第一部「メイジと使い魔たち」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」 第二部「トリステインの魔教師」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」 第三部「タルブの村の乙女」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(前編・中編・後編) 番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」 第四部「トリスタニア動乱」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」 第五部「くろがねの魔獣」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編6「少年よ大志を抱け!?」 第六部「ウエストウッドの闇」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・終章) 番外編短編7「使い魔はじめました」 第七部「魔竜王女の挑戦」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・第六章) 第八部「滅びし村の聖王」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章・第六章) 番外編短編8「冬山の宗教戦争」 番外編短編9「私の初めての……」 第九部「エギンハイムの妖杖」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編10「踊る魔法人形」 第十部「アンブランの謀略」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」 第十一部「セルパンルージュの妄執」(第一章・第二章・第三章・第四章) 番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海」 第十二部「ヴィンドボナの策動」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 第十三部「終わりへの道しるべ」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 番外編短編13「金色の魔王、降臨!」 第十四部「グラヴィルの憎悪」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) 番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙」 第十五部「魔を滅せし虚無達」(第一章・第二章・第三章・第四章・第五章) |
......白い手......。 女の手......だろうか? 白く、華奢な一本の手。 目についたのは、それだった。 「......え......?」 一瞬、何がどうなったのか、私にはわからなかった。 ......私はたしかに、魔竜王女イザベラ=ガーヴの蒼い魔杖を、その右腕もろとも斬り落とした。 しかしこちらも魔力が底を尽き、地面にへたり込んだ状態。 その私を抹殺するべく、歩み寄ってきた彼女が......。 いきなり絶叫を上げたのだ。 ......そして、今。 一本の細い腕が、イザベラ=ガーヴの腹から生えていた。 「......お......」 青い長髪を揺らしながら、彼女は肩越しに、自分の後ろへと視線を送る。 「......お......お前......! いつ......!?」 苦痛と怨嗟の混じる声に、ようやく私は事態を理解した。 イザベラ=ガーヴの注意が私に集中した一瞬、誰かが後ろから、彼女の腹を貫いたのだ、と。 それも......素手で。 「さっきからずっといましたよ。ジュリオ以外は気づいていなかったようですがね」 イザベラ=ガーヴの後ろから、穏やかで優しい声が響く。 口調は違うが、声そのものは、どこかで聞いたような......。 「ひさしぶりですね、ルイズ殿」 声と同時に、イザベラ=ガーヴの後ろから、ヒョコッと小さな頭がのぞいた。 「......え......!?」 思わず小さな呻きが、私の口からこぼれ出る。 ......それは知っている顔だった。 ゆるくウエイブのかかった黒い髪。見たところ、十一、二歳の、女の子と見まごうばかりの美少年。 そう。 以前に立ち寄った宗教都市ロマリアで、イザベラ=ガーヴ一派の計画を私とサイトにほのめかし......そして、ジュリオの攻撃のとばっちりを食らって死んだはずの、あの男の子だった。 「......あ......あんた......死んだはずじゃあ......?」 「ああ、あの死体なら......偽物です」 彼は、あっさり言い放つ。 偽物って......どういうことだ? あれは死体ではなかったということか、それとも、別人の死体だったということか......? 「......こ......子供......!?」 私の後ろで、かすかに震える声で姫さまがつぶやいた。 彼は、その姫さまにニッコリ微笑み、 「そうです。子供の姿です。......人間というものは、子供を相手にすると心を開きやすいでしょう? だから、この姿を借りることにしたのです。大聖堂に集めた子供の中に、ちょうど適当な子供がいたのでね......」 言いながら、彼は自分の胸元に手を突っ込んだ。 服の中から引き出してきたのは、首から下げる形の聖具。服の中に入れていたから前は気づかなかったが、彼は、こんなものをかけていたのか。 ......って、そうじゃなくて。 この状況で取り出した聖具が、普通の聖具のはずもない。一見、どこにでもあるようなシロモノだが......。 彼がそれを首から外すと、顔の形と髪の色が変わっていった。どうやら高度な『フェイス・チェンジ』の魔法が付与されているらしい。 いや、顔や髪だけではない。いつにまにか、少し背の高さまで変わったような......。うん、かなり凄い魔道具のようだ。 「......あ......あなたは......!?」 先ほどよりも大きな声を上げる姫さま。 イザベラ=ガーヴの後ろに立つ者は、今や、髪の長い二十歳くらいの男性となっていた。 とんでもない美青年である。目元は優しく、鼻筋は彫刻のように整っている。形のいい小さな口には、微笑みがたたえられていた。 妖精のような美貌が、私たちを圧倒する。今現在の非道な所業とは裏腹に、なぜか、他者を包み込むような慈愛のオーラまで放っていた。 「......知ってる人なの?」 キュルケが姫さまに、小声で問いかける。 しかし、姫さまが答える必要はなかった。 「私の顔を御存知でしたか。......公式にお目にかかるのは初めてでしたね、アンリエッタ殿。我がロマリアまで、遠路はるばる、ようこそいらしてくださいました」 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)から南に降りてきたので、たしかに私たちの立っている地は、ロマリア皇国の一部である。そして、その皇国を『我がロマリア』と称する男は......。 「はじめまして。ヴィットーリオ・セレヴァレです。ロマリアの教皇を務めさせていただいております」 「ヴィットーリオですって!? お前が!? そんな馬鹿な......!」 喚き叫ぶイザベラ=ガーヴから、男は無造作に腕を引き抜く。 その勢いだけで、彼女の体はボロ雑巾のように投げ捨てられた。 が、まだ魔竜王としてのプライドも力も残っていたのか、イザベラ=ガーヴはヨロヨロと立ち上がる。 男に憎悪の視線を向けながら......。 「があぁぁっ!」 一声吠えると、なんと! 右腕の切断面から、ズボッと新たな腕が生えてきた! 腹には大きな風穴があいたままだが......。 「おやおや、竜(トカゲ)の再生能力ですかな?」 男が揶揄の言葉を口にする。 「......竜はトカゲじゃないのね。一緒にしないで欲しいのね。きゅい」 私の背後から聞こえてきたツッコミは、非常に小さな声。たぶん、男にもイザベラ=ガーヴにも届いていないだろう。 イザベラ=ガーヴは再び地にうずくまり、肩で息をしていた。 「......はあっ......はあっ......はあっ......」 「ふむ。だいぶ無理をしたようですね。元々あなたは、それほど強くないというのに......。器となった少女だって、脆弱な王女だったのでしょう?」 静かなまなざしを向ける男。しかし口調や表情とは裏腹に、その視線は、まるで「抵抗するだけ無駄だ」と告げているかのようだった。 「......いや......私......死にたくない......こんなところで......こんな形で......」 さきほどの右腕の再生で、『魔竜王(カオスドラゴン)』としての力も、完全に使い果たしてしまったのか。 彼女の口から漏れるのは、弱々しい言葉。 少女イザベラの言葉であった。 「......いったん殺して、混じった人間の部分だけ追い出すつもりだったのですが......。さすがに水竜王のかけた束縛だけあって、なかなか厄介なシロモノですね。これでは、たとえ殺しても、もとの『魔竜王(カオスドラゴン)』として復活させるのは、もう無理でしょう」 「......いや......いや......やめて......殺さないで......」 後ずさりするイザベラ。 こんな姿を見ると、ちょっと、何とかしてやりたい気持ちも出てくるが......。 強大な力を前にして、私たちには手が出せない。 「安心してください。殺したりはしませんよ。私は慈悲深いのです。......言ったでしょう、『たとえ殺しても、もう無理』って。無駄な殺生をするくらいなら、その代わりに......」 男は懐から杖を取り出し、何やら呪文を唱え始めた。 聞いたこともない呪文だが、これは......!? フッ。 男が右手の杖を振ると、豆粒ほどの小さな点が出現した。 水晶のようにキラキラ光る小さな粒が、空中に浮かんでいる。 ......そんなふうに見えた。 徐々にその点は大きくなり、手鏡ほどの大きさに膨らむ。 「鏡......!?」 後ろで誰かがつぶやいた。 確かに、鏡のようにも見える。 だが、違う。 映っているのは、見たこともない光景だ。 高い塔がいくつも立ち並ぶ......異国の風景。 「おい!? これは......!」 サイトが声を上げた。 でも、この瞬間、まだ私は彼の言葉の意味を理解していなかった。 私の目は、初めて見る景色に釘付け。こんなにたくさんの塔が並んでいる都市など、見たことも聞いたこともなかったのだ。 しかも、ただの塔ではない。その太さは均一で、高さもハルケギニアの城などとは比べものにならない。 洗練された技術をうかがわせる壁。たくさんのガラスがキラキラと光る窓。魔法では到底不可能な、芸術品のような塔だ。 そんな建築物が、いくつも並んでいるのだ。 「では......そろそろ、おわかれです」 そう言って、男は軽く手を振った。『気』が衝撃波となって、イザベラに襲いかかる。 「ぐはっ!?」 吹き飛ばされたイザベラは、異国の景色の中に吸い込まれていき......。 そして、水晶の球は掻き消えた。 「さて......」 男は、にこやかな顔を私たちに向ける。 「ああなってしまっては、もう彼女は殺すにも値しませんが......だからといって、この世界に留まられても困りますからね。別の世界に行ってもらいました。......まあ、あれだけ力を削がれた彼女ならば、行った先の世界に迷惑をかけることもないでしょう」 「別の世界......?」 「そうです。......『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の世界か、あるいは『蒼穹の王(カオティックブルー)』の世界か、はたまた『白霧(デス・フォッグ)』の世界か、それとも......」 私の問いに答えつつ、男は、視線をサイトへ向けた。 「......彼がやって来た世界か」 「なっ!?」 思わず私もサイトを見る。サイトは小さく頷いていた。 「......そうだ......あれは俺の世界......端っこに......俺んちが映ってた......」 まだ茫然としており、言葉も途切れ途切れだが......。 つまり。 先ほど映し出された光景はサイトの世界。 いや、映し出されただけではない。 この世界とサイトの世界とを繋ぐ、穴が開けられたのだ! 「今あんたが使った呪文って......」 「......『世界扉(ワールド・ドア)』。虚無魔法の一つです」 あっさりと答える男。 ロマリア教皇と名乗った彼であるが......。 人とは思えぬ力で、あの『魔竜王(カオスドラゴン)』を軽くあしらい、そして今、虚無魔法まで使ってみせたのだ。 ......トリステインの虚無はこの私であり、ガリアの虚無は以前に私たちが倒し、アルビオンの虚無はウエストウッド村で平和に暮らしている。 だから、こいつはロマリアの虚無ということであり、それは、すなわち......。 「あんたが......一連の事件の黒幕......冥王(ヘルマスター)フィブリゾなのね......」 つぶやいて、私は奥歯を噛みしめた。 ######################## 「......あんたの計画どおり......ってわけね......これで......」 まだその場にへたりこんだまま、私は言った。 事態についていけないのか、はたまた本能的な恐怖からなのか、ほかのみんなも茫然としたままである。 「だいたい、そうですね」 ヴィットーリオ=フィブリゾは、穏やかな表情を保ちながら、 「私が『ゼロ』のルイズを使って何か企んでいる......。部下の一人を犠牲にして、魔竜王の部下の一人に、そう情報を流しました。それが始まりです。......その時点では、すでに獣神官を使い魔としていましたから、あとは彼をあなたにつけて、様子を見ているだけで十分でした」 「で......あんたは、私に色々吹き込んだり、死んだと見せかけて私の怒りを煽り立てたりして......」 今や私の怒りの対象は、魔竜王(カオスドラゴン)から、目の前のヴィットーリオ=フィブリゾへと変わっている。 架空の子供に化けていたわけではなく、『大聖堂に集めた子供』から『適当な』のを選んで、その『姿を借り』ていた......。 さっきこいつは、そう語ったのだ。 つまり、あの燃える街に転がっていたのは、モデルとなった子供の死体。私と話をした子供ではないにせよ、陰謀に巻き込まれて死んだ男の子がいることは、事実なのである。 「......最後に、ノコノコ出てきた魔竜王(カオスドラゴン)を後ろからぶち倒しただけ......と。......けっこう簡単な仕事だったんじゃない?」 今ここで戦える状態でもないので、代わりに、皮肉めいた言葉を投げつける私。 すると思わぬ反論が。 「......一応つけ加えておきますが。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』への空間の中で迷ったルイズ殿を、ジュリオのところへ誘導したのは私ですよ。ジュリオも良いしもべですが、あの空間の中では、さすがに手間取ったでしょうから」 「......どういう......ことなんだ......?」 眉をひそめて問いかけたのはサイト。まだよく事情が呑み込めないらしい。 彼を元の世界に戻す呪文が見つかったのは大ニュースだが、今は、それどころではない。 私は、ヴィットーリオ=フィブリゾを見つめたままで、 「つまり、こいつは......裏切った魔竜王(カオスドラゴン)を始末するために、おびき出すエサとして私を利用した、ってわけよ」 「そうです。それが一つ」 「......一つ......?」 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉に、おうむ返しに私は尋ねた。 「まだ何かあるっていうの?」 「おや? もうお気づきだと思ったのですが......。それとも、気づいていないフリをしているだけですかな?」 ヴィットーリオ=フィブリゾは、私から視線をそらし、再びサイトに目を向ける。 「それにしても......こんなところに『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』があるとは......。せっかくだから、それも......」 その時。 一体いつのまに呪文を唱えていたのか、キュルケの杖から炎の蛇が飛び出した。 それはヴィットーリオ=フィブリゾの全身に絡みつき......。 だが。 やがて炎が消えた後には、表情ひとつ変えることなく佇むヴィットーリオ=フィブリゾの姿。 「びっくりしたではありませんか。私は話の途中だったのに......。やはりゲルマニアのレディは、少々礼儀がなっていないようですね」 笑みすら浮かべながら、キュルケの国まで貶す言葉を口にする。 普通ならば、キュルケも怒るところだが......。 「......う......そ......」 茫然とつぶやき、硬直する彼女。 ......無理もないか。 この魔法は、キュルケがトリステイン魔法学院に滞在した際、伝説の火メイジ『炎蛇』から直接教わった術のはず。そんなものをまともに食らって、余裕の笑みすら浮かべられるとは......。 これが、高位魔族の実力......という奴か。 「さて......」 ヴィットーリオ=フィブリゾは、再びサイトに向き直り......。 「あなたには、私と一緒に来ていただきましょうか。私の用意した舞台へ」 「......冗談じゃねえ」 サイトはデルフリンガーを構え、拒絶の言葉を口にした。 左手のルーンも、強く輝く。 「いや......この際、あなたの意志は関係ありません」 ヴィットーリオ=フィブリゾは、呪文も唱えずに軽く杖を振った。 すると。 「おい、おめえ、俺に何をした!?」 叫ぶデルフリンガーの柄から、触手状の黒い霞みが飛び出してきた。 「なっ!?」 私たちの声がハモッた。 デルフリンガーからそんなものが生えてくるなど、今まで見たことも聞いたことも......いや想像したことすらない。 持ち主のサイトとて、それは同じであろう。今や彼は、数十本の黒い触手に絡みつかれ、行動の自由を失っている。 「何だよ、これ!? どういうことだよ、デルフ!」 「俺っちに聞くなよ、相棒! 俺も知らねえよ!」 サイトはもがいているようだが、触手は離れる気配を見せない。 「それを人間が使うこと自体、間違っているのですよ」 諭すように、ヴィットーリオ=フィブリゾが語る。 「インテリジェンスウェポンとは『意志』を吹き込まれた武器です。しかし、その『意志』は、そもそもどこから来たものなのか......あなたがたは考えたことがありますか?」 インテリジェンスウェポンの......由来!? 言われてみれば。 たしかに、無から魂を生み出すことは難しそうだ。無機物に人工的に『意志』を吹き込むということは、どこかから呼び出した魂を憑依させるということで......。 ......まさか!? 「気づいたようですね。そうです。このハルケギニアのインテリジェンスウェポンとは......精神世界から召喚された魔族を、武器に憑依させたものなのです」 今まで考えもしなかったが......。 トリスタニアの王宮やウエストウッドの森などで、私たちは、この世界のものに憑依させられた低級魔族と何度も戦ってきた。インテリジェンスウェポンも、あれと同じ存在だということか。しかし、あんな低級魔族と同じとは思えないが......。 「光の剣とか、デルフリンガーとか......。勝手な呼び名をつけたようですが、その剣の本来の名前は『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』......異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の五つの武器の一つです」 「嘘だぃっ! 俺様は、そんなもんじゃ......」 デルフの反論を、ヴィットーリオ=フィブリゾは静かに遮る。 「......もっとも、こちらの世界に来た時点で、魔族としての記憶は失っているようですがね。あるいは、ブリミルが魂を剣に宿す際、記憶を封印してしまったのか......」 では、なんだかんだ言って、やはり『デルフリンガー』は始祖ブリミルによって作られたものなのか。魔竜王(カオスドラゴン)は違うっぽいことを言っていたが......彼女の知識は、微妙に間違っていたのね。 「ともかく、その本質は『闇を撒くもの(ダーク・スター)』の分身であり、私たち魔族に近いものなのですよ。だから、こうして、私がその力を引き出すこともできる」 「やめてくれ! 俺を操るのは、やめてくれよ!」 デルフの懇願も無視して、ヴィットーリオ=フィブリゾは、私をジッと見つめる。 ......なんだ? 「......数千年前、ブリミルは人の身でありながら、赤眼の魔王(ルビーアイ)様に勝利しました。そこには、いくつかの要因がありましたが、その一つが、異界の魔王の武器を使ったことなのです。魔王に勝つには、やはり、魔王の力が必要だったのですよ」 そうだ。 魔王には魔王を。 かつて私たちも、復活した『赤眼の魔王(ルビーアイ)』のかけらの一つと戦った時......。 「......魔王の使う武器だからこそ、あなたが例の呪文をかけても、容量オーバーすることなく、刃として生み出せたわけです。......もっとも、あなたの呪文が完璧なものだったとしたら、いくら『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』でも耐えられなかったかもしれませんが......」 ......こいつ......。 私は敵意のこもったまなざしで、ヴィットーリオ=フィブリゾを睨みつける。 「ここまで話せば、もうおわかりでしょう。......私が何をさせたいのか......。しかし、どうせ素直にリクエストを聞いていただけるとは思っていません。ですから......彼を連れて先に行くとしましょうか。......私の村、タルブへ」 「待って!」 私の言葉が聞き入れられるわけもなかった。 ヴィットーリオ=フィブリゾは、何やら、また私の知らない呪文を唱えて......。 そしてサイトと共に姿を消した。 「......たぶん、今のも虚無魔法」 タバサが想像を口にする。 うん、私もそう思うが、そんなことはどうだっていい。 問題は、サイトが連れて行かれた、ということ。 行き先は......。 「......タルブ? 一体なぜ、タルブなのでしょうか?」 つぶやく姫さまの声が、むなしく風に流れて消えた......。 ######################## ......夢を見ていた。 それが一体どんな夢だったのか、私は覚えていない。 ......恐怖だろうか、悲しみだろうか。よくわからない衝動につき動かされ、私はベッドの上に身を起こした。 「あ......」 頬が濡れている。 どうやら泣いていたらしい。 慌てて涙の跡を拭って......。 「......あ。いないんだ......」 私一人だけのベッド。 いつもなら、サイトがいるはずなのに......。 もちろん、彼と出会ってから毎晩ずっと一緒だった、というわけではない。一時的に離れ離れになることもあった。 でも......。 今回は、なんだかズッシリと、大きな喪失感があるのだ。 「......朝......か......」 窓を覆う隙間だらけの板戸から、薄暗い室内に、光が差し込んでいた。 爽やかな朝なのかもしれないが、私は暗い気分のまま、ベッドから降りた。 ......昨日、あの後。 とりあえず私たちは、近くの村で宿を取り、疲れを癒した。 特に私の疲労は激しかったようで、夕食すらとらぬままベッドに倒れ込み......。 そして気づけば朝。つまり、今を迎えたのである。 「......おなか......減ってない......」 一食抜いたはずなのに、いまひとつ食欲もわかない。 それでも部屋を出て、一階の食堂に足を運ぶ。 まるで私を待っていたかのように、すでにテーブルについた仲間の姿があった。 姫さま、キュルケ、タバサの三人である。使い魔たちはいない。シルフィードは、色々と後処理があるようで『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』へ戻ってしまったし、フレイムは、食堂には入らず外か部屋で待っているはず。 「......あ。おはようございます......」 「......元気?」 やや心配げな口調で問いかける姫さまに、私は無理して笑顔を作り、 「大丈夫です、もう。......なんだか変な夢を見たようで、少し寝覚めは悪いですが......それだけです」 「それならいいのですが......」 曖昧に彼女はつぶやいて......。 そして、沈黙が落ちた。 やがて、運ばれてきた朝食を、私は黙々とたいらげ......。 「......で? どうするつもり?」 タバサが問いかけてきたのは、私が食後の紅茶をすすり始めた頃だった。 「タバサさん! そんな今すぐ急かさずとも......」 「......あなたが行かないなら、私一人でも行く」 姫さまの言葉は無視して、タバサはキッパリ宣言した。 ......うーむ。やっぱりタバサ、サイトに仕える騎士のつもりなんだろうなあ......。 なんとなく、小さなため息ひとつをついて、私はポツリポツリと話し始める。 「冷静に考えるなら......相手は冥王(ヘルマスター)......その上、ロマリアの虚無でもあるの。......あの魔竜王(カオスドラゴン)すら、いともあっさり倒すようなバケモノよ......。あれじゃおそらく、私が竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)あたりを連打したって、たいしたダメージにもならないでしょうね」 つまり、私が行ったところで、ヴィットーリオ=フィブリゾを倒してサイトを助け出すどころか、逆に適当に利用されるのが関の山なのだ。 「それにあいつは『私が行けばサイトを無事に返す』とは言わなかったわ。......となれば、ノコノコ正直に顔を出せば、かえってサイトの身を危うくするだけ......」 「ルイズ......あなた、まさか......」 キュルケが口を挟んできたが、私はそれを無視して、 「......けど逆に考えれば、よ。いつまでたっても私が行かなければ、人質サイトはある程度安全、ってことになるわ。それならタルブの村なんぞに行かずに、ひたすら逃げ回ってた方が賢い、ってもんよ......」 言って私は、再びため息をついた。 「......そう。あなたがそのつもりなら、やはり......」 「待って!」 立ち上がりかけたタバサに、私は慌てて制止の言葉をかける。 「......だけど......だけど、サイトは私の使い魔なの。メイジとしては、放っておくわけにはいかないでしょ。それに......」 不安を振り払うかのように、私は言い切った。 「私は貴族のメイジよ! 貴族が敵に後ろを見せるわけにはいかないわ!」 ######################## タルブの村。 トリステインの港町ラ・ロシェールの近郊にある......いや、あった村である。 かつては良質のワインで知られた場所でありながら、とある者が呼び出した魔鳥ザナッファーにより、自慢のブドウ畑も一度は壊滅。 それでも村は復興し、ワインに加えて、メイドの名産地としても有名になったのだが......。 ついしばらく前、とある事件で、ふたたび壊滅の憂き目に遭っている。 ......まあ、『とある事件』などと他人事のように言うのは間違いで、その一件には、思いっきり私も関わっているのだが。 ともあれタルブは、今はただの荒野と化しているはずである。 わざわざあんなところに呼び出して、一体何の意味があるのか。まあ、それも行ってみればハッキリするだろう。 私たちはまだロマリア領内にいたので、ここからタルブに向かうには、ガリアを縦断していく形になる。しかし、赤眼の魔王(ルビーアイ)と化したジョゼフ王も、魔竜王(カオスドラゴン)と化したイザベラ王女も倒れた今、ガリア王国に私たちの行く手を防ぐ者はいない。日数だけはかかるものの、タルブへと続く旅は順調に進むはずだった。 ......となれば、私のやることは決まっていた。 ######################## ばどぉぉぉん! 「のどひぉもぉぉぉっ!?」 寝込みに爆発魔法を叩き込まれて、コミカルな叫び声と共に吹っ飛びまくる野盗たち! 旅路について、三日目の夜のことである。 タルブの村へ行く決心はしたものの、ストレスの種はたくさんあった。 サイトの安否、冥王(ヘルマスター)の計画、その脅威......。 そうしたストレスを解消する手段は、ただ一つ。言わずと知れた、盗賊いじめ! 今はベッドを共にする相手もいないので、夜中に一人、宿を抜け出すのもそれほど難しくはない。村から離れた森の中、野盗のアジトを見つけ出し、いきなり爆発魔法を連打で叩き込んだのだった。 「......ち......ちょっと待て! あ......あんたっ、俺たちに恨みでもあんのかっ!?」 私の前にへたり込み、情けない声を上げる野盗のボス。 「......いや別に......ただちょっと、最近むしゃくしゃしてたから」 「む......むしゃくしゃしてたから、だと!?」 正直に答えてあげたのに、なぜか野盗ボスは怒り出した。 「そんな不条理な話があるかっ!」 「はあ? 不条理とか何とか......そんな文句言える身分じゃないでしょ。あんたたち、野盗なんだから。ここハルケギニアじゃ、悪人の人権は平民よりも遥かに下なのよ!」 「......それこそ不条理だっ!」 「とにかくっ! これ以上ベコベコになりたくないなら、今まで貯め込んだお宝、おとなしく差し出すことね」 「......く......くそぅっ......」 つぶやきを漏らした男の表情が、その時、若干変化した。 ......ほほぉう。 「わかったよ......。出すもん出しゃあいいんだろ!? 出す! 出すから、頼む! 命だけは......」 しらじらしい定型句を並べ始めた野盗ボスは無視して、私は杖を振りかぶりながら、後ろを振り向いた。 そちらには、やや離れた場所から、弓矢でこちらを狙う男が一人。 ......甘い。 おそらく、ボスが私の注意を引いているうちに、後ろから射つつもりだったのだろうが、その殺気は丸わかり。おまけにボスも顔色を変えちゃったのだから、私が見逃すはずもなかった。 ふりかえりざま、適当な呪文で爆発させようとした、まさにその時......。 ボムッ! 弓矢を手にした男の、胸の辺りが破裂した。 そのまま彼は、ひとたまりもなく倒れ伏す。 夜風に混じる濃い血の匂い。 「ひっ!?」 野盗のボスも怯えるほど。 しかし今のは、私がやったわけではない。まだ杖を振る前だったし、何より私なら、あんなエグイ狙い方はしない。 ......しかも、これは殺戮の始まりに過ぎなかった。 そばにいた野盗たちが、木々の茂みから飛来した光の塊に、あるいは頭を、あるいは胸を打ち砕かれ、次々と地に伏してゆく。 「......な......なんだっ!?」 へたり込んだまま、必死で後ずさりするボス。 もはや彼は無視して、私は辺りの気配を探る。 周りを取り巻く森の木々が、双月の明かりの下、黒いわだかまりを生み出す。 森全体に、ほとんど冷気にすらも似た、鋭い殺気が満ちていた。 もちろん、野盗たちの放つものではない。かといって、私の仲間たちが駆けつけたわけでもない。 ......ということは......。 「......見つけたぞ......『ゼロ』のルイズ......」 呼びかけは、どこからともなく、風に乗って流れて来た。 この声は......。 「......竜将軍!?」 「そう。私だ」 姿は見せぬそのままで、闇に声だけが響き渡る。 ラーシャート=カルロ。 魔竜王(カオスドラゴン)の腹心の一人で、獣神官やら魔竜王やら冥王などの陰に隠れて目立たないものの、こいつとて竜将軍。れっきとした高位魔族の一人である。 ジュリオを追って姿を消した後、それっきり姿を現さなかったし、色々ゴタゴタもあったので、すっかり存在を忘れていたが......。 「......そういえば、あんたが残ってたのね。追っかけてったジュリオは倒したの?」 「いや。倒せなかった」 アッサリした答えには、悔恨の響きは混じっていなかった。 「......それで? なんだって今頃ノコノコ出てきたのよ?」 「想像はつくだろう?」 闇の中から来た返答は、まるで獲物をいたぶるかのような、ネチッとした口調。 「きさまや獣神官には、いいように引っかき回されたよ......。おかげでラルターク殿も倒れ......冥王(ヘルマスター)の罠により、我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様は無力な少女となって、異世界へ島流し......」 ......って、おい、まさかこいつ......? 「......あんた......ひょっとして、かたきうち、なんてナンセンスなことする気じゃないでしょうね......?」 「そうだ、と言ったら?」 ラーシャート=カルロの声は、いとも平然と答えた。 こら待てっ! お前はっ! 「ち......ちょっと待った! まだイザベラは死んでないのよ!? 他の世界へ飛ばされただけなんだから、助けに行けばいいじゃない! 空間を渡るのは、魔族の得意技でしょ!?」 「馬鹿を言うな......。あれは、もはや、単なる人間の少女。我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様ではない......」 「で......でも!」 「それにな......。この世界と精神世界との行き来ならともかく、こことは異なる物質世界へ助けに行くなど、いくら純魔族でも不可能だ。......冥王(ヘルマスター)とて、魔族の能力ではなく......器となった人間の力で、虚無魔法を使って送り込んだのだろう?」 「うっ......」 なんとか私は、戦わなくて済むよう、こいつを説得したい。 いまいちインパクトも薄く、ともすれば三流のイメージもあるこいつだが、それは他の魔族たちがケタ外れなせいで、そう見えるだけ。 位で言えば、竜将軍なのだ。となれば、おそらく『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の二、三発でも、倒すことは無理だろう。 「もちろん......本来ならば、復讐の相手は冥王(ヘルマスター)なのだろうが......」 声は静かな口調で続ける。 「......この私が真っ向からかかっていったところで、逆に倒されるのは目に見えている。だから、私に出来ることはただ一つ。冥王(ヘルマスター)の計画の核を潰すことのみ......」 「ちょっと!? まさか......!?」 私が言い終えるより早く。 ギムッ! 空間がきしんだ音を立て、私の周りを取り巻くように、いくつかの光の点が出現した。 グゴォウッ! 闇を裂き、音と光が閃き響く。 すんでのところで、倒れ込むようにその場を跳び退き、私は難を逃れた。 「......さすがにこれくらいはかわせるか......」 声は横手から聞こえた。 そこには、闇の中から浮き出たように佇む人影が一つ。 竜の鎧に身をかため、右手に抜き身の剣をぶら下げた男......ラーシャート=カルロ。 「しかし、そういつまでも逃げられるとは思うなよ......」 あたふたと逃げゆく野盗たちには目もくれず、竜将軍は、ジッと私を見つめる。 そのまま視線を固定して、さらに一声。 「モルディラグ!」 同時に、私の背後に殺気が生まれた。 ......もう一匹いるの!? 後ろを振り向く間も惜しみ、私は大きく横に跳ぶ。 赤い光が闇を裂き、たった今まで私がいた辺りの地面に突き立った。 何とか一撃をかわし、私が振り向けば、宙に浮かぶ影ひとつ。 「......へぇ......この期に及んで、まだ竜将軍についていこうなんて......あんたも物好きね......」 モルディラグと呼ばれたそれは、人間の女性によく似ていた。 ただし......似ているのは上半身だけ。 つくりものの面のように表情のない、端正な顔。透けるような白い肌に、闇色をした長い髪。 しかし、その腹から下の部分は......。 はらわたとも木の根ともつかぬ太い触手が、無数に絡まり合いながら、でたらめな方向に伸びていた。 そんな白い姿がボウッと闇の中に浮かんでいるのである。 なかなか不気味と言うか、さすが魔族と言うべきか......。 それは私の減らず口には何も返さず、代わりにラーシャート=カルロが、余裕の笑みを浮かべたまま、 「かつてラルターク殿がやったように、下級魔族を大量に呼び出すことも出来んではないが......。数にものを言わせる、なんて必要はあるまい。しっかり使える奴が一人おれば、きさまを逃がさぬようにするには十分だ」 言って、あらためて剣を構え直した。 「行くぞ! 『ゼロ』のルイズ!」 (第二章へつづく) |
「行くぞ! 『ゼロ』のルイズ!」 一方的に宣言し、ラーシャート=カルロは、自分の周りに数個の光を生んだ。 「......くっ!」 私は大きく横に跳び、手近に生えた木の陰へとまわり込む。 ガグゥンッ! ラーシャート=カルロの放ったエネルギー球が、盾にした木をぶち砕いたその時、私は呪文を唱えつつ駆け出していた。 しかし、いくらも行かぬうちに......。 行く手の闇が、一瞬ユラリと霞んで揺れて、モルディラグの白い姿を生み出した。 このモルディラグという奴、おそらく強さは、以前に戦ったグドゥザやデュグルドと同じくらい。空間を渡ってくることも、予想のうちである。 白い魔族の出現と同時に、私は杖を振り下ろす。 私が唱えていたのは、エクスプロージョン。失敗魔法バージョンではなく、正式な虚無魔法バージョンだ。途中まで詠唱しただけで発動するし、当たれば痛いことは間違いない。 モルディラグがよけた一瞬を狙ってその場を突っ切る......つもりだった。 だが。 ヂッ! モルディラグが無言のまま瞬時に生み出し、放った光の槍が、エクスプロージョンの光球をあっさり撃墜した。 なんとっ!? 間髪を入れず、再び光の槍を生み出すモルディラグ。 私は慌てて転進する。 えーい! こうなれば......! 「......観念しろ! 『ゼロ』のルイズ!」 私の後ろから、ラーシャート=カルロの声が響いた。 しかし奴と舌戦を繰り広げるわけにはいかない。私は、すでに次の呪文を唱え始めている。しかも、今度のは最後までキチンと詠唱しないといけない魔法だ。 とにかく、逃げる。 またもや進路を変えた私の横手で爆光が閃く。 立て続けに放たれる攻撃をかいくぐりつつ、ラーシャート=カルロから離れる方へと私はダッシュをかける。 そしてこちらの予想どおり、またまた行く手に姿を見せるモルディラグ。 ......かかった! その瞬間、私は魔法を放った。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 かりにも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた術である。この一撃で倒せなかったとしても、かなりのダメージは与えるはず。となれば、どこかにスキも生まれる。 闇に生まれた赤い光が、白い魔族に向かって収束し......。 「ぐおおおおおおっ!」 獣にも似た雄叫びは、私の後ろから聞こえた。 同時に、私の放った赤い光が、闇の中へと溶け消えた。 なんと! 「そうはいかんぞ!」 勝ち誇った声を上げるラーシャート=カルロ。 どうやらこいつが、すんでのところで、モルディラグに対する私の魔法を打ち破ったらしい。 一応こいつも高位魔族。これくらいの芸は出来ても不思議ではない。 しかしこうなると......これはかなり本格的にまずい。 モルディラグを倒すことも出来ず、逃げることも出来ないとなれば、私は嬲り殺しだ。 虚無の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』ならば、さすがに通用するだろうが、あれは避けられたらおしまい。なおかつ、それで魔力の尽きたところを、もう片方に攻撃されればひとたまりもない。 となれば......。 などとあれこれ考えていた時。 ズルッ! 足が滑った。 モルディラグの放った光の槍から身をかわそうとしたのだが、これではかわしきれない。倒れそうになるのを何とか堪えて、右に跳んだものの......。 「......っくぅっ!」 左足に走る、灼けるような衝撃。 着地と同時にバランスを崩し、私は倒れ込んだ。 かすっただけのはずなのに......。 もはや足首から先の感覚はなく、動かすことも出来ない。 「......どうやらこれまでのようだな......『ゼロ』のルイズ......」 言いながら、ラーシャート=カルロが、ゆっくりと近づいてくる。 「その足では、もはや動くこともできまい......」 彼は私から少し離れた場所で立ち止まり、静かな視線をこちらに向けた。 モルディラグは、やはり依然無言のまま、やや距離をとってジッと漂っている。 「人間にしては、なかなかやる方だったが、しょせん、こんなところか。恨むなら、きさまに目をつけた冥王(ヘルマスター)を恨むことだな......」 勝利者の余裕のつもりか。 サッサとトドメを刺すのではなく、語り続けるラーシャート=カルロ。 「......ラクに死ねるとは思うなよ。まあ、おまえも死ぬ前に何か言いたいことくらい、あるだろう。聞いてやるから、遠慮せず......」 ラーシャート=カルロは、そこでいきなり言葉を切ると、白い魔族の方を向き......。 「モルディラグ!」 竜将軍の叫びと同時に。 白い魔族の足下から、ザバァッと水柱が立ちのぼる。 しかしその体が水中に没するよりわずかに早く、白い魔族は闇の中へと溶け消えた。精神世界へ逃げ込んだのだ。 「ちっ......余計なのが来たか......」 ラーシャート=カルロは舌打ち一つして、再び私に向き直り、 「......命拾いしたな......今回は......。しかしまだ時間はある。無事にタルブまで辿り着けるとは思うなよ......」 そう捨てゼリフを残し、竜将軍も闇へと消えた。 「ルイズ!」 ほとんど入れ違いに、茂みをかき分け、やって来る姫さま。タバサとキュルケとフレイムも一緒である。......つまり、一緒に旅する全員が来たわけだ。 「大丈夫ですか!?」 「はい。少し足をやられましたが......。それより、なんでみんなして、こんなところへ?」 「あれだけ村の近くで騒げば、誰だって見に来るわよ」 呆れたようにつぶやくキュルケの隣で、タバサも小さく頷いている。 姫さまは、私の足を一目見て、顔を真っ青にしながら、慌てて『水』魔法で治療し始めた。......どうやら、かなり酷い傷だったようである。 「で? 誰とやりあってたの?」 治療に必死で質問すら出来ぬ姫さまに代わって、キュルケが私に尋ねてきた。 「例の竜将軍よ。なんか......どうやら魔竜王の仇を討ちに来たみたいね......」 「仇を......?」 おうむ返しにつぶやいたのは、タバサである。 「そう。......あと、モルディラグとかいう、白いのを一匹連れてたわ」 「なるほどね......。ということは......」 険しい表情で、キュルケが考えこむ。 私は小さく頷いてから、夜空を仰いでつぶやいた。 「......どうやら......あんまり旅は順調にいきそうもないわね......」 ######################## 海沿いのガリアの街、サン・マロン。 ガリア空海軍の一大拠点である。 海に面した桟橋や、地上に造られた鉄塔には、ガリア自慢の大艦隊が、事あればハルケギニアの空と海とを制すべく、帆を休めている。 「完全な軍港ね、ここ」 「......当たり前」 呆れたようにつぶやくキュルケに、ポツリと返すタバサ。 ......まあ、仕方ないか。 ロマリアからガリアを経てトリステインへと向かう私たちは、ガリアの内陸部を進むのではなく、海沿いの街道をゆくというルートを選んでいた。 理由は二つ。 一つは、敵に襲われた際、大量の水が近くにあれば、水魔法の使い手である姫さまには有利であろう、ということ。正直、今回は相手が相手なので、姫さまの安全を気にしながら戦う余裕などない。自分の身は自分で守ってもらわにゃいかんのだ。 もう一つは、港町を行けば、どこかでフネを調達できるのではないか、という期待もあったから。これだけの大行程を行き、休む間もなく大決戦......というのは、さすがにキツい。フネでも借りて、少しはラクして行きたかったのだが......。 とりあえず、ここでは民間船は見つからないようだ。 「......それじゃあ、まあ、今日はここで一泊ってとこね」 「こんな物々しい街で......ですか?」 周囲を見渡しながら、姫さまが顔をしかめた。 レンガ造りの建物がいくつも並ぶ軍港部は、たしかに、あまり心休める場所には見えない。 「市街地に行けば、もう少し、ノンビリした雰囲気にもなるでしょう」 別に私たちは、軍のお世話になるつもりはない。軍事施設ばかりの港に泊まるのではなく、市民が暮らす辺りまで行き、そこで宿をとるのである。 「でも......こんなところでゆっくりしているより、早く次の街を目指した方がいいのではありませんか?」 サイトが敵の手に落ち、ラーシャート=カルロが私たちを狙っているという状況。 それを考慮して姫さまは言っているのだろうが......。 「......あのぅ、姫さま」 私は彼女に歩み寄り、その耳元に小さな声で、 「タルブの村に着いたら、たしかに竜将軍は出てこなくなりますが......代わりに冥王(ヘルマスター)がいるんですよ......あそこ......」 「......うっ......」 冥王(ヘルマスター)と聞いて、思わず頬に汗する姫さま。 竜将軍は厄介な奴であるが、タルブの村で待つ冥王(ヘルマスター)は、竜将軍どころではないバケモノである。 「......そんなに急いでトリステインに戻りたいなら、アンだけ先に帰ったら?」 突き放したように言うキュルケ。だが、彼女とて、姫さまの『王女』としての身を心配して言ってくれているのだろう。 ......タルブへの旅を始めた頃、実は私たちは一度、姫さまに提案しているのだ。もうトリスタニアに戻られてはいかがですか、と。 ロマリアでは「この一件が片づくまでは同行する」と宣言した姫さまであるが、さすがに相手が冥王(ヘルマスター)となると、もう彼女には、この話から降りて欲しかったのである。 でも、説得を聞き入れる姫さまではなかった。 だから、今も。 「あら。別に、そういうわけではありませんわ。......どうせタルブもトリステイン国内ですから、ある意味、トリスタニアまで戻るついで、ということになりますし」 うん、言っても無駄なのだ。 姫さまは姫さまで、幼馴染みの私のことを心配して、この事件を最後まで見届けたいのだろう。 「......まあ、姫さまの言うとおり、急がなきゃなんないことは事実ですけど、ね」 私は、部分的な同意を示した上で、言葉を続ける。 「でも、まだ陽も高いとはいえ、今からここを出たのでは、次の村や街に着く前に日が暮れてしまうでしょう。野宿なんてことになったら、それこそ竜将軍に『襲ってくれ』って言ってるようなもんだし、そうでなくても、無理して体調でも崩したら困りますよね?」 「......そうですね......」 姫さまは、なにやら複雑な表情で、私を正面から見つめ、 「でもルイズ、あなた......サイトさんのこと、心配ではないのですか?」 「......そりゃあまあ......もちろん心配だけど......サイトは私の使い魔ですから......」 主人と使い魔は一心同体。使い魔が見たものは主人も見ることができる、と言われている。 サイトがガンダールヴのせいか、私とサイトの関係は少し変わっていて、視界の共有は逆方向に発生する。 だから、私が今現在のサイトの状況を視覚的に理解することはできないが、それでも......。 「......サイトが無事だ、ってことくらいは、感じ取れるんです」 私は何となく視線をそらしながら言った。 ふとタバサと目が合ったが、彼女は小さく頷いている。 ......うん、サイトの騎士を自認するタバサも、私に同意してくれているわけだ。彼女もサイトは無事だと信じているのだ。 「......なるほど」 一応納得したのか、つぶやいて、かすかに姫さまは微笑んだ。 「それでは、今日はここで一泊ですね」 「ええ。とりあえず、市街地で一番の宿を取って......」 言いながら、私は視線を姫さまに戻そうとして......。 「......あれ......!?」 途中で、私の視線が止まった。 「どうしたのですか、ルイズ?」 「見間違いか、他人のそら似かもしれませんけど......」 問う姫さまに、彼女の方を見ようともせず、私は答える。 「......いたんです。さっき、そこに」 「何が?」 「......知った顔の相手が......」 「だから、誰?」 言い渋る私の態度を不思議に思ったか、姫さまは執拗に聞いてくる。 私は少しためらいながら、 「......冥王(ヘルマスター)......」 「ヴィットーリオ教皇ですか!?」 小さく声を上げる姫さまに、私は軽く頭を振ってみせる。 「そうです。......いや、違います、と言うべきかしら......。例の子供の姿でした」 さすがに教皇聖下の顔では、あちこちうろつくわけにもいかないようだ。下々の者たちが彼の顔を知っているとも思えないが、あれだけの美青年、妙に目立ってしまう。 ......まあ、子供バージョンでも、女の子かと見まごうばかりの美少年。それはそれで人目につくでしょうけど。 「あいつ、タルブの村で待つって言ってたわよね? それが、なんでこんなところに?」 「わかんないわ。単に私の見間違いって可能性......」 キュルケに対して返す言葉が、途中で喉元で凍りつく。 私が視線を送るその向こう......。 レンガの建物のその先に、黒く小さなマント姿が一瞬、しかし確かに見えた。 服装は以前とは若干異なるが......間違いない。底冷えするような色の光を奥に宿したその瞳は、ハッキリと私の方を見ていた。 「いたわ! あっちよ!」 声を上げて、私は駆け出した。 が......。 角を曲がったその先に、もう彼の姿はなかった。 「本当にいたのかしら?」 「......私は見なかった」 「間違いない......はずよ......」 少し遅れてついて来たキュルケとタバサに、私はやや自信のない口調で答える。 間違いないとは思うのだが、なにしろ、見えたのはわずかに一瞬。 それに、もはや辺りには......。 「あそこです!」 いきなり大声を上げたのは姫さま。彼女は、通りの一角を指さしている。 大通りから伸びる路地の奥へ歩みを進める、小さな黒いマント姿......。 「追うわ!」 一方的に宣言し、私は再び走り出す。 ......そこは一本の細い路地だった。 いや、路地というよりもむしろ、建物どうしの隙間というべきか。人がひとり、何とか普通に通れるほどの幅である。 左右に高くそびえ立つレンガの壁は、路地を闇に埋めていた。 遥か向こうからポツリと明かりが漏れているので、この先はどこかの通りに繋がっているらしい。 その漏れ来る光の中、一点の黒い染みのように、奥へ奥へと歩み行く小さな人影。 「ちょっと!」 私が声をかけても、黒い人影は止まらない。 仕方なく、私は路地へと駆け込んだ。 姫さま、タバサ、キュルケもあとから続く。フレイムには狭すぎるのか、キュルケの使い魔は入ってこない。 ......先を進む影は、ゆったりとした足取りに見える。にもかかわらず、小走りに追いかけてゆく私たちとの差は一向に縮まらない。 「......ということは......。やっぱり、少なくとも、普通の人間ではないってことね」 後ろの姫さまたちにも聞こえるように、敢えて声に出す私。 そうやって、なおもしばらく進むうち......。 唐突に、目の前の空間がひらけた。 小さな家が一軒、なんとか収まるほどの広さである。だが、意識して作られた広場ではなさそうだ。 周りを窓のないレンガの壁が高く取り囲み、薄暗い影でこの場所を覆っている。 しかし、辺りをザッと見回しても、もはや人影はない。 「......消えた......わね......」 キュルケがポツリとつぶやいた。 相手がヴィットーリオ=フィブリゾだとしたら、また虚無魔法でも使ったのであろうか。サイトを連れ去る際に使った、例の魔法だ。 思うに、人間の中で覚醒した冥王(ヘルマスター)は、精神体である純魔族とは違って、空間を渡るという芸当は出来ないらしい。でなければ、前回もワザワザ虚無魔法なぞ使う必要もない。 それに、子供の姿に化けるのに魔道具を使っていたのも、同じ理由だ。本来、純粋な高位魔族は、顔も形も自由に変えられるはず。しかし、それが出来なくなったヴィットーリオ=フィブリゾは、たぶん今回も、あの『フェイス・チェンジ』の付与された聖具を使っているのだろう。 「......どうせ姿を消すのなら......なぜ、わたくしたちを誘うような真似をしたのでしょうか?」 姫さまの疑問は、私も不思議に思う点であるが......。 「よく来てくれたな。『ゼロ』のルイズ」 まるで私たちの疑問に答えるかのように。 聞き覚えのある声が、私たちの後ろ――たった今通って来た路地の方――から聞こえてきた。 慌ててそちらを振り向けば、黒いマントを身に纏い、静かに佇む小さな人影。 ......確かにそれは、あの男の子の姿形をしていた。だが......。 「この姿でうろつけば、必ずついて来ると思ってたよ......」 その口から漏れ出る声は、子供のものではない。 ......竜将軍の声だ! その姿がユラリと霞んで揺れて、次の瞬間。 竜の鎧を身につけた、見覚えのあるあの姿へと変化した。 「......なるほど......どうやらまんまと一杯食わされたみたいね......」 私は苦い口調でつぶやいた。 ラーシャート=カルロとて、高位の魔族。冥王(ヘルマスター)が使う子供の姿と同じに外見を変えることくらい、造作もないことだったのだ。 ついさっき、魔族のそうした能力に関して、考えたばかりだったのに......。 「この前は今一歩で邪魔が入ったが......ここなら逃げることも出来まい」 確かにラーシャート=カルロの言うとおり。 この場所では、私たちに逃れるすべはない。たとえ路地に逃げ込んだとしても、そこを魔力弾か何かの飛び道具で攻撃されればひととまりもない。 それに、いまだ姿を現していないが、あのモルディラグとかいう白い奴も、たぶん近くにいるはず。加えて、相手は竜将軍。さらに街中とあっては、私も大技は使えない。 不利は重々承知だが、何はともあれ、こうなった以上やるしかない。 私たちは杖を構え、呪文を唱え始めた。 そして......。 「ゆくぞ!」 ラーシャート=カルロの声が辺りにこだました。 ######################## 「じゃっ!」 トカゲのうなりにも似た気合いと共に、竜将軍が、手にした剣を振り下ろす。 はるか間合いの外である。普通なら、単なる素振りにしかならないが......。 ビュイッ! 剣の一振りが生み出した衝撃波のようなものが、空間を切り裂き飛来する! とっさにその場を飛び退く私たち四人。 ラーシャート=カルロの放った一撃は、むなしく宙を行き、レンガの壁に当たって消える。 命中したレンガの壁には、何の変化もない。だが、それが人間に無害なモノのはずもない。 とりあえず反撃開始。私はエクスプロージョンの魔法を放つ。 「バカめ! そんなものが当たるものか!」 魔法の光球を軽々とかわすラーシャート=カルロ。 ......まぁ私とて、正面から馬鹿正直に放った魔法が命中するとは思っていない。回避されるのも予想済み。 実は私の狙いは、レンガの壁を壊すこと。 手近な建物の壁をぶち抜いて、そこに脱出口を作り上げる。そこから逃げると思わせて、追ってきたラーシャート=カルロに接近戦を挑む。室内という限定空間の中ならば――簡単に逃げられない場所ならば――、私の『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で奴を叩き斬ることも可能......。 それが私のプランだった。 だが。 「......えっ?」 エクスプロージョンの光は、ラーシャート=カルロの背後の壁に当たり......。 ただそれだけだった。 壁のレンガには、傷一つついていない。 「無駄だぞ、『ゼロ』のルイズ! すでにこの場は我が結果の中! ここでどんな攻撃魔法を使ったところで、本来の街には傷の一つもつけられん! おめおめ逃げられると思うなよ!」 あからさまな嘲笑を送りつけてくるラーシャート=カルロ。 どうやら、どうあっても、ここで決着をつけるつもりらしい。 しかしラーシャート=カルロの今の発言、逆に考えれば、たとえ私がここで『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』や『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を放っても、街に被害は出ないということ。こちらにとっても、そうそう悪い条件ではない。 ......まあ......そんなもんをぶっ放して、街はともかく、結界内の私たちが平気だという保証はないわけだが......。 などとあれこれ思ううち、姫さまが攻撃を仕掛けていた。 ザーッ! ラーシャート=カルロの足下から青白い水柱が湧き上がり、その全身を包み込む、 次の瞬間、竜将軍のその姿が、青い光の中に砕け散る! 「......やったのですか!? こんな......あっさり!?」 疑念の声を上げる姫さま。 しかし......まだだ! 彼女の後ろの空間がユラリと小さく揺らめいて、剣を振り上げる竜将軍の形を生み出した。 精神体のかけらをオトリに残して、本体は空間を渡る......。魔族がよく使うトリックだ。 ラーシャート=カルロは、振り上げた剣を、姫さまに向かって......。 「ぐああああっ!」 怒りの咆哮を上げる竜将軍。 姫さまにしか注意を向けていなかった彼は、キュルケの攻撃をまともに食らったのだ。 ラーシャート=カルロの全身に炎の蛇が絡みつき、その間に、姫さまは慌ててその場を飛び退く。 だが竜将軍にしてみれば、予想外の攻撃に驚いただけで、ダメージ自体はたいしたものではなかったらしい。 「......こざかしい......」 ラーシャート=カルロの言葉と同時に、炎の蛇は霧散する。続いて彼は、お返しと言わんばかりに、剣風の衝撃波を放つ。 キュルケは、その一撃を楽々とかわし......。 その瞬間。 ユラリと空間が揺らめいて、白い魔族モルディラグが姿を現した。......キュルケのすぐ後ろに! 「......!」 攻撃を回避したばかりの彼女は、体勢が崩れている。そこを狙って、モルディラグが魔力の矢を放つ。 「キュルケ!」 これは避けられない! ......と思ったが。 真横から襲った風の槌がキュルケを弾き飛ばし、魔族の攻撃は空振りに終わった。 「......助かったわ、タバサ」 倒れ伏しながら、礼を言うキュルケ。 味方の『エア・ハンマー』でぶっ飛ばされたわけだが、それが彼女を助けるためということくらい、ちゃんと理解しているのだ。 しかし......。 こんな荒技、そうそう使えるものでもない。これは早めにケリをつけねば、状況は悪くなる一方である。 となれば......。 「......天空(そら)のいましめ解き放たれし......凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ......我が力......我が身となりて......共に滅びの道を歩まん......神々の魂すらも打ち砕き......」 私の切り札、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』。ただし、不完全バージョンの方である。 完成版の方が確かにパワーはあるが、あれは消耗が激し過ぎる。一撃目を外せば、それでおしまい。 もちろん、これだって消耗は激しいが、こちらの方が持続時間は少し長いし、これでも十分通用するはず。 ラーシャート=カルロに向かって、私はダッシュをかけて......。 「......む!?」 奴は姫さまやタバサの魔法をあしらっていたのだが、こちらの動きに気がついたらしい。 振り向くラーシャート=カルロ。 しかし私は既に、その間近まで迫っていた。 「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」 至近距離で、私は術を発動させた。 杖に沿って、闇の刃が生まれ出る。 そのまま私は、突き上げるように斬りつけた! だが。 「ちぃっ!」 舌打ち一つをあとに残し、ラーシャート=カルロは大きく横に跳び退いて、私の一撃を辛くもかわす。さらに、闇の刃を警戒してか、慌てて私から距離を取ったが......。 ふん! 避けられるのも計算のうちよ! 「えぇいっ!」 闇の刃を発動させたまま、ラーシャート=カルロの立っていた場所を走り抜け、レンガの壁に切りつけた。 ざむっ! ラーシャート=カルロの結界で守られているはずの壁が、いともアッサリ切り裂かれる。 「バカな!? 私の結界を!?」 驚愕の声を上げるラーシャート=カルロ。 その隙に。 私はさらに虚無の刃を振るい、レンガの壁に、人が通れるほどの穴を作った。 言うまでもない。最初の案――竜将軍を室内におびき寄せて『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で叩き斬る――を実行に移すのだ。 とはいえ、私も消耗している。この闇の刃、そろそろ消えてしまいそうだ。 あるいは、いったん消して、もう一度発動させたほうがいいか? それだけの精神力が私に残っているか? ......などと思ったその矢先。 「......まさか......私の結界が破られるとは......」 何やらつぶやきながら、ラーシャート=カルロが大きく飛び退いた。 「......まあいい! 勝負は次回だ!」 一方的に言い放ち、虚空へと姿を消す。 白い魔族も、竜将軍に続いてボウッと消えた。 「......え?」 あまりにも唐突な退場に、思わず眉をひそめる私たち。 無表情なタバサまでもが、あからさまに不審げな顔をしている。 「......退いてくれたの? それとも、そう見せかけて......そこらに潜んだのかしら?」 キュルケの言葉は、皆の心中を代弁したものだった。 私は油断なく、周囲に視線を送るが......。 もはや、辺りには何の気配も存在しなかった。 「どうやら......本当に行っちゃったみたいね」 つぶやいて、私は大きく息をついた。 ######################## 「......うーん......」 桃りんごのパイをフォークで突っつきながら、私は低いうなりを漏らした。 満腹で食べられない、というわけではない。デザートは別腹である。 しかも、安宿の夕食の添え物にしては、味も悪くない。 私が考えているのは、別のことだった。 ......サン・マロンでの襲撃も今は昔。あれからひたすら歩き続けた私たちは、ようやくトリステインの領内へと入っていた。 「......どうしたの、ルイズ?」 私の漏らしたうめき声を聞いて、キュルケが、陶器のグラスのワイン片手に、問いかけてくる。 「いや......ちょっと、ね......。色々考えてたから......」 「色々?」 「うん。ガリアの軍港で、竜将軍の奴、私に結界破られて、やたらアッサリ引き下がったけど......なんでだろ、って思って」 「これまでと同じではないのですか?」 すっかり食べ終わった姫さまが、口の端をナプキンで拭いながら言う。 「関係ない人を巻き込むのを嫌がっていたでしょう?」 「そうです。確かに連中、無関係な人間を巻き込むのを嫌がってましたが......なぜです?」 私が聞き返すと、姫さまはキュルケと顔を見合わせる。 「人間界に潜伏して、それぞれの国の戦力を手に入れたかったからですね」 「......あと、目立たないためね」 姫さまの言葉に、キュルケが加える。 「あまり大きな騒ぎを起こすと、冥王(ヘルマスター)側に、自分たちの動きが知られる......。それを恐れていたんだわ。......実際のところは、筒抜けだったみたいだけど」 「......まあ、そこまでは私もわかるのよ。でも......」 二人の言葉に、煮え切らない返事をする私。 そして、無言のタバサに視線を向ける。 「タバサはどう思う?」 すると彼女は、誰にともなく頷いて、 「......二人の意見には同意。でも、ルイズの疑問にも同意」 なるほど。 さすがはタバサだ。 私がどこに引っかかりを感じているのか、それも見抜いているらしい。 「ルイズの疑問......って、どういうこと?」 と、キュルケがタバサに聞き返した時。 「ルイズさん!?」 唐突な私への呼びかけは、背後から聞こえてきた。 思わずそちらを振り向けば、店の戸口に、見知った人影が一つ。 カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが可愛らしい、メイド服の少女。年齢は私たちと同じくらいで、姫さまほどではないが、スタイルも立派である。 「......シエスタ!?」 思いもよらぬ再会に驚きつつ、私はその名を叫んでいた。 (第三章へつづく) |
