『魔を滅するメイジと使い魔たち』
初出;「Arcadia」様のコンテンツ「ゼロ魔SS投稿掲示板」(2011年3月から2011年12月)


第一部「メイジと使い魔たち」第一章第二章第三章第四章
番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト
第二部「トリステインの魔教師」第一章第二章第三章第四章
番外編短編2「ルイズ妖精大作戦
第三部「タルブの村の乙女」第一章第二章第三章第四章
番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!
外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」前編中編後編
番外編短編4「千の仮面を持つメイジ
第四部「トリスタニア動乱」第一章第二章第三章第四章
番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜
第五部「くろがねの魔獣」第一章第二章第三章第四章
番外編短編6「少年よ大志を抱け!?
第六部「ウエストウッドの闇」第一章第二章第三章第四章第五章終章
番外編短編7「使い魔はじめました
第七部「魔竜王女の挑戦」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
第八部「滅びし村の聖王」第一章第二章第三章第四章第五章第六章
番外編短編8「冬山の宗教戦争
番外編短編9「私の初めての……
第九部「エギンハイムの妖杖」第一章第二章第三章第四章
番外編短編10「踊る魔法人形
第十部「アンブランの謀略」第一章第二章第三章第四章
番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ
第十一部「セルパンルージュの妄執」第一章第二章第三章第四章
番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海
第十二部「ヴィンドボナの策動」第一章第二章第三章第四章第五章
第十三部「終わりへの道しるべ」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編13「金色の魔王、降臨!
第十四部「グラヴィルの憎悪」第一章第二章第三章第四章第五章
番外編短編14「ヒラガサイト双月草紙
第十五部「魔を滅せし虚無達」第一章第二章第三章第四章第五章

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第十部「アンブランの謀略」(第一章)

 静寂が......。
 朽ち果てた屋敷によどむ闇を満たした。
 私とサイトの二人は、息さえひそめて気配を探る。
 沈黙の中に時がうつろう。
 そして......。
 気配が生まれたのは、長いような、短いような時が流れたその後だった。
 ......サイト!
 私が声をかけるより早く。
 左手のルーンを光らせて、サイトは、壁から生まれ出た気配の方を振り向いていた。

「はあっ!」

 裂帛の気合いと共に、刃が閃く。
 一撃は、風を切る音と同時に、壁から生まれ出たものを薙いでいた。
 悲鳴すら上げる間もなく......。
 一匹の下級魔族が、この世から消滅した。

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「......だからぁ......あんな弱っちい魔族一匹へち倒したくらいで満足してどうすんのよ」

 ひと仕事を軽く片づけたその後。
 とある小さな街のメシ屋で、夕食のテーブルを囲みつつ、私はポツリとそう言った。

「けどよ、あんなんでも、一応は魔族なんだろ? それをアッサリ斬れるってことは、ようやく、この日本刀も俺に馴染んできたんだな、って......」

 半分後ろを振り返り、背中の日本刀に目をやりながら、のんきな口調で言うサイト。
 確かに、言っていることは間違いないのだが......。

「......あのねぇ......。それは剣が凄いんじゃなくて、サイトが剣にこめた精神力のおかげなの! デルフリンガーのように、剣自体に特殊能力があるわけじゃないんだからね!?」

「いや......まあ、そうだけど......」

 私の言葉に、サイトは複雑な顔を見せる。
 インテリジェンスソードのデルフリンガーは、サイトにとって、ただの武器ではなかった。色々と助言やら解説やらしてくれる、文字どおりの『相棒』だったのだ。
 もちろん、話し相手というだけでなく、剣としても、とっても優秀。魔法を吸収できるという凄い力があり、そのおかげで倒せた強敵もいた。

「......なんだか最近、この刀がデルフの生まれ変わりみたいに思えてきてさ......」

 とんでもないことを言い出したサイト。
 今の剣を手に入れたのは、魔剣デルフリンガーを失う前である。間違っても、生まれ変わりなんてことはあり得ない。
 こんな剣と一緒にされては、今頃デルフも、草葉の陰で泣いていることだろう。
 ......まあ、サイトの戯れ言はともかく。
 かくて私とサイトは、代わりになるような魔剣を探して旅をしているのであった。
 実のところ、旅の主目的は別にあるのだが、たぶん、それを追求する上でも、とんでもない強さの敵が出てくる可能性は高い。今のままでは、ちょっと心もとないのである。
 新しい魔剣を入手するか、あるいは、今使っている日本刀を少し鍛えるか......。廃墟に住まう謎のバケモノの退治、なんぞという地味な仕事をセコい賃金で請け負ったのも、白状すれば、純魔族――それがバケモノの正体だという見当はついていた――に日本刀がどこまで通用するか、試しておきたいからであった。

「私よりサイトの方が、その剣についても理解してるはずでしょ!? ガンダールヴの力で、武器のことならなんでもわかる......っていうのが、あんたなんだから」

「ああ、色々と理解してるぜ。この剣は日本刀といって、元々は......」

 剣の由来やら何やら、戦う上では全く役に立たない知識を披露し始めたサイト。
 そういう意味じゃないのに......とツッコミを入れるだけ無駄と悟って。
 サイトの説明を聞き流しつつ、私はデザートのレモン・パイを口に入れていた。

########################

 どんっ。

 その日。
 私が宿で夜中に目を覚ましたのは、その物音のせいだった。

「......んむ......?」

 ベッドに横になったまま、私は腕を伸ばし......。
 異変に気づいて、ガバッと起き上がる。

「サイト!?」

 私の抱き枕になっていたはずの彼が、ベッドにいないのだ。
 私の叫びに、部屋の入り口近くから返事が来た。

「ああ、俺ならここだぜ」

 扉の前で、剣を構えているサイト。

「一体なんで......」

 言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
 サイトの足下には、見知らぬ男が、気を失って転がっている。

「泥棒......?」

「みたいだな」

 この男の侵入に気づいてサイトは目を覚まし、サッと撃退したらしい。
 ふむ。サイトも、そんなに目覚めの良い男ではないのだが......。
 侵入者を察知するカンのようなものは、私よりも上だったということか。そういえば、以前も暗殺者が忍び込んだ際、サイトが先に起きて戦ってたっけ。
 まあ、それはともかく。
 泥棒はロープを持参してきていた。私たちを縛るつもりだったようだが、逆に自分が縛られることとなった。
 活を入れてやると、男は、小さく呻いて目を開ける。

「......うっ......ぐ......。......あ!? ちくしょっ!」

 自分の置かれた状況に気づいて、男は突然もがき始めるが、その程度でどうにかなるような縛り方はしていない。

「やめた方がいいわよ。暴れるだけ無駄だから」

「......くっ......!」

 私の言葉に、男はキッとこちらを睨みつけ、動きを止める。

「......さてさて......聞かせてもらいましょうか? 一体どういうつもりで、この部屋に盗みになんて入ったのか?」

 こういった、街で盗みを働くような連中の背後には、たいてい盗品の売買組織があったりするのだ。そこのアジトを聞き出しておけば、盗賊いびりには絶好のターゲットとなる。

「......」

 私の問いに、男は無言で、サイトと私とを......いや彼の剣と私の杖とを見比べて。
 それから、観念したかのように口を開いた。

「わかった。話す......」

 悪人のサガで無理に意地を張るかと思えば、意外にも小心者らしい。
 もしかして......バックについてる組織も何もないのかな......?

「......聞いちまったんだよ、食堂で。あんたら、話してただろ? バケモノ切ったり、特殊な能力があったりする、凄い魔剣を持ってる、って」

 言われて、私はサイトと顔を見合わせる。
 確かに、魔族を日本刀で斬った話はしていたが......。
 特殊能力云々は、失った剣の話だったんだけどなあ。
 どうやらこの男、話を半分、誤解していたようだ。こんな男から何か聞いても、聞くだけ無駄かもしれない......とも思いつつ、私は一応、尋ねてみる。

「......で? 盗めばいい金になる、とでも思ったわけ?」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、あんた、盗んだ剣を結構な値段で買ってくれる相手がいるのね?」

「......まあ......アテはなくもない、といったところだな......」

 男は歯切れの悪い言葉を返した。

「そこまで言っておきながら、今さら言いよどむこともないでしょ? もったいぶってないで、ハッキリ言いなさいよ」

「実はよ。俺の知り合いの一人に、いつも金に困っている奴がいてさ」

 ......ん? 盗品売買組織の話とは違うっぽいが......?

「......そいつがしばらく前、俺たちに酒をおごってくれるくらい、懐具合が良くなっててな。どうしたんだ、って聞いたら、ひょんなことから手に入れた魔剣を、あるところに売っぱらったら、いい金になったんだ、って......」

「あるところ?」

「ああ。ガリア南部の山奥に、アンブランと呼ばれる村があるのは知ってるか?」

「......名前くらいはね」

 立ち寄ったことはないが、地名だけは知っていた。
 三方を山に囲まれた、陸の孤島のような場所だと聞いている。一番近い街から、徒歩で三日も離れており、かつてコボルドの群れに襲われたこともあるとか。まあ今では、それなりに栄えているらしいが......。

「そのアンブランって村を治めている、ロドバルド男爵夫人だ、って話なんだよ。魔剣やら魔道具やらを高値で買いあさってる奴、ってぇのは」

「村の領主が......!?」

「そういうこと......らしいぜ。そいつの話によれば、よ」

 ......ふぅむ......。
 そもそも武器やマジックアイテムのコレクションなどという真似が出来るのは、よほど財力がある奴か、泥棒くらいのもの。庶民や貧乏貴族には、間違っても不可能な話。
 村の領主ともなれば、経済的にも余裕はあるかもしれないが......。
 問題は、その意図である。ただ集めて眺めて楽しんでいるだけならばいいが、領主とか将軍とか、そこそこ権力を持っている奴が、こういう趣味に走った場合、それだけでは済まされないことが多いのだ。
 つまり......。

「......次の目的地が、これで決まったわね......」

 私の小さなつぶやきを耳にして、隣でサイトが小首を傾げていた。

########################

 翌朝。
 泥棒を役人に突き出した後、私たちは街を出て、街道を南へ向かっていた。

「......伯爵貴族が盗品売買!?」

「そ。あくまでも、あの泥棒の話が本当ならば、だけどね。......あと、伯爵じゃなくて男爵夫人よ」

 ぽかぽか陽気の田舎道を歩きながら、サイトに説明する私。

「アンブランって村は、たしか二十年くらい前に、コボルドの群れに襲われて痛手を受けた村なの。同じような事件が起こるのを恐れて、そこの領主が強力な武器を集めている......っていう話なら、辻褄は合うわ」

「うーん......。それって、自衛のために武装強化してる......ってことか?」

「うん。でも、だからといって、他人の物を勝手に売り買いするのは犯罪だわ」

 ふだん野盗からお宝巻き上げている私が言えた義理ではないかもしれないが、まあ、この際それは置いといて。

「......なんだ? そんな正義感からルイズが動くなんて、ちょっと珍しい気が......」

「何か色々と勘違いしてるみたいだけど......。とりあえず今回は、剣をもらいに行くのよ。『盗品売買のこと王政府にチクられたくなかったら、魔剣の一、二本も差し出してもらいましょうか』って」

「ああ、そういうことか。それならルイズらしいわ」

「どういう意味!? ......まあともかく、あの泥棒が口からデマカセ言ってた、って可能性もあるから、ちゃんとウラは取ってから動くけどね」

 そういう事情で......。

「さあ、行くわよ! アンブランへ!」

########################

「随分と人里はなれたところにある村だな。こんな村に、住んでいる人なんかいるのか......?」

「失礼なこと言っちゃダメよ、サイト」

 ガリア国内を旅すること十数日。
 ようやく辿り着いたアンブラン村は、意外なほどに栄えていた。
 地理的には辺鄙な場所にあり、コボルドの襲撃を受けたこともあるという村。
 それでも、ここに住む者にとっては、最高の村なのであろう。通りを歩く人々は、みな朗らかに笑顔を浮かべている。

「......なんだか妙な違和感があるような......?」

 サイトは不思議そうな顔で村人たちを眺めているが、そんなサイトの発言こそ、不思議に聞こえた。
 誰も奇妙な服装をしているわけでもない。村人たちは、老若男女取り交ざった、ガリアのどこの村にでもいるような者たちである。

「バカなこと言ってないで......。ともかく、まずは腹ごしらえね。どこか適当なお店に入りましょう」

「......あそこでいいんじゃねーか?」

 サイトが指さした先は、一軒の居酒屋。
 来たばかりの村で、どこが旨くてどこがマズイか、わかるはずもない。とりあえず、その店に向かう私たち。
 入ると、中の客たちが一斉に振り向いた。こういう村であれば、よそものが珍しいのも当然か。しかし私たちに深く興味を向けることもなく、すぐに自分たちの話題に戻っていた。

「さて、それじゃ......」

 椅子に座って、さっそく料理を注文する。
 年配のおかみが、あぶり鶏の皿をすぐに運んできた。

「いっただきまーす!」

「腹ぺこだぜ、俺も......」

 二人同時に、一口含んだとたん......。
 歪んだ顔を見合わせる、私とサイト。

「何よ......これ......」

「味が......薄いぞ......!?」

 付け合わせの酢漬けも、なんだか気の抜けたような味である。

「これも薄い! どうなってるの!?」

「これじゃ、人も来ないわけだぜ......」

 すると、おかみがやってきて塩と胡椒の壜を置いた。料理にケチをつけられても、平然としている。
 辺りを見回せば、そんな料理に文句をつけることもなく、村人たちは普通に食べていた。
 おかみが立ち去ってから、私は小さな声でヒソヒソと、

「この店の味......というより、この村の味なのかしら?」

「薄味の村......ってことか?」

 どこか釈然としない気持ちを抱えながら......。
 それでも私たちは、空腹解消のため、食事を続けるのであった。

########################

 アンブランまで来る途中、街道沿いの街や村で聞いた話によると。
 二十年前、コボルドの群れに襲われはしたものの、村には一人の犠牲者も出なかったそうだ。領主のロドバルド男爵夫人が、全て魔法で撃退したのだという。
 まあ、コボルドというものは、力も知能もたいしたことない存在だ。亜人の中でも、弱い部類に入るであろう。恐ろしいといわれるコボルド・シャーマンでさえ、結構まぬけな奴がいるくらいである。
 それでも、村を守りつつ一人で片づけたというのであれば、ロドバルド男爵夫人というのは、きっと優秀なメイジに違いない。
 剣のこともあるし、とりあえず、領主の屋敷へと向かった私とサイトであるが......。

「なんだか......ずいぶん物々しい雰囲気だな?」

「そうね。一体どこの王宮だ、って感じがするくらいだわ」

 ロドバルド男爵夫人の屋敷は、小さいながらも手入れの行き届いた綺麗な貴族屋敷だった。門構えも立派であり、こんな辺鄙な田舎には、もったいないくらい。
 そして、何よりも......。
 警備の兵士たちが、その門の外を、いかめしい格好で闊歩していたのである。

「どうする?」

「うーん......。ここは一つ、正攻法でいってみましょうか」

 やましいことは何もないのだ。
 門番のもとへと歩み寄った私は、正直に身分と名前を告げて、ロドバルド男爵夫人への取り次ぎを頼んだのだが......。

「面会の約束もない者を、通すわけにはいかん。取り次ぐわけにもいかん。おとなしく帰れ」

 けんもほろろに、断られてしまった。
 言葉遣いや態度からすると、ここの兵士たち、ただの村人ではなく、貴族くずれの傭兵メイジっぽい。
 いきなり揉め事を起こすつもりもなく、おとなしく引き下がる私たち。
 それから、しばらく村中をウロウロしてみたのだが......。

「領主の屋敷だけじゃねーな」

「ええ。なんか......怪しいわね」

 警戒が厳重なのは、ロドバルド男爵夫人の屋敷だけではなかった。
 たとえば、今、私たちの視線の先にある建物。
 村はずれにある寺院のはずだが、なぜか敷地には塀が巡らされ、兵士たちが近くを徘徊している。

「......おそらく......研究施設ね」

「研究施設!?」

 この辺りまで来れば、民家もまばらで緑が多くなってくる。
 大きな樹々の陰に身を隠しながら、私とサイトは言葉を交わす。

「そう。研究施設といえば聞こえはいいけど......実際には軍事施設じゃないかしら?」

「軍......!?」

「しーっ! 大声出さないのっ! どこで誰が聞いてるか判らないし、ただの想像なんだから」

「......け......けどよ......。それって、どういうことだ?」

 領主のロドバルド男爵夫人が、かつてのコボルド事件を一人で解決できるくらいの凄腕メイジならば、いまさらコボルド対策で武器を買いあさる必要もない。
 そこには、別の理由があるわけだ。
 こうして秘密の施設があることと、魔剣の話を重ね合わせれば......。

「単純に考えれば......反乱を企てているんでしょうね」

「......!」

 私の言葉に、サイトは声を失った。

「辺鄙な村の一領主が、いきなり他国へ攻め込むわけはないだろうし、そうすると、まず第一に戦う相手は、自分の上にいる者......つまり王政府なんじゃないか、ってことよ」

「......なるほど......それで『反乱』か。まあ......ここってガリアだからなあ」

 そう。
 クラゲ頭のバカ犬サイトでも理解しているくらい、ガリアは政情不安な国である。旅に出たまま戻ってこない王様やら行方不明の王女さまやらに加えて、謀殺された王弟の遺臣たちが蠢動しているという噂まで......。

「......けど、そうなると、前に言ってた計画って......ヤバいんじゃねーか?」

「......たしかに......ね......」

 反乱起こそうと考えてる奴のところに乗り込んで、『盗品売買のこと、王政府にバラされたくなければ......』などと言うのは、『この場で私の口を封じてください』と言っているようなものである。
 もちろん、それでおとなしく殺されるような私たちではないが、無駄にことを面倒にする必要もない。

「......となれば、逆に反乱の証拠つかんで、王政府にチクって礼をもらう、っていうのが一番ね!」

「......何にしても......やりかたエグいのな......」

「まあ、今のところ、想像の域を出ない話だわ。ともかく裏付けを取らないと......。そのためにも今夜あたり、あの研究施設に忍び込んで、証拠探しね!」

########################

 村はずれの森の近くに、魔法の街灯などあるはずもなく。
 双月が雲の間に隠れれば、辺り一帯が闇に包まれる。
 その闇に紛れ......。
 私とサイトは、寺院もどきの研究施設へと近づいて行った。
 もちろん、相手に見つかった時のことも考えて、黒いローブとフードを着用し、顔も隠している。

「......で、どうやって中に入るんだ? グルリと塀に囲まれているわけだが......」

「あそこの木に登れば、塀を乗り越えられるわ」

 魔法で飛ぶことの出来ない私は、近くの大木を指さした。ちょうど枝が塀の上にのびているので、それを伝わって行けそうである。

「でもよ、ゆっくり登ってる暇なんかあるか? 塀だけじゃなくて、兵も......」

「そっちも何とかなるでしょ」

 警備兵たちの巡回パターンを観察しながら言う私。
 やっぱり傭兵たちのようで、警備兵同士の連携がとれていない。組織だった正規兵ではないため、警備網にも隙が生じていた。

「タイミング見計らって......行くわよ!」

 兵士の目を盗み、木を伝わって塀を越え、意外にアッサリ侵入に成功。
 敷地の中は、外とは違って警備兵もいなかった。

「何かの......罠か?」

「......というより、ここまで入られることを想定してなかったんじゃないかしら?」

 だとしたら、結構まぬけな話である。
 ともかく。
 私たちは、寺院らしき建物へと向かう。
 さすがに正面扉には鍵がかかっていたが......。

 キンッ!

 サイトが剣を振るえば、あっけなくドアも開いた。
 建物の中へと潜り込む私たち。

「......暗いわね......」

 隣にいるサイトだけに聞こえる声で、私はポツリとつぶやいた。
 外ならば、月が雲間に隠れても、かすかに星の明かりはある。しかし内側には、魔法のランプの一つもない。ほとんど真の闇と言ってもいいだろう。
 ただ雰囲気というか、空気の流れで、かなり広い空間だということだけはわかった。

「......なんか......ガランとしたところだな......」

「サイト、見えるの? この暗さで」

「ああ、少しずつ目が慣れてきた」

 などと言ったりするうちに、私の方も、闇に目が慣れてきた。
 ......どうやら、屋根の一角にあるステンドグラスから、月だか星だかの光がわずかに漏れ入っているようだった。
 やはりここは、私の受けた印象どおり、かなりだだっ広い空間である。
 そして、延々と規則正しく床に並ぶ影。

「......ただの椅子だぞ......これ......」

 サイトに言われて、近寄って触ってみれば......。
 床に並んだ無数の影は、たしかに木の長椅子。普通の礼拝堂とかに並んでいるのと同じものだ。
 足音を殺して、しばらく中をうろついてみたが、

「......普通の礼拝堂だな......」

「ここは、ね。けど敷地の周りに塀巡らせて、警備の兵士まで配置している......。ここが本当に普通の礼拝堂なら、そこまでするわけないでしょ。たぶん......ここの地下かどこかに、本当の施設があるのよ」

 間違って誰かが入り込んでも、これならば、単なる礼拝堂だと思われて終わりだ。
 かりに私たちのような侵入者が、礼拝堂をカモフラージュだと見破っても、隠しドアや開閉スイッチを探すのは難しい。

「明るい場所で時間をかけて探せばともかく、この状況では......」

 言いかけた私の手を、サイトがつかんで引っぱった。
 同時に。

 ヴォンッ!

