『魔を滅するメイジと使い魔たち』
初出;「Arcadia」様のコンテンツ「ゼロ魔SS投稿掲示板」(2011年3月から2011年12月)


第一部「メイジと使い魔たち」第一章第二章第三章第四章
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト
第二部「トリステインの魔教師」第一章第二章第三章第四章
番外編短編2「ルイズ妖精大作戦
第三部「タルブの村の乙女」第一章第二章第三章第四章
番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!
外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」前編中編後編
番外編短編4「千の仮面を持つメイジ
第四部「トリスタニア動乱」第一章第二章第三章第四章
番外編短編5「いもうとクエスト ~お嬢さんのためなら~
第五部「くろがねの魔獣」第一章第二章第三章第四章
番外編短編6「少年よ大志を抱け!?
第六部「ウエストウッドの闇」第一章第二章第三章第四章第五章終章
番外編短編7「使い魔はじめました
第七部「魔竜王女の挑戦」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
第八部「滅びし村の聖王」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
番外編短編8「冬山の宗教戦争
番外編短編9「私の初めての……
第九部「エギンハイムの妖杖」第一章第二章第三章第四章
番外編短編10「踊る魔法人形
第十部「アンブランの謀略」第一章第二章第三章第四章
番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ
第十一部「セルパンルージュの妄執」第一章第二章第三章第四章
番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海
第十二部「ヴィンドボナの策動」第一章第二章第三章第四章第五章
第十三部「終わりへの道しるべ」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編13「金色の魔王、降臨!
第十四部「グラヴィルの憎悪」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙
第十五部「魔を滅せし虚無達」第一章第二章第三章第四章第五章

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第十二部「ヴィンドボナの策動」(第一章)

「......念のために聞くが......この報告書には間違いないんじゃな?」

 そう言った老メイジの顔と口調は、しかし如実に、『フカシこいてんじゃねーぞ、このガキ。でたらめこくのもたいがいにしやがれ』などと物語っていた。
 今からおよそ十日前。
 カルカソンヌで起こった事件の経緯を、何とか報告書にまとめ、リュティス魔法学院に提出した時のことである。
 元々ここから依頼された話だったし......と思ってワザワザ報告しに来たというのに、しかし学院のお偉いさんは、一読するなり、そう言ったのだった。

「間違いありません」

 憮然と答えた私に、老メイジは、やや困ったような顔で、

「......しかし正直言って......素直に信じることができん、というのが本当のところじゃの......。覇王将軍の魔剣、しかもそれが、エギンハイムで起きた事件にも関わっていたなどと......話が途方もなさすぎるわい......」

 むかっ。
 疑いのまなざしを向けるメイジに、ちょっぴり額に青スジ立ったりもするが、まあ考えてみれば無理からぬことではある。
 そもそも『魔族』が実在すると認識されてきたのも、つい最近の話。しかも、レッサー・デーモンを一般的な『魔族』だと誤解している人々が多い。
 魔族の頂点に魔王シャブラニグドゥが君臨し、その下に五人の腹心が、そしてさらにその下に位置するのが神官や将軍たち......。
 こうした高位魔族の社会構造は、メイジの間でも意外と知られていなかったり、あるいは、ただの伝説だと思われていたり。
 そうした状況を思い出してみれば、老メイジの反応も、当然といえば当然のことと言える。......言えるのではあるが......。
 それでもやっぱり腹は立つ。

「......まあ......とりあえず、この報告書は受け取っておくが......。それはそうと、もう一つ、ちょっとした依頼があるんじゃがのぅ。なぁに、これほどの事件を解決できるなら、なんということもない仕事じゃよ」

 老メイジの言葉のうちには、皮肉の色がありありと混じっていた。

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 ......そして私が頼まれたのが、レッサー・デーモンの大量発生事件の調査報告。ただし今度はガリア国内ではなく、ゲルマニアにおいて、である。
 他国での怪事件を調べるには、正規のガリアの騎士よりも、フリーの旅の学生メイジの方が何かと都合がよかろう......という理屈はわかる。
 しかし。
 そもそも何故、わざわざ『他国』の事件について調べようというのか。レッサー・デーモン発生問題にかこつけて、ゲルマニアの内情に関する情報を得よう、あわよくば何らかの介入を、という魂胆が見え見えであった。
 そんなキナ臭い話に巻き込まれるのは御免だったが、断れば『デーモンに恐れをなしたか。となると報告書も嘘っぱち』などと思われるのは目に見えている。それはそれで私のプライドが許さない。
 というわけで......。
 現在、私とサイトの二人は、ゲルマニア国内をぶらぶら旅しているのであった。

「なあ、ルイズ」

「何よ?」

「今まで来たことない国に来るのも、新鮮で面白いもんだ......って思ってたけど、のんびり気分もそうそう続かないもんだな」

 言ってサイトが視線を向けたのは、街道沿いの小さな森。
 昼間でも奥深くまでは陽の光が届かないため、森の中には闇がわだかまる。
 そして、よくよく注意してみれば、その闇には、ある気配が混じっていた。
 憎悪、悲しみ、嫉妬、絶望......。
 生きるものの持つ負の感情、すべてを混ぜ合わせ、風に溶かしたような気配......すなわち瘴気。
 こんな気配が漂っているということは......。

 ドンッ!

 重い衝撃音は、森の奥から聞こえてきた。

「行くわよ!」

 同時に駆け出し、私たちは木々の間を分け入っていく。
 森の奥、やや広くなった場所に散らばるのは、砕かれた大木の破片。
 それと......。

「人が倒れてる!?」

 私たちは、慌てて駆け寄った。
 伏しているのは、一組の少年少女。
 マントを羽織った男の傍らには、彼のものであろう黒い羽帽子が落ちており、ヒラヒラがついた派手な衣装を着た女の方も、レースで編まれたケープが外れかけていた。

「おい、この二人って......!?」

 抱き起こしてみて、驚きの声をあげるサイト。
 二人とも、見覚えのある顔だったのだ。

「そうね、サイト。『元素の兄弟』......ドゥドゥーとジャネットだわ」

 前に私たちの前に現れたのは、その名と姿を騙る偽物だったが、おそらく今回のは本物だろう。
 そうした方面には詳しいタバサが『裏の世界では有名』と言っていたので、ドゥドゥーもジャネットも、かなりの実力者のはず。しかし二人とも、胸のあたりをバッサリとやられており、こと切れているのは明らかだった。

「......いったい......」

 つぶやく言葉も終わらぬうちに。
 殺気が走る。
 サイトが動く。

 ギンッ!

 金属のぶつかる、鋭く澄んだ音は、咄嗟に身をかわした私の横手から聞こえた。
 視線を移せば、剣を抜き放ったサイトと、彼に対峙する黒い人影......。
 黒い人影というのは、たとえでも何でもない。実際、全身が黒いのだ。
 身につけた鎧らしきものと、右手に下げた黒い剣。真っ黒な全身には、ところどころ異様な白い模様が入っている。
 異端の宗教の神官が武装したようなイメージだが、放つ気配は間違いない。
 ......魔族......。

「その者達ニ用があル」

 それは倒れた二人に視線を向けて、くもぐった声でたどたどしく言った。

「もう死んでるわよ。あんたが殺したんでしょ?」

「......」

 私の言葉に、それはしばし沈黙してから、模様しかない顔をこちらに向けて、

「......死ンで......いル......? そウか......死んダか......」

 考えこむかのように小首を傾げ、再び沈黙する。

「なんかこいつ、あんまり頭良さそうじゃねぇな」

 私の横ににじり寄り、小さく耳打ちするサイト。クラゲ頭のバカ犬に言われるとは、よっぽどであるが......。

「そうね。でも、こんなんでも一応、魔族なんだし......」

 私たちの会話の途中で、それはふと顔を上げ、沈黙を破る。

「......お前たチ......私ヲ見たな......」

「ちょ......ちょい待ち! それはあんたが勝手に......」

「......目ゲキ者......生かシておケない......」

 私の抗議には取り合わず。
 黒い魔族は地を蹴った!
 横っ飛びで、一気に私たちとの間合いを詰める。

「......速い!」

 ギン!

 横薙ぎに来た一撃を、サイトがなんとか受け止めていた。
 こいつ......強い!
 はっきり言って、今の一発、受けられたのはガンダールヴだからこそ、である。普通の人間ならばスピードに対応しきれず、あっさり斬り倒されていただろう。
 敵は一撃が受けられたのを悟るやいなや、剣を引き......。
 同時に後ろに飛び退り、追撃をかけていたサイトに、あらためて剣をくり出す。

 ギゥンッ!

 サイトの剣がそれを弾くと同時に、『怪神官』は横へと回り込んでいた。
 今度はサイトの方が跳んで、相手との間合いを開ける。

「相棒! 娘っ子! 気をつけろ! こいつ、かなりやるぜ!」

 言われるまでもない。
 私は、すでに呪文を放つタイミングを見計らっていた。
 ......サイトと『怪神官』との、刹那の睨み合い。
 そして地を蹴る『怪神官』。大上段に振りかぶって、サイトに向かって斬りつける。
 頭上に掲げた剣で、サイトがその一撃を受け止めると同時に。
 ふたたび『怪神官』が地を蹴った。
 噛み合った剣と剣とを支点にして宙を舞い、サイトの頭上高くを飛び越えて......狙うは私!
 しかし。

 ドゥォンッ!

 唱えておいたエクスプロージョンが、空中で、まともに『怪神官』に直撃した。
 魔族といえど、この規模のエクスプロージョンに耐えられるわけがない。大きく後ろにはね飛ばされた『怪神官』は......。

「嘘!?」

 爆煙が晴れるにつれて見えてきたのは、ほぼノーダメージの『怪神官』。その前には、小さな薄い光の盾が出現していた。
 どうやらこいつ、あの一瞬の間に、空中では魔法を避けられぬと判断して、防御の術を発動させていたらしい。
 といっても、あんな薄い盾一枚で私のエクスプロージョンを防げるとは思えない。おそらく、爆圧を利用して後ろに飛んで、勢いを殺いだのだろう。そして今張っている盾は、着地後に新たに出したもの......というところか。
 一応は、私たちを警戒しているようだが......。

 ビキィンッ!

 あさっての方角から放たれた土塊が、『怪神官』の剣を直撃、打ち砕く。
 横合いからの攻撃を、とっさに『怪神官』は剣で受けたらしい。

「......ふむ。はずしたか」

 土魔法の飛んできたその方向、右手の木々の間から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。

「......縁があるわね、よくよく」

「くされ縁......ってやつかしら?」

 私の軽口に、ギーシュの横からモンモランシーが、苦笑まじりに応じてくれた。

########################

 姿を現したのは三人。
 仲良く並んだ二人は、どちらも金髪で、クセの付き方は異なるが、どちらも巻き毛。フリル付きシャツを着たキザなギーシュと、頭の後ろの赤い大きなリボンがチャーミングなモンモランシー。
 この二人とは、エギンハイムやアンブランの事件で関わりあいがあった。
 しかしもう一人は、私の知らない顔である。
 杖を手にしているのでメイジなのであろうが、筋骨隆々とした大男であり、まるでメイジとは思えない。羽織ったローブの上からでも、膨らませたボールを皮膚の下に押し込んだような、はちきれんばかりの筋肉が見てとれた。

「ただの暗殺者かと思ったけど、どうやら違うみたいね」

 モンモランシーの視線の先では、『怪神官』が、へし折れた自分の剣と、新たに登場した三人とを交互に見つめている......ようだ。目がないから断定は出来ないが。
 彼女の言葉にギーシュが頷き、

「ああ。人間の気配ではないね。また、人魔......かな?」

 彼の杖である造花の薔薇を振り、七体の青銅ゴーレム『ワルキューレ』を出現させる。いきなり七体全部ということは、ギーシュもかなり警戒しているようだ。
 これに対して『怪神官』は、不思議そうな口調でつぶやく。

「......目ゲキ者......増エた......?」

「なあ、ルイズ。あいつ......もしかして、ギーシュのゴーレムまで目撃者にカウントしてるんじゃ......」

 呆れたような声でサイトがつぶやいた、ちょうどその時。
 いきなり大きく後ろに跳び、『怪神官』は森の奥へと消えていく。

「......あ」

「逃げたようだね」

「見ればわかるわよ、ギーシュ」

 あっというまに遠ざかっていく敵の気配。
 さすがに不利と判断したのか、それとも、単に事態を把握できずに混乱して帰っただけなのか。
 とりあえず今は、戦いは終わったと判断していいようである。
 私と同じ判断をしたらしく、サイトは剣をおさめ、ギーシュも魔法を解いてゴーレムを戻す。

「また何やらイザコザに巻き込まれているようだね、君たち」

 ギーシュが髪をかきあげながら言う間に、モンモランシーは、倒れた二人のところに駆け寄っていた。

「......死んでるわね」

 彼女の言葉で、大男がそちらに視線を向ける。彼もメイジ、敵がいる間は、おそらく敵に意識を集中していたのであろうが......。

「ああっ!? ドゥドゥー、それにジャネットじゃないか!」

 叫んで走り寄る大男。
 二人の遺体を抱きしめて、彼は、その場にガックリと膝をついた。

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「......あの野郎......今度会ったら、絶対俺が殺してやる......」

 不穏な言葉を口にしながら、うずくまったまま動こうとしない大男。激しい怒りが、魔力のオーラとなって目に見えるほどである。
 近寄りがたい雰囲気があり、私たちは、彼を遠巻きに眺めるしかなかった。

「どうやら......あの二人が、彼の弟と妹だったみたいね」

 こちらに戻ってきたモンモランシーが、ポツリとつぶやく。
 その意味するところを理解して、私は、確認するかのように、

「それじゃ、あいつも『元素の兄弟』ってこと?」

「あら。ルイズ、彼らのこと知ってたの?」

「その世界じゃ有名な、傭兵だか殺し屋でしょ。私はドゥドゥーとジャネットの顔しか知らなかったけど......。でも、あんたたち、なんでそんな奴らの一人と一緒だったわけ?」

「話せば長くなるわ。本当はジャック自身の口から語ってもらうべきだけど......」

 モンモランシーは、大男の方に視線を向けて、それから肩をすくめた。どうやらジャックというのが、男の名前らしい。

「......あれじゃ無理ね。いいわ、私が説明する......」

 彼女の話によると。
 話の発端は、ゲルマニアの首都ヴィンドボナ。そこでは大々的に傭兵が募集されており、『元素の兄弟』四人も、ゲルマニアの王宮に勤めるメイジとなったのだった。
 彼らにも一応、それなりにまっとうな夢があり、そのため、そろそろどこかに落ち着こう、というところだったらしい。
 ......トリステインやガリアであれば、裏社会の住人である彼らが、簡単に表舞台に上がるのは難しかっただろうが、何しろここはゲルマニアである。貴族が利害関係で寄り集まって出来た国であり、平民でも金で貴族の地位が買えるというくらい、野蛮な国。実力ある四人が出世し、王に重用されるようになるまで、時間もかからなかった。

「......とまあ、ここまではよかったんだけどね。問題は、彼らの他にも、王様に気に入られた傭兵がいて......。彼女が今や、国のあれこれにも口出すようになってるそうよ」

「彼女......? 女傭兵ってこと?」

「そう。......あ、でも色香で王様をたぶらかした、というのとは違うんだって。『元素の兄弟』から見ても明らかなくらい、腕の立つ傭兵で......」

「そいつのせいで、国がゴタゴタしてる、ってことね。......ゲルマニアも大変ねぇ」

 まるっきり他人事の口調で言う私。
 ゲルマニアに雇われた『元素の兄弟』にしてみれば大きな問題なのかもしれないが、他国の学生メイジである私たちには、関係のない話である。
 モンモランシーもギーシュも、いったい何を考えて、こんな一件に関わろうと思ったのか......。
 彼女は、その私の内心を見透かしたかのように、

「ま、私も面倒ごとは御免って思ったんだけどね。ちょっと気が変わったのよ。......その出世した女傭兵の名前がファーティマだ、って聞いてね」

「......なっ......!?」

 モンモランシーの出した名前に、私は思わず声を上げていた。
 ......かつて......。
 私とサイト、そしてモンモランシーとギーシュは、一人の高位魔族と相対したことがあった。
 覇王グラウシェラー配下、魔剣ドゥールゴーファを携えた覇王将軍。本名シェーラ、人間界で使っている名前はファーティマ。
 あの時は、とっさの機転で撤退願ったのだが......。
 その後、私とサイトが関わった別の事件でも、シェーラ=ファーティマの暗躍が裏にあったと判明している。
 今までの事件はガリア国内の話だったが、どうやら彼女、今度はゲルマニアに魔の手を伸ばしたようである。
 それに、もしかしたら......さしたる根拠のない憶測ではあるが......。
 現在世間を騒がせているデーモン大量発生事件にも、シェーラ=ファーティマは、何らかの形で関与しているのではないだろうか。

「ジャックから聞いた人相からすると、間違いなくあの『ファーティマ』だわ。たまたま名前が同じ、ってわけじゃなくて。......そうなると、単に『出世がしたい』なんて目的のわけないわよね」

 モンモランシーの言葉に、私は無言で頷いた。
 確かに、これは放っておけない話である。ゲルマニア一国の問題ではない。

「ジャックのお兄さん......ダミアンっていう『元素の兄弟』の長兄が、『あの女は危険だ』って何度も王様に諫言したらしいけど......王様は聞く耳持たず。おまけに、反ファーティマ派だった重臣たちも次々と姿を消して......。このままじゃいけない、って思ったダミアンの指示で、ジャック以下の三人が使者に発ったの。各地の領主の協力を求めて」

「なるほどね。でも......ダメだった、ってわけね」

 私の言葉に、今度はモンモランシーが頷いた。
 ......まあ、ゲルマニアであれば、それが当然だろう。
 帝政ゲルマニアは、国土こそトリステインの十倍もある広大な国だが、それは周辺地域を呑み込んで大きくなっただけ。現在の元首アルブレヒト三世に対して、諸候の忠誠心も高くはないはず。王宮でお家騒動が起これば、王を助けるどころか、むしろ王に取って代わろうとする者の方が多いかもしれない。

「......お兄さんに言われた期日になっても、まったく味方が得られなくて......やむを得ず一人でヴィンドボナに戻ろうとしていたところで、私たちと出会ったのよ」

 ならば、ドゥドゥーとジャネットも、やはり王都に戻るところだったのだろう。わけあってペアを組んでいたのか、あるいは、たまたまこの辺りで合流したのか、そこまではわからないが......。
 ともかく。そこをあの『怪神官』に襲われてしまったのだ。

「なるほどね......だいたいの事情はわかったわ」

 モンモランシーとの話が一段落したところで、ふとサイトの方に視線を向ければ。
 彼はギーシュと二人で語り合っていた。あっちはあっちで、男同士で事情説明だったのか......と思いきや。

「そうか。ではサイトは、あれからずっとガリア国内を旅していたわけか」

「ああ。ギーシュたちは、ゲルマニアに来ていたのか......」

「ゲルマニアは楽しい国だよ、サイト。僕たち男には天国だ! ゲルマニアのレィディは情熱的でね、恋愛にも積極的なんだ。おかげで僕は......ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 話の途中でギーシュを襲う、モンモランシーの水魔法。
 彼と同じくニヤニヤしていたサイトにも、ついつい私が爆発魔法を放っていた。

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 ヴィンドボナへの旅路は、気味が悪いくらい順調に進んだ。
 ......もっとも、あくまでもここまでは、の話ではあるが。
 旅を続ける道すがら、立ち寄る街の人々に、デーモン大量発生の話を聞くのも忘れない。
 まあ、先を急ぎつつの聞き込みなので、いい加減なものになりがちではあるが......。
 それでも、ちょっと面白い話を耳にした。

「......白い......巨人......?」

「そーさな。村で警護に雇ってた、五、六人の傭兵たちがな、騒いで逃げてくるもんで。で、村のみんなで出てみると、村の南の林んところに、デーモンがずらり、よ」

 実際にデーモン大量発生事件の被害にあった村人の証言である。

「俺ぁデーモンって奴、見たのは生まれて初めてだったけどよ......いやぁ、ありゃあ恐かったなあ。絶対もう殺されると思ったぜ。あの時は」

「でも傭兵がいたんでしょ?」

「いやぁ。デーモンの数は、たぶん百やそこら、いたんじゃねーのか」

「百!?」

「ああ。どんだけウデが立つ傭兵か知らねーが、五、六人でどうにかできるわけがねえ。デーモンが出たデーモンが出た、って騒ぐだけ騒いで、とっとと姿消しちまいやがった。もうダメだ、って思って、みんなで騒いでたところで......」

「......その、白い巨人、とやらが出てきた、ってわけ?」

「そういうこった。いきなり何かが光ってよ、デーモンたちが片っ端から吹っ飛んでた。で、ちょいと離れたところに、巨人がいるのが見えたんだよ」

「......巨人......ねぇ......」

 疑わしそうな私のつぶやきにも構わず、彼は話を続ける。

「大きさは小さい山ほどもあったんじゃねーかな? 全身真っ白でよ。そうこうするうちに、ピカピカって巨人が二、三回ほど光って......。で、デーモンどもは全滅だ。......ありゃあきっと、山の神様か何かにちげーねーぜ」

 ちなみに、こうして私が聞き込みをしている間。
 サイトはギーシュと遊んでいる。ちょっと目を離すと、ギーシュに誘われて、一緒に街娘や酒場の給仕に声をかけようとしているようだ。
 でも、そこはモンモランシーが目を光らせているので、男どもの管理は彼女に一任している。
 なお、ジャックは相変わらず恐いオーラを放っているので、彼のことはソッとしておくと決めていた。

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「......けどそういえば、あいつ、あれから襲ってこないよな」

 サイトがポツリとそう言ったのは、やや遅めの夕食の席......ヴィンドボナまであと四日ほどに迫った日のことだった。
 小さな街の、どこにでもあるような食堂兼酒場。
 夕飯の時間にしてはやや遅いが、酒を飲みに来る客もいる。店内は、結構ごった返していた。

「あいつ......って誰のことかね? 道中で約束でも取りつけた娘がいるのかい?」

 無神経に問い返すギーシュ。
 サイトの問いをワザと無視した私の心配りに気づくどころか、サイトの言葉を都合よく誤解している。

「ちげーよ。......ほら、前に俺とルイズが戦ってた、真っ黒な魔族がいたろ。目撃者は消す、とか言ってたやつ」

「娘っ子は『怪神官』とか呼んでたな」

 人間サマの習慣に疎いのか、デルフリンガーまで会話に参加する。
 テーブルの隅では、話を耳にしたジャックがピクッと体を動かし、不気味なオーラを増強させていた。

「......『怪神官』......あいつは絶対に俺が殺してやる......」

 まるで復讐鬼のようなセリフを吐くが、これも聞かなかったことにする私。
 モンモランシーは、まともに怯えて、ちょっと引きつった声で、

「そ......そういえば全然姿を見せないわね。もう忘れたんじゃないの?」

「そうかなぁ? まあ、出てこないなら出てこないで、それが一番いいけどよ。......どう思う、ルイズ?」

「私に話を振るなぁぁぁぁっ!」

 言うサイトに、思わず私は声を荒げた。
 一同の、驚いたような視線が私に集まる。

「......な......何だよルイズ、いきなり......」

「おでれーた。さすがの俺さまも、おでれーた」

「あああああっ! みんな世間知らずにもほどがあるわっ! 普通こういう場合『あいつが襲撃してこない』なんて話してたら、ちょうど相手が襲ってくる、っていうのが御約束でしょっ!?」

「......そ......そんな......漫画じゃあるまいし......」

「サイト! そうやって私の知らない言葉出して誤摩化すの、やめなさい!」

「ああ、ごめん。漫画っていうのは......」
  
 ドォンッ!

 ちょうど聞こえてきた、遠い爆発音。
 みんなの目が点になる。

「......お......おい!? 嘘だろ!?」

「あいつか!? ようやく来やがったか!」

 一人だけ少しニュアンスが違うが、ともかく私たちは腰を浮かす。
 同時に、店の扉がバタンと開き、転がり込んで来たのは一人の男。

「た......たいへんだ! デーモンたちが! この街に向かって......!」

 手近なテーブルに手をつき、かすれた声でがなり立てる。

 ......ざわざわ......。

 店の人々のざわめきと......。

 ......ドォンッ!

 再び起きた爆発音とが重なった。

「デーモン大量発生のほうね!?」

「......ちっ。別口か」

「ほら。違うじゃん、ルイズ」

 落ち着いて座り直すジャックにつられて、サイトも座ろうとするが、その頭を私は思いっきり引っぱたいた。

「座り直してどうすんのよ、サイト! どっちにしても、おおごとでしょうが!」

 そもそも私たちがゲルマニアに来たのは、デーモン発生事件の調査のためである。サイトのことだから、当初の目的などケロッと忘れていそうだが。

「行くわよ!」

 私の言葉を待つまでもなく、ギーシュとモンモランシーは、戸口に向かって駆け出している。チラッと見れば、ジャックは「関係ないね」という顔で手を振っていた。
 ジャックを残して店を飛び出せば、戸口に立ちつくす二人と、右往左往する街の人たち。

「遅いわよ、あなたたち!」

 ちょっとイラついた声で吐き捨てるモンモランシー。
 街の人々は、完全にパニクりまくっている。これではデーモンが、街のどちらから近づいてきているのかさえ不明である。

「これじゃ、そこら辺の人をつかまえて聞いても、正確な答えは期待できないわね......」

「だったら空から見たらいいんじゃねぇか?」

 ポツリとつぶやくサイトの言葉に、その手があったか、という顔でモンモランシーが呪文を唱える。
 店の屋根の上へ『レビテーション』で飛び移り、辺りをグルリと見渡して、すぐにそのまま降りてくる。
 彼女はストンと着地して、

「こっちよ」

 言ってすぐさま走り出す。
 あとをついていく私たち。

「裏路地を行くわ」

 そう宣言すると、人ごみを避け、横手の路地に入り込む。
 なるほど、良い判断である。混乱する人々の真っただ中を突っ切るのは、いくらなんでもラクではない。
 右に左に折れ曲がる、人通りのない裏路地。そこを四人は、一列に駆け抜けて......。

「......!?」

 広い通りに出たところで、ピタリとモンモランシーは足を止めた。
 続いて私も通りに飛び出し......。

「......え?」

 そこには誰もいなかった。
 全く無人の街並が、ただ閑散と広がるのみ。

「おや? 道を間違えたのかい、モンモランシー」

 のんきなセリフを吐くギーシュに、サイトが冷静に声をかける。

「違うぞ、ギーシュ。......気づかないのか?」

「ざわめきが消えているわ」

「......あ」

 私に言われて、ようやく彼も悟ったらしい。
 そう。
 つい今しがたまで聞こえていた、パニクりまくっていた人々の声が、今や全く聞こえなくなっている。

「......これって......」 

 やや怯えた声を上げるモンモランシーに、

「結界よ。......たぶん、魔族の、ね」

「そういうことだ。よく知ってるな」

 答えた私のその声に、もう一つ、別の声が重なった。


(第二章へつづく)

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第十二部「ヴィンドボナの策動」(第二章)

「......何よ......あれ......」

 モンモランシーの視線は、通りを挟んで少し離れた、細い路地の方を指していた。
 彼女と同じようにそちらを見ながら、ギーシュは少しのんきな声を上げる。

「ふむ。なんだか珍しい生き物のようだね」

 ......たしかに......。
 レッサー・デーモンや人魔ばかり相手にしてきた者の目から見れば、その姿は、さぞや異様に映ったことだろう。
 ほとんどボロきれ同然の、黒いマントを身にまとった、人の形をしたもの......。
 しかしそれが人間などではないことは、誰の目にも一目瞭然。
 痩せた......というより、異様に細い全身を覆った肌は、古い死体のように黒ずんでいて。
 顔には、耳も鼻も口も髪もなく、ただ、巨大と言っていいほどの大きな二つの目。それをギョロリと見開き、濁った視線をこちらに向けている。

「......ごくごく一般的な......純魔族ね......」

 モンモランシーとギーシュの言葉に応えるように、私はポツリとつぶやいた。
 動物などに憑依して具現するレッサー・デーモンとは違って、彼らは自らの『力』のみで、私たちの世界に具現する。当然ながら、その実力は、レッサー・デーモンなどとは大違い。

「空間を変なふうにいじくって、ここに私たちだけを閉じ込めたのよ」

「ほぉう。よく知ってるな」

 私の言葉に、『それ』は、感心したような......あるいは馬鹿にしたような口調で言った。

「まあね。色々あったから。......って、別に世間話がしたくて出てきたわけじゃないんでしょう?」

「まあな。......それほどたいした用じゃあないんだが......」

 ギョロ目の魔族は、言って滑るように、大通りへと歩み出る。

「ちょっと死んでもらおうと思ってな」

「......言うだけなら、簡単ね」

 私は魔族に視線を向けたまま、モンモランシーたちに声をかける。

「大丈夫、心配することないわ。前に戦ったハイパー・デーモンと比べたら、こんなのザコよ。......でも気をつけてね。敵はあいつ一人じゃないはずだから」

「ザコ呼ばわりは気に入らんが......しかし、よく気がつく女だな。......お前たち!」

 ギョロ目の声と同時に殺気が走る。
 仲間を呼んだか!?
 一つは......上!
 私が振り仰ぐより早く、サイトの剣が迎え撃つ。

 キゥンッ!

 頭上に響く硬い音。間を置かず、それは前の通りに着地して、再び跳んで間合いを開けた。
 ......『怪神官』......かと思ったが、少し違った。
 真っ黒な全身は『怪神官』と同じだが、首から上が、決定的に異なっていた。
 顔が違う、というのではない。こいつには、そもそも顔そのものがなかった。
 それの首の部分からは、子供の手首ほどの太さをした、蛇の頭のようなものが五、六本生えているだけなのだ。ちょうど、首から上に、小さいヒドラの首を移植でもしたかのように。

「また......趣味の悪いのが出てきたわね......」

 そして、もう一つの殺気は、ギョロ目がいるのとは反対の方の、横手の路地から歩み出てきた。
 二匹目と同じような姿形だが、こっちは全身が血のように赤い。両刀使いのようで、両手に剣をぶら下げている。

「......三匹!?」

 緊張した声を上げるモンモランシーに、ギョロ目は低い笑い声を漏らして、

「......まあ、たかが人間五匹程度にこちらが四人、というのは、いささか大げさだとは私も思うのだがな......。一応命令だからな」

「命令、って、覇王将軍からの?」

 さらりと返した私の言葉に、魔族はスイッと目を細め、

「......貴様......何者だ? いったい......?」

「あんたに『何者』呼ばわりされるいわれはないわよ」

 このギョロ目、おそらく襲撃部隊のリーダーなのだろうが......。
 意外と頭は悪いのか、はたまた、うっかり者なのか。こいつが滑らした口からは、結構重要なことがわかっている。
 まず『人間五匹』と言ったこと。続いて『こちらが四人』。
 後者だけならば、この場にもう一匹いるのか、とも思えるが、前者があれば意味は大きく変わってくる。
 ここにいる私たちは四人。つまりギョロ目は、ここには来ていないジャックを数に含めているのだ。ということは、ジャックのところにもう一匹、別の魔族が向かっている、ということだ。

「......何をどこまで知っているのかは知らんが......やはり始末しておいた方が良さそうだな!」

 言葉と同時に右手を薙いで、虚空に瘴気の槍を生み、こちらに向かって解き放つ。
 とっさに散り、かわす私たち。

「サイトは『黒ヒドラ』を! モンモランシーとギーシュは『赤ヒドラ』! 私はあのギョロ目をやるわ!」

「よかろう! こいつは任せたまえ!」

 言いながら、ギーシュが薔薇の杖を振る。
 花びらが舞い、七体の青銅ゴーレムが出現した。
 ......純魔族相手で力の出し惜しみは出来ない、ということで、最初から全ての『ワルキューレ』を使うつもりらしい。
 モンモランシーは、ギーシュの傍らで、援護の体勢。
 サイトは、気合いと共に『黒ヒドラ』に向かって斬撃をくり出していた。
 そして......。

「我が名はレビフォア!」

 怒りの声を上げるギョロ目に向かって、口の中で呪文を唱えつつ、私が突っ込む。

「一人で私に向かう蛮勇は褒めてやる! しかし勝手におかしな呼び方をするな!」

 魔族は抗議の声と同時に、今度は左手を一閃。
 飛び来る黒い刃を、私は横へと跳び、かわすと同時に、杖を振り下ろす!

 ドワァンッ!

「馬鹿な!?」

 驚くレビフォア。
 私のエクスプロージョンは......彼ではなく、『赤ヒドラ』に直撃したのだ。
 ......レビフォアに向かっていったのはフェイントだったが、あっさり引っかかってくれた。普通の『ブレイド』も使えぬ私が、魔族と斬り合いなんてするわけないのに。

「何するんだ、ルイズ!? 僕のワルキューレが!」

「いいじゃないの、一体くらい!」

 ギーシュの文句と、それを宥めるモンモランシーの声も聞こえてくる。
 たしかに青銅ゴーレムも一体巻きこまれたようだが、これくらいは許して欲しい。二人が接近戦をしていなかったことだけは――二人が巻き込まれないことだけは――、ちゃんと視界の隅で確認していたのだから。
 ともかく。
 文句を言いながらも、この機を逃すギーシュではない。
 エクスプロージョンをモロに食らってよろめく『赤ヒドラ』に、ギーシュのワルキューレたちが殺到。串刺しにされた魔族は、ひとたまりもなく打ち倒された。

「へえ。ゴーレムの槍に貫かれたくらいじゃ、純魔族にはダメージにならないかと思ったんだけど......ギーシュのゴーレムって、ちゃんとタップリ、ギーシュの精神力が込められてたみたいね」

「......っ!」

 わざと軽く言ってみせた私に、レビフォアは一瞬、敵意に満ちた視線を向けて......。

「......退くぞっ!」

 不利と判断してか、声と同時に、後ろ向きのまま路地の奥へと滑り込む。
 サイトと剣を交えていた『黒ヒドラ』も、レビフォアの声にアッサリ身をひるがえす。
 だが。

「甘ぇぜ! 相棒の前で隙を見せるとは!」

 攻撃から撤退に転じる一瞬が、魔族の隙となったらしい。サイトにバッサリ斬り捨てられ、黒い塵となって消滅した。

「結局一匹だけか。逃がしてしまったのは」

「追わなくていいのかしら」

 ホッとしたように言うギーシュとモンモランシーに、私は静かに声をかける。

「深追いは禁物よ。たしかに、このまま追撃をかけて倒した方が、後腐れはないんでしょうけど......」

「......この空間は、奴の張った結界だ。追いつけっこねえ......どころか、ヘタに追いかけりゃあ、分断されて各個撃破される恐れもある、ってこった」

 デルフリンガーが、私の言葉を補足した。
 今は奇策でサクッと二匹倒したものの、次からはレビフォアも、そうそう油断はしてくれないだろう。甘く見れば、今度倒れるのはこちらかもしれない。
 そもそも、ひょっとしたら今の撤退自体が罠、という可能性すらあるのだ。

「......けどよ、デルフ。そうすると俺たちって、どうやってこの空間から出るんだ?」

「あの魔族......娘っ子が『ギョロ目』って呼んでた奴、あいつが逃げ切ったら、勝手に解除されるだろうよ」

「そうね。問題はそれから先だわ。次から連中、かなり本気でしかけてくるだろう、って......」

 私の言葉が終わるより早く。

 ざわり......。

 街に再びざわめきが戻った。
 それまで誰もいなかった通りに、唐突に、人の姿が現れる。
 どうやらレビフォアの張った結界が解けたようである。

「なるほど。言ったとおりだね」

「......けど、悠長にしてはいられないみたいよ」

 ギーシュの言葉に続けるモンモランシー。
 辺りを行き交う人々から見れば、私たちの方がいきなり現れたように見えるはずだが、それをどうこう言ってくる者など一人もいない。
 この街にデーモンたちが向かってきており、それどころではないのだ。
 しかし。

「とりあえず、デーモン事件の方は、いったん棚上げよ。......さっきの店に戻らなきゃ」

 私が声をかけると、再び駆け出そうとしたモンモランシーが、疑問を顔に浮かべて振り返る。

「......え? でも......」

「ジャックのことが心配でしょ」

 レビフォアの発言から考えて、ジャックの方にも魔族が一匹、行っているはず。

「それなら大丈夫だろう。ああ見えて、彼は強いのだよ。なにしろ......」

「わかってるわ、ギーシュ。『元素の兄弟』の一人だ、って言いたいんでしょ? でも、その『元素の兄弟』の二人が、あの『怪神官』にやられてるのよ! こっちに出て来なかったんだから......たぶん『怪神官』はジャックのところだわ!」

 説明している時間も惜しい。
 早口で言い捨てて、私は戻る方向に走り出す。
 サイトは当然として、ギーシュとモンモランシーの二人もついてきた。私の言い分を認めたようだ。
 そして......。

「なんだ、これは!?」

 ギーシュが声を上げたのも無理はない。
 元の場所まで戻ってみると。
 食堂兼酒場は消滅しており、クレーターと化した跡地の真ん中に、ジャックが一人、意識不明で倒れていた。

########################

「......倒せなかった......自爆覚悟の大技を使ったのに......」

 意識を取り戻したジャックは、そう嘆いていた。
 結果的にはジャック自身ではなく、お店が一軒消滅したのだから、迷惑な話である。
 しかも、敵の『怪神官』には逃げられたようだし。
 ......まあ、それはともかく。
 ジャックの無事を見届けてから、私たちは、再びデーモン大量発生の方に戻った。
 街の出入り口の広場の、さらにその向こう。北へと延びる街道に蠢く無数の影。
 そして......。

「......なあ、あれ何だ? あの白いの......」

 辺りにひしめいていたデーモンたちを吹き散らす、謎の光。

 ジャッ!

