『魔を滅するメイジと使い魔たち』
初出;「Arcadia」様のコンテンツ「ゼロ魔SS投稿掲示板」(2011年3月から2011年12月)


第一部「メイジと使い魔たち」第一章第二章第三章第四章
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト
第二部「トリステインの魔教師」第一章第二章第三章第四章
番外編短編2「ルイズ妖精大作戦
第三部「タルブの村の乙女」第一章第二章第三章第四章
番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!
外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」前編中編後編
番外編短編4「千の仮面を持つメイジ
第四部「トリスタニア動乱」第一章第二章第三章第四章
番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜
第五部「くろがねの魔獣」第一章第二章第三章第四章
番外編短編6「少年よ大志を抱け!?
第六部「ウエストウッドの闇」第一章第二章第三章第四章第五章終章
番外編短編7「使い魔はじめました
第七部「魔竜王女の挑戦」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
第八部「滅びし村の聖王」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
番外編短編8「冬山の宗教戦争
番外編短編9「私の初めての……
第九部「エギンハイムの妖杖」第一章第二章第三章第四章
番外編短編10「踊る魔法人形
第十部「アンブランの謀略」第一章第二章第三章第四章
番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ
第十一部「セルパンルージュの妄執」第一章第二章第三章第四章
番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海
第十二部「ヴィンドボナの策動」第一章第二章第三章第四章第五章
第十三部「終わりへの道しるべ」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編13「金色の魔王、降臨!
第十四部「グラヴィルの憎悪」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙
第十五部「魔を滅せし虚無達」第一章第二章第三章第四章第五章

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第一部「メイジと使い魔たち」(第一章)

 私は追われていた。
 ......いや、だからどーしたと言われると、とても困るんですけど......。

「ねえ、ちょっと待ってよルイズ。あたしを置いてかないでよ」

 いかにも旅の連れですと言わんばかりの態度で追ってくるのは、『微熱』のキュルケ。
 私の行く先々に現れる、自称ライバル。しかし私の金で一緒の宿に泊まったり食事をしたりするのだから、実際は、金魚のフンか、ストーカーか、ヒモのようなもの。

「何よ? 私は忙しいの! 今から行くところがあるの! ついて来ないで!」

 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。こう書けば私と同じ、旅の学生メイジの正装なのだが......。
 なんでキュルケは、ああも下品に着こなせるのだろう? ちょっとボタンを一つ二つ外しただけで、あら不思議。胸を強調した、露出度満点の衣装になってしまう。

「ルイズ! そんなこと言わずに......あたしも連れてってよ! どうせ盗賊退治でしょ!?」

 悔しいが、そのとおりであった。手頃な規模の盗賊団が近くにアジトを構えていると聞き、私は、そこに向かっていたのだ。せっかく、お宝ゴッソリ独り占めの予定だったのに!

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 あれから少しの後。
 アジトに乗り込んだ私とキュルケは、あっというまに盗賊たちを一網打尽。まあ美少女メイジ二人にかかれば、ちょろいものである。
 しかし......。

「どうか、命ばかりはお助けを......」

 二人の前に座り込んで、ペコペコと頭を下げる一団。セリフだけ聞いていたら、まるで私たちのほうが悪役じゃないの!?

「貯め込んだ宝は......これで全部なのね?」

「はい! 間違いありません!」

 やっぱり私が悪役っぽい会話だが、誤解してはいけない。私が盗賊たちの宝を没収するのは、彼らの手元には残しておけないため。私が懐にしまいこむのは、誰に返すべきかもう判らないため。けっして私利私欲のためではないのである。

「ねえ、ルイズ。けっこうあるじゃない。もう許してあげたら?」

 何だかキュルケが善人みたいなこと言ってる。私がジト目で睨んだら、肩をすくめてみせた。

「だってさ、ルイズ。ここの人たち、すっかりおとなしくなっちゃって。これじゃ、あたしも戦う気が失せるじゃない?」

「はい! そりゃあ、もう! あなた様たちに逆らう気は、毛頭ありません!」

 盗賊たちも、ここぞとばかりに捲し立てていた。
 まあキュルケの言葉にも一理ある。それじゃ帰ろうか、と私が踵を返した時。

「あっしらだって、あなた様があの有名な『ゼロのルイズ』だと知っていれば、最初から楯つく気など......」

 ピクッ。

 私は足を止めた。

「あんた......今なんて言った?」

「......え?」

「今、私のこと......なんて言った!?」

 盗賊がビビってる。なんかまずいこと言ったっけ、って顔だが、私の迫力に負けて、正直に吐いた。

「えーっと......『ゼロのルイズ』......」

「ふーん......。そう......」

「それが......あなた様の二つ名ですよね? あっしも噂で聞いたことがあって......」

 そうなのだ。私は『ゼロ』のルイズで通っている。

「で? あんたの聞いた噂だと......私の何が『ゼロ』なわけ?」

「は、はい。まず、呪文詠唱時間がゼロで......」

 そのとおり。自慢じゃないが、私は詠唱なしで攻撃呪文を放てるのだ。私が天才美少女メイジと呼ばれる所以である。他人は誰も呼んでくれないけど。むしろ昔は、魔法が使えないと思われて、バカにされてたけど。

「で?」

「それから......情け容赦ゼロ......」

 盗賊の間に流れる噂というなら、仕方ないかもしれない。『悪人に人権はない』というのが私のモットーなんだから。

「......それだけ?」

「あ、あとは......胸が『ゼロ』......。うぷぷ」

 わ、笑いやがった!? こいつ、自分の立場も忘れて、私の胸を見て笑いやがった!?
 もう許さん!

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......」

 私が呪文詠唱を始めたのを見て、キュルケがサッと逃げ出した。

「......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」

 盗賊たちも、不思議そうに顔を見合わせている。そりゃあ、そうだ。普通は魔法って、『ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ』とか『イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ』とか、それっぽい言葉で詠唱するのだ。私のみたいなのは初耳であろう。

「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......」

 普通の魔法ではない。系統が『ゼロ』である、私だけで使える魔法。
 かつて始祖ブリミルに破れ、彼に使役されることになったと言われる『魔王』。その『魔王』の力を借りる魔法。
 私に教えてくれる者もいないから、自力で『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の『写本』を探し出して、そこから学んだ魔法。

「......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」

 呪文が完成する。
 杖を振りながら、私は大きく叫んだ。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「ねえ、ルイズ......。元気出してよ......」

 盗賊アジトを壊滅させた帰り道。キュルケが私に声をかける。
 あのキュルケが、私を慰めようというのだ。そんなに私は落ち込んで見えるのか!?

「いいじゃないの。どうせ消えたのは、二束三文の物ばかりよ」

「......そうね。そう考えるとしようか......」

 私の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、盗賊だけでなく、そこにあったお宝も一緒に吹き飛ばしていた。
 ハッとしてから、かき集めたが、そもそも、あの爆発を耐えるシロモノなど少なかった。まあ、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、伝説の魔法の一種。伝説に耐えられるのは、伝説級のマジックアイテムだけだったのかも......。

「......ねえ、ルイズ」

「わかってる」

 小声で言葉を交わす二人。
 とりとめのないことを考えていた私の足が、ふと止まる。
 覆いかぶさるかのように道の両側に生い茂る、うっそうとしたした木々。その森の奥へ、私とキュルケは視線を向けた。
 ほんの少しして、一人の男が森の中から道に出てくる。私たちの行く手を遮る形で。

「やっと追いついたぜ、嬢ちゃんたち」

 もう描写するのも面倒なくらい、典型的な『野盗』姿の男。

「よくもさんざ俺達をコケにしてくれたな」

 さっきの奴らの残党らしい。

「......このオトシマエは、きっちりとつけさせてもらうぜ」

 あのなあ......おっちゃん......。

「......と、言いたいところだが」

 男はニヤリと、すこぶる気色の悪い笑い方をした。おやおや?

「正直いって、あんたたちとはやりあいたくねえ。まともにやったら、こっちもかなり痛え目を見ることになりそうだしな」

 だいたい『まとも』にやるつもりはないのだろう。私もキュルケも、既に囲まれていることに薄々気づいていた。森の中は、伏兵だらけ。

「......で、だ。本来なら『おかしらのかたきっ』てなもんで、お前さん達を殺すか、俺達がみんな死んじまうかするまで追っかけ回すのがスジってえもんだ。が、そいつは面白くねえ。......で、どうだ、ひとつ、俺達と組んでみる気はねえか?」

 とんでもないことを言い出した。
 冗談ではない。
 こう見えても私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。くにの姉ちゃん――王立魔法研究所(アカデミー)で遊んでるペチャパイの方――の一言で、こうして旅をしているが、れっきとした公爵家の三女である。
 魔法学院に籍だけおいてある、学生メイジである。
 悪人の仲間になど、なるわけがない!

「断る」

 一言で突っぱねた。隣でキュルケも頷いている。

「な......」

 男がぱっくりと、大きく口を開けた。
 見る間に顔色が変わっていく。

「こ、このアマ! 下手に出てりゃあつけやがりやがって! そうなりゃあ、こっちにも考えってもんがある。......てめえら、出てこいっ!」

 森の中の手下を呼び寄せる男。
 でも、誰も出てこない。
 そういえば気配もなくなっているような感じだ。
 みんな逃げちゃったのか?
 ......と思っていたら。

「それぐらいにしておくんだな。隠れている部下達は、みんな俺がやっつけた」

 一人の男が出てきた。
 旅の傭兵のようである。
 ただし、着ている物は、鎧でもプレートでも騎士服でもない。青と白の、見たこともない服だった。
 手にしている剣も変だ。ボロボロの錆び錆び。刀身も細い。一振りしただけで折れそうだ。
 まあ顔立ちは悪くはない。ハンサムとは言えないが、これくらいの方が親しみやすい。年齢も私と同じくらいだろう。

「こそ泥、とっととシッポをまいて......」

「やかましい......」

 私が観察しているうちに、剣士と野盗は何か言い合っている。書くのも嫌になるくらい、典型的な口上だ。
 目を点にして、キュルケと顔を見合わせていたら、もう戦闘も終わっていた。
 もちろん、剣士の勝ちである。

「大丈夫か?」

 剣士は私とキュルケのほうに向き直り、そして......しばし絶句した。
 きっと私たちの美少女ぶりに驚いているのだ。キュルケも頭はパーだが、外見は悪くない。まして私は完璧な美少女。
 彼が溜め息をついた。感嘆の溜め息ってやつ?
 それから、彼はつぶやいた。

「......なんだ......子供か......」

 え?

「こういう場面だからイイ女かと思ったのに......。髪は気持ち悪いピンク色で、目の大きさも中途半端な、ペチャパイのチビガキじゃねーか......」

 なんですって!?

「しかも......一緒にいるのは、胸オバケ。大きけりゃイイってもんじゃねーよな......」

 あ。キュルケまでバカにされてる。
 少し胸がスッとしたが、この程度では私の怒りは収まらない。
 しかし、私やキュルケが気持ちを行動に示すより早く。

「なんでえ、相棒。おめえ、胸の大きい女、好きだったろ?」

「うん。巨乳は好きだ。でも......奇乳は好きじゃない。だいたいさ、この世界って、巨乳とか美人とか美少女とか、いっぱいいるじゃん? なんか......俺の基準もおかしくなってきた」

「そりゃあ相棒、贅沢ってもんじゃねーか!?」

「......かもしんない」

 この剣士......剣と会話してる!?
 私とキュルケは、顔を見合わせた。目が輝いている。
 二人の声が揃った。

「インテリジェンスソード! お宝ね!」

########################

 インテリジェンスソード。意志を持つ魔剣である。

「ちょっと、それ見せて!」

「やめろ、娘っ子! 俺っちに触るな!」

「あー。こいつ、俺のことを持ち主だと思ってるから......ごめんな」

「そうだ! 俺っちは......デルフリンガー様! 『使い手』専用の武器だぜ!」

 ここで再び、私はキュルケと顔を見合わせる。熱の冷めた顔だ。
 最初は凄い宝剣かと思ったが......。『デルフリンガー』なんて名前、聞いたこともない。『光の剣』とか『ブラスト・ソード』とか、そういう伝説の剣を一瞬期待しただけに、私たちは落胆したのだった。あの『光の剣』もインテリジェンスソードだって噂なんだけどなあ。
 まあ考えてみれば、こんなボロ剣が伝説の剣のワケもないが、ほら、これだって世を忍ぶ仮の姿かもしれないし?

「あ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺、平賀才人。......こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私、ルイズ」

「あたし、キュルケ」

 このサイトって男、どうもおかしい。着ている物もそうだが、『この世界』とか『こっちの世界』とか、言ってることも妙だ。
 キュルケも私と同じ顔をしている。剣も気づくくらいだった。

「なあ、相棒。説明してやれよ。この娘っ子たち......不思議がってるぜ」

「ああ、そうだな」

 サイト曰く。
 彼は異世界の人間である。いつのまにか、このハルケギニアに紛れこんでいた。そして魔剣デルフと出会った。

「はあ!?」

 私とキュルケの声がハモッた。

「それでさ。このデルフ、どうも長生きし過ぎてボケちゃってるみたいで。自分のこと......俺の家に伝わる、家宝の剣だって思いこんでんの。俺、この世界の人間じゃねえのに」

「こまけえことはいーんだよ、相棒!」

「こまかくねーよ!? ......そんでデルフが言うには、俺は本来、誰かの使い魔になるはずなんだと。ちゃんとメイジの使い魔になれば、そのメイジの魔法で、元の世界に戻れるかもしれないって。だから傭兵の真似事しながら、こうして旅してる。......こいつの言うことだから、俺も半信半疑なんだけど」

「悲しいこと言うなよ、相棒。俺っちを信じろ!」

 無茶苦茶な話である。
 しかし、まんざら嘘でもなさそうだ。本当にサイトが異世界人であるならば、この妙な服装も納得できる。明らかに貴族には見えないのに苗字を名乗ったのも、異世界の習慣と思えば理解できる。
 それに。

「ねえ、ルイズ。今の話......聞いた?」

「聞いてるわよ」

「サイト、誰かの使い魔になるんだって」

「そうみたいね」

「普通......人間は、使い魔にならないわよねえ?」

 キュルケに言われんでも。
 
「わかってるわよ」

「でも......ルイズは勉強家だから、例外があることも知ってるわよね?」

 私は小さい頃、魔法の実践が苦手で、その分、座学を頑張っちゃったメイジだ。一般のメイジが知らないことも知っている。そして、私と旅をしているうちに、いつのまにかキュルケも知っちゃった。
 昔々の伝承によれば、始祖ブリミルの使い魔は人間だったという。『魔王』なども使役したが、それは使い魔とは別だそうだ。
 そして、始祖ブリミルの魔法系統は『虚無』。現代の四つの系統とは異なる魔法。おそらく、今のハルケギニアで虚無の魔法を使えるのは、ただ一人......。

「......おい、娘っ子」

 やばい。ボケ剣と目があった。

「おめ、もしかして......『使い手』を召喚するべきメイジじゃねえのか?」

 やばい。サイトが期待の目を私に向けた。私が彼を元の世界に戻せると思ったらしい。

「なあ、娘っ子。試しに......ここで召喚の儀式をやってみないか?」

「ふざけないで!」

 私は剣に怒鳴った。
 何が悲しゅうて、神聖な儀式を、こんな道端でやらにゃあならんのだ!?
 剣は、しょせん剣なのだろう。乙女にとって使い魔召喚がどれだけ大きな意味を持つか、わかってないんだから!

「ねえ、ルイズ」

 私を宥めるつもりなのか、キュルケが優しい声をかける。

「どうせ......あなた『ゼロ』のルイズでしょ? どんな魔法も失敗して、爆発魔法になっちゃう。成功の確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ」

「キュルケ......それは昔の話よ!」

「あら? 今でこそ、その爆発魔法を使いこなしているけど、でも何でも『爆発』になっちゃうのは相変わらずでしょ? どうせ『召喚』も失敗するから......」

 そこまで言われたら、私にだって意地がある。

「そんなことないわ! 見てなさい!」

 キュルケに焚き付けられて、私は『召喚』を始めてしまった。

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「ほら、見なさい!」

 私は腰に手を当てて、胸を張ってみせた。
 今、私の前には大きな鏡がある。ここから、私の『使い魔』が出てくるのだ。

「まだ......何も出てきてないじゃない」

「でも失敗じゃないでしょ?」

 鏡が出現したのは、私の前だけではない。サイトの前にも、同じ鏡が現れていた。その意味は、一目瞭然である。

「さあ、キュルケもサイトもデルフも、気が済んだわよね。じゃあ、この話は、これで終わり......」

「ちょっと待った!」

 みんなに止められた。

「肝心なのが......まだでしょ?」

 キュルケが笑ってる。ああ、もう!

「......そうね。ほら、サイト! その鏡に飛び込みなさい!」

「鏡に飛び込めって言われても......」

 恐る恐る、自分の前の鏡に触れるサイト。

「わっ!?」

 そのまま中に引きずりこまれて、私の鏡から出てきた。
 使い魔とメイジの、感動の御対面である。さっきまで横にいたのだから、全然感動しないけど。

「ほら、ルイズ! 次は?」

 面白がるキュルケ。
 赤くなる私。
 不思議そうなサイト。

「あのねえ、サイト」

 キュルケが彼の耳に口を寄せて、小声で説明。

「使い魔を召喚したら、契約(コントラクト・サーヴァント)をしなきゃいけないんだけど、その内容が......」

 最後の部分は、私にも聞こえなかった。でも、サイトが飛び上がったのは見えた。

「ええっ!? マジっすか!? メイジって使い魔に......『初めて』を捧げんの!?」

 鼻息を荒げるサイト。なんだかんだ言って、私と同じ年頃の少年なのだ。
 彼は服を脱ぎかけたが、私は慌てて止めた。
 
「感謝しなさいよね! 貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから!」

「え? 着たまま? いや俺も初めてだから、よく見えるほうが......」

 バカなこと言ってるサイトの口に、私自身の口を重ねた。

 チュッ!

 こうして私は、乙女の『初めて』......つまりファーストキスを、彼に捧げたのである。
 でも、これがメイジと使い魔の契約。仕方がないのよ、もう!

「ぐあ! ぐぁああああああ!」

 サイトが騒ぎ始めたが、私は気にしない。『使い魔のルーン』が刻まれているだけだ。
 転げ回るサイトに向かって。

「どう? それが『初めて』の痛みってものよ?」

 キュルケが下品な冗談を言っていた。

########################

「......え? それじゃ、ルイズ......俺を元の世界に戻せないの?」

 その日の夜。宿屋でのことである。
 二部屋取ったのだが、キュルケは一人部屋。私はサイトと同室だ。

「そう。私、そんな魔法知らない」

 サイトは私のことを『ルイズ』と呼ぶ。旅に出たばかりの私なら、平民からそんなふうに呼ばれたら、大激怒だったかもしれない。
 しかし、こうして旅をしているうちに、私の考えも変わった。
 くにでヌクヌクと暮らしていれば、貴族は着替えだって平民にやってもらうが、旅に出てしまえば、そうもいかない。
 貴族も平民も、同じ人間だ。貴族は魔法が使えるメイジであるが、メイジ殺しなんて言葉があるように、平民の中にも強い奴はゴロゴロしている。

「なんだよ、それ!? 話が違うじゃん!」

 サイトは、魔剣デルフを睨んでいる。
 実のところ、こうしてサイトと同室なのも、私としては複雑な気分だ。本来の価値観で考えれば、サイトは平民。貴族の下僕。しかも使い魔。うん、私と一緒にいるのは当然だ。
 でも......。サイトだって男の子なのよねえ? 嫁入り前の乙女が、同じ年頃の男の子と同じ部屋に泊まるのって......やっぱり、まずいんじゃないかしら?

「......なんだ? 俺の顔に、何かついてんのか?」

 いつのまにか、サイトは私を見ていた。私の視線が気になったらしい。

「な、なんでもないわ! そ、それより......どうせボロ剣の話でしょ。あんただって『半信半疑』って言ってたじゃない」

「まあ、そうだけどさ......」

 サイトは悲しそうだ。なんだか心の支えを失ったような表情だ。
 ああ、もう! 何よ、それ!? そんな顔しても、私の母性本能は刺激されないわよ!?

「ねえ、サイト」

 頑張って猫なで声で話しかけてみた。

「......ボロ剣の言ってたとおり、私の魔法は特殊なの。だから、誰も教えてくれないの。私自身で、頑張って色々見つけてかないといけないの」

 サイトの顔が、少しだけ明るくなった。

「それって......?」

「そう。旅をしているうちに......いつか、そういう魔法の手がかりも、見つかるかもしれないわね」

「ほらな、相棒。俺っちの言うとおりだろ?」

 今頃、口を挟むデルフ。

「......つーわけだ。しばらくは、娘っ子の旅についていくぜ! よろしくな!」

 サッと話をまとめやがった。こんなところだけ、年の功のつもりかもしれない。ちょっと悔しいから、無視してやる。

「わかった、サイト? あんたを帰す方法が見つかるまで......よろしくね」

「ああ、ありがとう。こちらこそ......よろしく」

 私とサイトが握手をする。彼の手に刻まれたルーンが少し気になったが、それ以上考える暇はなかった。

 トン、トン。

 ドアをノックする音。
 私とサイトが、少し身を硬くする。
 気づいたのだ。ドアの向こうの気配は......ただ者じゃない!?

「誰? どうぞ、入って」

 私は杖を、サイトは剣を握りしめ。
 入ってきた人物に目を向けた。
 小柄な少女だった。

「......こんばんは」

 ボソッとつぶやく少女。
 全身を白いマントと白いローブ、白いフードでスッポリ包んでいる。目の部分と前髪の一部だけが出ているが、その目には眼鏡をかけており、髪の色は青だった。
 見るからに怪しいスタイル。身長より大きな杖を手にしており、明らかにメイジである。

「......あなたと商売がしたい。あなたの持っているあるものを、あなたの言い値で引き取る」

 無表情な口調である。これだけ顔を隠していても、そう思わせる。

「私が持っているもの......?」

「......そう。今日の昼、手に入れたもの」

 なるほど、盗賊の宝か。あの中に、よほどの物があったのか?

「ふーん。でも......取り引きするなら、まず名前くらい名乗って欲しいわね」

 私は自分からは名乗らず、そう言ってみた。
 すると。

「......タバサ」

 青髪の少女は、つぶやいた。


(第二章へつづく)

        
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第一部「メイジと使い魔たち」(第二章)

「......タバサ」

 青髪の少女は名乗った。だが、まだ名乗っただけだ。
 白いマントと白いローブ、白いフードで全身を隠すという、怪しい格好。その怪しさは、依然として消えていない。

「俺、平賀才人。こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私は、ルイズ。......ルイズ・フランソワーズ」

 使い魔が軽々しく自己紹介を始めたので、私も簡単に名前を告げておく。

「でも......私、そんな胡散臭い格好の人とは、取り引きしたくないわ」

「......わかった」

 あら、案外、素直じゃない?
 タバサはフードを下ろして、マントを外し、ローブも脱いだ。
 中から出てきたのは、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。要するに、私と同じ、旅の学生メイジの正装である。
 中にもマントを着てたのかオイ、とツッコミを入れたくなったが、私の隣では、サイトが笑い出していた。

「ぷぷぷ......。そんな勿体ぶった格好だから、いったい何が出てくるのかと思いきや......。ルイズ以上のお子様じゃん!」

 ちょっと待て。何気に私のことまで馬鹿にしてないか!?
 まあ確かに、この少女は『お子様』である。
 胸もぺったんこ!
 私よりぺったんこ!
 共感するべきなのか、憐れむべきなのか!

「いやさ、こういう場合って......人間じゃない体が出てくるとか、そういうサプライズじゃないのかよ!? 子供! ま、これはこれでサプライズ! うぷぷ......」

「......だから見せたくなかった」

 タバサがサッと杖を振り、

「ぐへっ!?」

 空気の塊が、サイトのみぞおちに決まった。彼は体を曲げて、苦悶している。
 やはり彼女は、なかなかのメイジのようだ。系統は、おそらく『風』。
 タバサが何もしなければ私がお仕置きしてたかもしれないが、一応、言っておこう。

「やめてよね、私の使い魔を虐めるのは。躾は自分でするから」

「......使い魔?」

 タバサは小首を傾げた。

「......恋人じゃなくて?」

 こ、こいびと!?

「誰が恋人よ!?」

「......あなた」

 わ、わ、わたしが、こ、こんなやつと......。

「怒らないで。あなたと戦いに来たわけじゃない」

 そうだ。タバサは私と取り引きをしに来たはずだ。私もプルプルしている場合ではない。

「......怒らせたのならば謝る。ごめんなさい」

 素直に頭を下げるタバサ。
 しかし。

「お嬢さま!」

 バタンと扉が開いて、老人が一人飛び込んできた。

「お嬢さまが頭を下げる必要など......」

「......いい。これも不要な争いを避けるため」

 タバサの召使いか執事か、そんなところのようだ。こう見えて、それなりの家柄の貴族ということか。

「ま、元はと言えば、私の使い魔がバカなこと言ったせいだもんね。こっちも悪かったわ」

 非があれば認める。これも貴族のプライドである。昨今は謝らないのがプライドだと勘違いしている貴族もいるが、私は、そんな世間知らずな連中とは違う。

「......で、あるものを売ってほしいってことだったわね。何なの、その『あるもの』って言うのは?」

「......言えない」

 私は眉をひそめた。

「それじゃあ取り引きにならないわね......」

「......ふっかけられても困るから」

 なるほど。それに、どれと言われたら私も好奇心が働いて、手放す気が失せるかも。

「じゃ、どうする?」

「......それぞれの値段を言って」

 このタバサって子、無表情でポツリポツリとしゃべる。何とも交渉しにくい相手である。
 でも、何となく理解した。昨日の宝全部に私が値段をつければいいわけだ。そう言えば最初に『あなたの言い値で引き取る』って言ってたっけ。

「わかったわ、なら早速商談にうつりましょうか。品物は像と剣、そして古いコインが少々。じゃあ、まず剣が......」

 私は次々と値を付けた。
 タバサは無表情のまま数歩あとずさり、老僕はまんまるに目を見開く。
 サイトは平然としていた。おお、意外に肝っ玉が大きいのね。
 
「......相場の二倍や三倍は覚悟してた」

 やっとのことで声を絞り出すタバサ。
 私もポンと手を叩いた。

「よく考えたら、とんでもないわね」

「そう。あなたの提示した額は、相場の千倍以上」

「そーねえ。今のはあんまりだから......今言った値の半額でいいわ」

 真顔で言い放つ私を見て、堪えきれなくなったらしい。

「半額!? この小娘! お嬢さまを愚弄するのもいい加減に......」

「ペルスラン!」

 タバサの叱責の声が飛んだ。

「しかし、お嬢さま......」

「言い値と言ったのは私」

 それから彼女は、私を睨む。
 
「交渉決裂。でも今日は取り引きに来ただけ。おとなしく帰る」

 くるりと背を向けて、扉に向かって歩き出した。ペルスランと呼ばれた執事も、彼女に従う。
 タバサは戸をくぐったところで一瞬立ち止まり、振り向きもせずにつぶやいた。

「......明日からは敵同士」

 その瞬間、殺気が渦巻いた。
 私もサイトも警戒するが、そのままタバサ達は去っていく。
 しばらくして。
 サイトが私に聞いてきた。

「なあ、ルイズ」

「......何?」

「お前が言った金額って......そんなに高かったの?」

 いまだにサイトは、ハルケギニアの物価を理解していないらしい。

########################

 翌朝。
 宿の一階にある食堂へサイトと共に降りていくと、既にキュルケが食べ始めていた。

「こっちよ〜〜、ルイズ!」

 私たちも同じテーブルへ。二人が座るや否や、キュルケがニマッと笑う。

「ねえルイズ。ゆうべはおたのしみ?」

「......そんなわけないでしょ。サイトは使い魔、それに平民なの」

 私はジト目で返した。
 こう見えてもサイトは意外に紳士であり、おとなしく床で寝ていたのだ。襲ってきたら返り討ちにしてやろうと思ったが、私のベッドに近づく気配もなかった。別に私に魅力がなかったわけではなく、サイトが理性的だったのだろう。

「え〜〜? 男と女が二人きりで、何もなかったの? つまんない。せっかく気を利かせて、外に出てたのに......」

 キュルケの部屋は、私たちの隣。昨夜のタバサ騒動でバタバタした際、キュルケも気づいて来るかと思ったけど、来なかったのは留守にしていたからか。なるほど。
 ......ん? 一瞬納得してしまったが、ちょっと待て。

「なあ、隣が空いてたなら、相棒はそっちで寝れば良かったんじゃねえか?」

 私と同じ点に思い至って、サイトの背中の剣からツッコミが。
 ちなみにサイト自身は、勝手にキュルケの皿に手を伸ばし、黙々と食べていた。

「じょ、冗談よ! 外に出てたのはホントだけど、それは野暮用。そんなに長い時間じゃなかったわ」

 私が睨んだら、キュルケは慌てて否定する。
 ......というより、野暮用? キュルケの方こそ、ゆうべはおたのしみだったの?
 そんな疑問が、私の顔に出たらしい。

「違うわよ、ルイズ。実はね、昨日の夜、あたしも......」

 ......ん? 『も』?

「......使い魔を召喚したの! ほ〜〜ら!」

 彼女に呼ばれて、外からキュルケの使い魔が入ってくる。
 大きさはトラほどもあろうか。尻尾が燃え盛る炎でできていた。チロチロと口からほとばしる火炎が熱そう。立派な火トカゲ(サラマンダー)だ。
 朝の食堂が、ムンとした熱気に襲われた。
 大騒ぎになった。
 怒られた。

########################

 そして朝食の後、私たちは宿を発った。
 私はサイト、キュルケはサラマンダー。それぞれ、使い魔を連れて歩く。
 今まではアテのない旅だったが、一応の目標が出来てしまった。異世界人を元の世界に戻す魔法を探す旅。......うーん、こうして言葉にすると、とっても胡散臭くて、現実味のない話だなあ。

「で、俺たちはどこへ向かってんの?」

 肝心の異世界人サイトが、この調子である。
 キュルケは何となくついて来てるだけ――時々いなくなるけど――、だから行く先を決めるのは私。

「適当」

「はあ?」

「今まで行った場所には、そんな魔法の手がかりはなかったの。だから、行ったことない場所へ行くの」

 つまり、適当である。
 が、サイトはこれで丸め込まれたらしい。なんだか納得した表情をしている。この男、けっこうクラゲ頭かもしれない。

「ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「......魔法学院へ行ってみない?」

 うわっ、珍しくまともな提案してきたよ、この女。
 確かに『魔法』の手がかりならば、どこぞの学院の図書館で書物を調べるのも一つの手だ。
 私だって、旅の学生メイジ。一度も顔を出したことはないが、一応、魔法学院に所属している。たまには立ち寄ってみるのも......。

「ちょうどね、あたしの学校が近いのよ!」

 え?
 キュルケの言葉で、私がギギギッと顔を横に向ける。

「ねえ、キュルケ......。ここから一番近い学院は、トリステイン魔法学院だけど......?」

「そう! あたし、そこの生徒! でも一度も行ったことないの」

 思わず立ち止まって、頭を抱える私。

「どうした、ルイズ。おなかでも痛いのか?」

 サイトがトンチンカンな言葉をかけてくるが、私は聞いちゃいなかった。
 今の今まで、知らなかったのだ。私とキュルケが、同じ魔法学院の生徒だなんて!

########################

 そんなわけで具体的な行き先も決まり、私たちは街道を進んでいた。
 大森林の中を突っ切る形で走っている道だが、この辺りは比較的場所が開けており、かなり大きな野原になっている。
 天気はよく、空は青い。
 でも。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケが声をかけてきた。彼女のサラマンダー――フレイムと名付けたらしい――も、唸り声を上げている。

「うん、わかってる。サイトは......?」

「ああ、俺も」

 三人と一匹が足を止めた。
 ワラワラと敵が出てくる。こんな開けた場所の何処に隠れていたのか、不思議なくらい大勢、四方八方から。

「あれ......何?」

「いわゆる亜人ってやつよ」

 御主人様として、ちゃんと使い魔に教えてあげる私。
 今、私たちを取り囲んでいるのは、山賊や野盗といった人間ではなかった。コボルド、翼人、オーク鬼、トロール鬼......。小さいのから大きいのまで、まあ色々である。

「ねえ、ルイズ。この辺に生息してる種族じゃないわよ、これ......?」

「誰かが連れて来たんでしょ。その誰かさんの姿は見えないけど」

 キュルケに言葉を返すと同時。

 ドーン!

 無詠唱で私が爆発魔法――普通の小さなエクスプロージョン――を放った。
 二、三匹のコボルドが一撃で黒コゲに。
 戦闘開始である!

########################

「あっけなかったわね、ルイズ」

「そうね、キュルケ」

 結構な数がいたはずなのに、全部一掃するまで、たいして時間はかからなかった。
 私もキュルケも、超がつくほどの一流メイジなのだが......。それにしても早すぎる!

「使い魔がいると......やっぱりラクなのね」

「そうね、キュルケ」

 キュルケのフレイムは、それほど活躍しなかったけど。
 いや、昨晩召喚されたばかりにしては、キュルケとの息もピッタリあってたし、さすが火竜山脈のサラマンダーだ。
 でも。
 くらべる相手が悪い。
 私の使い魔サイトと比べたら、やはり見劣りしてしまうのだ。

「ねえ、サイト。あんた......本当に強かったのね」

「ああ。だけど......俺自身ちょっと驚いてる。昨日までは、こんなじゃなかったのに......。なんだか急に体が軽くなってさ」

 いやはや。
 実戦経験豊富な私やキュルケでさえ、彼の動きを目で追うのは難しかった。
 これが一流の剣士のスピードかと驚かされたが、今のサイトの言葉で判った。私は、サイトではなく、彼が手にした剣に目を向ける。

「これが......あんたの言ってた『使い手』ってこと?」

「そういうこった。......まだ初歩の初歩だが、相棒は、今まで傭兵稼業してたからなあ。ちょっと『使い手』として力を使っただけで、ザッとこんなもんさ」

「え? 何?」

 当のサイトは、何も判りませんという顔をしている。ああ、もう、このクラゲ頭!

「あのね、あんた、さっき戦ってた時、左手が光ってたでしょ!?」

「ああ! 言われてみれば、そんな気がする! 剣を握って気合い入れたら、なんかピカーって......そういえば、体が軽くなったのも、その時だったかな?」

「それは使い魔のルーン! 使い魔っていうのはね、契約した時に特殊能力を得ることがあるのよ」

「黒猫がしゃべれるようになる......って話が、よく例に出されるわよね」

「俺は猫じゃねえぞ」

 口を挟んだキュルケに対して、サイトは律儀に返していた。

「わかってる。あんたは人。だから特殊。だいたい、普通はルーンも光らないし」

 そして、再び視線を魔剣デルフリンガーへ。目で促されて、剣が続きを語る。

「だから相棒は『使い手』なのさ。かつて始祖ブリミルの使い魔の一人だった『ガンダールヴ』。その再来ってこった」

「へえ。何だか知らんけど......俺、凄いものになっちゃったのか?」

 照れ臭そうに笑うサイト。
 たぶん、こいつ、まだよく理解していない。ボケたボロ剣の言葉が正しければ――そして正しいであろうと私も思うが――、サイトは、伝説の使い魔なのだ!
 ......まあ、私の魔法『虚無』が、そもそも伝説なわけで。私の使い魔が伝説なのも、当然っちゃあ当然なんだけど。
 私は、あらためて剣を見つめる。

「......あんただけね、伝説じゃないのは」

「やい、娘っ子! 俺っちも伝説だぞ!? 凄い能力があるんだぞ!? ただ......ちょっと覚えてないだけだい!」

 憐れみの目線に対して、剣が必死に反抗していた。

########################

 そして、その晩。
 足音がした。
 気のせいではない。
 私が宿でベッドに入って、しばらくしてのことである。

(サイトかしら? 床で寝るのが嫌になった? それとも......や、やっぱり私の魅力に、が、が、我慢できなくなっちゃった?)

