 ギーシュを押さえつけながら問うサイトに、私は首を横に振る。

「ダメよ。そんなことして治療医を引っぱり出しても、治療で手を抜かれるかもしれないし......」

 私の言いたいことを理解したのか。
 ギーシュがポツリとつぶやいた。

「......北へ向かおう」

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 風が渡る。
 窓から見える、緑の木々をそよがせて。
 おだやかな......。
 おだやかな昼下がり......。

「......皮肉なものね......」

 ベッドに横になったまま。
 モンモランシーは静かな口調で言った。
 ......さすがに『水の分院』には、それなりに『治癒(ヒーリング)』の使えるメイジもいた。
 だが彼らの力は、東方から伝わったという毒薬を前にしては、あまりに微力だった。所持する秘薬を駆使しても、特に効果はなく......。

「......私は『水』の使い手......私には私の戦い方があって......。私の周りに悲しみがあるのは許せない、あるなら癒さなくっちゃ気がすまない......って思ってたのに......自分一人治せないどころか......自分が悲しみの原因になっちゃうなんて......」

「......モンモランシー......君は......」

 ギーシュは、それ以上何も言えなかった。ただ涙を流して、彼女の手をソッと握っていた。

「......だからお願い。私がいなくなっても......悲しまないでね。世の中には......あなたを待っている女性が......きっとたくさんいるのだから......これからは思う存分......」

「何てことを言うんだ!? 君がいてこそ......僕は......」

 彼女は、ギーシュに顔を向けて。
 無理して――かなり無理して――ニッコリと微笑む。

「だから......お願いよ、ギーシュ。約束してね......」

 そう言って。
 彼女の瞳は、虚ろになった。

「......モンモランシー......!? ......モンモランシー!!」

 ギーシュが呼びかけても、まったく反応がない。
 彼女の手を握ったまま、泣き崩れるギーシュ。
 まだ息はしているのだが......もう彼女は、もの言わぬ人形だった。

「......ぅうっ......」

 彼と彼女と、彼の嗚咽だけを残して。
 私たちは退室し、扉も閉めた。

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 次に部屋の扉を開けた時。
 部屋にギーシュの姿はなく......。
 ベッドに寝ているはずの、モンモランシーまでもが姿を消していた。
 開け放たれた窓にかかったカーテンだけが、まるで何事もなかったかのように、ただ風にそよいでいた。

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 ......ギーシュがモンモランシーを連れ去ってから、二日ほどの時が過ぎていた。
 その間。
 私たちは、逃げたシーコとその仲間たちの行方を探し、あちらこちらに聞き込みを続けていた。
 四人の素顔を知っている分、捜査もやりやすい。今日の夕刻になって、一人の情報屋の名前が浮かんできた。
 私とサイトは、情報屋の住むアパルトメンの階段を登り......。

「......!?」

 薄暗い廊下にたどり着いたところで、二人同時に足を止めた。
 古びた、薄汚れた廊下に......流されたばかりの血の匂いが!?
 廊下に面した戸の一つが、小さく開いたまま。しかも、その部屋こそが、私たちが向かおうとしていた情報屋の部屋。

 ......ダッ!

 私とサイトは駆け出し、部屋に飛び込む。
 中には、血まみれの男が倒れていた。
 傷だらけだが、命に別状はなさそうだ。

「......ひ......ひい......」

 私たちの姿を認めると、男は小さく声を上げた。

「......やめ......もう......やめてくれ......話したじゃないか......どこにいるのか......」

 その瞬間。
 私は、ここで何が起こったのかを悟っていた。

「これが貴族のやることかよ......ひでえことしやがる......このおっさんに罪はないだろうに......」

 つぶやくサイト。彼にもわかったらしい。
 ここにギーシュが来たのだ。
 彼が姿を消したのは、まず間違いなく復讐のため。まだモンモランシーが生きているのであれば、心を取り返そうと、あるいは毒の進行を止めようと、一人であがいているのかもしれないが......。
 少なくとも、ここを訪れたのは復讐のためだ。
 ならば。

「連中の居場所......もう一度言ってもらいましょうか」

「だから......通りを東に行った......『海の花』亭だって......言ってるじゃないか......」

 相手が変わっていることにも気づかず、半泣きで言う男。
 ......もう十分だ。
 私はサイトと共に下に降り、管理人に金貨をつかませ、医者を呼んでやるように頼むと、情報屋の言った場所へ向かう。

「通りを東......って言ってたわね?」

「そうみたいだな。っつうことは......」

 探す必要はなかった。

 グゴォォォォンッ!

 突然。
 轟音と共に、私たちの行く手にあった、一軒の建物が崩壊する。敷地全体の地面が盛り上がって、建物が吹っ飛んだのだ。

「......土メイジだからって......なんちゅう派手なマネを......」

 急いでダッシュで近づく私たち。
 驚いた近所の人たちが、あたりに顔を覗かせる。
 人々の驚きと恐怖。あせりと悲鳴。
 そんな中、一つだけ異質な感情が、私にもハッキリとわかるほど、ある方向から流れて来ている。
 すなわち......憎悪。
 おそらくはそここそが、ギーシュの居場所。
 それは、もうもうたる土煙の向こう。
 戦いはどうやら、ガレキと化した安宿の裏手で行われているようである。
 私たちは通りを曲がり、裏路地へと入る。
 細い通りを駆け抜けると、いきなり広い場所に出た。
 そこには......何かが転がっていた。
 長いもの。短いもの。大きな塊。丸いもの。
 人間の体の一部だった。
 男の首も、三つある。

「......!」

 私もサイトも、言葉をなくして立ちつくす。
 そこに。

「......っがぎゃあぁぁああぁぁぁっ!」

 絶叫と共に、何かがボタリと落ちてくる。
 ......女の左足......。

「......!?」

 視線を上げれば。
 広場に面した建物の屋根の上。
 土煙で汚された夕焼けを背に、彼がいた。
 しゃがみ込み、左手で何かを抱えるようにして、右手を動かす。
 手にした刃が、赤くきらめいて......。

「ぎぐゃああああぐぶぅぅぅっ!」

 抱えられたものが身を震わせて、悲鳴を上げる。
 また何かボトリと落ちてくるが、もう確かめる気すら起きない。

「......誰だ......?」

 左手で抱えた物体に向けて、ギーシュが問う。

「君を雇ったのは誰だ?」

「だ......だがら......さっきがら......言っでるじゃないですが......南の......『土の司祭』......」

「よく聞こえないな。もう少しハッキリ言ってくれないか」

 穏やかな声で、ギーシュは再び右手を動かす。
 続くのは......シーコの悲鳴。

「......誰だ......? 君を雇ったのは?」

「......も......もうやめで......ゆるしで......」

「駄目じゃないか、ちゃんと答えなくては。紳士の質問に素直に答えるのも、淑女のたしなみではないかね」

 そしてまた......剣のきらめきとシーコの絶叫。
 すっかり小さくなったシーコは、わずかにもがきつつ、

「南の『土の司祭』です! 南です土です土の司祭ですお願いもうやめでよやめでたすげでおがあさんぐるしい......」

「......君......ちょっとうるさいな......」

 言ってギーシュは、その手を......。

「ギーシュゥゥッ!」

 叫んだのは、サイトだった。
 おかげで私も、長い硬直から脱出する。

「もう十分でしょ!?」

 二人の声を耳にして。
 ゆっくりと彼は振り向く。
 その瞳には、静かな光が宿っており......。
 いつもの......キザで陽気でお調子者のギーシュとは、まったくの別人だった。

「ああ、サイトたちか。......遅かったね。ちょっと待ってくれ、すぐ終わるから」

 口調だけは、私たちが知るギーシュと同じで。
 再び私たちに背を向けて......右手を動かす。

「......や......やめでやめでやめ......」

 赤い刃が数回連続できらめき、シーコだったものは、何もしゃべれなくなった。
 粉々に刻まされたそれは、ギーシュの手から風に飛ばされ、向こうの土煙に紛れる。

「......ここまでやれば......いくら君でも死んだはずだ......」

 私たちに背を向けたまま、ギーシュはゆっくりと立ち上がる。

「『ほんとは荒っぽいこと、大っ嫌いなんだから』......それがモンモランシーの口癖だったんだよ」

 突然。
 懐かしい思い出話でもするかのように。
 ギーシュが語り始めた。

「ああ見えて、彼女は臆病でね。僕らが旅を始めたばかりの頃......『まったくもう、なんだか嫌な予感がするったらないわ。人生って、とにかくなんでも、それを望まない人の元へ優先的に届けるんだから』って言ってたっけ」

 ギーシュの表情は見えない。私たちには、彼の背中しか見えない。

「......僕は、こう返したんだ。『大丈夫だよ! 命に代えても僕は君を守ってみせる!』って。それなのに......こんな奴らに......」

 ひと区切りついて、彼は私たちの方を向く。
 まだギーシュは、『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を出し続けていた。
 いつもより、いっそう赤い。これでは薔薇の色でなく、まるで......。

「......あとは僕がケリをつける。できれば君たちは、村から離れてくれ。これは......僕たちの問題だ」

 言うなり彼は身をひるがえし、屋根の向こうに姿を消す。
 ......止めなきゃいけない......。
 頭ではわかっているのだが、追えなかった。
 いや、動くことさえ出来なかった。
 ただ、彼の後ろ姿だけが......。
 血のように赤い『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を手にした、彼の後ろ姿だけが、私の目に焼き付いていた。


(第四章へつづく)

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第十四部「グラヴィルの憎悪」(第四章)

 夕焼けに照らされて。
 茶色いはずの『土の分院』は、むしろ赤く見えていた。
 以前に来た時と同じく、建物の前には、たむろする傭兵たちの姿がある。
 ......どうやらまだ、騒ぎは起こっていないらしい。
 私とサイトは、まっすぐ玄関へと向かう。

「......おい待て、お前ら!」

 歩調を緩めぬ私たちに、傭兵の一人がわめいた。

「ありゃあ本院の雇った連中だろ?」

「だからといって素通りさせるわけにもいかねえだろうさ」

 傭兵たちのヒソヒソ話が聞こえる。全然ヒソヒソ話になっていない。
 私はそちらに一瞥を送り、

「......『土の司祭』の命が狙われてるの。会わせてもらうわよ」

「......な......?」

「『風の分院』を襲った連中......そいつらを一人で皆殺しにした男よ。あんたたち......勝てる?」

 はっきりとした証拠はないが、状況から考えて、『風の分院』襲撃事件の犯人はシーコたちだったのだろう。
 私の気迫に圧されて、絶句する傭兵たち。彼らを残して、分院に入ってゆく。
 案内などなくても、構造はわかっている。私たちは『土の司祭』の私室へと向かい......。

 ダンッ!

 扉を大きく開け放つ。
 部屋にいたのは、『土の司祭』と数人の傭兵たち。

「......な......」

 椅子から『土の司祭』が腰を浮かし、傭兵たちは色めき立つ。

「貴様ら! いったい何のつもりで......」

「シーコとその仲間たちが死んだわ」

 最後まで言わせず、私はキッパリ言い放つ。
 それだけで彼の動きが凍りついた。傭兵たちは困惑気味で、もの問いたげな視線を互いにかわしている。
 これが『シーコ』を知っている者と、知らない者との反応の違い。
 つまりは......そういうことだ。

「どういう意味か......わかるわね?」

「......あ......」

 かすれた声でつぶやいて、『土の司祭』は再び、椅子に沈みこむように腰を下ろした。情けない表情で、左右に弱々しく頭を振って、

「......わ......わしは悪くない......」

「ふざけるなっ!」

 サイトの一喝に、『土の司祭』が小さく、ビクッと体を震わせた。

「おい、何人死んだと思ってんだよ!? 全部あんたの雇った暗殺者がやったことだろうが!」

 傭兵たちの間に動揺が走る。やはり彼らは、暗殺者のことは知らなかったのだ。

「マチス司祭を火事に見せかけて殺したのも......あんたね?」

「それは違う!」

 私の問いを力強く否定してから、彼は頭を抱えて、再び弱々しい態度で語り始める。

「......お告げが......あったのだ......」

 ......は?

「......マチス司祭が火事でお亡くなりになって......祈っていたら......あの夜......神の御声が......」

 いったい何を言い出すのやら。
 私だけではない。彼に雇われているはずの傭兵たちの中にも、眉をひそめている者がいる。

「......マチス司祭の死は事故ではない......邪悪な心を持つ者の暗殺だ、と......。お前もまた狙われている、と......。身を守るには力が必要だ、力を集めよ、と......。聞こえたのだよ! 神の声が!」

「......寝言を......!」

 サイトがつぶやいたが、『土の司祭』には聞こえなかったようだ。
 かまわず彼は話を続ける。

「......だから......わしは人を雇った......傭兵メイジたちを......。その中の一人が......あの女メイジが暗殺者だなんて......知らなかったんだ......」

「嘘ね」

 私はキッパリ言い捨てた。
 部屋にいる傭兵たちをグルリと見回しながら。

「本当に彼女が普通の傭兵メイジだと思ってたなら......その存在を隠す必要なんてなかったでしょ。......でも、あんたは隠していた。だって、ここにいる人たち、『シーコ』なんて知らないって顔してるわよ」

「ち......違うんだ! やつが普通じゃないことは、わしにも一目でわかった。だからイザという時の切り札になると思って、秘密にしていただけだ! まさか......やつが暗殺者だったなんて......あんな可愛い顔をして......」

 ううむ。
 このおっさんも、しょせん男だったということか。若い娘が、ちょっと可愛い顔して色気ふりまいたら、コロッと騙されてしまう......。
 人魔だったけど、シーコも外見だけなら、それなりの美少女メイジだったからなあ。

「わしが命じたのは......こっそり他の陣営の傭兵たちを痛めつけて、この件から手を引かせること......それだけだった。......なのに! あいつが暴走して......」

「......おい、おっさん。そんな言い訳が通ると思ってんのか!?」

「本当だ!」

 サイトの言葉に、『土の司祭』は声を張り上げる。

「......あの事件が起きる前の日......夜ごとの報告に来たあいつは、妙に上機嫌だった......。知った顔に出会った、これから楽しくなる、だから今夜は特別にサービスしてあげる、などと言っておったが......まさか......翌日あんなことを......」

 おそらく『あの事件』とは『風の分院』襲撃のことだろう。ならば、その前日といえば、ちょうど私たちがグラヴィルに来た日......つまり、傭兵と暗殺者との戦いを目撃した日である。
 あの暗殺者は全身を黒で覆っていて、性別すら不明だった。もしもあいつがシーコだったとしたら......。

「『風の司祭』が殺された夜......シーコめは笑いながら言いおった......。これがあんたの望んだことなんだろう、わざわざ仲間まで呼び寄せてやった......とな......。だが......違う! わしは......そんなこと望んでいなかった! わしは......ただ......」

 言って両手で顔を覆う。
 ......だいたい事情はわかった。
 おそらくシーコは、私たちの顔を見て、復讐の好機だと思ったに違いない。
 ただし、一対二ではかなわぬと判断して、あの場はアッサリ退却。仲間を呼び集め、暴走したのだ。
 私たちを戦いの舞台に引きずり出すために。
 そして......その結果......モンモランシーが......。

「......わしは......命じてなどいない......」

 顔を覆って、うなだれて、『土の司祭』は小さな声でつぶやく。自分自身に言い聞かせるように。
 初めて会った日の高飛車な面影は、もうまったくなかった。
 今にして思えばあれは、本当に苛立っていたのであり、また、演技でもあったのだろう。シーコの暴走を知って動揺していた、その内心を隠すための。

「......わしは......『風の司祭』の死など望んではいなかった......わしは......悪くない......」

『それを決めるのは......あなたではない』

 声がした。
 唐突に。
 ギーシュの声が。
 その瞬間。

 ブァッ!

 青光りする闇が『土の司祭』の全身を包み込む。

「!?」

 何が起こったのか、一瞬、誰にもわからなかった。
 全員が硬直した刹那。

 ゴガァゥッ!

「ぐあああああああああっ!?」

 すさまじい破砕音と『土の司祭』の悲鳴。
 遅れて、私は事態を理解した。
 ......『土』魔法の組み合わせだ。巨大な『アース・ハンド』で足だけでなく全身を包み込み、さらにそれを『錬金』で『青銅』に変換して......圧殺したのだ......。
 ようやく私が悟った直後、魔法が解除され、『土の司祭』の姿が再び現れた。
 全身の骨をバラバラに砕かれており、ただグタリと崩れ落ちるのみ。傭兵たちが駆け寄るが、どう見てももう死んでいる。

「ギーシュ!」

 壁の向こう側にいるであろうギーシュへ向かって、叫んで私はダッシュ。
 爆発魔法で壁を壊し、中庭へ出る。
 刈り込まれた庭木、伸びる石畳、小さな噴水、佇む石像。
 そして。
 赤い夕日を背に負って、渡り廊下を覆う屋根の上に......。

「追ってきたのか......君たち......」

 苦笑混じりの声で、ギーシュが言う。
 何も命じていないが、サイトはピタリと、私のあとについてきていた。

「ギーシュ! 彼は......『土の司祭』は、シーコを雇っていただけ! 命令を出してたわけじゃないのよ!」

「......わかってるよ。壁のこちら側で聞いていたからね。でも......だから許せるというものではない......」

 その顔は、影になっていてよく見えない。表情は、声色と口調から想像するしかなかった。

「おい、ギーシュ! そんな理屈は......」

「......ルイズ。君に一つ尋ねたい」

 サイトの呼びかけを遮って。
 ギーシュは、私に問いかけてきた。

「もしもモンモランシーではなく、サイトが毒を受けていたとして......それでも君は、そんなに理性的でいられるのかね?」

「......え......」

 そうだ。
 あのとき。
 私は言ったのだ......『サイト! そっちのヒゲ面も任せたわ!』と。
 そのヒゲ面のナイフに、凶悪な毒が塗られているとも知らずに。
 毒ナイフ男を含む四人と同時に斬り合って、サイトがかすり傷ひとつ負わずに済んだのは、サイトの技量が常人離れしていたから。ただ、それだけの理由だ。
 もしもサイトが......毒ナイフでチラリとでも斬られていたら......今頃サイトもモンモランシーのように......。

「まだ僕たちが、魔法学院の学生だった頃......」

 突然。
 ギーシュが昔話を始める。
 答えに窮する私を前にして。

「......僕のよそ見が過ぎて、愛想をつかされたらしく、部屋にすら入れてもらえなくなったことがあってね......」

 私たちと知り合ってからでも、ギーシュは十分に女好きだった。わざわざ今さら聞くまでもなく、旅に出る前の二人の様子も、だいたい想像がつく。

「廊下で扉を叩きながら、僕は言ったものだ。『愛する君にそこまで嫌われたら、僕の生きる価値なんて、これっぽっちもない』と。『せめて君が暮らす部屋の扉に、僕が生きた証を、君を愛した証拠を刻みつけようと思う』と」

 おそらく、それでも。
 ギーシュみたいな男が、フラれたぐらいで死ぬわけがない......。そう思って、モンモランシーは、つれない態度を貫いたことだろう。

「口に出して言いながら、僕は刻み始めたのだよ。『愛に殉じた男ギーシュ、永久の愛に破れ、ここに果てる......と』とね。そうしたら『と、じゃないわよッ! もう!』って言って、彼女は扉を開けてくれてね......」

 そして、少しずつ。

「......そうなのだよ。わかるかい? モンモランシーがいなかったら......『僕の生きる価値なんて、これっぽっちもない』のだよ......」

 ギーシュの口調が変わってゆく。
 明から暗へと。
 光から闇へと。
 過去から......未来へと......。

「......だが......僕一人が死ねば、それで済むというものでもない......そう簡単には死ねないのだ......」

 その言葉にこめられた憎悪に。
 私は怯えるしかなかった。
 彼の言葉は......もうギーシュの言葉には聞こえなかったのだ。
 私だって、ハルケギニアに生きる貴族の一人だ。名誉やプライドを重んじる貴族の一人だ。
 ......愛する婦女子一人守れないのは、騎士の恥。生き恥をさらすよりも、愛に殉じる......。
 それはそれで、ひとつの形だと思う。そこまでは理解できる。
 でも。
 ......『僕一人が死ねば、それで済むというものでもない』......。
 これは違う。貴族の言葉ではない。
 それはまるで......自分だけの『滅び』ではなく世界全体を『滅び』に巻き込もうと望む者のような......。
 と、その時。

「いたぞっ! あそこだっ!」

「やっちまえっ!」

 後ろから聞こえてきたのは、ようやく壁の穴から這い出してきた傭兵たちの声だった。

「ふむ......おしゃべりが過ぎたようだね......」

 きびすを返すギーシュに、私が呼びかける。

「ギーシュ! 待って!」

「......次は東だ」

 振り向きもせずに返して、彼は屋根伝いに走り出した。

「......えぇい! 追え!」

「待て貴様!」

 あわてて追いゆく傭兵たち。
 そして私は......いや、私だけではない。私とサイトは、じっとその場に佇んでいた。

「いいのかい? 追わなくてよぅ?」

 うながす声は、サイトの背中から聞こえた。
 ......ガンダールヴの剣、デルフリンガー。

「らしくねーな、相棒も娘っ子も。......人間の耳には聞こえなかったのか? あいつの『自分を止めてくれ』って声がさ」

 ......あ......。
 私は思わず、小さく息を呑んでいた。
 そうだ。
 次は東......。
 ギーシュは確かにそう言ったのだ。
 わざわざ予告のような真似をした、ということは......。

「......そうね......」

 私は同意の声を上げた。
 ギーシュは今、二つの気持ちの間でゆれ動いているのだろう。
 まだ憎悪一色に染められたわけではない。
 ここでも、シーコの時でも......あんなに幸せそうに、昔の思い出を語っていたのだから。
 昔を想う、平穏な心が残っているはずだ。

「......行くわよ、サイト」

「ああ」

 私とサイトは走り出す。
 向かうは東......『火の司祭』のもと。

########################

 暮れゆく空に星が瞬く。
 もはや太陽は没し、西の端に残るわずかな茜色が、夜の浸食にかすかな抵抗を示すばかり。
 夜が来る。
 私とサイトが『火の分院』に到着したのは、そんな時間帯のことだった。
 すでに玄関の扉は閉ざされており、扉の前には、正規の兵士が一人と傭兵らしき男が一人......倒れている!?

「遅かったか!?」

 叫んで駆け寄るサイト。
 ここ『火の分院』にはキュルケがいるはず。前に来たときは外出中だったし、そもそも私たちが出会ったのも本院を調べている時だったから、警護ではなく違う役回りをさせられているのかもしれないが......。
 もしも今キュルケが中にいるなら、ギーシュだって、そう簡単には......。

「......悪魔だ......七匹の悪魔が......」

 サイトが助け起こした兵士は、それだけ言うと息絶えた。
 傭兵の方は、すでに死んでいる。
 私はサイトと顔を見合わせてから、玄関の扉を押し開き......。
 二人同時に、建物の中に飛び込んだ。

########################

 この分院のシンボルは『火』。イメージカラーは赤。
 そして、今。
 内部はまさに、赤一色に染められていた。
 ......ここにいた者たちの血で。

「......うっ......」

「なんてやり口だ......ギーシュらしくもねえ......絶対に止めるぞ、ルイズ」

 転がる死体は、どれも無惨な状態だった。
 魔力剣でバッサリ斬られたものではない。牙で噛み砕かれたように、爪で抉り取られたように、皆ボロボロになっていたのだ。
 とても直視できない。なるべく無視して、私たちは通路を駆ける。
 角を曲がれば、まっすぐ伸びた廊下。『火の司祭』がいる私室の扉が見えてきた。
 その扉の前で。

「ぐえっ!?」

 首筋に噛みつかれ、腹を抉られ、ちょうど絶命する一人の傭兵メイジ。
 やったのは......。

「これが......七匹の悪魔......か」

 つぶやいて、サイトがデルフリンガーを構える。
 そう、おそらく玄関の兵士には、それが悪魔に見えたのだろう。
 私たちの行く手を阻むのは、二体のゴーレムだった。
 ......『青銅』のギーシュが作り出したゴーレム『ワルキューレ』。その七つのゴーレムのうち、二つがこの場にいた。
 だが。
 その姿は、私たちが知っているワルキューレとは微妙に違う。ギーシュの憎悪を反映して、禍々しい雰囲気を放つデザインに変化していた。
 基本的なシルエットは、たしかに甲冑を着た女戦士である。しかし、この二体を見て、誰が『戦乙女(ワルキューレ)』だと思うだろうか。
 一方は青銅の爪から、もう一方は青銅の牙から、それぞれ犠牲者の血を滴らせて......。
 まるで......魔獣と魔竜のようだった。

「そこを......どけぇぇぇっ!」

 斬りかかるサイト。
 魔竜ワルキューレがガシッと口で受け止めるが、サイトは構わず、竜の顎ごと全身を両断する。
 その背に向かって、爪を振るおうとする魔獣ワルキューレ。しかし獣の腕は、私のエクスプロージョンで消滅。続いて、振り返ったサイトが魔獣を切り裂く。

 ザンッ!

 その勢いのまま、サイトはドアを叩き斬る。
 中に入れば......。

「キュルケ!?」

 あわてて駆け寄る私。
 トライアングルメイジであるキュルケが、血だらけになって倒れていたのだ。
 もちろんキュルケだけではない。他の傭兵メイジたちに混じって、『火の司祭』の姿も転がっている。
 そちらに歩み寄ったサイトが、私の視線に気づいて......。
 無言で首を横に振った。
 一方キュルケは、まだ息がある。
 
「......ルイズ......遅いじゃないの......」

 私に抱きかかえられて、うっすらと目を開く。

「......強いわよ......彼......。シャレになってないわ......」

「しっかりして、キュルケ! あんた、この程度でやられる女じゃないでしょ!? あんたは......ツェルプストーの女なのよ!」

「......言ってたわ......次は北だ、って......」 

 それだけ言うと。
 彼女は目を閉じて、ガクリと頭を垂れた。

########################

 結局。
 生き残ったメイジは、キュルケだけだった。
 部屋に閉じこもって隠れていた僧侶たちに害はなかったが、『火の司祭』を守って戦う傭兵メイジに、ギーシュは容赦しなかったらしい。
 そんな中でキュルケ一人、殺されずに済んだのは、ヴィンドボナで――ほんの短い時間ではあったが――共闘した間柄だったからなのか。あるいは、私たちへのメッセンジャーという役割があったからなのか。

「......ありがとうございました。おかげさまで助かりました......」

 一室に隠れていた僧侶たちは、傷だらけのキュルケに礼を言う。
 キュルケの命令で、彼女の使い魔フレイムが、彼らの部屋に残されたためである。
 ......別にフレイムがいるから助かったのではなく、彼らはギーシュのターゲットではなかった、というだけなのだが。
 生き残った者たちは、詳しい事情を知らない。『風の分院』の者たちが全滅したように、本来ならば皆殺しにされるはずだった......と思い込んでいるのだ。
 ともかく。
 彼らはキュルケの手当てを申し出たが、もう『火の分院』に『治癒(ヒーリング)』の出来る者はいない。
 応急処置の後。
 私たちはキュルケを『水の分院』へ連れていくことにした。
 屋根ナシ荷車のような、簡単な馬車を『火の分院』で借りて、荷台にキュルケを寝かせて、夜の村を疾走する。
 もう人通りも少ない時間帯だ。昼間このスピードで馬車を駆れば、村人の迷惑になるだろうが、今ならば大丈夫。
 ガタンゴトンと進むうち......。

「......あれは......復讐鬼の目だったわ......」

 さすがに寝心地もよくないのか。目を覚ましたキュルケが、ポツリとつぶやいた。

「キュルケ!? いいから、あんたは休んでなさい。今、水メイジのたくさんいるところへ運んであげるから」

「ルイズ......トリステインの魔法学院に立ち寄った時のこと......覚えてる? あの時の......アニエス......彼女と同じなのよ......」

 私の言葉など丸っきり無視して、語り始めるキュルケ。
 ......アニエスというのは、トリステイン魔法学院が二派に別れて争っていた時、『火』メイジのボディ・ガードをしていた女剣士だ。それくらいは私も覚えている。
 幼き頃に村を焼かれ、その復讐に生きる剣士、アニエス。彼女が仕えていた『火』メイジこそが復讐のターゲットだったのだが、なんだかんだいって許したような感じだった。そこら辺の詳しい事情も、同じ派閥に属していたキュルケは、私以上に聞いているのかもしれない。

「......そのアニエスが言ってたの......『復讐は鎖だ。どこかで誰かが断ち切らねば、永遠に伸び続ける鎖だ』って......」

 それだけ言うと、キュルケは再び目を閉じた。
 やはり今の状態では、起きているだけでも体に負担がかかるのだろう。すぐに安らかな寝息を立て始める。
 彼女の寝顔を見下ろすような形で、

「なあ、ルイズ」

「何よ?」

「今頃アニエスさんの話とか聞かされても......どうしろっていうんだ?」

 問いかけるサイトに、私は返す言葉を持たなかった。

########################

「......来るのですか......彼が......」

 私の話を聞き終えて。
 暗いまなざしで『水の司祭』はつぶやいた。
 ......『水の分院』の、彼の私室でのことである。
 今ここにいるのは、彼と私とサイトだけ。キュルケは別の部屋で、水メイジに診てもらっており、使い魔のフレイムも、彼女のそばに付き添っている。

「ギーシュは暴走しています。そして同時に......そんな自分を止めてもらいたがっています。でなければ、私たちより先に、ここに到着していることでしょう」

 確証はない。だが、とりあえず私は、そう言うしかなかった。

「......わかりました。では......礼拝堂で警備してもらえますか?」

「礼拝堂......ですか?」

 彼の提案に、私は眉をひそめた。
 戦いになる可能性を考えるなら、ある程度の広さがある方がいい。護衛を集中させることもできるし、広さの点では、たしかに礼拝堂は悪くない。
 しかし......いくつもの柱やら、参拝者用の長椅子や祭壇など、障害物があるのは問題だ。それらは、身を隠して近づく側に有利となるのだ。

「......うーん......」

 難しい顔をする私を、『水の司祭』はヒタッと正面から見据えて、

「お願いします。......私の居場所は、あの場所にこそ、あるような気がするのです。たとえ......結果がどう出ようとも......」

 自らの死をも覚悟した言葉だった。
 そこまで言われたら、反対などできやしない。

「わかりました」

 私は頷くしかなかった。
 さらに。

「それともうひとつ。護衛の人々に関しても......提案があります」

 彼の出した案は、まさに常識外れのものだった。

########################

 壁や柱に取りつけられた燭台には、魔法の明かりが皓々と灯り、広い空間を照らし出す。
 横二列に並ぶ長椅子の間には、青い絨毯。
 真ん中の広い通路の先には、始祖ブリミルを祀る祭壇。もちろん、始祖の容姿を正確に象ることは不敬とされているため、始祖が腕を広げた姿を抽象化した像しか置かれていない。
 その祭壇に......『水の司祭』はいた。
 両脇をかためるように、右にはサイト、そして左には私。
 礼拝堂にいるのは、それだけだった。
 他の傭兵や兵士たちは、分院の奥。
 ......護衛は私とサイトの二人のみ......。
 それが『水の司祭』の出した、ムチャな案だった。
 彼は言ったのだ、これは私たちだけで決着をつけなければならないことだ、と。他の者たちは巻き込めない、と。
 ......まあ、たしかに......。
 キュルケですらアッサリやられてしまったほどの相手が来るのだ。そんじょそこらの傭兵やら兵士やらがいても、足手まといになるだけである。

「......わかってるわね、サイト......」

「ああ。退いてくれないなら......本気でやれ、ってことだろ......」

 私の問いに、サイトは硬い表情で頷いた。
 今までは......『土の司祭』と『火の司祭』に関しては、私たち二人も心情的に、ギーシュに近しい部分さえあった。一人は暗殺者シーコの雇い主であり、もう一人は、嫌がらせでモンモランシーの治療を拒んだのだから。
 しかし今回は違う。『水の司祭』は......何も悪くない。ここで解毒できなかったことは、彼の責任でも何でもないのだ。
 だからこそ。
 たとえギーシュを傷つけることになったとしても、止めなければならない。

「......止める。絶対に」

 私は小さくつぶやいた。
 そして、それを待っていたかのように......。

 ......ッギィィィィィィ......。

 重い音を立て、礼拝堂の扉が開く。

「待たせたね」

 灯る魔法の明かりに照らされて、彼は言う。
 落ち着いた、静かな口調で。

「君たちだけかい? ......ずいぶん気の効いたお出迎えだな」

「よけいな邪魔は......入らない方がいいでしょ」

「ああ......確かにね」

「ギーシュ! 俺には......わからん......」

 友人として、サイトがギーシュに呼びかける。

「......俺は貴族じゃない。ハルケギニアの生まれですらない。だから......貴族のプライドとか......愛に殉じるとか言われても......ファンタジーの絵空事にしか聞こえないんだ、ギーシュ」

「サイト。そういう問題ではないのだよ、もう。......君は、わからないままでいい。今の僕の気持ちがわかる日など......来ない方がいい」

「......」

 絶句するサイト。
 ならば、今度は私が問いかけよう。ごくごく単純に。

「......もう......やめにしない?」

「そうはいかないね」

 彼は、バサッと金髪をかきあげながら、
 
「これで最後......と言いたいところだが、どうにもモヤモヤが収まらない。『水の司祭』の次は......ルイズ、君かもしれない。あの時、彼女の隣でナイフを止められなかったのは、君なのだから」

「......う......」

「あるいは......僕たちが旅に出るキッカケを作り出した者......それを探し出して、憎悪の対象とするかもしれない。本来ならば、荒事の嫌いなモンモランシーは旅に出ることもなく、学院で大人しくしているはずだったのだから」

 ......駄目だ。今ここで止めなければ、ギーシュの心の闇は、無関係な者へと、その魔の手を伸ばすことになる......。

「わかったわ......」 

 仕方なく私は頷いた。
 わかっているのだろう。ギーシュ自身も。これが正しいことではない、と。
 ただ......心から吹き出す憎悪が止められないのだ。

「ここで......止めてみせる。手加減は......あまり出来ないわよ」

 苦笑を浮かべて言う私に......。

「それは僕のセリフだ。君たち相手に、手を抜くつもりはない」

 ギーシュも苦笑で返し、呪文を唱え始めた。
 ......『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』。赤い魔剣を作り出し、ギーシュはそれを構える。
 私とサイトも、それぞれ杖と剣を手にして......。
 魔法の明かりに照らされた、始祖ブリミルの像が見守る中。
 私たち二人は、ギーシュと対峙した。


(第五章へつづく)

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____
第十四部「グラヴィルの憎悪」(第五章)【第十四部・完】

 ......たんっ。

 ギーシュが床を蹴った。
 長椅子の間を突っ走り、まっすぐこちらへと向かって来る。
 
 ......ズイッ......。

 サイトが祭壇の前へと進み出る。
 私は『水の司祭』の横を離れずに、呪文の詠唱を開始した。
 ギーシュとこちらの間合いが詰まり......。

 キンッ!