「......シエスタ!?」 それはかつて、タルブの村で出会い、王都トリスタニアまでの旅路を共にしたこともある彼女だった。 トリスタニアで酒場を営む親戚のところまで着いたはいいが、それまでの心労と新たなショックが重なって、ついに卒倒したはずだが......。 ......ま、そういつまでも失神しているわけもないか......。 「どうしたのよ、シエスタ!? なんであんたが、こんな場所に!?」 テーブルの間をぬってやって来た彼女に、私は問いかける。 「なぜ......って......。この宿に、その......ルイズさんのような、特徴的な容姿の貴族のかたが泊まっていると聞いて......」 やや言葉を濁した感じであるが......。 どうせ『特徴的な容姿』というのは、良い意味ではあるまい。 「そうじゃなくて! 何の用があって、トリスタニアから離れた、こんな村まで来たのか、って聞いてるの!」 「それは......と......その前に」 シエスタは、私とタバサとキュルケを見回して、 「みなさん、お久しぶりです。いつかは色々お世話になりました」 「ま、あたしたちも世話になったしね。......それより、あなたも元気でやってるみたいで、何よりだわ」 「ええ。おかげさまで」 キュルケに言葉を返してから、今度は姫さまに視線を送り、 「こちらのかたは?」 「アンリエッタ・ド・トリステインです」 わざわざ席を立ち、会釈する姫さま。 正直に名乗ったところをみると、シエスタは仲間という扱いらしい。まぁ姫さまには一応、タルブの村での一件は説明してあるし、とんでもない事件に関わった者は皆、信用できる仲間だと思えるのだろう。 「御丁寧にありがとうございます。私は、シエスタと申しま......」 言いかけたシエスタの表情が、笑顔のままで一瞬凍りつく。 「......アンリエッタ......ド......『トリステイン』......さん?」 「そう」 彼女の耳元で、私は小声でボソリとつぶやく。 「トリステイン王国の王女さまよ」 「ひ......姫殿下!?」 「まあ! そんなに、大げさにしないでくださいな。おともだちのおともだちなのですから、あなたも、わたくしのおともだちです。......あと、一応おしのびの旅なので、アンと呼んでくださいね」 慌てて畏まるシエスタを、姫さまが自ら止めた。 シエスタは緊張した表情で、目を白黒させている。王都で暮らすメイドが、王女さまから『あなたもわたくしのおともだち』とか『アンと呼んでくださいね』とか言われたら、落ち着いていられないのも当然である。 「......と......ところで......」 それでも何とか持ち直して、シエスタは私を正面から見据えた。 「見たところ......サイトさんの姿がありませんけど......」 うっ。 痛いところをついてきた。 そういえば彼女、サイトに気があるような素振りを見せていたが......。 「......まさか......?」 ズズイッと一歩詰め寄られ、私は椅子に座ったまま、反射的に身をそらした。 「まさか、新しい使い魔が欲しくなって、サイトさんは道端に捨ててきたとか!?」 「飽きっぽい子供か、私は!?」 「じゃあ、ルイズさんの横暴に耐えかねて、ついにサイトさん、逃げちゃったとか!?」 「そんな酷い扱いしてないわよ!」 「それじゃ一体、どうしたんですか!? サイトさんは!?」 「......サ......サイトは......」 「サイトさんは!?」 「......冥王(ヘルマスター)にさらわれちゃった。てへ」 ......ごく一瞬の短い間を置き......。 「......はうっ」 シエスタは、その場に卒倒した。 ######################## 「......卒倒してる場合じゃなさそうですね......」 意外にも、わりとアッサリ復活して、彼女は私の隣に腰かけた。 膝がガタガタ震えているところを見ると、まだ完全には立ち直っていないようだが......。 「とにかく......まずは聞かせていただけますか? いったい何があったのか......」 言われて、私と姫さまとキュルケ、そしてタバサまでもが互いに顔を見合わせた。 事情を説明するのは簡単。しかしそれは、彼女をこの一件に巻き込むことに他ならない。 ......とは言っても、もう冥王(ヘルマスター)の名前は出してしまったわけで、今さら話さないと決めたところで、彼女は納得しないだろう。 「......そうね......」 しばらく考えた後、私はため息混じりでつぶやいた。 「......話をする前に、ひとつ言っておくわ。これって、かなり大きな事件なの。聞いた以上は、たぶん、何らかの形で巻き込まれることになるんだけど......それでも聞く?」 「もちろんです」 迷わずキッパリ、シエスタは即答する。 ならば、仕方ない。 「......わかったわ」 私たちは、今までの大雑把ないきさつを彼女に話し始めた。 ジュリオのこと。魔竜王(カオスドラゴン)のこと。始祖の祈祷書(クレアバイブル)のこと。冥王(ヘルマスター)のこと。 サイトが連れ去られ、それを追って私たちが、タルブの村へと向かっていること。 そして今、私が竜将軍に、命をつけ狙われていること。 ......全てを話し終えた後。 「......そういういきさつですか......」 シエスタは、静かな口調でつぶやいた。 しかし落ち着いた態度の裏で、必死に内心の動揺を抑えようとしていることは、その表情を見れば明らかである。失神しないだけ、上出来と言えよう。 「つまり......サイトさんは、あなたをタルブへと呼び出すだけのために、連れて行かれたわけですね」 「......そ......そういうことね......」 シエスタは『あなた』という部分だけ妙に強調してみせた。 何となく怖いものを感じ取り、思わず後ろに退く私。 「......なるほど......」 彼女は何やら一人で考えながら、しきりに『なるほど』を繰り返す。 「......あ......あの......シエスタ......?」 私の呼びかけに、ようやく彼女は視線をこちらへ向け、 「まだ話していませんでしたね。私がなぜ、トリスタニアから離れた、こんな辺境の村にいるのかを」 「......う......うん......」 「私はトリスタニアで、スカロンおじさんの家にやっかいになりながら、いとこのジェシカと一緒に『魅惑の妖精』亭を手伝っていました」 唐突な話題の転換に、戸惑う私たち。それでもかまわず、彼女は語り始めた。 「......そんなある日。店のお客さんの一人から、おかしな話を聞いたんです。そのお客さんは、旅の商人だったのですが......彼が言うには、しばらく前にタルブを通ったら、村の中央に大きな建物が出来ていた。あれは何だろう、って」 「大きな建物......?」 シエスタの言葉に、私は眉をひそめた。 ......タルブの村は、例の事件で壊滅したはず。かつての魔鳥事件ではブドウ畑だけだったが、今回は、村そのものが完全に壊滅したのである。 「それって......もう村が少しずつ復興し始めた、ってこと?」 私の問いに、しかし彼女は首を横に振り、 「いいえ。その中央の建物以外は、以前と変わらぬ光景だったそうです」 ......そんな馬鹿な!? タルブの村が荒野と化してから、それほど長い歳月が経過したわけではない。 いくら民衆の底力が凄いとはいえ、そんな短期間で、以前と同じレベルまで盛り返せるはずがない。 「私も、おかしな話だと思って、色々詳しく聞いてみたんですけど......」 「それで?」 「よけい話がややこしくなりました」 すました口調でサラリと言う。 「色々と聞けば聞くほど、だんだん話が噛み合わなくなって......。あらためて聞いてみると、タルブの村は壊滅などしていないそうです」 「......は......?」 「壊滅してない......ってどういうこと?」 思わず間抜けな声を出した私に続き、キュルケも尋ねる。 しかしシエスタは、首を振りながら、 「そのままの意味です。ちゃんと村はあったし人も住んでいた。何もかも以前のまま。ただ中央広場はなくなって、代わりに新しい建物が出来ていた......ということです」 「それ変ね......」 キュルケが言うのも、もっともである。 私もキュルケもタバサも......つまり、姫さまを除くこの場の全員が、タルブ壊滅に立ち会っているのだから。 「......どこか別の村と勘違いされたのではありませんか?」 それまで沈黙を続けていた姫さまが、横から口を挟む。彼女だってタルブの一件は聞いているので、この話を不思議に思ったのだろう。 「もちろん私も、それは考えました。でもその人は、絶対にタルブだ、メイドの名産地のタルブだ、と言い張って......。それで、他の人たちからも色々聞いてみることにしました」 シエスタが働いていたのは、トリスタニアでも繁盛している酒場、『魅惑の妖精』亭。その気になれば、旅人たちからの情報収集も容易である。 「......そうしたら、ますます話がおかしくなったのです。最近タルブへ立ち寄ったという人たちは皆、その人と同じようにおっしゃるのですが......。それ以前にタルブを通った人たちは、こうおっしゃるのです。村そのものがなかった、一面の荒野だった、と」 「つまり......ある時期を境に、完全に話が食い違ってる、ってこと?」 私の確認に、シエスタは頷く。 ......うーむ。 どうにも妙な話である。 「......で、結局、何がどうなってるのよ?」 「わかりません」 問いかけたキュルケに、シエスタはアッサリ首を左右に振った。 まるで総括するかのように、タバサがポツリとつぶやく。 「......実際に見てみるしかない」 「そうなんです。だから、こうやって、自分の目で確かめに行くんです」 「確かめに行く......って、私の今の話を聞いて、それでもタルブへ行くつもりなの!?」 「もちろんです」 私の驚きを、一言で切って捨てるシエスタ。 「サイトさんが囚われていると聞いた以上、引き返すわけにもいきませんから」 「......わかったわ。それじゃ、今日はここで一晩休んで、明日、一緒に......」 「いいえ」 シエスタは私の言葉を遮って、 「私は一人で、ルイズさんたちより早く行かせていただきます」 「一人で!?」 「はい。私一人で、サイトさんを助け出します」 「無茶よ!」 私たちの声がハモった。 「大丈夫です。私には、これがありますから」 ニッコリ笑いながら、ゴソゴソと荷物の中から取り出したのは、一つのフライパン。 一見ただのフライパンだが、私たちは知っている。これは魔鳥ザナッファーの鱗から作られたと言われるシロモノで、シエスタ曰く『とっても頑丈で、悪い人とか怪物とか叩いても平気!』なのだそうな。 実際、以前にシエスタは、これを振り回したり投げつけたりしていたわけだが......。 相手は冥王(ヘルマスター)だぞ!? こんなものが通用するはずもなかろうに!? 「......」 驚き呆れる私たちを前にして、ただただシエスタは、メイド・スマイルを浮かべるだけであった。 ######################## コンッ、コンッ。 扉を叩くその音に、私は、部屋の戸口を振り向いた。 その日の夜。 全員が、宿のそれぞれの部屋に引きあげた後である。 私もそろそろ眠ろうかと、ベッドに入りかけて......。 そこに、ノックの音がしたのだった。 「ルイズさん、起きてますか?」 扉の向こうから聞こえてきたのは、シエスタの声。 「うん。起きてるけど......」 答えて私は、掛け金を外し、扉を開ける。 そこには、えらく真剣な面持ちで、ジッと佇むシエスタの姿。 「話したいことがあるんですけど......かまいませんか?」 「......う......うん......。いいけど......どうしたの? さっきの話の続き?」 「違います」 彼女は後ろ手に扉を閉めて、安づくりな椅子に腰かけた。 向かい合う形で、私はベッドに腰を下ろす。 「単刀直入に聞きますけど......」 ヒタッと真っすぐ、私の瞳を覗き込みながら、シエスタは言った。 「ルイズさんは、サイトさんのこと、どう思ってます?」 「クラゲ頭のバカ犬。......でも、私の使い魔」 「使い魔......ですか。やっぱり」 フウッとため息をつくシエスタ。 ......なんだ? 「そうじゃなくて、好きか嫌いか、というのを聞きたいのですが......」 「......そりゃあ、まあ......自分の使い魔を嫌いなメイジなんて、いるわけないでしょ?」 「......そうですか」 再びシエスタは、深いため息を一つ。 それから、なぜかあさっての方を向いて、 「......以前に旅をご一緒させていただいた時......確か、言ってましたよね。サイトさんを元の世界に戻す方法を探している、って」 「うん」 「でも、それって、サイトさんを帰してしまうってことでしょう? 離れ離れになるってことでしょう? ルイズさん、それでいいんですか?」 「......いいも何も......。サイトは元々、この世界の人間じゃないんだから。仕方ないでしょ」 「仕方ない......ですか」 またまた、ため息をつくシエスタ。 「サイトさんは、ルイズさんにとって、せっかくの使い魔のはず。それを『仕方ない』で済ませられるのですか?」 「だって......サイトが帰りたい、って言うなら......」 「そうですか。やっぱり、サイトさんの意志次第なんですね」 そしてシエスタは、何やら遠い目で語り出す。 「昔......サイトさんがタルブの村に滞在していた時......一緒にお風呂に入ったことがあるんです」 知ってる。その話、前にも聞いたし。 私としては、聞いていて何となく不愉快になる話なのだが......。 なぜ、わざわざその話を蒸し返す? 「でもサイトさん、何もしようとしないどころか......私の裸を見ようとすら、しませんでした。必死になって、目を逸らしちゃって」 「......そ、そうよ。あ、あいつ、ああ見えても、結構まじめな奴なのよ! だって私の使い魔なんだもん」 シエスタとの入浴の一件は、私の使い魔になる前の出来事。それくらい承知している私だが、それでもつい、そんな言葉が口から出てしまう。 「......わかりました」 いったい何がわかったのか、シエスタは苦笑を浮かべて、椅子から立ち上がった。 「私は明日の朝早く、宿を発ちます。サイトさんは、なんとか私が助け出してみせます」 あらためて、無謀な宣言をするシエスタ。 「それじゃあルイズさん、おやすみなさい」 挨拶を残して、彼女は部屋から出ていった。 ......あとには、ただ......。 なぜだか自分でもわからぬまま、奇妙なやるせなさだけを胸に抱えた私が、一人、部屋に取り残された。 ######################## 「......本当に行ってしまいましたね、シエスタさん」 おだやかな朝の光の中、草原を横切る道を行きながら、姫さまがポツリとつぶやいた。 ......翌日の朝、私たちが目を覚ました時には、すでにシエスタは出発した後だったのだ。 「無茶をしなければよいのですが......」 シエスタ本人は、そんなに無茶をする気はないと言っていたが、冥王(ヘルマスター)に立ち向かうこと自体が『無茶』なわけだ。 まあ少なくとも、私の巻き添えでラーシャート=カルロに狙われることはないはず。その意味では、とりあえずタルブに着くまでは、私たちより彼女の方が安全かもしれない。 ......などと考えたのが、良くなかったのか。 「......来ましたね」 私たち四人と一匹――私と姫さまとタバサとキュルケとフレイム――は、ほとんど同時に足を止めていた。 ......ざわりっ......。 草原の緑が、風に音を立てた。 私たちの他に、街道を行く人影はない。 真っすぐに伸びる道の果てには、ただただ青空が連なるばかり。 ついしばらく前までは、向こうに山が見えていたはずなのに......。 「......竜将軍の結界」 タバサがポツリとつぶやいた。 辺りを見回すが、誰の姿も見えず、ただ向こう脛ほどの高さの草が、一面に生い茂るだけ。 と、その時。 ザザザザザザッ! 街道の右手の草の一部が、大きく波打った。 それは不規則な動きを見せながらも、確実に、こちらに向かってやってくる。 「来るわ!」 キュルケの声と同時に、うねりがピタリと静まった。 同時に、背後で生まれる殺気。 「前のはフェイントね!?」 思い思いの方向へと跳ぶ、四人と一匹。 ほとんど同時に、後ろから飛び来る閃光が風を灼く。 光の来た方を振り向けば......。 そこにはただ、風に波打つ草が茂っているばかり。たった今まであったはずの殺気も、きれいサッパリ消えている。 「気をつけて! 空間を渡ったわ!」 私が叫んだ瞬間、再び殺気が生まれた。 今の私たちの後ろ......つまり、最初に草がうねりを見せた方である。 「ルイズ!?」 姫さまの叫びは、間に合わなかった。 シュブッ! 草を薙ぎ分け、私に向かって飛来した一条の光。 それが私の左脚を直撃し、私は大地に倒れ込んだ。 「くっ......」 苦痛の声を上げる私に、仲間が駆け寄る。 姫さまは『水』魔法で治療を始め、タバサとキュルケとフレイムは、私をかばうかのように取り囲み、それぞれ戦闘体勢をとる。 しかし......。 どこに攻撃したらよいのだ!? 光が放たれたのは、草の中から。確かにそこには、少し前まで殺気があったが、何の姿も見えはせず、今はその殺気すら消えている。 「......空間を渡ったなら、姿くらいは見えてもよさそう。何かが草の中に潜んでいる様子もない」 「じゃあ、どういうことなのよ!?」 冷静に状況を口にするタバサに対して、やや取り乱したように言葉を返すキュルケ。 「まさか......ひょっとして......」 「ルイズ!? 何か......わかったのですか!?」 治療を続けてくれる姫さまに頷いて、私は呪文を唱え始めた。この程度の痛みならば、呪文を唱えるくらいの精神集中は可能である。 なおも光は立て続けに、あちらこちらから草をかき分け、飛来する。 キュルケとタバサとフレイムの炎や氷で迎撃できるので、その威力自体は、たいしたものではないらしい。......まあ、もしも竜将軍の全力ならば、直撃を食らった私の脚などアッサリもげていたことだろう。 そして......私の呪文が完成した。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 私の杖から生まれた赤い光は、一直線に突き進み......。 草原の一角、緑なす大地へと突き刺さった。 るぐぉぉぉぉぉっ! 絶叫のような轟音が、辺り一帯に響き渡る。 ユラリと周囲の景色が一瞬ゆがんで......。 あとには、元どおりの光景が広がった。 遠くには、山の連なり。 そう。結界を破ったのだ。 「今の結界......大地の全て、世界そのものが魔族の体だったんでしょ!?」 どこかにいるはずの敵に向かって、私は声を上げた。 姫さまのおかげで、脚の傷も回復。立ち上がった私は、あらためて杖を構える。 「......そのとおりだ......」 空間が揺らぎ、朱黒い甲冑を纏ったラーシャート=カルロが、その姿を現す。 「......よくぞ見抜いた......たしかにあの結界は私そのもの......もう少し追い込めるかと思ったが......」 「どうやら今の一発......かなり効いたみたいね」 心なしか声に張りがないのを見てとり、私は、からかうように言ってやった。 いくら竜将軍といえども、さすがに体の内側から『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を食らっては、ただではすまないらしい。 まあ、こちらも、つい今しがたまでこいつの体の中に入っていたかと思うと、それだけで気分が悪くなってくるのだが......。 「......フン。まあいい、こうなれば......正面から戦うまでだ!」 言ってズラリと剣を引き抜く竜将軍。 同時に。 水と氷と炎の魔法が、立て続けにラーシャート=カルロを襲う。 私が敵と舌戦を繰り広げる間に、仲間が呪文を唱えてタイミングよく攻撃する。なんだか、これがパターン化してきたっぽい。 しかし。 「効かぬわっ!」 一括と同時に振り上げられた、ラーシャート=カルロの一刀。それだけで、全ての魔法が弾き跳ばされる。 そして、この時。 私の真後ろに、もう一つの殺気が現れた。 ......モルディラグだ! しかし、いきなり現れることも、その場所も、半ば予想済み。ラーシャート=カルロ用にと唱えていたエクスプロージョンを、私は振り向きざまに解き放つ! 「......!?」 不意をつかれて避けきれず、まともに食らって吹っ飛ぶ、白い魔族。 ......いや、私のエクスプロージョンの直撃で『吹っ飛ぶ』だけですむというのは、こいつも結構たいしたものだ。 ラーシャート=カルロほどではないにしても、やはり『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりを使わなければ倒せないか......。 と、私がザコ一匹に手間取っている間に。 「いくどやったとて無駄なこと!」 四方向からの同時攻撃――姫さまとタバサとキュルケとフレイム――を軽くあしらいながら、ラーシャート=カルロは、私たちを鼻先で笑っていた。 やはり、ラーシャート=カルロは強い。 今回は姫さまたちを相手にしており、本命である私のことは配下のモルディラグに任せているようだが......。こいつらがキチッと連係してかかったきたら、私たちは今以上のピンチに陥るであろう。 ......いや。 コンビ攻撃云々ではない。竜将軍一人でも、私たちを一蹴するくらいの実力はあるはず。 そもそも、いったん体内に取り込んだのだから、そのまま私たちを消化するなり窒息させるなり出来そうなものなのに......。 「もしかして......」 ......こいつら、実は私を倒したくないのか!? その瞬間、ある想像が私の脳裏に閃いた。 突拍子もない考えではあるが......ためしてみる価値はある! 「......くっ......! そろそろ精神力が......」 突然ガクッと膝をつき、肩で荒い息をする私。 ......演技である。 たしかに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』は、連発するにはキツイ呪文であるが、しょせん魔王の力を『借りる』魔法。系統魔法ではないので、虚無魔法ほど、私自身の精神力を消耗したりはしない。 でも、ここら辺の微妙な違いは、どうせ私にしかわからないので......。 「ルイズ!? どうしたのです!?」 慌てて振り向いたのは、姫さまだけではない。 ラーシャート=カルロが嘲りの声を上げた。 「どうした!? 戦術を間違えて、もう魔力が尽きたか!? 愚かな!」 「......ま......まだよ。あと一発くらいは撃てるわ......」 引っかかってきたラーシャート=カルロに対して、私は精一杯の演技を続ける。 すると。 「フン、残り一発か! ならば......撃ってこい! きさまの最大の技を、な! ......この竜将軍が、はねのけてくれるわ!」 言って、大きく両手を広げた。 ......このやりとりは、姫さまたちの目にも異様に映ったらしい。疑問の視線で、私とラーシャート=カルロとを見比べている。 チラッと目で「ここは任せて」と合図する私。続いて、ラーシャート=カルロの挑発に応じるかのように、私は小声で呪文を唱えながら、ヨロヨロと立ち上がり......。 杖を白い魔族に向けた! 「何っ!? 私ではないのかっ!? 卑怯なっ!」 竜将軍の非難を聞き流しつつ、私は魔法を放った。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 魔王の力を借りた術が、モルディラグに直撃する! 「ぉぉぉおおおおおぉぉぉん......」 断末魔のうなりは、獣の遠吠えにも似ていた。 さすがに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』には耐えきれず、白い魔族は光と化して......。 あとかたもなく消え去った。 「......モルディラグが......やられたのか......」 悔恨のつぶやきが、ラーシャート=カルロの口から漏れる。 「ちぃっ! この借りは......必ず返すぞっ!」 竜将軍は私をギッと睨みつけ、しらじらしい捨てゼリフを残して、虚空に消えた。 ひとまずの戦いは終わったわけだが......。 「どういうこと? あなた、この程度で精神力が尽きたりはしないでしょう?」 いぶかしげな目で、私に疑問を投げかけるキュルケ。付き合いの長い彼女には、私の嘘もバレバレである。 「......うん。ちょっと......ためしてみたいことがあってね」 つい口元に、ニヤリと笑みが浮かんでしまう。 そんな私に、今度はタバサが声をかけてきた。 「......敵の撤退の仕方もおかしい。逃げる必要はなかった」 私の魔力がカラッポになったのであれば、向こうとしては、むしろ攻撃のチャンスだったはず。 一応、仲間の魔族を失ったから、という撤退理由があるにはあるが......。一人では戦えないほど、竜将軍がひ弱なわけもない。 「そうね。あっちはあっちで、嘘つきだったのよ」 そもそも、私がモルディラグに杖を向けた時。卑怯だの何だの、文句を言っている暇があったら、白い魔族をガードしてやればよかったのである。 でもラーシャート=カルロは、それをしなかった。 つまり......。 「どういうことなのです?」 「竜将軍を倒す手が見つかった......ってことですわ、姫さま」 小さく微笑んで、私は言った。 ######################## 小高い丘の向こうへと真っすぐに伸びる、石を敷き詰めた街道。 右手に小さな林と、遠くに山が見える他は、ただ一面の麦畑。 午後のうららかな陽射しの中、私は一人、伸びゆく道を歩いていた。 人の姿もない街道であるが......。 「殺気がモロ出しになってるわよ、竜将軍さん。それで待ち伏せのつもりなら、あんた落第ね」 私はヒタリと足を止め、風につぶやいた。 「......とりまきどもの姿が見えんな」 声は、私の後ろから聞こえてきた。 風にマントをたなびかせ、ゆるりとそちらを振り向けば......。 緑なす大地を背景に、佇む竜の甲冑姿。 「先にタルブに行ってもらったのよ。みんなが一緒だと、私としても、あんまり思いきったこと出来ないんだもん」 そう。 姫さまたちには、先行してもらっている。シエスタに追いついたかどうかはわからないが、私とは一日分くらいの差がついていると思う。 「......ほぉう。それはつまり......死ぬ覚悟ができた、ということか?」 「逆ね。あんたなんか、本気を出せば私一人で十分......ってことよ」 前回の襲撃から、すでに数日。気力体力ともに、私はバッチリである。 「大口を叩きおって。......しかし、いずれにしても......」 「そう! ここで決着をつけるわ!」 言って私は後ろに跳び、間合いを広く取ってから、呪文の詠唱に入る。 「いいだろう! 望むところだ!」 ラーシャート=カルロが、数発の光球を放つ。 私が大きく横に跳んだ直後、光球は街道の敷石に当たって弾け、大地にいくつもの穴をうがつ。 こうして逃げながら、私は呪文詠唱の時間を稼ぎ......。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 「無駄だと言ったはずだぞ! 私を倒したければ、それ以上の魔法を使ってみろ!」 嘲りの声を上げ、私を挑発するラーシャート=カルロ。 しかし、私が狙ったのは彼ではない。 生まれ出た赤い光は、彼の足下に炸裂する。 グゴォゥンッ! 巻き起こった爆発に、風が震え、草がなびく。 もちろん、こんなものはラーシャート=カルロには痛くも痒くもないが......。 爆音の余韻も消えぬそのうちに、私は次の呪文を唱えつつ、舞い上がる砂埃を突っ切って、ラーシャート=カルロに向かって走っていた。 砂埃の壁を抜けて、飛び出たところには、やや間を置いて佇むラーシャート=カルロの姿。 「馬鹿め! 今のが目くらましのつもりか!?」 吠えて彼は、自慢の魔剣を大きく振りかぶる。 衝撃波を放つつもりだ。 私が身をかわすうちに、体勢を整える予定だったようだが......。 ......その計画は狂う! 私は竜将軍へと速度を上げながら......そのまま両の目を閉じた! 「なにっ!?」 驚愕の声を上げるラーシャート=カルロ。 一方、私は。 剣風の衝撃波が来れば、それでおしまいであろう。 ......しかし。 衝撃波は来なかった。 「......ふっ」 軽く笑いながら、ラーシャート=カルロのすぐ前まで来て、ようやく両目を開く。 ラーシャート=カルロは、ためらいと驚きとが混じった表情で、剣を振り上げたまま硬直していた。 ......この距離ならば、はずすわけもない! 「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」 ざぶっ! 私が生み出した虚無の刃は、まともにラーシャート=カルロの胸を貫いていた。 「......き......! きさ......ま......!?」 「あんたじゃ役者が足りなかったわね」 苦悶の表情を浮かべる彼に、私は不敵な笑みを浮かべて言った。 「あんたが仕える主人を変えたことくらい、もう、とっくにバレバレなの。......今じゃ冥王(ヘルマスター)の部下なんでしょ」 「......な......!?」 当てずっぽうだったのだが、この反応からすると、正解だったらしい。 ......しかし冥王(ヘルマスター)云々はともかく、こいつが私を殺す気がないってことだけは、確実だと思っていた。 不自然な点が多すぎたからだ。 そもそも、私を殺して冥王(ヘルマスター)の鼻をあかすのが目的ならば、街の中で結界を張る必要もなければ、それが破られたからといって退却する必要もない。 しかも、この前など、わざとモルディラグを犠牲にしてまで、撤退していったのだ。 「......だいたい、襲撃と襲撃の間も空きすぎてたのよね。まるで、私の回復を待っていたかのように」 「......くっ......」 「ほら、そうやって『図星です』って顔に表れちゃう。あんた、ダイコン役者もいいところだわ」 思い起こせば。 もはや弱体化した魔竜王(カオスドラゴン)のことを、冥王(ヘルマスター)は何と言っていたか。 『もう彼女は殺すにも値しませんが......だからといって、この世界に留まられても困りますからね』 そう。 この世界に『魔竜王(カオスドラゴン)』が存在したままでは、冥王(ヘルマスター)には迷惑だったのだ。 ......それでは竜将軍たちが、いつまでも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に従わないから。 しかし今、その『魔竜王(カオスドラゴン)』は消え去った。 そして。 ラーシャート=カルロ自身も、言っていたではないか。 『あれは、もはや、単なる人間の少女。我が主、魔竜王(カオスドラゴン)様ではない......』 と、いうわけで......。 竜将軍たちは、魔族本来の支配基準に戻ったのである。 つまり、彼らが従うのは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ。 そしてその下で、ある計画をもくろんでいる冥王(ヘルマスター)。 「おそらく......私を追いつめて、例の呪文を使わせろ......って命令、受けてたんでしょ?」 確認のため、あらためて私は、ラーシャート=カルロを問い詰めるが......。 あ。 こいつ、もう答える力も残ってないや。 「......さすがの竜将軍も、闇の刃を突き刺されたままじゃ辛いのね......」 つぶやいて、私は黒い刃を真横に薙ぎ払った。 「るおおおおおおおおっ!」 風を震わせ、悲鳴が渡る。 ラーシャート=カルロの体は、無数の赤い雪と化し、緑なす野に舞い散った。 ......最初は魔竜王(カオスドラゴン)に。そしてその後は冥王(ヘルマスター)に。駒として扱われ続けた竜将軍ラーシャートの、あまりにあっけない最期であった。 しかし......。 「あんたが名前と姿を騙ってた『カルロ』は、ロマリアの聖堂騎士隊の隊長だったのよ。そして冥王(ヘルマスター)こそが、今のロマリアの教皇聖下......」 ある意味、冥王(ヘルマスター)の配下に入ったということは、ロマリアの教皇聖下に仕えていたということ。 「......最後にそれっぽい仕事が出来て、よかったじゃない」 滅び去ったラーシャート=『カルロ』に向けて、つぶやいてから。 私は再び、伸びゆく街道を歩き始めた。 (第四章へつづく) |
「......ふぅ......ん......?」 私が思わず立ち止まり、つぶやいたのは、森に足を踏み入れて、いくらも行かぬうちのことだった。 ひんやりとした空気に満ちる緑の匂い。 虫の音ひとつ、鳥の声ひとつ聞こえはせず、ただ、木の葉のざわめきだけが耳につく。 一見、ごく普通の静かな森であるが......。 ここは『臭気の森』なのだ。位置的には。 かつてタルブの村に大きな被害を及ぼした、魔鳥ザナッファー。その残骸がこの地によどみ、留まり、異様な匂いが立ちこめる森となった。だがその『臭気の森』も、私たちが関わった事件で、タルブの村ともども消滅している。それが、こうして復活しているということは......。 「......やっぱり、何かおかしなことが起こってるのね」 かつてのような独特の『臭気』はない。ザナッファーの破片っぽいものは転がっているが、匂いがしない以上、本物かどうか怪しいものである。 まあ、森を歩く身としては、クサいよりはクサくない方が快適。文句を言う必要もないであろう。 快適と言えば、もう一つ。ラーシャート=カルロを倒して以来、私の旅路を遮るものはなくなっていた。 ならば、あるいは姫さまたちに追いつけるかと、足を早めもしてみたが、結局ここまで追いつけずじまい。 立ち寄った村や街での噂を聞いたところ、みんなはどうやら、私より二日ほど先行しているようである。 そして、他にも噂でわかったことがある。 すなわち。 やはり、タルブに村ができているらしい、ということ。 私が今朝あとにした村の人の話によれば、ある日、まさに突然、タルブは復興していたという。 しかも、タルブに住んでいる人々は、壊滅前と全く同じ面々だったという。 いったい何がどうなっているのかと彼らに尋ねても、返ってくる答えは『それは言えない』の一点張りだったらしい。 「冥王(ヘルマスター)は、タルブの村に何をしたのかしら......?」 歩きながら声に出して考えてみたが、それでよい考えが浮かぶわけもない。 それでもあれこれ考えつつ進むうち......。 不意に視界が開けた。 森を抜けたのだ。 目の前に広がっているのは......かつてと同じ、タルブの村の光景だった。 ######################## 村はいたって平穏である。 道ゆく人々。走り回る子供。通りに軒を並べる民家や露店。 ざわめきと賑わいが、辺りの空気を満たしていた。 おかしな様子は見受けられない。通りを歩く村人の中に、やたらメイド姿の女性が多いのが目につくが......これもメイドの名産地ゆえ、と思えば不思議ではなかった。 ......しかし。 これら村人が、まっとうな人間のはずもない。冥王(ヘルマスター)のつくり出した幻か、最悪、すべてが魔族などという可能性すらあるのだ。 「......ともあれ、まずはみんなを探し出すことね」 自分に言い聞かせるように漏らしてから、私は、手近な露店に向かった。 ジュースを買って、店のおばちゃんに代金を払い、姫さまたちの姿を見なかったか聞いてみる。 学生メイジ姿の少女三人が、火トカゲを一匹連れて歩いているのだ。しかも、姫さまは私以上の美少女、キュルケやタバサだって、それなりの容貌である。目立たぬわけがない。 「......美少女三人組......ねぇ......」 店の彼女――どこからどう見ても普通のおばちゃんにしか見えない――は、しばらく考えてから、首を小さく左右に振り、 「記憶にないねぇ......」 「三人とも私と同じ格好だったはずよ。あと、火トカゲが一匹、いっしょなんだけど......」 ジュースを飲みながら問う私に、やはりしばらく考え込んでから、 「......やっぱり記憶にないねぇ......悪いけど。ほかをあたっておくれ」 「そうね。そうするわ。ありがと、おばさん」 私はジュースを飲み干すと、再び通りを歩き始めた。 ......予想外なほど、普通のリアクションである。声をかけたとたんに冥王(ヘルマスター)の部下として本性を現す、なんて事態まで想定していたのに......。 しかしそうなると、片っ端から歩き回ってみるしかないか......それはそれで面倒......。 などと思いつつ、しばらく通りを進むうち。 「ルイズさん!」 ざわめきの中、聞こえてきた声に振り返れば、通りの向こうに佇む見知った人影ひとつ。 カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが、メイド服に可愛らしく映える。 「シエスタ!?」 「無事だったんですね! ということは、あなたを狙っていた魔竜王(カオスドラゴン)一派の生き残りというのは......」 「とっくに片づけちゃったわ。......と、それより......」 通りの人ごみを分け、彼女の方へと向かいながら、軽く答える私。 今度はこちらが尋ねる番だ。 「......姫さまたち、知らない? たぶん二、三日前に、ここに着いてるはずなんだけど......」 「そのことなのですが......」 彼女は、やや言いにくそうにつぶやく。 「実は......昨日から、みなさんの姿が見えないのです」 「姿が見えない!? ......ちょっと待って! その言い方だと、一度は姫さまたちと合流したのね!?」 「はい。......とりあえず、歩きながら話しましょう」 シエスタは、通りを真っすぐ歩きながら、ポツリポツリと話し始めた。 「私がここに着いたのは、数日くらい前のことでした。......ええ、何も変わっていませんでした、村が荒野になる前と。......つい......誘われるように......私はメイド塾に行って......」 言う彼女の声が、かすかに震えている。 自分でも気づいたのか、いったん言葉を切って。 説明をつけ加えながら、彼女は話を再開した。 「......メイド塾は、私の生家で開かれてるんです。だから......そこには私の家族が......。そう、出迎えてくれたんです......あの日死んだはずの父が。いつもと同じ、やさしい笑顔で。『お帰り、シエスタ』って......」 「......シエスタ......」 「......ずるいですよね......こんなの......。本当はみんな生きてるはずない、ってわかっていても......ふと、村が壊滅したなんてことの方が悪い夢だったんじゃないか、って......」 私より数歩先を進む彼女は、肩を震わせていた。 しばしの沈黙の後、小さく息をついてから、ややしっかりとした口調で、 「......ごめんなさい。話を元に戻します。その幻だか何だかに惑わされたことは事実ですけど、村のこともそれなりに調べました。今のところ、一番怪しい場所が......ここです」 言って彼女は、ピタリと足を止めた。 私たち二人は、いつしか通りを抜けて、ほぼ村の中央近くまでやって来ていた。 かつては『神聖棚(フラグーン)』を取り囲むように、かなり大きな広場となっていたのだが......。 「......これ、ね......」 眼前に佇む建物に視線を送り、私はポツリとつぶやいた。 噂どおりの、異様な建物だ。灰色の石とおぼしきもので作られた、どことなく神殿をイメージさせる巨大建造物......。 まあ巨大といっても、ボリュームそのものは、たいしたことない。おそらく一階建てであろう。 問題なのは、その広さである。 まるで『神聖棚(フラグーン)』を覆い隠すかのように、中央広場の敷地いっぱいに、ほぼ村の一区画ほどの広さに渡って建てられていた。 「どう考えたところで、これが怪しいのは目に見えています。冥王(ヘルマスター)が潜んでいるのも、そしてサイトさんが囚われているのも、たぶんこの中でしょう。......でも、これでは中に入れません」 彼女の言うとおり。 この建物の特徴は、窓も扉もないこと。 すなわち、出入り口が一切ないのだ。 「......父や村の人たちにも聞いてみましたけど、『答えられない。あれが何なのか、想像のつく人間には説明する必要もないし、逆にわからない人間には、説明しても意味がない』と......」 「......なるほどね。ということは、どう考えたところで、冥王(ヘルマスター)がらみってことね......」 「ええ。そうこうしているうちに、二日前、タバサさんたちが......みなさんが、この村にいらっしゃいました」 私からしてみれば、一行の中心は姫さまなのだが......。 まあ、シエスタにとっては、一番つきあいが長いのはタバサだから、彼女が代表になるのかしら。 「......一日、この建物を調べて、私の生家に泊まり......。昨日の朝、やはりもう少しここを調べてみる、と言って出かけられたそれきり、私の家にも戻って来られませんでした」 「ここを調べる......か......」 言って私は、まじまじと再び、目の前の建物を見つめた。 「......ということは......ひょっとしたら姫さまたち、入り口を見つけて中に入っちゃったのかもね」 「隠し扉......ですか」 シエスタがつぶやく。 魔法の使えぬシエスタとは違って、姫さまたちには飛行能力がある。案外、上から見たら何か見つかるかもしれないのだ。 あるいは、『ディティクトマジック』で何か探知した、という可能性も考えられなくはない。 「けどそれなら、いったん戻って、私にそのことを言ってから、一緒に出向いてもいいと思うんですけど......」 「......そうとも限らないんじゃない?」 シエスタがサイトをどう思っているのか、それは私にもわかるくらいだ。姫さまはともかく、キュルケあたりには、とっくにお見通しのはず。 そんなシエスタが、この中でサイトを目にしたら、どう先走るものやら......。それを心配して、敢えて彼女には言わずに、三人と一匹だけで突入した、という可能性もあるだろう。 そもそもシエスタは、戦力としては完全に足手まといなレベルだし。 ......と色々理由は考えられるのだが、敢えて今、シエスタに告げる必要もあるまい。 「......まあ、何にしても、入り口を見つけるのが先決ね」 言いながら私は建物に近づいて、その壁を調べ始めた。 材質は全て石......のようなもの。質感は間違いなく石のそれなのだが、では何の石か、と問われれば、私は困ってしまう。今まで全く見たこともない種類のものなのだ。 壁面には一カ所の継ぎ目すら見当たらず、ところどころに、彫刻を施した柱が立っているのみ。かといって、柱のほうにも仕掛けっぽいものはなさそうで......。 「ああ、もう! 鬱陶しいわね。......入り口がなければ、作っちゃえばいいのよ!」 「ルイズさん!?」 途中で調べるのが嫌になった私は、呪文を唱え始める。 切れ味バツグンの闇の刃で、サクッと切り裂いちゃおう、というわけである。 「......天空(そら)のいましめ解き放たれし......凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ......」 しかし。 最後まで呪文を唱える必要はなかった。 ......ゴグンッ......。 重く鈍い音を立てて、目の前の壁の一部が、建物の奥へと移動し始めたのだ。 「......なるほど。冥王(ヘルマスター)の奴、『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』で切られるよりは、と考えて、慌てて扉を作ったみたいね」 呪文を中断して、私は、ポッカリと開いた入り口の中を覗き込む。 外から見た限りでは、中の様子は全くわからない。まるで黒い幕でも張ってあるかのように、濃い闇が立ちはだかっていた。 「私が先に行くわ」 いきなりな入り口の出現に、シエスタが驚いている隙に。 一人で入っていく私。 闇の境界を突き抜けたその瞬間......。 視界が開けた。 「......あれ......?」 思わずつぶやいた私の前には、タルブの村の景色と、茫然と佇むシエスタの姿。 「......え......?」 慌てて後ろを振り向けば、ポッカリ開いた入り口と、その奥にわだかまる闇がある。 「あの......ルイズさん、もう出てきちゃったんですか?」 疑問を投げかけるシエスタに、私は首を横に振ってみせた。 私は出てきてなどいない。真っすぐ中に入っていったはず。 はず、なのだが......。 「......ちょ......ちょっと待ってね」 私は試しにもう一度、彼女に背を向け、入り口の奥の闇をくぐり......。 やっぱり同じ場所に出てきた。 「......何やってるんですか?」 「うーん......」 私はポリポリ頭を掻いて、 「どうやら冥王(ヘルマスター)の奴、私を中に入れたくないみたいね。なんだか中の空間、おかしなふうに捩じ曲げられてるみたい」 「空間が曲がってる......? 魔法ですか......?」 「いや、私たちメイジの魔法じゃ無理だけど。ある程度以上の魔族になら、わりと簡単な芸みたいよ」 かつて私は、王都トリスタニアでの事件の際、歪められた空間の中に閉じ込められたことがある。 仲間が一緒の時は敵を倒したら脱出できたし、一人きりのときは外からサイトが助けてくれたのだが......。 今回は倒すべき敵には出会わなかったし、サイトの助けをアテにするわけにもいかない。 「......とはいえ、問題なのは、なんで冥王(ヘルマスター)が私をここに入れたがらないか、ってことね。せっかく私が来てやったというのに......」 「そもそも......冥王(ヘルマスター)の狙いって、何なのです?」 いきなり根本的な質問をしてきたシエスタ。 ふむ。 まだ姫さまたちにも話していないが......。ここでシエスタに語ってみるのも、一興かもしれない。 どうせ私たちの会話は冥王(ヘルマスター)にも筒抜けだろうし、何らかの反応が返ってくるかも。 「おそらく......奴は、私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせたいのよ」 「それって......例の『金色の魔王』の魔法ですか!?」 「そう。あんたの言ってた......世界が滅ぶ、って奴よ」 絶句するシエスタ。 それ以上は言わずとも、だいたい理解したらしい。 つまり。 冥王(ヘルマスター)が望んでいるのは、私が『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の制御に失敗して、この世界が滅亡すること。 「......わざわざ私を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとまで導いたのも、そのためね。......魔族に踊らされるしかなかった私が、対抗策として『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識を得ようとする......。それを見越した上での行動だったみたい」 かつての私の『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識は不完全なものであり、おそらく、過去に私が使った『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』も、呪文の唱え損ないレベルのものだったのだろう。それでは期待する効果は望めない、と冥王(ヘルマスター)は判断したらしい。 その後ラーシャート=カルロを、いぜん敵のフリをさせたまま送り込んできたのも、私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせるため。追いつめられた私が、秘奥義として完全版『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使い、コントロールをミスる......。それを期待していたのだ。 しかし私は真相を見抜き、彼をアッサリ倒した。冥王(ヘルマスター)の部下では私を殺せない、と私が理解している以上、奴が出来る手段はただ一つ......。 「じゃあ、ダメじゃないですか! 冥王(ヘルマスター)は......