 音を立て、光が虚空を薙ぎ裂いて、次々とデーモンが地に伏していく。
 その光を発しているのは......。

「......あれが......白い......巨人......?」

 まばゆいばかりの、あざやかな白い全身。
 この距離からでは細かい部分はわからないが、確かに基本体型は人に近い。頭は半ば肩にめり込んでおり、やや異様なデザインの白いゴーレム、といったところだろうか。
 それはデーモンたちを一掃した後、その場できびすを返し......。
 私たちが見守る中。
 唐突に、まさに文字どおり、姿を消したのだった。

########################

 丘を越えると、街が見えてくる。
 周りをグルリと外壁に囲まれて、大きく広がる街の名は、帝都ヴィンドボナ。

「ここがゲルマニアの首都か。トリステインやロマリアやガリアとは、ずいぶん雰囲気も違うんだな」

 遠くから街を見下ろして、サイトがのんきな声を上げた。

「水を差すみてーで悪いがな、相棒。のんびりしてる場合じゃねーと思うぜ」

「デルフの言うとおりね。どう考えたところで、こっからが本番なんだから」

 そう。
 前に襲ってきたレビフォアたちが、この街にいるはずの覇王将軍の指令で動いていたことは、まず間違いない。
 そしてあれ以来、連中は襲撃をかけて来ていない。
 ということは、逆に言えば、この街に戦力を集中し、迎え撃つつもりだということだ。
 ......覇王将軍シェーラ=ファーティマだけでも、シャレにならない相手だというのに......。

「はあ......」

 サイトにも聞こえぬくらいの、小さなため息をつく私。
 手助けが欲しいところだが、キュルケやタバサは行方も知れぬままだし、姫さまはトリステインでしっかり『王女さま』してるであろうから、頼むわけにもいかないし......。

「......このメンツだけで、やるしかないのよね......」

「......ん? 何か言ったか、ルイズ?」

「いいえ、なんでもないわ」

 私は他の四人と共に、丘から下る道をゆく。
 一路、ヴィンドボナを目ざして。

########################

「......申し訳ありませんが......お通しするわけにはまいりません......」

 言いにくそうにつぶやきながら、手にした杖で若い兵士が、私たちの行く手を遮った。
 それは、ヴィンドボナを取り囲む、街壁の一つでの出来事だった。

「なんだと......?」

 いきなりといえばいきなりな反応に、ジャックの表情が険しくなる。
 ......まあ、無理もないだろう。
 こういった城塞都市の街壁は、万が一の時、外敵から街を守るためのもの。いくら諸候の忠誠心が高くないゲルマニアとはいえ、反乱が起こっているわけでもないのに、王都の守りをガチガチに固める必要はないはずだ。
 実際、私たちが兵士の一人に止められているその横を、街娘や商人や、その他もろもろの人々が、どんどん街の中へと入っていく。
 にもかかわらず。
 ここの王宮で働いていたジャックがいるのに、『通せない』というのは......。

「どういうことだ!? 俺は『元素の兄弟』のジャックだぞ! 兄弟四人でアルブレヒト三世陛下に仕え、ダミアン兄さんなどは将軍待遇を受けているほどだ! 特命あってヴィンドボナを出ていたが、こうして戻ってきたのだ! 連れの四人も、その任務に関係するものたちだ!」

 声を荒げて捲し立てるジャックに、兵士は言いにくそうに、

「......その......お名前と身分は存じ上げています......。ですから......お通しできないのです......」

「......どういう意味だ?」

「......命令が......下っております......」

「命令?」

「はい......その......ジャック殿以下、帝都を離れた『元素の兄弟』の者たちを......その......」

「何だ!? かまわんから、はっきり言ってみろ!」

「は......その......無断にて出奔したかどで罷免......戻ってきても......街に入れるべからず、と......」

 うわあ。
 予想もしていなかった、大変な状況である。

「だ......誰が下した命令だ!? ハルデンベルグ侯爵か!?」

 ジャックに問われて、まだ若い兵士は、周りにいる他の兵士の視線を気にしつつ、小さく頷いた。

「......その......もちろん陛下の認可を受けての命令ですし......私としては......」

「......わかった。ここで騒ぎ立てても無駄だ、というのは、よくわかったぜ。......街に入れないというなら、代わりにダミアン兄さんと連絡を取ってもらいのだが......」

「......それが......その......」

 再び沈痛な表情で言いよどむ兵士。

「なんだ? まさか、それもダメだ、という命令が出てるわけじゃないだろう?」

「いえ......。ダミアン殿は......お亡くなりになられました......御病気で......」

「......!」

 完全に言葉をなくして、ジャックはその場に立ちつくすのであった。

########################

 夜の酒場には、それなりの騒がしさが満ちていた。
 こんな御時世であっても、アルコールが入れば人々は陽気になるのだ。
 しかし私たち五人のテーブルだけは、重い静けさに沈んでいた。
 ヴィンドボナの近くにある小さな街の、宿の一階にある酒場でのことである。

「......ねえ、教えてもらいたいんだけど......」

 一同があらかた食べ終わったところで、私は敢えて尋ねた。この雰囲気が嫌だったのである。

「ハルデンベルグ侯爵っていうのは何者? 昼間その名前出したとき、あんた、含むところがあるみたいだったわね」

「ああ。ハルデンベルグ侯爵は、王宮の軍を束ねる総司令官みたいなもんだ。俺たち『元素の兄弟』も、最初は奴に取り立ててもらったんだが......」

 ジャックは、口元に苦笑を浮かべて、

「......どうやら俺たちは、王様に気に入られすぎたようでな。ダミアン兄さんがまるで将軍のように扱われ始めた後は、ことあるごとに対立していたよ。......問題のファーティマを登用し、アルブレヒト三世に引き合わせたのも、奴だった。まあ、王様への御機嫌取りのつもりだったようだな」

「......ふぅん......。ようするに出世しか考えてない、無能な将軍ね?」

 バッサリ言い切った私の言葉に、ジャックは無言で頷いた。
 それを見て、私は、さらに尋ねてみる。無神経と言われるかもしれないが、聞いておかねばならないのだ。

「......で、あんた、これからどうするつもり? 将軍格だったお兄さんも死んで、『元素の兄弟』は、もうあんた一人。王宮からも追い出されちゃったみたいだし......この一件からも降りる?」

「フン、馬鹿を言うな。弟と妹の仇もとらずに逃げ出せって言うのか? ......それに......」

 ジャックは、グラスの酒をあおりながらつけ加える。

「この時期、このタイミングでダミアン兄さんまで死んだだなんて......タイミングが良すぎる。偶然とは思えねえ」

「謀殺......?」

 私の言葉に、再び無言で頷くジャック。
 たしかに。
 ドゥドゥーとジャネットが、覇王将軍の配下らしき『怪神官』に殺されているわけだから、ダミアンとやらが似たような運命をたどっていたとしても不思議ではない。

「......もう俺はヴィンドボナの王宮勤めじゃねえ。仇が中にいるのが確実なら、王宮ごと吹っ飛ばしてもいいんだが......」

 ......おい。私でもやらないような物騒な作戦を、あっさりとジャックは提案する。

「......それで中に肝心の奴がいなかったりしたら、目も当てられないからな」

「そ......そうよね。じゃあ、まずは帝都に潜入して、どこかに身をひそめるということで......」

「ああ。ヴィンドボナに入り込みさえすれば、なんとかなるだろう。今夜一晩ゆっくり休んで体力ためて、明日から本格的に行動開始だ」

 さすがは裏の世界で名を馳せた『元素の兄弟』。兄弟を失って落ち込んでいただけではなく、ちゃんとまともな計画も考えていたらしい。

「......わかったわ。みんなも、それでいいわね?」

 ジャックとの会話には参加しなかった三人へ、私はあらためて同意を求めたが......。

「痛っ! 痛いよ、モンモランシー......」

「そうだぜ。少しくらいは許してやれよ」

「何言ってんの! あなたも同罪よ、サイト!」

 いつのまにか。
 ギーシュが給仕の娘に色目を使っていたらしく、モンモランシーに折檻されていた。
 ......こっちがシリアスな会話をしている横で......。
 まあギーシュはギーシュだから仕方ないとして、頼むからサイトに変なこと教えるのだけはやめて欲しい、と、つくづく私は思う。

########################

 酒場から響いてきたざわめきが消えたのは、どれくらい前のことだっただろうか。
 時間だけが、闇の中をむなしく流れ......。

「......ああっ! 眠れんっ!」

 叫んで私がベッドから這いずり出したのは、たぶん夜中をまわったあたり。
 横で私がモゾモゾしていても、サイトは全く目を覚ます気配もなし。寝る前のお仕置きエクスプロージョンが、ちょっと激しすぎたのかな、と反省しつつ......。
 私は一階の食堂へと向かった。何かあったかいものでも食べれば、少しは眠くなるだろうと考えたのである。
 食堂には、まだランプの明かりが灯っており、そこには......。

「モンモランシー?」

 そう。片隅のテーブルで一人、ちびりちびりとワインを飲んでいたのは、モンモランシーだった。

「どうしたの? 一人で。......あ、おじさん、あったかい食べ物お願い」

 とりあえず料理を注文してから、モンモランシーの向かいに腰かけて、

「やっぱりモンモランシーも眠れなかった、とか?」

「......まあね......」

 私の問いに彼女は、やはりワインをちびちびやりながら、いまいち気のない言葉を返す。
 そりゃま、そうだろう。
 明日の夜にはヴィンドボナ。ひょっとしたらそのまま一気に王宮に潜入して、シェーラ=ファーティマと対決、などという可能性も大アリである。
 いよいよ覇王将軍クラスの大物魔族にケンカ売ろうかという時に、リラックスして寝ろ、という方が難しい。

「ギーシュは?」

「ぐっすり眠ってるわ。......サイトも?」

「うん。こういう時って、男たちの方が気にせず眠れるみたい」

 運ばれてきたシチューに口をつけながら、私は答えた。
 ずいぶん調理が早いな、と思ったが、どうやら残りものを温めただけらしい。まあこんな時間だし、これでも十分である。
 味も悪くない。からだ全体が暖まり、少し気分もほんわかしてきたところで、私はふと、

「......けどそういえば、こういう状況って、あんまりなかったわね」

「こういう状況?」

「そ。女だけで話する、って状況。モンモランシーの隣には、いつもギーシュがいるし......」

「......あなたのそばにはサイトがいる」

 言われて私は、ぽりぽりと頬をかきながら、

「だってサイトは、私の使い魔だし。......でもモンモランシーの場合は、二人ともメイジよね。なんで一緒に旅してんの?」

 聞くだけ野暮かもしれないが、敢えて聞いてみた。
 彼女はしばし、口の端に笑みを浮かべて沈黙し、それから。

「......私は......たぶん......」

「待って!」

 答えかけたモンモランシーを、私の言葉が止めていた。
 ゆっくりと振り向けば、薄暗い店内。天井に揺れるランプ。くすんだ壁。
 何も変わりはありはしない。だが、確かに、おかしな気配がしたのである。

「変ね」

 言いながら、モンモランシーはカタンと席を立つ。彼女は、気配は読めなかったが、代わりに気づいたのであった。

「店のおじさんがいなくなってるわ」

「......!?」

 慌てて私も、そちらに目をやる。カウンター越しに見えていた、厨房に立つ人影が、いつのまにか姿を消していた。
 モンモランシーに告げるように、私は言う。

「また結界に取り込まれたわね」

「それじゃ......魔族ってこと?」

「......ほう......よく知っているな......」

 私の言葉に応じたのは、モンモランシーだけではなかった。
 低い声が、薄暗い部屋に響き渡る。

「出たわね!」

「でも......どこよ!?」

 辺りをザッと見回すが、それらしき相手の姿はない。
 しかし気配はある。確実に。

「......くくくく......我の姿が見えぬか。所詮は人間というものよ。シェーラ様も何故このような輩に警戒なさるのか......」

 ......ざらり......。
 声と共に、どこからか、砂の流れるような音が聞こえる。

「ランプ!?」

 モンモランシーの声に、私は視線をはね上げた。
 ランプの生み出すボンヤリした光が、一条だけ床に落ちかかり......。
 みるみるうちに、薄い光はわだかまり、人の形を成す。

「これで見えただろう? 人間よ。覚えておけ。我が名を。覇王将軍シェーラ様旗下、グバーグの名を」


(第三章へつづく)

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第十二部「ヴィンドボナの策動」(第三章)

「これで見えただろう? 人間よ。覚えておけ。我が名を。覇王将軍シェーラ様旗下、グバーグの名を」

 モンモランシーと私のガールズトークを邪魔した魔族は、やはりシェーラ=ファーティマの手下だった。
 しかし相手が誰の部下であろうと、私のやるべきことに変わりはない。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 エクスプロージョンの光球が、白い魔族に直撃する!

「へんっ! 先手必勝......」

 言いかけて。
 私は思わず言葉を失っていた。
 炸裂した爆発の威力、そのことごとくが、魔族の、見開かれた黒い眼の奥へと吸い込まれていく!
 やがて......。
 爆煙も何もかも消えたその後で、魔族は、ふたたび視線をこちらに向けた。

「無駄なのだよ」

 笑いを含んだグバーグの声。

「このグバーグの瞳は、全てを虚無へと導きゆく。その瞳を持つ我を倒すのが、どれほど不可能に近いか......今のでわかっただろう?」

「何よそれ!? そんな......」

 モンモランシーは、まともに受け取って驚きの声を上げているが......。
 今の解説を聞いて、むしろ私は冷静さを取り戻していた。
 虚無のメイジを前にして『虚無に導く』とは、なんとも片腹痛いセリフである。
 グバーグがそんなたいそうな奴ならば、シェーラ=ファーティマのパシリなんぞやっていようはずはない。実際のところは、空間を歪曲するか何かして、受けた力をどこか別のところに放出する、というしくみなのだろう。

「ほかの連中のところにも、それぞれ刺客が行っている。仲良く一緒に死なせてやるよ。見せてやろう。我がもう一つの力を」

 言うなり......。

 ざわり。

 グバーグの足もとから床の上に、白い魔族自身の体が、カビのように広がっていく。
 ......浸食!?

「我が体は、徐々に広がり、この結界内すべてのものをやがて浸食する。人間ども、貴様らもな」

 勝ち誇ったグバーグの声が辺りに響き渡る。
 その間にも、白い浸食はみるみるうちに広がって、二階へ向かう階段や、店の戸口へと続く道を塞いでいた。
 並大抵の呪文の無効化、そして浸食。
 たしかに普通の人間では、これでは成すすべはない。
 だが......甘い!
 奴がグダグダしゃべっている間に、こっちの呪文は唱え終わっている!
 私は床を蹴り......。

「愚かな! 貴様もこの浸食に呑まれるだけだ!」

 そう。
 私が走る先には、カビのような浸食が広がっているわけだが......。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って形成された闇の刃が、床の浸食を切り開く!

「何!? 貴様、それは......!」

 驚愕に目を見開くグバーグのもとへ、一気に駆け寄る私。杖を一閃しながら、そのまま走り抜ける!

「どう? 本物の虚無の味は?」

 振り返りながら、言ってやったのだが......。
 もはやグバーグは答えることも出来ず、ただ黒い塵と化して、消滅したのであった。

########################

「案外あっけなかったわね」

「でも......まだ結界が消えてないわよ」

 言われて、私はモンモランシーの視線の先に目をやる。
 カウンター越しの厨房は、いまだ無人のままだった。

「......ほかにもいる......ってことかしら?」

 キョロキョロと周囲を見回す彼女に対し、

「ほかのところにも刺客が行ってる、って言ってたわね。あいつ。......たぶん、そっちに結界はった奴がいるんだわ!」

 つまり、サイトやギーシュたちはまだ戦っているということ。
 モンモランシーはハッとする。
 私たちは二人同時に、階段に向かって駆け出して......。

「シチューのおかわり、いかがですか?」

 背中に投げかけられたのは、店のおじさんの声だった。

「......え?」

 振り向けば、そこにはちょうど、厨房から姿を現すおじさんの姿。
 その手には、一皿のシチュー。

「どうせ残りものを温め直しただけですからね。これはサービスにしときますよ」

「......あ......えと......」

 顔を見合わす私とモンモランシー。
 ということは......結界が解けた!?

「モンモランシー!」

 唐突に。
 階段の上から聞こえてきたのは、ギーシュの声だった。
 彼は一気に階段を駆け下りて、ワシッとモンモランシーを抱きしめる。

「......ちょ......ギーシュ......」

「よかった......無事だったんだね、モンモランシー......」

「......あの......いや......」

「ああ、愛しのモンモランシー!」

「......その......」

「すいませんが、そういうのは自分の部屋でやってくれませんか?」

 食堂のおじさんが、文字面だけは丁寧に、しかし口調は投げやりに、言葉を挟む。
 それでもギーシュの耳には入らなかったのか、二人はヒシッと抱き合ったまま。

「......もう気が済むまでそうしてたら?」

 呆れたようにつぶやく私に、今度はサイトの声が。

「おう、ルイズ!」

 再び仰ぎ見れば、階段上の手すりから、サイトとジャックが顔をのぞかせる。

「やっぱり無事だったか」

 ......やっぱり無事だったか......って......。
 信用されている、ってことなんだろうけど......。

「少しは心配しなさいよ、サイト。あんた、私の使い魔でしょ?」

「ごめんごめん。でもさ、本当にルイズがピンチになれば、左目に映るはずだろ? それがないってことは、まだ大丈夫だ......って思ってさ」

「......まあ、いいわ。こっちに出てきたのは一匹、あのレビフォアって奴じゃなかった。そっちは?」

「なんだ、ルイズの方はそれだけかよ。こっちは三匹だったが、俺とギーシュで一匹、ジャックが別の一匹を倒したら、最後の奴は逃げて行きやがった」

 そしてサイトは、チラリと隣に目をやって、

「いや、凄かったんだぞ、ジャックは。さすが『元素の兄弟』だ。ルイズにも見せてやりたかったよ」

「相棒の言うとおりだぜ。俺さまもおでれーた」

 ガンダールヴとその剣から褒められても、ジャックは喜ぶ顔ひとつしない。代わりに少し考えこむような表情のあと、

「ふむ......ということは、またすぐ仕掛けてくる可能性があるな」

「またすぐ......って、今夜中にか?」

 サイトはわかっていないようだが、私はジャックの考えが何となく理解できた。

「なるほどね。前回襲ってきたレビフォアの姿がなかった、ってことは、彼が本命の第二陣を率いてくる可能性がある......ってことね?」

「そうだ。だったら、ここで待つより動いた方が得策だろう」

「動く......って、まさか今からかよ!?」

 驚くサイト。
 これに答えたのは、ジャックではなく、御主人様の私である。

「そういうことよ、サイト」

 すなわち......ヴィンドボナへの潜入敢行である!

########################

 一行がヴィンドボナに着いたのは、幸いにも、まだ夜明けが訪れる前のことだった。
 ......眠いけど......。
 闇に乗じて魔法で壁を乗り越えて、見張りの兵の目をかいくぐり、街に入るのも難ないこと。
 ......かなり眠いけど......。
 あとは、身を隠せそうな場所で、とりあえず一眠り。夜が明けてから、別の活動拠点を探す......つもりだったのだが......。

「ここ......なの......?」

「君はともかくとして......僕やモンモランシーは、ここで眠るのは、ちょっと難しいね」

 モンモランシーとギーシュが文句を言う。
 ジャックに連れられて来たのは、広々としたガレキ置き場。

「ジャック、あんた何考えてんの。私とサイトも嫌よ。こんなところじゃ身を隠すも何もないじゃない!」

「......いや......ここには......俺たち兄弟に与えられた屋敷があったはずなんだが......」

 なるほど、そういうことか。
 王宮からクビになった時点で、家財没収どころか、ご丁寧に家まで壊されてしまったわけね。

「じゃあ、どうするんだよ?」

 あくび混じりでサイトが問いかけるが、みんな眠くて脳ミソまわらず、しばし沈黙する。

「そいじゃあ歩き回って、適当なところ探すしかねえじゃねーか?」

 唯一眠気とは無縁なデルフリンガーが、そこそこまともな提案を出してくれた。
 黙って頷いて、そして......。
 うろうろぞろぞろ歩くうち、しらじらと、東の空が明るくなってくる。

「うわ。夜明けだし......」

「そうだな。夜明けだな」

 何も考えてないこと丸わかりな口調で、相づちを打つサイト。
 道端には、ポツポツと人の姿も見え始めてきた。
 仕入れに向かう商人ふう。やたら早起きの子供たち。街を見回る兵士たち。
 ......兵士たち?

「おいっ! そこのっ!」

 私が考え整理して、行動起こすより早く。
 兵士たちの声と視線が、私たちに向かって投げかけられた。
 五、六人ほどの一団は、ヅカヅカとこちらに歩み寄りつつ、私たちのうちの一人を指さして、

「お前、『元素の兄弟』のジャックだな!」

「......チッ。ばれたか......」

 忌々しげに舌打ちするジャック。
 うわ。眠くて思考回路が麻痺しているとはいえ、その態度はマズイのではないか!?

「やはりそうか! 追放令を犯し、街に潜り込んだのだな!」

「仕方ねえっ! こうなったら、口を封じるしか......」

「何バカ言ってんのよ! それじゃまるで悪役じゃないの!?」

「いいじゃねえか、俺たちは『元素の兄弟』だ」

「あんただけよ! 私たちは違うわ!」

「......って、ルイズ、ジャックと掛け合い漫才やってる場合じゃないだろ」

「そ、そうね! 逃げるわよ! みんな!」

 サイトに言われて、私はダッシュで走り出す。みんなも慌ててついてくる。
 私とジャックのやりとりを唖然と聞いていた兵士たちも、ハッと我に返り、

「あ! こら待て!」

 待てと言われて待つ奴はいない。
 適当に通りを駆け抜け、路地を曲がって......。
 そのままダッシュを続けるうちに、後ろに見えていた兵士たちの姿は、ドンドン小さくなっていく。

「この分なら、逃げ切れそうね」

 思った刹那。

 ぴゅぅぅぅぅい!

 甲高い音が辺りにこだました。

「兵士の吹く呼び笛か!?」

「まずい! 人が集まってくるぞ!」

「相手は魔族じゃないんだから、ぶち倒しちゃダメよ! 命令を受けているだけの、ただの人なんだから!」

 さっきのジャックの言葉があったので、一応クギをさしておく私。
 倒すわけにはいかない、というのであれば、当然、ここは逃げるしかないのだが......。

「......こっちです!」

 建物の陰からいきなりかかった声は、どこかで聞いたような声だった。

########################

 裏路地を通り、非常階段を駆け登り。
 やがて私たちが案内されたのは、まだ新しい建物の二階にある一室だった。

「なぜ俺たちを助ける? 追放令が出てるんじゃないのか?」

「......たしかに命令は出ていますし、私も兵士のはしくれ。他の者もいたことですし、あの時は、ああするしかありませんでしたが......」

 私たちを助けてくれたのは、昨日の門番。『命令だから』と言って門前払いをくらわせた、あの地味な兵士である。

「正直なところを申し上げて......私はどうも、ハルデンベルグ侯爵のなさりようが納得いかないのです」

 彼は、小さなため息を一つつき、

「......女傭兵の登用......その傭兵に好き放題をやらせて......。や、ジャック殿ら『元素の兄弟』も傭兵あがりだとは存じておりますが、それとこれとは話が別です。特に......ダミアン殿は立派でした......まるで古くから国に仕える騎士のように......。しかし、そのダミアン殿が病死という報。正直......その......」

「謀殺?」

 私が挟んだ言葉に、彼はコックリ頷いて、

「はい。そう思いました。そんな噂も街では飛び交っております。もしそれが真実なら......この国は駄目になってしまいます。ですから......皆様には、真実を突き止め、糾弾していただきたいのです」

 他力本願な話ではあるが、全然何もしないよりは、私たちをかくまってくれた分だけでも、百万倍くらいマシである。
 ......まあ、復讐鬼ジャックが真実を突き止めたら、糾弾どころじゃ済まないでしょうけど......。
 ともかく。
 彼の好意に甘えることにして、とりあえず私たちは、思い思いに、その辺りに横になったのだった。

########################

 その日の夜......。
 私たちが行動を開始したのは、夜のとばりが街に落ち、しばらくしてからのこと。
 昼間に目が覚めてから、これからの方策をどうするか、あれこれ討論してもみたのだが、結局何がどうあろうと、やるべきことは決まっている。
 すなわち、城に乗り込んで、シェーラ=ファーティマを見つけてぶち倒す。
 というわけで。

「......さてと......どうやって入り込むか、だな......」

 空から『レビテーション』で城の城壁を越えて、私たちは、宿泊棟の屋根に降り立っていた。
 ここで働いていただけあって、ジャックは、大雑把な施設の配置くらいは知っている。とりあえずここまでは彼の案内で辿り着けたので、あとは、見張りの兵士でも締め上げて、シェーラ=ファーティマの居場所を白状させればいいわけだ。
 しかし。

「入り込む必要はない」

 ジャックのつぶやきに答えたのは、私たちの誰でもなかった。
 声のする方を見上げれば、そこには双月を背に、宙に浮かんだ影ひとつ......。

「また魔族ね!?」

「どう見てもそうだな」

 私の叫びに、サイトが頷く。
 それは、黒っぽい凧のようなシロモノだった。
 大きさは人間ほどもあるだろうか。厚みを感じさせない、三角形の半透明な体の向こうに、双月がうっすらと透けて見える。
 その頭の部分には、これだけは妙に現実的な、見開いた目が一つ。
 手も足もない、なかなか愉快なデザインだが、その能力が愉快の一言で済ませられるどうかは疑問である。

「シェーラ様からお聞きしたぞ......油断のならぬ相手だと......」

 魔族の一つしかない目が、ギロリと私の方を向き、

「『ゼロ』のルイズ......冥王(ヘルマスター)フィブリゾ様が滅びる因となったメイジだそうだな......」

「えっ!?」

 横からジャックの驚く声が聞こえてきた。高位魔族の伝承、ちゃんと知っていたらしい。

「信じられん話ではあるが......まさかシェーラ様が、そのような嘘をおつきになろうはずもない。そうと聞かされては......こちらも油断をするわけにはいかぬからな......」

 声に凄みをきかせる凧。
 なるほど、少しは頭も使っているようだ。
 チラッと下を見下ろせば、庭のあちこちに兵士の姿も見える。つまり目の前の魔族は、私たちを結界に閉じ込めてはいないのだ。こちらが派手な魔法でも使おうものなら、兵士が大挙して押し寄せてくる、という寸法だが......。
 しかし、甘い!

 ゴガアッ!

 私の爆発魔法が炸裂し、けたたましい破砕音が起きた。
 どうせ回避されるだろうから、狙いは魔族ではなく。
 私が打ち砕いたのは、私たちが足場としていた屋根の一部。ただし自分たち自身が落っこちないように、少し離れた場所を壊しておいた。
 もちろん、これで下の兵士たちは私たちに気づくが、そこで私は真っすぐ魔族を指さし、大きな声で、

「くせものよっ!」

「なにぃぃぃっ!?」

「面妖なっ!」

「レッサー・デーモンか!?」

「違うぞ!? でも化け物には違いないな!」

 私の叫びに、兵士たちの注意は魔族の方へ。

「......な......ちょ......待てっ......」

 利用しようとしていた兵士たちに、杖を向けられ、うろたえて......。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

「がぅっ!?」

 こちらから注意がそれたその瞬間、私のエクスプロージョン一発で、いともあっさり滅び去る。

「まだ一匹! 向こうの建物の上に!」

 下の兵士には、でまかせを言っておいて。
 私たちは、壊れた屋根の大穴から、最上階の廊下へと降り立ったのだった。

########################

 現在王宮に訪れている貴賓客はいなかったらしい。
 これだけの騒ぎの中、部屋から出て来る者はナシ。宿泊棟は静かなものだった。
 別の棟に移るため、とりあえず私たちは、廊下を走り抜け、階段を駆け下りる。
 そのうち、兵士の一団がやって来て、はちあわせしたが......。

「くせものよ! 上! 早く!」

 相手の誰何の声より早く、こちらから声をかける。
 一瞬、兵士たちの顔に浮かぶ混乱の色。
 ジャックはフードで顔を隠しており、他の四人は見知らぬ連中なのだ。

「何してるの!? 外の騒ぎが聞こえないの!?」

「俺たちはハルデンベルグ侯爵直属の傭兵だ。侯爵の命令で、今からファーティマ様を守りに向かわねばならん。上に現れた曲者は、頼んだぞ!」

「はっ!」

 ジャックの言葉をアッサリ信じて、再び駆け出す兵士たち。

「待って!」

 その兵士たちに、モンモランシーが声をかけ、

「ファーティマ様はどこ?」

「北の塔におられるはずです」

「わかったわ! そっちは任せて!」

 兵士たちも混乱していたのだろう。シェーラ=ファーティマを守りに行こうとする私たちがその居場所を知らない、という矛盾には気づかず、足早に立ち去っていく。

「......で、北の塔ってどこ?」

「それは俺が知ってる。急ぐぞ!」

 ジャックに頷き、私たちは一路、北の塔を目ざして進む。

########################

 北の塔が見えてきた。
 塔、といっても、独立した塔だけがポツンと建っている、というわけではない。宮殿から真っすぐ伸びた通路が、四角く長い建物につながり、その建物の端から生えるように、丸い塔が建っている。
 辺りに警備の兵の姿がないのは、兵士の大半が宿泊棟に出向いたからだろう。
 ある程度まで近づいたその時......。

「何だ!? 何が起こった!?」

 開け放たれた扉の一つから、白いカイゼル髭が特徴的な、がっちりした体格の男が顔を出す。
 その途端。
 ジャックが男に飛びかかり、その場に押し倒した。顔を覆ったフードを下ろしながら、

「......俺が来た、ってことさ。ハルデンベルグ侯爵」

「貴様!? ジャック!?」

「そう! 兄弟の仇をとるために、俺は戻ってきた!」

「待て! わしではない、断じてわしではないぞ!」

 見事なカイゼル髭を揺らしながら、男がまくしたてる。
 こいつがシェーラ=ファーティマを取り立てたハルデンベルグ侯爵だというならば、何をどう言い繕ったところで、ある意味元凶なわけだが......。

「ダメよ、ジャック」

 ハルデンベルグ侯爵を殴ろうとした彼の腕を、私が掴んで止める。

「この侯爵をとっちめてやるのは後回し。それより今は、シェーラ=ファーティマをなんとかするのが先決よ!」

「そうか......そうだな。こいつがダミアン兄さんを謀殺したのかどうか、それはまだ決まっちゃいねえが、あの女の手下の魔族どもがドゥドゥーとジャネットを殺したのは、間違いねえもんな!」

 そういう意味で言ったつもりはないのだが、まあ、いいか。
 私とジャックの会話を聞いて、ハルデンベルグ侯爵もため息をつく。

「......あの女......か。今の言葉からして、どうやらファーティマは、ただの女傭兵ではなかった、というわけだな」

「そうよ。信じられないかもしれないけれど、彼女はシェーラって名前の魔族なの」

「おい、侯爵。今のところは生かしておいてやる。だから教えろ。あの女は、この塔のどこにいる?」

 相変わらず物騒なことを言うジャックだが、ハルデンベルグ侯爵は、特に気にしてもいないような口ぶりで、

「彼女は今、宮殿北の、陛下の執務室にいる。陛下と共に、な。......わしが案内しよう」

「......!?」

 言われて、身を硬くする私たち。
 何かの罠ではないか、と反射的に警戒したわけだ。
 ハルデンベルグ侯爵は、それを打ち消すかのように手を振りながら、口元に苦笑いを浮かべた。

「わしとて、あの女は得体が知れん......と薄々感じていたからのう。それに、おぬしたち、わしを疑っているのであれば、わし一人ここに残しておく気にもなるまい?」

########################

 執務室へ向かう間、私たちは、ほとんど兵士には出会わなかった。外が騒ぎになっているせいで、みんなそちらへ行ってしまったのだろう。
 たまに出会う兵士も、ハルデンベルグ侯爵から、外へ向かうようにと言われて、それで終わり。
 一行は、庭を縦断する渡り廊下を駆け抜けて、さしたる障害もないままに、アッサリ宮殿に到着した。

「皆にはどう思われていたか知らんが......。わしは、アルブレヒト三世陛下を敬愛しておる。敬愛しているおかたに喜んでもらうこと......それを悪いことだと、わしは思わん。......中にはそれを、ご機嫌伺い、たいこもちの真似、と非難する者もおったがな」

 私たちと共に進みながら、ハルデンベルグ侯爵は語る。

「ダミアン殿やファーティマなど、すぐれた傭兵を陛下に引き合わせたのは、とびきりの逸材を手にしたことをお喜び頂きたかったがゆえ......。しかしそれでは終わらなかった。いつのまにか、陛下のそばには常にあの女がいるようになった......。そしてあの日も......『ファーティマの要望』で、城にダミアン殿が呼び出され......。何日も経たぬうち、ジャック殿の病死の報が流れた......」

 ジャックは、黙って聞いている。

「その頃から、わしは思い始めたのだ。わしは間違っていたのでは、と......」

「待って!」

 宮殿に踏み入ったその刹那。
 ハルデンベルグ侯爵の言葉と足に、私はストップをかけていた。
 ......ちょっとしたホールのような場所。
 人の姿はどこにもない。
 代わりに、ある気配が満ちていた。
 すなわち、瘴気が。

「......また『結界』というやつかね」

『そういうことだ』

 ギーシュのつぶやきに答えたのは、聞いたことのある声だった。

「レビフォア!?」

 いつか『怪神官』と一緒に襲ってきた、ギョロ目魔族の名を呼んで、辺りを見回してみる。だが、その姿はどこにも見当たらない。

『......貴様らに、この城の兵士たちを......普通の人間をけしかけて、高みの見物という予定だったのだがな......。どうやらうまくいかなかったようなのでな......』

 そりゃそうだ。人間の心理を読んだり操ったりするのは、さすがに魔族より人間の私たちに分がある。

『となれば......人間どもがあちこちウロウロしていても、お互い邪魔なだけだろう? だからこうして、舞台をあつらえてやったのさ』

 言うと同時に、ロビー向かいの扉が、バタンと音を立てて開く。
 こっちへ来い......ということなのだろう。

「どうすんだ、ルイズ? 俺たちの狙いは覇王将軍だけだろ。あんなあからさまに罠があります、って感じのところ......行くのか?」

「何言ってんのよ、サイト! 配下の魔族もやっつけておかなくちゃ、シェーラ=ファーティマとやりあってる途中で、後ろをつかれるわよ!? それに......私たちはメイジよ! 敵に後ろを見せない者を貴族というのよ!」

「ファーティマだけじゃねえ。実行犯の『怪神官』たちも、兄弟の仇だ」

「おぬしたちは知らんのだろうが......どっちみち執務室に行くには、あそこを通らないといけないのだぞ」

 ジャックやハルデンベルグ侯爵だけではない。ギーシュとモンモランシーも無言で頷いていた。
 そして私たちは歩み出す。
 向かいの扉......魔族たちの待つ戦いの場へと。

########################

 開け放たれたロビーを越えて、しばらく廊下を進むと、やがて一枚の豪華な扉が見えてきた。

「......謁見の間だ。執務室は、その向こうにある」

 神妙な顔つきで、ハルデンベルグ侯爵がつぶやく。
 彼もわかっているのだろう。おそらくレビフォアたちが仕掛けてくるのは、この謁見の間なのだ......と。

「じゃ、俺が開けるわ」

 デルフリンガーを構えつつ、サイトが扉に歩み寄った。
 その刹那。
 扉の向こうで殺気がはじけた。
 サイトの剣が閃く。
 いくつにも斬られた扉が、地に落ちる。
 扉の向こうに見えたのは、ウジャウジャと蠢く黒い影と、こちらに向かう無数の光条!
 瞬間、モンモランシーとハルデンベルグ侯爵が、それぞれ『水』と『炎』の防御魔法を発動させる。

 ヴァババババババゥッ!

 無数の光が結界に当たってくだけ、宙に散る。
 直後、今度は私のエクスプロージョン!

 ガグォォガァァッ!

 増幅をかけておいた一撃は、影のいくつかを薙ぎ飛ばした。

「おおおおおおっ!」

 同時に雄叫びを上げながら、左右から突撃するサイトとジャック。
 ギーシュはワルキューレを出現させ、モンモランシーとハルデンベルグ侯爵も次の呪文を唱えながら、扉の中へと走り込む。
 高い天井。広い空間。
 真っすぐ伸びた赤い絨毯のその先には、今は無人の玉座が一つ。
 絨毯の左右には、立ち並ぶ大理石の柱。
 その空間の中にいる、黒い影の数、ざっと見たところ二、三十。

「どいつもこいつも『怪神官』や『黒ヒドラ』と似たようなイメージの姿ね......」

 黒い全身。意味不明の面妖な模様。
 頭の形が違ったり、手足の形が違ったり、中には武器を持っていたりする奴もいるが、この場にひしめいているのは、そんな連中ばかり。レビフォアの姿はないし、『怪神官』も混じってはいないようだ。
 だが、悠長に観察している暇はない。ちょいと油断をしていると、あちらこちらから炎や氷の矢や槍が、好き放題に飛んでくる。
 それらをかいくぐりながら......。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 ボゥムッ!

 エクスプロージョンの光球が数体の黒い姿を包み込み、あとには塵も残さない。
 あまり周りを見ていられる状況ではないのだが、他の皆も、どうやら善戦しているらしい。
 意外と言ってはなんだが、ハルデンベルグ侯爵もかなり優秀な『火』メイジのようで、今も一匹の魔族を焼き尽くしていた。

「......この連中、純魔族にしては、それほど強くないわね......」

 ふと、つぶやく私。
 いや、むしろ弱い、と言った方がいいくらいかもしれない。あちこちの街や村で大量発生しているレッサー・デーモンと、同じくらいではなかろうか。
 ......これなら......なんとかなるか!?
 思った刹那。
 後ろに殺気が生まれた。

「!?」

 振り向くいとますら惜しみ、私はとっさに横に跳ぶ。
 ほとんど同時に、背中からマントを貫いて、光が脇を行き、過ぎる。

「......ずいぶん良いカンをしているな......」

 聞こえた声に、黒い魔族たちの動きが止まる。
 振り向いたそこには......。

「やっぱり出たきたわね、あんた!」

 レビフォアをはじめとする、四つの影があった。


(第四章へつづく)

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____
第十二部「ヴィンドボナの策動」(第四章)

「......ずいぶん良いカンをしているな......」

「やっぱり出てきたわね、あんた!」

 新たに現れた四匹は、レビフォアと『怪神官』、そして私の知らない魔族が二体。
 一匹は、半透明でのっぺらぼうの大男。そしてもう一匹は、両肩から二本ずつの触手が生えた苔色の奴で、こちらは顔には目玉が一つあるだけ。
 レビフォアは、辺りをザッと見回して、

「......こいつらだけで貴様らを仕留められるとは思っていなかったが......この短時間でこれだけ数を減らされるとは......」

 たしかに、私たち――私とサイトにギーシュとモンモランシーそしてジャックとハルデンベルグ侯爵――の一気の攻勢で、元々いた黒い魔族たちの半分......とは言わないが、三分の一ほどが既に倒されていた。

「やはり、もとの資質の差が大きいか......となると使えぬな......」

 わけのわからん独り言をほざいてから、視線を私の方へと向ける。

「しばらくぶりだな......。この前は、あの『ゼロ』のルイズとは知らず、油断しておくれをとったが......今度は、そうは行かぬぞ......」

 レビフォアの言葉を聞きながら、私はジリジリと場所を移動していた。少しでも有利な場所に陣取っておきたいのだ。
 他の五人も、黒い魔族たちやレビフォアたちの動きに気を配りつつ、少しずつ動いている。
 復讐に燃えるジャックも、『怪神官』を見た途端に暴走するかと思ったが、案外冷静なようだ。

「俺も......男どもには借りがあるからな......」

 苔色の魔族が言う。

「なあデルフ、あの『借りがある』とか言ってる奴......どっかで見たような気がしないか?」

「おい、相棒! あいつはこの前、宿屋で襲ってきた奴じゃねえか!」

 なるほど。宿でサイトたちに襲撃をかけてきた三匹のうちの、唯一の生き残りか。
 視線は『怪神官』に向けたまま、ジャックが苔色魔族を挑発する。

「......まあもっとも、えらそうに名乗ったわりには、仲間倒されて泣いて帰った弱虫野郎だから、印象薄いのも仕方ねえな。俺も名前は覚えてねえや」
 
「リカギスだ。覚えておけ」

 しかし動じた気配も見せずに答える魔族。

「ベイズ、貴様も何か言ってやれ」

「......」

 レビフォアの言葉に、のっぺら巨人がわずかに顔を動かすが、結局何も言わぬまま。

「ふむ......挨拶はナシか......。そう言えば......」

 さもいきなり何か思い出したと言わんばかりに、レビフォアは、しらじらしい仕草で『怪神官』の方を向き、

「お前は......あの連中にちゃんと自己紹介をしたのか?」

「......自コ......ショウかい......?」

 言われて首を傾げる『怪神官』。

「ああ。自分の名前を奴らに教えたのか、と聞いてるんだ」

「......教えテ......イナい......必要......ナイ......」 

 レビフォアの両目が、スイッと細くなる。

「いや。必要だぞ。教えてやれ。お前の名前を。......その方が面白いからな」

 すると『怪神官』は、たどたどしい口調で、

「......名......マエ......だみアん......」

 ......一瞬......。
 何を言われたのか、わからなかった。
 辺りの空気が凍りつき......。
 その沈黙を破って、ジャックが声を上げる。

「ふざけるな! ダミアン兄さんの名を騙るな!」

「騙っているわけでない」

 レビフォアが言う。からかうように。

「彼は間違いなく、お前の兄......『元素の兄弟』の長兄だ」

「何を言ってる!? それのどこがダミアン兄さんだ!?」

「ジャック殿の言うとおりだ。ダミアン殿は、もっと小柄で......。第一、すでに病死しておる......」

 ハルデンベルグ侯爵も言葉を挟んだが、途中で口を閉ざしてしまう。
 それを見て、レビフォアが再び、

「そうだ。病死と報告されたのだろう? だが、その死体を見た者はおるまい」

「......!」

「レッサー・デーモンを知っているだろう。あれは、小動物などの、自我の弱い生き物に、精神世界面から下級魔族が憑依し、肉体を変質させて生まれ出る」

「何を言っておるのだ......?」

 もうハルデンベルグ侯爵あたりは話についていけないようだが、私には、レビフォアの言いたい事がよくわかった。
 だから、先取りして言う。

「......ドゥールゴーファね......覇王将軍の......」

「そのとおり。人に憑依して心を蝕み、肉体を変質させて強力な魔物と化す魔剣だ」

 満足そうな口調で、魔族は私の言葉を肯定する。

「ドゥールゴーファを人に憑かせ、自我を破壊してから憑依を解かせる。これでまず、自我の破壊された人間のできあがり、だ。そのあとに精神世界面から呼び出した下級魔族を憑依させれば......少々珍しいレッサー・デーモンのできあがり、というわけなのだよ」

 ドゥールゴーファを知らない者には、信じがたい話であろうが......。
 おそらく事実に違いないのだ、この話は。
 あの『怪神官』には実力と言動にギャップがありすぎたが、それもこれで説明がつくのだから。
 それに、この場に最初からいた連中が、やたら弱かったことも。
 謁見の間で待ち構えていた影たちも、『怪神官』も、純魔族ではなかったのだ。魔剣ドゥールゴーファによって変えられた、人間だったのだ......。

「......もっともこの方法は、多少の問題点も抱えている。魔力は別として、運動能力は、もとの人間の資質に大きく左右されるのでな」

「......ということは......」

 私はチラリと視線をそらし、部屋にひしめく黒い影たちに目をやる。

「そう。計画の障害となる、この国の大臣や将軍たち......何人が『病死』と発表されたかな? どうやらほとんどの連中は、体を動かすのは、あまり得意ではなかったようだな」

「......もう......元には戻せないのか......? ダミアン兄さんを......人間に......」

「それは無理な相談だ」

 ジャックの血を吐くような問いかけを、しかしレビフォアはアッサリと受け流す。

「もし仮に、人間に戻す事ができたとしても、だ。しょせん自我の壊れた廃人が一人できあがるだけだ。......なにしろこいつは、もう自我が完全に破壊されているからな。少しでも残っていたら、自分の兄弟を、自分の手で殺したりはしないだろうて」

「......!?」

 魔族の言葉に、ジャックは完全に硬直した。
 ......そうなのだ。
 この『怪神官』......いやダミアンは、ドゥドゥーとジャネットを殺しているのだ。

「つまりは......そういうことだ。くくくくくく」

 さも楽しそうに言うと、レビフォアは小さな笑みを漏らした。
 こいつ......。
 食っているのだ。ジャックの絶望を。
 彼ら魔族の糧となるのは、生きとし生けるものの、負の感情......。

「......で......?」

 ジャックにかわり、今度は私が問いかける。

「あんたらは何をたくらんでるわけ? 国に入り込み、権力を握り、人を魔に変え......」

「応える必要はないだろう」

 笑みを含んで答えるレビフォア。

「しょせん我々がやるべきことは一つ。......殺し合いだ」

「何言ってんのよ。さんざん今まで、ジャックの心を揺さぶっておきながら......」

「いや、そのとおりだ」

 レビフォアの言葉に同意したのは、ほかでもない、ジャックだった。

「......ダミアン兄さんを助けるためには......それしかない、ということなんだろ......?」

 もう人間に戻せないというのであれば、倒すしかない。
 ジャックは、そう決意したらしい。

「せめて......俺自身の手で、ドゥドゥーとジャネットのところに送ってやるよ......。ダミアン兄さんも、おまえたちも......みんなまとめて、な!」

########################

 ジャックが呪文を詠唱し始める。
 それは、単純な『錬金』......。

「なんだ? 我ら魔族相手に......そんなものは通用しないぞ?」

 余裕の笑みを続けるレビフォア。
 リーダー格の彼が動き出さないため、他の魔族たちも、まだジッとしている。ジャックが攻撃してきたところで、いつでも避けられると思っているのだろうが......。
 ジャックは、通常よりも時間をかけて練り上げた『錬金』を、床に向けて放った。
 ブワッと、彼を中心にした同心円状に、魔法の効果が広がっていく。
 ジャックの強力すぎる『錬金』は、恐るべき効果をもたらした。
 謁見の間に敷かれた絨毯が、敷石が......一瞬で粉塵に変わる。
 しかし、この粉塵は、いったい......!?
 真っ先に気づいたのは、将軍であるハルデンベルグ侯爵だった。

「この匂いは......火薬ではないか!」

「火薬ですって!?」

 冗談ではない。
 これだけの量の火薬ならば、この謁見の間ごと吹っ飛ぶだろう。
 もちろん、その中にいる人間は逃げようがない。木っ端みじんになる!