 男二人の斬り合いが始まった。
 デルフリンガーを振るうガンダールヴに、一対一で対等に渡り合える者など、そうはいない。
 ......いないはず、である。
 なのにギーシュは、自慢の赤い魔剣を駆使して、互角の剣戟を見せていた。
 とはいえ、さすがにこの状態では、私や『水の司祭』を魔法で攻撃することは不可能。ギーシュは完全に足止めされている。
 あとは私が、タイミングを見計らって、あるいはサイトを巻き込む形で、魔法を撃ってしまえば終わりなわけだが......。
 ......おかしい。それくらい、ギーシュにもわかっていただろうに......。
 と、私が思った時。

 ガッシャァァァンッ!

 後ろの方で、ガラスの割れる音。
 チラリと振り返れば、ステンドグラスをぶち破って飛ぶ込む五つの影!

「しまったっ!」

 ギーシュ自身が囮だったのだ。
 本命はワルキューレたち。それも、私たちの目の前で出現させるのではなく、礼拝堂に来る前に出しており、命令も与えておいたのだろう。
 魔獣と魔竜と......他の三つもよくわからないが『魔』を連想させる、とにかく禍々しい五つのゴーレム。
 慌ててそちらに、エクスプロージョンを放つ。五つのうち二つまでは消滅したが、まだ三つ残っている!
 急いで次の呪文を唱えて杖を振るが、いかんせん詠唱時間が短すぎた。なんとか三体とも吹っ飛ばしたものの、消滅には至らない。
 壁に叩きつけられた三体のゴーレムは、ゆっくりと起き上がり......。

 ザンッ!

 滑り込んだサイトが、三体まとめて一刀両断!
 ......って、サイトがそちらへ行ってしまったら......。

「ギーシュ!?」

 フリーになったギーシュが、私と『水の司祭』の目の前に迫っていた。
 手にした『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を振りかぶり......。

「ぐふっ!?」

 悲鳴を上げたのはギーシュだった。
 間一髪、私のところまで戻ってきたサイトが、その勢いのままギーシュを蹴り飛ばしたのだ。
 さすがガンダールヴ。速い、速い。
 礼拝堂の真ん中あたりまで飛ばされたギーシュが、ヨロヨロと起き上がる頃には......。

「......恨むなよ、ギーシュ!」

 その場に駆けつけていたサイトが、剣を一閃。

「あっ!?」

 赤い魔剣が弾き飛ばされ、カランと音を立てる。
 うまいぞ、サイト。
 ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』は、杖を魔法で剣と化したもの。あれを落としてしまえば、ギーシュは魔法も使えなくなる。
 杖のないメイジほど無力な者はいない......はずなのだが。

「......なにっ!?」

 両手をバネに、ギーシュが華麗に跳んだ! サイトの方に向かって!
 サイトに一瞬ためらいが生まれる。これが魔族や野盗のたぐいなら、間違いなく虚空で両断していただろう。
 しかしギーシュは、サイトにとって友人。
 一瞬の迷いの後、サイトはチャキッと、デルフリンガーを握り直した。
 今のデルフリンガーは日本刀。つまり片刃。彼は、刃のない方でギーシュを叩こうとしたのだ。
 だが、これが反応の遅れとなった。

 ドッ!

「......ぐっ!?」

 今度はギーシュの爪先が、サイトの腹にめり込んだ。
 よろめくサイト。着地するギーシュ。
 ギーシュは着地と同時に床を蹴り、薔薇の杖に戻った魔剣を拾いに行く。そのままサイトの方には見向きもせず、私たちに向かってダッシュする。
 私には......ギーシュ相手の接近戦は無理だ。
 今の一連の攻防を見る限り――これが彼の実力だったのかそれとも突然覚醒したのかは知らないが――、ギーシュの体術は、私の想像の遥か上。下手したら、至近距離からのエクスプロージョンさえ、避けられてしまうかもしれない。
 ならば取るべき手段は一つ。

「こっちへ!」

 言って私は、『水の司祭』の手を引き走り出す。口の中で呪文を唱えつつ。
 現在の位置は礼拝堂の隅の方。移動してギーシュと距離をあけるには、奥への通路に逃げ込むしかない。
 その通路へ駆け込もうとして......。

「わっ!?」

 転んだ。
 見れば、床から伸びた土の手が、私の足を掴んでいる。

「えいっ!」

 迷わず、自分の足にエクスプロージョン。
 大丈夫、今ちょっと唱えた分くらいなら、私自身の足まで被害は及ばない。『アース・ハンド』だけ壊して、うまく脱出できた。

「さあ、早く!」

「え、ええ......。でもルイズさん、今......自分で自分の足を攻撃したように見えましたが......平気ですか?」

「ちゃんと計算してましたから! 気にしないで! ほら、早く!」

「は、はい......」

########################

 私は『水の司祭』と二人で、ひたすら通路を走る。
 ......考えてみれば。
 さっきは普通に『アース・ハンド』で足止めされたが、『土の分院』でギーシュは、あれを青銅化して『土の司祭』を圧殺してみせたのだ。その気になればここでも、同じように私を殺すことだって出来たはず。
 だが、それをしなかったということは......ギーシュの方でも、私やサイトまで殺そうとは思っていないのだろう。
 今後どうなるかは不明だとしても。
 ギーシュのターゲットは、今のところ、あくまでも『水の司祭』のみ。『土の司祭』を葬ったやり方を使わないのも、あれでは、すぐ横にいる私を巻き込むおそれがあるため......。

「あのう......このまま逃げていては......」

「いいから! 私のそばを離れないでください!」

 叫ぶ私であったが、実は今どこを走っているのか、よくわかっていない。
 礼拝堂奥の通路を抜けたところで、横手の廊下に駆け込み、その後、やや細めの通路を見つけだしたので、そちらに進路を変えている。
 とにかく、『水の司祭』と共に逃げ続けることが一番重要。
 もちろん後ろには、ギーシュがついてくる気配がある。
 ギーシュだけではない。彼を止めようとサイトも追ってきており、時々、斬り合うような音も聞こえる。
 タイミングを見計らって私も魔法で援護を......といきたいところだが、呪文を放った直後に伏兵に襲われでもしたらたまらないので、それは我慢していた。
 そう、伏兵の可能性。ギーシュはまだ、どこかに二体のゴーレムを隠しているかもしれないのだ。なにしろ、礼拝堂に飛び込んできたゴーレムは五体だけだったのだから。

「ぐへぇっ!?」

 サイトの呻き声。
 気になって、私はチラリと振り返る。
 見れば。
 ギーシュがサイトと斬り合いながら、同時に『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を杖としても使い、土の塊をぶつけていたのだ。
 サイトに......というより、サイトを含む自分たちに。四方八方から。
 ギーシュ自身にもモロに直撃しているが、彼は泣きごと一つ口に出さない。
 サイトもデルフリンガーで――魔法を吸い込めるデルフリンガーで――かなり斬り飛ばしているのだが、ひとつが偶然みぞおちに決まってしまったらしい。

「サイト!」

「......ルイズさんにしても......ギーシュさんにしても......我が身をかえりみず......」

 いや私のは違うんだけど。
 勘違いしている『水の司祭』を訂正する暇はない。

「サイト! ここで君は休んでいたまえ!」

 サイトが衝撃で体を一瞬屈めたところで、ギーシュが彼を壁へ押しつける。壁から――床からではなく――土の手が伸びてきて、サイトの身を拘束した。

「......くっ......!」

 痛恨の呻きを漏らすサイト。剣を振るおうにも、その手が動かせない。
 一方、サイトを押しつけていたギーシュ自身の左手も、一緒に土に埋まってしまったのだが。

「......ぅおおおぉぉぉっ!」

 雄叫びと共に、無理矢理引っこ抜く。
 ヘタに『アース・ハンド』を操ってサイトに脱出の隙を与えるより、その方がマシと思ったのか。
 でも......今、ボキッと音がしたぞ!? それ、骨が折れてるだろう!?

「......そこまで......! そこまでして......この私を殺そうというのですか......」

 私の隣で『水の司祭』が、愕然とつぶやく。
 うむ。今のは私も驚いた。
 ......ここまでするほど、ギーシュの憎悪は深いのか。
 暗澹たる思いが、胸に生まれる。
 そしてギーシュはきびすを返した。
 サイトはその場を動けない。
 こちらに向かうギーシュの手には、まるで血を吸ったかのように赤い『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』......。
 ......えぇいっ! ならばっ!
 もう伏兵だなんだと言っていられる場合ではない。私は杖を振り、唱えておいたエクスプロージョンを放つ。
 この狭い通路では、避けようがないはず......。
 だが。

「無駄だっ!」

 吠えてギーシュが魔剣を一閃。
 エクスプロージョンの光球を真っ二つに切り裂きおった!

「嘘ぉぉぉっ!?」

 いや名前こそ『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』だけど、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』なのは色だけで、別に魔王の魔力がこもっているわけでもなんでもないだろう!?
 それなのに私のエクスプロージョンを叩き斬るとは......いったい今のギーシュの精神力って、どれほど高まっているというの!?
 ......こうなったら、とりあえず逃げ回るしかない。なんとか迂回してサイトのところへ取って返し、拘束している土を爆発魔法で吹き飛ばして、戦線復帰してもらおう。
 私はまたまた『水の司祭』の手を引いて......つんのめる。
 動かなかったのだ。『水の司祭』が。

「......へ......?」

 振り向けば、彼は静かに立ち、正面からギーシュを見据えていた。

「......?」

 ギーシュの方でも、この反応は意外だったらしく、『水の司祭』の前で立ち止まる。
 そこに......。
 私の手を振りほどき、両手を広げた『水の司祭』が、無造作に足を踏み出した。

「......っ!」

 反射的に、ギーシュは『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を構え直し......。

「......殺しなさい......」

 全員の動きが止まる中、『水の司祭』の冷徹な声が響いた。

「殺したいんでしょう? 私を」

 ギーシュは彼の言葉に、困惑の色を深める。

「どういうつもりかね? こんなことで僕がやめるとでも......」

「思ってませんよ」

 ギーシュの言葉を受ける『水の司祭』。

「仲間だったはずの、ルイズさんやサイトさんと戦ってまでも......そんなに傷ついてまでも......そうまでして私を殺したいんでしょう。あなたは」

「......そうだ」

 苦い声で肯定するギーシュ。

「なら殺せばいい」

 こともなげに彼は言う。

「あなたが愛した人の死に、私も責任を感じています。だから......殺しなさい。それであなたの心から、完全に憎悪が消えるのであれば。これで終わりにするというのであれば」

 ギーシュの顔にためらいの色が浮かぶ。
 最初のギーシュの宣言では、『これで終わり』になど、なるはずないのだが......。

「......あなたは......それでいいのか?」

「いいわけないでしょう。私だって死にたいわけじゃない。ただ......ここで助かっても、あなたの憎悪が消えない限り、あなたは再び私を狙い続け、他の人々を巻き込んで戦い続ける......そんなことを目の前で見せられるのは、もうたくさんなのです」

「......」

「私は貴族ではないから、正直、あなたの行動は理解できません。でも今のあなたが、愛する者を守れなかった一人の貴族として......貴族のプライドで行動しているというなら......。一人の聖職者として、私にも聖職者のプライドが......行動理念がある......。それだけです」

 言われてギーシュは沈黙した。
 ギーシュにだって、わかっているはずだ。貴族の尺度に照らし合わせたところで、これは間違っている、と。
 すぐそばにいながら、私は全く手を出せないでいた。
 ギーシュが今、迷っているのであれば......ヘタな手出しは、彼の憎悪を刺激しかねない。そうなれば確実に『水の司祭』は殺される。
 一瞬の膠着。
 そして、この時。

 バタンッ!

 通路に面したドアの一つ――少し離れたところにある部屋のドア――が開いて、ヨロヨロと歩み出たのは......。

「もうやめて! もう十分じゃないの!」

 キュルケだった。
 ドアに掴まらなければ、立つことすら出来ない状態で......何しに出てきた!?
 ここはギーシュを刺激しちゃいけない場面だというのに! まったくキュルケったら!
 彼女はドアにしがみついたまま、遠くから声だけをこちらに投げかける。

「復讐は鎖なの! どこかで誰かが断ち切らねば......永遠に伸び続ける鎖なのよ!」

 確かに......復讐は鎖だ。
 シーコたちの復讐が、モンモランシーに害を......。
 そして、それが新たな復讐につながり、今、ギーシュを動かしている。
 だが......。
 借り物の言葉で説得できるかああ!? キュルケの馬鹿あああああ!
 それはアニエスの言葉じゃあああ! 彼女が言うからこそ意味があるのであって、キュルケが言ったところで意味ないわああああ!

「ギーシュ......あなた......これが終わったら、次は誰? ルイズを殺すの? サイトを殺すの? でもルイズを殺せばサイトが、サイトを殺せばルイズが......あなたを恨むわ!」

 一応これは、キュルケ本人の心からの叫び......っぽい。
 ギーシュにも届いたのか、再び膠着状態が訪れる。
 それにしても......キュルケったら本当に空気読めないタイミングで......。
 おとなしく部屋で寝ていればよかったのに......。
 ......って、部屋?
 そうだ!

「......この場所! ......覚えてる......?」

 気づくと同時に、私はギーシュに呼びかけていた。
 彼は一瞬、眉をひそめ......。

「......!」

 気がついて小さく息を呑む。
 そう。ギーシュが今、立っているのは......。
 毒を受けたモンモランシーが運び込まれた、その部屋の前だった。
 モンモランシーが心を失って......モンモランシーであることをやめた部屋......。
 その後そこから、空虚な彼女をギーシュが連れ去った部屋......。
 時が凍りつく。
 動かない。
 私も。ギーシュも。『水の司祭』も。キュルケも。サイトも。
 そして。
 長いとも、短いとも知れる静寂が終わったあと。

「......っ......!」

 唇を噛み締め......ギーシュが『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』を杖に戻した。

 ......ダッ!

 彼は無言のまま、『水の司祭』の、そして私の脇を通り過ぎ、廊下の奥へと走りゆく。

「......ギ......」

「やめましょう」

 呼びかけようとした私を、『水の司祭』が制止する。
 そしてギーシュの後ろ姿は......。
 廊下の窓の一つから、夜の闇へと飛び出し......消えた。

「......襲撃者は......ルイズさんの魔法で、あとかたもなく吹き飛んだ......。そういうことでいいではないですか」

 ギーシュの消えた闇を見つめたまま、『水の司祭』はそう言ったのだった。

########################

 かくて......。
 表向きには、事件はすべて終わった、ということになった。
 二人の分院司祭を殺した男は死亡した......『水の司祭』のその報告を、疑う者は誰もいなかった。
 マチス司祭が火事で死亡した事件については依然不明なままなのだが、これだけ関係者がいなくなってしまった以上、もはや事実関係の確認は不可能......ということで、結局うやむや。
 そして。
 次期本院司祭選出の会合が開かれたのは、予定とは少し異なり、事件から二日が経った今日のことだった。
 会合に集まったのは、本院の者と村の役人がそれぞれ数名、それに『水の司祭』、あと外部のセント・マルガリタ修道院というところから修道院長。
 私とサイトの二人も、事件の当事者だということで、オブザーバーとして同席することになった。

「......さて。まずはマチス司祭の後継を誰にするか、ということですが......」

 サンドウェリー寺院の運営に関しても話し合う必要があるため、いきなり本題から始まる。
 会合を仕切るのは、余所者のはずの修道院長。外部の人間のほうが公平な立場で......というのが表向きの理由だが、それだけではないだろう。
 なにしろ、裏のつながりを噂されるセント・マルガリタ修道院だ。人がよさそうな初老の女性だが、彼女もタダ者ではないのかもしれない。

「......さまざまな不幸が重なり、四人の分院司祭は、いまやただ一人。ならば『水の司祭』に、本院の司祭をやってもらうしかないでしょう。......異議のある者は?」

 言ってグルリと部屋を見渡す。
 異議のある者などいない......はずだった。
 が。

「......異議があります」

 上がった声に、一同は愕然と注目する。
 ほかでもない、『水の司祭』本人だった。

「私は今回の一件で、己が未熟さを噛み締めることとなりました。......ですから......私は、本院の司祭となることをご辞退申し上げます」

########################

 太陽は、西の方へと傾きつつある。
 あとそれほどの時を待たずとも、村は黄昏の色に染まるだろう。
 あのあと。
 会議の場は喧噪に包まれ、結局、日をあらためて後日ということになった。『水の司祭』を説得しようとする動きもあったが、彼は愚痴のような演説のような長話をするだけで、いっこうに首を縦に振ろうとはしなかったのだ。
 彼の話は、さすがに私も半分聞き流したのだが......。
 ひとつだけ。
 気になる点が、ひとつだけあった。
 だから今......私はサイトと共に、ここに来ている。
 丘の上にある本院......その焼け落ちた礼拝堂に。

「......」

 煤けた石の柱が高い天井を支えるだけの、ガランとした空間。
 並んでいたはずの長椅子もなく、ステンドグラスは大部分が熱で溶け落ち、何が描かれていたのかすらわからない。
 祭壇のあった場所には、黒く焼けた塊がうずくまっているばかり。

「......変だと思わない? サイト」

 私の問いかけは、礼拝堂にこだました。

「......何がだ?」

「今度の事件、これで全部終わったわけじゃないわ。......そもそも誰がマチス司祭を殺したの? すべてはそこから始まったのよ......」

「誰が......って......俺に聞かれてもなあ......」

「どうした、娘っ子。いつも相棒の頭を馬鹿にしてたのは、娘っ子だろ?」

 剣がチャチャを入れる。
 いいのだ、これで。
 かまわず私は言葉を続ける。

「『土の司祭』が言ってたわ、神の声が聞こえた、って。......あんたあの時『寝言だ』って言ったわね? 私もそう思ったの。でも......さっきの会議で『水の司祭』も、似たようなことを言っていた」

 そう。
 会合における彼の発言で、私が気になったのは、その点だった。
 神のお告げに従い、護衛たちを雇い始めた......。
 彼はそう言ったのだ。

「うーん......言われてみりゃ、変かもしれないな。『土の司祭』はともかく『水の司祭』は、そういうタイプには見えなかったからな......」

「でしょ? 本院の司祭の地位に執着してなかった者まで......っていうのはね。こうなると、あるいは他の二人も、やっぱり『声』を聞いていたのかもしれない」

「いや待てよ、ルイズ。そりゃハルケギニアの人々が信心深いってのは俺にもわかるけど......神様の声なんて、どうせ幻聴だろ? いるわけないんだし」

 さすが異世界人。誰かに聞かれたら異端審問にかけられそうなことを、ごくアッサリと言う。
 だが。
 今はサイトの方が正しいのだ。

「......そうね。ただ......分院の司祭たちは日頃から信仰心あつく......マチス司祭を失い、祈っている時に、それっぽい声を聞いた。だから......それを神の声だと思い込んだ」

 言って私は彼方へ目をやる。
 丘の上だから、遠くまでよく見えた。
 ステンドグラスが焼け落ちたその向こうに、西の空が覗いている。
 夕暮れが......近い。

「もしも幻聴ではなかったとしたら......本当は誰の声だったのかしら。『声』はマチス司祭が殺されたことを知ってたけど、あの時点では、いいかげんな調査しかされてなくて、事故とも暗殺とも言えなかったはずよ。あれを事故ではない、と言い切れたのは......それこそ全知全能の神様か、あるいは......」

「そうか! 殺した当人ってことか!」

「そういうこと」

 頷いて、私は天を仰ぎ、

「......聞いてるんでしょ!? そろそろ出て来なさいよ!」

 声が礼拝堂にこだまする。

「それとも......寝てる人間不意打ちしたり、つまらない寝言吹き込んだりするのは得意でも、まともに人間と正面から戦う力はありません、って認めるわけ?」

 その余韻が消える前に......。

『......く......くくく......くくく......』

 重なるように、含み笑いが響き渡った。
 ......やっぱり......いたか......。
 最初に訪れた時......サイトとデルフリンガーが感じた気配。その主は、おそらく......。

『......ここのボスを焼き殺し、残った連中にアドバイスをしてやったのは、確かに俺だ......』

 声が響く。どこからともなく。

『......けどな......やったのはそれだけだぜ......。あとはみんな、おまえたち人間がやったことだ。人を集めたのも。憎しみあったのも。殺し合いをやったのも。俺はただ見物していただけ......』

 私は小声で呪文を唱えながら、礼拝堂の中を見渡す。
 ぽっかりと開いた窓。立ち並ぶ柱。焼け残ったステンドグラス。煤けたシャンデリア。黒くわだかまる祭壇......。

『......楽しかったぜ......。心の中にある悪意や憎悪を自覚しない連中が、勝手にそれを膨らませて、村を不安の色で染めてゆく。憎しみが、敵意が、日を追うごとに......』

 やかましい!
 私は杖を振り、呪文を放った。
 ......ただ一つ残ったステンドグラスに!
 だが。

 ヌュルッ......。

 ステンドグラス......いや、それに化けていたものが溶け流れ、一撃をかわして、床の上にわだかまる。

『......ほう......よくわかったな......』

 当然である。
 ステンドグラスの枠は、熱に弱い金属のはず。他が焼け落ちている中、一つだけ無事なのは不自然きわまりない。
 それは小さく震えると、一瞬にして形をとった。
 色は......それこそステンドグラスの全色をゴチャ混ぜにしたような、まだらに混じり合った色。
 背は人間より一回りか二回り大きいくらい。人っぽい形をしているが、顔には目も鼻も口も耳もなく、代わりに全身に、無数の目と口が開いていた。

「......なんだ......魔族か......」

 サイトがポツリとつぶやく。
 そう、魔族だ。だから私の挑発に乗って出て来たのだ。
 人間と正面きって戦うだけの力すらない、と認めることは、精神生命体たる魔族にとっては、致命的なまでの弱体化を招くから。

「なんだとはなんだ!」

 サイトの言葉にカチンときたらしく、魔族が声を荒げる。
 そこに。

「たしかに......すべては人間がやったこと......心のうちに抱いた闇を解き放って、ね......。あんたみたいな下級魔族は、そうやってセコい真似して人間の負の感情を引きずり出さなきゃ、瘴気も食べられない。餓死しちゃうんでしょうね」

「なめられたものだな! このヅェヌイ様が......人間ごときに!」

 私の追い打ちで、魔族の怒気が膨れ上がった。

「後悔させてやる!」

 吠えてこちらに向かい来るヅェヌイ。
 右胸についた口から火球を吐き出すが、私は横に跳んでこれをかわす。

 ゴゥンッ!

 彼方ではじける炎の音。
 これは一種のフェイントだったのだろう。
 迫るヅェヌイから、無数の目が、口が、私に向かって伸び上がろうとしていた。
 そのことごとくを、滑りこんだサイトがひと薙ぎで斬り飛ばす!

「......っぎゃうっ!?」

 みっともない悲鳴を上げて、大きく跳び退くヅェヌイ。
 礼拝堂の天井にはり付いて、勝ち誇った声で言う。

「......く......これなら剣は届くまい!?」

 かまわず私は、呪文を唱えていた。

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」

 不動の私を見て、好機と思ったか。

「死ねいっ!」

 不定形と化して天井を這いずりながら、ヅェヌイは口から火炎を吐く。
 しかし......。

 ザフッ!

 私の前に躍り出たサイトが、デルフリンガーを振るう。
 飛び来る炎を両断し、吹きちぎられた断片も、すべて剣に吸収される。

「......なにっ!?」

 驚愕の声を上げるヅェヌイ。
 なおも数度、炎を放つが、すべて一発目と同じ運命をたどる。
 ......そして......。

「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを......」

 私は杖を振り、完成した呪文を、天に向かって解き放つ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 赤い光が、はりついたズェヌイの体に収束し......。

「......ぎ......!?」

 上げかけたその悲鳴をかき消して......。

 ッグゴオオォオオオォォォオォオォンッ!

 巨大な爆光が天を貫く。
 一撃は魔族を直撃し、サンドウェリー寺院の上部をまともに吹き飛ばした。
 ここは港を臨む丘の上。寺院が吹っ飛んだ以外、村に被害は及ばないはずだ。
 ......それが......。
 この村に憎悪の種を撒いた魔族の、あっけない......あまりにあっけない最期だった。
 そのあっけなさが......。
 むしろ無性に悔しかった。
 こんな......こんなザコ魔族のせいで......。
 頬を拭うことすら出来ず、顔を天へ向ける。
 見上げれば、きれいに屋根は吹き飛んで、そこには空と流れる雲。
 いつのまにか空は、茜色に染まっていた。

########################

 村の北に、サンドウェリー寺院の丘ほどではないが、見晴らしのいい小高い丘がある。
 やわらかな陽の光の中で、よく手入れされた芝が眩しく輝いている。
 人の姿はあまりなく、ただ白い墓標が並ぶのみ。
 その片隅に......一人の女性の名を刻んだ、小さな石の墓標がある。
 私とサイトの二人は、花を手にして、その前に佇んでいた。

「......なあ、ルイズ......」

「うん。わかってる」

 ここに彼女はいない。
 彼女の体は、ここに眠ってなどいない。
 ギーシュが連れ去ったまま、彼と共に、行方不明なのだから。
 それでも。

「......終わったわよ......」

 その場にしゃがみ、墓標に向かってそう言うと、私は手にした花を捧げる。

「この村に憎悪を植えつけた奴も片づけたわ......どうってことない......本当に、どうってことない奴だったわ......」

 この村がどうなるのか、それは私にはわからない。『水の司祭』が本院司祭になるのを拒む以上、もう一悶着あるかもしれないが......政治的な話は、私たちには関係ないことだ。

「モンモランシー......あなたは今......どこにいるのかしら?」

 風が吹く。
 緑の丘に。

「......じゃあ......そろそろ行くね......」

 墓標に向かってそう言うと、私は立ち上がった。

「......どこへ行く?」

 サイトが問う。

「......どこでもいいわ......あとで考えましょ。ともかく......この村を出てから......」

 まだ『水の分院』で寝込んでいるキュルケには、先に旅立つと告げてある。
 別れの挨拶は、もう済んでいるのだ。

「......そうだな......」

 そして二人は、きびすを返して歩き出した。
 ......ふと、私は考える。
 私たちは、モンモランシーが死ぬところを見ていないのだ、と。
 おそらくギーシュが看取ったのであろうが......。
 もしかしたら、まだ生きているかもしれない、と。
 心を失っても、まだ彼と共にあるかもしれない、と。
 あんなギーシュを見た後では、そんな可能性を考えるのは理に沿わないのだろうが......それでも......。
 私は無言で小さく首を振り。
 風そよぐ、緑の丘をあとにした......。


 第十四部「グラヴィルの憎悪」完

(第十五部「魔を滅せし虚無達」へつづく)

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番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙」

 月が見える。
 ざわめく木々の葉の間に。
 緑の匂いが混じる夜風に頬をなぶられ、彼は、ふと苦笑を浮かべた。

「......ふっ......」

「どうした、相棒。なんか面白いもんでも見えたのか?」

「月......やっぱり二つあるんだな、って思ってさ」

「何を当たり前のことを言ってるんだぁ? 月は二つじゃなきゃ、おかしいじゃねーか」

「......ああ、そうだよな」

 背中の剣に言われて、彼は小声で頷く。
 ハルケギニアの民は、空に浮かぶ双月に違和感を覚えない。
 だが彼は違う。
 彼......平賀才人は、別の世界から、ここハルケギニアに紛れ込んできた者だから。

「......そうだよな」

 意味もなく、彼は繰り返した。
 いつからだろう。彼が、このハルケギニアを、かつてほど異世界だと思わなくなったのは。
 最初は空想ファンタジーの世界にしか見えなかったハルケギニア。だが、そこに現実の人々が生き、暮らし......。
 そうした人々との出会いを経て、彼の価値観も少しずつ、変化してきたのかもしれない。
 しかしそれでも欲望はある。
 もとの世界に......。
 本来の自分の世界に戻りたい、という、強烈な飢えにさえ似た欲望は。
 かつて......。
 彼は、剣を拾った。
 伝説の魔剣を自称するインテリジェンスソード、デルフリンガー。
 錆の浮いたボロボロの剣であるが、彼を元の世界に戻す手がかりを知っている......という。
 彼には出会うべき者がおり、その人物のみが才人を元の世界へ戻せるのだ......という。
 そして、旅が始まった。
 デルフリンガーのいうところの『その人物』を探す、あてのない、長い旅が。
 才人の着ている物は、もとから身につけていたパーカー。青と白の、ハルケギニアの人にとっては見たこともない服。
 時には人々の好奇の視線が鬱陶しくなり、夜も宿などとらずに、こうして野宿で済ませることもあった。
 木の幹に背をあずけたまま、彼はその目を閉じて......。

 ピクリ。

 小さく体を震わせ、目を開く。

「相棒も気づいたかい」

「うん」

 唐突に気配が現れたのだ。
 彼に向けられた強い気配......殺気が。
 その主は、彼の視線が向かう先にいた。
 月光漏れ入る夜の山。
 下生えの作る闇に紛れて、何かがそこに佇んでいた。
 大きさは、大柄な男ほどもあるだろうか。
 シルエットのみしか見えないが、普通の人間とは異なっていた。
 異様なまでに長く伸びた首と手。顔とおぼしきところに灯る、二つの赤い光。
 ......異形......。
 ああまた変わったものが出てきた、やっぱりハルケギニアはファンタジー世界だ......と才人が思ったその時。

 ザッ。

 大地を蹴ってそれが跳ぶ。
 同時に才人は、背中の剣を抜き、地を走る。

 ザンッ!

