『魔を滅するメイジと使い魔たち』
初出;「Arcadia」様のコンテンツ「ゼロ魔SS投稿掲示板」(2011年3月から2011年12月)


第一部「メイジと使い魔たち」第一章第二章第三章第四章
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト
第二部「トリステインの魔教師」第一章第二章第三章第四章
番外編短編2「ルイズ妖精大作戦
第三部「タルブの村の乙女」第一章第二章第三章第四章
番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!
外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」前編中編後編
番外編短編4「千の仮面を持つメイジ
第四部「トリスタニア動乱」第一章第二章第三章第四章
番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜
第五部「くろがねの魔獣」第一章第二章第三章第四章
番外編短編6「少年よ大志を抱け!?
第六部「ウエストウッドの闇」第一章第二章第三章第四章第五章終章
番外編短編7「使い魔はじめました
第七部「魔竜王女の挑戦」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
第八部「滅びし村の聖王」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
番外編短編8「冬山の宗教戦争
番外編短編9「私の初めての……
第九部「エギンハイムの妖杖」第一章第二章第三章第四章
番外編短編10「踊る魔法人形
第十部「アンブランの謀略」第一章第二章第三章第四章
番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ
第十一部「セルパンルージュの妄執」第一章第二章第三章第四章
番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海
第十二部「ヴィンドボナの策動」第一章第二章第三章第四章第五章
第十三部「終わりへの道しるべ」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編13「金色の魔王、降臨!
第十四部「グラヴィルの憎悪」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙
第十五部「魔を滅せし虚無達」第一章第二章第三章第四章第五章

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第六部「ウエストウッドの闇」(第一章)

 ......つけられている......。 
 そのことに気づきながらも、私は知らん顔のまま一人、夜の道を行く。
 宿を出てからずっとである。
 私はそのまま歩調を変えず、まっすぐ町外れへと向かった。
 こんな夜中でも、まだやっている酒場があるらしく、ざわめきが風に乗って流れてくる。
 それもだんだんと小さくなり......。
 やがて私は、街の外へ。
 森を抜ける街道に出たちょうどその時、雲が二つの月を覆い隠す。
 辺りに深い闇が降りたのを好機とみて、私は気配を殺し、手近な木の陰に身をひそめた。
 尾行の気配は、だんだんと近づいてくる。
 そして、再び月が顔をのぞかせ......。

「姫さま!?」

「あわぁぁぅっ!?」

 私の声に驚いて、思わず悲鳴を上げる彼女。

「ルイズ!? 驚いたじゃないですか!」

「驚いた......って......。姫さまが黙ってついて来るもんだから、てっきり敵かと思っちゃったんですよ!」

「だって! ルイズが宿を抜け出すのが見えたから......。前に言っていた、盗賊退治にでも行くのかな、って思って」

「うっ......」

 いきなりまともに図星を指され、一瞬言葉に詰まる。

「......そ......そうですわ! だいたい、盗賊いびり倒しに行く、って以外の理由で、女の子が夜中に一人で宿を抜け出す、なんてことは普通はありません!」

「そういうものなのですか?」

 私の言葉を素直に受け取る姫さま。
 それもどうかと思うので、私は少しつけ加える。

「もっとも、男漁り大好きな『微熱』のキュルケあたりに見つかったら、誤解されるかもしれませんが。......けど姫さま、まさか私を止めに来た、なんて言うつもりじゃないですよね?」

 しかし彼女は、きっぱり首を横に振って。

「いいえ。わたくしも一緒に行きます」

「......え?」

「だってルイズ、これも旅というものなのでしょう? ......わたくし一人では少し恐いですけれど、おともだちのあなたが一緒ならば安心ですわ」

 ニッコリ笑う姫さま。
 ......はあ。
 これは反対しても無駄なようだ。
 姫さまを危険な目にあわせるのは気が進まないが、かといって今さら宿に戻る気もしない。

「......わかりました。ただし、おたからの分け前は半分ずつですよ」

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 かくて......。
 真夜中の森に、攻撃魔法の花が咲いたわけだが。

「うーん。思ったより儲からなかったですね......」

 宿屋へ帰る道すがら、私は不満を口にした。

「あら、いいじゃないですか。わたくしたち、お金に困っているわけではないのですから」

 これが姫さまの認識である。
 姫さまは一国の王女だし、私だって公爵家の令嬢。たしかに、カネに困るような身分ではない。しかし、姫さまは一つ、大事なことを忘れている。

「あのぅ......。姫さま......私たちの旅費がどこから出ているのか、御存知ですか?」

「旅費......ですか?」

 そう。
 旅をするには、何かとお金がかかるのだ。特に姫さまが仲間に加わってからは、なるべく良い宿を選ぶようにしているし。
 ......姫さまも、ようやく思い至ったらしい。

「......あの......ひょっとして......」

 沈痛な表情で、私は大きく頷いた。
 異世界出身な上にクラゲ頭のバカ犬サイト。
 前々から私にたかる癖のあった色ボケキュルケ。
 何を考えているのかよくわからない無表情タバサ。
 私に言われるまで旅費のことなど頭になかった姫さま。
 この一行で、誰がどこから稼いでくるというのだ!?
 それで私は仕方なく、こまめに宿を抜け出して、近隣の盗賊退治にいそしんで、稼ぎを蓄えているというわけなのだ。

「ああ、ルイズ! 旅というのは大変なものなのですね......」

 今さらのようにつぶやく姫さま。
 この機会に少し、こういう話をするのも悪くはないのだが......。

「姫さま、待って!」

 私がストップをかけ、姫さまは思わず足を止めた。
 不思議そうな顔で、私に尋ねる。

「どうしたのです?」

「......います。何かが」

 夜の森。虫の声。なんだかわからん鳥の声。
 特に怪しい気配もないが、それでも私は感じ取っていた。
 ......いるのだ、たしかに。
 完全に気配を隠せるほどの使い手......つまり強敵だ。
 私は姫さまと背中合わせに、ゆっくりと杖を構えた。
 その瞬間。
 虫の声が消え、沈黙が夜の森に落ち......。
 そして殺気が吹き付ける!

「来た!」

 闇を駆け抜ける影ひとつ!
 あわてて爆発魔法をぶつける私、しかしかわされる!
 影が走る。
 私は夢中で呪文を連発する。
 が......。
 迫る影の手が、私に伸びる。

「くっ!」

 とっさに後ろに跳ぶ私。
 影は何やら呪文を唱え始めたが......。

 ドウッ!

 後ろに吹っ飛ぶ影。
 魔法を完成させる前に、水の塊をくらったのだ。姫さまの攻撃である。
 ようやく影の動きが止まった。

「何者です!」

 問いかける姫さまの言葉に答えたのは、影ではなく、私の方だった。

「私の知ってる奴です。......動きに見覚えがあります......」

 言って私は、それをにらみつける。

「......あんたにだけは再登場して欲しくなかったわね......暗殺者『地下水』......」

########################

「これが!?」

 彼女は『地下水』から目を離さぬまま叫んだ。
 ......姫さまだって見たことあるでしょうに......。
 とは言っても、以前と同じく全身黒ずくめの服で、目の部分だけを覗かせて、顔も黒い布で覆っている。暗殺者なんぞ大抵こんな格好だし、姫さまに見分けがつかないのも無理はないかもしれない。
 それに、考えてみれば、姫さまはあの時、もっぱら反対側で別の奴らを相手にしてたんだっけ。こいつと戦ったのは、主に私とサイト。片脚を痛めた上に両腕を失って敗走したのだが......。
 ......きっちし復活してやがんの......。
 たしかに、以前も大ケガした翌日に平然と出て来ていたから、腕のいい水メイジと知り合いなのは間違いない。そもそも、外見が男になったり女になったり、杖なしで魔法を使ったり、という非常識なバケモンである。これくらいで驚いていては、キリがないかもしれない。

「何しに出てきたのよっ!? あんたに私の殺しを頼んだ依頼人は、もういないわよっ! 私たちが倒しちゃったからっ!」

 たぶん無駄とは思いつつ、私は一応言ってみる。
 帰ってきた答えは、ミもフタもなかった。

「前金はもらった。仕事はまだだ」

 ......とことん困ったプロ意識である。

「困った話ですね......」

 ほら、姫さまも私と同じ感想を......。

「あなたのような悪者が、このトリステイン国内を跳梁跋扈するなんて......わたくしには許せません!」

 ......あれ?
 微妙に私とはポイントが違う。
 だいたい、すでに私たちはトリステインを出て、ここはガリアの領内のはずなのだが......。姫さま、わかってなかったのね。

「トリステインの民の安全のためにも、あなたのような者は、このわたくしが......」

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 ねちねち続く彼女の口上をさえぎって、私は杖を振り下ろす。
 私の生んだエクスプロージョンの光が、暗殺者へと向かう。どうせ避けられるだろうが、かわしたところで第二撃を叩き込んでやる!
 そう思って、次の呪文を唱え始めた時。

 ドワッ!

 突然『地下水』手前の地面が盛り上がり、私の魔法に対する盾となった。
 ......『土』魔法で防御したのか!?
 この『地下水』、杖を使わずに魔法が使えるだけあって、なんとも戦いづらい相手である。ブツブツ小声で呪文を唱えるだけで、予備動作なしに魔法を撃ってくるのだ。
 しかし。
 手数ならば私だって負けていない。
 
 ゴゥッ......ゴゥンッ......!

 小さなエクスプロージョンを連発で放つ。
 『地下水』の土の盾など、一撃で破壊される。それでも構わず、暗殺者は、次々と作り出しているようだが......。

「きゃあっ!?」

 姫さまの悲鳴だ。
 しまった! 土の壁は目くらましだったのか!?
 ......私のエクスプロージョンのせいで、周囲一帯、モウモウと土煙。それでなくても、『地下水』は向こう側にいたのだ。私は完全に姿を見失っていた。
 その間に『地下水』は、姫さまを攻撃したらしい。さきほどのような邪魔はさせない......というつもりか。
 私と一対一ならば必勝って自信があるのだろう。......なめたマネを!

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......」

 私は『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』の呪文詠唱を始めた。
 これならば、土の壁などものともしない。大技一発で、防御壁ごと吹き飛ばしてやる!
 詠唱に時間かかるのがタマに傷だが、今の私は神経を研ぎすましている。『地下水』が攻撃してきても、気配を読んでかわせばよいだけのこと!
 案の定。
 来た!
 私目指して走る『地下水』。手を伸ばすが、そんなものに私がつかまるはずもなく......。
 ......え!?
 避けようとした私は、その場から動けない。いつのまにか地面から生まれた土の手が、私の足首をガッシと掴んでいたのだ。
 これは『アース・ハンド』! この『地下水』、以前とは戦い方が少し違う!? 今日は、やたら『土』魔法を多用してくるぞ!?
 まずい!
 暗殺者の手に握られたナイフが、私の目の前に迫り......。

 ......ザンッ!

 小さな音を立て、草が揺れる。
 気がつくと、『地下水』は大きく後ろに跳び退っていた。
 ......どういうつもりだ!?

「サウスゴータ地方のウエストウッド村まで来い......」

 暗殺者は低い声で言った。

「......来なければ......誰かが死ぬ」

 言い捨てるなり、いきなりクルリと身をひるがえし、そのまま闇に溶け消える。
 しばし茫然と佇む私。

「......一体......なんでいきなり......?」

「援軍が来たからじゃないかな?」

 声はいきなり、私の真後ろからした。

「ぅどわっ!?」

 慌てて私が振り向けば、神官姿の人影ひとつ。

「......ジュリオ!?」

 私は思わず声を上げていた。

########################

 そう......。
 そこに立っていたのは、ロマリアの神官ジュリオ。邪教集団を相手取った事件で知り合ったのだが、ひとことで言えば、怪しい神官である。

「やあ、ひさしぶりだね。ルイズ、そしてアンリエッタ王女。......けど、あの程度の相手はルイズひとりで倒してもらわないと、この先が思いやられる」

 彼が普通に呼びかけたように。
 暗殺者の一撃をくらった姫さまも、軽く意識がとんでいたようだが今は復活して、普通に立ち上がっていた。

「ジュリオさん。助けていただいたことには感謝しますが......あなた、いったいどういうつもりなのですか? わたくしたちの前に平気な顔で出てくるなんて......」

「そうよ! 私たちは『写本』にあんまりこだわってなかったから、まだいいけど......タバサなんて、もぉ、カンカンに怒ってるわよ!? ......たぶん」

 無表情タバサの内心なぞ読みにくいものだが、理屈で考えれば、そのはずである。

「......そうか......困ったなあ、それは......」

 あんまり困ってなさそうな口調で苦笑いするジュリオ。苦笑すら絵になる美少年なわけだが、私も姫さまも、そんなものには騙されない。

「......で? 『この先が思いやられる』って言い方からすると、何か企んでるんでしょう?」

「もちろん......」

「秘密なのですか?」

 横から口を挟む姫さまに、彼はニッコリ笑みを浮かべ、手袋に包まれた右手の人さし指を立ててみせる。

「そのとおりです」

「......あ......そう......」

 私は小さくつぶやいた。
 たぶん今これ以上、こいつにつっこんで聞いても無駄だろう。

「そいじゃあ質問変えるけど、とりあえず、これから何をしたいわけ?」

「とりあえず......君たちの旅に同行させてもらう」

 うわっ。
 一筋縄ではいかん奴がまた一人、旅のメンバーに加わるのか......。

「......ともあれ、ここで話し込んだところで、どうにもならないわね。今日はとりあえず宿に帰りましょう、姫さま」

########################

 宿への道を戻りつつ。
 私の頭の中には、『地下水』の残した一言が響いていた。

『サウスゴータ地方のウエストウッド村まで来い......』

 無論あんなのと二度と会いたいとは思わない。
 一瞬、聞かなかったことにしようかとも思ったが、あの言葉は姫さまやジュリオも耳にしているはず。

『......来なければ......誰かが死ぬ』

 当然その『誰か』は私たちのことではないだろう。
 おそらくウエストウッド村の誰か。
 そう......。
 来なければ、見せしめに、無関係な人間を殺す。
 『地下水』はそう言ったのだ。
 ......えぇいっ! 行くっきゃないかっ!
 暗い夜道を行きながら、私は半ばヤケクソ気味に決意を固めたのだった。

########################

「おはよう。みんな早いわね」

 その翌朝。
 宿の一階にあるメシ屋。
 私とサイトが降りていくと、すでに姫さまとキュルケとジュリオはテーブルについていた。

「俺たちが遅いだけなんじゃねえか? ......ああ、タバサもまだなのか」

 グルリと一同を見渡してから、私と共に座るサイト。
 ......あれ?

「ちょっと、サイト。何そんな平気な顔してんのよ?」

「ん? どういうことだ、ルイズ?」

 するとキュルケも、ジュリオを指さして、

「そうよ! せっかく彼がない知恵しぼって意外な演出しようとしてるのに、それを無視するなんて!」

「......あの......ない知恵って......。そもそも、これ、僕が言い出したことじゃないんだけど......」

 ジュリオが何やらつぶやくのを無視し、

「せめてお義理にでもつきあいにでも『きさま! どうしてこんなところに!』とか『よくもおめおめ顔を出せたな!』とか言ってやらなくちゃ......」

「まあ待てよ、キュルケ」

 なおも言いつのろうとする彼女の言葉を、サイトが制した。
 彼は、真剣な目でジュリオを正面から見据え、

「そもそも......こいつ誰?」

 ずがしゃぁぁぁっ!

 まともにイスごとひっくりこけるジュリオ。
 横では姫さまが目を丸くしている。

「......ほ......本気で言ってるんですか?」

「彼はいつだって本気よ......不幸なことに......これがルイズの使い魔なの」

 沈痛な表情で頷くキュルケ。
 私は私で、サイトに詰め寄る。

「使い魔がバカだと主人の私まで馬鹿にされるのよ! あんたねえっ! まさかこいつのこと、忘れちゃったわけじゃないでしょうね!?」

「ああ......どっかで見たような気はするんだが......」

「あのぅ、サイトさん? 前に、邪悪の宗教団体と戦った時......」

 横からフォローを入れる姫さま。
 サイトはしばし考えて、

「......おおっ!」

 言ってボンッと手を打った。

「あの時の奴か! ......で、なんて名前?」

「おい!?」

「だって俺、そいつの名前とか、紹介してもらったことないんだぜ」

 あ......そういえば......。
 前回の事件では、この二人、あんまり顔をあわせてないんだっけ。
 ジュリオの方にはサイトのことを色々と話しもしたのだが、サイトには話してなかった。サイト合流後はもうクライマックスだったし、「言ってどうなるもんでもない」などと思ったし......。

「ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。以後お見知りおきを......」

「サイトだ。よろしくな。ルイズの使い魔やってる」

 と、二人が今さらの自己紹介を交わしたちょうどその時。

「ジュリオ! なぜあなたがここに!?」

 声は、私の真後ろからした。

########################

「タバサ!」

 青い髪をした、小柄な少女。服装は、私やキュルケや現在の姫さまと同じく、旅の学生メイジの正装――黒いマントに白いブラウスにグレーのプリーツスカート――である。
 エルフの魔法薬で心を壊された母親がおり、それを元に戻す方法を探し、あてのない旅を続けているのだが......。
 ここしばらくは、私たちと一緒に行動をしている。
 彼女はゆっくりとした足取りで歩みを進めた。......もちろん、ジュリオに向かって、である。

「ちょっとタバサ! 落ち着いて! 冷静に!」

「タバサさん! 早まってはいけません!」

 キュルケや姫さまの制止を無視し、彼女はジュリオの横まで行き、ヒタリと足を止めた。

「......よくも......おめおめ顔を出せたわね?」

 言うなり......。
 まるで何事もなかったかのように、彼の隣に腰かける。

「......これで『お義理』と『つきあい』は終了」

 ......え?
 彼女のつぶやきに、一同は絶句。
 どうやら私たちの話を聞いていたらしい。
 しかし......一体いつのまにこんな、お茶目になった......!?
 ......いや。
 色々あって無表情のタバサだが、元々は、明るく元気な少女だったのかもしれない。今でも仮面の下には、人並みの喜怒哀楽が隠されているのであろう。その一端をかいま見たような気がする......。

「......タバサさん、怒ってないのですか?」

「......怒っても意味がない。燃えたものは戻って来ない」

 蒸し返すかのように尋ねる姫さまに、タバサは淡々と返す。それからジュリオに目を向けて。

「......一応、聞いておく。あなたが燃やしたあれは、私には何の役にも立たない物だった? それとも......」

 彼女の表情は変わらないが、ジワリと全身から殺気が滲み出す。
 ......やばい。ジュリオの返答次第では......。

「安心していいよ、君には無関係なシロモノだったから」

「......そう」

 納得したのか、あるいは聞くだけ無駄と思ったのか。
 タバサは殺気を収め、それ以上は何も言わなかった。

########################

「......問題が一つあるの」

 私が口を開いたのは、全員の朝食がテーブルに運ばれた後。

「......問題......?」

 パンにベーコンと野菜を挟んでかじりつつ、おうむ返しに問うサイト。行儀の良い食べ方ではないが、これが許されるのも旅というものである。

「うん。実は昨日の夜、ちょっと外出したんだけど......」

「いつのまに? 全然気づかなかったぞ」

 私と同じベッドで寝ていたはずのサイトが、驚いた口調で言う。こいつは私の抱き枕にされても気づかない、そういう男である。

「......また盗賊いじめ? あたしも誘ってくれたらよかったのに」

「そんなことしたら、分け前が減っちゃうじゃない」

 キュルケに対してキッパリ言い切る私。

「......まあ......途中でなりゆきで、姫さまは一緒になったんだけど......野盗たちをぶち倒して、その帰り道よ......出てきたのは」

 ここで皆が一斉にジュリオを見た。
 私は小さく頭を振る。

「ジュリオも出たけど......『地下水』も......」

「『地下水』!?」

 叫び声をハモらせるサイトとタバサ。
 サイトが名前を覚えているのも珍しければ、タバサが表情をあからさまに変えるのも珍しい。
 ......いや厳密に言えば『地下水』は名前とは違うかな?

「『地下水』って......あの『地下水』かっ!?」

「そ。その『地下水』よ」

「......聞くが......腕とか脚とかは......?」

「ちゃんと全部あった」

 問うサイトに答えてから、私はタバサに尋ねる。

「タバサも『地下水』のこと、知ってるの?」

「......戦った。危なかった」

「僕が駆けつけなければ、きっと殺されていたね」

 ポツリと答えるタバサに、補足するジュリオ。
 ......え? あの『地下水』と......タバサやジュリオもやり合ったわけ!?

「ちょっと待って!? それじゃ何、タバサも『地下水』の暗殺リストに入ってるってこと!?」

「......?」

 不思議そうな顔をするタバサに、私は説明する。
 以前に『地下水』から狙われたこと。依頼人はもういないのに、『地下水』が変なプロ意識を発揮していること......。
 すると。

「たぶん、名指しで依頼されたか否か、の違いだね」

 これまたジュリオが話を補う。今度は補足ではなく推測だが。

「僕やタバサが関わった時は、あの『地下水』、純粋な暗殺者として雇われていたんじゃなかったみたいでね。邪魔者を排除せよ、とか、時間を稼げ、とか、その場その場で細かい命令を受けていたようだ。......だからタバサの一件は、もう完了扱いなんだろう」

 ......なんじゃそりゃ。
 ずるいぞ、そんなところで待遇に差がつくとは......。

「それよりルイズ、肝心の話がまだなのではないですか?」

「何よ、アン。まだ何かあるの?」

 先を促す姫さまに、キュルケも口を挟む。
 そのまま姫さまが話を引き継いで。

「ええ。あの暗殺者が逃げる際に、『ウエストウッドに来い、来なければ、誰かが死ぬ』って......」

「何よ......それ......」

 言葉を失うキュルケとは対照的に。
 サイトが平然と話をまとめる。

「よくわからんが......ようするに、そこに行くしかないってことだろ。......で、そのウエストウッドっていうのは、一体どこなんだ?」

 言われて私たちは、顔を見合わせた。

########################

 ウエストウッドという村の名前を知る者は、私たちの中にはいなかったのだ。
 だが、サウスゴータがアルビオンの地名であることは明白なので、とりあえず私たちは、船でアルビオンへ。
 浮遊大陸アルビオン。
 大きさはトリステインの国土くらい。空中を浮遊して、主に大洋の上をさまよっているが、月に何度かハルケギニアの上にやってくる。

「凄いな! やっぱりハルケギニアってファンタジーの世界なんだな!」

 初めて見たサイトは何やら感激していたようだ。 
 私は以前、キュルケと二人旅だった頃、アルビオンに立ち寄ったことがある。でも、そんな私やキュルケも知らないくらいなのだから、ウエストウッドというのは、よほど小さな村なのかもしれない。
 私たちは港町ロサイスに宿をとり、街の人々に聞いて回ることにしたのだが......。

########################

「ここからならば、色々と見渡せるわね。ここで一休みしましょう」

 私は小高い丘に立って、緩やかに下る草原を見つめた。遠くに見える山脈と、淡い緑のコントラストがどこまでも爽やかである。

「かなり歩きましたね。......正直、疲れました」

「大丈夫よ。ここまで来れば、あと少しのはずだから」

 姫さまとキュルケが、私の後ろで言葉を交わしている。 
 結局ロサイスで聞いて回っても、ウエストウッド村の正確な場所はよくわからなかった。ロサイスの人々ですら知らないような、マイナーな地名だったらしい。
 かろうじて知っていたのは、一部の行商人のみ。シティオブサウスゴータとロサイスを結ぶ街道から少し外れた森の中に、それらしき村がある......。そんな拙い情報を頼りに北東へ一日ほど歩いた結果が、この丘であった。
 もちろん、ぶっ続けで歩いたわけではない。途中で野宿をしたし、まだ午前中なので今日はあんまり歩いていないのだが......。姫さま、もう疲れちゃったのね。

「こんなことなら、アズーロを連れてくればよかったなあ」

 これはジュリオのつぶやき。
 まったくである。
 以前の彼はアズーロという風竜を従えており、なかなか便利な移動手段になってくれたものだが、今回は竜は一緒ではない。
 なんでも、私たちの旅に同行させるのは可哀想だから置いてきたとか。
 どういう意味じゃと最初は思ったが、たぶん、乗せるには人数が多すぎるという意味なのだろう。私たち一行は、いつのまにか結構な大所帯になっている。
 私にキュルケ、その使い魔のサイトとフレイム。姫さまにタバサに、そしてジュリオ......。

「なあ、あれじゃないか?」

 キョロキョロと辺りを見回していたサイトが、森の一角を指さす。
 森の奥に通じる小道があった。馬車が通れるほど広くはなかったが、どうやら人が行き来しているらしい。割としっかりと踏み固められているのが、ここからでも見てとれる。

「......人の生活の香りがする」

 ポツリとタバサが言った。

########################

 森の小道をしばらく進んだところで、私たちはそれに出くわした。

「出てって。あなたがたにあげられるようなものは何もありません」

「あるじゃねえか。俺たちが扱ってるのは、お前みたいな別嬪な娘だよ」

「これだけのタマなら、金貨にして二千はいくんじゃねえのか?」

 怯えた様子の一人の少女と、弓矢や槍などで武装した十数人ほどの男たち。
 この辺りに住んでいる村娘のようだ。大きな帽子から流れるような金髪が覗く、美しい少女であった。丈の短い草色のワンピースに身を包んでおり、清楚な雰囲気を醸し出している。短い裾からは細い足が伸び、白いサンダルを履いていた。
 一方、男たちは傭兵とおぼしき格好であるが、聞こえてきた会話からも明らかなように、人さらいを生業にした盗賊である。先頭の男は小猾そうな顔をしており、頭に切り傷があるのが特徴的だった。

「なあ、ルイズ。あれ......襲われてるみたいだけど?」

「そんなこと確認しなくてもわかるでしょ。ほらサイト、行って助けてあげなさい!」

 サイトの背中を押す私。
 遠くから爆発魔法を一発ぶつけるだけでも片付くだろうが、わざわざ魔法を使うまでもない。サイトはガンダールヴなのだ。彼一人で十分である。
 案の定。

「やめろ」

「なんだ? どっからわいてきたか知らんが、ガキはすっこんでろ。売り物になりそうなやつ以外、興味はねえ」

「俺たちゃ、真面目な商売人だよ。商品に傷はつけねえ。安心しろよ」

「多少の味見はするがね」

 下品に笑い合う盗賊たち。
 その間を......。

 ヴンッ!

 サイトが風のように駆け抜けて、それでおしまい。
 彼らが全て叩きのめされたのを見て、私たちもサイトのところへ駆け寄った。

「おつかれさま、サイト」

「いや、これくらいじゃ疲れねぇけど......それより、こいつらどうする?」

 命まで奪う必要はないと思ったのか、どうやら誰一人殺していないらしい。意識を刈り取るに留めたようだ。

「そうねえ......」

 考え込むようなフリをしながら、振り返る私。
 視線の先には、オロオロしたような表情で佇む金髪少女。
 そう。
 盗賊たちなどどうでもいい。大事なのは彼女である。
 おそらく彼女は、ウエストウッド村の住民のはず。違うとしても、ウエストウッド村のことを知っているはず。
 だから私たちは、彼女に恩を売りたかったわけである。

「ちょっと面倒だけど、街まで連れてって役人に引き渡すのが一番かしら? それとも、後々の意趣返しも心配だから......いっそのこと......」

 問いかけるように、私は言う。
 これで我に返ったのか、金髪少女は、今さらのように。

「......あ! ありがとうございました。助けていただいて......」

「礼はいいわ。それより、この盗賊たちの処遇......どうする?」

「......こうします」

 少女は軽く頭を振ってから、盗賊たちのもとへ歩み寄る。
 手には、いつしか取り出した杖を握っていた。どうやら彼女、魔法が使えるようである。
 小さく、細い杖。しかしメイジの魔力に、杖の大小は関係ない。この少女、倒れた盗賊たちに魔法でトドメを刺そうというのであろうか?
 ......顔に似合わず、結構エゲツナイことするのね。
 などと思っていたら。

「ナウシド・イサ・エイワーズ......」

 緩やかな、歌うような調べ。
 でも......。

「ハガラズ・ユル・ベオグ......」

 こんな呪文、聞いたことないぞ!?

「ニード・イス・アルジーズ......」

 私だけではない。
 キュルケや姫さまも少し驚いた顔をしている。タバサは表情を変えないが、きっと内心は同じであろう。

「ベルカナ・マン・ラグー......」

 自信満々な態度で、金髪少女が杖を振り下ろす。
 かげろうのように、大気がそよいだ。
 倒れた男たちを包む空気が歪む。

「ふぇ......?」

 霧が晴れるように、歪みが元に戻った時......。
 意識を取り戻した盗賊たちは、惚けたように宙を見つめていた。

「あれ? 俺たち、何をしてたんだ?」

「ここどこ? なんでこんなところにいるんだ?」

 少女は、落ち着き払った声で男たちに告げる。

「あなたたちは、森に散歩に来て、迷ったの」

「そ、そうか?」

「仲間はあっち。森を抜けると街道に出るから、北にまっすぐ行って」

「あ、ありがとうよ......」

 男たちはフラフラと、頼りなげな足取りで去っていく。
 最後の一人が見えなくなった後。

「......彼らの記憶を奪ったの。『森に来た目的』の記憶よ。街道に出る頃には、私たちのこともすっかり忘れてるはずだわ」

 少女は私たちに向かって、しかし半ば独り言のように、恥ずかしそうな声で言った。

「記憶を奪った......ですって!?」

「何よ、それ!? そんな魔法、見たことも聞いたこともないわ!」

 姫さまとキュルケが叫んでいるが、私は黙って冷静に考えていた。
 人の記憶を奪う魔法......。
 風、水、火、土......。
 どの系統にも当てはまらないように思える。
 ということは......。

「虚無だね。虚無」

 まるで私の頭の中を盗み見たかのように、ジュリオがつぶやく。
 その顔には、面白そうな笑みが浮かんでいた。


(第二章へつづく)

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____
第六部「ウエストウッドの闇」(第二章)

「虚無だね。虚無」

 そのジュリオのつぶやきに、サイトが真っ先に反応した。

「なあ、デルフ」

「なんだい、相棒」

 彼は、手にしたままの剣と会話している。

「こういう解説役って、デルフの仕事だと思ってたんだが......」

「そうだぜ。最近ただでさえ出番が少なくて寂しかったってぇのに、これじゃ俺、ますます要らない子あつかいにならぁな......」

 無機物のくせに剣がいじけているが、それはどうでもいい。
 今ここで問題なのは、私たちの知らない虚無魔法を使った金髪少女。
 ところが、当の彼女は、キョトンとして聞き返す。

「虚無?」

「......なんだ、正体も知らねえで使ってたのかい」

 これ幸いとメインの会話に参加するデルフリンガー。

「とにかく......お前さんがどうしてその力を使えるようになったのか、聞かせてもらおうか」

「待ちなさい、ボロ剣。その前に、まずは自己紹介でしょ」

 あらためて、私が場を仕切った。
 金髪少女も私の言葉に頷いて、まずは自分の名前を告げる。

「ティファニアです。呼びにくかったら、テファでかまわないわ」

########################

 私の思ったとおり。
 ティファニアは、ウエストウッド村の住民だった。
 込み入った話になりそうなので、ゆっくり話せる場所へ移動しよう、ということになり......。
 彼女に案内されて、六人と一匹――私とサイトと姫さまとキュルケとタバサとジュリオとフレイム――は、目的の村へと向かう。
 やがて見えてきたのは、こじんまりとした村だった。
 森を切り開いて造った空き地に、小さな藁葺きの家が十軒ばかり、寄り添うように建っているのみ。世間から忘れ去られたような、ちっぽけな村......。

「村というより、集落ね。これじゃ人に聞いても、なかなか判らなかったのも無理ないわね」

「開拓村でしょうか? 造られてから、それほどたってないように見えますが......」

 キュルケと姫さまの言葉を耳にして、先頭に立つティファニアが振り返った。

「この村は孤児院なのよ。親を亡くした子供たちを引き取って、みんなで暮らしてるの」

 ここで、何気ない口調でジュリオが話しかける。

「お金はどうしてるのかな?」

「昔の知り合いの方が送ってくださるの。それで生活に必要なお金はまかなってるのよ」

「君が子供たちの面倒を見ているのかい?」

「私は一応年長だから、御飯を作ったりの世話はしてるけど......。少し前からは、執事みたいな感じで手伝ってくれる老人もいて......」

 ジュリオの質問に、スラスラ答えるティファニア。
 会ったばかりの私たちに内情をペラペラしゃべるとは、なんとも無警戒な娘さんである。むしろ、こっちが心配になるくらい。
 森で育ったから純真無垢なのか、あるいは、二枚目ジュリオの笑顔にコロッと騙されているのか......。

「......執事?」

 ジュリオに会話の主導権を握らせては危険。そう思って、私が言葉を挟んだ。

「そう。森の中で倒れていた人がいて、村に運び込んだの。そうしたら、助けてくれた御礼だって言って、色々と手伝ってくれるようになって......。記憶喪失で、自分の名前しか覚えていないっていう、可哀想な老人なの」

「なるほどね。記憶喪失なら、わざわざ君が記憶を奪う必要もないわけだ」

 ジュリオの言葉に、一瞬表情を強ばらせるティファニア。
 ......そういうことか。
 子供たちだけで暮らすのは危険だし、さっきのような野盗に襲われるのも初めてではないだろう。でも、その度に彼女は、魔法で記憶を奪って対処してきたわけだ。
 今こうして洗いざらい話しているのも、イザとなったら私たちの記憶を奪えばいいと考えているからだ。
 うむ。
 これは、ちょっと警戒した方がいいかもしれない。
 などと私が気を引き締めていたら。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケが、チョンチョンと突っつきながら、声をかけてきた。

「何よ?」

「あの子、この村を孤児院だと言ったけど......。もしかして......」

 キュルケがそこまで言った時。
 村から子供が一人、こちらに走ってくるのが見えた。その孤児の一人なのだろう。

「わるもの! 退治してやる! テファ姉ちゃんから離れろ!」

 どうやら、私たちを盗賊の一団か何かと勘違いしているらしい。
 叫びながら、棒っきれを振りかざす少年。
 まだ十歳くらいであろうか。近寄るにつれて、顔もハッキリしてくるが......。
 あれ? この子供......どっかで見たことあるような気が......?
 しかし、私が思い出すより早く。
 子供の方が、先に気づいた。

「ああっ!? いつぞやのゼロ胸ねーちゃんだっ!」

########################

「......ゼ......ゼロ胸ですって!?」

 言葉と共に、杖を振りかぶる私。
 ツッコミでエクスプロージョンを放ちそうになったが、ギリギリで思いとどまる。
 初対面のティファニアの前でそんなことをしては、幼児虐待になってしまう!
 ......彼は幼児ってほど子供じゃないとか、ティファニアの前じゃなくても虐待だとか、そういう話は置いといて。
 ともかく、彼女に悪印象を与えてウエストウッド村に入れてもらえなくなる事態だけは、なんとしても避けねばならないのだ。

「ひ、ひさしぶりね。ジム......だったっけ?」

「う、うん。相変わらず元気そうだね、ねーちゃんたち」

 少し引きつった表情で挨拶を交わす、私と少年。
 私の隣では、キュルケも小さく手を振って、存在をアピールしている。

「ジム、この人たちと......知り合い?」

「えーっと......前に街まで買い物に行った時、ちょっと世話になった」

 ティファニアの質問に、そう答える少年。もう少し何か言いたそうな顔をしているが、私とキュルケをチラッと見て、それ以上は言わぬが花と思ったらしい。
 彼の名前はジム。以前に私とキュルケがアルビオンに来た際に出会った少年である。
 森の孤児院に住んでいると言っていたが、なるほど、それがウエストウッドだったわけね。当時は生意気なクソガキだったが、少しは大人になったのかな......?

「そうだ! テファ姉ちゃんに、いいしらせがあるよ! マチルダ姉ちゃんが来てるんだ!」

「マチルダ姉さんが!?」

 ティファニアの顔が、パッと顔を明るくなった。
 私たちをほっぽってジムと二人だけの話をするのも悪いと思ったのか、彼女は、私たちに向かって軽く説明する。

「マチルダ姉さんは、さっき言った、私たちに生活費を送ってくださってる人なの。それだけじゃなくて......」

「そんな話はあとにしようよ! ほら、早く行こう!」

 ティファニアの手を握って、一軒の家へと走り出すジム。
 そう言えば。
 かつてのジムの言葉の中に、たしかに『マチルダ姉ちゃん』とか『テファ姉ちゃん』という名前が出てきていたっけ。
 ......と、私が記憶の糸を辿っている前で。

「あ......」

 ティファニアが、ジムに腕を引っ張られてバランスを崩した。そのまま、ジムと一緒に地面に倒れ込む。

 ぐにょ。

「......え?」

 短く、声にならない呻きを漏らしたのは私である。
 たった今ジムの上で潰れたものは何だ?
 ......ティファニアの胸?
 ゆったりした服のため、今までは気づかなかったが......。
 彼女は、こんな凶悪なシロモノを隠し持っていたわけ!?

「うっわ! テファ姉ちゃん、ママみたいだぁ......」

「ジム! こらこら、もう大きいんだから、いつまでもママ、ママって言ってちゃダメでしょ? それに、これじゃ私が起き上がれないわ」

「だって......。テファ姉ちゃん、ママみたいにおっきいから......」

 クソガキをエロガキに変えてしまうマジック・アイテムである。
 ジムが顔を埋めてフガフガしており、これはこれでとんでもない光景なのだが、いやはや、あの胸そのものが圧倒的な存在!
 私やタバサは言わずもがな。キュルケや姫さますら、遥かに超越したサイズ......。

「......胸オバケとか奇乳とか......大きけりゃイイってもんじゃねーって思ってたが......」

 私の後ろでは、サイトが何やらつぶやき始めている。

「やっぱ大きいことは素晴らしい! こりゃ価値観が一変するぜ! 言うならば......胸革命(バスト・レヴォリューション)!」

「バカなこと言ってる暇があったら、彼女を助け起こしなさい!」

 感極まった表情で叫ぶサイトを、私は蹴り飛ばした。

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 そんなこんなで一悶着あったが、ようやく私たちは、ウエストウッド村に到着。
 村の入り口からすぐのところにある、ティファニアの家。そこに私たちは案内される。

「どうぞ、入って」

 彼女が扉を開けると、私たちより先に、ジムが中へ飛び込んでいく。
 続いて入ろうとするサイトだが、その体が一瞬で固まった。

「なによ。どうしたのよ。中で女の子が着替えでもしてたの? そのマチルダって人?」

 呆れた声で、キュルケが中を覗き込む。
 やはり、その体が硬直した。
 私は姫さまと顔を見合わせてから、二人で同時に、扉の中へ顔を突っ込んだ。
 扉の向こうは居間になっている。テーブルの椅子に座った女性に、初老の痩せた男が、お茶を給仕していた。
 たぶん彼が、森でティファニアに助けられた記憶喪失者なのだろう。
 だが、そっちはどうでもいい。問題は、女の方だ。

「誰なのです?」

「......フーケよ」

 姫さまの言葉に私が答えたのが、まるで合図であったかのように。
 サイトが、背中の剣を抜き放った。
 左手のルーンが光る。

「なんでテメエがここに......」
 
 まったくだ。
 私は心の中でサイトに同意する。
 ティファニアの家にいた女は『土くれ』のフーケ。かつてトリステイン中の貴族を恐怖に陥れた盗賊メイジであるが、トリステイン魔法学院の一件で私たちに倒され、脱獄不可能な牢獄に収容されたはずであった。
 ......私たちにとっちゃさほど強敵ではないとは言え、『地下水』だけでも面倒な今この時に出てくるとは......。

「それはわたしのセリフだよ」

 フーケも杖を構える。
 先に攻撃するのは、はたしてどちらか。二人がジリジリと間合いをはかる間に、キュルケも杖を手にしていた。
 そんな三人の真ん中に......。

「やめてぇッ!」

 飛び込んでいったのはティファニア。

「なんで戦うの!? みんな武器をしまって!」

「で、でも......」

 つぶやくサイトは無視して、彼女はフーケに言う。

「マチルダ姉さん! この人たちに手を出してはダメ!」

「しかたないね」

 参ったと言わんばかりに首を振り、フーケはドカッと椅子に腰かける。
 サイトは目で私に「どうする?」と問いかけ、私は小さく頷く。それを見て、彼も剣を鞘に収め、デンッと床に腰を下ろす。
 キュルケも肩をすくめつつ、杖をしまった。
 ティファニアが礼を言う。

「ありがとう」

「あんたたちとも久しぶりだねぇ。......それにしても、随分と仲間が増えたじゃないか」

 疲れたような声のフーケに対して。

「わたくしはアン。ルイズのおともだちです」

 初対面の姫さまが名乗り、そして私たちの後ろから顔をのぞかせた二人も、同様に挨拶する。

「......『雪風』のタバサ」

「ロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだよ。以後お見知りおきを......」

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「あんたたちも、まずは座りな。長旅で疲れてるんだろう?」

 すっかり場を仕切る盗賊フーケ。私たちが腰を下ろすと、続いてティファニアに問いかけた。

「ねえティファニア。なんでこいつらと知り合いなのか、話してごらん」

「私もついさっき会ったばかりなの。森で悪い人たちに絡まれているところを助けてもらって......。私よりもジムの方が、前からの知り合いだったみたい」

「そうなのかい?」

 フーケが振り向くと、彼女の背後からジムがヒョイと顔を出す。

「うん。昔さ、街まで買い物に行った時に世話になった」

「ああ、じゃあ、あれはあんただったのかい。ジムの言ってた『ゼロ胸ねーちゃん』っていうのは」

 私を見てニヤッと笑うフーケ。ここで彼女をやっつけるのは簡単だが、今はそんな場合ではないので、軽く受け流す。......私も大人になったものだ。

「次はこっちの番よ。フーケ、あんたはここの人たちと、どうして知り合いなの?」

 フーケの代わりにティファニアが答える。

「さっきも言ったように、マチルダ姉さんは、私たちに生活費を送ってくださってるの。それだけじゃなくて、昔、私の父と母が......」

「そこまで古い話はしなくていいんだよ」

 フーケがティファニアの話を遮った。
 ティファニアは一瞬、口を閉ざしてから、今度はフーケに向かって。

「ねえ、マチルダ姉さん?」

「なんだい?」

「この人たち、さっきからマチルダ姉さんのこと『フーケ』って呼んでるけど......なぜ?」

 どうやらティファニア、孤児院の資金がどこから出ていたのか、知らないらしい。フーケの正体を知ったら悲しむでしょうね。
 そう思って、私が助け舟を出す。

「『フーケ』っていうのは、仕事の上でのコードネームよ。彼女は......その、宝探しをしてたの」

「トレジャーハンター? かっこいい!」

 目を輝かせるティファニアに、キュルケがプッと口を押さえた。

「笑うんじゃないよ」

 フーケも苦笑を浮かべると、

「まあ、そんな仕事をしていてね。こいつらとはその、お宝を取り合った仲なのさ」

「だから仲が悪いのね。ダメよ、仲直りしなきゃ。ほら、乾杯しましょ!」

 ホッとしたように言うティファニア。彼女は、戸棚からワインとグラスを取り出した。
 こうして、奇妙なパーティが始まった。

########################

 誰もが黙々とワインを口に運ぶばかりで、まったく会話は弾まない。
 キュルケは時折目を光らせ、胸元に差し込んだ杖に手をやり、また戻す、という動きを繰り返すのみ。サイトもフーケは敵と認識しているようで、難しい顔をしていた。
 フーケと初対面の姫さまは、私に何か聞きたそうな視線を送るが、とても今は話せない。
 なぜかタバサは、給仕役の老人――彼はアルトーワと名乗った――をジーッと睨んでいた。
 ......彼女は彼を知っているのだろうか? そんな二人を、ジュリオが興味深そうに見比べている。 
 私は私で、以前の事件を思い出していた。
 かつて、トリステイン魔法学院を学校ごと盗もうとしたフーケに対して、私は言ったものだ。

『普通の学校には通わせられない、わけありの隠し子でもいるわけ?』

 あの時フーケはピクッと反応していたが、なるほど、実の子供じゃなかったわけだ。この孤児院の子供たちに、もう少し広い世界を見せてやりたかったのね。
 他の子供たちはともかく、特にティファニアには、何か事情がありそうだし......。
 ちなみに。
 ジムはフレイムと一緒に外へ出て、小さな子供たちと遊んでいる。ここの子供たちには火トカゲは珍しいようで、当分は戻って来ないだろう。

「ねえ、テファ。そろそろ教えてくれないかしら」

 黙っていても仕方あるまい。そう思って私が声をかけると、彼女は少し心配そうな顔をする。

「あんたなんで、虚無魔法を使えるの?」

 単刀直入で尋ねる。
 ティファニアは、私に答えるのではなく、フーケの方へと目を向ける。

「ティファニア。あんた、あれを使ってみせたのかい?」

 小さく頷くティファニア。

「そうかい。じゃあ、話してあげな」

「......全部?」

「ああ。あれを使える理由を言うなら、ティファニアの生い立ちから話さないといけないだろ」

 そう言って、フーケはティファニアの頭に手を伸ばす。
 ティファニアは室内でも帽子をかぶったままであり、少し変だなと私も思っていたのだが......。
 フーケがそれをむしり取ると、金髪の髪の隙間から、ツンと尖った耳が出てきた。

「エルフ!?」

 驚きの叫びが、いくつも重なった。

########################

 このハルケギニアでは、エルフは人間の仇敵である。私たちが忌み嫌う存在。強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物。それがエルフ......。
 実際、私とサイトとキュルケとタバサは、以前にビダーシャルと名乗るエルフと戦ったことがある。私の覚えたての虚無魔法とサイトのガンダールヴの力で何とか勝ったが、恐るべき強敵であった。
 サイトも忘れていなかったのだろう。
 彼の手が、背中の剣に伸びる。

「待って!」

 慌てて制止する私。

「このテファは、敵じゃないでしょ。......まずは、ちゃんと話を聞きましょう」

 警戒を解いたわけではない。
 フーケが事情を話すように促したのも、おそらく、後で記憶を消すのを想定した上でのこと。

「本当は......夜にならないと、話す気になれないんだけど......」

 ティファニアが、ゆっくりと語り始めた。

「私は『混じりもの』なの。死んだ母はエルフで......この辺りを治めていた大公さまの、お妾さんだったの。大公だった父は、王家の財宝の管理を任されるほどの偉い地位にいたみたい。母は財務監督官さまって呼んでたわ」

 ちょっと待て。
 ここいら一帯を治めていた大公で、王家の財務監督官ということは......。
 それって、当時のアルビオン王の弟君モード大公なのでは!?
 私は思わず姫さまと顔を見合わせる。表情を見る限り、姫さまも、私と同じ点に思い至ったらしい。
 つまり。
 姫さまの父親とティファニアの父親は兄弟。姫さまとティファニアは、いとこなのだ。

「このハルケギニアで、エルフのことを快く思ってる人はいないから、母は本当の意味で日陰者だったの」

 そりゃあそうだろう。
 普通の人間であっても妾の立場は良くないだろうに、ましてやエルフときては......。
 エルフである母親も、母譲りの耳を持つティファニアも、外出すら許されぬ生活だったに違いない。

「たまに来る父もやさしかったし、母は私にいろんな話をしてくれたから、母との生活は辛くはなかったわ」

 幸せな日々を思い出したのか、ティファニアは心からの笑顔を見せていた。
 それが突然暗くなる。

「......でも、そんな生活が終わる日が来た。父が血相変えて私たちのところにやってきたの。『ここは危ない』と言って、父の家来だった方の家に、私たちを連れて行った」

 チラッと視線をフーケに送るティファニア。
 それだけで、私は何となく察した。
 今でこそ盗賊稼業のフーケだが、メイジとしての腕前からも推測されるように、元々はそれなりの貴族の生まれ。ティファニアの言った『父の家来だった方』というのが、フーケの家族だったのだろう。

「母の存在は王家にも秘密だったらしいの。ある日それがバレちゃったらしいのね。それでも父は、母と私を追放することを拒んだのよ。厳格な王様は父を投獄して、あらゆる手を使って私たちの行方を調べた。そしてとうとう、私たちは見つかってしまったの」

 誰かが息を呑んだ。
 同時に、姫さまがバッと椅子から立ち上がる。
 ティファニアのもとへ駆け寄り、彼女をヒッシと抱きしめた。

「ああ! あなたは本当に辛い想いをしてきたのですね。思い出させてごめんなさい。もうこれ以上、話す必要はないですわ!」

「......え?」

「わたくしの本当の名前はアンリエッタ。アンリエッタ・ド・トリステインです。あなたの父君のモード大公は、前アルビオン王だけでなく、わたくしの父、前トリステイン国王ヘンリーの弟君でもあらせられます......。つまりあなたは、わたくしのいとこになるのですわ」

「いとこ......?」

 あちゃあ。
 自分から正体をバラしてどうする、とか。
 肝心の部分がまだだから、話す必要はなくはない、とか。
 色々とツッコミを入れたい気持ちもあるのだが、ちょっとそんな雰囲気ではなかった。
 姫さまの言葉が、ティファニアの頭に浸透。彼女は姫さまを、ほとんど唯一となった血縁者だと認めたらしい。ティファニアは涙をこぼしていた。

########################

 しばしの静寂に包まれる一同。
 そろそろいいだろう、というくらいの時間が経ってから、私は再び尋ねる。

「だいたいの事情はわかったわ......と言いたいところだけど、でも無理ね。肝心の虚無魔法の話が、まだなんだから」

「......そうね。そのために、こんな昔話をしたのよね」

 ティファニアは、涙を拭いてから、再び語る。

「追いつめられて......私をクローゼットに隠した母も、追っ手の兵隊たちに......。そして彼らがクローゼットを引き開けた時、あれが私を助けてくれたの。さっきの呪文」

「虚無魔法ね。どうしてあれに目覚めたの?」

「私の家には、財務監督官である父が管理している財宝がたくさん置いてあった。小さい頃の私は、それでよく遊んでいたの。その中に、古びたオルゴールがあって......」

「オルゴール?」

 私は思わず聞き返した。

「そう。父の話では王家に伝わる秘宝とか......。開けても鳴らない不思議なオルゴール。でも、同じく秘宝と呼ばれていた指輪をはめてオルゴールを開くと、曲が聞こえるの。綺麗で、懐かしい感じがする曲だった。私以外の他の誰にも聞こえなかったんだけど......」

 間違いない。『始祖のオルゴール』だ。

「その曲を聞いているとね、頭の中にね、歌と......ルーンが浮かんだの。そのルーンが、クローゼットを兵隊たちに開けられた時も頭に浮かんだ。気づいたら、父から貰った杖を振りながら、その呪文を口ずさんでいた」