サイトさんを人質にとって、きっとこう言いますよ! ......『あの呪文を使ってみろ、断ればこいつを殺す』って!」 そう。 おそらく奴は、そうするつもりだ。 私が静かに頷くと、シエスタが取り乱し始めた。 「ああ! それは困ります! サイトさんが殺されるのも困るし、世界が滅ぶのも困るし......」 そして彼女は、ガバッと私の両肩をつかんで、 「とりあえず! 今日は帰りましょう!」 「......え?」 「今の話を聞いた以上、何の備えもなく、ルイズさんを冥王(ヘルマスター)に会わせるわけにはいきません!」 「でも......帰るといっても......」 「私の家に来てください! どうぞしばらく泊まってってください!」 彼女の誘いに、私は一瞬迷ったが......。 ここで頑張っても中に入れないならば、今日のところは、おとなしく引き下がるしかない。そして、どこかに泊まるというのであれば、どうせこの村、どこに泊まるにしろ、しょせん冥王(ヘルマスター)の手のひらの上である。 「それじゃあ......お願い」 頷く私のすぐ後ろから、かすかに重い音が聞こえてきた。 振り向けば、もはやそこに入り口はなく、ただ、薄灰色の石壁が連なっているだけであった。 ######################## 「......シエスタの御友人ですか。ようこそいらっしゃいました」 タルブの村の一角にある、メイド塾を兼ねた大きな家。 昼食のテーブルで、このメイド塾の塾長、つまりシエスタの父親――いや彼の姿をした何か――は、笑顔で私に語りかけてきた。 貴族に対する平民の態度としては、もう少しかしこまったものがあってもおかしくないのだが......。たぶん、多くの人々の上に立つ『塾長』という立場のせいで、この程度なのだ。まあ、別に私も不快じゃないからいいけど。 ......シエスタが、村の壊滅をただの悪夢と思いたがる気持ちもわかる。どこからどう見ても、ただの人である。そして、それは彼に限ったことではない。 「さあ、どうぞ」 必要以上に多いメイドたち――おそらくここの塾生たち――も、ニコニコ笑顔で甲斐甲斐しく給仕をしており、どこにもおかしな様子は見られない。 ......それでもやはり、彼らは本来、ここに存在するはずのないものなのだ。 こちらとしては、どう対応したものか、迷う気持ちもあるのだが、とりあえず普通に接してみることにした。 つまり。 あたりさわりのない話を続ける塾長さんに、適当にあいづちを打ちながら、私は頃合いを見計らって聞いてみた。 「......ところで塾長さん。村の中央広場にできた、あの建物。あれって一体何なんです?」 「......ルイズさん......」 シレッと小声で問いかけた私に、シエスタが小さく非難の声を上げる。 まあ、その気持ちはわからんでもない。 なにしろ私は、あれが冥王(ヘルマスター)の拠点と予想しながら、あらためて彼女の父親に聞いているのだ。 こちらとしては、彼がどこまで知っているのか、探っておきたいだけ。しかし、冥王(ヘルマスター)によって造り出されたであろうモノにとっては、いやがらせ以外の何ものでもない。そして、その『モノ』の姿形、行動、態度は、シエスタの死んだ父親にそっくりなのだ。 「......それは......残念ですが、答えられません」 困ったような表情で答える塾長さん。 私は、敢えてさらに突っ込んでみる。 「なんで答えられないの?」 ふかふかのパンを手でちぎり、口に運びながら聞いてみたのだが......。 「それは......答えられるようにできていないからです」 さすがに、私の手も止まった。 「......答えられるように......『できていない』!?」 「そうです......。たとえば人間は、水の中で息が出来るようにはできていません。同じように私たちも、その質問に答えられるようにはできていないのです。......情けない話だと、自分でも思いますがね......」 彼は自嘲ぎみの笑みを浮かべた。 「......父さん......」 何か言いかけて絶句するシエスタ。 この瞬間、私は悟った。 彼は間違いなく、人としての......シエスタの父親としての、そしてメイド塾の塾長としての自我を持っているのだ。 そして同時に、彼は、自分が冥王(ヘルマスター)に造り出されたかりそめの存在に過ぎないと自覚しているのだ。 「ああ、そうだ!」 ふと彼は、何か思いついたように。 かたわらのメイドの一人を呼び寄せ、ひとことふたこと耳打ちする。 するとメイドは、スタスタと食堂から出ていった。 「......?」 私が不思議に思う間もなく、すぐにメイドは戻って来る。 布に包まれた、長い物体を持って。 「どうぞ、これをお使いください」 「......これは!?」 それは、一本の剣であった。 ただし、ハルケギニアで一般的に使われる剣とは、やや形状が違う。もしかすると、これもサイトの世界から紛れ込んだ武器であろうか? ここでも片刃の剣というのは珍しくないが、この剣の場合、なぜか少しだけ、緩やかに湾曲していた。柄や鍔の部分には独特の装飾があり......。 武器でありながら、なんだか美術工芸品のような雰囲気があった。 「お仲間のサイトさんは剣士でしょう? 彼には相応しいと思いますよ」 私が思い浮かべたそのままに、サイトの名前を口にする塾長さん。 彼は、さらに、 「......元々は我が家にあったものなのですが、それを、荒野となった大地から掘り出してきたようです。ですから、この刀は本物です。安心してください」 ......なるほど。 これには、冥王(ヘルマスター)の息はかかっていない、ということか。 こんな剣一本が、奴に対する切り札になるとは思えないが......。 彼がこうして仰々しく出してくる以上、よほどのシロモノなのであろう。例えば、先祖伝来の家宝である、とか。 そういえば、シエスタの髪の色はサイトと似ているし、案外、シエスタの先祖もサイトと同じ世界の出身だったりして。それがこの世界に来る際に、持ち込んだ剣だったり......。 いや、それは空想が過ぎるというものか。 「この刀をあなたにお預けする......。それが、今の私たちに出来る、精一杯なのです」 複雑な笑みを浮かべる彼に対して。 私は、もうそれ以上、何も言えなかった。 ######################## 昼食の後。 私は一人で、再びあの建物の前へやってきた。 だが......。 「......どういうつもりなのかしら......これって......」 その建物の前で、半ば茫然とつぶやいてしまう。 入り口がポッカリと開いていたのだ。 まるで私を待っていたかのように。 ......午前中は空間まで歪めて私を拒んだくせに、昼を回って来てみれば、扉を開けてお出迎えとは......。 シエスタと一緒ではなく、一人で来たからなのだろうか? ならば......シエスタがいては都合が悪いことでもあるのか......? などと私が考えていたら。 「ルイズさん!」 そのシエスタが、こちらに向かって走って来た。 「ダメじゃないですか! 一人で勝手に、冥王(ヘルマスター)に会いに行くなんて......」 「でもね、シエスタ。手をこまねいて、相手の出方を待つ、ってわけにもいかないし......。ほら、今度は入り口も開いてるし」 「......あ!」 ここでようやく、シエスタも気づいたらしい。 まだ開いたままなので、一人か否か、というのは無関係なようだ。 「ルイズさん......これって......冥王(ヘルマスター)の準備が完了、ってことなのでは......?」 「そうみたいね。こっちもモタモタしてられないわ。......行くわよ」 「止めても無駄なようですね......」 シエスタは、意を決した表情で、 「ならば......せめて、私も一緒に行きます。私が......これでサイトさんを救出します。この......サイトさんの刀で!」 いつものフライパンに加えて、シエスタは、あの刀を持参してきていた。 たしかに塾長さんは、サイトに相応しいと言っていたが......。 すでにサイトには、デルフリンガーという相棒がいるんだぞ!? どこの馬の骨とも知らぬ剣を『サイトの刀』呼ばわりしたら、たぶん、デルフがヤキモチ妬くだろうなあ。 ......まあ、それはサイトを助け出した後での話だけど。 「じゃあ......行きましょう」 私は大きく息を吸い込み、入り口から中へと一歩、踏み込んだ。 今度は、午前中のように外に出ることもなく、普通に建物の中へ入り込む。 その後ろに、半歩遅れてシエスタが続いた。 「何のへんてつもない通路ですね......」 ごくごく平凡な感想を漏らすシエスタ。 建物の外側と同じく、薄灰色の壁が、緩やかな弧を描いて左右に伸びている。 「......どっちに行きます?」 「どっちに行っても同じでしょ。どうせ、同じ場所にたどりつくんだわ」 「......え?」 「わざわざ道を左右に分けているのは、私たちを分断するつもりか、あるいは『こっちで正しいんだろうか』って不安にさせるためよ。......だから私たちは、迷わず、不安がらずに思いつきで進めばいいの」 冥王(ヘルマスター)が、私を自分のところに来させたがっていることだけは、間違いない。 ならば、いつまでたってもどこにも着かない、なんてことは、あり得ないのだ。 「なるほど......」 やや不安げな表情で頷くシエスタ。 私は適当に、右へ進路を取り、彼女も私に続いた。 二人で、薄暗い通路を黙々と進む。 奥に進むにつれて暗くなるかと思いきや、通路には、常に一定の明るさがあった。 魔法の明かりらしきものは見当たらないが、これも魔族の術なのだろう。 光と闇とが適度に混ざり合い、周囲に漂っている......。そう表現したくなる程度の明るさであり、薄暗さであった。 そうして、しばらく進むうちに。 「......扉ですね」 通路の左側――つまり建物の内側――に、一枚の扉があった。 飾り気も何もない、ただの扉。 材質は、おそらく周囲の壁と同じもの。 それでも一応、ごく普通のドアノブがついている。 「......入れ......ってことでしょうね。たぶん......」 私の言葉に、シエスタも小さく頷いた。 ノブに手をかけて、ゆっくりと回す。 当然のように、鍵なんぞ掛かっていない。 扉は、音もなく開いた。 「......なんとも......おかしな部屋ですね......」 私に続いて入ってきたシエスタが、グルリと見回しながら言う。 やたらと広い、丸い部屋。中央にあるのは、これも丸い、クリスタルの柱。 いや、柱というより塊といった方が適切かもしれない。 なにしろ、天井と床とを繋ぐその柱は、ちょっとした民家の一室が収まるくらいの太さがあるのだ。 「......いったい......」 シエスタが何やらつぶやきかけた時。 薄蒼く輝くクリスタルの中心に、ぼんやりした影が浮かび上がる。 「......あれは!?」 「サイトさん!?」 声を上げ、二人同時に、クリスタルへと駆け寄った。 そう。 ほぼ中心辺りに浮かんだ人影は、まぎれもなくサイトのものだった。 瞳を閉じ、静かに佇んでいるかのようなその様子からは、無事なのかどうかすら、見てとることも出来ない。 青と白のいつもの服を着ているが、その手にも背中にも、相棒デルフリンガーの姿は見当たらなかった。 ......私が冷静に観察しているその横で、シエスタは感情的に叫びながら、クリスタルの柱を叩く。 「サイトさん! サイトさん!」 その声が届いているのかいないのか、彼はピクリとも動かない。 「......無駄ですよ。それは、ただの映像ですから」 聞き覚えのある声は、同じクリスタル柱の中から聞こえてきた。 サイトの姿がユラリと歪んで消えて、次の瞬間。 クリスタルの中――たった今までサイトの姿があった場所――に、別の人影が映った。 「......!」 思わずバッと、跳び退く私。 ......それは、髪の長い美青年であった。 優しげな目元、そして、彫刻のように整った鼻筋。微笑みがたたえられた、形のよい小さな口。 まるで役者かと見まごうばかりである。 加えて、妖精のような輝きや、慈愛のオーラすら放っているのだが......。 どうせ、そんなものは、まやかしであろう。 なにしろ、この男こそ......。 「冥王(ヘルマスター)! ......いいえ、教皇聖下ヴィットーリオとお呼びすべきかしら?」 皮肉を込めて。 私は、その名前を口にした。 (第五章へつづく) |
「冥王(ヘルマスター)! ......いいえ、教皇聖下ヴィットーリオとお呼びすべきかしら?」 私のその言葉を聞いて、シエスタが数歩、クリスタルから離れる。 「教皇聖下って......ロマリアの......?」 あ。 そういえば......。 冥王(ヘルマスター)の説明した際、言ってなかったっけ。 「ごめん、シエスタ。一つ言い忘れてたけど......今のロマリアの教皇、もう冥王(ヘルマスター)になっちゃってるから。......こいつ、姿や名前を騙ってるわけじゃなくて、本物のヴィットーリオなの」 「......ひっ!?」 小さく声を上げ、目を白黒させるシエスタ。 卒倒しそうになったが、なんとか踏みとどまった。失神していられる場合じゃないと、気力で何とかしたらしい。 「......あなたとは初対面ですね。見たところ、貴族ではないようですが......ルイズ殿の従者......いや、仲間というやつですかな?」 シエスタに対して、笑顔で語りかけるヴィットーリオ=フィブリゾ。怯えるシエスタの様子も気にせず、彼は、さらに言葉を続ける。 「はじめまして。ルイズ殿の言われたとおり......私は、ヴィットーリオ・セレヴァレです。ロマリアの教皇を務めさせていただいております。同時に......」 その笑顔に、少し邪悪な影がよぎる。 「......『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ様の五人の腹心の一人、冥王(ヘルマスター)と呼ばれる存在でもあります。ロマリア皇国の教皇と、この冥王宮の主とを兼任しておりますので......聖王でも冥王でも、好きな方でお呼びください」 ふざけた挨拶をするヴィットーリオ=フィブリゾ。 どうやら『冥王宮』というのが、この建物の名称らしい。だが、そんなことは、この際どうでもいい。 「......あんた、タルブの村に一体何をしたのよ!?」 ケンカ腰で問いかける私に、彼はあくまでも穏やかな態度で、 「ちょっと場所を借りているだけですよ。『冥王宮』を作るに相応しい、条件の整った地でしたから」 「条件って......?」 「ほら、ここって、しばらく前に人がたくさん死んでるでしょう? それも、無関係な事件に巻き込まれる形で。......そうなると、自然に、怨念やら何やらが土地に染み込むんですよ。こう見えても私、『冥王』ですから、そうした力を利用できるんです」 言いながら、ヴィットーリオ=フィブリゾは、意味ありげな視線を私に送る。 ちゃんと彼は知っているのだ。その『しばらく前』の『無関係な事件』の詳細を。私が関わった事件のせいで、村が壊滅したのだということを......。 「......もちろん、死者の力を一方的に借りるだけでは申しわけない。......そう思いましたので、彼らの残留思念を引っ張り出して、実体を与えておきましたよ」 「......それじゃあ......!? 父さんは......!」 「ああ、あなたの御家族も、そのうちの一人でしたか。どうです、二度と会えないはずの家族と再会なさった感想は......?」 かすれた声のシエスタに、ふざけた質問で返すヴィットーリオ=フィブリゾ。 それ以上、シエスタは何も言えなかった。 ......残留思念に実体を持たせたということは、塾長さんも露店のおばちゃんも、すべては、いわば幽霊のようなもの。しかも、話せることも限られていた以上、何やら制約を課せられていたことは間違いない。 そんなものと『再会』したところで、素直に喜べるものか......。 「......なかなか悪趣味なことするわね......。午前中は私たちをこの中に入れようとしなかった、っていうのも、どうせまた何か企んでるんでしょう?」 「いや、ただ歓迎の準備をしていただけですよ」 私の問いに、クリスタルの中のヴィットーリオ=フィブリゾは、ごまかしの言葉で応じた。 「秘密ってこと? あんたも使い魔のジュリオと同じなのね」 「そうそう、使い魔と言えば、あなたの使い魔のことですが......」 ハッとシエスタが息をのむ音が聞こえた。 私も身構える。 こいつ......早くも、サイトを人質にして、あの呪文を使わせる気か......!? 「......彼は魔力のクリスタルの中で、仮死状態になっています。冥王宮を貫き支えるクリスタル柱の、ちょうど一番底の部分ですから......取り返せる自信があるなら、行ってみるといいですよ。......取り返せる自信があるなら、ね」 「言われなくても、行ってやるわ! サイトは私の使い魔なんだもん!」 自信の有無はともかく、とりあえず、力強く宣言する私。 ヴィットーリオ=フィブリゾは、何やら興味深そうな目で、 「......ただし。今はダメですよ。先客が来ていますのでね。......そもそも、私がこうやってあなたがたの前に姿を見せたのは、その『先客』の様子をご覧にいれたかったからです」 言って、クリスタルの中の彼は、パチンと一つ、指を鳴らした。 とたん、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿はかき消えて、代わりに、三人と一匹の姿がクリスタルの中に映し出された。 「......姫さま!」 「タバサさん!?」 そう。 それは姫さまとタバサとキュルケとフレイム。 昨日のうちにここを訪れ、姿を消した彼女たちは、今、どことも知れぬ薄灰色の通路を進んでいた。 『昨日来たので、少し早めに招待しておきました』 姿はなくなっても、どこからともなく、ヴィットーリオ=フィブリゾの声だけは流れて来る。 「まさか......みなさんを殺すのですか......!?」 『そんなわけないでしょう!? 私は慈悲深いのです。無駄な殺生はいたしません』 シエスタの言葉に、いけしゃあしゃあと答えるヴィットーリオ=フィブリゾ。 何が『慈悲深い』だ。冥王(ヘルマスター)のくせに! 『......ただ、あなたがた人間が普通にやっただけでは私にはかなわない、ということを知っていただきたいだけなのです』 「......けどひょっとして、姫さまたち......一日中この冥王宮とやらの中を動き回ってたわけ?」 『そういうことになりますね。......でも、安心してください。少し時間をいじくっておきましたから。彼らにとっては、ここに入ってから、そんなに経っていないはずです』 「時間を......操る!?」 「嘘に決まってるでしょ」 驚きの声を上げたシエスタに、私は冷たく言う。 「たぶん、時間感覚を狂わせておいて、同時に体機能を少し低下させる。そうやって、時間の進み方を遅く感じさせた......ってところかしら」 『おやおや。そんなに複雑に考えるのではなく、もっと単純に......時間そのものに影響を与える虚無魔法だ、とは考えなかったのですか?』 「うーん......。自身を『加速』させる虚無魔法はあっても、他人の時間まで操る魔法はないんじゃない?」 直感的な意見を述べる私。 根拠はない。根拠はないのだが、何となく、そう思ったのだ。 『......まあ何であれ、ない、と言い切るのは難しいですね。悪魔の証明というやつです』 難しいことを言い出すヴィットーリオ=フィブリゾ。私が敢えて無視すると、彼も深くは掘り下げず、 『......さて、そんなことより。そろそろ、王女さま御一行がおいでになられたようです』 いつのまにか。 クリスタルの中に映った姫さまたちは、足を止めていた。 三人と一匹の前に立ち塞がるのは、一枚のドア。 彼女たちが顔を見合わせている間に、ドアはゆっくりと開く。 一瞬のためらいを見せてから、姫さまたちはドアをくぐった。 「......あ!」 私の横で、シエスタが小さな声を上げる。 クリスタルの映像が、またまた切り替わったのだ。 今度は、姫さまたちが入っていった部屋の中である。どうやって切り替えているのかは知らないが、なかなか便利なシステムである。 私たちが今いるここと同じ、だだっ広く丸い部屋。手前には、こちらに背を向けた三人と一匹の姿。 少し離れた正面には、やはり部屋を上下に貫くクリスタル柱があり......。 その柱の手前に、ヴィットーリオ=フィブリゾが佇んでいた。 『......ここであたしたちを待ってた、ってこと......? ワザワザご苦労なことね』 どこからともなく響く、キュルケの声。 『自意識過剰なお嬢さんですな。待っていたのは、あなたがたではありません。今、上にルイズ殿が来ておりましてね......』 『ルイズが!? もう!?』 『はい。あなたがたが頑張っても私には勝てない......。それを彼女に見せて......』 『......ふざけないでください』 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉を遮り、会話に割り込んでいったのは姫さまだった。その瞳には、怒りの色が浮かんでいる。 『トリステインの王女として、これ以上、魔族の横暴は許せません。あなただって、ロマリア皇国の王なのでしょう!? それなのに......』 『......アンリエッタ殿』 今度は逆に、ヴィットーリオ=フィブリゾが姫さまの発言を中断させた。彼にしては珍しく、低い、静かなトーンで。 『......たしかに私も、冥王(ヘルマスター)として覚醒する前は、ロマリアの教皇として色々と活動していたのですよ。......王宮で可愛がられていただけの、どこぞのお姫さまとは違って、ね』 『......うっ......』 ヴィットーリオ=フィブリゾが揶揄している相手は明白である。 姫さまは小さな呻き声を上げたが、彼はそれを無視して、話を続ける。 『例えば、大隆起を防ぐ手段を模索して、奔走していたこともあるのですよ』 『......大隆起......?』 『ほら、ね。あなたは、そうした現象の存在すら知らなかったのでしょう?』 そして、まるで小さな子供に諭すかのように、 『......アルビオン大陸も、昔はハルケギニアの一部だった......。そんな噂を聞いたことはありませんか?』 その話は、私も耳にしたことがある。 『私たちが住むハルケギニアの地下には、大量の風石が眠っています。御存知のとおり、風石とはフネを空に浮かべるために使われている物質です。この世界を司る力の源の雫......などと表現する者もいますが、わかりやすく言えば、精霊の力の結晶です』 そう。 風石は先住の風の力の結晶なのだから、『この世界を司る力』というのも、亜人たちの言うところの『大いなる意志』のことであろう。 そして『大いなる意志』とは『混沌の海』と呼ばれるものでもあり、すなわち、それは......。 などと私が考えている間にも、ヴィットーリオ=フィブリゾの話は、先に進んでいた。 『......精霊の力は、徐々に地中で結晶化されていきます。その力が飽和した結果、ついにアルビオンは空へと浮かび上がってしまったわけですが......』 ふむ。 浮遊大陸アルビオン誕生の仕組みをここまで調べた者は、多くはいないはず。これはこれで興味深い話であり、姫さまたちも耳を傾けている。......こんな場所で、こんな状況だというのに。 『......かつてのアルビオンだけではありません。風石はハルケギニア中に埋もれており、今や飽和した状態なのです。ちょっとしたキッカケを与えるだけで、いずれパンケーキを裏返すみたいに、ハルケギニアの地面はあちこちで浮き上がってしまうことでしょう』 ......その『ちょっとしたキッカケ』というのは......まさか......!? 『......ハルケギニアの大地全部と言わずとも、半分もめくれ上がれば、この世界はおしまいでしょう。人の行き来や交易は分断され、人の住める地も少なくなり、残った土地を争う不毛の戦が始まる......。そうした事態を憂いて、私は、大隆起に対抗する方法も調査していたのですが......』 ヴィットーリオ=フィブリゾは、突然、言葉を切った。 それまで少し遠い目をしていたのだが、視線を再び姫さまたちに向けて、 『......まあ、今さらこんな話をしても仕方がないですね。......色々と調べていく中で人間の無力さを思い知らされ、虚しさを感じたが故に、魔族として覚醒してしまった......なんてつもりはないのですが、結局のところ、今の私は冥王(ヘルマスター)。滅びを求める魔族です』 『......滅びを求める......』 おうむ返しにつぶやいた姫さまの言葉。それを聞きとめて、ヴィットーリオ=フィブリゾは苦笑する。 『聖王であり、かつ、冥王でもある私にはわかります。人間も魔族も、元々は同じものから分化したものなのです。......人間は存在し続けることを望み、魔族は滅びに向かうことを望む。方向性こそ正反対ですが、その特性は同じなのですよ』 『やめてくださいっ!』 姫さまが、体を震わせながら叫んだ。 『......人間と魔族が同じものだなんて......そんな......おぞましい話......!』 『......アンリエッタ殿。こういう考え方は出来ませんか? ......存在こそ無数の矛盾を生む。けれど無は、無以外の何ものでもない。ならば、矛盾を内含した存在よりも、完全なる秩序に満ちた無を選ぶのが、正しき道ではないか......と』 魔族の主義を説いているというのに、皮肉にも、ヴィットーリオ=フィブリゾは神々しく見えた。 ......こいつ......完全に魔族となってしまっている......。 私は、ようやく理解した。 ヴィットーリオ=フィブリゾは、滅びを是として、私たち全ての人間に押しつけようとしている。世界そのものを滅ぼそうとしているのも、滅びこそが救済だと考えているからだ。 つまり。 彼は彼なりに、万民のためと思って行動しているわけで......。 あの慈愛に満ちたオーラも、まやかしや偽りではなかったのだ! 私たちにとっては残酷な話であっても、それこそが、冥王(ヘルマスター)にとっての慈愛なのだ! ......おせっかいと言うか、ハタ迷惑と言うか......なんとも困った奴である。 『アンリエッタ殿だって、始祖ブリミルの血を受け継ぐ者の一人。世が世なら、魔族の器となる可能性もあったわけで......。そうなれば、こうした見方も理解できたでしょうに。......まあ、今のあなたがたには、魔族の考えは理解できないのでしょうな。わかりあえないのが残念です』 小さく首を振るヴィットーリオ=フィブリゾを見て。 キュルケが冷たい目でつぶやく。 『......つまりは......決着をつけるしかない、ってことね......』 『そのようですね。しかし......ここであなたがたと、まともに戦うというのも不公平な話です。私が冥王(ヘルマスター)の力を振るえば、みなさんが呪文一つ唱え終えないうちに、あっけなく勝負はついてしまいます。......ですから、一つ提案をしましょう』 『......提案?』 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉に、眉をひそめる姫さま。 『はい。貴族の決闘のように、確固たるルールを定めるのです。......こういうのはどうでしょう? みなさんと同じように、私もメイジが使う魔法しか使わない。つまり冥王(ヘルマスター)の力は封印して、一人の虚無のメイジとして戦うのです』 『......そいつはまた......ずいぶんとおやさしい条件ですこと......』 おい、こら。 大口を叩くキュルケに、心の中でツッコミを入れる私。 虚無魔法の恐ろしさは、何度も目の当たりにしてきたでしょうに......。 『......で? あたしたちが勝てば、サイトを返してくれる、ってわけ?』 『そのとおりです』 言ったヴィットーリオ=フィブリゾの後ろ――クリスタル柱の中――に、サイトの姿がボウッと映し出される。 『仮死状態のまま、この冥王宮の一番下、クリスタル柱の中に封じてあります。私を倒せば、自然に解放されるはずですからね。あとは勝手に連れて行けばいいでしょう』 『それで......こちらが負ければ、あたしたちの命を......ってこと?』 『そうではありません。いやはや、ゲルマニアのレディは乱暴ですね......』 キュルケの発言に、ヴィットーリオ=フィブリゾは、笑いながら首を横に振る。 『前にも言ったでしょう? 私は慈悲深いのです。無駄な殺生はしませんよ。......今回は、あなたがたが負ければ、しょせん人間では私に勝てないと知ることになる。それで十分ですよ』 ......なるほど......そういうことか。 つまりヴィットーリオ=フィブリゾは、姫さまたちに、というより、この光景をここで見ている私に向かって、暗にこう言っているのだ。 ......倒したければ『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使ってみせるしかないぞ......と。 案外、先ほどの大隆起の話も、私に『混沌の海』関連を思い出させるためだったのかも......。 『いいでしょうっ!』 珍しく力強く、ヴィットーリオ=フィブリゾをビシッと指さしながら、姫さまが言う。 『聖なる王でありながら、闇に落ちてしまったあなたを......わたくしたちがキッチリ倒してさしあげます!』 ......カッコ良く言ってるつもりかもしれないが、冥王(ヘルマスター)に勝とうだなんて、それこそ大言壮語なわけで......。 呪文の詠唱を始めた姫さまに、余裕の笑みを向けたまま佇むヴィットーリオ=フィブリゾ。 それまで無言だったタバサもまた、呪文を唱え始めた。 キュルケも続き、フレイムも口に炎を溜める。 「......おしっ! それじゃあこっちも行動開始っ! 行くわよ、私たちも!」 「わかりました!」 私が威勢良く叫び、シエスタが頷いた。 ヴィットーリオ=フィブリゾが姫さまたちの相手をしているうちに、こちらは下へ下へと降りるのだ。 サイトを見つけ出し、助けることができれば何も言うことはなし。まあ、そこまで上手くいくとは思えないが、何とか姫さまたちとは合流したい。 クリスタルの柱をまわり込んでみれば、意外にも、下へと続く階段が、ポッカリ床に口を開けていた。 「......すなおに階段あるんですね......」 シエスタがつぶやくが、この程度で驚いてはいられない。予想外の状況なぞ、これから目白押しのはず。 「これはつまり、降りて来い、ってことね」 「じゃあ!? この階段が、サイトさんのところまで直行......!?」 「そんなわけないでしょ。おそらく私たちを自分のところへ導いて、直接その強さを見せつけてやろう、ってとこじゃないかしら」 だからといって、ここで躊躇してはいられない。 ......行ってやろうじゃないのっ! 私とシエスタは顔を見合わせて頷き、降り始めた。 ヴィットーリオ=フィブリゾのもとへと続く階段を。 ######################## ザバーッと水柱の立つ音が、辺りにこだまする。 姫さまの魔法攻撃であろう。 ......私とシエスタの二人が階段をかけ降りたそこもまた、上と似たような構造の部屋だった。 やはり部屋の中央には、上下を貫くクリスタルの柱。 そして、その柱にもまた、姫さまたちの戦いの様子が映し出されていた。 声もやはり、同じように聞こえてくる。 『......なっ......!?』 驚愕の声を浮かべる姫さまの前では、ヴィットーリオ=フィブリゾが余裕の笑みを浮かべていた。 姫さまの水の柱は、たしかに彼を捕えたはずだったのに......。 ダメージを与えた様子がないどころか、濡れてすらいないのだ。 『その程度の魔法なら、まともに食らったところで痛くも痒くもないのですが......濡れるのは嫌でしたからね。瞬間移動(テレポート)で少し後ろへ逃げておいて、水柱が消えてから、元の場所に戻って来ました』 御丁寧に解説するヴィットーリオ=フィブリゾ。魔族の術ではなく、虚無魔法を使ったのだ、とキチンと示したかったようだが......。 なるほど、『瞬間移動(テレポート)』という魔法があるのか。以前にサイトをさらって消えた時も、おそらく、これを使ったのだろう。 ......かなりとんでもない奴である。『瞬間移動(テレポート)』ということは、純魔族が空間を渡るのと同じように、突然背後に現れる可能性だってあるわけだ。 もちろん、魔族の技とは違って、呪文を唱える必要があるから厳密には『突然』ではないが、なにしろ虚無魔法である。私の『爆発(エクスプロージョン)』や『解除(ディスペル)』と同じで、その効果は、呪文詠唱の長さに依存するはず。つまり、ほんの少し瞬間移動するだけなら、ほとんど詠唱せずとも発動する、ということだ。 などと私が考えている間にも、戦闘は進んでいる。 『それも無駄です』 今度は、キュルケの『炎の蛇』とタバサの『氷嵐(アイス・ストーム)』の同時攻撃だったようだが、やはりヴィットーリオ=フィブリゾは、軽々と避けていた。 たぶん不意を突きでもしない限り、ヴィットーリオ=フィブリゾ相手に術を決めることはできないだろう。 しかしこの状況で姫さまたちが敵の不意を突くなど、それも実質的に不可能な話。 ......となれば、あの部屋に乱入すると同時に、私が呪文をぶちかますしかない! もちろん、そのためにはまず、みんなの場所まで辿り着くことが必要。 「......先を急がなきゃ......」 私とシエスタの二人は、部屋の中央のクリスタル柱をまわり込み、やはりそこにあった階段を下へと降りていった。 ######################## 階段を降りたその場所も、またまた同じような部屋だった。 「......まさか、この冥王宮の入り口の時みたいに、空間を歪められて、同じ階を上下させられてるだけじゃあ......?」 「でも......今の私たちには、下へ下へと向かうよりほかないですよね」 シエスタの言うことも、もっともである。 そして。 この間にも、姫さまたちのヴィットーリオ=フィブリゾへの魔法攻撃は続いていた。 『......はあっ......はあっ......』 皆、かなり無理して、大技を連発しているらしい。 もう精神力も尽きてきたのか、姫さまなどは、あからさまに肩で息をしている。 『そろそろ終わりですかな?』 『いいえ......まだよ!』 挑発に応じたのはキュルケ。 なんと『ブレイド』を唱えて、杖を炎の剣と化し、ヴィットーリオ=フィブリゾへと向かっていく。 遠距離から魔法を放っても避けられてしまうならば、接近戦で! ......ということなのだろうが、使い慣れぬ呪文や戦法が、ヴィットーリオ=フィブリゾに通じるわけもなし。 『......っとと!?』 アッサリかわされ、斬り掛かった勢い余って、よろけるキュルケ。 無防備になったところを攻撃されたら危険だが、離れたところからフレイムが炎を吐いて牽制。彼女は無事に体勢を立て直し、ヴィットーリオ=フィブリゾからサッと飛び退いた。 『ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース』 今の攻防を見て何か思いついたらしく、タバサが『氷の槍(ジャベリン)』の呪文を唱えた。 タバサの魔法攻撃のためのヒントになったのであれば、キュルケの空振りも全くの無駄ではなかったことになる。 生み出された氷の槍は、タバサの杖の周囲を回りながら、太く、鋭く、青い輝きを増していく。 ここから杖を振り下ろして放つのが本来の『氷の槍(ジャベリン)』だが、タバサの使い方は違う。杖を突き出した格好で、彼女は自分ごと走り出した! 『なるほど......そう来ましたか......』 面白そうにつぶやくヴィットーリオ=フィブリゾ。 これならば『氷の槍(ジャベリン)』が放たれるタイミングはわかりにくいし、杖を叩き付けてゼロ距離から発射することも可能。杖に氷を纏わせたまま、接近戦だって出来る。 タバサが対デュグルド戦でやってみせた戦法である。 『そうですね......。では、そろそろ、こちらからも攻撃してみましょうか』 タバサの突きを、体術だけでかわすヴィットーリオ=フィブリゾ。 迂闊に瞬間移動しても、再出現したばかりのところへ『氷の槍(ジャベリン)』を撃ち込まれては回避しにくい。ならば氷が放たれるまでは『瞬間移動(テレポート)』も使わない......ということか。 だが、それにしては、彼の発言は何やら不穏。唱え始めた呪文も......『瞬間移動(テレポート)』とは違うっぽい!? 『くっ!?』 突然、苦悶の表情を浮かべて、タバサがガクッと膝をつく。彼女自身の杖が光っているのだが、いったい何をされた!? 『精神攻撃ね!? 魔族の術でしょ、それ』 『卑怯です! 虚無魔法しか使わないと言ったではありませんか!』 キュルケと姫さまが叫ぶ。 しかしヴィットーリオ=フィブリゾは、小さく手を振って、 『言いがかりは止めてください。これも虚無呪文ですよ。リコード(記録)です。対象物に込められた、強い記憶......念とでもいうべきものを鮮明に脳裏に映し出す呪文です』 そして、タバサに対して微笑んでみせる。 『今回は、あなたが使う杖に宿る記憶を......強い念を映し出させていただきました。......その杖はオルレアン公から譲られた、先祖伝来の逸品なのでしょう? どうやらシャルロット殿には辛い記憶も、染み付いていたようですな』 ヴィットーリオ=フィブリゾは、座り込んだまま苦しむタバサから、姫さまたちへと視線を戻し、苦笑した。 『......アンリエッタ殿以外は、以前に一度、この魔法が使われるのを見ているはずなんですけどね』 ######################## 攻撃に転じたかのように見えたヴィットーリオ=フィブリゾだったが、どうやら彼はエクスプロージョンを使えぬらしい。 虚無魔法のみという制限下では、彼も、姫さまたちに大きなダメージは与えられない。ちまちまと『リコード(記録)』で精神攻撃を仕掛けるのみ。 といっても、姫さまたちが有利になったわけではない。どちらも決定打がないということは、人間では奴を倒せないと証明しているようなもの。これでは、ヴィットーリオ=フィブリゾの狙いどおりである。 この均衡を破る手段はただ一つ。私たちが乱入すること......! そして。 「......ここは!?」 私とシエスタの二人は、ようやく、やや違った場所へとやって来ていた。 ただひたすら降り続けた結果、下への階段がない部屋に辿り着いたのだ。 「......どうします?」 「ほかの部屋にあるのかもしれないわね、階段。......でもどちらにせよ、部屋の構造が変わった、ってことは......目的の部屋が近いんじゃないかしら!?」 とりあえず部屋を出る私たち。 通路をしばらく走るうち、下への階段を見つけたが......。 問いかけるようなシエスタの視線に、私は首を横に振る。 ......この階だ。この階に、何かがある! 直感に従って、さらに通路を駆け抜けながら、口の中で『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の呪文を唱え始めた。 やがて、しばらくデタラメに進むうち......。 「ルイズさん! あそこ!」 見えたっ! 通路の奥には、開きっぱなしの一枚のドア。 その向こうにある部屋には、ヴィットーリオ=フィブリゾと対峙する姫さまたちの後ろ姿。 おしっ! 着いたっ! 心の中だけで叫んで、足を早めてそのまま部屋へと飛び込む。 ヴィットーリオ=フィブリゾの視線が、こちらへチラリと向けられたその瞬間。 私は、唱えておいた魔法を解き放った! 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 同時に。 私を抜き去って、背後から投擲された黒い物体が、ヴィットーリオ=フィブリゾへと向かう。 ......シエスタのフライパンだっ! 「......っなっ!?」 驚きの声を上げるヴィットーリオ=フィブリゾ。 まさか魔族である自分が、そんなものを投げつけられるとは、思ってもいなかったのだろう。 唖然とするヴィットーリオ=フィブリゾに、見事ボコッとフライパンが命中する。 もちろん、ダメージなぞ皆無。ただ驚いているだけだが、それでも彼の動きを止めたのは、シエスタのお手柄だった。 ......硬直したヴィットーリオ=フィブリゾに向かって、私の杖から放たれた赤い光が収束する! 「くあああああっ!?」 声を震わせ、ヴィットーリオ=フィブリゾが悲鳴を上げる。 私たちも参加した以上、もはや姫さまたちとのルールも関係ない。冥王(ヘルマスター)の力で、なんとか『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の破壊力を抑え込むつもりなのだろうが......。 「今よっ!」 私の叫びを合図に。 姫さまとタバサとキュルケが、同時に杖を振る。 コウッ! 水と氷と炎の魔法が一緒になって、三色の火柱となってヴィットーリオ=フィブリゾを包み込んだ。 かつて魔竜王(カオスドラゴン)にすら通じなかった程度の攻撃だが......それでも今は、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の直撃を食らっている最中! さすがの冥王(ヘルマスター)も、これはたまらない! 「るおおおおおおおおおっ!」 獣の遠吠えにすら似た、ヴィットーリオ=フィブリゾの声が空気を震わせる。 ......やがて。 輝く魔力の柱の中で、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿は黒い影と化し、光の中に吹き散らされる! ......そして、光の柱が消えたあとには......。 もはやそこに、ヴィットーリオ=フィブリゾの姿は残っていなかった。 ######################## 「......やった......の......?」 長い沈黙の後、ポツリとつぶやいたのはキュルケである。 「......わからない......」 言いながら、タバサは油断なく辺りを見回した。 たしかに、もはや何の気配もない。 しかし......。 「あれはっ!?」 姫さまの声に視線をめぐらせれば、冥王宮を支えるクリスタル柱の中から、ボンヤリと人影が浮かび上がって来る。 「......冥王(ヘルマスター)!?」 慌てて身構え、口々に呪文を唱える一同の前で、それは徐々に、その姿をハッキリとさせていった。 「サイトさん!?」 シエスタが声を上げる。 ......そう。 クリスタルの中から浮かび上がってきたものは、まぎれもなく私の使い魔、サイトの姿だった。 ゆっくりと、押し出されるように。 サイトの体は、クリスタルの中から抜け出た。 「サイト!」 声を上げた私が、動き出すよりも早く。 駆け寄ったシエスタが、サイトの体を受け止め、支える。 ......あ。 何となく胸が息苦しいような気分。私は、踏み出しかけた足を止めていた。 「......無事......なの......?」 私の問いに頷いたのは、シエスタではない。 彼女に続いて駆け寄ったタバサが、首を縦に振っていた。『治癒(ヒーリング)』の呪文を唱えていたようだが、必要もないと判断して、彼女は詠唱を止める。 「......そっか......無事だったのね......」 自然と安堵のため息が漏れた。 そんな私の肩をキュルケがポンと叩き、姫さまも声をかけてくる。 「よかったですわね、ルイズ」 「......はい」 姫さまを見もせずに、適当に言葉を返す私。 私の視線の先では、サイトが意識を取り戻すところだったのだ。 「......ここ......は......?」 軽く頭を振りながら、サイトは周囲を見回す。 その瞬間......。 「『ここは?』じゃないでしょうがぁぁぁぁっ!」 ドギャッ! 私の飛び蹴りが、まともに彼の頭に決まった。 「な......何するんだっ!? いきなりっ!?」 サイトは抗議の声を上げるが、私はアッサリ聞き流す。 ......だって彼が無事だとわかったとたん、何だか無性に腹が立ってきたんだもん! 「まったく! 御主人様の私だけならともかく、みんなにも思いっきり心配かけちゃって! いくら相手が冥王(ヘルマスター)だからって、アッサリ捕まっちゃダメでしょ!? あんた伝説の使い魔なのよ! これじゃガンダールヴ失格だわ!」 「......え......!? ちょっ......?」 「ま、みんな無事だったから、それでいいけどね!」 言って私は、サイトにクルリと背を向ける。 「シエスタに感謝しなさいよ! あんたを助けられたのも、このメイドの協力があったからなんだからね!」 「......え......?」 戸惑うようなサイトの声。 彼がどんな表情をしているのか、背を向けた私には見えない。 「サイトさん......よくぞご無事で......」 シエスタの声は、かすかに震えていた。 あいかわらず無口なようで、タバサの声は聞こえてこない。 そして。 しばしの間を置いた後、サイトは言った。 ポンと一つ、手を打ってから。 「......ああ、そうか。俺、あいつに捕まってたんじゃん!」 「んなこと忘れるなぁっ!」 その場にいるほぼ全員のツッコミが見事に唱和した。 ......自分の置かれていた状況を理解していなかったとは......。ま、サイトらしいと言えばサイトらしい話なのだが。 「そういえば......あいつは?」 サイトに問われて、私たちは顔を見合わせる。 「......サイトさんが解き放たれた、ということは......。倒しちゃったんじゃないですか!?」 「そうですわ! わたくしたちが力を合わせれば、たとえ冥王(ヘルマスター)だって......!」 「......でも......あれほどの奴が、本当にさっきので......?」 私の言葉に水を差され、盛り上がっていたシエスタと姫さまが沈黙。 そこにキュルケが口を挟む。 「ねえ、とりあえず、ここから出ましょうよ。サイトを助け出した以上、長居は無用よね?」 ごもっとも。 頷いて私たちは部屋を出て、来た道を戻る方向に、薄灰色の通路を進む。 先頭が私、そこに姫さま、キュルケ、フレイムと続き、一番後ろに三人。サイトを支えるかのように、タバサとシエスタが左右に寄り添っていた。 ......無事だったんだから、もう過保護な扱いは止めるべきだと思うけど......。 コゴトを言うのもお仕置きするのも、外に出てからの話だ。 上へと続く階段を昇りながら、私は、ふと思い出して振り返る。 「......そう言えばサイト、デルフは一緒じゃないのね?」 「......あ......」 サイトにとって、デルフリンガーは私以上に付き合いの古い相棒だ。冥王宮に置いていくのは薄情な話だが......。 ヴィットーリオ=フィブリゾは、あれを異界の魔族のようなものだと言っていた。 ならば、もう元の世界に戻してしまったのではないだろうか。 「安心してください、サイトさん! ......サイトさんのために、新しい刀を用意しましたから!」 「......えっ? これは......日本刀!? なんでこんなもんが!?」 ニコニコ笑顔で、シエスタが持参してきた剣をサイトに差し出す。 ......そんなタダの剣が、デルフリンガーの代わりになんか、なりっこないのに。 しかしサイトの口ぶりからすると、やはりこの剣、サイトの世界から来た物だったらしい。 「ありがとう。でも......これはこれ、デルフはデルフだぜ。あいつも何とか、助け出してやれないかなあ?」 「......いつまでもここにいるのも危険。とりあえずは脱出が最優先」 デルフ置いてけぼりに、賛成の一票を投じるタバサ。 サイトは、すがるような視線を私に向ける。 「ま、ともかく上へ上へ。途中で運よく、見つかるかもしれないし」 などと誤摩化しつつ、私は階段を上り......。 「そう言えば......『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』のことを忘れていました」 聞き覚えのある声が、私を出迎えた。 「え......!?」 階段を上がったそこは、別の通路があるはずだった。 しかし今、私の目の前にあるのは......。 だだっ広い、薄灰色の丸い部屋。 中央を上下に貫く、巨大なクリスタルの柱。 そして、その柱の前に、ひっそりと佇む者が一人。 「やっぱり生きてたのね。......冥王(ヘルマスター)ヴィットーリオ=フィブリゾ!」 私の言葉に対して。 教皇と冥王を兼任する男は、余裕の笑みを浮かべてみせた。 (第六章へつづく) |