 草を鳴らして、二つの影が交錯した。
 才人のデルフリンガーは、わずかに相手の体をかすめ、相手の武器は、才人の着るパーカーに一筋の切れ目を入れていた。

「困るんだよな......これ、こっちの世界じゃ売ってない服なんだから......」

 つぶやきながら、才人はきびすを返す。
 異形も体を反転させ、二人は再び互いに向き合った。

「......」

 月光に照らされた才人を、異形はマジマジと眺め......。
 異形の殺気が消えた。
 そのまま大きく後ろに跳び、森の闇へと消えてゆく。

「......なんだ......? あいつ......」

 襲われた理由もわからない。相手がいきなり去った理由も。
 もともと才人は、人一倍、好奇心が強いのだが......。
 もう夜も遅い。去った者を追ってまで、突き止めようという気分ではなかった。

「気にすんなよ、相棒。......たまたまのことなら、もはや関係ねえ。でも狙われてのことなら、今追わずとも、いずれ向こうからまた来るだろうぜ」

「......それもそうだな」

 とはいえ。
 このままここで野宿するというのも、あまり良い気分ではない。

「とりあえず......場所を変えるか」

「......んだ」

 剣をおさめて荷を拾い、そして才人は歩き出す。
 異形が消えたのと逆の方向へ。

########################

「......止まれっ!」

 横手から声がかけられたのは、それからいくらも行かぬうち......。
 山の麓に、小さな村の灯火が見えてきた頃のことだった。
 実は才人もデルフリンガーも、しばらく前から、相手の存在に気づいていた。
 こちらから声をかけなかったのは、単に面倒だったからである。

「見つけたぞ! 貴様! もう逃がしはしねえっ!」

 声を上げたのは、一人の人間。
 黒い髪、ごつい鎧に、才人に向かって突きつけられたロング・ソード。
 風体からして、傭兵の剣士、といったところだろうか。
 年は才人より二つか三つばかり上のようだが、ごつめの鎧もイマイチ馴染んでおらず、駆け出しっぽい印象がある。

「......何の話だ......? どっかで会ったっけ......?」

「しらばっくれるな! ......いいか、抵抗するなよ! おとなしく村まで来てもらおうか!」

「素人がいきがってると、そのうちケガするぞ......」

「黙れっ! いいから黙って歩けっ!」

 言われて才人は、小さくため息ついて歩き出す。

「......ついてくのかい? 相棒」

「ああ」

 小声で問いかける背中の剣に、同じく小声で返す才人。
 この場で相手を倒すのは容易だ。逃げるという手もある。
 しかし......。
 好奇心が騒いだのだ。
 ことのなりゆきに。

########################

「帰ってきたぞ! ドナルドさんだ!」

「誰か一緒にいるぞ!」

「奴か!?」

 二人を出迎えたのは、村人たちのざわめきだった。
 普通なら寝静まっていてもおかしくない時刻なのに、あちこちに篝火が焚かれ、村人たちも、かなりの人数が出てきている。
 集会や祭事などに使われる広場であろうか。中央には噴水がある。
 火と水のコントラストが綺麗だなあ、と才人は呑気に思っていた。

「とっ捕まえてきたぜ! こいつだ!」

 傭兵のドナルドが、得意満面、才人の方に顎をしゃくった。
 篝火に照らされた才人に、村人が一斉に注目し......。

 ......おおおおおおぉぉぉ......。

 村人たちのどよめきが起こる。

「......た......たしかに普通の格好じゃねえ......」

「ば......ばけもの......?」

「するとこいつが......!」

「うちの子を......」

「これ......パーカーって言うんですよ」

 才人の一言に、集まった村の連中が一瞬、沈黙する。
 だが。

「うーん......今までも好奇な目で見られたことはあったけど......化け物あつかいは初めてだなあ」

「ま、そういう村もあるってこった。相棒」

 ......おおおおおおぉぉぉ......。

 才人の言葉にデルフリンガーが応えたことで、村人たちは再び騒然となる。
 これくらい田舎の村になると、インテリジェンスソードの存在を知らない者が多かったらしい。

「ま、待ってくれ! これはインテリジェンスソードと言って、別に化け物でもなんでもなくて......」

「......化け物呼ばわりされたのは、俺じゃなくて相棒の方なんだがな......」

 慌てて才人はバタバタと手を振り、

「ともかく! なんだか知らないけど、見当違いだ! 俺は無関係だぁぁっ!」

「無関係!? ふざけるな!」

 より大きな声を上げたのは、ドナルドだった。

「てめえだ! てめえがやったに決まってるだろうが!」

「......けどそういえば......なんか違うような気も......」

「何だとっ!?」

 冷静な村人もいたのだが、それをドナルドが睨みつけて黙らせ、

「俺様はあいつを追って山に入った! そこにこいつがいた! 何の間違いがあるってぇんだ! これで!」

 ......ふぅ......。

 ため息ひとつついてから。
 才人は、デルフリンガーを地面に置き、パーカーも脱いでシャツ一枚になる。

「......どうです?」

 肩をすくめる才人を見て。

「よく見たら、普通の少年だな」

「ああ。変な上着を羽織って、変な剣を背負ってただけだ」
 
 村人たちの誤解も解けたようだ。
 それでも、なおもドナルドは強情を張る。

「......け......けどよ! だからってこいつが、あいつと無関係とは言えないだろ! なんかたくらんでるとか、あいつの仲間かもしれねーし!」

「......ならば、違うということを証明してもらえばよかろうて」

 言いながら、村人の間から歩み出たのは、一人の老人だった。

「村長!?」

「......この村はの、最近、正体不明の怪物に襲われておる。見たところ、特殊な武器を持つ剣士の様子。どうじゃろう? ここはひとつ、あんたの疑いを晴らすという意味でも、そやつを退治するのに、手を貸してもらえんか?」

「......なるほど。そういうことか......」

 地に置かれた剣が、小声でつぶやく。
 才人にも、なんとなく理解できた。
 ちょっと変わった服装をしているだけで化け物あつかいされたのも、それだけ村人が過敏になっているということ。いきなり森の中で襲いかかってきたあの異形が、この村を襲撃している犯人なのだろう。
 だが......。

「いや別に俺、疑われたままでも、そんなに困らねーし。すぐ出てくから。そんじゃ」

 パーカーを着直し、剣と荷を拾い、才人はきびすを返す。

「......い......いや......! そこをなんとか......! むろん怪物を退治してもらえれば、ちゃんとそれなりの礼は出すが......」

「村長!」

 ドナルドの抗議は、再び無視された。

「......うーん......」

 少し考えてみる才人。
 たしかに路銀は、いくらか心もとなくなってきてはいたが、自分を疑った連中の力になってやるのは気が進まない。
 ......悪いが断る、この俺が最も好きなことは......。
 言いかけた才人の脳裏に、瞬時、既視感が生まれ出た。
 そういえば以前にも......似たようなことがあったのだ。
 まだハルケギニアに来て日が浅い頃。村全体がメイド喫茶のような、メイドだらけの村で世話になり、そこで乞われて、彼らのためにひと頑張り。
 結局、あの事件で得られたのは、村娘たちからの信頼。特にその一人、黒髪清楚でスタイルも良い少女からは強く慕われ、一緒にお風呂にまで入ったのだった......。

「......まあ......いいか」

 気がつくと、村長の言葉に、才人はニヤけながらそう答えていた。

########################

「気に入らねぇな。あんた」

 翌日の夜。
 一軒しかない宿屋の一階、酒場兼食堂の片隅で。
 食事をしていた才人の向かいに、断りもせずドナルドが腰を下ろし、そう吐き捨てた。

「え? 俺......別に悪いことした覚えはないんだけどな」

「しょうがねえだろ、相棒。こいつが相棒に反感を抱くのも無理ねえや」

 食事の手を止め、ちょっと困った顔をする才人に、横に置いた剣がしたり顔で告げる。

「......そうなのか?」

「考えても見ろよ。間違えて相棒を連れてきただけでも、面目丸つぶれだ。その上、村長からは『渡した前金はそのままでいいが、礼金は、怪物を倒した方に払う』って言われてたろ?」

「......そういやぁ、そんな話だったな......」

「間違えたのは自分なんだから自業自得だろうが、それでも納得できずに、面白くねえ、って思うのが......人間ってもんだぜ」

 デルフリンガーの言うことは的確である。
 だが、それが正解であればこそ、わざわざ口に出して指摘されたら、よけいに腹が立つのだ。
 ドナルドの顔が怒りで赤く染まる。
 だが、ここで言い返したりしたら、さらにみじめになるだけ。ドナルドは、独り言のようにポツリとつぶやいた。

「......ったく......ひと様の仕事を横取りしやがってよ......」

「じゃ、お前がその『怪物』とやらを倒せばいいじゃん。そしたら俺の横取りにはなんねーよな?」

 アッサリ返す才人の言葉は、火に油を注ぐこととなった。
 ドナルドが、怒気をあらわにする。

「簡単に言いやがって! あいつがどんな厄介な奴かも知らないくせに!」

「......まあ素人の手におえるシロモノじゃなさそうだな......」

「なんだと!?」

「だってよ。その物腰を見てればわかるんだけど......お前、駆け出しどころか、実は......」

「そのへんにしときな、相棒」

 剣に制され。
 才人は言葉を中断した。

「......あ。さすがに言い過ぎだったか。ごめんな」

「そういう意味じゃねーよ。相棒、聞こえなかったのか?」

 言われて、才人は耳をすます。
 直後、ガタリと腰を浮かして剣をつかみ、戸口に向かって駆け出していた。

「......なんだ? 逃げたのか?」

 そう思ったドナルドにも、少し遅れて、遠いざわめきが聞こえてきた。慌てて才人のあとを追う。
 店の外には、闇と篝火と......人々の悲鳴があった。
 走る才人を追って、ドナルドも駆ける。
 ドナルドは内心、舌を巻いていた。
 あの酒場の喧噪の中、いくら剣に注意されたからとはいえ、瞬時にこれを聞きつけるとは。
 しかし、そんなことはおくびにも出さず、

「いいか! あいつは俺様の獲物だからな! 手ぇ出すなよ!」

「いや、そうはいかないって。それじゃ......見て見ぬフリしろってことじゃん」

「なにぃっ!?」

 言い返す才人に息巻くドナルド。
 剣が二人の仲裁に入り、

「口ゲンカしてる場合じゃねーぜ。......おい、状況は!?」

 言葉の後半は、前の方で右往左往している村人たちに向かって投げかけられたものだった。

「リ......リーバんとこの子供がやられた! あいつ、村の北から入り込んで......」

「で? そいつはどっちへ行ったんだ?」

 うろたえていた村人は、のんびり気味の才人の口調に、多少落ち着きを取り戻し、

「......あ......いや......。わからん。が、そう遠くには行ってないはずだ。見張りの連中も、奴が村を出るのは見てねぇ」

「......なるほど......」

 ゆっくりと。才人はきびすを返す。

「確かに遠くには行ってないようだ」

「......みてーだな、相棒」

 振り向くと同時に、夜空に向かって剣を振る。
 ......届くはずもない。また、剣の衝撃波が真空の刃となって飛びゆく、なんてこともない。まだ才人は、そこまで剣の達人ではないのだ。
 それでも。
 才人の視線の先で......。
 一軒の民家の屋根の上、双月を背にした黒い影が、ギョッとしたように身を動かしていた。

「......あれは......!」

「奴だ!」

 誰かが声を上げ、続いてドナルドが叫んだその刹那。
 それは屋根を蹴り、走り出す。

「あんたらはここにいろ!」

 言い捨てて、才人も走り出す。
 間違いない。昨夜山の中で彼の前に現れた、あの異形である。

「相棒、油断するなよ。ありゃあ......強いぜ」

「わかってる」

 才人が真剣に答えるすぐ後ろでは。

「......今度こそ俺様がぶち倒してやるぜ!」

 根拠もなく自信満々のドナルドが、いっしょに駆けていた。才人はチラリと、迷惑そうな目を向けて、

「お前も来たのかよ。......ま、足手まといになるのだけは、やめてくれよな。お前の面倒までは、俺も手が回らないと思うから」

「なんだと!? 俺様を甘く見るなっ! あんたに守ってもらう必要はないっ!」

「......」

 もう何を言っても無駄。才人は沈黙した。
 やがて異形は、村のはずれまでやってくる。篝火がたかれ、村の自警の見張りたちがいる辺りだが......。

「どいてくれ! ケガをするぞ!」

 才人の叫びに応じてか、はたまた単に怯えただけか、道をあける村人たち。
 その間をすり抜け、異形はアッサリ囲みを抜けて、明かりひとつない、山の中へと駆けてゆく。
 そのあとを、才人とドナルドの二人が追う。
 草を踏みしめ、茂みを抜けて。
 しかしいくらもいかないそのうちに、ドナルドは徐々に、異形と才人から離されてゆく。

「......こ......こらっ! 待て......」

 むろんそんな呼びかけが、聞き届けられるわけはない。

「待てって......言ってる......」

 言ううちにも、距離はドンドン開いてゆき、やがて異形と才人の姿は、完全に視界から消えた。
 肩で荒い息をしながら、ドナルドは、その場に足を止める。

「......くそっ! ......なんでだよ! 昨日の夜は、もう少しあいつを追跡できてたのにっ!」

 ドナルドは気づいていない。
 前夜も異形は、ドナルドを振り切ろうと思えば振り切れたのだ。
 にもかかわらず、そうしなかったのは......ドナルドを誘い出して殺すつもりだったから。
 才人という偶然の乱入者がいなければ、異形はそれを実行に移していたことだろう。

「......くそっ!」

 見失ったとはいえ、一人でノコノコ村に帰っては、面目さらに丸つぶれ。
 仕方なくドナルドは、あてもなく木々の間を進み始めた。
 夜風が生み出す葉ずれの音に、虫たちの声が混じって響く。
 立木の間から漏れ入る双月の光の中で、灌木の茂みは黒い影となり、異形の影を連想させる。

 ......ガサッ......。

 体がビクンと反応した。
 小さな葉ずれの音に、剣に手をかけ振り向くが、そこに動くものなどいない。

「......野ネズミか何かか......」

 安堵のため息混じりにつぶやき、剣の柄から手を放して、向き直り......。
 ......目の前に、異形がいた。

「......!?......」

 一瞬思考が停止する。
 月の光に照らされて、ドナルドは初めて、相手の姿をハッキリと見た。
 それは人間の顔を持っていた。
 見開かれた、異様に大きな双瞳。髪も眉もなく、ぶよぶよした生白い頭の下には、不気味に長い首が、歪んだ体へと繋がっていた。
 長い腕の先には、月光を弾き返して輝く......銀の爪。
 刹那。
 ドナルドは、何も考えぬまま、大きく後ろに跳んでいた。
 同時に異形も地を蹴った。

 ドンッ!

 重い衝撃。
 体を半回転させ、バランスを崩しながらも、なんとか倒れ込むのだけは免れるドナルド。

「くっ!」

 たった今かたわらを通り過ぎた異形の方へ、慌てて向き直り......。

 ぬるり。

 右脇腹の、生暖かい感触に気がついた。
 視線を落とせば......。
 あの重厚な鎧が、あっけなく砕かれていた。
 ......先祖伝来の由緒正しい鎧だったのに......! 己に制約をかけることで、自らを鍛え上げるという、伝説の鎧だったのに......!
 いや。
 鎧のことは、今はいい。それよりも、我が身だ。この赤いぬめりは......。

「......斬られた!?」

 意識した途端。
 痛みが生まれる。

「......ぐっ......」

 膝が震える。
 脈打つ傷口から流れ出す、真っ赤な人血。見ているだけで、失神してしまいそうだ。

「うぐ......う......あ......」

 そのままドナルドは、ガクリと膝を折った。
 力を振り絞って、なんとか顔を上げる。
 ちょうど異形が、目を細め、獣が唸るような呻きと共に、口から炎を吐こうとしていた。
 もはやドナルドは動けない。

「......死......ぬ......?」

 その言葉が脳裏に浮かび、焼きついた。

 ゴウッ!

 炎がドナルドめがけて突き進む。
 ビクンと小さく身をすくませて......。
 ひと呼吸おいてから、気がついた。
 自分の身に、何も起こっていないことに。
 無意識のうちに閉じていた目を、おそるおそる開き......。
 そしてはじめて気がついた。
 目の前に佇む影に。
 青と白の衣をまとった、剣士の姿に。

「......あ......あんた......」

 ドナルドのつぶやきが聞こえているのかいないのか。才人は、ただじっと、異形を睨みつけている。
 その手には、錆の浮いたボロボロの剣。おせじにも、名剣には見えない。だが今のドナルドには、なぜか何よりも頼もしく思えた。

「上達したな、相棒。俺っちで炎を斬るたぁよ」

 そう。
 才人は今、その剣の一振りで、飛び来る炎の槍を薙ぎ払ったのだ。
 まだ......ただの人間である才人が。

「ま、このデルフリンガー様を使いこなせるようになりゃあ......いずれは、あれくらい吸い込めるだろうけどよ......」

「おいおい、デルフ......。剣で火を吸収できるわけないじゃん。そういうこと言ってっから、ボケ剣あつかいされるんだぞ」

「ひでーな。ボケ剣あつかいしてるのは、他でもない、相棒じゃねーか」

 異形を前にして、剣と剣士が軽口をかわしている。
 もはや地面に横たわったドナルドは、手を伸ばしながら、細い声で言う。

「......た......たすけて......俺......」

 才人は、チラリと一瞬目をやっただけで、すぐに視線を戻して、

「ああ、助けてやるよ。......なんで男のフリなんかしてるのか知らんが、女の子は守らなくっちゃいけないからな......」

「......気づいて......たのか......」

「俺、わかるんだよ、そういうの。なんとなく......だけど。......それに今は、ほら、鎧が少し壊れて、ちょっと胸も見えちゃってるし」

 双月の下、才人の頬が赤くなるのが、ドナルドにもわかった。
 ......別にドナルドは、素肌に直に鎧を着込んでいたわけではない。下着代わりの薄いシャツを一枚、身につけている。
 生乳をさらけ出したわけでもないのに、このような態度を見せるとは。この才人という少年、ちょっと可愛いな......。
 ドナルドの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。今のこの状況も忘れて。
 だが。
 そんなラブコメっぽいムードに水をさし、現実に引き戻すかのように。

「......ほう......女だったのか......」

 異形がしゃべった。

「ちょうどいい。......そういやあ、しばらく女も抱いてねえ。お前は少し、もてあそんでやろう」

「......しゃ......しゃべれるのか......!?」

 驚きの声を上げたのは、ドナルド一人。
 才人の剣は無機物らしく黙り込み、才人も平然としている。

「......別に化け物がしゃべるくらい、不思議でも何でもないだろ。ハルケギニアはファンタジーなんだし......」

 才人のつぶやきに、異形はグッグッグッとかみ殺した笑いを浮かべ、

「......言葉の意味はよくわからんが......そうだ、俺がしゃべるのは当然だ。もともと俺は、人間なのだから......」

「......え? 人間なの......?」

「なんだ、わかってなかったのか? そうさ、俺は小さな国で兵士をやってたんだ。城の外を警護する門番だったが......ある時、姫さまの目にとまってな。王宮の中に呼ばれて、ノコノコついていったら......こんな姿にされちまった。しょせん実験材料だったんだよ、俺は!」

「何それ。ファンタジーっつうより......SFじゃん」

 異形は知らない。才人の言った、SFという言葉の意味を。
 才人は知らない。ハルケギニアに、キメラ化の技術があることを。
 それでも。
 異形は語り続ける。

「......冗談じゃねえ! 俺は逃げた! 逃げて、この山に入り込み......」

「村人を殺して回ってる......ってわけか」

「化け物呼ばわりしやがったんだ! あの小僧は! 俺のことを!」

 才人のつぶやきに、異形は声を荒げた。

「村の小僧だ! 何しに来たのかは知らん! しかしあいつは......俺の姿を見て、化け物などと言いやがった! だから殺した! 他の連中も同じだ! 俺のことを拒否する奴らは、俺のほうから拒否するぜ! この世から存在を消してやらあ! ......あんただって俺と同じだろう!?」

「はあ?」

 異形から突然、同類あつかいされて、才人はキョトンとする。

「わかってるよ! ああ! わかってるとも! 昨日の夜、この山であんたと出会った時からわかってるんだ!」

「......いや......ちょっとカッコのせいで誤解されたりもしたけど......俺は別に......」

「違う! 外見じゃねえ! 匂いでわかるんだよ! あんた......この世界の存在じゃないだろ!? どっか別の世界から紛れ込んだ......異物だろ!!?」

 化け物と組み合わされたことで、ヒトとは異なる鋭敏な感覚を身につけたのだろう。異形は、才人がハルケギニアの者ではないと見抜いていた。

「だからよ! 異物は異物らしく、俺といっしょに......」

「......おめ、なんか勘違いしてねーか?」

 嬉々とした異形の言葉を遮ったのは、才人に握られた剣......デルフリンガー。

「たしかに相棒は、どっか違う世界からきた人間だ。でもよ、おめえさんみたいに、絶望して八つ当たりなんかしてないぜ」

「そうそう。そんな暇あったら、元の世界へ戻る方法探したほうがいいし。......お前も人を襲うのなんかやめて、元の姿に戻せるやつ探した方がいいぞ」

「......なん......だと......」

 剣に馬鹿にされたと思ったのか、かすれた声には、間違いなく、怒りの色が混じっていた。

「あるわけねえだろう! そんなもん! 逃げ出す前に、研究所のメイジたちは問い詰めたんだ! 俺にビビってチビリながら、みんな言ったさ! いっぺん合成したものを戻せるはずがない、そんな方法は誰も研究してないって!」

「......そういうもんなのか? よくわからんけど......サイボーグにされた、みたいな話なんだろ? だったら偉い博士とか教授とかに頼めば、なんとかしてもらえそうじゃん」

 異形の話を才人は、元の世界のアニメや漫画にあてはめて理解している。実際に異形を目の前にしていても、どこか現実感がなく、自然、才人の口調は軽いものになりがちで......。
 その空気が伝わり、異形が歯をきしませる。

「てめえ! さっきから......おかしな言葉ばかり使いやがって! ふざけんてんのか!」

 言うなり、地を蹴り走る異形。
 才人が手にした剣が、闇を薙ぐ。

 ザンッ!

 ドナルドが耳にしたのは、踏み込みの音か、斬撃の音か。
 ゆっくりと......。
 才人と異形、二人はきびすを返して、再び対峙する。

「......てめえ......わざと俺を苛つかせて、隙を作らさせた......ってわけか......」

 つぶやいて。
 異形の体が、グラリと崩れ落ちた。
 二人が交錯した、あの一瞬。
 大振りとなった異形の刃をかいくぐり、才人は、致命的な一撃を叩き込んでいたのだ。
 才人の方は、パーカーの裾をわずかに裂かれただけで、まったく手傷は負っていない。

「いや、それは買いかぶりすぎ......。ただの偶然......っつうか、そっちが自滅しただけじゃん」

 才人の言葉は風に流され、ドナルドの耳にも聞こえなかった。

########################

 戦いは終わった。
 いともたやすく。

「相棒も、ちったぁ強くなったな。駆け出しの頃なら、きっと負けてたぜ」

「ひどい言い方だな、それ。......っつうか、駆け出しと言えば......」

 思い出したかのように。
 才人は、ドナルドのもとへ歩み寄る。
 大地に横たわる彼女に手を伸ばし、

「大丈夫か?」

「......見れば......わかるだろう......」

 ドナルドは才人の手を取ろうともせず、か細い声で答えた。
 もはや動く気力すら残っていないのだ。
 これでは、きっと......。

「......血が......とまらない......もう......駄目だ......」

「いや、血ならとっくに止まってるぞ」

「......え?」

 才人に言われて、自分の腹部に目を向ければ。
 確かに、いつのまにか出血は止まり、ぬめりも乾き固まっていた。

「......でも......立てない......」

「なんだよ、怖くて腰が抜けちゃったのか。......やっぱ女の子だなあ......」

 クスッと笑いながら。
 才人がドナルドを抱きあげる。

「......え......?」

「しっかりつかまってろよ。村まで、運んでってやるから」

「なんでえ、相棒。あんだけ悪態つかれたってのに、女にはアメーなあ」

「......まあ俺も一応、男だからなあ......」

 剣と言葉を交わしながら、しっかりドナルドを抱きかかえる才人。
 異形との対決では冷静に勝利した彼の手も、今は少し汗ばんでいる。それに気づいて、彼女は肩の力を抜き、彼の腕に身を委ねるのであった。

########################

 村に戻った才人たちは、怪物を倒したということで、村人たちから手厚いもてなしを受けた。
 どうぞしばらく村でゆっくりしていってください、という村長の言葉に甘えて、もう一日滞在し......。
 異形を斬った翌日の夜。

「たしか......こっちだったよな......?」

 才人は宿を抜け出し、中央広場に向かって足を進めていた。
 村に平穏が戻ったことで、もう篝火などはなくなっている。今晩は雲が出ているため、月明かりも乏しい。
 だが夜の闇の中でも、才人は迷ったりしなかった。
 広場の噴水から、水の音が聞こえてくるのだ。人々が寝静まっているため、よく聞こえる。
 音のする方へ歩いていくと......。
 噴水の縁石に腰掛ける、少女の姿があった。

「あ......ありがとう。ちゃんと来てくれて......」

「なんだい、用事って? わざわざ、こんなところまで呼び出したりしてさ」

 才人を待っていたのは、ドナルド。
 ごっつい鎧を破損したせいか、あるいは、もう女だとバレているせいか。化け物退治に出たときとは、明らかに雰囲気が違う。
 かすかな月明かりの下、才人にも、それくらいは理解できた。
 今の彼女は、青い服を着ている。どこかの水平服のようだ。
 ただし、才人の元の世界で若い少女が着るような、いわゆる『セーラー服』とは、少し雰囲気が違う。才人の脳天を直撃するような服ではない。デザインも色も、もっとちゃんとした船員が着るような、本物の『水平服』らしい。

「......えーっと......」

 モジモジと体をくねらせ、やや上目使いで才人を見つめるドナルド。
 何か用件があるはずだが、言い出しにくいのだろうか。
 ......才人は一応、デルフリンガーを背負ってきている。最初の出会いが出会いだっただけに、『化け物は片づいた。でも俺はあんたにメンツを潰された。決闘だ』なんて言われるかもしれないと、一応、心配していたのだ。
 いざ来てみれば、そんな感じではないので、取り越し苦労だったようだが......。

「サイトさん。私と......ここでいっしょに、水浴びしてくれませんか?」

「はあぁっ!?」

 まったくもって思いもよらぬ言葉が、少女の口から飛び出した。

「み......水浴びって......!?」

「大丈夫ですよ! 村の人は皆もう寝ちゃってるから。こんなに真っ暗で、誰も歩いてない。見てるとしたら、月くらい。だから......ね?」

「いや『だから......ね?』じゃなくて! なんで......俺と......」

「私が着てた、あの鎧......あれは特殊な鎧だったの」

 ドナルドは、ピトッと才人に体を寄せて、語り始める。

「あれは女に男並みの力を与えてくれる鎧で......その代わり、一つ条件があったの」

「じょ......条件?」

 若い女性に密着されて、才人は軽くパニックに陥った。
 そういえばメイドいっぱいの村でも似たようなことがあったな......と、かつての『一緒にお風呂』事件が頭に浮かぶ。
 女の子とピタッとしてる時に他の女の子のこと考えてちゃ失礼だぞ、と自分を叱責する余裕は、全然なかった。

「そう。『鎧を着ている間は、男として生きなければならない』っていうのと、『もしも女だとバレた時には、最初に見破った相手を、殺すか愛するかしないといけない』っていうのが......その条件だったの」

 ちょっと待ってそれ一つじゃなくて二つだよ、と才人は思ったが、ポイントはそこではない。

「あの......殺すか愛するか......って......?」

「安心して。もちろん......サイトさんを殺すつもりはないから」

「い......いや! でも鎧こわしたのは俺じゃなくて、あの異形だから!」

「あら? あの化け物は、サイトさんに言われるまで、私が女だって気づいてなかったでしょ? ......やっぱり私の『相手』は、サイトさんなんだわ。私を化け物から守ってもくれたし。その後もやさしく、村まで連れてきてくれたし」

 言ってドナルドは、才人からソッと体を離した。
 彼があわあわとするうちに、肩から水平服を脱ぐ。
 青い水平服は、彼女の足もとに滑り落ちた。
 ちょうどその時、雲間から双月が顔を出し、下着姿のドナルドを照らし出す。
 才人は思わず目を逸らした。

「い......いや......でも......」

 サラッと衣擦れの音が響き、それからチャプンと、噴水に足を踏み入れる音。

「つめたくって、気持ちがいいわ」

 噴水の中、ドナルドは才人に背を向けて座り、ウフッと笑う。

「サイトさんも早く来て。......背中を洗いっこしましょう?」

 後ろで、ガサゴソと音がする。彼が服を脱いでいるのだ、とドナルドは思ったが......。
 いくら待っても、いっこうに彼は入ってこない。
 しばらくして。
 じれた彼女が振り向けば。
 そこには、もう誰もいなかった。
 裸身の少女を噴水に残し、才人は逃げ出したのだった。

「もう! サイトさんの意気地なし! ......くしゅん」

 どうやらドナルド、長く水に浸かり過ぎて、体が冷えてしまったらしい。

########################

 夜も明けぬうちに、逃げるようにして才人は村を発った。
 あれから数日たった今でも、彼は、ふと思う。ちょっともったいなかったかもしれない、と。

「なあ、相棒。よかったのかい、あれで?」

 突然デルフに問われて、才人はギクッとする。まるで才人の心を読んだかのようなタイミングだったのだ。

「な......なんのこと......?」

「この間の村のことさ。夜の噴水......忘れたとは言わせねーぜ」

「ああ、その話か......」 

 とぼけてみせる才人。

「なんだい相棒、若い女は好きだろ。せっかく向こうから『どうぞ』って差し出されたのに、なんで逃げちまったんだ?」

「うーん。だってさ......」

 直接『どうぞ』と言われたわけではなかったが、あれはそういうニュアンスだったのだろう。それくらい、薄々サイトも察していた。

「......ああいうのは良くないよ......」

「......ん? 好みのタイプじゃなかったのかい?」

「いや、そうじゃなくて。......黒い髪は俺にとっては親しみやすさがあったし、あのアヒル口も愛嬌があって可愛い、って思った」

「じゃあ、なんでだい?」

「なんつうか......やっぱ元の世界の価値観かなあ? ああいう形で......よく知らない女の子と結ばれるというのは......ちょっと......」

 女の子とつき合ったことなど皆無の才人。
 未経験者ゆえ、夢見てしまう部分があるのだった。
 元の世界では出会い系に登録したこともあるが、それだって「出会ってすぐに!」と思っていたわけではない。あくまでも知り合うキッカケにするつもりだったのだ。

「そうかい。まあいいさ。相棒が女嫌いになったんじゃなければ、な」

「安心しろ、デルフ。それだけは絶対にない。......って、俺が女の子に興味なくすと、何か困るわけ?」

「......相棒を元の世界に送り返すメイジは、男じゃなくて女のような気がするんだわ。なんとなく......だけどな」

「なんだよ、それ。デルフ、おまえいつからインチキ占い師になったんだよ。......とか馬鹿なこと言ってる場合じゃなさそうだな」

「おっ、相棒も気づいたかい」

 才人が歩いているのは、森の中ゆく一本道。
 少し先の方で、何やら揉め事が起こっているらしい。
 二人の女性を取り囲む、大勢の野盗たち。 
 しかし......その大部分は、森の中に隠れている。彼女たちは、目の前の一人にしか気づいていないのだろうか。臆した様子など微塵もない。
 今さっきまでの会話のあとで女性を助けるというのは......なにか下心があるようで、やましくも思うが......。
 とりあえず、ここは助けに入るべきだ。
 気配を頼りにコッソリ近づき、森の中の伏兵を全て倒してから......。
 才人は、朗々と声を上げた。

「それぐらいにしておくんだな。隠れている部下達は、みんな俺がやっつけた」

 そして剣士は......少女と出会った。


(「ヒラガサイト双月草紙」完)

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第十五部「魔を滅せし虚無達」(第一章)

 それは。
 平凡な日常の一コマから始まった。

 ドゴォォォン!

 私の放った爆発魔法で、焚き火を囲んだ男たち数人が、まとめて吹っ飛ぶ。

「......な......なんだ!?」

「役人の手入れか!?」

「馬鹿野郎! 役人がいきなり魔法ぶっ放すかよ! きっとレッサー・デーモンっつう噂の化け物が......」

 ボグォォォン!

 私の怒りの第二波が、野盗の寝言を中断させた。
 ......ったく......。
 美少女メイジのこの私、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールをつかまえて、レッサー・デーモン呼ばわりするとは!
 おのれ許さん。かくなるうえは、ちょっと大きめのエクスプロージョンを叩き込んで......。
 思ったその時。
 斜め後ろに殺気が生まれた。
 咄嗟に私は前に跳び......。

 ドゥン!

 背後で爆光が閃いた。
 攻撃魔法だ。

「......誰!?」

 茂みを飛び出し距離を置き、誰何する私の目の前に。
 木の葉を揺らして現れたのは、薄汚れたマントを羽織った一人のメイジ。

「......ひょっとして......野盗おかかえの用心棒か何か、ってわけ?」

 傭兵メイジともなれば、仕事は選んでいられないのだろうが......。よりにもよって、こんなザコな野盗どもに雇われるようでは、たかが知れている。

「そういう貴様は......? 役人どものイヌ......というわけでもなさそうだが......?」

「ふっ。見ればわかるでしょう。旅の連れにお仕置きエクスプロージョンする代わりに、うさ晴らしの野盗退治に来たのよ」

「どうやったらそんな理由が『見てわかる』のだ!? だいたいなんだ、その『お仕置きエクスプロージョン』というのは!?」

 メイジは私に一応ツッコミ入れてから、口の端に不敵な笑みを浮かべ、

「......まあいい......。いずれにしろ、俺も、こいつらに世話になってる身......俺の前に現れたのを、己が身の不運と呪うがいい!」

 言うと両手でおかしなポーズをとってから、右手を口にあてて指笛を吹き、

「来たれ! 我が使い魔、デーモン!」

 ガサッ!