「おい、何考えてんだよ! 俺たちまで巻き込むつもりか!?」

「ジャック、君はもう少し冷静になるべきではないかね!?」

 男二人が、無駄に騒いでいる間に。
 モンモランシーとハルデンベルグ侯爵は、それぞれ『ウォーター・シールド』と『ファイヤー・ウォール』を唱え始めていた。
 もちろん私も呪文詠唱をするが......。

「これで......おわりだ!」
 
 ジャックが『着火』を唱え、杖を振り下ろした!

########################

「げほっ! ごほっ!」

「みんなっ! 大丈夫っ!?」

 ジャックと同時に慌てて杖を振ったのだが、私の『解除(ディスペル)』は、フル詠唱ではなかった。
 火薬に変わった絨毯や敷石を元に戻せたのは、かろうじて私たち六人を取り囲む程度の範囲。
 その外側にドーナッツ状に残った火薬は、ジャックの『着火』で大爆発を起こし......。
 謁見の間は、今、完全にガレキの山と化していた。
 モンモランシーとハルデンベルグ侯爵が二重に張った防御魔法のおかげで、私たちは無事だったが、爆発に呑まれた下級魔族たちは全滅したのではあるまいか。

「すげえな、こいつ」

「そうだね。僕も見直したよ」

 さきほど危機一髪を回避する上で全く役に立たなかった男二人が、感嘆の声を上げてジャックを見下ろしている。
 広範囲の『錬金』で精神力を使い果たしたようで、ジャックは白目をむいて、その場に倒れていた。

「相棒! 油断するなよ! 煙で見えないが......まだ敵は残ってるぜ!」

 デルフリンガーの言葉に、ハッとする私たち。
 もうもうと立ちこめる土埃と爆煙も、少しずつ晴れてきて......。

「嘘っ!? あれだけの爆発をまともに食らって......無傷なの!?」

「なめてもらっては困る。我ら魔族には、これくらい何でもないことだ」

 モンモランシーの悲鳴に応じたのは、やはりレビフォア。
 リカギスとベイズの二匹の姿も見えるが、『怪神官』ことダミアンの姿はない。ジャックは、彼を解放することには成功したのだ。
 そして、私は気づいた。

「なるほど、そういうことね......。今の攻撃でやられたのは、デーモンに変えられた元人間ばかり。あんたたち三匹は純魔族だから、ああいうのは痛くもかゆくもない......ってことね」

 純魔族は精神生命体であり、ダメージを与えるためには、人間の『気』や『精神力』をこめた攻撃が必要である。気合いを入れた武器の一撃だったり、精神力を消費して唱えた系統魔法だったり......。
 だがジャックが引き起こした爆発は、私のエクスプロージョンとは違って、精神力を爆発そのものに転化させたものではなかった。『着火』と『錬金』の組み合わせで、物理的に引き起こされたもの。
 まあ『錬金』で作られた火薬自体には、ジャックの精神力がタップリだったはずだが、爆発させた時点でもう、その精神力はあまり魔族に伝わらなかったようだ。

「......いいわ! ならば......今度は私たち自身の攻撃を、直接お見舞いしてあげる!」

 堂々と宣言する私。
 それが......。
 戦いの合図になった。

########################

 ヒュンッ!

 風裂く音を立てながら、苔色の触手が四つの方向からギーシュを襲う。
 わずかずつタイミングをずらして放たれた四連撃を、青銅ゴーレムに迎撃させ、あるいは自身の杖で打ち払い、ギーシュは、なんとかしのぎ切る。
 そして......。

「モンモランシー!」

 ギーシュの合図に応えて、蒼い水柱が苔色の魔族、リカギスの全身を包み込む。
 しかし、次の瞬間。

 バヂュッ!

 濡れた風船が破れるような音を立て、水の空間が砕け散る!
 リカギスが、魔力の力押しで、モンモランシーの魔法を破ったのだ。

「......なっ!?」

 驚愕の声を上げる彼女に、迫るリカギス。
 これを迎え撃つ、ギーシュのゴーレムたち。
 なにしろギーシュの青銅ゴーレムは、全部で七体。メイジ二人を守るには、十分な数があった。

########################

 圧倒的なパワーをもって、巨大な腕が宙を薙ぐ。

 ウォンッ!

 半透明の巨体の魔族、ベイズの腕の大振りは、風の唸りさえ伴っていた。
 それをハルデンベルグ侯爵は、大きく後ろに跳んで、あっさりとかわす。

「ゲルマニア貴族をなめるでない!」

 ......いや、かわしたつもりだった。
 着地し、刹那の間を置いて、彼は慌てて大きく身をそらす。
 その鼻先、まさにギリギリのところを、巨大な腕が左右に通り過ぎた。

「わしが間合いを読み損なっただと!? そんな馬鹿な!」

 半透明と言っても色々あるが、ベイズの体は、ほとんどクラゲに近いほどの半透明である。これはたしかに間合いが読みづらい。
 ハルデンベルグ侯爵は、さらに後ろに跳んで間合いを取り......。
 一歩横に動いてから、ベイズを狙って、唱えた呪文を解き放つ。

 ゴウッ!

 杖の先から飛び出る業火。
 しかしベイズは、巨体に似合わぬ軽いフットワークで、いともアッサリと一撃をかわした。
 外れた呪文の飛びゆく先など、魔族は気にする事もなく......。
 そして再び。
 ハルデンベルグ侯爵とベイズは対峙する。

########################

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 私の放ったエクスプロージョンの光球を、レビフォアは、あっさり横に跳んでかわす。
 だが、その刹那。
 レビフォアの真横で光がはじけた。

「ちっ!?」

 呻いて小さくよろめく魔族。
 直撃ではないにしろ、虚無魔法のエクスプロージョンである。湯か冷水を浴びせられた程度のダメージはあっただろう。
 そこにサイトが、剣を振りかぶりながら、ダッシュをかける。

「今度は剣士か! ただの鉄ごときで、魔族を斬れると思うな!」

 しかしレビフォアは後ろに退り、ギリギリでその切っ先をかわす。口ではああ言いながらも、サイトの剣に『気』が込められている事くらい、わかっていたのだ。
 サイトの一撃を避けた直後のレビフォアに向かって。
 私は杖を振り下ろす。
 エクスプロージョンの光が、レビフォアの頭をまともに直撃した!

########################

「モンモランシーを狙うな! 君の相手は僕ではないのか!?」

「ああ、お前だ。本当は三人とも、と言いたいところだがな......。一人は虚無の娘とコンビを組んでいるし、一人はそこに倒れているからな」

 無抵抗の者を殺しても気がおさまらん、という目で、リカギスはジャックに視線を向ける。
 精神力の尽きたジャックは、この乱戦の中でも、目を覚ます素振りを全く見せなかった。

「ならば! 正々堂々と、一対一で僕と戦いたまえ!」

「へっ、正々堂々が聞いて呆れるぞ。そっちは人形を引き連れて戦っているではないか!」

 吠えて床を蹴るリカギス。
 魔族の挑発に乗ってしまったのか。ギーシュは青銅ゴーレムを全てモンモランシーの警護に回し、リカギス迎撃には差し向けなかった。彼は呪文を唱えつつ、後ろに跳ぶ。
 しかし......リカギスの方が早い!
 リカギスは、ギーシュを触手の間合いにとらえ、四本の腕を同時にしならせる。それは虚空でほぐれるように分裂し、十数本の細い触手の群れとなり、包み込むようにギーシュに向かう!

########################

 ハルデンベルグ侯爵とベイズの戦いは、完全に硬直しているように見えた。
 互いのくり出す攻撃を、互いにかわし、一撃を放つ。
 ベイズの腕の攻撃にも、ハルデンベルグ侯爵は、もはや間合いを読み違えることもなくなっていた。

「タネがわかれば造作もないこと!」

 そう。
 半透明なベイスの腕は、振り下ろした瞬間、わずかに伸びていたのである。
 一撃目をなんとかかわして、間合いが掴めないのは半透明なせいだけだ、と思い込んだら、手痛い二発目を受ける、という寸法である。
 しかしハルデンベルグ侯爵は、それをアッサリ読んで身をかわし、呪文を唱えて杖を振る。
 ベイズも拳の攻撃に、魔力弾の攻撃を交えるが、これもハルデンベルグ侯爵にかわされる。
 そして......。

 ボウッ!

 ハルデンベルグ侯爵の杖から飛び出した炎は、やはりベイズにかわされて......。
 その炎がどこへ向かうのか、ベイズは見向きもしていなかった。

########################

 レビフォアの頭から上は、きれいになくなっていた。
 まず一匹!
 思った刹那。

「娘っ子! 相棒! まだだ! まだ終わってねえ!」

 デルフリンガーの声で、とっさに私は身をかわす。

 ジャッ!

 一条の光が横を駆け抜けた。
 放ったのは......レビフォア!

「まだ生きてる!?」

「しぶといな!」

「いいや。受けておらんのだ」

 頭を失ったレビフォアが、私とサイトの声に答え......。
 肩の辺りが変形すると、アッサリと頭が再生する。
 ......いや......違う。
 レビフォアは言った。受けていない、と。
 ならば考えられるのは一つ。

「あんた......私の一撃を受ける直前に変形して、自分から頭をなくしたのね!?」

「......め......面妖な奴......」

 前に戦った時は、不意を突いて仲間を倒すことで退けたが......こういう変な技を持っているとあっては、いくらなんでも戦いづらい。
 倒すには、前と同様、不意を突くしかないのだが、はたしてそれができるかどうか。
 ......と、その時。

 ゴウッ!

 まっすぐレビフォアへと向かう炎。
 ベイズと対峙するハルデンベルグ侯爵が放った流れだまである。

「......っ!」

 間一髪、レビフォアは体を変形させ、自分の胸に大穴を開け、術を素通りさせる。

「頭だけじゃなくて、全身変形できるのかよ!?」

「そのとおり。貴様の剣でも我を切り裂くのは難しかろう!」

 サイトの叫びに応じつつ、魔族は、胸に開いた穴を閉じるが......。

「っがぁぁぁっ!?」

 レビフォアの絶叫が上がった。
 ハルデンベルグ侯爵の一撃に、そしてサイトの言葉に、レビフォアの注意が私からそれた瞬間。
 私は小さく唱えた爆発魔法で、レビフォアの胸の穴を狙ったのだ。
 魔族がほとんど無意識に変形して、自分の胸の穴を埋めるタイミング......そこを見計らって。
 正式なエクスプロージョンではなく、失敗爆発魔法バージョンの方だったが、それでも爆発魔法を自分からくわえ込んだのだからたまらない。
 体内からの爆発に、さすがのレビフォアも隙だらけとなり......。

「貴様っ!?」

 魔族が体勢を立て直した時には、ルーンを光らせたサイトが、すでに目の前に迫っていた。

 ドウッ!

 そのままサイトは、魔族を一刀両断。
 黒い塵と化して、レビフォアは消滅した。

########################

「ギーシュ!?」

 モンモランシーが悲鳴を上げる。
 彼女の呪文も間に合わないし、ギーシュも逃げ切れないように思えた。
 だが。

 ボワッ!

 横手から迫る炎が、リカギスの触手を焼く!

「何!?」

 せいぜいが、十数本のうちの一つか二つを焼かれただけ。それでも、驚きで一瞬、動きが止まるリカギス。
 好機とみて。
 後ろに退りつつあったギーシュは、いきなり足を止めた。
 逆に魔族に向かって突っ込んでゆく。

「!?」

 炎は打ち払ったものの、リカギスは体勢を崩されていた。しかも今度は、ギーシュとの間合いを狂わされたのだ。
 魔族が動揺するうちに、ギーシュの呪文は、すでに完成していた。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 ギーシュの声が響く。
 次の瞬間には。
 リカギスの、縦に断ち割られた体を通り抜け、赤い魔力の剣を手にしたギーシュが、そこに立っていた。

########################

 ベイスの腕が宙を薙ぐ。
 ......はたしてこいつは、気がついているのだろうか?
 無言のままベイズが放った魔力弾を、ハルデンベルグ侯爵は、いともアッサリとかわす。
 ......やはり気がついてはいないようである。
 ハルデンベルグ侯爵の狙いは自分を倒すことではなく、自分を引きつけつつ、仲間を援護することだったのだ、と。

「さすが一国の軍のトップに登り詰めただけあって......老獪なメイジね」

 ハルデンベルグ侯爵が炎を放つ時、必ずベイズの向こうには、もう一人の敵がいた。
 あるいはそれは、私やサイトと戦うレビフォアであり、ある時は、ギーシュやモンモランシーと戦うリカギスであった。
 ベイズは気がつかなかった。
 この場にいる、自分以外の魔族はすでに倒されていた、ということに。
 私のエクスプロージョンの一撃を、その背中に受けるまでは......。


(第五章へつづく)

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第十二部「ヴィンドボナの策動」(第五章)【第十二部・完】

「......なんとか......終わったな......」

「この場は、ね」

 ガレキだらけの謁見の間を見回しながら。
 ギーシュのつぶやきに、モンモランシーが言う。
 彼女は続いて、倒れているジャックに足を向けたが、

「待って!」

「え?」

「......水のメイジのあんたのことだから、治療してあげたいって思ってるんでしょうけど......その必要はないわ」

 モンモランシーを止める私。
 ジャックは精神力がカラッポになって倒れているだけなのだ。ならば、このまましばらく、ここで休ませておいた方がいい。

「そうね。どうせレビフォア以下、敵の魔族たちは掃討したわけだし。一人で残しておいても、大丈夫でしょうね」

 モンモランシーも同意する。
 まあ、かりに伏兵が残っていて襲ってきたとしても、意識のないジャックが的になることはなさそうだ。さきほどの戦いでも、ジャックはノークマークだったのだから。......私は、そんな印象を受けていた。

「じゃあ、行くわよ。執務室へ......シェーラ=ファーティマのもとへ!」

########################

 ジャックが引き起こした爆発で、謁見の間は完全に崩壊していたが、執務室へと続く廊下は、比較的無傷の部分が多かった。
 本来この辺りは、王とその身近にいる者しか入れない区画なのだろう。
 人の気配もない、陰気な場所であった。
 なんの飾りもない、岩地むき出しの壁。ところどころに灯るランプの明かり。
 薄暗いその通路を越えた先に......。

『執務室』

 扉の横のプレートには、間違いなく、そう文字が記されていた。
 ......おそらく、この戦いが長引くことはないだろう。
 覇王将軍の称号はダテではない。シェーラ=ファーティマの力は圧倒的である。
 彼女の一撃を受ければ、絶対に無事で済むわけはない。
 そして、こちらの一人が崩れれば、残りが倒れるのにそれほど時間はかからないだろう。
 つまり......。
 シェーラ=ファーティマが、私たちを各個に切り崩すのが早いか。
 それとも、私たちの連携が、それより早くシェーラ=ファーティマを倒せるか。
 そういう戦いなのである。これは。

「いいわね?」

 私の問いに、全員、無言で頷いて......。

 ダムッ!

 剣を構えたサイトが、一気に扉を押し開ける。
 ......そこは......。
 私がイメージしていたよりは、かなり広い部屋だった。
 正面には、大きなセコイアのテーブル。机の上には、ひと山の羊皮紙。
 そしてその机のそばには、一組の男女が佇んでいた。
 一人は男......おそらくこれが、アルブレヒト三世なのだろう。
 権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような四十男である。
 とてもシェーラ=ファーティマの色香だか魔力だかに誑かされているようには見えないが、見えないからこそ厄介だ、とも考えられる。
 そしてそのそばに、ひざまずいて控えるのは、蒼い礼服を身にまとう少女。美しい透き通るような金髪に、これまた澄んだ垂れ気味の碧眼で、黒い長剣を携えている。

「誰かと思えば......ハルデンベルグ侯爵か」

 動揺の色さえ見せずに椅子から立ち上がり、男は鷹揚な口調で、こちらに視線を向けた。
 ハルデンベルグ侯爵はその場にひざまずき、

「は! 陛下の御意志を無視しての突然の闖入......御無礼、ひらに御容赦願います。されど、国の大事に至り......」

「黙れ! 乱心者!」

 彼の声を遮って、朗々たる、女騎士の声が響いた。
 ゆっくりと......。
 女騎士シェーラ=ファーティマは、その場に立ち上がる。

「さきほどよりの城での騒ぎ、お主らの仕業であろう! 狙いは何だ!? まさか閣下のお命か!?」

 彼女は、きっぱりした口調で言い放った。
 軍を統率するハルデンベルグ侯爵に対して、まるで格下相手のような言葉遣いである。
 王の命を狙っている、と決めつけることにより、国王に、こちらの言葉を聞く気を失わせる......。なかなかうまいやりかたではないか。

「わしは陛下と話を......」

「ふざけるな! ......閣下、このような輩のたわごと、御耳の汚れになるばかり。この者どもはこのファーティマが処断いたしますゆえ、この場は一旦お退き下さい」

「......うむ。任せたぞ。ファーティマ。期待しておる」

 シェーラ=ファーティマの言葉をアッサリ受け入れ、鷹揚に頷くアルブレヒト三世に、彼女はかしずき、その手を取って甲に口づける。

「......閣下に捧げし剣にかけて......」

 再びシェーラ=ファーティマが立ち上がると共に、アルブレヒト三世はその場で身をひるがえし、壁に手をつき、何やら操作した。

 ......ゴグン......。

 低く重い音を立て、後ろの壁がパックリ開く。
 王宮定番、もしもの時の秘密の通路、ということらしい。

「陛下!」

 ハルデンベルグ侯爵が、壁の奥に進むアルブレヒト三世を追おうと立ち上がった。それをサイトの手が押しとどめる。

「ダメだ!」

「おぬし、何を......!?」

「馬鹿か、てめえは。今行ったらやられるぜ!」

 サイトより先に、サイトが手にする剣が答えた。
 そう。扉のそばには、シェーラ=ファーティマがいるのだ。

 ......ゴゴゴゴゥ......。

 壁は再び重い音を立てて、アルブレヒト三世の姿を呑み込み、口を閉ざした。
 おそらくこれで、外側からは開かなくなるのだろう。
 だが、王を追いかける手段がなくなったわけではない。

「ハルデンベルグ侯爵! 城の抜け道などのことも、ある程度は知ってるでしょ!? この場は私たちに任せて、侯爵は王様の身柄確保を!」

「そ、そうか! すまん!」

 私の言葉に答えて、ハルデンベルグ侯爵はクルリときびすを返し、部屋から駆け出してゆく。

「......さて......と......」

 あらためて......。
 私は彼女に視線を移す。

「これでようやっと水いらず、ってわけね。覇王将軍シェーラ=ファーティマ......」

 ゆっくりと......。
 彼女は視線をこちらに向ける。

「......あの将軍は、完全にそっちについた、ということね」

「そうゆうこと。でもあんたも、なかなかの騎士ぶりだったわよ。手に接吻なんてしちゃって......。魔族なんてやめて、役者で食べていけるんじゃないの?」

「久しぶりの挨拶がそれ? ずいぶんと礼儀を知らないわね。それに......あちこちで色々と邪魔してくれたようね、『ゼロ』のルイズ」

「魔族のあんたに、礼儀云々を言って欲しくないわよ。......それはさておき。『作戦を邪魔する』って言うけど、あんた一体、何をたくらんでるの?」

 そう。これだけは聞いておきたかったのだ。

「ドゥールゴーファをあっちこっちに貸し出して......。最近あちこちで発生してるデーモン群発事件も、あんたのさしがねなんでしょ?」

「答える必要はない!」

 身も蓋もなくそう言って、シェーラ=ファーティマは、スラリと腰の剣を引き抜いた。
 黒い魔剣、ドゥールゴーファ......。

「私には......あとがないのよ!」

 わけのわからないセリフと共に、シェーラ=ファーティマの殺気がふくれ上がる!

「来るっ!」

 ドゥールゴーファが風を薙ぎ、黒い衝撃波を生んで、一撃は、私たち目がけて突き進む。
 とっさに四方に跳ぶ四人。
 黒い衝撃波は虚空を薙いで、厚い扉をぶち破る。

 ザバァッ!

 魔族の足もとで、水柱の吹き上がる音。
 私とシェーラ=ファーティマが話しているうちに、呪文を唱えておいたのだろう。モンモランシーの魔法攻撃だ。
 しかしシェーラ=ファーティマが左手をひと振りするだけで、水柱は、覇王将軍の体を包み終わる前に霧散する。

「ええっ!?」

 高位魔族のその力に、驚愕の声を上げるモンモランシー。
 そこに続けて、ギーシュの攻撃。
 青銅ゴーレムが同時に数体、シェーラ=ファーティマめがけて殺到するが......。

 スパァッ!

 魔剣のひと振りで、みんなあっけなく切り裂かれる。

「ああっ! 僕のワルキューレが! 一度に五体も!?」

 ギーシュが悲鳴を上げている間に......。

「おおおおおっ!」

 横から突っ込んでゆくサイト。
 モンモランシーとギーシュから攻められて、それを迎え撃つ魔族の両手が開いた隙を逃さず、シェーラ=ファーティマの胴を薙ぐ!

 ギンッ!

 かろうじて間に合った覇王将軍の剣。
 ドゥールゴーファとデルフリンガー、二本の剣が噛み合って、鋭く高い音を響かせる。
 ドゥールゴーファが覇王将軍の生み出した魔族ならば、デルフリンガーも元々は、異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の造り出した魔族。
 出自を辿れば、デルフリンガーの方が格上。そして剣の腕でも、サイトの方が上。
 数合うち合い、やがてシェーラ=ファーティマが後ろに大きく跳び退る。

「娘っ子!」

 魔剣の合図で、杖を振る私。
 エクスプロージョンの光球が、サイトにかかりきりだったシェーラ=ファーティマへ向かう!

「笑わせるな!」

 一瞬、私の方を振り返り、シェーラ=ファーティマが一喝。それだけで、光球は虚空でかき消えた。
 さらにシェーラ=ファーティマは、数個の魔力弾を生み......。

 ゴウッ!

 モンモランシーの生んだ蒼い水の柱が、シェーラ=ファーティマを包み込む。さすがモンモランシー、今度は消されぬタイミングを見計らっていたらしい。
 サイトがダッシュでそこに突っ込んで、柱の中の影に向かって剣を突き出す!

「やったの!?」

 モンモランシーの声が響く。
 だが......まだっ!
 サイトが貫いたのは、ただの影。
 魔族お得意、トカゲのシッポ切り!
 精神体の欠片だけを、オトリとしてその場に残し、本体は精神世界面に逃げ込んだのだ。
 となると、次に出現するのは......私の後ろか!?
 思った瞬間。
 しかし人影は、モンモランシーの後ろに出現した!

「モンモランシー! うしろ、うしろ!」

 サイトが叫ぶ。
 シェーラ=ファーティマが魔力弾を放つ。
 モンモランシーが慌てて身をひねる......が、間に合わない!?

 ゴガッ!

 間一髪、二体の青銅ゴーレムが滑り込み、彼女に代わって直撃を受けた。
 ゴーレムたちに突き飛ばされる形で、そしてゴーレム爆発の余波で、後ろに吹っ飛ぶモンモランシー。
 シェーラ=ファーティマはモンモランシーに向かって......。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 そうはさせじと、赤い魔力の刃を生んだギーシュが、シェーラ=ファーティマに斬りかかる!
 本日二回目の発動!? ただの『ブレイド』ではないのだから......消耗はげしいぞ、それは!
 ドゥールゴーファと赤い剣がぶつかりあって、魔力の余波をまき散らす。
 いくら魔王の名を冠しているとはいえ、さすがにその切れ味は、ドゥールゴーファには劣るであろう。しかもドゥールゴーファには再生能力もある。
 このままでは......消耗するのはギーシュが先!
 私は急ぎ、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』の呪文詠唱を開始する。
 ギーシュがシェーラ=ファーティマの足を止めてくれている今がチャンス!

「......くっ!?」

 ギーシュの生み出す刃の光が、みるみる弱くなってゆく。
 私の詠唱はまだ終わらないが......。
 今が好機とみた者は、私の他に、もう一人!

 ザンッ!

 斬撃と共に、シェーラ=ファーティマの体が大きくのけぞった。
 ......サイト!
 シェーラ=ファーティマも一応は避けたつもりだったようだが、ガンダールヴの神速が勝ったようだ。
 脇腹に深い傷を受け、シェーラ=ファーティマの手から、ドゥールゴーファがこぼれ落ちる。
 こぼれ落ちたその剣を......虚空でギーシュの手が受け止めた!

「......なっ!?」

 思わず驚愕の声を上げるシェーラ=ファーティマを......。

 ドズッ!

 ギーシュのドゥールゴーファが貫く。

「......は......」

 シェーラ=ファーティマの口から、小さな息が漏れる。
 慌てて剣から手を放し、大きく後ろに退るギーシュ。

「......あ......」

 よろり、と。
 自らの剣を腹に突き立てたまま、ギーシュに歩み寄るシェーラ=ファーティマ。
 そこに......。

「はあっ!」

 サイトが再び斬りかかる!
 体を捻ってかわすシェーラ=ファーティマだったが、サイトの動きの方が速い。
 肩からバッサリやられて、その左腕が宙を舞った。
 しかし、さすが覇王将軍。まだしぶとく立っている!
 だが......これで終わりにする!

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って形成された、私の虚無の刃は......。
 覇王将軍シェーラ=ファーティマの体を、ものの見事に断ち割っていた。

########################

 ......っきんっ。

 小さく済んだ音を立て、ドゥールゴーファの刀身が折れる。
 それは床に落ちると同時に、乾いた土のように砕けて、散ってゆく。
 ......滅びてゆくのだ......ドゥールゴーファが......。
 主人であり、力の源である、覇王将軍シェーラ=ファーティマを失って。

「......おわった......ようだね......どうやら」

「『どうやら』じゃないわよ!」

 ギーシュのつぶやきに、横からツッコミを入れるモンモランシー。

「あの剣をいきなり掴むなんて、無茶もいいところよ! 何を考えてんの!?」

「ああ、愛しのモンモランシー! なんだかんだ言って、やっぱり僕のことを心配してくれてるんだね!」

「ち、違うわよ! あなたがあの剣でデーモンにされたら、敵が一人増えるところだったでしょ!? 私はそれを心配したの!」

「......あ......」

 モンモランシーの言葉を素直に受け取って、呻くギーシュ。
 ......たしかに......。
 あの一瞬、もしもシェーラ=ファーティマがドゥールゴーファに、ギーシュの支配を命令していたら、負けていたのは私たちの方だったろう。
 まあ、さすがのシェーラ=ファーティマにもあれは予想外で、冷静な判断が間に合わなかったようだが。

「ま、けどよ。これでともかく一段落、ってわけだ」

「気楽に言うぜ、相棒は。けどまあ、そこが相棒のいいところでもあらぁな」

 サイトとデルフリンガーが、明るい口調で言葉を交わす。

「......何言ってんのよ、あんたたち。これから、この城のみんなの誤解を解かなくちゃいけないでしょ」

 事情を知らぬ者の目から見れば、勝手に王の執務室まで乗り込んだ私たちが、重用されていた女傭兵を殺した......ということになるのだ。
 どうせ本当のことを言っても、信じてもらえないだろうし。

「そう難しい顔をすんな、娘っ子。そういうのは、あの将軍がやってくれるんじゃねーのか?」

 デルフリンガーの言葉には一理ある。その辺の事後処理は、ハルデンベルグ侯爵に期待するしかないわけだが......。

########################

「......しかし、サイト。結局のところ、何だったんだろうね、今回の事件は?」

 一連の事件から数日の後。
 帝都ヴィンドボナをあとにして、一緒に街道を行きながら、ギーシュはふと、思い出したようにそう言った。

「覇王将軍がこの国を乗っ取ろうとしてた。で、俺たちが彼女をぶち倒してそれを止めた。......ってことだろ?」

「いや、サイト。それくらいは僕にもわかる。それはいい。......だが、結局ファーティマは、何をたくらんでいたのかな?」

「ああ......それは、俺にもわからんな」

 そもそもサイトに聞く時点で間違っていると思うのだが。
 ともあれ、バカな男たちが言っているとおり、確かに一つの事件は終わった。
 ハルデンベルグ侯爵の取りなしで、シェーラ=ファーティマはアルビオンのスパイとして処断された、という扱いになった。
 現在のアルビオンは、王家を打倒した反乱政府によって運営されている国家であり、そこからゲルマニアにもスパイが送り込まれていた、というのは、結構自然な話なのである。......覇王将軍が入り込んでいた、などという話よりは、はるかに。
 そして、やはりハルデンベルグ侯爵の取りなしにより、ジャックの追放令も取り消された。兄弟の仇討をすませた以上、もうジャックにはヴィンドボナに残る理由もないのだが、他の傭兵たちに乞われる形で、もう少しだけ留まることにしたらしい。
 こうして全ての手続きを終えた後、ハルデンベルグ侯爵は自ら将軍職を辞任。
 帝都のゴタゴタも片づいて、ゲルマニアは、もとの平和を取り戻した......。
 だが......。

「そうよね。シェーラ=ファーティマが何を画策していたのか......。それは、わからないままなのよね」

 男たちに聞こえぬ程度の小声で、つぶやく私。
 それをモンモランシーが聞き止めて、

「どうにも......すっきりしない、ってこと?」

 私は無言で頷いた。
 すっきりしないと言えば、まだある。
 はたして今回、シェーラ=ファーティマは全力を出していたのだろうか?
 まあ、実力を出す前にサクッと私たちに倒された、とも考えられるが。
 全力など出すまでもなく、私たちを倒せると思っていたのか。それとも力を抑えてまで、この国と王とを手に入れることを望んだのか......。
 そして、何より気になることは......。

「なあ、娘っ子。おめ、気づいてたか? あいつ......最後の瞬間、笑ってたぜ」

 まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、デルフリンガーが声をかけてくる。
 偶然なのだろうが、あまりいい気はせず、わざと私は顔をしかめて、

「何よ、突然。......それくらい、私も気がついてたわよ。でも、それだけじゃシェーラ=ファーティマの企みが何だったのか、全然ヒントにもならないでしょ」

 そう。
 私が『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で、シェーラ=ファーティマに斬りつけた、あの瞬間。
 彼女は......笑みを浮かべていたのだ。
 単なる見間違いかとも思ったが、デルフリンガーも見たというのであれば......。

「けどよ。考えたって仕方ねえじゃん。考えてもわかることじゃないし......」

「あんたが言うと妙な説得力があるけど......あんたは考えようともしてないでしょ、そもそも」

 言うサイトにツッコむ私。
 ......ま、サイトの言葉も間違ってはいない。この話題は、もう終わりにすべきであろう。
 ちょうどギーシュが、思い出したように聞いてくる。

「ところで、話は変わるが......君たちは、これからどこへ行くつもりだい?」

「なあに? 一緒に旅しよう、とでも言い出す気?」

「そんなわけないだろう!? 僕とモンモランシーのラブラブ二人旅を邪魔するのだけは、やめて欲しいな」

「だから『ラブラブ』かどうかは、あなたの浮気次第で......」

 言いかけて。
 モンモランシーの動きが凍りつく。
 そして同時に、私たちも。
 東の方へと続く街道。
 馬車や人々が行き交う大きな道。
 そして左右に広がる森。
 その森の中に......。

 ごぅあっ!

 雄叫びが上がる。

 ゴグァァァンッ!

 飛び来た火球が、前方の幌馬車をまともに吹っ飛ばした。
 人々の悲鳴と呻きが辺りにこだまする。

 るぐぐぐぐぐおおおおおお......。

 喉を鳴らしつつ、茂みの奥から現れたのは、一匹のレッサー・デーモン。
 ......いや。

「一匹じゃない!?」

 また一匹、さらに一匹と、茂みの中から姿を現す。
 そして......周りの森には、さらに無数の気配。

「デーモン大量発生!?」

「覇王将軍は倒したのに! ということは......やつはこれとは無関係だったのか!?」

 ともあれ考えている場合ではない。デーモンたちは、その辺りにいる人たちに、見境なしに攻撃を仕掛けようとしている。

「エオルー・スーヌ......」

 私は、慌てて呪文を唱え始めた。

########################

「はあっ!」

 気合いと共にサイトが駆け、デーモンたちに剣を振るう。
 ギーシュもモンモランシーも、呪文を唱えて杖を振る。
 ......しかし......。
 敵が多すぎる!
 いったい森の中に、あと何匹の敵がいるのか。
 離れたところにかたまっているなら、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』のような大技で、森ごと一気に吹っ飛ばす、というテも使えるのだが、もはや完全に囲まれている。
 仕方がないので、あちらから出てきたデーモンに爆発魔法。こちらから出てきたデーモンに爆発魔法。地道にサクサク倒していってはいるのだが、向こうもドンドンあとから出てくる。

 ボンッ!

 茂みの陰から顔出した、デーモン一匹葬って、次の呪文を唱え始めたその時に。

「......た......助けてくれっ!」

 いきなり私のマントにしがみついてきたのは、通行人らしき中年の平民。

「ちょっと!? 失礼でしょ!」

 私に頼りたくなるのはわかるし、こういう場合だから身分も何もあったもんじゃないのだろうが......人の動きを止めるのだけは、やめて欲しい。
 振りほどこうとしたその時。
 目の前の茂みを割って、一匹のレッサー・デーモンが現れた。

「まずいっ!?」

 レッサー・デーモンの瞳が私を捉える。
 そして。
 ......光が薙いだ。

 ヅゴゥンッ!