 ......なんてことも一瞬考えたが、残念ながら、そんなラブコメ展開ではなく。
 音は部屋の外から聞こえる。複数の人間が出来る限り足音を忍ばせている、そういった音だ。
 私は身を起こした。サイトも体を起こしている。うん、さすが傭兵やってただけのことはある。
 私たちは、静かに動いた。
 しばらくして、足音は私の部屋の前でピタリと止まった。

 バン!

 ドアが蹴り開けられ、人影がいくつか、なだれ込んで来る。ベッドに誰もいないと知り、奴らは慌てた。

「......どこだ!?」

 ここよ、と返事をする代わりに。
 爆発魔法をお見舞いした。

「ぎゃっ!?」

「そこか!」

 私たち二人は、ドアの横に立っていた。
 二人してバッと飛び出し、爆発魔法をもう一発。そしてバタンとドアを閉める。

 ゴウン!

 かなり派手な音がした。密閉した室内で、大爆発だ。

「てめえら! ......ぅげっ!?」

 廊下にも刺客が一人いたが、サイトが斬り捨てた。

「何、今の音!?」

 これは斬り捨てちゃいけない。隣の部屋から出てきたキュルケだ。

「刺客よ!」

「やったの?」

「何人か!」

 私は正直に答えた。フルに詠唱したエクスプロージョンならば全滅だろうけど、今回は、ほぼ無詠唱。一発目は声を出して居場所を知られたくなかったし、二発目は時間もなかったから。
 案の定。
 扉が再び開いて、焦げ臭い匂いと共に、生き残りが出てきやがった。

「俺にまかせろ!」

 使い魔サイトが斬りつける。あっというまに一人が倒れる。
 よく見れば、敵は人間とオーク鬼の混成集団。杖を持つ者はいないようだが......。

「気をつけなさい、サイト!」

 昼間のような広々とした戦場ではない。ガンダールヴ自慢のスピードも、あの時ほどは活かせないだろう。
 私も、ここでは竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)のような大技は使えない。あれでは、宿屋ごと宿泊客ごと吹き飛ばしてしまう。
 キュルケもサラマンダーも系統は『火』、彼女たちが本気でやっても、宿屋は炎上する。
 そんなわけで、私たちは牽制程度。ここはサイトがメイン。だが。

「なかなかやるな、小僧」

 頭の禿げ上がった中年男が、サイトの斬撃を自分の剣で受け止めていた。

「おっさんこそ!」

「なーに、年の功ってやつさ」

 二人が同時に飛び退いた。
 と、その時。

 チリーン......。

 不思議な鈴の音が鳴り響いた。

########################

 まずい、意識が朦朧とする!
 私はガシッとサイトにつかまると、反対の手で、彼のほっぺたをギュッとつねった。

「痛っ!? 何すんだ、おまえ!」

「いいから! あんたも私に同じことしなさい!」

「え? ......おまえ、そういうシュミあったの?」

「違うけど! あとで説明するから、早く!」

 私の切迫ぶりに、サイトも思うところあったのか。
 私の頬に手を伸ばして、ギュッとつねり上げる。
 いてええええ! でも私が命じたのよね、これ。
 二人でつねりっこするメイジと使い魔。はたから見れば間抜けな光景だが、見物人などいなかった。
 さっきまで戦っていた相手も、キュルケも。皆、夢遊病者のように、歩き出していた。キュルケは自分の部屋へ、襲撃者は階下へ。

(もう、いいわね......)

 しばらくしてから、私は手を放した。言わずとも伝わったようで、サイトもつねるのをやめた。
 鈴の音も止み、誰もいなくなっていた。いや、厳密には『誰も』ではない。廊下の端に、男が一人、立っていた。

「どちらに非があるのかは別として、真夜中に騒ぐのは他の客に迷惑だぞ」

 青みがかった髪と髭に彩られた顔は、まるで彫刻のよう。筋肉がたっぷりついた上背は、さながら古代の剣闘士のよう。見た感じは三十過ぎ程度だけど、こういう奴って若々しく見えるのが定番よね?

「ありがとうございます。助かりました。......あなたは?」

 礼を言いながらも、私は警戒を解かなかった。
 彼の手の中にある小さな鈴。あれが、たった今の不思議な現象の原因。おそらく心を操るマジックアイテムだ。そんな鈴があるなんて、具体的には聞いたことないけど、何せ世の中は広い。私の知らないお宝で溢れているはずだった。

「いや、ただの同宿の客だ。不審な連中......こいつらが足音を忍ばせて歩いているのを見て、つい首を突っ込んでしまったが......」

 ここで男は、満面の笑みを浮かべた。

「......君は、この『鈴』に対抗するほどのメイジだ。私などの出る幕ではなかったかな?」

「いえいえ、とっさの対処が偶然うまくいっただけで。......で、その鈴は何です?」

 欲しい。とっても欲しい。まあ無理だろうけど、せめて少しでも情報を。どこで手に入れたのか、それくらいは......。

「ああ、たいしたもんじゃないよ。ほんの手慰みで、試しに作ってみたシロモノだ」

「え!? 作った......!?」

 驚きのあまり聞き返してしまったが、男は聞いていなかった。一人でブツブツつぶやいている。

「そこそこの自信作ではあったんだが......初見であんな対応されるようじゃ、やっぱり捨てた方がいいか......」

 それを捨てるなんて、とんでもない!
 捨てるくらいなら、私にくれ!
 そう言いたいところだが、ここは慎重に。
 私は、もう一度、男をジッと眺めた。どこかで見たような顔なんだよなあ? そして、こんな魔道具を作製する能力......。

「あ!」

「......ん? なんだい?」

 今度は男も、私の叫びに反応する。

「あなたは......もしかして『無能王』ジョゼフ様ですか!?」

 男の表情が、肯定の言葉だった。

########################

 ガリア王国の当代の王ジョゼフは、幼少時から魔法の才能に乏しく、父母や臣下から軽んじられていたという。
 それは即位してからも変わらず、役人や議会からは「内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を誤る」と言われる始末。邪魔者あつかいされた彼は、諸国漫遊の旅に出た。
 しかし、この辺りから彼の評判が一変する。
 いつのまにか彼は、魔法が苦手な代わりに、別の才能を身に付けていたらしい。
 誰も使えないマジックアイテムを使いこなしたり、新しいマジックアイテムや魔法薬を開発したり、それで人々を助けて回ったり......。
 おしのびで旅する、庶民の味方となったのだ。
 そうなると「魔法が使えない」というのも、平民からは親近感を持たれる理由となった。そんなわけで人々は彼を『無能王』ジョゼフと呼ぶ。彼に関しては、『無能王』という単語は、親しみをこめた言葉なのである。

「私を知っているというのであれば、話は早い。実は......」

 その有名なジョゼフ王が、私に何か秘密を明かそうとしていた。

「この騒動......まんざら私にも無関係とは言えなくてね。見たところ、タバサの手の者のようだから......」

「タバサを知っているのですか?」

 王様に対して、本来、こんな口の利き方をすべきではない。
 だが、自国の貴族からは半ば追い出され、平民の間で受け入れられたジョゼフ王である。かしこまった態度は好きではないというのも、有名な話であった。

「もちろん、知っている」

 ジョゼフ王は頷いた。

「彼女は私の敵だ。魔王シャブラニグドゥを復活させようとしている少女だからね」

 さあ、とんでもないことになってきた。
 安宿の廊下で立ち話する内容ではない。
 チラッと隣を見ると、サイトはポカンとしていた。

「残念ながら......相棒は、話から完全に脱落してるぜ?」

「わかってる。あとで説明したげる」

 剣のフォローに冷たく返してから、私は、再びジョゼフ王に。

「本当なんですか?」

「間違いない。タバサは、人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ......」

 へえ。あの子、普通の人間じゃなかったのか。人形とか氷とか、だからあんなに無表情なのかな?

「......魔王を復活させることで、より強大な力を手に入れて、亜人たちだけの世界を作ろうとしているらしい」

「バカなことを......」

 正直、この世界における『亜人』の扱いというものは、よいものではない。貴族も平民も同じ人間だと言える者が少ないように、人間も亜人も同じ生き物だと思う者は少ないのだ。
 だからタバサが亜人の一種であるならば、人間に対して反抗心を持つのも、わからんではない。しかし......『亜人たちだけの世界』というのは、さすがに行き過ぎである。

「......察するに君は、魔王を解き放つ『鍵』を偶然手に入れてしまい、それでタバサに狙われているのだろう?」

「まあ、そんなところです」

「ならば、私が『鍵』を預かろう。そうすれば、もうこれ以上......」

「それはできません!」

 私は強く叫んでしまった。自分でも不思議なくらいに。
 せっかくのお宝を他人に渡したくない。それが気持ちのメインだ。だが、それだけじゃない。ちょっと考えて、それなりの理由があることに気づいた。

「王様の話から考えて、タバサは、生きとし生けるもの全ての共通の敵。私たちも戦いましょう。......ならばこそ、私たちが『鍵』を持ち続けたほうがよいのです」

 この男が世間の噂通りのジョゼフ王であるならば、私の考えを全て説明する必要もないはず。小出しにしてみたら、案の定、わかったような顔をしてくれた。

「......囮になるつもりか」

「はい。王様と私たちが手を組んだと知られないためにも、現状維持が得策かと」

「しかし......危険だぞ?」

「大丈夫です。私も、そこそこ名の通ったメイジですから」

 自信ありげな私の言葉に、ジョゼフ王が目を細める。

「失礼だが......君の名は?」

「申し遅れました。私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。メイジ仲間の間では、『ゼロ』のルイズと呼ばれております」

「ほう! 君が、あの『ゼロ』の......」

 満足げに頷いたジョゼフ王は、私の部屋の方へ歩いていく。
 え? 私の部屋に泊まるつもり? 私そんな気ないんですけど!?
 ちょっと焦ったが、そうではなかった。懐から小さな玉のようなものを取り出し、部屋の中に放り込んで扉を閉める。シューッという音が聞こえてきた。これも何かのマジックアイテムらしい。

「では、私は自分の部屋に戻るとしよう。『ゼロ』殿が囮になってくれるというのであれば、私は、陰から援護するまでのこと......」

 言うと、そのままスタスタ歩み去っていく。
 すると早速、サイトが話しかけてきた。

「なあ、ルイズ」

「何よ? 説明なら、部屋に戻ってから......」

「そうじゃなくて、その部屋のことなんだけど」

 サイトは部屋を覗き込んでいた。私も視線をそちらに向けて......。
 げっ!
 絶句した。部屋の中は、まっさらな状態に戻っていたのだ。襲撃前の状態に。
 私の爆発魔法の跡もなければ、それでやられた死体すら消えている。
 さすが、ジョゼフ王の魔道具。信じられない凄さであった。

########################

 部屋に戻った私とサイトは、二人でベッドへ。といっても、艶っぽい話ではない。

「じゃ、約束だから説明してあげる」

「ああ、頼む」

 安宿の小部屋では、話し合うテーブルもなかったのだ。床に座り込むよりはマシと思って、向かい合ってベッドの上に腰を下ろしたのである。

「まずは、ほっぺたつねったことだけど......」

「あ、それは何となくわかった。催眠術か何かなんだろ、あれ? 魔法とは違うけど、俺の世界にも、そういう技術がある。嘘か本当か怪しいテクニックだけど」

 正しく理解されたかどうかは不明だが、私のシュミではないと判ってもらえたら、それでいい。

「じゃ、次は『無能王』ね。ジョゼフ王は......」

 と、ジョゼフ王に関しても説明。
 さあ、いよいよ次が、メインの話題である。

「そして、魔王シャブラニグドゥ。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』とも呼ばれてるんだけど......」

 ここで私は、チラッとボロ剣を見た。

「なんだい、娘っ子?」

「あんた......もしかして数千年前の戦い、参加してるんじゃない?」

「ああ、あれか......」

 来た来た!
 こうしてサイトに説明することになれば、この剣からも話が聞けると思ったのだが、やっぱり!
 どこまで信じられるかわからないボケた剣だが、それでも伝説の生き証人であるなら、一応の話は聞いておきたかった。
 が。

「......うん、思い出せねえ」

 うわっ、この役立たず!

「はあ。......まあ、いいわ。途中で何か思い出したら、フォローして」

 少し落胆しながら、私は語り始めた。

########################

 この世の中には、私たちが住む世界とは別に、いくつもの世界が存在していると言われている。それらの世界は、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られているという。そして、どの世界でも『神』と『魔』が争いを続けている......。
 ハルケギニアでは、数千年前に一つの決着がついた。始祖ブリミルが、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに勝利したのだ。

「それって......神様が悪魔を滅ぼしたってこと?」

 違うわ、サイト。
 シャブラニグドゥは始祖ブリミルの軍門に下り、彼に使役されることになったの。
 一部では「魔王がブリミルの使い魔になった」と誤解しているけれど、始祖ブリミルの使い魔が人間だったことは、デルフリンガーの話のとおり。
 そして、これも誤解している人がいるようだが「始祖ブリミルが死ぬ際、魔王も一緒に滅んだ」というわけではない。もし滅亡したのであれば、魔王の力を借りた呪文など消え去ったはずなのに、私のように使える者もいるのだから。

「じゃあ、結局、魔王はどうなったわけ?」

 私が信じている伝承では「始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印した」ということになっている。それによると、ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。人間の中で転生を繰り返すことで、魔王の『魔』が浄化され、魔王の『力』だけが残るという仕組み。
 ......まあ何とも都合のいい話だけれど、この分断転生説を裏付けるような事件が千年前に発生した。魔王シャブラニグドゥが復活したのだ!

「魔王復活!?」

 そう。
 ただし、トリステインとかガリアとかロマリアとか、そうした主要国家の近くではなく、遥か東方。
 始祖ブリミルがハルケギニアに初めて降り立ったとされる伝説の場所『聖地』で、魔王シャブラニグドゥは復活した。

「聖地で......魔王? 言葉だけ聞いていると、なんだか皮肉な感じがするんだが......」

 まあ、当然ね。
 しかも、皮肉なことがもう一つ。
 千年前の魔王降臨の際、魔王に立ち向かい、最終的に魔王を封印したのは、私たち人間ではない。
 私たちが忌み嫌う存在であるはずのエルフが、私たちのために頑張ってくれた。しかも、彼らエルフは魔王を大地に繋ぎ止めるため、その地に今も留まっている。
 そんな事情があって、『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』と呼ばれるようになった......。

########################

「......というわけで、私たち人間は、東へは行けなくなっちゃったの。もしかすると、はるか東方にこそ、未知の魔法の手がかりもあるかもしれないけど......さすがに私も、エルフや魔王のところに乗り込んでケンカ売る気はなくて......」

 正直に言ってしまった。
 サイト、怒るかなあ? 失望するかなあ?
 ......と少し心配したのだが。

「むにゃ〜〜」

「サイト......あんたって人は......」

 いつのまにか寝てますよ、この男は。
 しかも、私と向かい合ったまま、前のめりに倒れ込む形で。つまり、私の太腿の上に倒れ込んで。
 ......あれ? これって......い、いつのまにか、わ、わ、私、サイトに膝枕してるってこと!?

「なんでえ、今頃気づいたのか、娘っ子?」

 のほほんとつぶやくボロ剣。
 あんたは剣だから判らないんでしょうけど、乙女の膝枕というのは......。

「ん〜〜むにゃむにゃ〜〜。ルイズ......」

 ......ま、いっか。
 やたら幸せそうに眠るサイトを見ていたら、ボロ剣への怒りもスーッと消えてしまった。
 これも、今日一日がんばった使い魔への御褒美ということで、許すとするか。別に私、ヘンなことされてるわけじゃないんだし......。

「混沌の海......大いなる意志......」

 あら。私から教わった話を、寝言で復習ね。ちょっと可愛いかも。
 ......なんて思っていたら。
 こいつ、手が動いてやがりますよ!? しかも......。

「混沌の......大いなる......。広くて......平らな......大きな世界......。平らな......平らな......とっても平らな......。どこまでも平らな......まるで洗濯板......」

 アンタどこ触ってんのよッ!!

「こ、こ、このバカ犬ゥゥゥッ!!」

 お仕置きエクスプロージョンが炸裂したことは、言うまでもない。


(第三章へつづく)

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第一部「メイジと使い魔たち」(第三章)

 朝。
 食堂に現れた私を見て、キュルケは目を丸くした。

「ねえ、ルイズ。あなた、何を引きずっているの?」

「使い魔よ」

 なかなかサイトが起きないから、親切な御主人様である私は、食堂まで連れてきてあげたのだ。あくまでも『連れてきてあげた』であって、『引きずってきた』ではない。

「よく見ると、そうね」

 キュルケは、頷いて言った。
 私も、あらめてサイトを見る。大きく腫れ上がった顔とこびりついた血で判りにくいが、どう見てもサイトだ。一応、寝る前に薬は塗ってあげたし、今も息はしている。

「何したの、彼?」

「私の胸を触ったのよ」

「まあ!?」

 キュルケは驚きながらも、顔をニンマリとさせた。

「ルイズ、あなたも女になったのね! 二晩目で結ばれたわけか......。で、いきなり、こんなハードなプレイってこと?」

「下品な冗談いわないで。キュルケ......あんたも、こうなりたい?」

 私が真顔で返すと、一瞬でキュルケの顔から笑みが消える。彼女は、首を左右にブルブル振っていた。

########################

「それじゃキュルケ、昨日のこと覚えていないの?」

 こもれ陽のなかを走る街道を、肩を並べて歩きながら私は言った。
 数日前から同じような森の中ばかりを歩いている。いいかげん、この木ばかりしか見えない風景にも飽きてきたが、まあ仕方あるまい。
 トリステイン魔法学院へ行くと決めてしまったのだから。
 全寮制の学校にはよくある話で、トリステイン魔法学院は、辺鄙な大自然の中にあるらしい。よって魔法学院までは、これと似たような風景が連なっているわけである。

「ん......」

 キュルケは、しばし考え込む。
 ちなみに、フレイムはキュルケの後ろをノッシノッシとついてきているし、サイトもトボトボと最後尾を歩いている。さすがに昨晩はやりすぎたと私が反省し心配した頃に、ちゃんと彼は復活したのだ。

「やっぱり覚えてないわ。騒がしくて廊下に出て、鈴の音が聞こえてきて......。記憶はそこまでね」

 ということは。
 あの鈴は、他人を操るだけでなく、その間の記憶も残さないわけか。
 なかなか恐いアイテムだ。変態さんの手に渡ったら、私のような美少女は何をされることやら。

「......で、気づいたら朝だったのよ。普通にベッドに寝てたから、あれって夢だったのかしら......って思ったくらいだわ」

 話を締めくくったキュルケは、好奇心に満ちた目を私に向ける。

「結局、あの後、どうなったのよ?」

「いいわ、教えてあげる。実はね......」

 一応はキュルケも仲間だ。『無能王』ジョゼフが出てきたことや、ジョゼフ王から聞いた話を、ちゃんと伝えた。
 聞き終わったキュルケは、口をあんぐりと開ける。

「ルイズ......。あなた、とんでもない話に巻き込まれたわね」

「そうね」

 アッサリ返した私の顔を、キュルケは覗き込んだ。

「もしかして、ルイズ。ジョゼフ王の話......信じてないの?」

 鋭いことを言う。
 まあ、キュルケならそれくらい判るかな、って思っていただけに、私も驚かない。

「......外見もマジックアイテムも、たしかにジョゼフ王っぽかったわ。でも、ジョゼフ王って、おしのびで旅してるお偉いさんでしょ? 名を騙るニセモノが出てきても不思議ではない」

「そのタバサって子? その子の仲間かもしれない......って考えてるのね?」

「そういうこと」

 あくまでも可能性の一つである。

「そうね。何であれ、警戒するに越したことないわね」

 まるで私の心を読んだかのように、キュルケがつぶやいた。
 私もキュルケも、世間知らずの貴族ではない。旅をしている学生メイジだ。初めて会った人間の言うことをホイホイ信じるほど、愚かではなかった。
 ここで私は、チラッと後ろを見る。眠そうな顔でサイトが歩いている。
 サイトの話は、なんだか、最初から受け入れてしまったが......。これも運命ってやつ? もちろん、男と女の、ではなく、メイジと使い魔の、である。
 ......と、ちょっとバカなことを考えていたら。
 
「ねえ、ルイズ。 あれって......」

 キュルケが立ち止まり、私も足を止めた。
 向かって右側は、生い茂る森の木々。左側は、ちょっとした広場のようになっている。
 まっすぐ伸びる街道の真ん中に、一人の少女が立っていた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。手にした杖は、身の丈より大きな、ごっついタイプ。

「今日は白ずくめじゃねえんだな」

 いつのまにか私の横まで来ていたサイトが呟いた。さっきまでの顔とはまるで違う、剣士の顔だ。こうして見ると、結構りりしいのね、サイトって。

「キュルケは初対面ね。あの子が......タバサよ」

 私の言葉が合図だったかのように、タバサも口を開いた。

「......例のものを渡して」

「嫌だと言うなら力ずく......ってこと?」

 タバサが頷く。
 私の隣でキュルケがハアと溜め息をつく。

「あたしたちの実力は、昨日のでわかってるだろうに......。一人でやってきて、ずいぶんな自信ね」

「一人ではないぞ」

 キュルケへの返事は、別のところから飛んできた。
 後ろだ。
 声の方に目をやった。
 いたのは禿頭の中年。昨晩の宿屋襲撃で、サイトと斬り結んだ男である。今日は剣ではなく、杖を手にしている。こいつメイジだったのか。

「要はこの女から神像をいただけば、それで終わりだろ、タバサよ」

「ミスコール男爵!」

 タバサの叱責が飛ぶ。
 男爵は一瞬、ポカンとした顔をする。

「......そういや、こいつらにはまだモノが何か言ってなかったか。......まあしかし、どちらにしても同じこと。こいつらは、ここで死ぬのだから」

「勝手なことを言ってくれるわね」

 私はズイッと一歩前に出る。キュルケも続いた。

「そうよ? あたしたちを相手に、たった二人で......」

「二人ではない」

 また別の声だ。キュルケが何か言う度に敵が増えてる気がする。
 タバサの横手から出てきたのは、これも禿頭の大男。杖を手にしているので、こいつもメイジ。

「ミスコール男爵の手には余ると聞いたのでな。このピエール・フラマンジュ・ド・ソワッソンがお相手つかまる!」

「......渡して」

 無表情のタバサが、再度要求する。やる気満々の男たちとは対照的に、命まではとらないよ、というつもりらしい。
 しかし私たちとて、おとなしく降参するようなタマじゃない。
 私が何も言わずとも。

「どうでもいいさ、いくぜ!」

 魔剣を手に、サイトが駆け出していた。
 しかし同時に、サッとタバサが杖を振る。
 いつのまに呪文詠唱していた!?
 驚く間もなく、飛んできた氷の槍を回避する私たち。それぞれ素早くその場を飛び退き、さらに私は、無詠唱のエクスプロージョンで迎撃。
 爆発が煙を生み、氷は水蒸気と化す。辺りはもうもうとして、視界が遮られた。
 まずい、離れ離れになった!?
 煙の向こうで、刃を交える音が聞こえる。サイトが誰かと戦っているのだ。敵に剣を手にした者はいなかったはずだが、『ブレイド』――杖に魔力を絡ませて刃とする魔法――を使ったのだろう。

「サイト! キュルケ!」

 叫んだそのとたん。
 目の前に青白い塊が。またも『氷の槍(ジャベリン)』だ。

「とっ!?」

 あわてて飛びすさる。
 徐々に薄れゆく煙の中、ゆっくりとそいつは姿を現した。

「あなたの腕......試させてもらう」

「......タバサ!」

 彼女が手にした杖には、もう次の氷の槍が絡みついている。しかも大きい。彼女の魔力の大きさを象徴していた。

「いいわ! こっちこそ......あんたを試してあげる!」

 そう言いながら、身を翻す私。森へ駆け込んだのだ。
 広いところで戦うより、木々を盾にした方がいい。いくら巨大なジャベリンだって、何本も大木を貫通する間には、威力は弱まる。一方、私のエクスプロージョンなら、そんなもの関係なく、根こそぎ爆発だ。
 後ろで今ジャベリンが放たれる気配はなかった。私を追って森の中へ入ってくるようだ。
 ......と、そこまでは予定通り。が、私はまだタバサを甘く見ていたのだ。

「えっ!?」

 いきなり前方からの突風。私の足が止まる。
 誰かの魔法だろうが、方角から考えて、タバサや禿頭二人ではない!
 つまりタバサは、森の中に伏兵を潜ませていたのだ。

「......期待外れ」

 タバサに追いつかれた。
 次の瞬間、彼女の膝蹴りが私のみぞおちに食い込む。
 吹っ飛んだ私は、背中から木に叩き付けられた。

「あんた......魔法だけじゃなくて、戦術も体術も......やるわね......」

 苦悶をこらえて、私が顔を上げる。
 まずい!
 すぐ目の前にタバサがいた。そして......。

########################

 気がつくと、知らないところにいた。
 今は使われていない、古い屋敷か何かの一室のようだった。
 左の頭がズキズキする。
 殺されはしなかったが、安心してもいられない。私は両手を縛られ、天井から吊るされていたのだ。

「大ピンチ。捕まっちった。情けなや......」

 リズム良くつぶやいても、状況は良くならない。
 目の前には、タバサがいた。
 老僕もいる。たしか名前はペルスラン。
 二人の禿頭もいた。ミスコールとソワッソン......だっけ?

「ようやくお目覚めか」

 口を開いたのは、ミスコールだった。
 戦場ではないせいか、ずいぶん表情が緩んでいる。っていうか、ニタニタしている。なんだか気持ち悪い。
 続いて、タバサが問いかけてきた。

「......あれはどこ?」

「さあ? 何のことかしら?」

 とぼける私。禿頭二人が怪訝な顔をする。

「おいおい、どういうことだ?」

「彼女は『神像』を持っていない」

「何!?」

 タバサの言葉に、男たちが驚きを示した。

「きちんと調べたのか? 裸にひんむいて?」

「ミスコール男爵! 敵とはいえ、相手はレディであろう!?」

 仲間を叱責するソワッソン。なるほど、同じ禿頭メイジであっても、かなり性格は違うようだ。

「......そこまでしなくてもわかる。隠す場所ない」

 タバサが、あらためて私に視線を向けた。
 今の私は、いつもの格好からマントと杖を取り上げられた姿。宝にあった神像は一つだけ、あれは結構な大きさだったから、服の間に潜ませるのは無理だ。
 でも......。
 あんた、私の胸を見て言ってるでしょ? 挟む谷間もない、って意味で!? あんたにだけは言われたくなかったわ!
 敢えて口にはしなかったが、顔に出てしまったのか。ミスコールは、私とタバサの胸を見比べて、好色な笑いを浮かべていた。

「なあ、タバサ。なんだったら、俺が調べてやろうか?」

「ダメ。あなたは『調べる』だけじゃすまない」

「そんなこと言うなよ......」

 彼は私に近づき、ジロジロと視線を這わせた。
 それだけで、こっちは気分が悪くなってくる。

「こいつは敵だが......気品のある顔立ちをしておるぞ? このまま死なすのは勿体ない。それに......この素晴らしい胸!」

 え?
 何か聞き慣れない単語を耳にしたような気が......?

「そのぺったんこ具合が、俺の心をかき乱すのだ。......たまらん! 貧乳、たまらん!」

 ぎゃあああ! 変態だ! 変態がいる!
 私が騒ぐまでもなく、ミスコールはタバサの杖で頭を叩かれ、その場に失神。

「......ありがとう」

 しかし、タバサは首を左右に振った。

「神像を渡して」

 今度は私が首を振る番だ。
 どこに隠したのか、誰が持っているのか。話すつもりはなかった。
 少しの沈黙の後、タバサはつぶやく。

「ひと晩、時間をあげる。朝までに決めて」

 そして、私とミスコールを交互に見ながら。

「渡すか、渡されるか」

 そう言って、部屋から出ていった。老僕も後に続く。
 気絶しているミスコールを担ぎあげながら、ソワッソンが、私に憐れみの目を向ける。
 ちょっと意味が判らないので、彼に尋ねてみた。

「えーっと......あれって、どういう意味?」

「つまりな。我々にあなたが神像を『渡す』か、ミスコールにあなたが『渡される』か、その二者択一だ」

 彼も去っていく。

「ああ、そういう意味ね。......って、ええーっ!?」

 ようやく理解した私は、一人で絶叫していた。

########################

 やがて闇が落ちた。光源といえば唯一、窓から漏れる星明かりのみ。
 朝までに考えろ、とは言われたものの、私はうつらうつらとし始めていた。天井から吊り下げられたままで熟睡などできないが、昼間の疲れなどもたたっていたようだ。
 どれくらいたったか......。
 扉が音も立てずに開いた。誰かが部屋に入ってくる。
 瞬時に私は覚醒する。

「静かにして」

 囁くような声の持ち主はタバサだった。まだ朝ではないし、私の返答を聞きに来た、という感じでもない。
 暗くてわかりにくいが、色々と荷物を持っているようだ。
 タバサが杖を振る。風の魔法で縄を切られて、私はストンと床へ。

「杖とマント」

 手渡されたのは、確かに私のものである。

「......どうして?」

「事情が変わった。あなたを連れて逃げる」

 もともと無口な人形娘だ。それ以上の説明を求めても無駄だろう。
 私はタバサの後を、足音を忍ばせてついていく。
 どう考えてもワナっぽいが、それがどんな形のワナであれ、天井から吊るされたままよりマシだ。
 そして。
 さほどかからずに外に出た。
 黒くたたずむ森と朽ちた屋敷の建物を、月の光が照らしていた。

「......もう従う必要はない」

「え?」

 突然、タバサが説明を始めた。ここまで来て安心したのかと思ったが、彼女の表情は違う。むしろ、焦っていて、黙っていられないという感じだった。

「協力者が母さまを救出してくれた。エルフが警護から離れたから」

 何のことだ?
 ......というより、今なんと言った? エルフだって!?
 いくら天才美少女メイジの私でも、エルフにだけは喧嘩を売りたくない。千年前の降魔戦争では人間の味方だったとはいえ、基本的にエルフは人間の敵だ。かつて始祖ブリミルが最後に戦った相手も、エルフの軍勢だったと言われている。
 強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物。それがエルフ......。

「ちょっと!? エルフって、どういう......」

 聞き返した私だが、途中で言葉を呑み込んだ。
 タバサと二人で、同じ方向に目を向ける。

########################

 森の入り口に、青い闇がわだかまっていた。
 無能王ジョゼフ......私たちにそう名乗った男が、そこに立っている。

「どういうつもりだ? その『ゼロ』を逃すというのは......」

 タバサは何も答えない。

「これはれっきとした反逆行為だぞ? 母親の身が惜しくはないのか?」

 どうやら、私の疑いは正解だったようだ。いや、それ以上か。ジョゼフは、タバサの仲間どころか、むしろ彼こそが黒幕だった!

「ふむ。そんなわけないな。おまえにとって母親がどれほど大切か、私も知っているつもりだ。ならば......助け出したのか? カステルモールあたりが裏切ったか......?」

 タバサは相変わらず無言だが、ジョゼフは、それを肯定と受け取ったらしい。

「なるほど。それはそれで面白いな......」

 ニンマリと笑うジョゼフ。昨晩の宿屋でも見た笑顔だが......。
 そうか!
 この時、私は気づいた。なぜ私は、この男を信用できなかったのか。この笑顔は......嘘なのだ!
 確かに、この男は笑っている。面白がっているという態度だ。
 でも、違う。これは、上辺だけの表情。心の底では、何も感情が動いていないのではないか!?
 根拠はないけれど、私の直感が、そう告げていた。

「だが、母親の心はどうするのだ? 体は取り戻せても、心は取り戻せまい?」

「......私が何とかする」

 ようやく口を開くタバサ。それから彼女は私にかけよると、いきなり後ろから抱きしめた。

「何すんの!? 私そんなシュミないわよ!?」

「その娘を盾にでもするつもりか?」

「違う」

 私とジョゼフの言葉に、タバサは一言で答えた。
 同時に、私の体がフワリと浮く。
 ......おいっ!? まさか!?

「っわきゃーっ!」

 私はすっ飛んでいた。
 あろうことかタバサは私をジョゼフに向かって投げつけたのである!
 もちろん彼女の細腕だけで可能のはずがない。『フライ』か『レビテーション』か、魔法も加えているのだろう。それはともかく、ジョゼフはアッサリ私を避けた。

 ベチャッ!

 おかげで私は、森の木に正面から激突。
 痛い。
 が、私が文句を言うより早く、タバサが再び私を抱きかかえた。

「いつのまに!?」

 どうやら投げた私の後ろを追うように走り、ジョゼフの横を突っ切ったようだ。
 同時に、後方へ氷の槍をぶちかます。ジョゼフの追撃を回避するためだ。

「むちゃくちゃよ、あんた!?」

 私の苦情も無視。さらに数発の氷の槍を撒きちらしながら、タバサは闇の中を疾走した。

########################

「......なんとか振り切ったようね」

 私たちがやっと一息つけたのは、そろそろ夜も明けようかという頃になってのことだった。
 森の中にある河原だった。街道からは少し離れている上に、近くに小さな滝があり、少々大きな声で話をしても聞きつけられる心配はまずない。
 私もタバサも、適当な石を椅子代わりにしている。今のうちに少し寝ておきたいが、その前に事情を聞きたいという気持ちもあった。

「さっきの話だと......あんた、お母さんを人質にとられてたのね?」

 顔色一つ変えずに頷くタバサ。その無表情な顔を見て、ジョゼフの言葉を思い出した。

「あの男が言ってたけど......あんたが亜人だって本当?」

 タバサがこちらを見る。一応これが、不思議そうな顔なのだろうか。

「人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ、って......」

「そんなわけない」

 今度は言葉で返事がきた。さすがに、きちんと否定したかったのね。

「そっか。やっぱり嘘だったか......。じゃあ、あの男がジョゼフ王だっていうのも嘘?」

「それは本当。......あれは私の伯父」

 おやおや、聞いてもいないことまで教えてくれた。
 このタバサって子、ガリアの王族だったのか。言われてみれば、青い髪というのは珍しいし、ガリア王家の血筋の特徴だった。
 私が普通の者ならば、もっと恐縮するかもしれないが、私だって公爵家の三女。小さい頃から、偉い人にはたくさん会ってきた。例えばトリステインの姫さまは、私の幼馴染みだ。

「でも......あんた達みたいな王族が、なんで神像ひとつに執着してんの? どうせ魔王シャブラニグドゥを復活させる......って話も嘘なんでしょ」

「魔王? ......違う。あの神像の中には、『賢者の石』が入っている」

 賢者の石。
 先住の魔法と呼ばれる魔法の源となる物質。
 詩的な表現を好む者は、この世界を司る力の雫だ、と言う。
 現実的な表現を好む者は、すこぶる強大な魔力の塊だ、と言う。
 広い意味では、我々が普通に使う『風石』や『土石』なども『賢者の石』のはずだが、そんなありふれた物を『賢者の石』とは呼ばない。詳細も不明な伝説級のモノだけが、『賢者の石』として扱われていた。

「......で、そんな凄いもんで、何をするつもり?」

「心を取り戻す。......賢者の石が、魔法薬の材料になる」

 彼女の言葉で、さきほどの直感を思い出す。ガリア王ジョゼフは......心がカラッポなのだ。

「伯父王は、何事にも感動できない。だから色々と遊ぶ。もてあそぶ。......そして『心』に関する魔法薬も研究してきた」

 なるほど。ジョゼフが人々を魔法薬で救うのも、一種の実験台。あるいは、気まぐれ。平民を助けるのも面白いかも......くらいの考え。善意でも悪意でもないから、いつ反対の立場になってもおかしくはない。
 ......って思うと、なんだかジョゼフが、とても危険な男に思えてきたぞ!?