 メイジの背後の茂みから、異形の影が飛び出した。
 ねじくれた四肢、闇色の胴体......。
 それは一匹のレッサー・デーモン。

「......嘘......でしょ......」

 かすれた声で私はつぶやいた。
 最下級の魔族......しかも純粋な魔族ではなく、あくまでも『亜魔族』であるが、レッサー・デーモンとて一応は魔族である。それを......使い魔として使役しているだなんて!?
 一般に『使い魔を見ればメイジの実力もわかる』と言われているのだ。魔族を使い魔とするくらいなら、このメイジもただ者ではないはず......。

「ほらほら。デーモンちゃん。お願いだから、この目の前の小娘をやっつけちゃってよ。な、頼むからさ」

 ......おや?
 自分の使い魔相手に、なんだかずいぶん低姿勢で頼み込んでいる。

「あんた......自分の使い魔に言うこときかせることもできないわけ?」

「うむ。元々は素直な小熊だったのに......あるとき急にレッサー・デーモンに変化してな。それ依頼、あまり俺の命令に従わなくなったのだ。わざわざ『デーモン』と改名してやったというのに」

 思わずツッコミを入れた私に、律儀に応えるメイジ。
 ......なるほど、そういうことか。別にレッサー・デーモンを召喚して、使い魔として契約したわけではなかったのね。
 レッサー・デーモンとは、独力ではこの世界に具現できないほど低級な魔族が、小動物などに憑依することでそれを可能としたもの。たしかに考えてみれば、野良の動物ではなく、メイジの使い魔が取り憑かれちゃうケースがあったとしても不思議ではない。
 しかし......。

「......初めて見たわ......自分の使い魔を魔族に乗っ取られた、間抜けなメイジなんて......。う......うぷぷぷっ!」

「なんだとぅおっ!?」

 私が我慢できずに吹き出したら、傭兵メイジが怒り出した。

「......だ......だって......あんたの使い魔はその程度の奴だった、ってことでしょ......」

「どういう意味だ!? 立派なレッサー・デーモンになったではないか! レッサー・デーモンの怖さを知らぬなら、己の愚かさ加減を呪って死ぬがいい!」

 ごぉぉぉうっ!

 主人のメイジの怒りに呼応するかのように、レッサー・デーモンが月に吠える。こういうところだけは、ちゃんとメイジと使い魔の息が合っているらしい。
 ......はいはい......。
 私は口の中でちゃっちゃと呪文を唱え......。
 その時。

 びくんっ。

 世界が。
 震えた。

「......!?」

 そうとしか言いようのない感覚。

「何だ!? 今のは!?」

 どうやらそれを感じ取ったのは私だけではないらしく、目の前のメイジもまた、動揺の色を浮かべている。
 風の温度も空気の匂いも、辺りには何の変化もないままに、ただ強烈な違和感だけが存在した。
 私も傭兵メイジも、しばし言葉をなくす。
 刹那......。

 るぎおぉぉぉぉおおおっ!

 その妙な沈黙を押し破り、わき起こったのは、レッサー・デーモンの絶叫だった。
 まるで断末魔の痙攣のように、体を激しく引きつらせ......。

 ばじゅっ。

 その背が裂けた。
 ......いや。
 生えたのだ。いきなり。黒い四枚の翼が。
 何が起きたのかわからない。わからないが......。

「え? 俺のデーモンちゃん、まだ変身の余地を残してたわけ!?」

 のんきな言葉を吐くメイジとは対照的に、私の背を駆け抜けたのは不吉な予感。
 予感に迷わず従って、私は唱えておいたエクスプロージョンを、レッサー・デーモン目がけて放つ。
 だが。

 ギィィィンッ......!

 金属のきしみにも似た音を立て、レッサー・デーモンの胸の前......虚空に光が生まれ出て、私の魔法を正面から受け止めた。ギャリンッと激しい音を上げ、対消滅する。
 レッサー・デーモンは無傷だ。

「......なっ......!?」

 さすがに驚いた。
 防御魔法で私のエクスプロージョンを相殺するとは......。
 レッサー・デーモンには、魔力こそあれ、そんな知恵などないはずだが。

「何よ!? こいつ!?」

「わ......わからん!」

 誰にともなく言った私に、レッサー・デーモンの主人であるメイジが答える。

「こんなことは......今まで......。ええい、なんでもいい! デーモン!」

 呼びかけに、それは視線をメイジの方へと動かした。
 彼は私の方を指さして、

「デーモンちゃん! この目の前の小娘をやっつけちゃって! お願い!」

 ......ぐ......ぐろるるるる......。

 巨獣の唸りを漏らしたレッサー・デーモンの前に、数十条の炎の......いや光の槍が出現する。
 そして......。

 ヒュドドドドドッ!

 闇夜に白い残像を残し、解き放たれた光の槍は、背後から、主人であったメイジ当人を貫いた。

「......!?」

 何が起こったのか、わからぬまま。
 メイジは断末魔の悲鳴すら残さず、倒れ伏す。
 続いてレッサー・デーモンは、その視線を私に向けた。
 慌てて呪文を唱えた私が、杖を振るより早く。
 唸るレッサー・デーモンは、再び光の槍を放ち......。

 ジュブァッ!

 新たに現れた銀の残像が、光の槍を斬り散らす。
 一瞬のうちに私の前に滑り込み、レッサー・デーモンが撃った光を、文字どおり剣で斬り払ったのである。
 誰が......かは言うまでもない。
 私の旅の連れにして、私の使い魔......サイト!

「おあああああっ!」

 光の槍を薙ぎ切ると、雄叫びあげて、一気にレッサー・デーモンとの間合いを詰める。
 デーモンは四枚の羽根をはばたかせ、空に舞い上がって逃げようとするが......それより早く、サイトがふところに飛び込んでいた。
 さすがガンダールヴ! 速い!

 ザンッ!

 銀の刃のきらめきに、ぼろきれにも似た黒い翼が、枯れ葉のごとく舞い落ちる。直後、巨木のごときレッサー・デーモンの胴体も、二つに断たれ、倒れ伏した。

「......なあ、ルイズ」

 剣を背中におさめて、サイトはため息混じりに呼びかける。

「夜中に一人で抜け出したと思ったら......また盗賊いじめなんて......」

 むむむ。
 サイトにお仕置きエクスプロージョンかます代わりに、盗賊いじめをやってたというのに。素直にお仕置きしといた方がよかったというのか!?
 ......まあ、いい。今はそれどころではない。

「そういう話は後回しよ」

 サイトの言葉を遮り、私は真剣な面持ちで、辺りに視線を巡らせる。
 盗賊たちは、狂ったレッサー・デーモンがメイジを殺した時点で、ビビってどこかへ退散していた。
 その当のレッサー・デーモンも倒れ、周りから敵の気配は消えているのだが......。

「このレッサー・デーモン、元々はメイジの使い魔だったのに、その主人のメイジを殺しちゃったのよ」

「えっ!? 今のが......使い魔だっつうのか!?」

「そ。しかもいきなり姿が変化して、凶暴化したの。まともじゃないわ。......何かおかしなことが起きてるのかもしれない。油断しちゃ駄目よ」

 念のため、サイトに言い含めておく私。
 とはいえ、この時は、あくまでも『念のため』だったのだ。

########################

 暗い空。
 凍てついた街。
 ひとつ呼吸をするたびに、痺れるほどに硬く、済んだ空気が肺を浸食する。
 黒い羽根を持つ何かの影が、いくつもいくつも空を舞う。
 季節外れの早すぎる雪が、すべての音を吸い取って、虚無の静寂で辺りを包む。

「......何よ......これ......?」

 つぶやいた自分の声が震えているのは、寒さのせいか、それとも他の理由からなのか。

「まだ冬じゃないよな? いくらファンタジーっつっても......これは......」

 私の隣に佇んで、サイトまでもが、茫然と間の抜けた声を出す。
 盗賊たちをぶち倒したその翌日。
 宿を出て、大きな街へと向かう途中の山あいに、その小さな街は佇んでいた。
 レッサー・デーモンたちに蹂躙され、凍りついた死の街が。
 街道をゆく途中から急に冷え込んできて、妙だとは思っていたのだが......小高い丘を越えた向こうに見えたのが、この光景だったのだ。

「行くわよ! サイト!」

「......行くって......?」

「デーモンたちがまだうろついてるんだ。生きてる人もまだいるかもしれない......ってこったろ、娘っ子?」

「そういうこと!」

 解説するデルフリンガーに頷いて、私はサイトの背にしがみついた。
 街までは結構な距離がある。全力疾走を続けたせいで、辿り着いた頃には戦う体力も残っていない......などということになったら意味がない。ならばガンダールヴのサイトにおぶって行ってもらうのが一番。
 今度は説明せずとも通じたらしく、私を背負って走り出すサイト。
 速い、速い。
 街はグングン視界の中で大きくなってゆくのだが、人の動きは全く見えない。家の中で隠れているのか、あるいは......。
 不吉な思いを振り払い、それからほどなく、私たち二人は、そこへ辿り着く。

「......ひでぇ......」

 サイトがつぶやいたように。
 そこはまさに、死したる街。
 遠目にはわからなかったが、通りのいたるところには、デーモンにやられた人たちが転がっていた。体温をなくした上に雪が降り積もり、かつては命があったその姿を、白い景色に溶け込ませている。
 どうやら家の中に避難している人たちも多いらしい。ほとんど全ての家々は、その窓や扉をかたく閉ざしていた。
 動くものといえば、降りしきる雪とレッサー・デーモンたちの影。
 その影のいくつかが......。
 私たちの姿を見つけて、こちらに向かって殺到する!

「行くわよ、サイト!」

「おうっ!」

 私が彼の背からピョンと飛び降りると同時に、サイトは剣を抜き放つ。私も口の中で呪文を唱え始めた。
 今こちらに向かって来ているのは数匹だが、全体の数はわからない。どれも昨夜見たのと同じ、四枚のいびつな羽根を持つ、異様なレッサー・デーモンだ。
 ここが街の中でなかったら、大技で一気に吹っ飛ばすというテもあるのだが......。

 ぅおおおぉぉぉうぅぅあああぁぁっ!

 怨嗟の呻きにも似た、デーモンたちのどよめきと同時に。
 生まれた無数の光の矢が、降り来る雪を蒸気と化して、こちらに向かって殺到する。
 私とサイトはダッシュで駆けて、横手の路地へと飛び込んだ。

 ドヂュウッ!

 光は虚しく大地に砕け散り、盛大な音と蒸気を生み出した。
 デーモンたちはこちらを追撃すべく、あるものは大地に降り立って、またあるものは羽ばたきながら、路地の入り口を覗き込んだ。
 そこに......。

 ドゴォォンッ!

 私の放ったエクスプロージョンの光球が、地上でかたまっていたデーモン数匹を消滅させる。
 もしかするとこいつらも、昨夜の奴のように防御魔法が使えたのかもしれないが、さすがに不意を突かれてはどうしようもなかったらしい。
 空中にいたデーモンたちの視線が、こちらに向けられる。
 が......。

「おおおおっ!」

 すでにサイトが、路地の両側にそびえる壁を左右交互に蹴り上がり、高みへと達していた。彼は雄叫び上げて虚空から、空のデーモンたちに飛びかかる。
 一匹の頭を断ち割ってその背を蹴り、軌道を変えて別の一匹の羽根を薙ぎ裂き、地面に下りざま、さらに一匹。
 残ったデーモンの注意が、私からサイトへと移る。その隙に、呪文を唱えつつ私は路地を飛び出した。
 羽根を薙がれて落ちてきてデーモンと、うかつに近づいてきた一匹を、いとも簡単にサイトが切り伏せて......。
 残った最後の一匹は、さすがにかなわぬと悟ったか、それとも空から仕掛けるつもりか。大きく翼をはばたかせ、剣の届かぬ空へと舞い上がろうとしたところで、私のエクスプロージョンをくらって、そのまま散った。

「これでこっちに向かってきた連中は、とりあえず倒したようね」

「うん。でも......まだ他のところには残ってるんだろ? かたっぱしから倒して回ろうぜ」

「......ちょっと待て。相棒も娘っ子も」

 勢い込んで駆け出そうとする二人の足を、デルフリンガーの声が止めた。
 察知したのだ。何かの気配を。誰よりも早く。
 私とサイトも、視線を巡らせ、辺りの気配を探る。
 一面の白。転がる死体。動くものといえば、変わらず降り来る雪のみ......。
 いや。

「そこか。......そろそろ出てきたらどうだ?」

 サイトがいきなり声を上げた。彼の顔が向く方は、少し離れた民家の屋根。

「覗き見したくて、そんなところにいるんじゃないだろ? 戦うつもりなら、とっととやろうぜ」

 ......もぞり......。

 呼びかけに応じて、屋根の上に、赤い人影が身を起こす。
 それは地面に飛び降りて、ゆっくりとこちらへ歩み来て......。

「何よ......これ!?」

 近づくにつれハッキリしてきたその姿に、私は思わず腰を引く。
 ......しばらく前。どこかの魔法学院の図書館で、間違えて手にとった一冊の本。たしかタイトルは『人体の不思議』。
 そこに書かれていた一枚の絵と、目の前の相手はそっくりな外見をしていた。
 皮を剥がされた人間の全体像......。
 ただし両の瞳はなく、代わりに肉の突起が二本、ニョキッと突き出している。まるでカタツムリかナメクジのように。
 こんなルックスのやつが、まともな人間やまともな亜人のわけはない。
 ......魔族......。

「......ただものではないな......我の存在を察するとは......」

 それは私たちから少し離れた場所で立ち止まり、唇のない、歯茎むき出しの口で言った。

「私たちが何者であろうと関係ないわ。......街を襲って恐怖を自分の糧とする......。あんたたちにとっちゃあ、お昼ごはんなんでしょうけど......迷惑なんでやめてくれる?」

「......ほぉう......」

 横から口を出した私に、魔族は興味深そうに顔を向けて、

「少しは我々魔族のことを知っているようだな......。なら、純魔族の恐ろしさ、知らぬわけでもあるまいに。よほど腕におぼえがあるようだが......試させてもらうぞ」

 宣言と同時に、両足で大地を踏みしめ、両の拳を腰だめに構える。
 刹那。
 
 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴンッ!

 羽虫の唸りにも似た音が響き、魔族の周囲の雪が吹き上がった。その雪を薙ぎ散らし、不可視の振動波がサイトへと向かう。
 サイトは避けようともせず、真っ正面から突っ込んで......。

「馬鹿め!」

 魔族の嘲笑。しかし。

 ヴァンッ!

 サイトの剣の一閃に、音が弾ける。
 雪のおかげで、本来なら不可視のはずの軌跡が、目視できたのだ。それを剣で断ち切ったわけである。

「......なっ......!?」

 魔族の漏らす衝撃の声。
 完全に相殺しきれなかったのか、サイトの足も止まっていたが、こちらには私もいる。敵に生まれた一瞬の隙を逃さず、私が爆発魔法を叩き込む。

 ドゴワゥッ!

 立ちこめる雪煙。
 だが......手応えはなかった。
 直後。
 背後に生まれ出る殺気。

「......ルイズっ!」

 とっさにカバーに入ったサイトが、手にした剣を一閃させる。
 ヴボンッ、という破裂音。
 こちらの背後に移動して魔族が放った一撃を、サイトが切り裂いたのだ。

「ありがと、サイト」

 言って私は呪文を唱え......。
 そして。
 異変に気がついた。
 消えていたのだ。魔族の発していた殺気が。
 といっても、魔族が退いたわけではない。吹き上げられた雪煙がおさまれば、私たちから間合いを取って、佇む姿があった。
 だが......もはや殺気も敵意もない。
 代わりに発しているのは......戸惑いの色......?

「......ルイズ......サイト......」

 魔族は、何か困ったように私たちの名前をつぶやく。

「知ってるの? 私たちのこと?」

 挑発するように言う私。
 今まで魔族相手に色々やってきたから、名前を知られているのは不思議でもなんでもないが......こんな反応をされたのは初めてだ。

「......『ゼロ』の......ルイズ......使い魔......サイト......」

 知っている。やはり。私たちのことを。

「そんなに気になるかい? 娘っ子と相棒のことが」

 デルフリンガーが言った、その瞬間。
 魔族が大きく跳んだ。後ろに向かって。

「......へ......?」

 目を点にする私に構わず、大地から屋根に、屋根から屋根へと跳び移り、魔族は姿を消した。
 続いて、いくつもの翼の音が遠ざかる。

「......退却した......? しかも御丁寧に、下級のデーモンみんな引き連れて......?」

 茫然とする私の肩に、剣をおさめたサイトが手を置きながら、

「すごいな、ルイズ。......魔族まで、ルイズの名前聞いただけで逃げてったぞ。もしかして......俺に隠れて、盗賊いじめだけじゃなくて、魔族いじめもやってるのか?」

「そんなわけあるかあああっ!」

 どしゃあああっ!

 私の放ったキックは、サイトを雪の上へと這わせたのだった。

########################

 あれから、およそ数日間。
 各地での異常気象と、デーモンたちによる街や村への襲撃は、あちらこちらで頻発していた。
 今夜の宿を求めて立ち寄ったこの街も、はりつめた空気が漂っている。
 兵士たちの姿がやたらと目について、行き交う人々も、その身にピリピリした空気を纏わりつかせている。

「......似てるわね......」

 宿を決めるため、表通りを歩きつつ。
 私はポツリとつぶやいた。

「なんのことだ、ルイズ?」

「なんだい、相棒は気づかねーのか? ヴィンドボナの事件......あの少し前は、こんな雰囲気の街が多かっただろ」

「おお。そう言えば」

 剣に言われて、のんきにポンッと手を打つサイト。

「......あんた......本当にわかってるの......?」

 あの時は、大物魔族である覇王(ダイナスト)グラウシェラーの暗躍があったのだ。
 各地でレッサー・デーモンが大量発生し、街や村を襲う、という事件が頻発していた。その件は、いったんは収束したものの......。
 人々の記憶には、当時の不安と恐怖が、いまだ根強く残っているはず。今回の事件は、それを呼び起こしているのだ。 
 そして今、同じことが起こっているということは......。

「......っ!?」

 あれこれ考えながら、街の景色に目をやって。
 私は思わず、小さく息を呑み......慌てて駆け出した。

「おい......ルイズ?」

 サイトの声を無視して、通りを駆けて路地を覗き込み......。

「......誰も......いない......」

「どうしたんだ? いきなり?」

「なんでもないわ。見間違いだったみたい」

 問われて私は言葉を濁す。
 ......そう。見間違いに決まっている。
 誰かに似た人間などいくらでもいるし、チラリと見えた後ろ姿だけなのだから......。

「......ま、とにかく宿を......」

 言いかけた私の言葉を遮って。
 遠い悲鳴が街に響いた。

「......魔族だ! 魔族が攻めて来たぞ......」

 混じり合う悲鳴と混乱の空気の中に、その声を聞きつけて。
 私とサイトは、二人同時に駆け出していた。
 逃げ惑い、流れ来る人の波をかき分けて進めば、通りのそこここに転がるのは......。

「......デーモンの死体......?」

「街の警備兵が倒したのかな?」

 私のつぶやきに、サイトが応じる。
 だが、違う。辺りには、兵士たちの姿も遺体も見当たらない。
 レッサー・デーモンなど、私やサイトにとってはザコだが、並の騎士やメイジには手ごわい相手のはず。言っちゃあなんだが、普通の街に配備されている兵士たちが、無傷で倒せるとは思えないのだ。
 ならば、これをやったのは......。

「相棒! 娘っ子! 来るぞ!」

 剣の言葉が、私の考えを中断させた。
 言われて視線を巡らせば、どうやら私たちを発見したらしく、空舞う翼が四つほど、こちらに向かって飛来する。
 サイトは剣を抜き放ち、私は口の中で呪文を唱える。

 るごぉぁぁっ!

 デーモンたちは声を上げ、光の槍を......放とうとした、その瞬間。

 タタタタタッ!

 横手から跳び来た、無数の『氷の矢』が、そのデーモンたちに突き刺さり、氷結させる。
 ......今の攻撃は......!?

「ここは危険なのね!」

 声は、すぐ先の角の向こうから聞こえた。
 続いて姿を現したのは、二人の女......。

「安全な場所に避難......。きゅい?」

 言いかけた彼女の声が、途中で止まる。
 私とサイトの姿を目にして。
 そう。彼女たちは、私たちの知り合いだった。
 一人は、私と同じく学生メイジの格好をした、短めの青髪の少女。あの『氷の矢』を放ったメイジである。
 もう一人は、さきほどの声の主。水色のローブをまとう、青い長髪の若い美人で、女騎士のようにも見える。
 だが。
 前者はともかく、後者は本当の姿ではない。その正体は伝説の風韻竜であり、先住魔法で人に姿に変わる時、彼女はこの外見をとるのだ。

「タバサ! ......それにシルフィードじゃん! 何やってんだよ、こんなところで!?」

「......ひさしぶり」

 声を上げたサイトに、簡単に挨拶するタバサ。
 横でシルフィードも嬉しそうに、きゅいきゅい喚いているが......。

「あんたたち、世間話してる場合じゃないでしょ!? まず先にデーモンたちを!」

「大丈夫なのね!」

 私の言葉に、シルフィードがニコニコ顔で、

「来てるのは私たちだけじゃないから! こんなレッサー・デーモンごとき、任せておいても平気、平気!」

「......え......それって......」

 聞いた瞬間、顔から一気に血が引いたのが、自分でもハッキリわかった。

「......あの......『私たちだけじゃない』って......もしかして一緒に来てるのは......」

 私が最後まで言う前に。

 ビーッ! ドゴォォッォンッ!

 どこかで放たれた光が、辺りの建物ごと、デーモンの群れを薙ぎ散らす。

「......」

「......大丈夫じゃなかった」

 言葉をなくす一同の中、一番無口なはずのタバサが、ポツリと一言。
 私は、思わず頭を抱えていた。
 ......あぁぁぁぁ。またやってるよ。あの学者エルフ......。
 などと胸の奥でぼやきつつ。

########################

 デーモンたちの掃討に、さしたる時間はかからなかった。
 だが街の受けた被害は大きかった。
 原因は......言うまでもない。

「これだから、蛮人の習慣って面倒なのよね。私たちはあの街の恩人だというのに、これじゃまるで逃げるみたいじゃないの」

 自覚のないセリフを吐いているのは......。
 ヒラヒラがたくさんついた、ゆったりしたローブを羽織った金髪女性。つり上がった切れ長の瞳も美しいが、外見にだまされてはいけない。
 蛮人研究家を自称する、エルフのルクシャナ。ただし彼女の蛮人......つまり人間に関する知識は、どこか間違っていることが多い。

「『まるで』じゃなくて、本当に逃げてるのよ! だいたい、あんたのせいでしょうが!」

 デーモンたちを倒したあのあと。
 私とサイト、タバサとシルフィード、そしてルクシャナの五人は、ダッシュで街を離れて、別の街へと続く街道を歩んでいる。

「あら、どうして? 私......何か悪いことした?」

「何きょとんとした顔してんの!? 建物の被害に関しちゃあ、デーモンたちがやったのより、あんたがやらかした被害の方が大きかったわよ! それでのうのうと街にいられるわけないでしょうが!」

「なーんだ。そういう事情だったのね。てっきり私は、これも蛮人の習慣なのかと思って......。ほら、善いことをしても決して名乗り出たりせず、秘密のまま立ち去るべし......ってやつ」

 どうせ英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)か何かで知った知識を、そのまま現実に当てはめているのだろう。
 呆れる私の横では、

「タバサたち......よくこんなのと一緒に旅してるな?」

「......世話になった。仕方がない」

 小声で問いかけるサイトに、タバサがポツリと答えていた。
 ......たしかタバサは、エルフの薬で心がおかしくなった母親を元に戻すため、ルクシャナに同行してエルフの国に向かっていたはず。この様子では、無事そちらの一件は解決したのだろう。

「......ま......まあ......それはさておき......」

 タバサとシルフィードにチラリと目をやってから、私はルクシャナに向かって、

「エルフのあんたが、シルフィードやタバサと共に、いまだに人間の世界で遊んでるってことは......やっぱり、このデーモン発生事件のことで?」

「そうよ。......『遊んでる』って言葉は心外だけど」

 真面目な話だと察して、素直に答えるルクシャナ。

「前回あった覇王の暗躍......。グラウシェラー自身は『単なる食事』って言ってたけど、あんなの鵜呑みにできるわけないわ」

「と、いうことは......」

 私の疑問の表情に、ルクシャナはこっくり頷いて、

「魔族が降魔戦争の再現を狙っている可能性は、まだ捨てきれない......それが『評議会(カウンシル)』の結論なの。頭のかたいおじいちゃんたちだけど、この点に関しては、私も賛成だわ。......いずれにしても、このデーモンたちの異常発生を、蛮人だけの問題だ、なんて言って見過ごすわけにもいかないでしょうし」

「今回はお姉さまも一緒なのね! お母さまの問題が片づいて、暇になったから!」

 シルフィードの嬉々とした言葉に、無言で頷くタバサ。相変わらず無表情で、何を考えているのか、よくわからないが。
 ......いやタバサ、『暇になった』のなら、国に帰ってやれよ。ガリアは王様も王女もいなくなって、タバサくらいしか王族が残っていないんだし......。
 そう思うのだが、私が言っても、たぶん余計なおせっかいになるだけだ。とりあえず、シルフィードの言葉は聞かなかったことにして、ルクシャナとの会話を続ける。

「そう言ってもらえると嬉しいわ。けど今回......デーモンたちの発生と、ほとんど同時に起き始めた、各地の異常気象......あれって何か関係あると思う?」

「わからないわ。高位の魔族なら、部分的に天候に影響を及ぼす程度の力もあるでしょうけど......力を無駄遣いしてまで、そんなことするとも思えないのよね......」

「魔族の狙いに関して......手がかりとか、どこへ向かえばいいか、とか何か掴んでないの? でないと、どう動けばいいのかもわかんないじゃない」

 私の言葉に、ルクシャナは肩をすくめて、

「手がかりなんて......全然ないわ。ひょっとしたら、また覇王の事件みたいに、高位魔族が関わってるのかもしれないけど......存在の気配を隠されたら、私たちもそれを悟るのは難しいのよ。結局......こうしてフラフラと旅して回るしかないんだわ」

「フラフラと旅して回る、って......やっぱり遊び歩いてるだけじゃないの。現状では手の打ちようがない......ってことでしょ?」

 私の言葉にトゲを感じたのか、ルクシャナは表情を険しくするが、彼女が何か言うより早く。

「......心配性だな、娘っ子は。そんなに心配するこたぁねーぜ」

 気楽な声を上げたのは、サイトの背中の剣だった。
 ルクシャナが興味深そうな顔で、
 
「あら、さすがデルフリンガーね」

「......どうしたのよ。あんた......別にデルフ見るの、初めてじゃないでしょ。前の時もサイトは使ってたわよ?」

 彼女の態度が気になって、ちょっと尋ねてみた。すると。

「あの時は知らなかったのよ。これがあの『デルフリンガー』だっただなんて」

「......へえ。やっぱりエルフの世界でも、ガンダールヴの剣として有名なの?」

 しかしルクシャナは首を横に振り、

「悪魔ブリミル云々じゃなくて......エルフが産み出した剣として有名なのよ」

「......へっ?」

 あっけにとられる私。
 デルフリンガーは、もとを辿れば異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の武器、いわば魔族のようなもの。その魂をブリミルが剣に宿した、と、かつて冥王(ヘルマスター)が語っていたのだが......。
 そういえば、その少し前に、魔竜王(カオスドラゴン)は『デルフリンガーを作ったのはブリミルではない』とも言っていたっけ......。

「ああ! 思い出したぜ! サーシャだ。長い耳の高貴な砂漠の娘......」

 当のデルフリンガー自身が叫ぶ。
 ならば。

「ちょっと待って! じゃあ、あんたって......始祖ブリミルじゃなくて、どこかのエルフに造られた剣だったの!?」

「うんにゃ、どっちも正解だな。ブリミルがサーシャに造らせたようなものだから。......とにかく、サーシャとおりゃあ、いいコンビだった。二人して、散々暴れたもんだ。まっすぐな子だったなあ。ちょっと気が強くって、プライドが高くって、そんで泣き虫で......」

 剣は、遠い記憶を愛おしむようにつぶやいた。

「どんな冒険したの?」

 好奇心むき出しで詰め寄ってしまう私。何せ始祖ブリミルの話である。興味を引かれるのは当然である。

「私も聞きたいわ。そのサーシャって人のこと。......その人もしかすると、伝説の聖者『アヌビス』かもしれないから」

 エルフのルクシャナも、興味津々。
 だが。

「......ストップ」

 冷たい声で私たちのワクワクに水を差したのは、『雪風』のタバサだった。

「......そういう話は後回し。今は昔話よりも、もっと大事な話があるはず」

 そうだった。
 この剣はたしか、『心配するこたぁねーぜ』と言ったんだっけ。

「そうね。話を戻しましょう。......あんた何か策があるの?」

「いや......そういうわけじゃねーが......ほら、これだけのメンツがそろったんだ。そのうち事件の方からやって来てくれるって。いつものとおり」

「何よ!? もったいぶって......それだけ!?」

 大声で叫んでしまう私。
 まあ『いつものとおり』とか言われたのも、気に障ったわけだが。何しろ、本当にありそうだし。
 ちなみに。
 このあと私たちは、人通りのない街道を歩きながら、デルフリンガーから昔話を引き出そうとしたのだが......。

「だから、いちいちこまけえことは覚えてねえって」

 面白い話は、何も出てこなかった。

########################

 自慢じゃないが、襲撃されるのには慣れていた。相手が魔族であろうとも。
 たとえば人のいない街道で。あるいは宿の一室で。
 だが、さすがに......。
 昼の日中に、混み合うメシ屋の玄関あけて、魔族が堂々と入ってくる......。これは初めての経験だった。
 最初は誰も、何の注意も払わなかった。
 ごく当たり前のように、ドアベルを鳴らしてドアが開き、ごく当たり前のように、それは店内に入って来た。
 枯れ木が、大柄な人間のような格好をしている......そんな感じだった。
 目と鼻の位置にウロでもあればユーモラスだったかもしれないが、口はなく、血走った眼球が、落ち着きもなく泳いでいる。

「......!?」

 最初に、その異常さに気づいたのは誰だったか。
 店内に、完全なる静寂が訪れた。
 片隅のテーブルで食事をしていた私たちも、一瞬何が起こったのか理解できず、しばし硬直する。
 我に返った私たちが動き出すより、一瞬早く。
 それが動いた。

 フュンッ!

 枯れ木にしか見えない両手が風を切り。
 近くの客たちが、のけぞり、血を吹き、倒れ伏す。
 悲鳴が瞬時に店内を満たした。パニックに陥った客たちは、あちらこちらへ、でたらめに逃げ惑う。
 その流れの間をすり抜けて、サイトが魔族へと肉薄する。

「サイト! お願い!」

 客たちが邪魔で、魔法を撃つのは無理。今は彼の剣だけが頼りなのだ。
 だが魔族もいち早く、迫り来るサイトの存在を察知。片手をサイトに向け、その指が槍のように伸びる。

「んな直線的な攻撃が当たるかよ!」

 叫んでサイトは、指からその身をかわし、すれ違いざまに斬り落とす。
 そのまま魔族に突進し......。

 ザンッ!

 銀の軌跡の閃きに、枯れ木魔族は斜めに断たれて、倒れ伏す。

「あれ? ずいぶん弱っちょろい奴だった......?」

「気ぃつけろ相棒! こんなアッサリ終わるわけねえ!」

「......それもそうだな」

 サイトが応えたその瞬間。
 最初の一撃で斬り飛ばされ、床板に刺さっていた魔族の指がムクッとふくれて、枯れ木魔族の姿を取り戻す。

「こっちが本体かよ、おい!」

 思わずツッコミ入れながら、サイトが振り向いた瞬間。
 切り倒された枯れ木魔族の根の辺りから、やはり同じ姿形の魔族が再生した。

「なんだ!? いつか出てきた......女の顔した根っこ魔族みたいなもんか!?」

「そうみたいだな、相棒」

 ......むしろ私は、以前に見たグレイとレッドのような、二体一組の複合魔族を思い浮かべたのだが。
 ともかく。
 私やタバサ、そしてシルフィードとルクシャナも、混乱して走り回る人の波に邪魔されて、いまだ援護の体勢が取れないでいる。
 見た目の同じ二体の魔族は、かざした指を矢と化して、サイトめがけて解き放ち......。

 ヴバッ!

 サイトが剣で叩き斬ったわけではない。
 飛び来た矢の群れは、爆発にも似た音と共に弾かれ、虚しく床に落ちた。

「......コレハ......」

 枯れ木魔族の片方が、生意気にも人間の言葉でつぶやく。視線を送ったその先に、私も目を向ければ......。
 混乱しまくる人々の群れ、その真っただ中に佇むのは、凍った街で出会ったあの......筋肉むき出しでナメクジ目の魔族だった。

「こいつ! 一体いつの間に!?」

 思わず叫ぶ私。
 しかしこいつの気配が今までまったくなかったというのは......。
 私たちに対する敵意がゼロだったからだ。
 いや、むしろ。
 枯れ木魔族のリアクションからすれば、今の攻撃を筋肉図解魔族が止めたようにすら感じられる。
 ......まあ詳しい事情は、終わってから考えればいい。とりあえず今は、目の前の敵を倒すのみ。
 とはいえ、私たちの周りには、いまだパニックで走り回る人々が......。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

「なるほど。その手があったわね。......水よ。尊き命の水よ。安らかなる眠りを与えよ」

 タバサが『スリープ・クラウド』を唱え、ルクシャナも先住魔法で追従する。
 眠りこけてバタバタと倒れる客たち。
 これで私やシルフィードまで寝てしまったらお笑いだが、ちゃんとそこは避けて、魔法をかけているようだ。
 ともかく、これで辺りをやたらとうろつく連中はいなくなった。ようやく援護できそうな空間を確保して、私は口の中で呪文を唱え......。
 だが、杖を振り下ろすより早く。

 ジャッ!