 いきなり闇に生まれた光が、私の頭のすぐ脇をかすめて過ぎる。
 光はそのまま闇を薙ぎ、床に当たって砕け散った。

「......ただのネズミにしては、なかなか鋭いな......」

 どこからともなく聞こえてきたのは、低くかすれた男の声。

「......あんたもたいしたもんだぜ。全然気配を感じさせなかったもんな」

 言い返すサイトの視線の先に目をやれば、そこには、うっすらと月明かりの漏れ入るステンドグラスが......。
 ......いや!
 よく見れば、ステンドグラスのその前に、ボンヤリにじむ影ひとつ。
 空中に誰かが浮かんでいるのだ。
 そう思ったのも一瞬のこと。影は落下し、わだかまる闇と同化する。

「来るぞ!」

「わかってるわよ!」

 サイトは剣を抜き、私を杖を構える。
 同時に......。
 視界の端で、何かが動いたような気がした。
 
 しゃっ!

 とっさに体を捻った私のすぐ横を、何かが通り過ぎていく。
 おそらく、ナイフか何かを投げたのだろうが......。
 今ので、だいたいの居場所も見当がついた!

 ボンッ!

 私のエクスプロージョンの光球が、影を襲う。

「......うっ!?」

 直撃こそしなかったものの、爆風に吹き飛ばされる人影。
 その一瞬、光球に照らされて、敵の姿がハッキリと見えた。

「......いつぞやの黒ずくめ!」

「ん......? 知ってる奴か!?」 

 サイトに説明している場合ではない。
 今はとりあえず、相手の正体を探るより、なんとかこの場を切り抜けるのが先!

「逃げるわよ!」

 今の黒ずくめは倒れているようだが、すぐに仲間が駆けつけて来るはず。
 ならば......。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 礼拝堂の壁も外の塀もまとめて吹き飛ばし、即席の脱出口を作り出した私。
 村の真ん中ではなく、村はずれにあるのだから、多少乱暴なことをやっても大丈夫なのだ。

「サイト! お願い!」

「おう!」

 もちろん私の足より、サイトの方が速い。
 私はサイトにおんぶしてもらい......。
 ガンダールヴの神速で、私たちは脱出した。

########################

「ここまで来れば、もう大丈夫ね」

 つぶやきながら、私はサイトの背中から降りた。
 まだ村の中心部とは言えないが、この辺りは、もう民家やそれに関連した建物も多くなってきている。
 私たちは今、路地裏の倉庫らしきものの陰で、一息ついていた。

「いや......そうとも言えねえようだぞ」

 壁にもたれかかっていたサイトが、私の近くに歩み寄り、そして剣を構える。

「追いつかれたの!?」

「わからん。別口とは思えんが......」

 言いかけて。

「ルイズ!」

 サイトは叫んで、私を突き飛ばした。
 同時に。

 ゴウッ!

 風の唸る音。
 路地から飛び出した何かが、倉庫の壁に当たって砕け散る。
 おそらく『エア・カッター』か『エア・ハンマー』だと思うが......。
 何か少し違う感じがあって、それが私の心に引っかかった。
 しかし、深く考えている余裕などない。
 ......現れ出る人影二つ。

「......逃げられると思うな......」

 勝ち誇るでもなく、ただ淡々と、黒ずくめの片方が言葉を吐いた。
 さっきの奴かどうかはわからないが、人数は二人。
 数の上では、二対二だ。
 ......伏兵がいなければ、苦戦することもないか......?
 私がそう思った、まさにその時。

「......騒がしいな。夜の夜中に......」

 声は、屋根の上から聞こえた。

########################

 いきなり降ってわいた声に、思わずそちらへ目をやる私たち。
 夜空に散らばる星を背に、民家の屋根の上、男が一人佇んでいた。
 その家の住民......というわけではあるまい。右手に杖を持ち、マントを羽織っているので、彼もメイジであろう。
 粗末な革の上衣を着込んでおり、顔には黒い鉄仮面。
 黒ずくめたちの仲間ではないとしても、とりあえず怪しいことは確かである。

「何だ!? 貴様!?」

「夜中に騒ぐな。迷惑だ......と言っておるのだが」

 黒ずくめの誰何の声に、屋根の上の鉄仮面は、静かな口調で答えた。 

「貴様もそいつらの仲間か!?」

「そういうわけでもないのだがな......」

「なら余計なことに首を突っ込むな! 我々は、施設に忍び込んだ曲者を捕えようとしているだけだ!」

 何の脈絡もない五人目の乱入に、よほど動揺しているのか。
 黒ずくめの口調には、焦りすら滲んでいた。
 対照的に、鉄仮面はフッと小さな笑いを漏らし、

「曲者? 私の目には、お前たちの方が、よほど曲者に見えるがな......。少なくとも、賊を捕える役人には見えんぞ」

「......」

 黒ずくめたちは、しばし沈黙し......。

 シュンッ!

 その片方が、いきなり右手を振るった。
 屋根の上の鉄仮面の左手が霞む。
 次の瞬間。
 鉄仮面の左手には、小さなナイフが出現していた。

「何っ!?」

 驚愕の声を上げる黒ずくめ。
 しびれを切らした一人がナイフを放ち、それを鉄仮面が受け止めたのであろうが......。
 暗闇から飛び来るナイフを受け止めるとは、この鉄仮面、ただの変な奴ではなさそうだ。

「......なるほど。これがお前たちの答えか......」

 鉄仮面は、手の中のナイフを投げ捨てて、

「やはり曲者はそちらのようだな。となれば、見過ごすわけにもいかんか。......まあ、今ここで派手に戦えば、少々騒ぎは大きくなるだろうし......。いくら村人がおとなしいとはいえ、いくら近くの街から離れているとはいえ、噂は他の街にも伝わるかもしれんなあ......」

「......くっ......!」

 黒ずくめたちは、鉄仮面の言葉に、まともに動揺の色を浮かべた。
 そして。

「......退くぞ」

 ポツリと一言つぶやくと、黒ずくめ二人は大きく後ろへ跳び、いともアッサリ、もと来た路地の奥へと姿を消す。

「......なあ、ルイズ......。なんか......あっさり行っちまったぞ、あいつら」

「......そ......そうね......」

 黒ずくめ二人を見送って、私が視線を屋根の上へと戻した時。
 すでにそこに、あの鉄仮面の姿はなかった。

########################

「......なあ......こんなところで落ち着いて、朝メシ食ってていいのか?」

 サイトが声をひそめて問いかけたのは、その翌日の朝のこと。
 宿の一階の食堂で、やはり味気ない朝食セットを、二人で突つきながらのことである。

「連中、俺たちのこと探してるんじゃないか?」

「......かもしれないけど......よくわかんないのよね。私にも」

 言って私は、ハシバミ草のサラダを口に入れた。これだけ味が薄い料理ばかりだと、ハシバミ草の苦みでも、味がするだけマシな気がしてくる。

「あの黒ずくめ連中が、ここの領主とつながってるなら、まず間違いなくそう来る、って思うんだけど......」

 私たちを捕まえる理由なんて、いくらでもでっち上げられるだろう。

「まあ、ひとつ確かなことは、なぜか連中が、騒ぎを大きくするのを嫌ってる、ってことね」

 鉄仮面の言葉と連中の引き際から、私はそういう印象を受けていた。
 ならば表立った動きは避けて、私たちのことも、公式的には放っておく、ということになったのかもしれない。

「......前回も奴らは隠密行動を好んでいたけど、それと同じだとしたら......」

「前回......?」

「あの黒ずくめの服装見て、気づかなかった?」

 かつて私とサイトは、エギンハイムという村で、一本の杖を巡って、正体不明の一団と対立したことがあった。その連中が、同じく黒ずくめの姿をしていたのだ。

「エギンハイムの事件よ! モンモランシーとギーシュっていう二人組やら、謎の黒ずくめたちやら、最後には、とんでもない魔族やら......」

「ああ。あったなあ、そんなこと」

 思い出したっぽいサイト。

「......待てよ? でも、だとすると......」

「そういうことね。あちこちで武器を探して手段を選ばず......。あの連中が、この村の中枢にも潜り込んでいたのか。あるいは、連中の黒幕が、この村の領主ロドバルド男爵夫人なのか......。どっちにしても......」

「......面倒なことになったな」

 私の言葉を引き継ぎながら、サイトは、店の入り口あたりを目で示す。
 振り向けば......。
 二人の兵士が、手にした紙にチラリと目をやりながら、私の顔と見比べている。

「......やっぱり......俺たちを捕まえるつもりらしいぜ......」

 サイトがつぶやく間に。
 二人の兵士は、迷うことなく私たちのテーブルへ歩み寄る。

 ガタン。

 思わず椅子から腰を浮かし、身構える私とサイトの前で、しかし兵士たちはピシッと姿勢を正し、

「失礼ですが......『ゼロ』のルイズ殿ですね?」
 
 どうせ持っている紙には、特徴か似顔絵でも書かれているのだろう。
 ならば、否定するだけ無駄である。

「そうよ......」

 私は、警戒を崩さぬままに答えたが......。
 なんだか、さらにかしこまった口調となる兵士たち。

「我々は、この村の領主、ロドバルド男爵夫人の配下の者であります。領主代行からの御要望で、御高名な『ゼロ』のルイズ殿と、是非とも一度話がしたい、よければ一度食事に御招待したい、ということなのですが」

「......は......?」

 私とサイトは、同時に間の抜けた声を出していた。

########################

「......お待たせしました」

 その日の夕刻。
 ロドバルド男爵夫人の屋敷に招かれた私たちは、丁重に迎えられ、食事の用意が整うまで、と控えの小部屋に通された。
 待つことしばし。そして今。
 一人の老執事が、小部屋に入ってきたわけである。

「お食事の用意が整いました。代行もすでにお待ちです」

 老執事の言葉に、私とサイトは無言で顔を見合わせ、頷いた。
 いよいよこれから、である。
 私たちと会いたがっているのは、領主本人ではなく、その代行だという話であるが......。
 ともかく、黒幕の可能性がある一人には違いない。

「......わかりました......」

 答えて席を立つ私とサイト。
 扉をくぐり、老執事の案内するまま、長い廊下を歩いてほどなく。

「......こちらです。どうぞ......」

 老執事は一枚の扉の前で足を止め、一礼と同時に、その扉を開き......。

「......!?」

 私とサイトは、思わずその場に立ちつくした。
 部屋の中には、白いテーブル・クロスのかかった長テーブル。壁の燭台には魔法の明かり。テーブルの上には、銀の燭台に灯るキャンドル。
 向かいには、見事な長い金髪を左右に垂らした、可愛らしい少女が一人。
 私やサイトと同じくらいの年頃で、背は低めであるが、青い瞳は爛々と、気の強そうな輝きを放っていた。
 にこやかな笑みを浮かべているものの、身にまとう高飛車な雰囲気が、それを台無しにしている。
 おそらくは、彼女が領主代行なのであろう。
 しかし私たちは、彼女の雰囲気に圧迫されたわけではない。
 彼女の後ろに控える、護衛とおぼしき二人に驚いたのだ。
 フリル付きシャツを着た少年と、赤い大きなリボンの少女......。
 見まごうはずもない。それは、かつて共に黒ずくめたちと戦った、ギーシュとモンモランシーの二人であった。


(第二章へつづく)

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第十部「アンブランの謀略」(第二章)

「......ようこそ。『ゼロ』のルイズ殿。お待ちしていましたわ」

 私たちの硬直を解いたのは、長い金髪を左右に垂らした少女の言葉であった。

「......さあ。どうぞ。遠慮なくお入りくださいな」

 彼女は静かに席を立つと、私たちを迎え入れる仕草を見せる。
 身にまとう高飛車な雰囲気のため、そうは聞こえないが、一応言葉遣いだけは丁寧である。
 まだ多少面食らったまま、私は挨拶を返しながら、部屋の中へと足を踏み入れた。

「......あ......はい......。ほ......本日は、お招きにあずかり、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ。御高名なルイズ殿と、こうしてお目にかかれる機会が持てて幸いですわ」

「......高名......ですか......」

 つぶやきながら、私とサイトは席に着く。
 ......どうせロクでもない噂しか聞いていないのだろうが......。
 私たちが座るのを待って、彼女も再び腰を下ろし、

「まずは......自己紹介をさせていただきましょう。私の名はイヴォンヌ・ロドバルド、病で伏せっている伯母に代わって、このアンブラン村の領主代行をしております」

 サイトは、やはり気になるのか、イヴォンヌ代行の後ろに佇む二人に視線を送っている。
 二人の方でもチラチラとこちらを見ているが、ギーシュは私たちを気にしているというより、むしろ、自分の見栄えを気にしているように見える。
 そんなサイトたちの視線に、気づいているのかいないのか、イヴォンヌ代行は、かまわず話を続けていた。

「私もメイジですから、魔法に関する話には興味があるのですわ。......特に、魔法で大活躍するメイジの逸話を聞くのが好きでして」

 代行の後ろの扉から姿を現した給仕が、テーブルに、湯気立つスープを並べ、去ってゆく。

「......最近耳にしたそういった話の中でも、特に興味を引いたのが、ルイズ殿、あなたに関する話なのです」

「けど、ルイズに関する噂って、ロクなのないでしょう?」

 イヴォンヌ代行の言葉に、いきなり横からチャチャを入れるサイト。
 彼女も苦笑を浮かべ、

「......確かに......。でも、悪し様に言われるのは、高名なメイジの有名税のようなもの。悪い噂は話半分......と思っていますわ。トリステインでも随一の歴史と格式を誇る、ラ・ヴァリエール公爵家のルイズ殿が、そんな悪評の立つようなことを、するわけないですから」

 ほう。
 このイヴォンヌ代行、私の出自までシッカリ調べてあるらしい。『ゼロ』という二つ名は有名だとしても、それをラ・ヴァリエールと結びつけて考える者は少ないはずなのだが......。

「......ヴァリエール......? どっかで聞いたことあるような名前だな......?」

 サイトが何やら小声でつぶやいているが、私も代行も、それは無視。

「噂も色々と聞きましたが、やはり本人の口から、直接聞いてみたいものですわ。食事でもしながら......ということで、とりあえず、スープの冷めないうちにお召し上がりください」

 言ってイヴォンヌ代行は、自らスプーンを取ったのだった。

########################

「いやぁ、食った食った」

 食事も済んで屋敷を出て。宿へと帰るその道で。
 夜道を二人、歩きながら、サイトは満足そうな声を上げた。

「......よく食べたわね......」

「なんといっても旨かったからな。薄味の村だから、あんまり期待してなかったんだが、どうしてどうして。さすがに領主さんのところだけは、味つけもシッカリしてたわけだ」

「あのねぇ......そういう意味じゃなくて......。ひょっとしてサイト、イヴォンヌ代行が私たちの敵だったかもしれない、ってこと、すっかり忘れてるんじゃない?」

 あきれた口調で問いかける私に、サイトはアッサリと、

「忘れてなんかないぞ。けど結局、何も仕掛けてこなかったじゃん。あの代行、ルイズの武勇伝を聞いて頷いてただけだったし」

「......そうね。私は、料理に毒でも入ってるんじゃないか、って心配してたんだけど」

「ど......毒って......あの料理の中にか!?」

 ようやくサイトも、その可能性に気づいたらしい。声を荒げて立ち止まる。

「その可能性があった、って話よ。......ま、あれだけパカパカ食べたサイトが無事なんだから、結局入ってなかったみたいね」

 私に目で促され、再び歩き出すサイト。

「みたいね......って......。それなら食事の時に、ひとこと言ってくれよ!」

「言えるわけないでしょ! イヴォンヌ代行が敵って決まったわけじゃないんだから! なのに彼女の目の前で『この人、私たちに毒盛るかもしれないから、気をつけなさい』なんて言ったら大変よ!?」

 屋敷に行く前に注意しておくべきだった、と思ったが、気づいた時には後の祭り。
 いつサイトが倒れるかと心配しつつも、私はサイトを毒味役として、おとなしく食事を続けたのだった。

「......まあ......最悪の場合、モンモランシーに解毒してもらうつもりだったけどね。ほら彼女、『水』の使い手としても特に治癒関係が得意みたいだったし」

「ああ、あの二人がいたんだな。驚いたよ。......でも、あの二人を雇ったってことは、あの代行、黒ずくめたちの味方じゃあないってことか?」

「......うーん......」

 サイトの問いに、私は眉をひそめて唸る。
 たしかに......。
 エギンハイムの事件では、モンモランシーとギーシュの二人は、私たちと手を組む形で、一本の杖を巡って黒ずくめたちと対立した。
 もしも代行が黒ずくめたちの側だとして、かつて敵対していた二人をアッサリ護衛に雇ったりするだろうか。
 まあ逆に、目の届くところに置いておくために、敢えて......という考え方もあるかもしれないが。

「......けど、ともかく。今はとりあえず、後ろのをどうにかするのが先みたいね」

「ああ。やっつけて、何か聞き出すってテもあるな」

 歩みは止めぬそのままで、私とサイトは視線を交わした。
 二人が屋敷を出て以来、気配が一つ、ずっとあとをつけて来ている。
 味方ならとっくに声をかけてきてもいいはずだが、それがないところをみると、敵なのであろう。

「仕掛けるか? こっちから」

「そうね......。とりあえず、このまま宿まで案内する、ってのはナシね」

 言って私は、その場でヒタリと足を止めた。
 近くに民家や酒場はない。辺りに人の姿はなく、夜と静寂だけが、村の通りに満ちていた。
 ここならば、戦うにもちょうどいいだろう。
 こちらが立ち止まったのに気づいたのかどうか、後ろの気配は、止まることなく動き続けている。
 ......私たちの方に向かって。
 そして。
 殺気と共に、闇の奥に光が生まれた。
 光は魔力の槍となり、私たち目がけて突き進む。
 しかし、これだけ遠距離ならば、身をかわすことは造作ない。私とサイトは左右に跳んで......。

「ルイズ!」

 サイトの叫び。
 吹き付ける殺気。
 闇の中から突然、目の前に現れた黒い影。

「......なっ!?」

 ギンッ!

 影の放った横薙ぎの一撃を受けたのは、反対側へ跳んだはずのサイト。
 さすがガンダールヴ、その神速で、私と黒ずくめとの間に割って入ったのだ。
 ......しかし、敵にそんな異能はないはず。術を放った奴が闇に紛れて駆けてきたにしては、いくらなんでも早すぎる。
 ならば......敵は二人!?
 もう一人を探して、私は周囲に気を張り巡らすが、姿も気配もない。そしてその間に。

 ュギィィィン!