伝説にはこうある。 世界は、混沌の海に突き立てられた、杖の上に乗った丸い板だ......と。 私は、この話は間違っているんじゃないか、と疑っていた。 しかし『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』で知識を得た今、やや考えが変わっていた。 半分だけは、ある意味で、そのとおりなのだ......と。 ######################## 「やっぱり生きてたのね。......冥王(ヘルマスター)ヴィットーリオ=フィブリゾ!」 私がワザワザその名を呼んだのは、後ろに続く仲間たちに警告するためであった。 しかし。 「......みんなは!?」 つい今しがたまで後ろにあった、五人と一匹の気配が消えている! 慌てて振り返れば、みんな――サイトと姫さまとタバサとキュルケとフレイムとシエスタ――どころか、私が上がってきたはずの階段すら見当たらない。 「少し空間を歪めさせていただきました。ルイズ殿、あなた一人を招待したかったものですから」 「空間を歪めた、って......。冥王(ヘルマスター)の力は使わないんじゃなかったの?」 私の皮肉に、ヴィットーリオ=フィブリゾはニッコリ微笑んで、 「それは、もう終わった勝負の話。......だいたい、あなたがたの勝ちということで、あなたの使い魔も解放してあげたではありませんか」 言って、パチンと指を鳴らした。 部屋の中央にあるクリスタルの柱が、淡い輝きを発する。薄灰色の通路でオロオロと辺りを見回す、サイトたち五人と一匹の姿が、そこに映し出された。 「......みなさん、必死であなたを探していますね。階段のところの空間をいじったのですから、あんなところを探しても無駄なのに」 「姫さまたちが無事なのはわかったわ。......で? どこなのよ、ここは!?」 「この冥王宮の一番下にある部屋です。さきほどアンリエッタ殿たちと戦ったのは、ここから五つほど上の部屋。......しかし、見事に意表を突かれましたねえ。まさか冥王(ヘルマスター)である私に、ただの金属の塊を投げてくるとは......」 シエスタのフライパンは、ああ見えても『ただの金属の塊』ではない。 魔鳥ザナッファーの鱗から作られたといわれるフライパンであり、つまりは、サイトの世界から来た戦闘兵器の装甲の一片。ハルケギニアの金属とはレベルが違う硬度を保っているのだ。 ......もちろん、だからといって、冥王(ヘルマスター)にダメージが与えられるシロモノではないのだが。 「......あのタイミングで魔法を撃ち込まれたものだから、私も慌てて、冥王(ヘルマスター)の力を使って逃げてしまいました。ですから、あの勝負は私の反則負けです」 「そう。『反則負け』なのね。......力負けじゃなくて」 私の皮肉も全く無視し、ヴィットーリオ=フィブリゾは、なおも言葉を続ける。 「ですが、あなたは気づいていたようですね。私がまだ健在である、と」 「まあ、なんとなく、ね......。あんたが滅びたにしては、この建物に何の変化もない、っていうのも変だし。そもそも、いくら不意を突かれたからって、あれでやられるっていうのは、いくらなんでもアッサリしすぎてるかな......なんて思ってね」 「なるほど、さすがはルイズ殿ですね。なんとも冷静で的確な判断です」 むむむ。 一応は褒め言葉であるが、なんだか馬鹿にされているような気がするぞ。 「......そうそう。あなたがさっき言ったので思い出しましたが......」 言ったヴィットーリオ=フィブリゾの正面。ちょうど彼と私の中間くらいの空間が、一瞬ユラリとゆらめいた。 彼が虚空から呼び寄せたのは......。 「デルフ!」 叫ぶと同時に、私は走り込んでいた。 バッとデルフリンガーを手に掴み、パッと後ろに跳び退く。 「娘っ子!」 「久しぶり。ようやく会えたわね、デルフ。サイトが待ってるわよ」 左手で握った剣に向かって、挨拶する私。 ......よくサイトがやっているが、手にした物と会話するのって、こういう気分なのか。 「相棒が!? ......って、そうじゃなくて! 娘っ子、俺っちを放り出せ! 俺を持ったままだと、おめえも以前の相棒のように、触手に絡みつかれて......」 「そんなわけないでしょ」 デルフリンガーの言葉を、私はバッサリ切り捨てた。 そりゃあサイトなんかより、私みたいな美少女の方が、触手に巻かれるのも絵になるだろうが......。 ヴィットーリオ=フィブリゾに、そんな趣味はあるまい。 「だって、私を拘束しても意味ないもん。こいつが私に望んでいるのは......」 視線を手の中の剣から、正面へと戻して......。 「......『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせることなんだから。......そうでしょ、ヴィットーリオ=フィブリゾ?」 目の前に立つ魔族を、私は強く睨みつけた。 ######################## 伝説にはこうある。 金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)、それこそが魔王の中の魔王。天空より堕とされ、混沌の海にたゆたう存在、と。 かつて私が、くにの姉ちゃんと一緒に、ロマリアまで旅をした際。そこで見ることができた『写本』に書かれていたことだった。 しかし、それは違うのだ。 その『写本』の書き手が、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識を正しく理解できなかったのか、あるいは、書き写す際にミスをしたのか、それはわからない。 ######################## 「そうです」 涼しい顔で答えるヴィットーリオ=フィブリゾ。 私が視線に込めた気迫も、彼には意味をなさないのだ。 「......ですが、あなたが素直に従うとも思えないので......」 言ってヴィットーリオ=フィブリゾは、クリスタル柱に映し出された者たちに目を向け、またもやパチンと指を鳴らす。 その瞬間。 しゅぅぅぅぅぅっ! 五人と一匹の足下から、青い霧が辺りにわき起こる。 『何だ!?』 驚きの声を上げるサイトたちの姿が、刹那、その霧に包まれ......。 ピギッ! 次の瞬間、みんなは一人ずつ、それぞれ蒼いクリスタルの中へと封じ込められた。 「サイト!」 六つのクリスタルを見て、思わず叫ぶ私。 おそらくあれは、サイトを閉じ込めていたものと同じ。それが今度は、サイトだけではなく、姫さまたちまで......。 「......どうしますか、ルイズ殿?」 ヴィットーリオ=フィブリゾが浮かべた笑みは、むしろ陽気なものであった。 「私がほんの少しその気になるだけで、彼らは死んでしまいます。クリスタルを少し割るだけでよいのですから。......たしかに私は、無駄な殺生は望みませんが、必要とあれば躊躇しませんよ」 「......くっ......」 私の頬を、一筋の汗がつたう。 「娘っ子! こいつを倒すんだ! こいつを倒せば、きっとあれだって解けるはずだぜ!」 「......わかってる。でも......」 事の重大さを理解しているのか、いないのか。けしかけるデルフリンガーに、私は曖昧な言葉しか返せなかった。 たしかに、冥王(ヘルマスター)のクリスタルを解く方法は、二つに一つ。彼自身が望むか、あるいは彼を倒してしまうか。説得なぞ不可能だろうし、倒すしかないのは同意なのだが、彼を倒すためには......。 「わかっていると思いますが、並の魔法では、私に傷をつけることすら出来ませんよ」 私の考えを読んだかのようなタイミングで、ヴィットーリオ=フィブリゾが口を開く。 「......あと、魔竜王(カオスドラゴン)に斬りつけた闇の刃、あれは使わないでくださいね。あれは痛そうなので、反則としましょう。ルール違反の罰は......当然わかっていますね?」 勝手なルールを押しつけるな。 ......と言いたいところだが、言うだけ無駄。こいつは、どうあっても私に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使わせたいのだから。 「......わかったわ......」 観念したかのように、一言つぶやいてから。 私は、最後の説得を試みる。 「......でも、あんただって虚無のメイジでしょ。わざわざ私なんかを利用しなくったって、あんたが自分で唱えて、暴走させればいいじゃないの。......どうせ世界と一緒に無理心中するつもりなら」 「それができれば苦労はしません」 ヴィットーリオ=フィブリゾは、苦笑を浮かべて言った。 「虚無のメイジならば誰でも使える......というわけでもないのですよ。四人の虚無の担い手の中でも、どうやら、あなたは別格のようでね......」 こんなところで褒められても嬉しくもないやい。 ......いや。 私が格上なんじゃなくて、『ヴィットーリオ』が格下だったのでは......? ガリアの虚無は赤眼の魔王(ルビーアイ)となり、ロマリアの虚無は冥王(ヘルマスター)となった......。この一点だけを考えても、少なくともジョゼフよりは格下に思えてしまう。 「それに『冥王(ヘルマスター)』となった時点で、私は高位魔族ですからね。本来、魔族は精神生命体ですから、ほかの存在の力を借りた呪文を唱える、なんてことは出来ないのです。それは自分自身の力を否定するのも同じであり、つまりは自殺行為なのですよ」 なるほど。 魔族の術は、とにかく『恐ろしいもの』である。人によっては、エルフや吸血鬼たちが使う先住魔法と同じように考えているかもしれないが......。 私が薄々察していたように、やはり根本的に違うらしい。先住魔法は、精霊に呼びかけて『大いなる意志』の力を借りるからこそ、強力な魔法となるのだが、魔族の場合『借りる』のではなく、あくまでも自力で頑張っているわけだ。 「......と、まあ、おしゃべりはこれくらいにして。そろそろ、やることをやっていただきましょうか。それとも......お仲間を一人ずつ砕いていきますか?」 「......わかったわよ......」 ここまでくれば、私も覚悟を決めるしかない。 デルフリンガーを握ったままの左手を、私はグッと前に突き出した。 「......おや? 何のつもりですかな?」 不思議そうな顔をするヴィットーリオ=フィブリゾ。 一方、剣は私の意図を察したらしい。 「娘っ子!? お前はガンダールヴじゃねぇんだぞ!? 相棒が使ってない状態では、俺っちも魔法なんて......」 「大丈夫よ! 私に任せなさい!」 デルフリンガーを一括する。 そう。 私がやろうとしているのは、かつてジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した時の再現。 赤眼の魔王(ルビーアイ)を斬れたのだから......冥王(ヘルマスター)にも通じるはず! 「重破爆(ギガ・エクスプロージョン)で闇の刃を作るのは、あんたの魔法吸収能力とは別モンだから。私が持っててもOKよ!」 「そ......そうなのか!?」 デルフリンガーは、いまだ半信半疑のようだが......。 私は、根拠もなしにデタラメを言っているわけではない。 ヴィットーリオ=フィブリゾの説明によれば、デルフリンガーの本質は、異界の魔王の武器であり、魔王の分身のようなもの。 烈光の剣(ゴルンノヴァ)――闇を撒くもの(ダーク・スター)の剣――だからこそ出来たというのであれば、デルフリンガー――ガンダールヴの剣――としての特性は関係ないはず。 ......はず、である。 「もしも間違ってたらゴメンね、デルフ」 一応、小さくつぶやいてから。 「おい!? 娘っ子! 今、何て言った!?」 魔剣の抗議は無視して、私は呪文を唱え始める。 まずは『魔血玉(デモンブラッド)』の力で魔力を増幅し、そして......。 「......闇よりもなお昏きもの......夜よりもなお深きもの......混沌の海にたゆたいし......金色なりし闇の王......」 「......っなっ!? どういうつもりですかっ!?」 私の呪文を耳にして、ヴィットーリオ=フィブリゾは、初めて声に焦りの色を滲ませた。 なぜならば。 私が唱えているのは、未完成バージョンの方だからだ。 ......かつてのジョゼフ=シャブラニグドゥとの戦いにおいて、私はこれを制御してみせた。しかも、今回は『魔血玉(デモンブラッド)』の力も借りているのだ。暴走するはずがない! これでヴィットーリオ=フィブリゾを倒せば、決着はつく! 「......我ここに汝に願う......我ここに汝に誓う......我が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」 ヴォンッ! 空間をきしませ、闇が生まれた。 私の周りに生まれ漂う闇の霧は、やがて、右手の先の杖へと収束してゆく。 あるいは歪み、あるいは膨らみ、暴走しようとする呪力を、私は必死で抑え込む。 今回は『魔血玉(デモンブラッド)』の力も借りているというのに、前回以上に消耗が激しい。 なぜ......? 今は、そばにサイトがいないから......? でも......そのサイトを助けるためにこそ、これが必要なのだ! まるで命が削られてでもいるかのように、魔力が、体力が、そして精神力が、ドンドン消耗してゆくのだが......それでも私は頑張る! 「きさまっ......!?」 迷いの色を見せながら、思わず一歩退く冥王(ヘルマスター)のその前で、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた術は完成した! 「重破爆(ギガ・エクスプロージョン)!」 左手のデルフリンガーに向けて、右手の杖を振り下ろす。 魔剣が黒く輝き、闇の刃と化す! 「いくわよ、デルフ!」 「おうともよ!」 前にこの技を使った時は、サイトに斬ってもらった。 でも、今回は違う。 私自身で斬る! サイトを助けるために! 「くっ!」 逃げようとするヴィットーリオ=フィブリゾのところまで一気に駆け寄り、闇の刃を振り下ろす! 「るぐぁぁぁぁっ!?」 冥王(ヘルマスター)の悲鳴が、辺りにこだました。 ######################## 魔力、体力、精神力......。 そのほとんどを使い果たし、私は、その場にガクリと膝をつく。 ふぁさっと垂れた髪の一房は、銀の色に染まっていた。 生体エネルギーの使い過ぎによって起こる現象である。 強烈な睡魔と疲労感が全身を包み込むが......。 「やった......のか......!?」 「たぶん......ね。これでダメなら、もう打つ手ないもん」 手の中と剣と会話することで、かろうじて、意識を失わずに済んだ。 「それより、サイトは......!?」 「......変わりはねえ。相棒なら、まだピカピカした柱の中にいるぜ......」 顔を上げる力すらない私に代わり、状況を説明するデルフリンガー。 「......まだクリスタル柱の中ですって!?」 驚きと共に、力を振り絞って顔を上げた。 解放されていないということは、すなわち......。 「......やってくれましたね......そう来るとは思いませんでした......。虚無魔法も冥王(ヘルマスター)の力もフルに活用して、ようやく逃げおおせたのですが......」 声と同時に、灰色の影とも霧ともつかぬものが、床から湧き上がってくる。それが晴れる頃には、私の目の前にヴィットーリオ=フィブリゾの姿があった。 「......うっ......! くうっ......!」 肩で荒い息をつきながらも、私はヴィットーリオ=フィブリゾに視線を送る。 ......へたり込んでいられる状況じゃない。私はデルフリンガーを杖(ステッキ)代わりにして、ヨロヨロと立ち上がったのだが......。 「......いやはや、かなり痛かったですよ、ルイズ殿の攻撃は。......しかし、やはり『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』を人間に持たせると、ロクなことになりませんねえ。......それはむしろ、私が有効活用するべきです」 「えっ!?」 ヴィットーリオ=フィブリゾがクイッと指を曲げると、私の手から剣がすっぽ抜けた。 再び倒れ込みながら、目だけで追えば......。 デルフリンガーが、ヴィットーリオ=フィブリゾに呼ばれるかのように、彼の元へと飛んでいく。 ......だが。 「そうはさせねえ!」 力強い絶叫と共に、剣は、冥王宮の床に突き刺さった。 私とヴィットーリオ=フィブリゾとの、ちょうど真ん中辺りの地点だ。 「......もうこれ以上......相棒や......相棒の大切な娘っ子を困らせる道具になんか、俺は......ならねえぜ!」 言葉を絞り出すデルフリンガー。 どうやら自身の意志で、ヴィットーリオ=フィブリゾに逆らっているようだが......。 「抵抗するだけ無駄ですよ。あなたは『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』なのですから」 「ちがわ! デルフリンガーさまだ! 覚えておきやがれ!」 その時。 ビギッ......。 小さな音が、冥王宮に響き渡る。 デルフリンガーの表面に、ヒビが入るのが見えた。 「デルフ!?」 「ほら。変に抵抗したりするから......」 ヴィットーリオ=フィブリゾの言葉を聞き流し、魔剣は私に語りかける。 「いいか、娘っ子。よく聞け。あいつは今、俺を操ろうとして、結構な魔力を放出してるんだぜ。俺は、その魔力を吸い取ることで、あの野郎に抵抗してるってわけだ。......なんだ、相棒抜きでも、おいら魔力吸収できるじゃねーか」 そんな仕組みはどうでもいい。 どうでもいいから、それよりも......。 「......だからな。あの野郎も今この瞬間、ドンドン消耗してるってこった。......さっき娘っ子が与えたダメージもあるし、俺があいつの魔力を吸い込みきったら、その時がチャンスだ......。そこで娘っ子の魔法を叩き込め! いいな?」 「や......やめなさい! デルフ!」 私は、起こりつつある事態に気づいていた。 魔剣の表面に走るヒビが大きくなっていく。飛びついて止めたいところだが、立ち上がる力すらない私では、とてもデルフリンガーには届かない。 「参った......こりゃ参った。さすがだぜ、『冥王(ヘルマスター)』の二つ名はダテじゃねえ。あの野郎の魔力はハンパねえな......。どうやら俺のカラダは、もたねえみてえだ......」 「デルフ!」 「あばよ。みじけえ間だったが、実に楽しかった。何千年も生きてきた甲斐があるってもんだ」 「やめて! やめてよデルフ!」 私は、叫びことしか出来なかった。 「私じゃないでしょ!? そういうことはサイトに言わなきゃ! あんたの相棒はサイトなんだから! だからあんたは、サイトを助け出すまでは......」 「ああ。相棒にヨロシクな。......娘っ子、おめえさんももう少し......もっと素直になるんだぜ......」 それが魔剣の遺言となった。 限界に達したデルフリンガーが、バラバラに弾け飛ぶ。 衝撃で吹き飛ばされた破片が、キラキラと光りながら、倒れたままの私の頭上を過ぎていった。 「デルフ......馬鹿......やめてって言ったのに......」 サイトが私と出会う前から、彼と一緒だったデルフリンガー。 『なあ、相棒。説明してやれよ。この娘っ子たち......不思議がってるぜ』 ガンダールヴの相棒として、そして私たちの仲間として。 これまで、幾多の強敵を相手に、共に戦ってきた。 『ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。そして相棒は娘っ子が心配で、心を震わせた。だから、俺っちも本来の姿を取り戻したんだぜ』 『娘っ子! 俺に......』 『相棒! 今だ!』 そのデルフが、もういない。 「......これじゃ......サイトが戻ってきた時......なんて言えばいいのよ......」 「......そんな心配をする必要はありません」 悲しみに浸る私に、無慈悲な言葉をかけるヴィットーリオ=フィブリゾ。 「たしかに魔竜王(カオスドラゴン)に斬りつけたものとは違いましたが......しかし、闇の刃であることに違いはない。......あの剣の消滅くらいでは、チャラにはなりませんよ。ルール違反の罰は、もちろん......」 「......っなっ......!?」 ヴィットーリオ=フィブリゾの視線は、クリスタル柱に映し出されたサイトへと向けられていた。 「やめてっ!」 悲鳴が口を突いて出る。 しかしヴィットーリオ=フィブリゾは、そんな私に、チラリと小さな笑みを見せただけ。 ......殺される......! このままでは......サイトが! 止める方法は、ただ一つ。 思いついた瞬間、私は迷わず、それを実行していた。 まずは増幅の呪文、続いて......。 「......闇よりもなお昏きもの......」 残った力を振り絞り、ユラリと立ち上がる私。 その詠唱を聞いて、ヴィットーリオ=フィブリゾは、冷やかな視線を私に向けた。 「......さきほどの繰り返しですか? しかし今度は『烈光(ゴルンノヴァ)』もないのですよ。どうするつもりです?」 かまわず私は、呪文を続ける。 「......夜よりもなお深きもの......」 もう呪力の暴走も、冥王(ヘルマスター)の陰謀も、何もかもどうでもよかった。 ただ、あのバカ犬を、私の使い魔サイトを助けたいだけだった。 「......混沌の海よ......たゆたいし存在(もの)......金色なりし闇の王......」 「ほぉう!?」 ヴィットーリオ=フィブリゾが、歓喜と驚嘆の声を上げた。 ######################## かつて私はこう聞いた。 金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)......それはすなわち、天空より混沌の海へと堕とされた、魔王の中の魔王だ、と。 しかし......。 違うのだ。 あの『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、私に告げた。 数多の世界の下に横たわる混沌の海......それこそが、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)に他ならぬのだ、と。 伝説にはこうある。 世界は、混沌の海に突き立った、杖の上に乗っているのだ、と。 しかしそれは、こういう言い方も出来るのではないだろうか。 混沌の海こそが、すべての基となる存在なのだ、と。 ......そう。だからこそ、亜人たちは『混沌の海』を『大いなる意志』などと呼んで、その力を借りようとするのではないか。 つまり。 亜人たちの先住魔法も、私の『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』や『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』も、力の源は同一だったのだ。 本来ならば人間の私に、先住魔法と同類の呪文が使えるはずもないのだが、虚無のメイジの中には魔王の魂が眠るが故に、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)に呼びかける力も、亜人すら凌駕しており......。 ######################## 「......我ここに汝に願う......我ここに汝に誓う......我が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを!」 ふたたび闇が......。 いや。 無が生まれた。 ......あるいは、混沌そのものだったのかもしれない。 生者の理解を超えた黒い何かは、やがてゆっくりと、私の杖の先に収束してゆく。 同時に私も、急速に消耗していった。 魔力や体力だけではない。生命力が、つまり魂そのものが、まるで吸い込まれるかのように抉りとられ、無明へと堕ちてゆくのがハッキリわかる。 全身が、体の隅々までもが、重圧に悲鳴を上げる。 しかし、ここで意識を失うわけにはいかない。 術が暴走すれば、いつかシエスタの言っていたように、そしてヴィットーリオ=フィブリゾのもくろんだとおり、世界は滅ぶ......。 だが。 ドクンッ! 音を立て、私の全身が大きく震えた。 術を抑えようとする私の意志を、少しずつ闇が蝕んでゆく。 杖の先に生まれた闇が、不規則な脈動を続けながら、少しずつ、その大きさを増してゆく。 ......暴走させる......わけには......いかない......。 ギリッ! 私は奥歯を噛み締めた。 視界の中のヴィットーリオ=フィブリゾの姿が、周囲の景色ごと、ユラリと霞む。 ドクンッ! 闇が広がる。 私の魂(こころ)に。 ......だめっ! 来ちゃうっ! 抑えきれないっ! いやっ! 思ったその瞬間。 私の意識は、闇に沈んだ。 ######################## ......そして。 アタシはゆっくりと目を開けた。 右手で握った杖の先には、握りこぶしほどの闇が、安定した状態でわだかまっていた。 「ほぉう。術を制御したのですね。たいしたものです」 教皇の姿で佇む、冥王(ヘルマスター)フィブリゾ。 彼は笑みを浮かべており、その声には、焦りの色も驚きの色もなかった。 「ですが、まだ勝負は終わっていませんよ。もしかしたら制御してしまうのではないか、とも思っていたのです。ですから、こういう時のための仕掛けもしておりまして......」 彼の声と共に、刹那、タルブの村の映像が、頭の中を流れた。 「......それこそが、午前中にあなたを冥王宮に入れなかった理由なのです。......この村は、残留思念に実体を持たせて造り出したものですが、その材料となっているのは......なんと私自身! 冥王(ヘルマスター)の精神体のかけらです! つまり、この村は冥王(ヘルマスター)そのものなのです!」 「......それで?」 思わせぶりなフィブリゾの声に、アタシは冷淡に返した。 「......それで、ですか......。どうやら、あなたには意味がわからないようですね......」 ため息をつくような口調だが、彼の笑みには、かすかに憎悪の色が混じっている。アタシの言葉で、気を悪くしたのだ。 「......よろしい。ならば、教えてあげましょう。あなたが昼に食べた料理、あれも私の一部なのですよ! つまり、あなたの体の中には、もう私の一部が入り込んでいるのです!」 「......だから?」 「ここまで言ってもわからないのですか!? どうやら少し、あなたを買いかぶっていたようですねっ!」 いらついた声で叫ぶフィブリゾ。 「無を制御した今のあなたに、外から攻撃を仕掛けることは出来ないかもしれません。......ですが! あなたの中に私の一部がある以上、それを介して、あなたを体の中から破壊することも出来るのですよ! ただ私が思うだけで、心臓をはじけさせることだって簡単です! 今あなたが死んだら、制御を失った闇はどうなると思いますか!?」 「......フッ......」 完全に勘違いしているフィブリゾのたわごとを、鼻先で軽く笑い飛ばすアタシ。 それが気に障ったらしい。 「......ならばっ! 実演してみせましょうっ!」 瞬間、フィブリゾの意志力がアタシの中に押し寄せ......。 「......バカなっ!?」 驚愕の声を上げたのは、彼の方だった。 「バカなっ!? 心臓がはじけたはずっ! 死んだはずですっ! それなのに......なぜ再生したっ!?」 ひたすら取り乱すフィブリゾに、アタシは冷淡な目で、 「バカは、あんたのほうだ」 「......なっ......なんだとっ!?」 「......アタシが死んだ、って......? フン、そんなものは幻さ。お前ごときの力で、アタシをバラバラに出来るわけもないだろ」 「幻......だと!? あの一瞬に『イリュージョン』でも唱えたというのか!? そんな素振りは......」 考え込んだフィブリゾは、短く沈黙し、そして......。 「......あ! あ......! ああああああああ!」 恐怖の悲鳴を上げながら、ヘタリとその場に腰を落とす。 ......ようやく気づいたようである。 アタシが一体誰なのか。 ......しかし......アタシが誰かも見抜けずに、つまらない攻撃をしかけてくるとは......お粗末にもほどがある。しょせんイレギュラーな存在なのか......。 「......まさ......か......!?」 声を震わせるフィブリゾに向かって、アタシはゆっくりと無をかざす。 「滅びを与えてあげるよ。冥王(ヘルマスター)フィブリゾ。......お前の望んだ、そのとおりに、ね」 アタシの器となっている人間――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール――の髪は、いまや金色に染まっていた。 元々は母親譲りの――『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』譲りの――ピンクブロンドだったようだが、アタシが来たことで、父方の血が色濃く出たのであろう。父方の血統は、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』を取り込んだあの男を祖とするもの。そして偶然であろうか、その父親の髪の色は、アタシの象徴である『金色』......。 その美しい金髪が、ザアッと揺れると同時に。 アタシは左手で、『無』をアッサリ握りつぶした。 それは虚空を渡り、フィブリゾの体内へ転移する。 「っがぁっ!」 悲鳴を上げるフィブリゾ。 同時に、器となった人間の肉体を残して、本体が精神世界面へ逃げ込もうとしているのが『視えた』。 純魔族お得意の、トカゲのシッポ切りだが......。 「馬鹿なことはおやめ。お前はもう、その人間の魂と一体化しているのだよ」 そう。 今のフィブリゾは、純粋な精神体ではない。ヴィットーリオ・セレヴァレという人間の中で覚醒した存在なのだ。 もっとも、この人間、本来ならば『赤眼の魔王(ルビーアイ)』となるべきだった者。それが『冥王(ヘルマスター)』となった時点で、もはやイレギュラーな存在である。それだけでも、アタシに滅ぼされて当然と言えよう。 ......まあ、ここでこういうイレギュラーが生じたということは、後々、帳尻合わせのように別のイレギュラーが起こるということかもしれないが......。 今は、そんな先の可能性を面白がっている場合ではない。フィブリゾは何とも強引に、器の人間を捨て去って、精神世界面へ潜り込んでいた。 「......無駄だよ!」 アタシは『無』を介して彼を追う。意志力を使って精神世界面へ入り込み、ついに奴を捕えた。 激しく抵抗するフィブリゾ。 「......滅びを望むなら従うがいいっ!」 アタシの言葉に、彼の抵抗がいっそう強くなる。 恐怖し、混乱しているのだ。 必死で抗うフィブリゾの中へと、アタシは無の触手を伸ばす。 普通なら苦労もせずに食いつぶせる程度の相手なのだが、器となっているのがタダの人間なせいか、全くと言っていいほど力が出せない。 せめてこれがリーヴスラシルならば、もう少し力も出せるのだが......。 ......なんとも嘆かわしい話だ。あの男は、あの『生命』という術に関して、ちゃんと後世に伝えたはずではなかったのか。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手......四つの四が集いし時、我の虚無は目覚めん』と。それなのに、この娘ときたら、使い魔リーヴスラシルではなく、自らを器にしおって......。 「......ふっ......」 だが、この娘のことは後回し。今はフィブリゾだ。奴を見逃すことは出来ない。 いくら気づいていなかったからとはいえ、奴は、このアタシに攻撃をしかけたのだ! 「......滅ぼす!」 アタシの意識がはじけた。 無が、大地に根を張るように、冥王宮を、そしてタルブの村を蝕んでゆく。 ......そして。 冥王(ヘルマスター)フィブリゾの、断末魔の意識がはじけた。 ######################## 目を開くと、青い空が見えた。 仰向けになったまま、二、三度まばたきしてから......。 私はガバッと、その場に身を起こした。 「......え......?」 一瞬、全く状況がわからず、慌ててキョトキョトと辺りを見回す。 そこは、深い穴の底のような場所だった。 近くには、サイト、姫さま、タバサ、キュルケとフレイム、そしてシエスタが、やはり気を失って倒れている。 仲間たちだけではない。少し離れたところには、もはや抜け殻となった、教皇ヴィットーリオの肉体も......。 「......そういう......ことね......」 私はようやく、何がどうなったのかを知った。 ここは冥王宮の中ではない。冥王(ヘルマスター)が滅びると共に、彼が造り上げた冥王宮も、そしてタルブの村も消え去ったのだ。 ふと気がついて見てみれば、私の髪も、元どおりのピンクブロンドになっている。 「何がどういうことなのかな?」 声をかけられて。 再び視線を辺りに巡らせば、いつのまにか、すぐそばに佇む人影。 「......いいわ、教えて上げる。思ったとおりにいかなくて残念至極、悔しくてたまらないあんたを慰める意味で、ね。ジュリオ」 そう。 空間でも渡って来たのだろう。 そこにいたのは、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)で魔竜王(カオスドラゴン)に片腕を斬り落とされ、とんずらこいていた彼。 斬られたはずの右腕は、ちゃんとついているようだが、どの程度までダメージが回復したのかは不明である。あの魔竜王(カオスドラゴン)の例もあるのだ。無理して再生して、かえって力を減じた可能性も......。 ......ま、こいつに限って、それは有り得ないか。 「......別に残念とは思っていないよ。僕が失敗したわけじゃないしね」 言葉だけ聞けば、負け惜しみにも聞こえる。一瞬、そこにツッコミ入れてやろうかとも思ったが、とりあえずサラリと流すことにして、 「そう? ま、いいわ。ともかく、一言でまとめると......二人がポカをやらかしたのよ」 「二人......かい?」 「うん。......ああいうのを一人、二人、って数えるのは変な感じだけど......。いずれにしても、私は別に『勝った』わけではなく、偶然『生き残った』だけね」 私は『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』の完全版を唱えて、まともに術の制御に失敗した。 その結果。 私は『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に体を乗っ取られてしまったのだ。 ところが冥王(ヘルマスター)は、あれが私と同化していることに気づかず、攻撃をしかけてしまった......。 「なるほど、とんでもないうっかりさんだったわけだね」 それまで私の解説を、神妙な顔つきで聞いていたジュリオが、突然、感想を漏らした。 「......いやあ、ああ見えて彼は、結構ドジな部分があってね。君たちは知らなかっただろうけど......以前に試しに『リコード(記録)』を使ってみた時なんて、そのせいで赤眼の魔王(ルビーアイ)様が倒されてしまったくらいで。さすがに、あの時は彼も頭を抱え込んでたよ。......まったく困ったお人でした。はっはっは」 ジュリオが言っているのは、たぶん、ジョゼフ=シャブラニグドゥと私たちが戦った時の話だ。最後に光った指輪には、そういう裏事情があったわけね......。 うっかりとかドジといった言葉では済まされないレベルの事件だが、まあ私自身が昔『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を試し撃ちした際のことを思えば、あまり他人を責める気持ちにはなれない。凄い魔法を覚えたばかりのメイジというものは、えてして、そういうものである。 「......そ......それは凄い話ね......」 とりあえず一応の相づちを打ってから、私は説明を続ける。 「......ともかく。話を戻すと......冥王(ヘルマスター)に攻撃されて、当然、あれは怒っちゃったわけ。だから逆襲したんだけど、そこでようやく気づいた冥王(ヘルマスター)も、必死になって抵抗した......」 冥王(ヘルマスター)は、きちんと理解していたのであろうか? それとも、あれを完全に自分たちの味方だと誤解していたのであろうか? ......虚無だの混沌だのと言えば、魔に近い存在と思いがちだが、それは間違いである。 冥王(ヘルマスター)自身が言ったように、彼ら滅びを目ざす魔族と、存在を望む私たちとは、同じものから分化したものだ。 その分化の根源が、あれなのだとしたら......。 あれは、魔族の王であると同時に、私たちの王でもあったのだ。 ......まあ、そうやって考えると、亜人たちの使う『大いなる意志』という言葉が、最も本質を示しているのかもしれない。 「......で、抵抗されたから、あれもますますムキになって、冥王(ヘルマスター)を潰しにかかる。でも......」 この辺りからは、人間の理解力を超えた話になってしまう。それに、そもそも私の記憶自体が、あれと同化していたような完全に呑み込まれていたような、はっきりしない状態だったので、細部までは定かではないのだ。 「......どうやら私という人間を器にして出てきたもんだから、あれも思ったように力を使えなかったみたい。自分の限界もわからぬまま、ムキになって冥王(ヘルマスター)にかかっていって......結局、両方が食い合う形で、共倒れね」 そして『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』は、私を支配することすら続けられなくなり......。 この世界でのよりどころを失ったため、ふたたび無だか混沌だかへと帰って行ったのだ。 「......それで『二人のポカ』で、君だけが生き残った、というわけか。いやあ、これもまた間の抜けた話だねぇ。はっはっはっは」 「ただ、私が一つ腑に落ちないのは......」 ジュリオが納得したらしいので、ここで私は疑問をぶつけてみる。答えが返ってくればラッキー、くらいの気分で。 「......少し前にヴィットーリオ=フィブリゾが、大隆起の話をしてたのよね。あん時の彼の口ぶりと、別口で耳に挟んだ言い伝えから、あの術の制御の失敗こそが大隆起のきっかけだ、って私は理解してたんだけど......」 ハルケギニアの遥か下で、たゆたう混沌の海。 それそのものが、このハルケギニアの地上に現れ、私の体を乗っ取ったのだ。 当然、下から出てくる過程で大地を突き破る形になるし、その衝撃が、飽和しつつある風石にも影響するだろうし、結果、ハルケギニア大陸は割れたり空へ浮かんだり、大変なことになりそうなものだが......。 「結局、大隆起なんて起こらなかったのよね。......ってことは、みんな何か誤解してたのかしら?」 小首をかしげる私を見て、ジュリオは面白そうに、 「......いや、ちゃんと空に浮かんだよ」 「え?」 慌てて、私は足下に目を向けた。 もしかして......気づいていないだけで、すでに浮いているの!? そんな私を笑いながら、 「......もっとも、今回は、ごく一部だったけどね」 言ってジュリオは、南の方を向く。 「うん、まだ、ここからでは見えないようだね。なにしろ、ちょうど火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の辺りだからなあ。......百二十リーグもの長さに渡って、山並みが宙に浮いたんだ。今でも浮上を続けているから......三日後くらいには、トリステインからでも見えるんじゃないかな?」 絶句する私。 なんだか、とんでもない事件を引き起こしたような気分である。 ......気分、じゃなくて、そのものだ、なんて野暮なツッコミは聞きたくない。 「......まあ、その新しい『浮遊島』に関しては、人間たちの問題だ。僕たち魔族には関係ないね」 ジュリオが、クルリと私に背を向ける。 「......行くの?」 問いかけながら、私は視線をヴィットーリオへと動かした。 それでジュリオも、質問の意図を理解する。 「ああ、もう彼は『冥王(ヘルマスター)』ではないからね。しかも『教皇ヴィットーリオ』でもない。......心を壊された、ただの抜け殻さ」 それは私も承知している。 精神世界面へ逃げ込もうとした冥王(ヘルマスター)にとって、人間の肉体は邪魔だったから、捨て去ったようなのだが......。 その際、ヴィットーリオの魂をズタズタにしてしまったらしい。元々ヴィットーリオの魂の中で魔族として覚醒し、一つに結びついていた以上、すんなり分離するのは困難だったのだ。 「でも......それでも、あんたの主人のメイジじゃないの!」 「いや、違うな。心が壊れた人間など、死んだも同然だ」 タバサが聞いたら怒るであろうセリフを吐きながら、ジュリオは、右手の手袋を脱いでみせる。 ......そこにあるはずのヴィンダールヴの印は、あとかたもなく消えていた。 「ほら。ルーンにとっても、廃人は死人あつかいってことだよ。......だから僕は、もうヴィンダールヴではない。しがない魔族の獣神官さ」 こうまで言い切られてしまえば、私も何も言えない。 そもそも、魔族と馴れ合うのは、私の性に合わないし。 ......ならば、次に彼と出会う時は、敵同士。命の取り合い、ということだ。 「そう。じゃあ......お別れね」 「さようなら、虚無の妖精さん」 それが......。 私とジュリオとの、別れの挨拶だった。 彼の姿は、一瞬ユラリとゆらめいて、虚空の果てへと溶け消えた。 ######################## 「......う......ん......」 まるでジュリオが消えるのを待ってでもいたかのように、近くで呻き声が聞こえた。 そちらの方に目をやれば、軽く頭を振りながら、シエスタが身を起こすところだった。 それとほとんど間を置かず、あとの四人も意識を取り戻す。続いて、火トカゲのフレイムも首をのっそりと持ち上げる。 なかなかのナイス・タイミングといえよう。もしかすると、話が終わるまでみんなが起き上がらないように、ジュリオが何かの細工でもしていたのだろうか。 ふと見れば、ヴィットーリオの姿も消えている。なんだかんだ言って、ジュリオがどこかへ運び去ったらしい。 ともあれ。 全員が無事に身を起こし、やはり状況がよくわかっていないのか、辺りをキョトキョトと見回して、やがて私に目をとめた。 「......ルイズ......さん......?」 「や。おはよう」 まだ少しボーッとしているシエスタに、私はパタパタ手を振った。 「......何が......どうなったの......?」 見回しながら問うキュルケに、私は事情を語る。ただし、わざと大雑把な説明で。 「ん。冥王(ヘルマスター)が倒れたから、あいつが作ってたものも全部消えたのよ。私たちが今いるのは、冥王宮の跡地ってこと」 「......冥王(ヘルマスター)が倒れた......って......?」 つぶやきながら、シエスタが、ギギギッとこちらに顔を向ける。 「......と、いうことはルイズさん......あの呪文使っちゃったんですか!?」 「うっ......! いやその......」 しまった。 冥王(ヘルマスター)の企みについて、シエスタには語っておいたわけだが......。 それがアダとなったか。 「まあ、いいではありませんか」 姫さまが、シエスタの視線に沈黙する私を見て、横から言葉を挟んでくれた。 「......詳しいことはともかく、全て無事に片づいたのでしょう?」 トリステインの王女さまに言われては、それ以上シエスタも私を非難できない。 「そうですね。どうやら術も暴走しなかったようですし......」 うっ。 ......本当は暴走させまくったあげく、偶然こういう結果になったんだけど......。 制御した、ということにしておこう。 さいわい、浮かび上がった火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)も、今ここからでは見えないわけだし......。 「......なあ......ともかく終わったっつうなら......」 サイトが言う。いつもと変わらぬ、能天気な声で。 「とりあえず、上に上がらねえか? こんな穴の底で話し込んでないでさ」 「......それもそうね」 私が頷くと、誰かがレビテーションを唱え始めた。 ######################## 風が渡る。 ふたたび荒野と化したタルブの村を。 ......しかしそれでも......。 あちこちに芽吹いた雑草が、大地がまだ息づいていることを物語っていた。 「......ずいぶん......すっきりしちゃいましたね......」 寂しげな笑みを浮かべ、シエスタはつぶやいた。 フウッと大きく息をつき、 「......それで......みなさん、これからどうなさるんです?」 「私はトリスタニアに戻ります」 穏やかに、しかし力強く言う姫さま。 「......この事件が片づくまで、という約束でしたからね。これで、しばらくお別れです」 言って、ニコッと私に微笑みかける。 ......まあ約束も何も、かなりズルズル引き伸ばして、今に至ったわけだが......。 「......私は、また適当に旅を続ける......」 タバサは、遠い目をしてそう言った。 ......母親の心を取り戻す手段を探す旅。何のあてもない旅路へと......。 「......あの......それで......サイトさんは、どうなさるんです......?」 少しモジモジしながら、シエスタがあらためて尋ねた。 「え? 俺? ......俺はルイズの使い魔だからなあ」 彼は私の方に顔を向ける。 今のサイトの背には、砕け散ったデルフリンガーの代わりに、例の刀――サイト曰く『日本刀』というものらしい――が収まっていた。穴の底から上がる途中で、落ちていたのを見つけたのだ。 デルフリンガーを失った悲しみは顔には出ていないが、たぶんそれは、まだ現実感がないだけではあるまいか。一緒に旅をするうちに、彼の心のケアをするのも、御主人様である私の役割である。 少しばかりの間、私とサイトは、黙って見つめあう形になっていたが......。 「......わかりました......」 いったい今ので何がわかったのか、小さく息をつくシエスタ。 「......私は、スカロンおじさんのところへ......トリスタニアへ戻ります。今は『魅惑の妖精』亭を手伝うだけですけど、そこで美味しいワインを給仕するコツを学んで......。いつの日か、このタルブに戻って、村を復興させます。元々ワインで有名な村だったのですから、ここに『魅惑の妖精』亭の二号店を出すのも良いかもしれません......」 「......そっか......がんばってね......」 メイドの名産地という評判もあったのだから、たしかに『魅惑の妖精』亭みたいな店を作るのが、新生タルブには相応しいのかもしれない。 「......では、トリスタニアまでは、わたくしと一緒ですね。あらためて......よろしく、シエスタさん」 「は......はい!」 王女さまとの二人旅が突如決まり、緊張で硬直するシエスタ。 そんな二人からサイトへと視線を戻して、私は考える。 「さて......」 ......私たちはどうしようか? いったん里帰りして、くにのみんなの顔を見てみるもよし。このまま、もうしばらくあちこち旅をするもよし。 などと色々思っていると。 「......ところで、ルイズ。あの教皇が使ってた呪文......異世界への扉を開く、ってやつ。あれ、ルイズも使えるのか?」 あ。 ......『世界扉(ワールド・ドア)』! サイトこそ、故郷に帰さないといけないんだっけ。また、すっかり忘れていたよ......。 「ごめん、サイト。今の私では、まだ無理みたい」 嘘ではない。 他人の呪文詠唱を聞いて、丸覚えしたところで、それで使える......とは限らないのだ。同じ虚無のメイジであっても、例えばティファニアでは私のエクスプロージョンは放てないし、逆に私も、彼女の得意の『忘却』は使えない。 クレアバイブルなり『写本』なりから学べば、私も使えるようになると思うのだが......。 「おしっ! わかったわっ!」 言って私は、ポンと手を叩いた。 「とにかく、あんたを帰せる魔法があるってことだけは、確実になったわけだし。頑張って、どっかで習得してみせるわ! ......それが私たちの、当面の旅の目標ね!」 「おお! サンキュー、ルイズ! ......っつうか、俺たち元々、そういう理由で旅してたんじゃなかったっけ?」 「細かいこと気にしちゃダメよ」 と、サイトに笑いかけてから。 私はキュルケに向かって、 「......というわけで、あんたも一緒に......」 「あたしは同行しないわよ」 「......へ?」 言いかけて、思わず止まる私。 「......あなたとの旅も、もう、ずいぶん長いからね。そろそろ道を分かつのも、いいんじゃないかしら?」 うーん。 別にキュルケとは、今までもずっと一緒だったわけではなく、時々いなくなったりしてたんだけど......。 なんだか今回は、それとは少し違う感じ。 「あたしは使い魔のフレイムと『二人で』気ままな旅をするから......ルイズも使い魔のサイトと『二人で』行きなさいな。......二人っきりで、ね」 そう言って微笑むキュルケ。 彼女の二つ名『微熱』に相応しい、なんともあたたかい笑顔であった。 ######################## ......そして。 私たちは、思い思いの道を歩き始める。 タルブという村名だけが残る、その地をあとにして......。 第八部「滅びし村の聖王」完 (第九部「エギンハイムの妖杖」へつづく) |
「旅のメイジの方々......とお見受けいたします」 その老人が私たちに声をかけてきたのは、とある小さな村でのこと。 一軒しかないオンボロ宿屋の、冷たいスキマ風吹き込む食堂で、キュルケと二人、黙々とシチューをすすっていた時のことだった。 ......キュルケと二人で旅をしていた頃の話であるが、問題なのは、その季節である。こんな寒さは経験したことがない、というくらいの厳しい冬だったのだ。 ところがキュルケが、何を血迷ったのか、「暑い季節は暑い場所へ、寒い季節は寒い場所へ行くのが、旅の醍醐味」と言い出して......。 うっかり私も口車に乗ったために、この有様である。 このくそ寒い時に雪山の寒村に来るバカもおらず、私たちの他に客はいない。 「実は......おりいってお願いしたいことがありますのじゃが......」 私たちが返事をせずとも、老人は言葉を続ける。 彼のことは無視......。キュルケはそう決め込んだらしい。 仕方なく。 視線を上げて、私が対応する。 「いや」 そして私は、スープで体の内側から暖をとる作業へと戻った。 老人は、しばし無言のままで立ちつくしていたが......。 「......いや......あの、できれば話だけでも聞いていただけませぬか......」 私は嫌々、再びシチュー皿から顔を上げる。 それを了承と受け取ったのか、彼は、何やら本格的に語り始めた。 「実は......村の東にある雪山に......」 「ぜったいイヤ」 私はアッサリ会話を打ち切った。 ......またまたしばしの沈黙。 「......その......なぜご不満なのでしょう? よければ理由を聞かせてもらえんでしょうか?」 「寒いもん」 はっきり言い切る私の言葉に、老人の目は点になった。 ......この老人、最初の言葉からして、私たちが旅の学生メイジであることは、ちゃんと見抜いている。同じ貴族のメイジであっても、旅で世慣れた者たちは、世間知らずのアホ貴族とは違って、意味もなく平民を見下したりはしない。だから、私たちならば頼み事も聞いてくれると思って、話しかけてきたのだろうが......。 そこまで考えてるなら、私たちが動きたくない理由くらい、ちゃんと察してくれ。 ここは、寒くて寒くて凍えそうな二人が、ようやく駆け込んだ宿屋なのだ。 「しかし......おふたかたは、貴族のメイジさまなのでしょう? 魔法を使えば、こんな寒さなど、どうってことないのではありませぬか?」 老人の言葉に、それまで無言でスープをすすっていたキュルケが、ユラリと立ち上がる。 「......簡単に言ってくれるわね......」 あ。 なんだか、ちょっと怒ってるっぽい。 「あなたたちが思うほど『火』って簡単に扱えるものじゃないのよ。......炎は情熱だから、加減が難しいの。軽く温めるつもりで放っても、骨まで残らないくらいに燃やしつくしてしまうかもしれないわ。......嘘だと思うなら、あなた、ちょっとあたしの炎を浴びてみる?」 言いながら、キュルケは杖を取り出した。 ######################## そもそも。 この村へは、東にある山の道を越えてきたのだが、その時の寒さが、そりゃもう凄まじいのなんの。思わず「あんたの炎でなんとかしなさいよ!」とキュルケをけしかけたほどである。 その時はキュルケも、自信満々で杖を振るってみせたのだが......。 やっぱり『火』というやつは、『烈火』などという言葉もあるとおり、本来はかなり激しいものだったのだ。ふだん攻撃呪文ばかりバカスカ撃ちまくっているキュルケには、熱量の微調整など、とうてい不可能なわけで......。 結局、軽く雪崩を引き起こしたり、林を丸々焼き尽くしたり、挙げ句の果てには、自分が火だるまになりかけたり。 いやあ、傑作。 思わず拍手してしまいましたよ、私は。 その後は、怒ったキュルケが「あなたは炎すら使えないくせに」なんて言い出したから、売り言葉に買い言葉。「爆発魔法でも暖をとることは出来る!」と言って、今度は私がチャレンジ。 やはり同様の失敗をした私を見て、キュルケは腹抱えて笑いつつ、少しは怒りも収まったようだったのだが......。 うん、今の老人の言葉で、色々とブリ返したらしい。 事情を知らぬ老人にしてみれば、半ば、とばっちりのようなもの。ちょっと可哀想だ。 「め、めっそうもない! 私を燃やすくらいでしたら、どうかそれを、あのコボルドに向けてくだされ!」 「......コボルドですって?」 おうむ返しに尋ねる私。 キュルケを止める意味もあって、敢えて口を挟んだのである。 ......まあ、わざわざ教えてもらわずとも、私だってコボルドくらいは知っている。 犬のような頭を持つ、亜人の一種であるが、力も知能もたいしたものではない。それこそ平民でも、ちょっと腕の立つ者ならば倒せるくらいの、ザコなわけだが......。 「そうです! あいつがいなくなれば、この寒さも、少しはマシになるはずなのです!」 言われて、私はキュルケと顔を見合わせる。 この特別な寒さに、元凶がいるというのであれば......。 「くわしく聞かせてもらいましょうか、その話」 ######################## 老人の話によると、どうやらこういうことらしい。 村の東にある雪山に一匹のコボルドが住み着いたのは、去年の暮れ頃のことであった。 ......コボルドというものは夜行性で、基本昼間は眠っている。私たち人間とは、活動時間帯が一致しないのだ。 また、臆病で用心深い生き物であるため群れをなして行動し、潜んだ場所の入り口には、見張りを数匹置くのが常である。ところが、今回のケースでは、たった一匹のみ。 とりあえず村を襲ったりするつもりもなさそうだし、下手に刺激して怒らせでもしたら、それこそ、どこかから仲間を連れてくるかもしれない。そう考えて、何もせずに無視してきたのだが......。 「つい数日前から、そいつが何やら悪さをおっぱじめたらしいのです」 なんとも困ったという表情と口調で、老人は語った。 ふむ。 私やキュルケにしてみれば、はぐれコボルドの一匹や二匹、なんてことはないわけだが。 うらびれた寒村に屈強な戦士がいるはずもなく、彼らにとってはオオゴトなのであろう。 「どうする? 助けてあげる?」 キュルケの意見を聞いてみる私。 寒いから外に出たくないのは山々だが、そんなことを言っていては、この村に閉じ込められてしまう。さすがに、春になるまでずっと泊まり込む、というのは嫌だ。 本当にそのコボルドの『悪さ』が寒さを悪化させているのだとしたら、出ていって退治するのも、悪い話ではない。 「そうね」 私と同じように考えたのか、キュルケが小さく頷く。 こうして。 美少女メイジ二人組の、コボルド討伐隊が結成されたわけだが......。 ######################## 辺りにうっすら雪は積もっているけれど、山の空は透けるかのように、雲一つなく蒼かった。 冷たく澄んだ雪の匂い。 昼の盛りとはいえ、とことん寒い。 ひるるるるる......。 「吹きすっさぶ北風が、よく似合う、二人のメイジと、人のいう......」 「そんな小唄を歌ったところで、何にも変わらないわよ」 無粋なツッコミを入れるキュルケ。せめて気分だけも陽気になろうという、この私のイキな計らいがわからないらしい。 いやはや。 冬の山の中、私とキュルケは、途方にくれながらショボショボ歩いていた。 ここまで案内してくれたあの老人――村の村長さん――は、よっぽどコボルドが怖いのか、「このあたりです! コボルドが住み着いたのは! それじゃ!」などと言い捨てて、そそくさと山を降りてしまった。 それから私たちは二人で、コボルドの姿を求めてさまよっていたのだが......。 コボルド自身にしろ、そのすみかにしろ、それらしきものは全く見当たらないのだ! 「......問題のコボルドがどこにいるのか判らないんじゃ、どうしようもないわねえ......」 「いっそ、あなたの魔法......『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』で山ごと吹き飛ばしてみる?」 「やめてよ、キュルケ。本当にそうしたくなってきたわ」 脳ミソまで凍えてきたので、とんでもない提案をされても、グッドアイデアに思えてしまう。 今ならまだ、それを思い留まる程度には、頭も働いているのだが......。 と、その時。 近くで山鳥たちが飛び立った。 続いて、ガサガサゴソゴソという、木を揺らしたり引っ掻いたりするような音。 「......もしかして......」 一瞬二人で顔を見合わせてから、足音を殺しつつ、音のした方に近づいていく。 林とも呼べないような小さな林をグルリと回り、一本の木の影から、音のした方をソッと覗き見れば......。 「......!」 そこに、一匹のコボルドがいた。 身長は私と同じくらい、いや、むしろ少し低いくらいだが、その腕と足の筋肉は発達している。犬のような顔の中、目が赤く光っていた。 夜行性のコボルドは夜目が効くだけでなく、その嗅覚も犬並みである......。そんな知識を思い出したが、もう遅い。 私たちの接近など、とっくに勘づいていたらしい。コボルドの視線と、こっそり覗いたつもりの私たちの視線が、まともに正面からぶつかりあっていた。 急ぎ、杖を構える私たち。 だが。 「いようっ! ちょうどヒトの手も借りたいところだったんだぜ、お嬢ちゃんたち。どうだい、こっち来て、一緒に木の皮でも剥がさねえかい」 コボルドの口から漏れる、少々たどたどしい言葉。 ......私たちは拍子抜けして、闘争心も霧散した。 ######################## 「そりゃあひでぇな......ぬれぎぬもいいところだぜ」 そのコボルドは、チッチッチッと、まるで人間のように指を振ってみせる。 私とキュルケは、地面に座った彼の隣、平べったい石の上に腰を下ろして、彼の話を聞いている。 「じゃあ、あんたは何もやってない、と?」 「当たり前だぜ。......大体そもそもその『悪さ』ってぇのは、一体どんなもんなんだい?」 聞かれて私は言葉に詰まる。 そういえば村長さんは、コボルドが悪さを始めたとか、そのせいで寒さが酷くなったとか言っていたが、それ以上の具体的な話は、何もなかった。 「さあ......? 村長さんも口を濁してたけど......とりあえず、このとんでもない寒さは、あんたのせいだ、って」 「けど......疑うわけじゃないけれど、間違いなしにあなたじゃないのね?」 あらためて確認するキュルケに、コボルドは胸を反らして、 「当たり前だろうが」 ちょっと誇らしげに答える。 「『大いなる意志』に誓って、絶対。......第一、このくそ寒い中、さらに寒くしたら困るのは自分らだろうが。それくらいコボルドなら誰だってわかるわな。......と、神官連中は別だぜ。あいつら、自分よりバカなコボルド率いたお山の大将だし、そもそも『大いなる意志』をないがしろにして、よくわからんものを祀るくらいだからな」 ここで、大きくバカ笑い。 ハルケギニアの先住民である亜人の中には、『大いなる意志』とは別に、独自の『神』を持つ種族もいる。コボルドはその一種だ、と言われてきたのだが......。 どうやら、そうした独自の『神』は、彼らの中でも異端であるらしい。コボルドの世界にも、新興宗教っつうもんがあるのね。 などと私が考えていると。 「......神官連中、って......。あなた自身が、そのコボルド・シャーマンなんじゃないの?」 不思議そうに尋ねるキュルケ。 ......コボルドの中には、稀に知能の発達した者が生まれる。彼らは知能が高いばかりでなく、人間の言葉を操り、精霊の声を聞くことが出来た。つまり、先住魔法を扱える、ということだ。そういった一部のコボルドが、群れを率いる神官――コボルド・シャーマン――として、群れの頂点に君臨する......。 というのが、コボルドに関する私たちの知識である。目の前のコボルドも、しゃべれる以上は、その『コボルド・シャーマン』に分類されるはずだが......。 「おいおい、ぬれぎぬの次は、蔑称かい? そいつはひでぇな」 そうなんだ。 コボルドの間では『コボルド・シャーマン』って蔑称だったんだ。 ......唐突な新情報に驚き呆れる、私とキュルケ。 「そんな差別用語なんかじゃなく、もっと気軽に......そうだな、コボルドだから『コボっちゃん』とでも呼んでくれ」 なんとも気さくなコボルドである。なんか、イメージ違うな......。 「......言ったろ? おいらは、ちゃんと『大いなる意志』を信仰してるからな! ほら、さっきだって、儀式のために木の皮を集めてたじゃねえか。これがシャーマンだったら、大自然のかけらではなく、生きた人間の肝を供物にするところで......」 自称コボっちゃんは、ふと、いぶしかしげな表情になり、 「......と待てよ......シャーマンと言やあ、だ......」 何か思い当たることでもあるのか、少し考え込んでから、話を続けた。 「ちょいと前から、このあたりで何度か、シャーマンに率いられたっぽい群れを見かけることがあったんだがね......。異端の狂信者どもに関わってケガでもしたらつまらんし......なんぞと思って無視したんだが、今にして思えば、奴らが......」 「真犯人、だと」 「ああ、たぶんな」 自称コボっちゃんは、キッパリと頷いた。 うーむ。 私は、またまたキュルケと顔を見合わせてしまう。 コボルドの生態やら考え方やら、どうにも私たちの知るものとは違うため、今の話に関しても、なんとも判断がつかないのだ。 まあ、それでも一応。 「......だいたいのところはわかったわ。じゃあ、私たちがひと肌脱ぐから、あんた、私たちと一緒に山を下りて、村人たちと話し合いなさいな」 「そうね、それがいいわね。あたしたちが間に立ってあげるから、きっと村人たちの誤解もとけるわよ」 キュルケと二人、それってトンと胸を叩く。 「......大丈夫なんだろうな......本当に......」 彼は不安そうな目で、私とキュルケを見比べる。 「なぁに、まかせなさいって!」 ######################## 「......とまあ、こいつ、こんなこと言ってるんだけど、どう思います?」 私は自称コボっちゃんの頭をポコポコ叩きながら、いならぶ村人たちに言う。 なお、叩こうが蹴ろうが何しようが、コボルドは反撃も反論もしてこない。魔力強化したロープで、口も体もグルグル巻きに縛り上げてあるからだ。 「でたらめにきまってるじゃねぇか!」 「コボルドの群れなんか見たことねぇぞ!」 「そうだそうだ! このまましばき倒しちまえ!」 「こいつがやったに違えねぇんだ!」 口々に叫ぶ村人たち。 私はコボルドの方を向くと、小さな声で言う。 「やっぱり説得は無理みたいね」 「これも運命だと思って、諦めるしかないわね」 薄情な言葉で、追い打ちをかけるキュルケ。 自称コボっちゃんは、何やらモゴモゴ言っているようだったが、なにせ先住魔法封じのために口を縛りつけてあるもんだから、単なる唸り声にしか聞こえない。 と、その時......。 「あ、あっちにも犬頭さんがたくさん!」 年端もいかぬ子供の声。 その意味するところを察して、私とキュルケがそちらに目をやると、はたして......。 雪に染まった山の端を、何匹ものコボルドが、わがもの顔で駆け回っていた。 ######################## 「コボルドだ......」 「ずいぶん多いぞ、ありゃぁ」 村人たちがどよめいた。 