 奥の方にいた枯れ木魔族が、指先を伸ばして天井を突き刺し、振り子の要領で身を振って、もう一体の枯れ木魔族と合流。
 ミギキシッと音を立て融合し、一体に戻ると、迷わずきびすを返し、店の外へと駆け出した。
 それを追うように、続いて筋肉図解魔族が、床にめり込むように姿を消す。

「......ちっ!」

 呻いて表に飛び出すサイト。
 私もタバサも、慌てて彼のあとに続く。

「ちょっと! 深追いは禁物よ!」

 背中にかけられたルクシャナの言葉は無視。
 それもセオリーではあるが、店の外には当然街並があり、人通りがあるのだ。
 何事か、と集まってくる野次馬もいるだろう。そんな中に魔族が飛び込んで行ったら、どれほどの惨事になるか......。
 私とタバサは、二人同時にドアを開け放ち。

 ドガッ!

 二人揃って、まともに顔をぶつけていた。
 立ち止まっていたサイトの背中に。

「何よサイト、なんでそんなところに突っ立って......」

 言いかけて、私は言葉を詰まらせた。
 ......たしかに。
 店内のゴタゴタに気づいてか、店の周りには、結構な数の野次馬がいた。
 ただし。
 彼らの作る輪の中心は、サイトと私とタバサ。好奇の視線は、私たち三人に向けられている。店内で何があったのか、それを知りたがっている視線だ。
 つまり。

「......彼らは魔族の姿を見ていない」

 悟ったタバサが、ポツリとつぶやいた。
 そうだ。
 冷静になって考えてみれば。
 枯れ木魔族が店に入って来た時、外から騒ぎの気配など伝わってこなかった。もしもあんなものが昼の大通りを闊歩していたら、大騒ぎになっていたはずなのに。

「......店のドアのところで、空間を渡ってこっちに出てきて......同じくドアのところで、あっちの世界に戻っていったのね......」

 私の言葉に、タバサが無言で頷いた。
 一方サイトは、そうした事情が理解できていないらしく、野次馬たちに問いかける。

「あの......今......ここから枯れ木みたいな奴、出て来ませんでしたか?」

 ......しーん......。

 野次馬たちの視線が、好奇から憐憫に変化する。
 魔族のことを知らない人たちから見れば、サイトの発言は、頭痛い子のものでしかない。

「お騒がせしましたっ!」

 みんなが一瞬、静かになったその機を逃さず、私は声を張り上げた。

「もう全て終わったわ! ......詳しいことは、あとで店の人にでも聞いてください」

 私の言葉に納得したか、それとも興味を失っただけか。野次馬たちは、バラバラときびすを返し......。

「......!?」

 散ってゆく野次馬の輪の、外の方。
 フワリと桃色の髪が揺れた。
 一瞬だけ振り向いて、私に横顔を見せてから。
 それは人ごみの中へと消える。

「......!」

 無意識のうちに、私は走り出していた。
 人ごみの間を縫って、ダッシュで駆け寄るうちに、角を曲がった路地の奥へと姿は消える。
 私が辿り着き、路地の奥を眺めた時には......。
 人の通りはあるものの、もう目ざす姿はなかった。

「......どうしたんだよ、ルイズ」

 言って私の肩に手をやったのは、追ってきたサイトだった。

「見たのよ。知ってる顔を」

「知り合い? ......どうせ『探すの手伝って』とか言うんだろ、どんな奴だ?」

「十代半ばくらいの、スレンダーな美少女。ちょっと小柄で、髪は見事なピンクブロンド。服装は、典型的な学生メイジ」

「......っつうことは、ルイズとよく似てるんだな。『スレンダーな美少女』とか『ちょっと小柄』とか......ようするにルイズを少し魅力的にした感じか」

「違うわよ」

 私は言った。あっさりと。
 当然お仕置きの意味で、蹴りなど入れつつ。

「私に似てるんじゃないわ。私と......完全に同じ姿だったのよ」


(第二章へつづく)

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第十五部「魔を滅せし虚無達」(第二章)

「......ドッペルゲンガーっつう奴か」

 私の話を聞き終えて。
 珍しくサイトが、解説役に回る。

「俺の世界に、そういう話があってさ......」

 多重存在(ドッペルゲンガー)。
 自分と瓜二つの存在が、チラチラと現れ、姿を消す......という現象、あるいは、その相手のこと。
 これを見た者は遠からず死ぬ、とか、『ドッペルゲンガー』という化け物がいて化けている、とか、あるいは単なる気のせいだ、とか色々言われているが、その正体は不明である......。

「......ま、しょせん都市伝説なんだけどな」

「何よ、それ。......だいたい、その『都市伝説』っていうのは何?」

「そっから説明しないといけないのかよ。都市伝説というのは......」

 などと色々話をしながら。
 私たち五人は今、店を出て、表通りをうろついていた。
 ......あのあと当然、店には役人たちも駆けつけてきたが、街を襲撃した魔族をサイトが倒した、ということでカタがついた。
 ただし店内は無茶苦茶となり、食事の続きはもちろん、落ち着いた話が出来る状況でもないので、私たちはあの店を出たのだった。

「......ドッペルゲンガーの他にも、『世の中には同じ顔の人間が三人いる』という、ことわざもあったな。俺の世界には」

「変なことわざね、それ。......で、意味は?」

「は?」

「ことわざだ、って言うなら、何か裏の意味とか教訓とか含んでるはずでしょ。......で?」

「で、って言われても......ただ『三人いる』っつうだけで......。あれ? じゃあ、ことわざとは違うのかな?」

 元の世界の知識を自慢げに披露し始めたサイトだったが、私が少しツッコミを入れただけで、なんだか、もうグダグダ。
 さらにルクシャナが追い打ちをかけるように、

「だいたい『同じ顔』って、そんなに不思議な話でもなんでもないでしょう? あなたの世界には、外見を変える技術はなかったわけ? ほら、ハルケギニアにはない『カガク』とかいう凄い力があるって、前に言ってたじゃないの」

「えーっと......変装とか整形手術とか......」

「サイトの言ってること、よくわからないけど。とりあえず、私のそっくりさんは......」

 口ごもるサイトを見て、ふたたび私が言葉を挟む。

「......単純に考えれば、『フェイス・チェンジ』の魔法か、あるいは、それを付与されたアクセサリーか何かでしょうね。意図があって私に化けてたのよ、きっと」

「......あるいは魔族」

 ポツリとつぶやくタバサ。
 そう。
 あえて口には出さなかったが、その可能性は、私も頭に浮かべていた。
 たとえばヴィンドボナの事件では、覇王(ダイナスト)グラウシェラーが、アルブレヒト三世そっくりの姿に化けていたのだ。

「まあ何にせよ、考えても仕方ないみたいね。だって目的がわからないもん」

 私の言葉に、タバサもルクシャナも頷いた。
 これで話は一段落と思ったか、ここでシルフィードが、

「じゃあ、どこかのお店にでも入りましょう! おなか減ったのね! きゅい!」

 待て。どこのボケ老人だ、おまえは。さっき食べたばかりだろう!?
 ......と言いたいところだが、考えてみれば、魔族が出てきたせいで、昼食は途中で強制終了だったのだ。
 私は辺りを見回して、手近な店に目をつける。視線だけで意を察したらしく、率先して店へ向かうシルフィード。

「おにく! おにく! きゅいきゅい!」

 嬉しそうに店の中へ入ってゆく彼女に、私たちも続くと......。
 店の女の子の一人が、私を見て、

「あれ? お客さん、もう発たれたんじゃあなかったんですか?」

「......へ......?」

 私は思わず、間の抜けた声を上げていた。

「......私?」

「そうですよぅ。......あ。わかった。ひょっとして、もう道順忘れちゃったんですね? じゃあ細かい地名は省いて、目印になりそうな場所だけ言いますから。......いいですか。街の北から出て、しばらく街道を行くと、トリステイン魔法学院のそばを通るので......」

「ちょ、ちょっと! いったい何の話をしてるのよ!?」

「何の......って......。ですから、タルブの村への道順ですよ。お客さん、さっきいらっしゃった時、お聞きになったじゃあありませんか」

「は?」

 さっき来た? タルブの村への道順?
 この店に入ったのも初めてだし、この給仕の女の子とも初対面である。それにタルブの村なんぞ、誰に聞くまでもなく行けるし......。
 ......まさか!?

「聞いてっ!」

 私はガバッと彼女の手を取って、

「それ、たぶん、私の生き別れの、双子の妹よっ!」

「えぇぇぇえぇっ!?」

 給仕の彼女ばかりか、私の仲間たちまでもが驚愕の声を上げる。

「彼女を捜して幾年月! まさかこんなところで巡り会えるとは! 彼女、私にそっくりだったのね!?」

「え......ええ......。本当に別のかた......なんですか......? 服までそっくりでしたよ」

「どれくらい前のこと? どんなふうだった!? タルブの村への道順を聞いてたのね?」

「入れ違い......とまでは言いませんけど......そんなに時間は経ってませんよ。ちょうど、お昼どきの頃でしたから。どんなふう......と言われても......落ち着いた物腰で......上品に食事をなさって、たしかに『タルブの村へはどう行けばいい』って」

「なるほど......それじゃ早速、彼女を追いかけるわ! ありがとう!」

 給仕の女の子に告げてから、続いてシルフィードにも一言。

「......というわけで予定変更よ。ごめんね、シルフィード」

「残念......でも仕方ないのね。きゅい」

 きびすを返し、店を出る私に、四人も続く。
 とりあえず、南に向かって歩き始めると、

「ルイズ、方向が逆だぞ。街の北から出て、って言われたじゃん。......生き別れの妹とやらを、追いかけるんだろ?」

「んな話信じてどうするのよ、サイト」

「......じゃあ嘘だったの!?」

 タバサまで信じていたとは。
 表情変わらないから、てっきり私の意図を察しているものだと思っていたら......ただ単に、いつもどおりの無表情だったのね。

「とっさの作り話にしちゃ、悪くなかったでしょ」

「きゅい!? じゃあ、なんでわざわざ店を出たの!?」

「ああいう話をされた以上、あそこでのんびり食事、ってわけにもいかないじゃない。......ともかく、これでハッキリしたわね。やっぱり私に化けてる奴がいたんだわ」

「......まあ上手く化けたのは外見だけで、性格まで似せるのは失敗したみたいだけどな。今の人は『落ち着いた物腰で』『上品に食事をして』って言ってたわけだし」

「どういう意味よ、サイト!?」

 とりあえず軽く蹴りを入れる私。
 サイトが痛がっている横で、ルクシャナが訝しげに、

「......それにしても、すごい偶然ね。よりにもよって、この店で、なんて......」

「偶然じゃないと思うわ」

 私の言葉に、タバサが無言で頷いている。どうやら頭を切り替えて、もう事情を理解したらしい。

「......きっと私の偽物は、この辺りの店で片っ端から、タルブの村への道順を聞いて回ってるんだと思う」

 ルクシャナのせいで急いで街を出たからわからなかったが、もしかすると、あの街でも同じような小細工が行われていたのかもしれない。

「となると問題は、誰が何のためにやっているのか......」

「......答は簡単」

 私の問いかけに応じたのは、タバサだった。

「......誘ってる。魔族が。タルブの村まで」

 彼女の言葉に、皆が黙り込む。その静寂をルクシャナが破り、

「確かに......そう考えるのが妥当ね。でもタルブの村に、いったい何があるというの?」

 タルブの村。
 かつて魔鳥ザナッファーによって壊滅したが、なんとか復興。メイドとワインの名産地として知られるほどに栄えたところで、今度はジョゼフ一派の残党のせいで再び壊滅。さらにそのあとも冥王(ヘルマスター)が巣作りするわ『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』が顔出すわ......。
 そして今度もまたまた、魔族が何やら企んでいる様子。
 誰がどう考えても、ハルケギニアで一番不幸な土地である。

「......色々あった街で......負の意識が漂いまくってるから、魔族が何かと利用しやすい、ってことじゃないかしら」

 通りの屋台に目をやりながら、私は言った。
 もしも魔族が、あちこちの街や村で私のフリしてるなら、今後メシ屋には入りづらくなる。屋台で買い食いするしかないかなあ......。

「そうね。まあ......詳しいことは行けばわかるでしょうし」

 ......ん?
 ボーッとしていたので、あやうく聞き逃すところだった。

「ちょっとルクシャナ、今なんて言ったの? なんだか『行けばわかる』とか言ったような......」

「言ったわよ。ようやく具体的な目的地ができたじゃないの。タルブの村っていう」

「なあ、ルイズ。最初の話に戻るが......だから方向が逆だってば」

「サイトまで何を言い出すの!? なんで行くこと決定みたいになってるのよ!?」

「ええっ!?」

 私以上にあからさまに、ルクシャナが驚く。

「まさか行かないつもりだったの!? あなた、それでも悪魔の末裔!?」

「今それは関係ないでしょ! だいたい、どう考えても罠じゃないの! 行かなきゃならない理由があるわけでもないのに、ノコノコ出向くなんて単なる馬鹿よ!?」

「はあ!? 悪魔に馬鹿あつかいされたくないわね!」

 ヒートアップする私とルクシャナ。そこに。

「......さきほどの店の魔族の襲撃」

 タバサの一言が水を差す。
 チラリとサイトの方に視線を走らせながら、

「......二匹目は彼を守ろうとしていた」

 そうだ。
 枯れ木魔族が襲ってきた時。
 あとから現れた筋肉図解魔族は、枯れ木魔族を妨害していた。それも、単純に敵対して攻撃する......というわけではなく、サイトをガードするような素振りを見せていたのだ。

「......魔族の招待を断れば、おそらく次には『強引な招待』が待っている」

 再びサイトに目をやりながら、タバサが続ける。
 ......彼女の言う『強引な招待』とは、おそらく冥王(ヘルマスター)の手口のことだろう。あの事件では、サイトを人質にされて、罠の待つ地へ赴くことになった。
 あんなことは二度とゴメンである。タバサにしても、私にしても。

「そうね」

 私も落ち着いてつぶやいた。
 襲撃してきた魔族。ガードした魔族。私たちをタルブに招待しようとする魔族......。
 なんだかまた、ややこしいことに巻きこまれたらしい。

「行くしかないわね、結局......」

 ため息ひとつついてから。
 大きくクルリと回れ右。
 私は、足を北へと向けるのであった。

########################

 異常な気象は、少しずつ収まりつつあるようだった。
 だがしかし。デーモンたちの活動は、むしろ日に日に激しさを増しているようである。
 かくいう私たちも、道中で何度かデーモンたちに出くわしていたりする。
 ゆく先々で聞いた噂によれば、各国でもこの事態に対応すべく、いよいよ本格的に動き始めたとか。
 いわく。ロマリア連合皇国は、壊滅状態にあった聖堂騎士隊を再編成。ガリア王国では、とっておきの東薔薇騎士団がデーモン征伐を開始。トリステインの王宮では、王女の鶴の一声で平民中心の銃士隊が新設され、魔法衛士隊強化のために、引退した『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』まで呼び戻されたとか。
 いや。あくまでも噂だけど。
 姫さまが平民を重用する、なんて話は、旅の影響が良い方向に出たのかな、とも思える。旅をして世界を知って、貴族と平民の差が小さくなって、同時に、世界にはびこる脅威も知って......。
 まあ、もしも本当に『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』なんぞが動き始めたのなら、放っておいても事件は解決しそうだが......。
 どこまで本当かどこから嘘か。何はともあれ噂は噂。いくら近くまで来たからとはいえ、王都トリスタニアに寄り道して真偽を確かめる、なんてつもりは毛頭ない。
 そう。
 ちょうど今、私たち一行は、トリステイン魔法学院のそばまで来ていた。

「それじゃ......魔法学院に立ち寄って、今晩はここに泊めてもらう、ということで」

 学院の門をくぐりながら言う私に、ルクシャナが目を輝かせ、

「私、蛮人の学校って初めて! 楽しみだわ! たくさんの生徒がいるんでしょう!?」

「ちょっと、ルクシャナ! 学院の生徒たちは、あんたの研究材料じゃないからね! 質問攻めにしちゃ駄目よ!」

「えー。いいじゃない、少しくらい。ケチ」

「仕方ないのね。今はデーモン事件の調査が優先なのね。きゅい」

 不満げな顔をするエルフの世話は、シルフィードに任せて。
 私は、学院の敷地内へと目を向ける。
 さすがに、この中にまでデーモンは襲ってこないのだろう。本塔も他の建物も、特に被害を受けた様子はない。
 おだやかな空気が漂っていた。
 外を出歩く者が少ないのは、今が授業中だからか......。
 などと思いながら、ザッと見渡していた私の視線が、ハタと止まる。
 敷地の片隅を歩く、見知った顔を目にして。
 どうやら向こうも、私たちに気づいたらしく、足を止め......。
 こちらに向かって歩いてくる。

「ルイズくんに......サイトくんだったかな?」

 陽の光を受け、頭のてっぺんがキラリと光る。
 あいもかわらず髪は薄いが、さえない風貌とは裏腹に、彼はメイジとしては相当な実力者であると、私は知っている。
 一応この学院に籍を置く学生メイジの一人として、私は挨拶した。

「......おひさしぶりです。ミスタ・コルベール」

########################

 ミスタ・コルベールの研究室は、本塔と火の塔に挟まれた一画にあった。見るもボロい、掘っ立て小屋である。

「初めは、自分の居室で研究をしておったのだが、なに、研究に騒音と異臭はつきものでな。すぐに隣室の連中から苦情が入った」

 ドアを開けながら説明するミスタ・コルベール。
 私とサイトは、以前に魔法学院がゴタゴタした際、小屋の入り口までは来ていたが、中に入るのは今回が初めて。まして他の三人は、小屋を見るのも初めてだ。

「......うっ......」

 入った途端、思わず鼻をつまむ私たち。埃ともカビともつかぬ、妙な異臭が漂っていたのだ。

「でも......なんだか面白そうなところね」

 小声でつぶやいたのは、蛮人研究家のルクシャナだった。
 彼女につられて、室内を見回せば。
 つぼやら試験管やらビンやらが雑然と並んだ棚があり、その隣は壁一面の本棚。天体儀や地図もあれば、檻に入ったヘビやトカゲもいる。
 ......うむ。これでは、変人あつかいされても仕方がない。ハルケギニアのメイジの、一般的な部屋とは明らかに違う。私の姉ちゃんも魔法研究所(アカデミー)に勤める研究員だが、なんだか姉ちゃんが、まともな人間に思えてきた。同じ学者でも、こうも違うとは......。

「うおっ、すげえ」

「何かしら、これ......?」

 サイトやルクシャナは、興味津々といった顔で、色々と見て回っている。それを微笑ましく眺めるミスタ・コルベールに、ふと私は尋ねた。

「そういえば......アニエスさんの姿が見えませんが......?」

 かつて魔法学院が二派に別れて争っていた時、ミスタ・コルベールのボディ・ガードをしていたアニエス。ただしアニエスにとってコルベールは、二十年前に彼女の村を焼き払った憎っくき男の一人であり、彼女は『いつか私が貴様を殺す、だから私が殺す日まで貴様は生き続けろ』などと言っていた。
 そんな彼女も、抗争が終わった後、コルベールの秘書兼助手という身分を与えられて、正式に魔法学院勤務となったはずだが......。

「ああ。アニエスくんなら、もう学院を辞めたよ。今は......剣の腕を活かして、トリステインの王宮に勤めている」

「えっ!? 彼女が王宮に!?」

 では噂の『銃士隊』とやらの一員になったのであろうか。
 今度はコルベールではなく、姫さまの警護をするアニエス......。
 うん、想像できない光景でもない。
 ......こうして私とミスタ・コルベールが話をしている横で、タバサとシルフィードは、おとなしく座っている。一方サイトとルクシャナは、棚やら檻やらを見て、まだ騒いでいた。

「生き物までいるけど、いったい何に使うのかしら。こっちは......植物?」

「すげえな! 木まで生えてるぜ! 枯れてるけど!」

 サイトの言葉が耳に入って、ミスタ・コルベールが眉をひそめる。

「......木......? 木なんて......」

 枯れ木というのに心当たりがないらしく......。
 ......枯れ木!?

「ミスタ・コルベール! 逃げて!」

「......え?」

 茫然と彼がつぶやいた時には、すでに事態を察したタバサが、レビテーションの呪文を唱えていた。魔法で強引に彼を運び、皆で掘っ建て小屋の戸口へと走る。

 ゴガッ!

 硬いものの砕ける音。
 小屋から飛び出す私の視界の隅で、並んでいた檻が壊れるのが見えた。そして、その中に......。

「な、なんだというのだ!?」

「魔族です! 私たちを狙って、ここに現れたみたい!」

 事態がわからず、うろたえるミスタ・コルベールに、簡単に説明する私。
 それだけで、彼の表情が変わった。変人な学者の顔から、『炎蛇』と呼ばれた凄腕メイジのものへ、と。

「そうか......魔族か......」

 杖を構えるミスタ・コルベール。私たちも杖やら剣やらを手に、開きっぱなしの扉の先を注視する。
 だが......。
 たった今までいたはずの、枯れ木魔族の姿がない。

「空間を渡ったのね......」

 ルクシャナが言ったその時。
 横手に気配が生まれた。
 振り向く先の地面が瞬時に隆起して、枯れ木魔族の姿をなす。
 それが出現すると同時に。

 ザンッ!

 一息で間合いを詰めたサイトが、魔族の体を斬り伏した。
 だが、これで油断するわけにはいかない。
 案の定。

「後ろ!」

 ルクシャナの声に反応し、私が横へと跳んだそのあとを、枯れ木色の矢が飛び裂く。大地に突き立ち、再び枯れ木魔族を再生させる。
 もちろん矢が飛び来た方にも......。
 全く同じ姿の枯れ木魔族が、もう一体。

「ほう。増殖する化け物か......」

「二体で一組かもしれません! 片方が倒れても、もう片方が再生させる、ってパターンで!」

 かつて『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』で見た球体魔族を思い出し、私はミスタ・コルベールに呼びかけた。

「ならば......二体同時に焼き尽くせばよかろう!」

 頷いて、ミスタ・コルベールが杖を振る。その先から飛び出た炎の蛇が、二つに別れて、枯れ木魔族に巻き付いた。
 うむ。シルフィードやルクシャナはもちろん、私やタバサの出る幕もなさそうだ。
 この魔法、以前にキュルケも使っていたが、さすが本家の『炎の蛇』は威力が違う。
 二体の魔族は、あっという間に炭に......。
 ......ならなかった。

「......!?」

 小さく息を呑む私たち。
 いきなりそこに一人の青年が出現し、彼が枯れ木魔族を撫でると、炎は瞬時に消えてしまったのだ。
 見た目の年頃は二十歳前後。くすんだ金髪に平凡な顔立ち、覇気のない瞳。ひょろりと背が高く、おせじにも強そうとは言えない外見。
 だが、こんなこと出来る者が、普通の人間のはずもない。

「ここって花屋さんだよねえ?」

「......どこをどう見たら花屋さんに見えるのよ......!?」

「いけないなあ。花屋さんで木をいじめたりしちゃあ」

 私のツッコミなど、まるで無視。とぼけた口調で、見当違いなセリフを吐きながら、

「それにしても......竜やエルフまでいたのかい? 聞いてないよ、そりゃ......」

 一目でシルフィードとルクシャナの正体を見抜いてみせた。
 まあ、これくらいは当然だろう。人間と変わらぬ姿形を取ることが出来るのは、純魔族の中でも力ある者なのだから......。

「草花は大切にしなくちゃあ、ね。みんなで緑を増やしましょう」

 ふざけた口調でそう言って、かざしたその手に、ひとつの木の実が出現した。

「ほら。こんなふうに」

 放り投げられたそれは、地面に落ちてカチンと硬い音を立てる。
 二つに割れて、はみ出た中身が膨れ上がり......。

 グムムムッ......。

 人の頭ほどの大きさになると、無数の虫の脚のようなものをひり出し、伸ばす。
 それは瞬時に、人の背ほどの高さに変化した。
 まるで、頭のない蜘蛛。脳ミソのように脈動する緑色の胴体から、ねじくれた多すぎる脚が、でたらめに生えている。
 そして、中身が出た後のカラの方も......。
 瞬時に増殖して組み上がり、人型の骨となった。といっても、筋肉図解魔族のように、人間を模しているわけではない。大小いびつな骨が無数にからまりあって、全体的に見れば人間っぽい形になった、というだけである。
 しかも骨と骨との継ぎ目からは緑色の粘液が滲み出て、気持ち悪いことこの上ない。

「今日は化け物の訪問が多い日だね......」

「こいつら二匹も魔族です! 別にさっきの木の実だか何だかの中から出てきたわけではなく、あれを合図に異空間から呼び出されたんです!」

 ミスタ・コルベールのつぶやきに、私が説明の言葉で応じた。

「さすがは『ゼロ』のルイズ。博識だねえ。......紹介しよう。緑色の可愛いのがヴァイダアヅ。でもって緑色の素敵な方がグオン。......おや。どっちも緑色だね」

「......どっちがどっちだっていいわよ。すぐ退場するザコ魔族に変わりはないんだから......」

「ひどいこと言うねえ。どっちもこの僕、ブラドゥにとっては大切なオトモダチなんだからね。見た目だけで相手のことを差別するなら......死んでもらうよ」

 ブラドゥとかが言うと同時に。
 とりまき魔族たちが動いた。

 シュギュゥッ!

 変な鳴き声ひとつ上げ、脳ミソ虫魔族が脚を動かし、前進の構えを見せる。
 私は口の中で呪文を唱え、サイトはこちらに駆け寄り、カバーに入る。

「生徒たちは......やらせん!」

 ミスタ・コルベールが炎を放ち、それにタイミングを合わせて、タバサも氷の矢を撃った。
 だがそれらが、脳ミソ虫に届くより早く。

「草花は大切にしなくちゃあ、って言ったでしょうが?」

 空間を渡ったブラドゥが、横手からエネルギー塊を放ち、火と氷の両方を同時に、空中で迎撃した。

 ヅガゥッ!

 空間を圧して弾ける音と閃光。
 衝撃は近くの壁を砕き、掘っ立て小屋を半壊させる。

「ああっ!? 私の研究室がぁっ!?」

 ミスタ・コルベールの教師づらが崩れて、涙目になっているが......今は彼を見ている場合ではない。
 閃光を突き破り、迫る黒い影!

「無駄よ!」

 ヴィッ!

 ルクシャナの服の下から鎧が展開し、光が放たれた。
 一瞬で塵となった敵は......枯れ木魔族の片方!

「......おとり!?」

 思った瞬間。
 私たちのすぐ間近に、骨の魔族が出現した。

「なんのっ!」

 瞬時に反応し、剣を一閃させるサイト。
 一撃がゴガッと直撃し、骨の魔族の全身がはじけ散る。
 緑色の体液が盛大にほとばしり......。

「やばいっ!」

 私は何の根拠なく、本能的に悟っていた。
 おそらく骨魔族の武器は、この体液なのだ、と。
 よけようのない体液の雨が、私の視界いっぱいに広がり......。
 次の瞬間。

 ザアッ!

 体液の雨は突然軌道を変えて、横手の地面に降りそそいだ。

 じゅぐぐぢゅぶぶぶぶぶぐぢぶぢぶぢぶ......。

 それを浴びた地面が、異様な音と煙を吹き上げた。
 どうやら予想どおりだったようである。
 危険を察したルクシャナがやってくれのだろう。
 私はそう思った。
 が。

「......なにっ......!?」

 あの体液の軌道を変えた閃光、その残像が消えた後。
 驚愕の声を上げたブラドゥの視線は、まったく別の場所を指していた。
 反射的にチラリとそちらに目をやり......。

「......ずげっ!?」

 思わず半歩、身を引く私。
 赤い人影は、かなりの距離を一気に移動し、再び組み上がり復活しかけた骨魔族にしがみついていた。
 硬いものの砕けゆく音に続いて......。

 りゅぎゅりゅぅぅぅっ!

 筋肉と筋肉の間に挟まれた、骨魔族の上げる断末魔。

「グオン!」

 ブラドゥの呼びかけに応えるものは、もういない。
 砕かれ、無数の塵と化し、あっさり滅びる骨魔族。
 やったのは......私のそばにいる筋肉図解魔族。どうやら先ほどの体液攻撃を逸らしたのも、私の仲間ではなく、この筋肉図解魔族のようである。
 ......しかし......何度見ても、見た目のキツさは変わらない奴......。
 一方ブラドゥは、覇気のない表情のまま、瞳だけに憎悪の色をタップリ込め、筋肉図解魔族を見つめて、

「......裏切る気かい......?」

「その言葉......そっくり返す」

 言って睨み合う二体。

「どういうことかね?」

「......わかりません」

 ミスタ・コルベールのつぶやきに、反射的に答える私。

「なるほどねぇ。つまり......どっちを尊重するか、ってことだね」

「そうなるな」

 言葉を交わすブラドゥと筋肉図解魔族に、私は横から声をかける。

「ちょっと! 何がどうなってんの!? 教えなさいよ!」

「人間ごときに教えるいわれはない」

 ミもフタもなく言い捨てる、筋肉図解魔族。その声には、嫌悪の色さえ混じっている。
 ここまでの行動を見るかぎり、当面の敵ではないようだが、この態度からすると、味方でもないらしい。

「......まあ......なんでもいいさ。とにかく、僕はやるつもりだよ。邪魔をするなら、君も消える。それだけのことさ」

 ブラドゥの一方的な宣言と同時に、残りの魔族......脳ミソ虫と枯れ木魔族二匹が前に出た。
 その途端。
 体が震え、膝から力が抜ける。

「......な......!? これは一体......!?」

 たまらず私は膝をつく。
 視線を左右に巡らすと、サイトやミスタ・コルベール、タバサとシルフィードもその場に膝をつき、ルクシャナだけはかろうじて立っているものの、足が小さく震えている。
 何かの攻撃を受けているのは確実だが、その正体がわからない。
 筋肉図解魔族は影響を受けていないらしく、脳ミソ虫めがけて地を駆けた。
 だがその時。

 ゾブッ!