 緑の木々を巻きこんで、デーモンたちが吹っ飛ぶ。

「......今の......光は......白い巨人!?」

 そして再び閃く光。
 今度は後方だ。 

「......え!?」

 慌てて振り向いてはみるが、森の木々が邪魔して何も見えはしない。

「あわわわわ」

 何が起こっているのか理解できずに、這いずりながら私から離れていく平民のおじさん。
 巨人の狙いはデーモンたちのようだが、あんな攻撃に人間が巻き込まれたら、ひとたまりもない。

「何だよ、あれ!?」

「たぶん白い巨人だわ!」

「だから白い巨人って何だよ!?」

「私に聞かないで!」

 駆け寄って大声で尋ねるサイトに、爆音にかき消されぬよう、私も大声で答える。

「けど、二体はいるぞ!?」

「そうね!」

「そうね、って......」

 などと話していると、

「ルイズ! 逃げた方がいいのではないかね、これは!?」

「私も同感よ!」

 駆け寄り、言ってくるギーシュとモンモランシー。

「でも、まだ人が......」

「いないわよ!」

 モンモランシーに言われて周囲を見れば、近くから、すでに私たち四人以外の人間の姿は消えている。
 マントにしがみついていたおじさんも、今まで泣いていた子供も、やたら元気にダッシュで街道を駆けてゆく。

「俺たち貧乏くじかよぉぉぉっ!?」

 絶叫するサイト。
 ともあれこうなれば、ここに留まる理由もない。

「わかったわ! それじゃ逃げましょ!」

「......ちょっと待て、娘っ子」

 人間とは違うせいか、やたら冷静な口調で、デルフリンガーが言葉を挟む。

「何よ、デルフ? この忙しい時に! くだらない用事なら、あとで溶かすわよ!?」

「いや......攻撃、もう終わってるぜ」

「......へ?」

 ......言われてみれば......いつのまにか攻撃の音が途絶えているような......。
 もはや辺りには、デーモンたちの気配も残ってはいない。

「......終わった......のかしら......?」

「きゅい。ひとまずは終わったのね」

 声は、茂みの奥から聞こえた。

「......!?」

 はて、この声と話し方、どこかで聞いたような気が......?
 私がそちらを振り向けば、ガサガサと茂みをかき分け、現れ出る人影ひとつ。
 それは、私の知っている顔だった。
 見た目は、青い長髪の、若い美人。水色のローブをまとう、女騎士である。

「......シルフィード!?」

 唐突と言えばあまりにも唐突な人物の出現に、私は思わず声を上げていた。
 ある時は、タバサの使い魔シルフィード。
 またある時は、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥ。
 しかしてその実体は......伝説の風韻竜の生き残り!
 むろん先住魔法で、人に変身することもでき、その姿がこれ、というわけである。

「なるほどね。デーモンたちを薙いだ今の光......でっきり白い巨人のものかと思ったけど、韻竜のブレスだったのね」

 ポツリとつぶやいてから、あらためて私は、シルフィードに向かって、

「でも......ここって、まだゲルマニアでしょ。火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理人やってるはずのあんたが、なんでこんなところに?」

「......火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)は......なくなっちゃったのね。きゅい」

 シルフィードは、悲しそうな声で、空を見上げる。

「なくなっちゃった、って......? ......あ!」

 聞き返そうとして、そこで気づく私。
 そう。
 ガリアとロマリアの国境に位置していた火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)は、しばらく前に、とある事件で、山脈ごと空へ浮き上がってしまったのだ。
 まあ他人事のように『とある事件』と言ってしまったが、実はこれ、私が『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の魔法制御に失敗したせいだったりする。

「そ......それは......大変な話ね......」

 心の中で冷や汗を流しつつ、適当に相づちを打つ私。
 後ろでは、ギーシュとサイトが、何やらヒソヒソ言葉を交わしている。

「きれいな女の人だね。サイト、君たちの知り合いかい? だったら紹介して欲しいな」

「うん。でっかいトカゲの遅刻常習者」

「でっかいトカゲ......?」

「そんな言い方は酷いのね。きゅいきゅい」

「ああああ。ごめん、ごめん」

 二人の会話を聞きつけて、シルフィードが顔を寄せてガンつければ、慌ててサイトが謝り倒す。
 隣のギーシュも、シルフィードに向けた視線が視線だったので、モンモランシーから軽く折檻されている。

「それはそうと......いいところで会ったのね。あなたたち、お姉さまの居場所、知らないかしら?」

「お姉さま......って、タバサのこと?」

「きゅい」

 頷くシルフィードに、私は首を横に振る。

「ごめん、知らないわ。前の件が片づいたところで、タバサとは別れちゃったから......。それより、こっちも教えて欲しいんだけど」

 私は、辺りをグルリと見渡しながら、

「......このタイミングで出てきたってことは、あんた、何か知ってるんでしょ?」

「きゅい?」

「デーモン大量発生のことよ!」

「ああ、そのことね......きゅい......」

 シルフィードは小さく呻いて、チラリと、ギーシュとモンモランシーの方を見る。

「......あ。あの二人なら、聞かれても大丈夫だから。ああ見えて、信頼できるメイジなの。一緒に......覇王将軍シェーラ=ファーティマを倒した仲間よ」

「きゅいっ!?」

 言った私の言葉に、さすがにちょっぴりのけぞるシルフィード。

「覇王将軍......って......獣神官ゼロスと同格の......!? それを倒した......と......いや......でも......あんなことに関わって、なおも生きているあなたなら......」

「ねえ、ルイズ。なんだか......またとんでもない話のようね? 話が見えてこないけど......聞かない方がいいような気も......」

「あ、ちょっと話が長くなるから、あとでじっくり説明するわ」

 横から問いかけるモンモランシーに、私は言う。巻き込むことは確定、という口調で。
 一方、少し考えこんでいたシルフィードは、やがて顔を上げて、

「......そうなのね......。もちろん他言は一切無用という条件付きで、これはあなたたちにも話しておくべきかも......」

「あらあら。なんだか面白そうな人間たちね。これ、あなたの知り合い?」

 突然。
 新たな女の声が、後ろから聞こえた。
 振り向いたそこには、葉ずれの音さえ立てぬまま、茂みの奥から姿を現す一人の若い女性。
 つり上がった切れ長の瞳に、無造作に切りそろえられた長い金髪。羽織っているローブは、ヒラヒラがたくさんついて、ゆったりとしていた。
 頭にツバの広い帽子をのせているせいか、なんとなくティファニアを連想させる。だが、スタイルは全く違う。むしろ私やタバサのように、スレンダーと言ってもいいくらい。
 彼女は、研究者が珍しい動物を見るかのような視線を、私に向けて、

「あなた、普通じゃないわね? すぅううううっごい興味をそそられるわ! 私、蛮人を研究してる学者なのよ。......この仕事に立候補したのも、蛮人を直接観察できるからなの!」

「......蛮人?」

 彼女の言葉に、モンモランシーが顔をしかめる。
 モンモランシーは気づいたかどうか判らないが......。
 私は今の言葉で、この女の正体を悟った。前に同じような表現を使った男がいたからだ。その男の名は......ビダーシャル!
 そう。エルフなのだ、この女も。
 どうりでティファニアを思い出したわけである。大きな帽子も、ティファニア同様、人間の世界では長い耳を隠す必要がある......ってことね。

「きゅい! ちょっと待つのね! そういうのはあとにして! ここは私が、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥとして、バシッと語る場面なのね!」

「何が『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の長老イルククゥ』よ。あなた、もうクビになったくせに......。だからこの仕事に回されたんでしょ?」

「きゅい......でも......それは火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)が......」

「空に浮き上がったから? ......『風石』によって大地が浮き上がることも、『大いなる意志』の思し召しだわ。あなたもこの大地に暮らす『仲間』なんだから、それも受け入れるべきね」

 うわあ。
 風韻竜が、エルフにやりこめられている。ハルケギニアでは滅多に見ることの出来ない、貴重な場面だ。
 ......エルフの価値観として、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の浮上を肯定的に受け入れているようだが、どうせ『大いなる意志』の正体までは知らないんだろうなあ......。

「あら? ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたわね。いいわ、『長老イルククゥ』として、好きなだけ語りなさいな」

「......きゅい」

 シルフィードは、少し落ち込んだ素振りを見せていたが、女エルフに促されて。
 長老然とした威厳ある口調で、説明を始める。

「どこから話せばよいものか。......言うまでもなく、最近各地に、レッサー・デーモンが大量に出現する事件が頻発している。そしてどうやらこれは、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの一軍を中心とする動きらしいのね。きゅい」

 ......早くも長老口調は終わってしまったらしい。
 しかし彼女の話は続く。

「一族の長老から教わったのね。かつて、これとそっくりの状況を目にしたことがある......って」

「そっくり......?」

「きゅい。デーモンの群発。人々の間に広まる不安。不安はそれに乗じた戦いを生み、ますますの混乱を生み......。その時は全てを画策したのは覇王(ダイナスト)ではなかったそうだけど......。起こっている状況が同じ、ということは、狙いも同じと考えられるのね......」

「......と、言うと......?」

 私の問いに、シルフィードは一瞬沈黙し......。
 やがて。
 演技でも何でもなく、正真正銘の重い口調で言った。

「すなわち......降魔戦争の再現......」


 第十二部「ヴィンドボナの策動」完

(第十三部「終わりへの道しるべ」へつづく)

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第十三部「終わりへの道しるべ」(第一章)

 かつて、戦いがあった。
 神と魔と......生きとし生けるものたちと、全てを巻き込んだ戦いが。
 世界の存続と破滅とを賭け、始祖ブリミルが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに立ち向かい......。
 シャブラニグドゥはブリミル自らの身に封じられ、ブリミルは神と呼ばれるようになった。
 魔王の魂は分断され、ブリミルの子孫の中に転生することで、浄化されることとなり......。
 そして今から千年前。
 魔王の魂の一つは復活し、かつて神が降臨した『聖地』にて、新たな戦いが勃発した。
 ......人はそれを降魔戦争と呼ぶ......。
 そして。
 韻竜の幼生、シルフィードはこう言った。
 これは、降魔戦争の再現なのだ、と......。

########################

 おりから降り出した雨は勢いを増し、村人たちは家路を急ぐ。
 そして......。
 小さな村の片隅にある、小さな食堂の扉が音を立てて開いた。

「とりあえず、ここなら落ち着いて話せるんじゃない?」

 マントについた雨粒をはたき落としながら、私は奥のテーブルへと向かった。
 昼食をとるには遅すぎて、夕食には早すぎる。そんな時間のせいなのか、今入ってきた私たち六人しか客はいない。
 しかし私たちにとっては、こちらの方が好都合。ほかに客がいる場所で、魔族が降魔戦争を......などという話を、おおっぴらにするわけにはいかないからだ。
 一同は、店の奥にあるテーブルに腰かけた。
 私とサイト、ギーシュとモンモランシーの四人は、注文をとりにきた給仕のメイドに、それぞれ軽い食べ物を注文し......。

「おにく! おにく! きゅいきゅいっ」

「あなた、食べてばっかりねえ。......私は水だけでいいわ。おなかいっぱいになったら、眠くなっちゃうし」

 やたら嬉しそうなシルフィードに、呆れたような視線を向ける女エルフ。
 そんな二人を笑顔で見つめながら、ギーシュが私に声をかける。

「なあ、ルイズ。そろそろ彼らを紹介してくれないかね? サイトの説明では、さっぱり要領を得なくて......」

「そういえば......互いに紹介もまだだったわね。そいじゃあ、まずは簡単な自己紹介から、ってことで......」

 私とサイト、ギーシュとモンモランシーが、それぞれ順に自己紹介。
 エルフの前なので、敢えて私は魔法系統を言わなかったのだが、空気の読めないバカ竜が、余計な一言を口にする。

「彼女は、お姉さまのお友だちで......なんと虚無のメイジなのね! きゅい!」

「虚無って......『悪魔』の末裔ってこと!?」

 ほら。
 案の定、驚きの声を上げる女エルフ。
 彼女は、私とサイトを見比べながら、

「なるほど......それで人間なのに、使い魔やってるのね。......あれ?」

 突然、何か思い出したらしい。一瞬、考えこむように黙り込んでから、再び口を開き、

「あなたが『悪魔』の守り手だってことは......もしかして、叔父さまに勝った蛮人って、あなたなのかしら?」

「はあ?」

 女エルフに見つめられて、サイトは困った顔をする。思い当たる話がないのであろう。
 しかし、私はピンときた。

「ちょい待ち! 叔父さまって......ひょっとしてビダーシャル!?」

 まだ私がサイトと出会ったばかりの頃。
 ガリア王ジョゼフを敵に回した事件で出てきたのが、ビダーシャルというエルフであった。
 私に遅れて、サイトも思い出したらしい。
 
「お前、あのエルフの親戚なのかよ」

「そうよ。叔父さま、あなたのことを褒めてたわ。蛮人のくせに、たいしたもんだ、って」

「そりゃどうも」

 サイトは普通に会話しているが......。
 この女エルフの発言の意味が、はたしてわかっているのだろうか。
 
「私を無視してサイトと二人で会話するのは、やめて欲しいんだけど......」

「あら、『悪魔』もヤキモチ妬くの? あなたより『悪魔』の守り手のほうが面白そうだったから、ただそれだけよ。深い意味はないわ」

 口を挟んだ私に、女エルフは興味深そうな目を向けた。
 ヤキモチとか言われると、それはそれでムカツクのだが、とりあえず今は、もっと大事な件がある。

「......確認しておきたいことがあるの。あんた今、叔父さまから聞いた、って言ったわね? ということは、あのビダーシャルってエルフ、生きてエルフの国に戻ったの?」

「あ!」

 サイトが小さく声を上げる。
 そう。
 あのエルフがサイトにやられて深手を負ったところで、ガリア王ジョゼフが出てきたため、ビダーシャルとの決着はうやむやになっていた。ただし、あの時の状況では、エルフはジョゼフのエクスプロージョンに巻き込まれて消滅したと思っていたのだが......。

「当たり前じゃない。死んだら話を聞けるわけないでしょう? 蛮人って、そんな単純なこともわからないの?」

 あっけらかんと言う女エルフ。
 わざとこちらの神経を逆なでしているのか、あるいは無意識なのか。
 ともかくグッとこらえて、私はさらに尋ねる。

「......じゃあ、もうひとつ。ビダーシャルの姪だっていうあんたは、ビダーシャル同様、ジョゼフ側ってこと?」

 私としては、かなり重要な質問をしたつもりだった。
 今さらジョゼフ一派の残党に出てこられては、話がややこしくなるだけ。敵なら敵で、サッサと対処法を考えねばならないのだ。
 しかし女エルフは、心底呆れたという表情で、

「ジョゼフっていうのは......叔父さまが協力してた蛮人のことかしら? ......だったら、そんなわけないじゃないの! 叔父さまだって、ちょっとした契約で手伝ってただけだから、あの時の蛮人とは、もう無関係よ」

 ふむ。
 それを聞いて少し安心した。
 そして、安心すると同時に、私の頭に一つの閃きが。

「エルフの薬!」

 シルフィードに顔を向けて、私は思わず叫んでいた。

「きゅい」

 首を縦に振るシルフィード。
 シルフィードの主人であるタバサは、エルフの薬で心を壊された母親を元に戻すため、その方法を探して旅している。
 だが一番確実なのは、その薬を作ったエルフ自身に頼むことであろう。
 シルフィードが今、ビダーシャルの姪と一緒に行動しているということは、その協力も得られるということで......。
 なるほど。それで最初にシルフィードは、タバサの行方を聞いてきたわけか。
 などと私が考えていると。

「......なんだかさっきから、不穏な言葉が飛び交ってるような気がするんですけど......」

 モンモランシーが不安げな表情でつぶやき、ギーシュもそれに続く。

「そうだね。紹介してもらう前に、こちらのレィディの正体がなんとなくわかったような気がするよ......」

 そこに。
 給仕のメイドが、料理を運んできた。
 とりあえず、いったん会話を中断する私たち。とてもじゃないが、他人に聞かせられる話ではないからだ。

「おーにーくー! きゅいきゅい!」

 嬉しそうにシルフィードが肉にかじりつき、メイドが立ち去ったところで。
 私は、ギーシュとモンモランシーに説明する。

「食べ始めちゃったから、代わりに私が言っておくけど......あの子はシルフィード。前に一緒に旅してた、タバサってメイジの使い魔よ」

「使い魔? 僕には人に見えるのだが......」

「ああ見えて、正体は風韻竜。変化の魔法で人に化けてるだけなの」

「なるほど......それで『でっかいトカゲの遅刻常習者』か」

 ギーシュがサイトに目を向けると、サイトは小さく頷いていた。
 たぶん『遅刻常習者』の部分は、使い魔だけどタバサが呼んでもすぐには来ないから、という意味なのだろうが、そこまで丁寧に説明する必要もあるまい。
 それよりも。

「で、もう一人は......エルフなのよね?」

「そうよ」

 疲れたような声で問いかけるモンモランシーに、私は簡単に返事する。
 さきほどの会話の中で『エルフ』という言葉がボンボン出てきていたので、まあ、普通に聞いていればわかるわな。

「モンモランシー。あんたエルフ見るのって、初めてじゃないの? こわくないの?」

 ハルケギニアの民にとってエルフは、強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物である。
 そしてモンモランシーは、どちらかといえば怖がりなタイプ。
 ちょっと彼女らしくない態度にも見えるのだが......。

「そりゃあ怖いけど......。なんだか、今さら......って感じよねえ」

「そうだね。最近の僕たち、エルフどころじゃない連中を相手にしてきたから」

 ギーシュと顔を見合わせて、彼女は肩をすくめる。
 ......それもそうか。
 ハイパー・デーモンや人魔はともかく、覇王将軍という高位魔族とも戦った後では、ある意味、もう恐いものなしと言えるだろう。

「へえ。私たちって、蛮人に恐れられてる、って聞いてたけど......実際は、そうでもないのね」

「いや、この二人は例外だから。私やサイトほどじゃないけど」

 そもそも、シルフィードを風韻竜だと明かしてもノーリアクションだったくらいだ。ギーシュとモンモランシーも、もう感覚が麻痺していると言っていいかもしれない。

「......それより、あんたの自己紹介がまだよ」

 私がジト目で促すと、

「あら、さっき言わなかったっけ。私は蛮人を研究してる学者で、ルクシャナっていうの。よろしくね」

 案外軽い口調で、ようやく名乗った彼女。
 これで自己紹介も終わったので、本題に入れるわけだが......。

 むしゃむしゃ......。

 さきほど説明役を買って出たシルフィードは今、肉料理にかかりっきり。
 こりゃダメだ、という目で竜の娘を見てから。

「それじゃ、今度は私が説明するわ。降魔戦争の話から......でいいのかしら?」

 ルクシャナは語り始める。
 千年前に何があったのかを。

########################

 ハルケギニアには、不穏の空気が満ちていた。エルフの住まう地にまで、あからさまに伝わるほどに。
 諸国は戦争準備としか思えない軍備増強を押し進め、国境地帯で小競り合いが繰り返されることもしばしば。
 そして......。
 そんな小競り合いが、本格的な戦争になるのに、さしたるきっかけは必要なかった。
 いくつかの国を巻き込んで起こる戦い。
 誰も......しばらくは気づかなかった。特にエルフは、人間との交流はなかったので。
 戦いと混乱の中に、魔族の被害が混じり始めたことに。
 人々が異常に気づいた時は、既に遅かった。
 各国は疲弊し、優秀なメイジと使い魔たちの多くは、人間同士の内輪もめで死に絶え......。
 野には、大量に出現したデーモン――当時は亜人の一種と思われていた――の群れが跋扈し、戦争で生き残った人々を蹂躙した。
 いくつのも命が失われ、いくつもの国が滅び......。
 しょせん蛮人なんて、と傍観を決め込んでいたエルフたちも、事ここに至り、事件の裏にひそむものの気配を感じ取っていた。思えば、各国の武力増強も、国の中枢に入り込んだ何者かの意志の表れだったのかもしれない......。
 エルフや韻竜は、翼人や吸血鬼などの亜人と共に、人間を支援する形で、野にあふれるデーモンたちの掃討に努めた。
 ......だが。
 デーモン大量発生すらも、陽動でしかなかったのだ。
 皆の目が人間世界に向いているその間に、魔王配下の五人の腹心が集結していた。
 エルフの住まう地である『砂漠(サハラ)』に。
 腹心たちは、近海に住む『海母』との直接対決を巧みに避けつつ、徐々に砂漠(サハラ)を、死の荒野へと変えていく。
 老獪な水韻竜である海母を、魔族は『水竜王』と呼んで恐れていた。もしも海母が倒れたら、魔族側の勝利となるであろう。
 それを察知した、エルフを中心とする連合軍は、海母に手を貸すべく、砂漠(サハラ)へと舞い戻り......。
 そして、魔王が出現した。

########################

「......は......?」 

 ルクシャナの話の途中で、私は思わず、間の抜けた声を出していた。

「......し......出現した......って......どこから?」

「わかるわけないでしょ」

 ......おい。
 呆れ混じりの声でキッパリ答えられ、私の目が点になる。

「だって、魔王出現の現場に居合わせた者は、生き残っていないんだもん」

 ああ、そうか。言われてみれば、それも当然か。

「『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの気配は突然、砂漠(サハラ)の真ん中に出現して、その瞬間、こちら側の勝利はなくなったのよ。......冥王(ヘルマスター)フィブリゾ配下の冥神官は滅ぼしていたものの、韻竜たちは獣神官ゼロスによってほぼ壊滅。エルフと人間たちとでは、連携も何もあったもんじゃないし。そんな状況で、魔王まで出てきては......ね」

 そこまで言って、もうおしまい、という表情で、ルクシャナは口を閉ざす。
 グラスの水で喉を潤す彼女を見ながら、私は確認のために、

「あとは......伝承にあるとおり、ってことね?」

 頷くルクシャナ。

「......海母の奮闘により、魔竜王は倒れ、魔王は『シャイターン(悪魔)の門』に封印され、そして海母も力つきた......」

「海母は死んだわけではないけどね。力の大部分を失って、おとなしく『竜の巣』で休んでるわ」

 頷きながらも、そこだけは訂正するルクシャナ。
 なるほど。
 私は敢えて、人間界に伝わる伝承ではなく、魔族のジュリオから聞いた方を元にして、カマをかける意味で少し曖昧に言ってみたのだが......。
 ということは、やはりジュリオの話が正しかったということか。

「......で、最近、韻竜から砂漠(サハラ)に使いが来たのよ。人間たちの世界が降魔戦争勃発前夜と似たような状況になってるから、一緒に調査しましょう、って」

 ルクシャナが説明を再開する。

「『評議会(カウンシル)』のおじいちゃんたち、蛮族の世界に干渉するのは嫌がってたんだけど......本当に降魔戦争の再現なんて話になるんじゃ、そうも言ってられなくてね。さいわい荒事じゃなくて調査任務だから、学者の私が志願したら、全会一致で決まったの」

 おそらく『評議会(カウンシル)』というのが、エルフの国の王政府みたいなものなのだろう。
 さきほどの話からすると、吸血鬼や翼人たちにも声をかけてもよさそうだが、エルフと違って『国』がないから、声のかけようがなく、ならば調査は韻竜とエルフだけで......ということなのかもしれない。

「それで、私は韻竜の娘と一緒に旅を始めて......このゲルマニアって国に大きな『魔』の気配を察知し、調査していたところ、というわけよ」

「......で、そこで私たちと出会った、と?」

 私の言葉に、ルクシャナは小さく首を縦に振り......。
 そこでふと、何かを思い出したかのように、

「そう言えば......一年くらい前だったかしら? しばらく前にも、強い『魔』の気配を感じたことがあったんだけど......あの時は一日経つか経たないかのうちに、あっさり気配が消えたわね」

「それなら知ってるのね!」

 ひととおり食べ終わったらしく、満足げな声で、シルフィードが言葉を挟む。

「え? あの事件のこと知ってるの、あなた? だったらなんで今まで、黙ってたのよ!」

「きゅい。だって、聞かれなかったから......」

「まあ、いいわ」

 人間と同じ仕草で、肩をすくめる女エルフ。

「......で、あれは何だったの?」

 ルクシャナに対して、シルフィードは誇らしげに、

「あれは魔王シャブラニグドゥの復活だったのね! でも、お姉さまとその仲間たちが倒しちゃったのね! きゅい!」

 ぶぴっ!

 あっさり言ったその言葉に、私とモンモランシーとルクシャナが、三人同時に吹き出した。

「このバカ竜っ! そういうこと、さらりと言うなぁぁぁっ!」

「嘘......!? 私たちが知らない間に、魔王が復活してたの......!?」

「ななななななな」

 ルクシャナは何やら『な』の字を連発している。
 ここでサイトがポンと手を打ち、

「ああ、あの話か! それなら、タバサが、っつうより、俺とルイズで倒したようなもんじゃん。......なあ、デルフ?」

「俺っちに同意を求めんでくれよ、相棒。俺さまは今、忙しいんだ。おめえらが千年前、千年前とうるさいから、当時のことを思い出そうと頑張ってるんだが......どうにも思い出せんぜ」

 バカ犬と剣の会話を耳にして。
 ルクシャナが私に、ギギギッと首を向ける。

「ど、どどど、どうやって......?」

「......え......えぇっとね......」

 私は、後ろ頭をポリポリかきつつ、

「そこでしゃべってるデルフリンガー......ってゆうか、『闇を撒くもの(ダークスター)』の武器『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』に、ちょっぴり『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の不完全呪文の力を上乗せしちゃった。てへっ」

 ぴぎっ!

 私のその言葉に、エルフのルクシャナは完全無比に硬直した。
 ということは、『闇を撒くもの(ダークスター)』とか『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』とかの話は知っていたわけだ、やっぱり。
 まあ、どうせ『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の正体までは知らないんでしょうけど。

「......なんだかよくわからないけど......とにかく凄いことをやったのね?」

 その辺りの事情に疎いモンモランシーは、わずかに眉をひそめるだけだが。
 ルクシャナは私を指さして絶叫を上げる。

「ああああああなたっ! なんつうことをっ!? 何やったかわかってるのっ!?」

「いやぁ......あの当時はよく知らなかったから......」

「よく知らないものの呪文なんか後先考えず使うなぁぁぁっ! そういうことするから『悪魔の末裔』って呼ばれるのよっ!」

 ......うーん......この様子だと、冥王(ヘルマスター)倒す際に『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に体を乗っ取られた話は、内緒にしておいた方がよさそうである。

「......まったく......蛮人ってやつは......」

 エキサイトしたまま、何やらブツブツつぶやき始めるルクシャナ。

「......私たちは、力のほんの少しを借りてるだけだってのに......蛮人たちは、恐れ多くも『魔王』扱いしちゃって......その上、無理矢理その力を引き出そうとするから......」

 あ。
 この言い方からして、どうやら彼女、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』こそが『大いなる意志』であると、ちゃんと知っているらしい。

「......研究対象以前に、ちゃんと見張ってないと危なくてたまらないわね......」

 愚痴を口に出したことで、少しは落ち着いたのか。
 ルクシャナは、一同をグルリと見回して、

「あなたたち、覇王将軍シェーラを倒した、と言ったわね? でも、もしも魔族の狙いが降魔戦争の再現ならば、それでもまだ、計画は止まらないはず。だから......手を貸して欲しいの」

 そして最後に、苦笑しながら一言つけ加えた。

「......悪魔を制するために悪魔の力を借りる、ってのも、皮肉な話だけどね」

########################

 降り続く雨の水音だけが、夜の空気を震わせていた。
 村に一軒しかない宿屋。
 一階の酒場は、あまり繁盛していないのか、はたまた雨のせいなのか、まだまだ宵の口だというのに、人の気配も途絶え、ざわめきも消えていた。

「......ふぅ......」

 洋服掛けにマントをかけて、私は深くため息つくと、ベッドに横になる。
 先にベッドに入ったサイトは、すでにグッスリ眠っているようだ。
 今晩はサイトを抱き枕にする気もしない。
 天井に下がったランプを眺めつつ、私は小さくつぶやいた。

「......なんか......またやっかいなことに首突っ込んだような気がするわね......」

 結局のところ。
 私たちは、竜とエルフの調査に手を貸すことになったのだった。
 ギーシュとモンモランシーは乗り気ではないようだが、もしも降魔戦争の再現などということが実現したら......と考えると、断りきれなかったのであろう。
 一方、私とサイトは少し違う。
 もともと私たち二人がゲルマニアに来たのは、デーモン大量発生事件について調べるよう、リュティスで頼まれたからである。シルフィードたちも同じ事件を調査している以上、断るいわれはない。
 とはいえ『断るいわれはない』と『喜んで手を貸す』は、イコールでは結ばれない。
 なにしろ、覇王将軍クラスの大物魔族が、パシリをやっているような計画である。となれば、計画を指導している本当の敵は、おそらく......。
 魔王腹心五人衆の一人、覇王(ダイナスト)グラウシェラー。
 一応『倒す』ことではなく『調査』が目的なわけだが、その過程で連中とぶつかることは必定。

「うーん......こう考えると、やっぱり無謀な話かも......」

 しかし本来は虚無のメイジなど嫌うエルフのルクシャナが、私に協力を要請するほどの事態なのだ。彼女の言うとおり、魔をもって魔を制するくらいしか、テはないのであろう。
 伝説の韻竜、伝説の虚無、伝説のガンダールヴ、伝説の魔王......。
 こうなってくると『伝説』の大安売りだが、ともかく『伝説』の力を結集するしかないのか。
 自分もその『伝説』の一部だというのが、嬉しいような、悔しいような。
 やらなきゃなんない。けどやりたくない。
 そんな思考の堂々巡りの中......。

「......?」

 私の考えを中断させたのは、水の滴り落ちる音だった。
 いまだ降り止まぬ雨の音......ではない。
 隣で眠るサイトのヨダレ......のわけもない。
 水音は、宿の廊下から聞こえていた。
 しかも......こちらへ少しずつ近づいている!?

「サイト! ちょっと起きて!」

「......ん? なんだルイズ、かまって欲しいのか......」

 寝ぼけるサイトを揺さぶり起こし。
 マントを羽織り、杖を手にして、それに備える。

 ......ぽたり......ぽたり......。

「おい!? この気配って......!」

「しっ! わかったなら黙って!」

 サイトがそう感じるということは、そうなのだろう。
 私たちは、足尾を殺して部屋の扉へと向かい......。

 ダムッ!

 扉を開け放ち、二人で廊下に躍り出た!

 ......ぽたり......。

 水滴が廊下の床を打つ。
 魔法の明かりに照らされて、真っすぐ伸びた廊下には、誰の姿も見当たらない。
 しかし......。
 視界の中で、何かが動いた。
 同時に。

「ルイズ! 上だ! 天井!」

 サイトの言葉に、視線を上へと向けて。

「ずげげっ!?」

 思わず半歩、後ろに退る。
 薄暗く、半ばまで闇に呑まれた天井からは......。
 女の首が、さかさまにぶら下がっていた。

########################

 小さく揺れる、黒く伸びた髪。
 端正な顔に、どんよりと濁った瞳。
 色を失い、小さく開いたその口から、漏れ出る水が髪を伝わって、廊下の床へと落ちて砕ける。

 ......ぽたり......。

 そして首から無数に伸びた、根とも血管ともつかぬものが、ウネウネと天井に張りついていた。
 むろんこんなモノ、まともな生き物でも死体でもない。
 考えられるのは、ただ一つ。
 すなわち......魔族。

「......ぜろの......るいず......か......」

 それは暗き高みから私を見下ろし、くもぐった声でつぶやいた。

「ルイズの友だちか?」

「そんなわけないでしょ! 敵よ、敵!」

 冗談なのか天然ボケなのか判らぬ言葉の後。
 サイトが剣を構えて動き出す。
 しかし斬撃が届くより早く。
 それに殺気が膨れ上がる。
 咄嗟に横に跳ぶ私。
 同時に。

 ぶじゅびゅっ!

 それの口から吹き出した水が奔流となり、たった今まで私のいた場所を薙ぎ裂いた。
 見た目にも汚い攻撃だが、心理的ダメージだけではない。

 ガタン......。

 何かの倒れるような音に、チラリと後ろへ目をやれば。
 私たちが出てきた、開けっ放しの部屋の扉が、スッパリ斜めに断ち切られ、上半分が床に転がっていた。
 今の水流には、並の剣以上の切れ味があるということだ。
 しかし、サイトの迎撃よりも私の抹殺を優先したのが、命取り!

 ゾンッ!

 閃く一条の銀光に、女の頭が弾け飛び、大量の水が辺りに飛び散る。

「......なんだ? 意外とあっけなかったな......」

「見た目の......グロさ重視の一発屋だったのかしら?」

「相棒! 娘っ子! まだ終わっちゃいねぇ!」

 そう。
 天井に張りついた根が痙攣し......。

 ......にゅるり。

 根の端から、新たな女の顔が瞬時に生まれ出る。
 しかも、五つほどを同時に。

「どげげげっ!」

「なんじゃそりゃぁぁぁっ!?」

 いかに魔族、人外のものとは判っていても、これはさすがにたまらない。
 逆さ吊りで、口から水こぼす女の頭の群れに、どんよりしたまなざしで見つめられるのだから。

「......なんか......いっぱい生えてきたぞ! おい!」

「大サービスね! ま、頭が弱点じゃないってことはハッキリしたわ!」

 言って呪文を唱える私。
 同時にサイトも、魔族に向かって再びダッシュ。

 びゅびじゅじゅぶっ!

 それの口から幾筋もの水の流れが走り、床を、壁を薙ぎ斬ってゆく。
 必死で身をかわしつつ、私は呪文を唱え続け、そしてサイトは......。

「はぁっ!」

 ザッ! ザゾンッ!

 水流を断ち切り、かわし、魔族へと肉薄する。
 剣を振るって、全ての頭を同時に斬り飛ばし、攻撃力を奪ったところで......。

「今だ!」

 デルフリンガーの合図で、大きく後ろへ。
 同時に私が杖を振り、魔法を放つ。
 ......後ろに向かって。

 ひゅい。

 しかしエクスプロージョンの光球は、一点に収束して消えた。
 ......新たに出現した魔族の手のひらで。
 人間の男のような外見だが、頭のあるべき部分には、ねじれた角のようなものが固まっているだけ。
 こいつの気配を感じ取って、女頭魔族を撃つフリをして、私は不意打ちをかけたのだが......それが通用するほど甘い相手ではなかったようである。

「......何を遊んでいる......ミアンゾ。命令は速やかに遂行しろ......」

 私の攻撃などなかったかのように、ねじれツノ魔族が言う。さすが魔族、ツノだけで口はないのに、よくしゃべれるものだ。

「なら......すこしハデにいくよ......ツェルゾナーグ......」

 女頭......というより、頭を失った根だけの魔族、ミアンゾがそれに応じる。
 ......って、ちょっと待て! 魔族の『すこしハデ』って、洒落にならないような気が......。
 しかし、私やサイトが反応するより早く。

 ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!

 ほとばしる閃光が、宿の建物を吹っ飛ばした!


(第二章へつづく)

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第十三部「終わりへの道しるべ」(第二章)

「......う......づづづうっ......」

 木切れや石くれ押しのけて、私は地上に顔を出した。

 ......さあっ......。

 雨が全身を打つと同時に。

「大丈夫か、ルイズ!?」

「大丈夫......じゃないわよ! ちゃんと私のこと、かばいなさいよね! あんた私の使い魔なんだから!」

 私を心配するサイトの声に、ついつい、そう返してしまう私。

「すまねえ......」

「まあ、いいわ。それより......やつらは......?」

 二人で慌てて辺りに目をやり......。
 そして見つけた。
 雨に濡れながら、佇む魔族二体の姿を。
 ミアンゾは、地面から生えたツタが絡まったような格好に変わっており、その半ばから、女の頭をやはり逆さまにぶら下げていた。
 一方ツェルゾナーグは、動揺の色もあらわな声で、つぶやいている。

「......なぜ......こんなところにエルフがいる!?」

 二体は、私の方など見ていなかった。
 彼らが対峙する相手は、ローブを羽織った金髪の少女......エルフのルクシャナ。

「説明する必要ないと思うけど。......千年前も戦ったじゃない、エルフと魔族は」

「ならば......ほんきでやっても......いいのかな......」

 ミアンゾが、くもぐった声で言ったその刹那。

 ウンッ!

 虫の羽音にも似た音を立て、ミアンゾの体が一瞬ブレる。
 同時にルクシャナの周囲に、いくつもの小さな光が閃いた。
 空間を渡っての攻撃......いや、これは精神世界面から直接攻撃している!?
 いくらエルフが人間から恐れられる存在とはいえ、しょせんは物質世界の生き物。これでは、さすがに......。

「へえ。案外余裕がないのね」

 しかし私の危惧などどこ吹く風。
 ルクシャナは、片手を軽く振り払った。
 呪文も唱えず、精霊に呼びかけることもせず、ただ片手を振るっただけ。
 ただそれだけで......。

「......うわさは......ほんとうだった......」

 呻き声と共に、ミアンゾが小さくよろめく。
 ......これは......!

「なあ、ルイズ。あいつら......何やってんだ?」

「たぶん......ギャラリー置いてけぼりの、精神世界面の攻防戦よ。前にジュリオが、竜神官や竜将軍を相手にやってたみたいな」

 人間には理解することさえ不可能なレベルで展開される、己の魂すら賭しての死闘......なのだが。
 理解不能ゆえに、眺めていても盛り上がらなかったりする。
 そして。

「そうか。それならば手加減する必要もなかろう」

 不穏な言葉と共に、ツェルゾナーグが参戦する。

 ぎぢぎぢぎぢっ!

 耳ざわりな音を立てながら、頭部のツノが瞬時に伸びて、ルクシャナへと向かう。
 そして再びブレるミアンゾの体。
 二対一、しかも精神世界面と物理面からの同時攻撃!
 ......しかし......。
 魔族たちは失念していたのであろう。
 物理攻撃なら、敵は一人ではない、ということを。

 ボゥムッ!

「......っがぁっ!?」

 私のエクスプロージョンが、ツェルゾナーグの伸びたツノ、そのことごとくを消し去った。

「き......貴様! 人間の分際で......」

 魔族二体の意識が、こちらへ向く。
 すでにサイトは、ミアンゾに向かって斬りかかっていた。
 この隙に。
 ルクシャナは、服の隙間から、いびつな形の白い剣のようなものを取り出し......。

「封印解除! 魔力収束!」

 チラッと見えたのだが、どうやら彼女、あのゆったりとした服の下に鎧を着込んでいたらしい。このいびつな白剣は、鎧を構成するパーツの一部のようだ。

「ゼナフスレイド!」

 ルクシャナが、その剣で空を薙ぐ。
 そんなとこ斬ってどうすんだ、と思う間もなく......。

「......がぁっ!?」

 ツェルゾナーグの悲鳴が響く。
 光の衝撃波は、空間を越え、ツェルゾナーグ自身の体の中から生まれ出て、背へと抜けていた。

「......ぐ......!」

 灰と化して砕け散る仲間を前にして、不利を悟って呻くミアンゾ。
 そこに......。

「逃がさねぇっ!」

 サイトの斬撃が閃く。

「......!」

 声にならない悲鳴を残し、ミアンゾの姿もかき消えた。

「今度こそ......やったか?」

「違うな、相棒。根っこだけになって逃げてったぜ、あいつは」

「魔族お得意の、トカゲのシッポ切りね。精神体のかけらを囮として残して、本体は攻撃を回避したのよ」

 見えてなかったわりには、偉そうに解説する私。
 そこに。

「つ......強いのね......。きゅい」

 後ろでポツリと声がする。
 振り向けば、一体いつの間に現れたのか、そこには、シルフィード、ギーシュ、モンモランシーの三人が、ガン首ならべてホケッと佇んでいた。

「......ってあんたら! なぁに手伝いもせずにポーッと眺めてたのよ! ......特にシルフィード! あんた伝説の韻竜でしょ!?」

「だって......純魔族には、先住の魔法は、あんまり効かないのね。きゅい」

 言われてみれば。
 今の戦いでも、エルフのルクシャナは、先住魔法を一切使用していなかった。
 やはり以前にチラッと考えたように、先住魔法は借り物の魔法であり、自らの精神力を用いていないため、魔族には通じないのだろう。
 まあ『大いなる意志』イコール『混沌の海』である以上、先住魔法も力の根源は私の『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』や『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』と同じなわけで、その力を最大限に引き出せば魔族にも通用するはずだが......。さっきルクシャナが言っていたように、エルフや韻竜の使う先住魔法の場合、あくまでも『力のほんの一部』なのでしょうね。

「蛮人が韻竜を非難するだなんて、なんだか滑稽だわ。あなたたちだって、どうせ魔族に本気で攻撃されたら手も足も出ないくせに」

 ルクシャナの言葉に、少しカチンとくる私。
 でも、今は彼女と喧嘩している場合ではない。

「とりあえず、そういう話はあとにしましょう。とにかく今は、この場から離れることが先決よ」

「あら? あなた悪魔の末裔のくせに、魔族の仕返しが怖いの? 大丈夫よ、もしまた来たら、私が倒せばいいだけの話だから」

 何もわかっていないこと丸わかりな馬鹿エルフに、私はジト目を向けて、

「そうじゃないわ。この場にいると面倒になる、って言ってんのよ、私は。......ここが村の中だ、ってこと忘れてない?」

「......あ......」

 私の言葉に、ルクシャナ以外の全員の声が見事にハモったのだった。

########################

「......ふぅ......。ここまで来れば、もう追っ手も来ないでしょ」

 まるっきりお尋ね者のセリフを吐いて、私が足を止めたのは、村を抜けた森の中、なんとか雨露をしのげそうな場所を見つけ当ててのこと。
 さいわい、だいぶ雨足は弱まってきている。これならば、それほど濡れずに済みそうだ。

「......けど......逃げ出した、っていうのはかえってマズくないかね?」

「そうだな。かえって怪しまれるような気がするぞ......」

 男二人は意見を合わせて頷きあっているが、モンモランシーが異を唱える。

「でも、あそこで面倒に巻き込まれるのは、得策ではないわ」

「そ。宿を壊したのが魔族だ、って、いくら主張してみたところで、その証拠もないし。役人が信じてくれるとは限らないもん」

 モンモランシーに賛成する私。クラゲ頭のサイトにもわかるよう、さらに続けて、

「ひょっとしたら目撃者くらいいるかもしれないけど、あんまりアテに出来ないでしょ。それに、へたに彼女の正体がバレたら、彼女のせいにされると思うわ」

 私は、チラッとルクシャナに目をやった。
 今も彼女は帽子で隠しているが、その下には、エルフの長耳があるのだ。
 ......まあ外見は『変化』で誤摩化すことも可能かもしれないが、ルクシャナの場合、態度や言葉遣いの方がマズい気がする。

「きゅい。何か誤解してるみたいだけど......」

 私の視線の向けた先を誤解したのだろうか、ルクシャナの隣に立つシルフィードが、会話に参加してきた。

「宿を壊したのは魔族ではなく、ルクシャナなのね」

「......え?」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 しばしの沈黙の後。

「シルフィード、そういう冗談は止めた方がいいぞ」

 ツッコミを入れるサイト。しかし彼女は首を横に振り、

「冗談じゃないのね! 本当なのね!」

 ......ってことは......。

「ええええええ!? じゃあ、あれって......」

「何を驚いてるのかしら。あなたたちが困ってるから、援護してあげただけじゃないの。蛮人の建物が予想外に脆くて、あんなことになったけど。......誰も死んでないから問題ないでしょ?」

「問題あるわぁぁぁっ!」

 ツンとすました顔で言うルクシャナに、思わず私は叫んでいた。

「......そうなの? 色々と面倒なのね、蛮人の世界って。......それより問題なのは、どうして魔族があなたたちを襲ったか、よ」

 むむむ。
 前半は同意できないが、後半は確かにそのとおり。
 私としても、魔族たちの目的は気になる。丸め込まれるようで気にいらないが、ここは大人の態度で譲歩して、

「そうね。こうやっている間にも、魔族が再襲撃をかけて来る、という可能性もあるわ。ならば、理由を把握しておいた方が、対処もしやすくなるでしょうし......」

「なあ、ルイズ。あいつら、ルイズの顔と名前は知ってたよな?」

 サイトは、何か考えがあるような表情で言葉を挟む。
 どうせサイトの意見などロクなものではないと思うのだが、私が小さく頷くと、彼は続けて、

「なら、仕返し......とかじゃあないのか? 覇王将軍を倒したばっかりだろ、俺たち。そのかたき、ってことで......」

「それはねえぜ、相棒。あいつらに仇討ちなんて感情ねーだろ」

 剣にバッサリ却下され、サイトは口を閉ざす。
 可哀想だが、私もデルフリンガーと同意見だ。

「考えてもごらんなさい、サイト。仇討ちなら、あんなザコ魔族二匹で来るわけないでしょ。一応こっちは、かりにも覇王将軍倒してるんだから。そのつもりなら、それなりの戦力で来るはずよ」

 私の言葉に、モンモランシーやルクシャナも頷いている。

「では、なんだったんだろうね?」

「それがわからないから悩んでるのよ、ギーシュ」

 あとから出てきた方が『命令は速やかに遂行しろ』みたいなことを言っていたが、だからといって、私が重要ターゲットであるという雰囲気でもなかった。
 むしろ『余計なことをやってるんじゃない』と感じたのだが......。

「そんじゃ、考えたって仕方ねえじゃん。考えてもわかることじゃないんだろ?」

「サイト......あんた、いつもそんなこと言ってるわね」

 既視感バリバリの意見を口にするサイト。
 私は顔をしかめるが、残念ながら今は、彼の言うとおりのようである。

########################

「......何かしら、あれは......?」

 街道のはるか先を眺めつつ、ルクシャナが突然つぶやいたのは、昼頃のことだった。
 彼女が宿を壊したのを、私とモンモランシーが舌先三寸で何とか丸くおさめた、その翌日のことである。
 迂闊に魔族のことなど持ち出さず、レッサー・デーモンが出てきた、ということにしたら、案外アッサリ信じてもらえたのだ。さすがはレッサー・デーモンが現在進行形でポコポコ発生している国である。
 それはともかく。
 現在、一行が目ざしているのは、帝都ヴィンドボナ。
 私たちがヴィンドボナを発った時点では、デーモン発生事件は解決したと思っていたわけだが、そうではなかった以上いったん戻るのが得策、ということになったのだ。覇王将軍の一件で、国のお偉いさんともコネが出来たことだし。
 というわけで私たちは、もと来た道を戻る形で進んでおり、ルクシャナが目で指す方には、おとといあたりに通った街があるわけだが......。

「あれ......って?」

「......煙......みたいに見えるんだけど......」

 人間の世界には疎いはずのエルフが、それでもおかしいと感じて、首を傾げる。
 何か異変が起きているのだろうか。
 顔を見合わせてから、私たちは走り出す。
 少し進んだだけで、私たちにもわかった。
 たしかにエルフの言ったとおり、街道が続くその先の空に、幾筋かの灰色の煙が上がっている。
 さらに、小さな丘を越えたところで。

「......見えた!」

 なだらかな丘のふもと。広がる森に面した辺りに、小さな街があった。
 ......炎と喧噪に包まれて。
 この距離からでも、逃げ惑う人々の姿が見える。
 そして......破壊を繰り返すレッサー・デーモンの群れが。

「デーモン、ね」

 街の様子を一瞥し、スイッと一歩、踏み出すルクシャナ。
 羽織っていたローブをバサッと脱げば、現れたのは、へんな格好の白い軽装鎧。
 そして......。

 ブンッ!