 なるほど。
 彼女は、『始祖のオルゴール』から教わった虚無魔法で、エルフを迫害する者たちの手から逃れることが出来たわけだ。同じオルゴールから教わった虚無魔法で私がエルフに勝ったことを思えば、ちょっと皮肉な話である。
 ......などと私が考えていたら。

「じゃーん。その指輪は、回り回って、今はここにあるのよね」

 キュルケが私の右手を掴んで、高々と掲げる。

「あ!」

 驚くティファニア。それを見て、キュルケは面白そうに、

「ほら、ルイズ。どうやらテファが本来の持ち主のようだし、彼女に返してあげたら?」

「バカ言わないで! 昔はともかく、今は私のもんなのよ! ジュリオと勝負して、その景品としてもらったんだから!」

「いや、勝負も何も、あれは......」

 何か言いたそうなジュリオを、私はキッと睨みつける。

「それよりジュリオ! この際だから白状しなさい! いただきもの、って言ってたけど......どういう事情で、始祖の指輪が四つも揃ったわけ!?」

「そう言われても困るなあ......」

 ポリポリと頬をかくジュリオ。
 どうせ答えては貰えぬだろうが、キュルケのとんでもない提案がどさくさに紛れれば、それでOK。
 案の定。

「指輪のことは、この際どうでもいいさ」

 ゴタゴタし始めた雰囲気を見かねたのか、フーケが口を挟んだ。
 盗賊らしからぬ言葉であり、素直に受け取るわけにはいかないが、とりあえず私は頷いておく。
 すると。

「ティファニアの話は終わったんだ。今度は、こっちが質問する番だよ。......あんたたちは何しに来たんだい?」

 言われて、顔を見合わせる私たち。
 はてさて、どこまで話すべきか。
 ......まずは、当たり障りのない辺りから言ってみよう。

「......脅されたのよ」

「脅された......?」

「そう。ここに来ないと殺す、って」

「殺す、って......。そりゃまた物騒な話だねぇ。誰が誰に殺されるんだい?」

 あんただって、前に私たちを殺そうとしたでしょうに。
 しかし、わざわざそれを口にして、フーケを敵に回す必要もない。
 ......いや、よく考えてみれば。
 むしろ逆に、彼女は味方に出来るのではないか? この村の者は――拾われたアルトーワ老と来訪者である私たちを除けば――、彼女にとっては皆、子供のようなものなのだから。
 ならば、正直に述べるのもテかもしんない。

「相手は『地下水』。あんたも名前くらい聞いたことあるんじゃないかしら、有名な暗殺者よ。......そいつが私たちの前に現れて言ったの、『ウエストウッドに来い、来なければ、誰かが死ぬ』って」

「まあ!」

 青ざめた表情で声を上げるティファニア。
 一方、フーケは顔をしかめながら、小さくつぶやいていた。

「『地下水』か......」

########################

 その後。
 食事の時間となったために、奇妙なパーティは終了。
 昼食の席は、ティファニアの家の庭に設けられるのが慣習らしい。庭といっても、森との境界がないので、どこまでが庭なのかわからなかったが。
 今日のメニューは、きのこのシチューとパン。素朴な味つけだが、これがなかなかの美味だった。おいしいものでお腹がふくれて、ちょっと気分も幸せ。
 ......それはともかく。

「さて、と。......それじゃ作戦会議ね」

 食事が終わっても、そのままテーブルに残った私たち。
 ティファニアとマチルダは家へと戻り、子供たちは、またフレイムを連れて遊びに行った。なぜかジュリオは、アルトーワ老から「チェスでもしましょう」と誘われて、二人で彼の家へ。
 そんなわけで、今ここにいるのは、私とサイト、姫さまにキュルケにタバサ。つまり、仲間たちだけである。

「作戦会議も何も......。このまま少しの間ここに泊めてもらって、様子を見るしかないんじゃないの?」

 ミもフタもない意見を述べるキュルケ。
 私は、やや顔をしかめつつ。

「そりゃそうだけど......。ほら、テファの特殊な状況とか、フーケが盗賊やってた理由とか、色々と背景もわかってきたわけだし。それを考慮した上で、なんで『地下水』が私たちをここへ呼んだのか推測すると......」

「......考えたって意味ないんじゃねえか? 結局、相手の出方を待つしかないじゃん。で、出てきたら迎え撃つ、と」

 何も考えてないこと丸わかりな、サイトの意見。

「あのねえ......。それでも、ある程度対策を立てておけば、戦いがラクになるかもしれないでしょ」

「ああ、それもそうか。......で、どんな対策があるんだ?」

「だから! それをみんなで今から考えようっていうのよ!」

 と、叱りつけてみたところで、誰にも具体的なアイデアがあるわけではなく。
 ちょっと沈黙が降りたが、それをキュルケが破る。

「ティファニアとかフーケとか子供たちはともかく、あのアルトーワって老人は何者なのかしら。......ちょっと怪しいわね。案外、彼が『地下水』だったりして」

 そう言いながら、タバサに顔を向ける。
 ふむ。
 さっきタバサがアルトーワ老へ向けていた訝しげな視線、それにキュルケも気づいていたらしい。
 タバサは、小さく首を横に振る。

「......彼はアルトーワ伯。リュティスの南西、グルノープルの領主」

 おやおや。
 あの老人、タバサの知っている人間だったわけか。
 今タバサが口にした地名は、どちらもガリアのものだ。つまり、彼はガリアの貴族ということ。
 言われてみれば、アルトーワ老もタバサと同じく、青髪の持ち主。ただし彼女とは違って鮮やかな青ではなく、ちょっとくすんでいて水色に近い。たぶん王家の遠い分家筋にあたるのだろう。

「なんだよ、タバサの知り合いだったのか。じゃあ、教えてあげればよかったのに。あの人、記憶喪失で困ってるんだろ?」

「バカね、サイト。そんなことしたら、タバサの正体もバレちゃうでしょ」

 軽く嗜める私。
 タバサは『タバサ』と名乗っているものの、その本名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。ガリア王ジョゼフ――もう死んでるけど世間では知られていないはず――の姪である。
 考えてみれば。
 ティファニアがアルビオン王家の血を引いているのだから、今この森に、三大王家の血を継ぐ者が揃っているわけね。ある意味、豪華なメンツ......。

「......それに。あの老人が本当に記憶がないのかどうか、わからないでしょ」

「どういう意味だ?」

「つまり。記憶喪失のフリしてここに留まり、何か企んでるかもしれない......ってこと」

「ああ、そういう意味か。それならそうと、最初から言ってくれよ」

 こいつ。
 そこまで噛み砕いて説明してやらんとわからんのか。
 ......と、私が心の中でツッコミを入れた時。

「ルイズ」

 それまで黙っていた姫さまが、突然、口を開いた。

「何か......様子が変ではありませんか?」

 言われてみれば。
 いつのまにか、周囲の音が止んでいる。
 テーブルに残っているのは私たちだけだが、少し前までは、遠くで遊ぶ子供たちの声や、森の木々とか鳥たちのざわめきが聞こえていたのだが......。

「......なんだ......? こりゃあ......」

 惚けたような声を出しながらも、背中の剣に手をかけるサイト。
 他の四人も立ち上がり、杖を手にする。
 
「結界だな。......敵が来るぜ」

 サイトに応じるデルフリンガー。
 まるで、それが聞こえたかのように。

「こんにちは」

「ちょっと尋ねたいんだが......君たちの中に、ルイズって人、いるかな?」

 私たちに呼びかけながら、森の方からやってきたのは若い男女の二人組。
 杖を構えたまま、私は一歩前に出る。

「私よ。私が『ゼロ』のルイズ。......で、私に何の用?」

 すると男は、こともなげに言い放った。

「君を殺しにきたんだ」


(第三章へつづく)

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第六部「ウエストウッドの闇」(第三章)

「君を殺しにきたんだ」

 そう言ったのは、黒い羽帽子にマントを羽織った若い男。
 一緒にいる女が、朗らかに笑う。

「よかったですわね、人違いじゃなくて。ドゥドゥー兄さまったら、人間の個体識別が苦手なものですから......」

 彼女は、ヒラヒラがついた黒と白の派手なデザインの衣装に身を包んでいる。レースで編まれたケープの上の顔は、まるで人形のように美しかった。

「そんなことを言うなよ、ジャネット! ちゃんと今回は目当ての相手を見つけ......」

 ドゥドゥーと呼ばれた少年が、そこまで言った時。
 サイトの体が反応した。背中の魔剣デルフリンガーを抜き払いつつ、駆け抜ける。
 ......ガンダールヴの神速の動き!
 しかしドゥドゥーは、これをなんなくかわしていた。魔法も使わずに、その身体能力だけで、大きくジャンプしたのである。

「おいおい。ちゃんと話は最後まで聞いてくれよ」

「ドゥドゥー兄さまが誤解されるようなこと言うからいけないのよ! まったく! ドゥドゥー兄さまはバカじゃないの!?」

 地面に着地したドゥドゥーのもとへ歩み寄る、ジャネットという少女。彼女は、彼の頭をポカリと叩く。
 これに対して。

「バカって言うなよ! こっちの世界に来て日が浅いもんだから、手順や作法を覚えてないだけだ!」

「こっちの世界......だと?」

 サイトの表情が変わった。
 彼が何を思ったのか、容易に推測できる。
 この二人もサイトと同郷という可能性......。それがサイトの頭に浮かんだのだろう。

「待ちなさい、サイト」

 それ以上サイトが何か尋ねる前に、私が止めた。
 私には、目の前の二人が異世界人だとは思えなかったし、それより何より、先にハッキリさせるべきことがあったからだ。

「あんたたち、今、誤解だって言ったけど......。戦いに来たわけではない、ってこと?」

 私の質問に対して、しかしドゥドゥーは首を振って。

「それも少し違うな。僕が言いたかったのは、君を殺すのは僕たちじゃないってことだ」

「ドゥドゥー兄さまったら、本当に説明が下手ね。いいわ、私が説明してあげる。......私たちは、今回はサポート役。露払いをするのが、任務なの」

「そうそう。僕たちは残りものの始末なんだ。君を殺すのは......」

 背後の森へと顔を向けるドゥドゥー。
 それが合図であったかのように、もう一つの人影が現れる。
 全身黒ずくめの服で、顔も目の部分以外は黒い布で覆った怪人物......。

「......『地下水』ね」

 確認するかのように、私は呼びかけた。

########################

「来てあげたわよ、この村まで。あんたの望みどおり」

 暗殺者はウンともスンとも言わないが、私はさらに言葉を続ける。
 これで実は違う人でした......なんてことになったら間抜けなのは私だが、そんなはずもあるまい。

「......で、何? 一人じゃ勝てないと思って、助っ人を雇ったわけ? あんた自身が暗殺者のくせに?」

「我が雇ったわけではない。この者たちは......協力者だ」

 おっ、今度は反応があった。
 しかも。

「......『元素の兄弟』。裏の世界では有名」

 私の背後で、タバサが補足の声をあげる。

「知ってるの、タバサ?」

「......ドゥドゥーもジャネットも、四兄弟のうちの二人の名前。聞いたことがある」

 キュルケの問いに、小さく頷くタバサ。ちょっと微妙な言い方だが......。
 ははぁん。こりゃあタバサも、私と同じことを考えているな?
 一方。
 当の二人も、彼女の言葉に反応を示していた。

「おお! 知られているんだね! やっぱり、この姿と名前を使って正解だった!」

「ドゥドゥー兄さまったら! そんな言い方したら、私たちが本物じゃないって言ってるようなものじゃないの!」

 またまた『妹』に怒られる『兄』。
 そんな二人に、私は冷ややかな視線を送りながら、言葉を投げつける。

「......心配しなくても、とっくの昔に正体バレてるわよ。『人間の個体識別』とか『こっちの世界』とかって言葉からね」

「あら? じゃあ......もう、こんな姿をしている必要もないわね......」

 言うと同時に、ジャネットの外見が変化し始めた。
 派手な衣服は簡素なローブとなり、髪は長く伸びて乱れる。同時に、それらは黒い色に変わった。
 姿勢は猫背ぎみとなり、顔は白くぬめり......。
 いつのまにか目も鼻もなくなり、ただただ紅い口だけが笑みの形で残っていた。

「やっぱり魔族だったのね」

「......グドゥザと呼んでもらおうかね......『ドゥドゥー兄さま』の方はデュグルドよ......」

 声も口調も、まるで老女のようになってしまった。
 そのグドゥザの隣では、『ドゥドゥー兄さま』ことデュグルドも変化を見せる。
 背中のマントは奇妙なデザインの形に変わり、帽子は子供のかぶるようなツバつき帽に。顔からは髪の毛すらも消え、ただ真っ黒い硬質のタマゴ型。
 正体をさらしたことで、あらためて挨拶の必要を感じたのか。デュグルドは、右手で小さく、帽子のツバを下げて会釈する。
 すっかりバケモノと化した二人を後ろに従えるかのように、ズイッと歩みを進める『地下水』。
 応じて、サイトも私の前へ。

「おっと。ルイズは、やらせないぜ」

「相棒は娘っ子の使い魔だからな」

「おい、デルフ。俺のセリフをとるなよ」

 手にした剣と軽口を交わしつつも、サイトは『地下水』から視線を逸らさない。左手のルーンも、強く光っていた。

「......困ったなあ。ルイズって娘以外は、俺とグドゥザで相手しないといけないんだがな......」

 帽子を右手でいじくりつつ、デュグルドがつぶやく。これもグドゥザと同じく、人間のフリをしていた時とは言葉遣いが変わっている。

「かまわん。そこの剣士にも借りを返す」

「そうかい? あんたがそう言うなら......」

 あっさりと『地下水』の言葉を受け入れるデュグルド。
 まぁ確かに、以前の戦いで『地下水』に大きなダメージを与えたのは、私ではなくサイトだからねぇ。この暗殺者がサイトに恨みがあるとしても、不思議ではない。

「タバサ、デュグルドはあんたに任せるわ! キュルケは姫さまと共に、グドゥザの方をお願い! この『地下水』は......私とサイトで何とかしてみせる!」

「......話はまとまったな」

 私の仲間たちより早く。
 暗殺者が私の言葉に応じて、ユラリと両手を左右に開いた。

「ならば......始めるか」

 その手に握られたナイフが、キラリと光る!
 今......。
 魔族の結界を舞台に、死闘が始まった!

########################

「ひゅうっ!」

 デュグルドが、タバサに向かって走る。
 タバサは中腰になって杖を構え、口の中で呪文を唱え始めた。
 強力な呪文を使おうと思ったら、詠唱にもそれなりの時間がかかるわけだが......。

「行くぜぃっ!」

 マントを風にはためかせ、デュグルドは右手をタバサに向かって突き出した。
 瞬間、その指先に生まれる、数発の小さな闇の礫。それらが同時に、タバサ目指して宙を舞う。
 あわててその場を退くタバサ。
 小柄で軽い分、彼女の動きは速い。その得意な系統『風』のように、軽やかな身のこなしである。

 バヅッ!

 小さく低い音を立て、闇の礫は、彼女の足下に小さな穴を易々と穿つ。大地に生えた草が抉れて散った。
 ほとんど同時に、彼女の呪文が完成。体の周りを、大蛇のように巨大な氷の槍が回る。
 杖を振り下ろすと、氷の槍(ジャベリン)がデュグルドめがけて飛んだ。

「こんなもの!」

 再び数発の闇の礫を生み出して、デュグルドは、それで氷の槍を迎え撃つ。
 粉々に砕け散る『ジャベリン』。キラキラ光る氷の破片が、割れたガラスのようにデュグルドを襲う。

「なにぃっ!?」

 氷の欠片の隙間から、デュグルドにも見えた。
 タバサがもう一本を発射すべく、杖を振りかざしている!

「一本目は囮か!」

 そう。
 タバサは同時に二本、槍を作り上げていたのだ。
 二本目がデュグルドに向かって解放される!

「うぉおおおおおおお!」

 声を上げ、あわてて跳んで、さらに身を捻るデュグルド。 

 ......たんっ。

「やるじゃねぇか。思ってたよりも、さ」

 着地と同時に、静かな口調で言うデュグルド。その身につけたマントが、ざっくり裂けている。
 魔族の場合、それも体の一部だと思うのだが。
 顔のない魔族は、バサリとマントをひるがえし......。
 同時に、マントの裂け目がスゥッと消えた。

「......それならこっちも、少し本気で相手してやるか」

 デュグルドの周りに、十数個の闇の礫が生まれた。

########################

「行きますっ!」

 言い放ち、口の中で呪文を唱えつつ、姫さまがグドゥザに向かってダッシュする。
 ええっ!? キュルケが前衛、姫さま後衛のつもりで組んでもらったのに......。これじゃ、姫さまが危険じゃないの!

「......くふふ......そちらから来てくれるかい......」

 ザワリと髪をゆらめかせ、グドゥザもまた、姫さまに向かって進み出た。
 姫さまが呪文を唱え終わる。
 同時に、地面に落ちたグドゥザの影が、姫さまに向かってズルリと大きく伸び広がった。
 おおっ! なんと姫さま、これを見事にかわす。
 ......というより、影云々ではなく、最初から予定の動きだったようである。

「何っ!?」

 姫さまに隠れるように立っていたキュルケ。
 その姿をグドゥザが認めると同時に、キュルケの杖から炎の蛇が飛び出す!
 姫さまに注意を向けさせておいて、彼女の背後で準備していたキュルケが魔法攻撃する作戦だったのだ。
 しかし。

「......ばかめ......人間の浅知恵にすぎぬわ......」

 魔族は小さくつぶやき、バッと飛び退いた。
 キュルケの炎の蛇は、グドゥザに届くことなく、逆に魔族の影に巻き付かれて消滅する。
 さらに。

「......挟撃のつもりかもしれんが......無駄よのぅ......」

 なんと!
 反対側から迫り来る水の塊をも、グドゥザは小さく身を捻ってかわす。
 姫さまの放った魔法の水球は、グドゥザのわずかに横を通り過ぎ......。

「がぅわっ!?」

 思わず叫んで後ずさりするグドゥザ。
 避けたはずの水の塊が、グドゥザのすぐ真横ではじけ散ったのだ。
 魔力の破片を全身に浴びた形だが、術が拡散しているぶん、かなり威力はダウンしているはず。グドゥザにしても、やや熱すぎるシャワーをいきなり浴びせられた、程度のダメージしか受けてはいないだろう。
 ただ単に、意表をつかれて驚き、さがったに過ぎない。
 大地に落ちたグドゥザの影は消えていないのだ。術の集中が破れていない証拠である。しかも、その影は今......。

「......あたし......これじゃアンの身替わりじゃないの......」

 姫さまの後ろにいたキュルケを、完全に拘束していた。
 あの位置関係では仕方あるまい。作戦ミスというかなんというか......。キュルケ、早くも脱落かな?

########################

 そして......。
 私とサイトもまた、戦いを開始していた。
 デュグルドや姫さまが、それぞれ駆け出した瞬間......。

 ボコッ!

 暗殺者『地下水』の周囲の土が盛り上がり、こぶし大の砲弾となって私たちに飛んできた。これは......土魔法の『土弾(ブレッド)』!
 あいかわらず、杖もなしに系統魔法を使う、厄介な奴である。今の『地下水』はナイフを手にしているので、以前にもチラッと考えたように、あれを杖として契約しているのかもしれないが......。
 ともかく。
 私は横に大きく跳んで回避し、サイトは正面から立ち向かう!

「はっ!」

 気合い一閃、デルフリンガーを振るうサイト。
 暗殺者の放った『土弾(ブレッド)』は、いともアッサリ砕け散った。
 サイトは、そのまま『地下水』に向かって突っ込んでゆく!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 私のエクスプロージョンは、いつでも撃てる状態。
 しかし今は、しかけるのにはまだ早い。
 前回の対戦では、『地下水』は魔法で地面から土の盾を作り出し、それで私のエクスプロージョンをしのいでいた。もちろん一撃で粉砕される程度の脆い盾だが、それでも次々と作られればイタチごっこ。しかも周囲は土煙で視界も悪くなる。
 ......あの二の舞は避けたい。ならばまず、サイトの攻撃を待って、『地下水』が弱って魔法も使えなくなったところで、私がエクスプロージョンで決める!

「また前のように......ぶった切ってやるぜ!」

 左手のルーンを光らせながら、サイトがデルフリンガーを振りかぶった。
 これに対して、『地下水』は私の予想どおり、土の壁を......。
 ......いや、これは単なる壁じゃない!?

「なんだ!?」

 驚きつつも、斬り下ろすサイト。
 だが。
 それを受け止めたのは、人間大のゴーレム。
 そう。
 今回『地下水』の前で盛り上がった大地は、人のような形をとり、器用にサイトの剣を両手で挟み込んでいた。

「こいつ!? 土人形のくせに、真剣白羽取りかよ!」

「相棒、なんとかしてくれよ。こんな奴に掴まれたままじゃ、俺も嫌だよ」

 サイトがゴーレムに武器を封じられている間に。
 ゴーレムの影から現れた『地下水』が、右手のナイフを突き出し......。

「うぁっ!?」

 慌てて避けるサイトだが、これはフェイントだった!
 反対側から本命が来る!

「がぁっ!」

 暗殺者の放った蹴りが、まともにサイトの腹に決まっていた。
 サイトの体が、大きく後ろに吹っ飛ぶ。
 ......もうタイミングを見計らってる場合じゃない!
 私も杖を振り下ろし、唱え終わっていたエクスプロージョンを『地下水』に向けて解き放つ。
 しかし暗殺者は、私の方を見ようともせず。
 代わりに、ゴーレムがデルフリンガーを投げ捨てて、私と『地下水』との間に仁王立ち。

 ボンッ!

 文字どおり身を挺して、私の術を迎撃した。

「......う......くっ......」

 向こうでサイトが身を起こす。
 どうやら蹴りを入れられた瞬間、後ろに大きく跳んで、威力を殺したようである。さすがサイト、私の使い魔。

「......なんだよ......前とは戦い方が全然違うじゃねえか......」

 あ。
 私にしてみれば、前回同様に『土』魔法を多用してるな......くらいの感じだったが。
 その『前回』にサイトはいなかったし、私も彼に戦闘の詳細を伝えていなかったんだっけ。
 こんなことなら、もう少しちゃんと話しておけばよかったかも。
 ......私は、わずかに後悔した。

########################

「来いよ! 人形娘!」

 嘲りをこめて、デュグルドが声を上げる。
 ......こんな短い戦いの時間で、もうタバサは、人形のように無表情な少女として認識されたらしい。

「......」

 挑発には応じず、無言で駆け出すタバサ。

「ひとつ!」

 デュグルドが、後ろにさがりながら声を上げた。
 魔族を取り巻く闇の礫の一つが、タバサに向かって突き進む。
 しかしタバサは、空気の刃を生み出して、それをアッサリ弾き散らした。

「ほぅ!? ならば......ふたつ!」

 わずかに軌道とタイミングをずらして放たれた礫。
 詠唱の余裕がないために、タバサは強力な呪文が使えない。それでも、氷の矢や空気の刃を一、二本繰り出す程度は簡単。
 デュグルドの攻撃を、またも楽々けちらした。

「ならば......みっつ!」

 やはりこれも、全く同じ運命をたどる。
 ジワジワと後退を続けていたデュグルドの背が、森の大木の一つに当たった。
 もはや後ろに逃げることは不可能!
 魔族が次のカウントをするより早く......。
 タバサの呪文が完成する!
 ......それまでのような小技ではない。いつのまに唱えていたのか、結構な大技だ!

「また、それかよ!?」

 デュグルドの嘲笑にも構わず、自分の背丈よりも大きな杖を回転させるタバサ。
 杖に導かれるようにして、氷の槍も回転する。
 回転するうちに膨らみ......。
 太く、鋭く、青い輝きを増していく。

「さっき食らった技など、二度とは食らわないぜ!」

 豪語するデュグルドに向けて......。
 杖を振り下ろすのではなく。
 杖を突き出した格好で、自分ごと走り出すタバサ。
 なるほど、これなら『氷の槍(ジャベリン)』が放たれるタイミングがわかりにくい。杖を叩き付けてゼロ距離から発射することも出来るだろう。
 タバサの杖は『ブレイド』には向かない形状だが、こういう使い方をすれば、接近戦も十分いける。

「ほう! やるじゃないかっ!」

 声と同時に、残る闇の礫の全てが、向かい来るタバサに降り注ぐ。

 ビヂッ!

 小さな黒いプラズマを走らせ、礫は全て消滅した。タバサの周囲を回る、氷の槍の回転に巻き込まれたのだ。
 一方、少しサイズを減じたものの、タバサの『氷の槍(ジャベリン)』は健在。
 そのままタバサが突っ込む!
 デュグルドを守るものは、もう何もない!
 タバサがグイッと杖を突き出し......。

 ......ヴン......。

 その瞬間、虫の羽ばたきにも似た音を立て、デュグルドの体が背中から大木に溶け込み消える!

「......!?」

 さすがに表情を変えるタバサ。
 急いで手を止めようとするが、もう遅い。

 ガヅッ!

 放たれた氷の槍は、むなしく大木に突き刺さり、幹を凍らせただけ。

「......危ない危ない。さすがに、そんなもんの直撃は俺も嫌だぜ」

 とぼけた声は、タバサの後ろから聞こえた。
 あわてて振り向きつつ、タバサはバッと大きく飛び退くが......。

「ぐっ!?」

 新たに作り出されたデュグルドの礫が、彼女の左肩に命中した。
 続いて別の一発が右脚をかすめ、タバサは足をもつれさせる。
 倒れ込んだ彼女の方へ、デュグルドがゆっくりと歩み寄る。

「魔族が空間を渡るのを見るのは、初めてかい?」

 帽子のツバを右手でクイッと下ろしながら、

「この世界に来る際、何かに憑依して具現化したわけじゃないからな。俺たち純魔族は精神体だから、その気になりゃあ、こういう芸当もできるってわけよ」

 勝ち誇った声で、デュグルドが言った。

########################

「しゃぁぁぅっ!」

 グドゥザが、姫さまとの間合いを一気に詰める。

 ざわわっ!

 魔族の黒く長い髪が、彼女に向かって伸びたその瞬間。
 姫さまもまた、グドゥザに向かってダッシュをかけた。
 ......姫さまったら、なんでこんなに接近戦をやりたがるのかしら?
 さっきはキュルケとの打ち合わせだったのであろうが、今回は事情が違う。
 そのキュルケは今、グドゥザの影に拘束された状態。厳密には影そのものではなく、影の中から伸びたグドゥザの髪がキュルケに巻き付いているようだが、髪の色が色なだけに、影と見分けがつかない。

「あたしは......完全に無視なのね......」

 身動きはとれず、かろうじて口だけが動くキュルケ。
 おそらくグドゥザとしては、姫さま共々、動きを封じてから嬲り殺しにするつもりであろう。
 グドゥザと姫さまの身が互いに近づき、姫さまは、勢いよく左手を突き出した。
 瞬間。
 その左手に、グドゥザの髪が絡み付く!

 ぼぎんっ!

 鈍い音が響いた。
 グドゥザの笑みが深くなる。
 だが姫さまは、苦痛の声を上げる代わりに。

「左手は囮です」

 右手の杖を振り下ろし、呪文を解き放つ!

「ぎぎゃうっ!?」

 悲鳴を上げて跳び退く魔族。
 髪を姫さまから離しただけでなく、衝撃で術が解けたとみえて、キュルケの身まで解放された。

「ありがと、アン」

「どういたしまして」

 気さくに言葉を交わす二人を、グドゥザが睨みつける。

「......き......きさま......」

 姫さまが使った魔法は『水鞭(ウォーター・ウィップ)』。鞭と言えば聞こえはいいが、鋭利な剃刀のように薄くすれば人間を切り裂くことも出来る、手ごわい技だ。
 さすがにグドゥザは魔族だけあって、今の一発で滅ぶということはなかったし、斬られたような痕もない。だが、それでも結構こたえているらしい。
 ......とはいえ今の攻防で、姫さまも左手を折られている。

「......正気か!? 自分の手を一本、犠牲にするなどっ!?」

「こうでもしなければ、勝てそうにないですから。それに......」

 不敵な笑みを浮かべて言う姫さま。

「......わたくしも少しは頑張らないと、おともだちのルイズに笑われてしまいますわ」

 それはちょっと頑張る方向性が違う......。
 やせ我慢しているのが見え見えの姫さま。彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいる。

「......なるほど......私が間違っておったよ......」

 ぽつりとグドゥザがつぶやいた。
 姫さまも次の呪文を唱え始める。
 キュルケはグドゥザの死角から炎の球を放ったが、これを魔族はヒョイッとかがんで避ける。......よく考えてみたら、死角も何も、もともとグドゥザに目なんてないってことね。

「嬲り殺しにして、恐怖と苦痛を食ろうてやろうと思ったが......そんな悠長なことも言っておられんようだね......」

 言うなり......。
 しゃがんだ姿勢のまま、グドゥザは、地面に落ちた自分の影に両手をつく。

「また影を使った攻撃ね!?」

 叫んで身構えるキュルケであったが......。
 グドゥザの手が手首のあたりまで溶け込むと同時に。
 
 ビクンッ!

 キュルケと姫さまの体が、小さく震えた。
 見れば、二人の足下。
 二人それぞれの自身の影から、グドゥザの手が生えており、ガッチリと二人の足首を捕えていた。

「何よ、これ!? なんであたしの影から、あなたの手が出て来るの!?」

 キュルケが悲鳴を上げる。
 それに紛れるかのように、姫さまは呪文を唱え続けていた。

「......くふふ......全身を砕いてやるわ......」

 恐怖心を煽るためか、いちいち口にするグドゥザ。
 その黒い髪が、まるで無数の細い生き物のように、ザワリと蠢き、大きく伸びる。床についたその途端、やはりキュルケと姫さまの影の中から、ゆらめく髪が這い出した。
 二人の足に巻き付き、はい上がろうとするが......。
 その瞬間。
 水の塊がグドゥザ本体を包んだ。姫さまの魔法攻撃である!

「小娘! この程度の魔法で、私の動きを封じたつもりか!?」

 水柱の中で叫ぶグドゥザ。人間ならば息が出来なくなるが、魔族のグドゥザには痛くも痒くもないということか......?

「......フン!」

 グドゥザの掛け声と共に、ザバーッと水柱が四散する。その気合いだけで、力押しで姫さまの術を破ったのだ。
 しかし。
 この水柱、姫さまの魔法で作られたものだけあって、それなりの精神力がこめられていたらしい。
 魔族のグドゥザにも多少なりともダメージを与えたようで、人間で言えば肩で息をしているような感じになっていた。
 さらに。

「残念でした。わたくしは、あくまでも囮なのですよ」

「......何?」

 ボウッ!

 炎の蛇に巻き付かれ、グドゥザの体が紅い火柱と化す!
 悲鳴さえも上げぬまま、グドゥザは火の中で焼き尽くされてゆく。

「やった......のかしら?」

「おそらく......」

 姫さまが、キュルケの言葉に頷いた。
 魔族が姫さまの魔法に集中していた隙に、その意識の範囲外から、キュルケが得意の魔法を撃ち出したのである。
 影から上がった手や髪は既に消えて、キュルケも姫さまも、普通に動けるようになっていた。
 やがて......火柱が完全に収まった。
 グドゥザの姿はない。

「......ふぅ......」

 二人同時に、小さく息をついた。
 が、その瞬間。

 ぐごぉっ!

 魔力の衝撃波の直撃を受けて、二人はまともに吹っ飛ばされた。
 
「っあっ!?」

「いっ!」

 森の大木に叩きつけられて、そのまま地面に倒れ伏す。
 術を放ったのは......グドゥザ。
 その真っ白い顔だけが、人の顔ほどの高さのところに浮かんでいた。

「......くふ......今のは......さすがにこたえただろう......?」

 言うグドゥザの顔から、闇がザワリと伸びた。
 それは見る間に、また髪と体を造り出す。

「......えっ......えっ......?」

「......う......くっ......」

 二人は小さく呻き声を上げ、倒れたままで、視線だけをグドゥザに向ける。

「とっさだったのでね......。精神体の抜け殻だけを囮にして消えてみたのさ。まんまと引っかかってくれたようだね。......しょせんお前たち人間の攻撃など、私たち魔族がその気になれば防げんことはない、ということさ」

 再び髪を揺らめかせ、ゆっくりとグドゥザは二人に歩み寄る。

「......さぁて......それじゃあ殺してあげるかね......」

 グドゥザの真っ赤な口が、笑みを刻んだ。

########################

「......ま、考えてみりゃあ、戦い方どうのこうのは、俺には関係ねえな」

 立ち上がったサイトは、転がったデルフリンガーのところまで歩き、それを拾った。
 不敵な笑みさえ浮かべつつ、サイトが再び魔剣を構える。

「俺は......ただ敵を叩き斬るだけだ!」

 ......言ってることは間違っちゃいないが......相手は『地下水』だぞ!?
 大口叩くのはいいが、勝算はあるのか? 勝算は!?
 ここが荒野のど真ん中とかいうなら、間合いを取って竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)の一発もぶちかましてやるのだが、周りにはサイトたちもいるし、まがりなりにもティファニアの家の庭。
 おそらく異空間か何かになっているのであろう、魔族たちの張った結界の中。ここで竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使った場合、現実世界にどんな影響が出るか、わかったもんじゃない。
 となれば、私は小規模な爆発魔法で、横からチマチマちょっかいかけるしかない。主戦力は、あくまでもサイト。

「サイト! なぜか『地下水』は、土魔法が得意になってるみたい! 気をつけなさい!」

「そんなこと言われても......俺には魔法のことはよくわからねえぞ!?」

 せっかくのアドバイスも、サイトには役に立たないか。
 私たちが言葉を交わす間に、暗殺者の周囲の地面が再び盛り上がり......。
 うん、やはり戦闘パターンが変わっている。
 トリスタニアで戦った時は、『地下水』は水魔法の『スリープ・クラウド』を得意技にしていた。以前の『地下水』ならば、魔族の結界に頼ることなく、私たち以外は魔法で眠らせていたであろう。
 ......ん? そもそも、こいつ、なんで結界なんて張ってもらってるんだ?
 などと私が思いを巡らせるそのうちに、サイトと暗殺者とがぶつかっていた。

「ひゅっ!」

 気合いと共に、けさがけに斬り下ろすサイト。
 暗殺者は......避けない!

 バチッ!

 火花を撒き散らし、サイトの剣戟が止まった。
 左手のひらを覆った『土弾(ブレッド)』で、『地下水』がデルフリンガーを受け止めたのだ。
 ......といっても、土の塊で剣を受けられるわけがない。おそらく『錬金』で硬化させたのだ。先ほどの音も火花も、金属と金属とがぶつかった感じである。

「ちいっ!」

 叫んで後退するサイト。
 彼の腹を狙って、『地下水』の右手が繰り出されたからだ。こちらの手にはナイフが握られており、まともに食らったら痛いでは済まないはず。
 ......まあ、なんだかんだ言って、サイトは『地下水』と互角に斬り結んでいるっぽい。心配なのは、むしろ他の三人。合間を見て目をやっているのだが、おせじにも有利な状況とは言えなかった。
 タバサは礫を受けた左肩を血で赤く染め、姫さまやキュルケは倒れて動けない。
 どうする? そっちの三人の援護に回るか? しかし『地下水』がそれを許すとも思えない。
 私が魔族二人と戦い始めたら、『地下水』はサイトをほっぽって、そっちに加わりそうだ。乱戦になったら、動けぬ三人なぞ、かえって危険......。
 ......それくらいなら、いっそのこと。
 ふと思いついた私は、増幅の呪文を唱え、そして......。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 構えた私の杖に沿って、闇の刃が生まれ出る。
 その魔力に反応し、振り返る魔族二人。

「まさか......その魔法は......!?」

「人間ごときが......生意気な!」

 続いて、サイトと戦っていた暗殺者が、魔族たちに叫ぶ。

「虚無の娘は私が倒す! 手を出すな! そういう約束のはずだ!」

 しかしこれを発動させたのは、魔族を驚かせるためでもなければ、『地下水』と斬り合うためでもない。
 私は、あさっての方向に走り出し......。

 ざむっ!

 何もないはずの虚空に、確かな手応えがあった。
 魔族の結界を切り裂いたのである。
 それも、いともアッサリと。
 さすがは、金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)の術......。
 そして。

 ......ざわり......。

 森のざわめきが戻ってきた。
 子供たちの遊んでいる姿や声も復活する。
 その視線が、一斉に私たちに集まった。私たちはともかくとして、暗殺者や魔族の姿に驚いているのだ。
 硬直する子供たち。その一人が、遊具のボールをポトリと落とした。

「......ちっ!」

 小さく舌を打つ『地下水』。
 その動揺の色を逃さず、サイトが上段から斬りつける。
 間一髪。
 これを暗殺者は、後ろへ跳び退いてかわす。

「退くぞっ! グドゥザ! デュグルド!」

「......ちっ。いいところで......」

「......しかたがあるまい......」

 三人はその身をひるがえし、森の奥へと消えていった。
 私たちはその場を動かない。
 うかつな深追いをすれば反撃を食うのは目に見えているし、それに何より、倒れたままの仲間を放り出していくわけにはいかなかった。

「なんだ!? あいつら......なんで退却してくんだ!?」

「私が結界を破っちゃったからね」

 つぶやくサイトに、とりあえずの答えを返す。
 わざわざ結界を張ったくらいだから、無関係な者には見られたくないのだろう。そう思って試しにやってみたのだが、上手くいったらしい。
 まあ、彼らが何を考えていたのか、本当のところは私にも判らない。ただの恥ずかしがり屋さん、ということもあるまいし......。

「......そうか。そうだよな、暗殺者とか魔族とかって、闇に生きる者たちだもんな」

 サイトはサイトで、何やら勝手に納得していた。
 ......うん、今はサイトはどうでもいい。

「姫さま!」

 私は彼女に駆け寄り、そっと抱き起こす。

「......だいじょうぶ......です......」

 左腕を折られ、ほかに外傷はなさそうだが、魔力衝撃波の直撃は、かなりこたえたようである。
 同じ攻撃を受けたキュルケも、いまだ起き上がれない。

「......今......呪文唱えますから......」

 姫さまは右手で杖を振って、自分に『治癒(ヒーリング)』をかけていた。
 見れば、タバサも肩の傷を自分で治そうとしている。姫さまほどではないが、彼女も少しは使えるメイジのはず。
 ......ともかく。
 こうして私たちは、ウエストウッド村での最初の襲撃をはねのけたのであった。


(第四章へつづく)

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____
第六部「ウエストウッドの闇」(第四章)

 とりあえず『地下水』は撤退したものの、また来ますという匂いがプンプン。
 私たちは、少しの間、このウエストウッド村に留まることになった。
 といっても、六人と一匹――私とサイトと姫さまとキュルケとタバサとジュリオとフレイム――全てが宿泊できるような大きな家も部屋もあるはずがなく。
 いくつかに別れて、それぞれの家に泊めてもらうことに。
 そんなわけで......。

「今日も色々あったが......そろそろ寝ようぜ」

 夕食後。
 私とサイトは、割り当てられた部屋へと引きこもる。
 ティファニアの家の、空いている一室。こじんまりとした部屋である。
 ベッドの脇に窓が一つ、反対側にドアがあった。部屋の真ん中には丸い小さなテーブルが置かれ、木の椅子が二脚添えられている。
 粗末なベッドだが、白いシーツに、柔らかい毛布がかけられていた。私とサイトの二人だから、これで十分であろう。

「うーん......。でも、その前に......」

 ボーッと窓から外を見ていた私は、言いながらサイトに振り返る。

「......ちょっとその......今夜。つきあってほしいの」

 言うなり......。

「おでれーた! 娘っ子の方から、相棒を誘うなんて!」

 壁に立てかけられた剣が、コソッとつぶやいた。

「相棒も、てーしたもんだ! 主人からそっちの誘いを受ける使い魔なんて、初めて見たぜ!」

「......ちょっ......!? ちょっと! そ、そ、そーゆー意味のわけないでしょ!? か、勘違いしないでよね!」

 見れば、ベッドの毛布をめくっていたサイトの手は止まり、その顔も......。

「バカ犬! あんたまで......何を赤くなってるのよ!?」

「......いや......だって......なぁ......」

「そーじゃなくてっ! ......つまりちょっと、剣の練習したいから、つきあって欲しいのよ!」

「......剣の練習?」

 サイトが不思議そうな声を出せば、

「娘っ子は担い手だ。相棒が守ってくれるし、必要ねーだろ」

 デルフリンガーも、そう言う。
 しかし、私は首を振って。

「サイトだって、いつもいつも私に張りついてるわけじゃないでしょ」

 さらに頭をかきつつ。

「昼間の戦いでも思ったんだけど......。『地下水』の動きについていけないから、なんて言ってたら、サイトとあいつが戦ってるのを横で見てるだけ。私の方から積極的にかかって行く、なんてことはないにしても、ある程度の対応は出来るようにしておきたいし......」

「......ま......確かにそうだな......。それに......娘っ子も、剣の魔法を覚えたわけだしな」 

 そう。
 せっかく使えるようになった『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』も、今の私では、宝の持ち腐れなのである。
 デルフリンガーの言葉に納得して、サイトも頷いていた。

「そうか。修練はしておくにこしたことない、ってことか。......じゃあ、さっそくやるか」

「ええ。今なら、庭には誰もいないしね」

 そして私たちは連れ立って、星明かりに照らされた外へ出る......。

########################

 翌朝。
 私とサイトが朝食のテーブルへ向かうと、すでに皆が席に着いていた。

「遅かったわね。先に始めてるわよ」

 ボイルされた青野菜を口に放り込みながら、キュルケが声をかけてきた。
 
「おはよう、ルイズ。ずいぶん疲れていたようですから、無理に起こさずに、もう少し寝かせておこうと思ったのですけれど......」

 トーストにジャムを塗りながら、説明する姫さま。
 森で採れた蛇苺で作ったジャムであろうか、いい香りがする。

「ありがとうございます、姫さま。おかげさまで、疲れもとれました」

 軽く礼を言って、私は椅子に腰かける。
 口では「疲れもとれた」と言ったものの、実際のところ、そうでもない。原因はもちろん、昨夜の剣の稽古。
 途中でサイトから言われたのだが、私には、正面からの攻撃を左に避ける癖があったらしい。
 あらためて意識してみれば、確かにそのとおり。かといって意識すれば、とっさに体が動かない。
 サイトが私との練習用に使ったのは、よくしなる細い木の棒だが、これがまぁ面白いようにピシピシピシピシ当たること当たること。......いや私にしてみれば、ちっとも面白くないけど。
 おまけに、違うように避けようと意識しまくっていらない力が入ったらしく、いざ訓練が終わってみれば、あちらこちらの筋肉が突っ張って......。

「あら?」

 キュルケが私を見て、首をかしげた。
 筋肉痛のために私は、椅子に座る仕草が少しぎごちなかったようだ。

「昨日の戦闘が激しくて、やはり疲労が残っているのですか?」

「そんなはずないわ、アン。あたしたちと違って、ルイズはダメージらしいダメージも負わなかったもの」

 キュルケや姫さまは、昨日は魔族に結構ひどく痛めつけられたわけだが、今はすっかり元気になっている。
 これも姫さまの水魔法と、ティファニアの家にあった薬のおかげ。ティファニアたちは人里離れた森に暮らしているだけあって、ケガや病気に対する薬の備えはシッカリしていたのだ。

「ああ、気にしないでくれ。ルイズが疲れてるのは、俺のせいなんだよ。昨日の夜、寝る前に二人で、ちょっと......。なんつーか、頑張りすぎちゃってさ」

 軽く説明のつもりで、サイトが口を挟む。
 だが、これが思わぬ反応を呼んだ。

「なーんだ。あなたたち、やっぱり、そういう仲だったのね」

「ああルイズ、わたくしのおともだち! 昔約束したのに......忘れてしまったのですか? そういうことになる前は、ちゃんとお互い報告しましょうね、って......」

 キュルケはニヤニヤし、姫さまは少し複雑な顔をする。
 タバサやジュリオは、サイトに向かって。

「......私はあなたに仕える騎士。あなたの幸せを祝福する」

「サイト、君も意外とやるもんだねえ」

「......へ?」

 何を言われているのか意味がわからないという顔をするサイト。
 そして、フーケやティファニアまでも。

「ああ......。朝っぱらから、そういう話をするってのは感心しないねえ。ここには小さな子供たちもいるんだよ」

「マチルダ姉さん? みんな......何の話をしてるの?」

「お前はわからなくていいんだよ、ティファニア」

 ......ひどい。あまりにもひどい。
 信じられないくらい酷い誤解をされて、思わず私も大激怒。

「み、み、みんな何を勘違いしてんのよ!? わ、わ、私が......こ、こんなバカ犬と......」

「わっ!? おいルイズ、俺が何したって言うんだ!? ちょっと待てっ!」
 
 怒りの矛先は、当然サイト。
 どう考えても、サイトの言い方が悪かったのだ!
 でも場所をわきまえて、エクスプロージョンではなく蹴り跳ばすだけで済ませたのだから、ずいぶんと私も成長したものである。

########################

 そんなこんなで朝から一騒動あったわけだが、みんなの誤解もとけて、その場も落ち着いたところで。

「皆さんが揃うまで待ってたんだけど......私の方からもニュースがあるんです」

 やや深刻そうな表情で、話を切り出すティファニア。彼女は、チラッとアルトーワ老を見てから、言葉を続ける。

「アルトーワさんの記憶が戻ったらしいの」

「記憶が戻った? そりゃあよかったな、おめでとう」

 サイトが単純な意見を述べる。
 私たちが来たり『地下水』の襲撃があったり、というゴタゴタしたタイミングで、うまい具合に記憶が回復。これはこれで何だか怪しいのだが、サイトはまったく気にしていないらしい。
 ......タバサから事前に正体を聞かされていた、ってボロを出さないだけでも、まぁサイトにしてみれば上出来か。

「はい。どうして森で倒れていたのか、そこまでは思い出せないのですが......。しかし、自分が誰なのか、それに関してはハッキリしました。......ガリアの伯爵貴族で、グルノープルの領主をしていた者です」

 あらためて自己紹介をするアルトーワ老。
 ふむ、タバサの情報どおりである。
 タバサと知己のような態度は見せていないが、それは彼女を『シャルロット』だと気づいていないからなのか、あるいは、気づいた上で敢えて知らないフリをしているのか。

「......自分の領地があるとわかった以上、いつまでも、ここに滞在しているわけにもいきません。今頃は、家来の者たちが私の身を案じていることでしょう」

 そりゃそうだ。
 普通、身分の高い者は、その分、行動の自由が制限されるものである。......私たちが言っても、あまり説得力ないかもしれないけど。

「つきましては、おいとまをいただきたいのですが......」

 まだ執事役のつもりか、ティファニアに向かって頭を下げるアルトーワ老。
 伯爵貴族にそんな態度を見せられては、彼女の方が戸惑いをみせる。

「そんな......おいとま、だなんて......。もちろんです、早く帰ってあげてくださいな」

「ですが......。まだまだ助けてもらった恩返しが不十分。きちんと礼を尽くさねば、貴族の名がすたります。......そこで一つ、提案があります」

 顔を上げたアルトーワ老は、ティファニアと子供たちを見回して。

「みなさんを、私の領地に引き取りたいのです」

「......え?」

 驚いて言葉を失うティファニア。
 だが外野の私たちから見れば、なるほどそうきたか、という思いである。
 つまり。
 ハーフエルフであり旧アルビオン王家の遺児でもあるティファニアは、人前に出ることは出来ない。だから、こんな辺鄙な森の奥に隠れ住むしかないが、これはこれで不便な生活となる。それよりは、領主の庇護のもとで安全な隠れ家を提供されたほうがいいはず......。

「でも......私......」

 ティファニアが、困ったように身をよじらせ始めた。

「ティファニアさんも子供たちも、皆いっしょです。生活は私が保障します。......以前に、外の世界が見たいと言っていたではありませんか?」

 するとティファニアの顔が、わずかに輝いた。それから彼女は、意見を求めるかのようにフーケを見つめる。
 今までずっとティファニアたちを援助していたフーケが、簡単に許すわけもないのだが......。

「いいよ。行っておいで、ティファニア。お前もそろそろ、外の世界を見たほうがいい年頃だ」

 私たちの顔が驚きの形に歪む中。

「おお! ありがとうございます! マチルダさんにそう言っていただけるとは......」

「わーい! 外の世界だ!」

 アルトーワ老は満面に笑みを見せ、子供たちもはしゃぎ出す。
 ティファニアは、フーケに再度、確認をとっていた。

「いいの? 本当に?」

「ああ。ここも少し危険なようだからね。厄介ごとを持ち込んだ連中がいてさ」

 チラッと私たちに嫌味を言ってから、再びティファニアに優しい目を向ける。

「......それに、わたしは今や文無しでね。仕送りをしたくてももうできないのさ。今回ここに来たのも、それを告げるためでね。言い出しにくくて、今日まで引っ張ってしまったけど」

 どうやって脱獄したかは知らないが、いったん捕まってしまった以上、フーケの盗賊稼業もおしまいなのだろう。そうなれば、孤児院の資金援助なんて、もうできるはずもない。
 ......あれ? ということは、これって、フーケをつかまえた私たちのせい?