 魔力の刃をまとわせた杖で、サイトと斬りあう黒ずくめ。
 二、三合、剣を交わした後......。
 大きく後ろに跳んだ黒ずくめは、いきなりクルリと背を向けると、そのまま走り出した。

「逃げるのか!?」

「違うわよ!」

 言って私は、その背を追って走り出す。

「誘ってるのよ! 私たちを! ついてこい、ってね!」

「で、ついて行くのかよ!?」

「当然! 誰がどう見ても罠だけど、私とサイトなら突破できるでしょ!」

 姿を見せないもう一人は気になるが......。
 敵は二人、という私の考え自体が、間違っていたのかもしれない。
 少し釈然としないものを感じながら。
 私とサイトは、逃げる影の背を追って、夜の村を疾走した。

########################

「完全に村の外に出てしまったな......」

「そうね。どうやら連中のアジト、山の中にあるみたいね」

 真っ暗な夜の山、黒ずくめが闇に身を紛れ込ませるのは簡単であろうに、敵はそれをしなかった。
 私たちが追えるよう、姿を見せつけながら逃走し......。

「あれは......!?」

「......廃坑ね」

 山の中腹にあった、木枠で囲まれた穴。そこに、黒ずくめは入っていった。

「ただの廃坑じゃないわ。おそらく......昔のコボルドの巣」

 アンブランの村がコボルドに襲われた際、群れのアジトは、山中の廃坑だったという。
 コボルド・シャーマンに率いられた集団ならば、祭壇やら何やら、中には色々とあったことだろう。

「かつてのコボルドたちの住処ならば、穴は深いし、中は広いでしょうね。連中がアジトにするには、ちょうどいいわ」

「......そういうことか」

 言葉は交わしながらも、気は引き締めて、私とサイトは廃坑に足を踏み入れた。
 とたん。

「ルイズ!」

 サイトが叫んだのは、例の黒ずくめの姿が目に入ったからだ。
 かなり奥の岩壁に佇んでいたが、杖の先に魔法の明かりを灯しており、その姿はハッキリと見てとれた。
 チラッとこちらを振り返ってから、岩のくぼみのようなところに手をかけて......。

 ゴォォォッ......。

 近くの岩壁がスライドし、大きな穴が出現。その奥へと消えていった。

「あれって......秘密の入り口か!?」

「そうみたい。わざわざ私たちに教えるってことは、入ってこいってことね」

「......えらく挑戦的な奴だな......」

「それだけ自信があるってことよ。自分のウデだか、張り巡らせた罠だか。あるいは......その両方に」

 私たちが話す間に、岩壁は再び動き、穴は閉まっていた。
 サイトと二人、その場所まで進み、黒ずくめがやったように、くぼみを押す。
 秘密の入り口は、また簡単に開いた。
 中は、下へと向かう階段になっているようだ。
 顔を見合わせ、頷きあってから。
 私とサイトは、そこを降り始めた。

########################

「ずいぶんと人工的な造りになってるんだな......」

「どう見ても、本拠地か研究施設ね。いつどこから何が出てくるか......気をつけなさいよ」

「わかってるさ」

 階段を降りた先は、明らかに人の手で造られた通路になっていた。
 床も壁も天井も、滑らかな石材で覆われている。その石材そのものに魔法の明かりでもかけてあるのだろうか、無機質な光が、辺りを冷たく照らし出していた。
 通路は少し伸びたところで途切れており、突き当たりにあるのは一枚の扉。
 奥に罠がある、と言わんばかりの雰囲気だが、今さら引き返すつもりはない。
 通路を進み、ドアのノブに手をかけて......。

 ガチャリ。

 開いたドアの向こう。
 部屋の左右に立ち並ぶのは、天井まで届くクリスタルの筒。
 その中に、眠るように漂っているのは、人とも怪物ともつかぬ異形の生き物たち。

「......おいルイズ、これって......」

「合成獣(キメラ)工場ね......かなり大規模な......」

「キメラ......?」

「......魔法生物の一種......様々な生き物をかけ合わせて作られる、強力なモンスターよ......」

 部屋の明かりは均一ではなく、遠くは闇になっていた。クリスタル筒の連なりは、その闇の奥へと続いている。その数は、おそらく百を軽く越すだろう。

「そうすると......この奥か? あの黒ずくめは」

「たぶん、ね」

 クリスタルの円筒は、半ばを壁に埋め込まれている。その陰に人が隠れることはできない。
 私たちは、円柱の間を縫うように伸びる、細い通路を歩みゆく。
 そしていくらもいかぬうち......。

「また会ったわね......」

 声と気配は、後ろで生まれた。

「!?」

 慌ててそちらを振り向けば、入ってきたドアの辺りに、通路からの光を背にして佇む影ひとつ。
 言うまでもなく黒ずくめであるが、格好が格好なだけに、さっきの奴と同一人物であるかどうかは不明。

「覚えているかしら、私の声? そして......ビーコの名を」

「ビーコ!?」

 思わず私が声を上げれば、サイトも叫ぶ。

「誰だ!?」

「エギンハイムの事件で! 戦った黒ずくめの一人よ! 最後の最後で姿を消した女がいたでしょ!?」

 サイトの疑問に答える私。
 そこそこ腕は立つメイジだったが、油断さえしなければ、勝てない相手ではない。

「昨日は別の施設に入り込んだそうね。あなたたちが村に来たと聞いた時には、正直、驚いたわよ」

「......やっぱりこの村が、あんたたちの本拠地、ってわけね......」

「私の口からは、なんとも言えないわね」

 少し以前とは雰囲気が違う。
 もっと私のかまかけに、アッサリ引っかかってくれる印象だったのだが......。

「......いずれにせよ......あなたたちには死んでもらうわ」

 言葉と同時に、ビーコの全身に殺気がみなぎる。
 同時に。

 ギッ! ギギッ! ギギギィンッ!

 私たち二人とビーコの間にある、左右に並んだクリスタル筒が、いきなり音を立て、ひび割れた。

 ザアッ!

 キメラ製造用の培養液であろうか。中から大量の水が噴き出して、一瞬、私たちの目からビーコの姿を隠し......。
 次の瞬間。
 殺気は私たちの真後ろに生まれた。

「!?」

 振り向きざま、サイトが抜き打ちに剣を一閃!

 ギィンッ!

 その一撃は、黒ずくめの『ブレイド』を受け止めていた。
 ......やっぱりもう一人いたか。ならば正面のビーコは私が......。
 思ったその時。

「......やるわね。相変わらず」

 後ろの黒ずくめのつぶやき。その声は、ほかでもない、ビーコのものだった。

「なっ!?」

 ドアの方に目をやれば、そこにはもはや、黒い人影はない。

「......嘘っ!?」

 たとえ隠し通路か何かがあったとしても、あの一瞬で、私たちの後ろに回り込むことなど不可能なはず。
 しかし今は、詮索している暇はない。
 割れたクリスタル・ケースの中から通路へと。
 封じられていたキメラたちが、次々と這い出して来ていた。

########################

 ボンッ!

 私のエクスプロージョンが、また一匹、キメラを葬り去った。
 失敗爆発魔法ではない。小さいながらも、正式バージョンのエクスプロージョンである。
 ......最初は軽く爆発魔法を使っていたのだが、それでは、威力が足りなかったのだ。
 いったい何を素材としているのか、このキメラたち、やたら防御力が高い。そのため、先ほどから私は、正式なエクスプロージョンの連発となっている。

「はあ、はあ......」

 さすがに辛くなってきたが、休んでいる暇はなかった。
 サイトに頼りたくても、そうはいかない。サイトはサイトで、ビーコ相手に斬り合っているのだ。しかも、かなり手間取っている。
 別にサイトが、女相手だからと手を抜いているわけではない。ビーコのくり出す斬撃が、以前に戦った時よりも、数段鋭さを増しているのだ。

「これじゃ......」

 サイトに助けてもらうどころか、むしろ私が援護した方が良さそうだ。
 そう判断した私は、キメラと戦いながらも隙を見て、小さな失敗爆発魔法を放った。

「おいっ!?」

 サイトの文句が聞こえる。
 そう。
 私の魔法は、二人まとめて吹き飛ばすもの。
 少し荒っぽいが、二人同時に倒れたところで、サイトの方が先に立ち上がるだろうし、そうなればビーコなど......。
 しかし。

「......え? あいつは......どこ!?」

 実際に吹き飛んだのは、サイトのみ。
 二人の足下で魔法が炸裂する直前。
 ビーコの姿が、煙のようにかき消えたのだ!

「ルイズ!」

 体を起こしながら、叫ぶサイト。
 同時に、背筋にひやりとしたものを感じ、私は咄嗟に前に跳ぶ。

 ザズッ!

 背中を、何かがかすめて過ぎた。
 慌てて間合いを取り、振り向けば、そこには杖を構えたビーコの姿。

「こいつ......瞬間移動したぞ!?」

 サイトも驚いているが......。

「まさか......あんた......」

 私たちメイジが使う魔法の中で、瞬間移動など出来るのは、虚無魔法のみ。だがビーコが虚無のメイジなわけもあるまい。
 ならば......。

「空間を渡ったのね!? ......純魔族のように!」

 そう。
 ビーコがやってみせたのは、そこそこの力を持った純魔族が時々見せる芸である。さきほどからビーコの動きがやけに速く、神出鬼没だったのも、全てこの能力あってのことなら説明がつく。
 しかし......。

「この程度の小技で......何を驚いているの?」

「驚くわよ! 人間ワザじゃないんだから!」

 ビーコの余裕の言葉に返すと同時に、私の頭に閃く考えが一つ。

「あんたもキメラだったのね。しかも人と魔族との合成物......いわば人魔......」

 あのキメラたちが、妙に硬い感じがしたのも当然。おそらく素材に、下等な魔族が使われていたのだ。
 ビーコの場合、合成によって身につけた魔族の術と魔力と、メイジとしての魔法技術を合わせて、初めて可能となった技なのだろうが......。
 なんともやっかいな話である。
 今の後ろからの一撃は、かろうじて服をひっかけた程度で済んだが、次もそう上手くよけられるとは限らない。

「......人魔......か。なかなか面白い呼称ね」

 私の内心の焦りを知ってか知らずか、ビーコは、やや感嘆したようにつぶやいていた。

「エギンハイムの一件が終わった後......私は知ったのよ、私たちが国を失う原因となった者の名を」

 ビーコの声に含まれた、怒りと殺気が重くなっていく。
 雰囲気からすると、その『国を失う原因となった者』を私だと思っているようだが......。
 いくら私でも、攻撃魔法で国を吹っ飛ばした覚えはない。

「......それで私は志願したの、人間をやめることを......」

 そこまで言った時。

「......しまった!」

 いきなり何の前触れもなく、動揺の声を上げるビーコ。
 彼女の視線は、私ではなく、近くのキメラたちに向けられていた。
 つられて、私もそちらを見れば......。

「あ」

 まだまだ結構いたはずのキメラの数が、激減している。
 全部サイトが斬り捨てたわけではない。
 ......と......いうことは......。

「まさか、外に出た!? ......ひょっとして、あのキメラたちって、まだ制御が不完全!?」

 私の予想を裏付けるかのように、クルリと背を向けて、外へ駆け出すビーコ。
 その背を見送りながら、サイトが不思議そうに、

「......どういうことだ?」

「言ったでしょ! キメラが外へ出ちゃったのかもしれないの!」

「でも......どうせ、ここ山の中だろ?」

「だからって、のほほんとしてられないわよ! 村まで近いんだから......キメラが村を襲うかもしれないんだから!」

「なにぃぃぃっ!?」

 私の説明で、ようやくサイトも事情を理解する。

「どうすんだ、じゃあ!?」

「どうする......って、とりあえず、ここから出るわよ! キメラが村まで行く前に、なんとか止めなきゃ!」

 いまだ部屋の中で蠢く、数少ないキメラたちは放置して。
 私は、サイトと共に走り始めた。
 もと来た通路を、戻る方向に。

########################

「わかんないわね......」

 村から宿に帰ってくるなり。
 部屋で待っていたサイトに、私は言った。
 ......昨日の夜。
 山中をうろつくキメラたちを、そして村まで到達して暴れ回っていたキメラたちを、片っ端からぶち倒し、ようやく宿に戻ってそのまま寝たのだが......。
 やはり状況が気になって、私は朝食を済ませた後、村に偵察に出かけたのだ。
 なお、サイトを宿に置いていったのは、聞き込みの最中に彼が迂闊なことをしゃべるんじゃないか、と心配したため。私としては当然、私たちの関与など、できる限り隠しておきたいのである。

「わかんない......って、噂になってないのか? あいつら結構、村の中でも暴れてたじゃん」

「それが、噂にもなってないのよ。あのキメラたちに家を壊された人もいたでしょうに......」

 奇妙に思えるくらい、村人たちは無関心なのだ。
 箝口令が敷かれている、というのとも、少し雰囲気が違うような気が......。

「単純に考えるなら、黒ずくめたちの一派が事件をもみ消した、ってことなのかもしれないけど......」

「ああ、そうか。連中の本拠地だもんな、この村」

 これでサイトは納得したらしい。
 ......うーん。まあ、それならそれで、良しとしておくか......。
 私がそう思ったところで。

 コン、コン。

 誰かがドアをノックする音。
 顔を見合わせてから、サイトが扉へ歩み寄り、扉を開ける。
 すると。

「やあ」

「ギーシュ!?」

 私たちの部屋を訪れたのは、フリル付きシャツを来た金髪キザ男、ギーシュだった。
 今日は一体どういうわけか、いつも一緒のモンモランシーの姿はない。

「......本来......こういうのは僕の役柄ではないと思うのだが......。依頼人に頼まれては、嫌とは言えないからね......」

「いきなりやって来て、何をブツブツ言ってるのよ。だいたい、あんた傭兵メイジでしょ? ひとに雇われるの嫌がってどうすんのよ」

「......ん? 何か誤解しているようだが、僕とモンモランシーはトレジャーハンターだぞ? ゴロツキのような者たちと一緒にして欲しくないな」

 前髪をかきあげながら言うギーシュ。
 ゴロツキ呼ばわりされたら、それこそ傭兵メイジが怒るかもしれないが、貴族くずれが傭兵になることが多いこの世の中、世間の認識なんてそんなものだ。

「そういえば、エギンハイムの事件の時も、あんたたち杖を狙って、それを売りさばこうとしてたのよね。......まぁとりあえず、立ち話もなんだから、そこら辺に座ったら?」

 私は、部屋の片隅にあるテーブルと椅子を目で示した。基本的に私とサイトは、いつも二人並んでベッドに座っているので、それらは全く使っていない。

「いや、このままでかまわないよ、僕は。そんなに長居するつもりはないからね」

 そうは言いながらも、一応、ドアは閉めるギーシュ。

「昨日の夜、村の中でキメラが暴れる騒ぎがあってね」

「知ってるわ、話くらいは」

 とりあえず、私はとぼけておく。
 ギーシュは少しだけ表情を変え、

「そうかい? イヴォンヌ代行は、君たちが関わっているんじゃないか、と思ったようだが......。それで話をもみ消したんだ」

「代行が?」

「うむ。代行は、君たちの力を借りたがっていてね」

「力を借りたい、って......。もしかして、お家騒動か何か?」

「おや、ずいぶんと勘がいいね」

 そう難しい推測ではない。わざわざ傭兵やら何やらたくさん雇って、さらに私たちを......というのだから、どこぞの大きなグループと対立しているのだろう。
 そして、領主代行ともなれば、一番ありがちなのは、血縁者同士の対立。つまり、お家騒動である。

「イヴォンヌ代行には、ベアトリスという名前の姉がいるそうでね。伯母の領主が寝込んでいるのをいいことに、どこかに隠れて、色々よからぬことを企んでいる、という話だ」

「姉さん......ね......」

「ああ。しかしベアトリスのことが表沙汰になって、王政府の耳にでも入ったら、領主の地位は剥奪され、一族郎党全員死罪、なんてことになるかもしれない......。そう心配した代行は、ベアトリスを止めようと、頑張っているのだよ」

「......なるほどね......」

 スジの通った話ではある。ならば、黒ずくめたちのボスは、そのベアトリスだということになりそうだが......。

「屋敷で話を聞いて、君たちを信頼できる人物だと見込んだそうだよ。ぜひ力を借りたい、と思ったところが、昨夜の騒動。ベアトリス一派の策謀だろうが、君たちも巻き込まれているかもしれない......ということで、代行は、手を打ったわけだ」

「......というより、ベアトリス一派のことも表沙汰にしたくないからでしょ。キメラ事件の話をおおっぴらにしたくないのは、たぶん、そっちが本当の理由ね」

「まあ、それはどっちでもいいよ。ともかく、だ。そういうわけで、僕は君たちの返事を聞きに、遣わされたわけだ。......代行に手を貸してくれるかい?」

「......ん......」

 私は、少し考え込んでから、

「ギーシュ、あんた、そのベアトリスって人、見たことある?」

「あるわけないよ。言っただろ、姿を隠して悪いことしてる、って」

「なるほど。じゃ、この話パスね」

「そうか......。残念だが、代行には、そう伝えておこう」

 私の答えに、いともあっさりギーシュは頷き、部屋を出て行った。
 ......理由も聞かずに。

「......まるで子供のおつかいね......。あれ、屋敷に戻ってから怒られるんじゃないかしら?」

 私がつぶやいたのは、彼が立ち去ってしばらく経ってからである。

「なあ、ルイズ。よくわからないから黙っていたんだが......。なんで断ったんだ? 今の話」

 むしろクラゲ頭のバカ犬サイトの方が、理由を知りたがっていたらしい。

「代行も困っているようだし、受けてもよかったんじゃないか?」

「ギーシュの......というか、代行の話が本当ならね」

 サイトには、しっかり説明しておかねばなるまい。

「たしかに話の辻褄は合ってるわ。けど、だからといって、それが真実だとは限らない。たとえば、役割が逆転してる、って可能性もあるわけだし」

「役割が逆転?」

「つまり『よからぬこと』とやらを企んでいるのは実は代行の方で、止めようとしているのがベアトリスとかいう姉さんの方。ベアトリスは、暗殺の危険を感じて屋敷から逃亡。代行は、私たちを雇って、ベアトリス側の護衛にぶつけたり、暗殺要員として利用したりするつもり......って考え方もできるわ」

 それに、一昨日の夜の鉄仮面。彼が一体何者なのか、それも気になる。
 顔は隠していたが、声や体つきからして、あきらかに男。あれが女であるならば、ベアトリス本人だという可能性もあったのだが、その線は完全に消えている。

「......ともかく。今はウラを取るのが先決よ。そうと決まれば、早速聞き込み開始よ!」

########################

「......なあ、ルイズ」

「何よ?」

「ウラを取るため......ったって、いきなり領主の屋敷に忍び込む、ってのは乱暴なような気がするんだが......」

 黒いローブとフードに身を包み、物陰に身をひそめたまま、サイトは小声でつぶやいた。
 そう。
 私たち二人は、ロドバルド男爵夫人の屋敷へ潜入する決意を固めたのだった。
 時は真夜中。通りの向こうに目をやれば、双月と満天の星を背に、屋敷のシルエットが浮かび上がる。

「何言ってんの。いきなり、じゃないわよ。ちゃんと村でも聞き込みしてきたもん」

 今日の昼。
 私は一人で村をウロウロして、色々と聞いて回ったのである。
 そこでわかったことがいくつか。
 ひとつ。イヴォンヌ代行がこの村に現れたのは、最近になってからだということ。
 ひとつ。ベアトリスも一緒に村に来たらしいが、すぐに隠れてしまったようで、村人たちは彼女の姿を見ていないということ。
 さらに言うならば、時を同じくして、ロドバルド男爵夫人も屋敷に引きこもってしまったらしい。
 ......聞けば素直に答えてくれる村人たちである。
 しかし......。
 こうして話を聞いてみると、イヴォンヌにしろベアトリスにしろ、怪しさ満点なのであるが、それでも全く気にする素振りがないのだから、ここの村人たち、やっぱり何事にも無関心なようだ。

「......けどよ、ルイズ。屋敷に忍び込んで、手がかりとか証拠とかが見つかるのか?」

「さあ?」

「さあ......って......おい......」

「少なくとも、怪しい施設に忍び込むよりはマシなはずよ。たとえば山の中の廃坑、あそこはキメラ工場だったけど......。その背後にいるのがイヴォンヌ代行なのか、謎のベアトリスなのか、それはわからない。でも、今の屋敷を牛耳ってるのはイヴォンヌ代行なんだから、もしも代行の方が悪い奴なら、たぶん何らかの手がかりがあるはずよ」

「うーん......。そう簡単に言うけど、あの屋敷に忍び込むこと自体、かなり難しそうだぞ?」

 言って、あらためて屋敷に視線を向けるサイト。
 昼間に見に来たときも警備の兵士が闊歩していたが、夜中の今も状況は変わっていない。むしろ、兵は昼より多いくらいかもしれない。
 しかも......。

「あれ? あれって......」

「そうだな。あいつのゴーレムだ」

 サイトも気づいていたらしい。
 門の前をうろついているのは、兵だけではない。ギーシュの青銅ゴーレム『ワルキューレ』も数体、混じっていたのだ。
 まあ、彼もイヴォンヌ代行の護衛なのだから、夜は外回りをしているとしてもおかしくはない。男のギーシュが、寝ている若い女性の室内で警護......というわけにはいかないだろうし。
 しかしゴーレムだけで、ギーシュ本人の姿は見えないのだが......。

「まさか......」

 ちょっとした可能性を思い浮かべ、私がつぶやいた時。

「君たち、そこで何をしているのかね?」

 後ろから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
 慌ててそちらを振り向けば......。
 屋敷から少し距離を取って、大回りするように警邏していたのだろう。そこには、ギーシュとモンモランシー、二人の姿があった。


(第三章へつづく)

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第十部「アンブランの謀略」(第三章)