 風薙ぐ音と同時に、その背に白い翼が生えた。
 異形の鎧の背中が瞬時に変形し、一対の細長い翼となったのだ。

「先に行くわよ」

 誰にともなく言い捨てて。
 フワリッと、ルクシャナの足が地面から離れた。
 白い軌跡を残して、彼女は宙を舞う。
 一直線に街へと向かうその姿は、見送る私たちの視界の中で、みるみるうちに小さく......小さく......。
 ......ならなかった。
 たしかに、ルクシャナの後ろ姿は遠ざかってゆく。しかし同時に、白い鎧が変形・展開し、彼女の体を包むように、大きさを増してゆくのだ。

「......嘘......」

 思わず茫然とつぶやく私。
 そして......。
 翼ある白い巨人と化したエルフは、レッサー・デーモンの群れの中へと降り立ったのだった。

########################

 白い光が地を薙ぐごとに、何匹ものデーモンたちが、光に呑まれて塵と化し、あるいは爆圧に吹っ飛ばされて宙に舞う。

「やっぱり......エルフというのは、凶暴で怖い生き物なのだね......」

 それは少し違うと思うぞ、ギーシュ。
 ......ともあれ、私たちが街へと辿り着いた時には、ほとんどのデーモンたちは既に蹴散らされていた。
 ただし、さすがにルクシャナも建物ごとデーモン薙ぎ散らすのは遠慮しているのか、街の中まで入り込んだデーモンには手を焼いているようだ。
 ならば、ここは地道に私たちが一匹ずつ......と思ったのだが。

「きゅい! 私も頑張るのね!」

 服を脱いで変化の術を解除したシルフィードが、再び変化の呪文を唱えて......。

「白い巨人二号かよ!?」

 思わずツッコミの叫びをあげるサイト。
 シルフィードは、鎧で巨大化したルクシャナと同じような姿となり、ガァッと竜のブレスでデーモンたちを掃討。
 ......建物にも思いっきり被害が出てるんだけど......。

「エルフだけでなく......伝説の韻竜も、凶暴で怖い生き物なのだね......」

 ギーシュのつぶやきにツッコミを入れる者は、誰もいなかった。

########################

「......どうやら終わったみたいね」

 後ろから声がかかったのは、街の中で暴れていたデーモンたちを、私たちが......というより竜とエルフのコンビが一掃したあとのことだった。
 振り向いたそこには、白い巨人からもとの姿に戻ったルクシャナ。
 少し離れて、同じく人間の姿に戻ったシルフィードも見える。

「蛮人のみんなも、ずいぶん活躍してくれたようね」

 あからさまな嫌味を言う。
 私たちの出番がほとんどなかったことくらい、わかっているくせに。
 ならば......。

「いやあ、それほどでも。あんたが凄すぎて、私たちなんて、とてもとても......。ほんっとに凄いわね、その鎧」

「それって......私じゃなくて鎧が凄いだけ、って聞こえるんだけど、聞き違いかしら?」

「あら、ちゃんとエルフにも、人間の言葉のニュアンス伝わるのね。さすがは私たちを研究してる学者さまだわ」

「どういう意味よ!?」

「だいたい、純魔族じゃなくてレッサー・デーモンが相手なんだから、先住の魔法を使えばいいじゃないの。それをわざわざ......」

「でも、こういう『いかにも英雄』って格好が好きなんでしょ、蛮人って? それに、必要もないのに『精霊の力』を借りるなんて。冒涜だわ。......あと、その無粋な呼び方、やめてくれないかしら?」

「はあ? あの白い巨人が......人間の好みですって? あんた人間研究の学者とか言ってるくせに......英雄譚か何かの知識を読みかじってるだけなんじゃないの?」

 ギスギスした空気が生まれるが、そこに割って入るように、

「まあまあ二人とも、そのへんにしとけよ。それよりさ......」

 サイトが、私とルクシャナのところへ歩み寄り、ルクシャナに左手を伸ばす。

 ピトッ。

「ああっ!? サイト、いったい君は何をやっているのかね!?」

 絶叫するギーシュ。

「いくらエルフとはいえ、女性の胸をいきなり触るとは! なんとうらやま......いや、けしからん話だ!」

 私も目を丸くして、キックもエクスプロージョンも出さずに硬直してしまう。
 しかし当のルクシャナは、まったく気にしていない。むしろ興味深そうな目で、自分の胸にあてられたサイトの左手に視線を落とし、

「へえ。これが噂の......『悪魔の守り手』の印ってやつ?」

 あ。
 言われて私も、ようやく気づいた。
 サイトのガンダールヴのルーンが......光っている!?

「ああ。この鎧、一種の武器みたいなもんなんだろ? だったら俺が触れば、詳細がわかると思ってさ。......しかし、なんつうか、本当にすげえな、これは......」

「相棒の頭には難しすぎるぜ。ここは俺っちが代わりに説明してやろう」

 サイトと一緒ならば、デルフリンガーにも武器のことは理解可能。剣が解説役を買って出た。

「......こりゃあ......魔族と戦うことを想定して開発された武器だな? 精神力を物理応用できる素材で作られていて......だから精神世界面へも干渉できるたぁ......。俺さまもおでれーたわ」

「っつうか、『精神力を物理応用できる素材』って何だよ!? SFかよ!?」

 私たちの知らない単語を口走るサイト。ちゃんと説明しようという気持ちは、彼には全くないらしい。

「あらあら。悪魔の力で、なんでもお見通しなのね。こわい、こわい」

 ルクシャナは少しおどけつつ、それでも胸を張って、

「今の説明のとおり。これは精神世界面への干渉力をある程度自由にコントロールでき、こちらの意識コントロールで、変形も可能な半自律型甲冑。ザナファアーマーと呼んでるわ」

「ふーん。やっぱり鎧が凄いだけじゃ......」

 入れかけた私のツッコミを、モンモランシーの悲鳴が遮った。

「......そ......それって、まさか魔鳥ザナッファー!?」

 思わず後ろに引いてしまうモンモランシー。
 ......ザナファアーマーとザナッファー。たしかに名前は似ているが......。
 魔鳥ザナッファーとは、かつてタルブの村を蹂躙した怪物......というのが、ハルケギニアにおける常識である。
 しかし私やサイトは知っている。ザナッファーの正体は、実はサイトの世界から召還された武器だった、ということを。
 それだけでなく、第二、第三のザナッファーともいうべき存在とも、私たちは戦ってきた。たしかに最後に出てきた『ザナッファー』は、ハルケギニアを滅ぼしかねないトンデモナイ奴だったけど、それも全て終わった話。
 エルフのルクシャナが着ている鎧が、それらと関連しているはずがない。
 などと思っていたら。

「......蛮人の間では、そう呼ばれているみたいね」

 ......え?
 いきなり肯定の言葉を吐くルクシャナ。

「そんな不思議そうな顔しないでちょうだい。......いくら私たちエルフでも、さすがに『精神力を物理応用できる素材』なんて開発できるわけないでしょ。元々これは、『シャイターン(悪魔)の門』の近くで発見された武器を改良して作られたものなのよ」

「ちょ、ちょい待ち! なんで『聖地』の話が出てくるのよ!?」

 慌てて私が口を挟む。

「あら。そういえば、あなたたち蛮人って、『シャイターン(悪魔)の門』のことを『聖地』って呼ぶのよね。もしかしたら、あなたたち知らないのかもしれないけど......そもそもザナッファーっていうのはね、あなたたちの大好きな悪魔ブリミルが、異界から呼び出した恐ろしい武器のことなの」

 それは知っている。私とサイトだけは。
 ルクシャナは、私たちの表情を見比べつつ、その点なんとなく理解したようで、

「......で、悪魔ブリミルの魔法の影響で、いまだに時々、『シャイターン(悪魔)の門』からザナッファーが飛び出してくるのよ」

 それは知らなかった。
 ......なるほど。そこに魔王を封じ込めたから、だけじゃなくて、『門』という言葉には、そういうニュアンスもあったわけね。
 しかし、だとすると......。
 ルクシャナの鎧も、元々はサイトの世界から来た、ということなのだろうか!?

「いや、俺の世界には、こんな技術はねえぞ!? 精神力を物理応用って......反則だろ」

 疑問を含んだ私の視線に、バタバタと手を振って否定するサイト。
 ルクシャナに目を戻せば、彼女はすました顔で、

「ひとくちに異界と言っても、けっこう色々とあるみたいね」

 ......そうか。
 言われて、私も思い出した。
 かつてヴィットーリオ=フィブリゾが、私やサイトの前で『世界扉(ワールド・ドア)』を使ってみせた時。
 あの場で見えたのは、たしかにサイトの世界だったが......。
 ヴィットーリオ=フィブリゾは、こうも言ったのだ。「『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の世界か、あるいは『蒼穹の王(カオティックブルー)』の世界か、はたまた『白霧(デス・フォッグ)』の世界か、それとも......彼がやって来た世界か」......と。
 つまり、それは......。
 サイトの世界以外へ通じる可能性もあった、ということではないのか!?
 ならば、今ルクシャナが纏っている鎧も、『闇を撒くもの(ダーク・スター)』とか『蒼穹の王(カオティックブルー)』とか、どこか別の世界から流れ込んできた技術を用いて作られたということか......。

「なんだか......サイトたちと一緒に行動していると、頭の中の常識がガラガラと崩れていくね」

「あなたは元から常識なんてないでしょ、ギーシュ」

 ギーシュとモンモランシーが、何やらヒソヒソと言葉を交わしている。

「......世の中には知らない方が幸せ、ってことがあるのね......」

 うわあ。
 モンモランシー、達観しているなあ......と私が思った、ちょうどその時。

「......みなさん!」

 聞いたことのあるような声は、少し離れた場所から聞こえてきた。

「......ほえ......?」

 声の方へと顔を向ければ、通りを渡り、こちらへと向かう男が一人。

「よかった......探してたんですよ!」

 それは、私たちの知った顔......。
 ヴィンドボナで最初『命令だから』と言って門前払いをくらわせ、その後に私たちを助けてくれた、あの地味な兵士だった。

########################

「......なんて言うか......。事件はまだ、おさまってないみたいなんです......」

 名もない門番が口を開いたのは、街の片隅にある、人通りの乏しい場所でのことだった。
 本当ならば、こみいった話は安食堂で何か食べながら......といきたいところなのだが、さっきのデーモン襲撃で、いまだに街はゴタゴタしている。襲撃の恐怖もさめやらぬ中、街の人の前で、物騒な話をするわけにはいかなかった。

「みなさんが街を出て行ってから、街の中でいきなり立て続けに、レッサー・デーモンが出没し始めて......」

 彼の言葉に、思わず私たちは顔を見合わせる。
 ゲルマニアの首都の街中で......デーモンが発生!?

「ですから......もう一度みなさんのお力をお借りできないかと思って、あとを追ってきたんです」

 どうやら、ヴィンドボナへ戻ろう、という私たちの判断は正解だったようだ。

「もう少し詳しく話してくれる?」

「......みなさんが街を出た夜......街のあちこちで......レッサー・デーモンがいきなり出てきて......」

「あちこち......ってことは、何匹も?」

 私の問いに、彼は頷き、

「一カ所には一匹だったんですけど......同時に何カ所に出たのか......。デーモンなんていうのを見たのは、私はそれが初めてでしたが......あれは......」

 その時のことでも思い出したのか、彼は青ざめた顔で、しばし沈黙する。
 まあ無理もない。私たちから見ればレッサー・デーモンなどザコ扱いだが、普通のメイジや騎士にとってはシャレにならない相手である。

「......警備隊やら傭兵やら......色々な人の協力で、なんとか倒すには倒したのですが......その翌日です。街におかしな噂が流れ始めたのは」

「おかしな噂......?」

「はい。なんでも......城の出入りが出来なくなった、とか......」

「......は......?」

 一瞬、言われたことの意味が理解できず、私は小さく眉をひそめる。

「誰かが......城から閉め出しでも食らったの?」

「いえ......そうじゃありません。特定の誰かが、ではなくて、誰一人、城へ出入りできなくなったのです。......私は直接見たわけじゃありませんが、同僚の話では、前日の夕刻以降、城門は閉ざされっぱなしで、中の様子もわからないらしいのです」

「......何それ......? ひょっとして、デーモン出てきた時にも、城から増援は来なかったとか......?」

「......どうやら......そのようです......」

「......」

 私は絶句するしかなかった。
 普通に考えれば、一国の首都でデーモンなど出現しようものなら、即座に王宮から兵士が飛び出してくるはず。
 それが増援もなく、朝になっても門が開かない、ということは......。
 考えられる可能性は二つ。
 国王がよほどの根性なしか、あるいは、城の中で何かがあったか。
 しかしゲルマニアのアルブレヒト三世は、権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような男。前者の『根性なし説』は、少し考えにくい。

「......どう思う?」

 私は、モンモランシーとルクシャナに視線を向けた。
 どうせサイトには聞くだけ無駄だし、ギーシュはモンモランシーに、シルフィードはルクシャナに、それぞれ従うだけだろう。

「覇王将軍が倒れた後のヴィンドボナで起きたデーモン発生事件......そして閉ざされた王城......。魔族たちの計画と、無関係とは思えないわね」

 モンモランシーのつぶやきに。
 私もルクシャナも、同時に頷くのだった。

########################

 街は......静かだった。
 ただしこれは、平和の静けさなどではなく、恐怖と不安がもたらす沈黙......。
 私たちがここを発ってから、まだ十日と発ってはいない。
 以前には、道の端々に露店が並び、走り回る子供たちの姿があった。宮殿で騒ぎがあったとはいえ、無関係な庶民たちは、普通に暮らしていたのだ。
 しかし今は......露店の数もめっきり減って、通りを歩く人々も、不安に背中を押されるように、足早で行き去っていく。
 帝政ゲルマニアの首都、ヴィンドボナ......。
 門番の彼と出会ってから数日後、途中さしたるトラブルもなく、私たち一行は、この街へと辿り着いたのだった。
 本来ならこの街に入る時には、外壁の門で一応の出入りチェックがあるはずなのに、今はそこに兵士の姿もない。
 まあ、そこにいるべき門番の一人が、私たちと一緒に行動している時点で、他の連中に関しても推して知るべしなのだろうが......。

「......とにかく、どう動くにしても情報が欲しいわね。私たちが、そしてあんたが街を離れていた間に何があったのか......。どこか、色々と話が聞けそうな場所に心当たりある?」

「それなら......私たちが結構ひいきにしていた店がありますから、そちらにでも......」

########################

「......あれからも夜になると......時々デーモンが出てきやがる......ほとんど毎晩だ......。おまけに城は門を閉じたまま、増援どころか、何の命令もありゃあしねえ。......デーモンどもが恐くて閉じこもってんのか、それとも他に理由があんのか知らねえけどよ......」

 度の強い酒を一気に飲み干して、男は吐き捨てるように言った。
 街の一角にある、酒場兼食堂。
 店構えからすると、平民よりは貴族がメインの客層のようだが、今はガラの悪そうな連中がたむろしている。
 門番の彼が声をかけたのも、そんな中の一人だった。
 一応兵士の格好をしているので、彼の同僚なのだろう。だが、酒で濁りまくった目と、まばらに伸びた無精ヒゲのため、むしろゴロツキか野盗の類に見える。

「とにかく確かなのは......もうみんな、ヘトヘトに疲れちまってる、ってことさ......。街を出てく奴もいる。同僚も何人かは姿をくらました。俺だって行くアテがあれば、とっくに逃げてるぜ......」

「......その......城がずっと閉鎖されている理由について、何か噂とかは聞かない?」

「......噂なら聞くぜ。いくらでもな」

 私の質問に、男は苦笑しながら、

「王様が臆病風に吹かれて立てこもってる、ってのや、どこかの国の暗殺者にもう殺されていて、それがバレないように城を封鎖してる、って説。......この前スパイとして処断された女傭兵が実は生きていて、そいつの命令でやってる、って話もあるし、実はとっくに城の中はデーモンにやられて壊滅状態、って話とかな」

「......」

 男の投げやりな言葉に、私は他のみんなと顔を見合わせた。
 王様の臆病風とか暗殺とか、それならばゲルマニア一国の問題であり、私たちとしてはどうでもいい。
 しかし......もしも真実が、覇王将軍の生存やら魔族による王宮壊滅だったりした場合には、ハルケギニア全土に影響を及ぼす問題となる。

「城の中の様子って......何も伝わってこないの? 出入りの商人とかいたでしょうに......」

「だから......その出入りができねえんだから、話にならねえ。まさか壁越えて乗り込む、ってわけにもいかねえし。......いや実際に壁越えて入ってった奴もいるかもしれないが......だとしても、無事に戻ってきた奴はいねえ」

 ふむ。
 どうやら、この男から聞き出せるのは、これくらいか。

「ジャック......っていう傭兵がいたと思うんだけど。彼はどうしてるのかしら?」

 私の質問が尽きたところで、モンモランシーが横から問いかける。
 しかし男は首を振って、

「ああ、ジャックさんかい。傭兵連中は、結構そいつのことアテにしてたみたいだがな。そのジャックって奴も、デーモンが出てきた時は城の中にいたらしく......その後の消息は不明だ」

 なるほど。
 モンモランシーは、ジャックの力を借りることを考えたようだが、あのジャックも城内に閉じ込められている......ということらしい。

「......ありがと。助かったわ」

 一応の礼を言って、男との会話を切り上げる。
 彼の口ぶりから察するに、これ以上ここで聞き込みを続けても、有益な情報が手に入る可能性は低いだろう。
 それに、もしも新しい情報が手に入った場合でも、それが単なる噂なのか真実なのかを確かめるためには、結局のところ、王宮内の様子を知らねばならない。
 ならば......。

「やっぱり......城に忍び込んで調べるしかないわね。ちょっと乱暴なやり方かもしれないけど」

 まるで私の考えを読んだかのように。
 モンモランシーが、小さくつぶやいた。


(第三章へつづく)

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第十三部「終わりへの道しるべ」(第三章)

 双月が雲に隠れた夜空には、無数の星々が瞬くのみ。
 それは、空からの潜入をするには、まさにうってつけの夜だった。

「......明かりがあるわね......」

 竜の背に乗り空をゆく私たちと、同じペースで進みつつ、ルクシャナはポツリとつぶやいた。
 そう。
 私たちが目ざす先にある、城の施設。そのあちこちの窓からは、薄い明かりが漏れている。

「どうやら誰もいない、ってことはなさそうね」

 私の言葉に、そんなことは当然だろう、とツッコミを入れる者は誰もいなかった。
 なにしろ。
 空から見る限り、城の敷地内に人の姿は見えないのだ。
 いくら夜といっても、建物と建物の間を歩く者くらいいそうなものなのに、それすら見えないとくれば、ひょっとして城内の人間は全滅しているのかも......という心配が出てきても不思議ではない。

「......ところでルイズ......」

「ぅわひゃっ!? ちょっとサイト、いきなり耳元でしゃべらないで!」

「あ。すまんすまん」

 私たちは今、四人まとめてシルフィードの背に乗っている状態で、そのためサイトとは、かなり密着していた。
 ......四人というのは当然、私とサイトとモンモランシーとギーシュ。名もなき門番の彼は、足手まといなので連れてきていない。
 本当ならば、無理にみんなでシルフィードに乗せてもらう必要もないのだが、人間の飛行魔法では遅いからシルフィードに乗れ、とルクシャナが言い張ったので、こういう形になっている。
 まあ私たちとしても、呪文の精神力を節約できるからいいか、ということで反対はしなかった。
 乗り物扱いされたシルフィードも、特に気にしてはいないらしい。タバサの使い魔となって以来、背に誰かを乗せることには、慣れてしまったのだろう。それに何より、本来の竜の姿に戻った方が気持ちいいようで、なんだか嬉しそうに、きゅいきゅい鳴いている。

「......で、王宮に入るのはいいけどよ、一体どの建物から行くんだ?」

「......どの......って......。さっきみんなで相談したでしょうが。とりあえず、西の塔から入ろう、って。......もう忘れたの、サイト?」

「いや、忘れたわけじゃない。ちゃんと聞いてなかっただけで......」

 いばるな。
 ......と言いたいところだが、ここで騒ぎ立てるわけにもいかないので、それは後回し。

「でもよ。明かりがついてる、ってことは、人がウジャウジャいるんじゃないか、あそこ?」

 サイトにしては、もっともなことを言う。
 西の塔は、正門からは少し遠い場所にあり、それで侵入地点として選んだわけだが......。
 見れば。
 塔の下にある建物は、兵舎のたぐいであろうか。その窓から、かすかに明かりが漏れている。

「どうする? 予定を変えた方がいいかしら?」

 モンモランシーの言葉に、私は少し考えてから、左右に首を振る。

「人がいる......ってことなら、他の建物も同じでしょ。それに、誰もいないところを探し回ってみたって、情報は集まらないでしょうし」

「同感ね。慎重......といえば聞こえはいいけど、怯えているだけじゃ、いつまで経っても事態は進展しないわ」

 横を飛ぶルクシャナも、私の意見に頷いて......。
 そして一同は、西の塔......明かりの漏れる窓の方へと近づいていった。
 窓には不透明なガラスがはめ込まれ、中の様子は見えないようになっている。
 耳をそば立ててみても、中から音は聞こえない。
 かすかに気配はするのだが......それが人なのか、あるいは別の何かなのか。人だとしても、何人くらいなのか。まったくわからない。

「......どうする?」

 ごくごく小声で、皆に問う。
 応えたのは、サイトとルクシャナの視線。二人は同時に、チラリと建物の入り口に目をやった。
 ......つまり、入ってみよう、ということだ。
 他の皆も異存はなく。
 それを察したシルフィードが、扉の前に降り立つ。
 私たちが背から降りると同時に、『変化』の呪文で人間の姿となるシルフィード。

「......こら!」

「きゅい?」

 サイトやギーシュの目に触れぬよう、慌てて駆け寄り、服を着せる私。
 魔法で外見を変えるのだから、『服を着た人間』に化ければいいものを、このバカ竜はいつも、裸の女の姿になるのだ。

「ありがとう、ルイズ」

 シルフィードではなく、モンモランシーが私に礼を言う。

「やっぱり蛮人って、どこかおかしいわね。......で? どうするの?」

 ルクシャナに促されて、私は扉に近寄った。
 武装した兵士でも楽に出入り出来るくらいの、やや大きめの、鉄で補強された両開きの扉。カギは、ごくごく普通のタイプだが......。

「こういう場所の錠前が、『アンロック』で開くわけないわよね?」

 言いながら、一応、呪文を試してみるモンモランシー。
 すると。

「え? アッサリ開いた?」

「......いや。最初からカギは、かかってないのだよ」

 言葉と同時に、中から扉が開けられる。
 開いた扉のその先は、ちょっとした広間のようになっており......。
 そこに、あるいは座り込み、あるいは壁にもたれかかった兵士たち。その数、ざっと二、三十。

「......竜が飛ぶような音とか、ひそひそとした話し声とか、色々聞こえていたからな......」

 対応に出てきた兵士が言う。
 ......なるほど。私たちの存在、とっくにバレていたわけね。そのわりには、なんだかフレンドリーな感じもするのだが......。

「どうせあんたら、城の様子を知りたくて、外から来たんだろ」

「驚かないの?」

 そう尋ねるモンモランシーに、その兵士は、あごを指先でポリポリ掻きながら、

「ああ。外から入ってきたのは、あんたらで......何人目かは忘れちまったけど......とにかく、こういうのにはもう慣れちまったんでな。......ここだけの話、俺たちも今回の命令には、少々納得いかないものがあって......。まあ、いずれにしても、とにかく入ってくれ」

 予想外の対応に戸惑いながらも、私たちは扉の中へと入っていく。

「......悪いが扉は閉めてくれ。向こうから見えると、何かとうるさいんでな」

 彼は宮殿の方へ、チラリと視線を向けてから、再び私たちに戻し、

「話は一応、聞いている。城の外じゃ、色々と騒ぎが起きてるんだってな」

「『騒ぎが起きてるんだってな』じゃないわよ! 外じゃあ毎晩のようにデーモン出まくって、大変どころの騒ぎじゃないんだから! それをあんたらは、なんでこんなところで、他人事の顔してのんびりしてんのよ!?」

 私だって本当は他人から聞いた話なのだが、さも自分が経験したことのように、凄い剣幕でまくしたてた。
 兵士は少しひるみつつも、

「......し......仕方ないだろ! とにかく建物の外には出るな、というのが上からの命令なんだから! ......『城から出るな』じゃないぞ、『建物から出るな』だぞ!」

「へ? 何よ、それ?」

 城から出るな、ならば、まだ理解しやすいが。
 建物から出るな、ということは、ここの兵士たちは、この塔に閉じ込められている、ということだ。
 ......そりゃ、みんな嫌だろうなあ。家族にも会えないだろうし、食べ物も備蓄食糧じゃ美味しくないだろうし......。

「知らん、知らん。上に理由を聞いても『目的は極秘。いいから従え』の一点張りだ。もちろん逆らえば命令違反で牢屋行き......。もう、どうしろってんだ」

 彼は小さくため息ついて、

「......で、牢屋と言えば......その......実はな......。言いにくいんだが、命令はもう一つ出ててな......」

「......もう一つ......?」

 口ごもる彼の態度に、なんとなく予想はついたのだが。

「......その......外から入って来た奴は......みんな捕まえて牢に入れろ......と......」

 ざわっ。

 兵士の言葉に、その場の空気が変わる。

「それって......牢にぶち込まれたくなければ、実力行使で何とかしろ、ってことか?」

 いきなり横から口を挟んで、しかも言い出しにくいことをハッキリ口にするサイト。
 すでに手は背中の剣に伸びているのだが......。

「ちょっと待って! なんであなたたちは、いつもいつも荒っぽいことばっかり......!」

 彼の動きを止めたのは、モンモランシーの叫びだった。
 ......魔王だの覇王だの、伝説級の高位魔族ばかり相手にしていれば、そりゃ『荒っぽいこと』ばかりになるのも当然だわ......。

「ちょっと確認しておきたいんだけど。私たちもあなたたちも、ことの真相が知りたい、という立場は同じよね?」

 彼女の言葉に、兵士が頷く。
 ......ところで、さっきから私たちの相手をしているのは彼だけなのだが、この場を取り仕切る隊長なのだろうか。あるいは、面倒ごとを皆から押しつけられた貧乏くじなのか。

「......でもって、あなたたちにとって命令は絶対。その命令というのは、『外からの侵入者を牢に入れること』よね。『抵抗しなかった侵入者の装備を取り上げろ』とか『前に捕えた侵入者と新しい侵入者は別の牢にしろ』とは言われてないわよね?」

「......あ......」

 兵士が小さく呻いた。
 ......なるほど。さすがモンモランシーである。
 このモンモランシー、純粋なメイジとしての技量では、私たち一行の最弱と言ってもいいかもしれないが、その分、知恵でカバーすることがあるのだ。
 まあギーシュとコンビを組んでいる以上、必然的に頭脳労働担当となり、そっちの能力が自然に伸びただけかもしれないが。
 それはともかく。
 兵士の言葉によれば、私たち以前にも、外から侵入者が来ているのだ。当然、彼らも牢屋へ送られたのだろう。彼らは彼らで、私たちとも兵士たちとも、また違った情報を持っている可能性がある。そうした連中のところへ連れていけ、と、モンモランシーは言ったのだ。

「......確かに、そんな命令は受けていないなぁ」

 座り込んでいた兵士の一人が、白々しい声を上げた。

「とりあえず、理由もわからず閉じこもる、なんて生殺しみたいなマネは、もうこりごりだ。......あんただってそう言ってただろ、隊長さんよ」

 その視線の方向を見れば、呼びかけられたのは、私たちの相手をしてきた男。やはり彼が、この場の隊長だったようだ。
 隊長さんは、苦笑を浮かべてため息ひとつ。

「......ふむ。そうだな。なら話は決まりだ。早速だが、牢に案内......もとい『連行』させてもらうぞ?」

 問いかける彼に、やはり苦笑いで頷く私たち。
 そして、こうした一連のやりとりを黙って見ていたルクシャナが、ポツリと一言。ほとんど誰にも聞こえぬ程度の小声で、感想を漏らす。

「やっぱり......蛮人って面白いわね」

「きゅい」

 同意の声を上げるシルフィードは、なんだか嬉しそうな顔をしていた。

########################

 地下特有の、じめついた空気が鼻につく。
 階段を降りて、真っすぐ伸びた石の通路の先に、鉄格子の牢屋が並んでいた。

「......ジャックはいないみたいね」

 通路の左右の牢を見比べながら、モンモランシーがつぶやく。
 ジャックならば理不尽な命令に逆らって投獄されているかも......と、彼女は考えていたのだろう。

「まあ、牢屋はここだけじゃないんでしょうし」

「そうだ。他の建物にも、ちょっとした地下室とか牢とかあるから、そっちに連れてかれてる連中も多いだろうな」

 先導する隊長さんが、私の言葉を肯定する。
 並んでいる牢の中でどの牢に入るのか、私たちが選ぶのを、彼は待ってくれているわけだが......。

「......期待していた奴がいないからって、いきなり暴れたりしないでくれよ? 一応おとなしく捕まる、という約束だからな」

「大丈夫よ。知ってる人には会えなくても、それはそれで情報が得られるでしょうし」

 隊長さんを安心させるべく、私がそう言った時。

「......貴公らは......!」

 牢の一つから聞こえてきた声に、私たちは一斉にそちらを向く。
 鉄格子越しにこちらを見つめるのは、ひげづらの初老の男。

「知り合いか?」

 隊長さんの問いかけに、私たちは無言で首を横に振った。
 ひげづらの方では、私たちを知っているようだが......?

「まあ、いいわ。とりあえず......ここに入れてもらおうかしら。彼の話を聞いてみましょう」

########################

「......こう見えても、わしは古くからこの国に仕える将軍の一人でな......」

 やつれた表情で、初老の男は語り出す。

「......あの女傭兵ファーティマを処罰するにあたり、貴公らが力を貸した......。それくらいは知っておるのだよ。......ファーティマが消えた日の夜、貴公らがハルデンベルグ侯爵と共に城の中を走り回っていたのを、見ているのでな」

 ......そうか。あの夜......。
 私たちは確かに、何人もの騎士やメイジに目撃されている。
 むろんこっちは相手の顔などいちいち覚えていないが、向こうはしっかり覚えていたということか。特にそれなりの要職についていた者の中には、あとでハルデンベルグ侯爵に問いただしたものもいるのだろう。
 そして、この男もそうだとしたら......。

「わかったわ。それじゃ、まず最初に教えて欲しいんだけど......ハルデンベルグ侯爵って、今どこにいるの?」

 そう。
 私たちにとって、今この城の中で一番アテになるのは、おそらくハルデンベルグ侯爵なのだ。
 最初は出世欲だけの無能な将軍かと思われていたが、私たちと一緒に純魔族相手に戦えるほどの実力者だと、後で判明している。
 それに、覇王将軍のゴタゴタを片づけた後、将軍職は辞任したとはいえ、それでもまだ大臣や将軍たちへの影響力は残っているだろうから。

「ハルデンベルグ侯爵......か」

 彼は、ため息ひとつついてから、顔をしかめて、

「問題は......そのハルデンベルグ侯爵なのだよ」

「......どういうこと?」

「実は、な......」

 彼の話によると。
 ハルデンベルグ侯爵は、将軍職を辞したはずだったが......。いつのまにか、アルブレヒト三世のそばには常に侯爵がいるようになったのだという。

「それって!? まるで......」

「そうだ。まるで、かつてのファーティマのように、な」

 何か否定するかのように、小さく首を横に振りながら、彼は話を続ける。
 ......古参の将軍である彼が、今回の異常な状況を問いただそうとしても、アルブレヒト三世には取り次いでもらえなかった。
 ハルデンベルグ侯爵が出てきて、『話はわしを通せ』の一点張り。挙げ句に『閣下の方針に異を唱えるならば』ということで、投獄されてしまった......。

「......まったく。侯爵は、あのようなかたではなかったはずなのに......。まるで人が変わったようだった......」

「......人が変わった......ねえ......」

 横で小さくつぶやいたモンモランシーは、何やら考えこむような表情をしている。
 私の頭にも、ちょっと嫌な可能性が浮かぶ。
 ......元々ゲルマニアという国は、都市国家から広がって、諸候が利害関係で結び付いて出来た国だ。国王が始祖ブリミルの血を引いていないこともあり、アルブレヒト三世のことも、他国のように『陛下』と呼ぶのではなく、『閣下』と呼ぶ者が多い。
 そんな中、ハルデンベルグ侯爵は国王を『陛下』と呼んでいたはずなのだが......。今の話では、いつのまにか『閣下』という呼称に変わっている......。

「......まあ、いいわ。ハルデンベルグ侯爵の心変わりはともかくとして......それでもやっぱり、侯爵の居場所を教えてもらえないかしら? 今、宮殿の中にいるのでしょう?」

「おそらく......な。場所は......」

 私の問いに、すこし不思議な表情をしつつ。
 彼はザッと、宮殿のおおざっぱな内部構造と、ハルデンベルグ侯爵のいそうな場所を説明してくれた。

「だが......こんなことを聞いてどうするのだ?」

「......『脱獄』して彼に会いに行くのよ」

 スックと立ち上がりながら、キッパリ答える私。
 見れば、モンモランシーやルクシャナも頷いている。
 シルフィードは何も考えていないようだが、サイトやギーシュは困惑の表情を浮かべていた。

「......僕には話が見えないな」

「まったくだ。なあルイズ、今の話だと......侯爵さんは味方から敵に変わったっぽいじゃん。それじゃ、もう協力は得られないだろう?」

「だからぁ。なんで急に『変わった』のか、ってことよ」

 一応、詳しい事情を知らぬ者の前なので、漠然とした言い方にしておいた。これではサイトには通じないだろうな、とも思いながら。
 そこに、おそらく私と同じ想像をしているモンモランシーが、少し補足するように、

「ねえギーシュ、覚えてる? エギンハイムの事件の最後で、あの『ファーティマ』が......『アイーシャ』の姿になったこともあったでしょ。......自由に別人の姿になれる......そういう種類の敵と戦ってるのよ、私たちは」

「......あ!」

 ようやくわかったらしい。
 サイトとギーシュが、そろって声を上げた。

########################

「......ずいぶん早いな......。もういいのか?」

 サイトがデルフリンガーで鉄格子を斬り、私たち六人が牢を出て、階段を上がったところで。
 待っていたのは、あの隊長さんだった。

「ま、とにかく、こっちは話をつけておいたぞ」

「......話をつけた......って......」

 この建物にいる兵士が、今や全員、私たちの味方だということなのだろうか。
 かりにも私たちは、牢を『脱獄』してきた立場なわけだが。

「......いいの? そこまでやっちゃって」

「実を言うとな。俺は、あんたたちを見たのは今日が初めて、というわけじゃないんだよ......。俺も、あの女傭兵が消えた夜、城であんたらを見てるんだ」

 なるほど。牢にいた古参の将軍と同じパターンなわけだ。

「......だからな、あんたらなら、今のこの状況を変えてくれるかもしれん......と思ってな。......さ、とにかく行ってくれ。気をつけて、な」

 私たちは小さく頷くと、隊長さんが示した扉をくぐり抜ける。
 宮殿へ行くならば、こちらが近道なのだろう。
 少し進むと、広い部屋があった。
 そこには、数十人の兵士の姿。

「話は聞いたぜ。がんばれよ」

「何をどうがんばるのか、わかんねぇけどよ」

「けどあんまり派手にやって、俺らの仕事を増やすなよ」

 口々に声をかけ、笑う兵士たち。
 この辺りまでは、まだ先ほどの隊長さんの影響が届く範囲らしい。
 それにしても......よほど上の命令が不満なのか、あるいは隊長さんの人望なのか......。
 ともあれ、兵たちの声に送られて。
 私たちは部屋を通り抜けて、扉を開き、外へと駆け出し......。

「......え......?」

 思わず小さく声を上げ、私たち四人――私とサイトとモンモランシーとギーシュ――は足を止めていた。
 兵たちの集う広間の中で。

「......は......?」

「何だ? 今の......? たしか......」

 兵たちの間にも、ざわめきが広がる。
 なにしろ。
 私たちは六人は、その先にある宮殿を目ざして、庭に面した扉をくぐったはずなのに......。
 しかし今、ルクシャナとシルフィードを除く四人は、ここにいるのだ。

「......な......何が起こったのかな?」

 ギーシュの問いの答えを、私は知っている。私やサイトは、こういうのには慣れっこになっていた。

「......空間を変なふうに歪められたのよ......。たぶん......魔族に......ね......」

 ......ざわっ......。
 私の発した『魔族』の一言に、兵士たちにざわめきが大きくなる。
 そんな中、ギーシュは笑みを浮かべて、

「......なるほど......理屈はわからないが、戦力を分断された、ということか。ならば、敵の狙いは......あの二人か、あるいは僕たちか......」

「......むろん......その両方だ......」

 彼のつぶやきに応えるように。
 天井から、くもぐった声が降ってきた。

「......ひっ......」

 兵士の何人かがそちらに目をやり、小さな悲鳴を上げる。
 ......天井から、逆さまに生えた女の首を目にして。
 私も、小さくつぶやく。

「出たわね。......魔族......ミアンゾ」

########################

 ザバァッ!

 水柱が吹き上がり、天井にはりつく魔族へと迫る。
 モンモランシーが、問答無用で戦いの口火を切ったようだが......。
 
 バシャッ!

 ミアンゾは口から水球を吐き出し、水柱を迎撃、四散させた。

「......うわぁぁぁぁぁっ!?」

 その音を合図に、兵士たちの間にパニックが起こる。
 ここヴィンドボナの兵たちの中には、ハルケギニアの一般的な人々とは違って、前の事件の時に魔族を目にした者も多いはず。だが、こいつは外見が外見なだけに、精神的なインパクトが大きいらしい。
 槍や剣を手に取り、慌てて構える者。とにかく杖を振る者。そばの扉を開けて迷わず逃げ出す者......。
 しかし、剣や槍では高い天井までは届かない。魔法は届くものの、こんな場所に下級兵士として配備されているメイジの魔法では、さほど効果もない。
 逃げ出した兵は、空間を変なふうにいじくられているせいで、部屋の反対側の扉から再び出現。混乱をますます大きくする。
 そして。
 ミアンゾの根の一部が、モコリと膨れ上がった。

「また『頭』を生み出すつもり!?」

 ふくれたコブは、女の頭の大きさをはるかに超えて膨れ上がり......。

 ぶぢゅるっ......。

 嫌な音と共に弾けると、中から黒っぽい塊を、下の床へと産み落とした。

「......魔族が......魔族を生んだの!?」

 モンモランシーの驚愕の声。
 床に着地したそれは、ゆっくりとその場に立ち上がっている。
 人間よりも頭一つ大きく、しかし全身は干からびたように痩せ細り、異様に黒く染まっていた。
 たしかに、一見すると彼女の言うとおりなのだが......。

「違うわ。......一匹が、もう一匹の体の中に隠れてたのよ」

 私が冷静に解説する横で。

「う......うわぁぁぁっ!」

 いきなり真っただ中に出現されて、パニックを起こした兵たちが、槍を、剣を、杖を、黒い魔族に向かって突き出す。

 ドドドドッ!