「マチルダ姉さん......」

 ティファニアの顔が、くしゃっと歪んだ。
 彼女にフーケが近づき、ギュッと抱きしめる。

「馬鹿な子だね。なんで泣くんだい?」

「だって、そんなに苦労してるんなら、どうして言ってくれなかったの?」

 ごしごしと目の下をこすりながら言うティファニア。

「娘に心配をかける親がいるかい?」

「マチルダ姉さんは、私の親じゃないわ」

「親みたいなもんだよ。だって、小さなときからずっと知っているんだものね」

 ティファニアだけではない。
 他の子供たちも二人のところに駆け寄って、一緒になって泣き始める。
 ......朝食の席だというのに、ちょっとした愁嘆場となってしまった。

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 三日後。
 私たちは、森の中をトボトボと歩いていた。
 アルトーワ老が伝書フクロウを送って色々と手配し、ロサイスまでの馬車をも用意してくれたらしい。ただし馬車は森の小道には入れないので、森の出口に待機。そこまでは徒歩である。
 はしゃぎながら子供たちが先を行くため、彼らとティファニアが先頭集団。今も賑やかに会話しているのが、私たちのところまで聞こえてきた。

「ねえ、テファお姉さん」

「なぁに、エマ?」

「ガリアってどんなとこ?」

「さぁ、私も行ったことがないから、よくわかんないな」

「楽しいといいね」

「楽しいわ、きっと」

 ここからでは表情までは見えないが、きっと彼女は、子供たちを安心させるために、微笑んでいることだろう。
 彼らから少し離れて、フーケ、アルトーワ老、ジュリオ。さらに間を置いて、キュルケとフレイム、タバサに姫さま、そして最後尾が私とサイト、といった陣容で進んでいる。

「......だけどよぅ、本当にこれでよかったのかな?」

 隣でサイトが、小声でつぶやいた。
 独り言だったのかもしれないが、私は彼に顔を向ける。

「何の話?」

「いや、俺たち、こうしてティファニアたちについてきちゃったけど......。ウエストウッドに来い、って言われてたんだろ?」

「だから、ちゃんと村まで行ったじゃないの。その村の住民が全員で大移動するのであれば、私たちだけ残ってても意味ないでしょ」

 村を発つことが決まってから出発までの三日間。
 てっきり『地下水』たちの再襲撃があると構えていたのだが、そんなものは何もナシ。平和なら平和でそれに越したことないが、どうもなんだか、嵐の前の静けさのような不気味さを感じる。

「誰かを殺す、って脅されて来たわけだから、ある意味テファたちは人質だったのよ。だから一応、私たちがロサイスまで警護するわけ。......出発前に話し合って決めたのに、もう忘れちゃったの?!」

「ああ、ごめん。あんまり話聞いてなかったから......」

「相談の場では、相棒は役に立たないからな。仕方ねーだろ」

「フォローありがとう、デルフ」

 こらサイト、今のはフォローじゃないぞ。
 それはともかく。
 私は声をひそめて、あらためてサイトに告げる。

「......わざわざ『地下水』が私たちをウエストウッドまで呼びつけた意図が、どうもよくわからないの」

「それなんだけどさ。人の多いところより、田舎の小さな村の方が思いっきり戦える......って単純な理由じゃないのか?」

 しかし私は、呆れたように首を振る。

「あのねぇ......。だったら何もアルビオンくんだりまで呼び寄せる必要はないでしょ。それに、ここだって無人の村じゃないから、魔族の結界まで張ってたじゃない」

「そうか......。魔族も絡んでるんだよな」

「暗殺者と魔族との関係も、イマイチ不明だけどね。......前に『地下水』雇ってたのは偉い人のフリした魔族だったし、今回もそうなのかもしれないけど」

 暗殺者が私を狙っている理由は、やり残した仕事と自身の意地だけではないかもしれない。それとは別に、誰かに雇われている可能性もあるのだ。
 ふと私は、視線を前へと向ける。集団の真ん中あたりを歩く、アルトーワ老の方へと......。
 私の目の動きに、サイトも気づいたらしい。

「......まさか、あの老人が......?」

「かもしれないってこと」

 前にも話し合ったように、彼の記憶喪失は嘘かもしれないし、あの老人こそが『地下水』の正体かもしれないのだ。

「なあ、フーケは? フーケだって、色々と怪しいんじゃねえか?」

 私は少し考え込んでから、サイトの意見をキッパリ否定する。

「......いいえ。彼女を疑うのは筋違いね」

 確かに私たちは彼女と敵対したが、それも昔の話。
 フーケが盗賊やっていたのは、ここの孤児院の資金稼ぎのためというのも判明した。
 ティファニアの生い立ち、フーケの出自、そして彼女が今でもティファニアたちを世話していること......。
 それらを考えあわせれば、フーケは根っからの悪人というわけではない。そして彼女の立場になってみれば、ウエストウッドに厄介ごとを持ち込むのは誰よりも嫌がるはず。

「なるほど。それもそうか......」

 私の言葉に納得するサイト。
 
「......ともかく、このままロサイスまで無事に行ければいいんだけど......」

 たぶん、それは無理だろう。
 そんな予感を匂わせつつ、ひとまず私は会話を締めくくった。

########################

 森の出口には、何台もの馬車が待っていた。
 これだけの大所帯、一台では足りないのも当然の話である。
 私たちは一応、ティファニアたちの護衛のつもりで同行しているので、仲間同士でかたまらずに、いくつかの馬車に別れて乗せてもらった。
 私とサイトは、先頭の一台。他にはティファニアとフーケが乗り、雇われ御者ではなくアルトーワ老が自ら手綱を握るという、なんとも濃いメンツである。
 このメンバーで会話が弾むわけもなく、車内の雰囲気は少し重苦しいものだったが......。

「天気も悪くなったきたな......」

 外の様子に目を向けていたサイトが、ポツリとつぶやく。
 言われてみれば。
 いつのまにか、空はどんよりと重い色を見せていた。
 さらに。

「ちょっと待った!」

 大きな声で叫ぶサイト。
 アルトーワ老も、慌てて馬を止める。
 先頭の馬車が停まったので、後続も皆、それに続く。

「......どうしたの?」

「敵だね」

 ティファニアの疑問に、あっさり答えるフーケ。もう盗賊は廃業したとはいえ、さすがは『土くれ』のフーケ、これくらいの気配は、まだ感じ取れるらしい。

「でも......例の暗殺者ではないようね」

 私が補足する。
 気配は複数、それも感じからして、それほどの使い手ではなさそうだった。
 たぶん、ただの野盗たち。
 ......いきなり関係ないのが出てきたなぁ。

「隠れてないで出てきたら?」

 サイトと共に馬車から降りつつ、私は大きく声を上げた。

「......挑発してどうすんだい!?」

「あんたたちは馬車から出ないで!」

 呆れたようなフーケの言葉に、ちゃんと返事をする私。
 私とサイトだけでなく、他の馬車から、四人と一匹――姫さまとタバサ、キュルケにフレイム、そしてジュリオ――も降りてくる。
 だが、肝心の盗賊たちは出てこない。森はただ、昏い緑の木々を風になぶらせているだけ。ひっそり隠れていたのをあっさり見抜かれて、戸惑っているのだろう。

「どうしたの!? 出てきなさいよ。それとも......不意打ちは出来ても、相手と正面きって戦うのは怖い、ってわけ!?」

「......な......なかなか生意気な口をきいてくれるじゃねえか!」

 ようやく辺りに、耳障りなダミ声が響いた。
 ザワリと茂みを揺らし、ばらばらと姿を現す野盗たち。その数およそ二十人。
 ......少ない......。
 私たちは完全に囲まれているものの、たいした連中でもなさそうである。この数ならば、私一人でも切り抜けられるだろう。
 しかし私の考えなど当然わからず、盗賊団の親分は言葉を続ける。

「......まあしかし、だ。元気がいいのは悪いこっちゃない。身ぐるみ置いてくなら、命だけは勘弁してやってもいいぜ」

 ふむ。
 今度の奴らは、人さらいではないようだ。

「うるさいわね。私たちは先を急いでるのよ。あんたたちみたいなザコに関わってる暇なんてないの」

「......ざっ......ざこだとぉぉぉぉっ!?」

 正直に教えてあげただけなのに、なんだか思いっきり怒っている。

「えぇいっ! そこまで言われちゃあ黙っておれんっ! やろうどもっ! こうなったらかまわねえっ! 皆殺しだっ!」

「おうっ!」

 一斉にときの声を上げ、斬り掛かってくる野盗たち。
 ......ふっ......おろかな......。

 ちゅどーん。

 軽い爆発魔法を一発、お見舞いする私。

「だぁぁっ!」

「ぎぉえっ!?」

 思い思いの悲鳴を上げて、野盗たちがうろたえる。
 直撃したのは一人か二人だったが、いきなり出ばなをくじかれて、まともに算を乱している。

「今よ! あんたの出番よ、サイト!」

「おうっ!」

 そこにサイトが斬り込んだ。
 わざわざ振り返って見るまでもないが、どうやら姫さまたちも戦いを始めたらしい。呪文を唱える声や、魔法が炸裂する音が聞こえてきた。
 この状況では、馬車やみんなを巻き込むおそれのある大技は使えない。私としては仕方なく、散発的に突っかかってくるザコたちを、小さな失敗爆発魔法で蹴散らすのみ。それでも、使い魔のサイトが頑張ってくれれば十分である。

「......やっぱりただのザコだったわね」

 目の前に、さっき言葉を交わしたボスらしき男の姿をみとめ、私は皮肉な笑みを浮かべて言ってやった。
 男は怒りの色に顔を染め、

「......えぇいっ! こうなったらっ!」

 言って右手を大きく上に掲げたその途端。

「!?」

 風のうなりを耳にして、私はとっさに身をかわす。
 瞬間。

 うぃぃぃぃんっ!

 一本の矢が、小さくその身を震わせながら、馬車の屋根に突き立っていた。

「......森の中に伏兵がいたの!?」

 サイトにも知らせる意味で、敢えて声に出す。
 慌てて辺りの気配を探れば、確かに今、矢が飛んできたその方向、茂みの中にかすかな殺気。

「そこねっ!?」

 私は呪文を唱え始める。
 失敗魔法バージョンではなく、正式なエクスプロージョン。
 しかし、私が魔法の光を放つより早く。

 ヒュッ!

 再び矢羽が風を切った!
 目標は私でもサイトでもない。......馬車!?

「しまったっ!」

 私の叫びと同時に、大きく一声、ヒヒンと馬がいななく。
 先頭の馬車を引いていた馬だ。
 どうやら野盗は、馬車を私たちから引き離すつもりで、その馬を狙ったらしい。
 敵の意図を察した時には、もう遅い。いつもとはうって変わったスピードで、馬車は暴走を始めていた!
 他のみんなも異変に気づいたが、すでに馬車は離れてしまっている。

「えぇいっ!」

 半分ヤケで放ったエクスプロージョンで、森の一部と、そこに潜んでいた殺気とが一瞬にして消滅する。

「なっ......!? なんという威力っ!? ......話が違うっ!」

 驚愕の声を上げる盗賊ボス。

「話が違う......ですって?」

 男の言葉を聞き咎めたが、今はそれを詮索している場合ではない。

「サイト! そいつは生け捕りにしといて!」

 男を指さし、言い捨てて、私は走り出していた。
 ガンダールヴの速度ならば、あとからでも追いつけるはず。そう思ったのだが......。
 一番速いサイトに馬車を追わせるべきだったと後悔するのは、全てが終わってからのことであった。

########################

 一人、馬車を追って走る私。
 その前に、おぼつかない足取りでヨロヨロと歩み寄る人影が。

「......テファ!?」

 私は慌てて、彼女に駆け寄った。
 耳を隠すための大きな帽子はなくなっており、服はボロボロ。全身は擦り傷だらけで、片方の足を引きずっている。

「どうしたの!? いったい!?」

「......馬車から飛び降りたの......」

 口の中も切っているのか、ややくもぐった声で言う。

「......マチルダ姉さんと......アルトーワさんが......まだ、降りられずに......」

「......わかった。それ以上しゃべらないで」

 うわっ!?
 背後からの突然の声に少し驚いたが、タバサだった。
 彼女も馬車を追って来たらしい。見れば、少し離れて、姫さまやキュルケの姿も見える。

「テファの治療、お願い」

 私の頼みに、タバサがコクンと頷く。
 ティファニアは、近くの木にもたれかかっていた。かなり痛そうであるが、重傷というわけでもなさそうだ。これならばタバサの『治癒(ヒーリング)』でも十分だろう。
 それに、すぐに姫さまも来るのだ。これ以上、ティファニアの心配をすることもない。

「じゃあ、ここは任せたわ!」

 言って私は、再び走り出した。

########################

 やがて......。
 さらにしばらく進むうち、ようやく見えてきたもの。
 もちろん馬車なのだが、走っている途中でバランスでも崩したか、まともに横倒しになっている。
 乗っていた二人の姿は見当たらず、横に倒れた馬だけが、苦しそうに息をついていた。

「......う......」

 小さな呻きを聞きつけて、私がそちらを振り向けば、近くの木の根元にしゃがみこむアルトーワ老の姿。
 彼も私に気づいたらしい。

「......あ......あなたですか......」

「大丈夫ですか!? フーケ......いや、マチルダさんは!?」

 アルトーワ老は、かすかに顔をしかめて、

「......私は大丈夫ですが......あの『地下水』とかいう暗殺者がいきなり現れて......」

「『地下水』が!?」

「あなたに......こう伝えろ、と......。『マチルダは預かった。ここから真っすぐ東へ、森を進んだ奥にある、猟師小屋で待つ。見殺しにする気がないなら、お前とサイトの二人だけで来い』と......」

 あのフーケが捕まったのか!?
 大盗賊としても凄腕のメイジとしても名を馳せた『土くれ』のフーケだが、暗殺者『地下水』には、かなわなかったのか......。

「いやぁ。大変な状況になってきたね」

 いきなり後ろからした声に振り返れば、静かに佇むジュリオの姿。
 ......姫さまたちもまだだというのに、この男、いったいどうやって私に追いついたのだ!?

「びっくりさせないでよ......。みんなは?」

「そろそろ来るんじゃないかな」

 ううむ。
 少し考え込んでから、私は言った。

「ジュリオ、アルトーワさんをお願い。肩を貸してあげて。......とりあえず、さっきの場所に戻りましょう。他の馬車は、まだ留まっているでしょうし」

########################

「おっ......おれは何も知らねぇよぉぉぉっ!」

 サイトがとっ捕まえた盗賊ボスは、私たちに周りを囲まれ、とことん情けない声を上げた。

「嘘ついてもダメよ。ちゃんと私は、あんたが『話が違う』って言ったの聞いてるんだから!」

「......あ......あれは......」

 問い詰める私に、男は一瞬口ごもり、

「......昨日の夜......変な奴がアジトにやって来た......」

 観念したのか、やがて男は話し始めた。

「......全身黒ずくめで......名前も言わなかった......」

 たぶん『地下水』だろう。
 そう言えばあいつ、最初はサイトにすら名乗ろうとしなかったっけ。依頼人と殺す相手にしか名前は告げないとか言ってたな......。

「普通の奴なら、その場で片づけて、身ぐるみ剥いじまうんだが......な......なにしろ、後ろに不気味な二人組を連れてるもんだから、手が出せねえで......」

「不気味な二人組?」

 思わず問い返す私。

「ああ、ありゃあ......バケモンだ! 人間でもねえし、オーク鬼やトロール鬼とも違う。......あんなもん初めて見たっ!」

 思い出しただけでも怖くなったのか、男は体を震わせる。
 おそらく例の魔族、デュグルドとグドゥザだ。
 まぁ普通の人は、魔族なんて空想上の存在だと思っているから、見ても判らないのも無理はない。......野盗は普通の人とは言えないかもしれないけど。

「......まあいいわ。それで?」

「......そいつぁ、いきなり金貨をばらまいて、協力しろ、ときた。明日......まあ、早い話が今日だな。この道を、こういう一行が通るから、襲撃して、先頭の馬車と護衛の連中を引き離せ。成功したら、もっとおたからをやる、と、こうだ」

 ......おや?
 わざわざ先頭の馬車と指定していたのは何故だろう。
 一番前には重要人物が乗っていると考えて、人質としての利用価値も高いはずと思ったのか。あるいは、誰か特定のターゲットがいて、しかもそれが先頭に乗るという確信があったのか......。
 私が少し引っかかって考え込む間にも、野盗の話は続く。

「......あんなバケモンで脅されて、まさか断れるわけもねえ。それにさぁ......護衛連中の腕は未熟、もしもの場合は助けに入るとまで言われて、引き受けたんだが......。いざ戦ってみれば、あんたたちは強えし、約束の援軍も来ねえ。それで、つい、話が違う、って......」

「なるほど......ねぇ......」

 気になる点はまだあるが、この男から聞き出せるのはここまでのようだ。

「納得してくれたかい? ......なぁ、なら、もう行ってもいいだろ?」

「そんなわけないでしょ。あんたはロサイスまで引きずっていって、そこで役人に突き出すから」

 私の言葉に、頷く一同。
 ティファニアまでもが、首を縦に振っている。
 以前に森で盗賊たちに襲われた時は、記憶だけ奪って帰してあげたのだが、今回は違うらしい。フーケがさらわれたことが関係しているのか、あるいは、どうせロサイスまで行くのだから、と考えているのか......。

「うひぃぃぃっ! それだけはなんとかっ! 改心するっ! 改心しますから、ここはなんとかっ......」

 涙混じりで懇願する男。だが彼の言葉を聞き入れる者は、一人もいなかった。

########################

 ......ざわり......。
 昏い空を背に、木々の梢が風に鳴る。
 他のみんなには残りの馬車でロサイスへと向かってもらい、私とサイトの二人だけが、指定された森の中へと入っていった。
 人が二人なんとか並んで通れるほどの細道を行けば、黒々と佇む木々の影に、丸太づくりの小屋が一つ、見えてくる。

「......あれだよな?」

 確認するかのようにつぶやくサイト。
 私は無言で、小さく頷いた。
 ......正直、二人だけでここまで来るには、結構思い切りがいった。
 なにしろ、相手は悪名高い『地下水』である。これまでの戦いで何とか退けたのも、サイトの助けがあったればこそ。
 協力する魔族が出てきて私とサイトの分断を図れば、私にとっては、かなり苦しい戦いになる。
 一対一なら、勝てないのではあるまいか......?

「どうした?」

「なんでもないわ」

 不安が顔に出ていたようだが、サイトに対して、つい私は強がってしまった。
 やがて私たちは、猟師小屋の前に辿り着く。
 無論それほど大きな建物ではない。外から中の気配を探れば、かすかに人の気配が一つ。

「......まず俺が入る」

 言ってサイトは、小屋の扉に手をかけた。
 
 ......ッギイイッ......。

 いかにもたてつけ悪そうな音を立て、扉はアッサリ開いた。
 その場でサイトの足が止まる。
 彼の横からヒョイッと中を覗き込めば、おざなりに置かれたテーブルと、小さな暖炉があるだけの、味もそっけもないガランとした部屋。
 部屋の隅には、ベッド代わりであろうか、かいばが山積みされており......。

「......フーケ......?」

 その上に一人の女性が、両手を後ろで縛られて転がっていた。
 こちらに背を向けているが、たぶん間違いない。『土くれ』のフーケその人だ。
 どうやら生きてはいるようだが......。
 周囲には、他に人の気配はない。ただの猟師小屋に、隠し扉や秘密の通路があるはずもなく、身を隠せるような場所もなかった。

「ちょっと待って」

 小屋に入ろうとしたサイトを制して、私は小さなエクスプロージョンを放つ。
 フーケの下のかいば、そこに暗殺者が隠れている可能性に思い至ったのだ。
 しかし何の手応えもなく、私の魔法は、ただ単にかいばを吹き散らしたのみ。
 それでバランスが崩れたのか、フーケの体がゴロンとこちらを向く。

「......う......」

 彼女は小さなうめき声を上げた。
 間違いなく当人である。かつて私たちと敵対していた頃の面影は、もはや全く残っていないが。
 しかし、そうすると......。

「あの暗殺者はどこだ?」

 まるで私の思考を読んだかのように、サイトが疑問を口にする。
 その時。
 私はふと、背中に気配を感じた。

「後ろ!?」

 慌てて振り向けば......。

「テファ!?」

 そこにティファニアが立ちつくしていた。
 おそらく、ここまで走って来たのだろう。肩で大きく息をつき、胸も大きく揺れている。

「......ティファニア......かい......!?」

 気がついたのか、フーケの小さな声が中から聞こえてきた。

「マチルダ姉さん!」

 止めるいとまもあらばこそ。
 私の横をすり抜けて、ティファニアは小屋の中に駆け込むと、フーケの手を縛る縄を解きにかかる。

「馬鹿な子だね。なんで来たんだい?」

「心配だったの!」

 言われて、黙ってしまうフーケ。
 と......。

「ルイズ! わたくしのおともだち!」

 いきなり聞こえる姫さまの声。
 驚いて振り向けば、彼女ばかりか、タバサにキュルケ、ジュリオやアルトーワ老やジムほかの子供たちまで。
 たぶん、飛び出したティファニアを止めに来たのだろうが......。
 みんなで来てどうする。馬車はカラッポか?
 ......いや、フレイムの姿がない。可哀想に、火トカゲ一匹で留守番か。馬車付きの御者とか、捕えた盗賊とかもいるだろうが、それはそれで気まずそう......。

「......やれやれ......だいぶ話が違うねえ......」

 聞き覚えのある声は、私の後ろの方からした。

「......なっ!?」

 慌てて思わず振り向けば、小屋の向こう、何もない空中にポッカリ浮かぶ白い塊。
 ザワリと空間を波打たせ、それは無数の闇の触手を生んだ。
 次の瞬間、触手は、ざんばらの髪と体を形作る。

「......グドゥザ!?」

 思わず声を上げる姫さま。
 しかし、そんなに驚くこともなかろう。『地下水』が魔族を二人を従えていたというのは、盗賊の頭も言っていたわけだし。
 そして、こいつが出てきたということは......。

「......全く......これ以上、こんな面倒なこと、つきあってられねぇな」

 声は、今度は木々の間から。
 わざわざ足音を立てながら、ゆっくりと私たちの前に歩み出た。
 帽子のツバを軽く持ち上げ、妙なポーズを決めるデュグルド。
 彼は、なぜだかアルトーワ老に目を向けて、

「......暗殺者に協力しろ、って言うからここまで来ましたけどね......。一時的なものであれ、あんな奴の下につくのは、やっぱり、しょうにあわないですし......。そろそろ終わりにしましょうや、ラルターク老」

「これ、その名で呼ぶでないぞ」

 老人は、軽く諌めの言葉を口にしてから、何やら呪文らしきものを唱え始める。
 人間には発音できるはずもない響き......。

「なるほどね。ラルターク......。それがあんたの本当の名前だったのね?」

 ラルターク=アルトーワは、私の問いには答えない。
 代わりに。
 森がざわめいた。
 鳥が。獣が。そして虫たちが。起こるであろう異変を感じているのだ。
 そして。

 ずぐんっ!

 耳の奥が鳴る。
 不快な空気が辺りに満ちた。

「......困りましたねぇ......」

 ジュリオが平然と声を上げる。

「約束と少々違いませんか?」

「なぁに。このくらいはオマケしてくれてもいいじゃろ?」

 これまた平然と返すラルターク=アルトーワ。
 チラリとデュグルドに目をやりながら、

「こやつが迂闊なことを口にしたのでな。本命の計画を続けるのは、難しくなってしまったわい。ならば、せめて別件の方だけでも......」

 彼がそこまで言った時。

 ぎいっ。

 獣の悲鳴とも何ともつかぬおかしな声は、森の中から上がった。

 ぎぎいっ! ぎぢっ! ぎぢぎぢっ!

 一つや二つではない。数十の単位である。

「なんだ!? オーク鬼でも呼んだのか!?」

 そう言ったのはサイトだった。クラゲ頭のバカ犬にしてはシッカリ考えているようだし、サイトと同じことを思った者もいるだろうが......。
 私の意見は少し違う。ハッキリとは判らないが......これは、もっと恐ろしい何かだ!

「いったい......何をしたの?」

「なぁに。たいしたことでもないよ」

 私の問いに、ラルターク=アルトーワは表情一つ変えずに答えた。

「ただちょっと、な。そこらの動物たちに、精神世界から呼び出した下級魔族どもを憑依させただけじゃよ」

 ......なっ!?
 思わず絶句する私。
 時を同じくして。

 るごわぁぁぁぁぁぁぅっ!

 苦鳴が獣の雄叫びに変わり、そいつらが姿を現す。

「なんだよ、こいつら!? オーク鬼ともトロール鬼とも違うぞ!?」

「......今さら驚くことないでしょ。前にも同じようなのと戦ったじゃない」

「え? こんな奴ら......相手にしたっけ!?」

「うん。前の時は森の中じゃなくて、料理の中から出てきたけどね」

 使い魔を落ち着かせる私。
 なまじ今度の奴らは姿が亜人に似ているために、サイトは少し勘違いしているのだ。

「これ、亜人じゃないわ。むしろ......亜魔族とでも言うべきかしら?」

「そうじゃな。もとが下級の魔族なので、人間の言葉ならば......『レッサー・デーモン』とでも呼んでもらおうか」

 呼び出したラルターク=アルトーワの言葉に応じるかのように、現れた亜魔族――下級魔族(レッサー・デーモン)――たちが、思い思いに咆哮を上げる。
 それを聞いて。

「さぁて!」

 バサリとマントをひるがえし、デュグルドも歓喜の声を出していた。

「始めようぜ! 楽しいパーティをなっ!」


(第五章へつづく)

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____
第六部「ウエストウッドの闇」(第五章)

 ぐるぉあああああっ!

 戦いの幕を切って落としたのは、亜魔族――レッサー・デーモン(下級魔族)――たちの大合唱だった。
 同時に亜魔族たちの正面、つまり私たちと小屋を取り囲むように、無数の炎の矢が現れる。
 その数、おそらく数百本!

「なんじゃこりゃ!? なんでこいつら魔法なんて使うんだよ!?」

「言ったでしょ! こんな見かけでも一応こいつら、魔族なのよ!」

 騒ぐサイトに言葉を叩き付ける私。

「前にトリスタニアの王宮で、ぷっくりもっくりたちと戦ったでしょ! あれと同じなの! あの時だって魔法で黒い塊を放ってきたじゃない!」

 言っても無駄かと思いつつも、かつての遭遇経験を告げる。
 当時は、妙な外見のおかしな魔族、くらいに考えていたが......。
 今にして思えば、あれも、無理矢理この世界に具現化する際、この世界の存在に憑依し変貌したものだったに違いない。

「......ともかく!」

「うわっ!?」

 私はサイトにタックルかけて、一緒に小屋に飛び込んだ。
 まだ中に二人がいるのだ!

「サイト! デルフで炎を吸収して! 私だけじゃなくて、この二人も守るのよ!」

 フーケとティファニアに目をやりながら、急いでサイトに指示する。

「お、おう!」

「......こんなこと言いたかねぇが、ちょっと数が多過ぎねーか?」

 サイトは剣を構えるが、肝心の剣の方は少し自信なさげ。
 すると。

「......そうかい。あんたたち、ロクに防御魔法も使えないんだねえ」

「マチルダ姉さん!?」

 怯えるティファニアに優しい笑顔を向けてから、フーケが呪文を唱えて杖を振った。
 小屋の中、床板を突き破って下から土が盛り上がる。あっというまに、それは私たちを取り巻く土の壁となった。
 さすが『土くれ』のフーケ!
 心の中で、私が少し彼女に感謝した時。

 ボゴゥッ!

 爆音と共に、小屋の壁がはじけるように炎上した。
 レッサー・デーモンたちが一斉に、あの炎の矢を放ったのだ。
 ただ小屋の中にいただけなら、私たちも蒸し焼きにされていたであろう。
 
「杖は取り上げられてなかったの?」

「そんなヘマするもんかい」

 私の言葉に軽口で応じるフーケ。
 暗殺者『地下水』に捕まってる時点で、十分ヘマだと思うのだが......。
 いやいや、そんなこと言ってる場合ではない。
 いくらレッサー・デーモンたちの第一弾をなんとかしのいだと言っても、相手を倒せなくては話にならない。敵が第二弾を放つ前に、どれだけ敵の数を減らせるか。

「サイト!」

「おう!」

 私の掛け声で、彼は小屋の外へと駆け出す。
 一方、フーケはティファニアと寄り添いつつ。

「わたしは......この子や子供たちを守りながら、脱出させてもらうよ」

「ええ。そうしてちょうだい」

 この状況では、ティファニア一人を逃がすのも危険。『土くれ』健在とわかった以上、戦力としてアテにしたい気持ちもあるが、護衛役に回って貰う方がよさそうだ。
 フーケが再び杖を振る。得意の『錬金』で、火の手を上げる小屋の、ドアと反対側の壁に脱出口を作ったのだ。
 それだけで、私も彼女の意図を理解する。

「わかったわ。私は表から出て、亜魔族たちの気を引きつける。その隙に、あんたたちは脱出して、森の中にでも隠れる......ってことね?」

「そうさ。外の子供たちも、わたしたちの方に合流させとくれ」

「了解!」

 頷いて、私はドアのあった方から外へと飛び出す。
 思ったとおり、姫さまもキュルケもタバサも無事である。ウォーター・シールドやらファイヤー・ウォールやらアイス・ウォールやら、皆それぞれ防御魔法が使えるのだ。子供たちも姫さまたちに守られたようで、死んだり倒れたりしている者は見当たらない。
 三人のメイジは、サイトを交えて、すでに戦いを展開してる。子供たちをかばいながら、ということで少し苦労しているらしいが......。

「あんたたち! こっちへ! テファたちがそっちへ逃げたから!」

 フーケとティファニアが向かった方向を指し示し、私が子供たちを誘導する。
 戦場を見回しても、ジュリオとラルターク=アルトーワの姿はなかった。だが、まあ、今のでどうにかなった、などということだけはないだろう。

「ほら! 早く!」

 子供たちを案内しながらも、私は一つ所にボーッと突っ立っているわけではない。そんなことをしてはレッサー・デーモンの攻撃の的である。
 ほら、今も私に向かって炎の矢が......。

「イル!」

 適当に短く詠唱するだけで何でも爆発魔法になってしまうというのは、こういう場合、とっても便利。私は軽い爆発で、迫り来る炎を相殺した。
 そういう特技のある私だからこそ、保育員のような役割を引き受けているわけだが......。
 今の爆発が気を引いたのか、かなりの数のレッサー・デーモンたちが、一気に私に注目した。

 るぐぉぉぉぉっ!

 またまた生まれる炎の矢。
 ......ちょっと待て!? いくらなんでも多過ぎる! 小さな爆発魔法では対処しきれない! かといって大きいのは呪文が間に合わない!

「ひぇっ!?」

 無数の炎が解き放たれた瞬間、私は慌ててダッシュをかけ、その場を逃れる。
 だが、数が数である。......全部は逃げきれない!?
 しかし、この時。

 ふしゅ......。

 私を直撃するはずだった何本かを含めた全ての炎の矢が、まるで空間に溶け消えるかのように、一瞬にして姿を消した。

「......サービスだよ。ただし、今回限りの特別限定」

 ジュリオの声は、どこからともなく聞こえてきた。無論その姿を探している暇はない。
 ともあれ、この一瞬はありがたかった。おかげで、わりと大きめのエクスプロージョンを撃てる!

 ドワッ!

 失敗魔法バージョンではなく正式なエクスプロージョン。
 二、三匹のレッサー・デーモンが、まとめて消滅した。

########################

 タバサが杖を振りかぶると、その先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転する。
 スクウェアメイジが放つ、凄まじいスピードと威力の『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が、十数体のレッサー・デーモンを同時に射抜き......。
 射抜かれた亜魔族たちは、氷の矢が帯びた魔力により、一瞬で氷結した。

 ぎいっ!

 手近にいた別の一匹が、怒りの声を上げながら、またまた炎の矢を生み出す。
 しかしこの、レッサー・デーモンの炎の矢。数がまとまると確かに脅威だが、一匹だけが放つものなら、それほど致命的なシロモノではない。
 系統魔法の炎と同じようなものらしいが、こいつらはメイジほど頭も回らず、狙いも放つタイミングもいたって単調。数は多いし、当たれば確かにかなりのダメージを受けるが、戦い慣れた人間ならば、冷静によく見てかわすのは、それほど難しいことでもない。

 タァッ!

 レッサー・デーモンが炎の矢を放つのにあわせて、タバサは呪文を唱えつつダッシュをかけた。
 だが次の瞬間。
 飛び来る闇の礫の前に、彼女は慌てて足を止める。
 デュグルド!

「今度は殺してやるぜ! 人形娘!」

「......あなたに言われる筋合いはない」

 目も鼻も口もない魔族から何度も無表情をからかわれては、さすがに気に障ったのか。
 珍しく言い返しつつ、タバサが魔族に向かって突っ込んでいく。
 得意の『氷の槍(ジャベリン)』の呪文を唱えて、大きな杖の先に氷の槍を纏わせて......。

「ちっ!」

 さすがにこれを受ける気はないか、鋭い舌打ちを一つして、デュグルドは横に身をかわす。
 タバサが突き出した杖の先から氷の槍が飛び出し、後ろにいたレッサー・デーモン一匹を直撃した。
 青白く光る槍を腹から突っ立てて、レッサー・デーモンは仰向けに倒れ込み、そのまま二度と動かなくなる。
 しかしタバサには、倒した敵を見ている余裕などない。デュグルドが彼女に向かって突っ込んでくる!
 迎え撃つべく、杖を構えて再び呪文詠唱するタバサ。
 そこへ......。

 るごぉうあっ!

 亜魔族たちがデュグルドの後ろから、またもや炎の雨を降らせてくる!
 味方がいようがおかまいなしである。......系統魔法の炎は人間の精神力がこもっているから純魔族にも通用するが、このレッサー・デーモンの炎の矢は、どうなのだろう?
 炎を背中に負いながら走るデュグルド。タバサとの間合いに入る直前、魔族は大きく横に跳ぶ。
 その背中を追っていた炎が、タバサに向かって降り注いだ!
 タバサもまた、デュグルドの動きに合わせて横に跳んでいる。しかし僅かにタイミングが遅かったか、一条の炎が彼女の左腕をかすめ、袖とマントの一部を一瞬にして炭と化す。
 続いて、またも解き放たれたデュグルドの闇の礫を、なんとかはじくタバサ。彼女の用意していた氷の槍が、半分近く削れた。ほとんど防戦一方である。

「終わりだっ!」

 叫ぶと同時に、デュグルドの周囲にまとわりついていた闇の礫が、魔族の手元に集結した。それは一瞬のうちに、闇の剣を形作る。
 斬りつけるデュグルド、氷の槍で迎え撃つタバサ。
 しかし。
 その瞬間を狙っていたのか、横手にいるレッサー・デーモンが炎の矢を生み出す。
 さすがに、これに対応する余裕はタバサにはなかったが......。

 グサッ!

 その腹から剣が突き出て、レッサー・デーモンが息絶える。
 背後から貫いたのは......サイト!

「......ありがとう」

 デュグルドと斬り結びながらも、小さく礼を言うタバサ。

「いいってことよ」

 律儀に返してから、別のレッサー・デーモンに向かって、また走り出すサイト。
 さすがは神速のガンダールヴ、彼はもっぱらレッサー・デーモンたちを相手取り、縦横無尽に戦場を駆け回っている。今のは、たまたまタバサへのフォローになったらしい。
 だがいくらガンダールヴのスピードでも、一度に相手できる敵の数は多くはない。逆にレッサー・デーモンたちは、かなりの数で、彼一人に集中砲火を浴びせている。

「おっと!?」

 レッサー・デーモンたちの攻撃に、連係などあったものではない。だが、それが自然に攻撃のタイミングをずらすことになり、かえってサイトを苦しめていた。一点に集中していれば、サイトのスピードでまとめてかわせるわけだが、これでは、よけた先に偶然次の攻撃が来たりしている。
 サイトの武器はデルフリンガーであり、炎の矢も吸収できる。だがそれでも限界があるだろうし、予想外の方向から来た場合には、剣を向けるより自分が逃げた方が手っ取り早い。サイトは、あまり魔法吸収能力には頼らぬ戦い方をしているようだ。

「えぇいっ!」

 とにかく、敵の数を減らすしかない。
 また一匹、サイトはレッサー・デーモンを斬り捨ててた。

########################

 姫さまに向かったレッサー・デーモンたちの数は、それほど多くなかった。
 しかしそれより問題なのは......。

「......くふふぅ......また会ったねぇ......」

 つぶやいて、グドゥザは赤い口を笑みの形に歪めてみせた。
 対する姫さまは、既に呪文の詠唱に入っている。

「今度は間違いなく殺してやるよ......」

 ザワリと、グドゥザの髪が波打った。
 同時に周りのレッサー・デーモンたちの数匹が炎を放つ。
 呪文を唱え続けたままで、姫さまはアッサリ身をかわすが......。
 グドゥザの髪が伸びて、大地に落ちた魔族の影の中へ。それは姫さまの影の中から飛び出して、彼女の足をからめとった。
 前回の戦いと同じ! しかし今回は、レッサー・デーモンもいる!

「おやりっ! お前たち!」

 グドゥザの声が響き、レッサー・デーモンたちが吼える。
 虚空に出現した数十条の炎の矢が、足を止められた姫さま目がけて降り注いだ!

 ッゴゥンッ!

 炎の矢が爆炎となってはじけ散り、あとには......。
 何事もなかったかのように立つ姫さまの姿。

「炎の壁だと!?」

 グドゥザの言うとおり。
 防御魔法で防いだわけだが、実はこれ、姫さまの魔法ではない。

「あたしを忘れないでね」

 姫さまの後ろから顔を出すキュルケ。
 どこかでレッサー・デーモンたちの相手をしていたかと思いきや、いつのまにか、姫さまのフォローに回っていたらしい。
 そして、グドゥザがキュルケに注意を向けた隙に。

 ザバァッ!

 グドゥザの足下から吹き上がる、巨大な水柱。
 姫さまがタイミングを見計らって、唱えていた呪文を解き放ったのだ。

「......おのれっ、小娘っ!」

 内部から魔力衝撃波を放出し、姫さまの魔法を突き破るグドゥザ。
 しかし今の水柱、ただの水柱ではなく、姫さまの精神力がタップリこもっていたらしい。
 グドゥザも結構なダメージを受けたようで、すでに姫さまを影から拘束する力も失い、その声には、憎悪の響きが色濃く滲み出ていた。

########################

 ドワッ!

 途中まで詠唱しただけでも、私のエクスプロージョンは、複数のレッサー・デーモンをまとめて屠ることが可能。
 しかし私の魔法を見て、あなどりがたしと思ったか、別の何体かが一斉に私の方を向く。
 ......魔法を撃つ度に、倒した敵の数より、新たに参入する数の方が多いんですけど!? これじゃ、私が相手する数は一向に減らない!

「何よ、これ!?」

 ここは貴族だって、敵に後ろを見せてもいい場面だ。
 森の中に逃げれば、レッサー・デーモンたちの視界から逃れることも出来るだろうし、炎の矢の直撃を受けることもまずないだろう。
 でも逆に、奴らが見当だけで炎の矢を放ってきた場合、火に囲まれて逃げられなくなるおそれもある。
 私は呪文を唱えつつ、その場でクルリときびすを返し、なおも火の手を上げる小屋に飛び込んだ。
 焼け崩れてはいないものの、室内もほとんど火の海。灼けた空気が肌をちりつかせる。
 そのまま私は小屋を駆け抜け、フーケが開けた穴から外に飛び出す。ごく単純な目くらましだが、何も考えていないレッサー・デーモンたちにはこれで十分なはず。
 穴から再び外に出た私が、木々の間に飛び込んだその途端......。
 
 ブゴォッ!

 巨大な炎の舌を噴き上げ、猟師小屋は、一瞬にして焼け崩れた。
 私が飛び込んだのを見たレッサー・デーモンたちが、小屋に炎の矢を放ったのだ。
 私は方向転換、レッサー・デーモンたちに向かって回りこみながら走り......。

 ボゥンッ!

 杖を振り下ろして、エクスプロージョンを放つ。これでまた数匹が消滅した。
 フル詠唱のエクスプロージョンならば、一度に倒せる数は増えるが、それでは私の精神力の消耗もバカにならない。こうやって小出しにしていくしかないのだが......。

「えっ!?」

 後ろに気配を感じ取り、私は慌てて振り向いた。
 そこにはただ一人、茫然と立つティファニアの姿。

「ちょっと、テファ......」

 私は彼女の手を取ると、茂みの奥へと引っ張り込む。
 どうやら何かあったようだが、さすがの私も、レッサー・デーモンたちの目の前で立ち話などする根性はない。
 茂みの先では、ちょうどジム以下の子供たちも、寄り添うようにして立ちすくんでいたが......。
 フーケの姿がない!?

「何があったの!?」

「......森の中に逃げ込もうとしたら......火の矢が来て......。マチルダ姉さんは私を突き飛ばして、森の中に逃げろ、って......」

「それから姿が見えないんだ!」

「僕たちも探してんだけど......」

 ティファニアの話を、子供たちが口々に補足する。
 ......ええい、このくそ忙しい時に!
 まずは、彼らを落ち着かせるしかない。

「彼女なら大丈夫!」

 稀代の大盗賊『土くれ』のフーケなんだから......と言いたいところだが、グッと我慢。それは内緒である。

「この戦いが終わったら、私たちも探すから! 今はとりあえず、みんなはここでジッとしてて!」

 そう言うと、私は呪文を唱えつつ、再び戦場へと戻る。
 茂みから分け出たとたん、そばにいたレッサー・デーモンとバッチリ目が合う。
 ......そいつは、私の爆発魔法の餌食となった。

########################

 デュグルドが手にした刃の色が変わっていく。
 深い闇の色から灰色へと。
 礫を集結させた闇の剣も、タバサの『氷の槍(ジャベリン)』をまとわりつかせた杖と噛み合ううちに、急速に力をなくしつつあるようだ。
 もちろんタバサの『氷の槍(ジャベリン)』の方も、それ以上のペースで消耗しており、ぐんぐんサイズを減じている。タバサは時々飛び退いて、隙を見ては呪文詠唱し、新たに氷を継ぎ足しているらしい。
 だがデュグルドは、刃に闇を補充するのではなく......。

「お前の負けだぜ! 人形づらの娘!」

 またもや生まれる十数個の闇の礫。これをタバサにぶつけるつもりだ!
 斬り合いながらタイミングよく放たれたら、タバサには避けられない!
 しかし。

「がぁぁぁぁぁぁっ!?」

 悲鳴を上げ、大きく後ろに退ったのはデュグルドの方だった。
 見ればその胸のあたりに、小さなナイフが深々と刺さっている。

「ぐぐぁぁぁぁぁっ! ......っがぁぁぁっ!」

 デュグルドは苦悶の声を上げながら、それでもなんとか右手でナイフを引き抜くと、忌々しげに投げ捨てた。
 どうやらタバサ、右手の杖にデュグルドの注意を引きつけておいて、隠し持っていたナイフを左手で突き立てたらしい。貴族のメイジらしからぬ戦い方だが、かつてジョゼフに付き従い、裏仕事に従事していたタバサならでは、である。
 ......むろん単なる短剣で魔族に大きなダメージを与えられるわけもないのだが、彼女は左手に意識を集中して、相当な精神力をこめていたに違いない。デュグルドの痛がりようが、それを示している。

「人形ふぜいがぁぁぁっ!」

 苦痛の色を滲ませて、デュグルドは怒りの声を上げる。

「......人形じゃない。私は人間」

 きっちり訂正してから、タバサは呪文を唱え始める。

「どっちでも構わねぇっ! 今度こそ殺してやるぜっ!」

 口ではなんのかんのと言ってはいるが、今の一撃はダメージが大きく、デュグルドの動きは心なしか頼りない。

「......ちっ......」

 デュグルドは小さく舌打ち一つして、やおら大きく跳び退り、一体のレッサー・デーモンのもとへと駆け寄った。

「......た......確かに今のはちょっとこたえたぜ......。だがな......」

 デュグルドは、静かに右手を持ち上げて......。

 ドズッ!

 その手でレッサー・デーモンの胸板を貫いた!

「......なっ!?」

 思わず声を上げるタバサ。
 断末魔の悲鳴を上げてのたうつレッサー・デーモン。

「......くふ......ふふふふ」

 その黒い血を全身に浴びながら、デュグルドは低い笑みを漏らした。

「くふうっ......さすがに効くぜぇ......こいつらの怒りと恐怖はよ......」

 魔族の力の源となるのは、生きとし生けるものたちの負の感情。
 こいつはタバサから受けたダメージを補うために、レッサー・デーモンを自らの手で殺し、その恐怖や絶望を食らったのだ。
 この世界への具現の仕方が違うとはいえ、こんなの、ほとんど共食いである。

「......さぁて」

 タバサの一撃を受けたショックで消えていた、闇の礫が再び生まれる。

「今のは油断だったが......今度はっ!」

 景気よく叫ぶデュグルドだったが、デュグルド復活の間に、タバサも次の呪文を唱え終わっていた。
 辺りの空気が凍りつき、束となって、無数の蛇のように彼女の体の周りを回転する。
 スクウェアのタバサが唱えた、トライアングルスペル。
 氷と風が織り成す芸術品のような美しさと、触れたものを一瞬で両断するような鋭さを兼ね備えた......『氷嵐(アイスストーム)』である!

 ぶぅお、ぶぅお、ぶるろぉおおおおおおッ!

 近くのレッサー・デーモンたちを切り裂きつつ、氷嵐(アイスストーム)は荒れ狂った。

「ちっ!」

 先ほどの威勢は、どこへやら。
 闇の礫だけを残して、デュグルドの体が大地に沈みこむ。
 前回の戦いでグドゥザが使ったのと同じ、精神体のかけらを囮として残し本体は術を回避する、いわばトカゲのシッポ切り。
 タバサの体から杖の先へと氷嵐の目が移り、タバサは杖を振り下ろそうとしたが......。
 それより一瞬早く、デュグルドの本体は、大地に姿を消していた。
 仕方なしに、レッサー・デーモンの一匹を目標にするタバサ。振り始めた手は止まらなかったのだ。 

 ぐおおおおおっ!

 氷嵐(アイスストーム)に飲み込まれ、ボロボロになって転がるレッサー・デーモン。もちろん絶命している。
 レッサー・デーモン相手にこの魔法、というのは、ちょっともったいない気もするが......。
 そして。
 時を見計らっていたらしく、森の茂みの奥から、いきなりデュグルドが飛び出して来た。森の奥で再び出現して、タバサが術を解き放つのを待っていたのだ。

「とんだ無駄だったなぁっ!? 人形っ娘っ!」

 すでにデュグルドの周りには、魔族お得意の闇の礫が浮かんでいる。
 対するタバサは、魔法を放った直後。杖が纏っていた氷も、今の嵐と共に吹き飛んでいる!
 仕方なく呪文を唱えつつ、彼女は魔族との距離を取ろうとする。

「逃がすかよっ!」

 デュグルドが闇の礫を解き放った。

########################

「はぁ、はぁ......」

 いつしか、私は肩で息をしていた。
 小さめのエクスプロージョンしか撃っていないが、それでもこれだけ使うと、精神力の消耗がバカにならない。カラッポになって力つきて倒れる、なんて事態だけは避けたいが......。
 まあ、しかし。
 さすがにここまで来ると、レッサー・デーモンたちの数もかなり減ってきた。奴らが減り、炎の矢の数が減れば減るだけ、私たちの倒すペースも上がってきている。
 もはやレッサー・デーモンたちが全滅するのは、時間の問題だろう。
 魔族を相手にしている姫さまやタバサたちも、意外と言っては失礼だが、それほど苦戦していないようだ。思った以上に善戦している。
 ただ一つ、私が気になるのは......。

 ......ざわっ。

 唐突に、なんともいえない悪寒を感じ、私は慌ててその場を跳び退いた。
 たった今まで背にしていた、森の方を振り向けば......。
 かすかな葉ずれの音と共に、やがて現れる黒い影。

「......ようやく来たわね! 今まで何やってたのよ!?」

 暗殺者『地下水』。
 ここに私たちを呼び出した、大本命である。こいつの存在を、私は忘れていなかった!
 
 さんっ!

 草を蹴り、『地下水』が走る。ただ真っすぐに、私だけを目指して!

 ボンッ!

 私の放つエクスプロージョンの光球から、『地下水』はアッサリ身をかわす。
 目視して回避できるシロモノではないと思うのだが......。杖を振る私の手の動きか何かから、軌道を読んでいるのだろうか?
 だが、深く考えている場合ではない。
 私の目の前に迫る、『地下水』のナイフ!

 キンッ!

 それを弾いたのは......。

「ひさしぶりだな......。いや、二日ぶりだか三日ぶりくらい?」

 愛剣デルフリンガーを構えたサイト。
 声はとぼけた感じだが、その表情はキリッと厳しく引き締まっている。

「ルイズは先に亜魔族たちを! こっちの暗殺者は、俺に任せろ!」

 彼は私に言ってから、再び『地下水』に向かって。

「悪いが、俺はルイズの使い魔なんでね。ルイズとやりたきゃあ、まずは俺に勝ってからだ!」

「......よかろう」

 おや?
 サイトの言葉に、あっさり是を返す『地下水』。
 しかも、さらに。

「......お前たちを二人まとめて倒せないようでは、あの神官にも勝てない......」

 暗殺者は、説明的なセリフをつけ加える。
 そうか。
 私だけでなくサイトまで含めていたのは、トリスタニアでやられた雪辱なんだと思っていたが......。それ以上に、ジュリオを強敵と認めていたわけね。
 ジュリオだけでなくタバサも以前に戦っているはずだが、どうやら『地下水』、彼女の方は眼中にないらしい。タバサだって結構、強いんですけど......。
 いやいや、それより何より。

「......ってことは、私たちは前座あつかい!?」

 ちょっと悔しいが、ここはサイトの言葉に従おう。無意味に意地を張って、彼の足を引っ張るのは嫌だ。
 私は呪文を唱えつつ、残るレッサー・デーモンたちを叩きにかかった。

########################

 ザザァッ!

 砂埃さえ立てながら、タバサは、手近に転がるレッサー・デーモンの死体の陰に滑り込んだ。

 ッボッ!

 ごく一瞬の間を置いて、死んだ亜魔族の体に、闇の礫が小さな穴を穿った。

「ばかめっ! それで隠れたつもりかっ!」

 声を上げてデュグルドが跳ぶ。
 レッサー・デーモンの体を跳び越え、タバサの頭上から躍りかかったのだ!
 だが。

 ヒュンッ!

 青白い光が空を薙ぎ、デュグルドの腹にグサリと突き刺さる。

「ぐああああああああっ!」

 デュグルドの悲鳴が辺りに響いた。
 そのまま大地に転がり落ちる。
 ほとんど同時に、レッサー・デーモンの陰からユラリと立つタバサ。
 氷の槍を放ったばかりだというのに、その杖には、次の『氷の槍(ジャベリン)』が用意されていた。死体の陰で、彼女は二本同時に作り上げていたらしい。

「......バカは、あなたのほう」

 珍しく、タバサが挑発的な言葉を口にする。
 先ほど彼女が隠れたのは、デュグルドの攻撃から身を守るためだけではなかった。逆に、彼女の方から攻撃するためだったのだ。魔法を放つタイミングを隠し、トカゲのしっぽ切りをさせないため......。
 そうか!? 今わざわざ挑発したのも、相手の冷静さを失わせるためか!

「てめぇ......」

 憎悪の言葉と共に、ようやく立ち上がるデュグルド。
 その腹には、一本の氷の槍が突き立っている。
 そこへさらに、タバサが二本目を放つ!

「ぐがぁぁぁぁっ!」

 魔族の絶叫が響いた。
 少し精神体を残して逃げるなり、完全に消えて空間を渡るなり、避ける手段はあっただろうに......。
 タバサの挑発で頭に血が上って、真っ正面から立ち向かおうとしたのが失敗だったのだ。
 デュグルドは、今度は胸を氷の槍に貫かれていた。

「......くそっ! くそっ!」

 まだデュグルドは倒れず、闘志も失っていない。それでも、彼が追い込まれているのは確かだった。
 レッサー・デーモンたちもほとんど倒されており、残りは私とじゃれている。さっきと同じ回復方法は、もう使えない。

「殺すっ! 殺してやるっ!」

 何を思ったか。
 叫ぶなり、デュグルドはマントをひるがえして駆け出した。

########################

 ボゥッ! ゴゥッ!