「あなたのお母さんも......ジョゼフに心をやられたの?」

 タバサは頷く。
 ジョゼフもタバサも、どちらも賢者の石を欲しがっているわけだ。

「......愛する弟を殺し、その妻を廃人にした。それでもジョゼフ王は心を動かされなかった」

 そうか、この子......父親も殺されたわけか。

「かたきうち......したいの?」

 タバサは肯定も否定もせず、私の目を見つめた。

「あなたの力が必要」

「......私?」

「あなたの噂は聞いたことある」

「『ゼロ』のルイズ」

 私が自分から言うと、タバサは頷いた。

「その『ゼロ』は......たぶん『虚無』という意味」

 そう来たか!
 ずいぶん事情通なことで。
 おそらく私が使う爆発魔法の噂を耳にして、そこから推測したんでしょうね。
 ......あれ? でも、それを虚無と結びつけるということは、身近にサンプルがある......?

「あなたは虚無の担い手。ジョゼフ王と同じ」

 あちゃあ......。
 私は頭を抱えてしまった。
 ジョゼフの『無能王』って、そういう意味だったのか!
 普通の四系統とは違うから、周囲からは魔法が使えないと思われる。かつての私と同じだ。
 自分とガリアの王様を重ね合わせて考えなかったから、気づかなかったけど。
 言われてみれば......子供でもわかる話!
 そして、彼が『虚無』のメイジだということは。彼の特殊能力も、本当は......。

「ねえ、タバサ。ジョゼフが凄い魔道具とか魔法薬とか、使ったり作ったりできるのも......?」

「魔道具は、使い魔の能力。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。......私も会ったことない。でも、いるのは確か」

 はあ、既に使い魔を召喚済みですか。私もサイトって使い魔がいるだけに、虚無の使い魔の実力は、実感しております。
 ......サイト、今頃どうしてるのかなあ? タバサ達に捕まってないってことは、ちゃんと逃げたんだろうけど。御主人様のピンチには駆けつけなさいよね、使い魔なんだから!
 と、心の中でサイトに怒っていたら。

「......魔法薬は違う」

 珍しく饒舌に、タバサが説明を続けていた。

「半分は、彼自身の研究。半分は、エルフの協力。......私の母さまの心を奪ったのも、エルフの魔法薬」

 ......ジョゼフに力を貸すエルフがいるわけか。
 何とも皮肉な話である。
 虚無のメイジということは、エルフから見れば、始祖ブリミルと同じ。仇敵の生まれ変わりのはず。
 まあ事情があるんだろうけど、そこまで私の知ったこっちゃない。聞けば聞くほど、スケールの大きすぎる話だ。 

「ねえ、タバサ。あんた......私がエルフに勝てると思ってんの? いくら何でも、買いかぶり過ぎよ?」

「これ」

 そう言ってタバサが荷物から取り出したのは、オルゴールと指輪だった。
 オルゴールは、古びてボロボロ。茶色くくすみ、ニスは完全にはげており、所々傷も見える。
 タバサは蓋を開いたが、私には何も聞こえなかった。

「何これ?」

「『始祖のオルゴール』。『クレアバイブル』とも呼ばれる」

「クレアバイブル!? これが!? クレアバイブルは『始祖の祈祷書』のはず......」

「クレアバイブルは一つじゃない。これも、その一つ」

 知らなかった。でも、このオルゴールがそんな伝説級のシロモノだとしたら、指輪の方も......?

「もしかして......これって『土のルビー』?」

 指輪には、鮮やかな茶色の石が嵌っている。始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの秘宝の一つだ。
 『火のルビー』以外は赤くないのに、それでも四つとも『ルビー』と呼ばれる不思議。世間では「始祖ブリミルの血から作られたから」ということになっているが、私は「かつて始祖ブリミルが倒した『赤眼の魔王(ルビーアイ)』と関係あるのでは?」と秘かに思っている。

「そう、土のルビー。虚無の担い手が指輪をはめれば、クレアバイブルは、虚無の魔法を教えてくれる」

 なんと!? そんな便利な仕組みがあったのか!?
 私は独学で、インチキかもしれない『写本』から魔法を習得したというのに......。
 まあ『写本』も『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』をもとにしているという話だから、本物ならば、それくらい当然なのかも。

「では、早速......」

 タバサから土のルビーを受け取り、私が指にはめた時。

「お前だったのか、それを盗んだのは......」

 私とタバサは、同時に振り返った。

########################

 男が一人立っていた。
 薄い茶色のローブを着た、長身で痩せた男だ。つばの広い、羽のついた異国風の帽子を被っている。帽子の隙間から、金色の髪の毛が腰まで垂れていた。

「あの男に、その二つを取り返してこいと言われてな」

 ガラスで出来た鐘のような、高く澄んだ声だった。
 男の言葉に意識を向けていた私に、タバサがポツリと言う。

「......逃げて」

 タバサが呪文を唱え始める。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース......」

 これはトライアングルスペル『氷嵐(アイス・ストーム)』だ!
 私は一目散に駆け出した。近くにいたら私まで巻き込まれてしまう。
 タバサの周りの空気が、そして川や滝の水の一部が凍りついた。彼女の体の周囲を回転し、氷の嵐が完成する。

 ブゥオ、ブゥオ、ブルロォオオオオオッ!

 荒れ狂う嵐は、振り下ろされたタバサの杖に従い、男へと向かう。
 しかし彼は避けない。
 平然とつぶやく。

「お前も......ずいぶんと乱暴だな」

 そして男の体が氷嵐に包まれた......ように見えた瞬間。
 嵐がいきなり逆流し、タバサを襲った。

「イル・フラ・デラ......」

 タバサは『フライ』で飛んで避けようとしたが、駄目だった。河原の石が連なり、形を変えて、足首をガッチリつかんでいる!

「タバサ!」

 私は叫ぶことしか出来なかった。私の目の前で、彼女は氷嵐に呑み込まれた。

########################

 ボロボロになって転がったタバサに、男は近づいた。
 彼女の小さな体は傷だらけ。その首筋に男が手を当てる。とどめをさす......という雰囲気ではない。

「この者の身体を流れる水よ......」

 タバサを助けているのだ。ありえない速度で、みるみる傷がふさがっていく。
 そして男は、私に視線を向けた。

「命を奪う必要はない。......我が命じられたのは、ただ二つの宝を取り返すことのみ」

 さきほどの防御魔法も、この回復魔法も。
 あからかに、普通の魔法とは違う。しかし『虚無』でもない。虚無の担い手である私には、それがわかった。
 ならば、これは......。

「先住魔法......」

 私の呟きに対して、男は不思議そうな顔をする。

「どうしてお前たち蛮人は、そのような無粋な呼び方をするのだ?」

 それから、少し納得したように。

「ああ、私を蛮人と誤解していたのか。失礼した、お前たち蛮人は初対面の場合、帽子を脱ぐのが作法だったな」

 男の帽子が取り去られる。

「私は、ネフテスのビダーシャルだ。出会いに感謝を」

 金色の髪から......長い尖った耳が突き出ている。

「エルフ......!」

 口に出すと同時に、私は理解した。
 こいつが、タバサの言っていたエルフ。彼女の母親を警護していたエルフ。
 彼女がジョゼフの宝を盗み出したのは、私に使わせるため。同時に、母親のそばからエルフを離れさせ、母親奪還を容易にするため。
 一石二鳥の作戦。さすがタバサ。
 でも......そのタバサも、やられてしまった。意識を失って、倒れたままだ。
 エルフ、おそるべし!

「力の差は、お前も見たとおりだ。我は戦いを好まぬ。おとなしく返して欲しい」

 ビダーシャルは、私の手をジッと見つめていた。正確には、その指にはめた『土のルビー』と、手の中の『始祖のオルゴール』だ。

「だ、だめよ。これは......渡せない」

 私は、ただ後ずさるだけだった。
 今は、こちらから魔法は撃てない。私は今......オルゴールの調べに耳を傾けているのだ!
 先ほどタバサに加勢できなかった理由も、これである。
 この愚図なオルゴール......魔法一つ教えるのに、いったいどれだけ時間をかける気!?

「そうか。ならば......仕方ない」

 ビダーシャルは両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」

 河原の石が、彼の周りだけ浮き上がる。大きいのも小さいのも。
 で、私に向かって飛んでくる!
 ぎゃああ!? 逃げきれない!?
 その時。

 ボウッ!

 横から吹いてきた巨大な炎が、石つぶてを飲み込んだ。

「この魔法は......キュルケ!?」

 でも炎が足りない。数を減らした石の散弾は、なおも私へ。
 しかも、赤熱の石つぶてとなって。......状況悪化してないか、これ!?
 もうオルゴールなんて聞いてられない。こうなったら私のエクスプロージョンで叩き落とす......と思った時!

 ガキンッ!

 私の前に飛び込んだ人影が、全ての石弾を剣で弾き飛ばしていた。
 まるで伝説の主人公みたいなタイミングでやって来たのは......。

「わりい、少し遅れた」

「サイト! ほ、ほ、本当に......遅かったんだから! 御主人様は、ピンチだったのよ!? 今まで何やってたのよ、バカ犬!」

 私は、思わずそう叫んでいた。


(第四章へつづく)

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____
第一部「メイジと使い魔たち」(第四章)【第一部・完】

「ほう......仲間か......」

「『仲間』じゃない。俺はルイズの『使い魔』だ」

 ビダーシャルの問いに、サイトはキッパリと言った。

「使い魔......? 人間なのに......? そうか、おまえも『虚無』か。悪魔の末裔め......!」

 私とサイトを見比べながら、苦々しく呟くビダーシャル。
 この男にも、知られてるのね。『伝説』のありがたみがないけど、相手がエルフでは仕方ないか。

「それにしても......私の居場所、よくわかったわね?」

 私の前に立ちはだかり、守ってくれる大きな背中。それに向かって問いかけた。
 サイトが答えるより早く。

「......すごかったのよ。サイトったら、あなたが心配で、急に強くなっちゃって」

 横から現れたキュルケが、口を挟む。
 ええい、今は御主人様と使い魔の大事な再会タイム、あんたは邪魔よ!?

「何それ? 私に惚れてんの?」

「ちげーよ。ただ......俺は、お前の使い魔だからな」

 あら、やだ。
 ちょっと照れてるような声なんですけど。

「......だいたい鬱陶しいんだよ。右目と左目で別々のものが見えるんだぞ!? いきなり左目がお前の視界に変わって......」

 その言葉で理解した。視界の共有だ。
 使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられる。使い魔が見たものは、主人であるメイジにも見える場合があるのだ。
 今のサイトの話では普通とは逆のようだが、こいつは、そもそも普通の使い魔じゃないからね。

「......主人の危機になりゃあ見える。ガンダールヴだからな」

 補足する魔剣デルフリンガー。が、その姿を見て、私は驚いた。
 光り輝いているのだ。これでは......まるで伝説の『光の剣』じゃないの!?

「びっくりすんな、娘っ子。ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。そして相棒は娘っ子が心配で、心を震わせた。だから、俺っちも本来の姿を取り戻したんだぜ」

「ウダウダうるせーよ。とにかく......こいつがルイズを虐めたんだな!?」

「そうよ、サイト! あんなエルフ......やっつけちゃって!」

 私の声援で、サイトは走り出した。
 左手のルーンを輝かせながら、ビダーシャルの手前で跳躍。剣を振り下ろす。
 が。

 ブワッ!

 ビダーシャルの手前の空気がゆがんだ。
 ゴムの塊にでも斬りつけたかのように、剣が弾き飛ばされる。一緒に跳ね上げられた感じで、サイトは後ろに吹っ飛ぶ。私とエルフとの真ん中あたりに、サイトは転がった。

「悪魔の末裔といっても、しょせんは蛮人の戦士か。お前では我に勝てぬ。おとなしくオルゴールと指輪を渡せ」

 はいそうですかと従うわけがない。サイトは、すぐに体を起こした。

「なんだあいつ......。体の前に空気の壁があるみたいだ。どうなってんだ」

 サイトの言葉に、デルフリンガーが低い声で返す。

「ありゃあ『反射(カウンター)』だ。厄介でいやらしい魔法だぜ」

「かうんたあ?」

「あらゆる攻撃や魔法を跳ね返す、えげつねえ先住魔法さ。なんてえエルフだ、とんでもねえ『行使手』だぜ、あいつはよ......」

 ビダーシャルが両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は......」

 また石つぶてが来る!?
 でも、さっきとは状況が違う。たっぷりと時間は稼がせてもらった。
 オルゴールの授業が、ようやく終了したのだ!
 これが......今、必要な呪文なのね!?

「デルフ! 私、『解除(ディスペル)』を覚えたわ!」

 それだけで通じた。
 サイトが再び、ガンダールヴの速さで走り出す。
 デルフリンガーも叫ぶ。

「娘っ子! 俺に......」

「わかってる!」

 みなまで言わせずに、私は呪文の詠唱を始めた。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......」

 独特の古代ルーン語が、私の口から、次から次へと吐き出されていく。

「ギョーフー・ニィド・ナウシズ......」

「......なんだ、それは!?」

 エルフが驚きの顔をする。

「エイワズ・ヤラ......」

 ほうけた感じで彼が動きを止めている間に。

「ユル・エオ・イース!」

 私の呪文は完成した!
 杖をデルフリンガーに向けて振り下ろす。
 虚無魔法が魔剣にまとわりつき、刀身の光が青白く変わる。

「相棒! 今だ!」

「おう!」

 すでにサイトは、ビダーシャルの目前に迫っていた。
 デルフリンガーを振り上げ、振り下ろす。
 『反射(カウンター)』の目に見えぬ障壁とぶつかり合う。
 今度は弾き飛ばされなかった。私の『虚無』の力が、障壁を切り裂く!

「......これが世界を汚した悪魔の力か!」

 驚愕のエルフが後退する。大きく後ろへ飛び退いたが、その身もサイトに斬られて、ダラダラと血を流していた。
 追撃しようとするサイトを、一つの声が制止する。

「待って......」

 意識を取り戻したタバサだ。
 キュルケに肩を借りる形で、ヨロヨロと立ち上がっていた。

「殺しちゃダメ」

 と、サイトに言ってから、今度はエルフに。

「母さまを元に戻して。お願い。あなたなら出来るはず」

「だが......それは......」

 傷を手で押さえながら、言葉を絞り出すビダーシャル。
 その時。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 遠くから聞こえてきた声に、私はハッとする。
 この呪文詠唱は!?

「みんな、私の後ろに集まって!」

「相棒! 娘っこの言葉に従え!」

 そして。
 周囲一帯が大爆発した。

########################

 爆発の中心は、あのエルフのいたところだ。
 もはや全く姿が見えないが、立ちけむる煙のせいだけではあるまい。

「何よ、今の......?」

 私の後ろで、キュルケが震える声を上げた。彼女はタバサに肩を貸している。二人は無事だ。よく見たら、二人の後ろにはフレイム――キュルケの使い魔――もいた。
 サイトも間に合った。ガンダールヴの素早さで、ちゃんと私の背後に回ってくれた。

「あれが......本物の『爆発(エクスプロージョン)』よ」

 杖を振り下ろした姿勢のまま、私が答える。
 実は、あれでもフル詠唱ではない。呪文を聞いた私には、判っていた。が、そこまでキュルケに言う必要もないだろう。
 こちらも急いでエクスプロージョンを撃って相殺した。私たちを狙ったものではなかったから、小さなエクスプロージョンでもカウンターになった。それでも一歩遅ければ、爆発に巻き込まれていたかもしれない。
 エクスプロージョン対エクスプロージョン。
 虚無と虚無との激突。
 その結果が、この惨状だった。

「ふむ......」

 爆煙の中、一人の男が現れた。

「味方を殺せば......大切な手駒を失えば、少しは面白いかと考えたが......」

 煙が晴れるに連れて、その姿が明らかになる。後ろには、メイジを二人、従えていた。

「......つまらんものだな。悲しんだり、悔やんだり......何か感じさせてくれるかと思ったが、皆無ではないか」

 言い切った男が、周囲を見渡す。
 背後の二人は微妙な顔をしていた。次は自分かもしれない......と思いながら、それでも強大な力には逆らえないのだろうか。

「あら、いい男じゃないの。でも......もしかして、この男が?」

「そうよ、キュルケ。こいつが......」

 あらためて男を睨んで。
 私は、その名前を口にした。

「無能王ジョゼフ!」

########################

 ジョゼフは静かに、懐から鈴を取り出した。
 例のマジックアイテムだ!

「ほっぺたつねって! 早く!」

「え? ......痛ッ、何すんのルイズ!?」

 私はキュルケとサイトの頬を、サイトが私とタバサの頬をつねった。
 同時に、鈴の音が鳴り響く。

「間に合った......」

「安心するのは早いぜ、娘っ子」

 デルフリンガーに言われて、よく見れば。
 キュルケとタバサは、トロンとした目になっていた。ジョゼフ側の二人のメイジ――ミスコールとソワッソン――も同じだ。

「......どういうこと?」

「娘っ子は勘違いしてたんだな。この前こいつを免れたのは、ただ痛みのせい......ってわけじゃねえ」

「その剣の言うとおりだ」

 デルフリンガーの言葉を、ジョゼフが奪った。

「......虚無の担い手とその使い魔。だからこそ、私の鈴も利かなかったのだよ」

 鈴にやられた四人が歩き出した。その場でウロウロするだけだったが、キュルケはサイトに近づいていく。

「あんた!? 何を命じたの!?」

「どうやら、その褐色娘だけが知っていたようだな」

 まさか!?
 バッとサイトに目を向ける。
 私がジョゼフと真面目な言葉を交わす横で、彼は変な声を上げていた。

「おい、キュルケ!? やめろよ、こんな時に......。お、おい! そこは......」

 ズボンのポケットに手を突っ込まれ、身悶えるサイト。......あとでお仕置きね。
 と、一瞬私が冷静さを失った隙に、キュルケは神像を取り出して、ジョゼフの元へ。
 同時に、タバサが私の手から指輪とオルゴールを抜き去って、やはりジョゼフの元へ。

「しまった!?」

「ようやく戻ってきたな......」

 満足げにオルゴールを懐にしまいこみ、指輪をはめるジョゼフ。
 鈴の音が止み、ハッとした顔でキュルケとタバサがこちらへ駆け戻ってきた。

「え!? どうしたの!? 何があったの!?」

「......やられた」

 赤と青、対照的な二人。
 そして、私とサイト。
 その四人が見つめる中。

 パキン!

 神像はジョゼフの手で砕け散った。中から出てきたのは、一つの小さな黒い石......。

「おお......これが! これが私の『心』を蘇らせるのか!?」

「......どうするつもり?」

 静かに問いかけるタバサに対して、ジョゼフは行動で返した。
 石を持った右手を、口元に持っていく。そして、手の中のものを飲み下したのだ! 

「ええっ!?」

 驚く私たち。が、本当に驚くのは、ここからだった。

 ゴウッ!

 突然、強い風が吹きつけてきた。思わずマントで顔を覆う。
 気持ち悪い風だ。いや、これは風というより......物質的な力さえ伴った瘴気!?
 その瘴気の渦の中心で、一人ジョゼフが叫んでいた。

「シャルル、俺は人だ。人だから、人として涙を流したいのだ。だが誰を手にかけても、この胸は痛まぬのだ」

 私は見た。
 生まれて初めて。
 人が、全く異質なものに変わりゆく様を。
 ジョゼフは、その言葉とは裏腹に、人では無くなろうとしていたのだ。

「ああ、俺の心は空虚だ。からっぽのからっぽだ。愛しさも、喜びも、怒りも、哀しみも、憎しみすらない」

 彼の狂気を宿した瞳は、いつのまにか赤くなっていた。
 頬の肉もごそりともげ落ち、その下から白いものがのぞく。

「シャルル、ああシャルル。お前をこの手にかけた時から、俺の心は震えなくなったのだ。まるで油が切れ、錆びついた時計のようだった」

 ごそり。
 今度は額の肉。

「だが......それも、もう終わりだ。俺は今、変わる! ああ、こんな強い欲求を感じるのは久しぶりだ!」

 私は気づいた。彼の正体――心を失った男が心の代わりに宿していたもの――が何であったかを。

「さあ行こうシャルル、神を倒しに、民を殺しに、街を滅ぼしに、世界を潰しに。その時こそ......俺は満足できる!」

 今やジョゼフの顔は、目の部分に紅玉(ルビー)をはめこんだ、白い仮面と化していた。
 その全身を覆う服も、赤く硬質な何かに変わっていった。

「......まさか......」

 タバサのうめき声だ。
 彼女もまた、気がついたのだ。
 『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが、この地に降臨したことを......。

########################

 やがて、静寂があたりを支配した。

「選ばせてやろう。好きな道を」

 悠然と立つ、ジョゼフだったもの......ジョゼフ=シャブラニグドゥが口を開いた。

「このわしに再び生を与えてくれた、そのささやかな礼として。このわしに従うなら天寿を全うすることもできよう。......しかし、従うのが嫌ならば、わしが相手をしてやろう。エルフどもの地に封じられた『東の魔王』......もう一人のわしを解き放つ前に」

 とんでもねーことを言い出した。
 こいつは『聖地』――いや『シャイターン(悪魔)の門』と呼ぶべきか――まで行って、千年前に封印された魔王を再び世に放つつもりなのだ。
 一人でも大変なのに、二人もいたら世界は確実に破滅する。
 それに協力しろと言う。いやなら今ここで『魔王』と戦えと言う。

「なにをたわけたことをっ!」

 最初に答を返したのは、私たちではない。ジョゼフ側のメイジであったソワッソンだ。

「これ以上お前にはついていけぬ!」

「そうか......それがお前たちの選択か......」

 ジョゼフ=シャブラニグドゥが、後ろの二人をジロリと睨む。

「え? 違いますよ、私は! ソワッソンと一緒にしないでくださ......」

 ミスコールが否定するが、もう遅かった。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥが軽く手を振り、炎の塊が二人を飲み込んだ。

「......で、お前たちはどうするのだ?」

 と、魔王がこちらに振り返った時。
 巨大な竜巻が、私たちと魔王の間に飛び込んできた。

「お逃げください、お嬢さま!」

 ただの竜巻ではない、カッター・トルネードだ。『風』のスクウェア・スペル。
 その中心にいるのは、ペルスラン。主人の危機に駆けつけた、タバサの執事だった。
 この老僕もメイジだったのか!?
 なんでタバサが危険な仕事に執事を連れ歩いているのか、少し不思議だったが、彼も結構な実力者だったのね。今にして思えば、昨日の森の中の伏兵も彼だったのだろう。

「ペルスラン!」

 叫ぶタバサの足は、その場から動かなかった。
 私はサイトに目で合図する。彼はタバサを抱え上げた。対エルフ戦で弱った彼女に、抵抗する力はなかった。

「ペルスランーッ!」

 絶叫するタバサを連れて、私たち全員が走り出す。
 振り返ってはいけない。
 せっかく彼が時間を稼いでいるのだから。
 ただ風に乗って、老僕の最後の言葉だけが耳に届いた。

「このペルスラン......お嬢さまにお仕えできて幸せでしたぞ......」

########################

 ......小さく燃える炎を見ていた。
 サイトもキュルケも、ただ黙ってジッと焚き火を見つめている。ちなみに、焚き火を作ってくれたフレイムは、キュルケの椅子になっている。
 タバサは、涙こそ見せなかったものの、まるで泣き疲れたかのように眠っていた。

「みじめね......」
 
 キュルケがつぶやく。この女が弱音を吐くなど珍しいが、状況が状況だ。
 私も思う。私たちではジョゼフ=シャブラニグドゥには勝てない、と。だが今逃げたところで、そう遠くないうちに見つかることだろう。
 そうなれば......。

「戦う」

 ボソリとつぶやきながら、タバサが起き上がった。

「みんなのかたき」

「......そうね。あたしもそう思うわ」

 キュルケはタバサの隣に移動し、彼女の頭を胸にかき抱いた。豊かな胸のキュルケがそうすると、まるで母親が子供をあやすかのようである。

「自己紹介がまだだったわね。あたし、『微熱』のキュルケ」

「......『雪風』のタバサ」

 互いに二つ名を告げ合う二人の少女。
 黙って見ていた私の肩を、サイトがポンと叩いた。

「......で、俺たちはどうするの?」

「何よ? あんたも、ああやって私の胸に挟まれたいの?」

「ちげーよ! そういう意味じゃなくて......」

「わかってるわ、冗談よ」

 真面目に返すな、このバカ犬め。
 せめて「おまえは挟むほど胸がないだろ!?」くらいの冗談、言えんのか。
 ......まあ、私と同じで、今は元気ないんでしょうね。
 それ以上私に何も言えなくなったのか、サイトは今度は、タバサに声をかけた。

「なあ、タバサ。あの魔王が『シャルル』って呼んでたけど......あれ、お前のことだろ? お前......本当は男の子だったのか」

「違うでしょ!」

 蹴りでツッコミを入れる私。どう考えたら、そういう発想になるのだ!?

「だって......俺もルイズもキュルケもシャルルじゃないし、でもシャルルって男の名前だと思ったし......」

「それは父の名前」

 タバサが小さく言った。
 あの時ジョゼフ=シャブラニグドゥは遠い目をしていたから、まあそういうことなんでしょうね。

「タバサ、私が説明するわ。いい?」

 彼女はコクンと頷いた。無口な彼女よりも私の方が語り部には適しているし、サイトやキュルケには事情を伝えるべきと思ったのだろう。
 私は、サイト達と別れてからの出来事を、語り始めた......。

########################

「......というわけよ。わかった?」

 誰も何も答えない。

「......わかった?」

 もう一度言う。
 ようやく、キュルケが口を開いた。

「ルイズ......あなた......よくしゃべるわね......」

「そお?」

 全員が大きく頷いた。フレイムまで首を縦に振っている。

「ま、とにかく事情は理解できたわ。じゃ、今度は、あたしたちの番ね」

「......つっても、たいしてないけどな」

 キュルケとサイトの話によると、あれから二人は一緒に逃げ回っていたらしい。
 ジョゼフが差し向けた刺客たちと何度も戦いながら、私を探してくれたのだそうだ。どこだか判らず困っていた時、サイトの視界に変化が。

「そういえばさ、サイト。今はどう?」

「いや、今は普通だ」

 どうやら離れていて、さらに私がピンチの時だけみたいだ。
 それはともかく。
 途中でデルフリンガーの覚醒もあり、何とかなった......。

「デルフ......あんたやっぱり『光の剣』だったの?」

 今は普通の剣に見える魔剣に、私は尋ねてみる。

「ああ、少し思い出したぜ。そう呼ばれていたこともあったなあ......。あと、魔法を吸い込めるんだわ、俺」

「そうね。さっき見せてもらったわ」

 そして、あらためてサイトに。

「やっぱり......あんただけが頼りね」

「え? どういうこと?」

 あちゃあ。
 肝心の奴が、理解していない。

「つまり、あれと戦うのは、あくまでもあんたってことよ。私とタバサとキュルケとフレイムは、あなたのフォロー」

「......なんで? お前ら......すごいメイジなんだろ?」

「そう。でもレベルが違う」

 タバサが口を挟む。無口な彼女が説明役を買って出るくらい、サイトはクラゲ頭だった。

「......ペルスランが使った魔法。あれはスクウェア・スペル。私以上の力」

「ええっ!?」

 あれでも、軽い足止め程度にしかならなかったのだ。サイトも、ようやく状況が飲み込めてきたようだ。

「で、でもよぅ? キュルケから聞いたんだけど、ルイズには凄い大技があるって......」

 ああ、キュルケはサイトにそんな話もしたのか。じゃあ教えておこう。

「そうね。私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』は、確かにとんでもない魔法だわ。この世界にある憎悪、恐怖、敵意などの暗黒の意志......それらを統べる魔王シャブラニグドゥの力を借りて放つんだもの」

「おお! 聞いただけで凄そうじゃん! 魔王の力なんだろ!? だったら、あの魔王にも......」

 興奮するサイトだが、途中で言葉が止まった。気づいたらしい。

「なあ、ルイズ。もしかして......お前の言ってる『魔王』って、さっきの奴?」

「そう。つまり竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で奴を倒そうとするっていうのは、『お前を殺すのを手伝ってくれ』って言ってるのと同じことなのよ」

「......そうか。そりゃあナンセンスな話だな、うん」

 ここで、キュルケがタバサから離れて。

「ね? だからあたしたち、伝説の『ガンダールヴ』と伝説の『光の剣』だけが頼りなの!」

「わっ!? よせ、キュルケ!」

 私の使い魔に抱きつくキュルケ。
 口ではああ言ってるものの、大きな胸が当たって嬉しそうなサイト。
 二人で逃げている間に、何かあったんだろうか? ......いや、そんなことないだろうけど。でも、あとでお仕置きね。
 と、一瞬、その場の空気も緩んだのだが。

「そうか、ようやく決まったか」

 私たちは同時に目をやった。
 聞き覚えのある、その声の方向に。

########################

 いつのまにやってきたのか。
 いつからそこにいたのか。
 夜の木陰にわだかまる赤い闇......。

「わしとしても、ソワッソンだのペルスラン程度の相手や、ただ逃げるだけの相手を滅ぼしたところで、肩慣らしにもならんしな」

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥ。

「このわしの復活に立ち会ったのが不運と思って、トレーニングにつきあってもらおうか。長い間封じられていたせいか、どうもしっくりと来なくてな。......しかし安心するがいい、すぐに後から大勢行くことになる」

「......いいかげんにして」

 真っ先に反応したのは、タバサだった。
 杖を振りかぶると、その先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転した。彼女自身の青髪が、発生したタバサを中心とする竜巻によって激しくなびく。
 私たちを巻き込むのも厭わぬ勢いだ。

「ちょっと!?」

 急いで避難する私たち。
 この魔法は『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。トライアングル・スペルだが、今の彼女の魔力は怒りで膨れ上がっている。本人も気づかないまま、スクウェアにランクアップしたようだ。
 今まで発揮したことないであろうスピードと威力で、氷の矢が飛ぶ。
 しかし......。

「......この程度か。これでは『雪風』の二つ名が泣くぞ」

 魔王は平然としていた。
 その体に当たった瞬間、全ての氷の矢が、ジュッと蒸発していたのだ。

「では......わしが本物の『雪風』を見せてやろう!」

 言葉と同時に、彼を中心としたブリザードが発生する。
 魔王がパチンと指を鳴らすと、氷混じりの猛吹雪は、一斉にタバサへと向かう。
 大技を放った直後の彼女は、すぐには対処できない!

「タバサ!」

 キュルケがフレイムを連れて飛び込んだ。
 トライアングルメイジの魔法の炎とサラマンダーの野生の炎が、雪と氷を迎撃する。
 私も横から小さなエクスプロージョンをぶつけて、援護したが......。

「きゃあっ!?」

「キュルケ!」

 全てを叩き落とすことは出来なかった。
 熱で氷雪が水蒸気と化し、煙った視界の中。タバサとキュルケとフレイムがまとめて倒れているのが、目に入った。
 しかし、その水煙の反対側では。

「相棒!」

「おうさ!」

 魔剣を手にしたサイトが、斬り掛かっていた。

「滅びろ! 魔王!」

 サイトが吼えた。
 左手のルーンが光を増す。
 デルフリンガーの刀身が煌めく。
 そして......。

########################

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥは小さく笑った。

「デルフリンガー......いや、人間の間では『光の剣』の名の方が有名か? タルブの村のブドウ畑を一瞬にして焦土と化した魔鳥、ザナッファーを倒した剣......そう言われておるのだろう?」

 魔王は、輝く刃を素手で握りしめていた。

「......しかし、衰えたりとはいえこの魔王と、魔鳥風情とを一緒にするな。さすがに少し熱いが、まあ我慢できん程度ではない」

 とんでもない化け物である。

「おい、やめろ。気持ちわりーよ、離してくれよ......」

「くうっ! この野郎......」

 デルフリンガーとサイトが呻く。
 どうやら押そうが引こうが、びくともしないようである。

「ガンダールヴとデルフリンガーの組み合わせでも、こんなものか。なら......」

 面白くなさそうな声と同時に。
 魔王とサイトの間の土が盛り上がった。

「ぐわっ!」

 吹き飛ばされたサイトが、地面に叩きつけられる。

「サイト!?」

「大丈夫だ......」

 彼は即答する。が、どう見ても無事には見えない格好で地面に這いつくばっていた。
 駆け寄って助け起こしたかった。でも出来なかった。私とサイトのちょうど中間地点に、魔王が立っているのだ。

「安心しろ。すぐにはとどめは刺さん。......これも言わば準備運動なのでな」

 ふざけた話だ。
 ソワッソン達には『火』、タバサには『風』、そしてサイトには『土』。ならば私には『水』系統の攻撃が来るのか!?

「さて......お嬢ちゃんは、どんな技を披露してくれるのだ? お前も......わしの器となった男と同じ、虚無の担い手なのだろう?」

 ズイッと一歩、魔王が歩みを進める。
 その時。

「待て! まだ......俺が相手だ!」

 サイトが立ち上がる。

「ルイズ! 俺はお前の使い魔だ! 俺が時間を稼ぐ! だから......なんでもいいから、お前の一番でかい魔法をぶつけてやれ!」

「ほう? もう少し痛めつけてやらねばならんか......」

 クルリと背中を向け、再びサイトに相対する魔王。
 まずい!
 サイトの左手のルーンは、まだ強く光っている。しかし、いくらサイトがガンダールヴとはいえ、魔王と何度もやり合うのは無茶だ!
 今度は、私が彼を助ける番だ。彼が、あそこまで言ってくれたのだから......。

「......闇よりもなお暗きもの......夜よりもなお深きもの......混沌の海にたゆたいし......金色なりし闇の王......」

 私は呪文の詠唱を始めた。
 シャブラニグドゥが動揺の色を浮かべる。

「こ......小娘っ! 何故お前ごときが、あのおかたの存在を知っている!?」

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)と同じく、旅の途中で読んだ『写本』の知識から組み上げた呪文だ。
 あの時の『写本』の内容が正しければ。
 呪文を捧げる対象は、『闇の王(ロード・オブ・ナイトメア)』。魔王の中の魔王、天空より堕とされた『金色の魔王』だ。
 シャブラニグドゥと同等かそれ以上の能力を持つ別の魔王から借りる力!
 これならばダメージを与えられるはず!