「その怪しい格好......代行の命を狙う暗殺者だな!?」

 言うなりギーシュは、造花の薔薇を掲げる。
 まずい。
 見かけはともかく、この薔薇はギーシュの杖であり、彼もそれなりに腕の立つメイジなのだ。
 屋敷の近くにいる兵士たちは、まだ私たちに気づいていないらしい。だが、ここでギーシュやモンモランシーが騒ぎ立てれば、ほかの者たちもやって来よう。
 私はそこまで考えて、そしてサイトはおそらく本能的に、二人揃って駆け出していた。

「待て! 逃げるとは卑怯だぞ!」

 ギーシュの声が背中に浴びせられるが、私もサイトも振り返らない。
 とにかく二人、必死に逃走して......。
 やがて。

「ここまで来れば、もう大丈夫......かな?」

 サイトの言葉で、私たち二人は速度をゆるめた。
 私たちが今いるところは、路地裏の倉庫らしきものの陰。一息つこうと足を止め、そして私は気づいてしまった。

「あれ? ここって......」

「なんだ、ルイズ?」

「......この前の夜のところだわ......」

 村はずれにある、寺院もどきの研究施設に忍び込んだ夜。
 逃げる途中で一息ついたのが、ちょうど同じ、この場所だった。
 あの夜は、ここで黒ずくめたちに追いつかれて、一戦交えたわけだが......。

「......なんだか......ちょっと嫌な予感が......」

 私がつぶやいたちょうどその時。

「見つけたぞ! 卑怯な賊たち!」

 やっぱり。
 振り返れば、路地の向こう側に、杖を振りかぶるギーシュ。後ろにはモンモランシーの姿もあるが、他の兵士の姿はない。
 てっきり屋敷の警備兵たちも連れてくるかと思ったのだが、彼らはその場に残してきたらしい。
 別口の襲撃があると考えたのか、あるいは、他に理由があったのか......。
 ともかく。
 二人だけだというならば、私たちにとっては都合がいい。

「ちょっと待ったぁぁぁっ!」

 私は大きく叫んで、顔を隠したフードを後ろに下ろす。

「私よっ! 私たちよっ!」

「な......!?」

 さすがに驚いた表情で、ギーシュは一瞬、動きを止めた。
 かたやモンモランシーの方は、私たちの顔を見ても平気な様子。もしかすると彼女は私たちの正体を察しており、それで敢えて、ギーシュと二人だけで――他の者たちを連れずに――追ってきたのかもしれない。

「君たち......まさか敵側についたのかね?」

 一方、こちらは全然気づいていなかったとみえて、首を傾げるギーシュ。

「なんでそうなるのよ!?」

「......それなりに貴族の名誉を重んじるメイジだと思っていたのだが......どうやら僕の見込み違いだったようだ......」

 何やらブツブツつぶやいてから、ギーシュは呪文を唱え始め......。

「人の話くらいは聞くものだぞ」

 聞き覚えのある声が割り込んできたのは、ちょうどその時だった。

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「なんだ......!?」

 呪文詠唱を中断し、辺りに視線をめぐらせて......。
 ギーシュのその目が、ヒタリと一点で静止した。
 そちらの方に視線をやれば、塀にほど近い屋根の上、ひっそり佇む影ひとつ。
 あれは......先日の黒い鉄仮面!
 しかも、よくよく見たら、同じ民家の屋根の上だ!

「そこの金髪。お前のその態度、イヴォンヌの野望を承知の上でのことか?」

「......え?」

 鉄仮面に言い放たれて、動揺の色を浮かべるギーシュ。

「イヴォンヌの野望......って、どういうことかな?」

「エギンハイムで戦った黒ずくめたち......。その黒幕が、イヴォンヌかもしれない、ってことよ!」

 今度は私が、横から口を挟んだ。

「なんだって!?」

「言っておくが、イヴォンヌのやっていることは、ただの軍備増強ではないぞ」

 鉄仮面は、チラリと辺りに視線を走らせ、

「しかし今は......どうやら、説明をしている場合ではなさそうだな」

 彼の言葉と同時に。

 ......ざわり......。

 私たち一同を囲んで、いくつもの気配が生まれる。
 なるほど。ギーシュとモンモランシーは二人だけで来たつもりだったようだが、実際には二人の知らぬオマケ付きだったわけね......。
 あちこちに、ゆっくりと身を起こしたのは、見慣れた黒ずくめ姿。その数、ゆうに十を越える。

「油断はするな」

 警戒の目を周りに向けたまま、鉄仮面は言う。

「この中の何人かは、おそらく人と魔族との合成体だ」

 おっ!? この鉄仮面も、それを知っているとは!
 軽く驚く私であったが、彼の情報は私以上だった。

「しかも全員が、しっかりした軍事訓練を受けた者たちだ。......なにしろ、お姫さまの親衛隊だった連中だからな」

 ......黒ずくめたちの出自まで知っている!?
 これには、当の黒ずくめたちも動揺した。

「きさま、何者だ!? 何をどこまで知っている!?」

 焦って一人が問いかけると同時に、リーダー格が命令を下す。

「鉄仮面は生かして捕えろ。あとは......殺せ」

 これで黒ずくめたちが動き出す。
 中の一人が、塀の上へと跳び乗ると、杖も振らずに手のひらから魔力の光を放った。
 狙いは、屋根の上の鉄仮面。
 しかし鉄仮面は慌てず騒がず、呪文を唱えて杖を振る。相手がそう来ることを読み切っていたかのように、風の防御壁が彼を取り囲んだ。

 キンッ!

 黒ずくめの放った一撃は、それにぶつかり、いともアッサリ消え去った。

「何っ!?」

 動揺し、動きを一瞬止める黒ずくめ。
 その一瞬が命取り、私は既にエクスプロージョンの呪文を唱えていたのだ。
 人魔とはいえ、正式バージョンのエクスプロージョンには耐えられない。光に包まれ、塀の上の黒ずくめは消滅した。

「相手を甘く見るな!」

 リーダー格の叱責が飛ぶ。
 同時に。

 タンッ!

 なぜか鉄仮面が、いきなり屋根を蹴ると、塀の上へと飛び移り......。
 さらにもうひと跳びで、塀の向こう、別の区画へと姿を消した!

「ああっ! いきなり一人で逃げる気なのっ!?」

 しかし鉄仮面の行動に焦ったのは、私だけではない。

「なっ!? ......四人は奴を追え! 残りはここの始末!」

 リーダー格の命令に応じ、黒ずくめの姿がいくつか、鉄仮面を追って塀の外へと消えた。
 ......なるほど。黒ずくめたちにとっては、色々と知っているらしい鉄仮面の方が、私たちよりも気になる存在。彼は逃げることによって、この場の敵の戦力を半減させたわけか。
 この間にギーシュは、青銅ゴーレム『ワルキューレ』をいくつも出しており、モンモランシーも杖を構えて戦闘体勢。黒ずくめたちから魔法が飛んできているが、全てワルキューレが捌いているようだ。
 サイトはサイトで、日本刀で黒ずくめたちに斬り掛かっていた。早くも一人を斬り倒し、別の一人と斬撃を交わしている。
 ギーシュのゴーレムも勘定に入れれば、数の上では、こちらが有利。しかし、それぞれの実力を考えれば、油断のできる状況ではない。
 ならば......。

 ドンッ!

 黒ずくめに、ではなく、民家の壁に向かって、小さな爆発魔法を放つ私。
 どうせ黒ずくめを狙っても、先ほどのような機会がなければ、回避されるに決まっているのだ。

「何を遊んでいるのかね!? そんな場合じゃないだろう!」

 ギーシュが文句をたれるが、モンモランシーは私の意図を察してくれたらしい。彼女は空に向けて、魔法の明かりを打ち上げた。

「なんと! モンモランシーまで......」

「違うわ! エギンハイムの時と同じ! ここで騒ぎを大きくしてやれば、黒ずくめたちは退かざるを得ない......ってことよ! そうでしょ、ルイズ!?」

 モンモランシーの言葉に頷く私。
 そして、私たちの狙いどおり。

「......なんだ!?」

 通りの端の方から、場違いな声が聞こえてくる。
 騒ぎに気づいて見物に来た、近所のおっさんだ。基本的に他人事には無関心な村人であっても、騒ぎがある程度大きくなれば、さすがに気になるらしい。
 ......彼は最初の一人に過ぎない。このまま野次馬が群れ始めれば、黒ずくめたちは退却するはず......。
 私はそう思ったのだが。

「邪魔よ!」

 黒ずくめの一人――声からすると若い女性っぽい――が、左の手を一閃。
 とたん。

「がっ!?」

 断末魔の悲鳴を上げて、野次馬のおっさんが倒れ伏す。

「......なっ!?」

 これに驚いたのは、私たちだけではない。黒ずくめのリーダー格も、制止の声を上げていた。

「お......おやめ下さい、シーコさま!」

 ......おや? どうやら彼よりも、この女の方が偉い人っぽい口ぶりだが......。
 まさか、この黒ずくめ女が、鉄仮面の言っていた『お姫さま』とやらなのか? 部下たちと共に、自ら前線まで出向いてきている......?
 そんなはずはないと思うが、ともかく、『お姫さまの親衛隊』以外の者であるのは確実であろう。

「見られて困るなら、見た人たち、みんな殺しちゃえばいいじゃない」

「じょ......冗談は、やめてください!」

「あら、冗談じゃなくて本気よ?」

 言って彼女は、再び左手を振る。
 同時に、言いようのない殺気を感じ取り、とっさに横へ跳ぶ私。
 なびいたマントの端に、小さな切れ目が入った。
 ......あ......あぶねえ......!
 おそらく、このシーコという女も人魔の一人。手を振るだけで、不可視の衝撃波を放っているのだ。『エア・カッター』のようなものかもしれないが、人魔の攻撃と普通の『風』魔法とが、同じ威力とは限らない。迂闊に受けたら、さっきの野次馬のように、一撃でお陀仏である。
 こいつはシャレにならない相手だ。そう私は思ったのだが......。

「シーコさま! ともかく、この場は退却です!」

「じゃあ、あなたたちだけで帰ったら? 私はもう少し、ここで......」

「勝手は困ります! 姫さまにも迷惑がかかるでしょうし、そうしたら姫さまは、きっと......」

 ピクン。
 リーダー格の言葉に、女が動揺の色を浮かべた。
 あわてて大きく後ろに跳んで、

「そ......そうね......。今日のところは、これくらいにしておこうかしら......」

 シーコだけではない。
 黒ずくめたち全員が、闇に紛れて消えてゆく。
 あとに残るは、私たち四人と、チラホラと集まり始めた野次馬たち。
 ......黒ずくめたちが持ち去ったのであろうか、なぜか、シーコにやられたおっさんの死体もなくなっていた。

「......とりあえず、私たちも退散した方がよさそうね」

「そうね」

 私の言葉に、モンモランシーは小さく頷いた。

「行き先は......落ち着いて話の出来るところがいいわね」

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「......なるほど......そういうことだったのか......」

 私の説明を聞き終わって。
 ワインのコップを傾けながら、ギーシュが感嘆したようにつぶやく。
 ......黒ずくめたちと一戦を交えたあの後。
 私たちは一軒の酒場に入り、そこで呑みながら話し合っていた。

「では、代行と黒ずくめたちはグルだったわけだね」

「そういうこと」

 私は、つまみのソーセージを口に運びつつ頷いた。
 例によって薄味だったようだが、テーブルに運ばれてきた途端にサイトが塩と胡椒を振りかけたため、一応それなりに味はついている。シンプルな味つけであるが、それに文句を言うのは、ここでは贅沢だ。

「モンモランシー、僕たちはすっかり騙されてしまったねえ......」

 ギーシュはモンモランシーに話を振ったが、彼女はサラダの味に顔をしかめつつ、

「『僕たち』じゃないわ。あなただけよ」

「......へ......?」

 目を点にして、フリーズするギーシュ。
 
「ふーん。じゃあモンモランシー、あんたはギーシュとは違って、最初からイヴォンヌを疑ってたのね」

「まあね。疑ってた......ってほどじゃないけど、言われた話を鵜呑みにしていたわけじゃないわ」

「ちょっと待ってくれ、モンモランシー」

 再起動したギーシュが、女二人の会話に割り込んだ。

「そもそも君が、代行の護衛の仕事を引き受けよう、って言い出したんだろう?」

 そう言えば、どうして二人がイヴォンヌと関わるようになったのか、まだ私は聞いていなかったが......。

「ええ。それこそ......ちょっとした事情があったからなの」

 そうしてモンモランシーは、ことのいきさつを語り始めた。

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 しばらく前のとある夜......。
 ギーシュの態度――口では「愛してる」と連呼しながらも他の女によそ見してばかり――に愛想を尽かし、一人で散歩していたモンモランシーが出会ったのは、槍をかついだ老人だった。

『わしはアンブラン村の領主ロドバルド男爵夫人に仕える、ユルバンと申すもの』

 しわだらけの老人は、そう名乗った。続いて、

『実は今、領主の地位が、とある人物によって乗っ取られようとしておる。このままでは男爵夫人の御身も危ない。わしは今、ことの次第を伝えるため、王政府のもとへと赴く道中なのだ。わしも腕には自信があるのだが......』

 かついだ槍を示しつつ、老人はモンモランシーに頭を下げる。

『......それでも、敵は強大である。奴らの妨害もあるだろうし、わし一人では、はたして王都リュティスまで辿り着けるかどうかわからぬ。ついては、道中の護衛を頼みたい』

 しかし彼女は断った。
 老人の言葉を嘘だと思ったからである。
 まあ、無理もない。普通、通りすがりの傭兵メイジに、しかも依頼を受けてくれるかどうかもわからぬ相手に、領主の地位を乗っ取られそうだの何だのと、ベラベラしゃべるはずもない。
 おそらく、騙して何かに利用でもするつもりなのだ......。モンモランシーは、そう判断したわけである。
 そして......。
 翌日。
 その老人の死体が通りに転がっているのを見て、彼女の心に疑念が湧いた。
 彼の言っていたことは真実ではなかったか。通りすがりの彼女に、いきなり全て話したのは、追いつめられた者の藁にもすがる気持ち、そして、もしもの場合に真実を知る者を残しておきたいという想いだったのでないか、と。
 ......それを確かめるために、モンモランシーは、この村へとやってきた。

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「なんだ、そういう事情だったのか。それならそうと言ってくれれば......」

 ひととおり聞き終わって、最初に口を開いたのはギーシュである。

「ダメよ。あなた、口すべらすに決まってるから」

「そんなわけないだろう? 僕だって黙っているべきことは、ちゃんと......」

「あら? ......もしも可愛い女の子がやってきて、色々と根掘り葉掘り聞かれても、ちゃんと喋らない自信ある?」

「......いや、それは......」

「もしもその女の子が、純真な村娘ではなく、敵から送り込まれた悪い女だったとして、それを見分ける自信ある?」

「......」

 完全に沈黙するギーシュ。
 ......なるほど。護衛として雇われてしまえば、別行動になることもあるだろうし、ずっとモンモランシーが目を光らせておくわけにもいかない。だから彼女は、そこまで心配していたわけか。

「......はあ。もう少し屋敷にいて、色々調べてみたかったけど、仕方ないわね」

 ポツリとつぶやくモンモランシー。
 そう、こうなってしまえば、もう護衛仕事も終了である。

「......で、何かわかったの?」

「具体的には、特にナシね」

 私の問いに、モンモランシーは首を横に振った。それから彼女は、一言つけ加える。

「......でも、どこにも『ロドバルド男爵夫人』の姿はなかったわ」

 病気で寝込んでいるはずの領主が、屋敷にいない。ならば、それが意味するところは......。

「乗っ取りの話は本当、ってことね。おそらく彼女は、すでに抹殺されている......」

 私の言葉に、今度はモンモランシーも首を縦に振る。
 するとサイトが、不思議そうに、

「なあ。よくわからないんだが......あの鉄仮面は、何者なんだ?」

「......まあ......敵じゃなさそうだけど......。気になるの?」

「ああ。結構あいつ、強そうだったからな」

 ふむ。そういう理由で気になるのであれば、ある意味、サイトらしいかも。
 しかし私たちにとっては、別の意味で気になる。
 つまり、あの鉄仮面の立ち位置である。

「......もしかすると、すでに王政府も今度の一件を勘づいていて、そこから派遣されてきた密偵なのかもしれないわね」

「私たちを利用して、イヴォンヌ代行のところをかき回すつもり? だったら、あんまり頼りにならないわ」

「あるいは、イヴォンヌの姉ベアトリスが、イヴォンヌを止めようとして送り込んだ者なのかも......」

「それなら、事情を色々と知っていてもおかしくないわね。でもその場合、ゴタゴタを表沙汰にしたくないはずだから、事件が片づいた後は、私たちの口封じに出るつもりかも......」

 女二人、考えられる可能性を出し合う私とモンモランシー。
 こういうのは苦手なサイトが、横から口を挟む。

「......なあ。それで一体、これからどうするつもりだ?」

「ほとぼりが冷めるのを待って反撃......かな?」

「なに手ぬるいこと言ってんのよ、ギーシュ」

 皿の上のつまみの最後のひとかけらを口に放り込みつつ、私は立ち上がった。

「突入よ。今から」

########################

「......山の中の廃坑......ねえ......」

「どうしたの、モンモランシー? 前の......『黒い森』の洞窟のことでも思い出した?」

「そ......そんなんじゃないわよ!」

 あからさまに怯えた表情を浮かべながら、モンモランシーは私と並んで歩く。
 後ろには当然、ギーシュとサイトが続いている。
 ......私たちは、キメラ工場へ向かうため、村の通りを進んでいた。

「でもよ、ルイズ。あの廃坑に行っても意味がない......って言ってなかったっけ?」

 肩越しに、サイトが問いかけてきた。
 確かに、今晩イヴォンヌの屋敷へ向かう前、そんなような説明をしたのは事実である。
 だから私は、振り返りながら答える。

「......『調査』の意味では、ね。でも今回は調査ではなく、ケンカを売りに行くのよ。......しかも、前に忍び込んだ時とは、人数も違うし」

 手がかりを探す段階は、ほぼ終了。
 屋敷に行ってイヴォンヌと直接対決......でもいいのだが、一応まだ、イヴォンヌが黒幕という決定的な証拠があるわけではない。だから、それは思いとどまったのだ。
 ならば、襲撃目標は研究施設である。イヴォンヌが黒幕であろうとなかろうと、黒ずくめたちの重要拠点であることは間違いないのだから。
 敵の戦力に痛手を与え、なおかつ、運が良ければ、黒幕を特定するような証拠も出てくるかもしれない。

「......また前みたいに、罠が用意されてるんじゃねえか?」

「まあね。でも今なら、人魔たちは『黒幕』のもとへ報告に行ってて、留守の可能性が高いわ。少なくとも、さっきの今で反撃してくるとは思ってないでしょうし、多少なりとも警備は手薄になっているはずよ」

「そううまくいくかなあ?」

 首を傾げるサイトに代わって、今度はモンモランシーが尋ねてくる。

「で? それはどこにあるの?」

「もう少し行ったところに、木枠で囲まれた穴があるわ。そこよ」

 話をしているうちに、私たち一行は、すでに村を抜けていた。
 明かりも何もない山道を、警戒しながら、それでも足早に進んでいく。
 双月は雲間に隠れており、星明かりも高い木々に阻まれ、私たちのもとまでは、ほとんど届いていなかった。
 その状況下で、杖に魔法の明かりを灯すことすらしていないのは、一応、敵に接近を気づかれぬように、という配慮である。ぺちゃくちゃ喋っていては意味もないのだが、まあモンモランシーあたりは、真っ暗な中を黙って進むのは恐いのであろう。少しくらいは仕方あるまい。

「......そろそろ、声のボリュームを落としてね......」

「わかってるわよ、それくらい......」

 モンモランシーがそう返したとたん。
 私は、足を止めた。

「......どうしたの、ルイズ?」

 つられて、モンモランシーも立ち止まる。彼女は、まだ気づいていないようだが......。

「ルイズも気づいたか」

「うん」

 サイトと共に、私は視線を、右手の茂みの奥へと向ける。
 肉眼では、何も感知できない。
 それでも。

「よっぽど私に対して、恨みがあるみたいね。そんな強い殺気を放っていては......少なくとも対象者である私には、丸わかりよ」

「そうね。ならば......隠れていても意味がないわね」

 ゆっくりと、殺意を膨れ上がらせながら。
 茂みの奥から、一人の黒ずくめが姿を見せる。
 いや。
 彼女一人ではない。
 私たちを取り巻くように、複数の気配が同時に出現する。いつのまにか、黒ずくめたちに囲まれていたらしい。
 それでも私は、最初の一人から、目を逸らさなかった。

「あんたには、色々と聞きたいこともあったのよ。ちょうどいいわ、そろそろ決着つけましょうか。......ビーコ!」

 人と魔と。
 両方の力を持った少女に、私は言い放った。


(第四章へつづく)

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第十部「アンブランの謀略」(第四章)【第十部・完】

「ちょっと!? いったい何人いるのよ!?」

「まあ......敵の本拠地の近くだからねえ。これくらいは想定のうち......かな?」

 怯えたようなモンモランシーの声と、結構余裕があるっぽいギーシュの言葉。
 本当に余裕があるのか、彼女を安心させるためにわざと言っているのか、はたまた、実は状況がよくわかっていないのか、それは不明であるが。
 ともかく。
 背中から聞こえる声は無視して、私はビーコを睨み続けていた。
 ......なにしろ、空間を渡れるほどの強敵である。しかも、私に恨みがあるらしいのだ。
 乱戦になろうと、こいつだけはマークしておかねばならない。

「サイト! ビーコは私が相手するから、あんたは他の人魔をお願い!」

「おう!」

「では、僕とモンモランシーで、人魔じゃない黒ずくめを倒せばいいのかな?」

「そういうこと!」

 ギーシュの言葉に応じて、私が叫んだ瞬間。

 ゴオオォッ!