 キュルケの炎と姫さまの水が、グドゥザを挟撃する。
 しかし不意打ちでなければ、直撃させることは難しい。
 グドゥザもダメージを負っており、足取りは少しおぼつかないが、それでも普通にこの世界に具現化したまま、攻撃を避け続けていた。
 本当に危なくなれば空間を渡るだろうし、まだまだ余裕があるということか。
 そして。

「えっ!?」

「ちょっと!? また、これ!?」

 動揺する姫さまとキュルケ。
 いつのまにか二人の影から、またグドゥザの髪が伸び上がっていた。
 二人が杖を振るより早く、その全身に髪が絡みつく。
 グドゥザが小さく笑った。

「......この状態で髪から魔力を放てば......一体どうなるかな?」

「!」

 揃って絶句する二人。

「試してみるのは、これが初めてだけどね......」

 無数の髪が、小さな羽虫にも似た音を立てる。
 ビクンと声もなく、姫さまとキュルケが同時に身をのけぞらし......。

「ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 木々の間にこだまする、断末魔の悲鳴。
 それはグドゥザのものだった。
 後ろから、頭をまともにデュグルドに貫かれて!

「......デュ......デュグル......ド......」

 黒い長髪が力を失い、無数の闇のかけらとなって宙に溶けた。
 姫さまとキュルケが拘束を解かれ、地面にへたり込む。

「......きっ......きさま......」

 味方のはずだった魔族に向けた、グドゥザの声。それも半ばから風に溶け、そして消えた。

 ザザアッ......。

 彼女の体も無数の黒い塵と化し、風に吹かれて宙に散る。

「......あの! 人形娘を殺してやるっ!」

 自分が滅ぼした仲間に向かって、憎悪のこもった声で語りかけるデュグルド。

「だからこそっ......! グドゥザ! お前の残った力、借り受けるぜっ!」

 こいつ!?
 レッサー・デーモンのみならず、こともあろうにグドゥザまで食うとは!?

「......まだだっ!」

 デュグルドの体がヨロリと傾く。
 向かい来るタバサの方へと視線と移して。

「まだ......足りん! ......力が......」

 さすがに『氷の槍(ジャベリン)』二発直撃のダメージは大きかったらしく、弱っていたグドゥザの断末魔を『食った』くらいでは、どうやらすぐには回復しないようである。
 そこに......。

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

 攻撃は背中から来た。

「がぁっ!」

 たまらず悲鳴を上げるデュグルド。
 倒れたままのキュルケが放った、炎の蛇である。

「......きさっ......! きさ......まっ......」

 ボロボロになりながらも、力ずくで『蛇』を引きちぎって、彼女の方へと振り返るデュグルド。
 その瞬間。

 ザアァッ!

 足下から立ちのぼる、巨大な水柱。
 今度は姫さまの魔法攻撃だ。

「ぐ......ぐぉ......」

 これも何とか耐えきったデュグルドだが、水柱が収まると同時に。

 シュタタタタッ!

 水と炎と氷の矢が、四方八方からデュグルドに突き刺さる。

「......!」

 今度こそ......。

 ざあっ!

 断末魔の悲鳴を上げる間すらなく、デュグルドの体は黒い砂と化し、大地に黒くわだかまった。

「......なんとか終わったわね......」

「......ええ。こちらは」

 キュルケの言葉に、姫さまが小さな笑みを浮かべ、タバサも無言で頷いていた。

########################

 ジワリ......。

 左手のルーンを光らせて、サイトは暗殺者との間合いを詰める。
 あらためて、デルフリンガーを握り直し......。

「はっ!」

 サイトは、一気にダッシュをかけた。
 同時に『地下水』は大きく後ろに跳ぶ。

「ウル・カーノ」

 暗殺者の右手のナイフから、炎が飛び出した。
 この呪文は、杖から炎を放出する、『火』系統の基本的な術のはず。やはり、あのナイフを杖として契約しているのであろうか?

「今日は『火』の日かよ!?」

 などとこぼしつつ、それでもサイトは、突っ込むペースは落とさない。
 断続的に撃ち出された炎を、あるいは身をかわし、あるいはデルフリンガーに吸収させる。この程度の魔法なら、いくら吸っても魔剣の負担にはならないと判断したらしい。
 暗殺者もまた、自ら放った術のあとを追うように、サイト目がけて突っ込んでいく。
 そして......二人が交錯する!
 サイトは剣を振り下ろし......。

 ガキンッ!

 しかし『地下水』は、これをナイフではなく、自分の左の手のひらで受けた!
 ......いや、よく見れば、いつのまにか手には土の塊が。おそらく前回同様、『土弾(ブレッド)』と『錬金』を組み合わせたのだろう。
 同時に『地下水』は、右手のナイフをサイトに向かって突き出した。

「ちっ!」

 慌てて後ろに跳び離れるサイト。
 二人は再び、距離を置いて対峙する。
 だが、それもわずかな時間に過ぎなかった。

 ザッ!

 暗殺者が地を蹴り、高々と舞い上がる。
 ......どういうつもりだ!? 空中では身動きも不自由となり、攻撃の的になりやすい。サイトは魔法が使えないから、遠距離攻撃はないとふんでいるわけか!?
 サイトが空を見上げつつ、剣を構えるが......。

「ええっ!?」

 突然、動揺の色を顔に浮かべるサイト。
 いつのまにか地面から生まれた土の手が、彼の足首をシッカリ掴んでいたのだ。
 以前に私もくらった『アース・ハンド』である。最初は『火』を使ってみせたが、やはり『地下水』は、今日も『土』魔法がメインらしい。
 ......それはともかく。
 これでは、身動きが不自由なのはサイトの方である。
 まずいっ!
 しかし、この時。

「相棒! ナイフだ! 奴のナイフを狙え!」

 デルフリンガーのアドバイスが飛んだ。
 サイトが応じるより早く、なぜか『地下水』が反応する。
 暗殺者はサイトの目前に着地したにも関わらず、せっかくの攻撃のチャンスを逃して、大きく後ろに跳び退いたのだ。
 さらに。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 暗殺者は『スリープ・クラウド』の呪文を唱えつつ、右手のナイフを懐にしまった。
 その呪文と光景が、かつてのトリスタニアでの戦いを、私に思い起こさせる。
 あの時も『地下水』は、ナイフを大切にしまっていた。......まるでサイトとナイフで斬り合うのを嫌がったかのように。
 今にして思えば......。あれはサイトではなく、デルフリンガーを疎ましく思ったのではないか!?
 サイトと一緒ならば、サイトのように武器のことも丸わかりなデルフリンガー。ボケちゃって忘れていることも多いが、それでも多くの知識を携えているデルフリンガー......。
 どうやらデルフ、何らかの秘密に気づいたらしい。今日も先ほど一度、直接ぶつかり合っているし、それだけではなく、トリスタニアでの最初の戦いでも刃と刃を交わしていたはず。そうした経験から、今頃になって何か思い出したのだろう。
 ......などと悠長に考えている場合ではなかった。

「サイト!」

 青白い雲に包まれ、サイトは立ったまま眠りこけている。『アース・ハンド』で足を掴まれていなければ、倒れていたかもしれない。
 そこに、『地下水』がゆっくりと歩み寄り......。

 タタタッ!

 横手から『地下水』を襲ったのは、タバサの氷の矢。
 デュグルド戦を終わらせて、息つく暇もなく、サイトの援護に回ってくれたのだ!
 これは『地下水』も予想していなかったらしい。

 バシュッ!

 避ける間もなく、右手を振って叩き落とす『地下水』。

「邪魔だ」

 右腕を凍りつかせながらも、タバサに向けて魔法を放つ。
 風の刃、『アイス・カッター』だ。
 タバサは素早く、防御のため、つむじ風を体の周りに纏わせたが......。

「くっ!」

 全部は防ぎきれない。
 マントや服を切り裂かれつつ、まともに吹っ飛ぶタバサ。
 ......私が、レッサー・デーモンの最後の一匹を倒したのは、この時だった。

########################

「姫さま! タバサの回復お願いしますっ!」

 返事も待たずに、私はサイトの方へ駆け寄る。
 姫さまもタバサも、ついでにキュルケも、既にかなりのダメージを受けていた。とても『地下水』なんぞ相手にできる状態ではない。
 ならば......私とサイトのタッグで戦うしかない!

「いつまで寝てるの! 起きなさい!」

 小さなエクスプロージョンをぶつけて、強引にサイトの目を覚ます私。
 大丈夫、サイトには害がない程度のシロモノだ。どの程度までOKか、いつものお仕置きエクスプロージョンで手応えはバッチリ。......うん、あれも結構、役に立つのね。

「......あ? ああ、ルイズ、無事だったか」

「それはこっちのセリフよ!」

 サイトを助け起こしながら、状況を確認する私。
 今の爆発で、アース・ハンドも吹っ飛んでいる。これでサイトも自由になった。問題は......。

「おい、やめてくれよ。おりゃあ、おめえなんかに使われたくねーんだよ......」

 眠ったサイトの手から滑り落ち、地面に転がっていたデルフリンガー。
 それは今、『地下水』の手にあった。
 ......左手にデルフリンガー、右手にナイフという、二刀流だ。
 暗殺者は魔法で土のギブスを作り、それで右腕を覆っている。タバサの魔法をまともにくらった右腕は、凍ってはいるものの、氷結したり砕けたりはしていない。さすがにタバサの精神力も、デュグルドとの戦いの後だけに、かなり弱まっていたのであろう。

「デルフ。あんた......何か気づいたのね?」

 暗殺者を睨みつけながら、私は剣に尋ねる。
 思ったとおり。
 剣は、明確な答えを返してくれた。

「そうだよ、娘っ子。思い出すのが遅れて悪かった。この『地下水』は......インテリジェンス・ナイフだぜ」

########################

「ナイフの方が本体だったのね!?」

 確認するかのように叫ぶ私。
 暗殺者『地下水』の正体は、一本のナイフだったのだ。意志を込められた魔短剣......。

「インテリジェンス......? ......っつうことは、デルフと同じなのか?」

「よせやい、相棒。こんなやつと一緒にしないでくれ。こいつは握った者の意志を奪う、とんでもねーナイフだ」

 なるほど。
 大ケガした翌日に完治して再登場したり、性別まで変わっていたりしたのも無理はない。その特殊能力で、次々に宿主を変えていたわけだ。

「......しかもこいつ、意志を乗っとったメイジの魔力が、自分の力に上乗せされるらしいぜ」

 宿主がメイジでなくても魔法が使えて、メイジであるなら、さらにアップ......。
 そういうことなら、杖なしで魔法を放っていたのも納得できる。魔法を使っていたのは宿主の人間の方ではなく、本体のナイフの方だったのだ。
 それでも、宿主の得手不得手が少しは影響するようだ。私やサイトに破れた後、『土』魔法を得意とするメイジの体を乗っとったのだろう。それで今は、やたら『土』魔法を多用するようになって......。
 ......ん? 『土』魔法の得意なメイジって......まさか!?

「うるさい。黙れ」

 右手のナイフが、左手の剣を叱りつける。

「いーじゃねーか、少しくらい。......それにしても、なんだってお前さん、暗殺者なんてやってんだ!?」

「......暇だからさ」

 黙れと言ったわりには、ちゃんと剣に答えるナイフ。インテリジェンスウェポン同士、なんだかんだいって、それなりに気が合うのかもしれない。

「俺たちゃ寿命がないからね。『意志』を吹き込まれたら最後、退屈との戦いだよ。どうせ戦うなら、何か目安が欲しいからね。金とか......名声とか」

 ずいぶんと俗っぽい、人間臭いことを言うものだが......。
 気分の問題で暗殺稼業をやっていたというなら、破れた相手に対する雪辱とか、強い相手に立ち向かう意地とか、そういうものが人一倍強いとしても不思議ではない。
 私やサイト、はてはジュリオに挑もうというのも、もとを辿れば、無機物の退屈しのぎだったわけね......。

「俺っちにはわからんね。長生きが退屈という部分だけは、わからんでもないが......。それなら、人間と仲良くやったほうが楽しいじゃねーか」

「フン。人間に飼い馴らされたお前に、何がわかる」

 デルフの言葉は、ナイフ『地下水』の気に障ったらしい。

「......おしゃべりは、もういいだろう。いずれにしても......秘密を知られた以上、お前たちは全員、ここで死んでもらう」

 話は終わったと言わんばかりに。
 暗殺者『地下水』――ナイフに操られた宿主のメイジ――が、剣とナイフを構える。

「おい!? やめろ、娘っ子や相棒を斬るのに、俺を使うな!」

 叫ぶ魔剣だが、デルフリンガーには、握り手を操る力はないらしい。ナイフの意志のまま、私たちに対する脅威となった。

「デルフ!」

「落ち着きなさい、サイト」

 彼の前にバッと手を出して、私は使い魔を止める。

「武器を持たないあんたでは、ガンダールヴのスピードも出せないでしょ。私がデルフを取り返してきてあげるから......あんたの出番は、それからよ!」

 そう。
 こうなっては、私がメインで戦うしかなかった。
 デルフリンガーもそうだが、出来れば、ナイフの方をこそ、叩き落としたい。そうすれば、今の宿主も解放されるはず......。

「『ゼロ』の娘よ......。得意の爆発魔法......遠慮せず撃ってこい!」

 豪語する暗殺者。
 私が放つ魔法を、かわすか防ぐかする自信があるようだ。
 ならば......。

「おあいにくさま。私がそれしか出来ないと思ったら......大間違いだわ!」

 呪文を唱えながら、私は走り出した。
 遠くから魔法をぶつけてもダメとなれば、倒す手段はただ一つ。
 半ば不意打ちで、接近戦で勝負するのみ。
 ......かなり分の悪い勝負だが。

「ほう!? 我と斬り合うつもりか!」

 愉悦と侮蔑を含んだ声を上げ、暗殺者も駆け出す。
 私は呪文詠唱の時間稼ぎで、わざと回りこむような動きをしていたのだが、向こうは、こちらに向かって一直線!
 二人の距離が縮まり......。
 交錯する直前、私の呪文は完成した。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 叫んだ私の杖に、闇の刃が生まれ出る!
 これで敵とチャンバラするのは、私も初めてだが......。

「その術は、前に見せてもらった!」

 暗殺者の余裕の声。
 前回の戦いで、魔族の結界を切り裂くのに使ったのが、アダとなったか!?

「それに! お前の技量では......それは使いこなせまい!」

「馬鹿にしないでっ!」

 思わず叫びながら、私は虚無の刃を振り下ろす!
 これに......相手は、左手の剣を合わせてきた!

「おい、やめろ!?」

 泣き叫ぶ剣。
 以前に『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を吸収したデルフならば、これも吸い込んでしまうかもしれない。
 あるいは、サイトが握っていない状態では、その能力も発揮されず、スパッと斬られてしまうかもしれない。
 どちらにせよ、私としては困る。
 私は途中で強引に、斬撃の軌道を変える!

 スカッ......。

 でも器用にデルフリンガーだけを避けて敵に斬りつけることなど無理。
 完全に外して、地面に一筋の切れ目を入れる形となった。
 無茶な体勢のまま、一瞬、私の動きが止まる。
 そこに。

「ルイズ! あぶねぇ!」

 武器も持たずに駆け込んできたサイトが、私をドンと突き飛ばす。
 たった今まで私がいた場所を、デルフリンガーが切り裂いた!

「サイト!?」

「......大丈夫だ。傷は浅い......」

 大丈夫じゃないって。
 サイトは脚から血を流して、『地下水』から少し離れた地点に倒れ込んでいる。
 私を突き飛ばすと同時に、反動で自分も大きく後ろへ跳び退いたらしい。バッサリやられるという最悪の事態は免れて、ジャンプする際に少し斬られただけのようだ。
 暗殺者は、そんなサイトと私を見比べて......。

「......お前が先だ」

 私に向かって、再び走り出した!
 今度は、私は動かない。杖を構えたまま、『地下水』の攻撃を迎え撃つ。
 私の杖は闇の刃を保っているが、やはりこの術、魔力の消耗が激し過ぎる。
 こうして待っている一刻一刻の間にも、疲れが蓄積されてゆく。
 その疲労感にも負けず、私は迫り来る『地下水』に意識を集中して......。

「娘っ子!?」

 デルフが叫ぶのと同時に、振り下ろされた一撃。
 それを私は......。
 無意識のうちに、右にかわしていた!
 同時に。

 スッ!

 私の体の左側の空間を、剣に続いて、暗殺者のナイフが過ぎていく。
 もしも最初の一撃を左に避けていたならば、今の第二撃は、確実に私の体へ突き刺さっていたことであろう。
 ......これも、サイトとの修業の結果! 左へ避けるクセを修正した結果!
 そして。

 スパァァァン......。

 二連撃の直後では、さすがにかわしきれなかったのか。
 私の闇の刃は、インテリジェンス・ナイフを真っ二つにし、さらに勢い止まらず、宿主のメイジの腹を大きく薙いでいた。

########################

 地に倒れ伏したメイジの口から、聞き覚えのある声が漏れる。
 ナイフ『地下水』とは全く異なる......女性の声。

「これは......いったい......どういうことだい......?」

 インテリジェンス・ナイフが破壊されたことで、その支配から解放されたのだ。
 宿主とされていた者は、戦いの最中に私がチラッと予想したとおり。

「あんたは、悪い奴に操られていたのよ。......フーケ」

 かつて盗賊として名を馳せた、『土くれ』のフーケであった。
 おそらく、フーケを脱獄させたのも『地下水』であろう。メイジとして相当な実力を持ちながらも、牢獄で死刑を待つだけの身であったフーケ。彼女は『地下水』から見れば、ちょうどいい宿主だったに違いない。

「......操られていた......? そうかい......どうりで......。記憶が時々......辻褄の合わない部分があって......おかしいとは思っていたけど......」

 ふむ。
 どうやらあのナイフは、ずっとフーケをコントロールしていたわけではないらしい。彼女の体を乗っとったり、体を返したり、そのオンとオフを繰り返していたようだ。
 フーケだって不審に思う点があっただろうが、脛にキズ持つ彼女は、それを誰にも相談できなかった......。
 しかし。
 完全にフーケの体を支配していた方が『地下水』としてもラクだったろうに、何故わざわざ、そんな面倒なことをしたのだろう? 私たちをウエストウッド村に呼びつけたことと、何か関連するのであろうか?
 考えられる答えとしては......。
 フーケ自身――『マチルダ』としてのフーケ――や、フーケの知人――ティファニアたち――を利用するつもりだったのではないか。実際、私たちはフーケを人質とされて、猟師小屋までおびき出されたわけだし。
 その場合、しょせんナイフの『地下水』では、ティファニアたちの前で『マチルダ』を演じきる自信はなかったのね......。

「......私としたことが......ドジを踏んだねえ......」
 
 フーケの腹から吹き出す血は止まらない。
 回復魔法など使えぬ私にもわかる。明らかに、もう助からないというレベルの傷であった。
 ようやく動けるようになったらしく、姫さまとキュルケが、私とフーケの元へ歩み寄る。二人の後ろには、サイトと、彼に肩を貸すタバサの姿も見えた。
 姫さまは、フーケを一瞥してから、ゆっくりと首を横に振った。
 私は、フーケに対して。

「ごめんね。なんとか助けてあげたかったけど......ちょっと相手が強すぎてね。あんたを無傷で、敵だけを倒す、っていうのは無理だったの。ほら、前に言ったでしょ? 暗殺者『地下水』......」

「ああ......『地下水』に......利用されてたのかい......」

 私たちが見守る中。
 フーケは目を閉じて......。

「そうかい......私としたことが......ドジを踏んだねえ......」

 もう一度、繰り返した後。
 彼女の右手が、コトリと力なく垂れた。


(エピローグへつづく)

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第六部「ウエストウッドの闇」(エピローグ)【第六部・完】

 あの戦いから、数日が経過して......。
 いったんウエストウッド村に戻って休息の後、私たちは再び村を発ち、港町ロサイスに辿り着いていた。
 鉄塔のような形の桟橋には、たくさんのフネが停泊している。ハルケギニア各国から集まった商船や軍船など、様々なフネが舳先を並べて、出港の時を待っていた。
 あのアルトーワ老の用意していたフネも、この中にあるのかもしれない。しかし彼が偽物だと判明し、しかも戦いのどさくさに紛れて姿を消した以上、ティファニアたちがその招待を受けるという選択肢はなくなっていた。
 ガリアに行ったところで、彼らを受け入れる場所もないであろう。ならば、ウエストウッド村に残るしかない。
 それでも、こうしてロサイスまで来たのは......。

「じゃ、元気でね!」

「テファも元気で。またね!」

 手を振るティファニアたちに笑顔で応えながら、フネに乗り込む私たち。
 そう。
 これは、ティファニアたちではなく、私たちの出発なのである。『地下水』を倒した以上、もう私たちがアルビオンに留まる意味もないのだから。
 邪教集団との戦いやら、『地下水』の出現やら......。色々あって大きく寄り道してしまったが、元々トリスタニアを出た時点では、私たちはロマリアを目指していたはずだった。ようやく、その旅に戻るわけである。

「......それにしても......」

 ティファニアたちの姿が見えなくなったところで、キュルケがジュリオに声をかける。

「あなた、今回は一体......何やってたの?」

「僕かい? 僕は僕で、色々と頑張ってたんだよ」

 ウインクをしてごまかすジュリオ。
 ......そんなものでは、誰も騙されないけど。

「......最後の戦いの時も、結局、戦いが終わってからノコノコ現れたわね」

「ああ......あの時はとりあえず、いきなりレッサー・デーモンにはり倒されてね。気を失ってしまい、茂みの中に倒れていたんだ」

「何よ、それ。嘘くさい話ね......」

 それ以上は、キュルケもツッコミを入れない。
 他の誰も異を唱えないところをみると、私を一度だけ助けた時のジュリオの声は、私だけにしか聞こえていなかったようである。

「......ところでルイズ、ちょっと気になったんだが......」

「何よ、サイト?」

 斬りつけられた脚も姫さまの『水』魔法で回復し、今のサイトは、普通に歩けるようになっていた。それでも少し心配なのか、まるで後ろに控えるかのように、タバサがすぐ近くに立っている。
 ......私の使い魔なんだから、ちゃんと私が面倒見るわよ......。
 タバサにはそう言ってやりたい気持ちもあるが、何もわざわざケンカを吹っかけることもない。それに、こうしてサイトは、タバサではなく、ちゃんと私に質問してくるわけだし。

「......ティファニアがフーケを蘇らせたのって......あれも虚無魔法?」

 問うサイトに、私は目を丸くする。
 私の代わりに、サイトの背中から返事が。

「ひでーよ、相棒。せっかく俺が、あれだけ丁寧に説明してやったっていうのに。......あの時の話、聞いてなかったのかよ?」

「......彼は、こういう人」

 嘆くデルフリンガーに、ポツリとつぶやくタバサ。

「......いいわ。御主人様である私が、わかりやすく説明してあげる。あれは『先住の魔法』。テファは、母親の形見......つまりエルフの宝を使ったの」

「おい、娘っ子。それ......俺っちが言った説明、そのまんまじゃねーか」

 剣のくせにツッコミを入れるな。
 ......まぁ、しかし、私もあれを見た時は驚いた。
 フーケが事切れたと思ったところへ、ちょうど駆け寄ってきたティファニア。なんと彼女は、『魔力』のこもった指輪で、フーケを蘇らせてしまったのだから!
 死ぬような大怪我まで直してしまう、水の力が込められた石。かつて私たちの敵が使っていた魔道具『アンドバリの指輪』とは違って、死体を操るモノではない。完全に蘇らせてしまう、素晴らしい秘宝......。
 しかしフーケを復活させた時点で、とうとう力を使い果たしてしまったようだ。私たちの目の前で、石は溶けてなくなってしまった。私たちから見れば、もったいないことこの上ないのだが......。

『いいのいいの! 道具はね、使うためにあるのよ! それに......マチルダ姉さんのためだもの!』

 そう言ってフーケを抱きしめるティファニアの前では、誰も何も言えなかった。
 ......しかし、あの時の光景をあらためて思い返してみると。
 サイトがデルフの話を聞いていなかったのは、ずっとティファニアの胸――彼女の体とフーケの胸に挟まれてグニョンとつぶれていた――ばかり見ていたからのような気もする......。

「どうしたのです、ルイズ? なんだか......こわい顔をしていますが......」

「なんでもありませんわ、姫さま」

 声をかけられて、私は回想から引き戻された。
 とってつけたように、私は話題を変える。

「......それより姫さま、いいんですか? あんな簡単に、あんな約束しちゃって......」

 具体的なことを言わずとも、意味は通じた。
 姫さまは、ニッコリと笑う。

「ええ。彼女は、わたくしのいとこですから」

 復活したフーケは、ティファニアたちと共に、ウエストウッド村に残ることになった。もう盗賊稼業は続けられないし、では今後の孤児院の生活費はどうするのか、という問題が生まれたが......。
 なんとそこで、姫さまが資金援助を申し出たのである!
 姫さまの裁量で動かせる金の一部を、秘密裏に定期的に、ティファニアのもとへ仕送りする......。
 血縁者として、そして王族として、それこそが、ティファニアにしてやれる最善だと判断したらしい。
 姫さまは、ここロサイスからトリスタニアに伝書フクロウを送って、既にマリアンヌ大后に頼んだようだ。だが、この話を実現させるためには、やはり姫さま自身が一度トリスタニアに戻って、色々とややこしい手続きをしないといけない。
 私たち全員でトリスタニアまで行く必要はないが、しかし姫さまは、今すぐ私たちと別れるつもりもなく......。結局、今回の旅の目的地――姫さまが合流した時点での目的地――であるロマリアまでは同行するが、そこで私たちと別れる、ということに決まった。

「......そうですね」

 姫さまの笑顔に、私も同意の言葉を口にする。
 少し名残惜しい気もするが、私はつとめて明るい声を上げた。

「それじゃ、行きましょうっ! ロマリアへっ!」

########################

 ......さわり......。

 夜の闇を風が渡っていく。
 高い空の上でも、夜風は夜風。頬にあたる風は、地上のものと、それほど変わらないように感じられる。
 私は夜中に一人、こっそり船室を抜け出して、フネの甲板上でボーッとたたずんでいた。
 アルビオン大陸とハルケギニアの間の船便は、民間船であっても、かなりの高度を進む。下を見ても特に面白い景色はなく、一面の雲海となっていた。
 それでも何気なく、遠くへ視線を向けていると......。

「散歩かい?」

 声をかけられて、私は振り返る。
 よくわからないフネの道具やら、積み上げられた木箱などがある辺り。そこに黒い影がわだかまっていた。

「......いいえ......」

 私は静かにかぶりを振った。

「あんたを待っていたのよ。ジュリオ」

「......へぇ......。深夜の密会......デートってことかな? それは嬉しいね」

 闇の色も似合う神官は、右手の指で髪を巻きながら、笑顔でウインクしてみせる。

「そんなわけないでしょ。ただ......一応、お礼を言っておこうと思ったの」

「お礼?」

「そう。全部が終わってやっと、あんたが今回、何をやってたのかがわかったから。......つまり、ラルターク=アルトーワに対する抑えと......そしてたぶん、私のテスト」

「へぇ......」

 面白そうに答えたジュリオの全身が、スゥッと闇に溶け、消えた。

「......いつ気づいたんだい?」

 声に振り向けば、双月の光に照らされて、積み上げられた木箱の上にチョコンと腰かけたジュリオの姿。

「......僕が魔族だ、ってことに......?」

「わりと最初っから、ね」

 言って私は小さな笑みを浮かべた。

「前に私の術を封じたマゼンダ......。あんなマネ、はっきり言って人間技じゃないのよね。特別な魔道具を使った様子もなかったし......」

 かといって、先住魔法とも思えなかった。つまり彼女は、エルフや吸血鬼のような亜人でもなかったわけだ。

「......そんなのを、いともアッサリと倒しちゃうような奴が、ただの人間のわけないでしょ」

「......なぁんだ。じゃあ、ほとんど最初からバレバレだったんだね。ハハハ」

 あっけらかんとした笑い声。

「そのとおり。彼女も同じく魔族だったよ」

 マゼンダの一件だけではない。
 こいつの神出鬼没ぶりも、人間のレベルを超えていた。だがそれも、純魔族特有の能力――空間を渡る力――だと考えれば、説明がつくのだ。

「けど、それをあんたが倒したってことは、魔族の中にも色々事情があるってことね。あのアルトーワ伯のフリしてた奴とも、味方って雰囲気じゃあなかったし」

「彼は彼で、ここでやるべき仕事があってね......」

 情報を小出しにするジュリオ。
 相手が普通の奴ならば力づくで聞き出すことも可能だが、こいつ相手では、それは無理。
 残念ながら私では、こいつには勝てない。
 ......今は、まだ。

「それに、ラルタークさんには、君を殺せって命令も出ていたようで......。でもそんなことされては僕が困るから、『お互いに正体はバラさず、君の件に関しては不干渉』って約束しといたのさ。......その約束の前に別の魔族を二人呼び寄せていたようで、それに関しても不干渉って話だったんだけど。そっちの二人こそ、暗殺命令の専任だったようだね」

 うーむ。
 グドゥザとデュグルドは、やはりラルターク=アルトーワの配下だったわけか。そしてラルターク=アルトーワには、私殺害よりも優先する別の任務があって......。
 あれ? なんだかトリスタニアでの......カンヅェル=マザリーニの時と状況が似ているような気がするが......。
 トリスタニアの事件では、魔族はトリステインという国の乗っ取りをたくらんでいたのだ。あの一件との類似性を考えるのであれば、今回のキーとなるのはティファニアであろうか。カンヅェル=マザリーニがウェールズ王子の死体を操っていたように、ラルターク=アルトーワは、ティファニアを利用するつもりだったのでは......?
 それならば、魔族が『地下水』と協力関係にあったのも説明がつく。マチルダの体をコントロールする『地下水』は、ティファニア懐柔には大いに役立つ存在だったはず。
 まぁ、それはそれで、だったら何故さっさとティファニアを殺して死体人形にしなかったのか、という疑問も生まれるわけだが......。

「......ところで、ジュリオっていうのは偽名でしょ?」

 私自身の推理は全く表に出さずに。
 さらなる情報を得ようと、ちょっと別の角度から切り込んでみる。

「そうだよ。本来の魔族としては、獣神官ゼロス......獣王(グレーター・ビースト)ゼラス=メタリオムに仕える者の端くれだ。......もっとも、今は別件だから、相変わらずジュリオと呼んで欲しいけどね」

 言いながら、ジュリオは右手の手袋を外してみせる。
 獣王(グレーター・ビースト)という大物魔族の名前にも驚いたが、彼の右手の甲には、もっと私を驚かせるものがあった。
 そこには......。
 サイトの左手に光るガンダールヴの印と、似たような文字が躍っている!

「今の僕は、神の右手。ヴィンダールヴだ。君の大切なサイト君と、兄弟みたいなものかな?」

 おい。
 人間のサイトと、魔族のあんたを一緒にするな。

「それにしても......すごいよね、虚無のメイジって。なんと僕のような魔族を、使い魔として召喚して、契約までしまったのだから! マーヴェラス!」

「ちょ......ちょっと待って!? 虚無の使い魔ってことは......。まさか......あんたの今の主人って......」

 トリステインの虚無である私。
 アルビオンの虚無であるティファニア。
 ......まあ、この二人はいい。純真で無害な、美少女メイジである。
 しかし。
 以前に戦ったガリアの虚無は、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魂を内封していた。そいつの使い魔は人間だったから少し事情は違うが、ジュリオのような強力な魔族を使い魔にするくらいだから、ひょっとして今度の奴も......。

「ああ、もしかして......僕の主人が赤眼の魔王(ルビーアイ)様に覚醒してるとでも思ったのかな?」

 思わず無言で頷く私。
 するとジュリオは、笑い飛ばすように。

「安心していいよ、そうじゃないから。......うん、本来ならば赤眼の魔王(ルビーアイ)様になるはずなんだけどね。何をどう間違ったのか、冥王(ヘルマスター)様に覚醒しちゃって......。困ったものです」

 ......へ......冥王(ヘルマスター)って......。
 十分大物なんですけど!?

「......まあ彼も、覚醒前と後とでは、方針が正反対になったりしてるが......」

 完全に硬直した私の前で、意味深な独り言を口にするジュリオ。
 私の表情が変わったのを見て、彼は失言に気づいたのか、あわてて取り繕うように。

「......虚無のメイジとしては、『写本』のような邪道な方法で、始祖ブリミルの知識が広まるのは嫌だったみたいでね。初めは『写本』をハルケギニアから消すのが僕の役目だった。......ところが前回、『写本』をまた一つ焼いたと報告に戻ったところで......今回の仕事を与えられた、というわけさ」

「つまり......私の監視? トリステインの虚無に対する、警戒?」

「少し違うな。......守り、導くこと。当人を前に、これ以上は話せないけどね」

 いやいや、十分にしゃべってくれているぞ。
 今夜のジュリオは、妙に雄弁である。
 まるで悪役が、退場間際に全部暴露しているかのような感じ。
 ......そう思うと、ちょっと不気味だけど......。

「それで私を試したわけね。はたして本当に、魔族である自分が守ってやるほど価値のある人間かどうか」

 ......あの程度の相手はルイズひとりで倒してもらわないと、この先が思いやられる......。
 ジュリオのあの言葉は、たぶん私に対するテストだったのだろう。
 彼は、こっくりと頷いた。

「......で? 私は合格だったわけ?」

「正直言って、やや不満かな......。せっかくガンダールヴまでいるんだから、もっと楽勝じゃないとね。......まあ、使い魔だけじゃなく、仲間の力まで上手く使いこなせているようだし、その点に免じて、ギリギリ合格としておこうか」

 姫さまやタバサは道具ではない。私は仲間を『使って』いる覚えなどないが......。
 魔族から見れば、そう見えるのであろうか。

「......ところで」

 ジュリオは私に問う。いつもと変わらぬハンサムな笑顔のまま。

「どうするつもりかな? 僕が魔族と知った以上......決着をつける、とか?」

「うーん......」

 私はしばし考えて、

「このままでいいわ。みんなにも黙っていてあげる」

「......ほう?」

 面白そうな声を上げるジュリオに向かって、私は指を突きつける。

「踊らされてるのは嫌だけど、どうやら今は、それしかテはないみたいだし。それならまだ......みんなには、あんたの正体バラさない方がいいでしょ?」

「いやあ、それは助かるな」

 いけしゃあしゃあと言うジュリオ。

「......でも、そのつもりなら何故、わざわざ僕にこんな話を? 知らんぷりしていた方が、いざという時、少しばかり君には有利になるかもしれないのに?」

「これまであった色々を、少しでもハッキリさせておきたくてね。......それに、知らずに踊らされているのではなく、知ってて踊ってやってるんだぞ、って伝えておきたくて」

 ......まあ、たいした違いはない、と言われてしまえばそれまでだが。
 なんとなく悔しいような気がしたのだ。

「......なるほど。貴族としてのプライドだね」

 苦笑を浮かべ、しみじみ頷くジュリオ。

「やっぱり面白いね、君は。さすが......虚無の妖精さんだ」

「ほめてるつもりなの? それとも......からかってるつもり?」

「ほとんど最高の賛辞だよ。......僕としては、ね」

 蕩けるような笑みを決めてみせるジュリオ。
 しかし私は、そんなものに心を動かされるわけもなく。

「それで......次は私たち、一体どこに行けばいいわけ? あんた......私のこと、どっかへ導きたいんでしょ?」

「そうだね。このまま......」

 ジュリオは私から視線を逸らし、フネの外へと向けた。
 いつのまにか、雲と雲との切れ間から、ハルケギニア大陸が見え始めている。
 その広大な大地に向かって、ジュリオが右手を伸ばす。......ヴィンダールヴのルーンが刻まれた、その右手を。

「ロマリアの北......『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』が保管された地へ......」


 第六部「ウエストウッドの闇」完

(第七部「魔竜王女の挑戦」へつづく)

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番外編短編7「使い魔はじめました」

「今日も暑いのね......」

 もうもうと立ち込める水蒸気の中。
 一匹の青い竜が、不満の言葉を漏らしていた。

「この霞というか湯気、忌々しいのね。むしむしするし、視界は悪いしで散々なのね」

 ここ『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』は、六千メイル級の山々が連なる、巨大な山脈である。しかし普通の高山に見られるような、てっぺん付近の氷河や雪は見当たらない。
 その『火竜』の名前どおり、赤い岩肌と黒い溶岩石が頂上近辺まで延々と続いている。赤く焼けた溶岩流がいたるところで噴出し、さかんに降る雨を水蒸気へと変えていた。
 辺りは白く濁った霧と、むせるような熱気に包まれており、まるで山脈全体が蒸し風呂のようである。

「こんなところで好んで暮らすなんて......あいつらも物好きなのね。きゅい」

 独り言を口にするイルククゥ。
 その視線の先には、空を飛ぶ火竜たちの姿があった。
 火竜は知能の代わりに強力な炎を進化させてきた連中である。風竜のように物わかりがいいわけでもないし、おまけに気が荒い。イルククゥから見れば、なんともつきあいにくい、乱暴な連中である。
 しかし、文句を言っても仕方がない。この『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理人をやると言い出したのは、イルククゥ自身なのだから......。

########################

 イルククゥは、古代より生き続ける伝説の韻竜の一員である。
 彼女の一族は、人目につかない場所で、俗世間から切り離された修道僧のような生活をしている。外への興味を失い、そこで毎日お祈りばかりして過ごしているのだ。
 幼いイルククゥにとっては、退屈きわまりない生活......。
 ある日、自分たちの巣の外に出てみたいと言ってみたら、両親に烈火のごとく怒られてしまった。

『イルククゥ、外の世界は危険でいっぱいなのよ。人間たちはね、小さくて力はないけど、魔法や恐ろしい武器を使うの』

『いいかねイル。我々はね、古い一族なのだ。少しでも長く生きることが、この世界に対する恩返しなんだよ』

 きゅいきゅい、と喚いてみても、両親は絶対に首を縦に振らなかった。
 そこへ、とりなしに入ってくれたのが、一族の長老たちである。

『人間たちの世界ではなく......竜たちの住処ならば、どうじゃろ?』

 韻竜が管理すべき場所の一つ、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)。そこの管理人が、ちょうど空位になっていた。
 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理人になれば、とりあえず、竜の巣を出て独り立ちが出来る!
 イルククゥは、一も二もなく承諾したわけだが......。

########################

「こんなことなら......竜の巣に残っていた方がマシだったのね! きゅい!」

 イルククゥの常識では、自分たち韻竜は、この世で一番尊い生き物のはず。
 ところが火竜は、韻竜相手だって容赦しない。特に子育ての季節になると、ただでさえ荒い気性が、ますます荒くなる。近づく者は何でも、強力なブレスで丸焦げにしてしまう。
 きゅいきゅい、と喚いてみても、イルククゥを取り巻く環境は改善されない......。
 そんな時、目の前にゲートが開いた。
 長老から色々と教わっていたイルククゥには、それが何なのか一目瞭然だった。

「人間の開いたゲート! 使い魔を得るために開いたゲートなのね!」

 竜の巣にいた頃から、人間がどういう生活をしているのか興味があったのだ。期待と好奇心が胸一杯に広がり、イルククゥはゲートに飛び込む。
 この自分を使い魔にするくらいなのだから、さぞや立派な魔法使いが現れるのだろう。
 そう思いながら、くぐった先には......。

「......」

 小さな青髪の女の子がいた。
 メガネの奥の翠眼が、どこまでも涼しげな少女。身長より長い杖を持ち、ぼんやりとイルククゥを見つめている。
 この少女が自分を召喚したのだろうか? ......にしては、たいした使い手にも見えない。というより、まだ子供ではないか!
 不満に思いながら見回すと、少女の後ろに、他にも人間の姿があった。
 四人の男たちである。こちらは、子供ではなく、いい年をした大人だ。きっと子供よりはマシなはず、彼らの方が主人であって欲しい、などと思ったのだが......。

「風竜ではないか!」

 男の一人が叫んだので、イルククゥはムッとした。
 自分は風竜なんかじゃない。偉大な古代の眷族である。
 きちんと説明せねばなるまい。そう考えて口を開こうとした瞬間。

「......」

 青髪少女がスッと目を細めて、唇に指をあてた。
 しゃべるな、ということらしい。
 その後ろでは、男たちが何やら口々に言い合っている。

「さすが、お嬢さまです」

「ああ。風竜を使い魔にするなんて、たいしたものだな!」

「しかし、まだ幼生ではないか」

「いえいえ、それでもたいしたものです」

「アルビオンの風竜かな?」

 こんな感じで風竜、風竜と言われては、我慢もならない。
 怒鳴りつけてやろうと思ったが、イルククゥは、青髪の少女に睨まれてしまった。その眼力に押されたのは、彼女が主人となるメイジだからであろうか。
 おとなしく口を閉ざしたイルククゥは、身をかがめて、少女と契約。足の裏にルーンが刻まれ、こうしてイルククゥは、少女の使い魔となった。

「ジョゼフ様。タバサが風竜を従えたというのであれば......あの仕事、タバサに任せてみてはいかがですか? 新しい使い魔のテストを兼ねて」

「ふむ。そうだな......」

 後ろの男たちの会話は、イルククゥにも聞こえている。そこから察するに、イルククゥを使い魔にした少女は、タバサという名前らしい。
 ジョゼフと呼びかけられた男は、意味ありげな目で竜を眺めつつ。

「......タバサ、その竜と二人だけで行ってこい。ペルスランも連れて行かずに、竜と二人だけで、だ」

########################

 よくわからないまま、イルククゥは、タバサと一緒に出発することになった。
 タバサの視線には妙な迫力があり、イルククゥは黙ったままである。
 ピョンとジャンプしてタバサが背中に跨がってきた時も、最初イルククゥは振り落とそうとしたのだが、なんなくタバサはフライで浮き上がってくる。

「きゅい、きゅい......」

 ただの竜のような情けない鳴き声と共に、イルククゥは少女を背に乗せ、大空に飛び上がった。
 タバサが杖で示した方向へ、しばらく進んだところで......。

「この高さまで上がったら、しゃべっていい。ただし、誰もいないときだけ」

 タバサの解禁宣言だ。
 イルククゥは、スゥと息を吸うと、待ってましたと言わんばかりに話し始める。

「なんなのね? どうして、しゃべるの限定するのね!?」

「我々人間は、韻竜が絶滅したと思っている。騒がれたら面倒」

 さすがに主人だけあって、タバサはイルククゥの正体に気づいているようだ。

「どうしてわかったのね」

「目が違う」

「当然なのね。おばかな風竜なんかとは、頭の中身が違うのね。わたしたち韻竜の眷族は......」

「言語感覚に優れ、先住の魔法を操る」

「先に言わないでほしいのね。じゃあ、そんな偉大な韻竜の私が、風竜と誤解されてどんな気持ちになるのか、わかるわよね?」

「......大丈夫。気づいている人は気づいている」

 イルククゥは、さきほどのジョゼフという男の視線を思い出した。
 彼はタバサの仲間のリーダーっぽい雰囲気だったし、イルククゥが韻竜であると見抜いていたようにも思える。タバサとイルククゥに対して『一人と一匹』ではなく『二人』とカウントしていたのも、普通の竜とは違うという意味だったのかもしれない。

「それなら、わざわざ隠す必要もないのね。仲間には正直に話すべきなのね」

「仲間じゃない」

 即答で否定するタバサ。

「......きゅい?」

「わけあって行動を共にしているだけ。信頼できるのはペルスランのみ」

 男たちの中の誰が『ペルスラン』だったのか、イルククゥにはわからない。ただ、どうやら複雑な事情があるらしい、ということだけはわかった。

「......わかったのね。で、これから何をするの?」

「人助け」

 なんだ。
 仲間じゃないとか、信頼できないとか言ってはいるが、それでも正義の味方の一団なのか。
 一瞬そう思ったイルククゥだったが。

「......でも勘違いしてはいけない。ジョゼフは善人じゃない。そういうフリをしているだけ」

 クギを刺すように、タバサがつけ加えた。

########################

 ジョゼフに率いられた一行は、どうやら諸国を旅しているらしい。世間では善人で通っており、実際、気まぐれのように善行を施すこともあるらしい。
 ......タバサの話を要約して、そのようにイルククゥは理解した。
 ともかく。
 今回は、村が竜に襲われて困っているから助けてほしい、という話を聞き入れて、それでタバサたちが送り込まれたとのこと。
 村の近くで着陸したイルククゥに、タバサが命じる。

「......人間に化けて」

 竜によって被害を受けている村に、竜を連れて行くわけにはいかない。いらぬ混乱を招くだけである。

「人間に化ける? そんなこと不可能なのね」

 とぼけるイルククゥだったが、効果なし。博識な主人は、韻竜が魔法で人間の姿に変身できることを、ちゃんと知っていた。
 やむを得ず、変身するイルククゥ。さらに、タバサが用意した人間の服を着せられる。

「う〜〜。ごわごわするの〜〜」

 なんで人間は布を体に巻き付けるのだろう?
 初めての着衣で、その着心地の悪さを知るイルククゥ。
 それでも、これで外見はメイジと従者らしくなった。
 二人が村に入っていくと......。

「おお! ジョゼフ様の......配下のメイジ様が来てくださった!」

「詳しい話は、どうぞ村長から......」

「立ち話も何ですから、どうぞ、こちらへ!」

 歓迎されて、広場のテーブルへと案内される。
 近くには露店らしきものも建ち並んでおり、一種の野外食堂になっているようだ。そういえば、お腹が減ってきた。人間の食べ物、おいしいといいなあ......。
 イルククゥは期待したのだが、二人の前に出されたのは、それぞれコップ一杯の水だけ。

「もうしわけありません。このたびの事件で、村は貧窮にあえいでまして......。ろくなおもてなしも出来ないんです......」

「......構わない。事情を説明して」

 落胆するイルククゥとは対照的に、表情も変えずに先を促すタバサ。
 二人の前には、若い男が座っている。村の長にしては若すぎるくらいだが、村人たちが『村長から』と言っていたのだから、この男が村長なのであろう。
 タバサやイルククゥの視線に疑問の色を感じ取ったのか、彼は、まず最初に。

「そうですよね、若いですよね。でも......若いだけが取り柄っていう村長も斬新でいいかなぁ、って衆議一決したもので......」

 なんとなく間を置く若村長。
 もしかしたらツッコミ待ちなのかもしれないが、まだイルククゥは人間の世界に慣れていないし、タバサは相変わらず無表情。ツッコミなど入るわけもなかった。

「......ちなみに、俺の前の村長は、メイジくずれの流れ者で、見るからに怪しい人でした。彼のときも、そういう村長がいると斬新なんじゃないかなぁ、って衆議一決して......」

「......村の人事は、どうでもいい。事件の話をお願い」

 今度は口を挟むタバサ。
 このままでは話が脱線しまくるので、さすがに放っておけなかったのだ。

「わかりました。では......」

 ようやく本題に入る若村長。

「あれは今から二ヶ月ほど前......。それまで平和だったこの村に、一匹の黒い竜がやって来たのです」

「黒い竜?」

 思わずイルククゥが聞き返す。
 陸地の村に来るのだから、水竜ではあるまい。風竜か火竜だと思われるが、風竜ならば青いだろうし、火竜ならば赤いのが一般的だ。その色が暗く濃いために『黒』に見えたのだろうか?