 鈍い衝撃音。
 いくつかは目標をそれて、仲間の兵士たちを傷つけるが、頓着する者はいない。
 兵士たちの武器の群れに、魔族はアッサリと全身を貫かれ......。
 ニイッと口の端を歪めた。
 笑みの形に。

「......逃げて!」

 私が叫ぶが遅かった。
 兵士たちが身を引くより早く。

 ドジュッ。

 黒い魔族の両手ひと振りで、濡れた重い音を立て、兵士たちの数人が床に転がる。......人から肉塊に変わり果てたものたちが。

「きさまっ!」

 デルフリンガーを構えて、黒い魔族に斬りかかるサイト。

 ギンッ!

 しかし彼は大きく跳び退くと、手にした剣を横手に向かって振るっていた。
 そばに立てられた全身鎧の中から生えた、銀の刃を迎え撃つために。
 ......まだ出てくるのか......!?
 銀の刃の本体は、サイトと刃を合わせたままで、鎧の中から滲み出る。
 三匹目の奴は、銀色の昆虫のようなシロモノ。ただし大きさは、人の背ほどもあり、虫の胴体にあたる部分には、内蔵を無茶苦茶にこねくり回したかのような、得体の知れない器官だけがぶら下がっている。

「きけけけけけけ!」

 奇妙な鳥のような声を上げ、黒い魔族が横からサイトに迫る。
 そして......。

 ドッ!

 その腕のひと薙ぎを払ったのは、ギーシュの青銅ゴーレム『ワルキューレ』だった。

「ぞろぞろ出てくるとは! 数が多ければいいってわけでもないだろうに!」

 ずらりと七体のゴーレムを従えて、吐き捨てるギーシュ。
 彼を警戒したのか、黒い魔族は後ろに跳んで間合いを取る。
 ......こうした攻防の間、私とモンモランシーも、ただ眺めていたわけではない。
 モンモランシーは、天井のミアンゾに向けて水の塊を放ち、

「エオルー・スーヌ......」
 
 わざと一瞬タイミングをずらして、私も杖を振る。
 天井にはりついたままでは、かわせないはずだが......。

 ずるりっ。

 迷わずミアンゾは、天井から剥がれて床に落ち、これを避ける。
 二人の呪文は天井を打ち、その部分が壊れてガラガラと崩れてくるが、魔族には痛くも痒くもないと見えて、どこ吹く風。
 ミアンゾは口から水を吐き出し、周囲を薙ぐ。しかし、もう天井にいた時とは違うのだ。

 ぢゅぶ。

 兵士の槍が女の頬へと刺さり、水流は収束力を失う。水の斬撃は、ただのシャワーとなって、辺りに水を撒き散らすだけ。

「......チャンス!」

 杖を構えて呪文を唱えながら、私とモンモランシーが歩み寄るが......。

「......!?」

 瞬間。
 私は床を蹴り、モンモランシーに体当たりをかける形で横へと跳んだ。
 刹那、たった今まで二人がいた空間を、白い手刀が貫いてゆく。
 その手の持ち主は、ゆっくりとミアンゾの中から這い出してきた。

「......四匹目の......魔族......」

 それは四本の腕を持ち、かわりに頭のない、真っ白な魔族だった。

「......よけたか......? 今のを......?」

 白い魔族が驚愕の声を上げる。
 確かに今のは危なかった。見切ってかわせる間合いでもなかった。そこまで私たちが近づいてから、敵は攻撃してきたのだ。
 ただ一瞬......はてしなく嫌な予感が背中を駆け抜け、とっさに体が動いただけ。
 しかし、そんなことを説明してやる義理はない。答える代わりに、私は杖を振り、エクスプロージョンの光球を放った。

########################

 サイトは圧倒的に不利......のはずだった。
 六本足の魔族は、うち三本を脚として、残り三本を刃として、サイトに斬りかかる。
 スピードも切れ味も申し分ない、別々の方向からの三連撃。
 いくらサイトがガンダールヴとはいえ、これでは、さすがに捌くだけで精一杯。確実に、彼は圧されていた。
 しかし......。
 魔族たちの間違いは、敵は私たち四人だと思い込んでいたこと。

「......せぇいっ!」

 気合いと共に、兵士たちが一斉に槍を突き出す。
 彼らなりの精神力はこもっているようだが、それでも魔族にしてみれば、虫にさされた程度の感じなのだろう。
 ただし。
 幾本もの槍は、銀色の魔族の脚にからみつく。
 ダメージは与えられずとも、魔族が物理的に具現している以上、その脚の動きを一瞬止めることは可能である。
 そして、その一瞬は、サイトにとっては十分な時間だった。

「......はっ!」

 ザンッ!

 サイトの剣デルフリンガーが閃く。
 それは槍の穂先ごと、魔族の脚を、本体を斬り裂いていた。

 きゅうううぅぅうううっ......。

 まさに虫が鳴くような断末魔の悲鳴を上げて。
 銀色の魔族はバラバラに崩れ落ち、陶器のごとく砕け散る。

「助かった!」

 兵士たちに礼の言葉を投げてから、サイトは身をひるがえしてミアンゾに向かう。

########################

「甘いな......」

 エクスプロージョンの光球を前にして、余裕の言葉を吐く白い魔族。
 こんなもの軽々と避けられる、ということなのだろうが......。

「ぐわっ!?」

 予想もしなかった方角から魔法をくらって、その動きが一瞬止まる。
 ......有象無象の兵士たちが放った魔法だ。
 もちろん、たいした威力ではない。それは白い魔族にダメージを与えたわけではなく、ただ驚かせただけ。
 それでもギリギリで私の光球を回避し、

「......まったく......驚かせる......」

 その口調に、もう余裕の色はない。
 兵士たちの魔法など痛くも痒くもないとはいえ、その爆圧に押されればどうなるのか、今ので身に染みたらしい。
 ......だが。

「安心するのは早いわよ」

 あぎあぃぃぃぃぃぃぃぃっ!

 後ろで上がった悲鳴に、慌てて白い魔族が振り返る。
 そこにあるのは、エクスプロージョンの直撃を食らったミアンゾの姿。
 ......そう。私は白い魔族を狙うフリをして、実は、その向こう側にいるミアンゾを狙っていたのだ。
 ミアンゾはミアンゾで、槍を突き刺してくる兵士たちを相手にしており、まさか別の魔族越しに強力な魔法が飛んでくるとは、思ってもみなかったらしい。
 苦悶の悲鳴を上げるミアンゾに、とどめとばかりにモンモランシーが魔法を撃ち込む。
 この状況では、回避も迎撃も出来ない。
 ミアンゾは、ついに灰の柱と化す。

「......バカな......!?」

 うろたえる白い魔族に。
 ミアンゾの死骸を薙ぎ砕きながら突進してきたサイトの剣が、グサリと突き刺さった。

########################

「......数で圧すというのは......」

 ザズッ!

 ワルキューレたちの槍が、四方八方から魔族を貫く。
 ギーシュの青銅ゴーレムなど、黒い魔族が手をひと振りするだけでおしまいなのだが、さすがに七体一では勝てなかったようだ。
 魔族に致命傷を与えることは出来ず、その数を半分近くに減らしながらも、ゴーレム部隊は、しっかりとその役割を果たしていた。
 ......すなわち、ギーシュのために魔族を足止めする、という役割を。

「......こういうことなのだよ!」

 ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』が、黒い体を斬り裂く。
 ......さしたる苦労もせずに、彼が黒い魔族をうち倒したのは、ちょうど白い魔族が消滅した時だった。
 こうして......短い戦いは終わった。

########################

「......つ......強い......」

 半ば放心状態で、兵士の一人がつぶやいた。
 危ないところは多少あったが、戦いが始まってから、さしたる時間は経っていない。
 魔族を相手にするには、コツがあるのだ。
 すなわち。短期決戦、一撃必殺、不意を突く。
 私やサイトは当然として、ギーシュやモンモランシーにしてみても、だいぶコツがのみこめてきたようだ。ギーシュなど一見、物量作戦に出たようにも見えるが、あれはあれで『一撃必殺』の原則にしたがっている。
 ......とはいえ今回は、魔族たちが数に入れてなかった兵士たちのおかげ、という部分もあったのだが......。
 その兵士たちの被害は、けして軽いものではなかった。
 無傷の者もいるが、ひどい手傷を負っている者は多いし、もはや確かめるまでもなく絶命している者もいる。

「......こっちを診てくれるか?」

「......すまん......こっちも......」

 治療して回るモンモランシーに、あちこちから声がかかる。
 ......戦い終わったばかりだというのに......。

「なんか......モンモランシー、戦ってる時より活き活きしてるような......」

「彼女はそういう人間なのだよ、サイト。......彼女は『水』の使い手、癒さなくっちゃ気がすまないモンモランシーだからね」

 ちょっと誇らしげに語るギーシュ。
 ......兵士たちの中にも『治癒(ヒーリング)』の呪文が使える者はいるようで、彼女と一緒になって忙しそうに治療して回っている。
 呪文が使えない兵士も、隣の部屋へ秘薬や包帯を取りに行き......。

「持ってきました!」

「それじゃ、あなたは向こうの人を......って、取って来れたの!?」

「......!」

 モンモランシーの言葉に、皆がざわめく。
 今さらながら、ようやく気がついたのだ。
 空間を歪めてこの部屋を孤立させていた、あの妙な結界が消えていることに。

「出られるのか!? この部屋から!?」

 兵士の一人が声を上げ......中庭に続く扉から外に......。
 出た。

「......なら......あんたらはもういい。行ってくれ」

 別の兵士が、私たちに向かって言う。

「ケガの手当てなんぞ、俺たちでも何とか出来る。けどな......さっきみたいな魔族たちが城で暴れてるんだとしたら、なんとか出来るのはあんたたちだけだ」

「......そうだ......行ってくれ......た......のむ......」

 かすれた声は、魔族の攻撃で腹を薙がれた男のもの。

「......おれ......たちは......大丈夫......だから......」

「なあ。あんたらが今の状況をなんとかしてくれたら、こいつらをちゃんとした医務室に連れていくことも出来るようになる。だから......」

「わかったわ」

 頷きながら、モンモランシーが立ち上がる。
 そして私たち四人は、中庭へと向かった。
 兵たちの視線を背中に受けながら......。


(第四章へつづく)

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第十三部「終わりへの道しるべ」(第四章)

 外には、闇と満天の星。

「......いないな......あの二人......」

 辺りを見回し、つぶやくサイト。
 そう。
 魔族の空間に閉じ込められた際にはぐれた二人、ルクシャナとシルフィードの姿は、どこにも見当たらない。

「まさか......やられてしまったのではないだろうね?」

「ちょっと、ギーシュ! あなた、何不吉なこと言ってるの!?」

 モンモランシーに怒られるギーシュ。
 その可能性もゼロではないのだろうが......。
 ここは、もう少し前向きに考えたいところだ。

「......私たちと同じように、変な空間に閉じ込められて......まだ戦ってるんじゃないかしら?」

「でもよ、もう結界はなくなったんだろ? こうして俺たち、中庭に出られたわけだし」

 生意気にも私の意見を否定するサイトに、私はムスッとした顔で、

「バカね、サイトは。私たちを閉じ込めた結界と、シルフィードたちの結界と、同じ魔族がやってるとは限らないじゃない」

「ああ、そうか」

 まあ、本当に『結界に閉じ込められている』というのが正しい、と仮定した上での話であるが。
 出てきた魔族を倒した段階で結界も消えた以上、あれは奴らが張った結界だったはず。ならば、ルクシャナやシルフィードの方も、彼女たちと戦う魔族が、こちらとは別に結界を用意した......と考える方が、自然ではあるまいか。

「それとは別に......私たちを置いて先に行った、とも考えられるわね」

 新たに別の可能性を提示するモンモランシー。
 ......しかしともあれ。
 ここでこうしてウダウダと、二人のことを案じていても仕方がない。

「まあ、何にせよ。私たちの取るべき行動は一つでしょ」

 言って私は視線を向けた。
 闇の奥に佇む宮殿に。

########################

 扉の奥......宮殿の中は静まりかえっている。
 宮殿の裏口にあたる西の扉。
 私たちはそこに佇んで、中の様子をうかがっていた。
 静かだということは、少なくとも、中でエルフや竜が大暴れ......というわけではなさそうである。

「......とりあえず......そばには誰もいないみたいだぞ」

 扉にはりつき、中の気配を感じ取り。
 サイトが押し殺した声で言う。
 それを受けて、モンモランシーが『アンロック』の呪文を唱えるが......。

「ダメみたいね」

 さすがにメインの宮殿だけあって、簡単には開かないようだ。
 ふむ。ならば......。

「サイト、扉の隙間から、錠前だけ斬れる? 扉自体は壊さずに」

「......やってみる」

 私のかなりムチャな要望に応えて。

 ......キン!

 彼の気合いと共に、銀光が闇に残像の弧を描く。
 あっさりと......扉の鍵は断たれた。

「ま、これくらい相棒にゃ簡単な話だな」

「お前のおかげだよ、デルフ」

 剣の褒め言葉に返しながら、サイトはゆっくりと扉を開く。
 入ったそこは、ロビーのような広い空間で、反対側には、宮殿の奥へと続く廊下がのびていた。
 辺りには、やや光量を抑えた魔法の明かりが灯されているが、人の姿は見当たらない。

「ここって......裏口とはいえ、一応、宮殿の出入り口なのよね? そこに見張りの一人もいないなんて......」

「確かに妙だね。罠ってやつかな、これは」

 モンモランシーの言葉に、ギーシュが首を傾げる。

「いずれにしても行くしかないでしょ」

 私がうながせば二人も頷き、四人は、先ほどの古参将軍に教わった道を進み始める。
 長くのびた廊下には、相変わらず人の姿はない。
 廊下の左右に並ぶ扉も、ただ沈黙を保ち続けていた。
 そして正面、廊下の突き当たりには一枚の扉。
 予定では、そこを通って奥へ行くことになっているのだが......。

「待て」

 扉に近づいたところで、サイトがつぶやく。
 いち早く、敵の気配を察知したようだ。

「誰かいるのね?」

「誰か......っつうより、何かいる」

 正面の扉に目をやったまま、言うサイト。
 私たちの間に、緊張の糸が張りつめる。
 ......待つのは人間ではない、ということだ。

「......といっても、回り道するわけにいかないわね」

「確かに。迂闊に動き回って、後ろをつかれたり挟撃されたりするより、正面から当たった方がマシかも」

 私の言葉に頷きながら、珍しくモンモランシーが豪気なことを言う。
 これで話は決まった。
 誰からともなく、再び歩き出し......。

「......鍵は開いておる。そのまま入りたまえ」

 声は、扉の奥から聞こえた。

########################

 そこは、ちょっとした広間のようになっていた。
 何のための部屋かは不明だが、部屋の四方には扉があり、奥には上へと続く階段もある。左右の扉の上には、テラスのようになっている通路があるが、これは二階へ通じているらしい。
 そんな部屋の真ん中に、二人が立っていた。
 一人は、白いカイゼル髭が特徴的な、がっちりした体格の男。角のついた鉄兜をかぶっているが、それで顔が隠れているわけではない。男の顔は、私たちにも見覚えのあるものだった。

「どうした、おまえたち。そんな顔をして......。久しぶりの再会ではないのか?」

 口元に笑みを浮かべながら言う顔は、前の事件で肩を並べて戦った、ハルデンベルグ侯爵のもの。
 しかし、その気配は彼のものとは違う。

「何が『久しぶり』よ。しらじらしいこと言っちゃって」

「そうか。しらじらしいか。......やはりな」

 私の言葉を否定することもなく。
 その『ハルデンベルグ』は、小さく頷いてみせた。

「ならば、こう名乗るべきかな? わしは、表向きはハルデンベルグとして城で活動している......サーディアンという魔族だ」

 開き直って『魔族』と宣言するサーディアン=ハルデンベルグ。
 ......まあ、彼が魔族にすり替わっていたことは、こちらとしても予想済みなので、そうは驚かない。
 それよりも、驚くべきことは......。
 サーディアン=ハルデンベルグの後ろに立つ者へ、私は視線の向きを変えた。
 まるで、それに呼応するかのように、

「なんだ、その目は? ここに俺がいるのが、そんなに不思議か?」

 言われて、私はチラリと左右に目をやった。
 ......なるほど、今の言葉は私に向けたものではなく、むしろギーシュとモンモランシーに対するものか。
 驚愕を表情には出さなった私とは異なり、二人は、目を丸くして、口をあんぐりと開けていたのだ。
 満足に返事もできないであろう二人に代わり、

「......まあね。さすがに......ジャックまで取ってかわられてるとは思わなかったわ。あのジャックがアッサリやられてるだなんて......あんたたち、意外に強いのね」

 目の前にいる者......『ジャック』の姿をした魔族に向かって、私は軽口を投げかけた。

########################

 正直な話。
 向こうが城のお偉いさんに化けている以上、『私は人間だ』とシラを切り通されて兵士でも呼ばれた日には、かなり困った状況になるのだが......。
 そういう意味では、こうして堂々と正面から戦いを挑まれる方が、まだやりやすいかもしれない。

「......こりゃ......よっぽど自信があるみたいだな......」

 ポツリとつぶやくサイト。
 そうだ。
 ......城の兵も呼ばず、レッサー・デーモンやら部下の魔族やらも用意していないのだ。自分たちだけで、私たち四人を片づける自信があるのだろう。

「うむ。今回は騙し討ちをする必要もない。ならば、戦いを楽しみたいのでな。わしとファリアールだけで相手してやろう」

「俺としては、そんな面倒なことせず、下級魔族どもも使ってやればいいと思うんだけどな。......せっかく覇王将軍シェーラ様の発案なされた技法で、大量にデーモンも造り出したわけだし」

 サーディアン=ハルデンベルグの言葉に、『ジャック』の姿をした魔族が肩をすくめる。
 ......まるで人間のような仕草だ。だが、騙されてはいけない。奴は魔族なのだ。

「モンモランシー! ギーシュ! いつまでもポカンとしてちゃダメよ! ジャックの顔をしてるけど......それこそが、ジャックの仇である、ってことなのよ!」

「わ、わかってるわよ!」

「そうだな......ルイズの言うとおりだ」

 私の叱咤に、二人がちゃんと動き出したのを確認してから。
 チラリとサイトに、目で合図する私。
 小さく頷いて、サイトが走り出す!

「おっ、人間にしては素早いな!」

 面白いと言わんばかりに、魔族が声を上げる。
 サイトが斬りかかった相手は、ファリアール=ジャック。モンモランシーとギーシュの様子を見て、この魔族はサイトと私で相手するべき......というのが、私たち二人の共通の判断だった。
 ファリアール=ジャックは、まるで人間のメイジがやる『ブレイド』のように、杖に魔力を纏わせて刃とする。
 サイトとファリアール=ジャックとの間が一気に詰まり、互いの剣がくり出されようとしたその刹那。

 ......ヒュッ......。

 サイトの真横にサーディアン=ハルデンベルグが出現! 空間を渡ったのだ!
 サーディアン=ハルデンベルグは、瞬時に魔力球を生み出し、サイトに向かって......。
 放つよりも一瞬早く。
 魔族すら驚かせる神速で、サイトが大きく後ろに跳び退く。

「......何!?」

 サーディアン=ハルデンベルグが驚愕の声を上げた時には、既にその手から光球は解き放たれていた。
 サイトがいきなり退いたせいで、ちょうど一歩深く踏み込んだファリアール=ジャックは、さっきまでサイトがいた場所......つまり光球の行き先に飛び込んだ!
 しかし。

 バジュッ。

 魔族は光を、杖で払いのける。

「何やってんだ、サーディアン!」

「すまん!」

 とはいえ、これで一瞬、ファリアール=ジャックの腹はガラ空きになった。
 すかさずサイトが踏み込み、刃の軌跡が弧を描き......。

 ......スッ......。

 ファリアール=ジャックの姿が消える。空間を渡って逃げたのだ。

「......おっと」

 何もない空間に斬りつけたサイトは、少し足がよろめく。
 サーディアン=ハルデンベルグの隣に出現したファリアール=ジャックは、二人そろって、サイトめがけて魔力球を放とうと腕を伸ばし......。

「二人がかりでサイトをやろうというのか!」

 そうはさせじと、ギーシュが七体の青銅ゴーレムを突っ込ませる。
 ゴーレムだけではない。ギーシュ自身も、赤い魔力の刃を手にして斬りかかってゆく。
 これを迎え撃つファリアール=ジャック。
 一方、サーディアン=ハルデンベルグは、突然サイトからこちらへ狙いを変えて、無数の光球を解き放った。

 ズゴゴヅゴゴォッ!

 跳び退き、身をかわした私とモンモランシーの足もとに、光が突き刺さり、小さな爆発を繰り返す。

「何よ! フェイントのつもり!?」

 サーディアン=ハルデンベルグに対して叫ぶが、爆煙の向こうに、サーディアン=ハルデンベルグの姿は見えない。
 ......また空間を渡ったか......!?
 悟った瞬間、私もモンモランシーも呪文を唱えながら走り出していた。
 私たち二人がギーシュへと駆け寄るのを見て、サイトは片脚を軸に回転し、剣を横薙ぎに振るう。
 振るった剣のその軌道上に......サーディアン=ハルデンベルグが出現した!

「......がああああっ!?」

 出現した途端に腹を横薙ぎにされ、サーディアン=ハルデンベルグは大きく後ろに跳び退る。

「なに自滅してるんだ、サーディアン!?」

 ギーシュと斬り合いながらファリアール=ジャックが叫ぶが、仲間の魔族の方には、返事をする余裕もなかった。

「......ば......馬鹿な......」

 慌てて間合いを取りながら、まともに動揺の色を浮かべるサーディアン=ハルデンベルグ。
 ......どうやらこいつ、私たちを甘く見すぎていたようである。
 さきほどファリアール=ジャックが空間を渡ってサイトの攻撃を避けた際、出現ポイントは、私たちの誰からも離れた地点であった。私たちの間近に出現した場合のリスクを考えた上での行動だろう。
 一方、サーディアン=ハルデンベルグは、さっきサイトの真横に現れて攻撃を仕掛けていた。リスクなど頭になく、ただ不意を突くことしか考えていなかったのだ。
 ならば今回も同じであろう、と予想するのは簡単だ。
 すなわち、誰かの真横あるいは背後に出てくる、ということ。
 もちろん、誰のところに現れるのか、そこまでは予測できないのだが、誰であってもすぐに対応できるよう、私たちは動いたのだった。
 私とモンモランシーは、すぐ背後をつかれないためと、ファリアール=ジャックと剣を合わせて動きの取れないギーシュのところに出た場合のフォローのため、という二つの目的で。
 サイトは、自分の後ろを取られた際、そのこと自体が反撃につながるように。
 そしてサーディアン=ハルデンベルグは、彼にとっては最悪の出現場所を選んでいたのだ。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 サイトから間合いを取ったサーディアン=ハルデンベルグ目がけて、私が魔法をぶちかます。
 最初の想定とは違うが、ギーシュが一人でファリアール=ジャックを抑え込んでくれている間に、弱っている片方を倒してしまった方がいい。

 ボッ!

 今度は空間を渡らず、その場に留まったまま、迫り来る魔法を片手で叩き落とすサーディアン=ハルデンベルグ。
 人間の魔法など、力のある魔族にとっては致命傷ではない......と考えて、だから手で払いのけたのだろう。
 しかし。

「......ぐあっ!?」

 虚無のメイジの正式なエクスプロージョンを、そんじょそこらの魔法と同一視されては困る。
 片手で払いのけるには、いささか荷が重かったのだろう。予想外のダメージに、サーディアン=ハルデンベルグがひるんだ瞬間。
 爆煙を貫き、突っ込んでゆくサイト。その剣は魔族を袈裟がけに薙ぎ、三度目の悲鳴を上げさせた。
 同時に、サーディアン=ハルデンベルグの足もとから立ちのぼる水柱。タイミングを合わせた、モンモランシーの魔法攻撃だ。
 さらに、とどめとばかりに返す刀で、サイトが次の一撃を入れるより一瞬早く。
 たまらずサーディアン=ハルデンベルグは、虚空に姿をくらます。
 出現したのは、全員から間合いを取った、部屋の端。

「おい、サーディアン!」

 ギーシュとそのゴーレムたちを相手にしていたファリアール=ジャックが、やはり空間を渡って、仲間の魔族の元へと駆け寄った。

「だから言ったろう、油断するな、と......。こいつら、シェーラ様を倒したのは、偶然や幸運だけではないぞ!」

 だがサーディアン=ハルデンベルグは、ファリアール=ジャックの言葉など耳に入ってはいない。
 その形相は、憎悪に大きく歪んで......。
 ......いや。
 異形と化していた。
 まぶたの奥にもはや目はなく、ただ黒い空洞があるのみ。
 髭や髪や鉄兜だったものは、ねじくれた黒い突起の集合体に変わっていた。
 これがこいつの本当の姿......というわけではないだろう。ダメージを受け、人間そっくりの姿を取り続けることが難しくなったのだ。

「......きさまら......」

 サーディアン=ハルデンベルグの口ぶりから、余裕の色は消えていた。
 そして、この時。

「あら、こんな連中相手に苦戦してるの? しょせん悪魔の末裔といっても、やっぱり蛮人は蛮人なのね」

 馬鹿にしたようなその言葉は、なぜか頼もしく聞こえた。

########################

「......何っ!?」

 声を上げたのは、サーディアン=ハルデンベルグか、はたまたファリアール=ジャックか。
 振り仰ぐ視線のその先、二階テラスの手すりの上に、スックと立った影ひとつ。

「エルフだと!? まさか......あの戦力をもう突破したのか!?」

 ファリアール=ジャックの驚愕に、ルクシャナは余裕の笑みを浮かべ、

「私がここにいる......ということは、答えは一つ。そうじゃなくて?」

 なるほど。やはり彼女たちも、どこかで魔族たちと戦っていたらしい。
 ルクシャナは、タンッと手すりを蹴って宙に舞い、軽い羽のようにフワリと、一階の床に降り立った。

「......ならば......あのオマケの竜も......」

「オマケ扱いは酷いのね。きゅい」

 サーディアン=ハルデンベルグのつぶやきに、声は、つい今しがたまでルクシャナのいたあたりから聞こえた。

「当面の戦力は一掃したの。......というわけで、そろそろ話して欲しいのね。お前たち魔族が、いったい何を企んでいるのか」

 言いながら、シルフィードは階段を降りてくる。
 魔族は二人とも、彼女の質問を無視。
 ファリアール=ジャックは、無言でルクシャナを睨みつけ......。
 刹那、彼女の眉が小さく歪み、その胸のあたりが一瞬ブレて見える。
 ただそれだけだった。

「......きさま! 空間を......!」

 ファリアール=ジャックの焦りの色が深くなる。
 見ただけでは何が起こったのか判りにくいが、おそらく、空間そのものを使った攻撃を仕掛けて......ルクシャナの鎧で防がれたのだろう。

「ならば......」

 サーディアン=ハルデンベルグのつぶやきと同時に。

 ギュギィィィィッィッ!

 耳ざわりな音を伴って、ルクシャナの近くが歪んで見える。
 精神世界面からの攻撃を『鎧』がガードして、その力の余波が、こちらの空間に干渉してる......といったところか。
 その状態を保ったままで、サーディアン=ハルデンベルグは、ルクシャナ目ざして跳んだ。
 ......精神世界面と物質面とでの挟撃だ!
 ファリアール=ジャックも援護の気配を見せるが、それを牽制するために、サイトとギーシュが斬りかかってゆく。
 そして......。

「ぎあううううううううっ!?」

 絶叫するサーディアン=ハルデンベルグ。
 私の放ったエクスプロージョンが直撃したのだ。ルクシャナたちの出現に動揺し、私たちの存在を忘れるとは......やっぱりこいつは人間ナメすぎである。
 こうなってしまえば、精神世界面からの攻撃も緩むのだろう。目に見える歪みも一瞬、途絶えた。
 ルクシャナは、その隙を逃さず......。

「封印解除! ゼナフスレイド!」

 空間を渡り、魔族自身の体から生まれ出る、光の衝撃波。
 断末魔すらなく、サーディアン=ハルデンベルグは完全に消滅した。

「......これで、残ったのはお前だけなのね」

 ファリアール=ジャックに向かって言い放つシルフィード。
 ......この戦いで彼女は何も貢献していないのだが。

「フン。俺一人になろうと......やることは変わらんぞ! しょせん我ら魔族と、きさまら生きとし生ける者とは......ぐわっ!?」

 サイトとギーシュとギーシュのゴーレムたちを相手に斬り合いながら、空間を渡って逃げることもせず、さらにシルフィードの話に応じるというのは、さすがに無理だったのか。
 ギーシュの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』が魔族の腹を薙ぎ、ファリアール=ジャックは苦悶の声を上げた。
 そこに。

「さすがに一匹くらいは......俺たちで倒さねーとな!」

 サイトが魔剣デルフリンガーを一閃。
 魔族の首を――ジャックと同じ顔をした首を――斬り飛ばした。

########################

 ......トサッ......。

 倒れた体は黒灰色に変色し、崩れるように消えていく。
 それが、ファリアール=ジャックの最期だった。
 戦い終わって。
 モンモランシーもギーシュも、そしてサイトも、ただ無言で立ちつくしている。
 短い間とはいえ、私たち四人は、ジャックと共に旅をした時期もあったのだ。そのジャックと同じ姿形をした魔族を倒して、あとあじが悪いのも仕方ない......。

「ところでさ、シルフィード......」

「きゅい?」

 しんみりした空気を嫌って。
 敢えて軽い口調で、私は彼女に尋ねてみる。

「......あんたたちと分断された後......こっちは変な空間に放り込まれて、そこを何とか切り抜けてから、ここでまたまた戦ってたわけだけど......そっちはどうだったの?」

「同じなのね。ルクシャナと二人で異空間に招待されて、魔族たちの大歓迎! ......人間そっくりの形したのが、十数匹出てきたのね」

「そんなに!?」

 今までの経験から考えるに、純魔族は、強い奴ほど人間っぽい姿をしているようだ。
 ならば、ファリアール=ジャックが『あの戦力』などと言うのも頷ける。

「よ......よく突破したわね......」

「きゅい。いきなりルクシャナがゼナファの完全装甲モードで暴れ始めて......驚いた魔族たちが統率を失ったところを、各個撃破したのね」

 ゼナファの完全装甲モードというのは、例の白い巨人のことだろう。そりゃ魔族たちが驚くのも無理はない。

「でも......『各個撃破』っていうけど、あんたは何してたわけ? 純魔族相手じゃ先住の魔法は効かないだろうし、かといって竜のブレス程度じゃ......」

「きゅい。私も『変化』の呪文でルクシャナと同じ姿になって、暴れ回ったのね!」

「それって......単なるハッタリっつうか、こけおどしっつうか、そんなもんじゃねーのか?」

 横からサイトがツッコミを入れるが、シルフィードは聞こえないフリをしている。
 ......まあ、そうだろうなあ。レッサー・デーモン程度ならばともかく、そこそこの純魔族が相手になってくると、韻竜のシルフィードは役立たずかも......。もはや、きゅいきゅい鳴いているだけのマスコットにすぎない。
 ともあれ、とりあえず。
 私たちの前に出てきた魔族は全部倒した、というわけだ。

「......となると、問題なのはこのあとね。敵は全部やっつけちゃったみたいだけど......全部終わったような気はしないわ」

「そうだね。僕もモンモランシーと同じ意見だ」

 二人の言葉に、私も頷いてみせる。
 サーディアン=ハルデンベルグとファリアール=ジャックは、互いの口のききかたから考えて、魔族としては同格程度。覇王将軍を『シェーラ様』と呼んでいたのだから、当然彼女よりも格下。
 そしてルクシャナたちが戦ったのも、ファリアール=ジャックが『戦力』という表現をした以上、彼らより高位の魔族だった、とは考えにくい。
 ならば、あのレベルの魔族たちが、おおぜいで集まって合議制で陰謀を進めていたということになるが......。
 いやいや、それも不自然な話ではないか。
 ......クラゲ頭のサイトでさえも、何かおかしいと思ったようで。

「たしかに......なんかすっきりしねーな。『俺がボスだ』って奴がビシッと出てきてさ、何から何まで説明した挙げ句に、ギャアってやられてくれたら......それが一番なんだけどな」

「んな都合のいい話があるかい、相棒」

 まったくだ。
 ......というより、『俺がボスです』なんて奴に出てきて欲しくはないのだが......。

「でもよ、デルフ。前の時は、覇王将軍っつうボスがいたじゃん」

「待ちたまえ、サイト。君は、あんなのに出てきて欲しいのかね!?」

「そうよ! 二度とゴメンだわ! うやむやのうちに巻き込まれちゃってるけど......本当は私、荒事なんて大っ嫌いなんだから!」

 二人がかりで責め立てられるサイト。
 こうしたやりとりを、ルクシャナは面白そうに、ただ黙って見つめている。これも彼女なりの人間観察なのだろう。
 しかし......。
 ......覇王将軍......ボス......。
 いやまさかとは思うが......でも......。

「どうした、娘っ子? 変な顔して?」

「......変な顔って......デルフあんた、剣のくせに失礼ね。ただちょっと思いついたことがあるだけよ」

「なんでぇ、思いついたことって? 言いにくいことか?」

「うん。まあね......」

 こうして私がサイトの剣と話をしている間に、サイトはサイトで、

「そういや、変っていえば......俺たちがここに入ってから、誰にも会わなかったけど......あれも変だよな?」

「それはサイト、あの魔族二人が、僕たちと真っ向勝負を望んだからだよ。そう考えてみると、魔族であったが、貴族のように誇りを重んじてたのかもしれないね」

「あ、そうか。あいつら、お偉いさんに化けてたから、『何があっても部屋の外に出るな』とか命令出して、兵士たちを部屋にカンヅメにできるわけか」

 男二人の会話を聞くうちに、私の中で、嫌な想像が膨らんでゆく。

「......みんな......悪いけど、ちょっとついて来てくれる......? 確かめたいことがあるの」

 もったいぶった私の発言に、一同が顔を見合わせ、黙り込む。
 それを見て。

「......いいわ。こうしていても仕方ないし。それに......悪魔の末裔が何を考えてるのか、ちょっと興味が出てきたわ」

 ルクシャナが同意を口にしたのをきっかけに、皆が頷いたのだった。

########################

「......ところで、ルクシャナ。一つ聞いておきたいんだけど......」

 確かこちらの方だったと、うろ覚えな道を進みつつ、私は彼女に問いかける。

「さっきの戦いで、あんたまた、精神世界面からの攻撃をくらってたわね」

「ええ、そうよ。それが何か?」

「あの『鎧』を着てるあんたはいいとして......もしも『鎧』のない私たちが、魔族から同じ攻撃を受けたら、防ぐ方法あるのかしら?」

「その『鎧が凄い』みたいな言い方、ちょっと気に入らないけど......。質問に対する答えは簡単だわ。もちろん、ないわよ」

 断言するルクシャナ。別に、私の発言に気分を害したから意地悪を言っている、というわけでもなさそうだ。その証拠に、フォローするかのように、

「......といっても、魔族が戦いの中で、蛮人相手に精神世界面からの攻撃をかけてくることはありえないわね」

「どういうことかな?」

 横から、聞いていたギーシュが口をはさむ。
 どうせギーシュもサイト的なポジションなんだから、聞いてもわからないだろうに......。
 こんな性悪エルフであっても、見た目はスレンダー美人だから、なんとか会話に絡みたいのだろうか?

「蛮人の諺に『竜は小鳥を倒すにも全力を尽くす』っていうのがあるわよね? でも、これは魔族には当てはまらないのよ。魔族から見ればあなたたちは、戦う相手というより、むしろエサ......『恐怖』という名の負の感情を搾り取るための対象に過ぎないから」

 ひどい言い方ではあるが、確かにルクシャナの言うとおり。
 魔法に関していえば、人間は魔族に遠く及ばないのだ。
 たとえスクウェアメイジであっても、呪文を唱えて杖を振らなければ、魔法を発動させることは出来ない。
 エルフや韻竜ならば杖なしで先住魔法が使えるが、その場合でも、精霊に呼びかける言葉や、それに応じた身振り手振りが必要になってくるはず。
 しかし、魔族としては中途半端なレッサー・デーモンでさえ、吠え声ひとつで炎の矢を出現させることが出来るのだから。

「ようするに、魔族から見れば、蛮人などは相手にならん、ってことね。その相手にもならないはずの相手に、精神世界面からの攻撃......つまり本気の攻撃を仕掛けるということは......」

「魔族にとっては『自分は本気にならなければ人間も倒せない程度の力しか持っていない』と認めることになるし......その認識は、精神生命体たる純魔族にとっては、致命傷にもなりかねない、ってことね」

「そういうこと。さすが悪魔だけあって、魔族に関する理解も早いわね」

 私はわかったからいいのだが、ギーシュはポカンとした顔をしている。

「なあ、ギーシュ。今のルクシャナとルイズの言ってること、理解できたか?」

「僕に聞かないでくれ、サイト。どうやら僕は、尋ねてはいけないことを尋ねてしまったらしい。......レィディの話は、僕たち男子には難しすぎるね......」

「え? 今のって......女の子同士の内緒話だったわけ?」

「どうしてそうなるのよ、サイト!」

 すっとんきょうな勘違いをし始めたサイトに、御主人様である私が、サイトにもわかるように言ってあげる。

「......簡単に言うと、つまり魔族にも意地ってもんがあるから、変な攻撃はしてこない、ってことよ」

「なんだそうか。それならそうと、最初から言ってくれればよかったのに」

 何も考えてないサイトのセリフに、ルクシャナがポツリと一言。

「......もしかして......蛮人って、男と女とでは、脳ミソの大きさが違うのかしら?」

「そんなことないのね。彼らが特殊なのね。きゅい」

 思わずシルフィードがフォローする。
 ......こうして話をしながら、私たちは階段を上がり、無人の廊下を進みゆく。
 やがて。

「あら? ここって......」
   
 何かに気づいたような声を出したのは、モンモランシーだった。
 続いてギーシュが、

「おや、なんだか見覚えのある場所だね」

 そう。
 そこは謁見の間。
 大理石の柱が立ち並び、赤い絨毯が伸びる、立派な部屋......のはずなのだが。
 前の事件において、ジャック――本物のジャック――の自爆攻撃により半壊。その後、ロクに修理もされていなかった。
 さすがに瓦礫は撤去されているが、天井には、大きな穴が開いたままである。

「謁見の間がこんな状態じゃ......やっぱり、まともに機能してないわね、この国」

「うむ。もはや王様も、臣下に会う気はないのだろうな」

 モンモランシーとギーシュが、何やらつぶやいている。
 ......王様が臣下に会う気はない......ということは、やっぱり......。
 私が考えこんでいると、サイトが話しかけてきた。

「なあ、ルイズ。まさか、ここの状態を確かめにきた......ってわけじゃないよな?」

「そんなわけないでしょ」

「じゃあ、どこへ向かってるんだ? そりゃ前のときは、この先の部屋に、覇王将軍っつうボスがいたけどよ。......あいつはもう倒したんだろ。これ以上進んだところで......」

「おい、娘っ子。まさか、おめえが考えてるのは......」

 サイトの問いかけにもデルフの言葉にも答えず、私は足を進める。
 そして。
 扉を開ければ、そこは執務室。
 かなり広い部屋の中、正面には、大きなセコイアのテーブルがあり......。

「......!」

 一同の間に、緊張が走る。
 机の横に佇む、一つの人影を認めて。
 思わず足を止める私たち六人に、彼は静かなまなざしを向けた。
 銀の重装鎧に身をかため、その傍らには一振りの大剣。
 兜はつけぬその顔に、私たちは見覚えがあった。
 権力争いの果てに皇帝の座を勝ち取った、野心の塊のような四十男......。

「......アルブレヒト三世......」

「......嘘......よね......」

 茫然とつぶやくギーシュとモンモランシー。
 どうやら、わかってくれたようである。私の言いたかったことが。

「何の用かな? このような時間に」

 アルブレヒト三世の、朗々たる声が虚空に響く。
 私は彼から距離を保ちつつ、正面に歩み出る。

「......何の用なんでしょうね。こんな時間に。執務室で一人、武装した王様が......」

「......尋ねておるのは、こちらだが?」

 数歩、彼はこちらに歩み寄る。
 意識せず、私は同じだけ、後ろに歩み退っていた。

「言うまでもなく、おわかりかと存じますが? ......『アルブレヒト三世閣下』」

 わざとらしく強調してみせる。
 むろん、私は気づいていた。彼の歩みに、鋼鉄で出来ているはずの鎧は、カチャリとも音を立てなかったことに。

「......ふん......」

 私の言葉に、彼の口元が、笑みの形に小さく歪み......。

 ドンッ!