 巨大な竜巻が襲来し、黒ずくめたちを吹き飛ばす。

「......何っ!?」

 驚き叫びながらも、なんとか踏みとどまるビーコ。
 他にも何人か、今の強風に耐えきった者がいたが......。
 おそらく、残ったのは人魔たち。ザコは今ので一掃されたに違いない。
 これをやったのは......。

「お邪魔するぞ。......そろそろ決着のつけ時かと思ってな」

 横手の大木、その枝に腰掛けていた一人の男。
 ユラリと立ち上がったのは、例の鉄仮面だった。

########################

「きさまっ!?」

「そうカリカリするな。そう短気では、もと空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の名が泣くぞ」

 空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)......。
 鉄仮面のその一言で、黒ずくめたちの間に動揺が走る。
 ......いや、黒ずくめたちだけではない。
 私も驚いた。ギーシュやモンモランシーまで驚いている。
 ただ一人、その名前の意味するところを知らぬサイトのみが、好機とばかりに駆け出して......。

「まずいっ!?」

「ぐわっ!」

 隙ができた黒ずくめたちは、ガンダールヴに対応しきれなかった。サイトの日本刀で、次々と切り倒されていく。

「......どうやら、形勢逆転といったところかな?」

 バッと木の上から飛び降りつつ、他人事のようにつぶやく鉄仮面。
 残る黒ずくめは、ビーコを含めて三人。三人が三人とも人魔なのだとしても、これで数の上では、五対三。

「あなた......いったい誰?」

 鉄仮面を睨みつつ、尋ねるビーコ。
 仲間が倒されたことよりも、素性を言い当てられたことの方が、精神的ダメージが大きかったらしい。まるで私への恨みも忘れたかのように、もう私のことなど見ちゃいなかった。

「......おや? お前は......空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)ではなく、取り巻き三少女の一人かな?」

「......!」

「その反応......どうやら図星のようだな」

 フッと小さく笑う鉄仮面。
 ここは追い打ちのチャンスと思って、私も言葉を挟む。

「彼も私と同じよ。あんたたちの国を潰した一人......」

 そう。
 前に言われた時にはわからなかったが、『空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)』という言葉を聞いた以上、すでに私の頭の中で、すべての話がつながっていた。

「ようやくわかったわ。......ビーコ、あんた、クルデンホルフ大公国の出身だったのね」

「くっ......」

 言葉に圧されたかのように、ビーコが一歩、後ずさりする。
 ......クルデンホルフ大公国。
 フィリップ三世の御代にトリステイン王国から大公領として独立を許された新興国であったが、しばらく前にクルデンホルフ大公家が没落し、再びトリステインに併合された。
 これは誰でも知っている話であり、また大公家おかかえの『空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)』も、広く名前が知れ渡っていた。だからギーシュやモンモランシーも知っていたのであろうが......。

「クルデンホルフ大公国とは! いやはや、これは驚いたな!」

「私の実家......お金たくさん借りてたわ」

「僕のところもだよ! 大公家が潰れてしまったため、返済しなくてよくなったのだが......」

 おい。
 クルデンホルフはトリステインに併合されたんだから、借金取り立ての権利もトリステイン王家に移ったんじゃないのか!?
 ......二人の会話を聞いてツッコミも入れたくなったが、その代わりに。

「......でも二人とも、なんでクルデンホルフが潰れたのか、その本当の理由は知らないでしょ?」

「え? ルイズは......何か知ってるのかい?」

「知ってるも何も。......大公家が秘密裏に進めていた悪事を、私とそこの鉄仮面とで、暴いてやったからよ」

 かつてクルデンホルフで行われていたのは、人間を素材とした人体実験。
 強力なキメラの製造だったり、そのキメラをコントロールするための脳移植だったり......。
 そうした研究を行う上で、自我の確立していない人間の方が扱いやすいからという理由で、あちこちから子供をさらってきては、実験材料としていたのだ。
 この外道な計画を叩き潰したのが、私とキュルケともう一人......。

「......まだ全て説明するには早すぎると思うが......。『ゼロ』のルイズが、そこまで喋ってしまったならば、もう顔を隠していても意味がないな」

 言いながら、彼は鉄仮面をむしりとった。
 中から出てきたのは、二十歳をいくつか過ぎたくらいの、ピンとはった髭が凛々しい、美男子の顔。

「ガリアの東薔薇騎士団団長、バッソ・カステルモールだ」

 私たちとビーコたちと、両方に向かって堂々と名乗りを上げるカステルモール。

「あら? カステルモールさん、あんた一介の騎士から、団長に出世してたのね」

「まあな。......が、そういう話は後回しだ」

 彼は、黒ずくめたちにビシッと杖を突きつけながら、

「......ガリア領内に逃げ込み、不法な魔法実験を続ける、もとクルデンホルフ姫殿下......。彼女を捕えることが、今回の私の任務だ。もちろん彼女の取り巻き連中や、空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の残党も逃がしはせんぞ!」

「なるほどね。あいつら、よりにもよって、ガリアの村に逃げ込んじゃったのか。そりゃあ、前にも連中をやっつけたカステルモールさんが、派遣されるわけよね......」

 トリステインに併合された以上、クルデンホルフの残党も、国籍としてはトリステインの民のはず。それでもガリア国内で悪さをされたら、ガリアとしても放っておけないのだろう。

「......そうだ。だが前回の一件で、私の顔を知っている者も多いだろうからな。こうして顔を隠して活動していたのだよ」

 ビーコたち黒ずくめを睨みつけたまま、私の言葉を肯定するカステルモール。
 彼は、チラッと私に視線を送り、

「......実は正直なところ、証拠が掴めず苦労していたのだがな。『ゼロ』のルイズが首を突っ込んでくれたおかげで、奴らも色々とボロを出してくれたわけだ」

 かませ犬か。私は。
 しかし......。

「......ふっ......」

 カステルモールの言葉に、ビーコは小さな笑みを漏らし、

「となれば......たしかに決着のつけ時かもしれないわね」

 言っていきなり姿を消した!
 ......空間を渡ったか!?
 身構える私たちであったが......。

「騙されるな! 奴はここで戦うようなことを言っておいて......実際は、屋敷へ報告しに帰ったのだ、我々のことを!」

 叫ぶカステルモール。
 そして、それを肯定するかのように。
 残りの二人が、こちらに向かって魔法を放つ!

「こいつら......! ここで私たちを足止めする気ね!?」

「そうだ! こんなところでモタモタしてはいられない、さっさと倒すぞ!」

 五対二の激闘が始まった。

########################

 戦いはあっけなく終わった。
 人魔といえど、ビーコのように空間を渡れる者は、ごく一部だったらしい。この場に残された二人は、それほどの強敵ではなかったのだ。
 敵は時間稼ぎを狙っていたようだが、その戦法が、かえってアダになった。
 全力でこちらを倒す気でかかってくれば、一人くらいは......。
 ......いや。
 私やサイトは当然として、カステルモールも強いのだ。このメンバーで最も弱いのはモンモランシーであろうが、彼女だってギーシュと組んで防御に徹すれば、そう簡単にやられるメイジではない。
 ともかく。

「あとは屋敷に乗り込むだけね!」

 私たち五人は、人通りのない夜道を、静かに進んでいた。
 途中、さらに黒ずくめたちが妨害に現れるのではないか......と一応は警戒しているのだが、どうやら、その様子もない。敵は、戦力を屋敷に集中させているらしい。

「......連中の黒幕がクルデンホルフのお姫さまだった、ってことはわかったわ。でも......どうやって、この村の領主に取り入ったの?」

 歩きながら、私はカステルモールに尋ねる。

「遠い親戚すじか何かで、かくまってもらっていた......とか?」

 モンモランシーが想像を口にしたが、カステルモールは首を横に振り、

「いや。そんなに深いつながりはない。ここの領主とは、せいぜい金の貸し借りがあった程度だ」

「ひっ......」

 怯えたような声を出すモンモランシー。
 それくらいの関係だというならば、自分のところに入りこまれた可能性もあったのか、と心配したのだろう。
 カステルモールもそれを察したらしく、フッと笑いながら、

「安心したまえ。彼らがここへ来たのは......このアンブランという村の特殊性だ」

「ああ、そうか。山に囲まれた僻地だもんな、ここ」

 サイトの言葉に、カステルモールは再び首を横に振った。

「それだけではない。この村は......実は、すでに住民が死に絶えた村なのだよ」

 驚くべき真相を明かすカステルモール。
 彼の話によると。
 ......今から約二十年前。アンブラン村は、コボルドの群れに襲われ、ほぼ全滅した。生き残ったのは、領主のロドバルド男爵夫人と、彼女に仕える老騎士ユルバンのみ。
 なんとかロドバルド男爵夫人の魔法で、コボルドたちを追い払うことには成功したものの、彼女も深く傷ついてしまった。老騎士ユルバンは気絶した状態であり、彼が意識を取り戻すまで、彼女の命も保たない......。

「......というような状況だったのだろうな。このユルバンというのは責任感の強い男だったようで、自分が守るべき村が全滅したことを知れば、後追い自殺する可能性もあったらしい。そこでロドバルド男爵夫人は......『土』系統の優秀なメイジだった彼女は、自分の命と引き換えに、たくさんのガーゴイル(魔法人形)を作り上げたのだよ」

「ガーゴイル!?」

「そうだ。この村には『アンブランの星』と呼ばれる秘宝があったはずでね。それを用いたからこそ、作れたのであろうな。ある程度の自由意思を持ち、半永久的に動き続ける、強力なガーゴイルを......」

 なるほど。
 この村の住民が全てガーゴイルであるというならば、やたら味付けが薄かったことも説明がつく。唯一の生存者である老騎士にあわせた、その結果だったのだ。
 それに。
 シーコという人魔が野次馬の村人を殺した際、死体が消えたのも、ガーゴイルだったからだ。ガーゴイルだったことを知られぬよう、黒ずくめたちが持ち去ったのか。あるいは、ただ単純に、もとの土くれか何かに戻って、そこら辺のガレキに紛れたのか。

「......でもよ、この村がそんな状態だって知ってたなら......国のお偉いさんは、なんで今まで放っておいたんだ?」

「バカね、サイト。ガリアの王政府も、そんなこと知らなかったんでしょ。たまたま事実をつかんだのは、クルデンホルフの残党だけ。だから彼らが隠れ住んでたのよ」

「そういうことだ。私も、まさかアンブラン村がこんな状況になっているとは、夢にも思わなかった。......クルデンホルフの姫殿下たちを追って、今回この村に潜入し......ようやく私も真相を知ったのだよ」

 言ってカステルモールは、小さく苦笑する。

「正直、事件が片づいた後の処理を考えると、私も頭が痛くなるくらいだ。村一つ丸ごと、だからな......」

「......でも......そのユルバンも死んじゃったのね......」

 悲しげにポツリとつぶやいたのは、モンモランシー。
 そうだ。
 この村は一人の老騎士のために用意された、巨大な人形屋敷だったのに......。
 最後の生存者である彼も、連中に殺されてしまったのだ。
 もはや、村人は全てガーゴイル。この村で生きているのは、外から来た者ばかり。私たちや、連中や、連中が雇った傭兵メイジや......。

「あ。そうそう、確認しておきたいんだけど......」

 ふと思いついて、私はカステルモールに尋ねる。

「......連中の黒幕は、イヴォンヌ代行で間違いないのよね? 姿を見せない姉......ベアトリスの方じゃなくて」

「あー。その話か......。代行に姉がいるというのは、真っ赤な嘘だ。......あれも連中の作り話なのだよ」

 苦笑しながら答えるカステルモール。

「そもそもイヴォンヌ代行の本名が、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフでな。......一部では悪名高い、自身の名前を、そんなふうに使うとは......ふざけた話だよ、まったく」

 うーむ。
 イザという時のための架空のスケープゴートに、自分の本名を使うとは、なんと大胆な。
 罪をなすり付ける上で悪名を利用するというのは、一見、狡猾な良策のようにも思えるが、しかし、それでクルデンホルフとアンブラン村とを結びつけて考える者が出てくるのであれば、愚の骨頂とも言える。
 まあ、それはともかく。

「じゃあ、屋敷にいるのは、連中と連中に雇われた傭兵だけなのね? つまり......みんな悪い奴?」

「......ん? 何が言いたい?」

「ようするに、屋敷ごと吹っ飛ばしてもOK、ってことよね!?」

 さすがにギーシュやモンモランシーたちは少し顔が引きつっていたが、私の性格を知りつくしているサイトは平然としている。
 カステルモールも、一瞬だけ唖然とした表情を見せたが、すぐに正して、

「......殺してしまうよりは、生かして捕えたいのだが......。まあ、よかろう。ガレキの中から引きずり出せばいい」

 らっきー。
 ガリア東薔薇騎士団団長から、お墨付きが出た。

「では、お言葉に甘えて......」

 話しているうちに、ちょうど問題の屋敷が見えてきたところである。
 私は、笑顔で呪文を唱え始めた。

########################

「いやあ、きれいサッパリなくなったねえ」

「ま、私が本気を出せば、ザッとこんなもんよ」

 感嘆したような声を上げるギーシュに、胸を張ってみせる私。
 ......私たちは、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で吹き飛んだ屋敷の跡地に佇んでいた。
 ロドバルド男爵夫人の屋敷だけでなく、近隣の民家も少し巻き込んでしまったようだが、どうせ住民はガーゴイル。気にする必要はゼロである。

「......なんだか......前より威力が増してないか?」

「気のせいよ、気のせい」

 カステルモールに対して、私はパタパタと手を振ってみせた。
 ......まあ、本当は気のせいではないのだが。
 増幅の呪文も唱えておいたので、今のは、『魔血玉(デモンブラッド)』の力を借りた増幅バージョン竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)。屋敷が跡形もなく消滅したのも、ごくごく当然の話である。
 中にいたはずのベアトリス・イヴォンヌの姿や、配下のビーコたちの姿も見えないが......。

「......みんなやっつけちゃったのかな?」

「これでスッキリ全て解決......ってことか? 力技が過ぎる気もするんだが......」

 私とサイトが、小さく言葉を交わした時。

「待って!」

 跡地を丹念に調べていたモンモランシーが、大きく声を上げた。
 見れば、彼女が指し示したところ――地面の一カ所――に、ポッカリと穴が空いている。歩み寄って覗いてみると、地下へと続く階段になっていた。

「この辺りには、代行の寝室があったはずなの。......私やギーシュも入ったことない、寝室が」

「......ということは......これは......」
 
 私とモンモランシーは、顔を見合わせて。

「地下へ抜ける秘密の通路!」

 同時に叫ぶ二人。
 おそらくベアトリス・イヴォンヌたちは、ここから逃げ出したのだ。

「追うぞ!」

 カステルモールの言葉に、異論をはさむ者などいるはずもない。
 大きく頷いてから、私たちは、暗い穴の中に突入した。

########################

「......なんだか嫌な感じね......」

 私の隣で、モンモランシーがボソッとつぶやく。
 階段を降りた先は、ひんやりと湿った通路になっていた。
 山の中にあった研究施設と似ている。床も壁も天井も、滑らかな石材で覆われており、石材そのものに魔法がかけてあるらしい。無機質な光が、辺りを冷たく照らし出していた。

「もしかすると......あっちとつながってるのかしら......?」

「あっちというのは、どこのことだ?」

 私の漏らした言葉を聞き止めて、後ろからカステルモールが尋ねてきた。

「廃坑から続く隠し通路の先にあった、キメラ工場よ」

「廃坑......?」

 どうやらカステルモール、あの施設のことは知らなかったらしい。ひととおり私が説明すると、彼は小さく頷いて、

「そうか。そんなところに......。なるほど、先ほどは、そこに向かっていたのだな? いや、しかしこの通路は、そちらの山に向かってはいない。方角からすると、むしろ......」

「あれは!?」

 モンモランシーの叫びが、彼の言葉を遮った。
 カステルモールとの会話を中断し、私も前方に意識を向ける。
 すると......。

「......川?」

 そう。
 前方に見えてきたのは、かなり広くなった空間。
 しかも、そこには水が流れていたのだ。

「地下水脈......ってやつか?」

「それも......かなりの規模のようだね......」

 サイトとギーシュも、感嘆の声を上げていた。
 川幅は三十メイルくらい。
 パッと見た感じ、かなり深そうだ。
 魔法なしでは飛び越えられないが、さいわい、川を越える必要はなさそうだった。
 通路は左に大きく曲がる形で、川に沿って続いているのだ。

「とりあえず、道なりに行くべきよね?」

「そうだな」

 私の言葉に、年長者であるカステルモールが同意を示した。
 しかし。
 サイトが一人、これに反対する。

「いや......ここで戦うべきだぜ」

「あら、よくわかったわね。気配は完全に消したつもりだったのに」

 突然の声は、後ろからした。
 振り返れば、そこにいるのは一人の黒ずくめ。

「空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)の連中は、みんなやられちゃったけど......。私とビーコが健在のうちは、ベアトリス殿下には指一本触れさせませんわ!」

 言葉と同時に、彼女は左手を一閃。
 同時に、私の前へ躍り出たサイトが剣を構え、バシュッという音が響く。見えない何かを斬り飛ばしたのだ。
 ......手を振るだけで、不可視の衝撃波を放つ女。声と技から判断して、前に戦ったシーコという奴らしい。

「僕たちの後ろに回り込んだということは......挟み撃ちにするつもりかな?」

「じゃあ、ここは私とギーシュに任せて! ルイズたちは、前を警戒しつつ、進んでちょうだい!」

 いつになく強気なモンモランシー。
 戦闘よりは回復が向いている彼女であるが、それでも得意系統は『水』。こうした地下水脈がある場所ならば、彼女も有利に戦えよう。
 私たちの返事も聞かずに、さっそくモンモランシーは呪文を唱え始める。彼女が杖を振ると同時に、辺りに霧が立ち込めて......。

「何よ? 目くらましのつもり?」

 フフンと鼻で笑うシーコだが、この時すでに私は、モンモランシーの意図を察していた。

「......わかったわ。それじゃ、この場は頼んだわよ!」

 言って私は走り出す。
 サイトとカステルモールも、それに続いた。

########################

「いいのか? あの二人だけで......」

 並んで走りながら、やや心配そうな声を出すサイト。
 私は笑顔を作ってみせて、太鼓判を押す。

「大丈夫よ、今回は」

「敵の得意技は、すでに封じたようだったからな」

 ふむ。
 さすがにカステルモールも、わかっているらしい。

「......どういうことだ?」

 一人、サイトは首を傾げる。
 戦闘に関しては、そこそこ頭も回るはずだったのに......。
 まあメイジじゃないから、魔法には疎いのね。

「いいわ、説明してあげる。さっきモンモランシー、魔法で霧を発生させてたでしょ? シーコは単純に、あれを目くらましだと思ってたみたいだけど......たぶん、自分の技を過信してるのね。人魔になって身につけた、不可視の衝撃波、という技を」