「はい、真っ黒な竜です。そいつは西の山に住み着き、こともあろうに村の人々を脅迫し始めたのです」

 細かい種族はともかく。
 ......何もしてない平和な人間を脅すなんて!
 イルククゥは、同じ竜として許せなかった。
 特にイルククゥは、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)の管理をする立場の竜。そこに住まう乱暴者の竜たちと、ここで悪さをする竜のイメージがオーバーラップする。

「『一週間に一度、キャベツ二玉と大皿一杯のブタ肉コマ切れを差し出せ。さもなくば町に災いが起こるだろう』と......。最初、村の者は勇敢にも、この脅しに屈しませんでした。しかしそのうち......。竜の言葉どおり、子供がドブにはまったり、牛が難産したりと、祟りとしか思えないような不吉なことが起こり始め......」

 話を聞くうちに、頭を抱え込むイルククゥ。
 まだ人間の世界に慣れぬイルククゥでも、これだけはハッキリとわかった。

「......ち......ちいさいのね......。すけぇるが......ちいさすぎる......。きゅい......」

「そりゃあ......貴族の従者のあなたにとっては、たいしたことじゃぁないかもしれませんけど......」

 若村長は、非難の声を上げる。

「けど! 最近は豚肉もけっこう高いんですよ!」

 イルククゥの隣では、タバサも小首をかしげていた。

「......偶然?」

 タバサも気になったらしい。若村長の言った『祟りとしか思えないような不吉なこと』が、本当に竜によって引き起こされた災厄なのかどうか。

「偶然じゃぁありませんよ! ......ともあれ、そんなこんなで仕方なく、村の者たちは涙を呑んで、キャベツとブタコマを差し出すようになりました。そんなことが、もう二ヶ月も続いているんです! このまま奴の言いなりになっていては、きっと村は滅んでしまう!」

 ......人間の村って、そんなに簡単に潰れちゃうものなの!?
 イルククゥがギギギッと顔を横に向けると、タバサが小さく手を振って「違う、違う」と示してくれた。

「それに......それに......」

 若村長、ついに涙を流しながら、

「今度ブタコマとキャベツを差し出さねばならないのは......この俺の家なのです!」

「大丈夫! 大丈夫よ、あなた!」

 タイミングよく駆け寄ってきた女性が、若村長の肩に優しく手を置く。
 おそらく村長の妻なのであろう。彼女も、一緒になって涙を流していた。
 若村長は、彼女の手をソッと握りしめ、

「すまん......君には迷惑をかける......。俺が村長なんて引き受けたばっかりに......」

「心配しないで、あなた。うちの家計は、まだ少しは余裕あるわ。村の公費の一部を家に回して、ヘソクリしといたから」

「ああ! 君は......なんてやりくり上手なんだ!」

「......それ横領」

 ボソッとつぶいたタバサの言葉は無視して。
 若村長は、再びタバサとイルククゥの方を向く。

「ともかく! このままでは、村も我が家も大変なんです! だから......俺たちの竜討伐に付き合ってください!」

「......村の者は来なくていい」

 言外に足手まといと告げるタバサ。
 しかし若村長は首を横に振る。

「そうはいきません。貴族さまだけを危ない目にあわせるわけにはいきません。せめて......俺と妻だけでも、一緒に行きます!」

 危ないとか危なくないとか、そういう意味ではない。むしろ、素人が一緒の方が、かえって危険である。

「......来なくていい」

 タバサは繰り返したが、若村長は、頑として譲らなかった。

「でも、竜のことは、この村の問題なんですよ!」

 村長としての責任感であろうか。
 こう見えても、若いのに村長をやるだけの人材、ということか......。
 幼生でありながら火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)で『長老』役をやっているイルククゥは、少しだけ、彼に対して共感を覚えた。
 だが。

「考えてもみてください! 竜と言えば金銀財宝を抱え込んでる、と相場が決まっています」

「金に困ってない貴族さまには、そんなお宝、必要ないでしょう? 私たち村人にこそ、必要なんです」

「......村のみんなで均等に分けることになるでしょうが、その前に、村長の俺がいったん預かるかたちにして......」

「......村長の役得で、少しでもネコババしておかないと!」

 涙を拭いながらまくしたてる二人を見て、イルククゥも理解した。
 ......この二人、けして立派な人間ではない、ということを。
 ちなみに。
 竜が財宝を抱え込んでいるというのは、この二人の間違った思い込み。でもイルククゥは、敢えてそれを指摘しなかった。

########################

 かくて......。
 村長夫婦と共に、タバサとイルククゥは山に向かっていた。
 先頭は案内役の若夫婦。そこにタバサが続き、イルククゥは最後尾を歩いている。
 特に面白いこともなく、山のふもとに広がる森の中を進むうちに......。

「......きゅい?」

 イルククゥの鼻孔を何かがくすぐった。右側の木々の間から、その匂いは漂ってくる。
 そちらに顔を向けると、獣道ではあるが、小道らしきものがある。
 ......タバサたちは、森のメインの道を歩いているのだ。ちょっと一行から離れて寄り道しても、すぐ戻って合流できるだろう。
 おなかが減っていたこともあって、イルククゥはフラフラと匂いのあとを追った。木々の間を分け入っていくと......。

「なんだい。小娘じゃなくて従者の方が来たのかい」

 少し広くなった場所で、男が二人、焚き火を囲んでいた。
 寒くて火にあたっている、というわけではない。肉を焼いているのだ!
 イルククゥの口から、ダラダラと涎がこぼれ落ちる。

「腹が減ってるんだろ? さ、食べな」

 恰幅のよい方の男が、串に刺した肉を差し出した。
 ......人間って親切なのね!
 夢中になって、イルククゥは肉にかぶりつく。
 一口食べて、感動の涙を流した。

「おいしいのね!」

 いつもイルククゥたちは、生肉とかを食べている。技術がないわけではなく、自然の恵みをありのままに得る、という思想から来る習慣だった。
 調理されたものを食べるのは、これが初めて。
 簡素な野外バーベキューであったが、それでも、火を通し味つけされた肉は、イルククゥの脳髄を直撃したのであった。

「大丈夫ですかね、兄貴。こんな料理で感激するようじゃ、たいして金もないんじゃ......」

「心配すんな。こいつだって、無能王さま御一行の従者なんだろ? こいつ自身にゃ金はなくとも、主人は金持ちのはずさ。......それより、ほら、手はずどおりに......」

「......へい、兄貴」

 男たちの会話も耳に入らず、イルククゥはガツガツと肉をむさぼった。

「ほら、どんどん食べていいぞ」

 兄貴と呼ばれた男が、次々と肉を焼いて、イルククゥの前に出してくれる。
 一方、貧相な方の男は、イルククゥの体のすぐ近くでチョロチョロと何かしているようだ。しかし食べるのに忙しいイルククゥに、彼の行動を気にしている余裕はなかった。

「きゅい! きゅい!」

 夢中になって食べ続けるイルククゥ。
 気づけば......。

「......きゅい?」

 いつのまにかイルククゥは、ぐるぐる巻きに縛られていた。
 これも人間の衣服の一種なのであろうか?
 最初、そう思ってしまうイルククゥだったが。

「へっへっへ。上手くいきやしたね、兄貴」

「あたりめぇよ。これで身代金がガッポリ入りゃあ、遊んで暮らせるってもんだ」

「それにしても......たまたま立ち寄った村に、こんな金づるが転がり込んでくるとは......」

「天の神様も俺たちの味方ってことさ」

「そうっすね。子供ならば食べ物の匂いでおびき出されるはず、って兄貴の計画もバッチリ! ......なぜか子供の方じゃなくて従者の方が来ちゃいましたけど」

「いいじゃねぇか。メイジの小娘より、魔法も使えぬ従者の方が、かえって扱いやすいってもんだ」

 ここまでわかりやすい悪事の説明をされれば、さすがのイルククゥでも状況は理解できる。
 イルククゥは、ぐぬぬぬ、と怒りに身を震わせた。どうやら、自分の身とひきかえに、タバサにお金を要求しようということらしい。意志持つ生き物を、そんな取り引き材料にするなんて!
 ここは古代種として、怒りのおもむくままに二人組を退治してあげるべき! 竜族がどんだけ偉いのか、無知な人間どもに教えてあげるべき!
 イルククゥは変身を解こうとしたが......。
 その瞬間、激痛が走った。

「んぎゃー!」

 大きくなろうとした体が、ロープに締め付けられたのである。

「おいおい、そのロープにゃ魔法がかかってるんだ。そう簡単にゃ切れねぇよ」

「なにせ、最初はメイジを捕える予定だったからね。ちゃんとそれなりの準備はしておいたんだぜ!」

 イルククゥはジタバタと暴れたが、どうにもロープは切れなかった。
 杖なしに唱えられる先住魔法にしても、精霊に呼びかける身振りが出来なければ、魔法は発動しない。

「まったく! お前たち人間は、ほんとどうしようもない生き物なのね! 小ずるくて! 卑怯で! こんなしょうもない魔法なんか使って!」

 今のイルククゥにできること。それは、せいぜいが悪口を飛ばすことのみ。

「おいおい、お前だって人間だろうが。食べ物につられてホイホイやってきたんだろ? 観念しな」

「あと、魔法をしょうもないなんて言うなよ。魔力強化したロープを手に入れるのって、俺たち平民には、結構大変なんだぜ」

「まぁ俺たち盗賊には、必需品だけどな。ガハハ......」

 何がそんなにおかしいのか。
 二人の男は、大きな声で笑っていた。

########################

 やがて日も暮れ、暗闇が舞い降りる。
 二人の男は、森の中の打ち捨てられた小屋を、一時的なアジトにしていたらしい。イルククゥもそこへ連れて行かれて、グルグル巻きのまま転がされている。
 男たちは、身代金受け取りなどの手はずを、あれやこれやと相談していたが、いいかげん疲れてきたのか、あくびが続き始めた。

「......じゃあ兄貴、大体の計画はそんなところで。今日のところは、そろそろ寝るとしましょうや」

「......そうだな......人質が寝込んでるってぇのに、俺たちが眠い目こすりながら相談してる、ってのもな......」

 二人は当然知らないが、若い女性の姿をしたイルククゥは、先住の魔法で人間に化けているだけ。最初のうちイルククゥは、自分の迂闊な行動を後悔したり、今後の身の上を心配したりしていたのだが、今は静かな寝息を立てていた。化け続けていると疲れるため、よく眠れるのである。

「ま、全ては明日だ。今日はもう寝よう」

「そうっすね」

 と、二人の男が椅子から立ち上がったところで......。

 バゴワッ!

 かなりド派手な音を立て、景気よく吹っ飛ぶ小屋の扉。

「......きゅい?」

 眠っていたイルククゥも目を覚ますほど。
 当然、男たちもうろたえる。

「何だ!?」

「えっ!? どうして!?」

 続いて入って来た者の姿を見て、男たちは、さらに驚いた。

「なんでお前が!」

 それは明日連絡を取ろうと思っていた相手。
 彼らが言うところの『メイジの小娘』......。つまり、タバサであった!  

「......動かないで」

「ふざけんな! はいそうですか、っておとなしくしてる奴がいるわけねぇ!」

 二人はタバサの言葉をあざ笑いつつ、武器を手にして、彼女へ向かっていく。
 タバサは平然と立ったまま、杖を振り下ろした。
 風の刃が飛ぶ。

「へんっ! どこ狙ってんだいっ!」

「兄貴っ!? 後ろですっ!」

 そう。
 タバサの狙いは、男たちではなかった。先ほどの『動かないで』発言も、対象は男たちではなかったのだ。
 魔法の刃は、一直線にイルククゥを目指し......。

「バカなっ!? 味方を......自分の従者をっ!?」

「違いますよ兄貴! よく見てくださいっ!」

 イルククゥの身を傷つけることなく、その体を拘束していたロープだけをスパッと断ち切った。

「バカなっ!? 魔力強化したロープをっ!?」

「驚いてる場合じゃありませんよ、兄貴!」

 そう。
 男たちが驚くのは、まだ早かった。
 二人が見ている前で、イルククゥの体が光って、膨張し始めたのだ。
 着ているものもビリビリと破って......。
 その身は青く変わり、そして背中には翼が......。

「変身した!? 悪魔か......? 悪魔の男なのかっ!?」

「男じゃなくて女ですよ、兄貴! ......っつうか、トカゲですよ、こいつ!」

「トカゲじゃないのね! きゅいきゅいきゅい!」

 風竜どころか、トカゲ扱いするなんて!

「くけー!」

 あまり迫力の感じられない雄叫びと共に、前足を突き出すイルククゥ。
 前『足』だからキックと言うべきか、あるいは『手』のようなものだからパンチと言うべきか。
 ともかく、その破壊力は絶大だった。
 貧相な男が突き飛ばされて、背中から勢いよく壁に激突。そのまま気絶して、床に崩れ落ちた。

「悪魔の力か!? ......こ、このやろうっ!」

 残った男は、バッと走り出す。
 彼の得物はナイフ。だが、そんなものでは竜には勝てない。壁にかけてあるマスケット銃を取りに向かったわけだが......。
 その手が銃に届くより早く。 

「......っうげっ......」

 したたかに殴られたような衝撃が、男の頭を襲った。
 タバサの魔法『エア・ハンマー』である。

「はさみうちとは......卑怯じゃねぇか......」

 自分たちの誘拐行為は棚に上げて。
 そう言い残して、男も意識を失い、その場に倒れた。

########################

 二人の男を縛り上げた後。

「あ、あの......。タバサさま、どうもありがとう。助かったのね。でも、どうして私の居場所がわかったのね?」

「あなたの視界を、私も見ることが出来る。使い魔と主人は、一心同体。黒い竜の一件を片づけてから、ここに駆けつけた」

 イルククゥは素直に感激した。同時に、自分の態度を恥じた。

「ごめんなのね。竜退治には、私も行かなきゃいけなかったのに......」

「......いい。竜の話は、嘘だった」

「......きゅい?」

 ポツリポツリと、タバサが説明する。
 竜の供物の置き場所を見張っていたら、やってきたのはメイジ姿の怪しい男。その正体は、先代の村長だった!
 ......黒い竜というのも、先代村長による幻。どこぞで拾ってきた魔道具を利用して、まやかしの竜を見せて、他の村人から食料を巻き上げていたのだ。
 村長職を理不尽な理由で突然とりあげられたため、彼は村人を恨んでいたらしい。これは、彼なりの村に対する復讐劇であった。しかも、供物として差し出させたブタコマとキャベツで、彼の家の食費も大助かり......。

「......犯人は捕らえた。マジックアイテムは没収。事件は解決」

 そう言って、話を締めくくるタバサ。
 どうやら大した苦労もしなかったようだが、それでもイルククゥは、勝手に離脱したことを反省する。タバサにも迷惑をかけてしまった。何か罰を受けるのだろうか......?
 少し心配になるイルククゥ。しかし、再び口を開いたタバサの言葉は、思いもよらぬものであった。

「シルフィード」

「え? それ、なんなのね?」

「あなたの名前。『風の妖精』って意味」

 イルククゥは、電流に打たれたように、感激に打ち震えた。
 この小さな御主人様は、勝手にいなくなった自分の名前をワザワザ考えてくれたのだ!

「素敵な名前ね! きゅい! 嬉しいのね! なまえ! 新しいなーまーえ! きゅいきゅい!」

 なんだか楽しい気分になってきた韻竜の娘は、陽気にはしゃぎながら、タバサを抱きしめる。人間よりもはるかに大きなその体で、人間にしても小柄なタバサの体を。

「ねえねえ! タバサさま! 私、タバサさまのことをお姉さまって呼んでもいいかしら? 私の方が体は大きいけど、なんだか、そう呼ぶのが相応しいような気がするのね!」

 コクリと頷くタバサ。
 その頬に赤みが差しているのを、イルククゥは見逃さなかった。
 タバサも嬉しいのだ。
 一見無口で無愛想なように見えるけど......。本当は情の厚い、優しい子なんだ。
 イルククゥは、そう思った。

########################

 誘拐犯二人組も村の者たちに預けて、タバサたちは、夜のうちに村を発った。
 きっと村人たちは、二人を先代村長ともども、役人に引き渡すことであろう。もしかしたら、些少の報賞金くらいは貰えるかもしれないが、それは村人たちの懐に入れればいい。もうタバサには無関係であった。

「きゅい、きゅい!」

 双月の明かりが照らす中、主人のタバサを乗せて、イルククゥは夜空を飛ぶ。ジョゼフたちのもとへと戻るのだ。
 韻竜の背の上で、タバサは無言で本を読んでいた。それが突然、イルククゥに声をかける。

「......あそこ」

「きゅい?」

 主人が杖を向ける先に目を向ければ。

「......ペルスランがいる」

 街道の真ん中に立つ、一人の老人。彼は、こちらを見上げて、大きく手を振っている。

「......降りて」

 タバサに命じられるまま。
 その近く、少し道が広くなった場所に、イルククゥは降り立った。
 老人が駆け寄ってくる。

「おお、お嬢さま! ご無事でしたか!」

 よく見れば、確かに、イルククゥ召喚の場にいた男の一人である。
 なるほど、これがペルスラン――タバサが信頼できると言った人物――なのか。
 イルククゥは、その顔をきちんと覚えた。

「......なぜ来たの?」

「もうしわけありません。やはり、お嬢さまの身が心配になってしまって......」

 二人の会話を聞いて、イルククゥは思い出す。
 そういえば、「その竜と二人だけで」とか「ペルスランも連れて行かずに」とか、言われていたはず。

「......皆が寝静まるのを待って、こっそり様子を見に来たのです」

「......心配する必要もない。もう片づけた」

「おお! さすがは、お嬢さま! もう終わらせてしまったのですか!」

 仲間って、いいものだな......。
 二人の様子を見ているうちに、イルククゥは、ふと火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)のことを思い出した。
 あそこの火竜たちは、ロクに言葉も通じない乱暴者ばかりだが......。ある意味、イルククゥの仲間である。それに、火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)に住まう生き物は、火竜だけではない。極楽鳥や火トカゲなどもいる......。
 みんな今頃、どうしていることだろう?
 管理者たる自分が、いつまでも火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)をほっぽっておいて、良いのであろうか?

「きゅい......」

 不安そうなイルククゥの鳴き声。
 それに何かを感じたのか、タバサが言った。

「......ペルスランの前では、しゃべってもいい」

「あのね、お姉さま。私には『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』を管理する、っていう仕事もあるのね。ずっとずっと、お姉さまについていく......ってわけにもいかないのね」

「火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)......」

 考え込むかのように、繰り返した後。
 タバサは、小さく頷いた。

「わかった。......それなら仕方がない。でも、あなたは私の使い魔。必要な時には来てほしい」

「もちろんなのね! 時々お姉さまの様子を見に来るのね!」

 タバサがどこにいようと、必ず駆けつけてみせる。
 使い魔として、イルククゥにはその自信があった。

「ちゃんと来るから、必要な時には呼んでほしいのね!」

「......わかった」

 よい主人の使い魔になった。タバサの使い魔でよかった。
 そう思いながらイルククゥは、タバサを残して、夜空へ飛び立つ。
 主人と離れ離れになるのは、使い魔らしからぬことであるが......。

「だからといってダメじゃないのね。御期待どおりに現れるから大丈夫なのね。きゅい!」

 後に大遅刻するだなんて、想像すらせずに。
 イルククゥは、空をゆくのであった。


(「使い魔はじめました」完)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第一章)

 爆光が、闇を圧して夜に閃く。
 ついさっきまで私のいた辺りの木々が、光に呑まれ、消えてゆく。少しでも逃げ遅れていたら、私もあの光の中にいたことだろう。
 思ったとおり、それは私を狙っていた。
 小さな村の小さな宿屋で、いきなり夜襲をかけられた私。さすがに少しうろたえたが、それでもなんとか攻撃をかわしつつ、村からはずれたこの森の中まで相手を誘い出していた。
 ここまで来れば、私も大きめのエクスプロージョンを気兼ねなく使える、というものである。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド......」

 適当に唱えた失敗爆発魔法ではない。きちんとしたエクスプロージョン。それも、結構な長さの呪文。
 さすがにフル詠唱ではないが、それでも、先々のことを考えて精神力をケチっている場合でもなかった。
 なにしろ相手は、ただのゴロツキや野党ではないのだ。
 ......魔族......。
 闇を糧に生きる彼らに、生半可な魔法などは通用しない。

「えいっ!」

 迫り来る、白いもやのような人影に向かって、私は杖を振り下ろす!
 私の自慢の光球に包まれるその直前、人影はスイッと地面に溶け込んだ。
 大地に広がる白い影と化したそれの頭上を、私の魔法がむなしく過ぎていく。少し離れたところで大木の幹に当たり、何本もまとめて消滅させた。
 白い影と化した魔族は、さぞやホッとしたことであろう。
 だがしかし、その瞬間。

 ぎぐぉぉぉぉぉっ!

 魔族の絶叫がこだまする。
 白い影の落ちた地面から、蒼い水の柱が吹き上がったのだ。
 薄く伸ばした全身を水柱に包み込まれ、もう魔族は逃げられない。
 やがて......。
 水の中で浄化されるかのように、魔族は完全に消滅した。

「......はぅ......」

 私は安堵のため息をつきながら、闇の中へ声をかける。

「......助かりました、姫さま」

「どういたしまして」

 茂みを揺らして現れたのは、私と同じような学生メイジ姿の少女。
 旅の連れの一人であるが、その正体は、何を隠そう、トリステインの王女アンリエッタさまである。
 たった今、魔族を一匹、葬ったばかりだというのに、顔から緊張の色は消えていない。

「......まだ......います......」

 つぶやいて、彼女は辺りに視線をめぐらせる。

「まだ......? あれでもトドメをさせなかった......?」

「......いえ......。別の者が......」

 言われて私も、闇の奥へと視線を走らせた。
 この姫さま、私たちの旅に加わったばかりの頃は、王宮暮らしの世間知らずな雰囲気が強かった。それが最近、妙に感覚が鋭くなってきた部分もあるようだ。
 とんでもない経験ばかりの旅のおかげで、どうやら急成長しているらしい。
 裏を返せば、それだけ姫さまを危ない目にあわせているということで、あんまり喜んでもいられないわけだが......。
 ともかく。
 今も私より早く、何かに気づいたのであろう。辺りには全く何の気配もなく、虫の音さえも聞こえているのだが......。
 その虫たちの声が、唐突に消えた。

「......ほぉう......。気配は消したつもりじゃったが......よく気がついたものよ......」

 聞き覚えのある声は、私と姫さまの背後からした。
 慌てて振り向けば、闇の中から浮き出るように、姿を現す一人の老人。
 青い髪――ただし鮮やかな青髪ではなく少しくすんだ水色っぽい青髪――の持ち主で、老いて痩せた体つきをしている。
 一見すれば温厚な、どこにでもいそうな人のいい地方貴族。だが、それが偽りであることを、私も姫さまも知っていた。

「アルトーワ伯......」

「いいえ、姫さま。......ラルタークと呼ぶべきでしょう......」

 私は額に汗すら浮かべ、その名を口にした。
 ガリアのグルノープルの領主、アルトーワ伯。その名前と姿を騙っているものの、その正体は、ラルタークという魔族なのである。
 それも、おそらく、かなり高位の魔族......。
 まだ直接戦ってはいないが、以前に、こいつの力の一端を見たことがあった。
 精神世界――魔族の世界――から無数の低級魔族を召喚し、その辺の獣などに憑依させ、『レッサー・デーモン』の群れを作り上げたのだ。
 それが一体、どれほどの実力を要するものか......。
 こんな奴とバカ正直に正面きって戦うなんて、死んでもゴメンである。敵に後ろを見せてはいけない貴族だって、高位魔族に対してだけは、しっぽ巻いて逃げてしまって構わないはず。
 とはいえ、この状況でアッサリ逃がしてくれるとも思えない。

「......なるほど......さっきの白いのは、私をここまで誘い出すためのエサだったのね?」

「そういうわけでもないんじゃがな......」

 老人は、苦笑を浮かべて首を横に振る。

「あわよくば、あやつがおぬしを倒してくれるか、さもなくば、わしと二人がかりで......などと思っていたんじゃが。......そっちの娘さんに気づかんかったばかりに、あっさりやられてしまいよった」

 言ってチラリと、一瞬視線を姫さまに向ける。
 これはまずい。先に邪魔な姫さまを何とかしよう、なんて思われたら、私以上に姫さまの身が危ない。
 こちらに注意を引きつけるため、私は少し大きな声で話しかける。

「それにしても......いきなり宿を襲うなんて、やり方を変えたのね。前は結構こそこそしてたのに」

「無関係な者は傷つけとらん。それに、ま、こちらにも色々事情があっての」

 ラルターク=アルトーワの浮かべた苦笑が、やや深くなった。

「ともあれ、おぬしには消えてもら......」

 セリフも終わらぬそのうちに。

 ざわりっ!

 私の全身が総毛立つ。
 ......これって!?
 人間とは決して相容れることのない、異様な殺気が辺りに満ちたのだ。
 まるで全身から体の中へと、闇が入り込んでくるかのような......。
 しかし、これはラルターク=アルトーワの放つ殺気ではない。

「おおっ!?」

 彼は驚愕の声さえ浮かべて、慌てて後退。闇の中へと戻っていく。
 消えた魔族のあとを追うかのように、すぐさま『殺気』も、その場から消える。
 あとに残されたのは、私と姫さまの二人。私はうっすら汗を滲ませたまま茫然と立ちすくみ、姫さまは自分の体を両腕で抱きしめながら小さく震えていた。

「......な......何だったのです? 今のは......?」

 かすれた声で彼女がつぶやいたのは、それから少し経ってからである。

「......さあ......」

 言葉を濁し、私は首を横に振った。
 が......。
 実は言うと私には、今の殺気の主に心当たりがあった。
 おそらく......ジュリオ。
 見た目はハンサムな神官だが、その正体は、女の敵どころか、人類の敵。獣神官ゼロスという、高位魔族なのである。
 獣王(グレーター・ビースト)――赤眼の魔王(ルビーアイ)の腹心のひとり――に仕える身分でありながら、現在は虚無の使い魔として行動している。しかも主人のメイジは、なんと冥王(ヘルマスター)に覚醒しているそうな。
 ......とまあ、とんでもない奴なのだが、その辺の事情は今のところ仲間にも秘密。ラルターク=アルトーワたちとは逆に、私を『守る』立場にあるらしいが、詳しい事情は私も知らされていない。

「......ともかく......この場はなんとか切り抜けたようですわね」

「そうですね、姫さま。......そろそろ宿に戻りましょうか」

 姫さまのつぶやきに頷いてから、私はマントをひるがえす。
 ......遅ればせながら、遠くからこちらへ向かうサイトたちの声が聞こえてきたのは、ようやくこの時になってからのことだった。

########################

「......どういうことなの?」

 翌日の朝。
 街道を行く道すがら、私にそう問いかけてきたのは、『微熱』のキュルケであった。
 あいもかわらず、ブラウスのボタンを一つ二つ外して、無駄に色気を振りまいている。

「どう......って、何が?」

 歩みを止めずに聞き返す私。

「ジュリオのことよ」

 言われて一瞬、足を止めそうになるが、きちんと平然を保って、

「いきなり消えたり現れたり......。いつものことじゃない」

 さらりとした口調で言う私。
 ......そう。
 今現在の一行の中に、ジュリオの姿はなかった。私とサイト、姫さま、タバサ、キュルケとフレイム、という五人と一匹になっている。
 ジュリオも昨日の夕食までは一緒だったのだが、今朝から全然姿が見えず、宿の部屋を探しても、そこは全くのもぬけの殻。

「......だいたいキュルケだって、前に私と二人旅だった頃。フラリといなくなったり、また合流したりしてたじゃないの。......それと同じよ」

 とりあえずそう言ってみたが、私は何となく察している。
 おそらくジュリオは、逃げたラルターク=アルトーワの追撃をしているのだ。
 とはいえ、ラルターク=アルトーワが魔族であることくらい、皆も承知のこと。正直に推理を言えるはずもない。
 そこで私は「いつもの気まぐれ、放っておいてもまた現れる」と決めつけて、先に出発することにしたわけだ。
 私の意見に、姫さまは一応納得してくれて、サイトはもとより何も考えてないようだったが、タバサとキュルケは違うらしい。タバサは無表情なまま目だけで疑問を示していたし、キュルケはキュルケで、こうしていまだに話を蒸し返す。

「一緒にしないでよ」

 私の言葉が気に障ったのか、不満げな口調でキュルケは言って......。
 やがてプイッと視線を逸らした。
 ......うーん......仲間を騙すようなのは、私もあんまり気が進まないんだけど......。
 現状では、これが最善手なのだから仕方がない。
 とにかく私は、サッサと真実を解明するしかないのだ。
 なにゆえラルターク=アルトーワたちは、私の命を狙うのか。
 なにゆえジュリオは、私を守ろうとするのか。
 しかし、それがわかったところで、その時に私が彼らに対する有効な切り札を持っていなければ、ただただ流されるだけである。
 そこで私は、その『切り札』を求めるべく、一路、ロマリアの首都へと歩みを進めているのだ。
 ......魔と関連の深い都市、ロマリアへと......。

########################

 ロマリア連合皇国。
 ハルケギニアの中で最古の国の一つに数えられ......短く『皇国』と呼ばれることもあるこの国は、ガリア王国真南のアウソーニャ半島に位置する都市国家連合体だ。
 始祖ブリミルの弟子の一人、聖フォルサテを祖王とする『ロマリア都市王国』は、当初、アウソーニャ半島の一都市国家に過ぎなかった。しかし、その『聖なる国』との自負が拡大を要求し、次々と周りの都市国家群を併呑していった。
 もちろん、その領土拡大の軌跡は、単調な道ではなかった。併合された都市国家群は、何度も独立、併合を繰り返す。そして幾度もの戦を経て、ロマリアを頂点とする連合制をしくことになったのだった。
 そうして出来た国なだけに、ロマリアは、他のハルケギニアの国々よりも国力では劣る。だから自分たちの存在意義を『ブリミル教の中心地である』という点に強く求めた。始祖ブリミルの没した地といわれるロマリアこそが、『聖地』に次ぐ神聖な場所であるとして、そこを首都に規定したのだ。
 その結果、ロマリア都市国家連合は『皇国』となり、その地には巨大な寺院『フォルサルテ大聖堂』も建設された。代々の王は『教皇』と呼ばれるようになり、全ての聖職者および信者の頂点に立つことになった......。

########################

「......まったく、いつ来てもこの国は、建前と本音があからさまですこと」

「あれ? アンはロマリアに来たの、初めてじゃないのかよ?」

「もちろんです。......その時は公務でしたから、仰々しい馬車でしたけど」

 私たちがロマリアに足を踏み入れて、最初に感想を漏らしたのは姫さまだった。
 サイトの質問に簡単に答えてから、彼女は、あらためてロマリアの町並みを眺める。
 ......まあ、姫さまの気持ちもわからんではない。
 宗教都市ロマリアは、ハルケギニア各地の神官たちが『光溢れた土地』として神聖化している場所。生まれた街や村を滅多に出ることのない民衆も、それを信じこまされていた。
 ......キラキラ光るお仕着せに身を包んだ神官たちと敬虔な信者たちが、そこかしこで微笑みながら挨拶を交わし合う。街には笑いと豊かさが溢れ、自らを『神のしもべたる民のしもべ』と呼び習わす教皇聖下のもと、神官たちがブリミル教徒を正しく導いている......。
 そんな理想郷がアウソーニャ半島の一角に存在していると信じて、人々は、このロマリアにやってくるのだが......。

「ありとあらゆる土地からなだれ込んで来た平民たちが、好き勝手に振る舞っているではありませんか。『理想郷』というより、まるで貧民窟の見本市のようですわ」

 顔をしかめて、ため息をつく姫さま。
 通りには、ハルケギニア中から流れてきた信者たちが、救世マルティアス騎士団の配るスープの鍋に列を成している。この街に辿り着いたはいいが、仕事もなく、することもなく、着るものも食事もままならない人々だ。
 そんな信者たちの後ろには、イオニア会のものらしい、石柱を何本も束ねたような豪華な寺院がそびえ、着飾った神官たちが談笑しながら門をくぐっている......。

「市民たちが一杯のスープに事欠く有様なのに、神官たちは着飾り、散々に贅沢を楽しんでいるわけね」

 肩をすくめるキュルケに対して、姫さまは、さらに言葉を続ける。

「そうですわ。わたくしも、小さい頃この街を訪れたときは、そんなことには気づきませんでした。居並ぶ各宗派の豪勢な寺院に夢中になり、輝くステンドグラスや、大きな宗教彫刻の織り成す、至高の芸術に目を見張らせて......」

「......恥じることはない。誰でも子供の頃は、そんなもの」

 珍しく自分から会話に参加するタバサ。
 今では無口で無表情なタバサだが、王弟である父親を殺されるまでは、それなりに幸せな子供時代を過ごしていたはず。
 それに、タバサも姫さま同様、王族なのだ。姫さまの言葉に、思うところもあったのだろう。

「......まあ、難しい話は置いといてさ。ともかく、俺たちは俺たちにできることをするしかないだろ。......これだけ汚れた街なら、逆に裏の世界は栄えてそうだし、凄い情報も転がってそうだよな?」

「あら、サイトにしては、いいこと言うじゃない」

 一応、自分の使い魔を褒めておく私。
 ロマリアという国の成り立ちはともかく、私たちにとってのロマリアは、どうも魔族と関連の深い国。最初に私たちの前に顔を出した大物魔族は、ロマリアの有名人の名を騙っていたし、そもそも私が『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』について学んだのも、ここロマリアだった。
 私たちをしつこくつけ狙う魔族たちの目的は何か!? 魔族たちの間に今、一体何が起こっているのか!? その謎を解き明かすヒントは、宗教都市ロマリアにこそ眠っているかもしれない!
 ......というのが、私たちがここへ来た理由である。あくまでも、表向きの話であるが。
 サイトは、そこまで具体的には理解していないようだが、サイトに完璧を求めるのも酷な話。それくらいは私も承知している。

「......でも、調べる、っていっても、どう手をつけるつもり?」

 造りだけは綺麗な、白い石壁の町並みを歩きながら、キュルケが私に聞いてきた。
 私が答えるより早く、姫さまも。

「そうですわ。魔族と関係がありそう......というのも、わたくしたちの想像に過ぎないのでしょう? まさか街の中で、『魔族たちは今、こんなことをたくらんでる』なんて噂が流れてるわけもないでしょうし......」

「......そ......そうですねぇ......」

 私は、しばし考えて。

「......とりあえず、魔族とか、そういったのに関する噂を、何でもいいから集めてみましょう。昔は『写本』もあったくらいだし、今でも何か転がってるかもしれないですし。......望み薄なのはわかってるけど、他に手のつけようもない。ただ相手の出方を待つ、ってのは、皆も嫌でしょ?」

 と、これはジュリオがいないからこそ言えるセリフ。
 ......もっとも、私たちがロマリアに立ち寄るのは、ジュリオも同意の上の話。どうやらジュリオは、私を守るだけでなく、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の保管された場所まで導きたいらしい。
 しかし私をその場所に案内すると言っても、いきなりそのものズバリの場所へ行っては、なんぼなんでも怪し過ぎる。なにしろ『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』なのだ。『なんでジュリオが在処を知っている!?』と皆が言い出すのは目に見えている。
 そこで、ロマリアで調査しているうちに『こんな情報を仕入れたよ』とジュリオが言って、一同をブツのところまで連れて行く......という筋書きを私が提案した。
 ......もちろんこれは口実で、私の本当の目的は、魔族に対する切り札を見つけ出すこと。『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』レベルのものが出てくれば、彼らに対する切り札として使えるはず。

「ねえ? アンのコネなら、ここの教皇さまに話をつけて、秘蔵の資料を見せてもらうことも出来るんじゃないの?」

 これはキュルケの意見。
 口にも態度にも出さなかったが、心の中で私も同意していた。
 私が昔、くにの姉ちゃんにくっついてここに来た時も、王立魔法研究所(アカデミー)の研究員という姉ちゃんの立場をフル活用したのである。おかげで、普通じゃ入れないところにも少しだけ入れたし、色々と話も聞けたのだが......。

「......そういうわけにもいかないでしょう。公務で来ているわけではないですから」

 ゆっくりと首を横に振る姫さま。
 これが姫さまでなければ「固いこと言うな」と文句の一つも言ってやりたいところだが、さすがに姫さま相手では、私もそういう気持ちにはならない。

「なあ、そういやぁアンって、たしか......」

 ここで、何か思い出したかのようにサイトが言葉を挟む。

「......ロマリアに着いたところでみんなと別れる、って言ってなかったっけ? トリスタニアに戻らないといけない、って話があったような気がするんだけど......」

「あら?」

 姫さまはニッコリ笑いながら、

「サイトさんは、そんなに私を追い返したいのですか?」

「い、いやいや! そういう意味じゃないし、そんなつもりもない!」

 慌ててバタバタ手を振るサイト。王女の笑顔を前にしては、伝説のガンダールヴも形無しである。
 ......まあサイトが言い出した件は、実は私も、少し気になっていた。
 お別れするのは私だって辛いけど、でも、姫さまはトリステインの王女である。いつまでも私の旅に同行するわけにはいかないのだ。

「......こういうのを『乗りかかったフネ』というのでしょう? 今回の一件が片づくまでは、もうしばらく皆さんと御一緒しますわ。......どうせ今から国に迎えを呼んでも、すぐには来られないでしょうし」

 無邪気な笑顔で言い切る姫さま。 
 その表情は、まるで「もう少し、もう少し」と引き伸ばす子供のようでもあった。

########################

 結局、地道に街で聞き込みをするしかない、ということになり......。
 皆、思い思いの方へと散っていく。
 そんな中。

「......あんたもどっか行きなさいよ」

 私の後ろについてくるサイト。軽くジトッと睨んでも、彼は意に返さない。

「いや、俺はルイズの使い魔だから」

 頭の後ろで手を組んで、当然のような顔をしている。
 私は小さくため息をついた。

「仕方ないわね。......いいわ、じゃあ、ついてらっしゃい」

「おう」

 どうせクラゲ頭のバカ犬サイトでは、一人で情報収集など出来るわけがない。それを思えば、私が手綱を握って連れ歩くのが正解なのだろう。
 ......口では「やむを得ず」なんて態度を示してみせたが、なんだか、ちょっと嬉しくなってきた。サイトと一緒だからといって、別に気持ちが高揚するはずもないのだが......。これも「正解であるべき選択をした」という自覚のせいか?
 などと、心の中でニヤけていたら。

「おい、ルイズ! 前!」

「え?」

 どんっ!

 通りを曲がったそのとたん、私は一人の男の子と衝突してしまった。
 貴族ではなさそうだが、平民にしては、身なりは悪くない。
 年の頃なら十一、二歳。ゆるくウエイブのかかった、つややかな黒い髪。一瞬、女の子かと見まごうばかりの美少年だが......。

「ごめんよー」

「待った」

 言って走り去ろうとするその襟首を、私はシッカリふん捕まえた。

「許してやれよ、子供なんだから」

「サイト、あんたは口出さないで」

 勘違いしてるサイトに、ピシャリと言う。
 別に私は、貴族として、平民の子供の態度に腹を立てたわけではない。そんな世間知らずのアホ貴族とは違うのだ。

「な......何だよ!?」

 不安な表情を浮かべつつ、子供は私の顔を仰ぎ見る。

「......返してもらいましょうか。たった今、私からすり取った財布を、ね。それとも......」

 ニッコリ笑いながら、私は周囲を見渡した。
 治安を監視するかのように、街角に立つ聖堂騎士たち。彼らに向けたところで、私は視線を固定する。
 男の子の顔色が、まともに変わった。慌てて懐から、金貨の入った袋を取り出し、

「......わ、わかったよ! 返す! 返すから......役人には、つき出さないでくれよ! あんなおかしな連中たちにつき出されるくらいなら、ぶん殴られた方がマシだよ!」

「......おかしな連中......?」

 彼の言葉に、私は思わず眉をひそめた。
 見れば、サイトも私と同じ顔をしている。クラゲ頭ですら、不審に思ったらしい。
 スリの子供が警備の役人を嫌うというのは当然の話だが、だからといって『おかしな連中』は言い過ぎである。

「そうさ! この街の役人連中、近ごろ変なんだ!」

「......ふぅむ......」

 私は、しばし考えて、

「......わかったわ。つき出すのは勘弁してあげる。そのかわり......その話、もうちょっと詳しく聞かせてもらいましょうか」

########################

「変なんだよ、あいつら。以前は、そうでもなかったんだけど......」

 近くにあった、小さなメシ屋。
 ひとけのない店の片隅で、運ばれてきたジュースをすすりつつ、彼は名乗りもせずに話し始めた。

「......ここの王サマ......教皇聖下がいなくなってから、すっかり変になっちゃったんだ」

「教皇聖下がいなくなった......!?」

 突然の重大ニュースに、思わず聞き返す私。
 ロマリアの現在の教皇は、聖エイジス三十二世ことヴィットーリオ・セレヴァレ。二十をいくつか超えたばかりの若さで教皇の座についた人物であり、その評判も悪くはない。

「うん。僕が言うのもなんだけど、教皇聖下は凄い人でさ」

 少年は、ちょっと真剣な表情で、

「ほら、この国って矛盾に満ちた国だろ? パンに事欠く民がいる一方、各地の神官、修道士たちは思うままの生活をしている。信仰が地に落ちたこの世界では、誰もが目先の利益に汲々としている」

 ......なんだ? とてもスリの子供とは思えぬセリフが出てきたぞ!?

「......そんな中で、教皇聖下は頑張ってきたんだ。例えば......」

 いったん言葉を切って、彼は少し遠い目をしながら、

「......主だった各宗派の荘園を取り上げ、大聖堂の直轄地にしたり。それぞれの寺院に救貧院の設置を義務づけ、一定の貧民を受け入れるよう、ふれを出したり。免税の自由市をつくり、安い値段でパンが手に入るよう、差配したり......」

 やたらと詳しく、消えた教皇の政策を列挙していく。
 ......怪しい。怪しいぐらいに詳しい。いくらなんでも詳し過ぎるだろ!?
 私はサイトと顔を見合わせるが、それに気づかないのか、子供は話を続けていた。

「......でも、一番の業績は、大聖堂を解放したことさ! 大聖堂の一階を、他国から来た難民の一時的な滞在所として解放したんだ!」

 いやはや。
 それが本当だとしたら、驚くべき話である。
 大聖堂は、他の国でいうならば王宮に相当する。しかも、ロマリアの象徴とも言える場所だ。そこに難民を受け入れるだなんて、聖堂議会の反撥も強かっただろうに......。 

「......それにさ、そこの子供たちには、教皇聖下みずから文字や算学を教えてたんだよ!」

 キラキラした目で言う少年。
 ......なるほど、怪しいくらいに内部事情に詳しかったのは、そういうことだったのね。
 たぶん、子供には子供同士のつながりがあるのだ。教皇から直接教わっている子供から、色々と聞かされたのであろう。
 それならば、妙に大人びた、子供らしくない言葉で語るのも納得できる。
 なんのことはない、今の話は全て、他人の受け売りなのだ。教皇の身近にいる大人の言葉が、大聖堂で暮らす子供たちへ、そしてその子供たちから、このスリの少年へ......。

「......で? 教皇聖下の偉大さはよくわかったから、そろそろ話を進めてくれないかしら?」

「ああ、うん。その教皇聖下が、少し前から大聖堂にいないんだ」

 私に促されて、ようやく、そこに話を戻す少年。

「......どっかに出かけてるみたいだけど、その隙に、残った連中が好き勝手し始めてさ。大聖堂の解放も終了して、みんな外に追い出されちゃった」

 うーん。
 追放された貧民たちが情報源だとしたら、教皇不在の話も、信憑性があるかもしれない。

「もちろん表向きは、教皇聖下は大聖堂にいることになってるよ。でも今のロマリアを実際に動かしているのは、聖堂騎士隊。特に、アリエステ修道会付き聖堂騎士隊のカルロ隊長......って奴が、一番横暴でさ」

 少年は、周囲に目を配りながら、少し声のトーンを落とした。
 ......当然である。
 ここまで具体的に、騎士隊隊長の名前まで挙げているのだ。街をうろつく聖堂騎士に聞かれたら、どんな目にあうことやら。

「怪しい奴は片っ端から捕えて宗教裁判にかけろ、との命令を受けておる......。それがカルロ隊長の口癖なんだけど、でも、宗教裁判なんて、名前を変えた処刑に過ぎないだろ?」

 同意を求める少年の言葉に、私は頷いた。
 隣に座るサイトはわかっていないようだが、彼は異世界出身だから仕方ないか。だが、ハルケギニアの者にとっては、常識である。

「......しかもさ。最近あいつら、不在の教皇聖下の命令だってことにして、流れもんの傭兵メイジや、かなりの数の兵隊を集めてるんだ」

「......ちょっと!? それって!?」

 思わず私の声のトーンも跳ね上がる。が、それを何とか抑えて。

「......それって、どこかの国と戦争する準備でもはじめてる......ってこと!?」

 このハルケギニアに戦争と無縁の国などないわけだが、歴史を振り返れば、特にロマリア連合皇国は幾多の戦を経て成立した国家である。
 今さら......という気も少しするが、それでも、領土拡大の野望に燃える者が出てきたところでおかしくはない。
 私はそう考えたのだが、目の前の少年は首を横に振る。

「違う。国と国との戦争なら、まだマシだよ。でも、連中がやろうとしてるのは『聖地』の奪還......つまり『聖戦』なんだ」

「『聖戦』!?」

 思わず叫んで......。
 そして私は、絶句した。


(第二章へつづく)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第二章)

「『聖戦』ですって!?」

 やたらとデカい声を上げ、彼女は椅子を蹴立てて立ち上がった。

 ......ざわり......。

 ざわめきと共に、店にいる客たちの視線が一瞬、私たちのテーブルに集中する。

「ちょっと姫さま! そんな大きな声を出さないでください! みんなが注目しちゃってますよ!」

「ですがルイズ! ......『聖戦』ということは......」

「わかってます。それは私もわかってますから、とりあえず座ってください」

 私の説得に姫さまは、渋々ふたたび席につく。
 ......街での情報収集を終えた後。
 一行は宿に集結し、夕食のテーブルを囲みつつ、それぞれの聞き込みの結果を話し合っていた。
 そこで私は、例の男の子から聞いた話を披露したのだが......。
 姫さまの、この反応である。

「......私も聞いたわ。兵やメイジを集めてるのは事実のようね」

 肩をすくめながら、キュルケが横から口を挟んだ。

「誰彼かまわず、見境なしに集めてるみたいよ。やり方が今までの聖堂騎士らしくない......ってことで、街の人も不思議がってたわ」

 こういう場合、キュルケが持ってきた情報は結構アテになる。私たちの中で聞き込みが一番上手いのは、実はキュルケなのだ。
 酒と色気を振りまいて、あれよあれよと言う間に噂を集めてしまうキュルケ......。その能力の一端を、彼女との二人旅の間に私は何度も目にしていた。

「......でも教皇さま不在とか『聖戦』とかって話は聞かなかったわよ? ルイズ、子供から聞いたってことだけど......本当なの?」

「さあ......子供の作り話にしちゃあ、スケールが大き過ぎるような気がするのよ......」

 キュルケに対して、そんな答えを返すしかない私。
 ここでサイトが、フォローに入る。

「ホントか嘘かは別として、その子供がそう言ってたのは事実だぜ。その場にゃ俺もいたし、ハッキリ覚えてる」

「あら、サイトにしては珍しいわね。難しい話をちゃんと覚えてるなんて」

「キュルケ。私の使い魔を馬鹿にしないで」

 私がサイトをからかうのはいいのだが、他人がするのを見ると、ちょっとシャクに障る。私はサイトの御主人様なのだ。
 サイトはサイトで、少し頭をかきながら、

「......ああ。その話を聞いた時さ、『聖戦』って何だろう、って不思議に思ったから......。それで頭に引っかかって、忘れてなかったのさ」

 おい。
 私は思わず、サイトの頭を引っぱたいていた。

「痛っ! 何すんだよ、ルイズ!?」

「何すんだよじゃないわよ! あんたこそ何言ってるの! ......『聖戦』よ、『聖戦』!」

「まあまあ、ルイズ。サイトさんは別の世界から来たのですから、知らなくても仕方がないでしょう?」

 姫さまのとりなしで、私も一応は落ち着いてみせるが......。

「『聖戦』っていうのは、要するに『聖地』を取り返そう、って戦いのことよ」

「......『聖地』?」

 ほら、これだ。
 私は覚えているぞ。出会ったばかりの頃のサイトに『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの説明をする際、降魔戦争やら『聖地』やらに関してもキッチリ話したのだ。
 それなのに、サイトったら! すっかり忘れている......。

「......『聖地』はエルフのいるところ。『聖戦』とはエルフと戦うこと」

 口を挟んだタバサを、私はジト目で睨みつける。
 タバサは私の視線も気にせずに、

「......難しい話をしても彼は覚えきれない。ポイントだけを伝えるべき」

 キュルケもウンウンと頷いて、

「そうね。タバサの言うことには一理あるわね。でも......」

 それから私に笑顔を向ける。

「......サイトのことはルイズに任せましょうよ。サイトはルイズの使い魔なのだから」

「ありがと、キュルケ」

 彼女の言葉を追い風とし、私はあらためてサイトに向き直る。

「サイト。もう一度説明してあげるから、しっかり聞いてね。『聖地』というのは......」

 真剣な表情で、私は語り始めた。

########################

 このハルケギニアでは、始祖ブリミルが神として崇められている。数千年前に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを倒したのは、始祖ブリミルだからである。
 ただし魔王は完全に滅ぼされたわけではなく、始祖ブリミルの体に封印されただけ。ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。人間の中で転生を繰り返すことで、魔王の『魔』が浄化され、魔王の『力』だけが残るという仕組み......。
 そして、千年前。
 封印された魔王の魂の一つが復活した。
 場所は遥か東方、始祖ブリミルがハルケギニアに初めて降り立ったとされる伝説の地......つまり『聖地』。
 この魔王降臨によって始まったのが、いわゆる降魔戦争である。
 戦いの舞台が私たち人間の主要国家からは遠かったせいか、この降魔戦争では、人間という種族はあまり活躍していない。魔族に立ち向かった中心はエルフであり、彼らの頑張りによって、魔王はその地に封印された。しかも、彼らエルフは魔王を大地に繋ぎ止めるため、そこに今も留まっている。
 そんな事情があって、『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』と呼ばれるようになった......。

########################

「......というわけで、魔王を何とかしてくれたのはいいけど、代わりにエルフが『聖地』に居座っちゃってるの。......エルフがどれほど厄介な相手か、サイトだって覚えてるでしょ?」

「エルフ......か」

 私の言葉を受けて、考え込むサイト。
 ......あれ? ちょっとニヤけた表情のようにも見えるのだが......。

「言っとくけど......エルフよ、エルフ! ハーフエルフじゃないわよ」

 一応、クギを刺しておく私。
 どうせサイトは、最近出会ったハーフエルフ――巨乳少女のティファニア――を思い浮かべたに決まっている。

「......前に戦ったビダーシャルってエルフ、強敵だったでしょ? あんなのがゴロゴロいるのよ、『聖地』には!」

 もちろん、全てのハーフエルフがあのティファニアのように穏やかであり、純正のエルフは皆が凶悪......というわけではないであろう。それくらい、私だってわかっている。でもサイト相手に話をする場合は、こうやって物事を単純化したほうがよいのである。
 ......あれ? これじゃタバサの考え方と同じ?