「『四の四』も揃えずに......それを使えるのか!?」

 魔王が意味深な発言をしているが、気にしている場合ではない。
 私は構わず続ける。

「......我ここに汝に願う......我ここに汝に誓う......我が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」

 闇が産まれた。私のまわりに。
 夜の闇より深い闇。
 決して救われることのない、無妙の闇が。
 暴走しようとする呪力を、私は必死で抑え込む。

「ムダだ、小娘め......」

「魔王! 俺が相手だ!」

 人間の身で、魔王に対して剣を振りかざすサイト。
 私を守ろうと、魔王に立ち向かうサイト。
 私の......大切な使い魔。彼を見ていると、私の精神力も高まる!
 そして。
 全ての闇が、私の杖の先に収束した!

「なんと!?」

 魔王ですら驚く。
 これこそが本邦初公開、私の秘技中の秘技、重破爆(ギガ・エクスプロージョン)!
 こっそり試しに使ってみた時、私の生み出した闇は、ラグドリアンの湖畔に大きな入り江を作り出した。今でもなぜかその場所には、魚一匹寄りつかず、水ゴケさえも生えないと聞く。
 あの時はラグドリアン湖の『水の精霊』もカンカンに怒っていたし、あれ以来、もう『水の精霊』は人間に協力してくれないらしい。その力を借りて干拓事業をしていた貴族が失敗して没落したとか、その貴族の娘が貧乏に負けて家を飛び出したとか、その娘はトレジャーハンターになったとか......。そんな噂も耳にした。

「娘っ子!」

 私の『闇』を見て、デルフリンガーが叫んだ。
 そう、この呪文だけでは『赤眼の魔王』を倒すことは出来ない。人間と魔王、その器の差は歴然としているのだ。
 だから。

「デルフよ! 闇を食らいて刃となせ!」

「おうともよ!」

 魔王に向けて、ではなく。その先にいるサイトが持つデルフリンガーに向けて。
 私は杖を振り下ろした。
 今、光の剣が闇の剣に変わる!

「こざかしいっ!」

 魔王が錫杖を構えた。その口から、呪文の詠唱が聞こえる。
 まずい!
 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)の闇をデルフリンガーが完全に刃とするまで、いましばらくの時間が要る。
 サイトもそれを感じているからこそ、剣を振り上げたまま、動きを止めている。
 この状態で、魔王が杖や呪文まで使う本気の攻撃をしてきたら......。

「もうやめて!」

 声が響いた。
 タバサが上体を起こしていた。

「あなたは無能王ではない! 魔法は使えずとも、民を喜ばせた! あなただって、心のどこかで満足してたでしょ!? 父さまだって、あなたを羨ましく思って、泣いてたの!」

 かなり混乱しているようで、タバサらしくない口数の多さだった。
 自分が何を口走っているのかすら判ってはいないだろう。
 時系列も論理展開も狂った言葉の羅列。
 が......。
 呪文が止んだ。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥは静かに、地に倒れたタバサを見つめる。

「シャルルが......ジョゼフを羨ましく思って泣いた、だと?」

「そう! 私は見た! 一度だけ......たぶん父さまは見られたことに気づいてないけど......でも確かに......」

 シャブラニグドゥは、しばしの間をおいてから、彼女の言葉を嘲る。

「......愚かなことを。それがどうしたというのだ?」

 その瞬間。
 魔王の右手の指が光った。
 いや厳密には、指そのものではない。ジョゼフがシャブラニグドゥとなっても変わらなかった『土のルビー』。始祖の宝石が、光を発していた。
 タバサの言葉が引き金になったのか、あるいは、別の理由か。
 どちらでも構わなかった。
 ルビーの光を見て、私の心は、大きく震えていた。
 
「見つけたわ! これが最後のピース......勝利の鍵よ!」

 それだけで、サイトには判ったらしい。
 ようやく完成した『闇の剣』を振り下ろしながら、左手のルーンを強く光らせながら、彼は走り出した。
 同時に私は、ジョゼフ=シャブラニグドゥに向かって叫ぶ。

「無能王ジョゼフ!」

 敢えて、そう呼んだ。

「選びなさい! このままシャブラニグドゥに魂を食らい尽くされるか、あるいは自らのかたきをとるか!」

「おお......」

 歓喜の声と。

「ばかなっ......」

 焦りの声と。
 両方が、同時に彼の口を突いて出た。
 そこに。

「これで......終わりだ!」

 サイトが、闇の剣を一閃。
 そして......。

 ズヴァン!

 黒い火柱が天を衝いた。
 サイトは魔王の横を走り抜け、私の隣まで来て止まった。
 膝に手を置き、肩で息をしている。振り返るのも億劫なのか、私に聞いてきた。

「やったか?」

「あ......」

 私は小さく呻いた。
 火柱の中に、蠢くものの姿を認めたからだ。

########################

 やがてそれは静かにおさまった。

「く......」

 崩れ落ちる私を、サイトが支える。
 自分だって、いや自分の方こそ、疲れているくせに。
 
「く......くっ......くははははぁっ!」

 魔王の哄笑が昏い森に響いた。

########################

「いや......全くたいしたものだよ。このわしも、まさか人間風情にここまでの芸があるとは思わなんだ」

 ぴしり。
 小さな音がした。

「気に入った......気に入ったぞ、小娘。お前こそは真の天才の名を冠するにふさわしい存在だ」

 誉めてくれるのは嬉しいが、喜んでいる余裕はなかった。
 精神力も魔力も生体エネルギーも、もう空っぽだ。サイトにしがみつく力も、ほとんど残っていない。
 サイトも私を抱き支えるには力が足りず、結局、二人して地面にへたり込み、体を寄せ合うだけである。

「しかし......残念よの......これでもう二度とは会えぬ。いかにお前が稀代のメイジ......虚無の担い手と言えど、所詮は人間」

 ぴしり。
 またあの音だ。いったい、これは......。

「この後この世界がどう移ろうか、わしにも判らん。だが、お前の生あるうちに再び覚醒することは、まずあり得まいて......」

 ......え?
 この時、私とサイトは初めて気がついた。
 魔王シャブラニグドゥの体中に、無数の小さな亀裂が走っている!

「長い時の果てに復活し、もう一度戦ってみたいものだが......何にせよ、かなわぬ望み。ならば......お前自身に敬意を表し、おとなしく滅んでやろう......」

『......なあシャルル......俺もお前も......ちっぽけな一人の人間だったんだなあ......』

 二つの声が重なった。
 赤眼の魔王シャブラニグドゥと、そして、無能王ジョゼフとの。
 ぱきん。
 魔王の仮面の、頬の部分が割れ落ちた。
 それは大地に着く前に、風と砕けて宙に散る。

「面白かったぞ......『虚無』の娘......」

『......なあシャルル......俺たちは......世界で一番愚かな兄弟だったんだなあ......』

 ぴきん。

「本当に......」

『本当に......』

 ぱりっ。

「く......ふふっ......くふふっ......」

 ぴしっ。
 ぱりぱりっ。
 私とサイトはただ茫然と、笑いながら崩れ去っていく『赤眼の魔王』の姿を眺めていた。

########################

 持ち主を失った指輪が、ポトリと落ちる。
 それを拾いに行く力すら、今の私たちには残っていなかった。
 だから『土のルビー』は、塵となった魔王と共に、風に飛ばされていく。
 魔王の哄笑だけが、いつまでも風の中に残っていた......。

########################

「終わった......のか?」

 ポツリとサイトがつぶやいたのは、シャブラニグドゥの体が完全に消失して、かなり経ってからのことだった。

「......ええ」

 私はキッパリと言った。

「ジョゼフのおかげで、ね」

「ジョゼフの?」

 まあ、クラゲ頭には判らんでしょう。だから私が解説してあげるのだ。

「あれの中に、まだジョゼフの魂が残っていたのよ」

 長い年月をかけて内側から魔王に蝕まれて、人としての心を失っていたジョゼフ王。彼の『人としての心』は、魔王によって封じ込められていたのではないか?
 ならば、魔王が表に出てきて、ジョゼフの体をコントロールし始めた時点で、もうジョゼフの心を封じる必要もなくなった。だから魔王は、それを解放した。
 ある意味では、ジョゼフは、望みを叶えたわけだが......。

「......そうやって取り戻した良心が、自らを欺いた魔王に対する憎しみと手を組み、結果、私の闇を自ら受け入れた......。そんなところだと思うわ」

 ジョゼフの『心』の中で大きな変化が起きたのは、あの『土のルビー』が光った瞬間だったと思う。
 あれこそ神の奇跡なのか、あるいは、私たちの知らない助っ人がいたのか。
 今となっては、もう確かめる術もなかった。

「なるほどなあ。まあ、あのジョゼフって奴も王様だったんだし、民衆にも慕われていたわけだし......。根は悪い奴じゃなかったんだな」

 凄く大ざっぱにまとめるサイト。
 大ざっぱ過ぎる気もするが、私は同意した。

「そうね。極悪人だった......とは思いたくないわね。だって、始祖の魔法『虚無』に目ざめたってことは、あのジョゼフも、言わば始祖ブリミルの再来だったんだから」

「あら? ルイズ、それって......自分のことも持ち上げてない?」

 キュルケは、タバサと同じく、まだ地面に倒れたままだった。
 ちなみに私とサイトは、座り込んだ状態。だが私たちとて、互いに支え合っていないと倒れてしまいそうだ。
 そのサイトの腕に、少し力が入る。

「まあ、いいじゃねーか。ルイズだって頑張ったんだぜ」

 彼には判ったんじゃないかな、私の気持ちが。
 同じ『虚無』の自分もジョゼフみたいになるんじゃないか、という考えたくもない可能性。それに怯える私の心が......。

「ありがとう、サイト」

 彼が硬直したのが、伝わってきた。
 ちょっと何!? 私が素直に礼を言ったら、そんなに変!?
 そう思って彼の顔を見上げると......。
 彼の目が点になっていた。
 
「ル、ルイズ......その髪......」

 ああ、これか。

「大丈夫よ。ちょっと頑張りすぎただけ」

 私の綺麗なピンクブロンドは、銀色に染まっていた。
 生体エネルギーの使い過ぎによって引き起こされる現象である。
 まわりを見れば、キュルケとタバサも私を見て絶句していた。フレイムも絶句しているように見えるのは、さすがに気のせいかな?
 彼女らは気にせずに、私はサイトへの言葉を続ける。

「ちょうどいいじゃない。最初あんた、私の髪見て、気持ち悪いピンク色って言ったでしょ?」

「え? いや、あれは......ほら、最初だったから」

 どういう意味だ。
  
「でも、もう見慣れたからさ......」

 サイトの右手が、私の体から離れる。
 そして。

「今となっては......ピンクって綺麗だと思う。それに......ルイズにはピンクの髪が似合っていると思う」

 頬をかきながら、気恥ずかしそうに呟くサイト。
 何よ、それ!? 私まで恥ずかしくなるじゃない!
 しかも、外野からキュルケの追い打ちが。

「ねえ、あなたたち......いつまで抱き合ってるの?」

「ち、ち、違うわよ! キュルケの目は節穴なの!? 私、サイトに......自分の使い魔に、しがみついてるだけじゃない! しょうがないでしょ、手近にこれしかなかったんだから......」

 言いながら、私は、いっそうギュッと『しがみつく』。
 これ扱いのサイトは、文句も言わず、むしろ何だか照れていた。

「はいはい、そういうことにしておくわ」

 倒れたままで肩をすくめるキュルケ。ちょっと器用だ。
 そして。
 こんな私たちの状態を、タバサが一言でまとめていた。

「......平和になった」

########################

 数日の後。
 私たちはトリステイン魔法学院の目前まで来ていた。

「これで今夜は美味しいものが食べられて、ふかふかのベッドでゆっくり眠れるってもんね」

 辺鄙な田舎の学校とはいえ、貴族のための学校である。その点は、しっかりしているはずだった。
 私の髪は、もとのピンクブロンドには戻っていないものの、薄らと桃色がかっている。疲れも完全に回復していた。

「俺、こっちの世界で学校っぽいところに立ち入るの、初めてかも......」

「相棒は傭兵だったからな。貴族じゃねーや」

「気をつけなさいよ!? 使い魔のあんたが恥ずかしいことすると、主人である私が恥をかくんだからね!」

「......いい男、いるかしら?」

「キュルケ! あんたも、ほどほどにしなさいよ!?」

「あら、私はルイズに関係ないでしょ?」

「どうせ友人とか旅の連れとか思われるのよ! 無関係じゃないわ!」

 と、私たちが賑やかにやっていたら。

「......では、そろそろ私は退散する」

 唐突にタバサが言い出した。

「......え?」

 私とサイトとキュルケの声がハモる。

「私は行くところがある。だから......とりあえず、お別れ」

 いつものように淡々と、詳しくは語らない。
 だが、私もキュルケも、何となく判った。
 おそらく母親の様子を見に行くのだろう。
 そして、一人で旅をして、探しまわるのだろう。エルフの魔法薬に対抗する治療法を。母親の心を取り戻す方法を。

「そっか。......じゃ、あなたも頑張ってね」

 タバサは『とりあえず』と言ったのだ。どこかの旅の空で、また出会うかもしれない。
 彼女はコクンと頷き、キュルケに対しても、小さく頭を下げた。
 それから、サイトのもとへ歩み寄る。

「別れの挨拶?」

 不思議がるサイトの前で。
 彼女は片膝をつき、サイトの手を取り、その甲にキスをした。

「え?」

 慣れぬことをされ、固まるサイト。
 そんな彼を解きほぐすかのように、タバサが説明する。

「......かたきをうってくれた。魔王を倒した。あなたは『イーヴァルディの勇者』」

 それだけ言うと立ち上がり、彼女は去っていった。
 サイトは、その後ろ姿を茫然と見送っている。
 彼女の口にした『イーヴァルディの勇者』は、ハルケギニアで一番ポピュラーな英雄譚のタイトルだ。その主人公の名前でもある。
 サイトをそれに重ね合わせたということは......。

「タバサ、サイトに惚れたんじゃない?」

「馬鹿なこと言わないの」

 キュルケの言葉を、私は切って捨てた。

「あれは臣下の礼みたいなもんでしょ。どうやらタバサ......サイトの騎士になったつもりなのね」

 それなら、サイトの旅に同道すればいいのに。
 やはり、母親の方が大事ということか。
 あるいは......。

「......素直じゃないのね、あの子」

 そうつぶやいた私を、キュルケが呆れた目で見ていた。
 私、おかしなこと言ったかしら?

「ま、いいわ......。さ、行きましょ、サイト。ついでにキュルケ」

「あ、ああ。そうだな」

「ちょっと!? ついでって何よ!?」

 そして私たちは、門をくぐった。
 トリステイン魔法学院の門を......。


 第一部「メイジと使い魔たち」完

(第二部「トリステインの魔教師」へつづく)

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____
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」

 剣を、抜く。
 錆の浮いたボロボロの剣の刃は、陽光のまばゆさを減じて映し出す。
 なまくら、といっても過言ではないであろう。
 刃そのものは。
 少年の目は、刀身の根元の金具に、ただ、じっと注がれていた。
 様々な思いが、少年の脳裏に去来する。
 
(こいつの話は俺を混乱させる......)

 少年は発作的に、手にした剣を川に向かって振りかぶり......。

「......捨ててしまうのか? もったいないな」

 声は、すぐそばで聞こえた。

「......!?」

 反射的に視線を送る。振り向いた先には大きな岩があり、一人の男が座っていた。
 釣り糸を垂れているが、こんな浅い川に魚がいるのであろうか。
 妙な男だった。
 年の頃は五十過ぎ。白くなり始めたブロンドの髪と口髭を風に揺らし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。左眼にはガラスのモノクルがはまり、その奥には鋭い眼光。
 小川で釣りをするにしては、妙な格好だった。

「あの......貴族の人ですか?」

 少年の質問の仕方は、礼がなっていない。だが、それを叱責することなく、男は対応する。

「そうだ。きみは......剣士か?」

「......そんなところです」

 男から見れば、少年の服装こそ異様であった。青と白の、見たこともない服。

「ならば剣を捨ててはいかんだろう」

「はあ、そうなんですが......」

 恥ずかしそうに頭をかく少年。
 そんな彼の言葉を補足するかのように。  

「だいじょーぶさあ。相棒にゃあ、俺っちを捨てる度胸なんてねえ」

「ほう! インテリジェンスソードか!?」

 会話に参加してきたのは、少年の持つ剣。
 男の表情に浮かぶ好奇心を見て、少年が説明を始める。

「はい、実は......」

 少年の名前は才人(サイト)。異世界からハルケギニアに紛れこんでしまった人間だ。こちらで出会った魔剣デルフリンガーと共に、旅をしている......。

「この剣、時々おかしなこと言うんです。だから俺、混乱しちゃって、もう別れようって何度も思うんですけど......」

「まあ、相棒は元の世界に戻りたいからな。その手がかりを知っている俺っちを、手放すわけにはいかねえや」

「なるほど、面白い話だな。異世界から来たという話は信じがたいが......別れたくても別れられないというのは、まるで人間同士の関係だ」

「この剣が言うには......俺には出会うべき人がいて、その人が俺を元の世界へ戻せるんだとか......」

「ハッハッハ! 出会うべき人......か! 面白いことを言う剣だな? 確かに男の人生には、出会うべき女性が待っておるわ!」

 そんなコメントの後、男は、さらに。

「......で、その人物を捜す旅の途中で、道に迷ったか?」

「はい。よくおわかりで......。あ、ここって、よっぽど辺鄙な土地なんですか?」

 才人の言葉に、男は苦笑する。

「辺鄙とは失礼だな。この辺りは、わしの庭だぞ」

「ええっ!?」

 才人は驚いた。男の言葉から、ここは私有地だ、と解釈したのだ。慌てて、ペコペコ頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! 俺、全然知らなくて......」

「いや、そんなに恐縮することもない。庭と言っても、領地の端でな。わしも滅多に来たことがない。家族もここまでは来まい、と思って、こうしておるのだ」

「......は?」

「実はな、わしは家出中なのだよ。ちょっと......妻と喧嘩してしまってな」

 自分で口にした『妻』という言葉で、何か思い出したのだろう。
 男の顔が、だんだん青ざめていく。
 よほどの恐妻家らしかった。

########################

 数時間後。
 才人は、まだ森の中をさまよっていた。
 川辺で出会った貴族から、街道へ出るための道を教えてもらったのだが......。

「なあ、デルフ。......こっちであってるよな?」

「さあな。俺っちは剣だ、俺に聞くなよ」

「まだ......さっきの人の領地かな?」

「さあな。もう別の貴族の領地かもな」

「じゃ、また誰かに会うかな?」

「さあな。そりゃあ、いずれは誰かに会うだろうさ」

 剣と不毛な会話を繰り広げる才人。突然、その足が止まる。

「どうした、相棒?」

「おなかがへって......力が出ない......」

 その言葉を最後に、才人は倒れた。
 遠のく意識の中、犬の鳴き声が聞こえる気がした......。

########################

 気がつくと、才人は知らない室内にいた。
 豪華な調度品に溢れた、広い部屋。貴族の屋敷の一室のようだ。
 ふかふかのベッドに寝かされている。

「あら、目が覚めましたか?」

 声のほうに顔を向けると、笑顔の女性が座っていた。
 まず才人が驚いたのは、彼女の髪の色だ。ここは才人の世界とは違うと頭ではわかっているが、それにしても現実感がない色だった。
 ピンクなのである。ゲームやアニメや漫画の世界から抜け出してきたかのような、そんな幻想的な美しさだ。
 いや、髪の色だけではない。
 一見して確実に年上なのに、可愛らしい、という形容をしたくなる顔立ち。そして、適度に豊かな胸。腰がくびれたドレスを優雅に着込み、ほんのりとした色気を醸し出している。
 まさにファンタジーの世界の、王道的なヒロインのような美女だった。

「びっくりしたんですよ。この子たちとお散歩していたら、あなたが倒れていたから......」

「この子たち......?」

 言われて、初めて気がついた。美女の周囲では、動物たちがたわむれていた。犬やらネコやら、なんと小熊やトラまで。
 これが視界に入らなかったというのだから、よほど美女に目が釘付けだったのだろう。

「とりあえず拾ってきたはいいけど、この子たちみたいに私の部屋に連れてっちゃいけないと思って。こうして客室へ寝かせたのだけど......元気になった?」

「は、はい! ありがとうございます!」

 美女が顔を近づけてきたので、才人は緊張した。
 もとの世界でも、こっちの世界でも、こんな魅力的な女性とこんな間近で話をしたことはない。

「あなた、お名前は?」

「サイトです、はい」

 平賀才人、とは名乗らなかった。こっちの世界の美女に対しては、こっちの世界の流儀で対応したかった。

「あら、素敵なお名前ね。でも......あなた、ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」

 そんな風に見つめられ、才人は驚愕した。異世界から来たと言っても信じてくれない人の方が多いのに、言う前から言い当てられたのは初めてだ。

「うふふ、どうしてわかったんだって顔ね。でもわかるの。私、妙に鋭いみたいで」

「は、はぁ......」

「でも......そんなあなたが、どうしてうちの庭で倒れていたの?」

「はい、実は......」

 道に迷って、空腹で倒れた。そんな話をするのは少し恥ずかしかったが、ちょうど、おなかがグウッと鳴った。

「まあ」

 美女は、コロコロと楽しそうに笑った。
 それから、とろけそうな微笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。おなかが減ってたのね。すぐに食べるものを用意させるわ」

########################

 簡単な軽食だが、とても美味しかった。
 さすがに立派な貴族、雇っている料理人も一流なのだろう。
 おなかが減っているのでいっそう美味しく感じられるのだろうが、それだけではない。
 カトレア――それが美女の名前だった――が同席していたからである。

「まあ、まあ! そんなに慌てて食べなくてもいいのですよ?」

 彼女は、午後のお茶を飲む程度。でも、桃髪の天使が一緒にいるだけで、才人の気分は天国だった。
 やがて。

「ごちそうさまです! ありがとうございました!」

「もう、いいの?」

「はい! おかげさまで、生き返りました!」

「まあ、そんな大げさな......」

 コロコロと笑うカトレア。
 そこに、タイミングを見計らったかのように、彼女の母親がやってくる。

「あなたですか? カトレアが拾ってきた平民というのは?」

「サイトです。どうもありがとうございました」

 拾ってきた、とは犬やネコの扱いだが、才人は構わないと思った。カトレアのペットになれるのであれば、むしろ本望である。
 だが、カトレアの母と目を合わせた途端、ふわふわとした幸福感も吹き飛んだ。
 髪の色こそカトレアと同じピンクだが、雰囲気は正反対。いかにも良家の貴族の奥様だ。激しい高飛車オーラを放っており、視線も厳しい。「こーゆーのとだけは決してかかわり合いになるな」と、才人の本能が警告する。
 その迫力にたじろぎながらも、彼はキッパリと言った。先手必勝である。

「助けていただいて、ただ黙って立ち去るわけにもいきません。何か恩返しがしたいのですが......」

 もう少しカトレアのそばにいたい気持ちと、この母親から早く逃げ出したい気持ち。その二つに心を引き裂かれながらの発言であった。
 そんな才人を胡散臭げに見回しながら、母親は尋ねる。

「あなたは......剣士?」

「......そんなところです」

 あれ最近どこかで同じ会話があったような、と既視感を覚えたが、深く考える暇はなかった。

「では、カトレアの騎士になってもらいましょう」

「ええっ!? この家に仕えろってことですか!?」

 驚いて飛び上がりそうな才人を、母親の視線が制止する。

「そんなわけありません! どこの馬の骨ともわからぬ者を雇うほど、当家は落ちぶれていませんよ!? ......ほんの一時の話です」

 そして母親が説明する。
 最近、領地の一角に『黒騎士(ダーク・ナイト)』と名乗るならず者集団が出没するらしい。まだ、たいした悪さはしていないのだが、領主家としては放っておけない。
 しかし今は当主――カトレアの父――も不在。カトレアの姉は遠くで働いており、妹は魔法修業の旅に出ている。母親は家を守る立場であり、留守にはできない。

「だから私が行くの。様子を見に」

 と、カトレアが補足する。

「でも......あなたは体が弱いというのに......」

「だって、あの子たちが見に行きたいって言うから」

 どうやらカトレア自身よりも、彼女の動物たちが乗り気なようだ。

「はあ。まあ、いいでしょう。......それに、あそこは、あなたの土地ですからね」

 カトレアの土地? どういう意味だろう?
 少し事情が理解できない才人だが、それでも承諾した。
 こうして彼は、この小旅行の間だけということで、カトレアの騎士となった。

########################

「カトレアをしっかり守ってくださいね。......でも、カトレアに指一本でも触れたら、タダでは済みませんよ?」

 そんな言葉に見送られ、才人は、カトレアの馬車に乗り込んだ。
 馬車の中は、さながら動物園であった。
 前のほうの席ではトラが寝そべりあくびをかましている。カトレアの横にはクマが座っていた。いろいろな種類の犬やネコがあちこちで思い思いに過ごしている。大きなヘビが天井からぶら下がり、顔の前に現れたので、才人は息が止まりそうになった。

「しかし、すごい馬車ですね......」

「私、動物が大好きなの。つい拾ってきちゃうの」

 自分もそうして拾われたのだ。何も言えない才人であった。
 そして、新たなペットとなったのは彼だけではない。

「まあ! 剣さん、お話しできるのね!?」

「おうともよ! 俺っちはデルフリンガー様だ!」

「いつからサイト殿と旅をしているの?」

「よくぞ聞いてくれた! 相棒と出会ったのは......」

 コロコロと笑いながら、カトレアはインテリジェンスソードとの会話を楽しんでいた。
 カトレアは才人を騎士扱いして『サイト殿』と呼称している。それは、聞いていて何だが嬉しい。でも、カトレアとデルフリンガーが自分抜きで歓談しているのを見ると、少し寂しくもなった。
 話しやすいように、才人は今、デルフリンガーを鞘ごとカトレアに預けている。カトレアの柔らかな膝の上なのだ。それも羨ましい。
 才人は、まさか自分が剣に嫉妬する日が来るとは、思ってもみなかった。さすがハルケギニア、何でもありのファンタジー世界である。

(ま、仕方ないか......)

 窓枠に肘をついて外をボーッと眺める才人。その様子に、カトレアが気づいた。

「あら! 放っておいてごめんなさいね。あなたも、こちらへいらっしゃいな」

 カトレアが才人に手を伸ばす。
 彼は正面の席に座っていたのだが、どうやら隣へ来い、ということらしい。

「は、はい......」

 彼女に応えて、カトレアの手をサイトが取ろうとした瞬間。

 ブワッ!

 一陣の風が、窓から舞い込んだ。才人は、カトレアの手に触れることは出来なかった。

「えっ!?」

 才人がポカンとしている間に。
 風が、彼の体をカトレアの隣へ運んでいた。ただし彼女とは体が触れ合わないよう、少しスペースが空いている。

『カトレアに触るなと言ったでしょう!?』

 才人の耳だけに、風が言葉を伝えた。隣で微笑むカトレアには聞こえていないようだ。

「どうしたの?」

「い、いえ......何でもありません」

 今の怪奇現象は無かったことにしよう。そう決心する才人であった。

########################

 カトレアは、時々ゴホゴホと咳をする。

「大丈夫ですか?」

「気にしないで。いつものことだから」

 カトレアは体が弱く、領地から一歩も出たことがない。不憫に思った父親が、領地の一部をカトレアに分け与えたくらいだった。
 だから名目上は、カトレアは両親姉妹とは苗字が違う。カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ、それが彼女のフルネームだ。後にクラゲ頭と称される才人では、当然、覚えられない名前であった。
 そして、そのラ・フォンティーヌ領こそが、『黒騎士(ダーク・ナイト)』の砦のある場所。

「そういうことだったんですか......」

 ようやく才人が事情を理解した頃。
 彼らを乗せた馬車が停まる。目的地に辿り着いたのだ。

########################

 才人とカトレアと動物たちは、森の小道を進んでいく。領民の話では、この先に『黒騎士(ダーク・ナイト)』一味の隠れ家があるらしい。
 知られている時点で隠れ家でもなんでもないが、それを気にする者は、この場にはいなかった。
 やがて一行は、少し開けた場所に出る。
 そこに、一人の男が立っていた。

「おまえが『黒騎士(ダーク・ナイト)』か!?」

 デルフリンガーを抜き、サッとカトレアの前に出る才人。
 目の前の男は、黒いマントと黒い甲冑に身を包み、身の丈ほどもある大剣を手にしていた。だから、これが『黒騎士(ダーク・ナイト)』だと判断したのだが......。

「フフフ......。あのかたの手を煩わせるまでもない。貴様らごとき、俺一人で十分だ」

 バサッとマントをひるがえし、男は大剣を構える。

「俺は......あのかたに仕える『黒騎士(ダーク・ナイト)』四天王の一人、『鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)』! いざ、勝負!」

 いきなり四天王の登場かよ、とか、そもそも様子を見に来ただけじゃなかったっけ、とか、そんなツッコミを入れる暇はなかった。
 斬りかかってきた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)に、才人も踏み込んで、デルフリンガーを合わせる!

 ガキン!

 刃と刃がぶつかり、火花が散る。
 重い剣だ。四天王を名乗るだけのことはある。

「フフフ......。貴様の力は、この程度か?」

 押し込まれる才人。

「相棒! 心だ! 心を震わせろ!」

「がんばって! サイト殿!」

 背後のカトレアを守る! その想いが、才人の心を燃え上がらせた。
 だが......鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)の剣圧は凄まじい。才人は、今にも膝をつきそうだ。

「あ、忘れてた。相棒は、まだ『使い手』として契約してないんだっけ。......そんじゃ心を震わせてもダメだわ。わりい、さっきの言葉は忘れてくれ」

「なんだよ、それ!?」

 ガクッと力が抜ける才人。
 剣で押し合っていた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、急に抵抗がゼロになったのでよろけた。

「うわっ!? ふざけるな小僧め!」

「今よ、サイト殿!」

 いつのまにか少し遠くに避難していた、カトレアの声。
 デルフリンガーより役に立つアドバイスだった。

「はい!」

 一瞬体勢が崩れた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)を、才人の魔剣が斬り上げる!

「くっ!」

 慌てて飛び退く鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)だが、その手は空っぽ。
 才人に斬り跳ねられた形になり、大剣を弾き飛ばされていたのだ。

「今だ、相棒!」

 しかし才人の目は、敵には向けられていなかった。
 宙を舞う大剣が、落ちてくる先。そこにいるのは......。

「カトレアさん!?」

「きゃ!」

 間に合わない!?
 才人が焦った瞬間。

 ゴオオォッ!

 風が吹いた。
 そよ風ではない。
 突風、烈風、台風......。そのレベルの風だった。
 ピンポイントで大剣を巻き込み、大剣ごと遠くへ去っていった。

「......なんだ、今のは?」

 才人も鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、唖然として硬直する。
 ただカトレアだけが、コロコロと笑っていた。

「通りすがりの竜巻さんね。......よくある話でしょう?」

「ねーよ!」

 敵味方二人同時にツッコミを入れる。
 だが。

『危ないでしょう、あなたたち! カトレアに剣が当たるところだったじゃないですか!?』

 謎の声と同時に、新たな烈風が! さっきより大きな竜巻だ!

「ぎぃやああああああああああ!」

「うわぁああああああああああ!」

 才人は、鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)ともども空中に巻き上げられ、意識を失った。

########################

 わふわふ。わんわん。にゃーにゃー。がおがお。ぶひぶひ。
 そんな動物たちの声で、才人は目を覚ました。
 目の前には、カトレアのとろけるような笑顔。上下逆さまだが、それでも素晴らしい。

「大丈夫ですか?」

 なんだろう? やわらかくあたたかい感覚を頭に感じながら、才人は応える。

「はい。あの......敵は?」

「逃げちゃいました」

 才人の頭が、少しずつ覚醒する。この感触、そしてカトレアの顔の向き。
 自分は今、カトレアに膝枕されている!
 しかも、深い深い膝枕だ。後頭部は太腿に、頭のてっぺんは腹部に当たっている。ちょっと視線の向きをかえれば、彼女の胸が覆いかぶさっているのも目に入った。
 天国だ!
 でも恥ずかしいので、ガバッと飛び起きる才人。
 彼がカトレアの体から離れた瞬間、まるでそれを待っていたかのように。

『指一本触れるなと言ったでしょう!? 膝枕など言語道断!』

 天国から地獄とは、まさにこのこと。
 ゴオッと烈風が吹いてきて、才人は再び空へ舞い上がる。

「あらあら。今日は多いのね、竜巻さん」

 コロコロと笑うカトレア。
 わかってないのか!? 「妙に鋭い」って言ってたのに!? 反動で、身内には鈍いのか!?
 そう思いながら、才人は再び意識を失った。

########################

 気づいた時、才人は、また膝枕されていた。
 気持ちいい。いつまでも、こうしていたい。でも、そうもいかない。

(これ......もしかして、体を離した途端......?)

 嫌な予感にも負けず、目を開ける才人。

「あら、気がつきましたのね」

「はい......」

 頑張って笑顔を作りながら、ソーッとカトレアから離れてみる。すると。

『いつまで触れてるのです!?』

「やっぱり......!」

 才人は、また竜巻にやられた。

########################

 次に気がついた時も、またまた膝枕だった。
 またまた烈風で飛ばされた。

「天丼たべたい......」

 故郷の食べ物を突然に思い出しながら、またまた意識を失った。

########################

 結局この日、彼は、十三回吹き飛ばされた。
 体で学習した才人は、最終的に、膝枕される前に自力で復活。
 ようやく、一行は奥へと進む。
 ほどなく。

「鋼鉄(スチール)が......やられたようだな......」

 先ほどの敵と同じ姿の男が、才人たちの前に立ちはだかった。
 いや、前だけではない。

「しかし鋼鉄(スチール)なぞ、しょせん後から無理矢理仲間に入った男......」

「我らは本来、三人衆なのだ......」

 いつのまにか、囲まれていたらしい。
 斜め後ろにも、右と左に、同じ姿の黒い男たちがいる。

「く......!」

 デルフリンガーを手にした才人の頬を、冷や汗が伝わる。
 それを嘲笑うかのように、敵は名乗りを上げる。

「我は三人衆の一人、青銅黒騎士(ブロンズ・ダーク・ナイト)!」

「同じく、白銀黒騎士(シルバー・ダーク・ナイト)!」

「そして我こそが、黄金黒騎士(ゴールド・ダーク・ナイト)!」

 甲冑は真っ黒で、金でも銀でもなかったが、威圧感は凄まじい。オーラが幽鬼のように立ちのぼっていた。

「我らは鋼鉄(スチール)とは違う。貴様のような弱者をいたぶる趣味はない」

「おとなしく武器を捨てて、逃げ帰れ。命だけは助けてやろう」

「もし貴様が我らの一人に斬り掛かれば、残りの二人が連れの女を攻撃するぞ。一人では、守りきれまい」

「なんだよ!? 弱者をいたぶるどころか、そっちのほうが卑怯じゃん!」

 才人の叫びには取り合わず、三人は剣をカトレアへと向ける。
 その時。

 ゴオオォ......オオォ......オオォッ!

「あらあら、今日は本当に多いのね。今度は三つだわ」

 カトレアの言葉どおり。
 突然出現する三つの竜巻!