「ほーらやっぱり! このコボルドの言ったとおりでしょ!」 私が勢いづいて言うと、キュルケも言葉尻に乗る。 「ひとの言うことは信用しないとだめね」 「......けどあんたらだって、そのコボルドを信用してるようには見えんかったが......」 村人の一人がツッコミを入れるが、なんとも失礼な態度である。貴族に対する話し方ではない。 だが、とりあえず叱責もせず無視して、私はコボルドのいましめを解く。 「......てめえなぁ......いくらなんでもあの扱いはねぇぞ」 村人に聞き咎められるのを気にしてか、私にだけ聞こえるよう、小さくつぶやくコボルド。 どうやら彼は、私のやったことが不満らしい。足下を爆発させ、吹っ飛んで気絶したところをふん縛り、村人たちの前に引っ張ってきただけなのに。 いきなり魔法で抹殺しなかっただけ、マシというものではあるまいか。 ......って、これじゃ悪役のセリフだよ......。 「ともかく愚痴は後! 今はとにかく、あのコボルドたちのすみかに乗り込んで、やっつけるわよ!」 言うなり私は、茫然とした村人たちの方へと振り返り、 「待っていてください! 真の悪者は必ず倒してみせます! 私とキュルケと......このコボっちゃんとで!」 そして。 山に向かって、私たちは駆け出した。 ######################## コボルドの道案内があれば、さすがに話も違う。 今度は無駄に山をさまようこともなく、私たちはそれを見つけた。 「ここね......?」 「ああ、そうだぜ」 山の中腹にある、とある洞窟。 わざわざご丁寧に入り口は木枠で囲まれており、見張りのコボルドたちが周りをウロウロしていた。 「見張りは三匹ね......」 三十メイルほど離れた岩の陰から頭を出し、様子を探る私たち。 ここから洞窟ごと吹き飛ばし、中にいる連中も生き埋めにする......というのが一番簡単だが、それで中にボスがいなかったら、それこそ一大事。きっと村へ逆襲してくるに違いない。 だから面倒でも、実際に中に入ってみるしかないのだ。 「一人一匹ずつ......ってとこかしら?」 「ん? オイラも数に入ってんのか?」 キュルケの言葉に、意外そうな声を上げる自称コボっちゃん。 しかし意外なのは、こちらである。 「当然でしょ。そもそも村人たちからあらぬ疑いかけられてるのは、あんたなんだから」 「うーん......。異端な連中とはいえ、同じコボルドを痛めつけるのは気が進まんのだが......」 私の言うのも一理あると思ったか、彼は渋々、 「......わかった。じゃ、あの三匹はオイラがやるぜ」 「三匹全部!?」 私とキュルケの声がハモった。 「ああ。お嬢ちゃんたちじゃ、やり過ぎちまうだろうしな。......さっきのオイラへの仕打ちから考えて」 チラッと私の方を見て、何やら皮肉っぽいセリフを口にしてから、 「......我が契約したる枝はしなりて伸びて、我の行く手を遮る輩の自由を奪わん......」 先住の魔法だ。 白く染まった大地を突き破り、伸びてきた木の根っこ。それが三匹のコボルドを転倒させ、さらに後頭部をガツンと叩く。 「これでよし。あいつら、しばらく目を覚まさないぜ」 胸を反らして誇らしげに言う、自称コボっちゃん。 さすがに先住魔法を使えるだけあって、まともに戦えば結構な強さのようだ。 ......今のやり方を『まとも』と言うかどうかは別にして。 「わかったわ。じゃあ、行きましょうか!」 岩陰から飛び出し、私たちは洞窟に入っていった。 ######################## 洞窟の中は、外ほどではないが、それでもひんやりとしていた。 辺りの岩や石を踏んづけて音を立てないように、注意しながら奥へと向かう。 私やキュルケはコボルドではないので、暗い中では目が利かない。そのため今は、キュルケが『ライト』で小さな光源を作り出し、それを頼りに進んでいた。 「待て」 先頭を行く自称コボっちゃんの声で、私とキュルケも足を止めた。 突き当たりの曲がり角の奥から、気配がする。 私たちは身を屈めた。 ウグルル、ウグルルル......。 現れたのは、コボルドの一隊だった。 全部で四匹、それが棍棒を振りかざしながら、こちらに向かって来る。 「今度は私たちがやるわ」 「ああ、まかせたぜ。......でも、やりすぎるなよ?」 私と自称コボっちゃんが言葉を交わす間にも。 呪文を唱えていたキュルケの杖から、炎が飛び出す。ホーミング機能付きの『フレイム・ボール』だ。それは四匹の棍棒を次々と燃やし尽くし......。 ウグルル!? 得物を失ったコボルドたちが、驚愕の呻きを漏らすうちに。 今度は私が短く唱えた失敗爆発魔法が、彼らを襲う。 洞窟内なので、爆発は控えめ。それでも彼らは皆、洞窟の岩壁に叩きつけられ、意識を失った。 「これでいい?」 「ああ。ありがとな、殺さないでくれて」 倒れた犬頭の亜人たちを一瞥してから、私たちは、さらに奥へと進んでいった。 ######################## 洞窟は入り組んでいた。 頭の中に地図を作りながら、私たちはゆっくり歩く。 数百メイルほど進んだが、もうコボルドには出くわさなかった。 ......もしかして今頃、ボスのコボルド・シャーマンに率いられた本隊が、村を襲っているのでは......? そんな想像も頭に浮かぶが、杞憂であると信じて、とにかく進むしかない。 そのうちに。 「あれは......?」 奥の方から、ゆらゆらと蠢く明かりが見えてきた。 「へえ。こんなところに鍾乳洞があったのね」 そう。 コボルドの洞窟は、開けた鍾乳洞に繋がっていたのだ。 緩やかに下り、劇場ほどもある広い空間となっている。中央にはいくつものかがり火が焚かれ、赤々と照らされた祭壇と、動き回るコボルドたちの姿が見えた。 「......ほらな。異端だろ?」 自称コボっちゃんが、小さくつぶやく。 木の枝や動物の骨などを組み合わせて作られた祭壇には、岩を削って作られた犬頭の像が祀られている。 「騙されてる信者たちを殺すのは可哀想だ......。そう思ってコボルドたちの命は救ってきたが、シャーマンは別だぜ。こんな『神』を祀るとは、ふてぇ野郎だ。シャーマンには手加減する必要ねぇ。全力で殺っちまえ!」 話しているうちに腹が立ってきたのか、だんだん彼の声は大きくなってきた。 これでは気づかれてしまう......と、私が心配した時。 「......それはこちらのセリフだな......」 言葉と共に、祭壇の陰から、新たなコボルドが姿を現す。 私たちは息を呑んだ。 そのコボルドは、奇妙ななりをしていた。鳥の羽や獣の骨で出来た大きな仮面を被り、ドス黒く獣の血で染め上げられたローブを身に纏っている。手にした杖の頭にも、小さめの頭蓋骨がいくつか括り付けられており、何とも禍々しい形状となっていた。 獣臭と腐った血の匂いが混じり、むせかえるような悪臭が、こちらまで漂ってくる。 まるで氷の棒を突っ込まれたかのように、背筋がゾッとした。これがコボルドの神官......コボルド・シャーマン! 「おや、後ろの二人はメイジではないか。人間のけちな魔法使い。けちな魔法を崇める愚か者。山野で生きるすべを持たぬくせに威張り散らす、愚かな毛なしザル。そうだな?」 余裕タップリに語ってから、視線を自称コボっちゃんへと戻し、 「いまだに『大いなる意志』などを崇める時代遅れのコボルドには、ちょうどいい仲間ではないか。フワッハッハッハ......!」 高笑いするコボルド・シャーマン。 周囲を歩き回っていた信者コボルドたちも、いつのまにか、彼の背後で左右に整然と並んでいた。 「てめえ......よりにもよって『大いなる意志』をバカにするとは......!」 自称コボっちゃんが、ギリリと奥歯を噛み締める。今にも襲いかかろうとする表情だが、それを宥めるかのように、コボルド・シャーマンが軽く手を突き出した。 「やめておけ。愚かな古いコボルドよ。ここは我が契約している場所だ。お前が魔法を飛ばす前に、無数の石つぶてがお前を襲うだろう」 「ふざけるな! それこそ『大いなる意志』を否定するくせに......『大いなる意志』の力だけは借りようというのか!?」 自称コボっちゃんは、ハフハフと笑うコボルド・シャーマンに向かって、くってかかる。 「......フン。それが『契約』というものだ。......あと、間違えないで欲しいが、我は『大いなる意志』の力を『借りる』わけではない。ただ『利用』しているだけだ! フワッハッハッハ!」 「きさまっ!」 激高する自称コボっちゃん。しかし、彼は何とか自分を落ち着かせ、 「てめえこそ、何か勘違いしているようだから、一つ教えておいてやる。この洞窟も含めて、この山は全てオイラが契約済みだ。......てめえが山に来る、ずっと前にな。だから、てめえの契約は無効だぜ」 「なんだとっ!?」 驚きのあまり、コボルド・シャーマンは、左手の杖を取り落とす。 その瞬間。 「今だ!」 自称コボっちゃんの合図と同時に、私とキュルケの魔法がコボルド・シャーマンを襲う! 「うぎゃあああああ」 炎に焼かれながら、爆発四散するコボルド・シャーマン。 自分たちのボスが倒されたことで、信者コボルドたちは恐慌をきたし、一斉に逃げ出す。 こうして。 戦いは、あっけなく終わった。 「......ありがとよ。オイラの意図を読み取ってくれて」 「意図も何も......あれだけ長話してりゃあ、私たちの呪文詠唱は終わってるわよ。ねえ?」 私の言葉に、キュルケも頷く。それから、ふと思いついたように、彼女は問う。 「......でも、ここもあなたが契約済みだったっていうなら、あなた自身が倒しても良かったんじゃない?」 すると自称コボっちゃんは目を丸くして、 「......なんでぇ。お嬢ちゃんたち、気づいてなかったのか。ここもオイラが契約済み、っていうのはハッタリさ」 「......え?」 「考えてもみろ。こんな洞窟、今日初めて来たんだぜ。そんな辺鄙なところで、精霊と契約なんてしてるわけないだろ」 あ。 そういえば、彼は......。 この洞窟に入る前こそ先住魔法を使っていたが、洞窟の中では一切使ってなかったっけ。 途中のコボルドの相手を私たちに任せたのも、ここでは先住魔法が使えないからだったのか......。 「......まあ、あのシャーマンのバカが、どれほどの使い手だったのか、それも怪しいけどな。二重契約は無理って決めつけてたくらいだ。異端だけあって『大いなる意志』のことは全く理解できてなかったようだし......」 あらためて。 死んだコボルド・シャーマンを嘲笑うかのように、彼は小さく鼻を鳴らした。 ######################## 村に戻ると、自称コボっちゃんは一躍英雄と化した。 村人たちは、私とキュルケと彼のために、その日は宴会まで開いてくれたのだ。 彼は人の言葉も喋れることだし、これからはきっと、村の人たちとも仲良くやっていくことだろう。 なお、散り散りになった信者コボルドたちも、放っておいては村に迷惑をかけるかもしれない......ということで、例の洞窟にかき集めておいた。神官役がいなくなったため、今度は自称コボっちゃんが、彼らを率いていくらしい。 「異端じゃねえ、正しい信仰の道を説いてみせるぜ!」 と、彼も意欲に燃えている。 村の近くに『大いなる意志』信仰の拠点があっては、それはそれで困りそうなものだが、もはやすっかり村人たちとも打ち解けたため、何の問題もないらしい。むしろ、あれを観光名所にして村おこしが出来るのではないか、と村の者たちは盛り上がっていた。 「めでたし、めでたしね......」 酔っぱらったおっちゃんに酒をすすめられる彼を見ながら、私は何となくつぶやいた。 それをキュルケが耳にして、 「でも......一つ合点がいかないわね」 「何のこと?」 「ほら、この寒さよ。あのシャーマンのせい......って話だったけど、あいつを倒しても、マシになってないわよ?」 「そうねえ......」 たしかに、キュルケの言うとおりだ。 あのコボルド・シャーマンが怪しげな儀式をやっていたせいで、寒さも悪化した、というのであれば。 なんで回復の兆しが見えないのだろう? そもそも、天候を左右するような力が、あのコボルド・シャーマンにあったのだろうか......。 首を傾げあう私たちの耳に、ふと、自称コボっちゃんと村人の会話が聞こえてくる。 「......いやあ、いいんですよ、もう、そんなこと」 「いやいや、ほんっとに悪かった。あんたみたいな善良なコボルドを疑ったりしちまってさ。......なにしろ事件が大自然に関係あることばかりだっただろ。ナダレが起きたり、山火事が起きたり......。それで、こりゃあ『大いなるなんたら』ってやつだ、亜人のしわざだ、って......」 ぶぴゅうっ! 私とキュルケは、飲んでいたワインを同時に吹き出した。 みんなの視線が集まる。 雪崩......山火事......。 ひょっとして『悪さ』っていうのは、全て私とキュルケが......!? 「あ......あはは......いえいえ、なんでもありません」 「なんでもないったらないんです」 二人で揃って、慌ててパタパタと手を振ってみせる。 あんな祭壇を見ちゃったから、あのコボルド・シャーマンは悪者だ、って決めつけてしまったが......。 ちょっと信仰の対象が変だっただけで、特に悪いことはしてなかったのか!? ......そういえば、あそこにあった骨とか血とかも、人間のものじゃなくて鳥や獣のものばかりだったな......。 翌日。 挨拶もそこそこに、私たちが逃げるように村をあとにしたのは、言うまでもない。 (「冬山の宗教戦争」完) |
辺りには、冷たく湿った緑の匂いが立ち込めている。 土に埋もれ、苔と蔦に覆われた、明灰色の建物の前に、少女は佇んでいた。 村から少し離れた山の中。 彼女の聞いた話によると、村の青年数人が、肝試しがてら、面白半分でこの遺跡の奥に入り込み、それから数日を経た今もなお、彼らは戻ってきていない。 中で道に迷ったのか、あるいは......。 昔からこの遺跡には、おかしなバケモノが住んでいるとの噂があり、村人たちは怖がって入っていこうとはしない。 そこで村長は、学生メイジ姿の彼女に声をかけたのだ。彼らの安否を確かめて、無事ならば救出する、というのが今回の彼女の仕事である。 「はあ......」 遺跡を前にして、ため息をつく少女。 何かを否定するかのように首を振り、後頭部の大きな赤いリボンも、一緒に揺れる。 彼女は、なかなか中に入ろうとはしない。 慎重に観察している......というわけではない。ただ、躊躇しているのだ。 しかし、それも無理はないのかもしれない。 なにしろ......。 「なんで私......こんなところで、こんなことしているのかしら......」 彼女はトレジャーハンターとしては、まだ駆け出し。 いや、もっと正確に言うならば。 これがモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシの初仕事なのだから。 ######################## 長い金髪の縦ロールと鮮やかな青い瞳が自慢のモンモランシーは、れっきとした貴族の娘である。 水系統の魔法を得意とし、『香水』のモンモラシーと呼ばれ、トリステイン魔法学院での学生生活を楽しんでいた。 ところが......。 ラグドリアン湖の『水の精霊』との交渉役を代々務めてきた実家が、彼女の父の代で大失敗。なぜ突然『水の精霊』が機嫌を損ねたのか不明であるが、ともかく、ちょうど干拓事業をしていた時期でもあり、彼女の家は、経済的に大きなダメージを受けてしまった。 その結果。 貧乏に負けた彼女は、学院を飛び出し、トレジャーハンターとして旅を始めたわけだが......。 「ほんとは荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから」 この道を選んだのは自分なのに、それでも愚痴が出てしまう。 とはいえ、ずっと遺跡の入り口で立ちすくんでいるわけにもいかない。 「......そうよね。でも、この仕事は人命救助。私にはうってつけ。だって私は『水』の使い手......」 自分自身に言い聞かせてから、入り口に向かって、一歩、足を踏み出すモンモランシー。 だが......。 ガサゴソ......。 「ひっ!?」 近くの茂みが音を立て、怯えた彼女は、また足が止まってしまう。 そちらに目を向けると......。 「コ......コボルド......!?」 そう。 三匹のコボルドが、顔をのぞかせていた。 コボルドは亜人であるが、本来は夜行性。しかも臆病で、こうして昼間から出てくることは珍しい。 「い......いや......来ないで......」 後ずさりするモンモランシー。 コボルドたちは今や、茂みから完全に体を出し、彼女の方に歩み寄ろうとしている。 らしくない時間帯に出没するくらい、奇特な彼らだ。好奇心も旺盛なのであろう。 どうやら、しばらくボーッと突っ立っていたモンモランシーを茂みの中から見ていて、「何だろう?」と興味を抱いて出てきたようだ。 「ウグルル......」 独特の唸り声を上げながら、モンモランシーに近づくコボルドたち。 彼ら自身の意図はともかく、彼女にしてみれば、恐怖以外の何ものでもない。 「......や......やめて......。それ以上、近寄るなら......」 震える手で、モンモランシーは杖を振り上げる。 でも......。 自分の使える呪文のストックに、攻撃魔法なんてあったっけ!? パニックに陥り、何を唱えていいのかすら、わからなくなるモンモランシー。 その時。 シュッ! 彼女とコボルドたちの中間地点に突き刺さる、一本の赤い薔薇! 「ウグル!?」 「誰!?」 モンモランシーもコボルドも皆、薔薇が投げつけられた方へ視線を向けた。 少し離れた小高い丘の上。 そこに立つのは......。 「私は赤薔薇の騎士。......金髪ロールよ、泣いてばかりでは何も解決しないぞ。美しき乙女に涙は似合わない......」 キザな口調で語りかける男。 なぜか夜会服に身を包み、それ用の帽子も被っている。帽子の下からのぞく髪の色は金色で、クセのある巻き毛だった。 顔には白い仮面をつけているが、それは目の部分を覆うのみ。知る人が見れば、彼が誰なのか一目瞭然......。 「何が『私は赤薔薇の騎士』よ! 気どっちゃって! ......あなた、ギーシュじゃないの!」 思わず叫ぶモンモランシー。 それは魔法学院における学友の一人、ギーシュ・ド・グラモンであった。 名門グラモン伯爵家の四男であり、『青銅』のギーシュという二つ名で呼ばれる彼は、まだドットメイジでありながら、同時に七体の青銅ゴーレムを『錬金』で作り出し、操ることが出来る。 ......と、メイジとしての腕は悪くないのだが、その性格は、ナルシストで気障。しかも女好き。 多くの女性を口説きまくる中、どうやら本命はモンモランシーだったようで、まあ、彼女の方でも、まんざらでもない気持ちだったのだが......。 少し付き合っただけでも、彼の浮気性には愛想がつきてしまった。なにしろ、並んで街を歩けばキョロキョロと美人に目移りするし、酒場でワインを飲んでいれば、自分が少し席を立った隙に給仕の娘を口説く。しまいにはデートの約束を忘れて、よその女の子のために花を摘みにいってしまう。 ......思い出しただけでも、腹が立ってくるモンモランシー。彼女は怒りを込めて、突き放したように言う。 「何やってんのよ!? こんなところで! しかも、そんな格好で!」 「......え? ほら、こうやって助けに入る場面では、変装して正体を隠すのが定番かと思って......」 バレちゃあ仕方がないと言わんばかりに、彼は仮面をむしり取る。上着と帽子も脱ぎ捨てれば、中から出てきたのは、黒いマントに、白いシャツ、グレーのスラックス。つまり、普通の学生メイジの格好である。 シャツはフリルのついた派手なタイプだが、これがギーシュの『普通』であることを、モンモランシーはちゃんと知っていた。シャツのポケットに挿してある薔薇が造花であり、彼の『杖』であることまで、当然のように彼女は知っていた。 「......と、そんなことより! 僕は......君を追ってきたんだよ!」 大きく叫んで、モンモランシーに駆け寄るギーシュ。 彼女に抱きつこうと、両手を大きく広げながら、 「モンモランシー! 愛してる! ダイスキだよ! 愛してる! 愛してる!」 彼にギュッと抱きしめられ、モンモランシーは一瞬、うっとりとしてしまった。 さきほどは演出で役になりきっていたため少し違ったようだが、基本的に、ギーシュはボキャブラリーが貧困。だから彼は、とにかく「愛してる」を連呼してくるわけで、そのセリフを何度も言われると悪い気はしないのであった。 それでも。 「ちょっと、やめてよ。こんなところで」 人が......いや、コボルドが見ているのだ。 モンモランシーは、ギーシュを振りほどこうとする。 それに反応したのか、彼の口説き文句に装飾がついた。 「ああ! 君はまるで薔薇のようだ。野薔薇のようだ。白薔薇のようだ。瞳なんか青い薔薇だ」 薔薇ばっかり。 やっぱり語彙が少ないギーシュである。 自分でも気づいたのか、ちょっと趣向を変えて、 「ほら、この髪なんて......まるで金色の草原だ。キラキラ光って星の海だ。いや海じゃない、湖だ。湖に住む『水の精霊』にも負けない美しさ! 君の前では『水の精霊』も裸足で逃げ出すんじゃないかな」 しかし、しょせんはギーシュ。 言葉の選択が、思いっきり失敗だった。 「その『水の精霊』のせいじゃないの!」 モンモランシーが、ドンとギーシュを突き飛ばす。 「......『水の精霊』のせいで......私の家は......だから私は......」 両手で顔を覆って、ウッ、ウッと嗚咽を漏らすモンモランシー。 そんな彼女を、ギーシュは優しく抱きしめる。 モンモランシーは、そのまま彼の腕の中に顔を隠すようにしながら、軽く握った拳をポカポカと、彼の胸に当てていた。 「......私はもう......学院の生徒でもないの......。だから......あなたは帰って......。たくさんの女の子が、あなたの帰りを待っているはずよ......」 「何を言うんだい。君を追いかけてきた、と言っただろ? 僕も......あそこを辞めてきたんだ」 「......え?」 手を止めて、思わず顔を上げるモンモランシー。 見上げれば、ギーシュが穏やかに微笑んでいた。 「君がいない魔法学院なんて、薔薇の消え去った花壇のようなもの。あんな場所に留まっていても意味はない」 「ギーシュ......」 あの浮気性の彼が......ついに自分だけを見てくれるようになったのか!? うっとりした顔で、モンモランシーはギーシュを見つめた。 目を閉じて、自分から顔を近づける。 ギーシュの声は、耳に心地良く続いており......。 「中心に美しく咲く薔薇があってこそ、他の薔薇も輝くのだ。だから君がいてこそ、他の女の子たちも魅力的に......」 一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。 目をパッチリ開けて、体をのけ反らし、再びギーシュをポカポカ叩く。 「もう! やっぱり、あなたなんて!」 「え? 何か......気に障ること言ったかな?」 戸惑う彼を叩き続ける彼女。 しかし。 何も本気で殴っているわけではないのだ。 もしもギーシュの友人がこの場にいたら、きっと怒りに肩を震わせながら言ったであろう、「ありゃあ、茶番だよ」と。「メインディッシュの前の軽い前菜だ。イチャイチャの前の、ちょっとした隠し味だ」と。 そう。 モンモランシーだって、心の底では、ギーシュが来てくれて、嬉しいのだ。 そして。 二人のそんな心情は、人間ではないコボルドにすら、明々白々だったらしい。 恋人同士の戯れに呆れて......。 コボルドたちは、静かにその場をあとにした。 ######################## 「なるほど......トレジャーハンターか......。ふむ、それはそれで面白そうだね」 「面白いとか面白くないとか、そういう問題じゃないの! 遊びじゃないんだから! 私は......これで稼がなきゃいけないのよ!」 「何を言うんだい? それは僕も一緒だよ。こうして君と二人で旅をする以上、もう僕たちは一心同体だ」 「何が一心同体よ......。どうせちょっと可愛い子がいたら、そっちに目移りするんでしょ!?」 「いや......それは責めないでくれたまえ。勇者には、勇気と武勲の数だけ愛があるのだから」 「ちょっと!? せめて『そんなことはない』って、否定くらいしなさいよ! 」 やいのやいの言い合いながら、遺跡の中を進んでいく二人。 一人では入るのを躊躇っていたモンモランシーだが、なんだかんだ言って、ギーシュが一緒ならば心強いのだ。 「しかしモンモランシー、トレジャーハンターだというなら、なぜ、人命救助の仕事なんて引き受けたんだい?」 「だって......」 私は『水』の使い手だから、と言いかけて。 もっと相応しい理由を思いつく。 「......ほら、遺跡って言えば、奥に色々とお宝がゴロゴロしてる、っていうのが定番でしょ?」 「ああ、そうか。さすがは僕のモンモランシーだ。モンモランシーは賢いな」 もはや白い仮面はつけていないが、それでも金髪をかきあげながら言うギーシュ。 「そんなこと言われても......ごまかされないわよ......」 いつのまにか浮気の話題も流れてしまったが、敢えて蒸し返さずに。 モンモランシーは、あらためて周囲を観察する。 事前に聞いた話では、この遺跡は、昔の大きな建物が埋没し、天然の洞窟とくっついたり、落盤を起こしたりなどして、かなり複雑な迷路になっているらしい。 たしかに、中に入ってから結構歩いたはずだが、まだ迷宮の奥に辿り着く気配はない。 もはや入り口からの光も見えず、杖の先に灯した魔法の明かりだけが頼りである。それに照らし出されるのは、寄り添って歩く二人の姿と、どこまで続くとも知れぬ、シミとヒビだらけの天井......。 「うっ......」 小さくうめくモンモランシー。 どうにも不気味なのだ。使われてもいないのに、たいまつ立てだけが壁にズラリと並んでいる。しかも、魔獣の顔のようなデザインで。 「どうしたんだい?」 「な......なんでもないわ......」 時々、見たこともない奇妙な虫が、壁を走って逃げていく。虫は光に驚いたのであろうが、驚きの声を上げたいのは、むしろモンモランシーの方だ。甘くすえたようなよどんだ空気も、嫌で嫌でたまらない。 ギーシュにしがみつく腕に、自然にギュッと力が入る。 それでも。 空いた方の手に持つ小石をチョークとし、壁にキュイッと印を付けながら。 彼女はギーシュと共に、奥へ奥へと歩いてゆく......。 ######################## 「声が聞こえる」 ポツリとつぶやき、モンモランシーは足を止めた。 「声......? そんなものは......」 ギーシュの言葉も、途中で止まる。 確かに......。 暗い迷宮の奥深く、どこからともなく響いてくるのは、まぎれもなく人の声だった。 その内容までは聞き取れないが、複数の声が何やら会話を交わしているようである。 「オバケ......かな?」 「そ......そんなわけないでしょ......。おどかすのはやめてよね」 口ではギーシュの言葉を否定しながらも、モンモランシーは、その可能性を頭に思い浮かべてしまう。 怖くなった彼女は両腕で彼にしがみつき、それでも言葉だけは堂々と、 「きっと、私たちが探し求める相手よ!」 それから、声を限りに叫ぶ。 「おーい! 生きてるー!?」 しばし、ためらうかのような沈黙。 そして......。 何やら大騒ぎする声がわき起こった。 「ほらみなさい! 心霊現象なんかじゃないわ!」 「......どうやら無事なようだね」 安心した二人は、声がしたとおぼしき方に向かって、再び歩みを進める。 やたらと音が反響しまくる迷宮の中、いくどか道を間違えながら......。 やがてギーシュとモンモランシーは、ようやく目的の場所にたどり着いた。 廊下の壁に、一枚の大扉。巨大な竜の頭のレリーフ付きだ。 声は、その向こうから響いていた。 「どうやら、中からは開けられないようだな......」 「そうみたいね」 やたらと内側から、誰かがドンガドンガと叩いているのだ。 「はい、はい。今、開けてあげるから、騒がずに少し下がっててね」 言ってモンモランシーは、『アンロック』の呪文を唱えてみる。しかし扉は閉ざされたまま。 「......何か仕掛けがあるのかしら?」 「あからさまに怪しいのは......」 二人の手が同時に、竜の浮き彫りへ。 重なり合った手と手で、竜の瞳を押した瞬間。 カコンッ。 どこかで小さな音。 続いて、扉が思ったよりも軽い音を立て、ゆっくり内側へと開いていく。 部屋の中を一瞥したとたん。 「ぎゃあああああああ」 「いやあああああああ」 ギーシュとモンモランシーの悲鳴が、洞窟の闇にこだました。 ######################## 部屋にいたのは......いや、部屋に『あった』のは、無数の死体。 完全に白骨化したものから、腐りかけた肉の残ったもの、それに、かなり原型を留めたものまで。 そんな中。 「いやあ。待ってましたよ」 一人の男が、ニコニコ顔で佇んでいた。 三十歳くらいの青年で、服はもはやボロボロ。だが、マントの成れの果てらしきものを羽織っており、杖も持っている。村の平民ではなく、貴族であろう。 先ほどの声は、彼一人が、死体に話しかけるものだったようだ。 しかも。 この男、こんな気持ち悪い死体の中で、平然としているだけでなく......。 「ぎゃあああああああ」 「いやあああああああ」 再び叫ぶ、ギーシュとモンモランシー。 なんと男は、体のあちこちの肉がドロリと腐り落ち、骨の一部が見えているのだ。 「......あ、これですか? あんまり気にしないでくださいね。どうも死体と一緒の時間が長過ぎたせいか、私まで死体みたいになっちゃって。ははは......」 あっけらかんと語る男。 だが......。 ギーシュもモンモランシーも、ちゃんと聞いてなどいない。驚きと、生理的嫌悪に突つかれて、二人は全力疾走で逃げ出していた。 ######################## 「な......なんだったのかしら......あれ......」 はぁはぁ肩で息をしながらモンモランシーが言ったのは、勢いでトコトン走り回った後であった。 「さあ? 平民には見えなかったけど......」 「それ以前に、人間には見えなかったわよ!」 しかし腐った死体など、物語の中だけの話。あんなバケモノが笑ったり喋ったりするなんて、見たことも聞いたこともないのだが......。 「いやだなあ。私を置いていかないでくださいよ」 後ろからかけられた声に、ゾッとしながら振り向くと......。 いた! さきほどの、腐りかけ貴族! 「......だから言ったじゃないですか。あんまり気にしないでください、って。もう一度、言っておきますが......ちょっと死体と長いこと一緒だったせいで、性質が似ちゃっただけなんですよ。......ほら、夫婦も長年連れ添うと似てくるって言うでしょ? あれと同じですよ」 「そんなわけあるかああああ」 二人のツッコミの声がハモる。 しかし腐りかけ貴族は、白骨化した手でボリボリ頭をかきながら、困ったように、 「......そう言われましても......ほら、私という実例が、目の前にあるわけだし。......まあ見たところ、あなたがたも村長に頼まれて、消えた村人の捜索に来たのでしょう?」 「......え?」 生理的不快感に耐えつつ、半ば顔を逸らしながら、二人は一応、男の話に耳を傾ける。 「一度は私、この遺跡の一番奥まで到達したんですよ。でも、そこにも紛れ込んだ村人なんておらず、黒い棺があるだけ」 「棺......?」 「はい、そうです。......しかも、どうやらその辺から、記憶が曖昧というか、とびとびになってるというか......」 そこまで語ったところで、男が急に言葉を止める。 ウッと小さく呻き声を漏らすと同時に、苦しそうに体を屈ませて......。 「どう......したのです......?」 恐る恐る問いかけるギーシュ。 それに答えるかのように、男は再び顔を上げた。 だが......。 今まで見せていたような穏やかな表情とは違う。 目は血走り、口の隙間からは牙が覗き、ふでゅる、ふしゅる、と獣のような妖魔のような吐息が漏れている。 その豹変ぶりにピンときて、モンモランシーは叫んだ。 「あなた......『屍人鬼(グール)』だったのね!」 ######################## メイジが一匹、使い魔を使役できるのと同じように、吸血鬼は血を吸った人間を一人、意のままに操ることができる。それが『屍人鬼(グール)』である。 なるほど、彼が『屍人鬼(グール)』であるというなら、記憶の欠如も当然であろう。 屍人鬼(グール)になってしまった人間も、いつもは普通の者と特に変わりはない。送り込まれた血が解放された時のみ、吸血鬼の操り人形となるのだ。ちょうど今、二人の前で男が豹変したように......。 「奥にカンオケがあった......って話で、気づくべきだったわ。この遺跡は......吸血鬼の住処だったのね!」 「......ということは......よくわからないが、彼はバケモノなのかね?」 「そうよ」 頭の鈍い彼氏に、端的な言葉を返すモンモランシー。 いったん屍人鬼(グール)になってしまっては、もう元には戻れない。死して、吸血鬼に操られているだけの存在に過ぎない。要は先住の『水』の力で動く死体と同じなのだ。 ......『水』の使い手であるモンモランシーは、そうした知識をちゃんと持っていた。 「始祖よ。不幸な彼の魂を癒したまえ」 小さく祈りの言葉を口にした後、続いて呪文を詠唱。 今にも飛びかかろうとしていた屍人鬼(グール)に、水の塊をぶつける。 だが。 モンモランシーの魔法では、攻撃力が足りなかった。たいしたダメージを与えられない。 それを見て。 「ふむ。倒すしかないというのであれば......僕に任せたまえ!」 ギーシュが薔薇の造花を掲げて、呪文を唱えた。 女戦士の形をした青銅ゴーレムが、七体、その場に出現。 舞い散る花びらのような動きで、一斉に屍人鬼(グール)に斬りかかる! 「すごい......」 思わず感嘆の声を上げるモンモランシーの目の前で......。 七体のゴーレムに切り刻まれ、屍人鬼(グール)は、あっけなく崩れ落ちた。 ######################## 「......ふぅ」 一つの戦いを終わらせ、ギーシュが額の汗を拭った時。 『......困るな......我がしもべを塵にされては......』 声は唐突に後ろからした。 「なっ!?」 ギーシュとモンモランシーは、揃って振り返る。 屍人鬼(グール)はバラバラにしただけであり、『塵』は言い過ぎ......なんてツッコミを入れる余裕もなかった。 「......どこ......?」 声はすれども姿は見えない。何かの影はもとより、気配すらもありはしない。 しばらく二人で、キョロキョロと辺りを見回し......。 「もしかして......あれかな?」 ギーシュが指さしたのは、壁にズラリと並んだ、たいまつ立ての魔獣の顔。その口は、たいまつを差し込むための穴だと思っていたが......。 どうやら、もう一つの用途があったらしい。壁の中に伝声管が走っており、ちょうど『口』から声が出てくる仕組みになっていたのだ。 『......ほう......。元気がよいだけでなく、なかなか賢い生け贄だな。それでこそ、我が血肉となるに相応しい』 「いけにえ......?」 おうむ返しに、小さくつぶやくモンモランシー。 一方、ギーシュは壁にビシッと指を突きつけ、 「何者だ!?」 『......我は、この迷宮の主にして高貴なる闇の血を引くもの......』 「吸血鬼ね!」 最後まで言わせず、モンモランシーは叫んだ。 「何っ!? 吸血鬼だとっ!?」 「さっき説明したでしょうがっ!」 ギーシュに対して、モンモラシーが律儀にツッコミを入れている間に、今度は当の吸血鬼が、低い含み笑い。 『ふっ......察しがいいな......』 「あったりまえでしょうが! さっきから『塵』だの『高貴』だの『闇の血』だのと、何でもかんでも大げさに言っちゃって! そんな言い方するの、吸血鬼とギーシュくらいなもんよ!」 言ってから、これではギーシュを貶しているようなものだと気づき、彼女は慌てて言い直す。 「......そもそも! 屍人鬼(グール)が出てきた時点で、話のネタは割れてるのよ!」 「そうか......そういうことだったのか......」 ようやくギーシュも理解したらしいが、とりあえず、そちらは放っておく。 今は、吸血鬼との舌戦である。 『......ふっ......口先だけの人間め......。まあ、いい。そこまで言うのであれば......来てみるがよい! 我がもとへ! 暗黒の貴族の名に相応しい我が力、とくと見せつけてくれるわ!』 言葉と同時に、通路のどこか遠くから、かすかな明かりが漏れてくる。 「ええ、行ってあげるわ! どうせ、もう使役する屍人鬼(グール)もいないんだし、だったら恐くないわ! 遺跡の宝も、あなたが貯め込んだ宝も......全部すっかり私が貰ってあげるから!」 モンモランシーは、力強く宣言した。 ######################## 光の強くなる方に向かい、二人は暗い通路を進む。 ただし暗いとは言っても、まだ魔法の明かりは灯したまま。歩く上には支障はない。 「しかし......相手は吸血鬼か......」 歩きながら、ギーシュがつぶやく。 たとえ屍人鬼(グール)抜きだとしても、吸血鬼は、やはり手ごわい相手である。なにしろ吸血鬼は、先住魔法を操る亜人なのだ。 「大丈夫よ」 隣を歩くモンモランシーは、もうギーシュに寄り添う弱々しい少女ではない。自信に満ちた声で、しっかりと自分の足で歩いていた。 「......吸血鬼と戦うのは、私じゃなくて、あなただから」 「え......?」 一瞬、ギーシュの足が止まる。 そんな彼に、彼女は厳しい視線を向けて、 「当たり前でしょ。ほんとは私、荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから! ......あなたとのコンビでは、あくまでも私は頭脳労働担当よ」 「そ......そんな......」 しかしギーシュは言い返せない。女の子にカッコいいところを見せるのは、確かに男の役割だな、と納得してしまったのだ。 「......それに......」 再び歩き出したところで、モンモランシーは言葉を続ける。 「まだギーシュは理解してないでしょ。私たちがはめられた、ってことすら」 「え? どういうことだい?」 今度はギーシュも立ち止まることなく、いぶかしげな視線だけを彼女に送る。 「さっきあの吸血鬼が、私たちのことを『生け贄がどうの』って言ってたわよね」 「......そう言えば何か、そんなことを言っていたような気もするね」 「つまり、はじめっから、ここに迷い込んだ村人なんていなかったのよ」 「はあ?」 ギーシュは目を丸くする。 「ほら、英雄伝承歌(ヒロイックサーガ)なんかで、よくあるじゃない。魔物が山とかに住み着いて、近くの街や村に生け贄を要求する、ってパターン。......あの吸血鬼、それを本当にやったのね」 「......」 まだよくわかっていないっぽい彼のため、彼女は、さらに懇切丁寧に、 「たぶんこうよ。ある時この遺跡に、あの吸血鬼が住み着いて、近くの村に、定期的な生け贄を要求してきた。でも村の人たちは当然、村から生け贄なんて出したくない。そこで、旅の学生メイジとか、貴族くずれの傭兵メイジとかに『遭難者の救助を頼む』って嘘ついて、ここに送り込むわけ。......生け贄として、ね」 「ふーむ。それが本当だとしたら......とんでもない話だな......」 「そうよ。ここの吸血鬼を倒したら......次は、あの村長さんにキチッと挨拶しに行くわよ!」 おそらく先ほどの屍人鬼(グール)も、そうやって騙されて送り込まれた人の成れの果てだ。 彼を弔う意味でも、村の連中からはキッチリ取り立てるべきであろう......。 そう考えると、自然、厳しい表情になるモンモランシーであった。 ######################## やがて二人は、一枚の大きな扉の前に立つ。 どうやって開けるのか、考える必要もなかった。 「よく来たな......」 声と共に、扉がゆっくり開いていく。 ......今度は伝声管を通したものではなく、直接、聞こえてきた。つまり、この中にいるということ! そこは薄暗い灰色の部屋。中央は一段高くなっており、その上にあるのは黒い棺。 「それじゃカンオケの意味ないじゃない......」 モンモランシーがつぶやいたように。 棺の中ではなく、その上に彼は座り込んでいた。 金髪の髪を後ろになでつけ、黒いマントを身に纏った長身の男......。 「お初にお目にかかる。私がこの迷宮の主。残念ながら名前は......」 「......人間には発音することもできない、とでも言いたいわけ?」 パターンを察して、先取りするモンモランシー。 しかし。 「......いや、違う。名前は忘れた」 「え?」 目が点になる二人。 「フッフッ......。浅はかな人間どもめ......。どうやら驚いたようだな」 「......そりゃあ......まあ......」 「......なにしろ私は、悠久の時の中を生きてきたからな......。それに、ここでは孤独を愛しており、名前など必要もなかった......」 呆れたようなモンモランシーの声に、言いわけがましく応える吸血鬼。 言葉を飾り立ててごまかしているが、要するに『トシでボケた上に一人で引きこもっていたら名前も忘れた』ということだ。 「だが......精霊との契約は忘れておらぬぞ!」 言って吸血鬼は、バサリとマントをひるがえす! 「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」 「ギーシュ!」 吸血鬼が精霊に呼びかけると同時に、モンモランシーは叫んだ。 彼女の意をくんで、ギーシュは青銅のゴーレム『ワルキューレ』を用意する。これで二人をガードするのだ。 さきほどの吸血鬼の呪文から考えて、どうやら石礫が飛んでくるらしい。ギーシュもモンモランシーもそう考えて、青銅ゴーレムの後ろに隠れつつ、身構えたのだが......。 「何よ......それ......」 小指の先くらいの小石が三つ、ふわりと空中を移動し......。 ぺちんっ。 遥か手前で、ゴーレムに叩き落とされた。 「今のが......先住の魔法......なの?」 「見ると聞くとでは大違いだねえ」 呆れる二人の前で、大げさに騒ぐ吸血鬼。 「おおおおっ! 馬鹿なっ! 我が最大の術がっ!」 「あれが最大!? あなた......もうボケちゃって、先住魔法も忘れちゃってるんじゃないの!?」 「私を馬鹿にするなっ! 忘れてなぞおらぬっ! 五歳の頃から、我が術の威力は変わっておらぬわっ!」 つまり。 昔っから魔法が苦手だった、というわけだ。 「......いばれる話じゃないでしょ!」 「どうやら、僕の敵ではなさそうだね」 モンモランシーの当然のツッコミと、ギーシュの余裕のセリフと共に。 青銅ゴーレム『ワルキューレ』が吸血鬼に襲いかかり、彼をタコ殴りにするのであった。 ######################## 「......意外と少ないのね」 落胆をあからさまにするモンモランシー。 彼女の肩に、ギーシュが優しく手をのせた。 「まあ、こんなものなのだろう。まさかこの状況で、隠したりはしないだろうし」 ギーシュは視線を、床に転がった吸血鬼へと向ける。 ボコボコにされた吸血鬼は、ギーシュの土魔法で拘束され、すっかりおとなしくなっていた。 「はい! それで全部です! 私が持ち込んだ宝も、遺跡で見つけた宝も!」 弱気になったとみえて、もう口調も態度も、まるで別人である。 「......仕方ないわね。じゃあ、もう帰りましょうか」 「この......吸血鬼は、どうするんだい?」 「そのまま、そこらへんに転がしとけばいいんじゃないかしら」 「そんな殺生な! せめて拘束だけでも解いてって下さいよ!」 吸血鬼の悲鳴は、当然のように無視。 宝を詰めたバッグをギーシュに持たせて、モンモランシーは考える。 さて、どうやったら外へ出られるのか。 ギーシュの『錬金』で外まで一気に穴をあけるというのが一番簡単な策だが、どちらへ掘ったらいいのか、方角がわからない。それに、ちょっと距離があり過ぎる気がする。ギーシュはドットメイジ、彼の精神力では無理っぽい......。 ならば。 一応、途中まではチョークでつけた印がある。それを何とか探し出す、というのが現実的なプランであろう。 「ねえ、ギーシュ」 「なんだい、愛しのモンモランシー」 「気づいてた? あちこちの壁に、私がチョークで色々と書いてたの」 「ああ、あれね......」 ギーシュの微笑みが、女性に向けるものから、小さな子供に向けるものへと変わる。 「トレジャーハンターに身をやつしたとはいえ、僕たちは、れっきとした貴族だ。あまり感心しないな、子供みたいなイタズラは」 「......へ? イタズラ......って......」 「あちこち見境なしに落書きしていたわけだろう? ちゃんと僕が消しておいたよ、全部」 ぴしっ。 モンモランシーの表情が、まともに凍りつく。 「......ん? どうしたんだい、急に......?」 「あ......あなたって人はっ! なんてことしてくれたのよっ! あれは落書きなんかじゃなくて、出口までの目印だったのよっ!」 「そうだったのか! いやあ、そういうことは先に言ってくれないと......」 「普通に考えればわかるでしょ!? ......というか、言葉ナシでもわかりあえるのが恋人同士ってものでしょ!?」 二人が目と目で通じ合う仲になるのは、まだまだ先の話のようである。 「はあ......」 盛大にため息をつきながらも、モンモランシーは頭を切り替える。今はギーシュを責めている場合ではない。 彼女は、キッと吸血鬼に向き直り、 「......ここにこのまま放置されて朽ち果てるのが嫌なら......教えてもらいましょうか、出口までの道順を」 「出口までの道順ですか......」 迷宮の主であるはずの吸血鬼は、なぜか遠い目で、 「ならばまず、私がここに来た夜の話から始めないと......」 「そんなこと誰も聞いてないわよ」 「まあ聞いてくださいな。......故郷の地を追われ、さまよう私の目の前に、ある日この遺跡の入り口が現れて......」 「いや、だからね......」 「私はここを第二の故郷にすると決め、さっそく近くの村に降り、月に一度の生け贄を要求しました。そして引き返し、この新しい住処の奥へと入ってきたわけですが......」 話を聞いているうちに、モンモランシーの表情が変わっていく。 ......なんとなく、オチが予想できたのだ。 「思ったより内部が複雑でしてね。はっきり言って、どこがどうなっているのか、さっぱりわからんのですわ」 やっぱり! 想像していたとはいえ、それでも言葉を失うモンモランシー。 一方ギーシュは、むしろ親しげに、 「ひょっとして、君も迷ったのかい? では、僕たちと同じだな」 「そういうことになりますかね。一応律儀に生け贄は届けられているようですが、私のところまで来たのは、最初の一人のみ。......ほら、あの屍人鬼(グール)にした彼ですよ! あの彼以外は、途中で迷って、どこかで無駄に死んでるみたいで......。それに屍人鬼(グール)の彼だって、使いに出したら迷子になってしまって......」 「なるほど......そういう事情だったのか......」 「そうなんです! 正直、食事のことも含めて、すっかり困っておりまして......。はっはっは」 吸血鬼のバカ笑いが、モンモランシーの脳を直撃した。 ぷつっ......。 「埋めて! 埋めちゃってっ! こんなアホ吸血鬼っ!」 「ひぃぃぃぃっ!? お助けぇぇぇぇっ!」 「ああっ! モンモランシー! 彼を滅ぼしたところで、問題は解決しないよ!?」 ######################## 結局。 脱出するのに四日かかった。 遺跡を出る頃には、精も根も尽き果てて......。 村へお礼参りする話も、スッカリ忘れ去られていた。 こうして。 いきなり最初からケチがついたような感もあるが......。 ギーシュとモンモランシーの、トレジャーハンターとしての冒険が今、始まったのである! (「私の初めての……」完) |