「ああ。名前はともかく......とんでもなく強いエルフが出てきたのは、俺も覚えてる......」
 
 サイトが顔を引き締めた。だが、すぐにまた表情を変える。今度は、なんだか不思議そうに。

「でもよ? そんな恐いところなら、放っておけばいいじゃん。なんでその『聖地』を取り返そうってするわけ?」

「......ロマリアのお坊さんたちなら、こう言うんじゃないかしら? それが我々の『心の拠り所』だからです、って」

 キュルケの言葉には、このロマリアという国への揶揄が含まれていたが、私たちは誰もそれを咎めなかった。
 
「......異人たちに『心の拠り所』を占領されて、我々は自信を喪失した状態にあるのです。万物の霊長である我々が、愚かにも同族で戦いを繰り広げるのだって、簡単に言えば『心の拠り所』を失った状態であるからです......」

 熱心なブリミル教徒、特にその幹部連中がいかにも言いそうなセリフを、キュルケは続けてみせる。
 これが厳かな態度ならば本気で信じているようにも見えるが、陶器のグラス片手に、酒を飲みながらの発言だ。本心じゃないのは明白である。仲間内だからよいようなものの、もしも聖堂騎士に見られたら、いちゃもんを吹っかけられそうな場面であった。

「まぁキュルケの話は大げさだとしても、ロマリアは宗教の国だからね。聖地回復をお題目にして戦争を始めるっていうのは、ある意味、この国らしいことだわ」

 私が言うと、他の者も頷いてみせる。
 ......少なくともこうして旅を共にする仲間たちは、世間知らずのお嬢ちゃんお坊っちゃんではないってことだ。私たちも一応ブリミル教徒ではあるが、旅をして世の中を見てしまえば、始祖ブリミルの教えだけが全てではないとわかってくる。

「......そうか。狂信者ってやつか。怖いなあ、宗教って......」

 しみじみとつぶやくサイト。
 まあ『狂信者』は言い過ぎだが、ロマリアという国がブリミル教でもって結束していることは確かであろう。
 始祖ブリミルの没した地、ロマリア......。
 実は私は、ブリミルがこの街で死んだという話はちょっと眉唾なんじゃないかな......と思っている。ブリミルが最後に戦った相手はエルフだと言われているのだが、ならば数千年前は、この辺りにエルフがうようよしていたのか? それって少し話があわないのでは......?
 まあ、それも現在の『エルフは東方にいます』というイメージからくる想像なわけだが......。

「......エルフと戦うというのもオオゴトですが......それより問題となるのは、その後ですね......」

 ポソッと姫さまの小声。
 これにサイトが反応した。

「......ん? エルフを追い出したら、それで『聖地』奪還できて、めでたしめでたし......なんじゃないの?」

 うん、サイトは気づいていない。
 でも、たぶんサイト以外の全員が気づいている。

「サイト。たった今説明したばかりなのに、もう忘れちゃった? エルフが『聖地』に留まってるのは......なぜ?」

「そこに魔王がいるからだろ? ......あ」

 サイトも理解したらしい。
 そう。
 現在の『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』となっているのだ。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが封印されている場所......。
 おそらく世間の人々の多くは、魔王や魔族なんて伝説に過ぎないと思っているであろう。
 しかし私たちは知っている。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥも、その配下の魔族たちも、現実に存在しているのだ。

「......エルフの次は......魔族と戦うことになるわけか......?」

「断言はできないけどね。その可能性は高いと思うわ」

「もしも封印された魔王まで何とかしなきゃいけないのだとしたら......。エルフとの『聖戦』の先に待っているのは、魔族を相手にした『聖戦』ね」

 私の言葉を補足するかのように、キュルケが言った。
 正直なところ、魔王の封印というものがどのような状態なのか、私たちは知らない。
 地下深くに埋まった古代の遺跡のように無害なのか、あるいは、いつ爆発するかわからない不発弾のように危険なのか。
 そもそも、何もせずとも続く封印なのか、それとも、エルフだからこそ封印し続けていられるものなのか......。

「もしかしたら......最近の魔族の動向も、これと関係しているのでしょうか?」

「......うーん......」

 姫さまの疑問に、明確な答えを返せる者はいなかった。
 思い返してみれば。
 かつて私たちの目の前で『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥと化した男は言っていた。エルフどもの地に封じられた『東の魔王』を解き放ちに行く......と。
 つまり、魔王レベルの力があれば、外から封印を解くことは出来るらしい。ならば今現在、大物魔族が『聖地』に集まって封印を解こうと頑張っている可能性だって......ゼロではない。

「......ともかく......放ってはおけない話ですね......」

 沈みこんだ表情で姫さまが言う。

「そうですね」

 姫さまを元気づける意味で、努めて明るく同意してみせたが。
 心の中で、私は大きくため息をついていた。
 魔族に対抗するスベを見つけに来たはずだったのに......。
 ......どうやら、ますます厄介なことになりそうである......。

########################

 その二日後......。
 私の予感は的中した。

「......『ゼロ』のルイズ......だな?」

 いきなり声をかけられて、私がふと顔を上げれば、そこには、聖具を手にした衛士が二人。純白のマントにも、聖具の紋が縫いつけられている。
 図書館にいたメイジたちの視線が、一斉にこちらに向けられた。

「ちがいます」

 あっさり私は言い放った。
 いきなりこういう状況で、ロクなことがあるはずもない。なんとか相手をかわして、とんずらしたいのであるが......。

「『ゼロ』のルイズ......だな?」

「嘘つきは異端の始まりだぞ」

 いかめしい顔つきの二人。私の『ちがいます』攻撃も全く効いていない。
 ......昨日から私は、この皇国図書館に入り浸って、色々と資料を漁っていた。もちろん重要書類なぞは奥に秘蔵されているので、私が見ることが出来るのは、一般公開されている分だけである。
 街での聞き込みを続けている皆に対しては、最近の国の記録を調べている、と言っておいたが......。実際のところは、古い伝承などの書物を読みあさり、なんとか魔族に対抗しうる手段を探そうとしていたのだ。
 さて。
 ここは皇国図書館だけあって、当然のように、入館の際には名前の記入が必要だった。おそらくは、どこぞの誰かがそこで私の名前を見つけ出し、それで聖堂騎士のお出ましとなったのであろう。

「......そうよ......」

 仕方なく、私はパタンと本を閉じた。
 その音で、隣のサイトが目を覚ます。

「......ん? 今日はもう終わり?」

 目をこすりながら聞いてくるサイト。こいつ使い魔のくせに、御主人様の私が真面目に調べものをしている間、机に突っ伏して居眠りかましていたのである。
 まぁ静かにしてなきゃならない図書館で、下手に大騒ぎされるよりはマシ。そう思って放っておいたのだが、よりにもよって、このタイミングで起きてくるとは......。

「サイト。いいから、あんたは黙ってて」

 私がサイトにクギを刺すのと同時に、聖堂騎士が冷たく言い放つ。

「『ゼロ』のルイズ。いっしょに大聖堂まで来てもらおう」

 ......やっぱり。
 正式な騎士が来たところで、こういう展開になるのは、だいたい予想済み。問題なのは、私を呼んだ理由である。

「......なんで?」

「我々は、ここにいるはずのお前を連れてこい、と命令されただけだ。それ以上のことは知らん」

 私の質問に対して、くそ真面目な口調で答える聖堂騎士。
 もし『言う必要はない』などと言ってきたら、『人前で言えないような用での呼び出しに応じるいわれはない』と返すつもりだったのだが......。
 これでは抵抗する口実もない。だいたい、こちらが理路整然と反撥したところで、異端審問だ宗教裁判だとお上の御威光を振りかざしてきたら、どうしようもないしなぁ。
 ......となればやはり、仕方ない。ここはひとまず、おとなしく......。

「......わかったわ。ついて行くけど、このサイトも一緒よ。こいつ、私の使い魔なんだから」

「使い魔......? この人間が......?」

 二人のうちの一人が顔をしかめるが、もう一人がぶっきらぼうに、

「いいだろう。従者と引き離せとは言われていない」

「あと、いったん宿に立ち寄って、仲間に伝言を残したいの。勝手にいなくなっちゃうと心配するでしょうし」

「それもかまわん。早くしろ」

 こうして。
 ひょんなことから、私達はロマリア大聖堂に乗り込むことになった。

########################

 聖堂騎士が用意した馬車に乗せられて、私達は太い大通りを進む。ちょっとした賓客待遇である。
 そのうちに、通りの向こうに、六本の大きな塔が見えてきた。真ん中に一本の巨大な塔、そしてそれを囲むようにして、五芒星の形に塔が配置されている。

「......あれ? 前にも似たような建物を見たような気が......」

「トリステイン魔法学院ね」

 呑気なサイトのつぶやきに、答えを返す私。
 かつて私達が立ち寄った、トリステインの魔法学院......。あれは、この建築物――宗教国家ロマリアを象徴する大聖堂――をモチーフとして建設されたのだ。
 ただし、似ているのは形だけ。塔の高さはそれぞれ、魔法学院の五割増しほどもある。

「ここが......この国のお城みたいなもんか」

 サイトの独り言は、おそらく、あらためて気を引き締めるためのもの。
 なにしろ、ロマリアの中枢で何らかの陰謀が画策されているのだとしたら、大聖堂は、いわば敵の本陣に相当するのである。

「まあ、そんなようなものね」

 そう言いながら、私はサイトの膝の上に目を向けた。
 今のサイトは、デルフリンガーを背負ってはいない。この街では、武器をそのまま持ち歩くことは許されていないからだ。
 仕方なく宿屋の部屋に置きっぱなしにしていたのだが、手ぶらで『敵の本陣』に突入するのも不用心。そのため今は、長方形の行李に詰めて、膝に抱えている。
 聖堂騎士には「伝言のため」と言っておいたが、実は宿に立ち寄ったのは、これを取ってくるのが本命だったりする。

「......なんだか、ずいぶん仰々しいな」

 馬車の外に視線を戻すと、アプローチに並ぶ衛兵たちの姿が目に入った。
 彼らは白いお仕着せに身を包み、私達の馬車に対して、両手を胸の前で交差させる神官式の礼をとる。ここでは万事が、宗教行事として執り行われるのだ。
 馬車が止まり、ドアが開けられた。
 さあ、いよいよである。

########################

 玄関から大聖堂に入ると、明かり窓にはめ込まれたステンドグラス越しに、陽光が七色の光となって私達を包んだ。

「......綺麗」

 思わず口に出してしまったほどである。
 さらに大聖堂の奥へと進むと、ガランとした空間が広がっていた。
 ......一時的な滞在所として難民たちに解放されていた、といわれる場所。彼らを追放した今、かつての救貧院の面影は全くない。

「......こっちだ」

 二人の聖堂騎士に案内されて、私達は向かって右の廊下を進む。両側に並んだドアには、それぞれ兵士たちが立っていた。
 そうした戸口の一つの前で、聖堂騎士は立ち止まり......。

「『ゼロ』のルイズを連れてまいりました!」

「入れ」

「はっ!」

 応えて、彼らは扉を引き開ける。
 中は、かなりの広さの部屋だった。
 おそらく、会議室か何かなのだろう。部屋の真ん中には大きなテーブルが置かれているが、そこには今、一人の男がついているだけ。
 美男子と形容していい顔立ちの、優しげな男だった。長い黒髪が額の上でわけられ、左右に垂れている。

「あなたが......『ゼロ』のルイズ殿ですか......」

 にこやかな笑みを浮かべつつ、彼は立ち上がった。

「お噂は色々と聞き及んでおります。お会いできて光栄です。......いきなり用件も告げずにお呼び出ししたことは、どうか御容赦ください」

 やたらと友好的な態度であるが、時々クイクイッと顔を持ち上げるのが、随分とキザったらしい。
 キザと言えばジュリオもそうだが、彼も一応、ロマリアの神官。この国には、こんな奴らしかいないのか......?

「アリエステ修道会付き聖堂騎士隊隊長をつとめます、カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティアーノと申します」

「......っなっ......!?」

 思わず私は声を上げてしまった。カルロはポカンとした表情で、

「......私の名が、何か?」

「......あ。いえいえ。昔の知り合いに、似たような名前の者がいまして......」

 慌てて言いわけをする私。
 サイトは無反応だったが、別に腹芸をしているわけでもあるまい。単に覚えてないだけだ。
 でも私は、ちゃんと覚えていた。『アリエステ修道会付き聖堂騎士隊のカルロ隊長』とは、あの少年が『一番横暴な奴』として挙げていた人物なのだ。
 もしかして黒幕じゃないかという疑いすらある奴が、いきなり友好的な態度で出てくるとは......。

「......ところで、ルイズ殿。本日こうしてあなたをお呼びしたのは、ほかでもない。実は、たっての願いがあるのですが......。とりあえず、そこの椅子にでもおかけください」

 私とサイトは、カルロ隊長に勧められるまま、彼と向き合う形で腰を下ろした。
 後ろで扉の閉まる音が聞こえる。
 私たちが座るのを待って、カルロ隊長は話を始めた。

「実は教皇聖下は今、異人から『聖地』を取り返そう、と考えておられます」

 いきなり『聖戦』の話である。

「......『聖地』は、我々にとって『心の拠り所』です。それが異人たちに占領されている......。その状態が民族にとって健康なはずはありません。自信を失った心は、安易な代替品を求めます。くだらない見栄や、多少の土地の取り合いで、我々はどれだけ流さなくてもいい血を流してきたことでしょう」

 おお。
 私は、ちょびっと感激していた。
 ......といっても、カルロの話の内容に対して、ではない。前にキュルケが真似したみせた言葉が、あまりにも的中していたからだ。
 隣を見れば、サイトも私と同じような表情をしている。あの時の会話は、まだサイトも忘れていなかったようだ。
 そんな私達の態度を、カルロは勘違いしたらしい。宗教家として満足げな表情で、言葉を続ける。

「『聖地』を取り返す......。その時こそ、我々は真の自信に目覚めることでしょう。そして、栄光の時代を築くことでしょう。ハルケギニアは初めて『統一』されることでしょう」

 自分で自分の言葉に酔っているようだ。
 カルロは大きく手を広げて、満面の笑みで語っている。が、突然、その表情が暗くなった。

「......しかし御存知のとおり、我らの『聖地』に居座るエルフどもは強敵です。また、伝承によれば、そこには強大な魔族も封じられているとか。エルフや魔族を相手にするとなれば、及び腰になる兵も出てくることでしょう」

 ふむ。
 一応、魔族の存在を信じている口ぶりである。エルフだけでなく魔族と戦うことまで、ちゃんと想定しているわけか......。

「このロマリアには、我ら聖堂騎士をはじめ、強力な魔法を操るメイジはたくさんおりますが......。さすがにエルフや魔族と戦った者は皆無です。そういった敵を相手にどう戦うか、などといったことは、やはり、そういった経験のある人物でないとわからない。......そんな折、皇国図書館の閲覧台帳に、あなたの名が見つかった、というわけです」

 カルロは、真剣なまなざしで私を見つめる。

「噂に聞き及ぶ『ゼロ』のルイズ殿なら、あるいはエルフや魔族などとの戦いの経験もあるのではないか、と思って、お呼びした次第です。......いかがでしょう? そうした経験を我々に御教授願えんでしょうか?」

「......う......うーん......」

 思わず腕を組み、考え込む私。
 ......だいぶ話が違うなぁ......。
 私のするどい予想では、このカルロ隊長は、実はもちろん魔族。いきなり本性現して、高笑いなんぞを交えつつ、魔族の企みをキッチリ説明した後、私とサイトをなめてかかったせいで、こてんぱんにやられる......ということになるはずだったんだが......。
 さすがに、それは虫が良すぎたか。

「......予定と違うわね......」

「何か御予定がおありでしたか?」

 思わず漏らした私のつぶやき。それが耳に入ったらしく、カルロは問い返してくる。

「......へ......? あ、いや、予定というほどじゃないですが......。......えと......今日明日を急ぐ旅ってわけじゃないにしろ、まるっきり無目的ってこともないですから......ここに長居するわけにもいきませんし、仲間たちもいることですし......」

「いえいえ、長々とお引き止めするつもりはありません」

 言ってカルロは両手を振る。

「例えば一週間とか、十日とか......いや二、三日でもかまいません。エルフや魔族というのは実際にはどんなものなのか、どんな戦い方をするのか、といったことをお教え願いたいのです」

「......と......言われても......」

 しばし私は考える。
 このカルロ隊長がもしも魔族か何かで、私を大聖堂に誘い込み、油断させて始末しよう、とか考えているなら......。わざとその罠に引っかかって、敵のシッポをつかむ、という手もある。
 逆に、この隊長が普通の人間で、今彼が言ったとおりのことだけを考えていたとするならば......。私としては、こんなところで延々と講師の真似事をするつもりはない。虚無のメイジだとバレて「戦力として使いたい」とか「『聖戦』に力を貸せ」とか言われるよりはマシであるが、それでも、そんなに私は暇ではないのだ。
 だいたい、カルロはアリエステ修道会付き聖堂騎士隊の隊長のはず。教皇の直属ではない。それがこの大聖堂で大きな顔をしている時点で、何か企んでる悪い奴であろうというのは確実。ここは本来、教皇聖下のお城なのだ。
 ......ともあれ、外にいるみんなに無断で行動を起こすわけにもいくまい。

「とりあえず......街に仲間がいますから、いったんそっちに帰って、みんなと相談してから、ですね」

「それは困ります」

 カルロの言葉に、私は片方の眉をピクッとはね上げる。

「......どうして困るんです?」

「『聖戦』の話は、まだ一般には内密になっているからです」

 落ち着いた口調で答えるカルロ隊長。

「なにしろ相手が相手ですからな。かといって相手を伏せて準備の話だけ噂になっても、他国への戦争準備と誤解されるおそれがある。......無用な混乱を防ぐためには、教皇聖下から直接民衆にお伝えしていただかなければなりませんが、それには時期尚早。もう少し準備が整ってからです」

 ......実際には『聖戦』の話は、すでに外に漏れているわけだが。
 この隊長が、それを知るはずもないか。

「......この件は一切他言無用に願いたいのです。お仲間も秘密を守ってくださるのでしたら、御相談なさるのはかまいません。しかし、それを街の中で、というのは困ります」

 なるほど。
 一応、話のスジは通っている。

「......ですから、お仲間をこちらにお呼びして、ということでいかがですかな? 使いの者を街に出して、あなた方にはその間、こちらでお待ちいただく、ということで」

 こうまで言われては、反対も出来ない。
 そもそもこのカルロ隊長、あの少年から聞いた話では『横暴な奴』ということだったが、この面談においては、なんとも穏やかな人物である。むしろ聖堂騎士のイメージから考えると、穏やか過ぎるくらい......。

「......そういうことなら......まあ......」

 言って頷く私。
 隣でサイトが、たぶん事態の推移を理解せぬまま、私に合わせて頷いていた。

########################

「こちらの部屋でお待ち下さい」

 私達が案内されたのは、少し離れたところにある小さな部屋。
 それほど豪華なつくりではないが、それでも、ちゃんとした客室である。
 部屋の中にはベッドが一つと、中央に黒いテーブルと、椅子が二つ。テーブルの上には水差しがあった。

「お仲間の方々がいらっしゃいましたら、お呼びします。では」

 案内の衛士は、言ってバタンとドアを閉めた。
 やがて足音が遠ざかり......。

「......ふぅ......」

 ため息ひとつ、その後で、私はベッドに横たわる。
 何気なく目をやると、サイトはテーブルに近づき......。

「ああ、喉乾いた。あいつら、水の一杯も出さないんだから......」

「やめなさい」

 水差しに手を伸ばした彼を、私が制止する。 

「一応、ここは敵中だと思ったほうがいいわ。おかしな薬でも混ぜられてたら、困るでしょ」

「......げ」

「それより、念のためデルフも用意しといて」

 ベッドの上で横になったまま、サイトに命じる私。
 なかなか寝心地のいいベッドである。
 サイトは何か言いたそうな目で、それでも行李を開けて、剣を壁に立てかける。

「......ようやく外に出られたぜ」

「すまんな、デルフ。ここは、そういう国みたいで......」

「そのようだな。まったく、祈り屋風情にブリミルの何がわかるっていうんでぇ......」

 サイトと剣の会話を聞いているうちに、なんだか眠くなってきた。
 が......。
 そのままベッドで目をつぶっていると、足音が聞こえてきた。
 ......みんなが来たにしては、いくらなんでも早過ぎる!

「サイト!」

「おう!」

 私はベッドから身を起こし、ドアの方へと目をやった。
 そのすぐ脇で、サイトが剣を構える。
 やがて足音は、私達の部屋の前でピタリと止まり......。

「......くっくっく......これがきさまの最後だ......『ゼロ』のルイズ......」

 ドアの外から聞こえてきた声は、聞き覚えのないものだった。
 そして......。

 ググォガゥン!

 爆風が、私たちのいる部屋を揺るがした!
 壁が砕け散り、砂と埃をまき散らす!
 やがて......爆音の残響が消え去る頃......。
 あたりにはもはや、なんの気配も残ってはいなかった。

「......ぐほっ! げほへっ!」

「大丈夫か、ルイズ?」

 埃にムセて、まともに喋れない。代わりに私は、首をタテに振ってみせた。
 もはや部屋は残骸と化しているが、真ん中に立つ二人は無事である。
 部屋を破壊するほどの一撃が叩き込まれた、その瞬間......。
 エクスプロージョンの呪文を唱えた私は、そのタイミングで杖を振り下ろし、魔法攻撃に対するカウンターとしたのだ。
 ドアの外の奴が悠長に勝利宣言なんぞやっていたおかげで、それなりの長さの呪文を唱えられたのである。

「やっぱり罠だったんだな」

「......そうね」

 煙も少しは晴れてきて、私も普通に話せるようになった。
 見れば、今の一撃で、外への壁も穴があいている。
 私の視線を追って、サイトも頷いた。
 壁に開いた大穴を抜け、外の庭へと踏み出す私たち。
 
「おっ、助けが来たぞ!」

 サイトが指さす方向には、こちらに向かって走る衛士たち。
 ......まったくサイトったら、単純なんだから!

「何言ってんの! ここの偉いさんが悪い奴なら、配下の兵士たちも今は敵よ!?」

 彼ら自身のこころざしが善か悪か、それはわからない。しかし命令系統の上の方を敵に押さえられているなら、下級の兵士の意志なんぞ関係ないのだ。
 だから彼らにつかまるわけにはいかない。かといって、事情も知らぬであろうタダの衛士たちを、問答無用でやっつけるというわけにもいかない。
 となれば......。

「逃げるわよ!」

 私が叫んだ瞬間。

「......まだ生きておったか!?」

 憎悪の声は、上の方から聞こえてきた。
 サイトと揃って振り仰げば、宙空に浮かぶ人影ひとつ。
 ......むろん人であるはずはない。
 大きさや基本フォルムは人と同じだが、炭のように黒い全身は、有り得ない角度で捻くり曲がっていた。顔だけは真っ白で、両目は大きく見開かれ、左右の頬には血の色をした筋が二本ずつ。

「魔族かよ! これがさっきの隊長の正体か!?」

「たぶん違うわ! 声が違うもん! きっとカルロの手下の一人ね!」

 頭上にいる魔族の発する声は、今さっき部屋を攻撃した奴と同じ。カルロ隊長のものとは別だった。
 私とサイトの勝手な決めつけは無視して、魔族は私たちの恐怖を煽る。

「今度こそ、手加減はせんっ! 死ねぃっ!」

 魔族の周りを取り巻いて、無数の蒼白い光球が出現。それが四方八方に降り注いだ!

「うわわわわわわわっ!」

 慌てて駆け出す私。
 背後に光の球が炸裂する。

 ゴゥン!

 一撃目は、なんとかかわした。
 そのまま私はダッシュをかけて、大聖堂の玄関の方へと向かう。
 サイトはさすがのスピードで私に並走し、かつ、剣を構えて光球に備えている。

「逃がすかぁっ!」

 魔族は立て続けに光球を放つ!
 それは地面を抉り、大聖堂の壁をぶち壊し、無関係な衛士たちをも吹き飛ばす!
 ......魔族の攻撃は、見境がない。聖堂騎士たちも、これを放っておくことは出来ず、杖を掲げて頑張っていた。 
 おお、凄い。聖堂騎士たちの聖杖の先から炎の竜巻が伸び、幾重にも絡み合い、巨大な竜の形をとっているぞ。

「なんだありゃ」

「賛美歌詠唱......。聖堂騎士が得意とする呪文よ。私も見るのは初めてだわ」

 唱和する聖歌隊のように、一斉に呪文を唱える合体魔法。理屈は違うが、以前に姫さまがウェールズ王子と共同でやってみせたヘクサゴン・スペルと似たようなものである。
 ......なんて悠長に説明している場合ではなかった。

「逃がさんと言ったはずだ!」

 聖堂騎士たちの攻撃なぞ、まるで気にしていない。魔族はしつこく、私たちを追ってくる。
 私もサイトも足は止めず、もう大聖堂の敷地の外――つまり街の中――まで来ているのだが......。
 魔族の周りには、先ほどにも増した数の光球が生み出されている。
 ......まさかっ!?

「やめなさい!」

 思わず足を止め、私は声を上げた。
 が......。
 私の声が届いたのか、届かなかったのか。
 いずれにしても。
 魔族の放った光球は、次の瞬間、宗教都市ロマリアを炎の海と変えていた。


(第三章へつづく)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第三章)

 街は炎に包まれていた。
 燃え盛る炎。逃げ惑う人々。
 悲鳴が渦巻き、炎がはぜる。

「......なんて......ことを......」

 虚空の一点を見据えて、私はポツリとつぶやいた。
 炎と黒煙に隠されて今は見えないが、そこには、あの魔族がいるはず。
 あろうことか、奴はほとんど見境なしに、辺りを攻撃し始めたのだ。
 私を倒す......ただそれだけのために、である。
 またもやあいつが『力』を放ったのか、どこかで爆音が聞こえた。
 辺りを破壊して私の逃げ場をなくすつもりか、はたまた、こういう『力』の使い方しか出来ない奴なのか......。

「ひでえ......」

 首都ロマリアの惨状に、サイトも嘆きの言葉を漏らしている。
 ここロマリアを『聖なる国』、『光の国』だと信じて、ハルケギニア中からやってきた敬虔な信者たち。しかし食べるものにも着るものにも事欠き、貧民窟のような暮らしを強いられて、その挙げ句に、わけのわからぬ攻撃に巻き込まれて死ぬ......。
 これでは、あんまりである。

「相棒! 娘っ子! ボーッと突っ立ってちゃぁいけねぇだろ!」

 剣に言われるまでもなかった。
 このまま宗教都市ロマリアを壊させるわけにはいかない。
 人間相手には無類の強さを誇る聖堂騎士たちも、魔族相手では歯が立たないらしい。
 残された手段は、ただ一つ......。

「サイト。私たちが囮になって、奴を街の外へ、おびき出すわよ!」

「ルイズ!? そりゃ危険だ! ルイズ一人をそんな危険な目に......」

「......あんたも一緒よ。言ったでしょ、囮になるのは『私たち』」

「......へ?」

 高速飛行の魔法も使えぬ私では、ノコノコ顔を出した時点で魔族の攻撃の的になるだけ。
 しかし、地面の上を走って敵を街の外まで引っ張り出す、というのも普通ならば無理な相談。そう、『普通ならば』......。

「私一人が走るより、サイトが私を背負って走る方が速いはずよね? だってサイトは私の使い魔、伝説のガンダールヴなんだもん!」

「......そういう作戦か。それはそれで、かなり無茶な気がするけど......」

「無茶でもなんでも、他にテがないから仕方ないの! さ、行くわよ!」

 サイトの背中に飛び乗り、両腕でギュッとしがみつく。

「いい? 私が魔法を放って注意を引きつけるから、そうしたら走り出して!」

 右手で杖を振って左手だけでサイトに掴まる......なんて芸当は、たぶん無理。それでは走る途中で振り落とされる。魔法を使えるのは、動き出す前だけであろう。

「......わかった。俺は準備OKだ」

 左手のルーンを強く光らせるサイト。
 それを見て、私も空へ向けて爆発魔法を放った。
 ......こちらに向かって、一体の魔族が降りてくる。
 さあ、サイト号のスタートである!

########################

 速い、速い。
 これがガンダールヴのスピードか。
 私が重荷になっている分、全速力ではないはずだが......。
 それでも十分。
 私の使い魔サイトは、乗り物としても優秀である。これだったら、日頃の移動手段として考えてみるのもいいかも。
 ......などと呑気な感想を抱いている場合ではなかった。一匹の魔族が、執拗に追いかけてくるのだ!

「ちょっと!? さっきの奴と違うじゃない!」

 後ろから迫り来るのは、水死体の色をした肌で、顔の真ん中に巨大な一つ目だけを持つ魔族。
 ......一匹だけではなかったのか!? さては、はさみうちにするつもり!?

「サイト! 来た!」

「おう!」

 魔族が放った黒い衝撃波を、私の掛け声だけでかわすサイト。
 サイトが前、私が後ろの担当。今の私たちは、二人で一つになっているのをいいことに、前後両方の視界を確保しているのだ。
 といっても、余裕は全然ない。

「うわっ! 今度は正面から!」

 何か叫びながら、急激に方向転換するサイト。
 ......危なく振り落とされるところだった。ちょっと焦ったぞ。
 後部レーダーの役割は放棄できないので、私は後ろを向いたままで尋ねる。

「さっきの奴?」

「違う! また別の奴だ!」

 ......どうやら二匹どころではないらしい。魔族は、次から次へと出てくるようだ。

「やべっ! 囲まれた!」

 叫んで突然立ち止まるサイト。
 おい!?
 さすがに私も前方へ目をやったが......。

「ええっ!?」

 いつのまにかグルリと、何匹もの魔族が私たちを包囲していた。
 ......こりゃいかん。
 私はサイトの背中から降りて、杖を構える。
 まだ街中なので、強力な魔法を撃つわけにはいかないが......。
 不利を承知で、ここでのバトルを決意する私。
 だが、次の瞬間。

 ゴッ!

 目の前の一匹が砕け散る。
 いや、一匹だけではない。

 ボッ! ジュッ! ドワッ......。

 次々と塵になる魔族たち。

「......なんだ!? 何が起こってる!?」

 サイトも戸惑っているようだが......。
 私は気づいていた。それぞれの魔族が滅びる直前、一瞬だけ、そのすぐ横に別の影が出現している......ということに。

「ジュリオね......」

 私は思わず、その名前を口に出してしまった。
 それを聞いて、もう隠れている意味もないと思ったのか。周囲の魔族を全滅させたところで、彼はハッキリと姿を現した。

「......いやあ、すっかり遅くなってしまったよ」

「わっ!? お前、どっから現れた!?」

 ややコミカルにも見えるくらい、大げさに驚くサイト。
 熱気うずまく街の大通りではあるが、とりあえず魔族たちを一掃したので、少しは気楽になった。
 街の人々も、逃げられる者は既に全員逃げたらしく、近くに人の気配はない。
 とはいえ、ジュリオの正体やら魂胆やら、ここで長々と事情説明している場合ではない。

「サイト。詳しいことは後で話してあげるから、とりあえず今は黙ってて」

「......あ、うん。わかった」

 そんな私たちを見て、ジュリオは笑顔を浮かべつつ、

「どうやら、いつかの村での襲撃は、僕を君たちと引き離すための策だったみたいだね。......けどまさか、ラルタークさん自ら囮役をやるなんて、思ってもみなかったよ。ハハハ......」

「笑ってる場合じゃないでしょ。......とにかく、この火事を何とかするか、ここから離れるかしないと。こんなところにずっと立ってたら、私たちまで火に巻かれちゃう」

「うん、それは同意だ」

 言って歩き出すジュリオ。
 私とサイトも後に続く。

「......それで、ラルタークは倒したの?」

「いや、それが......」

 炎でオレンジ色に染まった街の中、相変わらずの美少年な顔に苦笑を浮かべ、

「途中でアッサリまかれちゃってね......。この僕としたことが、大失敗だよ」

 ここで、ジュリオの表情が微妙に変わった。やや皮肉を帯びた笑みのようだが......?

「しかしまさか、ロマリアの首都にまで連中が入り込んでいたとは......。大胆な話だねぇ」

「そんな他人事みたいに......」

 私がジト目でつぶやいた時。
 サイトがチョンチョンと私を突ついてきた。

「なあ、ルイズ」

「......何よ? 黙ってて、って言ったでしょ?」

「でもよ、あれ......」

 サイトが指さしたのは、通りの向こう側。
 道の端に、一人の男の子が倒れていた。
 焼け落ちた瓦礫にでも当たったのか、赤い染みが広がっている。
 ......見覚えのある顔だった。
 年の頃なら十一、二歳。ゆるくウエイブのかかった黒い髪。
 そう。私たちに街のことを教えてくれた、あの男の子である。

「ちょっと!? 大丈夫!?」

 思わず駆け寄り、手を伸ばし......。

「......あ......」

 私は小さく息を吐いた。
 男の子の体は、既に冷たくなっていた。
 立ち上がった私と入れ替わるように、近づいてきたジュリオが、彼の上にしゃがみ込み......。

「......死んでるね」

「わかってるわよ!」

 どうしようもないやるせなさに、私は荒い声で言った。
 いつのまにかすぐ後ろにいたサイトが、私の左肩に優しく手を置く。
 だが、彼の慰めに甘えていられる場合ではない。気持ちを強く保つため、私は奥歯を強く噛みしめた。
 ......なんとか......なんとか、こんなことを止めなくちゃ......。
 私は左肩に右手を伸ばして、置かれているサイトの手に重ねた。ギュッと握ると、私の決意が伝わったのか、サイトが問いかけてくる。

「......どうするんだ、これから?」

「これ以上、首都ロマリアに留まるのは賛成できないね」

 ジュリオも意見を述べるが、彼は平然とした口調。まるでたいしたことなど起こっていないかのように、右手の指で髪を巻いている。

「わかってるわ」

 先ほどよりトーンを落として、しかし同じ言葉を返した。
 ......これ以上ここにいれば、とばっちりは広がるばかり。となれば、やるべきことは決まっている。

「とりあえず......みんなを探す......」

 私は言った。押し殺した声で。
 
「それから、すぐにでも、ロマリアを離れる......」

「でも、この混乱の中じゃ......簡単に見つからねえぞ?」

 サイトの言葉に頷きながら、私はキッパリと言った。

「......その場合は......私たちだけで行きましょう。......『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとへ......」

########################

 ジャッ!
 
 風と炎を切り裂いて、一条の光が私たちに向かって飛来した。

「くっ!?」

 慌てて身をかわしたすぐそばを、魔力の光が過ぎてゆく。
 同時に、炎の壁を裂き、躍り出て来る一匹の魔族!
 しかし。

 ゾブッ!

 姿を現すとほとんど同時に、頭を微塵に砕かれ消える。
 やったのはジュリオ。どうやったのかは判らない。

「......今ので何匹目だ?」

「さあ? 十は軽く越えてるはずだけど......途中から数えてないわ」

 サイトも私も、それぞれ剣と杖を構えているのだが、それを振るう機会は皆無である。
 ......私とサイトとジュリオの三人は今、姫さまたちの姿を求め、ロマリアの街中をあてもなくさまよい歩いていた。
 しかし仲間を見つけるより先に、魔族連中がどこからともなく、あとからあとから出てくるわ出てくるわ。
 まさか皇国の首都に、これだけの数の魔族が潜んでいようとは......。
 出てきた魔族たちは、今まで戦ったヴィゼアやらデュグルドやらと同レベルなのだろうが、もう単なるザコにしか見えない。なにしろ皆ことごとく、ジュリオに瞬殺されているのだ。

「あいつ......すげぇなぁ......。味方でよかったぜ......」

「サイト、勘違いしないで。ジュリオは味方じゃないわよ。今は敵じゃないけど......」

 小声で言葉を交わしながら、私とサイトは、ジュリオについていくだけ。
 やがて、なおもしばらく進むうち......。
 やおらジュリオが立ち止まり、フゥワリと私をマントで包み込む。

「......おい!?」

 叫ぶサイト。
 危なく彼だけ仲間はずれになるところだったが、急いで手を引っ張ったので、なんとか間に合った。
 ジュリオのマントの中で、サイトと身をよせ合っていると......。

 ぐごごごごぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

 すさまじい爆光の連打!
 高熱のせいか爆圧か、周囲の建物の壁は塵と消え、大地が赤く煮えたぎる。
 しかしジュリオの防御のおかげで、私やサイトには、ほとんど熱気も伝わってこない。
 やがて、爆光の収まった後。
 熱気が生み出す陽炎の向こうから、ゆっくり近づく人影ひとつ。
 
「......台無しにしてくれたな......」

 怒りに満ちたその声は、確かに聞き覚えのあるものだった。
 そして、見まごうはずもない、聖堂騎士の聖杖とマント。キザな仕草が似合う綺麗で優しげな顔立ちも、今は憎悪に歪んでいる。
 ......アリエステ修道会付き聖堂騎士隊隊長......カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティアーノ......。
 だが、配下の聖堂騎士たちは連れていない。そもそも、まともな聖堂騎士たちは今頃、街をなんとかしようと奔走しているはず。それなのに、こうして怒りの瞳をジュリオに向けているということは......。

「......おやおや。カルロ殿、しばらく見ないうちに......魔族とすり替わっていたのですね」

「その言葉、きさまにそのまま返す」

「これは心外ですね。僕は最初から僕ですよ。あなたのように、実在の人間を殺して姿と名を騙るような真似はしていない」

「......そうか......気づかなかった私が愚かだったというのか......」

 カルロの殺気が膨れ上がる。
 私とサイトは、慌てて後ろにさがった。こんな連中の戦いの余波でも食らったら、それこそ一巻の終わりである。

「がぁっ!」

 カルロが一声吠えると同時に、手にした聖杖が紫色に輝き、異様な形の剣へとその姿を変えた。
 メイジが使う『ブレイド』とは違う。あれに杖そのものを変える能力はない。
 これは魔族としての『力』を杖に同化させ、魔剣と化したのだ。もう聖堂騎士のフリをする気もなくしたか!?

「はっ!」

 ジュリオに向かって、掌から黒いエネルギー塊を放つカルロ。すぐその後を追うように、自らジュリオ目がけて突っ込んでゆく。 
 しかしジュリオは避けない。エネルギー塊は、まともに彼を直撃した!

 ゴグォゥッ!

「危ねぇっ!」

「わっ!?」

 身を伏せようとした私の上から、かばうかのようにサイトがのしかかる。
 二人して地面に倒れ込む形になったが、ついさっきまで私たちの頭があった辺りを、余波の爆光と瘴気の渦が過ぎてゆく。

「......あいつは?」

「たぶん大丈夫でしょ......」

 確認もせず、サイトに答える私。
 ジュリオが避けなかったのは、今の一撃を耐えきる自信があったからだ。
 彼の態度を見れば、それくらいカルロにも明白だったらしい。まだ爆光も消えやらぬ真っただ中に、魔剣を振りかぶり、自ら躍り込む!

「滅びるがいい!」

 キンッ!

 カルロの声と鋭い音とは、ほとんど同時に聞こえた。
 やがて、爆煙の中から現れた光景は......。

「......な......!?」

 半ば茫然と、小さく驚きの声を漏らすカルロ。
 右手の剣は、半分に折れていた。
 一方、ジュリオには傷さえついていない。おそらく、カルロの魔剣がその身に突き刺さる直前、何らかの方法で逆に魔剣をへし折ったのだ。

「......まだ気づかないようだね。カルロ殿......いや、竜将軍ラーシャートさん」

 ゼロスの顔には、笑みすら浮かんでいた。
 どうやら『ラーシャート』というのが、『カルロ』の本名らしい。だがジュリオの話し方は、『ラーシャート』という名前よりも、むしろ『竜将軍』という肩書きを強調するかのような抑揚だった。
 これを聞いて、ラーシャート=カルロの表情が変わる。

「まさか......きさま......獣神官なのか? ......獣神官ゼロス......! ......ラルターク殿が『手を出すな』と言っていた......」

「ご名答」

 ジュリオの肯定と同時に。

「っぐあぁぁぁぁぁっ!?」

 ラーシャート=カルロの悲鳴が、辺り一帯に響き渡った。
 何もない空間から突然出現した黒い錐のようなもの――人の身長ほどもある――が、ラーシャート=カルロの腹を貫いたのだ!

「教えてあげようじゃないか。ラルタークさんが、僕には手を出すな、と言った理由はね......」

 ぞむっ!

「ぐがぁぁぁぁぁぁっ!」

 二本目の黒い錐が、今度は胸を貫く。

「魔竜王(カオスドラゴン)は、自らの手足となるべき神官と将軍を一人ずつ創造したけど......獣王(グレーター・ビースト)様は、獣神官の僕一人をつくったのみ......」

 淡々とした口調でジュリオは語る。

「......つまり......竜将軍のあなたと竜神官のラルタークさん二人分の力が、僕一人にはあるってことさ......」

 そして三本目の黒い錐が、ラーシャート=カルロの体を貫いた。

「なあ、ルイズ。これって......」

「......そうみたいね」

 私とサイトが同時に、ジュリオの振るう力の正体に気がついた。 
 この『黒い錐』こそが、ジュリオの能力。相手に触れることもなく目標を砕いた力だったのだ。
 空間を超えて『黒い錐』を出現させ......そしておそらく、それが相手の体の中に潜り込んだ時点で、その力を解放する......。
 ......いや、あるいは......。
 この『黒い錐』の方こそが、精神世界面に身を置いた、ジュリオの本体なのかもしれない!?

「ルイズ......寒いのか? こんな燃える街の中で......」

「そんなわけないでしょ。......なんでもないわ」

 サイトも気づいたように、私の全身に鳥肌が立っていた。
 さっきもサイトに言ったが、ジュリオは味方ではない。今は一応味方についているとはいえ、いずれ、敵となる時が来る。
 ......その時......倒せるだろうか!? こんな奴を!?
 黒い錐でラーシャート=カルロの体を貫いたジュリオは、やがてニッコリ微笑むと、

「いやぁ。本物のカルロ殿の仇......とは言いたくないけど、邪魔者は力尽くで排除しないといけないからねぇ。おとなしく魔竜王(カオスドラゴン)と一緒に隠れていれば、こんな目にもあわなかったのに......」

 いつもと変わらず、蕩けるような笑顔を作り......。

「何!?」

 その瞬間。
 後ろでいきなりした声は、聞き覚えのあるものだった。
 ......っなっ......。
 その声に恐る恐る振り向けば、そこには......。
 姫さまとタバサ、ついでにキュルケとフレイム!
 ......しまった! ジュリオに気をとられていて、みんなの気配に気づかなかった!
 目の前に展開している異様な光景に、思わず声を上げたのは、いつもは一番口数の少ないタバサであった。
 それに応じて。

「おやおや。妖精さんたちの御登場だね」

 ジュリオの注意が、一瞬、逸れて......。
 次に私が彼の方に目を戻した時、そこにラーシャート=カルロの姿はなく、ただ虚空に黒い錐が残るのみ。

「......逃げられちゃったね。あの一瞬のスキを捕えるとは......ま、さすがは竜将軍、といったところかな」

 たいして気にもしていない口調でつぶやいて、ジュリオは小さく肩をすくめる。
 同時に、宙を貫いて現れていた黒い錐も、スウッと風に溶け消えた。

「何よ、今の......!?」

「......ジュリオ。あなた一体......何者!?」

 キュルケとタバサが問いかけ、

「......まさか......魔族なのですか!?」

 かわいた声で、姫さまが小さくつぶやいた。
 ......ま、今のが普通の人間に出来るような芸当じゃないことくらい、メイジなら誰でもわかるわな......。
 ジュリオは何も言わぬまま、私とサイトにチラリと視線を送る。
 私たちに任せる......か。
 
「え? 俺?」

「......そんなわけないでしょ、サイト。あんたに説明役は無理だわ」

 フゥッと小さくため息をついてから、私は姫さまたちに向き直った。

「......私の知ってることは全部話します......。けど今は、とりあえず......この街を離れましょう......」

########################

「......面白くないわね......」

 キュルケが不機嫌そうな態度を見せる。
 宗教都市ロマリアをあとにして、ジュリオを含む私たち六人と一匹は、街から離れた山の麓で見つけた、猟師小屋に身をひそめていた。
 そこで私は、ポツリポツリと、これまでのことを説明したのだ。
 ......いつ、ジュリオが魔族だとはっきり知ったか。彼が何故か、私を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとに連れて行きたがっていること。
 そして、ロマリア大聖堂でのこと。聖堂騎士隊隊長カルロは実は魔族で、私たちを一室に閉じ込めてから殺そうとしたこと。手段を選ばず攻撃を仕掛けてきた『連中』に追いつめられた時、ジュリオが助けに入ってきたこと......。
 姫さまたち四人は、ただ黙って私の話に耳を傾けて、そして。
 私が沈黙した後、キュルケが先ほどの言葉を口にしたのだった。

「......では......ほとんど最初から知っていたのですね......」

 つぶやく姫さまの声も重い。......姫さま、隠し事されるの嫌がるからなあ。

「......ごめんなさい。最初はハッキリと、じゃなくて、うすうす気づいていた、というレベルだったのですが......」

「それを黙っているなんて......やはり水臭いじゃないの......」

 キュルケも姫さまと同じ気持ちということだ。
 タバサは何も言わず、表情にも出さないが......。まぁ、いい気はしていないだろう。

「......それで......」

 姫さまは、視線を私からジュリオへと移し、

「あなたは一体、何をたくらんでいるのですか?」

 問われて、小屋の隅に座ったジュリオは、いつもと全く変わらぬ調子で、

「それは......秘密だよ」

「......あなた、いつもそんなこと言ってるけど......ひょっとして、あたしたちのこと馬鹿にしてない?」

 これまでの積み重ねもあって気に障ったのか、キュルケが怖い顔で立ち上がった。

「やめてっ!」

 慌てて止めに入る私。
 こんなところで不満を爆発されても困る。

「私だって、わけもわからずジュリオに踊らされるのは、はらわたが煮えくり返るくらいだけど......」

「おやおや。そこまで言うことはないだろう?」

 ジュリオのチャチャは無視して、私はキュルケを宥める言葉を続ける。

「......ジュリオは......強いわ。たぶん、ここにいる誰よりも......」

「そうだな。その点は、俺もルイズに賛成だ」

 私をサポートするかのように、サイトまで口を挟んだ。
 キュルケは、しばし無言のまま、ジュリオをジッと睨んでいたが......。

「......」

 何も言わずに、再びその場に腰を下ろした。

「......それで......」

 静かな口調で姫さまが問う。

「これからどうするつもりなのですか、ルイズ? ......魔族の力に屈服するというのですか......?」

「......とりあえずは......『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のもとへ行きましょう。......たしかに、魔族のジュリオに従う形になりますが、『だから行かない』なんて言ったところで、私を狙ってる奴らが手を引いてくれるわけはないでしょうし......。どうせ、そっちも魔族なわけですから」

「......そうですね」

 姫さまも沈黙する。少し考え込んでから、ジュリオのもとへと歩み寄り、

「秘密、秘密と......はぐらかすばかりでなく、少しは詳しい事情を教えてもらえませんか?」

 すがるような視線で、真っすぐにジュリオを見つめた。
 ......こうして見ていると思う。やっぱり姫さまは、私に負けず劣らずの美少女である。
 ゲルマニア貴族のキュルケとは違う、高貴な色香が漂っていた。私の隣で、はたから見ているだけのサイトが、ハッと息を呑むくらいだ。

「......そうは言われてもねぇ......」

 答えを渋るジュリオに、姫さまは、顔が触れんばかりに近づいて......。
 彼の耳元で、何か囁き始めた。
 ......え? ジュリオに対して、色仕掛け!?
 一瞬そう思ってしまったが、それは大きな勘違い。
 むしろジュリオは顔をしかめて、大きく身をのけ反らせている。

「......どうですか? 生きとし生けるものたちの負の感情を糧として生きるあなたがた魔族には、生の讃歌は辛いでしょう?」

 ニッコリと笑ってみせる姫さま。
 ......なるほど、そういうテがあったか。でも、耳元でゴチャゴチャそんなもん囁かれたら、魔族じゃなくてもツラいかも......。

「......で......ですからっ! 僕は我が主人から詳しいことは聞かされてないんだよっ!」

「......聞かされてない......?」

 慌てるジュリオに、胡散臭そうにジト目を向ける姫さま。

「本当です! ......獣王(グレーター・ビースト)様は僕一人を創造されましたが、冥王(ヘルマスター)様、海王(ディープシー)様、覇王(ダイナスト)様、魔竜王(カオスドラゴン)の四人は、それぞれ複数の神官や将軍をつくり出しています。だから......」

 よほど姫さまの攻撃がヤだったのか。
 ジュリオは言いわけがましく、何やら長ったらしい説明を始めた。

「......僕の主人のメイジだって、冥王(ヘルマスター)様として覚醒した時点で、その手足となる冥神官を動員するのが普通なのです。僕は獣神官なのだから、使い魔として拘束するのではなく、獣王(グレーター・ビースト)様のところへ返していただくのがスジなのに......」

 ちょっと待て。
 獣王(グレーター・ビースト)のところへ返す、って......。それってメイジと使い魔の関係としては普通じゃないのだが......魔族の常識は、私たちのものとは違うのか!?
 ......まぁタバサの使い魔のような例もあるから、私たちが思っているほど『使い魔と主人は一心同体』ではないのかもしれないが......。
 あ。
 かくいう私も、かつては、使い魔サイトを元の世界に帰そう......とか言ってたんだっけ。最近いろいろあって、ケロッと忘れていた。

「......実は、千年前の降魔戦争で、冥神官たちは全滅しちゃっててね。冥王(ヘルマスター)様は、僕を手放すに手放せない状態なのです。はっはっは」

「......あの? 話が見えないのですが......」

 姫さまが言葉を挟んだ。
 うん、ジュリオの話は脱線し過ぎである。
 ジュリオも気づいたようで、小さく手を振りながら、

「......そういうわけで、僕と冥王(ヘルマスター)様は、少し微妙な関係なのですよ。......そのせいか、あれをしろこれをしろと具体的な指示はくださるのですが、大きな作戦の終局的な目標とかは、話していただけないのです」

「......なるほど。知らなきゃ話しようがねぇな......」

 あっさり信じるサイト。
 一方、姫さまは疑いの目を隠そうともせずに、私に問いかける。

「どう思います? 今の話?」

「......素直には信じられません」

 私は、ちゃんと覚えていた。
 以前にジュリオは口をすべらせて、『......まあ彼も、覚醒前と後とでは、方針が正反対になったりしてるが......』と言っていたのだ。
 冥王(ヘルマスター)の意図を知らぬわけがない。

「......ですが、今これ以上の話を引き出すのも難しいでしょうね。今の話でも色々とわかったから、それで良しとしておきましょう」

「色々とわかった......って、何がです?」

 おうむ返しに尋ねる姫さま。

「つまり......どういうわけか、魔族の中から魔竜王(カオスドラゴン)だけが離反して、そいつが私を狙ってる......ということです」

「......な......!? なんでそこまで話が飛ぶんだいっ!?」

 ジュリオが思わず声を上げた。自分の発言の意味に、気づいていないらしい。
 タバサは無表情のままウンウンと頷いているので、どうやら私と同じ推理に至ったようだ。
 ......が、彼女が進んで解説役をするわけもないので。

「あんたが魔竜王(カオスドラゴン)にだけ、『様』をつけなかったからよ」

「......」

 あっさり言い放つ私に、ジュリオは言葉を失った。

「......まあ、その中で私がどういう位置にいるか、までは判らないけどね。......魔竜王(カオスドラゴン)が何をもくろんでいるか、によっても話は違ってくるし......」

 魔竜王(カオスドラゴン)が、単に魔族と敵対する立場にあるだけなのか、あるいは魔族より始末におえないことをたくらんでいるのか、はたまた、人間にとってもプラスとなることを考えているのか......。

「......何にしても、真実を見極めるには、ついて行くしかないですわね」

 苦笑を浮かべ、ポツリと姫さまがつぶやいた。
 他の者も頷いている。
 そんな中。

「......で? その『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のありかは、どこなの?」

 あらためてジュリオに尋ねるキュルケ。
 ......そうだ。
 肝心の目的地、まだ私も具体的に教えてもらっていなかった。ロマリアの北だと言われていたが......。

「......地理的には、ガリアとロマリアの国境に位置するかな......」

 淡々とした口調で答え始めるジュリオ。
 ......ガリアとロマリアの国境? それって、まさか......。

「東西に延びてハルケギニアを分断する山脈......『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』。そこに『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』があるのさ......」


(第四章へつづく)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第四章)

 火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)。
 六千メイル級の山々が連なる、巨大な山脈であるが......。
 赤く焼けた溶岩流がいたるところで噴出し、雨は水蒸気へと変わり、山脈全体が蒸し風呂状態になっているという。
 その名のとおり『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』には、たくさんの火竜が生息している。竜族の中でも乱暴者で知られる火竜であるが、なぜか彼らは、一匹の風韻竜によって管理されていた。
 過酷な環境ではあるが、人間が全く足を踏み入れない......というわけでもない。絶滅したと思われている伝説の韻竜が、そのような場所を何故わざわざ管理しているのか。考えてみれば不思議な話なのだが......。
 その答えこそが、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の存在だったのだ。

「タバサが一緒だから、話は簡単ね」

 気楽につぶやくキュルケ。
 タバサは彼女の方に首を向けたものの、特に何も口に出さない。

「......」

 私たち一行は、大きな街道すじを避け、一路『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』へと向かっていた。
 ジュリオに先頭を行かせ、少し離れて、私たちは寄り添いながら歩いている。今通っている名もない森を抜ければ、そこが『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の麓である。
 このコースで『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』を目指す者は多くないらしく、かろうじて歩ける獣道が一本あるばかり。

「......ねえ、タバサ」

 伸びた枝葉と草とをかき分け、道を行きながら私は問う。

「『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』って、タバサの使い魔が管理人してるのよね? シルフィード......だっけ?」

 タバサは小さく頷く。ただし、まだ無言のまま。
 キュルケよりは具体的に話しかけたつもりだったのだが......。

「ああ、その『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』か! どうりで、どっかで聞いたような言葉だと思ったぜ」

 私の隣で、サイトがポンと手を叩く。
 ......こいつ、今頃理解したのか。まあ、思い出しただけマシという気もするけど。

「......それなら、タバサの使い魔を呼んだらいいんじゃないの? ワザワザこんな歩きにくい森を行くこともねえだろ。あの竜に乗せてってもらおうぜ」

「さすがに数が多過ぎるでしょ」

 呆れた口調で言う私。
 確かに、以前、敵に囲まれた私たちはシルフィードの背に乗って脱出したことがあった。だが、あの時は緊急時で、しかも短距離。今とは少し状況が違う。
 まぁ乗る乗らないのは別として、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』管理人が迎えに来てくれれば、ガイド役としては優秀なはずだが。

「......呼んだ。でも、まだ来ない」

 ポツリとつぶやくタバサ。
 どうやら一応、呼び出そうとはしているらしい。
 ......また遅刻なのか。御主人様の呼び出しに応じないとは、とんでもない使い魔である。
 だが、相手は伝説の韻竜。私たちの常識が通じないのも、まぁ仕方ないのかもしれない。

「......それにしても......」

 疲れた顔で歩きながら、姫さまが口を開く。

「......本物の『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』って......そんなところにあったのですね......」

 うむ。
 以前にタバサが「クレアバイブルは一つじゃない」と言っていたが、厳密には『始祖の指輪』と同じく四つあるそうだ。
 つまり本来は、それぞれの王家に一つずつ伝わっていたもの。中でも『始祖の祈祷書』は、トリステイン王室にあるべき秘宝らしいのだが......。
 本物が『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』にあるということは、トリステインの宝物庫に保管されているのは偽物だということ。
 まぁ実は『始祖の祈祷書』の偽物は各地に存在しており、それらを集めただけで図書館ができると揶揄されるくらいだ。それぞれの所有者は、自分の『始祖の祈祷書』こそが本物だと主張しているが、そこに書かれている内容が役に立たない時点で、偽物であることは明々白々。
 王室のも、どうせ偽物であろう......。姫さまだって薄々わかっていたようだが、こうしてハッキリ知らされてしまえば、嘆きたくなるのも無理はない。

「......姫さま......」

 慰めの言葉をかけようとする私だったが、

「......なあ......なんかコゲ臭くねえか?」

 それを遮って声を上げるサイト。顔をしかめて、鼻をヒクヒクさせている。

「......へ......?」

 いくら『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』に向かっているとはいえ、まだまだ距離がある。燃える山の匂いが伝わってくるはずもない。
 それでも一同は立ち止まり、風の匂いをかいでみる。木々の醸し出す緑の香りに、かすかに混じるこの匂いは......。

「......たしかに......」

 タバサがつぶやいたそのとたん。

 グゴォゥッ!