『カトレアに武器を向けるんじゃありません! 危ないでしょう!?』

「なんだこりゃあああああああ!」

「い、いてぇええええええええ!」

「いやぁああああああああああ!」

 三人衆が、それぞれ烈風に吹き飛ばされる。
 才人は今回、何もしていないので無事であった。

########################

 さらに進むと、木々の間に、小屋が見えてきた。どうやら、そこが『黒騎士(ダーク・ナイト)』のアジトらしい。
 
「カトレアさん、どうします? 中に突入しますか?」

 才人が尋ねると、カトレアを首をかしげた。

「そうしたほうがいいのかしら? でも私たち、様子を見に来ただけなのよねえ。あんまり危ないことはしないほうが......」

 それ以上、言葉は必要なかった。
 ちょうど、小屋の扉が中から開いたのだ。
 出てきた人物は......。

「あら、父さま!」

「あれ? この間の貴族の人? ......って、彼がカトレアさんのお父さん!?」

 黒騎士(ダーク・ナイト)の正体は、才人が川原で出会った貴族。そして同時に、カトレアの父親であった!
 カトレアを見て、彼の顔はみるみる青ざめていく。

「うわわわわわわわっ!?」

 やたら悲鳴を上げながら、大きく後ろに跳び下がり。
 落ち着きなく、あたりをキョトキョト見回して。

「カ......カトレア! お前、なんでこんなところに!? お前がいるということは、カリーヌも来ておるのか!?」

「母さま? 母さまなら、お屋敷におられますよ?」

 カトレアはキョトンとするが、そこに、例の烈風が。

 ゴゴゴゴゴォゴオオオオオオォォッ!

 今までで最大級だ。もう単なる竜巻ではない。バチバチと何か飛ばしている。
 これはもう超電磁竜巻と呼ぶべき、とサイトは思った。

『あなた! 一体どういうことですの!?』

「ま、待て! 待ってくれええええええ!」

 謎の声を伴う巨大竜巻が、絶叫する父親を吹き飛ばした。

########################

 帰りの馬車の中で、父親が事情を説明する。
 そもそもの発端は、カトレアの妹が魔法修業の旅に出たこと。
 これに賛成していた母親と、文句を言っていた父親。旅立ちの後しばらくしてからもブチブチと不満を口にしていたら、ついに母親がキレたらしい。そして夫婦喧嘩となって......。

「わしは忘れていたのだ、カリーヌの恐ろしさを......。いや、強いのは承知していたが、どうせ昔の話だ、もう若い頃の力はあるまいとタカをくくっていたのだよ。......わしが甘かった」

 家を飛び出した父親は、ここならば誰も来ないと判断して、カトレアに分譲した領地へ。
 そこで軽く憂さ晴らし――本人曰く――をしていたら、いつのまにか『黒騎士(ダーク・ナイト)』と呼ばれていた。

「トリステインなのに『ダーク・ナイト』とは、おかしな名前ですね。まるでアルビオンのよう」

「いやカトレア、ポイントはそこではないだろう? ......ともかく、わしが悪かった。反省した。許してくれ」

「まあ! それは私にではなく、母さまに言ってくださいな。お屋敷で待っている母さまに。......母さま今頃、何をしてるのかしら?」

 小首をかしげるカトレアに、才人は何も言えなかった。

########################

 屋敷に戻った馬車を出迎えたのは、執事でも召使でもない。
 カトレアの母親カリーヌである。

「おかえりなさい、カトレア。......そしてサイトさん」

 いつのまに戻った!?
 神出鬼没なカリーヌに、才人はガクブル。
 だが、才人以上に怯える男が一人。

「す、すまん! 許してくれ、カリーヌ......」

「あら、あなたも一緒だったの?」

 気づきませんでしたわと言わんばかりの態度で、男を見つめるカリーヌ。事情を知らなければ才人だって騙されてしまいそうな、ごく自然な口調だった。

「悪かった! わしが悪かった!」

「よくわからないけれど......色々と話すことがありそうね。詳しく聞かせてもらいましょう」

 夫の手を引いて、サッサと屋敷に入るカリーヌ。
 そんな両親の姿を見て。

「まあ、あんなに寄り添って......。二人は仲がよろしいですこと。少しくらい喧嘩しても、やっぱり夫婦は夫婦なのですね」

 カトレアはコロコロと笑っている。
 この時ばかりは、カトレアも普通じゃないと才人は思った。

########################

 一晩休ませてもらった後、才人は、カトレアたちの屋敷をあとにした。
 もう迷子にならないようにと、近くの大きな街道まで、カトレアが馬車で送ってくれた。

「では、さようなら。元気でね」

「はい、カトレアさんも......」

 名残惜しそうに手を振るカトレア。
 とろけるような彼女の笑顔を目に焼き付けてから、才人は歩き出す。
 カトレアと過ごした時間を思い出すと、幸せなはずだが......。
 なぜか、才人は青い顔になる。

「どうしたい、相棒?」

 デルフリンガーも心配するくらいだ。
 才人は、ずっと何かつぶやいていた。

「......ピンクこわいピンクやさしいピンクこわいピンクやさしい......」

 桃髪カトレアの優しさ。
 桃髪カリーヌの怖さ。
 その二つが、才人の中に刷り込まれたらしい。
 しかも『優しい』と『恐い』は、半ば矛盾する概念だ。そのあまりのギャップに心を病んだ彼は、『優しい』と『恐い』とを頭の中でミックス。

「......ピンクは気持ち悪い」

 そう結論づけることで、精神をかろうじて安定させた。
 これ以降、もうそれどころではなくなったのか、魔剣を投げ捨てようとすることもなかった。
 なお、才人が別の桃髪少女と出会って、紆余曲折を経て完全回復するのは......まだまだ先の話である。


(「刃の先にダーク・ナイト」完)

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第二部「トリステインの魔教師」(第一章)

 朝の食堂は、すでに戦場と化していた。
 殴るわ蹴るわ噛みつくわ、阿鼻叫喚の地獄絵図。
 ......言っとくけど、決して私のせいじゃない。

「教師の指導が悪いから、こんなことになるのよね......」

 ここは安宿の食堂ではなく、トリステイン魔法学院という立派な学園の食堂である。『アルヴィーズの食堂』というらしい。
 魔法学院では「貴族は魔法をもってしてその精神となす」のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受ける。食事も貴族の礼儀や作法を学ぶ場の一つであり、もめ事が起きれば教師が止めに入るのが普通なのだが......。

「......あれじゃダメね」

 先生メイジたちはロフトの中階で歓談に興じている。階下の騒動など目に入りません、という態度だ。
 とりあえず私は、隅のほうの席に移動。ナイフとフォークで優雅に食事を続けながら、混線の模様を眺めるしかなかった。
 この騒ぎの原因は......まあ、ごくささいなことなのだが......。

########################

「やあ、お嬢さん。見かけない顔ですね」

 男が言い寄ってきたのは、一人で座った私が、大きな鳥のローストにちょうどナイフを入れた、その時のことだった。
 私と同じ学生メイジだ。勝手に私の隣に座りやがった。薔薇の花を一輪、どこかから取り出し、サッと私の前に差し出した。
 こっちは食事中なのだ。はっきり言って、邪魔である。

「ああ! 君の美しさは、まるで薔薇のようだ! その髪の美しい桃色は、薔薇の花でも真似できない鮮やかさ! その胸の平坦さは、薔薇の葉っぱでも真似できない滑らかさ!」

 おい。
 前半はともかく、後半は褒め言葉じゃないぞ!? だいたい例えもおかしいだろ!?
 が、その前半部分にしたところでダメダメである。
 歯の浮くようなセリフ......という言葉があるが、こいつの場合、歯だけではない。何もかも浮いている。
 そもそも、自分のキャラに似合っていないのだ。こういうセリフは、気障な仕草が絵になる二枚目野郎が使うべきであって、こいつみたいな容姿の男が使うべきではない。
 なにしろこの男、太っちょである。しかも、モテないオーラが全開である。

「女の子口説きたいなら、自分の言葉で口説きなさいよ。どうせ、それ、誰かの口説き文句のパクリでしょう?」

「おお、凄いね、君は!」

 しまった。
 つい相手してしまった。
 これで会話スタートと思われたのか、太っちょの言葉は止まらない。

「そう、これは......今は亡き、僕の親友のテクニックなんだ。彼をリスペクトする意味で、彼と同じように......」

「今は亡き......?」

 こう見えて、大切な友を亡くしているのか。
 でも朝から、しかも初対面でしんみりした話をすることこそ、空気の読めない証なのだろうが......。

「そうなんだよ! かつての彼は手当り次第に女性を口説いていたのに、いつのまにか一人に絞るようになっちゃってさ。しかも、その子が学院から飛び出してったら、それを追って彼まで出てっちゃって」

 あれ? 死んだのではないのか?

「......ああ! あのナンパだった彼は、もうこの世にいないのだ! 彼は生まれかわってしまった!」

「それ死んでねえええ! 更生しただけじゃないの!」

 ツッコミの意味で、つい、ゲシッと蹴り飛ばしてしまった。
 それも全力で。

「ぶぎゃっ!?」

 大げさな悲鳴を上げながら、吹っ飛ぶ太っちょ。
 そのまま近くのテーブルに、まともに彼は倒れ込む。
 飛び散る料理が、そこで食べていた者たちの顔や服を汚した。

「マリコルヌ! 何するんだよっ!?」

 一人が太っちょ――どうやらマリコルヌという名前らしい――を突き飛ばし、突き飛ばされた彼は、別のテーブルへ倒れ込む。
 むろんそこでも騒ぎが起こる。
 かくて......。
 なしくずしの大喧嘩がはじまった。

########################

 ......ほらね。こうしみじみ考えてみると、やっぱし悪いのは、あの太っちょ。私は無関係なのだ、うむ。

「おはよう、ルイズ。朝から......すいぶんにぎやかな食堂ね?」

 唐突に横手からかけられた声に、私は振り向いた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。私やここの学生メイジと同じ服装だが、ボタンを一つ二つ外すことで、巨乳をいやらしく強調している褐色肌の娘。
 自称ライバルだったはずの旅の連れで、名をキュルケと言う。

「そうみたいね。貴族の学校とは思えないわ」

「いいじゃない、これくらいの方が。堅苦しくなくて、やりやすいわ」

 そう言いながら、フワッと髪をかきあげるキュルケ。香水の匂いが広がる。

「キュルケ......。あんた、また......?」

「......貴族の嗜みよ」

 朝の食堂だ。それ以上は言わない。
 誰かが耳にしても、香水とか化粧品とかの話だと思うだろう。
 だが、違う。私たちが話題にしているのは、キュルケの男漁りだ。
 キュルケの二つ名は『微熱』。情熱的と言えば聞こえはいいが、この女、けっこう簡単に男をとっかえひっかえするのだ。
 ......といっても、キュルケは街の娼婦ではない。あくまでも貴族。結婚するまで最後の一線は許さないという、淑女らしい一面も持っている。
 その気になった男と一晩一緒に愛を語り合って、それでも貞操を守りきるというのは、それはそれで凄い話だと思うのだが......。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケがニヤニヤしている。

「何よ?」

「あなたの方は......どうなの?」

 表情を見ればわかる。キュルケは、サイトのことを聞いているのだ。
 もう一人の旅の連れであるサイトは、メイジではない。いわゆる傭兵稼業をしていた平民である。それが今では、なんと私の使い魔である。
 メイジである主人と、それに仕える使い魔。そういう関係だから、旅の間、夜は同じ部屋に泊まっていた。ここで一時的に女子寮の部屋を与えられた今でも、やはりサイトは私と一緒。

「な、何もないわよ」

 そう言いながらも、ちょっと顔が赤くなる。
 魔法学院は、さすがに貴族のための学校だ。寮のベッドも、安宿のものとは大きさがケタ違い。二人で寝ても問題ない広さだった。
 いつもいつも硬い床の上では可哀想。せめてここにいる間くらいは......という御主人様の仏心で、私とサイトは同じベッドで眠っている。
 変なことするくらいなら叩き出そうと思ったが、サイトならば大丈夫。私も緊張することなく、むしろ今まで以上の安心感。これが、メイジと使い魔の絆ってことなのかしら?

「......ふーん。まあ......何となくわかったわ」

 私の顔を覗き込み、一人で納得するキュルケ。それから、あらためて周囲を見渡して。

「ところで、これって何の騒ぎ?」

「さあ? 私も、よくわからないんだけど......」

 と、私がとぼけた時。
 その場の騒ぎが、ピタリと止まった。
 原因は、新たに食堂に入ってきた人物。
 その圧倒的な存在感だけで、皆を黙らせてしまったのだ。

「へえ......」

 食堂入り口に目を向けた私とキュルケは、同時に感嘆の声を漏らす。
 そこに、一人の男が立っていた。

########################

 魔法学院には場違いな、異様な雰囲気を纏う男だった。
 白髪と顔の皺で年は四十の頃に見えたが、鍛えぬかれた肉体が年齢を感じさせない。剣士かと思うようなラフな出で立ちだが、杖を下げている。これでもメイジなのだ。
 顔には、ずいぶんと目立つ特徴があった。額の真ん中から、左眼を包み、頬にかけての火傷のあとである。
 そんな男の後ろから。

「ああ、居た、居た。......ルイズ! このメンヌヴィルさんが、お前に用があるんだってさ!」

 ひょっこり顔を出したのは、私の使い魔のサイト。
 サイトは貴族ではないので、規則の上では、この『アルヴィーズの食堂』には入れない。だから厨房で食事をさせてもらうよう、手配しておいたのだが......。
 どうやら、この恐いおっさんに連れて来られたらしい。

「......ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「今サイト......『メンヌヴィルさん』って言ったわよね?」

 私もキュルケも、学生とはいえ、旅のメイジ。色々な出会いもあったし、また、風の噂で名前だけ知っている凄腕メイジもいた。
 メンヌヴィル。そういえば聞いたことがある......。

「まさか......『白炎』メンヌヴィル!?」

 伝説のメイジの傭兵。白髪の炎使い。
 卑怯な決闘をして貴族の名を取り上げられ傭兵に身をやつしたとか、家族全員を焼き殺して家を捨ててきたとか、焼き殺した人間の数は焼いて食べた鳥の数より多いとか。様々な噂を流されていた。

「でも......なんだか、それっぽい雰囲気じゃない?」

 私とキュルケがコソコソと話すうちに、話題の主は、サイトと共に近くまで来ていた。

「俺を知っているのか。ならば話が早い」

 女同士のヒソヒソ話を、ちゃっかり聞いていたようだ。

「ボディ・ガードを探している」

 そう言って、私に顔を近づけてきた。サイトを指さしながら、私に問いかける。

「お前が、この男の主人のメイジか?」

「......そうよ」

「名は?」

「ルイズよ。......『ゼロ』のルイズ」

「ほう。お前があの、か。噂には聞いたことがある」

 メンヌヴィルは、ニヤリと笑った。

「嗅ぎたいなあ、お前の焼ける香り。......だが、今は我慢だ」

 はあ!? 今なんて言った!?
 とんでもない言葉を吐き出した男は、それからキュルケに顔を向ける。

「お前の名は?」

「あたしは『微熱』のキュルケ」

「......知らんな。だが......匂うな。お前も俺と同じ、炎の使い手だな? 今まで何を焼いてきた?」

「え? まあ色々と......」

 やばい。この男、あきらかにヤバイ男だ。
 どうやら『白炎』の噂は、まんざら大げさでもなさそうだ。

「そうか。まあ、いい。とりあえず、俺と一緒に学院長室まで来い」

 一方的に告げてから、彼は食堂全体を見回した。

「......で、この騒ぎは何だ? どうせお前が原因だろう、マリコルヌ!」

 おお、なかなか鋭い。
 遠くからとはいえ、メンヌヴィルに杖を向けられて、太っちょ君は硬直していた。

「目立つことはするなと言っただろう!?」

「も、申しわけありません! ミスタ・メンヌヴィル!」

 反射的に謝るマリコルヌ。
 なんだ? ミスタ・メンヌヴィルって言い方は......。メンヌヴィルは、ここで教師をやっているのか!?

「この俺でさえ、焼くのを我慢しているというのに......」

 また恐いことを呟きながら、メンヌヴィルは私たちに背を向けて歩き出した。

「どうする? ついてく?」

「......とりあえず、ね」

 顔を見合わせてから、私とキュルケも続く。

「おい、俺には意見きいてくれないの?」

 軽く文句を言いながら、サイトも私たちに従った。

########################

 この魔法学院は現在、学院長が行方不明となっている。
 高齢だった学院長は、もしもの場合はミスタ・コルベールに後を託すと言っていたらしいのだが、これが問題を引き起こした。
 火のメイジであるコルベールは、学者肌のメイジ。掘っ立て小屋を研究室と称して、そこに引きこもり、担当の授業すら自習ばかりという有様だ。

「もったいない話だよなあ、炎の使い手のくせに。......ボディ・ガードも、魔法の使えぬ女剣士がやっているんだぜ? しかも、俺が訪ねていってもその剣士が邪魔しやがる。俺自身、そのコルベールという教師には会ったこともない」

 コルベールがそんな調子なので、結局、風のメイジであるミスタ・ギトーが学院長代理を買って出たわけだが......。

「正式に頼まれたのはコルベールだからな。ギトーには従えんという教師も多い。逆に、学者バカのコルベールには従えんという教師も多い。だから、ここは今、コルベール派とギトー派に別れて抗争中というわけだ」

 私たちを案内しながら、メンヌヴィルが説明してくれた。

「......で? あなたはどっちなの? 今の話だと......ギトー派ってこと?」

 今すぐどうこうされるわけではない。それが判って安心したのか、結構でかい態度で質問するキュルケ。

「そうだ。俺はギトーに雇われていてな。奴のボディ・ガードを束ねる立場だ。あと、コルベールの代わりに、火の魔法の授業も受け持っている」

「へえ......」

 とんでもない状況だ。悪名高い『白炎』から火を教わるなど、ある意味では贅沢な話だが、しかし生徒の人格形成を考えるのであれば、絶対に間違っている。

「......まあボディ・ガードといっても、コルベールの剣士と俺以外は、貴族の坊っちゃん嬢ちゃんばかり。しょせん『ごっこ』だよ」

「ふーん。じゃあ抗争とやらも、抗争ごっこなんでしょ?」

 私の言葉に対して、メンヌヴィルはニタッと笑う。

「そうだ。だから......できればお前たちには、ギトーの話、受けてもらいたくはない」

「はあ!?」

 キュルケとサイトの声がハモった。だが私には、何となく意味が理解できていた。

「味方同士では戦えん」

 メンヌヴィルが予想どおりの言葉を吐き出した時。
 ちょうど私たちは、目的の部屋の前に着いた。

########################

 学院長室と言われていたが、実際には、本当の学院長室ではなかった。ミスタ・ギトーの部屋である。
 学院長代理を自称するギトーとその仲間たちは、ギトーの部屋を『学院長室』と呼んでいるようだ。本塔の最上階には本物の学院長室が健在なので、少し紛らわしい。

「君たちが、外からやって来たメイジか......」

 部屋の主は、長い黒髪を持つ、漆黒のマントをまとった男。まだ若いのに、不気味で冷たい雰囲気を漂わせていた。
 彼は、むすっとした表情で私たちを見る。

「君たちは、この学院に籍を置く生徒だそうだな?」

 この男の言う『君たち』とは、私とキュルケのことだ。貴族の典型で、平民は数に入れていないのだ。

「はい」

「『ゼロ』のルイズに......『微熱』のキュルケ......? フン、ろくに実力もない若輩者ほど、たいそうな二つ名をつけたがるものだ」

 私たちに関する書類に目を通しながら、そう吐き捨てるギトー。

「だいたい、旅をして遊んでいるだけで魔法が上達するなど、あり得ん話だ。学生は、ちゃんと教師から学ばねばならぬ。それも、ミスタ・コルベールのような変人学者ではなく、この『疾風』ギトーのような一流のメイジの授業を......」

「しかし、ミスタ・ギトー。学生メイジが魔法修業のために旅に出るのは、一般的な話のはずですが......?」

 長話が鬱陶しいので、私は遮ってしまった。
 彼は、私を冷たく睨みつける。

「......学生風情が生意気を言うな」

 そして、有無を言わせぬ口調で。

「そもそも、それを『一般的』にしてしまうのが、大きな間違いなのだ。だいたいオールド・オスマンも、何を考えてミスタ・コルベールなぞに後を託したのか? あのコルベールは、頭がどうかしておる。魔法を戦いに使うのは愚かだとか、生活に役立てるべきだとか、メイジの風上にも置けんことを言う男だ......」

 もう口を挟む隙もない。いったい、いつまで喋るつもりか?

「......だからこそ! あんな男ではなく、この『疾風』ギトーこそが! この魔法学院を治めねばならんのだ! この『疾風』ギトーが正式に学院長となったあかつきには......」

 あれれ? ついに、選挙演説みたいな話が始まったぞ!?
 ......こうしてギトーの演説攻撃は、ひたすら延々と続いたのであった。

########################

「話が違うじゃないの! あれじゃ、お説教よ!」

「ボディ・ガードの要請じゃなかったの!?」

 ようやく解放されて部屋を出た途端、私とキュルケは、メンヌヴィルに噛み付いた。
 まあ冷静に考えれば半ば八つ当たりだし、『白炎』メンヌヴィルに八つ当たりするというのも凄い話ではあるが、私もキュルケも頭が沸騰していたのだ。

「すまんなあ」

 メンヌヴィルが、ポリポリと頭をかく。
 こうして見ると少しコミカルだが、騙されてはいけない。こいつは『白炎』メンヌヴィルなのだ。それを思い出した私は、目を細めて尋ねた。

「だいたい......あんたほどのメイジが、なんでギトー程度の奴に従ってるの?」

 ギトーだって決して低レベルなメイジではない。おそらくスクウェアなのではないか、と私は想像していた。
 でも話しぶりを聞いていればわかる。実戦慣れしていない。まともに戦えば、トライアングルのキュルケにも負けるであろう。

「奴は、俺の雇い主だからなあ」

 答になっていない。傭兵にだって雇い主を選ぶ権利くらいある。ギトーは、メンヌヴィルの雇い主になれる器ではなかった。

「......ここに潜り込みたかったのさ、俺は。ここの図書館の資料を調べたくてな」

 メンヌヴィルは語る。
 まだメンヌヴィルが貴族の士官だった頃。とある部隊で、そこの隊長に大変世話になった。だから礼をするために、また、成長した姿を見せるために、彼を探している。
 しかし、引退したのか、どこかで戦死したのか。彼の噂は皆無であった。秘蔵の資料を調べれば消息の手がかりが得られるのではないかと考えて、魔法学院にやってきた......。

「へえ。あなたも......意外に礼儀正しいのね? お世話になった人物に会いたいだなんて......」

 感心したようにつぶやくキュルケだが、それは違うと私は思った。
 メンヌヴィルは、残忍な笑いを浮かべる。

「ああ、もう一度あいつに会いてえなあ! 会って礼がしてえ! 会いてえ、会いてえ、ってこの火傷が夜鳴きするんだ」

 ネジが外れたように笑いながら、メンヌヴィルは歩き去った。
 残された私たちは、顔を見合わせる。

「つまり......あの特徴的な火傷は、その隊長とやらにやられた傷。その仕返しがしたい......ってことね」

 同じ炎の使い手だからこそ、感じるものがあるのだろう。キュルケがゾクッと体を震わせた。

########################

 ギトーの部屋の前で私とサイトはキュルケと別れ、図書館へ向かった。
 本当は授業の時間だが、今さら魔法の講義など聞いても仕方がない。キュルケは真面目に出席するようだが、どうせ目的は男漁りに決まっている。
 さて。
 図書館は本塔にある。入り口には眼鏡をかけた司書が座り、本を片手に、出入りする者をチェックしていた。

「あ、こいつは私の使い魔ですから」

「......使い魔? これが?」

 若い女性の司書が、眼鏡に手をかけながら、サイトを見る。
 ここには門外不出の秘伝書やら魔法薬のレシピの書かれた本やらもあるので、普通の平民は立入禁止なのだ。

「はい。始祖ブリミルに誓って」

 サイトの左手のルーンを見せるべきかもしれないが、それは最後の手段。
 目立つことは避けたいので、この魔法学院にいる間は、サイトが伝説のガンダールヴであることは内緒にするつもりだった。異世界から来たことも誰にも言うなと、サイトには厳命してある。
 もっとも、左手に刻まれたルーンを見せたところで、刺青か何かだと言われればそれまでなのだが......。

「......まあ、いいでしょう」

 私の言葉を信じてくれたのか、彼女は視線を読んでいた本に戻した。
 サイトと二人で、中に入っていく。

「うお。すげえなあ」

 入った途端、サイトが感嘆の声を上げた。本棚の高さに圧倒されたようだ。

「それじゃ......いきましょうか」

「ああ。これだけあれば、何か見つかりそうだな!」

 サイトの顔が明るくなる。
 図書館に来た目的は、私の知らない虚無魔法――サイトを元の世界へ戻せる魔法――の手がかりを探すこと。
 でも『虚無』って、本来は伝説なのよねえ。手がかりがポイポイ落ちてるようなもんじゃないと思うけど......。

########################

「なあ......。まだ見つからないのかよ......」

 数時間後。
 私の隣に座るサイトは、だるそうにテーブルに突っ伏していた。

「そう簡単に見つかるわけないでしょ!? 私たちが探してるのは......伝説の魔法なんだから」

 テーブルの上には、分厚い本が何冊も積み上がっている。
 これに目を通したのは、全て私。
 サイトはハルケギニアの文字が読めないので、こういう場合、役立たずである。せめて御主人様の気分を良くするよう努めるべきなのに、こうやって不満タラタラでは、私の機嫌は悪くなる一方だ。
 私は、たった今チェックし終わった本をバタンと閉じる。

「これもダメね......。さあ、次。また別の本を取りに行くわよ」

「ええ〜〜。また〜〜?」

「文句言わないの! 誰のためにやってると思ってんの!? あんたのためでしょ!?」

「へい、へい」

 私に続いて立ち上がるサイト。本を重ねて持ち運ぶのは彼の仕事だ。それくらいしか、今の彼に出来ることはない。

「ほら、しっかり! よそ見してると、ぶつかわるよ!?」

「は〜〜い」

 私たちが来た頃は授業をやっている時間帯だったので、図書館は混んでいなかった。しかし、もう放課後になったようで、少しずつ人も増えてきた。
 現に今も、私のすぐ隣を知らない人が通り過ぎて......。

「お願いです......」

 女の声。
 私は声の主に視線を送る。
 理知的な顔立ちがりりしい、緑の髪の眼鏡美人。私とは目を合わさずに、言葉だけが唇からすべり出る。

「......この件には関わらないでください......」

「え? この件って......?」

 思わず足を止める。

「どうした、ルイズ?」

 サイトが声をかける。

「いや......今......」

 ふりむいたそこには、彼女の姿はない。
 周囲を見渡すと、少し離れた本棚の陰から、こちらを見ていた。
 なにやら、思いつめた瞳の色で。

「あ......」

 追おうとした時には、もう遅い。
 彼女の姿は、本棚の列の間に消えていた。

########################

 魔法学院ははや、闇に包まれていた。
 図書館のある本塔を出て、私とサイトは、女子寮のある建物へと歩いている。部屋へ戻るのだ。
 夜の散歩と洒落こむ者はいないのか、外には私たち二人だけだった。

「結局、何も手がかりなしか......」

「そんなに失望しないで。まだ探索一日目よ? 明日も頑張りましょう?」

 はっきし言って、気休めである。
 今日一日調べた感じでは、どうやら、何日やっても無理そうだった。
 トリステインという国の名を冠した魔法学院だが、しょせん貴族の子弟の学校だ。伝説クラスの資料を期待するのは、期待し過ぎだったかもしれない。

「そうだよな。明日がある、明日があるさ。俺が諦めちゃいけないよな......。必死に探してくれてるのはルイズなんだから。......ありがとな、ルイズ」 

「あ、あ、あたり前でしょ!? わ、私はあなたの御主人様なのよ! 使い魔の世話をするのは、メイジとして当然よ!」

 私の気休めを真に受けて、サイトが素直な顔をしたので、私は少し動揺。
 
「......そ、それに! 礼を言われるのは、まだ早いわ。ちゃんと見つけてから言ってよね!?」

「ああ。でもさ......」

 サイトの言葉が、そこで突然止まった。彼の表情も変わった。
 私とサイトは、同じ方向に視線を走らせる。二人して、異質な気配を察知したのだ。
 いつのまにか、月がかげっていた。
 雲ではない。
 巨大な土の像が、二つの月を遮っていた。
 ただし、最初からあった『像』ではない。少し前まで、私たちは月の光を浴びていたのだから。
 ならば、これは......。

「大きなゴーレム......」

 私は思わずつぶやいた。

########################

 30メイルくらいありそうな、巨大な土のゴーレムだ。ゴーレム作成は、わりとポピュラーな『土』魔法であるが、これだけの規模の物を作り出すのは、並のメイジではない。
 よく見れば、その肩に人が乗っていた。
 黒いフード、黒いローブ、黒いマントで全身を隠した怪人物。おそらく、これがゴーレムを作り出したメイジだ。

「ギトーについたのか......?」

 性別すら隠したいのだろうか。布越しの、くもぐった声で怪メイジが言う。

「やめておけ。長生きをしたいのならばな......」

 私たちが今朝ギトーに呼ばれたのを見て、ボディ・ガードを頼まれたと判断したようだ。そして、こう言うからには、こいつは抗争に関与する者。しかもギトー派ではない。つまりコルベール派らしい。

「何言ってんの? あんたみたいな怪しい奴に、どうこう言われる筋合いはないわ! どうせ名乗ることもできないんでしょ!?」

「ふむ......」

 私の言葉に対して、少し考え込んでから。

「我が名はフーケ。......『土くれ』のフーケ」

 な!?
 驚愕の表情を浮かべた私を見て、隣のサイトが肩を叩く。

「なあ、ルイズ。あいつ、有名人なの?」

「サイト......あんた、私と出会うまで、傭兵やってたんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ......裏の世界で有名な奴くらい、覚えてないの?」

「ん......。覚えてない。ほら、ハルケギニアの人々って、みんな名前が長いし」

 このクラゲ頭のバカ犬め!
 名前が長いのは立派な貴族だけじゃあああ!
 しかし今はツッコミを入れている場合ではない。私がツッコミを入れようとしたら、言葉と一緒に手か足か魔法が出てしまう。さすがにフーケの前では、サイトに肉体的なダメージを与えている余裕はなかった。

「あのね、サイト。『土くれ』のフーケっていうのは、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れている盗賊メイジよ。壁や扉を『錬金』で『土くれ』に変えてしまって、宝を盗み出すの」

「へえ。その『錬金』って......そんなに凄い魔法なのか?」

「『錬金』そのものは難しい魔法ではないわ。でもフーケの『錬金』は、『固定化』の魔法で守っていたはずの場所すら土くれにしてしまう。......それだけ強力な『錬金』ってこと。それだけフーケが......凄いメイジってこと」

 私がサイトに説明している間、フーケは、じっと黙っていた。話が終わったと判断したのか、再び口を開く。

「我を知っているならば話は早い。今宵の我の仕事は警告のみ。......この件からは手を引け。わかったな」

 言うなり......。
 ゴーレムは、ズシンズシンと歩き出した。
 魔法学院の城壁もひとまたぎで、外へ出ていく。

「おい、いいのか? あいつ......逃げちゃうぞ?」

「別に私、戦闘狂じゃないからね。......むこうが『警告のみ』って言ってんのに、こっちからケンカ売っても、一文の得にもならないわ」

 何もない場所で戦うならば、私の大技一発で、あんなゴーレムは楽勝だ。しかし、ここではダメ。たぶん、魔法学院も一緒に吹き飛ばすことになる。そんなことをしたら、盗賊フーケよりも、私たちが重罪人になってしまう。

「それにしても......『白炎』メンヌヴィルに『土くれ』フーケ......。とんでもないところね、この魔法学院。......まるで魔の巣窟だわ」

「さすが、ルイズとキュルケの学校だな......」

 私とサイトは、しばらくの間、茫然とたたずんでいた。


(第二章へつづく)

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第二部「トリステインの魔教師」(第二章)

 翌朝の目覚めは、けっして不快なものではなかった。
 貴族が寝るためのフカフカのベッドの上で、隣には使い魔もいる。メイジ本来の姿で迎えた朝だからであろうか。
 眠っている間にいつのまにか使い魔を抱き枕にしていた......というのも、御主人様としては自然な行動なのかもしれない。しかし、その使い魔が私と同じ年頃の少年であることを考えれば、少し恥ずかしい。
 彼に気づかれないよう、ソーッと体を離して。ちょっと赤くなった自分の顔が元に戻るまで待ってから、使い魔サイトを叩き起こす。

「もう御主人様はお目覚めよ!? あんた、いつまで寝てるのよ!」

「ああ、おはようルイズ......」

 眠い目をこするサイトに、私は宣言する。

「ギトー派に参戦するわよ!」

「......は? ここのゴタゴタに......関わるの?」

 サイトは意外そうな顔をする。
 まあ、そうだろう。
 私たちがトリステイン魔法学院に来たのは、図書館の資料を見るため。
 それに、しばらく前ちょっとしたことがきっかけで、かなりとんでもない事件に巻き込まれ、やや消耗していたのだ。サイトに「ここではおとなしくしておくこと」とクギを刺したのも他ならぬこの私である。
 が......。

「そう。一応ここ、私が所属する魔法学院だから」 

 トリステイン魔法学院の名誉が失墜すれば、この学院出身メイジの肩身も狭くなる。それは気持ちの良いものではないのだ、貴族のプライドとしては。

「......っつうかさ。どうせルイズ、昨日ので、少し意地になったんだろ?」

「まあね。それは認めるわ」

 図書館ですれ違った思わせぶりな女性。そして、盗賊『土くれ』のフーケ。
 魔法に関して調べていた時だったので、図書館では一瞬混乱したが、たぶん彼女もフーケと同じ。現在の魔法学院のゴタゴタについて、言っていたのだ。
 それに、昨晩は、フーケと直接やりあうのは避けたのだが......。今にして思えば、なんだか気分がスッキリしない。

「ここで退いたら、盗賊ごときにビビって逃げたってことになるもん。......私たちが解決するのよ、この事件!」

########################

 私は食堂で、サイトは厨房で。
 それぞれ朝食を済ませた後、合流して、二人でギトーの部屋へ。

「なんだ、君か。何のようだね?」

「ボディ・ガードを探していると聞きましたが......」

「......ん? ミスタ・メンヌヴィルが余計なことを言ったのか」

 ギトーは、むすっとした顔をする。

「本当は......そんなもの必要ないのだがな。なにしろ私は『疾風』のギトー。最強の系統である『風』を操るメイジだ」

 は? ......『風』が最強ですって?
 一瞬、私がほうけている隙に。

「なんだ、その顔は? 知らなかったのか? ならば『風』が最強たる所以を教えよう......」

 また長話が始まってしまった!