ぽきぃぃん。 よく澄んだ、そしてやたらとカルい音を立て、剣はいともアッサリへし折れた。 「......あ」 「うっわどわぁぁぁぁぁっ!?」 サイトの間の抜けた声と、案内係のおっさんの悲鳴が辺りにこだまする。 「ちょっとぉぉぉっ! どうしてくれるんですかっ!? 剣折っちゃって! いくら貴族とその従者さまとはいえ、やっていいことと悪いことがあるってもんでしょうっ!?」 怒りと焦りの表情で、私たちに詰め寄るおっさん。 「何言ってんの!? そもそも! どこの世界に、つまずいて寄っかかっただけでポッキリ折れるような伝説の剣があるのよ!」 返す私の言葉に、彼の顔がザアッと青ざめた。 「......うっ......。そ......それは......」 「なあ、ルイズ。もういいじゃん。きっと......そういう伝説の剣だったんだろ」 とりなすサイトの言葉に、おっさんは表情を取り戻し、 「そ......そうです! さすがは貴族の従者さま、いいことを言う! ......これはそういう仕様の、そういう伝説の剣なんです!」 「んな剣があるかあああああっ!」 ちゅどーん。 私の怒りのエクスプロージョンは、おっさんもサイトも二人まとめて吹き飛ばした。 ######################## 「なあ......なんで俺たち、剣なんて探してるんだっけ?」 吹っ飛んだおっさんは放置して、回復したサイトと二人で村へと戻ったその後。 とあるメシ屋で鳥のローストをぱくつきながら、サイトは言った。 私はハシバミ草のサラダを口に入れたところだったが、その苦みに顔をしかめつつも、サラッと答える。 「だって、サイトには新しい剣が必要じゃない」 私の使い魔サイトは、頭はクラゲ並みのバカ犬であるが、なんとガンダールヴと呼ばれる伝説の使い魔。武器を握らせたら、もう凄いのなんの。 その上、しばらく前までは、始祖ブリミルが作ったデルフリンガーというこれまた伝説の剣を持っていたりしたのだが、その魔剣は、私に関わるゴタゴタの中で、ついに砕け散ってしまった。 「俺、別にこの刀でもいいんだけど......」 背負った剣にチラッと視線を向けるサイト。現在の彼が使用しているのは、日本刀といって、サイト同様、異世界から紛れ込んできた物だが......。 「何言ってんのよ」 私はサイトの皿から鱒型のパイをつまみ取り――だって自分のはもう食べちゃったんだもん――、それで口直しをしてから、 「あんたは確かにガンダールヴよ。それでも絶対無敵ってわけじゃないわ。やっぱり......それなりの武器が必要なの」 そう。 魔剣デルフリンガーはインテリジェンスソードであり、色々と助言やら解説やらもしてくれたわけだが、それだけではない。デルフには、魔法吸収能力という凄い機能が付加されていたのだ。 今まで、何度それに助けられてきたことか。 しかも、どうやらサイト、まだそのデルフを持っていた時のクセが抜けていないのだ。つい最近も、どこぞのメイジと戦った際、敵の炎を剣で受け止めようとして、危なく黒コゲになるところだったし......。 「でもさあ......」 再びチラリと、背中の日本刀に目をやるサイト。 この刀、とある黒髪巨乳のメイドからプレゼントされたものでもあるわけだが......。 まさか、だから愛着がある、なんて言わないわよね!? 「......剣探しなんかより、もっと大事なことが他にあったような気がするんだが......」 はあ。 気がするんだが、ではない。 私たちの旅の最大の目的は、サイトを元の世界へ帰す方法を探すこと。 これは事実である。 でも、そんなものは簡単には見つからないのだ。『世界扉(ワールド・ドア)』という虚無魔法を使えばよい、ということまでは判明したが、ではどうすれば習得できるか、これがまた難しい。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』か『写本』が必要になってくるが、そんなもん、どこぞにポンポン転がっているわけもない。 ならばそれを探しつつ、ついでにサイトには新しい武器を......というのが、私たちの現状である。 ......今日たまたま立ち寄ったこの村にも、運よく伝説の剣の噂があった。 案内係のおっさんに連れられて、私たちは村はずれの岩場まで出向いたのだが、そこにあったのは、それらしき飾りをつけた剣を岩に食い込んだように細工しただけのシロモノ。 しかも、見物料は要求されるわ、剣を引き抜くにもチャレンジ料が必要と言われるわ......。つまりは、村おこしのための観光イベントだったのである。 「......思い出しただけでも、なんだか腹が立ってきたわ......」 「ん? 何の話?」 「なんでもない。忘れて」 ちょうど私たちが、そんな言葉を交わしたタイミングで。 「......おお! おったおった!」 戸口から聞こえてきたしわがれ声に、なんとはなしに振り向けば、そこには一人の老人と、さっきの案内係のおっさんの姿。 二人はツカツカとこちらに歩み寄り、老人の方が、辺りをはばかるような低い声で、 「......失礼じゃが......さきほど裏山で剣を抜くのを試された方々じゃな?」 「そうだけど? ......ひょっとして、私たちが『伝説の剣』折っちゃったから、苦情でも言いに来たとか?」 あくまで笑顔を浮かべつつ、嫌味を飛ばす私。 老人は、ひきつりかけた愛想笑いで、 「いやいやとんでもありません。......わしはこの村の村長をしておる者なのじゃが......」 私の隣で腰をかがめて、声をひそめて話し始めた。 「ごらんのとおり、豊かな村とは言えんでのう。大きな街道からは遠く、交易ルートからは外れておるし、なにより、名物になるようなもんもない。そうなると......やはり、ああいうこともせねばならん。わかってくれるかの?」 なるほど。つまりは伝説がインチキだという事実を言いふらすな、ということか。 「......とりあえず、いただいた見物料と引き抜きチャレンジ料は、お返ししておきます」 言って村長は、懐から小さな革の袋を出して、テーブルの上にコトンと置いた。 「......代金を返す、と言ったわりには、分量多いような......」 村長と案内係をジロッと睨みつけると、彼らは一瞬、体を退きながらも、 「......いやまあ......そこはそれ......やはり、あちこちでおかしな噂なぞが流れて、この村の評判が落ちたりする、というのは困るのでな......」 「ですから、どうか、これで内密に......」 案内係にいたっては、もみ手までしている。ちょっと気持ち悪いぞ。 「......ふーん......。これでめでたく、インチキも再開できる、ってこと......?」 私の言葉に、ギクッとする二人。やっぱり。 「でも口止め料にしては、これ、はした金じゃない?」 「......し......しかし、それ以上の出費は......。おおっ! そうじゃっ!」 村長は、ポンと一つ手を叩き、 「あなたがた、剣を探しておいでのようですな? さいわいにも、わしは、その手の伝説を一つ知っておりまする! それをお教えしますから、どうか、ここは一つ......」 「......剣の伝説......ねぇ......」 なにしろ、インチキ剣を仕掛けていた村長の言葉である。胡散臭さ満点であり、私はロコツに眉をひそめた。 「......どうせそっちもガセなんじゃないの......?」 「いやいやっ! これはわしが関わっている話ではないので、信憑性がありますぞ! 少なくとも、そういう話がある、ということだけは、まぎれもない事実ですじゃ」 そういう太鼓判の押し方は、いかがなものか。そう思わんでもないが、 「......ふーん......。ま、そこまで言うなら、とりあえず、話だけでも聞いてあげましょうか」 「おお! それでは......」 村長は、さらに声のトーンを落として、 「......ここから東にある大きな街道まで出て、さらに北に数日のところに、エギンハイムという村があるのじゃ」 「へえ、それで?」 「その村の近くに、『妖魔の森』と呼ばれる場所があっての。その森に秘密の洞窟があり......」 ......森の中の秘密の洞窟......? なんだか、いきなり嘘っぽくなってきたような......。 「......その奥に、岩に刺さった一本の......」 「まだ言うかこの口はあああああ!?」 ちゅどーん。 私の怒りのエクスプロージョンは、今度は村長とおっさんの二人を、店の外まで吹き飛ばすのだった。 ######################## 「......ったく......作り話するにしても、あれは酷すぎるわよね......」 嘘つき村長とその仲間のおっさんは放置して。 私とサイトの二人は、あの村をあとにしていた。 透けるような青空。ポカポカ暖かい陽気。 馬に引かれた荷車が、ゴトゴト音を立て、街道をゆく。 のどかな光景に、だんだん私の心も穏やかになっていった。 「けどよ、ルイズ、この先どうすんの?」 サイトがそう問いかけてきたのは、街道の先に、森に囲まれた小さな村が見えてきた頃。 「ま、とりあえずエギンハイムにでも行ってみましょうか」 「エギンハイム?」 私の答えに、サイトは微かに眉をひそめ、 「......どこかで聞いたような名前だな......」 「だからぁ。......さっきの村の嘘つき村長が言ってたでしょ。伝説の剣があるって村」 「ああ、そのエギンハイムか......。って、どうせそれもインチキじゃねえの?」 「たぶんね」 「......?」 私の言葉に、しばし沈黙するサイト。 のどかな鳥の鳴き声だけが、しばし辺りを支配した。 「......そう思うなら、なんでそのエギンハイムとやらに行くんだ?」 「ほかに行くアテもないもん」 正直に言う私。 剣にしろ魔法にしろ、伝説級の話など、そうそう転がっているわけではないのだ。 ならばダメでもともと、とりあえず行くだけ行ってみればいい。観光気分でノンビリ気楽な旅というのも、たまには悪くはないはず。 「......別にエギンハイムにこだわってるわけじゃないから、もっと面白そうな情報を途中で入手したら、行く先を変えればいいし......」 そんな私の言葉が呼び水になったのか。 っづどぉぉぉぉん! 遠い爆音が、のどかな空気を吹き飛ばす。 音の源は......探すまでもない。行く手に見える村の片隅から、一筋の黒い煙が立ち昇っている。 「......噂をすれば何とやら......ね......」 「こういうのを『面白そう』っていうのは不謹慎な気が......」 「とにかく行くわよ! サイト!」 「おう!」 トラブルあるところ、危険ともうけ話あり。 私とサイトは、村の方へ向かって駆け出したのだった。 ######################## 私たちが現場に到着した時、すでにそこには村人たちの人だかりが出来ていた。 一同の目の前には一軒の家。『火』の魔法でやられたらしい。完全に溶かされるほどの高熱ではなかったようだが、一部が完全にガレキと化して、くすぶり、煙を上げている。 「どうしたの!?」 問う私に、戸惑い顔の村人たちが、 「音に驚いて来た時には、この有様で......」 「ここにゃあ女の子が一人、住んどったんだ!」 「通りかかった貴族のメイジ様が、ガレキ撤去を始めてくださったのですが......」 村人の一人が指さす方向を見れば。 確かに三体のゴーレムが、まだ煙のくすぶるガレキをヒョイヒョイどけていた。 金属製の光沢を示すゴーレムで、形は人間の女性、それも戦士のようだ。本来はこういう作業ではなく、戦いの際に用いるものなのだろう。 「でも......そのメイジってどこ?」 「はあ。ゴーレムに命令を下した後、お連れのかたと一緒に、どこかへ......」 ふむ。 無責任な話である。 「......あの......あなた様もメイジであるなら......」 「うん、まかせて! 私も......」 手伝おうと言いかけて、言葉を飲み込む私。 何しろ、私の得意は爆発魔法。虚無魔法のエクスプロージョンは言わずもがな、魔王の力を借りた呪文も似たようなものだ。 ......中にいる人を救助しようというのに、吹き飛ばしてどうする。 まあ他にも『解除(ディスペル)』というのを使えるが、あれは魔法を無力化するだけ。ここで放てば、せっかく作業しているゴーレムを、元の土だか何だかに戻してしまうことになる。 ......それもダメじゃん。 「ルイズの魔法って......こういう時は役に立たないよなあ......」 私の内心の葛藤を読み取ったかのように、ボソッとつぶやくサイト。 「仕方ないでしょ! 向き不向きってもんがあるのよ!」 思わず反射的に彼を叩いてから、村人たちに向き直り、 「中に人がいるっていうのは確実なの!?」 「......いや、もしかしたら外に出ていたかも......」 ふむ。 ならば、それを探すという口実で、ここから立ち去るか......。 そんな考えが頭に浮かんだ時。 っごぉぉぉん! 二度目の爆音は、裏手の森の中から聞こえてきた。 「じゃあ、私たちは元凶を何とかしてくるわ!」 ひとこと言い残してから、サイトと一緒に、森の中へと駆け込んでゆく。 しっとりとした緑の匂い。 爆音に驚いたか、はたまた殺気を感じたか、鳥たちのさえずりは聞こえない。 そして......。 どぐぉぉぉぉぉんっ! 三度目の爆音は、思ったより近くで聞こえた。 私とサイトは、顔を見合わせ頷いて、音のした方へと向かって走り出した。 ######################## 「......くっ!?」 猫を思わせる身軽さで、少女は、サンッと草むらに着地した。 美しい透き通るような金髪に、これまた澄んだ垂れ気味の碧眼。とんでもない美少女であるが、澄んだ瞳は冷たい何かに彩られており、表情も氷のように動かない。 着ているものは、ぴったり体にフィット。士官服のようにも見えるが、どこの国の軍服とも違う。メイジでもなさそうなのにマントを羽織っているのと合わせて、たぶん、いささか衣装のシュミが変わった人なのであろう。 変わっていると言えば、耳も普通の人より長いようだが......。まさか、こんなところにエルフがいるわけないし......。 「......逃げられると思ってるんじゃないでしょうね?」 その目の前に、まさしく影のごとく佇むのは、これまた普通ではない少女。 なにしろ、全身に黒衣を纏っているのだ。 目以外を隠した暗殺者スタイル......にも見えるが、暗殺者とは、どことなく雰囲気が違う。裏の世界の人間にしては、なぁんか甘ちゃんな空気が漂っている。 「たとえ私の手から逃げおおせたところで! その後いったい、どうするつもり? ......頼るべく身内もなく、帰るべき家も、もはや私の魔法で吹っ飛んだ。夜空の下で、一人孤独に頬を濡らすの? ......くだらぬ意地など張らず、おとなしく私と一緒に来るべきよ」 「......ったく......見かけのわりにはペラペラとよくしゃべるわね......」 黒ずくめ少女に向かってそう言ったのは、金髪少女ではなく。 「......!? なにっ!?」 黒ずくめが振り向いた視線の先には......言うまでもない。爆音と、戦いの気配とを追って、ようやくこの場に辿り着いた私とサイト。 「何者よ!? あなたたち!?」 「あんたみたいな、自爆するほど怪しい格好の奴に、正直に名乗るバカはいないわよ」 「『怪しい』ですって!? それじゃ私、悪人みたいじゃないの!」 声を荒げて、彼女は言う。 ......いやはや、その格好で善玉のつもりとは......。 「大体あなたたち! 何者か知らないけど、なんでこんな所にいるの!?」 「通りかかった村の家が魔法で壊されてて、森の中から爆発音が聞こえてきた。......これだけ騒ぎがあれば、誰でも見にくるわ。で、あんたに聞くけど、あんたの住んでる辺りじゃあ、いきなり他人の家を吹き飛ばして、その住人をさらおうとする奴のこと、悪人とは言わないわけ?」 「......そ......それは......」 言葉に詰まる黒ずくめ少女。 だが、それでも。 「......い......いいのよ! こっちにはこっちの事情があるんだから! あなたの知ったことではないわ!」 「......ま、何にしても、だ」 言ってサイトが、一歩踏み出す。 舌戦は私の勝ちで終了と見てとって、割り込むタイミングだと考えたらしい。 「見過ごすわけにはいかねえな。口で負けたからおとなしく撤退......なんてつもりはないんだろ?」 「負けてないわよ!」 怒ったように叫んで、黒ずくめは杖を構えた。 ......ふむ。 格好や態度はともかく、その構えを見る限り、メイジとしての腕前は悪くないらしい。 一方この間、追われていたはずの金髪少女は、なぜか動こうともせず、ジッと事の成り行きを見守っていた。 私としては、こちらが黒ずくめと言い合いしているその間に、サッサと逃げて欲しかったのだが......。口に出して、そう言うわけにもいかないし。 「俺は......サイトだ」 背中の日本刀を抜いて、キチッと名乗るサイト。 それを受けて、黒ずくめ少女も。 「私は、ビー......」 しかし。 「やめなさい!」 彼女の名乗りを遮るかのように、そのすぐ後ろから、叱責の声が聞こえてきた。 ザムッと小さく草を鳴らし、私たちの前に姿を現したのは、ビーなんとか――氏名不詳――と同じく、全身黒ずくめの少女。 気配を隠して潜んでいたらしい。 とすると、金髪少女が動かなかったのは、この黒ずくめ二号の存在を察知していたからであろうか? 私でさえ気づかなかったというのに......。 ともかく。 黒ずくめ二号の叱責に、ビーなんとかは思いっきりうろたえて、 「で......でも......エー......」 「私の名前も言っちゃだめ!」 エーなんとか――黒ずくめ二号――の怒声が、ビーなんとかの言葉を再び止める。 「......部下だか仲間だか知らないけど......こういうのと一緒だと、あんたも苦労するわね」 「よけいなお世話よ。......しかし......」 私の言葉に、エーなんとかはこちらへ向き直り、 「......悪いけど、口封じさせてもらうわ。呪うなら、不用意に首を突っ込んだ自分たちと、ビーコの口の軽さを呪いなさいね」 いや、あんたも口が滑ってるけど......。 どうやらビーなんとかの名前はビーコというらしい。へんな名前。 「しゃっ!」 気合いを声に発して。 そのビーコが、最初に動いた。 木々の間を縫い、駆け抜けて、サイトとの間合いを一気に詰める。 ......速い! しかもいつのまに唱えていたのか、杖には『ブレイド』の魔法がかかっていた。どうやら、サイトと斬り合うつもりらしい。 ......いや、一対一で遣り合うつもりはないようだ。ビーコのすぐ後ろには、エーなんとかも続いている。 なるほど、メイジの私より剣士のサイトの方が仕留めやすいと判断して、サッサと二人がかりでサイトを倒してしまうつもりか。 「......バカね......」 サイトの実力を見誤ったのも愚かだが、一瞬でも私に隙を見せたのも愚か。 私は普通のメイジとは違う。詠唱時間ほぼゼロで、魔法を放つことが出来るのだ! ちゅどーん。 私のエクスプロージョンで、まとめて吹き飛ぶ黒ずくめたち。 近くにいたサイトも一緒くたに飛んだけど、まあ、彼は大丈夫よね。 「......っなっ......!? 味方まで巻き込むとは......!?」 慌てて草の上に身を起こし、呆れた口調で言うビーコ。 直撃ではなかったとはいえ、なかなか素早い復活である。 ......暗殺者スタイルだけあって、それなりに体術の訓練はしているのかもしれない。あの一瞬で上手く受け身をとってダメージを抑えたというのであれば......。 「サイト! 大きいの一発行くわよ! 当たったらゴメン!」 半分ハッタリの私のセリフに、黒ずくめ二人だけでなく、サイトにも動揺が走る。 「......ち......ちょっと待て、ルイズ! 考えなおせ!」 「......ルイズ!? もしかして『ゼロ』のルイズ!?」 私の名前に真っ先に反応したのは、それまで黙って見物を決め込んでいた、例の金髪少女。 続いて、エーなんとかが驚きの声を上げる。 「......ゼ......ゼロのルイズですって!?」 「知ってるの!?」 問いかけるビーコに対して、エーなんとかが頷きながら、 「胸はないわ背丈はないわ教養はないわ、無い無い尽くしのあまり、ついた二つ名が『ゼロ』のルイズ! あまりの非常識ぶりに、魔法学院も追い出されたとか......」 おい。 どうせ噂なんてロクなもんじゃない、って、わかっちゃいるけど......。 ......いくらなんでも酷過ぎるだろ!? 事実無根にもホドがある! 呆れた私が、怒りのエクスプロージョンを撃つのも忘れて硬直していると、 「......相手が悪いわね......しかし......二対二ならば、まだ勝機はあるかしら......」 小さく舌打ちするエーなんとか。 その時。 「......では、四対二ならどうかな?」 声は後ろ......つまり、村に近い方から聞こえてきた。 黒ずくめたちの姿を視界の端にとらえたままで、肩越しに後ろを振り向けば、そこには一組の男女の姿。 どちらも年齢は、私やサイトと同じくらい。格好は私と同じく、旅の学生メイジ姿。ただし男のシャツは、フリルのついた奇抜なデザイン。......今日は服装の趣味がへんな人ばかり出てくるような気がする。 二人とも金髪で、男はややクセのある巻き毛。女は長髪を縦ロールで飾っており、頭の後ろには大きな赤いリボン。 「......で、どうするの? これ以上ここでバタバタやっていると、村のみんなも来るかもしれないわよ?」 今度は女の方が言う。 黒ずくめも、これには納得したらしく、 「......ちっ......! 今日のところは......撤退!」 二人同時に、茂みの奥へと飛び込み、消えていった。 やがて、遠ざかる気配が完全に途絶えた頃。 「さすがは僕のモンモランシーだ! 杖も振るわずに、口だけで奴らを追い返してしまったね!」 キザな仕草で前髪をかきあげながら、少年が仲間を褒める。 しかし少女は軽く手を振って、 「はいはい。......言っとくけどギーシュ、褒めたって何もないわよ。あと、あなたの所有物みたいな言い方はやめてね」 どうやらこの二人、ギーシュとモンモランシーという名前らしい。 若い男女が二人っきりで旅しているだけあって、ただのオトモダチって雰囲気でもなさそうだ。 ......一応ことわっておくが、私とサイトの場合はメイジと使い魔であるから、『若い男女が二人っきり』であっても、そのパターンには当てはまらないぞ。うん。 さて、ギーシュの言葉を軽くあしらったモンモランシーは、今度は例の金髪少女に声をかける。 「......久しぶりね、ファーティマ。今の黒ずくめの連中も......ひょっとして、あの杖がらみなのかしら?」 これで彼女の名前も判明した。 ......しかしファーティマとは珍しい名前だ。奇抜なのはファッションだけではない、ってことか。 そのファーティマ、相変わらず冷たい表情で、 「知りません」 うーむ。 私も事情を知りたいところなのだが......。 これは私が聞いてもダメでしょうね。 ならば、話してくれそうな人を選ぶまで。 「ねえ、そこのハンサムなメイジさん......えっと、ギーシュっていったっけ? 私たちにも事情を説明してくれないかしら?」 服装や仕草からして、たぶん、こいつはナルシスト。適当におだててやれば、ペラペラしゃべるに決まっている。 案の定。 「ああ、君たちも巻きこまれたようだね。うん、それなら話を聞く権利が......」 「だめよ、ギーシュ」 言いかけた彼を、モンモランシーがピシャリと制止する。 「え? でも......」 「いいから! ここは私にまかせて」 うーん。 このモンモランシーという少女、『あの杖がらみ』とまでは口を滑らせたくせに、それ以上はガードするつもりか。 まあ、まったく隙がないというわけでもないので、適当に突っついていたら、ボロを出すかもしれん。 ......というわけで。 「あら、なあに? ヤキモチのつもり? 大丈夫よ、私、あんたのオトコなんかに興味ないから。ただ、ちょっとばかし、状況を教えてもらいたいな......ってだけなの」 彼女の心情を刺激するようなセリフを口にしてみる。 しかしモンモランシーは、フフンと笑って、 「何も知らないなら知らないで、下手に口を出さないでちょうだい。好奇心丸出しで何でもかんでも首を突っ込むのは、平民のやることだわ。......あなた、ちょっとは有名なメイジみたいだけど、どうせ、たいした家柄じゃないんでしょ」 むかっ。 私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだ。トリステインでも有名な公爵家の三女だというのに......。 ......いやいや待て待て、これはモンモランシーの罠だ。向こうは向こうで、貴族のプライドを利用して、私をやり込めようとしているのだ。そうはさせん、向こうがその気なら、こちらは......。 「......なあ、ルイズ......」 「サイトは黙ってて!」 「......いや、だけど......あの女の子、行っちまうぜ?」 「......へ?」 私を遮るサイトの言葉に、慌てて視線を巡らせば、一人スタスタ村の方へと戻りゆくファーティマの姿。 「......あ......ちょ......ちょっと!」 「待ってよ、ファーティマ!」 モンモランシーも気づいて、女二人で彼女を追う。 男たちも、黙ってついてくる。彼らは私たちの後ろで、何やら自己紹介っぽい言葉を交わしているが、女同士はチト話が違う。 「......なんであなたたちまでついてくるわけ?」 ジト目で問いかけるモンモランシーに、私もジト目で見返して、 「村がこっちだからに決まってるでしょうが。あんたたちこそ、なんで彼女につきまとってるわけ? なんだか嫌われてるみたいだけど」 「あら。あなたは自分が好かれてるとでも思ってるのかしら?」 「少なくとも、あんたたちよりは、ね」 「そもそもあなたたちって、相手にもされてないんじゃないの?」 森の中にギスギスした空気をまき散らしながら、並んで進む私たち。 そんな状況でも、私の頭は冷静に回転していた。 ......おそらくこの二人、モンモランシーの言った『あの杖』とやらが目当てで、ファーティマにつきまとっているのであろう。そして、あの黒ずくめたちの狙いも同じ......。 性格や態度やファッションセンスはともかく、黒ずくめたちもこの二人も、メイジとしての腕前は、そこそこ良さそう。そんな連中が狙っている『杖』とやらが、そんじょそこらに売っているようなシロモノのはずがない。 となれば! 私たちも引くわけにはいかない! 困っているファーティマを助けて、恩を売って......。 「んにゃあぁぁぁぁぁぁっ!?」 いきなり上がったファーティマの悲鳴が、私の思考を中断した。 「どうしたの!?」 言って私は、彼女の方へと駆け寄った。 ......色々考えたり、モンモランシーとギスギスしていたりする間に、一行は村まで辿り着いていた。 悲鳴を上げて硬直したファーティマの前には、集まった村人たちと、整然と並んだ三体のゴーレム。そして、もはや単なるゴミと化した、かつては彼女の家だったものがあった。 「無事だったのかい!?」 「何があったんだ!?」 口々に問う村人たちを無視して、ファーティマが小さな声でつぶやく。 「......私の......家......」 「......ああ。それなら通りかかった貴族のメイジ様が、あんたがガレキに埋まってるんじゃあないか、ってことで、ゴーレム作り出して片づけてくれたんだけど......」 村人の一人が説明するが、その視線はギーシュに向けられていた。 このゴーレムは、どうやらギーシュのものだったらしい。 私はニヤリと笑いながら、彼の方を向き、 「なるほどね。彼女の家って、一部は魔法で吹き飛ばされてたけど、一部はまだ使える感じだったのに......ご丁寧にあんたがとどめを刺した、ってわけね」 「......うっ......」 「もう、ギーシュったら! だから、ゴーレムに何かさせるならさせるで、ちゃんとそばにいなきゃいけなかったのよ! それを、家にいなかった可能性もあるから探しに行こう、なんて言い出して......」 「......え? それを言い出したのは君のほう......」 仲間のモンモランシーからも責められるギーシュ。 当のファーティマは、当然のように冷たい視線......じゃなかった、今や怒りの視線を彼に向けていた。 「......家、どうしてくれるの......!?」 結局。 とりあえずその日は、ファーティマは村の宿屋に泊まることに。もちろん代金を払うのはギーシュたち。 思わぬ出費を強いられて、ギーシュ本人よりも、なぜかモンモランシーの方が頭を抱えていた。 ######################## 「まあ機嫌なおせよ、ルイズ」 「別に怒ってなんかいないわよ」 その晩。 食事を終わらせて部屋に戻ると、サイトが私に、なだめるような、呆れたような声をかけてきた。 ......村の宿屋は一軒きり。私たちも、ギーシュやモンモランシー、それにファーティマと同じ宿に泊まるしかなく、ついさっきの一階の食堂でも顔をあわせる形となっていた。 「......機嫌なおすべきなのは私じゃないわ。あのファーティマって子じゃないの」 そう。 なんとか話を聞き出そうと、彼女と同じテーブルについてみれば、やはり同じ魂胆で同席してくるギーシュとモンモランシー。 肝心のファーティマは私たち四人を無視して、不機嫌な表情のまま、ただ黙々と料理を口に運ぶだけ。少しでも雰囲気を変えようと、とりあえず話の矛先を他に持っていこうとしてみても、私とモンモランシーの口ゲンカという形になるだけであった。 「そりゃあ、そうだけど......」 「大丈夫よ。きっとファーティマだって、一晩寝れば、少しは気分も変わるでしょ。話を聞き出すのは......明日の朝ね!」 そう決めつけて、私はサッサとベッドに入ったわけだが......。 ######################## 「ファーティマなら、朝早くに出ていきましたよ」 「......へ......?」 宿の主人の言葉に、私たち四人の目は点になった。 一夜明けて。ファーティマを除く四人で、やはりギスギスした空気の朝食をとったあと。 やって来る気配のない彼女を案じて、私が部屋をのぞいてみれば、もはやそこには誰もいない。 慌てて宿屋の主人に問い合わせてみれば......。 今の答えが返ってきた、というわけである。 「......あ......あの......で、彼女、どこへ行く、とか言ってなかった?」 私の問いに、宿の主人はしばし考えて、 「うーん......行き先は何も言いませんでしたが......」 「他に何か、言ってたことでも!?」 「一つだけ......」 「何!?」 「宿代は金髪のメイジからもらっといてくれ、と」 言われて、渋々ギーシュが金を出す。 「......ということは、ファーティマ、もう戻ってこないつもりなのね......」 確認するかのようにつぶやくモンモランシー。 敢えて頷いたりはしなかったが、これには私も同意である。 モンモランシーたちには聞こえぬよう、サイトの耳元で、 「行くわよ」 「......え? 行くって......どこへ?」 「ファーティマを見つけなきゃ! まだその辺りにいるかもしれないし、探しに行くのよ!」 そして私たちは、散歩にでも行くような素振りで、その場をあとにして......。 ######################## 手ぶらで宿に戻ってきたのは、昼すこし前のことだった。 「うーん......家の跡にはいないし、村の人たちも彼女のこと見てないようだし......。ひょっとしたら、もうこの村にはいないのかも......」 食堂のテーブルに座って、薄いワインで喉を潤しつつ、私は沈んだ声で言った。 「......けどよ、そうすると、どうするんだ? これから」 問うサイトに、私はため息ついてから、 「どうするったって......彼女がいないんじゃあ、どうしようもないじゃない。この話は、もうおしまいね」 「そっか。そういや、あの二人も諦めて立ち去ったみたいだしな」 「......あの二人?」 サイトの言葉で、モンモランシーとギーシュのことを思い出した。 私たちがファーティマを探しに行った時、あの二人は、すぐに動こうとはしなかった。私たちがコソッと出かけたから気づかなかった......にしては、少しおかしい。 ギーシュはともかく、モンモランシーの方は、少しは頭も回る感じだった。ファーティマを探すのが先決だということくらい、理解していたはずだ。 ならば。 彼らも今頃、ファーティマを探して歩き回っているのか、あるいは......行き先に心当たりがあって宿を発ったのか!? 「......ん? どうした、ルイズ?」 私は慌てて席を立ち、宿の主人の姿を探した。 「ちょっと教えて! 今朝、私たちと一緒にいた二人連れ......彼らがどうしたか知ってる!?」 「どうしたも何も......宿代払って出ていきましたよ」 厨房の奥で何やらメイドに指示を出していた彼は、私の質問に素直に答えてくれた。 「どこへ?」 「......さあ、そこまでは......」 彼は尋ねるような視線を近くにメイドへ向けたが、メイドも「知りません」という表情で首を横に振る。 「......じゃあ、あの二人のことで、何か知ってることあったら教えて」 「そう言われましても......あなた様と同じ、旅の学生メイジの方々なのでしょう? 数日前から泊まっていて、頻繁にファーティマのところへ行っていたみたいですが......」 「前からの知り合い......とか?」 「さあ? なにしろファーティマも、昔っからここに住んでた、ってわけじゃないので......」 彼の話によると。 ファーティマは、ヨシアという少年と一緒に村にやってきて、二人であの家で暮らしていたらしい。 ファーティマの出自はともかく、ヨシアの方は、元々はエギンハイムという村の生まれで......。 「エギンハイム!?」 私は、思わず言葉を挟んでしまった。 インチキ伝説剣の村長が言っていた地名である。たしか『妖魔の森』とやらに剣があるという話だったが......。 「エギンハイムって......近くに怪しい森があるっていうエギンハイム?」 「『黒い森』のことですね? そうです、そのエギンハイムです」 「私、知ってますわ。ヨシアさんがエギンハイムの村を追い出されたのも、その『黒い森』がらみの事件が原因だったんです」 近くにいたメイドが、話を補足する。 しばらく前に、エギンハイム近くの『黒い森』に、翼人の集団が住み着いた。翼人たちは、最終的には討伐だか追放だかされたという話だが、なんとその翼人の一人とヨシアが恋仲だったらしい。 翼人も先住魔法を使う亜人であり、ハルケギニアに住む人々からは敵視される存在。その少女と親密になったヨシアも、村には居づらくなり、追われるようにして、村を飛び出したのだった。 「......で、ここへ来る途中、どこかでファーティマさんと出会って意気投合したらしいのですが、ほら、ファーティマさんって......あれでしょう?」 「あれ......とは......?」 「えぇっと......格好も変わっているし、なんだが、耳も普通の方々より長くて......」 「エルフみたい、ってこと?」 「そうです。だから私たち、噂してたんです。ヨシアさんって、亜人マニアだったんじゃないか、って」 そのヨシアも、はやりやまいでポックリ逝ってしまい、残されたのはファーティマ一人。 「......実はファーティマさんも亜人で、ヨシアさんが彼女と出会ったのも『黒い森』だったんじゃないか......。最初は、そういう噂まであったんですよ。でも彼女、ああ見えて意外と性格は良い人なので、村のみんなのウケは良く......」 メイドの話は、だんだんと無責任な噂話に変わってゆく。 聞いているフリをしながら、私は適当に聞き流していた。 ......これだけ聞けば十分である。 ファーティマの関わる『杖』というのが、嘘つき村長の言っていた『エギンハイムの魔剣』なのだ。噂が噂として伝わるうちに、微妙に形が変わっただけであろう。 つまり。 いまだ全貌は明らかではないが......。 謎を解く鍵は、エギンハイムにある! (第二章へつづく) |
「えーっと......つまり、そのエギンハイムって村に、杖だか剣だかがあるってことか?」 昼食をとり、村を発ち。 エギンハイムに続く街道を行く道すがら。 私の事情説明に、サイトは、しばし考えてからそう言った。 「そういうことね」 「だけどよ......杖と剣じゃあ大違いだろ? たしかにガンダールヴは、どんな武器でも使えるはずだけど......杖じゃなあ......」 「相変わらずのバカ犬ね、サイトは」 「......え?」 「何も無理して、あんたが使う必要はないのよ。杖といっても、どうせ普通の杖じゃないはずだし......例えば、魔力を増強するアイテムだったりしたら、私が使えばいいじゃない」 「そうか! 魔力増強したら、今は使えない呪文も、使えるようになるかもしれないよな!」 サイトの声には、喜びの響きが混じっていた。 たぶん『世界扉(ワールド・ドア)』が使えるようになるって期待しているのだろうが......。 そんなに簡単な話ではない。あれはおそらく、魔力容量うんぬんの問題ではないのだ。 「......おっと。喜ぶのは後回しだ。今は、とりあえず......」 厳しい表情でサイトがヒタリと足を止めたのは、街道が、鬱蒼とした森のそばにさしかかった時のことだった。 私には察知できない程度の気配を感じ取ったらしい。 こういう人通りのない森のそばは、待ち伏せにはうってつけの場所。 根拠はないが、相手はあの黒ずくめたちではないだろうか。 ならば......。 「......私たちを待っていてくれたのかしら? エギンハイムで何が起こっているのか、教えてくれたら嬉しいんだけど......」 言って私も立ち止まり、森の方へと視線を向けた。 これ以上存在を隠していても意味がないと判断したのか、風の中に声が流れる。 「......あの娘には関わるな......」 晴れ渡った青空の下には似つかわしくない、低く押し殺した、聞き覚えのない男の声だ。例の黒ずくめ女とは違う。どうせ同類だと思うけど。 「あの娘って? 一体誰のこと?」 「知らぬふりをするなら、それでもかまわん」 とぼけてみせる私に、声は冷静に続けた。 いまだに気配と姿は隠したままである。 「......へぇ。どうやらあんたは、あのビーコとかいう女とは違って、少しは頭があるようね」 「私が聞きたいのはイエスかノーかのどちらかだ」 私がかまをかけても、のってこない。あいつらの仲間なのか、あるいは、同じお宝を狙う別グループなのか、それくらいは特定したかったんだけど......。 それでは、こういうのはどうだ!? 「そんなに『杖』にご執心なわけ? あんたたちの御主人様は?」 「......イエスか、ノーか」 うーむ、強情な奴だ。 では......。 「......手を引け、なんて言ってるけど、あんたたち、ファーティマが今どこにいるのか知らないでしょ? それを知ってるぶん、こっちの方が断然有利よ。そっちこそ諦めて引き下がったら?」 私のハッタリに、声はしばし沈黙した。 そして。 ヒュッ! 何の前触れもなく、森の中から、何かが私たち目がけて飛び出した。 とっさに飛び退いた私とサイトの足下に、小さなナイフがいくつも突き刺さる。 続いて、逃げた先を狙うように、第二のナイフ群が! しかし! キンッ! これは全て、サイトが日本刀で弾き飛ばす。 「......なにっ!?」 こちらの対応の早さに、驚きの声を上げる襲撃者。 「そこねっ!」 ナイフの飛んできた辺りの茂みに、私が爆発魔法を叩き込む。 間一髪、吹き飛ぶ緑を割いて、陽光の下に黒い影が躍り出る。 黒ずくめのその姿は、性別こそ違えど、例の二人と同じ。 「......やっぱりビーコたちの仲間ね!」 私の言葉に、男は無言で地を蹴り、こちらの方へと向かう。 「させるかっ!」 叫んだサイトが、左手のルーンを輝かせながら、これに立ち向かった。 男もナイフを手にして、サイトとの斬り合いに挑んだが......。 ザッ! ガンダールヴにはかなわない。 横薙ぎの斬撃を腹に受け、黒ずくめはその場に崩れ落ちた。 「サイト! 殺しちゃダメよ!」 ひとこと声をかけてから、私は二人のもとへ駆け寄る。 男は、まだ意識があるようで、何やら呻いていた。 「......うっ......ここまでか......」 「観念したなら話してもらいましょうか。あんたたちが......」 私の言葉が終わるより早く。 「ルイズ! 危ねえっ!」 ゴゥン! 黒ずくめの体が爆発四散した! ......直前、男のわずかな挙動から、サイトはこれを察したらしい。私をかばうようにして、サイトがその場に押し倒してくれたおかげで、私にダメージはなかった。 「......敵を巻き込むための自爆......とは違うみたいだな......」 「そうね。秘密を守るため......みたい。......ったく......ナンセンスな真似してくれちゃって......」 よかった。 サイトも大丈夫なようである。 「......けど結局、何もわからなかったな」 「何言ってんのよ。結構いろんなこと、わかったじゃない」 「......へ? 何が......?」 私の言葉に、彼はキョトンとした表情を浮かべた。 仕方がない、という態度で、私は解説してみせる。 「あの黒ずくめたちの仲間がここで待ってて襲ってきた、ってことは、やっぱりエギンハイムの方に何かあるってことでしょ」 あの連中も、ファーティマの持っている情報を欲しがっている。当然、同じことを狙う人間の行動は阻止しようとする。 「もしも私たちが見当違いの方向に進んでいるなら、わざわざつまらない警告したり、襲ったりする必要はないわけよ」 「......でもよ、そうすると、俺たちより先に出た二人は、やられちまった、ってことか? あの二人が勝ってりゃ、ここの刺客は消えてるはずだろ?」 「そうともかぎらないわ。二人は全然見当違いの方角へ進んでいるか、あるいは、街道を避けて行ったのかもしれないもん」 ギーシュとモンモランシーのことなど、どうでもいい。それより大切なのは......。 「そしてもう一つわかったのは、まだファーティマが黒ずくめたちに捕まってはいない、ということ。だって、私がどんなにかまをかけても無反応だった奴が、『こっちは彼女のいどころ知ってるぞ』みたいなこと言ったとたん、襲ってきたわけだから」 彼らはファーティマの居場所を知らないのだ。だから、こちらが「知っている」と言えば、たとえそれがハッタリではないかと思っても、放っておけなくなったのだ。 「なるほどなあ......」 納得したように頷くサイト。 しかし、実は一つ、大きな疑問が残っている。 当のファーティマは、どうやって、見張り兼刺客の監視の目をかいくぐったのか......? 彼女がエギンハイムに向かうことくらい、連中も昨夜のうちに気づいていたであろう。ファーティマがあの村を発つ前に、連中の配備も終わっていたはず。 ......まあ、それを今サイトに言ったところで、彼を混乱させるだけ。だから、私の胸の内だけにしまっておいた。 どうせ、今の私たちに出来ることは......。 「とにかく......急ぐわよ、エギンハイムに」 かくて、私とサイトは、再びエギンハイムへと向かう旅路に着いたのだった。 ######################## 「......なんだ......? あれ......?」 サイトがそう言ってきたのは、その日の夕方。 かわりばえしない景色の、森の中ゆく街道を進みながらのことである。 「あれって......どれよ?」 「ほら!」 サイトの示す方角に視線を向ければ。 まっすぐに伸びる街道。 その街道の両側に、暗緑色に佇む森。 かすかに闇色の混ざり始めた空。 行く手にあるその空が......ほのかに赤く染まっている。 「夕焼け......かな? それにしては、なんか感じが違うような......」 「バカね、夕焼けのわけないでしょ!? 陽の沈む方向は逆......私たちが背にしている方なんだから!」 火事か何かだったら、大変である。 もしも燃えているのがこの先の村だったり、宿屋が焼け落ちたりしていたら、今晩は野宿となってしまう。 「行くわよ! ほら!」 こういう場合、高速飛行の魔法が使えぬ身が恨めしいが......。 大丈夫、私には、別の高速移動手段がある。 ......ガンダールヴのサイト号! つまり。 前にも一度やったアレである。 サイトに私を背負ってもらって、ガンダールヴの神速で走ってもらうのだ。 「おお! 速い、速い」 「しゃべるな! 舌噛むぞ!」 私が重荷になっている分、全速力ではないはずだが、伝説のガンダールヴだけあって、そのスピードはかなりのもの。 流れるように景色が過ぎて、やがてほどなく......。 「......村が!?」 サイトが驚きの声を上げた。 後ろから彼の肩越しに、ヒョイッと首をずらして見てみれば。 私たちが泊まるつもりにしていた村が、紅蓮の炎に包まれている。 燃えているのは一軒や二軒ではない。村の全ての家々が、同時に火でもかけられたかのように、天に炎を噴き上げているのだ。 「......いったい何が......」 「ここからじゃ、まだわからん! とにかく急ぐしかねえ!」 サイトは気力を振り絞り、さらにスピードを上げる。 村にある程度近づいた時点でようやくストップ、私もサイトから降りた。 そして、はじめて。 「......!」 私たちは状況を理解した。 赤い炎に照らされて、躍る大小の黒い影。 逃げ惑う村の人々と......。 無差別な殺戮を繰り返す、数十にも及ぶ異形のバケモノたち! 「......なあ、あいつらって......前に戦った......」 「そうね、サイト。亜魔族......レッサー・デーモン(下級魔族)だわ」 レッサー・デーモン。 精神世界から呼び出された下級の魔族が、この世界の動物などに憑依し、その姿を変貌させたもの。 パッと見た感じ、以前にウエストウッドの森で戦ったのと同じタイプっぽい。ならば、得意技は口から吐く炎の矢。こいつらが村に火をつけた犯人だ! ......魔族とはいえ、自力ではこちらに具現できない程度の下級(レッサー)であるため、こいつらの大量発生には理由があるはずなのだが......。 とりあえず今は、原因の詮索よりも、この事態をなんとかする方が先である。 「サイト!」 「おう!」 顔を見合わせ、頷きあうと、私たちは燃え盛る村を目ざして駆け出した。 ######################## 「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド......」 それなりの長さの呪文詠唱で、私が放ったエクスプロージョン。 まともに食らったレッサー・デーモンたちが、三体まとめて光に呑まれ、無に帰した。 辺りにいたデーモンたちの視線が、一斉に私たちへと集中する。 そこに突っ込んでゆくサイト。 全く何のリアクションも起こせぬまま、レッサー・デーモンの一匹が、あっさりサイトに斬り捨てられた。 サイトの得物は、日本刀という異世界の剣。デルフリンガーのような特殊能力はなくても、ガンダールヴのサイトが振るえば、抜群の切れ味を誇るのだ。 しゃぁぁぁぁぁぁぁっ! レッサー・デーモンの一匹が、怒りの雄叫びと共に、こちらへ向けて炎の矢を撒き散らす。 私は身をかわしつつ、適当な呪文を詠唱。 失敗爆発魔法の一撃で、そのデーモンは四散した。 ......しかし......。 「......数が多いわね」 ここが無人の野原か何かなら、『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりの大技で一掃する、というテもあるのだが、村人も近くにいる以上、そんなことをするわけにもいかない。 「......!?」 考え事をしていた私の背後に、殺気が走った。 とっさにその場を飛び退き、後ろを振り向けば、そこには一匹のレッサー・デーモン! ごぅっ! 吠えると同時に、その目前に十数本の炎の矢が出現。 だが。 ヒュンッ! いきなり横手から伸びてきた水の鞭が、四方八方からデーモンの体を包み込み、串刺しにした。 もちろんサイトがやったわけではない。となると......? 辺りに視線を這わせれば、そこに佇む人影ひとつ。 縦ロールの金髪が、リボンと同じ赤の炎に照り映える。 「モンモランシー!?」 そう。そこにいたのは例の二人組の片割れ、モンモランシーだった。 どうやら彼女、得意系統は『水』のようだ。 「私は『香水』のモンモランシー。本当はこんなんじゃなくて、人々を癒すことが、私の戦い方なんだけど......」 言いながら、またも水の鞭で、別の一匹を仕留める。 「......こいつらは片づけないとね!」 うむ。 頷いて私も呪文を唱え、杖を振る。 そうして戦いながら、全体を見渡せば......。 縦横無尽に駆け巡るサイトと共に、女戦士の形をしたゴーレムが数体、やはりレッサー・デーモンを切り刻んでいた。 ......ファーティマの家のガレキ撤去をしていたのと同じ、ギーシュのゴーレムだ。 「ようし! 私も!」 私が放った爆発魔法は、また一匹、近くのレッサー・デーモンを葬っていた。 ######################## 夜風には、焦げた匂いが混じっていた。 双月の光の下、森から流れる虫たちの声。 ......戦いがようやく終わったのは、日が落ちた後のことだった。 村人たちは、村はずれの広場に避難しているが、さすがに全員無事というわけでもなさそうだ。家や家族を失ったのであろう、いくつもの嗚咽が、夜風に乗って流れてくる。 そんな中、『水』の使い手であるモンモランシーは、まだ燃えている家々を消して回っていた。ギーシュもゴーレムを駆使して、ガレキを片づけたり、焼け跡から人や物を救い出したりと頑張っている。 「ルイズは何もしなくていいのか?」 私はその場にへたり込んで、ムスッとした顔でサイトに答える。 「だって私の魔法、そういうのに向いてないもん」 しかも虚無魔法は、精神力の消費が普通の系統魔法よりも激しいのだ。誰よりも早く、休ませてもらいたい心境であった。 それを察したのか、サイトが軽く頷いてから、歩き出す。魔法は使えずとも、人の手で出来ることもあるので、作業を手伝いに行くようだ。......私の分まで。 やがて......。 皆ひと仕事終えて、ようやく何とか一息つける状態となった。サイトだけでなく、モンモランシーとギーシュまで、私の方に歩いてくる。 「君たちも案外、やるものだな。この僕......『青銅』のギーシュほどではないけどね」 フッと髪をかきあげながら、金髪少年が言う。 なるほど、そういう二つ名であるなら、あのゴーレムたちは青銅製なのであろう。 「......それはいいけど、事情を説明してよね」 「事情......?」 私の言葉に、聞き返してきたのはモンモランシー。 彼女たちも疲れているだろうが、しかし、聞くべきことは聞いておかねばならない。 私は、村の惨状をグルリと見回しながら、 「そうよ! 一体何があったの!? なんでレッサー・デーモンに襲われてたのよ!?」 モンモランシーとギーシュは、一瞬、顔を見合わせてから、 「私たちにも、よくわからないの」 「モンモランシーと二人、この村で色々やっていたら、あのバケモノたちがいきなり群れて襲ってきてねえ」 「いきがかりで戦ってたんだけど......なにしろ数が数だから。困っていたところに、あなたたちが来た、ってわけ。それより......」 二人して説明にもならぬ説明をしたところで、モンモランシーがスーッと目を細めた。 「あなた今『レッサー・デーモン』って言ってたけど......あのバケモノの正体を知っているの?」 「......うーん......」 聞かれて、言葉に詰まる私。 レーサー・デーモンを知らない者たちに最初から説明するには、魔族に関してかなり詳しく話すことになるが......。魔族なんて伝説上の存在だと思っている人々も多いからなあ。 などと私が考えていると。 「あれは魔族が呼び出したものなんだよな、ルイズ」 ちゃんと覚えてますよ偉いでしょ、と言わんばかりの顔で口を挟むサイト。 ......まあ、それくらいアッサリ述べるのであれば、それでもいいか。 「魔族......ですって!?」 「そ。魔族。言っとくけど、魔族は実在するからね。私たち、何度も魔族と戦ってきたもん」 驚きの声を上げたモンモランシーに、私は冷たく言い放つ。 嘘やホラ話だと思われても仕方がないところであるが......。 「ねえ、モンモランシー。僕には......彼女がいい加減なこと言ってるようには思えないんだが」 「そ......そうね......」 ギーシュに言われて、モンモランシーは、探るような目で私を見つめる。 続いて。 「じゃあ聞くけど......エギンハイムの話、知ってる?」 「エギンハイム? ......『黒い森』の杖のこと?」 質問に質問で返す私。 女同士の微妙な駆け引きであるが、その機微を理解できぬ男が、横から口を出す。 「......『黒い森』の杖だって!? そうか、君たちもあれを狙っていたのか!」 「やめなさい、ギーシュ! そういうこと言っちゃダメ!」 「え? なんで......?」 モンモランシーが止めたが、もう遅い。 「ははーん。『君たちも』ってことは、やっぱりあんたたち、あれを狙ってたのね」 ニンマリと笑みを浮かべながら言う私。 ......実は「やっぱり森に杖がある」という言質を取ったことの方が大事なのだが、それは敢えて表に出さない。 「......でも、そうすると、あんたたちどうやってここまで辿り着いたわけ? 途中には、あの黒ずくめたちの仲間がいたはずなのに」 「戦ったの!?」 「もちろんよ」 素直に頷く私に、モンモランシーは呆れ顔で、 「......連中も杖を狙ってるんだし、待ち伏せがあることくらい、ちょっと考えればわかるでしょう? 表街道を避けて森を行く......くらい、思いつかなかったの?」 「......ってことは、あんたたちは森の中を......?」 「当然でしょ! 避けられる戦いは避ける! だって私、ほんとは荒っぽいこと、だいっ嫌いなんだから」 だったら旅なんてせずに、おとなしく、どこぞの魔法学院に閉じこもってればいいのに。 私が心の中でツッコミを入れていると、モンモランシーは軽く頭を振って、 「......って、なんだか話題が逸れたわね。私が聞きたかったのは、杖の話じゃないわ。エギンハイム近辺で、あのバケモノ......レッサー・デーモンって言うんだっけ? それが大量発生している、って事件よ」 「レッサー・デーモンの大量発生!?」 今度はこちらが驚く番だった。 そんな私の態度を見て、 「......なぁんだ。それは知らなかったのね。いいわ、教えてあげる......」 モンモランシーが語り出す......。 ######################## はじまりは、『黒い森』へ遊びに行った子供たちの一人が、一匹の異形のバケモノに殺される、という事件からだった。 最初、大人たちはそれをオーク鬼か何かの仕業だと思ったらしい。かつて『黒い森』には翼人の集団が住み着いたことがあり、また亜人がやって来た、と考えたのだ。 翼人たちとの抗争でも、エギンハイムの村人たちは、最終的には王政府から派遣されたメイジの助けを借りている。今回も領主経由で助力を依頼し、メイジの騎士が村へ遣わされたのだが......。 「オーク鬼くらいなら数匹まとめて葬ることのできる手だれの騎士が、あっさり返り討ちにあったんですって」 「王政府からの騎士......ねえ......」 おうむ返しにつぶやいて、私は少し考え込む。 ......エギンハイムは、地理的にはガリアの領内である。 だが無能王ジョゼフは諸国漫遊の旅に出たっきり、さらに王女イザベラもいつのまにか行方不明となっており、ガリアという国は今、けっこうガタガタなのだ。 まあ実はジョゼフは既に死んでおり、イザベラは異世界に追放されているわけだが、この際それは関係ない。 ともかく。 そんなガリアの王政府から来た討伐部隊が、アテになるのであろうか? 「......それって、派遣されてきた騎士がめちゃめちゃ弱かった、ってオチじゃないの?」 「違うわ」 モンモランシーは、私の言葉に首を振って、 「......一度ではなく、何回か派遣されたみたい。それが皆、森の奥へ入って行ったきり、二度と戻って来なかったらしいわ。しかも、その後も『黒い森』で、見たこともないバケモノが現れた、っていう目撃情報が相次いで......」 ふむ。 考えてみれば。 以前に旅の途中で出会ったガリアの騎士は、なかなか優秀なメイジであった。国の上層部はともあれ、末端の騎士ひとりひとりは、今でもシッカリしているのかもしれない。 「......なるほどね。それで、そういったデーモンの一群が、こっちまで出てきて暴れたんじゃないか、ってことね?」 私の問いに、モンモランシーは無言でコックリ頷いた。 それから眉をひそめて、 「ねえ、さっき、あなたたち......レッサー・デーモンは魔族が呼び出すものだ、って言ってたけど......」 「そうよ。厳密に言うと、無理矢理こっちに呼んできて、こっちの世界のものに憑依させたものね。......さっき私たちが戦ったのは、たぶん森の動物やら何やらに、魔族が憑依したものだわ」 「......ということは......『黒い森』には、召喚者である魔族がいるってことなのかしら?」 「うーん......。断言はできないけど、その可能性が高いと思うわ」 別にモンモランシーを怯えさせるためでも何でもなく、正直に、推測を口にする私。 「......で、こういう話を聞いても、まだ杖のこと諦めないわけ?」 私の話に、モンモランシーは一瞬、ギーシュと顔を見合わせ、 「そりゃあ恐いけど......。でも、それならそれで、今度はファーティマが心配になってくるわ。彼女、たぶんエギンハイムへ向かったんでしょうし......」 そうなのだ。 レッサー・デーモンの大量発生と謎の杖とが関係あるかどうか、それは不明であるが......。 おそらく、鍵を握るのはファーティマだ。 その彼女は、今どこに......? ######################## 「......!?」 安物のベッドのその上に、私がガバッと身を起こしたのは、おかしな気配のせいだった。 ただし、室内に異変があるわけではない。外から流れ込む空気だ。 ......あれから二日。 私とサイト、そしてモンモランシーとギーシュは、なりゆき上、一緒にエギンハイムへと向かっていたのだが......。 道中の村や街やらが、デーモンの襲撃を受け、大小の被害を受けているのを目のあたりにしてきた。 そうなれば、たとえば今夜、この街にデーモンの襲撃があっても不思議ではない。 「こいつは......」 ふと、私は彼に目を向けた。 同じベッドで、目を覚ます気配もないサイト。 起きている時は鋭敏な感覚を持つ彼も、寝ているときは、そんなに鋭くはない。 ......ま、私が抱き枕にしても気づかないくらいだし。 もちろん、本当に危険が迫れば、私より先に起きて対応するはず。だが今回は、それほどではない......ということだ。 ならば。 「......まだ起こす必要もないわね」 ソッとベッドから降りると、とりあえず辺りの様子でも確かめようと、外に面した窓を開ける。 部屋へ入り来るのは、冷たく澄んだ夜の風。 星空と双月の光を背景に、夜の街は静かに佇んでいた。 どこかの酒場からだろうか、遠く、かすかにざわめきも聞こえる。 ごくごく平和で平凡な、夜の風景。どこといって異常は......。 「......?」 何かが。 ボンヤリ眺めていた視界の片隅で、一瞬、何かが動いたような気がした。 慌ててそちらに視線を送り、目をこらす。 「......気のせいかな......」 小さくつぶやいた、まさにその時。 二つの月が照らす下、再び何かが動いた。 「......!」 マントを羽織り、杖を手にして。 私は一人、ソッと部屋から抜け出した。 ######################## 影が一つ、ほとんど音を立てることもなく、屋根から路地裏へと飛び降りた。月明かりに照らされて、その金髪が闇夜に映える。 ひと呼吸遅れて二つの影が、隣のブロックに降り立った。だが、すでに金髪少女は、遥か先を行っている。 ヒュッ。 二つの影の片方が動くと同時に、何かが風を裂いて飛ぶ音。 続いて、遠くの少女が、グラリと揺れた。 「......バカね! 殺したら意味がないでしょう?」 「大丈夫、足に当たったはずだわ。これで、もう動け......」 夜風に流れる、聞き覚えのある声。 二人目の言葉が終わるより早く。 金髪少女は、平気でスタスタ、路地の奥へと走り始める。 「......あれ?」 「外したのね!? 追うわよ!」 しかし。 二人の行く手を遮るように、その目前で爆発する小さな光球。 私が放った、小型のエクスプロージョンである。 「あぐぁっ!?」 声を上げて立ちつくしたのは、二人の黒ずくめ。声からすると、例の二人組――エーなんとかとビーコ――であろう。 追われている方の正体は、言うまでもない。 「......ルイズ!?」 振り返ったファーティマは、横手の街角から現れた私の姿を見て、驚きの声を上げた。 私は彼女の方へ歩み寄りながら、 「挨拶は後回しよ。まずはこいつらを......」 「倒す、とでも言うつもり? 面白いわね......」 エーなんとかの言葉と同時に、二人は動き出した。『ブレイド』の呪文を唱えながら、こちらに向かって走ってくる。 「とりあえず場所を変えるわ! こっち!」 言って走り出す私に、素直について来るファーティマ。 とりあえず、宿の近くまでおびき寄せれば、たぶんサイトが......。 「......!?」 瞬間、背後に殺気を感じ取り、私は小さく横に跳んだ。 ボスッ。 同時に、後ろからマントを貫き、何かが脇を通り抜けてゆく。 おそらくはナイフでも投げてきたのだろう。それも、殺すつもりで。 連中にしてみれば、情報源のファーティマはともかく、私に手加減する必要はないのだ。 しかし私とて、ただおとなしく逃げているつもりはない。 「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」 一瞬だけ振り返り、サッと魔法を放った。 「え? この呪文って......『スリープ・クラウド』......」 「......じゃないわ!」 私の失敗爆発魔法が、追っ手の二人を襲う。 二人の予想を裏切る形で、それがフェイントとなるのは私の計算どおり。 ドグォオンッ! それでも二人は何とか回避。私の魔法は、後ろの倉庫らしき建物に直撃し、そこが轟音と共に爆発した。 「......っ何だぁぁっ!?」 「どうした!?」 音と光に驚いて、近くの家から人が出て来る。 ......そう。かわされた結果こうなることまで、私は計算していたのだ。 色々なことから考えて、黒ずくめたちは、基本的には隠密行動のはず。 となれば当然、人の目に触れることは嫌うだろう。わらわらと街の人たちが出てくれば、二人は退却せざるを得ないはず。 ......なのだが......。 「......えっ......!?」 いきなり飛んできた『フレイム・ボール』に、頭で理解するより早く、私は右へ飛んでいった。 グガァァァンッ! 行き過ぎていった炎の塊が、民家の壁に当たってはじけ散る。炎は近くの家に移り、あっという間に燃え広がっていく。 「正気なのっ!? あんたたちっ!?」 今の魔法は、黒ずくめのどちらかが放ったもの。隠密行動どころの話ではない。 「あら、私たちは困らないわ。街に火を放ったのはあなた......『ゼロ』のルイズなのですから」 「......なっ!?」 思わず足を止めて、私は驚きの声を上げた。 なるほど。私を倒したその後に、街に火をつけたのは『ゼロ』のルイズ、という噂を振りまくつもりか。 ......しかも。 「......囲まれたわね」 私の隣で、ボソッとつぶやくファーティマ。 どうやら連中、二人だけではなかったらしい。 全部で何人いるのか不明だが、私たちの行く手を阻むように、遠くに一人立っているのが私にも見えた。 だが。 ドッ。 そいつは大きく前につんのめり、そのまま倒れて動かなくなった。 その後ろから現れたのは......。 「サイト!」 「なんかドタバタうるさかったから、目が覚めちまったぜ」 片手に日本刀を携えたまま、こちらに向かって軽口で挨拶。 それと同時に、右側の路地の奥から、人が倒れる音やら、うめき声やら。 やがてほどなく、路地の闇から歩み出てきたのは......。 「なぁに? ぬけがけのつもり?」 「......水臭いね。僕たちも呼んでくれよ」 まるで仲間のような口ぶりの、モンモランシーとギーシュ! 「これでこっちはフルメンバーね。......あきらめた方がいいんじゃない?」 「諦める必要はないわ!」 私の言葉に、黒ずくめの片方はキッパリ言い切った。 前回は引き際のよかったこいつらが、こういう言い方をするということは、まだよほどの人数が隠れているのか......? 「ふむ。ならば、ここで決着をつけようでないか」 言ってギーシュが、大仰なポーズで薔薇の花を構え直した。どうやら、この造花を杖としているらしい。 しかし、その瞬間。 グガァァァァンッ! 私と黒ずくめ二人との真ん中くらいにある家の壁が、爆発的に崩れ落ちた。 「......な......何......?」 怯えの混じるモンモランシーの声に答えるかのように、ガレキの生んだ土煙の中から聞こえる低い唸り声。 ......る......るるるるる......。 いや。 土煙の中だけではない。 あちらこちらから。 いくつもの気配と呻きがわき起こる。 「......ちょっと......まさか......」 ビクビクしながらも、モンモランシーが呪文を唱えて、魔法の明かりを掲げる。 闇が薄まり、土煙も少しずつ収まり......。 その中にいたものたちが、姿を現した。 ......十数匹のレッサー・デーモンたちが。 (第三章へつづく) |