 いきなり大地から生えた茶色い槍が、筋肉図解魔族の体を貫く。
 魔族が悲鳴を上げる間もなく。
 槍は筋肉図解魔族の内部から、瞬時に無数の枝を伸ばした。
 結局、何の事情も話さぬまま......無惨に弾けた筋肉図解魔族は、虚空で白い灰と化し、ゆらめきながら溶け消えた。
 筋肉図解魔族を葬った槍は、伸ばした枝が絡まり合い、枯れ木魔族の姿となる。

「三体目!? 二体じゃなかったの!?」

 私が言ったその時。

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ。

 ルクシャナの鎧が、翼を開くように展開し、低い唸りが辺りに響く。
 同時に、体の変調が嘘のように消えた。

「今だ!」

 すかさず魔法を放つ、ミスタ・コルベール。狙いは、今の正体不明の攻撃を仕掛けたらしい脳ミソ虫魔族。
 炎球は大気を焦がし、伸ばした脳ミソ虫の脚を蒸発させて......。
 突如、虚空に停止した。

「......やれやれ......やっと見つけたと思ったら......」

 男か女か一瞬迷うような、透き通るような美声と共に。
 炎が小さく収束し、彼の手のひらに呑まれて消える。

「またまた早速ゴタゴタやってるとは......さすがは虚無の妖精さんだ」

「......きゅい......!?」

「あん......た......!?」

 シルフィードと私のかすれた声。
 そして。
 彼の名を叫んだのはタバサだった。

「......ジュリオ!」

########################

 そう。
 私たちは、この男のことを知っていた。
 神官服を着た、長身金髪の美少年。ピンと立った長いまつ毛や細長い唇には、男の色気が漂う。左右の瞳の色は異なるが、そうした欠点も、むしろアクセント。錫杖型の杖を手にしているが、メイジではない。それどころか......。
 獣王(グレーター・ビースト)ゼラス=メタリオム直属の獣神官。降魔戦争にて伝説の韻竜たちを、たった一人で壊滅にまで追い込んだ魔族である。
 その実力は、魔王とその腹心を除けば、おそらく魔族の中でも一、二を争う。
 そして......。
 私やサイトやタバサとも、決して因縁浅からぬ相手。

「うかつに動いちゃいけないのね。きゅい」

「......え?」

 ルクシャナはジュリオのことを知らないので、彼女の耳元で、シルフィードが小声で言う。

「......ほう。これはこれは......くっくっくっくっ......」

 ジュリオの出現に、ブラドゥは含み笑いを漏らし、

「どうやらこれで......勝負は決まったようです......ねっ!」

 言って同時に光塊を、私たち目がけて解き放つ。
 が。

 バジュッ。

 ジュリオの杖の一振りに、それは途中で散り消えた。

「......なっ......!?」

「誤解しないでくださいよ、ブラドゥさん」

 ジュリオは無造作に歩み寄り、枯れ木魔族の頭をポンと叩きながら、ブラドゥの方に目をやって、

「僕は中立。君の味方ってわけではない」

 言われて絶句するブラドゥ。
 魔族が沈黙した隙に、私は言葉を投げかける。

「......前に別れた時には『今度出会った時は敵』みたいなこと言ってたわね?」

 ジュリオはこちらに笑顔を向けて、

「でも状況は変わるものだからねえ。それに......残念ながら僕は、可愛い妖精さんたちに味方するつもりもない。あくまでも中立なのさ」

「なるほど......ね......。それで? 今度は何を考えてるの? タルブの村まで行くと......何が起きるわけ?」

「......まあ......それは行ってみてのお楽しみ、ってことで......」

 行ってジュリオは、ブラドゥに視線を戻し、

「ブラドゥさん。こんなことで魔族同士が殺し合うのは、馬鹿げていると思わないかい?」

「こんなこと......だと......!?」

 サラリと言ったジュリオの言葉に、ブラドゥの表情が変わる。怒ったのだ、明らかに。

「おや、また誤解させちゃったかな。......人間の生き死にで、って意味だよ。多少立場は異なるが、君も僕も魔族の仲間。それでなくても僕たち魔族は、最近不景気なんだから......むやみに戦って仲間が減るのは、面白くないだろう? とりあえず今日のところは、僕に免じて退いてくれるとありがたいのだが」

 ブラドゥは、しばし暗いまなざしで、私たちとジュリオを交互に見渡した。
 わかっているのだろう、ブラドゥにも。ジュリオと戦ったところで勝ち目がない、ということくらい。
 結局。
 枯れ木魔族や脳ミソ虫と一緒に、スウッと虚空に消えてゆく。
 ......どうやら終わったようである。とりあえずこの場は、であるが。

「さてさて......と......。おや?」

 ブラドゥが去ったそのあとに。
 ジュリオは辺りを見回すと、すぐ横にあるガレキの山に目をとめた。

「どうやら、ここには建物が一つあったのに、ブラドゥさんとの戦いに巻き込まれて、壊れちゃったみたいだね。......かわいそうに。虚無の妖精さんが、ここに来たりしなければ......」

 意味ありげに微笑みながら、ジュリオは言う。
 ......どうせ人間の世界の建物の一つや二つ、なんとも思っていないくせに。何しろこいつ、作戦とはいえ、ロマリアの街を火の海にしたこともあるのだ。

「なぁに? 私が悪いとでも言いたいわけ? それとも......あんたが修理でもしてくれる、っていうの?」

「おお! せっかく妖精さんたちと再会したんだ。記念に、それくらいのサービスはしてあげようか。......ただし、これ以上は余計な質問はしない、という条件付きで」

 ふむ。
 魔族の企みを詮索して欲しくないから、交換条件を持ち出したわけか。
 ミスタ・コルベールの掘っ立て小屋がどうなろうと、あまり私には関係ないが......。
 チラッと見ると、タバサが小さく頷いていた。
 なるほど、どうせいくら問い詰めたところで、答える気がなければジュリオは絶対に話さない男だ。ならば、ジュリオの大工仕事を見せてもらう方が面白いかも。

「わかったわ。じゃあ、お願い」

「では......」

 言ってジュリオは、クルリと杖をひと回し。
 刹那。
 大地に転がるガレキが宙に浮き、ブロック遊びのように積み重なって......。
 一瞬まぶしくカッと輝いたあとには、元どおりの小屋が完成していた。
 むむむ。ジュリオの大工さん姿を期待した私の立場がないぞ!?

「ありがとう! なんだか知らないが、助かったよ!」

「......嘘......でしょ......」

 ミスタ・コルベールが歓喜の声を上げるその横で、ルクシャナは茫然とつぶやいた。

「檻の中の獣たちまで復活してる......こんなこと......『大いなる意志』でも無理......」

 なんだかブツブツ言い続けている。
 そこで『大いなる意志』を引き合いに出さんでも......と思うが、まあジュリオが今やったことが無茶苦茶だということくらい、誰にだってわかる。
 実際、ミスタ・コルベールも単純に喜んでいるわけではなく、ジュリオを警戒しているような雰囲気だ。
 ようやく立ち直ったルクシャナも、不審の目をジュリオに向けて、

「......いったい彼は何者なの......」

「彼の本名はゼロスなのね。きゅい」

 旅の仲間であるシルフィードが告げた。
 その意味を考えて、しばしルクシャナは沈黙し......。
 小さく、ヒッと息を呑む。

「降魔戦争の......竜を滅せし者(ドラゴンスレイヤー)!?」

 言われてジュリオは、チッチッチッと指を振り、

「猛々しい二つ名は好きじゃないね。僕のことは『ちょっと変わった神官』とか『月目の好青年』とか呼んでくれないかな?」

「もう『ロマリオの神官』ではないのね?」

「ははは......。うん、今は違う」

 この程度の質問なら、答えてくれるらしい。
 ......冥王(ヘルマスター)の部下は廃業、獣王(グレーター・ビースト)のところに戻った、という確認だ。

「ともあれ、ブラドゥさんが去った以上、今日の僕の仕事も終わり。では妖精さんたち、またいずれお会いしましょう!」

 紳士的な貴族のように一礼しながら、彼は虚空を渡って姿を消した。
 あとに残ったのは、なんとも言えない静寂。
 その沈黙を破って、おずおずとルクシャナが口を開く。

「......な......なんだか......イメージしてたのと違うわね。獣神官ゼロスって......」

「だまされちゃダメ。だからこそ怖いのよ」

 私は言った。
 硬い声で。

「甘い口説き文句を聞かせながら、ウットリとした相手の首をかき切るタイプよ。彼は......」

 まったくそのとおり、と言わんばかりに。
 珍しくタバサが、力強く頷いていた。


(第三章へつづく)

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____
第十五部「魔を滅せし虚無達」(第三章)

「......もう行くのかい? オールド・オスマンに挨拶もせずに......?」

 研究室である掘っ立て小屋の、その前で。
 ミスタ・コルベールが、静かな声で問いかける。
 ジュリオが虚空へと姿を消した、そのすぐあとのことである。

「はい。これ以上ここにいたり、へたに本塔まで行ったりしたら、迷惑かけちゃうかもしれませんから」

 気まずい口調でポリポリ頭を掻きつつ、私は言う。
 一度は破壊された小屋に視線を向けると、ミスタ・コルベールも苦笑して、

「そうか......仕方ないかもしれないね。詳しい事情は知らないが、まあ、がんばりたまえ」

「大丈夫です。私たち、これまでも色々と結構ややこしい事件に巻き込まれて、それでも何とかやってこれたんですから」

 私の言葉に......。
 彼は、フッとため息をつき、

「君たちのような、旅をしている学生メイジを見るたびに......複雑な気持ちになるよ。いったい私は、この学院で何を教えているのか......とね」

 ......あ......。
 旅が学生メイジを成長させる......それを知っているからこそ、出てきた言葉。
 しかし学院の教師である以上、本来ならば、学院に留まる生徒をしっかり教育して、そのレベルまで引き上げねばならないのだ。

「また機会があれば、気軽に立ち寄りたまえ。ここは......君の魔法学院でもあるのだから」

 私たちを送り出す、彼の瞳には......。
 深い疲れにも似た色が、わずかに宿っていた。

########################

 あの瞳が、妙に印象に焼きついていた。
 今でこそ、ひとの良さそうな教師であるが......。
 昔のミスタ・コルベールは、村一つを丸ごと焼き払うような、実直な軍人だったという。命令に従順に従って『火』の力を振るったがゆえに、人を殺したり、人から恨まれたりすることも多かったのだ。
 そんな彼が魔法学院で、若いメイジたちを指導する立場にあるというのは......おそらく、贖罪の意味もあるのだろう。
 そうやって彼は、前向きに生きているのだ。
 私は......そう信じたい。

「考えごと?」

 言ってルクシャナが、ヒョイッと横手から顔を覗かせた。

「ん......いや......今晩の宿とか晩ごはんとか、どうしようかな、って思って」

 問われて私は、適当なことを口にした。
 一同は今、魔法学院をあとにして、大きな街道に戻ってきたばかりである。

「......ふぅん......」

 私の言葉に、ルクシャナは気のない相づちを打ち、

「......ま、色々あった人みたいだけど、大人だから大丈夫じゃないかしら? 過去に囚われたりしてないでしょ」

「......何の話してるのよ?」

「そうそう。宿の話だったわね」

 とぼけるように言うルクシャナ。
 ......こいつ......妙なところで変にカンがいいでやんの。ロクに話もしなかったはずなのに。くさっても蛮人研究家なのか......。
 いや。亀の甲より年の功......ってやつかも。エルフだから外見と実年齢は一致しない。見た目以上に年くってるのだ、ルクシャナは。

「まあ確かに、すっかり予定が変わってしまったのは、間違いないわね」

 チラリと後ろを振り返り、すでにほとんど見えなくなった魔法学院に視線を向けて、彼女は言う。
 実際......。
 魔法学院に立ち寄った時点では、あそこに一泊する予定だったのだ。
 魔族の襲撃で巻き添えになったら大変と、早々に立ち去ったのはいいが、このままモタモタ街道を歩いていたら、今晩は野宿ということになる。

「それじゃ、歩くペースを少し上げて......」

「いや。むしろ止まった方がいいぜ」

 私の言葉を遮ったのは、サイトの背中にある剣......デルフリンガー。
 そして、サイトが足を止める。

「......なるほど。デルフは、あいつの気配に気づいたわけか......」

 サイトの見ている方へ、他の者も目を向けて......。

「......!」

 街道沿いにある、大きな木。そこにもたれかかっていたのは、平凡な顔立ちでヒョロリと背が高い、覇気のない目をした青年。

「ブラドゥ!? こいつ! 退いたはずじゃあ!?」

 叫んだ瞬間。
 ガクンと体が震える。力が抜ける。
 さっきと同じ、正体不明の攻撃だ。
 だが。

 ヴヴヴヴヴヴヴンッ!

 ルクシャナの鎧が唸りを上げた。
 あっさり消える体の不調。
 そして。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 誰よりも早く呪文を唱えて杖を振ったのは、『雪風』のタバサだった。
 生まれた氷の矢は、反対側の茂みの方に飛んでゆき......。

 ぎぶぅっ!

 おかしな悲鳴が辺りに響き、茂みの奥から落ちてきたのは、例の脳ミソ虫魔族。
 無数の氷で串刺しにされて、中央の脳ミソ部分は氷結している。
 それでもしばらく脚をジタバタさせていたが、ほどなく動かなくなると、砂のようにカサリと崩れて消え去った。
 これで残るはブラドゥと......おそらくどこかに隠れている枯れ木魔族。

「無駄なことしたわね」

 傲然とブラドゥを見据えて、ルクシャナが言い放つ。

「無数の脚をこすりあわせて発する、人の耳には聞こえぬ音の波による振動派攻撃......あいにくエルフの私なら、それを認識することも可能なのよ」

 なるほど......それが脳ミソ虫魔族の能力。
 そうと気づいたルクシャナは、鎧で音を立て、相手の音を打ち消した、というわけか。
 まあ実際には『エルフだから』聴き取れたわけではなく、それも『鎧』のおかげだったんでしょうけど。

「なぁに。気にしない気にしない」

 しかしブラドゥは、ヘラヘラと気楽に手を振って、

「前の時にも、そうやって防がれてたからねぇ。となれば、ヴァイダアヅは役立たず決定。試しに一応やってみたけど......やっぱりダメだった。ま、どうせ役立たずなら、宣戦布告の代わりに死んでもらっても、痛くも痒くもないさ」

「......大切なオトモダチ......って言ってなかったっけ?」

「そうだねぇ。大切なオトモダチ......だったよ」

 私の横槍に、ふざけた口調でブラドゥは返し、

「オトモダチが倒された悲しみを怒りに変えて敵を討つ......そういう物語って、大好きなんだろ? 君たちは?」

「......というより、この場合『仲間を見殺しにした二流悪役が、ミもフタもなく返り討ち』なんじゃないの?」

「おやおや。君とは見方が違うようだ。でもね、あくまでも主役は僕の方で、君たちは悪役なんだよ」

「情けない主役もいたものね。ジュリオが出てきただけで、すごすご引き下がったくせに」

「ああ。あの場はね。で、今、リターンマッチってわけさ。ちょっとペースは早いけど」

「でもって一瞬で『オトモダチ』が倒されちゃった、ってわけね。......もしもあんたが主役だというなら......その結末はバッド・エンドだわ」

「そうかなあ? 僕はそう思わないから......試してみようか」

 その言葉と同時に。
 
 ガゴォッ!

 地面を下からぶち破り、街道のど真ん中に生えてくる枯れ木魔族。その数、三つ。

「そんなところに木を生やしちゃ、迷惑よ!」

 私が叫ぶのと前後して、後ろで杖を振るタバサ。
 ブラドゥと私が舌戦を繰り広げていた間に、ちゃんとタバサが呪文を唱えていたのだ。
 得意の『氷の矢』が、三体の枯れ木魔族に......向かわない!? タバサが狙っていたのは、ブラドゥの方だ!

 シュタタタッ!

 氷が突き刺さったのは、ブラドゥではなく枯れ木魔族。魔法の軌跡上に、まるでブラドゥをかばうように、四体目と五体目の枯れ木魔族が出現したのだ。
 この二つは氷結して砕け散り、あっというまに退場となったわけだが......。

「それで不意打ちのつもりかな!?」

「......これは確認」

 嘲りの声を上げるブラドゥに、タバサは冷たくボソッと、

「......前回のジュリオの言動でわかった。枯れ木魔族は無視していい。本体はあなた」

「......それって、どういう......」

 言いかけて。
 私にも、タバサの言っている意味が理解できた。
 最初に枯れ木魔族だけが出てきたせいで、ブラドゥとは無縁だと思わされたが......。
 ブラドゥと枯れ木魔族とは、覇王将軍とその魔剣のような関係だったのだ。

「つまり......主人と、その主人によって生み出された端末! 同一にして別個の存在......ってことね!?」

 私の叫びに、タバサが無言で頷く。

「なるほど......枯れ木魔族は主あるかぎり無限に再生し、主を失えば消失するのね」

 ルクシャナも理解したようだ。
 考えてみれば。
 ブラドゥは、骨魔族と脳ミソ虫魔族のことを『大事なオトモダチ』と言っていた。
 枯れ木魔族のことは『オトモダチ』には含まれず、名前も呼ばれていない。
 ほかならぬブラドゥ自身の一部だったからだ。
 そしてジュリオ。
 彼がブラドゥに話しかけた時、わざわざ枯れ木魔族に手をかけていた。
 あれは『トリックの種は知っている』という宣告だったのだ。

「はっ。『ネタがわかったから倒せる』って!?」

 嘲笑の声を上げるブラドゥに向かって、私はエクスプロージョンを唱えて杖を振り下ろす。

「......甘いよ」

 ブラドゥの姿が一瞬、ユラリとゆらめき......。

 ヴゥゥゥゥゥンッ!

 ルクシャナの鎧が音を立て、そのゆらめきを打ち消した。空間を渡って逃げようとしたところを、空間に干渉して妨害したのだろう。
 そして。

 ドゴゴゴゴォォン!

 直撃。
 爆煙の中に見えるのは、焦げ、ねじくれ、からまりあった枯れ木魔族......つまりブラドゥの端末。こうやって、本来は枯れ木魔族を盾として使っていたらしい。
 だが。
 そこにサイトが突っ込んでゆく。

 ザザザザンッ!

 無数の剣閃の後、そのまま後方離脱。
 斬られた『盾』が崩れ落ちる間隙を狙って。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 私とタバサの魔法が、今度こそブラドゥに直撃する。
 絶叫が響き渡り、『盾』もことごとく弾け飛び、中からブラドゥが姿を見せる。
 効いてはいるが......まだ滅びてはいない。
 とどめとばかりにルクシャナが、

「封印解除! 魔力収束! ゼナフ......」

「......ま......待て......!」

 それをブラドゥが、情けない声で遮った。

「タルブに何があるのか、何が起こっているのか......知っているのか!?」

「......!?」

 さすがにルクシャナの動きが止まる。
 これは私も興味があるが......。

「余計なことは言うべきじゃないな」

「きゅい!? ジュリオの声!」

 怯えたようなシルフィードの声で、私たちは周囲を見回す。だが声はすれども姿は見えぬ。

 ドズッ!

 目視できたのは、突然現れた黒い錐がブラドゥを上下に貫く光景のみ。

「これは!?」

 ルクシャナの驚きの声と共に。
 ブラドゥの体は瞬時に白く変色し、灰のように、風に吹かれて消え去る。
 刹那の間を置き、盾の欠片と残った『端末』も、同じ末路をたどった。

「......やっぱりまだ近くにいたのね。ジュリオ」

「さすが虚無の妖精さんだ。あまり驚いていないね」

 声は聞こえるが、あいかわらず姿は現さない。
 さきほどの黒い錐も消えていたが、あれはおそらく、ジュリオの本体の一部か何か。以前にも見たことがある。

「まあね。あんたの『中立』って......『どちらにも手を出さないし、貸さない』じゃなくて、『横から他人事として、面白おかしく見物させてもらう』って意味でしょ」

 前回ジュリオが出てきた時、彼は、魔族が減るのは面白くないから乱入した、と言っていた。そういう任務だから、とは言っていなかったのだ。
 面白いか面白くないかで言えば、せっかくの趣向を台無しにされる方が、もっと面白くないはず。
 おとなしくブラドゥが引っ込むのがベスト、黙って倒れるのがベター。ブラドゥが趣向を台無しにするのはワーストなので、だったら処分してしまえ......というわけだ。

「マーヴェラス! なんとも的確な意見だ!」

 響く声に皮肉の色が混じる。

「ま、二流役者の掃除も、これにて終了。今度こそ僕は、おいとまさせてもらうよ。では可愛らしい妖精さんたち、タルブの村まで良い旅を......」

「......ちょっと!? ジュリオ!」

 慌てて声をかける私。
 しかし、その呼びかけに、もはや声は帰ってこなかった。

########################

 旅路は......まずまず順調だった。
 むろん世間では、デーモンの発生と襲撃事件は続いている。
 私たちも、野良デーモンと偶然いきあって、ぶち倒したことも何度か。
 一度など、やはり偶然に出会った純魔族と戦いになり、私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』でアッサリ倒す、などという事件もあった。
 この程度なら、私たちにしてみれば、たいした話ではない。あれ以来ジュリオも姿を現さないし、私の偽物......おそらく魔族が化けたものも、タルブの村へと向かい始めて以降、出てこなくなった。
 おおむね順調......。
 ただし、今までは、の話。

「なあ、ルイズ。ここって......なんか変な感じだな」

「何言ってんの。当然でしょ」

 呆れた声でサイトに返す私。
 私たちは現在、鬱蒼たる森の中ゆく街道を進んでいた。
 タルブの村を取り巻く......かつて『臭気の森』と呼ばれていた、あの森である。

「......気をつけなさい。蛮人たち」

 私たちのやりとりを聞いていたのか、いないのか。
 つぶやいたルクシャナの顔には、緊張の色が浮かんでいた。
 人間とは異なるエルフの感覚で、この森の異常を感じ取っているのだろう。
 だが。

「......心配しないで。あんたより私たちの方が、ここには詳しいから。ここは......もう存在しないはずの森なのよ」

 そう。
 かつて私たちが関わった事件で、タルブの村ともども『臭気の森』も消滅していた。のちに冥王(ヘルマスター)が復活させたが、彼の死とともに、また一面の荒野に戻った......はずである。

「ああ、そうか。あの森か。......すげえな、もう復興するなんて。さすがファンタジーだよな!」

「相棒......それ本気で言ってるのか?」

 ついにサイト、剣にまでツッコミをくらっている。

「あのねえ......。私たちハルケギニアの者の目から見ても、そんな簡単に森が急成長したら怪しいわよ」

「え? そうなのか?」

「そ。つまり......ここはすでに、魔族が用意した舞台の上、ってこと」

「......誰かいるわよ」

 ルクシャナが注意を呼びかけたのは、私とサイトが、そんな会話をしている時だった。
 言われて目をこらせば......。
 木陰の向こう、道の先に佇む二つの人影。

「......?」

 気がつくと。
 私たちは、その場に足を止めていた。
 行く手の二人は、ただジッとこちらを見ている。
 待っていたのだ。間違いなく。私たちを。
 双方の距離はさほどない。
 二人とも、私やサイトと同じくらいの年頃の女性である。
 片や、白い巫女服に身を包んだ少女。頭はフードにすっぽりと隠れており、そこからのぞく顔には、怯えたような表情を浮かべているが......。
 もう一人も、外見は聖職者だ。手には聖具を握りしめ、着ているものは、藍と白の聖衣。やはりフードをかぶっているが、長い銀髪がこぼれている。

「お待ちしておりました。あ、あの......『ゼロ』のルイズさまと、その使い魔サイトさまでお間違えないですよね?」

 白い巫女服の少女が、震える声で言った。
 表情といい口調といい、こちらを怖がっている態度だが......そんなはずはない。演技であること、バレバレである。
 まあ、いい。少しつき合ってみるのも、面白いかも。

「そうだけど。どうして私たちを知ってるのかしら?」

「あなたがたは有名人ですから......」

「......有名人......ねえ......」

 苦笑する私。
 目の前の二人は、魔族に招かれた私たちを待っていたのだ。見た目も気配も人間であるが、その正体は、どう考えても魔族。
 今さら魔族から『有名人』と言われるとは思わなかった。

「失礼ですが、あのその、あなたがたがトリステインに入国してから、常に監視させていただいてました。申し訳ありません」

「白々しいこと言ってくれるわね。監視どころか......こっちに私たちが来るよう、小細工してたんでしょ?」

 私の言葉に、少女は否定することなく、コクリと頷いた。

「わかっていただけているのでしたら、助かります。実はその、あなたがたの協力が欲しくて、私は主人に遣わされたのです」

「あなたの主人とは?」

 すると彼女は恭しく一礼して、

「わが主は、あなたがたをお待ちでございます」

「ちょっと、無視しないでよ! こっちは『主人って誰』って尋ねてるんだけど?」

 しかし少女は頭を下げたまま、答えようとしない。代わりに、もう一人が、

「もういいでしょう、ミケラさん。私たちは、とにかく二人だけを『招待』すればいいんだから」

「え......でもジョゼットさん、他の者には手荒なまねはしないように、って......」

 顔を上げて、同僚に返す少女。
 この二人、ミケラとジョゼットいう名前らしいが、それだって魔族としての本名ではなく、人間界で活動する際の偽名かもしれない。
 だが、そんなことより。

「......なんだか今、私たちは員数外、って言われた気がするんですけど......」

 不満げな声で言って、ズイッと前に出たのはルクシャナ。
 これにジョゼットが小さく頷く。

「そう。この先に招待されているのは二人だけ。エルフと韻竜とシャルロット姫には、ここで待っていただくわ」

 ほう。
 ルクシャナとシルフィードの正体を見抜くだけでなく、タバサの本名も知っているとは。
 このジョゼットという奴、なかなか事情通のようである。
 だが私は、感心した素振りを見せることなく、むしろ小さく鼻で笑って、

「......あのねえ......『ここで戦力を分散してください』って言われて『はいそうですか』って、おとなしく従うと思う? 私たちに何のメリットもないじゃない」

「メリットならありますわ。おとなしく待っていただけるなら、エルフと韻竜とシャルロット姫には、危害は加えませんから」

「......なら、なおのこと聞けない」

「きゅい! それじゃ『二人には危害を加える』って言ってるようなものなのね!」

 タバサとシルフィードも、ルクシャナに続いて前に出た。まるで私とサイトをかばうかのように。
 しかし。

「申し訳ありません。それが、わが主の御意志ですから」

 再びミケラが頭を下げると同時に。
 目の前に立つ、ルクシャナとタバサとシルフィードの背が遠ざかる。
 いや、三人だけではない。その先にいる二人の魔族も、辺りの景色も。

「なんだっ!?」

 私の隣で、驚きの声を漏らすサイト。
 私とサイト、二人の距離は変わらない。
 むろん私とサイトが、二人揃って後ろ向きに駆け出したわけでもない。

「......空間干渉!?」

 見えるその背は小さくなりつつあるのに、ルクシャナの声は、なぜか変わらぬ距離から聞こえていた。
 そう、これは空間干渉だ。かつて私は、トリスタニアの王宮で、似たような現象に遭遇したことがある。

「無駄よ、サイト。やめなさい」

「なんだよ、これ!? まるで悪夢じゃん!」

 私の言葉に、サイトが叫ぶ。必死に走りながら。
 ルクシャナたちと合流しようと、彼は駆け続けているのだが......。
 その位置は、足を止めたままの私の隣から動かない。

「させないわ!」

 遠くに見えるルクシャナの鎧が展開し、白い六枚の翼を広げた。

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!

 虫の羽音にも似た、低い唸りが辺りに響く。
 景色の離れてゆく速さが減じて......。
 それだけだった。
 たしかに離れる速度は、多少、遅くなった。
 しかし、事態が好転したわけではない。

「......え......なんで......!?」

 ルクシャナの、驚愕に満ちた呻き声。
 魔族の空間干渉に、鎧で干渉して相殺したつもりだったのだ。
 彼女自身の能力はともかく、その鎧は、『精神力を物理応用できる素材』で作られた『精神世界面への干渉力をある程度自由にコントロール』できるというシロモノ。ルクシャナとしては、自信もあったのだろうが......。

 ぷつりっ。

 唐突に。
 すべての音が消え去った。
 空が開け、森の緑が遠ざかる。
 足もとには、むき出しの地面が急速に広がり......。
 刹那の後。
 私とサイトは、何もない荒野の真ん中にいた。

「なん......だ......!? こりゃ!?」

 戸惑いの声を上げるサイト。
 辺りには、森や街は当然として、山並みも何も見えはしない。
 砂漠というわけでもなく、ただ真っ平らなだけの地面。雑草の一本も生えておらず、生きるものの気配は皆無である。
 透けるような青空にも、一片の雲すら浮かんでいない。
 そして。
 何とも言えない違和感をさらに濃縮したような、そんな雰囲気に満ちていた。

「いくらハルケギニアがファンタジーとはいえ、これは変すぎるだろ」

「相棒の言うとおりだな。さすがのデルフリンガーさまも、こんな場所は初めて来たぜ」

「バカ言ってんじゃないわ、あんたたち。異空間でしょ、ここは」

「まあそう言っちまえばそうなんだが......」

「異空間!?」

 納得するデルフリンガーとは対照的に、サイトは驚愕の声で辺りを見回し、

「......って、どこだ!?」

「......いや......だから......」

「......タルブの村だ。まぎれもなく」

 答えは、横手から返ってきた。

「......!」

 同時に振り向く私とサイト。
 たった今まで何の気配もなかったそこに、赤い影があった。
 色こそ違うが、まるで死神を想わせるような、マントとフード。
 顔には、のっぺりとした白い仮面。
 口も鼻もないその仮面の目に相当する部分には......紅く輝く二つの宝玉。

「ただし。タルブと同じ場所にあるとはいえ、いわば、重ねた薄紙の一枚を隔てたごとき別の世界。このためだけに、我が生み出したかりそめの世界」

 額に汗が滲むのが、自分でもわかった。
 あんたまさか......と問おうとした言葉は、喉の奥で凍りつく。
 相手からは、何の気配も感じないが、気配を殺しているわけではない。周囲の異質な空気に、ごく自然に溶け込んでしまっているのだ。

「ここは......魔力の満ちる世界。魔とは、本来その世界には在らざる力。ここは本来の世界とは、薄紙一枚の差があるゆえ、その分、他の様々な世界との境界が希薄。大気に魔力が満ちるのも、そのためである」

 ......なるほど......つまり、さっきから感じている違和感は、魔力の濃さ、ということか。

「この世界でならば......。娘よ。おぬしの虚無の刃も、刹那で消えはしないだろう。その呪も、詠唱の必要なく、意志と精神力のみにて発動するだろう」

 赤い死神は、ここでサイトに顔を向けて、

「男よ。汝の持つ剣......『闇を撒くもの(ダーク・スター)』のしもべの魂を宿す剣も、もとの世界と近づいた分、その切れ味を増している。我を傷つけることもできよう。......すなわち、汝らには、我を滅ぼす力が与えられている」

「......何が......やりたいんだ!?」

「儀式なのだよ! これは!」

 問うサイトに、赤い影は、両手を大きく広げて、朗々と宣言する。
 マントの下には、深紅のローブ。

「我は言った! かつて汝らに滅ぼされし時に!」

 ......やはり!
 ギリッと小さく鳴ったのは、無意識のうちに、私自身が奥歯を噛み締める音。

「もはや二度とは遭えまい、と! だが時代は再びの邂逅を用意した! ならば......我は汝らを倒さねばならん! 世界を無と帰すその第一歩として!」

「......なるほど......」

 今度は、なんとか声が出た。

「......結構つまんない意地を張るのね。魔族の王にしては」

「我を倒す力を持った汝ら......それを倒さねば、世界を滅ぼす王たる資格はない。ゆえに誘ったのだ。この地、この場所へ。冥王(ヘルマスター)の残した邪気と、金色の母の残した世界の揺らぎ......それらを利用して組み上げた、この世界へ」

 ユラリと。
 赤い姿が一歩、前に出る。
 あわせて一歩、思わず退がる私とサイト。

「......あんまり......こういうことにつき合いたくはないわね......。こっちに何かの得があるわけでもないし......」

「いや......つき合ってもらうぞ」

 それはマントの下から右手を抜き出す。
 赤いローブの袖から覗く黒い手には、棍のようなものが握られていた。

「そちらにも利点はある。この世界は我が生み出し、我が支えるもの。もしも汝らが勝ったなら、この世界は崩れ、汝らは元の世界へと帰還できる。それだけではなく、何か褒美をやってもよい。もしも、この我に......『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに勝てたならば......な......」

########################

 ......これでもう二度とは会えぬ......。
 魔王がそう言ったのを知っているのは、私とサイトの他には、あと三人。
 一人はキュルケ。海沿いの小さな村で別れたきり、今どこにいるのか消息不明。
 一人はタバサ。魔王の『招待』からは外され、あの森に置いてけぼり。
 そして残る一人は......いわずと知れた『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ自身である。
 ......ならばやはり......今、私たちの目の前にいるのは......。

「......どうでもいいけど......私とサイトだけでいいの? キュルケやタバサも呼べばよかったのに」

 軽口は、なんとか言葉になった。
 なぜか魔王は、一瞬、言葉に詰まったような素振りを見せてから、

「余計な者は要らぬ。以前の戦いでも、あの二人は、たいしたことはしておらんだろう?」

 言って、さらに一歩、前へと歩みを進める。
 それが......。
 戦いの火蓋を切った。
 プレッシャーに耐えきれず、私とサイト、二人が同時に左右に跳ぶ。

「エクスプロージョン!」

 叫んで私は、杖を振った。
 呪文詠唱はしていない。ただ気合いをこめる意味で、魔法の名前を叫んだだけである。
 それでも......発動した! 
 これで魔王の言ったことを確認できたが、肝心の魔法は......。

「ふっ」

 小さな呼気と共に、魔王が棍の片端にある宝玉を振りかざし、その宝玉が薄く輝くと同時に。
 エクスプロージョンの光球が霞のごとく散り、消えてしまった。

「何それ!? これじゃ......私の魔法、通じないじゃないの!」

 だが魔王の動作に合わせて。
 音もなく。
 剣を抜き放ったサイトが、赤い影へと肉薄していた。
 速い! さすがガンダールヴ!

 ギゥンッ!

 魔をも切り裂く剣閃は、しかし赤い影へと届かぬままに、魔王が手にした棍によって受け、弾かれる。

「......あの棍は......」

 聞いたことがある。
 魔王の武器、餓骨杖。
 その名前のみを伝説に残す、魔の杖。
 同じ『伝説』とはいえ、虚無やらガンダールヴやら韻竜やらとは比べものにならない、これこそが本当の伝説。
 おそらく実際には、この餓骨杖も、覇王将軍の魔剣と同様、魔王自身の一部なのだろう。

「......くっ!」

 私が見守る中、サイトは弾かれた剣の流れを利用して、太刀筋を変え、即座に次の斬撃をくり出していた。
 一方で魔王は、剣を弾いた勢いを殺さぬまま、餓骨杖をサイトへと打ちつける。
 見た目は棍状の杖だが、魔王の武器であり、魔王の一部であるというなら。
 そんなもので叩かれたら......。

「サイト!」

 思わず叫ぶ私。
 彼も本能的に、敵の武器の危険性は察知したのだろう。斬撃の軌道をさらに変化させ、杖の動きを受け流し、後ろに跳んで間合いを取った。
 一瞬の攻防。
 双方ともに......ケタ外れに速い。
 私もガンダールヴの御主人様であればこそ、距離を置いて見ればなんとか太刀筋がわかるのだが、しょせんそのレベル。もしも私が魔王と剣を交えたならば、おそらく数合もたずに倒されるだろう。

「......ふんっ!」

 退いたサイトを追うように、そのぶん魔王が前に出て、サイトに向かって大振りの一撃。
 むろんこんなもの、サイトは後ろに跳んで軽々と......。
 かわした、と思った刹那。

 ブゴゥッ!