 私は『不可視の』という部分にアクセントを置いて、強調してみせる。

「......不可視の......。あ! そういうことか!?」

「そ。あんたもわかったみたいね」

 手を振るだけで不可視の衝撃波を放つシーコは、確かにやっかいな存在である。
 彼女の動きに注目し、相手がそれらしき動きをしたら、身をかわす。対処方法は基本的に、それしかない。
 特に、他にも敵がいる状況では、彼女一人だけに注目しているわけにもいかない。だからこそ前回は、シャレにならない相手だと思ったのだが......。
 今回はシーコ一人である。ならば、それほど回避も難しくはない。
 しかも。
 モンモランシーが作り出した霧があるのだ。衝撃波自体は不可視であっても、それは霧を裂き、軌跡を生む。その軌跡で衝撃波を見切ることも容易であろう。

「......まあ、あっちはあっちだ。こっちはこっちで、警戒を怠るな」

「わかってるわ」

 カステルモールに言われるまでもない。
 さっきのシーコの口ぶりからして、まだビーコは残っているのだ。
 私やカステルモールを恨んでいるはずの、あのビーコが。
 ......彼女には、空間を渡る能力もある。いつどこから現れるか、わかったものではない。
 十分に注意をしながら、地底の川沿いの道を進む私たち。
 やがて......。

「ここで行き止まりか!?」

 サイトが叫んだように。
 通路の終わりが、目の前に見えてきた。
 ちょうど、川が大きく左に迂回する辺りで、川の中に飲み込まれるように......。
 いや。
 川が曲がっているというより、川幅自体が広くなって、湖になっている、と言った方が適切かもしれない。

「地底湖だな、これは」

 私の後ろでカステルモールがつぶやいた、ちょうどその時。

 ごぼごぼごぼ......。

 湖の中から、何かが浮かび上がってくる。

「え......」

「な......なんだありゃ......!?」

 プハッと息を吐きながら現れたのは、銀色のウロコを持つ巨大な竜だった。キラキラと光るその姿は、火竜や風竜なんかより、二回りは大きかった。

「あぶねっ!」

 サイトの叫びがなければ、かわせていたかどうか。
 竜は、いきなり細い水流を吐き出したのだ!
 ついさっきまで私たちが立っていた地面が、大きく抉れる。
 勢いをつけた水流など、鋭利で強力な刃物に他ならない。生身で食らったら、一発で致命傷となろう。
 背筋がゾッとする私。
 さらに追い打ちをかけるように、

「......あなたたちじゃ、今のビーコには勝てないわよ。諦めて降参することね。......ま、降参しても許してあげないけど」

 冷笑しながら、竜の陰から姿を現した少女。
 長い金髪を左右に垂らし、青い瞳を爛々と輝かせ、彼女は宙に浮いている。

「ついに出たわね......。ベアトリス・イヴォンヌ!」

 全ての黒幕である彼女を睨みながら、私は、その名を口にしていた。

########################

「魔法で空中戦か!?」

「違うわ、サイト。あれは魔法じゃなくて、マジックアイテムよ」

 ベアトリス・イヴォンヌのマントの下からは、ジャラジャラと様々な装飾品が顔を覗かせていた。
 ただのアクセサリーのはずもない。おそらく、今まで集めた魔道具を身につけているのだろう。魔法を唱えずに空を飛べるアイテムがあったとしても、おかしくはない。

「あら、よくわかったわね」

「......どうせ空から有利に攻撃するつもりなんでしょ? あんたみたいなタイプは......」

「まあ、何を言ってるのかしら。私が自ら戦うわけないじゃないの。私には......このビーコがいますから!」

 言って、竜に視線を向けるベアトリス・イヴォンヌ。それが合図だったかのように、再び水流が私たちを襲う!
 バッと跳び退きながら、後ろでカステルモールが言うのが聞こえた。

「......水竜だな......あれは......」

「へえ。さすがによく知ってるのね」

 彼の言葉を、ベアトリス・イヴォンヌが肯定する。

「もともとは海に住んでる竜よ。竜類の中では最大。でもって最強。空は飛べないけどね。......成獣した水竜が相手では、エルフだってなかなか勝てないそうよ」

 オモチャを自慢する子供のように、彼女は嬉々として説明するが......。
 彼女の発言の中に、ひとつ気になる部分があった。

「あんた......さっきその竜のこと『ビーコ』って呼んでたけど......まさか......」

「ええ、ビーコよ。ここで戦うならば、水竜のほうがいいから......そっちに脳を移植してあげたの」

 私に向かって微笑むベアトリス・イヴォンヌ。
 純真無垢な子供の笑顔にも見えるが......。
 むしろ私には、悪魔の笑いに見えた。

########################

 水竜となったビーコは、人魔だった時以上の強さを誇っていた。
 水のブレス、そして尻尾の叩き付け、なぎ払い。凶悪な爪......。
 まるで重戦車のような攻撃で、私たちは、それをかわすだけで精一杯。
 時折カステルモールが『風』魔法を放ったり、サイトが日本刀で斬りかかったりしているが、分厚いウロコに阻まれて、かすり傷をつけるだけ。私の爆発魔法でも、表面を煤けさせる程度である。

「これ......たぶん純粋な水竜じゃなくて、強化改造されたキメラね......」

「おそらくな。そもそもこんなところで竜を飼っているのも、キメラの材料にするためだったのだろうし」

 必死になって戦いながらも、カステルモールと言葉を交わす。とりあえず、なんとか対策を立てないと、このままでは攻撃を回避するだけで、疲れきってしまう。
 それに......。

「......あなたたち、意外としぶといのね......」

 敵は水竜ビーコだけではないのだ。
 プカプカ宙に浮いて、文字どおり高みの見物をしているベアトリス・イヴォンヌ。彼女も時々、気まぐれのように魔法を放ってくる。
 これでは、私が長い呪文を詠唱する余裕はない。
 さすがに竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)や虚滅斬(ラグナ・ブレイド)ならば、あの水竜にも通用すると思うのだが......。

「......なさけねぇなぁ。相棒の仕事は、娘っ子が呪文詠唱する時間を稼ぐことだろ? それなのに......」

 まったくだ。
 サイトも現状では、敵の攻撃を捌くだけで手一杯で......。
 ......って、え?
 今の発言は、いったい誰が......。

「デェエエエエエエエルフゥウウウウウウッ!?」

 手にした日本刀を凝視して、絶叫するサイト。
 私も驚いて、一瞬、動きが止まる。

「まあ俺も人のことは言えんがな。あんとき、この刀に乗り移ったまではいいが、完全に乗り移るまでに時間がかかっちまった。なにせこいつめ、何重にも鉄が折りたたまれて出来てっからよう......。扱いにくいのなんのって」

「デルフ! デルフ! お前、生きてたのか! なんで!」

 興奮しきった声でサイトが叫んでいる。私もすっかり頭が混乱しているが......。

「おまえたち! そういうのは後回しにしろ! 足を止めるな!」

「そうだぜ。そっちのにーちゃんの言うとおり、話はあとだ。とにかくあの水竜をなんとかしねえとなあ」

 カステルモールの叱責に、デルフも続く。
 一方、そんな私たちを見て、

「あら! その剣、インテリジェンスソードだったのね! それも欲しいわ!」

 目を輝かせるベアトリス・イヴォンヌ。
 彼女の意を受けて、水竜が尻尾を叩き付けてきた。
 狙いはサイト。手にした日本刀デルフリンガーを叩き落とそうというのであろうが、そうはいかない。サイトはしっかり握っているし、水竜の攻撃も、横に転がってかわしていた。

「あいつの弱点を教えろ! デルフ!」

「えっと、頭と心臓。生き物だかんね。でも、硬いウロコで守られています」

 息のあったコンビの会話......にも聞こえるが、デルフリンガーが告げたのは、言わずもがなのことばかり。
 それでもデルフリンガーから言われれば、サイトの気合いも高まったようで、彼のルーンはいっそう輝きを増していた。

「よし! ならば私も援護する!」

「なぁに? 男二人でビーコをいじめるつもり? ......そうはさせないわよ!」

 呪文を唱え始めるベアトリス・イヴォンヌ。
 この呪文は......『ライトニング・クラウド』! 電撃を生成して、相手を狙い撃つ魔法だ!

「サイト! 彼女の魔法にも注意して!」

「やべえ! どうするデルフ!?」

 私の叫びを耳にしても、剣に指示を求めるサイト。
 御主人様は私なのに、とか、剣に甘えるな、とか言いたいところだが......まあ、今回はデルフ復活直後だから、許してあげよう。
 などと私が思っているうちに、ベアトリス・イヴォンヌは呪文を完成させたらしく、サイトに向かって杖を振る。

「くそ!」

「かわすな! あの電撃を俺で受けろ!」

 何かにデルフリンガーは気づいたのだろう。サイトはそれに従って......。
 電撃は、避雷針に伸びる稲妻のように、剣に絡みついた。
 デルフリンガーが帯電して、青白く輝く。
 ほとばしる電撃が、刀の表面で爆ぜる。

「今だ! 俺を水竜のドタマに突き立てろ!」

 ちょうど水竜ビーコは、再び水流を吐こうと、頭をサイトに向かって突き出したところだった。
 サイトが地を蹴り、高く跳躍する!

「ビーコをやらせはしませ......。きゃっ!?」

 妨害しようとしたベアトリス・イヴォンヌには、私の爆発魔法が直撃。
 身にまとう防御アイテムのためダメージは少なかったようだが、それでも十分。
 ......サイトの邪魔だけは、私がさせないんだから!

「うおおおおおおおお......」

 サイトのジャンプ力では、水竜の頭に届かないが......。
 彼の背中を『風』が押す! カステルモールが魔法で加勢したのだ!

「......おおおおおおおおッ!」

 サイトが絶叫と共に、水竜の頭へと刀を突き立てた。
 分厚いウロコに阻まれて、中まで突き通すことはできない。だが刀が突き立った瞬間、デルフリンガーが、吸い込んだ電撃を解放する。

「......!」

 強烈な電流が、水竜ビーコの体に流れ込んだ。
 竜の動きがピタッと止まり、全身でバチバチと、ほとばしる電流が青白く瞬く。
 ......気絶したのか、息絶えたのか。したたかに電撃を流しこまれた水竜ビーコは、白目を剥いて、ゆっくりと水面に崩れ落ちる。
 派手な水しぶきが立ち上がり、竜は、仰向けに横たわりながら、地底湖の底へと沈んでいった。

########################

「う、うう、うえ〜〜ん」

 無防備な泣き声だけが、静まり返った地底湖に響く。
 自分の魔法でビーコを倒した形となり、ベアトリス・イヴォンヌは、泣き崩れてしまっていた。
 てっきり恨み倍増で向かって来るかと思ったのだが......。
 しょせん、甘やかされたお姫さまだった、ということか。一人では何も出来ないみたいだ。
 私とカステルモールが、拍子抜けしたような顔を見合わせていると、後ろから声が聞こえてきた。

「......おーい!」

 ギーシュとモンモランシーだ。
 彼らは彼らで、ちゃんとシーコを撃破し、ようやく追いついたらしい。

「......終わったの?」

「そ。こっちも、やっかいなのが出てきたけど......もうおしまい」

 駆け寄ってきたモンモランシーに、肩をすくめてみせる私。

「あれは......何かね?」

 ギーシュが指し示した先では......。
 サイトが、蘇ったデルフリンガーに夢中だった。

「あれから色々あったんだぜ」

「知ってるよ。しゃべれねえだけで、意識自体はあったからね」

 蘇ったといっても、もともと精神は宿っていたのだが、なかなかしゃべれるくらいまで精神力が膨らまなかった、と剣は語る。
 ......ま、考えてみれば、本来デルフは魔族、つまり精神体なのよね。憑依していたボロ剣が砕けたくらいで、魂まで消滅するわけなかったんだ......。

「......話すと長くなるから、後で説明するわ。今は、二人っきりにしておいてあげて」

「二人って......。僕には、あれは人ではなく剣に見えるのだが?」

「細かいことはいいのよ、こういう場合」

 ニコッと笑ってみせる私。デルフ復活ということで、私まで少し浮かれた気分になっていた。

「それより......終わったのなら、私たちは立ち去りましょうか」

 モンモランシーがギーシュの袖を引っぱると、

「そうだね。僕と愛しのモンモランシー、二人っきりの、ラブラブの旅に戻ろうか」

「ラブラブかどうかは別として、そういうこと。......というより、ラブラブじゃなくなるのは、あなたが浮気するからじゃないの!」

「......え? 僕がいけないのかい?」

 二人は、にこやかに軽口を交わしているが......。
 ふと見れば、カステルモールが難しい表情をしていた。
 ......まあ、そうだろうなあ。ベアトリス・イヴォンヌは無事に捕えたとはいえ、アンブラン村の秘密も明らかになった以上、その事後処理は大変だ。騎士団の団長さんともなれば、面倒ごとは上のお偉いさんに任せる、というわけにもいかないだろうし。

「......おまえたち、ちょっと言いたいことがあるのだが......」

 口を開いた彼の表情を見て、私はその先を察した。

「......私たちも巻き込まれるのね? 事情聴取やら現場検証やらに......」

「そういうことだ」

 はあ。
 ......かくて私たちは、アンブランの村をあとにした......。
 このフレーズが使えるのは、少し先のことになりそうである。


 第十部「アンブランの謀略」完

(第十一部「セルパンルージュの妄執」へつづく)

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番外編短編11「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」

 はりつめた気配が、行く道の先に現れた。
 二人は一瞬、その場で足を止める。
 気配の正体は......敵意。
 だがそれは、二人に向けられたものではなかった。
 山の中ゆく小さな街道。道の左右は木々に覆われ、あちらもこちらも死角だらけ。昼間といえど人通りは少なく、襲撃には絶好の場所である。
 そう。
 おそらく今まさにこの先で、野盗が誰かを襲おうとしているのだ。

「どうする......?」

「放ってはおけないでしょ。......それに、御礼くらい貰えるかもしれないし」

 金髪の少年少女は、気配の方へと駆けてゆく。
 やがて道の先に見えたのは、五、六人のゴロツキ風の男たち。
 目にした瞬間......。

「行け! ワルキューレたち!」

 少年が作り出した七体の青銅ゴーレムが、一斉に襲いかかる。
 ゴロツキたち全員、いともアッサリ叩きのめされ......。

「もう大丈夫よ!」

 少女が、襲われていた人に向かって言った......つもりの言葉は、木々の間に虚しく消えた。

「おかしいな......」

 同じことに気づいて、少年は辺りをキョロキョロと見回しながら、

「襲われていたはずの人、どこに消えたのだろう?」

「......ここだ」

 答えてピクピクと手を上げたのは、たった今ボコボコにされて、倒れているゴロツキたちの一人。

「......は?」

 ギーシュとモンモランシーは、そろって目を点にして、まぬけな声を上げていた。

########################

 あらためて男に目をやれば......。
 二十代前半と言ったところだろうか。
 頭は短く丸めた黒い髪で、目つきはキツく、やや吊り上がり気味。よく見れば顔立ちは整っているのだが、なんとなくワイルドな感じがする。白の上下に、黒いマントを羽織っていて......。

「なんだか悪役っぽいね」

「この野盗たちのボス......って感じよね?」

 顔を見合わせるギーシュとモンモランシー。
 対する男は、ピクピクしながらも二人を見上げて、ただ一言。

「ケッ」

 悪人づらで吐き捨てる様が、なんとも絵になっている。
 モンモランシーは、しばし考えてから、

「......えっとつまり......仲間割れ?」

「なんでそういう結論になる」

 男は抗議の呻きを漏らした。

「......俺さまはジョン・オータム......。アルビオン生まれの、流れの料理人だ」

「料理人? 君は杖を持っているようだが......メイジではないのかい? それに、アルビオンと言えば、料理がまずいことで有名な国だろう?」

 ギーシュは素直に、失礼な言葉を吐く。
 ......アルビオン云々はともかく、貴族のメイジが料理人というのは、確かにおかしな話である。料理は身分の低い者の作業とされており、女性であっても、貴族が厨房に立つことはあまりない。

「ケッ。おまえら勘違いしてるな。料理は勝負だ。攻撃魔法をふんだんに使ってこそ、うまい料理も出来るってもんだ」

 料理を攻撃してどうする!?
 ツッコミを入れそうになるモンモランシーだが、ふと思いとどまる。彼女は、思い出したのだ。

「アルビオン貴族で、料理人で、名前がジョン......。もしかして、あなた......『鉄鍋』のジョン!?」

「カカッ。なんだ、俺のこと知ってんのか。......そうだ。その『鉄鍋』ってのは、俺の二つ名だ」

「なんだい? 有名人なのか?」

「もう! ギーシュったら、何も知らないのね! アルビオン観光ガイドとか読んだことないの!?」

 そう。
 アルビオンについて記した旅行ブックには、必ず書かれているのだ。『鉄鍋』の料理が食べられるお店には、是非、足を運ぶべき......と。

「東方から伝わったという、ちょっと変わったフライパン......鉄鍋と呼ばれる調理器具を使って、どんな材料も美味しく仕上げてしまう伝説の料理人! それが『鉄鍋』のジョンよ!」

「......いや俺のことよく知ってるのはわかったから......とりあえず回復の呪文か何かかけてくれないか? そっち系統は苦手でな......」

 言われてモンモランシーは、慌てて『治癒(ヒーリング)』の呪文を唱え始めたのだった。

########################

「......お前たちは、なぜこんな所に?」

 共に街道を行きながら、ジョンはギーシュとモンモランシーに問いかけた。
 彼女が彼を魔法で癒し、野盗たちからは財布を没収したその後である。
 ジョンが向かっているのは、ここから少し行ったところにある街。野盗たちから助けてもらった礼として、そこで食事をおごる、と彼が言うので、モンモランシーたちは同行を決めたのであった。

「理由なんてないわ」

 ジョンの問いに、モンモランシーは胸を張って答えた。
 彼女に続いて、ギーシュが言う。

「僕たちは、トレジャーハンターでね。宝を求めて、モンモランシーと二人、世界中を旅しているのさ」

 ......トレジャーハンターとしては、まだ駆け出しだけど。
 モンモランシーは、そうつけ加える代わりに、

「私たち、今は特に追いかけている宝もなくて......どこかにそうした話がないかしら、ってブラブラしてるところだったの」

「そうか、宝か。ある意味じゃ......これから行く街にも、凄い宝があるぞ」

「本当!?」

 ひょんなことから、お宝探索の手がかりが手に入った!?
 目を輝かせるモンモランシーであったが。

「ああ。そこはワインの名産地でな。あの街のブドウは世界一だ。......いわば宝のブドウだな。カカカカカッ」

「......ブドウ?」

 あっというまにテンションが下がる。

「そうだ。世間じゃ、タルブがワインの名産地として有名だが......。どうしてどうして、タルブにゃあ負けないくらいのワインも飲める」
 
「......ワイン......ねぇ......」

「おいおい。ワインだって、ブドウという材料から作った料理の一種だからな。本当に旨いワインを作るのは、そう簡単じゃないんだぞ? もちろん、良質なブドウがあれば、そう難しい話でもないんだが......」

 簡単なのか難しいのか、どっちなんだ!?
 そんなツッコミを入れる暇もなく。
 ブドウやワインに関して、うんちく混じりのジョンの長話が始まってしまった。

########################

 結局、ジョンの解説が終わった頃には、一行は目的の街に辿り着いていた。
 大通りにある適当な店に入り、料理を注文する。
 山菜フライにポークとキノコの炒め物、牛肉のパイ皮包み焼きに秋野菜のバーベキューなどなど。

「あと、飲み物は、もちろん地元のワインだ。ケケケ」

 笑顔で注文を告げるジョン。
 彼のおごりである以上、モンモランシーとギーシュは、全てジョンに任せていたのだが......。

「あの......」

「なんだ? 嫌いなもんでも含まれてたか? 一応、メニューを見て、ワインに合いそうなものばかり選んだつもりだが」

「そうじゃなくて......」

 言いにくそうに切り出すモンモランシー。

「......食事をおごってくれる、っていうのは......あなたが料理を振る舞ってくれる、ってことじゃなかったの?」

 有名な『鉄鍋』のジョンが厨房を借り切って、何か作ってくれる......。
 モンモランシーは、そう期待していたのだ。

「何を言ってんだ? この街には、俺はワインを飲みに来たんだ。料理人として来たわけじゃない」

「いいじゃないか、誰が作ったものでも。美味しいものが食べられるなら」

 ギーシュは全く気にしていないらしい。

「......ほら、そのワインが来たぞ。ケケケ」

 食べ物より先に、まずは飲み物が運ばれてきた。
 ......何はともあれ、今は料理を楽しむしかない。
 モンモランシーも気持ちを切り替え、ジョンやギーシュと共に、グラスを口元に運んで......。
 彼女の動きがピタリと止まった。