 私たちの周りをやや遠巻きに取り巻いて、轟音と共に辺りの木々が燃え上がった!

「......なっ......!?」

 いきなり押し寄せた炎と熱気に、思わず一同は声を上げ、ただその中で、ジュリオのみが端然と佇んでいる。

「......なるほど......こういう手で来たのか......」

 ポツリとつぶやく視線の先には、一人の老貴族の姿。

「......ラルターク=アルトーワ!」

 誰よりも早く、私が叫んだ。
 こいつ......今度は私たちを蒸し焼きにするつもりだ!
 やや遠くから火をつけたのは、おそらく、ジュリオに気どられないための用心であろう。

「......ま......苦肉の策、という奴じゃな......」

 自嘲ぎみに言いながら、ゆっくりと木々の間を縫い、こちらの方へと近づいてくる。

「こうも打つ手をことごとく潰されたのでは、こちらとしても面白くない。......とりあえず、このあたりで一本取っておきたいからの。......まずは......そっちのお嬢ちゃんを始末させてもらう」

 ラルターク=アルトーワは、チラリと一瞬、私に視線を向けた。

「どういうことなの!?」

 その魔族に向かって、私は大声で呼びかける。
 ジュリオが事情を説明できないというならば、こっちに聞くだけの話である。

「なんだって私が命を狙われなくっちゃいけないのよ!? 事情くらい説明してくれたっていいでしょう! 話次第によっちゃあ、そっちについてもかまわないわよ!」

「......そりゃないよ、ルイズ!?」

 ジュリオが非難の声を上げる。
 やかましい。ちゃんと教えてくれない、あんたが悪いんだ。
 私の問いに、ラルターク=アルトーワは、視線をジュリオに置いたまま、

「......前にな、わしらの仲間に『マゼンダ』というのがおってな......」

「知ってるわ......」

「どこでどうやって調べたかは知らんが、あやつがある時、こんな情報を持って来おった。......『虚無のメイジの一人が、冥王(ヘルマスター)として覚醒した。人間界で、なにやら大規模な計画を実行に移すつもりらしい。詳しいことはわからない。だが、その計画の重要な部分に、やはり虚無のメイジであるルイズという名前の人間がいる、ということだけは確実』......とな」

 ......っておい、まさか......。

「ちょっと!? まさか、あんたたち......『冥王(ヘルマスター)がよくわからん計画立ててるから、とりあえず潰しておこう』なんて、いい加減な理由で私の命を狙ってるわけ!?」

「いい加減、とは心外じゃな......。せめて『念のため』とか言うてくれ」

 あっさりハッキリ言うラルターク=アルトーワ。
 ......冗談ではない。
 何が悲しゅうて『念のため』で殺されにゃあならんのだ。
 まぁ魔族にしてみれば、人間の命なんてゴミ同然。私たちが『害虫の幼虫かもしれないから、とりあえずプチッと』と考えるのと同じ発想なのだろうが......。
 殺される方にとっては、たまったもんではない。
 私の内心のムカムカをよそに、ラルターク=アルトーワは淡々と話を続ける。

「......はじめは話半分で聞いておったのだが、やがて、トリステインの王都で動いておったカンヅェルから、その名を持つ人間がやって来た、という話が入った」

 姫さまがピクリと反応したが、ただそれだけ。口も手も出さない。
 どうかそのまま自重していてくださいね......。

「それでカンヅェルにお嬢ちゃん抹殺の命令が下ってな。それだけで、この話は終わるはずじゃった。ところが......じゃ。そのカンヅェルが、逆にアッサリ返り討ちにあいよった。......ただの人間相手に」

 あの戦いも、私一人では、とても勝てなかったであろう。サイトや他の仲間たちの協力があったればこそ。

「......そのうち、マゼンダが誰かに滅ぼされ、あれをもぐりこませていた裏組織が壊滅し、その件にやはり、お嬢ちゃんが関係しておったことを知った。......そこでわしは、直接会ってみたくなっての」

 ......おや?
 では、ウエストウッド村まで引っぱり出されたのは、ただの魔族の気まぐれだったのか......?

「当時のわしは、アルビオンを手に入れるため、そこの王族の末裔を利用しようと、ハーフエルフの娘さんに近づいていたわけだが......。そちらの任務の関係で、ちょうど、カンヅェルが使っていた暗殺者にもアプローチしておったのでな。そやつのお嬢ちゃんに対する恨みも利用させてもらって......」

「ちょっと待って」

 私は話を遮った。

「......アルビオンを手に入れるため......っていうなら、なんでテファをそのままにしといたわけ? 彼女を殺してしまって......カンヅェル=マザリーニがやったように、死体にして操り人形にしたら良かったんじゃないの?」

 この際だ、聞けることは何でも聞いておいた方がいい。
 私の問いかけに対して、ラルターク=アルトーワは苦笑してみせる。

「......わしも最初は、そう思っておったがな。カンヅェルの失敗があったから、方針を変更したのじゃ。......どうも我々魔族には人間のことはよくわからん。人間の死体を人間らしく動かすのは難しいようで、結局どこかでボロが出る」

 ラルターク=アルトーワは、チラッと姫さまに視線を送った。
 ......そういうことか。
 王都トリスタニアにおける事件では、ウェールズ王子――操られていた死体人形――に対していち早く疑惑を抱いたのは姫さまだった。それが私たちの介入、そしてカンヅェル=マザリーニの失敗に繋がったのだから......。
 考えようによっては、姫さまのおかげでティファニアは命拾いした、ということになる。

「......じゃが、お嬢ちゃん抹殺の件でデュグルドたちを呼び寄せ、ゴタゴタしているうちに、わしも失敗してもうた。まぁ、おぬしのそばに獣神官殿がおったことにも驚かされたが......。ともあれそれで、マゼンダの情報が正しかったことが......」

「......ラルターク殿。失礼ですが、いつまで続ける気ですかな? ......ルイズ、君も君だ。時間稼ぎの長話に付き合うとは......」

 ラルターク=アルトーワの言葉を遮ったのは、ジュリオである。
 ......たしかに彼の言うとおり、私も少し迂闊だったかもしれない。
 一行を取り巻く炎は、風に煽られ新たな風を生み、私たちを押し包み込むように、ジワリジワリと風上の方から近づいてきていた。

「......いや、これは少々長話が過ぎたようじゃの。しかしいずれにしろ、そこのお嬢さんを逃がすつもりはありませんぞ」

 言葉を合図に、ラルターク=アルトーワの背後――炎の中――から、ユラリと現れ出てくる人影ひとつ。
 ラーシャート=カルロ。
 以前に出会った時にはロマリアの聖堂騎士の格好をしていたが、今彼が身につけているのは、竜を模した朱黒い甲冑。手にぶら下げた抜き身の剣は、前回の魔剣を一回り大きくしたようなシロモノだった。
 顔は相変わらず『カルロ』の顔だが......。おそらくこの姿こそが、竜将軍としての、彼本来の戦装束なのだろう。

「......またお会いしましたね、竜将軍殿。お顔の色がすぐれませんが、どうやら体調は不完全なようですね」

 いけしゃあしゃあと言い放つジュリオに、一瞬、怒りの色が瞳に浮かぶ。それでもラーシャート=カルロは黙ったまま、ラルターク=アルトーワの横に並んだ。
 ......その間にも、火の手はドンドン迫って来ている。
 私としては、とっとと立ち去りたいのは山々なのだが、こいつら二人を前にして、迂闊な動きを見せるのはまずい。動き出すのは、魔族同士の戦いが始まってからである。
 姫さまたちも、私と同じように考えているらしい。姫さまもタバサもキュルケも、それぞれ防御魔法の呪文詠唱が終わっているが、まだ杖を振っていなかった。

「......しかし竜将軍殿がその様子では、御二人が力を合わせたところで、僕を倒すのは無理でしょうね」

「わかっておるよ」

 ジュリオの言葉を、いともアッサリ肯定するラルターク=アルトーワ。

「しかし、おぬしの動きを止めるくらいのことは出来よう。その間に、そっちのお嬢ちゃんには蒸し焼きになってもらう」

「そうはいきません。......みんなに任せたよ、虚無の妖精さんの護衛は」

 振り返りもせずに言うと、ジュリオは二人と睨み合う。
 ブワッと辺りに満ちるは、瘴気とも殺気ともつかぬ黒い気配。

「......いよいよ......ね」

 私がつぶやいたと同時に、三人の姿がフッとかき消えた。
 おそらく彼らは、わざわざ物質界で戦うのではなく、魔族本来の精神世界面でやり合うことを選んだのだろう。

「......みんなっ! 今のうちよっ!」

「けどルイズ、どうすんだ!? いくらなんでも、この火事を消すのは一苦労だろ!?」

 私の言葉に三人のメイジは頷いたが、サイト一人は慌てている。

「大丈夫っ! 私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』で森ごと吹き飛ばすわっ! 燃える木々が無くなれば、山火事も広がらないっ!」

「......そんな乱暴な......」

「ゴチャゴチャ言わないっ! ......ひょっとしたら、まだその辺に敵がいるかもしれないから、サイトとフレイムは迎撃担当っ!」

 言って私は東の方角に杖を向けた。
 キュルケの使い魔にまで命じてしまったが、キュルケも今は文句を言わない。
 彼女たち三人は、私が敢えて説明せずとも、ちゃんと役割を理解しているのだ。北と南と西に向けて、それぞれ防御魔法を放ち始める。
 ......まぁウォーター・シールドやアイス・ウォールはともかく、火事場でファイヤー・ウォールはいかがなものかと思わんでもないが、キュルケの得意は『火』系統なのだから仕方がない。そもそも、これから『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』をぶっ放そうという私が言えた義理でもない。
 杖を構えて、私が呪文を詠唱していると......。

「......来るぞ!」

 サイトが叫んだ。
 見れば、燃え盛る森の中から、宙に舞い上がる影三つ!
 言うまでもなく、敵側の魔族である。黒い仮面に白いボロ布をまとったような奴。ぬっぺりと顔だけが青く、体は霞みのような奴。人の形はしているものの、水か氷のように透き通っている奴......。
 見た目からしてザコであるが、それはあくまでもジュリオたちと比べての話。私たちにとっては立派な強敵である。
 ......なるほど。すぐに出てこなかったのは、おとなしく私たちが炎に巻かれればそれでよし、何とか逃げるようなら妨害する、というつもりだったか。私たちが魔法の防御壁を張った時点で、出番が来たと判断したらしい。
 たしかに賢いやり方である。だが、策を授けたラルターク=アルトーワはともかく、こいつら自身は、あまり賢くないらしい。私の正面に出てきたのが、運の尽き。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 用意していた呪文をぶちかます!
 淡く赤い光が、一直線に進んで......。

 ゴグォォォォッォオンッ!

 すさまじい爆音が、燃える森に響き渡った。
 かつて始祖ブリミルが海を割ったという伝説のように、緑と炎を割って、直線上の道が出来る。三匹の魔族のうちの一匹――青い奴――も、今の爆発に巻きこまれた。
 ......残るは二匹!

「行くわよっ!」

 走り出す私たち。
 同時に、白いのと透明のも動き出した。数本ずつの光の槍を生み出して、先頭の私を目がけて解き放つ!

「危ねえっ!」

 バッと私の前に出たサイトが、魔力の槍をデルフリンガーでぶった斬る。
 彼にはガンダールヴの神速と、魔法を吸収できる剣があるのだ。これくらいは簡単な話である。
 ......と油断した私の目の前に、いきなり青い姿が現れた!

「嘘っ!? さっきの魔族!?」

 やられたフリをして精神世界面に逃げ込み、こんな近くで再出現したのか!?
 右手のひらに魔力の光を灯し、それを私に向けてかざし......。

 ザンッ!

 次の瞬間。
 青い魔族の体は、上下に断たれた。

「うごぁぁぁぁァアァあああっ!?」

 断末魔の絶叫を残し、今度こそ、それは虚空に散り消えた。
 やったのは、もちろんサイト。
 ......ま、私とサイトの間を割るかのように現れりゃ、こうなるのも当然だわな。

「あと二匹ね」

 サイトの魔剣を警戒してか、白い奴も透明な奴も、私たちに近づこうとはしてこない。
 その二匹めがけて、姫さまたち三人は、散発的に魔法を放っていた。フレイムも口から炎を吐いているのだが、そう簡単には命中しない。
 まあ、私たちも今は脱出優先。足を止めてやり合うつもりはないし、牽制程度で済むなら、それでかまわないのだが......。

 ゾムッ!

 たとえようもない音を立て、突然、白い魔族の頭が砕け散る。

「......!?」

 何が起こったのか、わからない。
 透明な魔族も、茫然と空を漂っている。
 ......もちろん、その隙を見逃す私たちではなかった。

「ぎぇぇっ!?」 

 水と氷と炎の三連撃、さらに私の爆発魔法。四人のメイジの集中攻撃で、最後の一匹も消滅した。

「......何とか切り抜けましたね......」

 姫さまが安堵の言葉を漏らした。
 とはいえ、まだ渦巻く炎からの脱出行は終わっていない。走りながらの会話である。

「けど......あの白いのをやったのは......?」

「......たぶんジュリオ」

 キュルケの疑問に、タバサが答えた。
 これに私も同意する。

「そうね。二人と戦いながらもスキを見て、精神世界面から、こっちに干渉してくれたんでしょうね」

 なかなか重宝な奴である。これで何の企みもなしに護衛してくれているなら、心底ありがたいのだが......。

########################

「なあ、ルイズ......。俺たち、あつい場所から逃げてきたはずだよな?」

「そうね」

 サイトが不満を言いたくなるのもわかる。
 魔族の蒸し焼き攻撃から無事に脱出した私たちは、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の麓まで辿り着き、山の上を見上げていた。
 辺りは白く濁った霧と、むせるような熱気に包まれている。噂どおり、まるで蒸し風呂のような場所である。視界も悪くてわかりにくいが、登山道なんてものは存在しないようだ。
 私たちは皆グッタリとしており、元気なのは、火トカゲのフレイムくらい。

「......それで、どうするのです、ルイズ?」

「あたしたちだけ行くより、ジュリオを待った方がいいんじゃないかしら?」

 姫さまもキュルケも、立っているだけで汗が噴き出していた。一休みしたいが、こんな場所で休憩しても、むしろ体力を失いそうである。

「......来るとは限らない」

 ポツリとつぶやくタバサ。
 私も彼女に同意する。

「......そうね。いくらジュリオとはいえ、大物魔族二人を一人で相手しているのだから、連中にやられてしまう可能性も......」

 その時。

 ゴォウッ! ......ばさっ。ばさり。

 私の言葉を遮るかのような突風に続いて、風を打つはばたきの音。
 思わず見上げた視線の先に、青い巨体が一つ。

「シルフィード!」

 タバサの使い魔だ。
 まだ幼生のため、竜族の中では体は小さい方なのだが、それでも彼女は風韻竜。その能力はずば抜けている。
 ......タバサの呼び出しに、ようやく応じたらしい。ジュリオが来ずとも、シルフィードが来てくれたなら、なんとかなりそうだ。なにしろ、このシルフィードこそ、ここの管理人なのだから。

「今日はシルフィードって呼んだらダメなのね。イルククゥって呼んでほしいのね」

 私たちの目の前に降り立った竜は、そう言って胸をそらす。
 ......なんだ? 親しみやすい言葉遣いの中に、少し尊大な音色も含まれているようだが......。

「......シルフィードは、私が与えた名前。元々の名前はイルククゥ」

 短く解説するタバサ。
 ......そういうことか。タバサの使い魔としては『シルフィード』だが、ここ『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』にいる以上、風韻竜『イルククゥ』だと言いたいらしい。

「名前なんてどうでもいいからさ。ともかく連れてってくれよ、シルフィード」

「連れてくって......どこへ?」

 言ったそばから『シルフィード』と呼びかけられ、彼女はサイトをジロリと睨む。

「クレア......なんだっけ?」

 助けを求める視線を、私へ向けるサイト。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』すら言えんのなら、最初から黙っていればいいものを......。

「ねえ、イルククゥ。ここに『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』がある......って聞かされて、私たちは来たの。そこまで案内してもらえないかしら?」

 そう言った私と、主人のタバサとを見比べるタバサ。その大きな首を傾げて、

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』......?」

 ......おい。お前が知らんとは、どういうことだ。
 そうツッコミを入れたくなったが、私が口を開くより早く。

「......そうだよ。頂上にゲートがあるだろう?」

 声は後ろから聞こえてきた。
 振り返れば、ゆったりとした足取りで姿を現す神官姿の男。

「げえっ、ジュリオ」

 竜の娘が一声叫んで、タバサの後ろに隠れようとする。どうやら、ジュリオのことが苦手らしい。まぁ竜の巨体で、人間の背中に隠れられるわけもないのだが......。
 と思ったら、シルフィードが何やらつぶやくと同時に、風がその体にまとわりつき、青い渦となって光り輝いた。
 すると......。
 その場にあったはずの竜の姿は掻き消え、変わりに二十歳ほどの若い女性が現れた。長い青い髪の麗人である。

「先住魔法ですか!?」

 後ろで姫さまが驚いているが、そんなことはどうでもいい。
 問題なのは......。
 生まれたままの姿である、ということ。
 韻竜の操る変化の呪文でも、さすがに服までは再現できないのであろう。
 しかも、人間の姿に化けたところで、小柄なタバサの後ろに隠れるのは無理。人間の女性そっくりの肢体を、私たちの前であらわにしていた。

「はだか......」

 サイトのつぶやきを聞き咎めて、私は彼をキッと見やった。
 いや『見やった』だけではない。足まで出ていた。
 私のハイキックが後頭部を直撃、サイトは、その場に崩れ落ちる。

「まあ!」

「ルイズ......。今のは少し......やりすぎじゃない?」

 姫さまが驚き、キュルケが呆れる。
 タバサは後ろを向いて、使い魔に小言。

「......何か着る」

「え〜〜。ごわごわするからやだ。きゅい」

「じゃあ変化を解く」

「......わかったのね」

 ......と、こんなちょっとした騒動の傍らで。
 肝心のジュリオは、頬をポリポリとかきながら、所在なさげに佇んでいた。

########################

「......で、あの二人は?」

「やっぱり今回も決着はつかず......だね。結局、逃げられてしまったよ。追おうかとも思ったけど、何かの罠でもあったら困るからね」

 サイトの回復は姫さまに任せ、ジュリオと話を進める私。
 こんな熱いところに留まるつもりはない。サッサと用事を片づけて、退散するのみである。

「......ところで......」

 ジュリオがシルフィードの方に向き直る。ちなみに彼女は、もう竜の姿に戻っていた。

「......僕たちの用件は、さっき虚無の妖精さんが言ったとおりだよ。『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』を見せてほしいんだ。......ここの頂上のゲートまで案内してくれ」

 言われて、竜は少し考え込む。それからポンと手を叩き、

「ああ! 頂上のゲートね! そう言えば、大切なものがあるからちゃんと守れ、って言われてたのね!」

 納得したような口調のシルフィード。だが、すぐに不審げな口調でつけ加えた。

「......でも、なんでそんなこと知ってるのね? おまえ一体......何者......!?」

「......ジュリオの正体は魔族。獣神官ゼロス」

 主人であるタバサが、端的に説明する。
 ......あ。
 風韻竜がピシッと凍りついた。
 人間でもわかるくらい、あからさまな怯えの色を顔に浮かべて、シルフィードはギギギッとタバサに首を向ける。

「......獣神官ゼロス......? あの『獣神官』!?」

「そう。その『獣神官』。私も本で読んだから知ってる」

「ひーっ! それで私......このひと苦手だったのね......」

 頭を抱えてうずくまるシルフィード。

「ゼロス! 竜を滅せし者(ドラゴンスレイヤー)ゼーロース! きゅいきゅい!」

「......猛々しい二つ名は好きではないんだけどな......」

「騙されないのね! お父さまやお母さまは教えてくれなかったけど......一族の長老から、ちゃんと聞かされてるのね! ゼロスというのは......千年前の降魔戦争の時......我々韻竜の一族を、ほとんど壊滅にまで追い込んだ魔族......。......しかもたった一人で......!」

 なっ!?
 シルフィードの独白に、私は完全に言葉を失った。
 ......冗談ではない。
 絶滅したと言われていた韻竜。だが、なぜ『絶滅した』のか、その理由までは流布していなかった。韻竜『絶滅』のかげに、そんな逸話があったとは......。
 しかもその主役が、このジュリオときた。
 強いだろうとは思っていたが......まさかそこまで......。

「......まあ、僕の昔のヤンチャぶりを知っているというなら、話は早い。要求を拒んだりはしないよね? ......もっとも今の僕にはヴィンダールヴの力もあるから、君みたいな『獣』は、その意志とは無関係に操ることも可能だが......」

「きゅい! 連れてく! 連れてくのね!」

 全面降伏を宣言するシルフィードであった。

########################

「話に聞いていたよりは......火竜も、おとなしいものなのですね」

「姫さま。それは......あいつのせいじゃありませんか?」

 私たちを背に乗せて、シルフィードが空をゆく。
 かなりの大人数であるが、風韻竜は文句も言わない。ただジュリオを乗せるのは嫌だったようで、ジュリオだけは自力でついてきている。
 フライもレビテーションも使わず飛ぶジュリオ。やはり魔族である。

「......ルイズの言うとおりね」

 ポツリとつぶやくキュルケ。
 私が指さした先では、ちょうどジュリオが、無謀にも向かってきた一匹の火竜を懐柔しているところだった。
 そっと右手で触れて、手の甲のルーンが輝いて、はい、おしまい。おとなしく火竜はUターン。
 ......まあ、こういう例外もいるわけだが、大半の火竜は近づこうともしない。
 眼下の山脈を見下ろせば。
 高い崖の上で、あるいは岩陰に隠れて、乱暴者のはずの火竜たちが、まるで怯えているかのように私たちを眺めている。ジュリオの力を、本能的に感じ取っているのであろう。

「それにしても......こんな空の上でも、まだ熱いんだな。下を歩いていたら、どうなったことやら......」

 サイトの発言は、言葉だけ聞けば愚痴。だが、なぜか少し、顔がニヤけている。
 ......御主人様の私には、サイトが何を思い浮かべたか、想像つくぞ。
 もしも徒歩ならば、女性陣は酷い有様になっていたはず。水蒸気と汗で、シャツも濡れて肌に張りつき、体のラインをあらわにさせていたに違いない。

「痛っ! なにすんだよ、ルイズ!?」

「......さすがに場所が場所だからね。ほっぺたつねるだけで勘弁してあげる」

 ここでお仕置きエクスプロージョンを炸裂させたら、みんなにも迷惑がかかる......。
 それくらいの分別は、私にもあるのだ。

########################

「......ここなのね」

 言ってシルフィードが降り立ったのは、山頂手前の、なんの変哲もない場所であった。
 道幅の広い登り坂。
 右手には切り立った崖がそそり立ち、左手はドロドロの熱い溶岩流。その向こう側は、ほとんど断崖に近い急な下り坂......。

「......ここ......って......?」

「ここね」

 答えるシルフィードは、いつのまにか、また人間の姿に変化していた。
 素早くタバサが服を着せたようで、一応、はだかではない。
 ......何故わざわざ変身した?

「ここがゲートになっているのね。岩壁に見えるけど......普通に通り抜けられるはずなのね」

 女性の姿のシルフィードが、スウッと音もなく、右の岩壁に体の半分を潜り込ませる。
 なるほど。このためだったのね。竜のままでは、サイズ的に、ちと厳しい。

「......来るがいい、ルイズとやら。ほかの者たちは、ここで待っていてもらおう」

 自分はここの『長老』役だと思い出したのだろう。尊大な口ぶりになるシルフィードだが、今さらである。

「......どうしてルイズだけ? ケチなこと言わずに、あたしたちも連れてってよ」

 問うキュルケに、シルフィードは再び壁のこちら側に全身を現し、

「そういうわけにもいかないのね。ゼロスが怖いから、彼女だけは連れていくけど......。あんまり勝手なことをすると、故郷の『竜の巣』に戻った時、私が一族の者から怒られちゃうのね」

 早くも言葉遣いが戻るシルフィード。
 彼女は、タバサに向かって頭を下げる。

「ごめんなのね。お姉さまも連れていけないのね。......そもそも私の力では、一人連れていくだけで精一杯。それ以上だと、たぶん私でも迷ってしまうのね」

「迷う......って、中は迷路にでもなってるのか?」

 今度はサイトが尋ねた。
 シルフィードは首を横に振る。

「そんな生易しいもんじゃないのね。中は......異空間なのね」

 どうやら普通のゲートではないらしい。『ゲート』という言葉から、使い魔召喚の時のように、ここと別の場所とを繋ぐものかと思ったのだが......。
 まぁそれなら、鏡のようにハッキリした物が現れるはず。これは明らかに違うわな。

「......じゃあルイズ、俺たちはここで待ってる」

「気をつけてくださいね、ルイズ」

「おみやげ頼んだわよ」

「がんばれ」

 同行を諦める仲間たち。
 ジュリオに視線を向けると、彼も手を振っていた。

「......あんたも来ないの?」

「僕の役目は、虚無の妖精さんを無事に『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで送り届けること。ここまで来れば、仕事は完了さ」

 まるで御役所仕事のような回答だが......。
 それならそれで、私にとっても好都合だ。
 ジュリオたち大物魔族にすら対抗できる策を......見つけてきてやる!

「じゃあ、行くのね」

 シルフィードの言葉に頷いて、私は彼女の手を取って......。
 そして、異空間へと突入した。


(第五章へつづく)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第五章)

 岩壁を通り抜けたその瞬間、違和感が私の全身を包み込んだ。
 なんというか......自分の体が自分のものでなくなった、というか......。
 いや......それも少し違う。この『違和感』を表現する例えを、私は知らない。
 おそらく、普通なら、人間が生きているうちに経験することなぞ皆無の感覚......。

「......何なのよ......ここ......?」

 人間の姿のシルフィードに手を引かれ、わけのわからん場所を進みつつ、私は彼女に問いかけた。
 岩肌がむき出しの洞窟......。最初はそう見えていたのに、ちょっと気を抜いたり目を離したりしただけで、様相がガラリと変わる。
 クリスタル輝く通路に、あるいは無機質で平坦な通路に、はたまた時によっては、何か巨大な生物のはらわたの中のように......。

「気にしたら負けなのね」

 私のすぐ目の前を、上下逆さまに進むシルフィード。
 実際に逆さに歩いているのか、それとも、単にそう見えているだけなのか。

「勝ちとか負けとか、そういう問題じゃないわよ」

 まばたき一つする間に、シルフィードの姿は、上下正常に戻る。
 ......ただし、その背中は私の目の前ではなく、遥か遠くに見えた。豆粒くらいの大きさだ。
 そのくせ、私の左手を握る手の感触は、しっかりとある。
 こんな状態で『気にするな』などと言われても、素直に従えるものではない。

「『手』の感触を信じるのね。視覚をよりどころにすれば、惑わされるから」

 言われて私は、左手を見た。
 繋がったシルフィードの手に沿わせて、視線を移せば......。
 目の前に、ごく普通に歩みを進める、彼女の背中。

「......私もよくわからないのね。話には聞いてたけど、入るのは初めてなの。きゅい」

 いきなり何を......。一瞬そう思ったが、どうやら私の『何なのよここ』に対する回答らしい。

「場所の性質としては、むしろ精神世界に近いはず。きゅい」

「精神世界に......?」

「そう。物を見るのも聞くのも、目や耳ではなく精神(こころ)。不安は花園を地獄の風景と変え、そよ風のささやきを亡者の怨嗟と化す。敵意が相手の命を削ぎ、絶望が容易に滅びをもたらす......」

 なんだか、らしくない言葉がつらつらと出てきたが......。
 きっと韻竜のお偉いさんからの受け売りなんだろうなあ。

「受け売りじゃないのね。ちゃんと理解してつかってる言葉なのね」

 ......あ。伝わってやんの。
 精神世界ということは、そういうことなのか。
 ならば、あんまり迂闊なことは考えられない。例えば、風韻竜の悪口を頭に思い浮かべたら......。

「......見捨てるのね?」

「冗談よ。それより......『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の場所、まだなの?」

「もうすぐなのね。きゅい」

 言って彼女は、後ろを振り返る。
 そして、心配そうな目で私を見つめながら、

「......でも、悪用しないでほしいのね」

「はぁ?」

 声に出す必要はないかもしれないが、思わず出てしまった。
 悪用って......なんで私が......?

「だって......。降魔戦争の話で思い出したけど、あなた、虚無のメイジということは......たぶん、心の中に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの魂が眠ってるのね」

########################

 この世界の魔王、シャブラニグドゥ。
 数千年前に始祖ブリミルと死闘を演じた末に敗北し、ブリミル自身の身に封じられたといわれている。
 魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していく......などという話も含めて、真偽不明の伝承として、人間界では伝わっているわけだが......。

「ブリミルは、人間の『心』を以て、シャブラニグドゥを封印したらしいのね。その人間が死ねば、魔王のかけらは、子孫の誰かに受け継がれるの。きゅい」

 伝説の一族である韻竜からも、同じ話を聞かされるとは......。どうやら、やはり言い伝えは事実だったようだ。

「......竜やエルフのうちに封じれば、その封印も、より強固なものとなったはず。それでもワザワザ人間を選んだのは、おそらく、竜やエルフよりも遥かに短いサイクルで転生を繰り返させて、無限の輪廻のうちに少しずつ、人の心で魔王のかけらを浄化して消滅させるつもりだったのね」

 いやいや。
 そんなたいそうな話じゃなくて、単にブリミル自身が人間だったから、自分に封印という選択肢しかなかったんじゃあ......?

「......でも、やはり人の心は弱いもの。ともすれば、何かのはずみで、その封印も弱まってしまう。封印が弱まれば、特に、輪廻転生を『視る』能力のある冥王(ヘルマスター)は、すぐそれを察知するはず......」

 へえ。『冥王(ヘルマスター)』って名前は、ただのカッコつけじゃなかったんだ。ちゃんと、それっぽい能力があったわけか。
 ......まあ『視る』も何も、ブリミルの子孫という大きな手がかりがあるんだから、魂の行き先を探すのも簡単でしょうね。
 
「ちょっと、あなた。さっきからイチイチ、心の中でチャチャを入れるのは止めるのね。きゅい」

 しまった。ここは、そういう空間だった。
 ......軽い小言の後、シルフィードは話を続ける。

「......千年前の降魔戦争でも、魔王のかけらの封印を解いたのは冥王(ヘルマスター)だったのね。そして今また、冥王(ヘルマスター)が暗躍している......。となれば......」

「......つまり......私を『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に覚醒させようとしている......?」

 かわいた声で、私は問いかける。
 前にも、私の中に魔王の魂があると信じて、私をつけ狙う者がいたが......。
 あれは人間だった。でも、今回は魔族である。
 ......そう言えば、あの事件の途中で、私たちはシルフィードと知り合ったんだっけ。その時は、こういう話は一切口にしていなかったけど......。

「だから最初に言ったのね。獣神官が出てきて、降魔戦争の話になったから、私も色々と思い出したのね! きゅい!」

 内心でのツッコミも、相手に通じてしまう場所である。
 シルフィードの機嫌を、少し損ねてしまったらしい。
 ごめん。

「まあ、ともかく......。もしも『赤眼の魔王(ルビーアイ)』になっちゃっても、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』を悪用したり、私たちと敵対したり、お姉さまを虐めたりしないで欲しいのね。きゅい」

 使い魔らしく、タバサの心配をするシルフィード。ちょっと可愛い。
 ......ただ、魔王覚醒が前提のような話をされるのは、ちょっと嫌だなあ。

「もちろん、あくまでも可能性の話なのね。......エルフじゃあるまいし、虚無と魔王を同一視したりしないのね」

 ......え?
 聞き逃しそうになったが、何やら重要な情報っぽいぞ!?

「エルフがブリミルを『悪魔』扱いしたのは、その中に魔王の魂があったから。虚無のメイジを『悪魔』と呼ぶのも、同じ理由なのね。......エルフにとって、最大の敵は魔族だから」

 そうか。
 私も、ようやく理解した。
 なぜエルフが、始祖ブリミルと敵対したのか。ひいては、ブリミル信仰の人間を敵視するのか。
 それなのに、なぜエルフが、千年前の降魔戦争では人間の側で戦ったのか。
 ......なんのことはない。ポイントとなるのは人間ではなく、あくまでも、魔族や魔王だったのだ。

「......ということは......」

 さらに考えをまとめつつ、私は口を開いたのだが、

「......着いたのね」

 シルフィードが足を止めたので、言葉を呑み込み、私も立ち止まる。
 しかし辺りを見渡せど、それらしきものはどこにもない。あいもかわらず、よくわからん空間が広がっているだけ......。

「......で......どこにあるの?」

「ここなのね」

「......えっと......」

 私は戸惑うばかり。
 シルフィードは空間のとある一点を指さしているのだが、そこには何もないのだ。

「もしかして......人間の目には見えないのかしら? きゅい?」

 首を傾げるシルフィード。
 ちゃんと始祖の指輪をはめている私にも見えないって、いったい......?
 ......そうだ。ここは視覚に頼ってはいけない場所だった。ならば『感じ取って』みるべきかも。
 瞳を閉じて、意識を集中すると......。

「あった!」

 私にも視えた。
 しかし思わず叫んで目を開けたら、さっきまでと同様、そこには何もない。
 やむを得ず、もう一度目を閉じる。
 ......確かに存在する。ボロッちい一冊の書物が。

『......ボロ言うな』

 耳慣れぬ声は、どこからともなく聞こえてきた。

「......へ?」

 目を開けて、シルフィードの方を振り返る。

「......今......何か言った?」

「いや......。たぶん『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の声なのね。きゅい」

 彼女に『声』が届いていないということは、私の頭だか心だかに直接聞こえているのだろう。
 またまた私は目を閉じて、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に手を伸ばす。
 存在を完治できたからなのか、触ることまで可能となった。
 そっとページをめくるが、まったくの白紙。言葉も聞こえてこない。
 ......こちらから問いかけてみればよいのだろうか?

「......『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』について......知りうる限りを......教えてちょうだい......」

 ここでは口に出す必要はないかもしれないが、言葉として発するのが人間の習慣である。
 ともかく。
 思ったとおり、反応があった。
 私の指輪が光ると同時に、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』のページに文字が浮かぶ。
 いや『浮かぶ』というより『聞こえてくる』という方が正しいのか。

『......金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)......それは......すべての闇の母......魔族たちの真の王......ありし日の姿に帰るを望み続けるもの......闇より暗き存在......夜より深きもの......混沌の海......たゆたいし金色......』

 かくて私の頭に、えんえんと断片的な単語が流れ込んで来た。

########################

『......すべての混沌を生み出せし存在......すなわち......悪夢を統べる存在(ロード・オブ・ナイトメア)......』

 そして......文字(こえ)は途切れた。

「......」

 ......違和感があった。
 何かが引っかかる。
 何か、根本的な勘違いを私は犯している。
 そんな気がした。

「......もう一度......お願い。『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する知識を......」

 呼びかけながら、私はページを元に戻す。
 再び、先ほどと全く同じ単語の羅列が表れて......。

「......え......?」

 その時ふと、私は、あることに気がついた。

「......もう一度! はじめから!」

 最初のページに戻り、そこから文字(こえ)が繰り返され......。

『......すべての混沌を生み出せし存在......すなわち......悪夢を統べる存在(ロード・オブ・ナイトメア)......』

 最初と同じように終了した。

「......まさか......」

 口の中が乾いている。
 断片的な単語の羅列が、ある想像をもとに、頭の中で組み合わされてゆく。

「......まさか......『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』って......」

『そのとおり』

 私のつぶやきに応じて、ページの末端に一言浮かんだ。
 ......冗談ではない。
 膝が小さく震えているのが、自分でもハッキリわかった。
 私は......あんなモノの力を使った魔法を、ぽこぽこ唱えていたのか!?
 私は、ようやく理解した。
 かつてシエスタが教えてくれた、昔の勇者からの言い伝え......。

『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』

 当時は半信半疑だったが......。
 そりゃあ、あんなモノが出てきたら、ハルケギニアも滅びるわ!
 ......たしかに、これなら魔族への切り札にはなる。切り札にはなるが......。

「どうしたのね!? 何があったのね!?」

 いきなり後ろから肩を揺さぶられ、唐突に私は、我に返った。
 ほとんど反射的に振り向けば、すぐ目の前に、シルフィードの顔があった。

「いったい何を聞かされたのね?」

 どうやら彼女には、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の声が届かないだけでなく、私の内心も具体的には伝わらなかったらしい。思考がダダ漏れの空間であっても、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の前では、若干事情が異なるようだ。

「......ん......いや、その......」

 私は無理に、笑みを作って言葉を濁す。

「きゅい? 大丈夫? かなり調子が悪そうだけど......」

「......調子悪いなんて言ってらんないわ......」

 あれが使えないというのであれば、魔族に対抗し得る別の手段を探す必要がある。
 他にも、サイトを元の世界に戻す方法や、タバサの母親の心を回復させる方法など、知りたいことは盛りだくさん。今のでショックを受けたからといって、ボーッとしている場合ではない。
 ......いや。
 私は、ふと思いついた。
 まだ『あれが使えない』と決めつけるのは、早計なのでは......!?
 かつて私が『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の前で『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』を使ってみせた時、魔王が言っていたではないか。「『四の四』も揃えずにそれを使えるのか!?」......と!
 逆に言うならば......その『四の四』さえ揃えれば......。
 ......あんなモノすら制御できるかもしれない!?

「教えてちょうだい! ......『四の四』というのは、いったい何のこと......!?」

 呼びかけながら、私は再び『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に手を伸ばした。
 また指輪が光を発して、文字が浮かび出す。
 しかし、それが私の頭に入ってくるより早く。

「......な!?」

 全く何の予告もナシに、いきなりシルフィードが、私を後ろから思いっきり引っ張った。
 抗議の声を上げそうになるが、すぐに私にも理由がわかった。
 大きく体が後ろに泳いだその瞬間。目に見えぬ何かが、すぐ胸の前――たった今まで私がいたところ――を、たしかに過ぎて行ったのだ。

「なぜ助けた? おぬしも竜であろうに......」

 文字どおり、どこからともなく流れてきた声。それは聞いたことのあるものだった。

「......ラルターク!?」

 虚空に向けて、私はその名を叫んでいた。

########################

 私の声に応えるかのように、それは現れた。
 こちらから見て右の方、やや離れた場所である。
 人の形に似た、ぼんやりとしたモヤ。これが本来の姿なのか、あるいは、この空間のせいで、こう見えるだけなのか......。

「おかしな空間じゃな、ここは。探し出すのに苦労したわい」

 おそらく彼は、私たちの目的が『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』だと見抜き、どこか全く別のところから、ここへとやって来たのだろう。

「......ふぅむ。風韻竜の一匹が新たに『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理人になった......と聞いておったが、なんだ、まだ幼生ではないか」

 ラルターク=アルトーワは、一目でシルフィードの正体を見破った。
 彼女は、やや怯えた態度で、

「......ラルタークって、もしかして、あの竜神官ラルターク......?」

「そうじゃ。一族の長老から、名前くらいは聞いておろう?」

「......! ああ、もうっ! 獣神官といい竜神官といい、今日はとんでもない奴ばかり現れるのね! きゅいきゅいきゅい!」

 前言撤回。
 怯えを通り越して、自暴自棄である。こういう場所じゃなかったら、竜の姿に戻って、ひと暴れしそう......。

「ゼロスと一緒にせんでくれ。......こうやって韻竜代表として人間界に留まるくらいだ、おぬしとて『竜の協定』くらいは知っておろう?」

 竜の協定......?
 何やら聞き慣れない言葉が出てきたが......。

「きゅい。......生きとし生けるもの全ての天敵である魔族......しかし魔竜王の一派は例外......竜族の味方である......」

「ちゃんと知っておるではないか。......ならば、竜の娘よ。そこの人間の娘、冥王(ヘルマスター)に利用されておる可能性がある。今のうちに、念のために始末しておきたいんじゃが......かまわんな?」

 晩飯のおかずをリクエストするかのような、いたって気楽な口調。
 でもシルフィードは、タバサの使い魔なのだ。
 そして、タバサは私の旅の連れ。
 シルフィードが、こんな要求に応じるわけがない。
 ......ないよね? 大丈夫よね?

「ちょっと待つのね。もしも彼女が、冥王(ヘルマスター)や獣神官に敵対する道を選ぶとしたら......彼女を殺す必要はなくなるのね」

 即答で否定するのではなく、説得を始めたシルフィード。
 私としては、さっさとバッサリ断って欲しかったのだが、肯定されるよりは遥かにマシ。
 ......がんばれ! 説得が成功するよう、全力で応援するぞ!

「それはできんな。冥王(ヘルマスター)のたくらみがわからず、この娘が、どういう役割を担っておるか、まだ不明なのだ。害となり得るかもしれんものを、内に取り込むことはできんわい。......第一、おぬしがそうと提案し、わしらがそれを呑むことそのものが、冥王(ヘルマスター)の筋書きどおりかもしれんのじゃぞ?」

「きゅい......」

 シルフィードは、困ったように一声呻いてから、

「でも......彼女を渡すわけにはいかないのね」

 ちゃんとラルターク=アルトーワの要求をはねつけた。
 おしっ! えらいぞっ!

「ほう......断る、とな? それはまたどうしてかな? まさか......冥王(ヘルマスター)やゼロスの方につく気ではあるまいな?」

「そんなわけないのね! あの人の味方になるつもりなんてないのね! ......でも、この人は、お姉さまのお友だちだから......」

 と、言いかけて。
 もっと良い理由を思いついたらしい。

「......それに! ここから『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』に向かって開いた道のその先には、問題の獣神官がいるのね! 彼女に万一のことがあれば、私が彼女を『売った』代償として、そこの竜たちを殺すかもしれないのね!」

「何とでも言い訳は出来よう。わしが......竜神官がやって来て、いきなり娘を連れ去った、とかな......」

 シルフィードは、けして弁が立つタイプではない。
 このままでは、やがて言い負かされてしまいそうだが......。

「......そもそも、前提からして変なのね」

「ほう......?」

「『竜の協定』によれば、お前たちは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』からは離反し、竜やエルフや人間の味方となったはず......。味方なら、殺す必要はないのね?」

「だから言ったではないか。害となり得るかもしれんものを、内に取り込むことはできん、と......」

「でも......」

「おぬし、何か勘違いしていないか?」

 魔族が韻竜の言葉を遮った。

「味方というのは、共に戦うということ。すなわち、互いの力を利用すること。ならば、その能力に応じた役割を与えられるのが必然。竜にもエルフにも人間にも、それぞれの役割がある。そこの娘のように、皆の利益のためにサッサと滅ぶというのも、立派な役割ではないか」

 そう言って、ラルターク=アルトーワは私に視線を向けた。
 ......冗談ではない。
 大物魔族を睨み返しながら、私は会話に割って入る。

「......滅ぶのも役割って......そういう言葉がアッサリと出てくること自体が、問題なんじゃないの? 今は『赤眼の魔王(ルビーアイ)』に敵対してるらしけど......やっぱり、あんたたちは魔族なのよ!」

「そうなのね! 私も、そういうこと言いたかったのね! きゅい!」

「ふぅむ......そういうことなら仕方ないのぅ......」

 ラルターク=アルトーワは言う。
 シルフィードに視線を戻しながら、

「ならば、おぬしの同意を得ずに、わしが勝手にこの場で始末するのみ。殺させん、などと言ってみたところで、おぬしにそれを止める手立てはあるまい?」

 余裕の口調の魔族に対して、シルフィードは、毅然とした態度で、

「そうはさせないのね! 私が止めてみせるのね!」

 なかなか頼もしい発言である。
 何をしてくれるのかと思いきや......。

 とんっ。

 彼女は私の背中を押した。

「......ととっ?」

 数歩たたらを踏んで、私は振り返り......。
 視線の先には、もはや『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』も、そしてシルフィードやラルターク=アルトーワの姿もなかった。

「......えーっと......」

 一瞬、何がどうなったかがわからず、しばし茫然と佇む私。
 トンッと背中を押された結果なのだから......。

「......あ。そうか」

 ようやく私は理解した。
 あの場から消え去ったのは、二人ではなく、私の方なのだ。
 シルフィードは、下手をすれば魔族ですら迷うという空間で、どこかに私を放り出したのだ。
 これならば、竜神官といえど容易に私を探し出すことは出来ないし、シルフィード自身がワザワザことを構える必要もない。
 なるほど、悪いテではない。
 でも......。

「......みんなのところまで、どうやって戻ったらいいのかしら......?」

 文字どおり、右も左もわからぬ場所である。自力で帰ることなど、絶対に無理。
 いったんシルフィードが元の場所まで戻り、ジュリオあたりに頼んで私を探させる......というのが現実的な話か。
 しかしその場合、彼女が戻って話をつけてジュリオが私を見つけ出すのが早いか、あるいは、ラルターク=アルトーワが私を見つけ出すのが早いか、という勝負になる。
 能力ならジュリオが、時間的にはラルターク=アルトーワが有利......ってところかな?
 などと他人事のように考えているうち......。

「......こっちだよ......」

 どこからともなく聞こえてきたのは、ジュリオの声だった。

「......へ?」

 慌てて辺りを見回せど、やはりそこには何もなく、目を閉じても意識を集中させても、何の存在も感じられない。
 だが......。
 声がどちらから流れて来たか、それだけは、どういうわけかハッキリとわかった。
 ジュリオが探しに来たにしては早すぎるような気もしたが、なにしろ、ここは異様な空間だ。私の時間感覚も狂っているのかもしれない。

「......ジュリオ?」

「......こっちだよ......」

 私が呼びかけても、同じ言葉を繰り返すだけ。
 ......やまびこのように、さっきの言葉がこだましているのだろうか?
 あるいは......ニセモノ!?
 聞こえているのはジュリオの声だが、魔族にとって、他人の声真似なぞ造作もないはず。声に釣られて出ていけば、ラルターク=アルトーワが待ち構えている、という可能性も......。
 とはいえやはり、本物かもしれないのだ。その場合、ここでモタモタしていては、それこそ、いずれはラルターク=アルトーワが私を見つけ出すかも......。

「ええいっ、行っちゃえ行っちゃえ!」

 自分にハッパをかける意味で声に出し、私は歩き始めた。

「......こっちだよ......」

 周期的に続く『声』に向けて、とにかく進み続けるうちに......。
 唐突に誰かが、ワシッと私の手を取った。

「ごくろうさま」

 声と同時に目の前に現れたのは、ジュリオの笑顔。

「早かったわね」

「あの韻竜から話を聞いて、すぐ来たからね。......ともあれ、無事で何より。それで、ラルタークさんは?」

「わかんないわ。その辺りにいるかもしれないし、もうどっかに行っちゃったかもしれないし......」

「何にしろ、とりあえず、みんなのところに戻ろうか」

 私の手を引っ張ったまま、ジュリオは歩き出す。
 でも。

「ちょっと待って!」

「......何だい?」

「まだ用事が終わってない......」

 結局『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』から教えてもらったのは、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』に関する情報だけ。
 せっかく『四の四』についても聞けそうだったのに、ギリギリで間に合わなかった。
 タバサやサイトのための話なんて、問いかけてすらいない。

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』には辿り着けたのだろう? ならば、僕の任務は終了だ」

 薄情に言い切るジュリオ。

「......それに、もしもこの空間で竜神官と竜将軍が同時に出てきたら、君を守りきる自信はないからね。普通の場所なら君を逃がして、その間に......という手も使えるが、ここでは無理だ。はぐれたら、二人のうちのどちらかが、僕より先に君を見つける可能性が高い」

「な......なるほど......」

 口ごもる私。
 ......今までジュリオが私を守ってきたのは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで導くため......。
 そう思っていたのだが、ならば、もう彼が私を警護する理由はない。先ほどの発言からもわかるように、こいつは、アフターサービスをつけてくれるような親切な奴ではないのだ。
 となれば、まだ何か別の魂胆があるのだろうか?
 しかし、そのあたりを言葉に出したら、「そうだね、もう守る義理もなくなった」なんて返事が来るかもしれない。それは一番困るので、私としては、言いたいことも言えなかったのである。

「......わかったわ。とりあえず戻りましょ」

「それでは......」

 私は、ジュリオに片手を引っ張られ、ただおとなしくついてゆく。
 やがて、しばらく進むうち......。

「......!」

 突然、フイッと軽いめまいに襲われる。
 同時に、ポンッと景色が開けた。
 岩肌むき出しの山道。灼熱の溶岩流。霞む水蒸気......。
 そして、そこに佇む見慣れた顔ぶれ。

「や。ただいま」

 仲間に向かって、私は手を上げた。

「ルイズ! わたくしのおともだち! 無事だったのですね!?」

 姫さまが駆け寄ろうとしたが......。

「......ルイズ!」

 サイトが神速で飛び込んできて、私を抱えて押し倒す。
 ......やだ何、嫉妬? 私がジュリオと、おてて繋いで二人で出てきたから?
 そんなこともチラッと思い浮かべたが、これは不正解。

 グゴゥンッ!