「わぁぁぁぁっ!?」 いきなり姿を現したレッサー・デーモンの一団に、モンモランシーが驚きの悲鳴を上げた。 ......魔法の明かりを灯した時点で、ある程度は予想していたんじゃなかったのか......? とはいえ私も、さすがに少し驚いたけど。 ともかく。 そのモンモランシーの悲鳴が気にでも障ったのか、周りにいるデーモンたちが、ギンッと一斉に彼女の方を睨みつけた。 「ひっ......」 モンモランシーの息を呑む音を耳にして。 ズズイッと一歩、ギーシュが前に歩み出る。 何やら呪文を唱えると......。 手にした薔薇の花が、赤く輝く剣に変わる! 「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」 叫んで斬り込んでいくギーシュ。 ......造花の薔薇を杖として使っているのも非常識だが、その杖を『錬金』か何かで剣に変えてしまうとは......。 そこまでせんでも、普通に『ブレイド』で魔力の刃を纏わせるだけで十分だろうに。だいたい、言うに事欠いて『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』とは、名前負けにも程がある。 呆れる私の前で、一匹、二匹とデーモンを切り倒すギーシュ。 「ふっ......」 彼は、得意満面で後ろを振り返り、 「見てくれたかな? モンモランシー、僕の......」 「自慢話は後で聞くわ」 モンモランシーにアッサリ話の腰を折られ、ギーシュは少し寂しそうな顔をする。 だが、こうして彼にツッコミを入れることで、彼女は気持ちを切り替え、恐怖を振り払ったらしい。デーモン退治のため、攻撃魔法の呪文を唱え始めていた。 ......と、私も黙って見ている場合ではない。 「サイト! 私たちも!」 「おう!」 左手のルーンを光らせ、走り出すサイト。 彼が一匹のデーモンを袈裟斬りにするのを横目で見つつ、私はエクスプロージョンの呪文詠唱を始めた。 ######################## 私たち四人が暴れ回る中。 特に逃げるわけでもなく、ファーティマは、冷たい表情のまま佇んでいた。 ......一人になるよりも、私たちと一緒の方が安全だと考えたのであろうか? たしかに、いつのまにか黒ずくめたちの姿は消えているが、まだ彼らがどこかに潜んでいる可能性は残っている。 しかし私たちも、レッサー・デーモンの群れと戦うだけで手一杯。ファーティマの保護まで手が回らないのだが......。 案の定。 ズンッ! 地響き立てて、屋根の上から降り来る一匹のデーモン。 私たちが存在すら気づいていなかったそいつは、ちょうどファーティマの目の前に降り立っていた! 「まずいっ!?」 叫ぶことしか出来ない私。 急いで呪文を唱えるが、それより早く、ファーティマ目がけてデーモンが大きく右手を振り上げて......。 「......え?」 私は一瞬、自分の目で見たものが信じられなかった。 レッサー・デーモンに向かって一歩踏み出したファーティマが、右の手のひらを相手のみぞおちに叩き付けたのだ。 びぐんっ! さして力を込めたとも思えないその一撃で、デーモンの体が一つ、大きく震えて......。 そのままズンッと後ろにひっくり返り、それきりピクリとも動かなくなる。 ......しょせん亜魔族、純粋な魔族じゃないから、こういう戦法も効くのか......。 「......なんだ......強いんじゃないの......ファーティマ......」 私のつぶやきに、彼女は少し憮然とした顔で、 「弱い......なんて言った覚えないわよ」 何の挨拶であろうか、腕を胸に当てながら言った。 そういえばファーティマって、黒ずくめの投げナイフも上手くかわしていたんだっけ。 まあ何はともあれ、なかなか彼女がやるとわかった以上、もうファーティマは完全に放置。こちらも戦いに集中できる。 私は、サイトの方に目を向けて、 「サイト! 相手の数、そっちはあとどれくらいっ!?」 「わからねえっ! ここは、あと二、三匹だが......」 ......ここは......って......!? 「ここだけじゃないわ! 別のところでも騒ぎが起きてるみたい!」 「このデーモンたち、もしかすると街じゅうに溢れているのかもしれないね」 私とサイトのやりとりを耳にして、モンモランシーとギーシュも声を上げる。 「......街じゅうに......!?」 おうむ返しに叫んだ時、私の視界の隅に、炎の球が飛んで来るのが見えた。 とっさに横に跳んだが......。 ズグォンッ! 爆発に圧されて、私は近くの家の壁に叩き付けられた。 「ルイズ!?」 「大丈夫よ! それより、気をつけて! みんな! そこらにまだ黒ずくめたちが潜んでいるわっ! どさくさまぎれに私たちを始末する気よ!」 今の炎は『矢』ではない。レッサー・デーモンの吐いたものとは違ったのだ。 だが普通の人には、そんな違いなどわかるまい。この状況で黒ずくめたちが少々おおっぴらにやっても、全てデーモンたちのせい、ということになるだろう。 「ならば黒ずくめたちは、僕と僕のワルキューレにまかせたまえ!」 数体の青銅ゴーレムを四方に走らせ、さっそく黒ずくめを探し始めるギーシュ。 「あ、ずるい! 私もこんなバケモノより、そっちのほうがいいわ!」 それに便乗するモンモランシー。 「......わかったわ! じゃあ二人は、連中の相手をお願い! デーモンの方は、私とサイトとファーティマで片づけるから!」 「おう!」 「えぇぇっ!? なんで私まで数に入ってるのよ!?」 私の言葉に、ファーティマを除く全員は、力強く頷いたのであった。 ######################## 「......うぷぅ......おはよう......」 「そろそろ昼よ。いくら旅先だからって、こんな時間まで寝てるなんて......。これだから、家柄の悪い貴族は......」 まだ眠い目をこすりながら降りてきた私に、嫌味ったらしく言うモンモランシー。 ......私の家はトリステインの公爵家なんだけどなあ。それを知ったら彼女も驚くでしょうけど、ここでわざわざ言うのはそれこそ嫌味っぽいし、朝から面倒なので黙っておいた。 ま、こっちも、ギーシュとモンモランシーのフルネームは知らんわけだし。 「......しかたねーよ。寝たの明け方だったんだから」 私の後ろから、サイトが言い訳する。 モンモランシーとギーシュとファーティマは既に食事のテーブルについているので、これで全員が集まったことになる。 「そんなことはどうでもいいから、ともかく食べましょう」 サイトと並んで、私も席に座った。 ......昨日の夜......いや正確に言えば今日のことなのだが、デーモンたちをなんとか一掃できたのは、東の空が白み始めた頃だった。 とはいえ、街じゅうのデーモン全部を私たちが片づけたわけではない。 どうやら王政府も『黒い森』での事件を重く見て、エギンハイムや近隣の大きな街などに、子飼の騎士たちをポツポツと派遣していたらしい。街にはかなりの被害は出たものの、彼らの活躍もあって、デーモンを撃退できたわけである。 さいわい、私たちが泊まっていた宿も無事で済んだ。 ......しかし......。 「......けど結局、黒ずくめたちには逃げられちゃったわね」 鱒の形のパイを、ナイフとフォークで切り分けながら、モンモランシーは面白くもなさそうにつぶやいた。 「......まあね......。結局、収穫らしい収穫って言ったら、ファーティマを保護できた、ってことくらいね......」 「保護?」 私の言葉に、ファーティマは冷たい目をこちらに向けて、 「......デーモンと戦わせるのを、保護って言うの......?」 「......いやまあ......あれはその......不可抗力っていうか、なんていうか......」 「まあ、そんなことよりも......」 横からサラリと、ギーシュが口を挟んでくる。 「......そろそろ事情を説明してくれてもいいんじゃないかな」 「......う......」 言われてファーティマは、小さく呻いてから、ロコツに視線を逸らした。 私たちだけでなく、ギーシュとモンモランシーの二人に対しても、これまでファーティマは口が堅かったようだが......。 「ねえ、ファーティマ」 たった今のしどろもどろなどなかったかのように、私は出来るだけ優しく、彼女に声をかける。 「あんたにも色々と事情があるんだろう、ってことは想像つくわ。言いたくないこともあるでしょうね。......でも、だから言わない、で済まされるような事態じゃなくなってきてる、って思うんだけど」 「......」 私の言葉に、ファーティマは無言のまま。 もう少し突っつかないと、口を開きそうにない。 ならば......。 「ひょっとして......あんた何か知ってるんじゃない? 今回のデーモン発生事件について......」 杖もレッサー・デーモンも、どちらも『黒い森』での話。その片方を詳しく知っているならば、もう片方も......という乱暴な推理である。 「......はぅ......」 ファーティマは、重いため息を一つ。 そして一瞬の沈黙の後、 「......翼人の事件の後も......ヨシアは、何度も『黒い森』へ足を運んだそうです。アイーシャっていう翼人のこと、忘れられなかったみたいですね」 フッと笑いながら、遠い目で語り始めたファーティマ。 「......『黒い森』をうろつくうちに、誰も知らない洞窟を見つけて......その中に、あれがあった、と......。でも......あれは......世にあってはならないもの......。酔ったヨシアが口癖のように言ってたんです。あれは魔を生む杖だ、って......」 「魔を生む......杖......?」 ファーティマの言葉に、思わず顔を見合わせる私たち。 「魔力を生む杖......じゃないの?」 確認するかのようにモンモランシーが尋ねたが、ファーティマは首を横に振る。 「違う。そういうニュアンスじゃなかった......。私も詳しい話は聞いていないのですが......。もしも何かの拍子に杖の力が発動して、今回の事件が起きたのだとしたら......いいえ、昔ヨシアがその杖に触れるか何かして、それが遠因なのだとしたら......私が何とかしなくちゃいけないの......」 自分自身に言い聞かせるように、彼女はつぶやく。 「なるほどね。......で、一人でどうにかしようとエギンハイムへ向かっていた、と......」 私の言葉に、彼女はコックリと頷いた。 すると今度はモンモランシーが、疑問たっぷりな表情で、 「でも『何とかする』って言っても......具体的なアテでもあるの?」 「......そ......それは......」 返す言葉がないらしく、唇を噛んで下を向くファーティマ。 普通なら、ここで、しばしの気まずい沈黙が落ちたりするのだが......。 「諸君! 安心したまえ! 僕がいる」 親指を胸に当て、不敵な笑みを浮かべてギーシュがつぶやく。 「可愛い女の子が困っているのを、見過ごすわけにはいかないからね。僕に任せたまえ!」 「あらギーシュ、なんだか下心が丸見えな発言ね。モンモランシーからファーティマに乗り換えるつもり?」 「ギーシュは、こういう奴なのよ......」 私やモンモランシーの言葉を、ちゃんと聞いていたのか、いないのか。 「誤解して欲しくないね。僕の一番はモンモランシーだよ!」 「......ほらね」 呆れたようにつぶやくモンモランシー。 同じ女としては、私も彼女に同意したくなる。 い......一番って......一人じゃないんかい!? 「と......ともかく......」 話の方向性がこれ以上おかしくならぬよう、私は強引に話題を戻した。 「もしもその『魔を生む杖』って言葉のとおり、その杖が、今回のデーモン発生事件の原因になってるんだとしたら......」 私は、少し考え込むような口調で、 「あの黒ずくめたち......組織だった連中みたいだったし、ひょっとしたら、杖を軍事利用するつもりなのかもね」 「軍事利用......?」 「杖を......?」 サイトとギーシュ、男二人が、そろって首を傾げる。 「そうよ」 「でもよ、杖持ってると、辺りにデーモン出てくるんだろ? そんな杖、自分の国や領地に、危なくて持って帰れねえじゃん」 「......だからぁ......。その逆の使い方すればいいのよ」 クラゲ頭のバカ犬に、きちんと解説してあげる私。私はサイトの御主人様なのだ。 「たとえば杖を、敵対する相手の国だか領地だかに隠して置いておき、デーモン自動発生状態にしておく。そうすれば、放っておいても敵の領土内でデーモンが発生しまくって、戦力はボロボロ、国もガタガタに。後は頃合いを見計らって......軍事的に侵略するなり、援助の口実で吸収をもくろむなり、やりたい放題。......簡単でしょ?」 「あなた......ずいぶん悪知恵が回るのね......」 唖然とした顔でつぶやくモンモランシー。 なんだ、彼女もわかっていなかったのか。 「これくらいの策略、旅のメイジなら誰でも考えつくわよ」 「いや、旅は関係ないと思うけど......」 言葉を呑み込むモンモランシーに代わって、ギーシュが髪をかきあげながら、 「具体的な使用法はともかくとして、だ。少なくとも、あの黒ずくめ連中に渡すわけにはいかないね」 「そ......そうね。ねえ、そこで一つ、提案があるんだけど......」 「提案?」 モンモランシーが建設的な意見を持ち出してきたので、聞き返しながら、私も身を乗り出した。 「ええ。......まずファーティマに確認しておきたいんだけど、もしも私たちが、杖をどうにかして、デーモン騒ぎを止めることが出来たら......。その後、杖がどうなってもいいわよね? 悪用さえされなければ。......たとえば私たちの誰かが杖をもらう、ってなっても」 「......え......ええ......まあ......。手伝っていただく報酬だと思えば......」 モンモランシーの言葉に、いともアッサリ頷くファーティマ。 それを見て、モンモランシーはこちらに向き直り、 「で、次はあなたに質問ね。もしも特殊な杖があって、それが手に入るとして......。私たちと仲良く山分け、って気はないのよね?」 「まあね」 言って私もコックリ頷く。 こっちの目的は、あくまでも杖を『使う』こと。かつてのサイトのセリフじゃないが、使えなかった魔法を使えるようになるかも......という淡い期待があるわけだ。だから杖をモンモランシーたちと山分けする、などというのは不可能な話。 「そこで。私の提案というのは、こうよ」 言って彼女が示したプラン。それは......。 黒ずくめたちに対しては手を結び、デーモン事件に関しても、協力して解決する。その後、杖が残っていたら、早いもの勝ちで手に入れた方のものとする。 ......そういう話であった。 「そうね......。でも、それを受ける前に、一つ確認。もしも、デーモン発生を止めるには杖を叩き折るしかない、ってなったら、あなたはどうするつもり?」 「......そ......それは......」 言いよどむモンモランシー。 彼女たちの目的は、おそらく杖をお金に換えること。 勝手にデーモンたちをポコポコ発生させる杖となれば、表立って堂々と取り引きすることは出来ずとも、それなりのスジに売り払えば、かなりの金になる。 一方、杖を使うつもりの私たちにしてみれば、デーモン呼び出す杖なんて、使うどころか持ち歩く気にもなれない。その機能だけは止めた後でなければ、あんまり欲しくないのだ。 つまりこの条件は、私たちには有利だが、モンモランシーたちには不利なはず。 「......と......当然だわ! 何よりも、事件を解決することが先決なんだから! ほ......ほほほほっ!」 未練たらたらの表情のまま、モンモランシーは金髪ロールを揺らして、ヤケクソ気味にバカ笑いする。 「......ようし。そういうことなら、こっちにも異存はないわ。ファーティマも、そういうことでいいわね?」 私の確認に、彼女は力強く頷いた。 「もちろんです。あのバケモノたちの発生を止められるなら。......エギンハイム近くの『黒い森』にある、洞窟の奥......それが杖のありかです。詳しい場所については......エギンハイムに着いてから説明します」 ######################## 通りには露店が並び、馬車が行き交う。 にぎわう商店。通りを走り回る子供たち。 ......山一つ越えればエギンハイム、という街まで来たが、けっこう平和な光景である。デーモン大量発生事件、その発端の地に近づいたとは、とても思えない。 まあ、王政府から派遣されたであろう騎士やらメイジやらの姿が街中に見られるが、せいぜい、その程度。 宿の主人の話によると、なんでも、しばらく前までは、 『バケモノが襲ってくるんじゃないか』 『騎士さまでもバケモノには歯が立たないそうだ』 という噂が流れて、露店が出なかったりしたらしいのだが......。 ここより遠くの村やら街やらが襲われたせいで、 『こうなればどこに逃げても同じ』 『いやむしろ駐留している騎士さまが多い分、かえってここの方が安全なのでは』 という話になり、結局、街から出て行く者は少なかったらしい。 たとえ街から逃げ出したところで、行くアテもない、という人間も多いだろう。 ......と、そのあたりの理屈は、わからんでもないのだが......。 「ちょっと緊張感がないような気がするのよねえ」 部屋の窓から、夜の街を眺めつつ、私は一人つぶやいていた。 街灯に灯された魔法の明かりが夜を照らし出す。 あちこちにある酒場からは、ざわめきがここまで届いている。 真夜中......とまではいわないが、夕食どきなど、とっくに過ぎている。街の人々が少しは危機感持っているならば、不安に怯えて、家の中にでも引きこもっているはずの時間帯。だがここから見る限り、結構まだ人通りもあったりする。 そして緊張感がないといえば、サイトも同じだ。サッサとベッドに入って、すでにイビキを立てている。ならば、私もそろそろ......と思った時。 「......?」 私は無言で、眉をひそめて身を乗り出した。 今、この宿から外に出て行った人影......。 その後ろ姿は、間違いなくファーティマのものだった。 黒ずくめの一団が、彼女を追って、この街まで来ている可能性はかなり高い。そんなことは、彼女も百も承知のはず。 にも関わらず、なんで私たちに声もかけず、こんな時間にひっそりと......? 「あ......」 思った私の脳裏に、ファーティマと出会ったその村で、噂好きのメイドが言っていたセリフが蘇った。 『ここへ来る途中、どこかでファーティマさんと出会って意気投合したらしいのですが』 ......ふうむ......。 とたんにムラムラ頭をもたげる好奇心。 今まで彼女の生い立ちについては何も聞かなかったが、そもそもが、あの外見である。本当にファーティマは人間なのか、ひょっとしたらエルフの血が混じっているのではないか。 あのメイドは、ファーティマとヨシアが出会ったのも『黒い森』だったんじゃないか、なんて噂まで口にしていたが、それくらい、ファーティマに関しては謎だらけ。 もしもこの街が、彼女の出身地なのだとしたら......? 「......」 一瞬だけ迷ったその後、私はマントをひるがえした。 部屋を出て、階段を下り、宿の玄関へと向かう。 何をするかは言うまでもない。ファーティマのあとをつけるのだ。 単なる興味本位ではない。黒ずくめたちからの彼女の護衛も兼ねている。 ......サイトを起こす必要はなかった。彼は私の使い魔、私が万一ピンチに陥った場合は、勝手に来てくれるはず。 宿の玄関を出て、辺りをキョロキョロと見渡せば......。 「......いたっ!」 ぼんやり灯った街灯の明かりの下を、静かに過ぎ行くファーティマの背中が、玄関先からも見て取れる。 私はそのあとを追って、ソッと夜の中に滑り出した。 彼女はしばらく大通りを行ってから、やがて横の通りへと入り込む。 ほどなく通路の角を曲がり、うらびれた路地へ。急いでいるのか、考えごとでもしているのか、後ろを振り向こうともしない。 やがて彼女はだんだんと、街の中心から外れて......。 辺りからは酒場の灯も消えて、闇の色が少しずつ濃さを増してくる。 「......なんか......あんまり雰囲気よくないような......」 などと思いつつも、なおもしばらくコソコソと、彼女のあとをつけるうち。 突然、彼女の足が止まった。 私の尾行に気づいた......というわけではない。 「よう、お嬢ちゃん。こんな時間に、こんなところをお散歩かい?」 立ち止まった原因は、彼女の行く手に姿を見せた四人組。 「物騒だぞ、女の子の一人歩きは。なんなら俺たちが、おうちまでエスコートしてやるぜ」 中の一人の髭づらが、言ってニマリと下品な笑みを浮かべた。 四人組は、男三人と女一人。 男たちはゴロツキ風だが、女は違う。服装は街娘っぽいが、雰囲気が違うのだ。 ポニーテールが特徴の彼女は、おそらく貴族。学生メイジが旅の途中でハネを伸ばして、街娘の真似事をしている、という感じだった。 「......急いでるんです。どいてください」 「『いそいでるんです。どいてください』だってよ。かぁわいぃねぇ」 いったい何が面白いのか、言ってドッと笑い声を上げる。 「なあ、何の用かは知らねぇけど、そんなのほっぽっといて、俺たちと遊ぼうぜ。ほら、他にも女の子がいるから、安心だぜ」 仲間のポニーテール女を示しながら、なおもゴロツキは誘うが......。 「......急いでます。通してください」 繰り返したファーティマの声には、今度は怒りの色がこもっていた。 「......まぁまぁ。つれないこと言うなよぅ」 彼女の実力も知らぬ髭づらが、ファーティマに向かって手を伸ばし......。 瞬間、彼女の手が動いた。 男の右手をアッサリはじき、裏拳をゴロツキの顔面に叩き込む......という光景を、私が脳裏に描いたその時。 フッと、ゴロツキの姿がかき消えた! ドムッ! 「っぐっ!?」 呻いて大きくよろめいたのは、ゴロツキたちの一人ではなく、ファーティマの方。そのままグラリと前に倒れ込んだのを、髭づらが抱きとめる。 どうやら......。 ファーティマが拳をくり出した瞬間、狙われた男が身を沈め、彼女のみぞおちに拳を叩き込んだらしい。 むろん、ただのゴロツキふぜいに、そんな真似が出来るわけはない。 「さては......!」 私は慌てて杖を構えて、連中の前へと飛び出した。 しかし、それを待っていたかのように。 後ろのポニーテール女――いつのまにか懐から杖を取り出していた――が、こちらに向かって炎を放つ! 「うどわわわわっ!?」 急いで近くの路地に身を隠し、何とか魔法をかわす私。 私がファーティマをつけていることに、連中は気づいていたらしい。 「......『ゼロ』のルイズ。あなたの相手は、そこの二人がしてくれるわ。......それじゃこの娘は、こちらで預からせてもらうから」 口を開いたポニーテールの声は、聞き覚えのあるものだった。 「ビーコ!?」 そう。 ゴロツキの連れにしか見えないこの女こそ、例の黒ずくめの一人、ビーコだったのだ。 ......迂闊だった。いつもコソコソやっている連中が、まさかいきなり素顔で、ゴロツキ仲間を装い、ちょっかいをかけてくるとは......。 ゴロツキ風の一人が、肩に軽々とファーティマを担ぎ上げ、クルリと背を向けた。彼と共に、ビーコが路地の奥へと走り去る。 残った二人で私の足止めをするつもりか!? 杖を取り出して、行く手を遮るかのように、立ちふさがったが......。 「イル・ウォータル・スレイプ......」 私は急ぎ、適当な呪文を唱えて、杖を振った。 同時に、二人の男が飛ぶ。私の杖の動きから、爆発魔法の狙いを読み取って、巧みに身をかわしたのだ。 だが......甘い! ドグォオンッ! 間髪入れずに放った二発目が、男たちを二人まとめて吹き飛ばした。 詠唱時間ほぼゼロで放てる、これが私の魔法の最大の特徴である。 「おしっ!」 ビーコたちを追って、私も走り出す。 ほどなく路地は、丁字路へと行き当たる。 右か!? 左か!? 私が一瞬、迷って立ち止まった時。 「......!」 真上からの殺気を感じて、私は大きく後ろに跳んだ。 ほとんど同時に、つい今しがたまで私の立っていた場所に、十本ほどの冷気の矢が突き刺さる。 慌てて上を振り仰げば、古びた民家の屋根の上に、こちらを見下ろし、佇む男が一人。 さっきビーコと一緒に逃げて行った奴である。 ファーティマの身はビーコに任せたらしく、もう彼女を抱えてはいない。 「足止め役に変わった、ってことね!?」 もはやビーコとは、かなり引き離されているはず。となれば、こいつに手こずっている暇はない。 とはいえ、無視して路地を駆け抜けるのは危険過ぎる。 戦うつもりで、私が杖を振り上げた瞬間......。 「......えっ!?」 屋根の上の男が、いきなりクルリと背を向け、姿を消した。 私を恐れて逃げ出した......というわけではない。それでは、足止めにはならないのだから。 つまり、これは......。 ビーコがもはや、私の手の届かぬ場所まで逃げのびたことを意味していた。 ######################## 「どうするのよっ!? いったいっ!?」 金髪ロールを振り乱し、モンモランシーは怒りの声を上げた。 ファーティマをビーコたちにさらわれた、あの後......。 少しの間、私は一人で辺りを探してみたのだが、結局見つけることは出来ずじまい。 爆発で吹っ飛ばした二人も、いつの間にやら姿を消しており、結局まったく手がかりもなし。 飛行魔法も使えぬ私が、むやみに一人で探していても、ただただ無駄に時がゆくだけ。そう判断して宿に戻り、みんなに事情を説明したのだが......。 真っ先に激怒したのが、モンモランシーだったわけだ。 「謝ってすむ問題ではないのよ! 連中の目的は、ファーティマの握っている情報でしょ! 聞き出すためには、どんなことをするものだか......」 黒ずくめたちの中には、男だっているのだ。 冷たい態度をみせることが多いが、それでもファーティマは若い女性。モンモランシーの心配も、同じ女として、私には十分理解できた。 「......うっ......」 言い返す言葉もない。 たとえば、ファーティマがこっそり宿を出た時点で、声をかけておけば。あるいは、ゴロツキを装った連中が彼女にからんだ時、油断せずに何らかの手を打っていれば。こうなることは防げたはずなのである。 「モンモランシー。文句は後でも言えるよ」 女同士の話し合いに、キザ男のギーシュが、いつになく冷静な口調で割り込んできた。 「今やらなければならないのは、全員でファーティマを探すことではないかな」 「そ......そうね......。ギーシュの言うとおりだわ。ルイズ、あなたへの文句は後回し! ともかく、その現場に案内して!」 「わかったわ!」 私に異論のあろうはずがない。そう頼むつもりで、ここに戻ってきたのだから。 かくて私たち四人は、さらわれたファーティマを救出するべく、夜の街へと飛び出したのだった。 ######################## 「ここよ」 言って私が足を止めたのは、屋根の上から氷の矢を降らされた、あの丁字路。 「ファーティマをさらった連中がここを通ったのは、ほぼ間違いないの。あのままファーティマを抱えていったにせよ、魔法で運んでいったにせよ、そうそう早くは走れないはず。ならばアジトか隠れ家が、この近くにあるに違いないわ!」 「わかったわ! なら手分けしましょう! 私たちは右、あななたちは左! 何かあったら、適当な魔法を打ち上げて合図して!」 言うとモンモランシーは、こちらの答えも待たず、ギーシュを連れて路地をかけてゆく。 私とサイトの二人も、反対側の路地へと向かう。 「......けどよ、ルイズ。ここからそう遠くない、って言っても、けっこう探すの大変だぞ......これ......」 「......ま......まあね......。ギーシュみたいに、ゴーレムたくさんあるわけじゃないしね......」 サイトの言葉に頷く私。 辺りには、誰かが住んでいるのか、はたまた廃屋なのか、けっこう古びた建物が並んでいたりする。中には、地下室だの屋根裏部屋などがある家もあるだろう。 確かに探しにくいことこの上ないが、見落としは許されないのだ。 「......とにかく! 片っ端から探すしかないわ! とりあえず、まずはこの家!」 私は、すぐ手前にあった一軒の廃屋をビシッと指さす。 さっそくサイトが、入り口の扉を日本刀で叩き切る。 二人で中に入り、探索開始! ......しかし......。 さすがに、一発目で大当たりが出るほど、世の中は甘くないようである。 「次! あの家!」 二軒目を指さす私に向かって、サイトが不思議そうに、 「......でもよ。なんだってファーティマは、一人で街になんて出て行ったんだ?」 「さあね。こればっかりは、本人に聞いてみないとわからないわね」 危険を承知で一人こそこそ出て行ったくらいだから、かなりの事情があったのだろう。 あるいは、自分の力を過信していたか......。 「ひょっとしたら、この一件、まだ何かとんでもない裏があるのかもしれないけど......。ともあれまずは、彼女を見つけるのが第一よ」 二軒目も外れ。三軒目もスカ。 サイトの刀で扉を切り開け、地下室ないか走って探し、屋根裏探すのは面倒だから、最上階の天井板を魔法で壊して確かめる。 そんなことを、何回繰り返した頃だっただろうか。 「ルイズ! あれ!」 サイトに言われて振り返れば、夜空に輝く魔法の明かり! モンモランシーたちからの合図である。 あっちのほうが当たりだったらしい。 「行くわよ! サイト!」 「おう!」 ひとつ大きく頷きあって、私たちは同時に駆け出した。 ######################## 私たちが合図の明かりの下へ辿り着いた時、すでに戦闘は終わっているようだった。 もとは集合住宅だったのだろう。三階建ての、レンガ造りの建物。 モンモランシーたちがぶち破ったのか、玄関の扉は壊れ、転がっていた。 中に入って行くと......。 「遅かったわね」 「連中は全て、僕たちが倒してしまったよ」 廊下をうろつく、モンモランシーとギーシュ。 「......で、肝心のファーティマは!?」 「それが......」 私の問いに、顔を見合わせる二人。 「......いないわ。ここが黒ずくめたちのアジトだったのは、間違いないみたいだけど」 二人は私とサイトを、三階の一室に案内した。 その部屋の中には、携帯食料や手荷物などが散乱していた。 モンモランシーが言うとおり、連中はここを活動拠点にしていたようである。しかしファーティマの姿はない。 「ここのほかにも、アジトがあるのかもしれないねえ。......探索のやり直しだ」 失望の色を言葉に滲ませ、ギーシュが言う。 でも。 「......ちょっと待って。あんたたち、黒ずくめを何人倒したの?」 「全部で......四人かしら?」 「いや、五人じゃないかな」 モンモランシーとギーシュが、私の質問に答える。 数字は多少異なるが、まあ、それはかまわない。 「そう。じゃあ、たぶん少し前まで、ファーティマもここにいたのね」 「どういうことだい......?」 「彼女の持ち物でもあった?」 モンモランシーの言葉に、私は左右に首を振り、 「いいえ。ここにあるのは黒ずくめたちの荷物だけだと思う。ただし......ここにある荷物から察するに、黒ずくめたちの数は、ざっと十人程度。でも、あんたたちが倒した『全て』は、その半分くらい」 「......あ!」 モンモランシーも、気づいたらしい。それにはかまわず、私は続ける。 「......さて、そこで問題。黒ずくめの残り半分はファーティマを連れて、アジトを離れて、一体どこへ行ったのでしょうか?」 「なるほど、そういうことか」 ギーシュも理解の声を上げる。 わかっていない顔をしているのは、これでサイトだけ。 「そう......」 言って私は、コックリ頷いた。 「彼らが行ったのは、エギンハイムの村......いや、その先にある『黒い森』。魔を生む杖が隠された洞窟、よ」 (第四章へつづく) |
名も知らぬ鳥がどこかで鳴いている。 夜に佇む闇色の木々。 杖の先に灯した魔法の明かりと、双月の光がなくなれば、夜の山は文字どおり真の闇と化す。 ......デーモンが出るかもしれない森の中を、夜中に歩き回る......。 はっきり言って正気の沙汰ではないのだが、黒ずくめたちがファーティマを連れて、この『黒い森』に入った可能性が高い以上、怖がっていられる場合ではない。 そして......。 「ここ......かしら?」 「たぶん、ね」 怯えの表情を見せながら言うモンモランシーに、私は淡々と返した。 どれくらい歩き回ったか、わからない。しかしその甲斐あって、ついに私たちは、一つの洞窟を発見したのだった。 「かなり大きいな......」 ポツリとギーシュがつぶやいたとおり。 直径が四メイルはあろうかという、巨大な洞窟だ。 入り口の辺りには、何かが通ったような跡がある。それも複数。 間違いない。黒ずくめたちは、ここへ入って行ったのだ。 それを指し示しながら、私は言った。 「行きましょう」 ######################## 私たち四人は、洞窟を奥へと進んでゆく。 先頭はギーシュ。造花の薔薇を杖とする彼は、その先端の花びらに魔法の明かりを灯している。 ギーシュに寄り添うように、モンモランシーが続き、さらに後ろを私とサイト。 やがていくらも行かないうちに、道は左右ふたまたに別れた。 「......どっちかな?」 「右ね」 つぶやくギーシュに答えたモンモランシーは、視線を地面に落としている。入り口で私がやったように、黒ずくめたちの痕跡を見つけたのだ。 そして再び、足早に歩く私たち。 「はたして黒ずくめたちとは、一体どれくらい距離を開けられたのかしら......」 モンモランシーが、誰にともなく尋ねた。 どこか彼女は怖がっている感じがあるので、おそらく、黙っているより何か話していた方が気も紛れる、ということなのだろう。 ならば、話に付き合ってあげるとするか。 「ファーティマがある程度の時間稼ぎをしてくれているならいいけど......そうでなきゃ、杖は既に黒ずくめたちの手に渡っているかもね」 「どうせルイズ、その場合はブチ倒して奪えばいい、とでも思ってんだろ?」 「あら、サイトも私のこと、ずいぶんわかってきたじゃない」 そうやって軽口を叩きながら、どれくらい進んだ頃のことだったろうか......。 ......ズ......ズズズズズズズズンッ! 遠い地鳴りと震動が、洞窟を揺るがした。 「......ひょっとして......この先!?」 私たち四人は顔を見合わせ、大きく一つ頷くと、さらに奥へと向かって駆け出したのだった。 ######################## 「見つけた!」 私が声を上げたのは、それからしばらく走り回った後のことだった。 曲がった通路のその先から、かすかに漏れる魔法の光。 ......ということは、相手の方からもこちらは見えているはずである。 私たちはペースをゆるめず、走り続ける。 そしてほどなく。 見えてきたのは、佇む三人の黒ずくめ。 ファーティマの姿はない。道は落盤で塞がっており、その手前に黒ずくめ三人がいるだけである。おそらく、落盤で離れ離れになったのだろう。 「あなたたち!?」 叫んだ一人の声は、もはやおなじみ、ビーコのもの。 黒ずくめたちが魔法を放つ前に、私も叫ぶ。 「みんな気をつけて! ここで下手に派手な攻撃魔法を使ったら、さらに落盤が起こるかもしれないわ!」 ビクッとする黒ずくめたち。 実は今の言葉は、味方に対するものではない。ここに来る途中で、ギーシュとモンモランシーには、すでに伝えてあるのだ。それなのにワザワザここで口にしたのは、敵を牽制するため。 あっけなく私のワナにはまり、彼らの動きが一瞬止まった隙に......。 「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」 私のエクスプロージョンが黒ずくめたちに襲いかかった。 「おい!? 言ってることとやってることが違うぞ!?」 「バカ! 文句言ってる暇があったら......」 ビーコ以外の二人が何やら言っているが、もう遅い。 ググワァァァァッ! 爆発で吹き飛ぶ黒ずくめたち。 少しずつ晴れる爆煙の中、姿を現したのは、スックと立った黒ずくめ一人。 「よくもやってくれたわね......」 ビーコである。 仲間の二人より少しは賢かったとみえて、彼女は急ぎ、防御呪文を唱えていたようである。自分ひとりの周囲に張るのが精一杯だったみたいだけど。 ......もちろん、私たちの方でも防御はバッチリ。ギーシュが『土』魔法で地面を盛り上げてちょっとした砦を作り、さらにモンモランシーの『ウォーター・シールド』が全体を覆っている。 事前にこうした打ち合わせがあったからこそ、私は爆発魔法を放ったのだ。一応、洞窟を壊さない程度に、手加減した上で。 まあ、それでも結構な爆圧だったらしい。道をふさいでいた土塊が崩れ、奥へと続く通路が出来ている。 姿を消した二人も向こうへ吹き飛ばされたのか、それとも今ので消滅したのか、それは不明。 「......もっと早くに決着をつけておくべきだったわね......」 怒りを滲ませ、ビーコが呻く。 「もうこれ以上は許さないわよ! 今度こそ本気で......」 「何言ってんの? あんた、今までだって、力の出し惜しみなんてしてないでしょ!?」 「そうよ! 本気も何も......一対四で勝てるつもり!?」 私とモンモランシーが、二人でツッコミを入れた時。 うぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! 奥から聞こえてきたのは、まるで獣の咆哮のような、誰かの絶叫。 「......エーコ!?」 ビーコは振り向き、私たちには目もくれず、奥に向かって走り出した。 「......エーコって......あの黒ずくめの、エーなんとかのこと......?」 私たちは一瞬、互いに顔を見合わせるが、ここで立ち止まっていても仕方がない。 「......行くわよ! 私たちも!」 言って私は、ビーコのあとを追い、駆け出した。 ######################## 「うがああああああああああっ!」 永遠に続くかのような悲鳴が、洞窟の中にこだまする。 「......!?」 目の前に展開する光景に、私たちは、我を忘れて立ち尽くしていた。 洞窟の突き当たり......。 そこは、かなり広大な空間になっていた。ちょっとした家ならば、二、三軒は建てられそうなほど。 その中央には、大地に深々と突き立った、一本の杖。 すらりと伸びた漆黒の棒であるが、握りの部分には、羽根のような形状の装飾が施されている。そして、その全体から、圧倒的なまでの瘴気を吹き出していた。 柄の部分を両手でガッシリ握りしめ、大きく身をのけぞらし、苦悶の絶叫を上げているのは、短いツインテールが特徴の少女......つまり、エーコである。 杖の生み出す黒いプラズマが、彼女の全身を這い回る。 そうした状況を......。 口元に薄い笑みさえ浮かべつつ、横でジッと眺める一人の金髪少女。 ......ファーティマ! 私たちのすぐそばで、ビーコもまた、その光景に硬直していた。 「......い......一体......!?」 モンモランシーの漏らした声に、ファーティマはようやく、はじかれたようにこちらを向いた。 「......あ......」 今の今まで、私たちが来たことに気づかなかったのだろう。一瞬、驚きに目を開き、続いて、困ったような表情で、 「......もう来ちゃったわ......しかもみんないっしょ......」 言って、ポリポリ頬をかく。 「......あ......あんた......!? 一体......!?」 私の問いに、ファーティマは苦笑を浮かべ、 「......うーん......本当は一人ずつ来て欲しかったんだけど......。ま、こうなったら仕方ないか」 「ファーティマ!? あなた......まさか......やっぱり......エルフだったの......!?」 彼女の長めの耳に目を向けながら、モンモランシーがそう言った。 ......ファーティマは肯定も否定もしない。私は違うと思ったのだが......。 しかし、これだけは確実である。私たちの本当の敵は......このファーティマなのだ! いとおしげな視線を、彼女は黒い杖へと向けて、 「......もう少し色々と試してみたかったけど......。こうなったら、もういいわ。ドゥールゴーファ、変化を」 バヂッ! ファーティマの呼びかけに応えて、杖のまき散らすプラズマが、いっそうその激しさを増す。 そして。 「エーコ!」 ビーコの悲痛な叫びが響いた。 黒のプラズマを全身に浴び......エーコの肉体が、異形へと変化してゆく! 服も破れたが、女性らしい裸身をさらしたのは、ほんの一瞬。全身の肉がはじけ、盛り上がり、あらぬ場所から得体の知れない、脚のようなものが生えてくる。 もはや、エーコは悲鳴を上げてはいなかった。 辺りを支配しているのは、黒いプラズマの荒れ狂う音と、獣の呻きにも似た音。 それに、ファーティマの哄笑......。 ドグンッ! エーコの肉体が大きく波打ち、一回り大きくふくれ上がる。 「まずい!? みんな、外へ!」 本能的に危険を察知して、私は声を上げた。 ようやく全員が我に返り、きびすを返して、やって来た洞窟を走り逃げる。 呻きと哄笑は、やがて後ろに遠ざかり......。 ......ゴ......ゴゴ......ゴゴゴ......。 静寂の代わりに訪れたのは、不気味な震動だった。 それも、だんだんと大きくなってくる。 ......間に合うか!? ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ! 森そのものが震えている。 かなり大きくなってきた、その揺れの中を、私たち五人は、出口めざしてひた走る。 私とサイト、モンモランシーとギーシュ。 そして五人目はビーコ。ついさっきまでは敵だったが、こうなってはもはや、私たちに戦う理由はない。 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ! 空気をも振るわせ大地が揺れる中、私たちは、なんとか入り口から外に飛び出した。 「離れて! 早く!」 一行が、森の緑の中へと飛び込んだ、まさにその時。 ゴガァッ! 大地を割り、森の木々を薙ぎ倒しながら。 双月の下へと姿を現す、巨大な一つの影! うぉぉぉぉぉぐ! 月に向かって一声吠えた、それこそが......。 かつてエーコと呼ばれていた少女の成れの果てであった。 ######################## 「......何......? 一体......?」 モンモランシーが、恐怖にかすれたつぶやきを漏らす。 ......私には、なんとなくわかった。むろん、断片的にではあるが。 「前にも言ったと思うけど......」 彼女の疑問に答えられるのは、私だけ。考えを整理する意味もあって、私は口を開く。 「......レッサー・デーモンっていうのは、こっちの世界に呼び出されて、小動物などに憑依したものなの」 「あれもレッサー・デーモンだ、っていうの!? 見かけが全然違うじゃない!」 「大きさも違うね」 モンモランシーとギーシュの言葉に、私は苦笑しながら、 「姿形は色々あるのよ。私とサイトは、以前、スープやトマトに憑依したデーモンと戦ったこともあったし」 「それじゃ、あれも......」 「でも、ちょっと違う感じがするわ」 首を左右に振る私。 「森の小動物にしても、料理にしても、たぶんハッキリした自我がないからこそ、魔族が憑依できるんだわ」 ジョゼフ=シャブラニグドゥやヴィットーリオ=フィブリゾなど、人間と一体化した魔族もいたが、あいつらは間違っても『レッサー(下級)』ではない。 それに彼らの場合は、なかなかややこしいことになっていたようだ。それは、人間には強い自意識があるから......。 「......自意識の強い人間に、下級魔族を憑依させてデーモン化することは無理なのよ。でも......」 「より強力な魔族を憑依させることなら......特に、人間の自我を破壊した上でならば、可能ってこと?」 私の言葉を引き継ぎ、確認するかのように問いかけてきたモンモランシー。 彼女に対して、私は言葉ではなく、視線で答えを返した。 ......今、私たちの目の前で起こったことこそが、その答えだったのだ。 大型のドラゴンほどもあろうかという、黒く巨大な肉の塊に、それを支える十本ほどの脚が生えている。蜘蛛の脚に似た、いびつな形だ。 ゆおおおおおおおおおおおおおん! 怒りとも恨みともつかぬ叫びを月夜に響かせ、ハイパー・デーモンとでも呼ぶべきそれは動き出した。 向かう先には......。 エギンハイムの村。 ######################## 「どうやら、村へ向かうみたいだね」 「何のんきなこと言ってるのよ!」 ギーシュの言葉にツッコミを入れるモンモランシー。さすが、息の合ったコンビである。 一方、こちらも、 「......で、どうすんだ?」 「倒すに決まってるでしょ! あいつが村に着く前に、一撃でぶち倒すの!」 サイトに答えて、私は呪文を唱え始めた。 「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......等しく滅びを与えんことを......」 「何よ、それ!?」 私の詠唱を耳にして、驚きの声を上げるモンモランシー。 こういうのは、初めて聞くのだろう。 これこそが、この世界すべての魔を統べる『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた攻撃呪文......。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 グガォァァァァァンッ! 私の杖から放たれた赤い光が、ハイパー・デーモンに向かって収束し、大爆発を引き起こした。 やがて、爆煙が消えたそのあとには......。 「まだ立ってやがる!?」 サイトが叫んだそのとおり、私の魔法をまともに食らったはずのハイパー・デーモンは、術を受けたその場に立ちつくしていた。 ......だが。 「ダメージはあったようだね」 落ち着いた口調で言うギーシュ。 そう。 粉々に吹き飛びこそしなかったものの、ハイパー・デーモン本体の、肉の塊のような部分が、今の一撃でゴッソリ大きく抉り取られていた。 まだ今は生きているようだが、それなら動かなくなるまで、何発も叩き込めばいいだけの話。 「よぅし、もう一発......」 私が呪文詠唱を始めようとした、まさにその時。 ユラリとハイパー・デーモンが動いた。 「お? 力つきたか?」 サイトが声を上げ、私も同様に思ったのだが......。 甘かった。 ハイパー・デーモンが、小さく体を揺らすように、みじろぎした瞬間。 私の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で抉られた肉が、みるみるうちに盛り上がる! 「......え......」 私は思わず自分の目をこすり......。 再び目を向けた時には、ハイパー・デーモンの傷は、もははや完全にふさがっていた。 「......う......嘘......」 モンモランシーのつぶやきが風に流れた。 他のみんなも、ただただ茫然と、その光景を眺めていた。 当のハイパー・デーモンは、しばしその場に佇んだ後、まるで私の攻撃なんてなかったかのように、再びエギンハイムの村に向かって進み始める。 「......ど......どうすんだ......?」 「......ど......どうする、って......。どうしよう?」 サイトと二人、顔を見合わせるしかない私。 ......今までにも、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)一発では倒せない敵、というのに出会ったことはある。術を防いだ奴もいた。 しかし......。 効くけど、すぐに治っちゃう。 こういう相手は初めてである。 「......はっきり言って、反則ね......これ......」 そもそも、どういう理屈でこういう真似が出来るのか!? かなり強力な高位魔族でさえ、まともに食らおうもんなら、多少なりともダメージを受けるもんだし、そのダメージが即回復する、などということもありえないのに......。 「悩むのは後にしたほうがいいんじゃないかな。今は、せめて足止めだけでも......」 「......そ......そうね。ギーシュの言うとおりだわ」 言いながら、判断を仰ぐかのように、モンモランシーがこちらを向く。 まあ、この中で一番強力な魔法のストックがあるのは私ということで、私を暫定リーダーとでも思っているのだろう。 私は頷き、そして私たち四人は駆け出し......。 ......って、四人!? 「ああああっ!?」 「今度は何!?」 「......ビーコがいなくなってる」 そりゃあまあ、あいつにしてみれば、目的はあくまでも杖を手に入れること。私たちを手伝って、ハイパー・デーモンと戦う義理などない、ということなのだろうが......。 薄情な奴だ。デーモン化したエーコは、ビーコの仲間だったろうに。 「あんな奴どうでもいいじゃないの!」 心底どうでもいいという口調で叫ぶモンモランシー。 ......ま、それもそうだ。私にしたところで、一緒に戦ってくれる、なんて期待してたわけでもないし。 とにかく今は、少しでもハイパー・デーモンの足を止め、その間に、何とか対抗策を見つけるしかない! 私たち四人は、巨大な影を目ざして、ひた走る......。 ######################## 「いくぜっ!」 左手のルーンを光らせ、駆け抜けるサイト。 デーモンの足下で、彼の日本刀が一閃。 ひとかかえほどはあろうかという、ハイパー・デーモンの脚の一本が、バッサリと斜めに両断されて......。 断面から、ズルリと滑るようにずれる。 「やったの!?」 「いや、まだだ!」 本能的に察して、叫ぶサイト。 直後、切れた部分の上下から、触手のようなものがウジョウジョ湧き出した。上下を繋ぎ、あっという間に元どおり。 ハイパー・デーモンは、自分の脚が一瞬斬られたことなど気づかなかったかのように、かわらぬペースで歩いていく。 「......あ......足止めにもならねぇ......」 ハイパー・デーモンから距離をとりつつ、サイトは絶望的な口調で言った。 「ならば、僕のワルキューレたちが!」 ギーシュが造花の薔薇を振り、宙に舞った花びらがゴーレムに変わる。 甲冑を纏う女戦士の形をした、青銅製ゴーレム。それが全部で七体。ギーシュの意を受けて、一斉に突っ込んでいくが......。 「......うーん。やっぱりダメだねぇ......」 ごまかし笑いで言うギーシュ。 脚全部を同時に潰せば足止めになる、と思ってのことだったようだが、七体がかりで、ようやく脚二本。すぐさま完全復活されてしまった。 続いて。 「私の魔法じゃ......無理よねえ......」 ダメもとで水の鞭を放つモンモランシーだが、これはそもそも効く様子すらない。 これで一巡して、また次は私の順番っぽいが......。 「......竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で脚を全部同時に吹き飛ばす......とかやれば、多少の時間稼ぎくらいにはなるけど、ホントに時間稼ぎにしかならないわ......」 大技を連打して再生の暇を与えずに消滅させる、ということが出来ればいいのだが、強力な魔法の呪文詠唱よりも、ハイパー・デーモンの再生する時間の方が早い。 破壊力だけで言うならば、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を超える魔法もあるにはあるが、さすがにアレを使いたくはないし......。 と、ここで私は思い出した。 「みんなっ! 大きいの行くわっ! ハイパー・デーモンから離れてっ!」 唱え始めた呪文は、『魔血玉(デモンブラッド)』の力を借りた増幅バージョン竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)! 長い呪文が完成し......。 「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」 ブゴォォォォォォォォォォォン! さきほどにも増してド派手な爆発が、夜の空気を揺るがしまくる。 やがて爆炎がおさまり......。 「さっきより効いてる!」 その奥から姿を現したハイパー・デーモンの姿に、私は思わず声を上げた。 普通の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)では、巨大な本体にクレーターを穿つ程度だった。一方、今の一撃は、一発で完全消滅とまではいかなかったが、残っている部分の方が少ないくらいに、ハイパー・デーモンの本体を抉り取って......。 あ。 再生した。 「うそぉっ!?」 さすがに頭を抱える私。 あの状況から、一瞬で復活するか!? 「......今のは......かなり凄い魔法だったようだが......あれでもダメなのか......」 「何ひとごとのようにつぶやいてるのよ、ギーシュ!? こういう時こそ何とかするのが男でしょう!?」 「そうは言うがね、モンモランシー。いくら僕でも、出来ることと出来ないことが......」 などと私たちが困り果てている間にも、刻一刻と、ハイパー・デーモンはエギンハイムの村へと向かって進んでゆく。 村に派遣されていた騎士たちも、そろそろこの騒動に気づいたらしく、魔法の炎やら氷やらが飛んでくるようになったが......。 あるいは全く通用せず、あるいは傷つけてもすぐに再生・復活。 ハイパー・デーモンは、もはやエギンハイムの間近へと迫っていた。 ######################## 無数の悲鳴と混乱が、夜の村を支配していた。 「翼人の逆襲だぁぁぁっ!」 「とんでもねぇバケモノ連れて戻ってきやがったぁぁぁっ!」 逃げ惑う村人たちは、何やら大きな勘違いをしているようだ。 このハイパー・デーモンは当然、かつて『黒い森』に住み着いた翼人とは無関係である。そもそも今、村を襲っているのはハイパー・デーモンだけであり、近くに翼人なんていやしないのだが、いやはや思い込みというのは恐ろしいものだ。 ......まさか、私たちを翼人と間違えている、というオチではないでしょうね......? 何にせよ、翼人にしてみれば、とんだとばっちりである。 「でも......手の打ちようがないわね......」 ポツリとつぶやくモンモランシー。 私たち四人も、すでに村のすぐそこまで来ているわけだが......。 ただ現状を見守ることしかできない、というのが実状であった。 ここから竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)あたりをぶっ放しても、さきほどと同じ結果になるのは目に見えている。だいたい、これだけ村に近づいてしまえば、あまり大きな魔法を撃つわけにもいかない。 「......何か......絶対に何か、倒す方法があるはずなんだけど......。さっきから何かが、ずっと引っかかってるのよね......」 つぶやく私の目前では、王政府から派遣された騎士たちが奮闘していた。 この村に送り込まれた者だけでなく、近辺の街や村に滞在していた者も、急遽、駆けつけたのだ。村の端で、隊列をなして並び、魔法を射かけていたが......。 その隊列が崩れた。 黒い巨体が、すぐそこまで迫っているのだから、まあ無理もない。ハイパー・デーモンからは、まだ全く攻撃してきていないものの、そのプレッシャーから生まれる恐怖が和らぐわけはなかった。 「ひるむな! 攻撃呪文を叩き込め! 効いているはずだ!」 逃げ腰になるメイジたちに、説得力のない激励を飛ばす、お偉いさんっぽい騎士。 それをまにうけたのか、一人の若い騎士が、ハイパー・デーモンへ向かっていく。 「やめろ! フランダール君!」 そばにいた老騎士が、その若者の名を叫んだ時。 ヒュンッ。 「ぐあぅっ!?」 何かが風を裂く音と共に、若い騎士が悲鳴を上げた。 呪文の声すら一瞬途絶え、辺りの空気が凍りつく。 黒く、長いかぎ爪のついた、一本の触手。 ハイパー・デーモンの肉の塊から伸びたそれが、騎士の鎧ごと、彼の胸を貫いていた。 ズクンッ! 彼の体が大きく震え、その拍子に、白百合の飾られた帽子が地面に落ちた。 顔からは血の気が引いて、みるみる頬がこけてゆく。 