「これって......」

「......気づいたか?」

 見れば、ジョンも同じく、飲むのを止めている。
 ギーシュだけは平気で飲んでいたのだが、それでも、少し顔をしかめていた。

「......なんだか......期待していたほどではないような......」

「当然だわ、ギーシュ。これ......ワインの香りじゃないもの」

 モンモランシーの二つ名は『香水』。味はともかく、匂いには敏感なメイジである。

「そういうこった。ケッ、店のもんが間違えやがったな。......おかみ!」

 店の女主人を呼びつけるジョン。

「俺たちは、ワインを注文したのだが」

「......え?」

 呼ばれてやってきた女主人の営業スマイルが、わずかに引きつる。
 三人を貴族のメイジと見てとって、言葉だけは丁寧に、

「だから......ワインでございますが」

「ケッ、ふざけるな。こんなものはワインとは呼べんな」

 ジョンは、わざとらしく深いため息をつく。
 すると。

「......今のは聞き捨てならねぇな」

「ふざけてんのは、そちらさんの方じゃないですかい?」

 声を上げて立ち上がったのは、奥のテーブルについていた男たち四人。ゴロツキのような風体だが、うち一人は杖を腰に下げている。
 店の女主人がオロオロと、ジョンたちと男たちとを見回すうちに、男たちは三人の方に歩み寄りつつ、

「この街のワインを仕切ってるのは、ウチなんだけどな。今のは何か? ウチにケンカ売ろうってことか?」

 だがジョンは、男たちの方など見ようともせず、ワインを一口だけ口に含み、

「ワインは半分弱。残りは、ただの水から『錬金』で作ったニセモノと......あとは香り付けで、桃りんごのジュースも加えてあるな。ケッ、ようするに混ぜ物入りのインチキだ」

 愕然と、男たちの足が止まった。
 たった一口でジョンが成分を言い当てたことに驚いて、モンモランシーも目を丸くする。
 ジョンは、男たちにユルリと目を向けて、

「......俺も料理の材料にゲテモノを使うことはあるから、ま、そこのところは文句は言わん。だが、これをワインと呼んではいけないな。これは、よくできたカクテルだ」

 ジョンの視線が鋭くなる。

「それで今、お前たちがワインを取り仕切っている、と言ったようだが......」

 気圧されるように、わずかに身を引く男たち。
 その顔に浮かぶ動揺の色を見れば、誰にでもわかる。
 正しいのはジョンの方なのだ、と。

「そんな......まさか......!」

 女主人も、疑いのまなざしを男たちに向けて......。

「......で......でたらめぬかすなぁぁぁっ!」

 完全に裏返った怒声を上げる、男の一人。

「何が混ぜてあるかなんて、わかりっこねぇだろ普通! いや、もしも混ざりもんが本当に入っていたとしても、の話だぞ!」

「わかるのだから仕方がない」

 ジョンは全く動ぜずに、

「お天道様は騙せても、この『鉄鍋』のジョンの舌は誤摩化せない!」

「て......鉄鍋のジョン......!?」

 ジョンの名乗りに、男たちは硬直し、

「ま......まさか、きさま、アルビオン料理界のドンといわれる......」

「ドンになったつもりはないが、俺がアルビオン生まれの料理メイジだということは事実だな」

「......っく......!」

 男たちは顔色をなくし、互いにオロオロ視線を交わしてから、捨てゼリフさえ残さずに、慌てて店から駆け出てゆく。
 一方、店の女主人は、茫然とジョンに目をやって、

「あ......あなた様があの......ハルケギニアの全ての料理人の頂点に立つ......!」

 ......どんどん話のスケールが大きくなっていく気が......!?
 さすがにモンモランシーも呆れるが、女主人はジョンの方に近寄ると、モンモランシーとギーシュを目で指して、

「そうすると、そちらのお二人は、お弟子さんですか?」

「いや、僕たちは料理などしないよ」

「彼が街道で野盗に襲われていたところを、通りかかった私たちが助けたのよ」

 静かに抗議するギーシュとモンモランシー。

「ケッ。あれを助けたと言われると、ちょっと腑に落ちない気もするが......おおむねそのとおりだな」

「そうですか......。でも、今のはちょっとまずいですよ、ジョンさま」

 と、女主人は声をひそめて、

「あの連中は、『ワイン倶楽部』に雇われてる用心棒ですよ。ああいうことを言われちゃあ、『ワイン倶楽部』も黙っていないと思うのですが......。あ、『ワイン倶楽部』っていうのは、この辺りのワインの仲介を一手にやってる、ユベールさんの商会の名前です」

「ワインに混ぜ物がしてある、ってことについては否定しないわけ?」

 タイミングを見計らって、横からモンモランシーが問いかける。
 女主人は、しばし困った顔で沈黙してから、

「......私の舌では、ワインに混ぜ物がしてあるかどうか、なんてことはわかりませんので......。でも、ユベールさんの『ワイン倶楽部』も、先代の頃とは雰囲気が違ってますから......」

「そういうことがあってもおかしくない雰囲気になった......ってこと?」

「いかがわしげな連中が頻繁に出入りするようになった、ってことだけは確かですね。ユベールさんは、ワイン運搬の護衛を増やしただけだ、って言ってますが......」

 女主人は渋い表情を浮かべて、しかしモンモランシーの疑問には、肯定も否定もしなかった。

「なるほど、そういうことか。ケッ」

 わかったような言葉を吐くジョン。
 モンモランシーにも、大体の構図は想像がついた。
 親のあとをつぎ、この辺りのワイン流通を一手に握った二代目が、混ぜ物ワインで儲けようと企んだのだ。高品質なワインよりもインチキの方が、原価も安く済むのだろう。

「これは......色々と調べてみる必要がありそうね」

 言ってモンモランシーは、ジョンと視線を交わし......。

「なぜだい? 味はともかく、それで商売が成り立っているのならば、僕たちが口を出す筋合いはないんじゃないか?」

 ギーシュの発言が、その場の空気に水を差した。
 モンモランシーは、深いため息をついてから、

「......ギーシュ。ちょっと想像してみて」

「何を?」

「あなたが女性にプレゼントしようとした香水。でも、それは水で薄められた、まがいものだったの。どう思う?」

「うーん......」

 首を捻るギーシュ。
 モンモランシーには一番わかりやすい例え話なのだが、どうやら、ギーシュには通じないらしい。

「......わかったわ。じゃあ、今のはパス」

 ちょっと考えてから。
 ギーシュにもわかるような例を出してみる。

「......酒場に行ったら、きれいな給仕の女の子が、お酌をしてくれた......っていうのを想像してみて」

「ふむ。なんだか楽しそうな話だね」

「あなたは彼女と意気投合して......私のことも忘れるくらいに意気投合して、二人で一晩、語り明かしたの。そして翌朝、目が覚めてみると......彼女の顔には、髭が生えてきてたのよ」

 一瞬、話の意味がわからないギーシュであったが。
 理解すると同時に、大声で叫んでいた。

「許せぇぇぇぇぇぇぇんッ! てゆーか女の子じゃないしそれ!」

 ようやくギーシュも、ことの重大さを悟ったらしい。
 かくて、正義の怒りを燃やし。
 彼らは真相を究明するべく、調査に乗り出したのであった!

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 街の一画にある、塀で囲われた大きな建物。
 レンガ造りでほとんど窓はなく、玄関先に近づくだけで、アルコールの香りが漂ってくる。
 門の上には黒大理石に金文字で『ワイン倶楽部』の名前。
 そこが、この辺り一帯のワインを扱う卸売業者、ユベールのワイン集積所だった。
 ......三人は店を出た後、他にも何件か店を回り、ワインに混ぜ物がしてあることを確認。それからここへやって来て、門番に告げたのだ。ワインの混ぜ物について聞きたい、と。
 門番は建物の奥へとすっ飛んで行った。
 そして......。

「私がここの責任者、ユベールです」

 三人の方へとやってきた数人の一団、その中心にいた小太りの男がそう名乗った。
 前髪の一部が白くなっているのは、白髪なのか、あるいはメッシュを入れているのか。

「なんでも、街でワインに混ぜ物がしてあった、とかいう話ですが......。いやはや、もしそれが本当だとすると、嘆かわしい話ですなぁ」

 男は、いけしゃあしゃあと言い放つ。

「全くだな。ケッ」

 対して、目をつり上げながら、それでもジョンは笑顔を作って、

「そんなバレバレのセコい悪事なんてやったところで、いずれ結局はバレて、自分の首を絞めるだけなのに......。頭が悪いとしか言いようがないな。カカカ」

 バカにしたような笑い声に、ユベールのこめかみに青筋が立つ。しかし表情は変えずに、

「いやはや、おっしゃるとおり。誰がそんなことをしたのかは知りませんが、こちらで詳しく調査させていただきます。お知らせくださり、ありがとうございました」

 どうやら、あくまでシラを切り通すつもりらしい。

「ところで......」

 と、彼は同じ表情で、

「ワインに混ぜ物が入っていたという証拠はお持ちですかな? 我々としても、そういう話があったというだけでは、同郷の仲間たちを疑うことは出来ませんからね。結局それで何もなかったら、後々の仕事にも悪影響が出てきますし」

「証拠......だと? ケッ」

 反撃にも負けないジョン。

「街に出回っているワイン、それが証拠だ。カカカ」

「ですから、そのワインが混ぜ物入りだという証拠ですよ。御存知とは思いますが、ワインというのは、保管の温度や樽が違っただけで味が全く変わってしまいます。失礼ながら、保存状態の悪いワインを店で出されて思い違いをなさった、などということではないでしょうね?」

「ケッ。あれが混ぜ物入りだなんてこと、誰にだってわかるぞ。こっちのお嬢さんだって、香りを嗅いだだけでニセモノだって見抜いたからな」

 ジョンはモンモランシーに視線を向ける。
 彼女の場合、香りを嗅いだだけで、ではなく、香りを嗅いだからこそ、不審に思ったわけだが......。
 とりあえず、高名な『鉄鍋』のジョンだけでなく、他の者にも見抜かれたというのは、ユベール陣営にはショックだったらしい。

「......誰にだってわかる......ですか......」

 ユベールのやや後ろに佇む一人がつぶやいた。
 年のころ十七、八の少女だ。長い髪は後ろで無造作に束ねられ、着ている物も薄汚れているが、高貴な生まれ特有の雰囲気を放っていた。
 彼女は、落胆したような声で、

「......じゃあ失敗作だったんですね......」

「リュリュくん!」

 少女の失言に、ユベールは慌てて、

「......その言い方だと、本当にワインに混ぜ物が入っていて、しかも我々がそれを作ったかのように『誤解』されてしまうぞ。言葉には注意してくれたまえ」

 彼女を叱責、というかフォローしてから、ジョンたちの方に向き直り、

「失礼。あなたたちからのご忠告を、同業の皆に対する侮辱と受け取って、共感してしまったようですな。ほら、若い女性は多感ですから......。ともあれ、ご忠告ありがとうございました。調査はしておきますよ」

 証拠がないならそろそろ帰れ、という意味である。

「ケッ。そういうことなら、今日のところは引き上げるか」

 悪役のようにも聞こえるセリフを吐きながら、きびすを返すジョン。

「......ん? 僕には、まるで話は解決していないように思えるのだが......」

「いいのよ、とりあえずは」

 ギーシュとモンモランシーも彼に続き、三人はその場をあとにしたのだった。

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「厄介な相手だな。ケッ」

 ぽつりとジョンがこぼしたのは、きびすを返してしばらく行ってからのことだった。

「厄介? あのユベールって男のこと?」

 モンモランシーの問いに、しかし彼は左右に首を振り、

「いや。場違いな少女が一人いただろう? ユベールは彼女をリュリュと呼んでいた。......その名を噂で聞いたことがある。代用肉を開発した『土』魔法のメイジ、リュリュだ」

「彼女が代用肉を!?」

 最近売り出された、魔法を使った代用食。豆で作ったパン状の生地に、魔法で肉の味をつけたもの。
 御世辞にも旨いとは言えないのだが、そもそもが、あまり肉が手に入らない庶民の買うシロモノである。肉のない食卓よりはマシなので、平民の間では割と売れている。貧乏人に落ちぶれたモンモランシーも、時々、お世話になっている食材であった。

「そうか......彼女が、あの代用肉を......」

 しみじみとつぶやくギーシュ。
 彼にしては珍しく、思うところがあるようだ。

「ケケケ。おまえも土メイジならわかるだろう。魔法で本物そっくりの肉を作るのが、どれほど大変なことか......」

 ジョンの言葉に、ギーシュは無言で頷いていた。
 たとえスクウェアの土の使い手でも、完全に同じものを『錬金』で作るのは難しい。普通は、どこかに不純物が混ざる。だが、実用上はそれで問題ないので、誰も気には留めない。
 ただし、食べ物となると話は別。わずかな違いでも、人の味覚は変化を感じ取ってしまう。だから食べ物を『錬金』することは困難......。

「でも......その代用肉の作り手が、なんでインチキなワイン製造に関わってるのかしら?」

「ユベールに丸めこまれたのだろうな。これも食材を『錬金』する修行だ......とかなんとか言われて」

 モンモランシーの疑問に、ジョンが推測を述べた。
 現在の代用肉は、味の上で、まだまだ改善の余地がある。リュリュに魔法料理開発者としての情熱があるのであれば、少しでも味を良くするため、たゆまぬ努力を続けているはず。ワインは肉とは違うが、そこはユベールが口八丁手八丁で言いくるめた可能性が高い......。

「あのワインに含まれていた、水を『錬金』して作ったワインもどき......。あれこそ彼女が作ったものであり、ある意味、修行の成果と言えよう」

 ジョンの言葉には、感心したような響きが含まれていた。
 それに気づいて、モンモランシーは考える。
 ......実際、混ぜ物ワインを出していたいくつかの店の人たちでさえ、デキが今一歩だと評する者はいても、混ぜ物と気づいた者は皆無だった。
 これでは、いくら混ぜ物入りだと主張したところで、気のせいだと一蹴されて終わりである。下手をすれば、『鉄鍋』の名を騙って文句をつけ、金を騙し取ろうとしているのだ、などとさえ言われかねない。

「......簡単にシッポ出してくれそうな相手じゃないわね。どうすんの?」

「ケッ、職人たちに聞くしかないな。作っている連中なら、少なくとも味の違いはわかるはずだ」

 こうして。
 違いのわかる男を求めて、三人は、ワイン工房めぐりを開始する......。

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 街の周りに点在する村を回り、ワイン工房を何件も訪ねる三人。
 職人たちは何か知っている素振りは示すものの、返ってくる答えは全部、知らぬ存ぜぬの一点張り。
 そして、日が傾き始めた頃......。
 三人は小さな村に来ていた。
 ほんの十軒ばかりの家が、緑の中にポツポツと佇むばかり。それでもワイン工房が一つ、村の端にあるらしい。
 レンガ壁の建物に近づくと、濃厚なブドウの香りが鼻をくすぐる。

「ごめんくださーい」

 玄関ドアをノックしても、返事も何もなく。
 耳をすませば、何か作業しているような音が聞こえてくる。

「人がいるのは間違いなさそうだな」

 ジョンの言葉に顔を見合わせ、三人は建物を回り込んで、音のする方へ。
 角を曲がった先には......一人の少女とブドウの山。
 大きな木のタライが置いてあり、端にはボートのオールのように、長い柄の杵が付いている。
 ワイン用のブドウを処理しているのだろう。彼女が柄の先を踏んだり離したりするたびに、杵が上下し、タライの中身をぺちこんぺちこんと叩く。

「ケッ。そんなんじゃダメだ」

 ジョンの漏らした不満の声に、ようやく彼女は三人に気づき、動きを止めた。
 十七、八といったところ......つまり『ワイン倶楽部』にいたリュリュと同じくらいの年頃だ。
 エプロンドレスは、質素だが清潔。頭をスッポリ覆う作業帽は、ぽこんと左右にふくらんでいるが、これは長い茶髪をお団子状に丸めているため。
 そして、何よりも目立つのが、その豊満な巨乳。せっかく作業の邪魔にならないよう、髪を束ねているのに、体を動かす度に胸が大きく上下して、なんとも仕事しづらそうに見えた。
 その胸を揺らしながら、彼女は振り向いて、

「......え?」

 その戸惑いの言葉に、真っ先にギーシュが反応する。
 彼女のもとへ歩み寄りながら、彼は薔薇の杖を振り、花びらを一枚のハンカチタオルに変えると、すかさずサッと差し出した。

「お嬢さん。まずは汗を拭いてください。その美しい顔が、もっとよく見えるように」

 少女はそれを受け取ったものの、ギーシュに礼を言うより先に、ジョンに疑問の視線を向ける。
 それを受けてジョンも、

「破砕の基本は軽く潰すこと。種の状態によっても風味は変わる。木の杵を使ってそんな風に破砕すると、種まで潰れて後々雑味を残すことになる。杵を落とし切るのではなく、タライの底を叩く直前に止めるんだ」

 ワイン造りのアドバイスらしきものを口にする。
 とたん、ジョンを見る少女の目が変わった。

「あなたがたは一体......?」

「ちょっと貸してみろ」

 ツカツカとブドウの山に歩み寄るジョン。
 少女の代わりにやってみせるのかと思いきや、ブドウをひと掴みすると、懐から取り出した鉄鍋にのせる。

「ちょっと待って! そんな大きなフライパン、いったいどこに入れてたのよ!?」

「なんだか......僕は完全に無視されているような気が......」

 モンモランシーのツッコミにも、ギーシュの愚痴にも取り合わず、

「ちょっと台所借りるぞ。どっちだ?」

「あ、はい。どうぞ。こっちです」

 裏口からドカドカと、ジョンは彼女の家に乗り込んで......。
 待つことしばし。
 やがて戻ってきた彼が手にしていたのは、澄んだ色の飲み物が入った、三つのグラス。

「このブドウからならば、これくらいのものは出来るはずだ」

「あ......すごい......」

「ふむ。これは旨いね」

 感心する少女やギーシュの横で、モンモランシーが思わずツッコミを入れる。

「なんでフライパンでワインが作れるのよ!? それもこんな短時間で!?」

「カカカカカッ! 俺さまは『鉄鍋』のジョンだからな。鉄鍋ひとつで、どんな料理も出来ちまうのさ」

 高笑いをするジョン。
 呆れて何も言い返せなくなるモンモランシーであった。

########################

「私は、キリっていいます。ここのワイン工房の職人で......同時に、ここのあるじです」

 三人を居間へと案内しながら、少女はそう名乗った。
 ジョンのウンチクと実演に感激したらしく、熱いまなざしを彼に向け続けている。
 彼女の話によると。
 ここは元々、キリの父親がやっていた工房だった。
 腕は良かったのだが、やや頑固なところがあって、時々キリに手伝いを頼むものの、基本的には一人でやっていた。
 その父親が、一年前に事故死した。
 工房をたたむという選択肢もあったが、少し悩んだ結果、彼女は後を継ぐ決意をした......。

「ケッ。工房を絶やさぬようにという気持ちは感心だが、その様子では、父親から教わっていないことも多いのだろう?」

 ジョンに言われて、キリは目をそらせた。
 なにしろ、つい今しがた、彼から作業のダメ出しをされたばかりである。

「多少のことなら教えてやれると思うが」

「本当ですか!? 是非......」

 目を輝かせて、再びジョンを見つめるキリ。
 二人だけで盛り上がりそうな空気に、モンモランシーが横から水を差す。

「ちょっと待って! それはいいけど、目的見失わないでよね!」

「ん? 困っている女の子を助けに来たんじゃなかったっけ、僕たちは?」

 薔薇を手に、ボケたことを言うギーシュ。
 さいわい、ジョンは忘れてはおらず、

「大丈夫だ。ワイン造りを手伝うのも、混ぜ物入りワインの真相究明の一環だ」

「......混ぜ物入りワイン......ですか......」

「そうだ。街で売られていたワインが混ぜ物入りでな。どうやら流通を取り仕切っている『ワイン倶楽部』が絡んでいるようなのだが......何か知らないか?」

 キリは表情を曇らせて、何か知っていますと言わんばかりの態度を見せる。
 しばしの沈黙の後。

「......職人仲間から、変な噂は聞きます......」

 彼女は、ポツリポツリと語り始めた。

「街で自分たちが造ったはずのワインを飲むと、味が変わっていた、って。......ユベールさんは、先代さんの時よりも割高でワインを引き取ってくれてたんで、最初は職人の間でも評判良かったんですが......」

「ケッ。うまいやり口だな」

 混ぜ物で原価を安く抑えられるのなら、ワインを多少割高で仕入れても、結果として儲けは大きくなる。
 なおかつ職人たちとしては、前より高く買ってもらっている以上、文句も言いにくい。