 あの特殊な空間への入り口があった、その岩壁が、内側から大爆発を巻き起こした。
 砕け散った岩塊は、私たちにぶつかる前に、あらぬ方向へと弾かれる。おそらくジュリオが、魔族の術で防御壁を張ってくれたのだ。
 やがて爆音のこだまも消える頃、立ち込める砂埃の奥から、ゆっくりと歩み寄る人影ひとつ。

「......今回は......けほっ! しつこく追っかけてきたわね......」

「うむ。どうやらもう、のんびりしてもおられんようじゃからな」

 私の言葉に応じるラルターク=アルトーワ。その顔には、もはや、いつもの余裕の色はない。

「そろそろ、決着はつけねばならん。......よろしいかな? 獣神官殿?」

「僕はいっこうにかまいませんよ、おふたかた」

「たいした自信だな。......貴様のそういうところが気にくわん」

 声は、ラルターク=アルトーワのいる反対側――私たちの背中の方――から聞こえてきた。
 慌てて振り向けば、一体いつのまにやって来たのか、ラーシャート=カルロの姿。前回同様、竜の鎧に身を固め、抜き身の剣を手にしている。

「しかし、貴様にやられた私の力も、もう回復している。この勝負......どちらに転ぶかはわからんぞ」

 言ってラーシャート=カルロは、今度は視線をシルフィードに向ける。
 シルフィードは、まだ竜ではなく、人間の女性の姿のまま。ラーシャート=カルロは、少し顔をしかめつつ、

「......なるほど、ラルターク殿の言うとおり、まだ子供だな......」

「きゅい?」

 シルフィードは子供扱いされて、不機嫌な表情を見せた。

「......だが、それでも、ここの長老役を務めているのだ。『竜の協定』を知っているなら、まさか手出しはせんだろうな?」

「私は......『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』長老イルククゥ......だけど同時に、お姉さまの使い魔シルフィードでもあるのね!」

 言いながら、彼女はタバサの隣へ移動する。
 ジュリオの味方をするか否か、それはタバサ次第......ということだ。
 となれば、答えは出たも同然。

「......ほぅ......。お前さんがたにも、手出しはせんでおいてもらいたいんじゃがの......」

 今度はラルターク=アルトーワが、私たち人間を見回しながら言う。

「......獣神官が負ければ、次は自分たちの番。そう考えれば、獣神官に加勢し、わしやラーシャート殿の邪魔をしたくなるのも当然じゃな。......しかしそれは、ちと御免こうむりたいんでな」

 彼は手のひらを下に向け、右手を真っすぐに突き出す。
 その手のひらのちょうど下、岩肌のむき出した地面に、突然ぽっかり黒い穴が開いた。
 穴の中から浮かび上がってきたのは、ひとかかえほどの大きさの球体ふたつ。一つは薄い灰色で、もう一つは鮮やかな赤。

「わしらが獣神官殿と決着をつける間、お前さんたちには、こいつの相手をしていてもらおうか」

 ラルターク=アルトーワの目の前――ちょうど胸の高さほどのところ――を、二つのボールはフワフワ漂い始める。
 役割を終えた地面の穴は、再び元どおり閉ざされた。
 見かけは単なる大きなボールだが......。私には、なんとなく正体がわかった。

「魔族......ね。それも」

「そのとおりじゃ。あまり見てくれは良くないがの。それでも、以前のグドゥザやデュグルドたちなんぞよりは強いぞ」

 いやいや、グドゥザもデュグルドも、結構な強敵だったんですけど......。
 後ろから、姫さまの緊張が伝わってくる。キュルケやタバサは、動じている素振りなど見せていないようだ。それでもやはり、あいつらと直接戦った三人にしてみれば、聞き流せる言葉ではあるまい。
 ......私は、敢えてビシッと言ってやる。

「そんなコケオドシには騙されないわよ」

「こけおどしかどうか......戦ってみれば、すぐにわかろう。......せっかくだから名前を紹介してやりたいところじゃが、あいにく人間には、聞き取ることも口に出すことも出来ぬ」

「結構よ。どうせ長いつきあいにはならないから」

「そうじゃな......なら、そろそろ始めるとするか......」

 ラルターク=アルトーワの言葉を合図に、辺りに殺気が張りつめた。


(第六章へつづく)

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第七部「魔竜王女の挑戦」(第六章)【第七部・完】

「ゆくぞっ!」

 最初に動いたのは竜将軍。
 ラーシャート=カルロは、剣を片手に、ジュリオ目指して突っ込んでゆく。
 今回は前回とは違って、精神世界面に戦場を移すつもりはないようである。

 カッ!

 小さな硬い音を立てて、ジュリオは右手の錫杖で、その一撃を受け止める。
 同時に反対側から襲いかかる、クルミの実サイズのエネルギー球。ラルターク=アルトーワの放ったものだが、これをジュリオはマントで包み込み、あっさり消滅させた。

「ジミというか、ジミチというか......」

 私の口から、ついつい感想が漏れてしまう。
 ......ぶつかりあう力の余波で閃光がほとばしったり、はじかれた魔力弾が大地を吹き飛ばしたり。そんなド派手な光景を想像していただけに、これは、かなり拍子抜けである。
 とはいえ別に、彼らが手を抜いているわけではない。力の無駄が、驚くほど少ないのだ。
 それに加えて、彼らは意識的に力の余波を抑えている、というのもあるだろう。
 こいつらが何も気にせず力の余波を出しまくったら、おそらく周囲の地形が変わる。しかし、ジュリオは私を利用する魂胆があるから、私たちを巻き込みたくないし、竜神官と竜将軍のコンビも『竜の協定』とやらで、竜族を巻き込んで敵に回すのは避けたいはず。

 ヴン!
 
 ラルターク=アルトーワの頭上に、黒いモヤが現れ、すぐに消える。ラーシャート=カルロの手にした剣が、一瞬ブレて見え、ラルターク=アルトーワが小さな呻きを漏らす。
 どうやら彼らは、見た目にもわかりやすい戦いを展開する一方で、精神世界を利用した戦いも同時進行しているようである。その様子がチラリホラリと垣間見えているのだが、いったい何がどうなっているのか、私にはサッパリわからない。
 それに何より、私としても、彼ら魔族の戦いを悠長に眺めてばかりはいられなかった。
 赤(レッド)と灰色(グレイ)、例の二色の球が、ゆっくりとではあるが、こちらに向かって来ているのだ。

「みんな気をつけて! 見た目は愉快だけど、それなりに手ごわいはずよ!」

 私の言葉に頷きながら、皆それぞれ、呪文を唱え始める。
 私の使い魔サイトは剣を構え、キュルケの使い魔フレイムも、主人の近くへジリジリと歩み寄りながら、身構えている。
 シルフィードは変化を解き竜の姿に戻り、いつのまにかタバサをその背に乗せていた。どうやらタバサは、空中から球体魔族を迎え撃つつもりらしい。

「デル・ウィンデ」

 空で放たれた『エア・カッター』が、魔族目がけて飛ぶ。
 風の刃なので普通ならば不過視であるが、水蒸気の霞むこの戦場では、その軌道も見えてしまう。
 灰色(グレイ)の方がフワリと動き、自分からタバサの魔法にぶつかってゆく。

 シュッ!

 風の刃が、その体にまともに吸い込まれ......。
 全く同時に、赤(レッド)の方から風が吹き出してきた!
 
「ええっ!?」

 ちょうどキュルケがレッドの正面にいたため、鋭利な風は彼女へと向かう。
 しかし彼女も魔法を放つタイミングだったため、得意の炎で迎撃。事なきを得た。

「もしかして......これって......」

 疑問に思う私の傍らで、今度は姫さまが魔法を撃つ。
 魔力のこもった水の塊が、レッドに向かって突き進む。

 ひゅんっ!

 風を唸らせ、グレイが動いた。
 それは明らかにレッドをかばい、水の塊をまともに受けて......。

 バシャッ!

 同時にレッドの全身から、こちらに向かって放水が!

「やっぱり!」

 慌てて跳び退く私。
 ......間違いない。この二体、どうやらグレイの方で攻撃を受け止め、レッドがそれを増幅し、撃ち返すようになっているらしい。

「みんな! 狙うなら赤い奴よ!」

「おうっ!」

 応えてサイトが、愛剣デルフリンガーを手に携え、レッドに向かって突っ込んでゆく。
 その彼の行く手を阻み、フワリと前に出るグレイ。しかしサイトは脇をすり抜け、レッドに肉薄する!
 慌てて逃げにかかるレッド。跳ね上がるように真上に昇り、剣の間合いの届かぬ位置で、再びピタリと静止した。
 しかし......甘い! レッドを狙っていたのは、サイトだけではなかったのだ!
 レッドよりさらに高いところから飛来する、無数の氷。タバサの『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』だ。避けられる数でもタイミングでもなかったが......。

「!?」

 レッドの色が一瞬にしてスウッと薄まり、かわりにグレイの方に朱の色がさす。
 ......入れ替わった!?
 グレイと化した球体に吸い込まれた氷の矢は、レッドと化した球体――さっきまでグレイだった方――から飛び出てくる。......つまり、サイトの背後から!

「相棒!」

「いっ!?」

 手にした剣に注意を促され、慌てて振り向きながら、サイトは剣を突き出す。
 ......間に合った。
 魔力の氷は、すべてサイトの剣の中へ。デルフリンガーの魔法吸収能力である。

「......助かったぜ」

「いいってことよ」

 剣に礼を述べつつ、サイトは、いそいで敵との距離を取った。
 しかし......たかだかボールのくせに、なかなか器用な奴らである。色を変えて、性質までも変えるとは......。
 あるいは......ひょっとしてこいつら......。
 無理矢理ラルターク=アルトーワが具現化した二匹だとばかり思っていたが、実は、このペアで一匹なのではないだろうか? 別個の二つの存在にしては、あまりに連係が良過ぎる。
 案外、まだ本体は精神世界に置きっぱなしなのかも。攻撃と防御を司る端末部分だけをこちらの世界に送り込み、私たちに攻撃をしかけているのではなかろうか?

「どうやらこいつら、二匹を同時に攻撃するしかないようね......」

 グレイとレッドは再び互いに近づき合い、サイトは無視して、私の方へとやってくる。
 別に私が攻略法を口にしたから、というわけではあるまい。あくまでも本来の目標は私、ということらしい。

「同時攻撃なら......あたしに任せて!」

 叫んだキュルケの隣で、フレイムも一声吠える。
 なるほど、攻撃のタイミングが重要であるなら、メイジと使い魔の阿吽の呼吸が一番、ということか。
 私が頷く間にも、キュルケは呪文を唱え始める。この呪文は......『炎の蛇』だ!
 フレイムも口に炎を溜め、そしてキュルケは杖を振りかぶり......。

 ごがぉぅんっ!

 レッドとグレイ、二つの球体が、大爆発をまき起こした!

########################

「......う......」

 小さなうめき声を上げ、私はその場に身を起こした。
 とたん、ズキンと体のあちこちが傷む。
 たいしたケガではないようだが......。
 どうやら一瞬、気を失っていたらしい。
 まだ少し頭がボンヤリしている。耳の方も爆音でやられたか、周りの音が聞き取りにくい。
 ......そうか......あのボールがいきなり爆発して......。

「......みんなは......!?」

 慌てて視線をめぐらせば、私以外の仲間は無事なようだ。
 一番近い私だけが、この有様。まあ『近い』といっても、それなりの距離があったため、たいしたダメージは受けていないが。

「ルイズ!」

「大丈夫ですか!?」

 サイトと姫さまが、私の方に駆け寄ってくる。
 キュルケに至っては、杖を振り上げたポーズで立ちすくんでいた。

「......あたし......まだ魔法を放ってないんだけど......」

 フレイムも同じだったと見えて、口に溜めていた炎をゴクンと飲み込む。ただ量が多すぎたせいか、少しの炎がゲップのように口から飛び出した。

「......では、自爆したということでしょうか?」

 私を『水』魔法で治療しながら、姫さまが言えば、

「そのようだな」

 横で見守るだけのサイトも同意する。
 ......そうかなあ?
 私が疑問を口にしようとした時。

「......違う。たぶんやったのはジュリオ」

 頭の上から降ってきたのは、タバサの声。
 まだ彼女は、シルフィードと共に空にいるのだ。

「そうね。私もタバサと同意見だわ」

 言いながら、私はジュリオに視線を向けた。
 ......おそらくジュリオは、竜神官・竜将軍コンビと戦いながらも、スキを見て、こちらに加勢してくれたのだ。攻撃の火線は見えなかったので、精神世界を通して、力だけを直接ボールに叩きつけたか、あるいは、それこそ精神世界にいた本体の方をやっつけてくれたのかもしれない。

「......ということは、この魔族は、倒されたとたんに爆発する仕組みだったと......?」

「きたねぇことしやがるっ! あのラルタークって奴、最初からそれが狙いだったんだな!?」

 姫さまもサイトも理解したらしい。クラゲ頭のサイトだって、戦闘においては、それなりに頭が働くのだ。

「そうよ......。私を爆発に巻き込んで始末するつもりだったのよ......」

 ただ、ラルターク=アルトーワにとっての誤算は、爆発力がそれほど強くなかったこと。
 いずれにしても、この借りはキッチリ返す! ......ジュリオにも、援護のお返ししなきゃいけないし。

「サイト! アレやるわよ!」

 回復した私は、サイトの手にしたデルフリンガーを指さしながら、呪文を唱え始めた。

「......黄昏よりも昏きもの......血の流れより紅きもの......」

 狙いはラルターク=アルトーワ。
 これではジュリオたちの思惑どおりな気もするが、この状況では仕方がない。
 奴らの魂胆はともかく、ラルターク=アルトーワは倒しておくべき相手......。それだけは、確実なのだから。

「......時の流れに埋もれし......偉大な汝の名において......我ここに闇に誓わん......」

 私から見てジュリオの右手にいたラルターク=アルトーワが、私の呪文詠唱に気がついた。
 これが『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』だということくらい、彼にもわかっているはず。この世界の魔王、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥの力を借りた攻撃魔術である。だが人間という器を通して発動するものである以上、おそらくラルターク=アルトーワほどの大物魔族に対しては、決定打とはならないだろう。
 しかし......である。
 サイトのデルフリンガーに『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』をかけ、その力を赤い光の刃として収束させた時、その破壊力は絶大なものとなる。
 ラルターク=アルトーワがそこまで察したのかどうか、私にはわからない。そもそも、彼がカンヅェル=マザリーニの最期を詳しく知っているのかどうか、それも不明である。
 ともかく、放っておけぬと判断したようで、ラルターク=アルトーワは、小さな魔力光を一発、私に向かって放った!

「......我等が前に立ち塞がりし......すべての愚かなるものに......我と汝が力もて......」

 かまわず詠唱を続ける私。
 炎と氷と水の三重の魔法防御壁が現れ、迫り来る魔力光を無効化する。
 使い魔のサイトだけではない。今は、仲間のみんなが、私の呪文詠唱の時間を稼いでくれているのだ!

「何!?」

 自分の攻撃の不発に、動揺の色を浮かべるラルターク=アルトーワ。
 そして、その瞬間。

「......等しく滅びを与えんことを!」

 私の魔法が完成した!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 叫んで振り下ろした杖に応じて、サイトの魔剣が、赤い光の刃を生み出す。
 左手のルーンを輝かせながら、サイトはラルターク=アルトーワ目がけて地を蹴った。
 ラルターク=アルトーワは、いまだ動揺の色を浮かべたまま、やおら、その『気』をふくらませる。

 ブァッ!

 吹き付けてくる圧力は、サイトだけではなく、後ろの私たちのところにまで届いた。
 むろん『気』といっても、これは瘴気に近いエネルギー。こんなモノを延々浴び続けながら前進するなど、普通の人間には難しいが......。

「相棒! 心を震わせろ! おめえさんは、こんなものには負けねえ!」

「おう!」

 左手の輝きをさらに強めて、サイトは突き進む!
 彼はガンダールヴなのだ!

「ちぃっ!」

 ラルターク=アルトーワは舌打ち一つして......。

 ドンッ!

 身をかわそうとした、その瞬間。
 虚空から突き出した一本の黒い錐が、竜神官の腹を刺し貫いた!
 ......ジュリオの攻撃だ!

「ぐがぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁっ!」

 ラルターク=アルトーワの絶叫がこだました。
 そして......。

 ゾブッ!

 悲鳴を上げる竜神官の胸ぐらを、サイトの魔剣が刺し貫く!
 さらに身をのけぞらせるラルターク=アルトーワの頭を、突如出現した二本目の錐がまともにぶち砕く!
 それが......。
 ラルターク=アルトーワの最期だった。
 ......剣を引き抜き、サイトがバッと跳び退くと同時に。

 ぱしゃあっ!

 まるで、叩きつけられた果物が砕けるかのように、ラルターク=アルトーワの姿は四散した。
 あとにはただ、蒼黒い液体が、ドロリとわだかまっているばかり。
 そして、その液体もまた、風に溶けたか地に吸われたか、みるみるうちに消えてゆく。
 あとに残るは、ジュリオとラーシャート=カルロ。
 どちらもハンサムな好青年の顔をしているが、一方はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべ、もう一方は、茫然と立ちすくんでいた。

「......ラ......ラルターク殿......!?」

 震える声でつぶやいて、竜将軍は、ゆっくりと視線を獣神官に移す。

「......さて......」

 ジュリオが何やら、口を開いたそのとたん。

「ひぃぃぃっ!」

 情けない悲鳴だけを残して、ラーシャート=カルロの姿がかき消えた。

「......」

 一同、しばしの沈黙。

「......あ......あっさり逃げちゃったなあ......」

 やがて、他人事のようにジュリオがつぶやいた。
 ......『逃げちゃった』って......あんたがそんな態度でどうする!?
 そう私がツッコミを入れようとしたタイミングで。

「きゅいっ!?」

 ひときわ大きな声で叫んだのは、韻竜のシルフィード。
 すでに地面に降りてはいるが、まだ背中にタバサを乗せたまま。そして、シルフィードの視線の先は......。

「ゲートが消えちゃったのね!」

 崖の一部が、ぽっかりと大きく抉りとられている。
 ......あ。

「『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』への道が......閉ざされた!?」

「そうなのね! 大変なのね! きゅいきゅい!」

 私は、岩壁の大きく抉られたところ――『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』に通じるゲートのあった場所――へと行き、ためしに右手を突き出してみる。
 伸ばした手の先には、ごくごく平凡な、硬い岩の感触があるばかり。先ほどのように通り抜けられる......なんてことはない。
 おそらく、あの空間の中からラルターク=アルトーワが爆発を起こしたせいなのだろうが......。

「......これって......『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで消えちゃったわけ?」

 後ろから覗き込みながら、キュルケが、誰ともなしに問いかける。
 私は、首を横に振ってみせた。

「違うと思うわ。......あそこへ通じる道も、一つじゃなかったし」

 入り口は他にもあるのだ。でなければ、ラルターク=アルトーワがあの空間内まで追って来られたことが説明つかない。

「......そうでしょ? あの程度のエネルギーでは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』までは消し去れない......のよね?」

 私は振り返り、ジュリオに確認をとる。
 答えてくれないかとも思ったが、おとなしくジュリオは頷いてくれた。

「なあ......それよりさ......」

 今度は、サイトが何やら言い始めた。

「......敵も追い返したんだし、大事な場所への入り口も壊れたっていうなら、こんなところに長居は無用だろ。早く麓に降りようぜ」

 あ。
 言われて気づく私たち。
 戦闘に集中していて忘れていたが......。
 ここは火竜山脈。あっついあっつい火竜山脈。
 みんな汗がダラダラ。それより何より、シャツも濡れて肌に張りつき、それぞれ体のスタイルが丸わかりな状態。

「まあ! なんてことでしょう......」

 姫さまが顔を赤らめるのと同時に。
 私は、ニヤけたサイトの頭をブッ叩いていた。

########################

「ねえ、ジュリオ......」

 山の麓の涼しい場所まで移動して、ひと休み。
 汗で濡れた服も乾かし、さあ、また動き出そうかというところで、私はジュリオに話しかけた。

「あんた、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』へ続くほかの場所......知ってるのよね?」

 あくまでも『始祖の祈祷書』にこだわる私。
 クレアバイブルは『始祖の祈祷書』だけではなく、実際、以前に私は『始祖のオルゴール』から虚無魔法を教わったことがある。
 しかし、だからこそ、私にはピンと来ていた。
 クレアバイブルの中でも『始祖の祈祷書』だけは特別なのだ......と。『始祖の祈祷書』だけが、『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』クラスの知識を伝授し得るのだ......と。
 そんな私の内心を知ってか知らずか、ジュリオは平然と、

「一応いくつか知っているけど、君を連れてくわけにはいかないよ。......簡単に行ける場所ではないし、教えることもできないね」

「どうして?」

「......どうして......って......。僕の仕事は、ここから君を『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』まで行かせること。ここのゲートが消えたからといって、勝手に別のところへ案内したら、それこそ僕が怒られてしまうよ」

 肩をすくめるジュリオ。
 まあ、だいたい予想できた答えではあるが......。

「......僕は使い魔だからね。主人の命令には、絶対服従なのさ」

 そう言って、サイトやシルフィードやフレイムに目を向ける。
 ......いやフレイムはともかく、サイトやシルフィード、特にシルフィードなんて『絶対服従』ではないぞ。
 私たちの視線に無言のツッコミを感じたのか、ジュリオは、さらに。

「......特に僕は元々、しがない魔族だからね。上の命令には絶対服従というように作られてるのさ。今回ラルタークさんやラーシャートさんが敵に回ったのだって、彼らの創造主である魔竜王(カオスドラゴン)ガーヴの命令があったればこそ」

「......けど、魔族が上の命令に絶対服従なら、なんでガーヴは『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに逆らえるのよ?」

「うーん......そこには、まぁ色々と事情があってね......」

 これに関しては話してもかまわないと判断したようで、ジュリオは、ゆっくりと語り始めた。

「そもそもは......千年前の降魔戦争だな。あの時、赤眼の魔王(ルビーアイ)と魔竜王(カオスドラゴン)のおふたかたが水竜王と直接対決したんだけど、その際に魔竜王(カオスドラゴン)は倒されてしまってね」

「水竜王......?」

 聞き慣れない単語に、思わず聞き返す私。

「ああ、そうか。人間たちの間では、エルフが頑張ったことになってるんだね。......うん、エルフも戦ったけど、エルフごときが、赤眼の魔王(ルビーアイ)様を封印できるわけないだろう?」

 ニヤリと笑うジュリオ。
 ......これは驚いた。では......伝承は間違っていた!?

「水竜王......たしかエルフたちは『海母』と呼んでいたかな? その、一匹の老獪な水韻竜が、降魔戦争における最大の強敵だったよ。......今じゃおとなしくしているらしいが、千年前は結構すごい奴でねえ......」

「......水韻竜......!?」

 何人かが、視線をシルフィードに向ける。
 シルフィードは、小さく手を振りながら、

「知らないのね。初耳なのね。たぶん、そのひとが住んでた『竜の巣』と、私が住んでた『竜の巣』は、別物なのね」

 ......こいつ......本気で役に立たねぇ......。

「......そんなに彼女を責めてはいけないよ。まだ彼女は幼生なのだから。......ともかく話を戻すと、『倒された』といっても、魔竜王(カオスドラゴン)は、別に滅んだわけではなかった。一時的に力を封じられ、この世界に干渉できなくなるだけ。普通なら、ほうっておけば、いずれ復活するはずだった」

「......復活しちゃうわけ? あんたたち魔族って......?」

 今まで苦労して魔族を倒してきた私たちにしてみれば、とんでもない話である。

「それは当人の力や、倒されかた次第だね。......『滅ぼされた』ものは、能力や意志や記憶や魂をバラバラに細分化されているから、もとの形で復活することは絶対にあり得ない。一方、『倒された』ものは、この世界に具現する力を失っているが、悠久の時の中で力を取り戻せば、いずれ再び、こちらの世界に具現することも出来る」

 ......ということは。
 カンヅェルやらグドゥザやらデュグルドやら、今まで私たちが相手してきた連中は『滅ぼされた』みたいだから、復活できまい。
 ヴィゼアや名もなき魔族たちは、そもそも『当人の力』が足りないから、復活なんて論外か......。

「......ところが、水竜王が魔竜王(カオスドラゴン)に、おかしな封印をかけてしまってねえ。同じ『竜(ドラゴン)』という属性を利用した術だと思うんだが、魔竜王(カオスドラゴン)を人の身として転生させたんだ。人の身として転生を繰り返すことで、徐々に消滅させようとしたんだね」

 あれ?
 どっかで聞いたような話......。

「ちょっと待って。それって......始祖ブリミルが魔王をその身に封じたようなもの?」

「ああ、うん。ちょっと似てるかな。......おそらく、それも利用した術だったんだろう。赤眼の魔王(ルビーアイ)様と同じく、ブリミルの血族に転生していくようだから」

「......え? じゃあ魔竜王(カオスドラゴン)も虚無のメイジ......? あんたの主人の冥王(ヘルマスター)みたいに......?」

 しかしジュリオは苦笑しつつ、

「いやいや。虚無のメイジとは限らないよ。......それに冥王(ヘルマスター)様のケースとは全く違う。冥王(ヘルマスター)様は、僕の知る限り、今まで『倒された』ことなどない。だから我が主人も、本来は『冥王(ヘルマスター)』ではなく『赤眼の魔王(ルビーアイ)』として覚醒なさるはずだったのに......」

 言葉が尻すぼみになる。
 あまり自分や自分の主人については語りたくないのか、彼は、話題を魔竜王(カオスドラゴン)の一件に戻した。

「まあ水竜王の術は不完全だったらしく、転生を繰り返すうちに、魔竜王(カオスドラゴン)としての記憶と能力を取り戻してきたんだ。受け継いだ人間が『魔竜王(カオスドラゴン)』として覚醒するたびに、より完全な『魔竜王(カオスドラゴン)』となる......。僕たちはそう期待していたんだけど......」

 ここで、ジュリオは顔をしかめた。

「......何度も何度も転生するうちに、復活した『魔竜王(カオスドラゴン)』の魂が、一部、人間と同化しちゃったみたいでね。基本的には魔族としての特性の方が強いんだが、変なふうに混ざり込んだ人間の特性のせいで、アッサリ赤眼の魔王(ルビーアイ)様から離反しちゃったんだ」

 ようやく話が見えてきた。
 つまり現在の魔竜王(カオスドラゴン)には、滅びを望む魔族の性質だけでなく、生存を望む人間の性質もあるわけだ。
 私は、確認の意味で口に出してみる。

「......裏切った自分が生き延びるために......『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥ率いる魔族たちと対決する......」

「そういうことだ。今現在この世界に具現なされている赤眼の魔王(ルビーアイ)様は、いわゆる『聖地』の『東の魔王』様、ただ御一人のみ。しかも水竜王に半ば封印され、完全に力が振るえない状態だから、『聖戦』と称して人間たちや竜と共に攻め込めば、なんとかなると思っていたようだが......」

「計画はアッサリ潰された......」

 声は、私たちの後ろから聞こえてきた。
 慌てて振り向けば、右手に抜き身の剣をぶら下げ、佇む竜の鎧の騎士。
 ......また来たか......。

「......ほう。お戻りになりましたか。ラーシャートさん」

「ラルターク殿の倒れた今、私だけでは貴様には勝てんが......。少なくとも、その娘だけでも始末しておかんとな」

 淡々とした口調のジュリオに、憎悪のまなざしを向ける竜将軍。

「なるほど。お気持ちはわかりますが、残念ながら......」

「ジュリオ!」

 彼の言葉を遮って、やおら響いたのはタバサの声。
 同時に、何かの気配が生まれた。

「......くっ!?」

 珍しく焦りの色を滲ませて、慌てて身をひるがえすジュリオ。
 瞬間、虚空に生まれた蒼い閃光が宙を裂く!

 ゾムッ!

 その一撃をかわし切れず、ジュリオの右の腕が、肩の辺りからバッサリ斬り落とされる!

「......何が......!?」

 私が事態を理解するより早く、続く横薙ぎの一撃が、ジュリオの腹を切り裂いた!
 ジュリオは大きく身を退くが、そのままガックリその場に膝をつく。致命傷ではなかったようだが、かなりのダメージを食らったらしい。
 斬り飛ばされた右腕は、大地に落ちるのと同時に、黒い霞みと化し、そして消えた。

「ジュリオ!?」

 慌てて思わず、彼のそばへと駆け寄る私たち。
 今の一撃は......ジュリオの黒い錐と同じく、虚空から来たように見えたのだが......。

「精神世界面からの攻撃は、あんたの得意技だったわね。獣神官さん」

 意地悪そうな女性の声に振り向けば、佇む一人の少女。
 年齢は私たちと同じくらいか。目は細く、その瞳と同様に、髪は青みがかっている。肩まで伸ばされた青髪は丁寧にすかれ、絹の糸のように柔らかく、サヤサヤと風にそよいでいた。
 なぜか大きな豪華な冠をかぶっており、それに引っ張られる形で、前髪が少し持ち上げられ、滑らかな額が覗いている。これはこれでチャーミングなオデコかもしれないが、むしろ男を惹き付けるのは、その唇であろう。ぽってりと艶かしいツヤを放ち、紅で真っ赤に彩られた唇......。
 その妖艶な唇を、少女は舌でぬぐった。この下品で粗野な仕草が、顔立ちの持つ高貴さと品の良さを、一瞬で台無しにしてしまう。

「......おひさしぶりですね......」

 地面にうずくまったまま、ジュリオは呻くように言った。

「......魔竜王(カオスドラゴン)ガーヴ......」

########################

 ......そうか......。
 私は悟った。
 ラーシャート=カルロがアッサリ姿を消して、またノコノコ現れたのは、こいつを呼んでくるためだったのだ。
 しかし......この髪の色は......まさか......。

「......イザベラ......?」

 私の想像を裏付けるかのように、タバサがポツリとつぶやいた。
 キュルケが彼女に問いかける。

「知ってる人なの?」

「......ジョゼフ王の娘......ガリア王国の王女イザベラ......」

「今度は......ガリア王女の名と姿を騙る魔族ですか!?」

 姫さまが声を荒げた。
 しかし、タバサは首を振る。

「......違う。騙っているわけではない」

「......ということは......!」

 タバサの一言で、姫さまも理解したらしい。
 先ほどのジュリオの説明もあったのだから、話は簡単。
 現代で『魔竜王(カオスドラゴン)』として覚醒したのは、ガリアのイザベラだったのだ!
 ......魔竜王(カオスドラゴン)の一派は、トリステイン、アルビオン、ロマリアに魔族を送り込み、それぞれの国を操ろうと企んでいた。歴史ある四大国家の中でガリアだけが無視されるはずもなく、ガリアにも魔の手が伸びているであろうと薄々想像していたのだが......。
 まさか、王女が『魔竜王(カオスドラゴン)』そのものだったとは!
 ......それにしても、ある意味「あの親にして、この子あり」なのかもしれない。父はジョゼフ=シャブラニグドゥとなり、娘はイザベラ=ガーヴとなったのだから......。

「ひさしぶりね、人形娘。あんた、多少魔法が使えるからって、調子にのってたみたいだけど......」

 タバサに向かって挨拶するイザベラ=ガーヴ。
 彼女がサッと手を振ると、タバサの頭の上に小さな蒼い雲が現れ、泥混じりの降雨がピンポイントでタバサを襲った。

「......今じゃ私の方が魔力も上よ? おほ! おほ! おっほっほっほ!」

 ......そういうことか。
 タバサとイザベラは、血をわけた従姉妹。だが、ジョゼフの娘が優秀だったという噂は聞かない。つまり、タバサとは違って、イザベラには魔法の才能がなかったのだ。
 さりとて、無能王ほど酷ければ話題になったかもしれないが、それほどでもない。まったくのゼロならば、いずれ虚無に目覚めたかもしれないが、そういうわけでもない。中途半端に、魔法が苦手なメイジ......。
 きっとタバサの魔法の才能に嫉妬していたに違いない。それがイザベラ=ガーヴとなった今......。

「......まあ、いいわ。あんたとは、あとでゆっくり遊んであげる。それより今は......」

 イザベラ=ガーヴは、うずくまるジュリオに視線を向けた。
 ジュリオは純粋な魔族なので、当然、血などは一滴も流れていない。ただ斬られた傷が、真っ白い断面を見せているだけ。

「......さすがは獣神官ね。この私の攻撃を二発もくらって、まだ生きてるなんて。......ラーシャートやラルタークなら、今のでアッサリ滅びてるわよ」

 ラーシャート=カルロが不満げな顔をするが、それを見ても彼女はニヤリと笑うだけ。
 ......間違いない。さっきのタバサへの態度から考えても、こいつ、部下や召使いを虐めて喜ぶタイプだ。

「とはいえ、その傷、ちょっとやそっとじゃ回復しないわよ。時間をかければ、力の回復も出来るだろうけど......」

「わかってますよ。......これだけ力を失えば、ラーシャートさんと戦ってさえ、勝てるかどうか......」

「『さえ』とは何だ!?」

 今度は不満を言葉に出すラーシャート=カルロ。
 しかしイザベラ=ガーヴは、これを無視して、

「まったく......本当に色々とやってくれたわね......」

 ジュリオを見据えたまま、ネチネチと愚痴を口にする。

「わけのわからん企みだけならまだしも、ラルタークは倒してくれたし。せっかく苦労して、こそこそ動いて根回ししてたのも、あっさり台無しにしてくれたし。......ロマリアなんて『聖戦』発動のキーになるだけに、特に痛かったわよ」

「何言ってんのよっ!」

 思わず私は声を上げ、ビシッとラーシャート=カルロを指さして、

「そこの竜将軍がっ! 私を始末しようとして、勝手にメチャクチャやらかしたんでしょうがっ!」

 私の言葉に、イザベラ=ガーヴは眉をひそめてこちらを向く。

「何を言ってるの? お前も人形娘の仲間だけあって、頭ん中には脳ミソじゃなくてオガクズでも詰まってんのかしら......?」

「ガーヴ様の言うとおりだ。......お前、気づいておらんようだな」

 ラーシャート=カルロが言う。

「宗教都市ロマリアを火の海にしたのは、そこの獣神官だということに」

 ......え?
 私は一瞬、言葉を失い、視線をジュリオの方に移す。
 しかし彼は、無言のままで、その場にうずくまっているだけ。
 ......いつもと変わらぬ笑みを浮かべて。

「......で......でも......」

「はっきり言ってやろうか。小娘」

 ラーシャート=カルロは、私に向かって言い放つ。

「私の役目は、ロマリア皇国の戦力を手に入れることと、『聖戦』を発動させること。本当なら聖堂騎士隊隊長なんかじゃなく教皇に化けるつもりだったが、あいにく教皇の所在は不明だったからな......」

 教皇聖下行方不明の噂は、本当だったらしい。
 いないならいないで、それこそ、すり替われば良かったのに......。まあ、あとで本物が突然現れたら困ると思ったのかな?
 その辺、魔族の考え方は私には判らない。だいたい、ラルターク=アルトーワは「人間のフリをするのは難しい」と考えていたようだが、今の発言から判断するに、ラーシャート=カルロは「そんなの余裕」と思っていたようだし......。

「......お前の抹殺は、アルビオンの作戦に失敗したラルターク殿の役目だったんだよ。もちろん、お前がロマリアに来た時、ついでに殺してやろうとは思ったが......。それは、お前が仕事を終えた後だ。お前も、それなりに利用できそうだったからな」

 なるほど。
 大聖堂での依頼は、嘘ではなかったわけか。

「ところが、姿と声を変えた獣神官が、お前の命を狙うフリをして、ロマリアをズタズタにしやがった。......考えてもみろ。貴様が冥王(ヘルマスター)の計画の一部だということはわかっておるが、正体さえわからん計画を潰すために、自分たちの計画をワザワザ潰す馬鹿がどこにいる?」

 ......いや......あんたも結構バカだと思うんだけど......それは言わぬが華でしょうね。
 だいたい、私だって、人のこと言えるほど利口じゃなかった。
 完全に、ジュリオの手のひらの上で踊らされていたのだ。
 魔竜王(カオスドラゴン)たちの戦力を潰し、なおかつ、それがラーシャート=カルロの仕業だと私に誤解させ、魔竜王(カオスドラゴン)たちへの怒りを煽り立てる......。
 それが一連のジュリオの行動だ。
 踊ってやってるつもりが、むこうが一枚上手だった......。

「......とまぁ、人形娘の仲間たちでも話が理解できたところで......」

 傲慢さが強く浮き出た声で、イザベラ=ガーヴが話をまとめる。
 彼女は、自身の杖をジュリオに突きつけて、

「そろそろ白状してくれない? お前の主人が、一体何を企んでいるのか」

「残念ですが......僕は冥王(ヘルマスター)様から、計画の目的は聞かされてないんです」

 前にも聞いたような答えを返す彼。
 しかしイザベラ=ガーヴは平然と、

「そう? でもお前、どうせまだ、ちょくちょく獣王(グレーター・ビースト)のところにも顔を出してるんでしょ? ......あんたの大好きな獣王(グレーター・ビースト)と二人であれこれ話し合えば、冥王(ヘルマスター)の計画ぐらい、推測できてるんじゃなくて?」

 そうなのだ。
 ジュリオは『知らない』とは言っていない。おそらく、こいつは......。

「......獣王(グレーター・ビースト)様を貶すような発言は困りますね......」

 苦笑を浮かべて言うジュリオ。
 ......あれ? 今のイザベラ=ガーヴの言葉って......そうだっけ?

「たしかに......お察しのとおり、今回の計画の詳細は把握しています。今回の計画の目的は......」

「目的は?」

 おうむ返しに問うイザベラ=ガーヴに、ジュリオは蕩けるような笑みを返し、

「......秘密ですよ。王女さま」

 言ったそのとたん。
 スッとジュリオの姿がかき消えた。

「逃げるかっ!?」

「追いなさい。ラーシャート」

 動揺の声を上げた竜将軍に、冷たく言い放つイザベラ=ガーヴ。

「すぐに私も加勢に行ってあげる。......もっとも、今の獣神官なら、お前だけでも倒せるでしょうけどね」

「はっ!」

 応えて消えるラーシャート=カルロ。

「......さて、と......」

 つぶやいて、イザベラ=ガーヴはゆっくり、こちらに向き直る。
 ジワリと一歩、私は後ずさる。

「冥王(ヘルマスター)の企みが何なのか、結局わからなかったけど......。ともあれ、お前には死んでもらうわ」

 やっぱり、私か。
 タバサじゃないの? ......なんて言ってみたい気もしたが、止めておく。友だちを売るような真似はしたくないし、それに、どうせ私の後でタバサも殺すつもりだ。

「冥王(ヘルマスター)の計画を潰す意味もあるし......何より、今までさんざん、お前たちは私たちの計画を引っかき回してくれたみたいなんでね」

「そうは......させねぇ」

 言葉を返したのは、サイトだった。
 左手のルーンを光らせて、ゆっくりとした足取りで、私とイザベラ=ガーヴとの間に立つ。

「あら......『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』じゃない。面白いもの持ってるわね」

 デルフリンガーに目をやって、パッと顔を明るくするイザベラ=ガーヴ。
 まるで、オモチャでも見つけた子供のような口調である。

「おい! 俺っちを変な名前で呼ぶんじゃねぇ!」

「なあに? 剣のくせに、私に口答えする気? ......もしかして、あんた自分のこと、ブリミルに作られたって思ってんのかもしれないけど......。ただの人間が、あんたみたいなインテリジェンスソード作れるわけないじゃない! おっほっほっほ!」

 イザベラ=ガーヴが高々と笑う。
 始祖ブリミルも『ただの人間』ではないと思うのだが......。
 それより何より。
 今の口ぶりだと......こいつはデルフ誕生の秘密を知っている!?

「あら、知りたいの?」

 私の瞳に浮かぶ好奇の色に、彼女は気づいたらしい。

「......ふふふ。じゃあ......もしも私に勝ったら、教えてあげるわ!」

 言って杖を構えるイザベラ=ガーヴ。

「人形娘も含めて......お仲間のみんなも、ついでにかかってらっしゃい!」

「なら、行くわよ!」

 私の叫びが、戦闘開始の合図。
 長々とイザベラ=ガーヴが語っていた間に、姫さまもタバサもキュルケも、すでに呪文は唱え終わっている!
 三人が同時に杖を振り下ろした。
 水と氷と炎の魔法が、一緒になってイザベラ=ガーヴに襲いかかる。
 青白赤の三色の混じり合った火柱が、一瞬、イザベラ=ガーヴの体をのみこみ......。

 ぴぎぃぃぃぃんっ!

 鋭く済んだ音を立て、その火柱が砕け散る!

「なっ......!?」

「......この程度の術なら、まともに受けたところで、子猫に舐められたみたいなもんだけど......。それでも、ちょっと気持ち悪いからね。一応、防がせてもらったわ」

 唇の端を吊り上げつつ、イザベラ=ガーヴが言う。
 ......なんだ、その表現は。『子猫に噛まれる』にも達していないのか。

「そっちの男が持つ『烈光の剣(ゴルンノヴァ)』とて、人間が使っている限り、たいしたことないわよ。......人間の分際で今の私を倒したいなら、話に聞く『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』でも連れてくることね」

 ......おや......?

「......『烈風の騎士(スィーフィード・ナイト)』なら、結婚して引退したわ......。もう今じゃ普通のオバサンよ......」

 私の言葉を、ただのたわごとと思ったか、全く無視。
 ま、いいけど......。
 何はともあれ、こうなれば、やっぱり!

「サイト! いくわよっ!」

「おうっ!」

 私のやりたいことを察して、デルフリンガーを構えるサイト。
 そして私は、呪文を唱え始める。

「竜破爆(ドラ・エク)? それも効かないわよ」

 小馬鹿にしたように、わずかに眉を寄せるイザベラ=ガーヴ。
 とはいえ、何か防御呪文を唱えたらしい。口笛のような音が聞こえた。
 なめてかかっているのであろう。律儀にこちらの呪文詠唱を待ってくれているが......。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 カッ!

 私が杖を振ると同時に、サイトの手にした剣の刃が赤く輝く。

「へえ!」

 驚き半分、興味半分の声を上げ、初めてイザベラ=ガーヴが身構えた。
 これを知らなかったところを見ると、竜将軍は彼女に、竜神官が倒れたときの詳細を報告していなかったようである。

「そういう手があるのね! 面白いわ! 人形娘なんかと遊ぶより、よっぽど楽しめそうね!」

 むしろ喜々とした声で言い、サイトの方に向き直る。
 彼女の手にした杖が、薄蒼く光った。『魔竜王(カオスドラゴン)』の魔力を杖に纏わせ、これでサイトと斬り合うつもりらしい。

「なら......行くわ!」

 吠えて地を蹴る魔竜王。
 ......いや、ガリアの王女なのだから、魔竜王女とでも呼ぶべきか。
 ともかく、彼女の動きは速かった。
 斬り上げるような一撃、そして、転じて放つ鋭い突き。

「おっと!?」

 サイトは剣で、それら全てを受け止める。

 ヂィッ! バヂッ!

 赤く染まった光の刃が、魔竜王女(イザベラ)の繰り出す蒼い刃を受ける度に......。力の余波が風を振るわせ、赤と青のプラズマがほとばしる。
 おそらく、その一撃ごとに力を失っているのは、サイトのデルフリンガーのほう。魔竜王女(イザベラ)の杖は、むしろ輝きを増している。
 武器の扱いに長けたガンダールヴのサイトと、元々は軟弱な王女であった魔竜王女(イザベラ)。彼女が『魔竜王(カオスドラゴン)』としての力を手に入れた今でも、ひょっとしたら、純粋な剣術の技量はサイトの方が上かもしれない。だが、デルフリンガーが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を失えば、サイトの不利は目に見えている。
 となれば、とっとと決着をつけるしかないのだが......。

「わたくしたちは、見てることしか出来ないのでしょうか......」

「......下手な援護は、かえって迷惑。あれはもう......私の知ってるイザベラじゃない」

 二人の王族の少女が言うとおり。
 今、魔竜王女(イザベラ)にダメージらしいダメージを与える手段は......たぶん私しか持っていない。
 しかし......いくらなんでも、あれの正体を知った以上、さすがに使うのは抵抗がある。結局『四の四』が何か、それもわからなかったし......。
 とはいえ、このままサイトを放っておくわけにもいかない。
 ......サイトは、私の大切な使い魔なのだ!

「......おーしっ! やっちゃえやっちゃえ!」

「ルイズ!? いきなりどうしたのです!?」

「あ。......なんでもありません、姫さま。ちょっと自分にハッパかけただけですから」

 思わず声に出してしまったか。てへ。
 だが、ともかく。
 ......あっちなら、ほとんど暴走の危険もないだろう!
 意を決した私は、まず魔力増幅の呪文を唱える。
 四つの指輪――『魔血玉(デモンブラッド)』――が、四色の淡い光を放つ。
 そして。

「......悪夢の王の一片(ひとかけ)よ......世界(そら)のいましめ解き放たれし......凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ......」

「何ぃっ!?」

 私の呪文を耳にして、まともに驚愕の声を上げる魔竜王女(イザベラ)。
 すかさずサイトが斬り掛かるが、彼女は素早く身を退く。この一撃は、胸元を浅くかすめるに終わった。
 この呪文の最初の部分、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』から得た知識のおかげで、以前とは少し異なっている。ここから先は同じだが......。

「......我が力......我が身となりて......共に滅びの道を歩まん......神々の魂すらも打ち砕き......」

 そう。
 これこそ、おそらく完成版の......。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 ヴゥゥゥゥォォォォオオッ!

 空間そのものをまともに震わせ、虚無の刃が杖に沿って形成される。

「......くぅっ......!?」

 たまらずうめき声を上げる私。
 威力が......違う! 今までのとは格段に!
 まさか......これほどとは!?
 無論その分、私にかかる負担も大きい。
 刃を制御する、ただそれだけのために......。
 体力と精神力とが、グングン吸い取られてゆく!
 ......こっちも......長引かせるわけにはいかない......!

「はぁっ!」

 私は一気にダッシュをかけて、いまだ動揺の色を浮かべたままの魔竜王女(イザベラ)に斬り掛かった。
 その一撃を受けるべく、魔竜王女(イザベラ)は蒼い刃を構える。
 刃を振り下ろす瞬間、ユラリと視界が霞んだ。

「......くっ!」

 ここまで消耗が激しいの!?
 思った瞬間、斬激の間合いが微妙に狂った。
 一瞬、力が抜けたまま、黒い刃を振り抜いて......。

「え?」

 ......手応えはなかった。
 手応えも、そして何の音すら生まず。
 虚無の刃と化した私の杖は、魔竜王女(イザベラ)の蒼く光る杖を、その右腕ごと断ち切っていた。

「ぎゃぁぁっ!?」

 苦鳴を上げて、身を退く魔竜王女(イザベラ)。
 サイトとの斬り合いの間も被ったままだった王冠が、ついに彼女の頭から外れ、傍らにゴロリと転がった。
 一方、私の方もまた、これが限界。黒の刃を再び無へと帰し、その場にガックリと膝をつく。

「......はあっ......はあっ......はあっ......はあっ......」

 自然と息が荒くなる。
 びっしょりと、全身が汗をかいている。
 消耗は、思っていたよりもさらに大きかった。
 もはや、体力も精神力も、ほとんど残っていない。

「......サイト......お願い......」

 すがるような、弱々しい声。
 でも私の使い魔は、その意味を取り違えたりはしない!

「......おう!」

 サイトは私の呼びかけに応じて、イザベラ=ガーヴに斬りつける!
 だが、その瞬間。
 イザベラ=ガーヴが吠えた。

「ぐがぁぁぁぁっ!」

 まさにそれは『魔竜王(カオスドラゴン)』の名に相応しい咆哮。
 その『気』も膨れ上がり、衝撃波となって、私とサイトをまとめて吹き飛ばす!

「あくぅっ!?」

 数度地面を転がる私。慌てて身を起こそうとするが、もう体に力が入らない。
 目をやれば、ゆっくりとした足取りで、私に向かって来るイザベラ=ガーヴ。
 斬り落とされた右腕の傷が、少しずつ、黒い何かに蝕まれているのがわかる。
 凄まじい形相だ。もうサイトもタバサも他の者も、まったく目に入らないらしい。その憎悪の瞳に映るのは......ただ私だけ。

「殺す!」

 一声吠えた彼女の、青い髪がザワリと蠢き......。
 そして、次の瞬間。
 響き渡った絶叫は、魔竜王女イザベラ=ガーヴの上げたものだった......。


 第七部「魔竜王女の挑戦」完

(第八部「滅びし村の聖王」へつづく)

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