肌がひからび、髪がゾロリと抜け落ちて......。 まだ若かった騎士は、見る間にミイラのような姿に変わり果てる。 ......そう。まるで触手に生気を吸い取られでもしたかのように。 「ひっ!?」 さきほどのお偉いさん騎士が悲鳴を上げるが、彼の運命も同じ。 一体いつの間に伸びてきたのか、かぎ爪のついていない別の触手が、その騎士の体を絡め取り、身動きを封じてから......。 かぎ爪触手にズブリと貫かれ、彼もミイラと化した。 「ぎゃあぁぁっ」 「わあぁぁっ」 「もうやだぁぁぁっ」 絶叫が......悲鳴が辺りにこだまする。 あまりの光景に、ついに耐えきれなくなったのか、騎士たちは、我先にと逃げ出し始める。 ......そして、私は......。 「......思い......出した......」 目の前に展開されたその光景に、思わず声を上げていた。 「なんだ? 何を思い出したんだ、ルイズ!?」 「魔竜王(カオスドラゴン)......あのイザベラ=ガーヴの最期よ!」 サイトに対して、叫んで答える私。 ......そう。 騎士が触手に貫かれる光景を見て、私の脳裏に浮かんだのは、魔竜王(カオスドラゴン)が冥王(ヘルマスター)に貫かれたシーンだった。 まあ、魔竜王(カオスドラゴン)は死んだわけではなく、異世界へ送り込まれただけだから、『最期』という言葉は不適切かもしれないが......。 とにかく、あの時。 「覚えてる!? 腕を斬り落とされた魔竜王(カオスドラゴン)......最後にズボッと、腕を生やし直してたでしょ!」 「ああ、トカゲの再生能力だ、とか言われてたっけ」 おお! サイトにしては珍しく、忘れていなかったようだ。 モンモランシーとギーシュは当然、話についていけないが、敢えて口を出そうとはせずに黙ったまま。ちょっと顔が引きつっているのは、『魔竜王(カオスドラゴン)』とか『冥王(ヘルマスター)』といった言葉を耳にしたせいかもしれない。 「そう、それよ! その再生能力って、あのハイパー・デーモンの回復プロセスと同じじゃないかしら!?」 「......うーん......まあ、似てると言っちゃあ似てるかもしれんが......」 魔竜王(カオスドラゴン)でさえ、無理矢理その腕を復活させた直後は、大きく力を失っていた。 ましてやハイパー・デーモンごときが、何の代償もなく、ああも瞬時に復活できるわけもあるまい。失ったエネルギーを取り戻すため、ああやって人々から生気を吸い取っているわけだ。 「もしも本当に、魔竜王(カオスドラゴン)と同じだというなら......」 魔竜王(カオスドラゴン)を貫いたのは、たしかに冥王(ヘルマスター)だった。 だが、魔竜王(カオスドラゴン)の腕を斬り落としたのは、冥王(ヘルマスター)ではなかった。 ......それは、この私! 「みんな! 援護お願い!」 私は呪文を唱えつつ、ハイパー・デーモンに向かって突っ込んでゆく! ######################## 私の動きに気づいたか、はたまた単なる何かのついでか。 数本の触手が、私を絡め取るべく、こちらに向かって伸びてくる。 まだ私の呪文は完成していない。 しかし。 ザンッ! サイトの斬撃が私を守った。 一瞬だけ触手の動きが止まったその隙に、私はさらに前進する。 「ルイズ! 前に出過ぎだ!」 サイトの言葉は、とりあえず無視。 私を追って、触手がうねる。しかし、大雑把な動きをしているだけでは、私を捕えることは出来やしない。 後ろからは、モンモランシーとギーシュも魔法で援護してくれている。モンモランシーの魔法では触手にダメージを与えることは出来ないが、それでも牽制として役立っていた。 「何やってるんだ、ルイズ!?」 サイトの問いかけにも、今は答えるわけにはいかない。そんなことをすれば、せっかく唱え終わった呪文がチャラである。 唱え終わってはいるが......発動させるには、まだ早い! その時が来るまで、サイトは、黙って私を守っていればよいのだ。それが、本来のガンダールヴの仕事のはず! そして......。 ヒュンッ! うねる触手の間を縫って、何かが私に向かって動いた。 ......来た! この時を待っていたのだ。私は今こそ、呪文を発動する! 「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」 ブゥンッ! 虚無の力を借り受けて、私の杖に生まれた闇の刃が、それを捕えた! ぎぅおぉぉぉぉぉおんっ! 空間のきしみか、はたまた怒りの声か。 すさまじい音が風を震わせる。 そして......。 私が打ちつけた闇の刃は、ハイパー・デーモンから伸びた触手の一本......その先端の黒いかぎ爪とガッキリ噛み合っていた。 「ええええええええっ!?」 私は思わず目をむいた、 この闇の刃、かなりのレベルの魔族でさえも、スパスパ斬れる威力のはず。それをハイパー・デーモンは受け止めたのである。 ......いや、正確に言うならば。 たしかに私の虚無の刃は、黒いかぎ爪を抉り続けている。しかしそのそばから、爪が再生しているのだ。 「これじゃ......キリがないじゃないの!?」 サイトは、他の触手の接近を阻むので手一杯。私の加勢には回れない。 かといって、私が術のパワーを上げることは不可能。そもそも虚滅斬(ラグナ・ブレイド)は、破壊力は大きいものの、魔力の消費量もバカにならないのだ。 あせりが私の心に生まれる。 この状態がしばし続けばどうなるか......。 ......いずれ私の闇の刃が消え、かぎ爪が......。 不吉な結末を、私が想像した時。 「魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)!」 響いたギーシュの声と同時に、視界の端に、光が生まれた。 赤い......光の刃が。 ギムッ! 私の闇の刃と、横手から振り下ろされた赤い刃が、ハイパー・デーモンの黒いかぎ爪を挟み込む。 ......両側からの圧力に、爪がもちこたえたのは一瞬だった。 ギンッ! 耳障りな音を立て、黒いかぎ爪がへし折れる。 くおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! ハイパー・デーモンの絶叫が響いた。 「......な......!? デーモンが......!」 「崩れてゆく!?」 サイトとモンモランシーが驚愕の声を上げた。 ......そう......。 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を受けてさえ、再生していたハイパー・デーモンの巨体。それが今、私たちの目の前で、徐々に崩壊しつつあった。 ######################## 力なくのたうつ触手の群れは、やがて大地に横たわり、乾いた土となって崩れ去る。 巨体を支える脚が折れ、地響き立てて大地に落ちた衝撃で、本体も、触手や脚と全く同じ最期をとげた。 ......あとに残るは、盛大きわまる土ぼこりと、戸惑う村人たちのざわめき......。 「......なあルイズ、結局、何がどうなったんだ?」 サイトがそう問いかけてきたのは、ハイパー・デーモンの体が、原形も残さずに崩れ去ったあとのことであった。 無言でこちらを眺めるモンモランシーとギーシュ、二人の表情にも、同じ疑問の色が浮かんでいる。 ......うーむ......どこからどう説明したものか......。 「......今のハイパー・デーモン、もともとはエーコっていう黒ずくめだったのよね。それが、魔族の呪法で、変わり果てた姿になってしまった......」 しばし考えてから、私は言った。 この辺りは先ほどの話と重複するが、やはり頭からの方が理解しやすいはず。 「しかも単に術をかけられただけじゃなくて、その上で魔族に憑依されていた......。それも、回復やら再生やらに特化した魔族だったみたいね」 だからこそ、あれだけの再生能力と耐摩能力を併せもっていたのだ。 ならば、奴を倒す方法はただひとつ。 呪法を成した魔族を倒すことのみ。 「......あの状況から考えて、あの黒い杖こそ、エーコがデーモン化した原因でしょ。それで......呪法をかけたのと、同化した魔族、それにあの黒い杖とが、全部イコールで結ばれるんじゃあないか......って思ったのよ」 「それが......『魔を生む杖』ってこと?」 眉をひそめてつぶやくモンモランシーに、私はコックリ頷いて、 「そういうことね。......で、よく見たら、いっぱいある触手の中で、かぎ爪ついてるのは一本しかない。しかも、その一本だけが、人々を貫いている。それで、思ったのよ。あれが問題の魔族の核なんじゃあないか、って」 かぎ爪が騎士たちを貫く光景から、魔竜王(カオスドラゴン)と冥王(ヘルマスター)を思い出したからこそ、そんな推測が浮かんだのかもしれない。 魔竜王(カオスドラゴン)を貫いた冥王(ヘルマスター)は、もちろん魔族だった。 なくした腕を再生させた魔竜王(カオスドラゴン)も、もちろん魔族だった。 ならば、人々を貫いて、その生気を再生に回すかぎ爪が、魔族だとしてもおかしくはない......。 「......で......そのとおりだった、ってことか」 まとめるように言うサイト。 私は、ニッコリ笑って、 「うん。予想が外れてたら、とっとと逃げ出すつもりだったけど」 冗談半分の軽口である。 もうシリアスな時間は終わったのだ。 だから、今度はギーシュに向かって、 「あんたも結構やるのね。......すごい威力じゃないの、あの『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』。前に見たときは、レッサー・デーモン相手だったから、よくわからなかったけど......。名前負けじゃなかったのね」 「ふっ。薔薇の赤だからね。最初は『薔薇色の剣(ローズレッド・ブレイド)』とでも呼ぶつもりだったんだが......『魔王剣(ルビーアイ・ブレイド)』の方が格好いいだろう?」 前髪をかきあげながら、誇らしげに語るギーシュ。 モンモランシーも笑顔で言う。 「あなたにしては、悪くないネーミングね」 こうして、すっかり緊張も解けた私たちであったが......。 「そうね。私も、あれほどのものとは思わなかったわ」 声は、離れたところから聞こえた。 ######################## 「......!?」 私たち四人は、同時にそちらを振り向いていた。 かつてはハイパー・デーモンの肉体だった土くれの中に、白い手が潜り込む。 引き抜いた時、その手には、折れた杖の握りの部分だけが握られていた。 「はいはい、ごくろうさま。ま、こいつで『ゼロ』のルイズが倒せるとは思ってなかったけど。......ギーシュさんも結構やるんで、ちょっと驚いたわよ」 杖の柄を片手でもてあそびながら、ファーティマはニッコリと微笑んだ。 今までの服装とは違う。 神官服を動きやすく改造したようなデザインであるが、色は漆黒。飾りなのか、はたまた、私の知らない文字なのか、要所要所には、銀色の縫い取りが施してある。 相変わらず、奇妙な格好なわけだが......。 「......全部......あんたのしわざね......。杖のことも、デーモン発生事件も」 「そういうこと。まさか『ゼロ』のルイズが首を突っ込んでくるとは思ってなかったけど......」 私の問いに、むしろ彼女は、にこやかに答えた。 まるで、これまで見せていた冷たい表情も、全て演技だったかのように。 「噂に深みを持たせるために、デーモンを発生させたのは私。もちろん、杖の噂を流したのも私。......あのヨシアって奴が、結構便利だったのよ。杖はあいつが見つけた、ってことに出来たしね」 「じゃあ......本当は......?」 「翼人事件の後、ヨシアは二度と『黒い森』には入ってないわよ。......利用できそうな人間だったから、私の方から近づいたの」 ファーティマの姿が一瞬、ぼやけて......。 顔も体も、まったく別の女性のものとなった。しかも、その背中には翼が生えている......! 「まさか......あなたはアイーシャ!? ヨシアの恋人だった、っていう翼人!?」 「そうか! 先住の魔法で姿を変えていたわけだね!?」 モンモランシーとギーシュが、目から鱗が落ちたような勢いで叫ぶが......。 「騙されちゃダメよ」 私が、バシッと言い捨てた。 「......本物のアイーシャなら、ヨシアを『利用』するわけないでしょ。こいつは......この姿でもって、ヨシアを騙してたのよ......」 「えっ? ......それは......えげつないことするのね......」 モンモランシーがつぶやく間に。 まるで肯定するかのように、ファーティマの姿が、神官服の少女に戻った。 そんな彼女を見て、ギーシュが首を傾げる。 「......でも、わからないな。変化の呪文を使えるということは、亜人なのだろう? 翼人ではないとすると......エルフってことかい?」 「違うわ、ギーシュ。どうせ、これも借り物の姿。本当の姿は......」 「いいわよ、ルイズさん。自己紹介するから」 ファーティマは、私の言葉を遮って、嫌味ったらしくペコリと礼をして、 「ルイズさんの想像しているとおり......出身は、ハルケギニアではなく精神世界。本名は......シェーラ」 シェーラ=ファーティマは、口の端の笑みを深くして、 「......見ただけじゃわからないと思うけど......これでもれっきとした魔族よ」 「っなっ!?」 さすがにこれには驚いたか、同時に大声を上げるギーシュとモンモランシー。 「......それで? 結局何だったわけ? あんたの目的は?」 シェーラ=ファーティマの話から察するに、私たちを分断して、一人ずつ杖のところまで連れて来たがっていたようだ。 夜中に宿を抜け出して、うろうろしたのも、わざと黒ずくめたちに捕まったのも、そのための小細工だったのだろう。 「あのデーモンを作ることが目的......ってわけじゃなさそうね。計画がバレちゃったんで、腹いせに、黒ずくめをデーモン化させて暴れた、ってところでしょ?」 「う......うるさいわねっ! あんたたちが森に来るのが早すぎたのよっ!」 ムキになるところを見ると、どうやら図星のようである。 無計画というか短気というか......。 なんだかイメージが違うなあ。今までの耳長金髪少女のキャラは、完全に造りものだったわけね......。 「だいたい何よ、その格好。そんなエルフみたいな、目立つ格好しちゃって......。それじゃ変に注目浴びるだけじゃない。この世界に紛れ込むために人間に化けてるのに、それじゃ意味ないでしょ?」 「......し......仕方ないでしょ!? 覇王(ダイナスト)様が直々に、この姿と名前を使うよう、おっしゃったんだから!」 ......へ? 覇王(ダイナスト)......? 彼女の態度や話の内容よりも、その一言に驚く私。 私の表情の変化に、シェーラ=ファーティマも気づいたらしい。彼女はニマッと笑って、 「あら、ルイズさんなら気づいてると思ったのに。......もっときちんと、こう名乗るべきだったかしら? 覇王将軍シェーラ、と......」 「覇王将軍!?」 叫んだ私の目の前で、彼女は、手にした杖の柄を軽く振ってみせる。 そのとたん、折れた部分からスッと刃が伸び生えて、今度は剣になった! 「もちろん、この杖は、私が生み出した魔族。同時に、私の武器でもあるの。だから、こんなふうに再生させることも、形を変えることも自由自在」 驚かされることばかりである。 要するに、シェーラ=ファーティマにとっての『魔を生む杖』とは、異界の魔王『闇を撒くもの(ダーク・スター)』にとっての『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』みたいなものらしい。 まあ、あれだけのハイパー・デーモンを作り出した杖が、単なる魔族ではないことくらいわかっていたが......それにしても......。 「なんだい? 覇王とか覇王将軍とか......有名人なのかな?」 魔族にもその伝承にも詳しくないらしく、ギーシュがのんきに首を傾げる。 サイトですら――これまで魔竜王(カオスドラゴン)やら冥王(ヘルマスター)やら相手にしてきたおかげで――、何となく理解しているというのに。 「......この世界の魔族を統べる『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ......。その配下の、五人の腹心のうちの一人が、『覇王(ダイナスト)』グラウシェラー......。覇王将軍っていうのは、そのグラウシェラーの直属の部下よ......」 絞り出すような私の言葉を、サイトが補足する。 「はっきし言って、シャレにならねえ相手だぞ......。俺たち今まで、魔竜将軍とか魔竜神官とか獣神官とか見てきたが......そいつらと同格ってことだろうからな......」 彼は、日本刀を構えたまま、額に汗すら滲ませていた。 サイトにしては珍しく、かなり細かく覚えていたらしい。個々の名前より、位を示す単語の方が、まだ記憶に残りやすいわけか。 「あなたたち......一体どういう人生送ってきたのよ......」 私とサイトにジト目を送るモンモランシーであったが、彼女など、完全に膝が震えている。 無理もない。......っつうか、私も今すぐ逃走したいくらいだ。貴族は敵に後ろを見せない......なんて言っている場合ではない。 しかし、たとえこちらが逃げ出したとしても、逃げおおせる相手ではない。 ならば......向こうに退いてもらうのみ! 「......許せないわね......」 私はビシッとシェーラ=ファーティマを指さし、真っ向からそう言い放った。 「へえ......。何が許せないのかしら? あなたを騙していたこと? ヨシアって男の想いを利用したこと? それとも、こんな小さな村を潰したこと?」 自分の優位を確信しているのだろう。余裕の笑みで言う彼女。 しかし私も動じることなく、 「違うわよ。私が許せない、って言ったのは......覇王(ダイナスト)って奴のセンスよ。人間の世界での活動に、エルフみたいな姿を使わせるのもどうかしてるけど......。それより何より! 覇王グラウシェラーの部下で名前がシェーラ! その安直なネーミング・センスが許せないわ!」 私の言葉に、シェーラ=ファーティマの顔がまともにこわばった。 「な......! そ......そんなことないわよっ! この名は覇王(ダイナスト)様直々に御命名くださったもの! き......きっと何か、由緒正しいいわれがあるに違いないのよっ!」 おお、動揺しとる動揺しとる。 よし、ここはもう一押し......。 「......まさかとは思うけど。あんたの同僚......覇王神官か何かに、『グラウ』だの『グロウ』だのって名前の奴がいたりしないでしょうね?」 ぴきっ。 私の問いに、完全に凍りつく彼女。 ......おい......本当にいるのか......? ひょっとして......? 「......と......とにかく! 人間には安直なネーミングに聞こえるかもしれないけど! 覇王(ダイナスト)様にはきっと、深いお考えがあるのよ!」 「さぁてどうだか。覇王(ダイナスト)本人に聞いてみれば? 案外、笑いながら『何も考えてなかった』なんて答えが返ってくるかも......」 私の追い打ちに、シェーラ=ファーティマは悔しげにギリッと奥歯を噛み締めて、 「覚えてなさい! 今日のところはこれで退くけど、次に会うまでには必ず、覇王(ダイナスト)様のお考えをしっかり聞いてくるから!」 捨てゼリフには聞こえぬ捨てゼリフを吐くと、彼女はフッと闇に溶け消えた。 「......なんか......退いてくれたな......?」 「そうね、サイト。精神体たる純魔族だけあって、心理的動揺には弱かったみたいね」 「そういうものなの......? 魔族って......?」 サイトと私の会話に。 いまだ震えながら、モンモランシーはツッコミを入れたのであった。 ######################## 「じゃ、元気でね」 私とサイトの二人が、モンモランシーとギーシュの二人に別れの挨拶を告げたのは、その翌日のこと。 「結局、おたがい無駄足だったわね」 言って苦笑を浮かべるモンモランシー。 「......あなたたちのおかげで、助かったけど......。でも、これだけは言っておくわ。もしもまた、いつかどこかで、宝を巡って争うことになっても......手加減はしないわよ?」 「わかってるわよ。......あんた、プライドだけは高そうだしね」 「ちょっと、どういう意味!?」 私とモンモランシーが女同士でやり取りする横で。 サイトとギーシュも、何やら男らしい別れの言葉を交わしていた。 「......ま......ともかく、お前たちも元気でな。あんまり浮気するなよ」 「浮気......? 何を言ってるんだい、サイト。男には勇気と武勲の数だけ愛があるのだよ。それに......僕にとっての一番はモンモランシーだからね、安心したまえ」 彼の発言を聞きつけたモンモランシーが、ギーシュの耳を引っ張って、 「何が『安心したまえ』よ!? 『一番』じゃなくて『だけ』って言えないの!?」 「痛っ。そんなに引っ張らないでくれよ、モンモランシー」 「じゃあ、前みたいに水柱の中で溺れたい?」 「いや、それも勘弁......」 イチャイチャだかゴチャゴチャだかしながら、二人は歩き去っていく。 そんな二人の姿が、街道の向こうに見えなくなった頃。 「......やれやれ......けどまあ一息ついた、ってとこかな」 死ぬほどのんきなセリフを吐くサイト。 「......はぁぁぁぁぁぁ......」 私は深いため息ひとつつき、 「あのねぇ、サイト。あんまり何も解決してないでしょ、今回」 確かにハイパー・デーモンは撃退し、シェーラ=ファーティマはツッコミに動揺して去っていった。 しかし杖は手に入らなかったし、黒ずくめたちが何者なのか、それもわからずじまい。 そして何よりも問題なのが、シェーラ=ファーティマの計画が何だったのか、その詳細が不明なままということ。 知能程度と性格はともかく、かりにもシェーラ=ファーティマは覇王将軍。そんな奴が実動部隊として動いている以上、よほど大きな話に違いない......。 「ほほぅう」 私の説明を聞いて、なんとも頼りない返事の声を上げるサイト。 まったく......こいつは......。 まだわかってないんでしょうね。 一体、何が起ころうとしているのか。 もちろん私にも、具体的なところはわからない。 なにしろ手がかりが少なすぎるのだ。 しかし......。 もしも、冥王(ヘルマスター)という大きな力を失った魔族が、巻き返しを計ろうとしているのであれば......。 「へたをすれば......戦争ね。それも......エルフとの『聖戦』どころじゃない、魔族と人との全面戦争......」 サイトには聞こえないくらいの小声で。 晴れ渡った空を眺めながら、私は、そうつぶやいていた。 第九部「エギンハイムの妖杖」完 (第十部「アンブランの謀略」へつづく) |
某月某日。 「やめたまえ!」 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を唱えようとしたら、必死の形相で止められました。 私の前に両手を広げて立ちふさがった金髪のおっちゃんは、それでも優雅にパイプをくわえたまま、 「私の推理が正しければ......。ルイズ君! 今、君が唱え始めた呪文、かなり強力なものと見た! さては高出力の術で、遺跡を丸ごと吹っ飛ばすつもりだったな!?」 「まあ......そうですけど」 唱えかけていた呪文を中断し、私は素直に頷いた。 とぼけようかとも思ったが、相手の推理力とやらに敬意を表して、である。 目の前のおっちゃん――『鷲鼻』のシャイロック――は、鷲鼻と角張った顎が目立つメイジ。口には、いつもパイプをくわえている。 外見的な特徴を二つ名にするくらいだから、メイジとしての腕前は、たいしたことないのかもしれない。そもそも実戦向けではなく、学者肌のメイジであり、海沿いの街にある研究施設で働いているのだという。 「けど依頼の目的を考えると、これが一番確実かつ合理的なはずよ」 私は真顔でシャイロックさんを見つめ、自信を持ってそう言った。 ......いつのまにかまたキュルケいなくなったなあ、などと思いながら、ガリアの沿岸の街や村を旅していた私。そんな私に、とある村で彼が依頼してきたのは、遺跡に出現したガーゴイル(魔法人形)の駆除であった。 しばらく前。 街から離れた山中で、土砂崩れをきっかけに未踏の遺跡が発見されて、王政府の命令で調査隊が派遣された。そのリーダーが、このシャイロックさん。 ところが遺跡調査中、仕掛けられていた罠が作動し、侵入者撃退用と思われるガーゴイルたちが遺跡の中に解き放たれてしまったのだとか。 調査隊が逃げ出した後、一応入り口を封じたらしいが、ガーゴイルたちが徘徊する状態では内部調査も出来ないし、万一そいつらが外に出て、侵入者と誤解して普通の人を襲いでもしたら大問題。 そうなる前に駆除を、というのが依頼の内容だった。 「未調査の遺跡を吹っ飛ばすのは惜しい、って気持ちは、まあわかるけど......」 「それ以上の理論武装は必要ないぞ、ルイズ君。私の推理が正しければ......。君は、遺跡ごと攻撃呪文で吹っ飛ばし、手っ取り早く依頼終了ということにしたいわけだろう?」 「......うっ......」 言葉に詰まる私。 さすがに遺跡調査隊のリーダーに選ばれるだけあってか、結構この人、頭の方は回るみたいなのよね......。 そこまで見抜かれてしまえば仕方がない。 私は黙って、遺跡に向かって歩みを進めるのだった。 ######################## 崩れた崖のその奥から、ブ厚い石の壁が覗いていた。 壁の一部は取り除かれて、奥には通路が左右に続いている。 穴の前、むき出しになった地面には、大小さまざまな石が転がっていて......。 「......ば......バカな!?」 その光景を目の当たりにして、シャイロックさんは驚愕の声を上げた。 「どうしたの?」 尋ねる私に、彼はワナワナ身を震わせつつ、 「入り口は塞いだはずなんだ!」 「......そういえば......」 確かそんな話だったような。 シャイロックさんは、ポッカリ開いた入り口を見やったそのままで、 「作業用ゴーレムを作って岩を運ばせ、この入り口の前に積み上げて、ちゃんと塞いだのを、私は確かにこの目で見ている! なのになぜ、その岩が崩されている!?」 ......なるほど。とすると、あたりに散らばる岩が、入り口を塞いでいたのか。 岩には大小があるものの、ちょっとした震動で自然に動いてしまうサイズでないことだけは確かである。 「それに! 岩で塞いだのは万が一の用心であり、それとは別に、遺跡自体のシステムでも閉ざされていたはず! ......見ろ!」 言ってシャイロックさんが指さしたのは、入り口の横に掘られた彫刻。 中にいるガーゴイルのつもりか、人型の物体が数体、踊っているような絵が刻まれている。 「この『踊るガーゴイル(魔法人形)』が、扉を開け閉めするための暗号になっていてな。正しい順序で押していかないと、扉は開かん!」 彼が人形の絵の上に、指を滑らせていくと......。 ゴオォォォォォッ......。 重たい音と共に、扉が動き始めた。 「......閉めてどうすんのよ!?」 「大丈夫だ」 また別の順序で、人形の絵に触れるシャイロックさん。 今度は逆に、開く方向に扉が動く。 「......ということは......事情を知っている誰かが、岩をどけて扉も開けて、遺跡に入っていった......?」 「そのようだな」 私の言葉を、シャイロックさんが肯定する。 いつのまにか、彼は入り口そばに歩み寄っていた。 調査用の七つ道具であろうか、手のひらサイズの虫眼鏡(ルーペ)を懐から取り出して、辺りの地面を調べている。 「......ここに足跡がある」 彼の言葉に、私も駆け寄り、地面に目を向ける。 そこには、サイズの違う足跡がいくつか。しかも、つま先の向いた方向は、ポッカリ開いた穴の方。 「前に調査した時の足跡ではないのね?」 「違うな」 私の疑問に、彼は首を横に振りながら、足跡の一つを指さした。 「これを見ろ。入り口の岩をどかした上に、足跡がついているだろう。しかし......」 シャイロックさんは、しばし苦い表情で沈黙すると、くわえていたパイプを手に取り、 「ただの遺跡泥棒......ではないな。入り口の『踊るガーゴイル』の仕掛けを解き明かしたくらいだ、それなりの連中であろう......」 足跡の種類はいくつもあるので、侵入者は複数。反対向きの足跡はないので、彼らは中に入ったまま、出てきていないということ。 中でガーゴイルにやられたのか、あるいは、まだ現在おたからを物色中なのか......。 「ともあれ、放っておけば、中で遭難されるか、あるいは宝を持ち出されるか、ってことになるわけだけど......」 「そうはさせん。行こう!」 シャイロックさんは迷わず言うと、小さな杖を取り出し、その先に魔法の明かりを灯す。 どうやら彼も、一緒に中へ入るつもりらしい。 ......うーん。いざという時には一人の方が動きやすいのだが......。 まあ、案内役だと思えば、仕方ないか。 かくて。 私とシャイロックさんの二人は、遺跡の中へと踏み込むことになったのであった。 ######################## 光は闇を押しのけて、かわいた石壁を照らし出す。 壁のところどころにある出っぱりは、灯火のためのものだろう。上の辺りが煤で黒く汚れていた。 通路はさして広くない。いざ戦闘となっても、武器を振り回すには狭すぎるくらい。二人で並んで歩くにも狭いので、シャイロックさんは私の後ろを歩いている。 「気をつけろ! ガーゴイルたちがいつ出てくるか、わからないからな! ......あ、そこの分かれ道は、右へ」 パイプをくわえたまま、後ろから指示を出すシャイロックさん。 「了解。で、どんな奴らなの? そのガーゴイルたちって」 「そうだな......。外見は、まるで亜人だな。トカゲと人の、合いの子のような......。シッポと首が長く、頭の高さは、この通路の天井に近い」 言われて私は天井を見やる。飾り彫りが施されており、高さは大人の男が手を伸ばせば届くくらいか。 この天井に近い背の高さとなると、近くで見ればかなり威圧感もあるだろう。 「でも、しょせんガーゴイル......魔法人形なんでしょ? 見かけ倒しじゃないの」 「そうでもないぞ。数が多かったからな......。見かけてすぐに全員で逃げたから、正確な数はわからんし、どれだけ手ごわいかもわからん。ただ少なくとも、調査員の全員がなんとか逃げ切ったことから考えると、足は速くないようだ」 「ふーん。そう......」 話しつつ、もちろん辺りに注意しているが、今のところ気配はない。 「じゃあ、遺跡の構造は? もちろん、わかってる範囲でってことで」 「反対側に進むと、突き当たりに、どうしても入れない部屋があってな。調査に入った時は、そちらはとりあえず後回しにして、こっちを調べたんだ。だから、まずは勝手のわかっているこっちに進んでいる。もう少し行くと......」 シャイロックさんは、トーンを落とし、やや不安げな声で、 「......大きな部屋に出る。そこからが遺跡の本体だ。いくつもの分かれ道と、いくつもの罠が待っている。ガーゴイルたちを解き放つことになったのも、そんな罠の一つだ。あれは......恐ろしい罠だった......」 「......どんな罠?」 私は尋ねる。 こういう場所での罠といえば、特定の床板を踏んだり、ダミーのお宝を触ったりすると発動する、というのが定番だが......。 「その部屋からさらに進むと、祭壇があってな。いかにも怪しげなボタンがついていて、大きな文字で『押すな』と......」 「それに引っかかったの!?」 「違う! あまりにもパターンどおりの見え見えの罠だったので、推理力を働かせる間もなく、条件反射で『そんなベタな罠にかかるかぁぁぁっ!』とボタンに裏手ツッコミを......」 「それを引っかかったって言うのよ!」 ガーゴイルを解放したのは、シャイロックさんだったわけだ。 調査隊のリーダーである彼が、部下の隊員も連れず、私を雇って現場に戻ったのは、罠を作動させた責任を感じてのことだったのね。 いずれにしろ、今さらシャイロックさんを責めたところで仕方ない。 ......などと考えながら進むうち。 二人は同時に立ち止まる。 通路の先に見えたのは、不気味に黒光りする鉄のドア。 「こちらにも鍵はかかっていたが、開けるのにそう苦労しなかった。が......」 口ごもるシャイロックさんのあとを、私は続けた。 「たしかに......半開きっていうのは気になるわね」 横にスライドするタイプのドアは中途半端に開いており、その隙間からは光が漏れている。 足音を殺して近づいて、開いた隙間から様子をうかがい......。 「......なるほど......」 つぶやくと私はドアを開け、その先へと踏み込んだ。 やはり石造りの、大きな円形の部屋。 おそらく先客が灯したものだろう。天井近くで、魔力の明かりが辺りをしらじらと照らしている。 部屋の左右と正面には、入ってきたところと同じ鉄のドア。 中に人の姿はなく、代わりに......。 「こいつが問題のガーゴイルね」 私はそれを見て言った。 部屋の真ん中よりやや右寄りに、立ったまま氷づけになっているそいつ。 英雄譚の本に出てくる、リザードマンのような姿。翼のない小さな竜に見えないこともないが、前足というか腕は不釣り合いに小さい。 「先客が、はち合わせしたガーゴイルを魔法で氷づけにして奥に進んだ、ってことなんだろうけど......。シャイロックさん、ここから先はくれぐれも気をつけてね」 「......遺跡泥棒のことだな?」 「そういうこと」 ちゃんと彼も気づいているらしい。なんだかんだ言って、一応、頭は回る人なのだ。 ......かけられた魔力の明かりも消えておらず、ガーゴイルが一体氷づけ。 つまり、遺跡泥棒の中にメイジがいるのだ。私たちに出会ったとたん、攻撃魔法をぶっ放してくる可能性も高い。 「で、調査隊が進んだのって、どのルート?」 「正面だ。そこを進めば、いくつか通路と部屋があった後、ガーゴイルたちを解放する罠のあった祭壇がある」 「じゃあ、とりあえずそっちは避けて......左の方からでも調べてみましょ」 言ってそちらに歩き出す。シャイロックさんも異論はないのか、私のあとについて来る。 そこにあるのは、さきほどとは違った鉄のドア。外見だけは同じ......と思ったが、よく見れば少し違う。これには、ドアノブらしきものがないのだ。 「鍵はかかってないぞ」 後ろから、シャイロックさんの声。 なるほど、ドアの端っこを無造作に押せば、それだけで反対側の端を軸に、あっさり奥へと開いた。 「......おそらく、こういうドアじゃないと、ガーゴイルたちが通り抜けられないんだ」 補足説明を聞いて、私は、あらためて肩越しに、氷づけガーゴイルを振り返る。 手のツメは大きく鋭いが、この手でノブや取っ手を掴むのは難しそう。 「......うまく出来てるのね」 つぶやきながら、私は新しい通路へ歩み入る。 バネでも仕掛けてあるのだろうか、後ろでドアが勝手に閉まろうとするが、その前にシャイロックさんも私に続いた。 さっきの通路と似たようなつくりで、人もガーゴイルも見当たらない。 明かりを掲げて歩み行くうち、やがて同じようなドア。注意を払いつつ押し開け、くぐれば、やはり円形の部屋。 ただし今度は、ドアは左に一つのみ。 「左に行くしかないわよね?」 「そうだな」 一応確認してから、ドアを押し開き、また新しい通路へ。 同じような通路の先に、同じような部屋。今度の部屋は、ドアは左右に一つずつ。さらに......。 中央に円柱状の台があり、その上には、首を傾けたエルフの小さな石像。どこからどう見ても罠くさい。 「......シャイロックさん、くれぐれも罠には注意するように」 「わかっている。ルイズ君こそ、気をつけたまえ」 私はあんたとは違う......という言葉は心の内に留め、台座に歩み寄り、見れば......。 台座の上、像のやや手前にボタンがあって、そばには大きな文字で、 『押すか?』 「疑問形かいっ!?」 ツッコミと同時に、私はエルフ像の頭を一発叩く。 その途端。 ゴンッとわずかに、エルフ像が台座に沈み、また上がり。 ゴ......ゴゴゴゴゴッ! 地響き立てて、部屋全体が揺れ始めた! 「......え......? ひょっとして、これエルフ像の方が何かのスイッチ!?」 「ほら! 君だって引っかかった!」 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 部屋が崩れるわ! とにかく脱出!」 叫び返し、きびすを返し、もと来たドアの方へ私は駆け寄る。 シャイロックさんの方が先に辿り着き、ドアを手で押し......。 ガギンッ! 弾き返された!? 「開かないっ!」 焦りの声を聞きつつも、私もそばに到着し......。 揺れが。 止まった。 「......」 一瞬立ちつくす、私とシャイロックさん。 結局、部屋は崩れたりしなかったが......。 なんという恐ろしい罠か。 あからさまなボタンへのツッコミを避けて像の方へと入れれば、そちらの方が何かのスイッチになっているという、まさに悪魔のごとき知略! この遺跡を設計した人間は、ツッコミ体質の人間というものを熟知した上で、数々の罠を設置しているのだ! 今の仕掛けが発動したことにより、いったい何がどうなったのかは不明だが......。 「とにかく、こんな部屋に長居は無用よ」 言って私はドアを押す。開かなくてもともとのつもりだったが、意外やアッサリ奥へと開き......。 そこには通路とガーゴイル。 「んのにゃぁぁぁぁぁっ!?」 「イル・アース・デル」 わけのわからん叫びをシャイロックさんが上げている間に、冷静に呪文を唱えた私。 爆発魔法で、ガーゴイルが吹っ飛んだ。 「い......今のは『錬金』の呪文では......?」 「私が唱えれば、こうなるのよ。......って、そんなことはいいから、今のうちに!」 私とシャイロックさんは、通路に飛び込み駆け抜けて、ドアをくぐって前の部屋へと。 しかし。 「......あれ......?」 私は呻いて立ち止まる。 シャイロックさんも、私と同様。 「私の推理が正しければ......ここにはドアは二つだけのはずだが......」 あいかわらずパイプをくわえながら......いや、かじるような音まで立てつつ、首をかしげるシャイロックさん。 「それは推理じゃないでしょ。それを言うなら『私の記憶が正しければ』よ」 律儀にツッコミを入れてから、あらためて部屋を見回す私。 彼の言うとおり、像がある部屋の前に通り過ぎた丸い部屋には、ドアは二つしかなかった。この向きならば、右側に一つ見えるだけのはずなのに......。 今この部屋には、私たちが入ってきたドアの他に二つ、左右にそれぞれあるのだ。 「まさか......さっきのスイッチでドアが増えた、なんてことないわよね?」 一瞬、『錬金』魔法と連動したスイッチ......という可能性も考えたが。 「いや、違うだろう。私の推理が正しければ......部屋が回ったんだろうな」 「なるほど......部屋を回して、自分の位置を混乱させる、ってことね」 シャイロックさんの言葉に頷く私。 同じような通路に、同じような部屋。侵入者を迷わせるような構造になっているのだから、なんで部屋がまるいのか、それを考えれば当然の推理である。 さきほどの揺れも、部屋が崩れる危険を考えて焦ったのだが、思い返してみれば、部屋が回っているような感じだったかもしれない。 「とりあえず戻って、確かめてみるか」 彼の提案に私は頷き、二人はきびすを返すのだった。 ######################## 「......元の道には通じてないようだな......」 「そうみたいね」 憮然とつぶやくシャイロックさんに、私も眉をしかめて同意した。 部屋が回っていると悟った私たちは、いったんエルフ像の部屋へと戻り、そこから帰り道を探し始めた。 最初に入った部屋から像の間までは、途中、ドアが二つの部屋を通っただけ。像の間の左右のドアの片方が、その部屋への通路に繋がっていれば話は簡単だったのだが......。 左を行けば、ドアが三つの部屋。 右へ行った先にある部屋は、たしかにドアは二つ。だが、そこのドアは開かなくなっており、試しに爆発魔法でぶち破ってみれば......。 その向こうは石の壁になっていたのだ。 「単純に部屋が一つ回っただけではないのかもしれんな。一つのスイッチに連動して、複数の部屋が同時に動き出す......」 シャイロックさんが、新たな推理を口にした時。 ゴ......ゴゴゴゴゴッ! 突如襲った地響きと揺れは、さきほどと同じもの。 また部屋が回っているのだ。そうと意識してみれば、部屋が左回りに動いているのがハッキリわかる。 「グッドタイミングね」 「ああ。私の推理が正しいという裏付けだ」 そう。 この部屋には、別に何の罠もスイッチもない。 にも関わらず、動いたということは......。 「たぶん......遺跡泥棒たちが、部屋を動かす仕掛けに触っちゃったのね......。部屋を回す仕掛けの他に、ガーゴイルを解放するのやら、別の罠やらもあるだろうし......」 つまり。 この遺跡をちゃんと歩くには、部屋を回す仕掛けと、それ以外のものとを見分けて、回す仕掛けだけを上手く利用して歩くしかないのだ。 「......めんどうな話ね......」 げっそりと私が吐き捨てる間に......。 揺れがおさまり、部屋の動きが止まった。 ぶち破ったドアの先、壁だったところに、今は通路が出現していた。 「これは......法則がわかっても、地図を描くのは苦労しそうだな......」 「でも、ぼやいていても仕方ないわ。とりあえず......ここ進んでみる?」 私が少し投げやりに、目の前に開いた通路を指さすと......。 光が現れた。 ただ真っすぐに延びた通路。 その先のドアが開け放たれて、立っていたのは、いくつかの人影。 ......遺跡泥棒だ! 後ろの連中はよく見えないが、先頭の一人は、ローブにマントのメイジ姿。ローブの上からでもわかるくらい、痩せた長身の男である。 片手に掲げた杖の先、灯した魔力の明かりが、男の顔を照らし出す。白く突き出た額を持ち、深く窪んだ眼をした、青白い顔を......。 そのメイジの顔を見て、シャイロックさんが驚きの声を上げた。 「......モーリア!? モーリアなのか!?」 どうやら知った顔らしい。 しかし。 返事の代わりに戻ってきたのは......無数の氷の矢! 「危ない!」 とっさにシャイロックさんを横に蹴り飛ばし、反動で私も反対側へ跳ぶ。 そのあとを行き過ぎる冷気の大群は、部屋を横切り、向かいの壁に当たって氷を張りつかせた。 一撃をやり過ごした直後、通路を覗けば、すでに相手の姿はない。いくつもの足音が遠ざかってゆくのみ。 追いかけようかとも思ったが、とりあえず......。 「知り合い?」 よろよろと身を起こすシャイロックさんに目をやり、私は問いかける。 「......ああ......。先頭にいたメイジ......あれは私の同僚だ。モーリアの二つ名は『教授』、頭も回るし、なかなか優秀な男なのだが......色々と悪い噂があったため、調査隊のメンバーには選ばれなかった。それが......こんなところで遺跡泥棒をやっていたとは......」 シャイロックさんは動揺しているようだが、同時に、なにか納得したかのような表情も見せていた。 彼もわかっているのだろう。 最近見つかり、調査が中断している遺跡に、タイミングよく入ってきた遺跡泥棒。しかも、入り口にはそれなりの仕掛けもあったのだ。シャイロックさんの同僚がその一員だとすれば、色々と辻褄も合う。 「......なんとしても、奴を止めねばならん。協力してくれるな、ルイズ君?」 「いいわ。どうせガーゴイルをどうにかしなきゃならないわけだし、それに遺跡泥棒がプラスされたからって、たいした負担にもならないし」 「すまない! なら早速、奴らを追うぞ!」 私たちは、彼らが消えた通路へと駆け出した。 ######################## 「私たちは......『教授』のモーリアを追っているんだよな......?」 「うん。そのつもりだけど......」 いくつのドアをくぐったか。 いくつの部屋を通り過ぎたか。 もう自分でもわからない。 最初はモーリアたちの足音を頼りに進んでいたが、それも途中から聞こえなくなり、仕方なく私たちは、デタラメに進んでいた。 遺跡の中をうろついている......と言えば少しはマシかもしれないが、要するに、迷っているのである。 「まあ、いいじゃないの。途中で出会ったガーゴイルたちは、ちゃんとやっつけているわけだし」 「うむ。それが最初の目的だった......と言われてしまえば、それまでだが......」 一応数えているのだが、これまで倒したガーゴイルは、全部で五匹。 しかしこれだけ進んでも、いまだ遺跡泥棒たちとは再会せず、遺跡の果てが見える様子もない。 「まあ、この遺跡だって無限に広がってるわけじゃないんでしょ? 確実に連中を追いつめてるはずよ」 半ば自分に言い聞かせるように、慰めの言葉を口に出す私。 これだけ同じ状況が続くと、さすがに私もウンザリであった。 一つ一つの部屋も決して大きくないし、通路も一本一本はまっすぐ。せめてガーゴイルたちがもっと強ければ、緊張感も生まれるかもしれないが、私にとっては楽勝な相手。 むしろガーゴイルたちより恐いのが......。 途中の部屋に設置された罠の数々! 彫像などが置いてあり、ボタンのそばには......。 『包括的に鑑みて押すことが必ずしも良好な結果を招くものとの判断には至りませんでした』 『これは幸せのボタンです。押したジョゼさんは商売にも成功、異性にもモテモテ! 今ならこの幸せのボタンが、なんと三つセットで、たった四エキュー!』 『押したければ押せ。だがそんなことで、この俺は止まらない! 俺は出ていくぞ! こんなガーゴイルだらけの部屋、これ以上いられるか!』 さまざまなツッコミ待ちコメントのオンパレード。 むろん私もシャイロックさんも、もはやそんなものに、いちいち引っかかったりするはずもなく。 ツッコミを入れたいところを、奥歯をギリリと噛み締めてこらえてみたり、シャイロックさんに至っては、愛用のパイプを噛み砕いてまで耐えてみたり。 まあ、そんなこんなで、頑張ってきた甲斐もあって。 やがて......。 「......あれは!?」 「しっ!」 声を上げかけたシャイロックさんを制止する私。 声が聞こえてきたのだ。 それも、複数の人間が言い争うような声が。 「......隠れましょう......」 私は小声で、指示を出す。 今いる部屋は、さして他のところと変わらぬ円形の部屋。 真ん中には、大きく口を開いた吸血鬼の像。部屋の四方には、四つのドア。 私たちが入ってきたドアを背にして向かって右、声がしたのはその先から。 シャイロックさんと二人で像の陰に隠れていると、声はだんだん近づいてきて......。 「だから俺は、遺跡潜りなんて辛気くさいマネは嫌いだと......」 声と共にドアが開いた瞬間。 陰から放った私の爆発魔法が、踏み込んだ男を襲う! 「ちいっ!」 男は通路に身を引き、ドアを引いて盾とした。 身をかわせば後ろの仲間に当たると読んだのだろう。悪くない判断である。 しかし。 ドグォォォンッ! 派手な音と共に、そして盾としたドアと共に、男は吹っ飛んだ。 ふっ。私の魔法の威力を読み誤ったのが、彼の敗因である。 爆煙が晴れた、その先には......。 「大漁ね!」 「いや、ルイズ君。そういう話ではないと思うのだが......」 さきほどの男だけではなく、全部で三人、倒れている。 ただし。 その先を走り去る、一組の男女の後ろ姿! 問題のモーリアと、その助手っぽい女! 「追うわよ!」 「あ......ああ!」 倒れた男たちは、その場に放置して。 私とシャイロックさんは、再び走り出した。 ######################## 「どうすんですか!? 向こうの助っ人、やたらと強力な魔法使ってくるし! おかげで『虎刈り』ゴランまでやられちゃって! 話が違いすぎますよ!」 「落ち着け。慌てたところでどうにもならん。あと、ゴランの二つ名は『虎刈り』じゃなくて『虎狩り』だぞ」 ヒステリックな女の声を、男の声がたしなめる。 とはいえ、その男の声にも、余裕の色はなかったりするのだが。 「......ともあれ。この部屋の仕掛けも、作動させておこう。そうすれば、少しは時間が稼げ......」 「そうはさせないわよ!」 ドガン! ドアを蹴り開け、杖を振り下ろす私。 魔法が女に直撃し、残るは男一人......つまり『教授』モーリアだけとなった。 「おまえたち!? もう追いついたのか!?」 モーリアたちが作戦会議をしていたのは、やはり似たようなつくりの部屋。四方にドア、部屋の中央に台座があって、その上にはドラゴンの像とスイッチが。 「モーリア! もう観念したまえ!」 半ば私の背後に隠れるようにしながら、言葉だけは威勢のいいシャイロックさん。 「おまえの悪行は、全て明白である。私の推理が正しければ......。モーリア、おまえは、研究施設における地位の低さに嫌気がさして......」 「ちょっと!? そういう話は後回しよ!」 そう。 シャイロックさんが何やら、事件の背景を語り始めた隙に。 当のモーリアは、仕掛けのスイッチを思いっきり叩き押していた! しかし。 「......あれ......?」 今度は部屋が動く気配もなく、ガーゴイルが出てくる様子もない。 代わりに、ただ正面の扉だけが、少しずつ開いて......。 「おおっ!?」 一斉に声をあげる私たち。 ドアの先に、通路はなかった。 隣の部屋と直結していたのだ。 それも、今までとは明らかに違う部屋と。 ......いや、部屋というより、ホールと呼んだ方がいいかもしれない。 がらんとした、四角くて広い空間。 その奥にあるのは......。 大きな人の顔が浮き彫りにされた、やたらと大きな石の扉。 「あの先が......遺跡の中心部?」 「......そうだろうな......」 私とシャイロックさんの言葉を聞いて......。 「......提案がある」 今までとは違う、落ち着いた口調で言うモーリア。 「決着は、この奥を見た後にしてくれないか。こういう事態になったとはいえ、俺もお前も、共に知識を求めるメイジ。先を見ぬまま倒れては、心残りというものだろう」 何を今さら。 私はそう思ったのだが、シャイロックさんは一言。 「わかった」 ......甘いなあ。 だが私も、とりあえず無言で頷いておく。 それを見て、ゆっくりモーリアは歩み始めた。 巨大な石のドアに向かって。 私とシャイロックさんも、彼に続く。 イザとなれば後ろからでも撃つつもりで、私は杖を構えたまま。一方、シャイロックさんとモーリアは、罠の有無でも確かめているのか、二人で表面の彫刻を調べていた。 「......鍵は......かかっていない......」 「こんな......いかにもな感じのドアなのに......?」 顔を見合わせてから、二人は同時に、ドアにかけた手に力をこめる。 ゴ......ゴゴゴゴゴ......。 ドアは重い音を立てつつも、意外とアッサリ奥へと開き、まばゆい光が差し込んで......。 「......!?」 その先に広がった光景に、私たちは思わず息を呑んでいた。 ######################## 鳥が鳴いている。 白い雲に青い空。おひさまの光が大地を照らし。 だだっ広いむき出しの地面を、石造りの席がグルリと取り巻いて。 その席の一つで、ひなたぼっこしているメイジが一人......。 「あら? ルイズじゃないの!」 それは、少し前から姿を消していた私の旅の連れ、キュルケであった。 「......キュルケ......!? あんたこそ、一体ここで何を......」 「仕事よ、仕事。いっつもいっつもルイズにたかってばっかり、っていうのも嫌だからね。ここでちょっとした小遣い稼ぎをしてたのよ」 脚を組み、あくびをしながら言うキュルケ。 ずいぶんノンビリとした態度であり、私たち三人とは、まるで空気が違う。 「仕事......?」 「そ。闘技場(コロシアム)の番をしてるの」 私の問いかけにキュルケは答えるが、それを聞いて目を点にしたのはシャイロックさん。 「コ......コロシアムだと!?」 「ええ、そうよ。ここは、この辺り一帯を治める、領主の伯爵が造らせたコロシアムなんだって。お披露目はもう少し先だけどね」 「......でも......地下......」 自分たちが出てきた後ろを肩越しに指さして、ゴニョゴニョつぶやくモーリア。 「それも一緒に造らせたものらしいわ。この広場をコロシアムみたいに使うこともできるし、そこの遺跡ふうの迷路を使って、色々な競技も出来るように、って」 「遺跡ふう......」 つぶやくシャイロックさんの顔は、いまや完全に引きつっていて。 遺跡ふう、ということは、つまりは本物の遺跡じゃないということで。 そんなこっちの動揺を知ってか知らずか、キュルケは説明を続ける。 「なんでも、中の様子を観客席から見ることも出来るようにしてあるらしいわ。仕掛けもタップリ用意して、カタキ役の魔法人形まで配置してるんですって。......そうやって準備してるところに、間違って誰か入り込んだりしないように、ってことで、私が雇われて、ここで見張ってたんだけど......」 話の途中で、顔をしかめるキュルケ。 「......あなたたち、遺跡ふう迷路から出てきたってことは......どっかから中に入っちゃったのね?」 頷く力すら失ったかのように。 シャイロックさんとモーリアは、無言で顔を見合わせていた。 「......なるほど......そういうことだったのね......」 私もようやく事態を理解した。 土に埋もれ、長い間未発見だった遺跡で、大がかりな仕掛けが問題なく作動し、昔々に魔力をこめられたガーゴイル(魔法人形)が今でも稼働している......。 普通ならありえない話である。しかし、それだけ高度な建築技術や魔法技術が使われている証拠......とも考えていたのだが。 「......ああ......」 私は疲れた苦笑いを浮かべ、 「......ここの迷宮、山の中を結構遠くまで掘り進んでるでしょ? ちょっとした崖崩れがあって、迷宮の一部が顔を出して......。どうやら私たち、それを本物の遺跡だと思い込んじゃってたらしいわね」 いにしえの遺跡の番人にしては、ガーゴイルたちが弱いと思っていたのだが......。競技用に用意されたものだというなら、まあ、あんなもんだろう。 「じゃあ......宝とかは!?」 モーリアの上げた声に、キュルケは呆れたように、 「あるわけないじゃない、そんなもの。そりゃ、お披露目が終わって競技が始まれば、商品くらい置かれるかもしれないけど......。それを置くのは、最後の最後でしょうね。盗まれても困るし。それより......あなたたち、中を荒したりしてないわよね!? おかしなことされたら、私の仕事が失敗したことになっちゃうのよ!?」 途中から、キュルケの言葉は詰問口調となっている。 だがモーリアは、最後まで聞かずに頭を抱え込んでいた。 「......えぇぇぇええぇぇ......」 何やら呻きながら、ガックリその場に膝をついている。 その一方で。 「......ルイズ君......」 シャイロックさんは、多少の動揺は見せながらも、私のそばにやって来て、 「私の推理が正しければ......。私たちは、ちょっと困った立場になっているぞ。たぶん、その領主の伯爵というのが......私の勤める研究施設のスポンサーだ。さて......私はどうするべきか......?」 むろんのこと、答えは決まっている。 「ねえ、ルイズ!? 私の質問にも答えてよ!? 中で変なこと、してないでしょうね!?」 しつこいキュルケは無視して。 青い空を見上げつつ、私はシャイロックさんに答えを返した。 「私は依頼料さえちゃんともらえれば、どうでもいいです」 「......えぇぇぇええぇぇ......」 シャイロックさんもまた、モーリアと似たような声を上げたのであった。 ######################## 事件は終わった。 ......いや、まあ、あくまでも私にとっては、ですけど。 モーリアの仲間たちの救出とか、そいつらの処分とか、迷宮を壊しちゃったりガーゴイルを倒しちゃったりしたぶんの補償問題とか、スポンサーを怒らせてしまったらしいシャイロックさんの今後とか。 難しい問題は山ほどあったのだが。 面倒なことになるのはヤなので、私は依頼料だけ無理矢理ぶんどって、とっとと立ち去りました。 おそらく今、この同じ空の下。 シャイロックさんはきっと、色々大変なことになってるんだろうな、などと思いつつ。 ちょっぴり不機嫌なキュルケと二人、私は旅を続けるのであった。 (「踊る魔法人形」完) |