「......簡単だ。『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も『水』も『土』も、『風』の前では立つことすら出来ない。残念ながら試したことはないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

 目の前にその『虚無』のメイジがいるとも知らずに、平然と言ってのけるギトー。
 世間では『虚無』は伝説なので、私も魔法学院のような場所では「自分は虚無です」などと吹聴したりはしない。頭オカシイと思われるのも嫌だし、そのたびにいちいち実演するのも面倒だし。
 本当は『虚無』だけど面倒だから『火』ということにしている。......と言うと、それはそれで、なんだか恥ずかしい気がするけど。

「......だから自分の身くらい、自分で守れる。しかし私を慕って、私の身辺警護をしたいという連中が後を絶たないのだ。君もそのクチだというなら、まあいい。仲間に入れてやろう。詳しいことはミスタ・メンヌヴィルに聞きたまえ」

 よかった。今日は、それほど長くなかった。
 解放された私たちは、新しい長話が始まる前に、急いで部屋を出る......。

########################

「......君たちも、こっちにつくのかい?」

 部屋を出てすぐの廊下に、一人の男がいた。
 扉の横の壁に、もたれかかっている。
 体が重すぎて、普通に立っていられないのだろうか......と、からかいたくなるような容姿の少年。昨日の朝コナをかけてきた太っちょ、マリコルヌだ。

「なーによ?」

「ミスタ・メンヌヴィルは、凄いメイジと凄い剣士が来たって言ってたけど......」

 彼の視線が私の全身を舐め回す。しかし、いやらしい目ではない。むしろ......バカにしたような目つきだ。

「ただの平民と、お子様じゃないか」

 こいつ!? 私の背と胸を見て言ったな!?
 思わず拳を握りしめたが。

「こんなところで暴れるなよ、ルイズ」

 サイトがとっさに制止する。
 それからマリコルヌに向かって。

「お前さあ、昨日はルイズをナンパしたんだろ?」

「貴族に向かって『お前』とは何だ、この平民が!」

 侮辱されたと思ったのか。しかし本気で杖を抜かないところを見ると、メンヌヴィルから聞かされているのだろう、サイトの強さを。メンヌヴィルだって直接見てはいないはずだが、どうやってか見抜いたようだ。

「......まあ、とにかく、だ。ええと、マリコルヌだっけ? 要は結局、俺たちがメンヌヴィルさんから高く評価されたのが気に入らない。しかも、ルイズはお前が口説きそこなった相手だ」

「う......」

「前半はともかく、後半は俺にもよくわかる。俺も男だからな。昔の俺を見てるみたいだ。......こっちの世界に来る前の俺を」

「......こっちの世界?」

「あ、俺、すごい遠くから来たんだ。えーっと......」

「東方よ。サイトは、ロバ・アル・カリイエの方からやって来たの」

 助け舟を出す私。異世界から来たことは隠そうと決めた時点で、打ち合わせもしたのだが、バカ犬のクラゲ頭では地名を覚えきれなかったようだ。

「なんと! あの恐るべきエルフの住まう地を通って!?」

「違うわ、そんなこと出来るわけないでしょ。こいつ、そこから直接、私に『召喚』されてきたのよ」

 これも事実とは違うけど、これが一番合理的だろうから、そういうことにしておく。

「......まあ、ともかく。俺の宝物を見せちゃおう」

「宝物?」

「ああ。昔の俺なら大喜びするはずの宝物」

 ちょっと私も興味をそそられる。

「サイトの宝......?」

「あ、ルイズにも見せたことなかったな。でも、これ、男の子向けだからさ」

「......何それ? あんた、何かスケベな物を......」

「違う、違う! スケベなんかじゃない! むしろ清楚だ! ......とにかく、百聞は一見にしかず、って言うし。俺についてきな」

########################

 いったん部屋に立ち寄り、何かの包みを手にしたサイトは、私とマリコルヌを連れて厨房へ。

「おう、『我らの剣』が来たぞ!」

 四十過ぎの太ったおっさんが、サイトを歓迎する。

「あれはマルトーさん。ここのコック長だよ」

 マリコルヌが教えてくれた。

「なんだい、貴族の方々を連れてきたんですかい?」

 マルトーは、私たちを見て顔をしかめる。
 魔法学院のコック長ともなれば、それなりに収入も多いのだろう。でも平民は平民。貧乏貴族より身分は下だ。貴族を嫌うのも、わからんではない。

「ああ、すいません。すぐに出ていきますから。ただ......手の空いてるメイドさんを二、三人、少しの間、貸して欲しくて」

「『我らの剣』の頼みなら聞いてやりたいが......」

 マルトーは、サイトとマリコルヌを見比べる。
 そして、心配そうに。

「まさか......貴族の慰み者にしようってわけじゃないでしょうね? あいつらは俺の娘みたいなもんで......」

「違う、違う! そんなじゃないから安心して!」

「そうか? 今なら......たぶんローラ、カミーユ、ドミニックあたりならば......」

 メイドらしき女性の名前を口にしながら、マルトーが奥へ引っ込んでいく。
 私は、サイトをチョンチョンと突ついた。

「『我らの剣』って何?」

「いやあ、ちょっと旅の話をしたら、そう呼ばれちゃって。まだ若い平民なのに剣一本で貴族と渡り合えるなんて凄い、って」

「何それ? 旅の話って......話だけでしょ? 信じてもらってんの?」

 こいつに嘘やホラを話す頭がないのは判っているが、それは今までの付き合いがあってこそ。会ったばかりの厨房の連中には、そこまでは判らんはずだが......。

「うん。その時、ちょうどメンヌヴィルさんが来てさ。俺の強さに太鼓判を押してった」

「メンヌヴィル? まさか......あいつとここで、やり合ったの!?」

「そんなわけないだろ。でも......一目見ただけでわかるんだってさ」

 ここでサイトは、私の耳元に口を寄せて。

「俺が異世界出身ってことまで、メンヌヴィルさんにはバレてた。なんか......『温度が違う』って言ってた」

 温度が違う、って......。メンヌヴィルは目で温度を検知できるのか?
 が、ここでサイトとの内緒話は終了。
 マルトーが、メイドを三人連れて戻ってきたのだ。

「二時間くらいなら、空いてるそうだ」

「はい! 喜んで!」

 揃って言った彼女たちは、三人とも若いメイドだ。私やサイトやマリコルヌと同じくらいの年頃。器量は悪くないし、スタイルも......悔しいが私より女性的だ。

「お願いがあるんだけど......」

 サイトが三人に近づき、持ってきた包みを渡しながら、耳元でゴニョゴニョ。

「えー。そんなことするですか?」

「でも......その程度なら......」

「そうね、サイトさんのためなら!」

 メイドたちは了承したらしい。

「じゃ、俺たちは先に行って待ってるから!」 

 なんだ? 宝物披露はここじゃないのか?

「......また移動するの?」

 マリコルヌも不服そうだが、サイトが宥める。

「心配すんな。次で終わりだ。いよいよ......舞台の幕が上がる!」

########################

 陽光まぶしいアウストリの広場で、私とサイトとマリコルヌは待っていた。

「サイト、もったいぶるのもいい加減にしたら?」

「ごめんな、仕込みに時間かかって。......じゃ、ネタばらしにならない程度に説明しようか。俺の国の女性の衣装によく似た服を、こっちで見つけてね。それを買った」

「女性の衣装? やっぱり、それって......」

 私のジト目に対して、サイトはバタバタと手を振る。

「違う、違う! だからスケベなもんじゃないって! むしろ清楚なんだってば! ......でもそれがいいんだ」

 意味がわからない。
 私とマリコルヌが顔を見合わせた時。
 メイド三人がやってきた。

「何......あれ?」

 サイトから渡された服なのだろう。異様な格好だった。
 白地の長袖に、黒い袖の折り返し。襟とスカーフは濃い紺色。襟には白い三本線が走っている。
 アルビオンの水平服らしいが、少し違う。胴の丈が短いのだ。スカートの上ぐらいまでしかなく、動けばヘソが見えてしまう長さだ。実際、三人は今、走ってきているので、ヘソがチラチラしていた。
 そしてスカート。私たち学生メイジが履くグレーのプリーツスカートだが、これも短い。膝上15サントくらい。よく働くメイドたちの健康的な太腿が、半分以上あらわになっている。

「おおおおおおおおっ!」

 宝物を見せると言っていたサイト自身が、宝を見て感激していた。
 そして、見せられたマリコルヌも。

「け、け、けしからん! まったくもってけしからんッ!」

 目を爛々と輝かせ、食い入るように見つめている。
 そして私たちの前まで来たメイドたちは、サイトに頼まれたであろう一芸を見せた。
 三人揃って、くるりと回転。スカーフとスカートが軽やかに舞い上がる中、指を立てて元気よく。

「お待たせ!」

 男二人の興奮が頂点に達した。

「おれッ、サイッコォオオオッ! 君たちも最高ぉおおおおオオオオッ!」

「ああ、こんなッ! こんなけしからん衣装と仕草! の、の、の、脳髄をッ! 直撃するじゃないかッ!」

 頭痛ひ。
 女の私には、全くもって判りませぬ。
 でも。
 男たちは懇願する。

「お願いだヨ。もう一回、頼むヨ」

 くるり。

「お待たせ!」

「うぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄が焼きつくッ!」

 くるり。

「お待たせ!」

「セーラー服ぅ最高ぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄がッ!」

 こうして。
 頭痛い子たちの演舞は、時間いっぱい繰り返された。
 あとで聞いた話によると、あれはサイトの世界の学生服。私たちくらいの年の女の子は、ああした格好で学校に通うのだそうだ。だから、あれも一種の望郷の念なのだ、と言っていたが......。
 ちなみに。
 この時からマリコルヌは、サイトをアニキと慕うようになった。

########################

 昼食の後。

「そっちはどうだった、サイト?」

「いない。ルイズのほうも......?」

「うん」

 サイトと再び合流。
 挨拶がわりに尋ねたのは、『白炎』メンヌヴィルのことだ。
 昨日は向こうからやってきたメンヌヴィルだが、今日は全く顔を見ていなかった。
 一応ギトー派についたと一言ことわっておきたかったが、まあ、いいか。コルベール派になる気はないから――たぶんフーケがコルベール派だから――形の上でギトー派になった、ただそれだけなのだ。

「......で、これからどうすんだ? 相手陣営の様子を探るとか?」

「そんなチマチマやるのは面倒でしょ。......だから学院長室へ行きましょう!」

「......? またギトーさんのところへ?」

「違うわよ、本物のほう」

 そもそもの騒動の発端は、学院長の失踪だ。彼を見つけ出すのが、手っ取り早い解決策のはず。それを調査するには、まず、学院長室だ。
 そう考えて、サイトと共に本塔の最上階まで行ってみたところ......。

########################

「あれ......?」

「何の御用でしょうか。オールド・オスマンは、ただいま不在ですが......?」

 学院長オスマンは行方不明だと聞いていた。だから彼の部屋も無人だろうと思っていたのだが、それは間違いだったようだ。
 学院長室では、机に座って書き物をしている女性がいた。

「なあ、ルイズ。学院長はいないって話だったけど......いるじゃん」

 不思議そうな顔をするサイト。
 ちょっと待て。
 それはそれで何か勘違いしているだろう!?
 案の定、目の前の女性が笑いながら訂正する。

「あら、私、そんなに高齢に見えるのでしょうか? いやですわ、まだ二十歳そこそこですのに......」

 二十代前半の女性だ。サイトは気づいていないようだが、私は彼女に見覚えがある。
 昨日図書館で私に、この一件には関わらないで欲しい、そうささやいて姿を消した眼鏡美人だった。
 しかし、まるっきしの初対面のような態度。
 それなら、こっちも芝居につきあうとしますか。

「私の使い魔が失礼をして、申しわけありません。私はルイズ・フランソワーズ。こっちは使い魔のサイトです」

「ああ、新しくやってきた......というより、戻ってきたという方が正確かしら? とにかく、来たばかりの学生メイジと、そのお連れ様ですね。......申し遅れました、私はオールド・オスマンの秘書です。ミス・ロングビルとお呼びください」

「では、ミス・ロングビル。あなたは、ここで何をしているのです?」

「何って......もちろん、私の仕事を」

 彼女はケロッとしていた。しかし、姿を消した雇い主を心配もせず、秘書仕事を続けるというのも不自然な話である。

「でもオスマン学院長は行方不明で、今はミスタ・ギトーが代理をしていると聞きましたが......」

「あら、事情通ですこと」

 彼女はホホホと、おしとやかに笑う。いかにも大人の女性といった感じだ。

「ですがミスタ・ギトーは、正式に引き継ぎをされたわけではありませんから。書類仕事などは、ここで私が続けております」

 なるほど。
 一応、スジの通った話ではある。
 しかし。
 ならば学院の業務そのものは、このミス・ロングビルが押さえているわけだ。結局ギトーは、お山の大将のように威張り散らしているだけ......ということか?

「で、そこまで御存知のあなた方は......学院長不在と知った上で、何しに来たのでしょうか?」

 今度は、そちらが追求する番か。まあ、適当なことを言ってあしらえばいい。
 ......と思っていたら。

「いやあ。ルイズが、学院長を見つけ出すんだ、って言うもんだから。そんで、ここに手がかりあるだろうから調べよう、って言うんで。......それで、来ました」

 何を馬鹿正直に話しておるのだ、このバカ犬は!?

「まあ、まあ! それは、ありがたいお話ですこと! オールド・オスマンを探し出していただけたら、それはもちろん、願ってもない話ですが......」

 微笑みを続けながらも、ミス・ロングビルの眼鏡の奥がキラリと光った。

「......大人の問題は、大人で解決しますから。学生の方々は、何も気にせず、どうぞ勉学に励んでください」

 これで会話は終わりという意味だろう。彼女は視線を机の上に戻し、中断していた書き物を再開する。
 言い方は柔らかいが、要するに学生は口を出すなということだ。
 うーむ。昨日の図書館での言葉も、この程度の意味だったのだろうか?
 それにしては、やけに勿体ぶった態度だったのだが......。
 釈然としないものを胸に抱えながら、私とサイトは学院長室を辞した。

########################

 ミス・ロングビルに言われたから......というわけではないが。
 学院長失踪事件に関してあからさまに調査するのは、一時中断。この日の残りの時間は、昨日同様、図書館で過ごした。
 トリステイン魔法学院にやってきた本来の目的、未知の魔法の手がかり探索に戻ったのだ。

「......でも結局、今日も何もナシね」

「なあ、ルイズ。これって、どっちつかずだよ。二兎を追うもの一兎をも得ずだよ」

 やはり昨日と同じく、暗くなった学院敷地内を女子寮へと向かう私とサイト。

「文句言わないの! あんたのための魔法探しなのよ!? それに......これはこれでカモフラージュになるじゃない」

「カモフラージュ?」

「そう。ここのゴタゴタからは、ちょっと手を引いてみました......って素振りを見せるの」

「誰に対して? 誰もいないじゃん」

 サイトがキョロキョロと周囲を見渡す。
 たしかに、月の光に照らされているのは、私たち二人のみ。他には誰もいない。それでも、気づかぬ何処かから見張られている可能性はあるのだ。

「......わかんないでしょ。昨日だって、突然......」

 その時。
 月がかげった。
 私とサイトは同時に振り向く。

「ワンパターンな登場の仕方ね......」

「暗い夜道は、盗賊のテリトリーってことか?」

 視線の先には、巨大な土のゴーレム。
 その肩に乗るのは、黒ずくめの怪人物。『土くれ』のフーケだ。

「我が言葉......無視する方を選んだか......それもまたよかろう......」

 フーケは、自問するかのような口ぶりで静かにつぶやいた。

「なーに? やろうってわけ......?」

「ならば、俺たちだって......」

 昨日とは違う。今夜のサイトは、私に言われて、ちゃんと持ち歩いていた。
 彼は今、背中から剣を抜く!

「よう、相棒! それに娘っ子! ようやく俺っちの出番かい!?」

「ああ、そうだな」

「待たせたわね、デルフ!」

 サイトの左手が、暗闇の中で強く光った。
 それを見て。

「我は盗賊......暗殺者ではない......宝を奪うのが仕事......」

 フーケが、再びブツブツとしゃべり始めた。

「......が......人の命もまた、時には宝!」

 うまいこと言ったつもりか!?
 巨大なゴーレムの拳が、私たちに迫る!
 だが! フーケがしゃべっている間に、私も準備していた!

 ドゥッ!

 私のエクスプロージョンで、ゴーレムの右腕が吹っ飛ぶ。
 魔法学院の庭先であまり派手にやりたくはないので、今のでもフル詠唱ではない。これならば、まだまだ何発も撃てる。あと二、三発、ぶち込んでやれば......。

「危ねぇっ!」

「え?」

 杖を振り下ろしたままの姿勢の私を、サイトが抱きすくめた。そのままバッと横っ飛び。
 たった今まで私たちがいた地点には、ゴーレムの巨大な拳がめり込んでいた。

「ボーッとすんな!」

 私を見もせずに叱責するサイト。剣を構えて、私に背中を向けていた。

「......再生したのね」

 なるほど、ただ大きいだけじゃないわけか。壊しても壊してもすぐに再生する、それが『土くれ』フーケ自慢の巨大ゴーレム!

「我がゴーレムは無敵......相手が悪かったな......」

 傲慢さも感じさせず、淡々とつぶやくフーケ。だが......『相手が悪かった』は、こっちのセリフ!

「サイト!」

「ああ!」

 再び迫る巨大な拳を、今度はサイトが魔剣で斬り飛ばす。
 どうせすぐ復活するだろう。が、それはそれで構わない。またサイトが斬ってくれるから。
 そうやって彼が盾になってくれている間に、私がやるべきことは......。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......ギョーフー・ニィド・ナウシズ......エイワズ・ヤラ......ユル・エオ・イース!」

 強い意思と共に、私は杖を振り下ろした。
 私の『解除(ディスペル)』を叩き込まれたゴーレムが、一瞬のうちに土に還る。

「ほう......さすが『ゼロ』のルイズ......」

 足場にしていたゴーレムが崩れる寸前、後方へ跳躍したのだろう。フーケは、ストンと地面に降り立った。

「今日のところは......我の負けだ......」

 クルリと反転し、走り出すフーケ。

「どうする? 今日も逃がしちゃうのか?」

「何いってんのよ、バカ犬! 昨日とは違うでしょ!? はっきりと敵対してきたんだから......逃がすもんですかっ!」

 奴がゴーレムを失った今が、奴を倒すチャンス!
 私とサイトは、黒いマントの後を追った。

########################

 黒いマント、黒いローブ、黒いフード。
 それがフーケの格好だ。
 夜の追跡行は、逃げる側が有利だった。
 ほどなく、私たちはフーケを見失ってしまった。
 しかし......。

「なんか......怪しいよな?」

「そうねえ......」

 フーケが消えた辺りに、見慣れぬ建物があった。
 学院の正規の宿舎とは違う、ボロっちい掘っ立て小屋。

「この中に逃げこんだのかな? もしかして......ここが『土くれ』フーケの隠れ家?」

「そんなわけないでしょ」

 いかにもバカ犬な意見。
 魔法学院の中にアジトを建てる盗賊がどこにいるというのだ!?

「でもよ。木を隠すなら森の中とか、灯台もと暗しとか言うじゃん? だからさ、おおやけの学校の中に拠点を作るのって、案外いいかもしれないぜ?」

 むむむ。そう言われると、そうかもしれないとも思えてきたが......。
 そうやって、扉の近くで二人で話し合っていたら。

 ガチャリ。

 小屋のドアが内側から開いた!

「何よ、騒がしいわね......」

 言いながら出てきた女性を見て、私もサイトも目を丸くした。

「なんで、あんたが......!?」

「ええっ!? どういうことだ......?」

 なぜならば、彼女は......。

「あら、ルイズにサイトじゃない。......何やってんのよ、こんなところで?」

 赤い髪を持つ、褐色肌の巨乳娘。
 私たちの旅の連れ、『微熱』のキュルケであった。


(第三章へつづく)

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第二部「トリステインの魔教師」(第三章)

「何やってんの、って......。キュルケこそ何やってんのよ!?」

 盗賊『土くれ』のフーケを追って、怪しい掘っ立て小屋まで来た私とサイト。
 しかしフーケの姿はなく、中から出てきたのは『微熱』のキュルケ。

「そうだぞ、そんな格好で何やってんだよ!?」

 サイト的にはポイントはそっちか、おい。
 もうベッドに入っていたのであろう、キュルケは寝まき一枚。いいえ、寝まきというより下着かしら? ベビードールと呼ばれるタイプの、男を誘惑するための下着......。

「あら? こういうの......珍しい?」

 燃えるような赤い髪を優雅にかきあげて、艶っぽく流し目を送るキュルケ。
 サイトがゴクリと喉を鳴らす。

「でも、ルイズだって寝るときはこうじゃないの?」

「そうだけど。でも何か違う......」

 サイトの返答に、キュルケがニマッと笑った。

「なーんだ。やっぱり......そうなんだあ?」

「違うわよ! 私は普通のネグリジェよ!」

 サイトをゲシゲシ蹴りつけながら、私が訂正する。

「痛ぇっ! やめろルイズ、おい!」

「下着と寝まきの区別もつかないバカ犬には、しつけが必要でしょ!?」

 男から見れば、どっちも同じに見えるのかもしれないけど。頭ではわかっていても、なんかムカツク。
 ......だいたい、私がネグリジェで寝るようになったのは、ここに来てからである。
 旅の宿は危険がいっぱい、いつでもサッと飛び出せる姿で寝ていた。が、ここは魔法学院。安心して、本来の貴族らしい格好で眠るようにしている。
 しかし、よく考えてみたら、教師メイジたちが派閥抗争をしていたり、『土くれ』フーケやら『白炎』メンヌヴィルがいたり。ここも安全ではないのかも......。

「それよりキュルケ。もう一度聞くけど、あんた、ここで何やってんの? 私とサイトは、怪しい奴を追ってたら、ここに辿り着いたんだけど......」

「怪しいのは、お前たちだ」

 突然、キュルケの後ろから別の女性が現れた。
 短く切った金髪の下、澄みきった青い目が私たちを睨む。ところどころ板金で保護された鎖帷子、そして滑らかな無地のマントに身を包み、腰には長剣と拳銃をさしていた。キュルケとは対照的な、物々しい出で立ちである。

「この者たちはお前の知り合いか、キュルケ?」

「ええ。ルイズとサイト」

 キュルケが紹介してくれたが......。
 私とサイトは、警戒を怠らなかった。
 この鎖かたびら女、できる。私たちでさえ気圧されそうな殺気を、全身から放っていた。

「そうか。一応、名乗っておこう。私はアニエス。コルベールのボディ・ガードをしている」

 あ!
 ようやく気がついた。
 コルベールは掘っ立て小屋にこもって研究をしている、って話だった。ここがその小屋、つまりコルベール派のアジトってことか。
 ならば、このアニエスが、メンヌヴィルの言っていた女剣士なのだろう。

「......お前も剣士か?」

「は、はい......」

 サイトの剣を一瞥しながら、声をかけた。それからジロリと私を見る。

「お前、『炎』使いだな? 焦げ臭い、嫌なにおいがマントから漂ってくる」

 いや私、『火』じゃなくて『虚無』なんですけど。
 でも面倒だから『火』ということにしているので、ある意味、都合が良かった。たぶん爆発魔法のせいでしょうね、マントが焦げ臭いというのは。
 しかし......使う魔法の種類を一瞬で察するとは、こいつも化け物の一種だな。なるほど、メンヌヴィルがコルベール側の戦士としてワザワザ言及しただけのことはある。

「そうよ。私は『火』のメイジ」

「......教えておいてやる。私はメイジが嫌いだ。特に『炎』を使うメイジが嫌いだ」

「はあ? それっておかしいんじゃねえの? ここのコルベールって人も、『炎』を使うメイジなんだろ?」

 おお、クラゲ頭のくせによく覚えていたな。しかし、やっぱりサイトはバカ犬だった。今は、それを言うべきタイミングではなかったのだ。
 アニエスの表情が、鬼のようになった。

「ああ、そうだ。だからこそ、コルベールは私が守ってやるのだ。......いつか私自身の手で殺すために」

 そう吐き捨てると、クルリと背を向けて、奥へ引っ込んでいく。

「なんだよ......それ......」

「......複雑な事情がありそうね」

 唖然とするサイトと私に向かって、キュルケが肩をすくめる。

「そういうこと。もう夜も遅いから、あなた達も部屋に帰って、おとなしく寝なさいな」

 そして彼女は、バタンと扉を閉めてしまった。

########################

「......で、キュルケは、あっちについたってわけ?」

「まあ、ね。......泊まり込みで警護してるわ」

 翌日。
 私とサイトは、廊下を歩いていたキュルケを私の部屋に引きずり込んだ。事情を説明してもらうためである。

「なんで?」

「だってミスタ・コルベールは、あたしと同じ『火』のメイジだもの」

「それはそうかもしれないけど。コルベールって......メイジとしては、たいしたことないんでしょ?」

 メンヌヴィルやギトーから聞いた情報を思い出す。コルベールは研究ばかりしている学者メイジで、魔法を使うのも嫌がるくらいだとか......。
 ところが、キュルケは首を横に振る。

「それが違うのよ。見ると聞くとでは大違い。実際に会ってみると......相当な凄腕よ」

 キュルケの声色が真剣なものに変わる。

「......そんなに?」

「ええ。おとなしいフリをしているから、みんな騙されてるみたいだけど......あれは、かなりの修羅場をくぐってきたメイジね。ルイズも会えばわかると思うわ」

 私ほどではないが、キュルケも腕前は確かなメイジ。そこまで彼女が言うのであれば、少しは信用してもいいのだろうか。
 しかし、それなら『白炎』メンヌヴィルもコルベールを高く買いそうなものだが......。

「あ!」

「......何?」

「なんでもないわ。ちょっと思い出しただけ」

 メンヌヴィルは言っていたのだ。コルベールには会ったことがない、と。会いに行っても女剣士に追い返される、と。
 そして、こうして私がアニエスについて思い浮かべたタイミングで。

「そういえばさ。あのアニエスって女の人......いったい誰?」

 サイトが、ちょうどアニエスのことをキュルケに尋ねた。

「ふーん。サイト......ああいうのが好み?」

「ちげーよ! なんでそういう話になるんだよ!?」

 キュルケだからである。
 ......と思ったが、とりあえず口には出さず、私は黙って二人の会話を聞く。

「あら。目つきは怖いけど、綺麗なお姉さんでしょ? 男装の麗人って感じで」

「そうだけどさ。遠くから見ている分にはいいけど......つきあったら身が保たないよ。なんだか、ゾッとするような......」

「相棒が言うのも、もっともだ。ありゃあ、復讐鬼の目だったな」

 剣士だから興味があるのか。魔剣デルフリンガーまで話に参加してきた。

「あら、さすが。よくわかったわね?」

「まあな。俺っちも色々、見てきたからなあ」

「そう言やあ、アニエスさん言ってたっけ。コルベールさんは自分で殺すとか何とか......」

「そ。他人に殺されたくないから、ボディ・ガードしてるの」

「何それ? だったらサッサと殺せば言いじゃん」

 物騒なことを言うサイト。こう見えてサイトも傭兵やってたわけだから、切ったはったの経験は、それなりにあるわけだ。

「それがさあ。何か約束してるらしいのよ。だから今は殺せないんだって。それに、彼女の復讐の相手はミスタ・コルベールだけじゃなくて......」

 キュルケが説明する。
 あのアニエスという女剣士は、ダングルテール出身。二十年前に村ごと焼き払われた場所である。世間では生存者はゼロということになっているが、唯一逃げ延びたのが、彼女だったらしい。
 そして、その事件の実行部隊の一員が、あのコルベール。彼の近くにいれば、当時の関係者と接触する機会もあるかもしれない......。

「......なるほどね。彼女の事情は、だいたいわかったわ。じゃあ聞きたいんだけど、コルベールが雇ってる連中の中に、『土くれ』がいるでしょ?」

 そろそろ話題を変えようと考えて、私が口を挟んだ。
 キュルケは、私の言葉を聞いてポカンとする。

「『土くれ』......?」

「そうよ。『土くれ』のフーケ」

 今度は、こちらが説明する番だった。
 関わるなと脅されたこと。ギトー派についたら襲撃されたこと。撃退したが逃げられたこと。その消えた先がコルベールの小屋近辺だということ......。

「......状況から判断して、ギトー派じゃないわ。つまりコルベール派......あんたの味方ってこと」

「『土くれ』のフーケが? ......いないわよ、そんな奴。ミスタ・コルベールが盗賊メイジなんて雇うわけないじゃない」

 むむむ。では、どういうことなのだ?

「それより、ルイズ。今の話だと、ルイズとサイトはギトー派ってことよね?」

 キュルケが、面白そうな顔をする。

「そうよ。ま、本気で肩入れするつもりはないけどね。......一応、形だけ」

「なんだか久しぶりね、あなたと戦うのも! そうよね、あたしたち、元々ライバルだったんだから......たまには......」

「へえ。じゃあ......」

 と、わざと言葉を区切って、もったいつけてから。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

「うわっ!? やめろルイズ、部屋ん中だぞ!?」

「じょ、冗談よ! あたしたち、友だちじゃないの!?」

 私がエクスプロージョンの詠唱を始めたら、サイトとキュルケが必死に止める。
 もちろん私だって本気ではない。ハッタリである。

「そう? じゃあ手を組みましょうね、キュルケ。両陣営の情報を持ち寄って考えれば......こんな抗争、すぐ終わらせられるわ!」

########################

 その夜。
 私とサイトとキュルケは、本塔の最上階に来ていた。

「ここがあなたの考える......事件解決の鍵?」

「そうよ。行方不明の学院長を捕まえて、この争いを終わらせるの!」

 キュルケから話を聞くまでは、コルベールの小屋にオスマン学院長室が囚われている可能性を考えていた。しかし彼女は、それはあり得ないと言う。
 ならば、一番怪しい場所はここである。

「でもさ、ルイズ。昨日も来たじゃん。美人の秘書さんに追い返されたけど......でも、部屋には他に誰もいなかったぜ?」

 単純な意見を述べるサイト。学院長室をくまなく探したわけではないのだから、隠れていたかもしれないのに。
 まあ、いい。私としても、厳密には、学院長室そのものを調べたいのではない。

「とりあえず......入りましょう。キュルケ、お願い」

「ええ、まかせて」

 普通の魔法が苦手な私の代わりに、キュルケが『アンロック』の呪文を唱える。
 学院内で『アンロック』を使うのは校則違反のはずだが、半分よそ者な私たちは気にしない。どうせ、ここにいるのも一時的な話だ。怒られたら「知りませんでした」と謝ればいい。

「......開いたわ」

「へえ。案外、不用心なのね」

 ちょっと拍子抜け。どうせ無駄だろうがダメもと......という程度だったのに。
 最悪の場合は、キュルケに『サイレント』をかけてもらった上で、私のエクスプロージョンで扉を壊すつもりだった。が、まあ手間が省けたのであれば、文句を言う必要もない。

「じゃあ......調べましょうか」

 なるべく音を立てずに侵入して、室内を物色する。
 窓からの月明かりに照らされる中、重厚なつくりのセコイアのテーブルが、大きな存在感を示していた。失踪中のオスマン学院長の物である。
 壁際には書棚があり、部屋の端には、あのミス・ロングビルという秘書が仕事をしていた机もあった。他には応接用のテーブルやソファ、観葉植物の鉢植えなどもあるが......。

「なあ、ルイズ。やっぱ誰もいないぜ?」

「あなたの鋭い推理って......あんまりアテにならないのねえ」

 私を馬鹿にしたようなサイトやキュルケの言葉。特に意見もなく、私についてきたくせに。
 でも、いいのだ。私には、さらに考えがあるのだから。

「そりゃあ、そうよ。あからさまな場所に、いないはずの人間とか、大切な物とか、隠しておけるわけないでしょ」

「じゃあ、何しに来たんだよ?」

「大切な物......? もしかして、あなた......」

 サイトと違って、キュルケは気づいたらしい。私は今の発言の中に、ヒントを紛れこませていたのだ。

「何かあるとしたら、誰も入れない場所。つまり......ここよ!」

 私は、足下の床を指し示した。

########################

 学院長室の一つ下の階には、宝物庫がある。そこには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているという。
 巨大な鉄の扉にはぶっとい閂がかかっており、閂は、これまた巨大な錠前で守られている。その鍵を持つのは、失踪した学院長、オールド・オスマンのみ。
 つまり......。

「この宝物庫こそが......誰も入れない、誰も調べていない場所ってわけ」

 もちろん、扉にも壁にも床にも天井にも強力な『固定化』呪文がかけられており、あの盗賊メイジ『土くれ』フーケの『錬金』にも耐え得るとさえ言われていた。
 でも。

 ドーン!

 さすがに、伝説の『虚無』魔法の物理的破壊力の前では無力だったようだ。
 学院長室の床――つまり宝物庫の天井――に向けて放った、小さなエクスプロージョン。力を加減した物ではあったが、それでも数発ぶち込んだら、私たちが通れる程度の入り口が出来た。

「なあ......これじゃ、俺たちが盗賊なんじゃねえか?」

「何いってんの。調査よ、調査!」

「ルイズの言うとおりだわ。あたしたち、別に何か盗み出すわけじゃないんだし」

 学院長室から、薄暗い宝物庫に飛び込む。
 窓もないため、キュルケが魔法で、小さな光源を作り出す。

「うわあ、凄いわね......」

 キュルケが感嘆の声を上げた。
 さすが由緒ある宝物庫。剣やら杖やら盾やら鏡やら、そういった一目見て何だかわかる物から、手にとってジックリ調べないと見当もつかない魔道具まで。
 思わず手が出そうになるくらい、色々あった。

「これだけあったら......少しくらい失敬してもわからないんじゃない?」

「だ、だ、だめよキュルケ。そ、それじゃ本当に泥棒になっちゃうわ......」

 あまりの誘惑に声が震えるが、グッとこらえる。
 こうした宝には関心が薄いはずのサイトまで、杖が並べられた一画を見つめていた。が、その様子がおかしいことに私は気づく。

「どうしたの? ......サイト?」

 行方不明のオスマン学院長を発見したわけではない。
 彼の視線の先にあるのは、どう見ても魔法の杖には見えない一品。その下の鉄製のプレートには『破壊の杖、持ち出し不可』と書かれている。

「何? あれが欲しいの......?」

 絶句して固まるサイトに、あらためて私が尋ねた時。

「なんじゃ、騒々しいのう」

 後ろから声をかけられ、私たちは振り返った。

########################

 そこに立っていたのは、長い口髭をたくわえた老人だった。杖とマントから見て、この老人もメイジなのだろう。何より、誰も入れないはずの宝物庫にいたということは......。

「オールド・オスマン......ですね?」

「そうじゃ」

 なるほど、聞いたとおりの外見だった。顔に刻まれた皺が、彼が過ごしてきた歴史を物語っている......という話だったのだ。
 百歳とも二百歳とも言われており、本当の年が幾つなのか、誰も知らない。本人も忘れているんじゃないか、という噂もあった。

「あなたを探していました」

「......わしを?」

「ええ。あたなが行方不明になって、学院は大変な状況で......」

「わしが行方不明......? ハッハッハ! 何をバカなことを! わしは現に、ここにおるではないか!?」

「いや、そういう意味じゃなくて......」

 この老人、私たちを煙に巻こうというのだろうか。あるいは、年でボケているのだろうか。

「君たちは何か勘違いしておるようじゃが......わしは、ここで調べ物をしていただけだぞ?」

「はあ!?」

 私だけではない。それまで私に会話を任せていたキュルケやサイトまで、揃って声を上げた。

「そういえば、いつからだったかのう? わし自身、覚えておらんのだが......」

 こいつ......。
 長生きし過ぎて、私たちとは時間の流れが違うのか?