 杖の一振りが生んだ魔力の風が、サイトを襲う。

「ぐっ!?」

 さらに後ろに吹っ飛ぶサイト。それを追って魔王が走る。
 おそらく着地の、バランスを崩した瞬間を見計らい、一撃を仕掛けるつもりなのだろうが......。

「......何を......」

 向かい来る魔王に対して、サイトが声を上げる。

「何をやってる!? お前はっ!?」

 瞬間。
 なぜかその一喝に、魔王が動揺する。
 サイトは体勢を立て直し......。

 ザンッ!

 魔王がわずかに身を引いて、サイトの剣が虚空に銀色の残像を刻んだ。
 入った......が、浅い。
 魔王は左手で面を押さえ、そのままサイトは動かない。

「......こんなところで何をやってる......って聞いてるんだよ......」

「......」

 なんだ!?
 サイトの声には、怒りすら滲ませているような......。
 魔王は微動だにせず、答えない。
 サイトは言葉を続ける。

「......太刀筋が前と同じじゃん。あれじゃ剣を交わしだけで、すぐわかるぞ......」

 魔王はフウッと大きくため息をつき、肩を落とした。
 なんだか疲れたような声で......。

「そうか......わかってしまうのか。さすがはサイトだな」

「......っ......!?」

 私は小さく息を呑む。
 声は......魔王のものではなかった。
 彼は、顔を押さえていた左手を話す。

 ......カラン......。

 二つに断たれた白い仮面が、大地に落ちる。

 バサリッ。

 風をはらんで、赤い布がはためく。
 脱ぎ捨てられたマントとフードは、大地に落ちるその前に、虚空に輪郭を滲ませ、消える。

「......やはり......このほうが僕らしい......」

 つぶやいた途端、姿が変わった。
 そこにいたのは......。
 黒いマントに、グレーのスラックス。フリルのついた白いシャツは、そのポケットに薔薇が挿してある。ちょっとセンスの良くない、金色の巻き髪をしたキザなメイジ......。

「......ギー......シュ......?」

 私は。
 かすれた声で、その名を呼んでいた。


(第四章へつづく)

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第十五部「魔を滅せし虚無達」(第四章)

「......何なのよ......」

 私は、かすれた声を絞り出す。

「......何なの......? これ......? 一体......?」

「......まあ、単純に言ってしまえば......」

 彼は言う。
 軽い浮気がバレた少年のように。どこか気まずげに。

「僕の中に、もう一人別の僕がいた、ということだよ。僕自身も気づいてなかったんだがね。......ほら、君たちならばわかるだろう。ジョゼフ=シャブラニグドゥが半覚醒した時、その場に居合わせたのだから」

「......」

 私たちは、あの時のことを、それほど詳しくギーシュたちに話したりしなかったはず。
 ならば......これは......魔王の欠片と意識を共有した者の知識......。

「あの時と違うのは、僕が......自分で望んで受け入れた、ということだ。今、僕の自我と......」

「我が自我は......」

「完全に一つになっている」

 一つの口から、二つの声が交互に滑り出た。
 ギーシュの声と......魔王の声と。

「......冗談......でしょ......?」

 風に流れるつぶやきは、意識せぬまま、私自身が漏らしたもの。

「......だって......魔王の魂は......ブリミルの子孫の中にしか......」

「ブリミル? ......ああ、そうだね。こうして魔王として覚醒したということは、どうやら僕にも、王家の血が混じっていた......ということだ。驚いたよ。比較的近い祖先の中に、なんと王族と浮気したものがいたらしい。ははは......」

 あっけらかんと言うギーシュ。
 この時ふと、かつて私自身がギーシュに対して放ったセリフが、頭に浮かんだ。

『ようするに......ギーシュの浮気性は、先祖伝来のもの、ってことね』

 あれは......貴族の私生児が送り込まれる、秘密の修道院に関して話していた時の言葉だ。ギーシュは「僕の御先祖様の中には、そこを利用した者もいるらしくてね」と言っていたのだ。
 それはつまり。
 ギーシュのような軽い浮気とは違って、子供まで出来てしまうような、ハッキリとした浮気が過去にあったということ。他家の血が、ギーシュの家に混入していた証拠。
 もちろん外に放逐されてしまえば『他家の血』もそれっきりだが、中には、そのまま――浮気があったと気づかれぬまま――外に出されず、ギーシュの家の子供として育てられた者もいて......。しかもその他家が......王家だった......。

「......じゃあ......何? あんたと私は......遠い親戚だったわけ......?」

「そのようだね」

 ギーシュは、おどけた調子で肩をすくめてから、

「......といっても、別に僕は虚無のメイジではない。僕の中に眠っていた魔王の魂など、きっと小さなものだったんだろう。それが解放されてしまったのは......」

 そうだ。
 かつてシャブラニグドゥとして覚醒したジョゼフは、虚無のメイジだった。
 また、やはり虚無のメイジであるヴィットーリオに関して、ジュリオは「だから我が主人も、本来は『冥王(ヘルマスター)』ではなく『赤眼の魔王(ルビーアイ)』として覚醒なさるはずだったのに」と言っていた。
 つまり......魔族だって、普通は虚無のメイジが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』になる、と認識していたのだ。
 それなのに......虚無でもなんでもないギーシュが魔王に......。
 これこそが、ヴィットーリオというイレギュラーを補完する意味での、逆の意味でのイレギュラーなのか......。

「......憎悪だ。憎悪がきっかけとなり......僕は気づいてしまったのだ。僕の中に、別の魂が眠ることに。それで僕は......望んで、それと一つとなった。そういうことなのさ」

「......なんで......?」

 私の口から漏れるのは、間の抜けた問いかけ。
 ギーシュは軽く首を横に振り、

「今の僕は、特定の個人を恨んでいるわけではないよ。人間というものを......世界そのものを恨んでいるのさ」

「ギーシュ」

 サイトが静かに語りかける。
 私より、よほどしっかりした口調で。

「あの事件......そもそもの原因を作ったのは魔族だったんだぞ。知ってるのか?」

「......ああ......後で知ったよ......。今にして思えば、あのシーコとかいう少女も、魔族と合成されたせいで、おかしくなってしまったのだろう。......しかし......いや、だからこそ......かな? 僕は世界を恨む。人と魔族の合成、なんてことを思いついた人間も。おかしな小細工して、変な因縁を作り上げた、覇王(ダイナスト)たち魔族も、だ」

「......小細工......?」

 つぶやく私に、ギーシュは頷き、

「......ああ。グラウシェラーは『単なる食事』と言って誤摩化していたが......あの一連の事件は、千年前にフィブリゾがやったことの真似だったのだよ。......戦いという刺激の中で、誰かのうちに眠る魔王を覚醒させるという......計画と呼ぶのも馬鹿らしい、お粗末な賭け。美しくない話だね、まったく」

 そういうことか。
 すべてが......ようやくわかったような気がした。
 覇王将軍シェーラが、人を蝕む魔剣を作り、あちこちにばらまいていた理由。そして最期の瞬間の、笑みの理由。
 あれは......。
 覇王将軍の魔剣では蝕むことのできぬ魂......すなわち魔王の魂を持つ者を探し出すため。そして、ついに見つけたという、会心の笑み。
 何らかの方法で、死の間際、彼女は主である覇王(ダイナスト)に伝えたのだろう。
 ギーシュのことを。
 だから覇王(ダイナスト)グラウシェラーは、ヴィンドボナで騒ぎを起こしたのだ。
 いったんは街を去った、私たちを呼び戻すために。
 ......考えてみれば。
 あの時の覇王(ダイナスト)は、ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』に過剰反応していた。知っていたからだ、ギーシュこそが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に成り得る存在だ、と。
 それに、いくら魔族が人間相手に本気を出せないとはいえ、どうも弱すぎた。単に遊ばれているだけかと思っていたが、そうではなかった。
 ギーシュの中の魔王の魂を覚醒させることが目的である以上、決して殺してはいけない、という制限があったのだ。
 しかし魔族たちにとって『紙一重で手加減をして戦う』などという器用な真似は困難であり......結果、あの戦いは私たちの勝利となった。
 ......ギーシュの中の、魔王の魂は目覚めず......。
 だが。
 それとは全く別のところで起こった事件が。
 彼の最愛の人の死が......憎悪が。
 ついに『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの魂を覚醒させた......。
 ここまで来れば......もう私とて、はかない希望にすがることは出来ない。
 そう。
 やはり......モンモランシーは死んだのだ......。

「人も恨んだ。魔族も恨んだ。そんな両方を存在させている、世界そのものを恨んだ。もし......僕が『聖地』まで行き、そこにいるもう一人の『自分』を解放させれば、この世界を微塵に砕くことも簡単だろうね」

 もう一人......。
 千年前の降魔戦争の際、水竜王こと『海母』によって『聖地』に封じられた、もう一人のシャブラニグドゥ......。
 すなわち『東の魔王』と呼ばれる存在。
 幾つかに分かたれた魔王の、そのうち二つが覚醒したならば、たしかに、この世界もおしまいだ。

「魔族は滅びを望むもの。世界を滅ぼしたその後、自分たちをも滅ぼして、やがてすべては混沌へと帰る......それが僕にとっての、世界への復讐だね」

「ちょっと待てよ、ギーシュ。でも......その世界があったからこそ......このハルケギニアがあったからこそ、お前とモンモランシーは出会えた。違うか?」

 この世界の外から来た人間であるサイトが、ギーシュに問いかける。
 このハルケギニアという世界で、私と出会ったサイトが。

「......ああ......そうだよ......サイトの言うことも正しい......。それでね......僕一人では決められないのだよ」

 ギーシュは、よその女性に目移りする少年のような顔で、

「正直言って、君たちのことは気に入っている。ほかにも......かつて魔法学院にいたころ、親友と呼べる存在もいたな。......だがそれ以上に、どうしようもない奴も多いと思う、この世界には。僕が世界を憎んでいる、これは間違いない事実でね。......それでね、自分では決められないからこそ君たちを呼んだのだよ。世界を滅ぼすべきなのか、魔王である僕だけが滅ぶべきなのか。君たちに決めてもらおうと思って」

「......あんた......いつまでもギーシュなのね......」

 かすれた声で軽口を言う私。
 魔王に覚醒しても、ギーシュはギーシュ。二つの気持ちの間でフラフラさまよう様子は、まるで二人の女性から一人を選べないのと同じ。ただし今度のこればっかりは、二股かけるわけにはいかず、どちらかに決めねばならない......。

「でも、冗談じゃないわ。そんなことに......つき合え、だなんて......」

「......悪かったよ......本当に......」

「悪かったよ、じゃないわよ! じゃあ何!? 変な魔族とかジュリオとか送りつけてきたのも、私の偽物ちらつかせたのも、みんなあんたがやらせたことなの!?」

「いや、僕自身が出向くわけにはいかないからね。別の奴に案内を頼んだんだ。ほら、『入り口』で君たちを出迎えた二人。あの二人に、方法は任せるから、ってね。でも......どうやら『聖地』で封印されている奴が、僕と君たちが会うのを嫌がったらしくてね。まあ砂漠の下に埋められているせいで、ロクに意思の疎通も出来ないわけだが」

 ......もう一人の魔王の意志......。
 魔族が本来の役割を果たすためには、私やサイトを、新たに復活した魔王に会わせるわけにはいかない。かつてジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した私とサイトなら、ここでギーシュ=シャブラニグドゥを倒してしまうかもしれないし、そうなったら魔族たちの目的――世界の破滅――は少し遠のく。
 そんなところだろう。

「それで下の方が混乱したようだね。結果、東の意志を尊重して、君たちをどうにかしよう、という連中と、僕の命令で、君たちをここまで無事に届けよう、という連中が出てきてしまった。......なんとか無事についたようで、なによりだ」

「......何が無事よ......」

 つぶやいて。
 私はあることに気づく。

「ちょっと待って。無事っていえば......あの森に残された三人は大丈夫なの?」

「森に残された三人......? ああ、それなら心配ない。東の奴は、さっき言ったような状態だし、元々あの三人のことは眼中にない。僕の方からは『三人には手を出さず、君たちをこちらへ放り込んだ後は、こちらへの入り口を閉じて消えろ』と二人に命じてある。たぶん今頃、三人とも森でウロウロしているだろうな」

「......ならいいけど......でもタバサだって、ジョゼフ=シャブラニグドゥとの対決には関わったわけでしょ? さっきは『たいしたことしてないから必要ない』とか言ってたけど......」

「正直に言えば......」

 ギーシュが、ゆっくりと首を振る。

「戦力云々じゃなくて、僕の気持ちの問題だね。君たち二人とこそ戦いたい、という......。そもそも、魔王を倒すのに十分な戦力、という意味では、タバサやキュルケではなく、君たち以外の虚無も必要になってくるわけだが......そんな連中まで呼ぶ気はなかった」

「......え?」

「おや? さすがのルイズでも知らないのか。よろしい、僕が教えてあげよう。虚無の起源を」

 真剣な目で、ギーシュが披露する。
 魔王に覚醒したことで得た、誰も知らない知識を。

「......かつて始祖ブリミルは、人の身でありながら魔王を倒すため、使い魔リーヴスラシルに『虚無』を降臨させた......それこそが虚無魔法の起源なのだよ。だから究極の虚無魔法とは、全ての命の源であるその『虚無』を、再びハルケギニアに呼び出すこと。その虚無魔法を......『生命』という」

 全ての命の源......。
 ここで言う『全ての命』とは、おそらく、生きとし生けるものだけではない。
 その正反対の属性を持つ精神生命体......魔族をも含めたもの。
 そして、その両者の源となる『虚無』とは......『混沌の海』すなわち『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』。

「ただし虚無魔法『生命』のためには......本当の意味で『虚無』の力を引き出すためには、『四の四』を揃えることが必要となる。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のどこかに、ちゃんと書いてあるはずだよ。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手......四つの四が集いし時、我の虚無は目覚めん』......と」

「......!」

 ようやく。
 私は知った。
 かつて『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』から聞きそびれた話を。
 かつてジョゼフ=シャブラニグドゥが「『四の四』も揃えずにそれを使えるのか!?」と驚愕していた理由を。

「でも僕が戦いたいのは、会ったこともない虚無のメイジたちではない。その虚無のメイジの一人であるルイズと、その使い魔サイト。......君たち二人だけだ」

「じゃあ聞くけどよ......」

 横から。
 名前を挙げられたサイトが、口を開く。

「デーモンの大量発生とか、各地で起きてる異常気象......あれは何なんだ? あれもギーシュがやらせてんの?」

 どこが『じゃあ』だ!? たぶんサイトのことだから、この『虚無』云々の話は理解していないのだろう。

「何を言ってるんだ、サイト。あんなこと、僕がやらせるわけないだろう」

 ギーシュは、ヒョイッと肩をすくめ、

「下級デーモンは......僕が『目覚めた』影響で、みんな力がついて、はしゃいでいるようだね。それだけのことさ。......異常気象の方は、この世界をこんな場所に作ったせいかな? そこまで気にしていなかったのだが。うん、それもこの場所がなくなれば、終わりになるはずだ」

「......そうか......」

 サイトの声が響き......。
 言葉が途切れる。

「......では......」

 しばし生まれたその沈黙を、ギーシュが破った。

「そろそろ始めないか......?」

「......っ」

 言われて......私は小さく息を呑む。
 そう。わかっていたのだ。いつかギーシュが、そう言い出すことは。
 彼は、そのために私たちをここに呼んだのだから。
 これは......ギーシュが世界と決別するための儀式。
 私たちと戦って......。
 その私たちを自らの手で葬ることによって。あるいは逆に、自らが私たちの手にかかることによって。
 いずれにせよ......彼は、世界と袂を分かつ。

「......ギーシュ......」

「......もう......決めたことだからね......」

 彼は言う。
 どこか寂しげに。それでいて、どこか優雅に。

「......冗談じゃないわ! 勝手にそんなこと決めて! 魔王の魂なんかに影響されずに......いい加減、目を覚ましなさいよ!」

「違うな、ルイズ。魔王に意識を乗っ取られたわけではなく、これは僕自身の意志だよ。......だいたい、魔王の意志が影響してるなら、そもそも君たちをここに呼ぶはずがない。わざわざ君に『四の四』について教えるはずもない。さっさと東のを復活させて、世界ごと壊しているだろう。......つまり、やっぱりこれは、僕の意志なのだ......」

「......でも......」

「......わかった、つきあってやるよ」

「サイト!?」

 静かに言った彼の言葉に、私は思わず声を上げた。

「このバカ犬! あんた状況わかってんの!?」

「わかってるさ」

 サイトは言う。
 まっすぐにギーシュを見つめながら。

「魔王の意地、っつうなら、俺もつき合う気はないが......ギーシュが決めたことなんだろ? だったらいいじゃないか。......ハルケギニアに生まれ、貴族として生きてきたギーシュが、こうやって決着をつけようって言うんだ。なら俺もつき合うぜ」

「......何わかったようなこと言ってんのよ......」

 サイトは、私に優しい目を向けて、

「いや......俺にはわかんねえよ。貴族じゃないし、ハルケギニアの生まれですらないから。でもさ、それでも......そういう奴の考え方も受け入れてみよう、って思うのさ」

 前にギーシュと対峙した時には。
 サイトは、やはり『俺は貴族じゃない。ハルケギニアの生まれですらない』と言っていた。
 しかし同時に『だから貴族のプライドとか、愛に殉じるとか言われても、ファンタジーの絵空事にしか聞こえないんだ』とも言っていた。
 そのサイトが......コロッと意見を変えちゃって。
 そもそも、これは別にハルケギニアの流儀ってわけじゃないのだが......そこのところ勘違いしているのが、やはりクラゲ頭のバカ犬なのか......。

「まあ、相棒も少しずつ、ハルケギニアの人間になってきた......ってこった」

 それまで黙っていたデルフリンガーが、サイトの手の中でつぶやく。

「......そういうわけじゃねえけどよ......。なあ、ルイズ。ルイズが辛いっつうなら、ルイズは手を出さなくていいさ。俺はルイズの使い魔だからな。ルイズの代わりに......俺が一人でやる」

 きっぱりと。
 言ってサイトは、その目をギーシュへと戻す。

「ギーシュ。俺と一対一で決闘だ。俺は......お前の友人として、お前と戦ってやるぜ」

「そうか。サイトが『友人として』というのであれば......」

 ギーシュが、薔薇の造花を......彼の杖を構えた。

「僕も『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥなどではなく......一人のメイジ、『青銅』のギーシュとしてお相手しよう」

 そして私が見守る中。
 今、二人の男たちの決闘が始まった。

########################

「それじゃ......いくぞ!」

 叫んで駆け出すサイト。
 ガンダールヴの神速で迫る彼を、ギーシュは余裕の笑みで見つめると、薔薇の花を振った。
 何枚もの花びらが宙を舞い......。
 青銅の人形となった。
 その数、七。
 最初からギーシュも全力全開である。
 だが。

「な、なんだこりゃ!」

 驚くサイト。
 まあ無理もない。
 ギーシュが出してみせたゴーレムは、もはや『戦乙女(ワルキューレ)』ではなかったのだ。
 たしかに、すでにグラヴィルの時点で、彼の憎悪を反映して、ギーシュのゴーレムは禍々しいデザインに変化していた。それでも、まだあの時は、基本的なシルエットは甲冑を着た女戦士に見えたのだが......。
 今。
 七つのうちの四つは、もう人型ですらない。
 脚がなく、まるで死霊のようなもの。
 翼と牙をもつ、まるで竜のようなもの。
 四つ脚で吠える、まるで獣のようなもの。
 四肢の代わりにヒレを持つ、まるで魚のようなもの。
 それら異形の四体と、もう一つ、幅広の大剣を構えた鎧武者のゴーレム。合計五体のゴーレムが、サイトの前に立ちふさがっていた。

「......驚かせてすまない。最近どうも、僕のゴーレムの形が変わってしまってね。しかし不思議なことに、今の僕には、これが美しく見えるのだよ......」

 残りの二体――これは一応どちらも人間のようなシルエット――を従えて、ギーシュが悠然と言う。

「て、てめえ......」

 思わず悪態をついたサイトに向かって。
 勇ましく恰幅のよい、武人のゴーレムが突進する。右手に握った大剣を振り下ろし......。

 キンッ!

 デルフリンガーで受け止めるサイト。だが。

「げふっ!」

 サイトは呻いて、地面に転がった。
 ゴーレムがサイトの腹に、空いた左の拳を叩き込んだのだ。
 いくらガンダールヴとて、体は生身。青銅製の拳が腹にめり込めば、当然とっても痛い。

「なんだよ。もう終わりかい? まだ......」

「サイト!」

 呆れた声で言うギーシュに、私の叫びが被さった。
 そんな私を安心させるように。

「......大丈夫だ、ルイズ。俺はまだ平気だっつの」

 ニッと笑いながら、サイトが立ち上がる。

「......ちょ、ちょっと油断した。いいから俺にまかせろ」

 持ち前の負けん気を発揮して、やせ我慢するサイト。
 ......いや、やせ我慢、と言っては彼に失礼か。負けられない、という気持ちで、左手のルーンが強く輝いていた。

「そうだ、サイト。全力を出したまえ」

「全然きいてねえよ。お前の銅像、弱くなったんじゃねえか?」

「では......これはどうかな?」

 ギーシュの言葉と同時に。
 五体のゴーレム――死霊と竜と獣と魚と武人――が、一斉にサイトに襲いかかる。
 しかし今度は。

 ザザンッ!

 サイトの剣が銀に閃く。
 私の目には一太刀に見えるその斬撃で、五体のゴーレムは一瞬のうちに、粘土のように切り裂かれていた。

「......どうだ?」

「さすがだね、サイト」

 敵であるギーシュが、賛辞を送る。
 ......うん、私も見事だと思う。
 肉を切らせて骨を断つ、というやつなのだろうか。
 最初に武人ゴーレムの一撃を食らったところで、サイトは、ゴーレムの力量を見抜いたのだ。あとはガンダールヴの能力をフルに発揮して、それに勝るスピードで立ち向かった、というだけ。

「......だが、次はどうかな?」

 まだまだギーシュは、余裕の態度を崩さない。
 残った二体のゴーレムが、ズイッと前に出る。
 ......たった今サイトに倒された五体は、青みがかっていたので、まだ『青銅』っぽい感じだったが、この二つは違う。
 青色というより、むしろ赤色と金色。どちらも洗練された騎士のような姿で、赤い方は男、黄金の方は女のようにも見える。

「......同じことだ!」

 勢いよく斬り込むサイト。
 速い。私にも見えない。
 だが次の瞬間。

「......くっ!?」

 大きく後ろに吹き飛ばされたのは、サイトの方だった。
 ......剣を交わしたような音もなかったのだが......何があった!?

「てめえ......汚ねえぞ、ギーシュ」

「いやあ、すまない。これも言っておくべきだったね。この二体は、ゴーレムのくせに何故か魔力を持っていてね。ははは......」

 ちょっと待て。さすがに、それは反則ではないのか!?
 ともかく。
 今のギーシュの言葉で、さっきの攻撃の正体もわかった。魔力の衝撃波のようなものだ。ちょうど、魔族が放つような。
 ......って、魔族!? まさか、このゴーレムたちって......!

「そうとわかりゃあ......もう負けやしねえ!」

 再び突っ込むサイト。
 赤いゴーレムが右手を突き出し、再び魔力を放つが、それをサイトはデルフリンガーで吸収し......。
 ゴーレムの伸ばした右腕を、スパッと斬り飛ばす。
 だが。

「えっ!?」

 金色のゴーレムが赤色のゴーレムに指を向けたとたん。
 斬り落とされた赤い右腕が瞬時に再生。

 ボコッ!

 その拳で、サイトは思いっきり殴られ、弾き飛ばされる。

 ドッ!

 重いものが大地に落ちる、嫌な音。
 彼は頭を地面に強く打ちつけ、崩れ落ちたまま、気を失った。

########################

 ......ようやくわかった......。
 ギーシュの七つのゴーレム、それが何を意味していたのか。
 最初の五つ、死霊と竜と獣と魚と武人は、それぞれ五人の腹心。冥王(ヘルマスター)、魔竜王(カオスドラゴン)、獣王(グレーター・ビースト)、海王(ディープシー)、覇王(ダイナスト)に対応していたのだ。
 残り二つのうち、赤い方は、もちろん『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ。魔王であるならば、魔力波を放ってきたのも当然である。
 では、金色の方は? その色からして、最初『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』かとも思ったが......。
 そんなはずはない。『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』は『赤眼の魔王(ルビーアイ)』よりも遥かに格上の存在。シャブラニグドゥとなったギーシュが使役するゴーレムに反映されるわけがない。
 それに。
 今あれが使ってみせた『治癒』能力を見れば、何を模したものなのか一目瞭然。
 あれは......伝承にはない存在。
 魔王の妃を意味していたのだ。
 ギーシュが魔王として覚醒する原因にもなった......モンモランシーを......。
 他の『赤眼の魔王(ルビーアイ)』なら妃なぞ必要なくとも、ほかならぬギーシュ=シャブラニグドゥだけは、妃とともにあるのだ......。

「サイト!」

 以上のことを考えていたのは、一瞬にも満たない時間。それよりサイトの身が心配で、私は叫びながら、彼のもとに駆け寄っていた。

「おやおや。もう終わりなのか。残念だな。今の僕の『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド』で、サイトと斬り合ってみたいとも思っていたのに......」

 ギーシュの声が、遠くに聞こえる。
 今にして思えば、ドットメイジであるギーシュが七つものゴーレムを扱えていたのも、彼の魂の中に『魔王』という強大な魔力が眠っていたがゆえ。
 だが......ギーシュのことは後回し。今はサイトのことで、私の頭はいっぱい。

「しっかりして、サイト!」

「あ......ルイズ......」

 私が助け起こすと、サイトは目を開けてくれた。
 よかった、一瞬気絶していただけだ。

「お願い。もうやめて」

「......泣いてるのか? お前」

 言われて気づいた。私の瞳は潤んでいる。

「泣いてないわよ。誰が泣くもんですか。もういいじゃない。あんたはよくやったわ」

「でもよ。俺はルイズの使い魔だから......」

 言いかけて。

「......いてえ」

 唇を苦痛に歪ませるサイト。

「痛いに決まってるじゃないの。当たり前じゃないの。何考えてるのよ。あんた一人で、魔王に勝てるわけなんかないじゃない」

 たったあれだけの攻撃で、もうサイトはボロボロだ。『水』魔法の使い手ではないが、それくらい私にもわかる。
 ......いや、『たったあれだけの攻撃で』ではない。
 私と出会って以来、サイトは私の使い魔として、ずっと......ずっと頑張ってきたのだ......。

「あんたは私の使い魔なんだから。これ以上、勝手な真似は許さないからね」

 サイトの頬に、ポタッと落ちた水滴。
 ああ、これは私の目からこぼれた涙なのか。

「え? ......でも......使い魔だからこそ......」

「使い魔だからこそ、よ。......あんたは......そこで休んでなさい。これは御主人様の命令なんだからね!」

「......けど......それじゃ......」

「あとは......私にまかせなさい! もう一度言うけど、これは御主人様の命令よ!」

 キッパリと言い放って。
 私はサイトを地面に横たえて、立ち上がった。
 疲労困憊して、もう私に抗う力もないのだろう。また意識を失ったらしく、サイトの寝息が聞こえてきた。

「......サイト......」

 小さくつぶやく私に、返事はない。
 まるで、その代わりであるかのように。
 私の背中に、ギーシュの声が。

「......今度はサイトではなく、ルイズが僕の相手をしてくれるのかい?」

 涙を拭い、振り向いて。
 私は、キッとギーシュを見据える。

「そうよ。だって......」

 魔王となったギーシュ。
 ギーシュ=シャブラニグドゥ。
 私にとっては、強大な敵。
 それでも。
 私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 貴族のメイジ。
 だから。

「私は貴族よ。魔法が使える者を、使い魔に頼ってばっかりの者を、貴族と呼ぶんじゃないわ」

 杖を握りしめて、言い放つ。

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」


(第五章へつづく)

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第十五部「魔を滅せし虚無達」(第五章)【第十五部・完】

「よくぞ言った。それでこそ......『ゼロ』のルイズだよ」

 私が切ったタンカに対して。
 ギーシュは、揶揄するようにパチパチと手を叩いてから、

「ならば、僕もこの姿では失礼だろう。......相手がサイトだからこそ『ギーシュ』として戦ったわけだが......『虚無』のルイズに対して、『土』魔法を扱う『青銅』のギーシュでは、歯が立たないだろうからね」

 スッと、残った二体のゴーレムが虚空に消える。
 同時に。
 ギーシュの手の中に、白い仮面が出現した。
 最初に見せていたものとは、わずかに異なる白い仮面。
 瞳に輝く宝玉は、魔王を現す深紅ではなく、ギーシュの髪と......そしてモンモランシーの髪と同じ、輝く黄金の色。
 それが彼の顔にしっかりと張りつき、呼応するかのように、マントや服の色が赤くなる。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の色に......。

「つまり......『魔王』として戦う、ってことね?」

「そういうことだ」

 彼は頷き、数歩さがり......。
 その手にした薔薇が変形し、赤い宝玉をその柄に抱く、ひとふりの剣に変化する。

「......娘っ子。俺を使うかい?」

「いらないわ。あんたは、そこで......サイトのそばで、一緒に休んでなさい」

 地面からの剣の言葉に、そう返す私。
 今は、ただサイトを休ませることしか出来ない。『治癒(ヒーリング)』の使えぬ私では、サイトの回復は無理なのだ。
 彼を回復させるためにも。
 早く目の前の敵を倒して、この世界から脱出しないと......。

「そうか。娘っ子がそうしてくれ、って言うなら......娘っ子の代わりに、ここで相棒を見守っておくぜ」

 再び、デルフリンガーは黙り込む。まるで普通の、もの言わぬ武器のように。
 そして。

「......行くぞ」

 ギーシュが魔王の声で、戦いのはじまりを告げた。

########################

 私には、彼を倒すだけの力が与えられている。
 頭の中を戦闘モードに切り替えて。
 よけいな気持ちは押し殺し、私は瞬時に頭の中で計算する。
 魔王の言葉によれば。
 ここでは私は、呪文詠唱のタイム・ラグなく術を発動させることができ、また、虚無の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』を長時間発動させ続けることも可能だという。
 後者はまだだが、前者はすでに確認済み。
 だが......。
 私が使える虚無魔法のうち、この場面では『解除(ディスペル)』は役立たずだろう。魔王相手となると『爆発(エクスプロージョン)』でも、せいぜい牽制程度。
 もちろん、魔王の力を借りた術が、魔王自身に効くわけはない。
 ならば......確実に効果があるのは、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りる術。
 とはいえ、虚無の端末を強引に引き出す魔法......『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』は、さすがに使えない。あれは、使い魔リーヴスラシルではなく、自らの身に『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の一部を降臨させる術。そもそも無理がある魔法なのだ。
 しかも、ここは元の世界とは薄紙を隔てた世界だと、魔王は言った。他の様々な世界との境界が希薄で、ゆえに大気に魔力が満ちる世界だ、と。
 そんなところで『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使えば、かりに不完全版の方でも、暴走する可能性が高い。
 ならば......虚無の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』しかないのだが......。
 これには致命的な欠点が一つある。
 すなわち。
 接近して当てなければならないのだ。相手に。
 持続時間が長かろうと、しょせん間合いは剣と同程度。
 近寄り、ぶん回し、命中させる、というのが当然不可欠。
 でも少し前の――まだ魔王がギーシュだと知らなかった時の――サイトと魔王の攻防を思い出せば、私が接近戦できるレベルでないことは明白。だからデルフリンガーにも「いらない」と言ったのだ。
 ......それでも......他に有効な技がない以上、最後には『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で決めるしかない。なんとかエクスプロージョンで牽制しながら、機会を作って......。
 短い睨み合いの中、一瞬のうちに私が基本方針をそう決めた、その途端。
 まるでそれを待っていたかのように。
 魔王が......ギーシュ=シャブラニグドゥが動いた。

########################

 魔王が駆け出すと同時に、いつものクセで私は呪文を唱えかけ......。
 瞬間、魔王の姿がかき消える。

「空間を渡ったの!?」

 ならば出現地点は......。
 反射的に振り向きかけた私の、ちょうど目の前に、赤い姿は出現した。

「しまった!」

 考えてみれば当然。魔王も承知していたのだ、私に接近戦を挑めば有利だということくらい。
 ......一瞬のうちに、様々なことが起こった。
 反射的に杖を振ろうとする私。
 その目の前から、赤い影が消える。
 空間を渡った......のではなく、至近距離でその足を使い、私の死角に回り込んだのだ。
 私からは見えないはずのその位置で、魔王が刃を振りかぶる......それがハッキリと見えたような気がした。
 間近で嗅ぐ『死』の匂い。
 今までになく濃厚な。
 が。

 ビュンッ!

 風切る音と共に、『死』の匂いが瞬時に消え去った。
 何が起こったのかは、すぐわかった。
 サイトの剣デルフリンガーが飛んできて、それを魔王が避けようとして、私から距離を置いたのである。
 それだけ悟ると同時に、私は振り向き......。

「エクスプロージョン!」

 叫びながら杖を振る。呪文詠唱は必要ないとはいえ、これくらいは口にした方が、精神力も高まるようだ。
 しかし魔王は、手にした剣で、エクスプロージョンの光球を切り裂いた。

 バシュッ!