「......っ!?」

 強烈な衝撃に全身を貫かれ、私は一瞬息を詰まらせる。

「きゅい!?」

「な......!?」

 後ろで聞こえる、シルフィードとルクシャナの驚愕の声。
 今のは......衝撃波などではない。
 たった今まで隠していた、彼自身の持つ存在感を隠すのをやめた......ただそれだけ。
 ただそれだけで、魂と肉体が震えるようなプレッシャーが生まれたのだ。

「良いカンをしておるな。いつ......なぜそう思った?」

「思ったのは......ほんの少し前......」

 しゃべるだけでも息苦しいプレッシャー。

「気づいた理由は......聞いたことがあるからよ......」

 それに負けぬよう、私は脚を開いて踏ん張り、ささやかな胸を張り......。

「魔族は......契約を交わした者か、より強い者にしかかしづかぬ、って。それなら......」

 ......彼に向かって言い放った。

「覇王将軍シェーラ=ファーティマは、誰に剣を捧げたか。......あなたよ。......覇王(ダイナスト)......グラウシェラー......」


(第五章へつづく)

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第十三部「終わりへの道しるべ」(第五章)【第十三部・完】

 沈黙が執務室を支配する。
 長いような......短いような沈黙が。
 ......そう......。
 王は、シェーラ=ファーティマの色香だか魔力だかで、誑かされたわけではなかったのだ。
 ......あの女が来てから王は変わった......。
 皆がそう思っていた。
 それは根本的に間違っていると同時に......ある意味では完全な正解だったのだ。
 王は変わっていたのだ。本物から、偽物へと。
 おそらく、シェーラ=ファーティマの出世と同時に、そのすり替えは行われたのだろう。
 あとは、彼女だけを始終そばに置いておけば、以前と言動が変わってしまっても、周囲からは『あの女のせいで変わった』と思われるだけである。
 覇王将軍は......ボスなどではなかった。より大きな『闇』を隠すための、カモフラージュに過ぎなかったのだ。
 彼女が倒れる直前に浮かべた笑みも、ひょっとしたら、カモフラージュという役割をまっとうしたことに対する笑みだったのかもしれない......。

「......っははははははは!」

 彼の哄笑が沈黙を打ち破る。

「たいした想像力だな。シェーラの態度だけで、その結論を導き出すとは」

「......それだけ......ってわけでもないわ。サーディアンとファリアールの例もあったし」

 魔族は精神生命体。力あるものは、人と同じ姿を取ることが出来る。実在の人物と全く同じ姿にもなれるのだ。
 ハルデンベルグ侯爵とジャックが魔族にすり替わっていたのであれば、変わっていたのは本当にその二人だけだったのか、という疑問が浮かぶのも不思議ではなかった。

「......それに、今、この城は門を閉ざして、街との干渉を断っている。兵士たちに、建物の外にすら出ないように、なんて理不尽な命令まで出してね。その命令はどこから出たか、って考えたら......あんたよね」

 高官が全部魔族で、おとなしく王が言うことを聞いている......という可能性もあったのだが。
 それよりも、王が絶対命令を出した、と考えた方が単純でわかりやすい。

「......そういえば......結局なんだったの? この命令出した意味って」

「意味? まさか......あれを何かの策だとでも思っておったのか? 我らは......ただ単に食事をしていたにすぎん」

「......食事......?」

 不思議そうに問うモンモランシー。
 私とは違って、彼女は、まだまだ魔族の習性に疎いのだろう。

「そう。我らの糧は負の感情。不安と不満。いら立ちや恐怖。......街じゅうにそれらを蔓延させるのには、悪くない方法だと思うが?」

「......では......デーモンを大量発生させて暴れさせているのも、食事のためなのかね?」

 顔をしかめながらギーシュが言う。

「それだけではないが......何より我は戦いを望んでいるのだよ」

 言って、覇王は歩み始める。
 ゆっくりと。
 私たち六人の方に向かって。

「......あいつは......強い、とかいう次元の相手じゃないわよ......」

 私のそばで、ルクシャナがかすれた声を出した。

「わかってるわよ......」

「勝算......あるのよね? だってあなた、ただの蛮人じゃなくて、悪魔の末裔ですものね?」

「......冗談はやめて。虚無のメイジだって、普通の人間よ......。勝ち目なんて、あるわけないでしょ」

「じゃあ、なぜ......! 気づいた時点で、撤退を提案しなかったのよ!?」

 ......敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶのよ。あんたも、蛮人研究家を自称するなら、それくらい覚えておきなさい......。
 などと、気の利いたことを言える心境ではなかった。

「逃がしてくれると思う、あいつが?」

「......」

 私の言葉に、ルクシャナは沈黙した。
 うろたえている。いつも人間を見下していた、あの傲慢なエルフのルクシャナが。
 彼女から覇王へと視線を戻し、私は声を張り上げる。

「ちょっと待って。もう一つ......聞きたいことがあるの! 本物は......本物のアルブレヒト三世は、どうしたのよ!?」

 わかっている。自分自身でも。
 これは、一種の時間稼ぎ......湧き上がる恐怖を抑えるためにやっているだけなのだ、ということは。

「あんたが本物と入れ替わったのは、最近なんでしょう!? 権力争いを勝ち抜いて、ゲルマニアの皇帝となったのは、あんたじゃなくて本物のアルブレヒト三世なのよね!?」

 聞いた話では、アルブレヒト三世は、権力争いの過程で、政敵だけでなく己の親族にも容赦しなかったという。その生き様は、ある意味、『覇王』という言葉に相応しいのかもしれないが、しょせん人間の世界......しかもその一国、ゲルマニアにおける『覇王』にすぎない。

「知らんな、本物の王の行方など。......そのあたりのことは、全てシェーラめに任せておったからな」

 それが、返ってきた答えだった。
 少なくとも、私の質問の後半部分――『すり替えは最近行われたのよね?』――に関しては、肯定されたようだ。

「......しかし、シェーラのことだ。おそらくデーモンに変えたのではないかな? ほら、この国の人間たちを大量にデーモン化して、おまえたちにけしかけたではないか。......おまえたちが倒した中にいたのであろうな、きっと」

 そう言って、口元を笑みの形に歪める。
 ......いや。
 表情だけではない。顔そのものの形が、ゆっくりと変わりつつあった。
 頭から後ろに向かって、二つのツノのようなものが伸び、頬が、眉が、目をカバーするように硬化・変色してせり出す。

「......負けないわよ!」

 自らの......そしてみんなの心を奮い立たせるべく、私は声を上げた。

「負けるわけにはいかないのよっ! ......『グラウシェラーの部下だからシェーラ』なんて安易なネーミングセンスのあんたには!」

「......名前か......。そう言えばしばらく前、シェーラめもそのようなことを尋ねてきおったな......」

 歩み来る覇王の顔は、銀色の兜のごとく変形していた。
 その歩みは変わらない。

「獣王(グレータービースト)も、自分の神官に名前の半分を与えた、と言っておったが......。正直、我には理解できぬのだ。なにゆえ、たかが道具の名前にこだわる必要がある?」

 ......っ!?

「......まさか......彼女にも直接、そう......?」

「答えた。......同族の負の感情というものも、結構オツなものではあったな」

 ......こい......つ......。
 前にこの執務室で戦ったシェーラ=ファーティマが『私にはあとがない』と言っていたのは、そういうことか。
 仕える者に、きっぱり『道具』と宣言されて......。
 もちろん、彼女に同情するつもりなんて全くない。
 しかし......こいつを野放しにするわけにはいかない。

「......倒すわ......」

 私は言った。真っ向から。

「たしかに、あんたの力は圧倒的なんでしょうね。けれど......倒してみせる!」

「ふはははははははは! よく吠えた! 面白い!」

 覇王の哄笑が再び響く。
 私の言葉に、彼は足を止め、ジャキッと大剣をかざして吠える。

「よかろう! その挑戦、受けて立とう! 我、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの名において! ......来るがよい! 命持ちたる者どもよ!」

 ......それが......。
 戦いの始まりを告げる鐘となった。

########################

「行け! 僕の戦乙女(ワルキューレ)たち!」

 ギーシュが、杖としている造花の薔薇を振り上げる。
 赤い花びらが舞い、七体の青銅ゴーレムが出現。『彼女』たちは、一斉に覇王(ダイナスト)に突撃する!
 グラウシェラーは、避けようともしない。
 ワルキューレの槍が、次々と覇王(ダイナスト)の体に突き刺さり......。
 ......いや。
 覇王(ダイナスト)を突いた瞬間。その衝撃で、覇王(ダイナスト)ではなく、ワルキューレの方が粉々に砕け散る!

「......脆弱な人形たちだな。戦いの始まりを祝う演舞か? まさか、今のを『攻撃』とは呼ばぬであろうな?」

「......な......!?」

 グラウシェラーの言葉に、ギーシュが驚愕の声を上げる。
 続いて、光が虚空を裂いた。
 ルクシャナの『鎧』が放ったもののようだが......。

「......そのような朧げな『光』で......」

 覇王(ダイナスト)が左手をかざせば、手のひらに小さな黒球が生まれる。それは容易に、光の奔流を呑みつくす!

「我が抱く『闇』を砕けると思うのか!?」

 彼は一歩たりとも動いていない。

「おおおおおおっ!」

 ルクシャナが放った光の軌跡を追って、サイトが駆け抜ける。

 ギゥッ! ギゥンッ!

 気合いと共に、立て続けにくり出される斬撃。それを全て、覇王(ダイナスト)の大剣が受け、弾く。

「ほぉう!? いい腕だ! 面白い! つきあってやろう!」

 二筋の銀の閃きは、一撃ごとに速さを増して、澄んだ響きで虚空を埋める。
 そこに横から割り込んだのは、魔力のこもった水の塊。モンモランシーが放った攻撃魔法だ。
 しかし。

 バシャッ!

 グラウシェラーが左手を突き出し、アッサリ握り潰す。

「無粋な!」

 吠えて覇王(ダイナスト)は、左腕を振る。

 ドンッ!

「......っ!」

 生み出された衝撃波で、モンモランシーは大きく吹き飛ばされた。声を上げることすら出来ずに。

「モンモランシー!?」

 大理石の柱を砕いて、床に転がる彼女。そこに駆け寄るギーシュ。
 モンモランシーは、彼に言葉を返す余裕もなく、自分で自分に『治癒(ヒーリング)』の呪文をかけていた。

「我は今、こちらの剣士と遊んでおるのだ! くだらぬ邪魔をするな、小娘!」

 言い捨てて、グラウシェラーは再びサイトとの剣戟に集中する。
 ......むろん......。
 対モンモランシーのために左手を動かしていた時も、彼はサイトと斬撃の応酬を繰り広げていた。
 右腕一本で。
 ......遊んでいるのだ。文字どおりに......。
 だが。

「......なめるなっつうの!」

 サイトの剣が一瞬、覇王(ダイナスト)の大剣をかいくぐり......。

 ギッ!

 一条の突きが、その左肩口を捕えた!

「......ほう。たいしたものだ」

 かすかな笑いを浮かべるグラウシェラー。

「な......!? 効いてないのかよ!?」

 身を引いて、困惑の表情を浮かべるサイト。そのつぶやきに、覇王(ダイナスト)は答える。

「いや、効いておるぞ。石を水滴が打つ程度には、な」

「......どういうことだ......?」

「落胆することはないぞ。剣士よ。お前の腕は素晴らしい。しかし、その剣では......届かぬ」

 グラウシェラーは、余裕の言葉を返した。
 ......おいおいおい......。
 サイトの剣はデルフリンガー。今は日本刀に憑依しているとはいえ、もとを辿れば、異界の魔王の剣なのである。
 それを『その剣では』って......。あんた一体、何様のつもりだ!?
 ......なら、この呪文ならば!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 みんなの攻撃の間に、すでに呪文は唱え終わっていた。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた赤い光が、覇王(ダイナスト)を襲う!
 が! しかし!

 ザンッ!

 グラウシェラーの大剣が、ただ一振りで、赤い光を斬り裂いた。
 ......ま、考えてみたら、魔竜王(カオスドラゴン)とか冥王(ヘルマスター)とかと同格なんだから、普通に『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を撃ってもダメなのよね......。

「虚無と言っても、この程度か!? 汝らは、なんと脆弱な......! しょせん命という器に縛られている限りは......んっ!?」

 ギィンッ!

 話途中で、再び斬りつけてきたサイトの剣を、グラウシェラーは受け止める。

「牽制のつもりか!? それで!?」

「誰が牽制なんぞ!」

 サイトの剣がさらにスピードを上げ、切っ先が何度か覇王(ダイナスト)の鎧をかすめる。

「水滴だか石だか知らねーが......『効く』っつうなら、倒れるまで斬りつけるのみ!」

「......正気......か......!?」

 サイトの剣を捌きつつ、はじめてグラウシェラーの言葉の中に、わずかな驚きの色が混じった。
 ......そうだ。サイトの言うとおり。
 最初から勝算なんてない戦いだったのだ。ならば、とにかく覇王(ダイナスト)が倒れるまで、攻撃し続けるしかない。

「みんな! こうなったら、サイトみたいに頭カラッポにして攻撃よ!」

 私の声に応じて、ギーシュが覇王(ダイナスト)に向かって駆けてゆく。
 モンモランシーは、まだ『治癒(ヒーリング)』を続けているが、その顔には「私は大丈夫だから」と書いてあった。
 そして......。

「......ルクシャナ......?」

 彼女はシルフィードと共に、私のやや後ろで、立ちつくしたまま小さく震えていた。

「しっかりして!」

「......無理......よ......!」

「きゅいきゅい!」

 エルフは細い声で、竜はいつものように、弱音を上げる。

「何言ってんのよ!? シルフィードはともかく、あんたには『鎧』があるじゃないの!」

「......その......『鎧』なのよ......」

 震える声で、かぶりを振る。

「......あんたたち蛮人には......精神世界面にいる『あれ』の姿が見えないから、そんなこと言ってられるのよ......。私は......さっきゼナファを使ったから......精神世界面が見えたのよ......そこにいる覇王の本体が......! 広がる......とてつもなく大きな闇が......!」

 偉そうに言っているが、やっぱり『エルフだから』ではなく『ゼナファを着ているから』である。

「こちらにいる奴は、その全体のうちの、ほんの一部が具現しただけなのよ! たとえ少しくらい傷ついたって、全体からすれば微々たるもの......あちらから、また少しだけ『力』を送ってそれでおしまい。......無理よ......無理なのよ......あんなものを倒すなんて......」

「きゅい! そうなのね! 私も感じるのね、あの覇王の恐ろしさを......!」

「ちょっとシルフィード! なにルクシャナに便乗してるのよ!? あんたには精神世界面なんて見えないでしょ!?」

「それでも......全身で感じるのね! こんなことになるんだったら......お姉さまと......」

 シルフィードが泣きごとを言い出した、ちょうどその時。

「......なにっ!?」

 グラウシェラーと剣を交わすサイトを援護するかのように。
 左右から、炎の蛇と氷の矢が覇王(ダイナスト)を襲う!

「......この魔法は......!?」

 突然のことに驚きながら、私は振り返る。
 執務室の入り口。
 私たちが入ってきた扉は、大きく開け放たれたままだった。
 今、そこに立っているのは、二人と一匹......。

「はぁい、おひさしぶり。ルイズ、また大変な敵を相手にしてるのね」

「キュルケ!?」

「きゅい! お姉さま!?」

 キュルケとタバサと、キュルケの使い魔フレイムだった。

########################

「お姉さま! お姉さまが来てくれたのね! きゅいきゅい!」

「......な......なんであんたたちが......ここに......」

 喜ぶシルフィードの横で、私は困惑していた。
 そりゃあタバサやキュルケの参戦は、私も嬉しいが......でも、どうして?

「あら。だってゲルマニアは......あたしの国よ?」

 当然でしょ、という口調のキュルケ。

「ゲルマニアが大変なことになってる......って噂を聞いてね。ヴィンドボナの近くまで来たところで、同じくここに向かってた彼女と出会ったのよ」

 キュルケがタバサに視線を向ける。タバサは、ポツリと一言。

「......シルフィードの危機」

 なるほど。
 使い魔と主人は一心同体。使い魔シルフィードの視界を、主人であるタバサも見ることが出来る。私とサイトの場合は何故か逆だが、これが一般的な視界の共有だ。
 それでシルフィードの状況を知って、ここまで来たわけだ。まあ、主人に助けられる使い魔というのも、どうかと思うけど......。

「......でも、どうやってこの執務室まで来たの? 城の建物に入るだけでも大変なはずなのに......」

「空から来たら、簡単だったわよ。隣の部屋の天井に、大きな穴が開いてたから」

 私の質問に、アッサリと答えるキュルケ。
 ......そうだった。私たちも、ついさっき目にしたように、謁見の間は、ジャックが壊したままだったのだ。それが助っ人たちの侵入口になろうとは......。

「ま、ともかく、詳しい話は後回し。今は......あいつをやっつけないとね。そうでしょ、ルイズ?」

 私の返事を聞くまでもなく。
 キュルケは呪文を唱え始めた。

########################

「......このようなものを!」

 炎と氷と水の魔法が、グラウシェラーを襲う。
 新たに加わったキュルケとタバサ、そして回復したモンモランシーが放ったものだ。
 もちろん、直撃したところでたいして痛くもないのだろうが、それでも覇王(ダイナスト)を苛つかせる程度の効果はあるらしい。
 そして、攻撃魔法が飛び交う中、男たちは恐れずに接近戦を挑んでいた。

「......魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 サイトと挟撃する形で回り込み、ギーシュが赤い刃の剣を振るう。
 この世界の魔王、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの名を冠する剣。ギーシュの精神力がタップリこもった、一種の魔力剣である。

「......くっ!」

 ギーシュのネーミングセンスが、偶然ハッタリとなったのか。
 これをグラウシェラーは、サイトのデルフリンガー以上に警戒する。サイトと交えていた剣を引き、蒼い魔力を刃に生んで、その大剣でギーシュの一撃を受け止める。

 ガギッ!

 その隙に、サイトの剣が覇王(ダイナスト)の鎧を叩き......。

「えぇいっ!」

 覇王(ダイナスト)の払った左腕を、サイトは剣の柄で受け止めた。
 ぶつかった瞬間に、覇王(ダイナスト)が衝撃波でも生み出したのか、はたまた腕力に負けたのか。サイトは、そのまま吹っ飛ばされる。
 だが彼が離れたその空間を、間髪入れず、飛び込んできた赤い火トカゲと青い風竜が埋める。
 フレイムとシルフィードだ。
 先住魔法が効き目ないのであれば、格闘戦に持ち込むしかない、ということなのだろう。いつのまにかシルフィードは、竜の姿に戻っていた。ブレスを吐きながら、その爪を振るうが......。

 ドンッ!

 あ。
 フレイムと共に二匹まとめて、一撃で殴り跳ばされた。
 それでも。

 ギンッ!

 二匹が稼いだ時間には意味があった。この間に体勢を立て直したサイトが、ギーシュと斬り合う覇王(ダイナスト)に、横手から斬撃をかける!

########################

「......何よ......たいした戦力にもならないメイジが二人加わっただけで......」

 心底理解できないという表情で、ルクシャナがつぶやく。
 ......たしかに、覇王(ダイナスト)が相手だということを考えれば、タバサやキュルケの力など、微々たるものなのだろう。
 それでも。
 私たちの意気は上がったのだ。
 きゅいきゅい鳴きわめくだけだった、あのシルフィードすら突撃するくらいに。

「......見なさい。これが、あんたが『蛮人』と呼んでる人間たちの底力......本当の力よ」

 ルクシャナに言葉をかける私。
 一気呵成の攻撃に参加するよりも、ルクシャナを戦列に復帰させることの方が大切、と私は判断していた。

「私たち『蛮人』が頑張ってるというのに......エルフのあんたが、そんなんでいいの?」

 もうルクシャナの震えは止まっていた。それを承知した上で、敢えて私は言う。

「それとも......そうやって震えて『蛮人』の奮闘ぶりを見ているのが......蛮人研究家ってやつなの? 研究家だから、ただ観察しているだけでいいの?」

「......大きいのね」

 ポツリと。
 ルクシャナのつぶやいた言葉は、私の問いかけに対する答えとは、全く異なっていた。
 ......『大きい』とは、何のことだろう? この期に及んで、まさか胸の話ではないと思うが......。いくらルクシャナが、私やタバサと同じ側だとしても。

「......大きいのね、蛮人って。私が思っていたよりも......。心というか、器というか......」

 ああ、そういう意味か。

「ま、あんたの蛮人研究は......まだまだ足りないってことよ」

「そうね。あなたたち、普通の蛮人以上に面白いサンプルみたいだから......貴重な研究材料がここで死んだりしないよう、私も加勢してあげるわ」

 もうルクシャナの口調は、いつもどおりに戻っていた。

########################

 白い鎧のルクシャナが、私の横を駆け抜けてゆく。
 覇王(ダイナスト)も、一瞬そちらに注意を向けた。

「ブレイク! アタック!」

 ルクシャナの声と共に、あざやかな白が上へ跳び、覇王(ダイナスト)目がけて光を放つ!

「......無駄だと言うのが......」

 黒球を生み出し光を吸い込み、叫んだ覇王(ダイナスト)の言葉が、途中で消えた。
 宙に舞ったのが、鎧のみだと気がついて。

「......!?」

 瞬時に『鎧』を外したルクシャナは、倒れ込むようにして、覇王(ダイナスト)の足もとに転がり込んでいたのだ。

「風よ。この者を......」

 ドヅッ!

 何か言いかけていたルクシャナは、グラウシェラーの一蹴りで、まともに吹っ飛んだ。
 床をこすって壁の近くまで転がってから、ようやく止まる。

「ルクシャナ!」

 慌てて駆け寄る私。しかし私が駆け寄る先に、白い鎧は勝手に帰還し、再び彼女にまとわりついた。
 ......これって......!?

「......ふむ。さすがにエルフは、肉体的には脆いな」

 覇王(ダイナスト)が何か言っているが、奴のことは、今はサイトたちに任せよう。

「大丈夫!? 今、私が『治癒(ヒーリング)』を......」

 モンモランシーもルクシャナのところに来て、呪文を唱えようとする。だがルクシャナはこれを手で制し、

「......我の身体を流れる水よ......」

 なるほど確かに、系統魔法の『治癒(ヒーリング)』より、エルフが使う先住魔法の方が、傷のふさがるスピードは速い。
 もう効いてきたのか、なんとか彼女は、その場で半身を起こす。

「......無茶しすぎよ、ルクシャナ。あんた、覇王(ダイナスト)に対して先住の魔法を使おうとしてたみたいだけど......あいつに先住魔法が効くわけないじゃないの」

「......無茶しなきゃ勝てないでしょ。......風の力で拘束するくらいなら......って思ったんだけどね......」

 意表を突こうとして、それすら失敗した......というところか。
 ここで、モンモランシーが横から尋ねる。

「ねえ、その『鎧』......勝手に攻撃して勝手に戻ってきたのよね?」

「......これは私専用のゼナファだから......私以外の者の言うことは聞かないし、ある程度は勝手に行動するから......」

「どうしたの? モンモランシー、何か思いついたの?」

 私の問いに。
 彼女は半信半疑な表情で、

「こういうのはどうかしら? その『鎧』で......」

########################

「覇王(ダイナスト)グラウシェラー!」

 私は声を張り上げ、覇王(ダイナスト)を睨みつける。
 グラウシェラーは、いまだサイトと斬り結び続けていた。ギーシュは、自慢の魔力剣が消耗し、赤い輝きも弱まったため、一時的に退いているらしい。

「......一瞬......その一瞬に、私たちみんなで、ありったけの力を叩き込んであげるわ!」

「やってみるがいい! 好きなように!」

 余裕の色を揺るがせもせず、覇王(ダイナスト)が叫ぶ。
 ......ならば......やってやるわ!
 私の投げた視線を合図に、ルクシャナが走り出す。覇王(ダイナスト)に向かって。
 遅れて私も走り出す。口の中で呪文を唱えつつ。
 ルクシャナがグラウシェラーへと迫り......。

「時間差をつけての連続攻撃など......無駄だ!」

 吠える覇王(ダイナスト)の前で、白い影が宙を舞う。

「なめるな! それは先ほど失敗した戦法ではないか!」

 サイトの剣を大きく弾くと、宙に舞う『鎧』は無視して足もとを薙ぐ。
 だが『鎧』を外したルクシャナは、着地と同時に大きく後ろに跳んでいた。覇王(ダイナスト)の剣は、床の表面をなでただけ。
 そして。

 ぎゅるっ。

 変形した『鎧』が覇王(ダイナスト)の全身にまとわりつく。

「......な......!?」

 はじめて。
 グラウシェラーが、あからさまに驚きの声を上げた。
 理解できなかったのだろう。私たちが何をするのか。
 ......こう......するのだ。

「封印!」

 ルクシャナの命令に従って、『鎧』の機能の一つが発動する。
 すなわち......精神世界面と装着者との完全な切り離し!
 そう。
 こちらに具現したグラウシェラーと、精神世界面にいる覇王(ダイナスト)の本体とを、『鎧』で分断したのだ。

「......これ......は......!」

 さすがに驚愕する覇王(ダイナスト)。
 そこに......。

「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」

 本日何度目の発動か。ギーシュが、魔力を込め直して、覇王(ダイナスト)に斬りかかる。

「させぬわ!」

 大剣に魔力を纏い、受ける覇王(ダイナスト)。動きは確実に、いくらか鈍くなっている。
 その反対側から......。

「おおおおおっ!」

 サイトの一撃が迫る。
 覇王(ダイナスト)は、こちらには取り合わない。先ほどと同様、デルフリンガーなどただの鉄の塊......と軽視していた。
 だが、サイトの剣が覇王(ダイナスト)を捕えるその瞬間。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 杖を振り下ろして、唱えた呪文を解放する私。
 呼応して、デルフリンガーの刀身が、赤い光の刃に変わり......。
 覇王(ダイナスト)の体に突き立った!

「......っがぁっ!?」

 覇王(ダイナスト)が小さな悲鳴を上げる。
 さすがに、これは効いたのだ。
 グラウシェラーは左手を振りかざすと、迷うことなく、その刀身を鷲掴みにした。

 ぴしっ。

「おい!? 助けてくれよ、相棒! もう二度と、砕けるのはゴメンだぜ」

 鋼が悲鳴を上げる音。
 グラウシェラーは、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魔力を収束させている刀身を砕いて、その力を散らそうとしているのだ。

「デルフ!? くそっ!」

 サイトの左手のルーンが輝きを増す。
 覇王(ダイナスト)は、握ったその刃を離そうとはしなかったが......。

「......させない!」

 無口な少女の叫びと同時に。
 覇王(ダイナスト)の左手首が地に落ちる。
 タバサがサイトを助けるために飛び込み、斬り落としたのだ。
 ......さすがに、あんなものを素手で握りしめていただけあって、覇王(ダイナスト)の左腕も脆くなっていたのだろう。
 彼女の杖は今、『氷の槍(ジャベリン)』を纏わせることで、巨大な氷の刃となっていた。
 返す刀で、覇王(ダイナスト)の左脇腹を貫くタバサ。
 同時に、右の脇腹には、サイトのデルフリンガーが......深々と突き立った!

「ぐぶおぉぉおおおおおっ!」

 グラウシェラーの悲鳴が響き、剣のさばきに乱れが生まれる。
 その隙をかいくぐり......。

 ザンッ!

 ギーシュの赤い剣が胴を薙ぐ。

 ュグオォォオォォォオォォッ!

 もはや人とはかけ離れた声で、悲鳴を上げる覇王(ダイナスト)。
 彼の視線が正面で止まる。
 向かい来る私を睨んで。

「......悪夢の王の一片(ひとかけ)よ......世界(そら)のいましめ解き放たれし......凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ......我が力......我が身となりて......共に滅びの道を歩まん......神々の魂すらも打ち砕き......」

 グラウシェラーは大剣を振るう。
 知っているのだ。私が、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた、虚無の刃を操ることを。
 魔力の衝撃波を生み出し、私の接近を阻むつもりだったのだろう。しかし大剣の切っ先は、風切る音を立てたのみ。
 ......ゼナファで精神世界面とのつながりを封印された装着者は、接触型以外の魔力攻撃を一切受けつけなくなる代償に、自身も魔力発動が不可能となる。封印を解除できるのは、このゼナファの場合、ルクシャナただ一人......。
 それを知っていたからこそ、私たちは、こんな計画を立てたのだ。
 そして覇王(ダイナスト)は、それを知らなかった。
 ダメージを受け、剣を大振りしたグラウシェラーに、致命的な隙が生まれる。
 すかさず、そこに飛び込む私。
 そして......。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ......音もなく......。
 生まれ出た闇の刃は、覇王(ダイナスト)グラウシェラーの体を、縦まっ二つに断ち割った。

########################

 ......カラン......。

 軽く乾いた音を立て、白い鎧が床へと落ちる。
 たった今までそれを身につけていた......覇王(ダイナスト)グラウシェラーの消滅と共に。

「......やった......のか......?」

「そういうこったな、相棒。......ただし、こっちがわの奴だけだがよ」

「こっちがわ......って、どういうことだ?」

「ま、詳しい解説は娘っ子に任せるぜ。......さすがのデルフリンガーさまも疲れたわ」

 サイトが私に視線を向ける。冷たい床に座り込んだまま、私は答える。

「精神世界面にいる奴の本体と......こっちに出現した、いわば末端の部分を『鎧』で切り離して......その末端部分を今、なんとか倒した......ってこと」

「......ん? ルイズ、君の言い方だと......本体は無事、というようにも聞こえるが......?」

 ギーシュが、やはり力つきて床にへたり込んだまま、首を傾げていた。

「......そうよ」

「そうよ......って......。では、また彼は出てくるかもしれないのか!?」

「大丈夫よ、ギーシュ」

 優しく微笑みながら、モンモランシーがギーシュのもとに歩み寄り......。
 隣に座って、彼にもたれかかった。

「......覇王(ダイナスト)は精神生命体だから......力を殺がれて弱体化した以上、その姿を人目にさらすことなんて、出来ないのよ」

 意外にも。
 もはやモンモランシーも、私やルクシャナと同じように、魔族のことをキチンと理解していたらしい。

「そう。だから......これで終わりよ」

 小さくつぶやいて。
 私は、グルリと一同を見回した。
 私の使い魔サイト、ラブラブカップルのギーシュとモンモランシー、人ではないルクシャナとシルフィード、そして駆けつけてくれたタバサとキュルケとフレイム......。

「ごくろうさま。ありがとう、みんな」

########################

 別れは、通りの上でだった。
 朝日に照らされたヴィンドボナの大通りには、店を開き始めた露天商や、行き交う人々の姿も見える。
 城の閉鎖も解け、夜ごとのデーモン出現もなくなり......。ヴィンドボナの街は、少しずつ以前の活気を取り戻しつつあった。
 覇王(ダイナスト)グラウシェラーとの死闘が終わって、何日かの後。
 もろもろの処理が終わって、ようやく私たちにも旅立ちの許可が下りたのは、今朝になってからのことだった。

「......大変だよなあ。この国も」

 なんだか遠い目をして言うサイト。
 別にゲルマニアだけが大変なわけではなく、ガリアだって王と王女が行方不明だったり、ロマリアだって教皇が廃人となっていたり......。

「......ま、ゲルマニアは大丈夫よ。だってキュルケがいるんだもん」

 私は無責任に言い放った。
 そう。
 今この場に、キュルケとフレイムの姿はない。キュルケは、事後処理のため、しばらくヴィンドボナに留まることになったのだ。
 なにしろ国王をはじめ、将軍やら何やら、王宮の高官たちが何人もいなくなったヴィンドボナである。そんな状態の中では、ツェルプストーの家名も一応の役には立つらしい。
 城の中でどんなやりとりがあったのか。ともあれ、事件からわずか数日の後には、『国王病没』という『公式発表』が流れ、事態は解決、ということになった。
 ......まあ、キュルケのことだ。まさか、このまま王宮に勤める、なんてことはあるまい。どこか旅の途中で、またひょっこり顔を合わせることもあるだろう......。

「では、これでお別れね」

 ルクシャナに言われて、一同の顔に『ようやく』という言葉が浮かんだ。
 ......死闘の果ての疲労で、私たちがロクに動けないのをいいことに、今までルクシャナは、私たちを質問攻めにしていたのだ。
 何を食べているのだ、とか、住んでいる建物の見取り図とか、家具のかたち、などなど。彼女自身の目でも見ているはずなのに、人間の口から、人間の視点による話を聞きたかったらしい。そうした生活習慣のことだけでなく、ハルケギニアの王政について......から始まり、農業、工業、商業などの社会構造まで。なんとも多岐に渡っていた。
 そりゃルクシャナにしてみれば、ひと仕事終わってようやく趣味に走れる、ということなのだろうが......私たちはウンザリである。
 だが、ここで別れる私たちはいい。可哀想なのは、これがもう少し続くであろう二人......。

「で、あんたたちは、ルクシャナと一緒に行くのね?」

「きゅい。ようやく......お姉さまのお母さまを治せるのね!」

 頷くだけのタバサの代わりであるかのように、シルフィードが喜びの声を上げた。

「......ま、もとはと言えば、叔父さまがしでかしたことだし。それに、どうせ一度、国に戻らなきゃいけないから」

 肩をすくめてみせるルクシャナ。
 ......結局のところ、覇王(ダイナスト)が本当は何を企んでいたのか、それは判明しなかった。
 各地でのデーモン大量発生が完全におさまったのかどうか、それも、しばらく様子を見る必要がある。
 だから竜とエルフは、もう少し各地を回る予定だという。ただし......いったん報告のために、砂漠にあるエルフの国に立ち寄った後で。

「よかったな、タバサ」

 サイトの言葉に、コクンと頷くタバサ。いつものように無表情な彼女だが、若干うれしそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。
 ......タバサの母親の心をおかしくしたのは、エルフのビダーシャルが作った薬である。そのビダーシャルならば、治療薬も用意できるはず。姪であるルクシャナが仲介して頼み込めば、彼も協力してくれるに違いない......。
 そう。
 これで、タバサの長い旅は......ようやく終了するのだ。

「......何かあったら、私は駆けつける」

 サイトに対して、そう言い残して。
 タバサは、ルクシャナやシルフィードと共に歩き始めた。
 青い髪の小柄なメイジと、ローブの下に白い鎧を隠したエルフと、人間に化けた風韻竜と......三人の姿は、通りに増え始めた人々の中に消えてゆく。

「......詳しい事情は知らないけど......あなたの知り合いって、なんだかワケありの人が多いわね」

「何よ、モンモランシー。自分だけは普通です、みたいなこと言っちゃって」

「ま、確かにギーシュとモンモランシーは、他の連中と比べたら、まだマシだよな。......ギーシュ、浮気はほどほどにしとけよ。モンモランシーに愛想つかされない程度に、な」

「何を言ってるのかね、サイト? 僕は大丈夫だよ! だってモンモランシーが一番なのだから!」

「だからぁ......。そういう場合は『一番』じゃなくて『一筋』って言いなさいよ!」

 当のモンモランシーから、呆れ混じりの叱責を受けるギーシュ。
 ......どうでもいいけど、自分で『私一筋』って言うのは、かなりこっぱずかしいセリフだと思うのだが......。

「ま、とにかく頑張って」

「......それじゃあ......」

「また......」

 誰かれともなくそう言って、私とサイトの二人と、ギーシュとモンモランシーの二人とは、別々の方向へと向かって歩き出す。

「......そういえば、よ......」

 サイトが、思い出したように言ったのは、通りをしばらく歩いた後のことだった。

「これからどうすんだ、俺たち? タバサは旅の目的を果たしたみたいだけど......俺たちは、まだだったよな?」

「なんでぇ、相棒。娘っ子だけでなく、相棒まで忘れたのかい。相棒と娘っ子は、相棒を元の世界へ送り返す方法を探して、旅してんだろ」

 そうだ。
 すっかり忘れていたけど、それこそが、私とサイトの旅だった。

「忘れるわけねえじゃん。......でもさ、なんか前ほど強く思わないんだよなあ......」

「え? それって......」

 目を丸くする私に、サイトはパタパタと手を振って、

「いや、ルイズ、誤解すんなよ。帰る気がなくなった......ってわけじゃないんだ。ただ......急いで戻ろう、って気がしない......っつうか......」

 ......なるほど。そういうことか......。

「......まあ、もう少しくらい、アテのない旅をするのもいいかな、って......そんな気分になってきてさ」

 言って、サイトは笑う。
 彼の笑顔を見ているだけで、なぜだか妙に心地よかった......。


 第十三部「終わりへの道しるべ」完

(第十四部「グラヴィルの憎悪」へつづく)

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番外編短編13「金色の魔王、降臨!」

 一歩、その村に足を踏み入れた時......。
 少女は、そこを廃屋の群だと思った。
 血の色に染まった夕焼け空には、黒い鳥の不吉な鳴き声が渡り、家々の間にも、小さな村を取り巻く畑にも、人の姿は見当たらない。
 少女のマントと、見事な縦ロールの金髪が、夕日の色に染まり、風に揺れる。
 山道にすら等しい小さな街道。
 行けば、夕方までには小さな村に辿り着く。そこで採れる芋がやたら旨い。
 昼過ぎに発った街ではそう聞いていたのだが......もしもここが、何かの理由で廃村にでもなっていたら、無駄足の上に野宿である。
 今から急いで戻ったところで、暗くなるまでに街へ戻ることは不可能だし、何より、あの街には戻りたくない。ちょっと今は、彼とは顔を合わせたくないのだ。

「......まさか......はやり病で全滅してる、なんてことはないでしょうね......?」

 一抹の不安を口に出しながら、少女は村へ入っていく。
 ザッと見て、家はせいぜい三、四十軒。本当に小さな小さな村。

「あの......誰か......いませんか?」

 ......ガァァァッ!

 彼女の上げたその声に、カラスが一羽、梢を飛び立つ。
 ようやく変化が起こったのは、山あいに響くこだまが消える頃だった。
 やや離れた家の戸口から、そっと少女の方をうかがう視線。
 それに気づきはしたものの、彼女は、敢えて気づかぬふりのまま、

「旅の者なんですけど......そのぅ......泊まれるような場所、ありませんか!?」

「旅の......メイジ殿か!? ひょっとして!」

 声は、視線とは別の場所から聞こえた。
 すぐ近くにある一軒の家。
 その陰から姿を現したのは、白い髭の老人だった。

「そうですけど」

「おお!」

 老人は喜びの声を上げ、ヨタヨタと少女に歩み寄り、

「まさしく......! あなた様こそ予言に記された一人......!」

「......は?」

 思わず問い返した少女を無視して、老人は、村の真ん中へ向き直った。

「皆の衆! 喜べ! 予言は成就される! 村は......いや、世界はこれで助かるぞ!」

 うおおおおおぉぉぉっ!