「......そうか、行方不明と思われておったか。それはいかん」

 オスマンは、長い口髭をこすりながら唸った。

「考えてみれば......ミス・ロングビルにも告げずに、ここへ来てしまったからのう。誤解されるのも、無理はあるまいて」

 彼が、ようやく事情を理解した時。
 黒い影が、私たちの横をすり抜けた。

「誰!?」

「あっ!」

 少し前にサイトが見ていた『破壊の杖』を手に取り、再び私たちの横を。
 誰も対応できない素早さで、私たちが飛び込んだ穴から出ていく。

「......追うわよ!」

 放ってはおけない。私たちも学院長室へ上がると......。

「おかげさまで、これが手に入った。礼を言う」

 まるで私たちを待っていたかのように告げる怪人物。
 黒いマントに黒いローブに黒いフード。『土くれ』のフーケである!

「......では、さらばだ」

 私たちに姿を見せつけた後、学院長室の壁を『錬金』で土くれに変えて、フーケは外の闇へと逃げていく。ここの壁は宝物庫とは違うのだ。 

「待ちなさい!」

 私たちもフーケを追いかけようと思ったのだが......。

「何の騒ぎだ!?」

 学院長室の扉が開いて、大勢ドヤドヤと入ってきた。
 床にエクスプロージョンで穴をあける際には、キュルケに『サイレント』をかけてもらったのだが、『火』メイジである彼女の『サイレント』では不十分だったのか。あるいは、今のフーケの一件がうるさかったのか。
 ともかく。
 これでフーケを追って出ていっては、私たちこそ、逃げ出すように見えてしまうだろう。最悪のタイミングだった。

「なんだ!? ここで何をしているのだ!?」

 先頭に立っているのは、現在この学院を仕切っているつもりの『疾風』ギトー。他の教師や学生の中にも、見知った顔があった。太っちょのマリコルヌと、『白炎』メンヌヴィルだ。
 そして......。

「どうしたのだ?」

 離れた場所に引きこもっていた分、遅れてやってきたのが、コルベール派の剣士アニエス。頭の薄い中年メイジが一緒だが、たぶん、これがコルベールだ。
 私の予想どおり。

「ミスタ・コルベール! 君まで来たのか!? これは......君がやらせたのか!?」

 ギトーが中年メイジに歩み寄る。
 さあ、両派のボスが顔をあわせたぞ。まだ二人は気づいていないが、私たちの下には、失踪中と言われていたオスマン学院長もいるのだ。いよいよ、話は解決に向かうのか!?
 ......と思いきや。
 この場で最も興奮しているのは、『白炎』メンヌヴィルだった。

「おお、お前は......。お前は! お前は! お前は!」

 歓喜に顔を歪め、狂人のようにわめく。
 その異様な雰囲気に、一同がピタリと黙ってしまう。

「探し求めた温度ではないか! コルベールとは......お前だったのか! 懐かしい! 隊長どの! おお! 久しぶりだ!」

 メンヌヴィルは両手を広げ、嬉しそうに叫んだ。
 コルベールは眉をひそめる。同時に、アニエスが表情を変えて、その顔をコルベールに向けた。

「おい、コルベール。この男、今『隊長どの』と呼んだな? まさか、この男......」

「そうだよ、アニエスくん。私が君の村を焼いた時の......部下の一人だ」

 コルベールが告げた瞬間。
 アニエスが走り出した。

「ならば......貴様も!」

「なんだ? 邪魔をするな!」

 アニエス対メンヌヴィル。女剣士と炎使いの対決。

「やめろ! 手荒なことは......」

 ギトーの制止など笑止。
 メンヌヴィルの杖の先から、アニエスに向けて巨大な火の玉が飛ぶ。

「うぉおおおおおッ!」

 彼女は体に纏ったマントを翻し、それで火球を受けた。一気にマントは燃え上がるが、中に水袋でも仕込んでいたらしい。水蒸気が立ちこめる。火の威力が弱まる。
 それでも鎖帷子を熱く焼くが、彼女は根性で耐え抜き......。

「覚悟ぉッ!」

 しかし彼女が振り下ろした剣は、空を切った。

「ぅげっ!?」

 みぞおちにメンヌヴィルの杖を叩き込まれ、アニエスは崩れ落ちる。
 私たちの誰も手を出せない、一瞬にも満たぬ間の攻防だった。

「......お前も、なかなか強いなあ。だから後で、ゆっくり焼いてやるよ。デザートとして、な。......だが今はメインディッシュの時間だ!」

 残忍に笑いながら、再びコルベールへと向き直るメンヌヴィル。
 もうギトーも、何も言えなかった。今やメンヌヴィルには、ギトーの命令も通じない。
 これまで聞いた話を思い出せば、私にも、大まかな人間関係は理解できた。
 メンヌヴィルは、剣士アニエスの村を焼いたメイジの一人。つまりアニエスにとっては復讐相手の一人。
 そのメンヌヴィルがギトーの下についてまで探していたのが、かつての隊長コルベール。ようやくコルベールを見つけた今、彼がやるべきことは、ただ一つ。それを邪魔する者は、杖一本でダウンだ。

「面白いなあ、隊長どの。まさか貴様が教師をやっているとは! しかもあんな小屋に引きこもっていたとは! ......『炎蛇』と呼ばれた貴様が! は、はは! ははははははははははッ!」

 心底おかしい、とでも言ったように、メンヌヴィルは笑う。
 そして、グルリと辺りを見回した。

「説明してやろう。この男はな、かつて『炎蛇』と呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う部隊の隊長を務めていてな......。女だろうが、子供だろうが、構わずに燃やし尽くした男だ」

 先日ギトーは言っていた。コルベールは魔法を使うのを嫌がっている、と。生活に役立てようとしている、と。......なるほど、それは昔の行状を反省した結果だったわけだ。

「そして俺から両の目を......。光を奪った男だ!」

 昼間キュルケは言っていた。コルベールは凄腕のメイジだ、と。かなりの修羅場を経験しているようだ、と。......なるほど、実は『白炎』に大きな痛手を与えるほどの『炎蛇』だったわけだ。

「メンヌヴィルくん。ここは......私たちには狭すぎるだろう」

 コルベールが冷たく言い放った。
 メンヌヴィルにしてみれば、私たちを巻き込むことも、やぶさかではないだろう。が、コルベールに成長した自分の実力を見せつけるためには、コルベールも全力を出せる場が必要。そう判断したらしい。

「よかろう。外でやろうじゃないか、隊長」

 二人の炎使いが、静かに塔を降りていく。
 チラッと振り返ったコルベールの目は、こう告げていた。

「君たちは来るな」

 と。

「どうすんだ、ルイズ?」

「......無粋なことはしたくないわ」

「そうか......。うん、そうだな」

 頷くサイト。
 だから。
 私たちは、塔の窓から、二人の戦いを見守る......。

########################

 いつにまにか、月が雲に隠れていた。
 辺りはハケで塗ったような闇に包まれる。
 二人の放つ炎だけが、二人を照らす灯りだった。
 しかし......。

「一方的ね」

「そうね」

 私とキュルケには、この戦いの趨勢は明白だった。
 メンヌヴィルはコルベールに向けて次々と炎を発射しているのに、コルベールは防戦一方。
 闇の中を、右に左に逃げ惑う。攻撃に転じたくとも、闇の中のメンヌヴィルには攻撃をかけづらいようだ。

「どうした! どうした隊長どの! 逃げ回るばかりではないか!」

 風に乗って、メンヌヴィルの声が私たちにまで届いた。
 メンヌヴィルの炎球が連続で撃ち込まれ、コルベールはかわしきれなくなり、マントの端が燃えた。

「ねえ、ルイズ。もしかして、あの『白炎』メンヌヴィルって......」

「そうでしょうね。両の目を奪われた......って、さっき言ってたから」

 彼は盲目なのだ。
 蛇は温度で得物を察知するという話を聞いたことがある。それと同じなのだろう。まるで目が見えるかのように行動していたが、『見えていた』のではなく『熱』を感知していただけ。
 そういえば、サイトの体温が他とは違う......なんてことも言ってたんだっけ。今にして思えば、色々と納得である。
 が、そうなると。
 この勝負、やはりコルベールが不利だ。
 常人にとって闇の中の戦いはつらい。相手が見えないからだ。しかし盲目の炎使いにとって、闇は何のハンデにもならない。

「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は体だ!」

 狂気の笑みを浮かべて、散々に炎を飛ばすメンヌヴィル。
 時々コルベールも炎を放つが、手応えはない。
 上から見ていればわかる。狡猾なメンヌヴィルは、魔法を放つと同時に移動し、闇に消えるのだ。

「そこだ! 隊長!」

 一方、闇を見通すメンヌヴィルには、コルベールの位置は丸わかり。
 コルベールが茂みに隠れようと、塔の影に隠れようと、メンヌヴィルの魔法からは逃れられない。今のメンヌヴィルは、さながら、炎の大魔王であった。

「最高の舞台を用意してやったよ、隊長どの。もう逃げられない。身を隠せる場所もない。観念するんだな」

 逃げ惑ううちに、コルベールは広場の真ん中へとおびき出されていた。だが。

「なあメンヌヴィルくん。お願いがある」

「......なんだ?」

「降参してほしい。もう私は、魔法で人を殺したくないのだ......」

「おいおい、ボケたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様は俺が見えぬ。しかし俺には貴様が丸見えだ、貴様のどこに勝ち目があるってんだ」

「そうか......」 
 
 哀しそうに首を振り、コルベールは上空へ向けて杖を振った。
 小さな火炎の球が打ち上がる。

「なんだ? 照明のつもりか? あいにくとその程度の炎では、辺りを照らし出すことなど適わぬわ」

 嘲るように吐き捨てたメンヌヴィルが、呪文を唱え始める。
 しかし。
 第三者として戦場を俯瞰していた私たちにはわかった。思わずキュルケと顔を見合わせる。
 二人とも同じ考えだ。今までの私たちの予想は間違っていた......。そう顔に書いてあった。
 理屈も何も不明だが、女の直感が――戦い慣れたメイジの直感が――勝者を正しく理解していた。
 そして。

「なんだこりゃあああああああ!?」

 見物していたサイトが叫んだのも無理はない。
 空に浮かんだ小さな炎の球が爆発。その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がる。
 それが止んだ時......。
 メンヌヴィルは、既に事切れていた。

########################

「あれは......『爆炎』だわ......」

 キュルケが震える声でつぶやいた。『火』のメイジである彼女は、今の魔法を噂で聞いたことがあったらしい。
 火、火、土。火二つに土が一つ。土系統の『錬金』で空気中の一部を気化した油に変えて、空気と撹拌。そこに点火して巨大な火球を作り上げる。それは周囲一帯の酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させる......。

「うわっ、えげつねえ......」

「敵が闇の中にいるなら闇ごと葬りさればいい......ってことね」

 キュルケの説明を聞いて、サイトと私が感想を述べた。
 あの瞬間、メンヌヴィルは呪文詠唱しており、口を開いていた。一気に肺から酸素を奪い取られ、窒息したわけだ。
 一方、コルベールは口を押さえながら身を伏せていたから大丈夫。
 コルベールは、広場へ誘い出されたように見えて、逆に相手を誘い込んでいたのだ。誰もいない広場の真ん中でなければ使えない大技だったから。
 そのコルベールが今、私たちのところに戻ってきた。

「終わったのか......?」

 いつのまにか復活していたアニエスが、コルベールに歩み寄る。

「......ああ」

「そうか、では......」

 雇い主と護衛という関係だ。メンヌヴィルと戦った者同士だ。労り合うのだろうか......と思いきや。
 その場に座り込んだコルベールに対して、アニエスが剣を突きつける。

「ちょっと!?」

 キュルケが叫ぶが、コルベールとアニエスの耳には入らない。完全に二人だけの世界だった。

「私は約束した。いつか私が貴様を殺す......と」

「......ああ」

「貴様は約束した。もう二度と炎で人をあやめない......と」

「......ああ」

「私たちは約束した。次に貴様が炎で人をあやめた時、私が貴様を殺す......と」

「......ああ」

 剣を握るアニエスの手に、力が入る。

「お願い、やめて!」

 キュルケの制止の声は届かなかった。
 アニエスの剣が一閃する。
 しかし......血しぶきは舞い上がらない。アニエスの剣が裂いたのは、コルベールの服だけだ。
 首の後ろが切られ、彼の首筋の古傷があらわになる。引き攣れたような火傷のあとがあった。

「やはり......そうか......」

 はたで見ている私たちには理解できないが、たぶん二人だけにわかる、何かの証なのだろう。
 アニエスは剣を鞘に納め、クルリと後ろを向いた。

「約束は守る。だから......貴様も守れ」

「アニエスくん......?」

「今晩あそこで貴様が殺したのは、人ではない。人の皮を被った化け物だ」

 コルベールに背中を向けたまま、彼女は語り続ける。

「だから私は、まだ貴様を殺さない。だから私が殺す日まで、貴様は生き続けろ。勝手に死ぬな。......もし一人で生き続けるのが難しいのであれば、そばで私が、貴様の命を守ってやる」

 そして彼女は、先に一人で歩き去っていく。
 ......なんだかなあ。素直じゃないなあ、アニエス。
 私はそう思うのだが、ともかく。
 こうして今宵の騒動は、閉幕したのであった。


(第四章へつづく)

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第二部「トリステインの魔教師」(第四章)【第二部・完】

 しばらく行方不明だった学院長、オールド・オスマン。彼が戻ってきたことで、トリステイン魔法学院にも平和な日常が帰ってきた。
 コルベール派とギトー派に別れて行われていた抗争ごっこも終了。コルベールは研究室に閉じ篭っていた間の出来事を反省し、真面目に授業をするようになった。ギトーはコルベールの実力を思い知り、大っぴらに彼を馬鹿にすることはなくなった。......生徒に対しては相変わらず「『風』が最強」と言っているらしいけど。
 コルベールに雇われていたアニエスは、彼の秘書兼助手という身分を与えられて、正式に魔法学院の一員になった。
 そして、私とサイトとキュルケの三人は。
 
「見なかったことにしろ......ですって?」

「そうじゃ。これ以上のゴタゴタは、もうたくさんじゃろ?」

 オスマン学院長から、盗賊フーケの一件を口止めされてしまった。
 盗賊『土くれ』のフーケが『破壊の杖』という宝物を盗み去った現場にいたのは、私たち三人とオスマンのみ。四人で口裏を合わせてしまえば――賊が忍び込んだが私たちがいたので何も盗み出せなかったと言い張れば――問題ないというわけだ。

「でも......大切な宝を盗まれちゃったんでしょ?」

 オスマンは首を振る。

「この学院にとって一番の宝は、生徒たちじゃ。彼らが貴族の精神や魔法をしっかり学べる環境を整えることこそ、わしらの一番の仕事。......せっかく取り戻した平穏な日々を、これ以上かき乱したくないわい」

 魔法学院を早く以前のような静かな学び舎に戻すためにも、もう騒動は懲り懲り。フーケに宝を一つ盗まれたことくらい、目を瞑ろう。
 それがオスマンの考えらしい。
 そもそも、フーケが難攻不落の宝物庫に侵入できたのは、私がエクスプロージョンで穴を開けたせい。ちょっと責任も感じていたので、なかったことにしてくれるというのであれば、まあ助かると言えば助かるのだが......。

########################

「なんか......しっくりこないわね」

 部屋でサイトを前にしながら、私は、少し不機嫌な顔をしていた。
 魔法学院の女子寮なので、部屋といっても、結構な広さがある。大きなベッドの他にタンスやテーブルもあり、私とサイトは今、テーブルを挟んで椅子に腰掛けていた。

「......そうだな。俺も、なんだか、よくわからん。結局......何がどうなってどうなったんだ?」

「おい、娘っ子。たぶん相棒は、ちゃんと理解してねーや。説明してやれよ」

「そうね......」

 口に出して説明するのは、自分の考えを整理する意味ではプラスになる。バカ犬のクラゲ頭も、たまには役に立つということだ。

「まずは......私たちが事件に首を突っ込んだ理由ね」

 態度の悪いギトーや会ったこともないコルベール。最初は、どちらに肩入れするつもりもなかったのに。
 図書館でミス・ロングビルから、その後、夜には『土くれ』フーケから。同じ日に二人から「関わるな」と言われて、私たちは方針変更。

「......ん? あの秘書さんと盗賊フーケって、同じこと考えてたの?」

「そんなわけないでしょ。ミス・ロングビルは、翌日直接私たちにも言ったように、学生を厄介ごとに関わらせたくなかったの。しょせん学院の秘書、裏のない人だったね。でも、『土くれ』のフーケは、裏をかいた」

「裏をかいた......?」

「そう。フーケは本心から『関わるな』と言ったわけじゃない。フーケは私たちを挑発したのよ」

 おそらくフーケは、『ゼロのルイズ』の噂を聞いたことがあったのだろう。私の力ならば、宝物庫にも入れるかもしれないと考えたのだろう。
 ただし、もしもフーケに挑発されておとなしく引っ込むようなら、噂はしょせん噂。どうせ役にも立たない。一方、噂どおりの凄いメイジであるならば......。

「......で、まんまとノせられたわけか」

「そーいうこと! ......結局はフーケの目論みどおり、私の力が宝物庫への道を作ってしまったんだわ」

「なるほどな......。それで『裏をかいた』か。女って複雑なんだな......」

 内心で歯がみした私は、うっかり彼の言葉を聞き落とすところだった。

「......何よ? フーケは、ちゃんとそれを読み切ったわけでしょ?」

「だから......それは、フーケも女だからだろ?」

 え?

「はあ!? サイト......何いってんの!?」

「あれ? ルイズ......気づいてなかったのか? あの身のこなしというか、スタイルというか......。そりゃあマントやローブで全身隠してたけど、どう見ても女だったぞ、あれは!?」

 真顔で言い切るサイト。

「......そ、そんな重要な情報、なんで今まで黙ってたのよ!?」

「だって! ルイズも当然わかってるって思ったから! ......痛っ! おい、やめろ!」

 とりあえずポカポカとサイトを殴りつけながら、よく考えてみる。
 フーケが女性だとしたら......もしかして......。
 今にして思えば、あの時、学院長室が『アンロック』で簡単に入れたのも、フーケが事前に何か細工をしていたから......かもしれない。
 そうなると......。

「サイト」

「......なんだ?」

 手を止めて、私も真剣な顔をする。

「もう一度、学院長と話し合いましょう」

########################

 たまたま廊下を歩いていたキュルケも加えて、私たち三人は、学院長室に乗り込んだ。

「......なんじゃ?」

 ちょうどサイトもオスマンに聞きたいことがあったというので、まずは、その件から片づける。

「あの『破壊の杖』は、俺が元いた世界の武器です」

「ふむ。元いた世界とは?」

「俺は、このハルケギニアの人間じゃない」

 こいつ......。異世界出身ということは内緒にしておくはずだったのに。
 まあ、事情が事情なので、仕方がないか。
 杖には見えなかった『破壊の杖』がサイト同様、この世界に紛れこんできたというのであれば。サイトの世界へ戻るための手がかりになるかもしれないのだ。
 でも......こんな話を持ち出すのであれば、まずは人払いを頼んで欲しかった。部屋の端の机では、ミス・ロングビルが眼鏡に手をかけて、興味深そうに瞳を光らせている。

「あの『破壊の杖』は、俺たちの世界の武器だ。あれをここに持ってきたのは、誰なんです?」

 年寄りにもわかりやすく、再び同じようなことを口にしながら、詰問するサイト。
 オスマンは、ため息をついた。

「すまんのう。わしも知らんのじゃ。あれは、わしが学院長に赴任する前からあったお宝でな」

 その答に、サイトはガックリ肩を落とす。
 だが。
 ここで私が口を挟んだ。

「知らないはずよね......。だって、あんた、本物のオールド・オスマンじゃないもの!」

「ええっ!?」

 真っ先に驚きの声を上げたのは、ミス・ロングビル。
 私は口元を歪めながら、説明する。

「オールド・オスマンが失踪したのは、昨日や今日の話じゃなかったでしょ? ずっと宝物庫にこもってたっていうなら、食べ物とかトイレとか、どうしてたのよ?」

「おい、ルイズ。それじゃ......このジイサン、人間じゃないのか!?」

「なるほどね。あなたの考えてること......わかったわ」

 異世界人のサイトと違って、メイジであるキュルケは理解したようだ。
 この世界には、ガーゴイル(魔法人形)というものが存在する。土系統の魔法で作られたシロモノだが、ゴーレムとは違う。自立した擬似意志で動く。

「ここまで精巧な、人間そっくりなガーゴイルは初めて見たけど......敵は有名な土メイジですからね。これくらい不思議じゃないわ」

「なんと! わしがガーゴイルだというのか!? 酷い話じゃな!」

 あの時『オスマン』は、私たち三人の後ろから出現した。三人が見ていない隙に、私たちと同じ穴から入ってきたに違いない。

「......致命的なミスを犯したわね。オールド・オスマンは、たしかに宝物庫の鍵を持っている。でも......辻褄が合わないのよ」

「どういう意味だ?」

 不思議そうな顔をするサイトに、私は説明する。たぶん、こいつが理解できれば、全員が理解できるはず。

「あのね。宝物庫の扉には閂がかかっていて、そこに錠前がついているの。扉そのものに錠前がついてるわけじゃないの」

 もしも扉そのものに錠があるなら、外から開け閉めするだけでなく、中から開け閉めすることも出来るだろう。しかし、そうではないのだ。

「......かりに鍵で開けて中に入ったとして、どうやって中から鍵かけるのよ?」

「魔法があるじゃん。レビなんとかだか、フライだかってやつ。あれで、手を触れなくても、離れたところのもん、動かせるんだろ?」

「馬鹿ね。そんなことしたら、今度は中から開けられないじゃない。鍵は外なんだから。......自分が閉じこめられちゃうわよ?」

「......そうか! さすがルイズ、賢いな!」

 厳密には、この話は穴だらけだ。外部に協力者がいればいいのだから。が、その場合も「誰にも知らせずに宝物庫に入っていた」という言葉は嘘になる。

「......どう?」

 とりあえず、勢いを重視。
 私はバシッと、『オスマン』に指を突きつけた。
 その時。

「......話は聞かせてもらった!」

 バタンとドアが開いて、入ってきたのはマリコルヌ。
 なんだ? 今いいところなのに!?

「君の推理は素晴らしいよ、ルイズ! だから......僕が決定的な証拠をお見せしよう!」

 そして彼はツカツカと、ミス・ロングビルに歩み寄る。

「ひとつお聞かせ願いたい。ミス・ロングビル、このオールド・オスマンが戻ってきてから......あなたは、スカートの中を覗かれましたかな? お尻を撫で回されましたかな?」

「そう言えば! まったく何もされてませんわ!」

「......見ろ! このオスマンはニセモノだ! 本物のオールド・オスマンはスケベで有名。久しぶりに会ったミス・ロングビルに何もしないわけがない!」

 えっへんと胸を張るマリコルヌ。
 だが。

「どこが決定的な証拠じゃあああ!」

「ぎゃあっ!?」

 私は、つい彼を蹴り飛ばしてしまう。
 補足の状況証拠としては悪くなかったけど、突然出てきて大いばりで話すほどではないと思ったのだ。

「私が......本物の『決定的な証拠』を見せて上げるわ!」

 私は呪文を唱え始める。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン......ギョーフー・ニィド・ナウシズ......」

「おい、ルイズ! 部屋ん中だぞ!?」

 サイトが慌てている。
 攻撃呪文のわけないのに。
 彼の前で唱えたことある呪文なのに。
 チラッとミス・ロングビルを見ると、彼女の表情は、サイトとは違っていた。
 ......ふーん、やっぱり。

「......エイワズ・ヤラ......ユル・エオ・イース!」

 『オスマン』に向けて、杖を振り下ろす。
 ガーゴイルにかかっていた魔法が『解除』されて、それはボロボロと崩れた。

「ね。やっぱりガーゴイルの一種だったのよ」

 これで『オスマン』が偽物だったことは判明したが......。
 事件は解決するどころか、振り出しに戻った。

「じゃあ、本物のオスマンさんは、どこにいるんだ!?」

 口にしたのはサイトだが、それは誰もが感じていた疑問。
 私たちは顔を見合わせたのだが......。
 その答は、意外なところから与えられた。
 
「おい、なんだ、このサラマンダーは!?」

「あら、フレイムじゃないの」

 突然、キュルケの使い魔が入ってきたのだ。初めて見るマリコルヌは驚いているが、私たちは平然としている。
 ミス・ロングビルも落ち着いているが......。彼女は彼女で、色々なものを見慣れているんでしょうね。

「そういえば......久しぶりね」

「そう。フレイムには、ちょっとした用事を言いつけていたの。あたしも、すっかり忘れていたわ!」

 あっけらかんと語るキュルケに、フレイムは何だか悲しそうだ。
 それでも主人には逆らえない、それが使い魔。
 どうやらフレイムはオスマンを探すように命じられて、学院の外へ出ていたらしく......その居場所を発見したのだという。
 なんというグッドタイミング!

########################

 近くの森の廃屋に、長い口髭の老人が隠れ住んでいる。
 それがフレイムの持ち帰った情報だった。

「長い口髭の老人? それはオールド・オスマンです! 間違いありません!」

 ミス・ロングビルが御者を買って出て、馬車で私たちは出発する。
 オスマンが偽物だったことは、この五人の秘密。他の誰にも知られぬうちに、本物を連れて来ようという話になった。
 馬車といっても、屋根ナシの荷車のようなもの。
 手綱を握る彼女の横には、案内役のフレイム。そして荷台に、私とサイトとキュルケとマリコルヌが座る。

「それにしても......。なんでオールド・オスマンは、そんなところに隠れているんだろう?」

 荷台の柵に寄りかかりながら、マリコルヌがポツリとつぶやいた。
 私とキュルケは、顔を見合わせながら。

「そりゃあ、ねえ?」

「たぶん、フーケにさらわれたんでしょうね」

「......フーケ?」

 怪訝な顔をするマリコルヌ。
 そうか、こいつ、フーケが関わってることも知らんのか。

「『土くれ』のフーケよ。名前くらい聞いたことあるでしょ?」

「『土くれ』のフーケって......あの有名な盗賊フーケか!?」

 マリコルヌはかすれた声を上げる。

「ち......ちょっと待てよ! ま......まさかと思うけど、君たちひょっとして、あの大盗賊フーケ相手にことを構えるつもりなのか!?」

 何を今さら。
 サイトも呆れている。

「ことを構えるも何も......。すでに俺たち、フーケの巨大ゴーレムとも、やり合ってるしなあ」

「巨大ゴーレム!?」

「そうよ。三十メイルくらいあったかしら?」

「さ! 三十メイル!?」

「あたしはまだだけど......ルイズたちは二度、戦ったんでしょ?」

「に! 二度!?」

 文字どおり目を剥くマリコルヌ。
 あ。
 変な力のかけ方をしたようで、寄りかかっている柵が壊れた。ついに彼の体重を支えきれなくなったのだ。
 ベシッと変な音を立てながら、マリコルヌが馬車から落ちる。
 すぐに起き上がったが、もう顔は真っ青だった。

「冗談じゃない! 僕たちは学生だぞ!? そんなのと戦えるわけないだろ! ......もう君たちにはついていけない! 僕は降りる! 降りたからな!」

 言うなり彼は走り出す。馬車の進む方向ではなく、来た道を戻る向きに。
 私たちは、黙ってそれを見送った。
 やがて、彼の姿が見えなくなってから。

「馬車......軽くなりましたね」

 ミス・ロングビルが、冷たく言い放った。

########################

 深い森に入ってしばらく進んだところで、ミス・ロングビルが馬車を止めた。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 森を通る街道から、小道が続いている。
 私たちは頷き、全員が馬車から降りた。
 フレイムを先頭にして、少し歩くと......。
 開けた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。

「あの中にいるのでしょうか......?」

 空き地の真ん中に廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろう。朽ち果てた炭焼きらしき釜と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。

「どうするんだ、ルイズ? みんなで突入するのか?」

「いや......それより......」

 サイトの質問には答えずに。
 私は、ミス・ロングビルに向き直った。

「そろそろ......正体をあらわしたらどう?」

 そう私が言った途端。
 彼女は、ザッと後ろに飛び退いた。
 しらばっくれるかと思ったが......意外に変わり身も早いようだ。

「さすがは『ゼロ』のルイズ。ま、あんたには気づかれてると思ったわ。......でも、いつから?」

「色々と怪しかったけど......確信したのは、ついさっきよ。学院長室で私が『解除(ディスペル)』を使った時。あんた、私の呪文詠唱を初めて聞くはずなのに、知ってますって顔してたからね」

「そうかい......。わたしとしたことが、とんだミスをしちまったようだねえ」

 目の前の女性は眼鏡を外した。優しそうだった目が吊り上がり、猛禽類のような目つきに変わる。

「おい、ルイズ。これって一体、どういうことだ!?」

「サイト。私の部屋であんたが言ったこと、実は大正解だったのよ」

「俺が言ったこと......?」

「そう。秘書ロングビルと盗賊フーケは同じこと考えてたのか、って。......そのとおり、二人の考えは同じだった。なにしろ......ミス・ロングビルこそが盗賊『土くれ』のフーケだったんだから!」

 フーケが宝物庫から宝を盗み出して、大騒ぎになった時。
 あれだけ多くの人がやって来たのに――ミスタ・コルベールまで来たのに――、ミス・ロングビルは顔を出さなかった。今にして思えば、彼女はフーケとして逃走中であり、だからこそ不在だったのだ。

「フフフ......」

 私に断言されても、フーケは、ただ笑うだけ。
 いつのまに呪文を唱えていたのか、その背後に巨大なゴーレムが出現する。

「わたしは殺し屋じゃないからね。本当は殺生はしたくないんだけど......。正体を知られたからには、始末しなきゃいけないのかねえ?」

 言いながら身軽にゴーレムに飛び乗るフーケ。
 私に一度ゴーレムを倒されているくせに、ずいぶんな自信である。
 ......まあ、あの時はフーケも本気じゃなかったんでしょうね。あの晩のフーケは、私たちをコルベールの研究室へ誘導するのが目的だった。あそこには特に何もないと私に教えておかないと、私が宝物庫へ行き着かないから。

「あんたが私を事件に巻き込んだのは、宝物庫への入り口を私に作らせるためね?」

「......そのとおりさ」

「失踪事件を引き起こしたのは、オスマンを偽物とすり替えるためね?」

「......そのとおりさ」

 オスマンが行方不明の間、ギトーは威張っているだけで、事務手続きなどは秘書のロングビルことフーケがやっていた。つまり、学院の業務は、フーケの思うがままだったのだ。
 当然、偽オスマンが戻ってきた後も、偽オスマンを操るフーケが魔法学院を牛耳ることになる。

「なあ、ルイズ。俺......よくわかんないんだけど?」

「サイトは本当にバカ犬ね。......よーく考えてごらんなさい。もしも突然オスマンが偽物になったら、些細な違いからバレるかもしれないでしょ。でも、しばらく不在だったら、それも判別しにくいわ」

 人間なんてそんなもんだ。昨日と違えば違和感を覚えるかもしれないが、「しばらく見ないうちに変わったな」ならば納得してしまう。

「いや、そうじゃなくてさ。フーケは......この人は盗賊だろ? あの学校を支配して、何の得があんの?」

 ふむ。
 それは私にもわからない。
 宝を盗むだけなら、そこまでしなくてもいい......というか、私を利用した時点で完了しているわけだし。
 こればっかりは、本人に聞いてみないと......。

「......というわけでフーケ! きっちり白状しなさい! なんで学校ごと盗もうとしたの!? 普通の学校には通わせられない、わけありの隠し子でもいるわけ?」

 フーケがピクッとした。
 あれ? さすがに今のは冗談で言ってみただけなのに?
 盗賊フーケって、見た目は二十代前半だが......実は、大きな子供がいるのか!?

「それは......さすがに秘密だよ!」

 フーケのゴーレムが腕を振るった。
 サイトが魔剣で受け止める。

「殺すのは、そっちの使い魔君に『破壊の杖』の使い方を聞いてから......って思ったんだけどね! どうやら、それどころじゃなさそうだ!」

 なるほど。ここまで私たちについて来たのは、そういう理由もあったわけか。サイトが『破壊の杖』は自分の世界の武器だと言ったので、サイトならば色々知っていると思ったのか。
 小屋に入ったら、本物のオスマンを人質にでもするつもりだったのだろう。
 でも、事情が変わったらしい。正体がバレたので......ここで決着をつける気だ!