 弾ける閃光。
 同時に後ろに跳ぶ私。

「......ひでえことしやがるなあ......相棒も......」

 デルフリンガーのつぶやきが聞こえる。かなり遠くまですっ飛んで、そこで大地に落ちたようだが、今は剣のぼやきに構っていられる場合ではない。
 それよりも。
 一瞬にも満たぬ間、状況確認のため、チラッとだけサイトに目をやる私。
 ......うん、まだサイトは気絶している。
 ならば先ほどの投擲は、眠ったまま無意識で放ったものか、あるいは、少しだけ目覚めて援護してくれたのか。
 どちらにせよ、もうサイトをアテには出来ない。

「......勇ましいことを言ったわりには......まだ使い魔を頼っているようだな......」

 魔王の言葉など無視。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 ただ敵を睨みながら。
 私は呪文を唱え始める。

「......どういうつもりだ? この世界では詠唱なぞ必要ないと教えたはずだが......」

「......ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル!」

 長い詠唱の後、呪文が完成した。
 律儀に待っていた魔王に向けて、私は杖を振り下ろす。
 フル詠唱のエクスプロージョン。
 魔王は余裕の態度のまま、その左手を突き出し......。

 キュゴッ!

 手のひらで光球を受け止め、それを握り潰した。

「......何をするのかと思えば......まさか今のが効くとは思っていまいな?」

「まさか! 実験よ実験!」

 撃った私自身には、ちゃんと感触があった。
 いくら『呪文を唱える必要がない』この世界であっても、やはり詠唱した方が、しないよりは威力が上がるのだ。
 ならば、次の実験である。

「......四界の闇を統べる王......汝の欠片の縁に従い......汝らすべての力もて......我にさらなる魔力を与えよ......」

 四つの指輪に入った石『魔血玉(デモンブラッド)』が、四色の淡い光を放つ。
 続いて。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 またまたエクスプロージョンを唱えて......。

「......ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル!」

 私が放った一撃を、魔王は避けようともせず、まともに受けた。
 ただし、まともに体で受けても、ダメージどころか、何の動揺も示さない。

「......なるほど。公正な実験だ。待ってやった甲斐があったというもの。たしかに増幅した分、威力は上がっているな」

 こともなげにサラリと言う魔王。
 ......うわ腹立つっ!
 しかし魔王の言うとおりだ。向こうが『待って』くれなければ、詠唱中にこちらが攻撃されて終わりである。

「機会は......一度しかないと思え。お前の虚無の刃が、我を切り裂く機会は」

 ゆっくりと。
 魔王はこちらに歩み来る。

「もうわかったであろう。並の術では我には通じん。だがあれならば、我が剣ごと、我が肉体を切り裂くことも出来る。......ただし......」

 ......待てよ?
 魔王の言葉を聞き流しながら、ふと私の頭に浮かんだ、一つのアイデア。
 呪文詠唱すら必要ないという、この世界ならば......。

「ゆえに我は、汝の虚無の刃から身をかわし、しかる後に攻撃へと転じる。まともに戦えば、技量が上の我が勝つ。......我が汝の刃をかわすか。汝が我に一撃を入れるか。機会は......一度しかないと思え」

 私は足早に後ろへ下がり、魔王は変わらず歩みを進める。
 一気に間を詰めようともせずに。
 まるで......私が決意を固めるのを待ってでもいるかのように。

「真っ向勝負ってこと!? ずいぶん正々堂々としてるわね! そんなになっても......まだ心のどこかで貴族のつもり!?」

 魔王に対して、軽口を吐いてから。
 私は精神を集中して、杖を振る。

「世界扉(ワールド・ドア)!」

 フッ。

 豆粒ほどの小さな点が出現した。
 空中に浮かぶ小さな粒は、水晶のようにキラキラ光り......手鏡ほどの大きさに膨らむ。
 異国の景色らしきものが映し出されるが、それが何であるか具体的に確認する前に......。
 水晶の球は、スーッと、かき消えてしまった。

「......本来使えぬ術を無理矢理発動させたとて......しょせんその程度。異界から武器を取り出すことも、異界に逃げ込むことも出来なければ......まして我をそこに送りこむことなど到底不可能」

 魔王が私を嘲笑する。
 だが、これでいいのだ。今のも実験の一つ。私には使えないはずの虚無魔法が、ここならば発動する......それが判明しただけで十分。
 そもそも、ガンダールヴであるサイトが倒れている以上、異界の武器を入手したところで、意味はないのだから。
 私の本命は、戦闘の役には立たない『世界扉(ワールド・ドア)』などではなく......。

「瞬間移動(テレポート)!」

 かつてヴィットーリオが使っていた虚無魔法。これを上手く使えば、純魔族が空間を渡るのと同じように、敵の背後にいきなり現れることも可能となる......!
 しかし。
 残念。発動してくれなかった。
 ......では、これはどうだ!?

「加速!」

 今度は、以前に『スキルニル』のジョゼフが使った虚無魔法。
 杖を振ると同時に、バッと後ろに跳び退いてみたが......うん、これもダメ。まったく速くなっていない。
 ついでに、同じく『スキルニル』のジョゼフが一度だけ見せた『イリュージョン』も試してみたが......やはり使えない。
 どうやら「こういう魔法がある」と知っているだけでは、さすがにここでも発動しないらしい。イメージが出来ないのだろう。
 たぶん『世界扉(ワールド・ドア)』は、まがりなりにも呪文詠唱をキチンと聞いたことがあって、しかも元の世界で普通に試したことがあったからだ。だから成功したようだ。
 ......うーん......。
 ......そうだ。呪文は知っているのに私には使えない虚無魔法が、もう一つあった!

「ナウシド・イサ・エイワーズ......ハガラズ・ユル・ベオグ......ニード・イス・アルジーズ......ベルカナ・マン・ラグー!」

 わざわざ呪文まで唱えて杖を振る。
 森に住むハーフエルフ、ティファニアお得意の『忘却』。
 相手の記憶を奪うという、虚無魔法である。
 だが。

「......愚かな! いつまで遊んでいるつもりだ!」

 魔王の怒声と共に、瘴気の風が私を襲う。

「きゃっ!?」

 ザアッと吹き飛ばされた私は、一瞬意識が飛んで、頭がクラクラする。
 えーっと......まさか『忘却』を反射されたわけじゃないよね?
 ......うん、大丈夫。別に何も忘れてはいない......。
 
「いまさら我の『憎悪』を忘れさせても無駄だ。すでに我は『魔王』となっているのだから」

 言われてみれば、そりゃそうだ。
 魔王覚醒前ならともかく......今頃になってギーシュの心の中の憎悪を消したところで、もう手遅れである。

「......それくらいわかってるわ......」

 頭をハッキリさせる意味で、軽く左右に振りながら、ゆっくりと私は立ち上がった。
 ......魔王と『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で斬り合うのだけは避けたい。それは最後の最後の最後の手段。少し前に魔王が言ったように、勝算の低い賭けなのだ。
 いや。互いの技量の差を考えれば、賭けというより、むしろヤケと言った方が近い。
 他に何か方法はないか?
 考えろ、私!
 思い出せ、これまでの冒険の数々を!
 ......そして。
 気づけば私は、手にした指輪をジッと見つめていた。
 それから。
 顔を上げて、静かなまなざしを魔王に向ける。

「心を......決めたか」

 つぶやいて、魔王が地を駆けようとした、その刹那。

 バギンッ!

 私は指輪の宝玉の一つ......青の『魔血玉(デモンブラッド)』を噛み砕いていた。
 石の硬度を持つはずのそれは、なぜか私の口の中で、いともあっさり砕け散り消える。
 ......今でこそ私の魔力増幅器として使われているが、かつてジュリオは別の使い方をしていたのだ。それは魔族であるジュリオだからこそ可能な用法であり、私には無理だった。でも......ここならば......!

「異界の王......『蒼穹の王(カオティックブルー)』! 汝が血玉をその代価に、我が前にその力を示せ!」

「何っ!?」

 魔王が驚愕の声を上げた。
 ここは元の世界と紙一枚を隔てた世界......すなわち、他の世界と紙一枚ぶん近しい世界。
 だから。

 コゥッ!

 蒼い空が輝く。
 水面に波紋が広がるごとく、光の波紋が広がって......。
 中心から降り立った蒼白い光が、柱となって魔王を撃つ!

「ごああああああああああっ!?」

 無音の光の圧力に、魔王の叫びがこだまする。
 深紅の影は、まばゆい光に呑み込まれ......。

「......っがぁぁぁぁぁっ!」

 生まれ出た赤い光が、白光を空の青へと押し戻した。
 空は静まり、魔王が佇む。

「......い......異世界の魔王の呪......だと......?」

 効いている!
 たしかに!
 ならば!

「異界の王『白霧(デス・フォッグ)』!」

 そして今度は、透明な宝玉。

「汝が血玉をその代価に、我が前にその力を示せ!」

 ブァッ!

 魔王の周りの空間が白く染まる。
 それは確かに、霧に似ていた。
 ......『水のルビー』が『蒼穹の王(カオティックブルー)』で『風のルビー』が『白霧(デス・フォッグ)』というのは、ルビーの名称からすれば逆な気もするのだが......『色』に応じて呼びかけたら発動した、ということは、人間が勝手につけた名前は間違っていた、ということだ......。

 ゴウッ!

 霧が渦巻き、虚空が吠える。
 私たちの世界の魔王を切り刻まん、と。

「ぐぅぅうぅぅぅぉおあああっ!」

 雄叫びか、それとも悲鳴か。
 ビシッと、何かの砕けるような、小さな音。
 バチャッと、水を地面にぶちまけたような、ハッキリした音。
 それらと共に、白が弾けて大地に還る。
 一歩たたらを踏んだ魔王の、右手に掲げる魔剣には、無数のヒビが走っていた。
 ......次は『土のルビー』、かつて私が初めて指に嵌めた始祖のルビーだ。その茶色の宝玉を口にする。

「異界の王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』! 汝が血玉をその代価に、我が前にその力を示せ!」

 ヴォゥンッ!

 空間が低い唸りを上げる。

「......っ!」

 瞬時に広がった黒い何かは、赤い影を捕えて収束。
 魔王の声すら呑み込んで、無限小へ、虚無へと向かって圧縮され......。
 音もなく。
 空間が。闇が弾けて......。

 ユラリ......。

 赤い魔王は立ち上がった。
 かなりのダメージを受けているように見える。
 でも......私の手元に残る指輪は一つ。『火のルビー』......つまり目の前の相手、私たちの世界の魔王シャブラニグドゥに由来するもの。
 それでは意味がない。
 ならばやはり......残る手段は......。

「......!」

 いや。
 答えは。
 最初から、そこにあったのだ。
 これまでを振り返ってみれば、全ては明白な気がした。

「......終わり......か?」

 魔王が、こちらに顔を向ける。
 かぶった面は、もうヒビだらけだ。
 だがその声から、気力は消えていない。

「......ならば......今こそが決着のとき。......ゆくぞっ!」

 吠えて地を蹴る魔王。
 今の三連撃のせいで、多少は動きも鈍っているが......。
 赤い死神が私へと迫る。
 大地を踏みしめ、迎える私。
 両者の間合いが一気に詰まる。
 私はタイミングを見計らう。
 剣を手にした魔王の手が、わずかに......。
 ......今っ!
 私は右手の杖を振りかぶる。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 赤い姿が遠ざかる。
 虚無の刃が虚空を裂いた。
 斜め後ろに跳躍し、魔王は紙一重で、私の一撃をかわしたのだ。
 そして瞬時に間を詰める。
 だが、その時には。
 私は右手を振り切ると、その勢いで体を捻り......。
 左手に生んだ虚無の刃をくり出していた。

「......手刀だと!?」

 魔王の驚愕の声。
 そう。『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』だって『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』と同じく、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた呪文......つまり『虚無』のごく一部を降臨させて刃とする呪文である。そこのところを正しく理解していれば、別に杖ではなく、私自身の体に沿わせることだって可能なのだ。
 さすがに予想もしていなかったようだが、それでも魔王は体を捻り......。

「残念だったな! 杖がない分......リーチが足らんわ!」

 そこから体勢を立て直し、私に斬りかかる魔王。
 これに私は......右脚を軸として、左の回し蹴りをぶつける!

「馬鹿なっ!?」

 今度は届かないとは言わせない。
 人間というものは、腕よりも脚の方が長いのだ。
 しかも。
 私のキックは、お仕置きの意味で、何度もサイトを......ガンダールヴを蹴った脚!
 そして、もちろん。
 今の私の左脚には......やはり虚無の刃が形成されている!

 ボヒュッ!

 赤と黒の交錯の後。
 全く何の抵抗もなく。
 虚無の刃は、断ち切っていた。
 ......魔王が手にした剣のみを。

「娘よ。勝敗は決したな」

 魔王が後ろに跳び、その手の中の刃が見る間に再生する。

「......はあっ、はあっ......」

 大きく肩で息をする私。
 いくら魔力が満ちた空間とはいえ、さすがに『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』の三刀流は無理があった。精神力が......いや生体エネルギーがカラッポになる前に、慌てて虚無の刃を打ち消す。
 疲労も極限に達しているが、まだ......まだ倒れるわけにはいかない!
 あと少しだけ!

「黄昏よりも昏きもの......」

 呼びかけながら。
 私は、最後の宝玉を口にする。
 パキンッと口の中で砕け散ったのは、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの血玉。

「血の流れより紅きもの!」

 決して大きいとは言えない杖を、私は両手でしっかりと握りしめ......。
 それを魔王へと向けた。

「時の流れに埋もれて眠れ、魔王(ルビーアイ)よ!」

 杖の先に生まれる、赤い輝き。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ゴグァァァァァゥンッ!

 赤い爆光が......。
 魔王を包んだ。

########################

 赤光が、見知らぬ世界の大地を灼いていた。

「......ふ......ぅ......」

 唇から漏れる小さな吐息。
 そして。
 薄れゆく炎の中に影ひとつ。

「......知らぬわけではあるまい......」

 吹きすさぶ、轟々たる風を縫って。
 魔王の声が私に届いた。
 かつてどこかで同じ光景を見た......そんな既視感と共に。

「我が力を借りた術が、我自身には効かぬことなど」

 もちろん、私は知っている。
 効くわけはない。
 普通なら。

「なら、なぜ撃った? なぜ......」

 爆煙の中から現れる、魔王の影。
 それは、ガクリと膝をついた。

「なぜ我は滅びる......?」

 そう。
 現れた魔王の体を彩る赤は、もはや色褪せて、体を支える杖代わりの剣も、腕の中で砕け散る。

「答なら......あなた自身が知っているはずよ」

 魔王が、本当に私たちを殺すつもりだったなら。
 サイト相手に、あんな生ぬるい決闘をする必要などなかったのだ。
 私相手に、何度も呪文詠唱の時間を与える必要などなかったのだ。

「魔王の力を借りた術で、魔王自身を傷つけることは出来ない。なぜならそれは......お前自身を倒すのに手を貸してくれ、という、愚かな呼びかけにすぎないから。けど、もしも......」

 今さらながら。
 漏れそうになる嗚咽を噛み殺して。
 私は言葉を続けた。

「あなた自身が、自分の滅びを望んでいたなら?」

 風が......吹く。

「......ああ......そうか......」

 流れた声は......決して魔王のものではなく......私の知っているギーシュの声。
 お調子者の響きに隠された......深い疲れを宿し......それでいて......安らかな声。

「......僕は......ただ......彼女のところに行きたかっただけ......だったんだね......君たちの手で......」

 彼は......大地に腰を落とす。

「モンモランシーがね......最期の瞬間......奇跡的に正気を取り戻し......僕に言ったのだよ。ひとを......嫌いに......ならないでくれ......って......。たくさんの愛を......振りまいてこそ......ギーシュよ......って......」

 風が吹き......言葉を流す。

「......僕は......その言葉を......受け入れられなかった......だって......彼女がいなかったら......もう......」

 声は細く......どんどん細くなり......。

「......すまない......ね......」

 漏らした言葉は、誰へのものか。
 風が。
 砂と化した彼を運び去る。
 そして。
 彼の生み出した世界が......消える。

########################

 ノックの音がした。

「私よ。入っていいかしら?」

 聞こえた声は、ルクシャナのものだった。

「お?」

 椅子から立ち上がりかけたサイトを手で制し......。

「......開いてるわよ」

 振り向きもせず、私は答えた。
 ......あの日。すべてが終わったあと......。
 私とサイトの二人は、タルブの村のど真ん中へと出現した。
 ......まあ......『村』と言っても、いまだ復興途中で、いくつか家がポツポツとあるだけで、宿も小さいのが一軒あるのみなのだが......。
 さいわいルクシャナたち三人も、あの森からタルブの村まで来ており、タバサとルクシャナの魔法でサイトを治癒してもらった。それでも私もサイトも疲れ切っていたため、一日、死んだように眠り......。
 明けて今日。
 まだベッドに横になっている私と、ベッドの中ではなく、そばの椅子に腰掛けたサイト。
 その状態で、彼が倒れた後の出来事を語って聞かせて。
 ちょうど今、話し終えたところだったのだ。
 扉を開けて、入ってきた気配は三つ。
 顔を向けるまでもない。ルクシャナとシルフィードとタバサの三人。

「あら? まだ寝てるの? 悪魔の末裔とか言われていても......その姿じゃ、まるで普通の蛮人ね」

「だから私は普通の人間だってば」

 ルクシャナの声に、顔を背けたままで答える。

「きゅい。それより......起きたら事情を説明してくれる、って約束だったのね!」

 シルフィードが話をせがむ。
 しばしの沈黙。

「......きゅい?」

 催促されて、私はゆっくり口を開く。

「......魔王を......倒した......。それだけのことよ」

「......ま......!?」

「本当なの!?」

「......前にも一度やったこと。この二人なら、驚くほどのことでもない」

 シルフィードやルクシャナとは対照的に、なんとも冷静なタバサ。
 驚きも少しは収まったらしく、ルクシャナが総括するように、

「すごいわ......まさしくあなたたち......『魔を滅するメイジと使い魔たち(デモン・スレイヤーズ)』といったところね」

「......いらないわよ......そんな称号......」

 私は小さく吐き捨てた。
 再び、しばしの沈黙。
 そして。

「......私たちも、もうしばらく、この宿に泊まる」

 感情を表さない、タバサの声。

「落ち着いたら......少し詳しく話して欲しい。今は邪魔しない」

「そうね。そうしましょうか」

「きゅい?」

 きびすを返すタバサに、ルクシャナとシルフィードも続き......。

 パタンッ。

 ドアの閉まる音。
 三つの気配が遠ざかる。

「......ルイズ......」

 サイトがつぶやく。私の顔を覗き込むように、自分の顔を近づけながら。

「泣いてるのか?」

「見ればわかるでしょ? 泣いてなんかいないわよ」

「ああ、見ればわかる......泣いてる......。だから濡れるから、そんなに布団かぶらない方がいいぞ?」

「あのねえ......いつからそんなに目、悪くなったの? どこが......」

 言いかけた言葉が途中で途切れる。
 ベッドカバーの湿り気に気がついて。

「悪かったわね。泣いてるわよ」

「開き直ったな、ルイズ」

「いいじゃねーか。泣き虫の方が娘っ子らしいや。そんでプライドが高くって、ちょっと気が強くって......ああ、娘っ子はサーシャとよく似てるんだなあ。今ごろ気づいたぜ。こりゃ、おでれーた」

 壁に立てかけられたデルフリンガーが、何かブツブツ言っているが、それには構わず、

「......今......気がついたのよ。私たち......ギーシュとモンモランシーの......フルネームさえ知らなかったんだ、ってことに......。そう思ったら......なんだか急に......」

「いいじゃん。だったら泣けば」

 サイトは、私の目元にソッと手を伸ばす。

「ギーシュが何を望んでいたとしても......俺たちがあいつを手にかけた事実は変わらない。......でもさ、何があっても後ろを見せず、とにかく前へ進む......。それが貴族なんだろ? そのためなら今は......泣いてもいいさ。で、一緒に前へ進もうぜ。俺はルイズの使い魔だからな」

「......ばか......」

「泣いてるルイズも......しっかり守ってやる」

 そして私は......。
 しばらく涙が止まらなかった。

########################

「......さて......それじゃ、そろそろ行きましょうか」

「きゅい」

 唐突に。
 二人がそう口にして、タバサが無言で頷いたのは、事件から数日経った、昼のことだった。
 生体エネルギーの使い過ぎによって一時的におかしくなった私の髪も、美しいピンクブロンドに戻っており、サイト共々、もはや完全回復である。
 場所は......タルブの村の大通り。
 大通りなどといっても、復興途中の村のこと。まだ建物は少なく、どこも『大通り』みたいなものだが、一応、ここが『大通り』と決められているのだろう。他とは違って、人々の姿もチラホラ。もちろん、それほど数は多くないが......。
 復興途中ゆえにか、活気のようなものだけはある。
 失っても......ただただ嘆くだけでなく。
 よりよい明日をつくるため、ふたたび前に進み始める。
 人間というものは、結構しぶといのだ。

「行くって......またいきなり......でも、どこへ?」

「事件そのものは終わったようだけど、大量に発生したデーモンたちが消えたわけじゃないからね」

 私の問いかけに、ルクシャナが素直に答える。
 むろん事件のいきさつは、ここ数日の間に、三人にも話してある。

「しばらくは、各地を回って奴らを掃討するわ」

「きゅい」

 同意の声を上げるシルフィード。
 タバサも黙って頷いていた。

「......そう......。がんばってね。まだまだ結構凶悪な魔族が、あちこちうろついてるみたいだし」

 私は一応、激励の言葉をかける。
 するとルクシャナが、ふと思いついたように、

「......そういえば......あの森にいた二人って、何者だったのかしら? 例の『竜を滅せし者(ドラゴンスレイヤー)』......あなたたちがジュリオって呼んでる魔族、あいつ以上の力を感じたけど......」

「......答は簡単」

 ポツリとつぶやくタバサに、みんなの注目が集まった。

「あいつらのこと知ってるの?」

「......知らない。でも考えればわかる。あれは獣王(グレーター・ビースト)ゼラス=メタリオムと海王(ディープシー)ダルフィン」

 ぶばっ。

 こともなげにサラリと言われ、思わず吹き出す私たち。

「......ジュリオより格上の魔族で、残っているのは、その二人だけ」

 簡潔に解説するタバサ。
 ......うーむ。そう言われてみれば、そのとおりかもしれない。
 たしか以前に、ジュリオが『獣王(グレーター・ビースト)様は、獣神官の僕一人をつくったのみ』と言っていたはず。
 つまり、なんとか神官やらなんとか将軍やらの中でも、獣神官の実力はトップレベル。それを超えるのは、五人の腹心のみ。
 でも五人の腹心のうち三人は、色々あって、もう私たちの世界には出てくることは無理なわけで......。

「......よ......よく無事だったわね......私たち......」

「......今思い出しても震えが来る」

 ルクシャナの言葉に、いつもどおり、無表情で淡々と返すタバサ。とても怖がっているようには見えないが、ある意味、タバサらしい。
 彼女は、私に顔を向けて、

「......私もシルフィードたちについていく。サイトのことは、あなたに任せた」

「......え......?」

 この時、タバサの表情が少しだけやわらかく見えたのは、私の気のせいだろうか。
 私が戸惑っているうちに、

「......さよなら」

「それじゃ、元気で!」

「きゅい!」

 拍子抜けするほどアッサリと。
 言って、三人は背を向け、去って行った。
 私とサイトは、しばし立ちすくみ......。

「......なんか......サラッと行っちゃったな......」

 ポツリとサイトがつぶやいたのは、三人の姿も見えなくなってからだった。

「......そうね」

 私のその言葉に被せるように、

「まあ、別れというものは、そういうものだからね」

 後ろから突然、聞き覚えのある声。
 ギョッとして、サイトと同時に振り向けば......。

「......ジュリオ!?」

「やあ」

 そこに立っていたのは、親しげな態度を見せる獣神官。
 私とサイトが、警戒して身構える。
 だがジュリオは、とろけるような笑顔を崩さず、

「......やだなあ、そんなに警戒しないでくれよ。ただ僕は、お届けものがあって来ただけだよ」

 言いながら私に手渡したのは......一枚の羊皮紙。

「......もしも君たちが生還したら渡すように、と言われていてね......」

 あ。
 思い出した。
 あの時......魔王は言っていたのだ、『もしも汝らが勝ったなら、この世界は崩れ、汝らは元の世界へと帰還できる。それだけではなく、何か褒美をやってもよい』と。
 この羊皮紙が......その『褒美』!? そこに書かれていたのは......。

「......!!」

「なんだよ、ルイズ。そんなに目を丸くして......」

 私が手にしたそれを、サイトも覗き込む。

「なんだ、これ? よくわからんけど......何かの呪文か?」

 そりゃバカ犬サイトにわかるわけがない。これが『呪文』だと気づいただけでも、上出来である。 

「......そうよ......これは『写本』の一つ......」

「......『写本』......? じゃ、それって......!?」

「ええ。虚無魔法が記されているの。虚無魔法......『世界扉(ワールド・ドア)』が」

 言って私が、『写本』から顔を上げた時。
 すでにジュリオの姿は、かき消えていた。

########################

「ここで......やるのか?」

 タルブの村から少し離れた、小さな森の中。

「そうよ。ここならば......誰も見てる人いないから」

 さすがに村のど真ん中で『世界扉(ワールド・ドア)』を試してみるわけにもいかず、私たち二人は、無人の場所へと来たのだった。

「そ......そうか......」

「何よサイト? あんまり嬉しそうじゃないわね。ようやく......帰れるっていうのに」

 魔王が用意した異世界の中ならば、無理矢理に発動させても『扉』は開いたのだ。それを今度は、ちゃんと記されたとおりに行うのだから、確実に成功するという自信があった。

「いや、そりゃ嬉しいさ。でも......なんつぅか、そんなに急ぐ必要もないかな、って気になって......」

「......あんた、さっき決めたこと、もう忘れたの......?」

 ここで『扉』が開いたところで、そのままサイトを元の世界に送りこんで、ハイさようなら......なんてつもりはない。
 今回はあくまでも試行。サイトの世界に通じるかどうか、試してみるだけである。

「じゃ、いくわよ......」

 サイトが頷くのを確認してから。
 私は、書かれているとおりの呪文を唱えて、杖を振る。
 すると......。

「......!」

 虚空に浮かぶ、小さな点。
 キラキラと光りながら、手鏡ほどの大きさに膨んで......。
 そこに、異国の光景が映し出された。
 強引に発動させた時とは異なり、はっきりと見てとれる。
 ......たくさんの高い塔が建ち並ぶ都市だ。
 洗練された技術をうかがわせる、銀色の壁。キラキラと光る窓。魔法では到底不可能な、芸術品のような建築物......。
 以前にヴィットーリオが『世界扉(ワールド・ドア)』を使ってみせた時と、同じ景色。
 ......いや。
 厳密には『同じ』ではない。前に見たよりも、映し出された建物は、いっそう洗練されているような気がする。
 それに。
 空には、細長いフネがたくさん、天に向かって飛んでいて......。

「......ねえ、サイト。あのフネたちが......あんたが前に言ってた『せんとうき』ってやつなの?」

 私はサイトに声をかけた。
 なぜかサイトは、私の隣で茫然としている。
 もっと嬉しそうな顔をしてもよさそうなものなのに......はて?

「......いや。あれは戦闘機なんかじゃねえぞ......宇宙船だ」

「うちゅうせん?」

「......宇宙へ飛び出すためのフネ......だけど、こんなふうに宇宙船が飛び交うなんて、それこそSFだ。つまり......これは俺の世界とは違う!」

 サイトが叫んだちょうどその時。

「......ああ。虚無の妖精さんは、間違って、別の世界への扉を開いてしまったのだね......」

 聞こえてきたのは、ジュリオの声。
 ただし、声はすれども姿は見えぬ。

「......なあに? ちゃんと私が『世界扉(ワールド・ドア)』を使えるかどうか......見届けるつもりだったの?」

「まあ、そんなところだ。一種のアフターサービスだよ」

 姿を見せないまま、彼は私の言葉を肯定する。

「......とはいえ、これで僕の役目も終了だ。今度こそ、おさらばするよ。目的のところとは別だったとはいえ、一応、魔法は発動したのだから。......今は制御が甘いようだが、ちゃんと修業すれば、いつかは正しくコントロールできるようになるだろう」

「おい、別の世界ってどこだよ? これ以上よくわからん世界へ行くのはゴメンだぜ、俺は!」

「......君たちの仲間だったエルフ......彼女が着ていた鎧の、その材料が来た世界だね」

 サイトの質問に、あっさり答えるジュリオ。
 ルクシャナの鎧といえば、たしか彼女は『精神力を物理応用できる素材で作られている』と言っていたが......。
 いや、そんなことはどうでもいい。それよりも。

「ちょっとジュリオ! ......『ちゃんと修業すれば』って、どういうこと!? どう修業すれば......私は完全にコントロールできるようになるわけ!?」

「おっと。その点に関しては、サービスの範囲外だね。とにかく頑張りたまえ。......それにしても......面白い世界への道を開いたものだねえ。魔王の分身ともいえる五つの武器......その魂が宇宙船に宿されている世界......か。今度は君たち、その世界を冒険してみるかい?」

「だから言ったろ! 行くわけないっつの!」

「そんなことより、ちゃんと教えなさいよ! ......『とにかく頑張りたまえ』じゃ、わからないわよ!」

 サイトと私の叫びに、もう返事は何もなかった。
 そして、まるでジュリオが消えたのを追うかのように......。
 私が開いた『世界扉(ワールド・ドア)』も、スッと消える。
 持続時間が切れたのだ。

「......」

 しばし茫然と佇む私たち。
 その沈黙を破って。

「いいじゃねーか。ともかく使える、ってことだけは確実になったんだ。いつかは、ちゃんと相棒の世界に通じるだろうぜ」

「そ......そうだな。デルフの言うとおりだ。うん、なんだか希望が見えてきた。ありがとう、ルイズ」

 剣に慰められて、立ち直るサイト。
 いや表情を見るかぎり、ちょっと残念そうな影もあるのだが。
 もう頭を切り替えました、と言わんばかりに。

「ところでさ。これから、どうすんだ?」

「え?」

「だってよ。俺たちの旅の大きな目的は、元の世界に戻る方法を探す、ってやつだったじゃん。一応その魔法も、もう習得したわけだし」

 あ、そうか。
 アテのないぶらり旅の中で、ほぼ唯一といっていい『目的』が、これで達成されたわけか......。

「......そうねえ......どこって言われても......」

 まじめに『世界扉(ワールド・ドア)』の修業をするにしても、どうせ詳細不明ならどこでやっても同じ......。
 いや。
 真剣に魔法修業するのであれば、私の場合、我が家に戻るというのも、ひとつのテか。
 などと考えていると。

「なあルイズ。お前、どうしたんだよ?」

 サイトが、怪訝な顔で問いかけてきた。
 ......どうやら私、いつのまにか、体がガタガタ震えていたらしい。

「な......なんでもないわ。ちょ、ちょっと実家のことを思い浮かべただけ......」

 うん。
 あの家で魔法修業だなんて......とんでもない!
 考えただけで体が震えてくるくらいだ。
 とても実行できるわけがない。

「......実家か......そうだよな。たまには家に顔を出して、家族に会うのも悪くないよな......」

 あ。
 サイトの言葉が少し、しんみりとしてきた。
 なんだかんだいって、やっぱりサイトには、望郷の念が......。

「よし、わかった! じゃあルイズの家に向かおうぜ! ルイズの家族なら......俺にとっても家族みたいなもんだからな!」

「......え......?」

 ......私の家族はサイトの家族みたいなもの......ですって!?
 トキンッと心臓が跳ね上がる。
 顔が火照ったのが自分でもわかる。
 私は慌てて顔をそらし、

「あ......あのねえサイト......。あんた自分が何言ってんのか......どういう意味かわかって言ってんの?」

「もちろんだ」

 男らしい、堂々とした声。

「......だって俺は......ルイズの使い魔だからな! 使い魔と主人のメイジは、一心同体なんだろ?」

 ......はあ。そういう意味か......。
 一気に脱力する私。
 まあサイトらしいと言えば、サイトらしい。
 そう思うと、なんだか急におかしくなって。

「そうね。あんたは私の......『ゼロ』のルイズの、使い魔なんだからね!」

 いい機会だ。修業云々は別としても、いったん家に立ち寄って、これまでの旅の話をするのは悪くないだろう。

「それじゃあ、次の目的地は私の実家。ラ・ヴァリエール公爵領! いいわね?」

「おうっ! ......あれ? どっかで聞いたような地名だな......」

「......後悔するぜ......相棒......」

 デルフリンガーが何か言ったようだが、小声すぎて、私たちには、よく聞こえなかった。

########################

 かくて私とサイトは。
 肩を並べて歩き出す。
 たぶん行く先、旅の途中には。
 きっとまた、いろんな事件があるのだろう。
 出会いやら。別れやら。
 だが。
 悲しみと苦しみを、忘れて目を閉じるのではなく......。
 胸に抱き、乗り越えて。
 明日を笑って生きてみせる。
 そして、いつか。
 私も『世界扉(ワールド・ドア)』で、サイトの世界に......。




魔を滅するメイジと使い魔たち・完



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