 老人の宣言に歓声が応え、閉ざされていた家々から、村人たちが姿を現す。

「あんたが! そうか!」

「あぁ......ありがたいありがたい......」

「こんな女の子がねぇ......」

 いろいろ口々に言いながら、ついには少女を拝み始める者まで。

「......いやあの......世界とかって......一体......?」

「まあまあ。詳しい事情は、お食事でもご一緒しながら、説明させていただきましょうか」

 こうして。
 金髪の少女モンモランシーは、招かれるまま、村の中へと進んだのだった。

########################

「......お......美味しいっ!」

 塩水でゆがいただけの芋をかじって、モンモランシーは、思わず声を上げていた。
 ......芋といっても、ただの芋ではない。この村の近くの山でしかとれない、ちょっと変わった芋である。
 食感は、ほっこりとしていながら、パサつく感じは全くない。ごく薄い塩味が、何ともいえない自然な甘みをいっそう引き出している。

「まだまだありますぞ。どうぞたんまりとお食べください」

 他にも、焼き芋、揚げ物、ソテー、ポテトサラダ......。いわゆる家庭料理レベルであり、たいした調味料も使っていないのだが、素材が良いせいで、どれもこれもが美味である。
 モンモランシーは、白髭の老人――この村の村長――の家で、心づくしの芋料理でもてなされていた。
 村長のそばには、家族らしき者たちも控えている。

「......そういえば、まだお名前もうかがっておりませんでしたな」

 村長が口を開いたのは、モンモランシーがすっかり満腹になった後のことだった。

「私は......モンモランシーよ。『香水』のモンモランシー」

「なるほど。よいお名前じゃ。まさに勇者の一人として相応しい」

 返ってきたのは割と普通の反応......と聞き流しそうになったが。
 モンモランシーは、眉をひそめつつ、

「......あの......? 今、勇者と言われたような気が......」

「ハルケギニアは今......危機に瀕しておる......」

 彼女の言葉は無視して、何やら遠い目で語り始める村長。

「村の予言にはこうある......『力ある者の心が闇に堕ちる時、その者、魔王と化し、ハルケギニアを滅びの淵へといざなう。されど人よ、絶望することなかれ。黄金のメイジ現れ出て、仲間を引き連れ、深き闇を打ち払うであろう』......と」

「......はあ......。で......その魔王が復活した、とでも?」

「そのとおりじゃ!」

 ピシッとモンモランシーを指さして、青スジ立てて村長は叫ぶ。
 モンモランシーは、返す言葉もなかった。
 ......だいたい、魔族とか魔王とか、そうした存在は、あくまでも伝承の中のもの。実在する、と言い張るメイジたちもいるが、そんなものは世迷い言だ......と、この時の彼女は思っていた。 
 とはいえ。
 悪知恵の働く小悪党が魔王を自称し、小さな街や村で好き放題に暴れ回る......という話なら、モンモランシーも、何度か耳にしている。
 おそらく今回のこれも、そういったものの一つ。面倒なところに行き会わせてしまった、と少し憂鬱になる彼女の前で、

「かつてこの村には......バラモッソという力自慢の乱暴者がおった。奴は、畑のカボチャは盗むわ村の若い娘の尻は触るわと、悪逆非道の限りを尽くしたのじゃ」

 遠い目で語る村長の傍らでは、その家族も悲痛な表情を浮かべている。
 他人事として聞いているモンモランシーには、悪ガキのイタズラとしか思えないのだが......。

「しかし、わしらとて、ただ為すがままにしておいたわけではない。村人全員が力を合わせ......露骨にヒソヒソ話をしてみたり、バラモッソの家の前だけ落ち葉掃除をしてやらんかったりと、知力の限りを尽くして対抗した。かくて、さしものバラモッソも、ついに三年前、とうとう村を出て行きおった」

 これも、モンモランシーにしてみれば、村人みんなでいびり出した......としか聞こえない。

「そう、村に平和が訪れたのじゃ。だがそれは、束の間のことでしかなかった......。今年になって、奴は戻ってきたのじゃ! この村に復讐するために! さらなる力をたくわえて!」

 しょせんバラモッソは、若い女の尻を触る、カボチャ泥棒。そんな奴が『さらなる力をたくわえて』きたところで、たいしたこともあるまい。
 そう思いつつも、お芋のフルコースの恩義があるので、一応は黙って耳を傾けるモンモランシー。
 すると。

「一体どこで学んだものやら、奴は魔道を操るようになっておったのじゃ!」

「......魔道......?」

 思いもよらぬ言葉が出てきて、モンモランシーは聞きただす。

「それって、魔法ってこと? ようするに......そのバラモッソという人は、メイジの血を引いていたわけ?」

「見たものの話によると、面妖な光を生み出したり、火炎の矢を放ったりするということらしいのじゃ。......しかも杖も使わずに」

「杖なしで!?」

 ならばメイジではない。
 ハルケギニアの系統魔法は、杖を振らなければ魔法が発動しない。亜人が使うという先住の魔法は、杖を必要としないらしいが......。
 驚きながらも、モンモランシーが考えこんでいると、

「はい。杖ではなく......光る玉のようなものを持っていました」

 横から補足したのは、村長の息子らしき男性。
 これでモンモランシーは納得する。
 ......なるほど。どうやらバラモッソという男、どこかで魔道具を手に入れて、それを用いているようだ。

「奴は今、西の山に陣取って、この村を脅かしておる。面白半分で用水路を石で埋め、収穫直前のキャベツやら何やらをゴッソリと盗んでゆく! これぞ予言にある『力ある者の心が闇に堕ちる時、その者、魔王と化し、ハルケギニアを滅びの淵へといざなう』という一節そのまま!」

 ......そうかなあ......?
 モンモランシーは、心の中で首を傾げた。

「......今はまだ、奴の力は、この村を脅かす程度じゃ。しかしこのまま力をつければ、やがてはハルケギニア全土に影を落とすことになるだろう! そうなってしまう前に、何とか奴を倒さねばならん!」

「......キャベツ食べて力つけるって......そんな程度でどうにかなるほど、ハルケギニアはヤワじゃないと思うけど......」

 今度は口に出してしまった。

「奴を甘くみてはいかぁぁぁんっ! 予言によれば、奴を倒すには、黄金のメイジとその仲間たちが必要なのじゃっ!」

「......で、私がその黄金のメイジだと?」

「そのとおりっ! その見事な、クルクル巻いた金髪......それこそが『黄金のメイジ』の証であるっ!」

 彼女の頭をピシッと指さして、村長は叫ぶ。
 長い金髪の縦ロールは、モンモランシー自慢のチャームポイントの一つ。そこを褒められれば、彼女も悪い気はしない。

「そうすると......これから私は、仲間集めをしないといけないわけ?」

「いや! 勇者の仲間は、すでに見つけておる! 彼じゃっ!」

 言って村長が指さしたのは、そばで控えていた者の一人。
 年の頃なら二十歳くらい。身なりはごく普通の村人で、悪と戦う戦士には見えないし、頼りがいもなさそうである。

「......やあ......僕、レイトっていいます......」

 これから魔王成敗に出かけるというのに、やたらのんびりとした口調で言う。

「......お孫さん?」

「こやつは、隣のアクセサリー屋で修業しておってな。ほれ、レイト、あれを渡してやれ」

「......はい......」

 レイトがモンモランシーに渡したのは、薄い金属製のワッペン。中央には赤い玉があり、左右に羽を取りつけたような形をしている。

「勇者一行の印として、レイトが作ったものじゃ」

「......みんなで相談して......『レイトの紋章』という名前に決まりました......」

「......えーっと......」

 モンモランシーは考える。
 あまり乗り気はしないが、料理はご馳走になったし、村に一晩泊めてもらうためには、むげに断るわけにもいかない。
 荒事が嫌いな彼女であっても、魔道具一つで暴れている男一人くらい、なんとかなるだろう......。

「......わかったわ。明日の朝イチで行ってくるから......そのかわり、終わったら、また美味しいお芋料理、おなかいっぱい食べさせてね」

「おおっ! ありがとうございますっ! これで世界は救われたっ!」

 喜びの声を上げる村長たち。
 こうして。
 モンモランシーは、勇者に仕立て上げられたのであった。

########################

 身にまとわりつく朝もやは、まるで冷気の化身のごとく。
 闇の寒さを白にたくわえ、服の上からでも、少しずつ体温を奪ってゆく。
 ......モンモランシーがレイトを連れて、魔王退治に出かけたのは、翌日の朝早くだった。

「......で、遠いの? そのバラモッソって人のアジト?」

 細い山道を行きながら、彼女は、数歩先を行くレイトの背に問いかけた。
 彼の腰には、レイトが自ら打った剣がぶら下がっている。武器屋ならばともかく、アクセサリー屋が打った剣など、まさに飾りでしかないのだが。

「......いいえ。それほど遠くはありません......。どうやってバラモッソを倒すか、相談する間もなく着いてしまうでしょう......」

 草を踏み分け、言うレイト。

「相談って......今さら何を相談する必要があるのよ? その『光る玉』って魔道具うばって、さっさと倒したらいいだけの話でしょ」

「......そんなミもフタもない......。ともかく、油断しないでくださいね。かりにも相手は......かつて『お芋の大魔王』と呼ばれた男なのですから......」

「あの......その......『お芋の大魔王』って......めちゃめちゃ弱そうな呼び方......」

「......仕方ないですよ。お芋が村の名産品なんですから......。その名を冠するということは、どれほど村で恐れられていたか、その証なのです。......ちなみに、この『お芋の大魔王』という名前も、みんなで相談して決めました......」

 などと話しながら進むうち。
 突然、レイトがヒタリと足を止めた。

「......音がします......」

「音?」

 言ってモンモランシーも立ち止まり、耳をすます。
 どこかで鳥が鳴いている。渡りゆく風に鳴る草木。山の中なら普通に耳にする音である。
 だが、それに混じってかすかに......。
 聞こえるのだ。何かの音が。
 かわいた木ぎれがぶつかるような、そんな音。
 それが少しずつ近づいて来る。
 緑の中をのびる山道は、朝もやの奥にかすんで消えて......音はその先からやって来る。

「......誰か......来ます......」

 押し殺したレイトのつぶやき。
 続いて。
 風に乗って聞こえてきたのは、男女の話し声らしきもの。

「......やっぱり、やめた方がいいんじゃないかな......?」

「そうはいきません! 一宿一飯の恩、って言うじゃありませんか! 泊めていただいたのですから......バラモッソさんのために、少しは働かないと!」

 やがて。
 煙る白をかきわけて、朝もやの奥から現れたのは......。
 マント姿の二人のメイジ。
 栗色の少女と、金髪の少年。
 彼らの姿を見た途端。

「ギーシュ! あなた、こんなところで何をしてるのよ!?」

「えっ!? モンモランシー!? 君こそ、いったい......」

「しかも......そんな泥棒ネコと一緒に!」

 モンモランシーは、大きく叫んでいた。

########################

 ギーシュ・ド・グラモンは、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシにとって、旅のパートナーである。恋人......といってもいいかもしれない。
 あからさまに彼女に愛をささやくし、彼の本命は、どう見ても彼女なのだが......。
 しかし女好きのギーシュは、ついつい他の女性も口説いてしまうのであった。
 つい最近も、街ですれ違った栗毛の学生メイジからニコッと微笑まれただけで、フラフラとそちらへ。
 栗毛の少女の方でも、ギーシュから美辞麗句を並べ立てられ、まんざらでもないという表情となり......。
 怒ったモンモランシーは、

「ギーシュ! あなた......しばらく一人で頭冷やしてなさい!」

 と言い捨てて、彼を置き去りにして、その街を出たのであった。
 だが......。
 そのギーシュが、問題の栗毛女と二人で、こんなところに現れようとは!

「あら。誰かと思えば......ギーシュさまの元カノじゃありませんか」

 栗色の髪をした可愛い少女ケティが、モンモランシーを『元カノ』扱いする。顔に似合わぬ、辛辣な言い方であった。
 ケティは、見せつけるようにギーシュと腕を組むが、ギーシュの方では慌てて、

「モンモランシー、誤解だ! 彼女とは、ただ一緒に、この山まで遠乗りに来ただけで......」

「......そして山で一晩、幸せな時間を過ごしたのですよね、ギーシュさま」

「ケティ! そんな、誤解が深まるようなことを......」

 ギーシュは、首を振りながら言った。冷静な態度を装っていたが、冷や汗が一滴、頬を伝わっていた。

「やっぱり、そこの栗毛の泥棒ネコに、手を出していたのね?」

「そんなわけないじゃないか! まだ君にすら、指一本、触れてないというのに! お願いだよ、『香水』のモンモランシー! 咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 弁明するギーシュであったが......。
 ケティが彼の腕に抱きつき、密着すると、彼の顔も一瞬ニヤけてしまう。
 それをモンモランシーは見逃さなかったし、ケティもまた、それに気づいていた。

「ほら! ギーシュさまは、もう私のものですから! 元カノさんは、おとなしくお引き取りくださいな」

「はあ? 泥棒ネコの分際で、何を言ってるのかしら? あなたこそ、自分が単なる浮気相手......一時の気まぐれで相手してもらってるだけ、ってこと、わかってないみたいね」

 女の情念が火花となって、二人の間に走る。

「どうしてもギーシュから離れないつもりなら......これでどう?」

 モンモランシーが杖を振り、ギーシュとケティを水の塊が襲った。
 今のモンモランシーの精神力は、いつもの彼女からは考えられないくらい、高まっていた。まるでトライアングルかスクウェアのような、強烈な魔法だった。

「きゃっ!?」

 ギーシュと共に吹き飛ばされたケティは、その衝撃で、手を放してしまう。
 立ち上がった彼女は、キッとモンモランシーを睨みつけ、

「そちらが実力行使で、ギーシュさまの意志を無視して、彼を奪い返そうというのであれば......私も容赦しません!」

 杖を振り下ろすと、竜巻のような強風が発生する。
 こちらも、本来はドットかラインであろうに、まるでトライアングルかスクウェアのような、強烈な魔法だった。

「......やれやれ。あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ。薔薇は奪い合うものではなく......共に愛でるべきものだというのに」

 女同士の激突の場から、いち早く逃げ出して、ギーシュは、しみじみとつぶやいた。
 綺麗な言葉で飾ってはいるが、言っている内容は男のわがまま......『三人でいっしょ』というやつである。
 彼はハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。モンモランシーの怒りを買って水魔法をくらうのは、もうすっかり慣れっこである。

「......あの......」

 そんなギーシュに、レイトが歩み寄り、声をかける。

「......あの二人......あのままでいいのでしょうか......。私たちはどうするべきなのか、相談しませんか......?」

########################

 戦いは、果てしなく続くように思えた。
 とっくに朝もやも消え、姿を見せた太陽が、木の葉を透かして大地にまだら模様を描く。
 光と影が織りなすその世界の中。
 二人の少女は駆けてゆく。
 呪文と罵声を、お互いにぶつけながら。

「ギーシュさまは渡しません! 元カノなんかに返しませんから!」

「だから! 元々あなたのものじゃない、って言ってるでしょうが!」

 普通ならば一発でノックアウトしても不思議ではない、強烈な魔法をくらいながらも、二人の少女は倒れない。
 ともに決定打の放てぬまま、呪文の応酬がさらに続く。
 水と風が激突し、暴風雨と化す。

「おーい、二人とも! そろそろ、その辺にしておかないと......」

 離れたところか呼びかけるギーシュの声は、二人には届かなかったらしい。
 それどころか、二人は、自分たちの今いる場所すら、わかっていなかったのかもしれない。
 戦ううちに、いつしか二人は、ひらけた場所に出ていた。
 つまり......村のすぐ近くに。

「......やっぱり......まずいですね......。みんなで相談しないと......」

「そんな悠長なことを言ってる場合ではないだろう? 見たまえ!」

 遠くから見物するだけのレイトとギーシュには、何も出来ない。
 すでに被害は、村にも及び始めていた。

「なんじゃこりゃあ!?」

「竜巻だ! 洪水だ!」

「これが......予言にあった『滅び』なのか!?」

 右往左往する村人たち。
 立ち並ぶ家々は、モンモランシーとケティの呪文応酬のとばっちりで、もうとんでもない状態になっている。
 ことここに至り、モンモランシーも、ようやく周囲の様子に気がついた。

「ちょっと! ストップ! 一時休戦!」

 彼女はケティに呼びかけるが、ケティの方では、まだ状況を理解していないらしい。相変わらず、呪文を唱え、杖を振る。

「......仕方ないわね。こうなったら、奥の手を使うしか......」

 ケティの魔法をかわしつつ、モンモランシーは、懐から小ビンを取り出した。
 一見すると、ごく普通の香水が入った小ビンである。
 彼女は、その中身である透明な液体を......。

「えいっ!」

「きゃっ!? 何するんですか! 飲んじゃったじゃないですか!」

「......だって飲ませるつもりだったんですもの」

 呪文詠唱のためにケティが口を開いているタイミングを見計らって、ケティに投げつけたのだ。
 口に入ったのは、ほんの数滴。しかし、その効果はてきめんであった。

「あ......あれ......?」

 戸惑うケティ。
 目の前のモンモランシーに対する敵意が消えていくのだ。
 それどころか......。

「モ......モンモランシーさまぁぁぁっ!」

 膨れ上がる好意。
 ケティは、泣きながらモンモランシーに走り寄り、彼女にしがみついた。

「大好き! モンモランシーさま大好き!」

「こら、キスはやめなさい! 私そういう趣味ないから! 私のこと好きだというなら、ちゃんと私のいうこと聞きなさいよ!」

 突然の変化に、はたから見ていた者も戸惑う。
 恐る恐る、二人に近づいていくギーシュ。
 ケティがモンモランシーにベタ惚れ、という状態に見えるし、ここに混じれば『三人でいっしょ』になるのかもしれないが......。
 ギーシュの本能が、危機を感じ取っていた。

「モンモランシー......いったい君は、ケティに何を飲ませたのかね? 香水ではなく、何かのポーションのようだったが......」

「ああ、あれね。いつかあなたのために......と思って作っておいた、ちょっとしたポーションよ」

 ケティの求愛から顔をそむけつつ、モンモランシーがアッサリ答える。
 彼女は『ちょっとしたポーション』と言ったが、『ちょっとした』どころの話ではない。なんと、いけないことにそれは禁断のポーション。国のふれで、作成と使用を禁じられているシロモノ......強力な惚れ薬であった。

「......材料費は高くついたけど......ま、この効果を見れば、それだけの価値はあったわね。......もったいない使い方しちゃったけど、これでこの子は私には逆らえないはずよ」

「そうか、僕のために、か......。なんだかよくわからないが、君は、本当に僕のことを想ってくれているのだね!」

 ガバッとモンモランシーに抱きつこうとするギーシュ。
 しかし、ケティがそれを阻む。

「やめてください! モンモランシーさまは、私のものです!」

「え? ケティ......そんな......」

 ケティの豹変ぶりに、さすがのギーシュも青くなる。
 ようやく理解したのだ。モンモランシーのポーションの威力を。

「モンモランシー! 君は、こんなシロモノを僕に飲ませようとしたのか!」

「仕方ないじゃないの! あなた、いつも浮気ばかりするから......」

 モンモランシーが、何やら言いわけを始めようとした時。

「......ようやくわかったぞ......!」

 横から聞こえたその声は、村長のものだった。
 モンモランシーとギーシュが、そちらにチラリと目をやれば......。
 出迎えたのは敵意の視線。
 村長を筆頭に、村人たちが、棍棒やら包丁やらを手にしている。

「わしには......ようやくわかったぞ! 真の魔王が一体誰なのか!」

 怯えつつ、それでも村長は声を張り上げて、手にした棒きれでピシッとモンモランシーを指し示す。

「予言にある、心を闇に堕とした力あるものとは、バラモッソのことではない。おぬしのことを指しておったのじゃ! 魔王モンモランシー!」

「そのとおり!」

 新たな声は、反対側から聞こえてきた。
 皆がそちらを振り向けば、少し離れた納屋の陰に、三十前後の、黒髭をたくわえた大男。金メッキのアクセサリーを体のあちこちからぶら下げており、なんとも趣味が悪い。
 ぷるぷる小刻みに震えている彼こそが......。

「きさま、バラモッソ!」

 村長の上げる驚愕の声。
 そう。
 それは村人たちを苦しめて、魔王と呼ばれた男だった。

「さてはこの機に乗じて、村に復讐するつもりか!?」

「違うな」

 実は臆病者なのか、物陰から出ようともせず、少し顔を出すだけで、

「より強大な敵が現れたのだ。今は協力して、それに当たるべきではないか?」

「......なっ!?」

 意外な言葉に、驚く一同。

「......バラモッソ......お前......」

「おっと。勘違いするなよ。......村に復讐するのは、この俺だ。他の者に荒させはせん。それだけの話だ......」

 なんだかかっこいいことを言い放つが、なんのことはない。実際のところ、村のものを盗んで食べて暮らしているので、村が荒されて困るのは、バラモッソ自身なのだ。

「......おお......そうか......そうじゃったのか!」

 そのバラモッソの言葉を聞いて、感激の声を上げる村長。

「......わしは......とんでもない勘違いをしておった......。でっきりバラモッソが予言の魔王だと思っておったが......まさかそのバラモッソが、予言にある『黄金のメイジ』のことじゃとは!」

 村長の言葉に、村人たちがオオッとどよめく。彼らのうちの何人かは、バラモッソのアクセサリー......『黄金』の色をしたアクセサリーに視線を向けていた。

「今まさに......予言は成就されるのじゃ!」

 蒼穹に遠いまなざしを向け、感きわまって言う村長。
 まるで英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)のワンシーンであるが、雰囲気に流されるモンモランシーではない。

「......ちょ......ちょっと待ってよ! いったい私のどこが魔王だっていうのよ!?」

「......その金髪だ......」

 モンモランシーの抗議に、冷たく言い放ったのは『黄金のメイジ』扱いされたバラモッソ。
 かつてはモンモランシーこそが、その金髪ゆえに『黄金のメイジ』と思われていたわけだが......。

「ただの魔王ではない。お前は......魔王を超えた魔王......『金色の魔王(ロール・オブ・ナイトメア)』......」

 不気味につぶやくバラモッソ。
 村人たちの間に動揺が走り......。

「そういえば......聞いたことがある」

 村人の一人、鯰のような髭を生やした、スキンヘッドの男が口を開く。
 続いて、別の者も。

「俺も......そういえば聞いたことがある」

 今度は、肩に星形の痣のある男だ。

「なぜ『金色の魔王』と書いて『ロール・オブ・ナイトメア』と読むのか......不思議だったのだが......」

「......金色の縦ロールのことだったのか!」

 皆が一斉に、モンモランシーの金髪......その縦ロールの部分に注目する。

「外見だけではない。つい先ほどまで対立していた少女を手なずけた、その妖術......それも魔王の力であろう!?」

 さらにバラモッソは、ケティの態度の豹変ぶりをもって、モンモランシーを追い詰める。
 これでは言い逃れも難しい。もはや村人たちは、聞く耳持たん、という状態だ......。
 モンモランシーは、そう判断して。

「ギーシュ! いったん退くわよ!」

 離れようとしないケティを引きずったまま。
 ギーシュと共に、ダッシュで山の中へと駆けていったのだった。

########################

「......やっぱり......相談って本当に良いものですね......。困った顔をして座ってるだけで、参加した気分になれるところが、もうたまりません......」

 のんびりとつぶやくレイトの言葉は、誰も聞いていない。
 村の中央にある広場......というより単なる空き地。
 そこでは今、村長とレイト、そしてバラモッソを中心とした、村人たちによる対策会議が開かれていた。

「魔王たちはおそらく、この俺のアジトを拠点としているはずだ」

「『俺のアジト』って......もともと、あそこは村の炭焼き小屋......」

「今はそんなこと言ってる場合じゃない!」

 村長のツッコミを、バラモッソはビシャッと切って捨て、

「今はまだ、覚醒した魔王......『ロール・オブ・ナイトメア』モンモランシーの力も小さく、その取り巻きもメイジが二人。だが、このまま魔王の力が大きくなっていったらどうなる? ......みんなも見ただろう、魔王の妖術を!」

「敵対していた少女をアッサリと味方に取り込んだ、あの奇怪な技......」

「そうだ! いったい次は、誰が魔王の配下に変えられてしまうのか......お前たちの家族かもしれんし、お前たち自身かもしれん! やがては、この村の全てが、魔王の支配下におかれるかもしれん!」

 バラモッソの話に引きずり込まれる村人たち。
 そんな中、村長は一人、反論を試みる。

「し......しかし......こちらに予言の勇者がいる以上......」

「ではその予言には、『村は無事だ』とあるのか? ん?」

「......うっ......」

 見下した目で指摘され、村長の顔色がまともに変わった。

「......ならば、その前に、こちらから討って出るしかない。実は、この俺に案がある。みんなには、それに手を貸してもらいたい」

「......どんな案なのです? それが採用されたら、この相談も終わってしまうわけですが......」

 レイトに問われて、バラモッソは、ニヤリと不敵に笑って、

「まず村の連中で、二人のメイジ......ケティとギーシュを引きつける。もちろん、倒せとは言わん。時間を稼ぐだけでいい。その間に俺とレイトで、『ロール・オブ・ナイトメア』モンモランシーを倒す」

 ......ざわざわ......。

 村人たちに広がる動揺の色。
 ギャラリーではなく参戦しろ、と言われたのだ。
 バラモッソは、その動揺の色を見て取って、

「やるしかないだろう? やらねば村は滅ぶのだから」

 沈黙する村人たち。
 それを肯定と判断して、レイトが場をまとめる。

「......では、そこまでは決まったとして......今度は、二人で魔王を倒す方法を、みんなで相談するということで......」

「そちらも策がある。まずお前が魔王に当たれ。あとはこの俺がなんとかする」

「......え?」

 眉をひそめるレイト。

「ではバラモッソは、何をするのです? ここまでの話では、バラモッソは何もしないような......?」

「そ......それはだな、俺には秘密の役割があって......」

 露骨に視線を泳がせ、しどろもどろになるバラモッソ。
 そこに。

「ずいぶんとモメているのですね」

 ぴしっ。

 横からかかったその声に、場の全員が凍りついた。
 しばしの硬直と沈黙の後。
 全員が恐る恐る振り向くその先には......栗毛の美少女メイジ、ケティの姿!

「んうわぁぁあぁぁぁあぁっ!?」

 悲鳴を上げて身を引く一同。

「......攻めて来ちゃいましたねえ......ここはひとつ、みんなで対処法を相談......」

「馬鹿野郎! 今さら相談なんかして間に合うわけないだろ!? ここはともかく、このバラモッソさまの作戦どおりに......」

「......みなさん、何か誤解しているようですが......私は魔王退治のお手伝いに来たのですよ」

 ぴたりっ。

 彼女の言葉に、一同の動きが再び止まった。

「ど......どういう意味だ......? いや、どういう意味でしょう、ケティさん?」

 真っ先に、我に返ってシッポ振るバラモッソ。

「簡単な話ですわ。魔王の術を打ち破って、そのコントロールから解放されたのです」

 おおおおっ。

 村人たちの間から、歓声が上がる。

「だから逃げてきたのですが、でも、やっぱり魔王をこのままにはしておけません。......少なくとも、ギーシュさまだけでも、魔王の支配から解放して差し上げないと」

「ということは、あの男も......ただ魔王の術で操られているだけ、と?」

 村長の問いかけに、ケティは力強く頷き、

「もちろんですわ! あんな魔王に、自分の意思で惚れる男がいるわけないでしょう?」

「そ......そうか! では、うまくやれば彼の方も魔王から引き剥がすことが出来るということじゃな? そうすれば、魔王を守護する者はゼロとなり、敵は魔王一人に......!」

 言っているうちにエキサイトしてくる村長。魔王は魔王、一人でも十分脅威のはずなのだが、そんなことケロッと忘れたかのような口調である。

「はい! しかも私、魔王に支配されている間に、その弱点にも気づいてしまいました」

「なんと!? 魔王の弱点とは!?」

「実は......芋なんです」

「芋!?」

 ケティの説明によると。
 この村の名産物である芋。それこそが魔王の天敵。魔王の魔力に悪影響を及ぼす......。

「......ということは、魔王が世界を滅ぼす第一歩としてこの村を襲ったのも......この村が魔王にとって脅威となりうるからなのか!?」

 ざわっ。

 バラモッソの言葉に、村人たちがざわめく。
 確かに、そう考えれば話の辻褄は合う。しかしそれは、この村には魔王に対抗するすべがある、という希望と共に、魔王はこの村を仇敵として執拗に狙うであろう、という絶望をも意味していたのだ。

「ちょっと待つのじゃ。今の話は、ちとおかしい」

 村人たちを鎮めるかのように。
 村長が、厳かな口調で言う。

「魔王モンモランシーは、もてなしの意味で用意した芋料理を普通に食べておったぞ?」

「それは......カモフラージュのためですわ」

 すぐさま反論するケティ。

「自分が魔王であるとバレないように。魔王の弱点が芋だとバレないように。......苦しいのを我慢して、わざとやったことなのです」

「そうか......そういうことじゃったのか!」

 これで村長も納得したところで、ケティはさらに、

「みなさん、芋料理を用意してください。私が戻って、まだ魔王の支配下にあるフリをして......それを食べさせますから!」

「では少々お待ちを」

 村人たちの一部が、各自の家の方にとって返し......。
 待つことしばし。
 軽く調理されたお芋持参で、彼らは戻って来る。もちろん、パッと見では『芋料理』には見えないよう、うまく調理されている。

「では、みなさん。明日の今頃、魔王のアジトに来てください。それまでに、これで私が魔王を弱らせておきますから!」

 おおおおっ。

 わき上がる歓声の中。

「ちょ......ちょっと待ってくれ! それで本当に魔王が弱ったのかどうか......どうやって判断したらいい!?」

 実は臆病なバラモッソが、最後の質問を投げかける。
 彼を安心させるように、ケティは笑顔で、

「今は人間の少女の姿をしている魔王ですが、もっと芋を食べさせてその力を削げば、もう人間の姿を保つことも出来ず、魔族本来の禍々しい姿に戻るはずです。ですから、魔王が本来の姿で出てきたときが、攻撃するチャンスということで......」

########################

「......という話を披露してきました。打ち合わせどおりに」

 村の西にある山小屋の中。
 一つしかない丸いテーブルを囲んで、ケティは、モンモランシーとギーシュに報告をしていた。
 そう。
 彼女が素直にモンモランシーの言うことを聞いていたのは、魔王の妖術などではなく、惚れ薬の効果。それが簡単に終わるはずもなく、いまだに彼女は、モンモランシーの支配下にあったのだ。
 ケティが村長やバラモッソなどに話した内容は、すべてモンモランシーが考え出した作り話である。

「ごくろうさま。これで明日には、この話も終わるわね......」

 ため息混じりにつぶやくモンモランシー。
 このまま村を逃げたりしては、村を壊した犯人として手配されるおそれもあった。
 そこで、魔王と裏切りの配下を演じ、共倒れになる......というシナリオを組んだのだ。

「ギーシュ、明日やるべきこと......わかってるわね?」

「大丈夫だよ、モンモランシー。僕はゴーレムで『魔王』を造り出し......ケティと共に適当に戦って『倒れて』......それでいいのだろう?」

 村人たちを納得させる意味で、最後のトドメは、村の勇者ごっこ二人にやらせよう、という予定である。本物のモンモランシーが出ていくわけではなく、あくまでも『魔王』役のゴーレムを使うため、モンモランシーの身に危険が及ぶ心配もない。
 ギーシュのゴーレム作成技術ではモンモランシーそっくりの『魔王』を造るのは無理かも......ということで『芋で弱って人の姿を取れなくなる』という理屈も考えておいた。それを信じて、村人が芋料理を用意してくれたので......。

「大丈夫みたいね。それじゃ......食べましょう!」

 テーブルの上には、ケティが運んできた芋料理がズラリと並んでいる。
 大役を果たしたケティは「ほめてほめて」という表情でモンモランシーにしがみついているので、モンモランシーは頭を撫でてやっている。ちょっと鬱陶しいが、この程度ならば、まだモンモランシーも我慢できる。
 ギーシュは、密着した二人の女性の間に割り込みたいのだが、それは出来ない。惚れ薬の影響下にあるケティが、もうギーシュへの興味をなくし、むしろモンモランシーを独占するためにギーシュを邪魔者あつかいしているからだ。だからギーシュも我慢している。

「ギーシュ、まだあなたは食べてないでしょうけど......この村の芋料理、本当に美味しいんだから! 一口食べただけで、ほっぺたがとろけちゃうくらい!」

 夫に自慢の手料理をすすめる新妻のような笑顔で、ギーシュに芋料理をすすめるモンモランシー。
 こうして。
 ささやかな芋料理パーティーが始まった。

########################

 バタンッ!

 山小屋の扉が勢いよく開いて、中から青光りする人影が飛び出してくる。
 少し離れた茂みに隠れて、その様子を観察する一団があった。

「あれが......魔王の本当の姿なのか?」

「......そうだと思いますが......一応みんなで相談してみましょうか......」

 バラモッソやレイトなど、村人たちの有志である。
 ......ケティと打ち合わせた翌日。彼らは、彼女から持ちかけられた作戦どおりに、弱体化した魔王を滅ぼしに来たのであった。

「今さら相談などしてどうする! わしが断言しよう、あれこそが魔王の正体じゃと! 見よ、あの禍々しい姿を!」

 村長の言葉には、一応の説得力があった。
 なにしろ。
 小屋から出てきた『魔王』は、ツリ目胸デカ角三本、おまけに手の数六本という、あやしさ満載の形をしていたのだ。
 そして、一同が見守る中。

「みなさん! 今がチャンスです! 今なら魔王も弱っています!」

 大声で叫びながら、ケティがギーシュと共に、『魔王』を追って出てくる。
 彼女の呼びかけで、『魔王』の方でも、隠れている者たちの存在に気づいたのか。その首をギギッと茂みに向けて......。

「ち、ちくしょうっ! こうなりゃあ、もうヤケだっ! いくぜ、みんな!」

 バラモッソが叫んで茂みから飛び出す。つられて何人かの村人たちも。

「さあ! 私たちが押さえつけている間に、早く!」

 ケティとギーシュが『魔王』に組み付き、その動きを止める。

「......でも......そんなことをしたら、あなたたちまで酷い目に......。そうならないよう、ここはやはり、みんなで相談するべきかと......」

「何を言ってやがる、レイト! いいって言ってんだから、あの二人ごとやっちまえばいいんだろ!?」

 及び腰のレイトとは対照的に、二人ごと殺る気満々のバラモッソ。彼は懐から、切り札の魔道具『光る玉』を取り出した。
 それを見て、ケティとギーシュは、慌てて『魔王』から離れる。

「きゃー。吹っ飛ばされたー」

「僕たちはもうダメだー。でもチャンスは今しかないぞー」

 白々しいセリフを吐きながら、ガクッと倒れ込む二人。
 これは演技ではないか......などと疑っている余裕は、バラモッソたちにはなかった。

「あんたたちの犠牲......無駄にはしねえ!」

 魔道具から光が放たれ、『魔王』を直撃。
 一瞬遅れて、まるで爆発するかのように、『魔王』は四散したのであった。

########################

「......勝った......のか......?」

 茫然とバラモッソがつぶやいたのは、しばしの沈黙の後。

「......さあ、どうでしょうか。ここはやっぱり、みんなで相談して決めるべきかと......」

「その必要はない。勝利は......誰の目にも明らかじゃ!」

 村長の言葉に......。

 ......ぅおおおおおおっ!

 村人たちの声が、村はずれの山にこだまする。

「やったな! レイト!」

「見直したぜ、バラモッソ!」

「あんたたちならやってくれる。私は信じてましたよ」

「......よくやった! 二人とも!」

 祝福する村人たちをかき分けて、村長が二人の前へ。

「......おぬしらの活躍で、魔王は倒れ、世界は救われた! ここに予言は成就されたのじゃ!」

「最後は俺一人の力で倒したようなものだが......まあ、これも予言の勇者二人の力、ということにしておこうか。それでも半分は俺のおかげ、ってことになるよな、村長」

 バラモッソの言い方に引っかかるものを感じて、村長は顔色を変える。

「......何が言いたい? バラモッソ?」

「なぁに。たいしたことではない。世界を救ったこの俺に、それなりの礼があってもよいのではないか、と言っているだけだ」

「礼とは......何が欲しいのじゃ? カボチャか? キャベツか? それとも......若い娘の尻か?」

「おいおい。冗談は止してくれ。そんなものが世界と釣り合うのか? ......そうだな、村の蓄財の半分といったところで手を打とうか」

「......あのぅ......バラモッソさん。それは相談するまでもなく、理不尽な話ではないかと思うのですが......」

 レイトが口を挟むが、バラモッソは余裕の笑みを浮かべたまま、

「俺は全部とは言ってないぞ。蓄財の半分だ。『二人の勇者』の一人だからな。残り半分はお前の分だ。お前が口出しできるのは、お前の取り分に関してのみ。俺の分までどうこう言う権利はない」

「......そう言われると......そんな気も......。では、この件に関しては、やはり相談が必要かと......」

 レイトが丸め込まれそうになる中。

「そんなことをされれば村が滅びる!」

 大声で異を唱える村長。
 が。

「そんなことは知ったことではないな」

「......おのれ......バラモッソ......! つけあがりおって......はっ!」

 村長は突然、驚愕の表情を浮かべ、

「......ま......まさか......! 予言にあった魔王とは、やはり実は、お前のことだったのでは......?」

「ちょ......ちょっと待て、村長! 魔王はあのモンモランシー......村長自身がそう言ったじゃねえか!」

 またまた魔王呼ばわりされて、バラモッソも慌てて言い返す。

「いや! 彼女は予言の魔王とは別物だったのかもしれん! ......そうじゃ、あれを『魔王を超えた魔王』だと言ったのは、おぬしではないか! たくさん魔王がいるからこそ『魔王を超えた魔王』という言葉も出てくるのであろう!?」

「そんな......魔王のバーゲンセールみたいな話があるもんか! だったら村長、あんただって魔王かもしれないだろう!?」

「......なっ......! 失礼な! わしのどこが魔王じゃ!?」

「......二人とも落ち着いてください......。こういう場合は冷静になって、みんなで相談して決めるべきですよ......」

「お前は黙っておれ、レイト! それとも何か、実はお前も魔王か!?」

「そうだぞ、お前は口を挟むな! 何かと言えば相談、相談と......きさまなんて『相談魔王』だ!」

「......それこそ言いがかりじゃないですか......」

 何が何やら、もう収拾がつかない。
 そこに。

「いいかげんにしなさい!」

 ザバァァァッ!

 見るに見かねてモンモランシーが放った水魔法が、三人まとめてビショ濡れにした。
 水の勢いで地面に叩きつけられた彼らは、なんとか顔を上げ、

「......う......おぬし......は......」

「......モンモランシー......さん......?」

「生きて......いたとは......」

「生きてるわよ!」

 小屋の奥から出てきて、彼女は大きく胸を張る。

「モンモランシーさま! 出て来てはダメじゃないですか!」

「もうお芝居はおしまい......ってことかな?」

 ケティとギーシュも、ヒョッコリ身を起こす。

「そういうことよ。あまりにバカバカしくて......もうやってられないもの。せっかく人が苦労して、『魔王を倒した』って気分で終わらせてあげようとしたのに......」

 言ってモンモランシーは、ジロリと村長の方を向き、

「あなたたちの予言ごっこにつき合うのも、もうウンザリ! そもそも予言予言っていうけど、予言なんて解釈しだいでどうにでもなるものでしょ!」

「いや、あの予言の解釈は一つしかない! なにしろ、わしが小さい頃、じいさんが目の前で羊皮紙に手書きで......」

「それじゃ子供相手の作り話じゃないのぉっ!」

 ごぼごぼごぼ。

 ツッコミ代わりの水魔法が、村長に炸裂する。
 続いてモンモランシーは、村人一同をグルリと見回し......。

「次! あなたたち!」

 ピシッと指さしたのは、『そういえば聞いたことある』の二人。

「あなたたちは、どこの誰から聞いたの!?」

「おやじから聞いた。おやじは小さい頃、村長のじいさんから教わったと......」

「おふくろから聞いた。おふくろは小さい頃、村長のじいさんから教わったと......」

「やっぱり全部、あなたの家から出たデタラメじゃないのぉっ!」

 ごぼごぼごぼごぼごぼ。

 またまた村長に向かって杖を振る、モンモランシーであった。

########################

 こうして。
 魔王疑惑の晴れたモンモランシーたちは、翌日、村をあとにした。
 彼女たちの魔法で村に与えたダメージは、魔王呼ばわりの精神的ダメージと相殺......ということでチャラ。特に修理費を請求されることもなく済んだ。
 バラモッソに関しては......どうなったのか、モンモランシーたちは知らない。レイトが中心になって、みんなで相談して決めるそうだが、結論が出るまで見届けるつもりなど毛頭なかった。
 それよりも。

「......で、モンモランシー。この状態は、いつまで続くのかね?」

 緑繁る山道を歩きながら、困った声で聞くギーシュ。
 なにしろ、モンモランシーの横には、ずっとケティが、べったり密着しているのだ。「モンモランシーさまに悪い虫がつく」とのことで、ギーシュは近づくことすら許されない。

「そのうち治るはずだけど......」

「そのうちとは、いつ頃かね?」

 ギーシュに問われて、モンモランシーは首を傾げる。
 彼女だって早く何とかしたいのだが、材料が入手困難......というより、もう『水の精霊の涙』が手に入らないため、解除薬の作成は不可能なのである。

「個人差があるから......そうね、一ヶ月後か、それとも一年後か......」

「君は、そんなシロモノを僕に飲ませようとしたのか」

 前と同じようなことを言って、同じように青くなるギーシュ。
 まだ惚れ薬の小ビンは二つ残っているのだが、モンモランシーは、敢えてそれを彼に告げなかった。
 ちなみに。
 個人差ゆえか、あるいは、口にしたのが少量だったせいか。
 惚れ薬の効果は、一週間で終了した。
 その一週間のことをバッチリ覚えていたケティは真っ赤になり、平謝りの二人の前から、風のように姿を消したという。


(「金色の魔王、降臨!」完)

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