「ルイズ! 早く......あの呪文を!」

「そうよ! 一度は撃退したんでしょ!?」

 サイトの剣撃、そしてキュルケとフレイムの炎が、私を守る盾になってくれている。
 その間に呪文を撃て、ということのようだ。

「フン! この間とは違うんだよ! あんたと私と......どっちの精神力が上か、くらべてみるかい!?」

 フーケはフーケで、勝つ気十分。
 私が『解除(ディスペル)』でゴーレムを土に戻したら、すぐ次を作るつもりらしい。そして、また『解除』されたら、また作る。その繰り返しに持ち込む予定だ。
 大人と子供の精神力のキャパシティを考えれば、先に精神力が尽きるのは私。そういう魂胆なのだろうが......。
 正直、さっき学院長室でフル詠唱の『解除(ディスペル)』を使ってしまったので、もう一発さえつらい。やはり『虚無』魔法は伝説だけあって、かなり精神力を消費するのだ。
 でも大丈夫! 私には、純粋な虚無魔法とは異なる技がある! あっちも魔法だが、他の存在の力を借りるものだから! 今の私でも使えるはず......。

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」

 私の呪文詠唱を聞いて、フーケの顔色が変わる。
 なにしろ、ルーン語ではなく口語なのだ。一般的に使われる、簡単なコモン・マジックとも違う。
 フーケだって、初めて聞く呪文なのだろう。

「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」

 大人しく学院の敷地内でやり合ってりゃ良かったものを。
 こんな誰もいないところまで来た時点で、フーケの負けは確定していたのだ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「......あっけないわね」

「わ、わ、私が本気出せば......ざ、ざっとこんなもんよ......」

 ゴーレムと共に吹っ飛んだフーケは、見つけ出して捕縛した。まだ意識を失っているが、一応、生きているようだ。
 ちゃんと小屋を背にして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を放ったので、そちらに被害はない。中にいるであろうオスマンも無事なはず。
 ただ......。
 ちょっとばかし森が消滅したようだが、まあ、これは不可抗力よね。小心者の私は声が震えてしまうが、きっと気にしてはいけないのだろう。

「と、とにかく......。あとはオスマン学院長を連れ帰るだけだわ」

 私たちは、廃屋の中へと入っていく。
 一部屋しかない小屋だった。入ってすぐの棚に、『破壊の杖』もある。部屋の真ん中には埃の積もったテーブルがあり、その向こうの椅子に、一人の老人が座っていた。
 長い口髭をたくわえた、皺だらけの老人。初めて会う人物だが、初めて見る顔ではなかった。

「オールド・オスマン......ですね?」

「そうじゃ」

 彼は、丸い石を手にしていた。水晶球のような、赤い宝玉だ。

「それは......?」

「これは『契約の石』じゃ。彼女が......わしにくれたのじゃよ」

 契約の石。
 名前だけはよく知られている、伝説のマジックアイテムだ。
 まるで悪魔と不死の契約をして魂を石に封じ込めたかのように。
 それがあれば、とんでもない長寿が得られるという。石が破壊されない限り、ほぼ永遠に生き続けられるという。
 なるほど、百歳とも二百歳とも言われるほどオスマンが長生きなのは、この『契約の石』のおかげだったのか......。

「彼女は......。こんな......かりそめの不死ではなく、本物の不死をくれると言ったのじゃ。そのために、もっと凄いマジックアイテムを探し出してやろう。学者バカのコルベールにも、そういう研究をさせよう。......そう言っておった」

 どうやらフーケは、オスマンを適当に言いくるめて、ここに隠していたようだ。
 サッサと殺してもよかったのに。
 どうやら、無用な殺生を好まないというのは、本当だったらしい。

「わしも、薄々は気づいておったよ。彼女が普通の秘書ではない......と。こんな魔道具を持っている女性が、普通の秘書のわけがない......と。しかし......わしは彼女の言うことには、逆らえなんだ。なぜ、と聞かれても困るのじゃが......」

 しみじみ語る老人に、サイトが男として同意する。

「......しかたねーよ、じいさん。美人はただそれだけで、いけない魔法使いなんだ」

「そのとおりじゃ。その若さで君は、すでに真理を悟っておるのう」

 おい。
 私もキュルケも、呆れた目で男たちを見る。

「でもよ、じいさん。そんなに長生きして......何がしたかったんだ?」

「したかったこと......か。わしは、ただ......もっともっと、おなごと遊びたかっただけじゃ」

「そうか。それなら......しかたねーよな......」

 そういえばマリコルヌが言っていたな。オスマンは有名なスケベだった、って。
 しかしサイトまで納得するとは......。
 ま、考えてみれば。
 あのセーラー服の一件があったように、こいつも男の子なのよねえ。

「......じゃが、もういい。君たちが来たことから察するに、わしがいなくて、色々とトラブルになったんじゃろう?」

「まあ、そんなところです」

 オスマンが真面目な話に戻りそうなので、会話の主導権をサイトから取り返す。

「ですから、オールド・オスマン。あなたには是非、学院へ戻っていただかないと......」

 しかしオスマンは、ゆっくりと首を振った。

「もう、いいのじゃよ。わしも......反省した。どうやら......わしは長生きし過ぎたらしい」

「え? それは、どういう......」

 私たちが聞き返す暇も、止める暇もなく。
 オスマンは『契約の石』を床に叩きつけた。
 赤い宝玉が粉々に散る。
 かりそめの不死をオスマンに与えていた石が......。

########################

 それから一週間あまりの後。
 空は見事に晴れ渡っていた。
 学生たちのにぎやかな声も聞こえてくる。

「......まるで......あんな事件なんて、起こんなかったみたいに......」

「何をしんみりしてるんだ? いいじゃん、死んだのも結局メンヌヴィルさんだけなんだから」

 ちょっと決めてみせた私の雰囲気に、使い魔のサイトが水を差した。
 けっこうな大事件だったのだ。少しくらい、もったいつけてみたくもなるではないか!?
 が、結果だけ見れば、確かにサイトの言うとおりである。
 メンヌヴィルが死んだのは、半ば自業自得。悲しむ者も、ほとんどいないだろう。
 フーケは一命を取りとめ、役人に引き渡された。きっと脱獄不可能な牢獄に収容されることだろう。
 そして......。

「世話になったのう! 元気でな!」

 本塔の最上階から、私たちに手を振るオールド・オスマン。
 結局のところ、彼は学院長に返り咲いたのだった。
 あの『契約の石』を割った時には、誰もが彼の最期だと思ったのだが......。
 よくよく考えてみれば、彼の非常識な長寿は『契約の石』とは無関係。フーケと出会ってあれを渡されたのは最近であり、その前から、彼は長生きしていたのだから。
 つまり。マジックアイテムなぞなくても、まだまだ彼の寿命は残っているというわけだ。人騒がせな話である。

「......で、だ。ここを出て、次はどこへ行く?」

 サイトが私に尋ねる。
 私たちは今、門の目の前まで来ていた。
 これから二人で、また旅に出るのである。
 ......三人で、ではない。キュルケは、もう少しここに残るそうだ。元々キュルケは、完全な連れではなく、時々いなくなるような存在。だから、それもまた良しだろう。
 どうやら魔法学院の図書館には、探していたような魔法の手がかりは無いようだった。ならば、私やサイトが長居する理由はない。

「そうねえ......」

 図書館では何も得られなかったが、トリステイン魔法学院に来た甲斐も少しはあった。本物のオールド・オスマンは『破壊の杖』の由来を知っていたのだ。
 なんでも、昔ワイバーンに襲われた際に助けてくれた恩人の形見の品だということ。つまり、サイト以外にも彼の世界からハルケギニアに紛れこんだ者がいたということだ。
 おぼろげな手がかりではあるが、これも手がかりと言えば手がかりである。
 ただし。
 こっちへ来るのと向こうへ返すのとでは、また話が別。
 どこに行けば、サイトを元の世界へ戻せる魔法が見つかるのか。
 皆目見当がつかない以上、しばらくは、あてのない旅をすることになりそうだ。

「......とりあえず、歩きながら考えましょ」

 言って私はウインクひとつ。
 そして二人は、トリステイン魔法学院を後にした......。


 第二部「トリステインの魔教師」完

(第三部「タルブの村の乙女」へつづく)

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番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」

 ある日。
 路銀が尽きた。

「はあ......」

 暮れゆく街の中央広場で、噴水の縁に腰を下ろして、私はため息をついていた。
 まだキュルケやサイトと出会う前の話である。
 今の私ならば、野盗のアジトか何かに乗り込んでお宝没収という手段をとっただろう。だが当時は、まだ旅に出てから日も浅く、途方に暮れるしかなかったのだ。

「どうしよう〜〜」

 何をするでもなく、広場の噴水をボーッと眺めていたら。

「あら......家出娘?」

 顔を上げると、一人の少女が興味深そうに私を見つめていた。
 長いストレートの黒髪の持ち主で、やや太い眉が、活発な雰囲気を漂わせている。年のころは私とあまり変わらないようだが、発育具合は大きく違う。胸元の開いた緑のワンピースからは、女の私でもドキッとするような胸の谷間がのぞいていた。

「ち、違うわ! ただ......行くところも食べるものもないだけよ」

「ふーん......。でも、あんた、貴族のメイジでしょ?」

 彼女は私を、上から下までジロジロ見回した。
 確かに私の格好は、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。旅の学生メイジの典型的スタイルだ。
 しかし勝手に家を飛び出してきたわけではない。くにの姉ちゃんに世界を見てこいと言われて旅立ったのであり、家族からも――一部を除いて――了解されている。ただし、だからこそ、早々にリタイアして帰郷するのは、私のプライドが許さないのであった。

「まあ、いいわ。行くところがないなら、うちにいらっしゃいな。うちは宿屋なの。部屋を提供するわ」

「......え? ほんとですか!」

 私の顔が明るくなる。上手い話には裏がある......と瞬時に見抜くほど、まだ私は世間慣れしていなかった。

「ええ。でも条件が一つだけ」

「なんなりと」

「私のパパが、一階でお店を経営してるの。そのお店を手伝う。これが条件」

 私の顔が渋くなる。なーんか、嫌な予感がしてきたのだ。まさか『お店』というのは......。
 でも彼女は、私の表情から察したのか。

「安心なさい。変なお店じゃないから。あたしもそこで働いてるくらいだもん。自分の娘に変なことさせる親なんて、いないでしょ?」

 そう言って彼女は、小さくウインク。

「......あのね、あたしのパパ。すっごく優しくて素敵なのよ。ママが死んじゃったときに、じゃあパパがママの代わりもつとめてあげるって言い出して......。今じゃ外見まで似せてるんだから」

 あっけらかんと、母親を亡くしたと告げる少女。
 だが、この明るさは、その優しい父親のおかげなのだろう。外見まで母親に似せるということは、女に見えるくらいの色男ということか。
 ハンサムで性格もよい主人のもとで働く。うん、それならば問題もなさそうだ。

「......じゃあ、お願いします。お世話になります」

 私はペコリと頭を下げ、彼女に続いて歩き出す。

「あたし、ジェシカ。あんたは?」

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ」

 こうして私は。
 ジェシカの父親の店『魅惑の妖精』亭で働くことになったのである。

########################

 連れて来られたお店は、普通の酒場だった。食事もできる場所のようだ。空腹の私には刺激的な、美味しそうな臭いが店内に立ちこめている。

「じゃ、パパを呼んでくるから。そこに座って、待っててね」

 奥のテーブルの席に座らされた私は、これから厄介になる店を観察する。
 もうすぐ開店という時間帯なのだろう。色とりどりの派手な衣装に身を包んだ女の子たちが、忙しそうに走り回っていた。
 みんな可愛い娘ばかりである。上着はコルセットのように体に密着し、体のラインを浮かび上がらせている。背中はざっくりと開いて、街娘の素朴な色気を放つ。なるほど、『魅惑の妖精』亭という名前はダテじゃない。
 自分もこんな格好をするのかと思うと、ちょっと嘆かわしいが、少しくらいは我慢、我慢。別に、いかがわしいことをさせられるわけではないはず。ジェシカの話では、彼女の父親は、ハンサムで優しい人のようだから......。

「まあ、この子がルイズちゃんなのね〜〜?」

 声をかけられて、振り返った途端。

 ずびずびずび......。

 椅子に引っ掛かったマントの破れる音を聞きながら、私はゆっくりと椅子からずり落ちていった。
 目の前に立っていたのは、派手な格好の男。しかし店の『妖精』たちの『派手』とは、方向性が違う。
 黒髪をオイルで撫でつけ、ぴかぴかに輝かせ、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツからモジャモジャした胸毛をのぞかせている。鼻の下と見事に割れた顎には、小粋な髭を生やしていた。強い香水の香りも、気持ち悪い。

「トレビア〜〜ン!」

 私を見て、気に入ったらしい。
 彼は両手を組んで頬によせ、唇を細めてニンマリと笑った。オカマみたいな動きである。というかオカマ以外の何者でもない。
 母親に似せるとか母親の代わりとか、そういう意味だったんだ......。オカマならオカマって言ってよね、まったく、紛らわしい......。

「いいわ、いいわ! ルイズちゃん、採用よ! じゃ早速、奥で衣装に着替えてもらいましょう! ついてらっしゃい」

 リズムを取るように、クイックイッと腰を動かしながら男は歩き出した。仕方なく、私も彼に続いて、店の奥へと入っていく......。

########################

 開店と同時にバタンと羽扉が開き、待ちかねた客たちがドッと店内になだれこんできた。
 妖精の一員となった私も、給仕に出る。
 だが......これがまた一苦労。
 例えば。

「......ご、ご注文の品、お持ちしました」

 引きつった笑顔を必死に浮かべ、ワインの壜と陶器のグラスをテーブルに置く。
 目の前では下卑た笑みを浮かべた客が、ニヤニヤと私を見ている。

「ねえちゃん。じゃ、注げよ」

 貴族の私が平民に酌をする。くににいれば有り得ない出来事だ。しかし旅に出たということは、こういうことなのだ。
 気持ちを落ち着かせて、なんとか笑顔を作り。

「で、では......お注ぎさせていただきますわ」

「ふん......」

 しまった。まだ気持ちが完全に静まっていなかった。
 ねらいが外れて、ワインが男のシャツにかかる。

「うわ! こぼしやがった!」

「す、すいませ......ん」

「すいませんですむか!」

 男は怒りながらも、私をジロジロと眺めて。

「お前......胸はねえけど、わりと別嬪だな。......気に入った。じゃ......」

 胸はない......だと!?
 さすがに我慢の限界。
 自分でも気づかぬうちにワインの壜を手にとって、それで男を思いっきり叩いていた。

「なにすんだ! このガキ!」

「あら、手がすべったのかしら......?」

 うまくごまかしたつもりだったのに、後ろからドンと突き飛ばされた。
 店主のスカロンさんが来たのだ。

「ご〜〜めんなさぁ〜〜い!」

「な、なんだよオカマ野郎......。てめえに用は......」

「いけない! ワインで濡れちゃったわね! ほらルイズちゃん! 新しいワインをお持ちして! その間、ミ・マドモワゼルがお相手つとめちゃいま〜〜す!」

 スカロンさんが客にしなだれかかり、怪力で押さえつけている間に、私は厨房へと逃亡。
 うーむ。給仕とは、かくも難しいものか。

「......やっぱりルイズは貴族さまね。これじゃ酒場の妖精は勤まらないわ、せっかく器量は悪くないのに......。あんた、ちょっとここで他の子のやり方を見てなさい」

 ジェシカに言われて、店の隅に立って少し見学する。
 なるほど、他の女の子たちは巧みであった。ニコニコと微笑み、何を言われても、されても怒らない。
 ......といっても、為すがままというわけではない。主導権を握っているのは、むしろ彼女たち。すいすいと上手に会話をすすめ、男たちを誉め......。しかし触ろうとする手を優しく握って触らせない。すると男たちは、そんな娘たちの気をひこうとチップを奮発する。

「すごいわね......。あれはあれで、一種の魔法だわ」

 感心する私。
 そうした『妖精』たちの中で、ジェシカはさらに格が上だった。
 彼女は、愛想笑いを浮かべるのではなく、逆に怒ったような顔で料理を客の前に置く。

「おいおい、なんだジェシカ。機嫌が悪いじゃないか!」

「さっき誰と話してたの?」

 まるでヤキモチを焼いているかのような目つきと口ぶり。

「な、なんだよ......。機嫌直せよ」

「別に......。あの子のことが好きなんでしょ」

 ジェシカは少し哀しげに、別の『妖精』へと視線を送る。
 もはや男は、陥落寸前。

「ばか! 一番好きなのはお前だよ! ほら......」

「お金じゃないの! 私が欲しいのは、優しい言葉よ......」

 男が渡そうとするチップを、いったんは撥ねのけるジェシカ。それから、ちょっとした押し問答が始まり......。
 最終的にジェシカがチップを受けとる頃には、その金額は何倍にも膨れ上がっている。
 しかも。

「あ! いけない! 料理が焦げちゃう!」

「あ、おい......」

「あとでまた話しかけてね! 他の子に色目使っちゃだめよ!」

 貰うもん貰えば、用はない。ジェシカは立ち上がって、厨房へと駆け込む。
 さすが、店一番の『妖精』であった。

########################

 そうやって私は店内を見渡していたから、その騒動に気づくのも早かった。

「やいやい! この店は、客に家畜のエサを食わせるのか!?」

「なんだ、こりゃあ!? 虫や藁屑がスープに入ってるぞ!」

 ガッシリとした体格の、いかにもゴロツキ風の三人組だ。見るからに心の狭そうな目つきで、ジロリと店内を一瞥する。
 目のあった数組の客が、そそくさと逃げるように店を出ていく。

「まあ、お客様! 乱暴は困りますわ〜〜ん」

 スカロンさんが慌てて対応に行くが、大丈夫であろうか。どう見ても、難癖をつけたいだけの客のようだが......。

「......また『ベルク・カッフェ』の嫌がらせだね」

「ジェシカ!?」

 いつのまにか彼女が、私のすぐ隣に立っていた。事情のわからぬ私に、説明してくれる。

「『ベルク・カッフェ』は、通りを挟んですぐの場所にある店の名前でね......」

 東方から輸入され始めた『お茶』を出す『カッフェ』なるお店が、最近、流行り始めた。おかげで、『魅惑の妖精』亭も客足が遠のいて、売り上げが落ちてきているらしい。
 スカロンさんはカッフェ全てを下賎なお店だと決めつけるが、ジェシカの考えでは、それは言い過ぎ。新しい飲み物をサービスして真っ当に商売するのであれば、特に問題はない。

「......でも、あの『ベルク・カッフェ』はダメだわ。ゲルマニアから来たベルクって男が開いた店なんだけど、うちの真似して、若い女の子をたくさん雇ってさ。『山猫』って呼び名つけて、変なコスチューム着せちゃって」

 一見ただの茶店だが、可愛い女の子がきわどい格好で飲み物を運んでくれる......。カッフェ版『魅惑の妖精』亭、ということらしい。なるほど、それならば客の奪い合いになるわけだ。

「......しかも、うちの真似しても、本家であるうちには勝てないみたいでね。ああやってゴロツキを使って、うちに嫌がらせを仕掛けてるわけよ。......あくどいやり方でしょ?」

 と、彼女がそこまで語った時。

「『あくどい』とは......聞き捨てなりませんね」

 げえっ!?
 いつのまにか、知らない男が近くにいた。
 全身を隠すかのような濃い紫色のマント。その下に見える脚には、膝上まであるロングブーツを履いていた。男のくせに唇にはルージュを塗り、顔の上半分は鮮やかな紫色のマスクで隠されている。マスクの左右が上向きに尖っているのは、ネコ耳のつもりであろうか。
 スカロンさんとは違った意味で、気持ち悪い外見の男であった。
 ......この近辺には、こんな奴しかいないのか!?

「あら、ベルクさん。何の御用かしら?」

 これに平然と対応するジェシカを、私は思わず尊敬してしまう。

「......今、私の悪口を言ってたでしょ? 我が『ベルク・カッフェ』の評判を落とすような噂を広められては困りますから。止めに来たのですよ。ねえ、あなたたち?」

「はい、ベルク様!」

 よく見れば、ベルクは背後に数人の娘たちを引き連れていた。
 なるほど、これが『山猫』か。大自然の山をイメージしたのだろう、彼女たちの衣装は緑色だ。ピッチピッチの全身タイツだが、体の前面はレースのエプロンで隠されており、また、肘から先と膝から下はモフモフした素材で覆われている。お尻の部分には当然のように尻尾パーツがあって、頭にはネコ耳カチューシャがついていた。

「評判を落とす......? 何よ、あたしは本当のことを言っただけじゃない。どうせあれ、あんたの差し金でしょ!」

 ジェシカは、例のゴロツキ三人組をピシッと指さす。
 いつのまにか、彼らはグッタリしていた。スカロンさんに説得されたのか、懐柔されたのか、詳細を見ていない私にはわからない。が、わからなくて良かったという気がする。

「言いがかりは止してちょうだい。......何か証拠でもあるの?」

「証拠なんかないけど、決まってるわ。うちは清廉潔白なお店だもの。難癖つけられるようなマネは一切してないんだから!」

 ふむ。
 ちょっとジェシカが言い負かされているような。
 男あしらいの上手いジェシカでも、こういう奇人変人をあしらうのは、勝手が違うというわけか。
 ......なんて思いながら眺めていたら。
 三人のゴロツキが、申しわけなさそうな顔つきで近づいてきた。

「ベルクさん......。すいません......」

「あんたたちは......まったく、いーっつも失敗ばかりして......。この愚か者め!」

 ごくごく自然な雰囲気で、ゴロツキを叱責するベルク。
 ......おい。
 その場がシーンと静まり返った。

「あ......」

 ボロを出したことに気づいたらしい。
 ベルクは、頬に冷や汗を浮かべながら。

「ええーい! もう面倒だわ! あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ベルクと『山猫』たちが、暴れ出した。

########################

 しばらくして......。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! おぼえておれ〜〜!」

 捨てゼリフを吐きながら。
 ボコボコにされたベルクと『山猫』たちが逃げ帰る。
 なにせ、ここは『魅惑の妖精』亭。店に残っていた客たちも、こっちの味方だ。ベルク側が勝てるはずがない。
 私が参加するまでもなかった。もっとも、私の魔法は強力すぎて店ごと吹き飛ばしちゃうだろうから、参加しなくて正解だったけど。

「これが、いつものパターンなのよ」

 ひと暴れしたジェシカが、いい汗かいたよという笑顔で説明する。

「......証拠がどうのとか、関係ないの。ああやって自分からポロッと言っちゃって、それから暴れて。しっぽ巻いて逃げ帰るのよ。......ここまでが、毎回の御約束」

 なるほど。さっきのも、別に言い負かされたわけではなかったのか。ここまでの展開を読んだ上での、受け答えだったのね。

「逃げるのは得意なのよねえ、あの人」

 スカロンさんが娘の言葉を補足する。この人も乱闘に参加したはずだが、髪も服も乱れていない。ある意味、さすがである。
 それから、腰をキュッと捻って店内を見回した。

「はいはい! 今夜の騒ぎは、もうおしまい! 皆さんもトレビア〜〜ン! ワインを一本ずつ、お店からサービスするわよ〜〜ん!」

 ワーッと盛り上がる客たち。
 こうして、店は通常営業に戻った。

########################

 そして翌日。

「今日は臨時休業にしましょう!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 スカロンさんの宣言に、『妖精』たちが呼応する。
 お休みという様子ではない。店を開かない代わりに、何かありそうな雰囲気だが......?

「......これも、いつものパターンなのよ」

 ジェシカが横に来て、教えてくれた。
 『ベルク・カッフェ』の妨害に対して、このままではいけないということで、次の日に直談判しに行く。そこまでが、恒例行事のセットに含まれているらしい。

「じゃあ、行くわよ! 妖精さんたち!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 こうしてゾロゾロと、スカロンさんに連れられて通りを渡る。
 目の前のお店『ベルク・カッフェ』は、赤レンガ風のこじゃれた造りの建物だった。ドアを開けると、来客を告げるベルがカランコロンと音を立てる。

「いらっしゃいませ〜〜」

 反射的に歓迎の挨拶が返ってくる。
 私は、店内を見渡した。
 四人掛けくらいの四角いテーブルが、整然と並んでいる。座席は背もたれの大きなソファー椅子で、通路には観葉植物の仕切り。一度席に着いてしまえば、隣のテーブルの様子は見えにくいという構造になっていた。
 よく見れば、『山猫』たちが客に密着してサービスしている。お茶をカップに注ぐだけなのだから、そこまで体を寄せる必要はないだろうに......。しかも昨夜まるで戦闘員だった彼女たちが、今日はうってかわって、女の色気をムンムンとさせていた。
 客は皆、同じようにニタニタしているが......。
 どうやら、私たちの来店に気づいたらしい。

「オカマが来た! 逃げろ〜〜!」

「パラダイスは終了だあ〜〜!」

 蜘蛛の子を散らすように立ち去る客たち。
 続いて、奥から店主ベルクが出てくる。

「何しに来たの!? あんたのせいで、客がみんな逃げちゃったじゃないの!」

「あら〜〜? 私たち、今日はお茶をいただきに来ただけなんだけど......」

 しかしベルクは、スカロンさんの言葉など聞いていない。営業妨害だと決めつけて、勝手に怒っている。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ!」

 それから後ろを振り向いて。

「あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ......というわけで。
 昨日に続いて、今日も大乱闘が始まった。
 ちなみに。
 今日はホームではなかったのに、やっぱり勝ったのは『魅惑の妖精』亭。『ベルク・カッフェ』の客たちは、たいした戦力にはならなかった。

########################

 さらに翌日。
 『魅惑の妖精』亭は通常営業だったが、そこにベルクと『山猫』軍団がやってきた。
 ......これではキリがないぞ!? 繰り返しは、もうたくさんだ!

「ちょっと待ったあああ!」

 大声で叫ぶ私。
 お店のみんなも、入ってきたベルクたちも、私に注目する。

「毎日毎日、お互いの店で暴れてんの!? これじゃ客が減るのも当たり前じゃない!」

「でもねぇ〜〜、ルイズちゃん。むこうから来る以上、放っておくわけにもいかないし......」

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! 私のせいにするっていうの!? ならば......」

 そのとおり。あんたのせいだ。
 私もそう言いたかったが、グッと堪えて。

「だ・か・ら! そこで暴れても何の解決にもならないでしょ!? ここは正々堂々と、本来の形で決着をつけるべきよ!」

「本来の形......?」

「そう! だって『魅惑の妖精』亭も『ベルク・カッフェ』も、飲食店なんでしょ? ならば、食べ物や飲み物が上の方が勝ち! つまり......料理勝負よ!」

 スカロンさんやベルクが考え込まないよう、一気にまくしたてる。
 どちらの店も、料理よりむしろ女の子のサービスをウリにしている気もするが、そこに思い至らせてはいけない。だって、それを競うとなると、私も『妖精』として参加することになるし。

「こっちから言い出した話だし、場所はそっちの店でいいわ。スカロンさん、それでも勝つ自信あるでしょ?」

「そりゃあ、うちは料理も絶品ばかりだから......」

 続いて、ベルクに。

「どう? あんたの店だって一応はカッフェなんでしょ? 女の子にいかがわしいことさせるだけがメインじゃないんでしょ?」

「おのれ小娘! 言わせておけば......。まるで『ベルク・カッフェ』が下品な店であるかのような口ぶり! ......いいでしょう、その勝負、のった! 『ベルク・カッフェ』はカッフェとしても一流。飲み物もお茶受けも、どこにも負けないんだから!」

 こうして。
 スカロンさん対ベルク、料理バトルの開催が決定した。

########################

 そして。
 決戦の時は来た。
 『ベルク・カッフェ』の厨房、そこが戦いの舞台である。
 互いの店の女の子たち、常連客たちが見守る中......。

「では......スタート!」

 私の合図で、スカロンさんとベルクが料理を始める!
 まず、スカロンさんは何かをゆでているようだが......。

「......あれは!?」

「知っているの、ジェシカ!?」

「白ワインにあうのは海の幸。だから海鮮スパゲッティも人気メニューのひとつ。それにかかせないのが......」

 娘の解説が耳に届いたのか。
 スカロンさんも叫ぶ。

「そう! このパスタ! スパゲッティパスタよ!」

 言葉と同時に、空中に伸びる無数の白い糸!
 ドォォォッとギャラリーがどよめく間に、パスタはベルクの全身に絡みついていた。体の自由を奪われたベルクは、料理の手が止まる。

「......こ、これはっ!? かたゆで(アルデンテ)!?」

「そうよ〜〜ん。ミ・マドモワゼルが丹誠こめて手打ちにしたパスタなのね。もがけばもがくほど、どんどん締まっていくわ〜〜。 さあ、どうする? おとなしく負けを認めれば、ゆるめてあげるわよ〜〜?」

 あれ? 料理勝負って、そういうもんだっけ?
 何か違うんじゃないかな......と私が疑問に思う間にも、戦いは先に進んでいく。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! でも......甘いわ! 愚か者め!」

 一声ほえてから、ベルクはパスタに噛みついた。むしゃむしゃと食べ始める。
 ややあって......。
 ベルクは全部食べつくした。

「さすがスカロン。見事なゆで加減だったわ。でも......ゆがく時の塩加減がおかしいわね!」

「なんですって!?」

「今度は、こちらの攻撃!」

 ベルクが何か投げつけた。よく見れば、それはピザ・トースト!

「『ベルク・カッフェ』は、カッフェ。お茶を美味しく飲ませてこそ、カッフェ。お茶にあうのは、やっぱりパン。でも、ちょっと小腹がすいた時、ただのパンでは物足りない......」

 ジェシカが解説する間に。
 スカロンさんは、飛んできたピザ・トーストを余裕でかわしていた。だが、外れたはずのそれが、あたかもブーメランのように舞い戻る!?
 慌てながらも、なんとか回避するスカロンさん。問題のピザ・トーストは、ベルクの手元に戻っていく。

「......くっくっ......。見たか、スカロン! 私の堅焼きピザ・トーストの力! トッピングの重量配分を変えることにより、あたかもブーメランのごとき軌跡を描き、堅焼きのパン耳は鉄をも寸断するの! 名づけて......ピーザラン!」

 名づけんでいい。......つーか、もうそれ、お茶受けでもトーストでも何でもないだろ!?

「あら、おもしろいわね。でも、そんなものじゃ、このミ・マドモワゼルは倒せないわよ〜〜!?」

「お〜〜のれ、スカロン! 言わせておけば!」

 再びベルクがピザ・トーストを投げ放つ。
 スカロンさん、今度はよけずに、これを口でキャッチ! そして食べてしまった!

「......ふう。歯ごたえ、味つけともに悪くないわね。でもトッピングの位置がかたよっているせいで、味わいにムラがあるわ。それに......お茶受けとしては、ちょっと胃に重過ぎない?」

「しまった!」

「じゃ......今度はミ・マドモワゼルの番ね!」

 スカロンさんがフライパンをサッと一振り。そこから飛び出したのは、肉汁たっぷりのブ厚いステーキ!

「さすがパパ! 白の次は赤ね! 赤ワインにあうのは肉料理......ということで、シンプルに牛ステーキだわ!」

 フライパンから打ち出されたステーキは、ベルクへと一直線。
 アツアツの肉汁がジュッと飛び散る。
 これでは......火傷する!?
 しかしベルクは、なべつかみで肉の油汁を防御。肉そのものは、口で受け止めた。

「ええっ!? 肉も熱いんじゃ......」

「いいえ、ルイズ。よくごらんなさい」

 平気な顔で、ベルクはムシャムシャ。全部ゴックンと飲み込んだ後で、コメントを。

「......たしかに汁は熱いわ。でも肉は違う。焼き加減はレア、真ん中なんてまだ冷たいから、一口で食べてしまえば熱さも半減!」

 その理屈は少しおかしくないか!?
 私が頭を抱え込んでいる間に、ベルクが反撃。今度は......。

「......お茶受けの基本、クッキーね!」

 ジェシカの解説も不要なくらい、見たまんま。
 硬いクッキーが、弾丸のようにスカロンさんを襲う!
 スカロンさんは、いつのまにか用意したホイップクリームで、クッキーをキャッチ! クリームごと口へ入れる。

「......悪くない味ね。でもそれは、クリームを塗れば......という条件付きよ。これ、クッキーだけでは美味しくないわ」

「おのれ......。しかし、まだまだっ! まだほんの小手調べよ!」

「あら奇遇ね。私もよ!」

########################

 人外の戦いは熾烈を極めた。
 スカロンさんの極楽鳥の丸焼きが生きているかのように飛びかかれば、ベルクの桃りんごのパイが粘液のようにベットリした攻撃を見せる。
 スカロンさんのハシバミ草のサラダがその苦みでベルクの舌を麻痺させれば、ベルクのミルクとフルーツのプディングがその甘さでスカロンさんの舌を麻痺させる。
 二人は、互いのくり出す攻撃、そのことごとくを食べつくしていた。
 やがて......。

「決着つかないわね......」

「お〜〜のれ、おのれ! やっぱり......これじゃダメだわ!」

 互いに調理道具を放り出したスカロンさんとベルクは、ついに肉弾戦に突入!
 こうなると、周囲の見物人たちも黙ってはいられない。

「結局こうなるのね。......さあ、みんな行くよ!」

「私たちも! ベルク様〜〜!」

 まずは『妖精』と『山猫』たちが参戦して。

「おう! 妖精たちゃぁ負けねえぞ!」

「山猫ちゃんは俺の嫁!」

 お互いの常連客も乱入して。
 いつもどおりの大騒ぎが始まった。
 そんな中、優勢なのは、やっぱり『魅惑の妖精』亭の側である。

「料理は愛情クラァァッシュ!」

 わけのわからん必殺技の名前を叫んだオカマのヒップ・アタックが、ベルクの顔面に炸裂。肉体的かつ精神的ダメージで、ベルクがノビる。

「親子の愛情アタァァック!」

 父親同様の絶叫と共に、ジェシカが『山猫』たちへダイブ。巨乳を活かしたフライング・ボディ・プレスで、数人まとめてフロアに沈めた。

「なんだか......今日は、いつも以上にノリノリね?」

 参加するまでもないので、私はおとなしく傍観する。
 ところが。

「お〜〜のれ、スカロン! ま〜〜たしても......!」

 ガバッと立ち上がったベルク。
 いつもならば退散するパターンだが、今回は違った。なんと私の方に向かってきた! しかも、ロングブーツから引き出したのは、メイジの杖だ!

「え? あんた......メイジだったの!?」

 私が驚いている隙に。
 隣に立った彼は、横から私に杖を突きつけた。
 そして。

「し〜〜ずまれ、しずまれ〜〜!」

 店内をグルリを見回しながら、ベルクが大声で宣言する。どうやら私を人質にとったつもりらしい。

「おとなしく降参なさい! さもないと、この娘の背中に突きつけた杖が、火を吹くわよ!?」

「背中......?」

 小さな、しかしハッキリとした声で私は聞き返した。
 この時、ベルクの視線はスカロンさんたちに向けられていた。私の方は見てもいない。しかも横からだったから、よく判っていなかったようだ。

「......はあ? 何を言い出すの、小娘!? だって、この感触は......」

 ベルクがこちらを見た。

「あら!?」

 ようやく気づいたのだろう。
 彼の杖は、背中ではなく、私の胸にグリグリと押し当てられていた。

「乙女の可憐な胸に......なんてことすんのよ......。しかも......背中と間違えたですって!?」

 私の怒りのオーラに、ベルクは一瞬たじろぐ。が。

「何言ってんの! そんな真っ平らな胸してんだから、仕方ないじゃない! うちの料理皿より平べったいんだから!」

 とんでもないセリフを口にしたが、私は聞いちゃいなかった。
 太ももに結びつけて隠していた杖を取り出しながら。

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」

 私は呪文を唱え始める。
 ベルクの顔に嘲りの笑みが浮かんだ。

「なあに? まだ胸も平らなガキがメイジの真似? ......あのねえ、あんた子供だから知らないんでしょうけど。呪文っていうのはね、そんなんじゃなくて、ルーン語で唱える必要があって......」

「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」

 ベルクが私を笑っている間に、呪文が完成。
 私は、杖を大きく振り下ろした!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ベルクは、彼の店『ベルク・カッフェ』ごと吹き飛んだ。

########################

 戦いの舞台だった『ベルク・カッフェ』は、もはや瓦礫の山と化している。
 ベルクと彼の『山猫』だけでなく、スカロンさんや『妖精』たちや客の皆さんも巻き込んじゃったみたいだが......。

「こら! 何の騒ぎだ!」

 あ。
 役人まで駆けつけてきた。
 なにしろ、街の真ん中にあった店だ。こんなところで竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使うのは、ちょびっとばかし問題があったようだ。

「......逃げなさい、ルイズちゃん」

「スカロンさん!?」

 早くも復活した彼が、私にコッソリささやく。

「この責任は、全部あの人になすり付けちゃいましょう!」

 そう言って、まだ目を回しているベルクを指さした。
 続いて、ジェシカも。

「そうよ、あとは......あたしたちに任せて!」

「でも......」

「大丈夫よ、これくらい。こう見えてもパパ、偉い人とコネがあるから」

「そうよ〜〜! なんといっても『魅惑の妖精』亭は、アンリ三世陛下もいらっしゃった、由緒正しいお店なんだから〜〜!」

 アンリ三世って......。四百年くらい前の話か。またずいぶんと古い話を持ち出したものだが......。
 まあ、いいや。
 ここは、スカロンさんたちの御好意に甘えるとしよう。

「......お世話になりました」

 ペコリと頭を下げてから、私は、その場を抜け出した。
 急いで『魅惑の妖精』亭に戻って荷物を回収してから、逃げるように街を出る......。

########################

 あとになって気づいたのだが、私の荷物には、知らないうちに給金袋が入れられていた。当面の路銀に困らぬ程度の額が包まれており、あらためて、スカロンさんの優しさが身に染みた。
 ちなみに。
 風の噂で聞いたところによると、あの爆発は、全てベルクの責任ということになったらしい。
 どうやらスカロンさんや私を恐れて、ベルクも反論できなかったようだ。
 結果『ベルク・カッフェ』は、お取り潰し。路頭に迷った『山猫』の一部は、『妖精』に転職。最大のライバル店が消滅したことで、『魅惑の妖精』亭は、以前の活気を取り戻したという。
 めでたし、めでたし。


(「ルイズ妖精大作戦」完)

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