「......それで、今まで回った工房の職人たちは何も言わなかったのね。でもそうすると、前より割り増しされた分って、口止め料みたいなもんじゃないの」

「口止め料って......!」

 モンモランシーの言いように、キリは抗議の声を上げかけたが、途中で黙ってしまう。
 確かにそうかもしれない、と思ったのだろう。
 むしろ彼女は、ジョンとの会話に割り込まれたことで、反射的に反発しただけだったのかもしれない。

「まあ、これでだいたいの筋書きは読めたが......さて、どうするかな?」

 とりあえず、その場をとりまとめるジョン。
 結局これでは、ハッキリとした証拠にはならないのだ。

「あ! 決まっていないのでしたら......」

 気を取り直したかのように、キリが笑顔を作り、

「......今日のところは、うちにお泊まりになりませんか? 今から街に戻るのは大変でしょうし。部屋だけは余っていますから。それに......」

 と、ジョンに微笑みを向けて、

「ワイン造りの講義も、できればお願いしたいところですし」

 かくて三人は、キリの工房で一泊することになったのだった。

########################

 それから三日後。
 小さな村の小さな食堂を借り切って、ちょっとした集会が行われていた。
 集まっているのは、キリが声をかけて来てもらった、近隣のワイン職人たち。
 本題の前にまず乾杯、とワインを口にして......。
 とたん、全員が眉間にシワを寄せて沈黙。
 そう。
 彼らに出されていたのは、ユベールのところで売っている混ぜ物ワイン。

「これが、みなさんの仕事ですか?」

「これが、おまえたちが造ったワインなのか?」

 静寂を破ったのは、キリとジョンの問いかけ。

「その前に......あんた何者だ?」

 職人仲間であるキリはともかく、見知らぬジョンの存在を不思議がる職人。この場にはモンモランシーとギーシュもいるのだが、二人は目立たぬよう、店の片隅で黙って座っていた。

「俺か? ......ケッ。俺さまはジョン・オータム。アルビオン生まれの、流れの料理人だ」

 ジョンの名に、職人たちの間からオオッと呻き声が漏れる。彼らもジョンの噂は耳にしていたのだ。

「知っている者もいるだろう。目の前にあるのは、『ワイン倶楽部』がワインとして売っているシロモノ。......混ぜ物入りだ」

 ジョンは一同をぐるりと見回し、言い放つ。
 職人たちがざわめいた。
 ある者は驚愕に目を見開き、別のある者は気まずげに視線を逸らす。薄々気づいている者も、そうでない者も、両方いたらしい。

「ワインのような味と香りはする。よくできたカクテルだとは言えるし、これはこれで、と飲む者もいるかもしれん。......だが。これをワインと呼んでいいのか? これが自分の仕事の結果だと、皆は胸を張って言えるか?」

 誰かがつぶやく。そんなわけねぇだろ、と。
 他の者たちも、気まずく黙って目をそらせたり、怒りに顔を染めたりするばかりで、ユベールを擁護する者は皆無である。

「なら、みんなでユベールの旦那に直談判だ!」

 うち一人が声を荒げるが......。

「ケッ。それなら、もうやってみた」

 冷たい言葉を返すジョン。

「ご丁寧な言い回しで、証拠があるなら見せてみろ、と言われた。ここの全員で直談判に行ったところで、結果は同じだろう」

「けど集積所に乗り込みゃあ、混ぜ物に使ったもんがあるはずだろ? それを見つけりゃあ動かぬ証拠になるってもんさ!」

「......ワイン以外の飲み物も扱おうと考えていただけだ、とでも言われて終わりだな」

「じゃあ、どうすればいいってんだ!?」

 問われて、ジョンは言う。

「簡単なことだ。ユベールにワインを売らなければいい」

「それができるくらいなら、とっくにやってらあ。この辺りじゃ、ワインの仲買をやってるのは、あそこだけなんだぜ!?」

「ならば、新しいのを作ればいい」

「私が仲買を始めます」

 ジョンに続いて、キリが言い放つ。
 仲買にはワインに関する知識や資金も必要であるが、ワイン職人だったキリならば、ワインを扱う上での注意点などは十分承知している。父親が遺したワインを離れた街まで行って売り払えば、買い付けの資金もできる......。
 すでにキリは、父親から引き継いだ工房を一時的に閉める覚悟も完了していた。

「......状況が安定すれば、工房を再開できる日も来るかもしれません。ここで何もしなかったら、父さんのワインはこれからもずっと、混ぜ物をされて売られてしまう。それと比べれば、私が選んだ道の方が、父さんも喜んでくれるはずです」

 決然と一同を見渡すキリに、異を唱えようとする職人は一人もいなかった。

########################

 ガタゴト音立て、荷馬車は秋の道を行く。
 よく晴れてはいるものの、朝の空気はひんやりとしていた。
 御者をしているのはキリ。以前に父親の手伝いで荷物運びをしたこともあり、その手綱さばきは、なかなかのもの。
 荷車に載っているのは、パッと見では藁の山。実際にはワインが満載なのだが、日よけとして藁がかぶせてあるのだ。秋の山道とはいえ、樽が直射日光に長時間当たると、ワインの温度が上がり、味が劣化するからである。
 街道の先にある隣町まで行き、ワインを売りさばく。そのため、まだ夜明けのうちに村を発ったわけだが......。
 道の左右を覆う木々が、濃さを増した辺りで。

「うっ!?」

「ぎゃっ!?」

 複数のうめき声や争うような物音が、突然、木々の間から聞こえてくる。
 気になって、いったん馬車を止めるキリ。
 そちらに視線を向ければ、茂みの奥から街道へと姿を現したのは......。

「もう大丈夫。悪い奴らは、僕のワルキューレが全部やっつけた。安心したまえ」

「......ま、ここまでは読みどおりね」

 薔薇を手にキザなポーズを決めるギーシュと、精神的な意味で彼の手綱を握るモンモランシー。
 そして最後に出てきたのが、今回は野盗と間違われることもなく、無事だったジョン。

「ケケケ。悪党の考えることは、どこでも同じだな」

「そうするとやっぱり私......待ち伏せされてたんですか」

 やや不安げな声で、キリが尋ねる。
 そう。
 彼女の行く手、茂みの奥に身を潜めていたのは、ゴロツキ風の一団だった。おそらくは、キリたちの動向を知って、ユベールが送りつけてきた刺客たち。
 だが、そんなこともあろうかと、警護の意味で、ギーシュとモンモランシーがコッソリ荷馬車のあとをつけており......。隠れていたゴロツキたちを発見し、あっさり倒したのであった。

「悪いわね。囮みたいなことまでさせちゃって」

 事前に想定していたとはいえ、やはり自分が狙われたとなれば、キリも気持ちのいいはずはない。
 そう思って一応の詫びを言うモンモランシーであったが、キリは殊勝にも、

「いえ。これも必要なことですから」

「ふむ。さすが、きれいなお嬢さんは、心もきれいだ」

「バカなこと言ってんじゃないわよ、ギーシュ」

 強引にキリを褒めるギーシュを、モンモランシーが一喝。彼の視線がキリの豊満な胸に向けられていることに気づいて、それも後で叱ってやろうと思いながら、

「じゃ、私たちは彼らをふん縛って、街まで連行して背後関係白状させるから。あなたは頑張ってワイン売ってきてね、キリ」

 こうして敵を返り討ちにするのも、四人で立てた計画の一環だった。
 ワイン職人が本当に一致団結するまでは、それなりに時間もかかるはず。だがユベールが実力行使の妨害工作に出た場合、襲撃者をぶち倒して黒幕を吐かせることが出来れば、それで解決というわけである。

「はい。それじゃあ、そちらの方はよろしくお願いします」

「......打ち合わせどおり、俺さまは荷馬車に乗っていくぞ」

 言ってキリの隣に座るジョン。
 第二陣の襲撃があった場合に備えて、である。
 ジョンは、モンモランシーたちとの出会いの際には一緒くたにやられてしまったため、どうにも弱いというイメージがあるのだが、彼だって攻撃魔法を使えるのだ。

「はい。ジョンさんも、よろしくお願いします」

 モンモランシーとギーシュが今回の襲撃者たちからキッチリ話を聞き出せば、さらなる妨害計画があるのかどうか、それもわかるはず。
 危なそうならば、あとから二人も合流すればいいわけで、ジョンがキリに同行するのは、あくまでも『念のため』でしかない。だが、それでもキリは嬉しそうだ。
 彼女はペコリとお辞儀をして、再び荷馬車を進めていく。
 そんな二人の背中を見送って、

「さて。ギーシュ、この先の予定は、わかってるわね?」

「ああ、もちろんだよ。......って、モンモランシー!? いったい何を......」

 モンモランシーが無表情で杖を振り、水の塊がギーシュの体を包んだ。

「ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 もちろん、これは予定にはなかったことであるが......。

「......あなたの最近の態度、ちょっとね。だから、ここしばらくの分をまとめて、よ」

 敢えてもう一度言おう。ギーシュの手綱を握っているのは、モンモランシーなのである。

########################

 ざわめきが人々の間に広がってゆく。
 街の一角にある『ワイン倶楽部』の集積所。
 入ってくるのを最初は止めようとしていた門番も、敷地の中で作業をしていた人たちも、みんな動きを止めて、そちらに目をやっている。
 それはそうだろう。
 なにしろ、見知った顔の用心棒たちが、ズラリと縄で繋がれて、ゾロゾロ引っ立てられているのだから。
 彼らを引っ立てているのは、モンモランシーとギーシュ。ジョンとキリが続き、さらに、繋がれた用心棒たちの後ろからは、近隣の村から集まったワイン職人たち十数人。
 ......襲撃者を撃退して、キリのワイン売りも無事に終わった、その翌日のことである。
 近隣の職人たちを呼び集めて、その前で用心棒たちに全てを話させてから、全員でここに乗り込んだのだ。

「こ......これは......!」

 一団が集積所の建物に辿り着くより早く、騒ぎに気づいてか、ユベールが飛び出してきた。彼の後ろに続く者たちの中には、暗い表情のリュリュも含まれている。

「......どういうことだっ!?」

 ふん縛られた用心棒たちを見回して、大声で叫ぶユベール。
 ジョンが、突き放した口調で問いかける。

「ケッ。説明しなきゃわからないのか?」

「......そいつらが何かやったのか?」

 この期に及んで、まだとぼけるつもりらしい。

「こいつら、もう全部しゃべったぞ。......おまえがワインに混ぜ物をしていること。それに対してキリが策を錬ったと知って、彼女を襲ったこと......」

 ちなみに、彼らは面白いように何でもペラペラと白状した。
 どうやら、ギーシュの魔法でやられた直後に、そのギーシュが無表情のモンモランシーから水責めされているのを見たため、もう恐くてたまらなかったようだ。

「......そうか。そういうことか」

 ユベールは、苦々しげに口の端を歪め、用心棒たちを目で指すと、

「実はそいつらは、行状に問題があるので、先日クビにした連中なのですよ」

 ザワリと用心棒たちがざわめく。

「私を恨みに思ってか、あるいは、そう言えば罪が軽くなるとでも思ってか。私に頼まれた、などという作り話をしておるのでしょうな」

 あくまで言い逃れるユベール。
 ジョンたち一同、それが嘘八百だとわかってはいても、こう言われてしまえば、否定するだけの材料はない。
 その時。

「もうやめてください! こんな......インチキの片棒を担がされるのは、もうたくさんです!」

「......リュリュくん!?」

 叫んだ少女に、ユベールが形相を変える。制止しようとしたのだが、意を決した少女を止めることは出来なかった。

「......私......私は良かれと思って、みんなが喜ぶと思って、お手伝いしてたんです。でも......これじゃ話が違います! やっぱり『錬金』で作ったワインは、ワインじゃないんです!」

 堰を切ったように、リュリュの口から、言葉が止めどなく溢れてくる。

「......あれはワインじゃありません! 代用ワインです! ちゃんと代用ワインと銘打って販売するべきです! ......だって、代用肉を本物の肉だと偽って売ったら、そんなの詐欺じゃないですか!?」

 何を今さら......とツッコミを入れる者は、誰もいない。
 涙ながらに叫ぶ少女を責める男など、この世には存在しないのだ。......今さら言うまでもないが、この場にいるほとんどが男性である。

「......くっ......」

 ここまで言われては、もう誤摩化しようがないと悟ったか。
 ユベールがガクリと膝をつく。

「......ケッ。彼女を恨む必要はないぞ。どうせ、もうおしまいだったんだ。たとえこの場を言い逃れたところで、もうおまえにワインを売ってくれる職人など、いなかったんだからな」

 言ってジョンは、職人たちを見回した。
 彼らは皆、無言で頷きながら、ユベールの方へと詰め寄っていく。
 そうした光景を、他人事のように眺めながら。

「なあ、モンモランシー」

「何よ、ギーシュ?」

「あのリュリって女の子が、こんなにアッサリしゃべってくれるのであれば......。最初から、ややこしい作戦など立てずに、彼女の良心の呵責に訴えればよかったのではないかね?」

「......」

 返す言葉もないモンモランシーであった。

########################

 乾杯の音頭を合図に、カップのワインはみるみるうちに減ってゆく。
 いざこざ済んで日が暮れて。事件解決と、ワインの街の新たな門出を祝って。
 今、ワイン職人たちは、街の食堂を一軒借り切って、そこでパーッとやっていた。
 ......事件解決の主役であるキリとジョン、それにギーシュとモンモランシーも呼ばれている。

「楽しみね! ようやく『鉄鍋』のジョンの料理が食べられるわ!」

 そう。
 お祝いの場だから、俺さまがご馳走を作ってやろう......。そう言ってジョンは、現在厨房に引きこもり中。
 期待に胸躍らせるモンモランシーに、別の少女が声をかける。

「私も楽しみです! あのジョンさんが、私の代用肉をどう調理してくれるのか......。私の代用肉が、どう生まれかわるのか!」

 目をキラキラさせるリュリュ。
 彼女は元々、敵陣営の一員だったはずだが、それでもこの場に同席していた。
 もしも性格悪いネクラ男だったりしたら、ユベールと一緒に成敗されていたであろうが、さいわいリュリュは、可愛らしい少女。罪を憎んで人を憎まず......というより、ユベールに騙されて利用されていたということで、いつのまにか被害者扱いになっていた。

「カカカ! 待たせたな!」

 ちょうど料理を終わらせて、ジョンがやって来た。
 傍らには、彼の調理を手伝っていたキリ。なぜか表情が穏やかではないが、場の雰囲気が雰囲気なだけに、彼女に注目する者はいない。

「これなら、ワインにも合うぞ!」

 言ってジョンがテーブルに並べたのは、キノコのソテーを添え物にした、熱々ステーキ。濃厚なドロリとしたスープが、上からタップリかけられている。

「ほう! これは本当においしそうだ!」

「いただきまーす!」

 ギーシュやモンモランシー、そしてリュリュも職人たちも。
 さっそくステーキにかじりつき......。

「おいしい!」

「こりゃぁうめぇっ!」

「さすがはジョンさんだぜ!」

 口々に歓喜の声を上げる。

「......添え物のキノコも絶品だねぇ。なんだか、食べているだけで幸せな気分になってくるよ!」

「キノコなんかより、肉を食べなさいよ、ギーシュ! すごいわ、このステーキ! 舌がとろけそう......」

「驚きです! ブヨブヨの塊だとか、こんなもの肉じゃないとか、さんざんな言われようだった代用肉が......こんなおいしいステーキに化けるなんて!」

 感激する三人のメイジのところに、ジョンが歩み寄った。
 料理人のサガで、つい解説を始めてしまう。
 まずはギーシュに対して、

「......ケケケ。幸せな気分になるのも当然だ。野生のキノコの中には、幻覚作用を持つものもあるからな。そうした数種類のキノコを上手く組み合わせると、何でもいっそう美味しく感じられるよう、舌を覚醒できるのさ!」

「......え? 幻覚作用......!?」

 ギーシュの頬に、一滴の冷や汗が。
 かまわずジョンは、今度はモンモランシーとリュリュの方を向いて、

「代用肉がまずいと言われるのは、味が足りないのもそうだが、なにより食感が悪いからだ。食感を改善し、濃厚な味にするには、つなぎを加えればいい」

「......つなぎ?」

「そうだ。......といっても、卵や小麦粉を入れるわけじゃないぞ。今回はステーキだからな。動物性タンパクを加えることで、味を引き立てたのだ」

「......え? 動物性タンパクって......」

「いや、勘違いするなよ。魚や鳥やケモノや幻獣の肉を使っては、代用肉が負けてしまう。だから、そういった大きな生き物の動物性タンパクは入れていない。俺さまが使ったのは......よし、特別に見せてやろう」

 言いながら、彼は懐から小箱を取り出す。
 パカッと開けると、中にはウジャウジャと蠢くものが......!
 
「ぶぅぅぅぅっ!?」

「ぎゃぁぁぁぁっ!?」

「何よこれぇぇぇっ!?」

「ケケケ。安心していいぞ、これは食用で......」

 もうジョンの説明も耳には入らない。
 料理を吐き出し、テーブルを引っくり返し。
 大騒ぎのモンモランシーたちであった。


(「混ぜ物、ダメ、ゼッタイ」完)

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第十一部「セルパンルージュの妄執」(第一章)

「おらおらおら。俺たちが甘ぇ顔してる間に、おとなしく出すもん出した方が身のためだぜ」

「でねぇと......」

 うららかな朝の街道で。
 いきなり木陰から現れて、月並みなセリフを吐く盗賊たち。
 彼らを沈黙させたのは、私の爆発魔法の一撃......ではなかった。

「......!?」

 背後の緑のその奥に、突然、生まれ出た気配。
 憎しみ、悲しみ、怒り、そして敵意。
 人間の持つ負の感情、全てが混じり合ったもの。
 すなわち、瘴気......。

「......な......なんだ......!?」

 脅し文句を中断し、盗賊たちは、慌てて辺りに視線を走らせる。

「き......気のせいか......?」

「いや......! 何かいるぞ! 近くに!」

 半ば悲鳴にも近い、盗賊たちの声が交錯する。
 気配は、どんどん近づいてきて......。

 ガサッ!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 森の茂みを割って出た一匹のレッサー・デーモンは、私のエクスプロージョン一発で、あっけなく消滅したのだった。

########################

「......けどよ。このごろ多いよなあ、ああいうの」

 森の中ゆく細い街道。
 よく晴れた空などボーッと眺めつつ、のんきな口調で言ったのは、私の使い魔、サイトだった。
 ......レッサー・デーモンを一撃でぶち倒し、びびりまくる盗賊たちも成敗し、連中の蓄えていたお宝ゴッソリ没収したあとのことである。

「ああいうの、って......」

「......さっき娘っ子がアッサリ倒したデーモンのことか?」

「そう。ああいうの」

 私ではなく、背中の剣と会話を始めるサイト。
 御主人様をないがしろにして! ......と怒ってもいいところなのだが、やさしい私は、プンプンすることもなく、お仕置きエクスプロージョンもなく、海よりも広い心で許してあげる。
 サイトの得物は、ちょっと変わった剣。元々はサイトの世界から来た、日本刀という武器だったのだが、今はインテリジェンスソードとなっている。砕けてしまったデルフリンガーの魂が宿っているのだ。
 ただし十分な精神力がたまるのに時間がかかったそうで、以前のように話せるようになったのは、つい最近。それまでは、私もサイトも、デルフリンガーは消滅したもんだと思っていた。だから今のサイトが、私よりも復活デルフを選ぶのも、仕方のないことなのだ。

「......たしかに......昔と比べると、多いことは事実よね......」

 半ば独り言として、私はつぶやいた。
 レッサー・デーモンは、しょせん亜魔族。魔族としては最下級で、こちらの世界の何かに憑依しなければ具現できない程度のシロモノ。私もつい今しがた、何の盛り上がりもなく、いともアッサリ倒しはしたが、実は決して侮れる相手ではない。
 まがりなりにも『魔族』の名を持つ者なのだ。魔族なんて伝承や物語に出てくるだけの存在......と思っていた、並のメイジや騎士たちでは、倒すのはそれこそ命がけ。

「まあ、いいじゃねーか。どうせ娘っ子や相棒にとっては、たいした敵じゃねえ。それに、ああいうのがいる、ってことだけは、みんなもわかってきたようだし。......なあ、娘っ子」

 こちらに話を振るデルフ。
 サイトとの会話に、私も加えてくれるということか。剣なりの心遣い......かな?
 一応は笑顔を作って、私は相づちを打つ。

「そうね。そういうポジティブな考え方も、アリかもしれないわね」

 そう。
 元々このハルケギニアでは、魔族は実在しないという考え方が主流だったのだ。
 ところが少し前から、あちこちにレッサー・デーモンが頻繁に出現し、それに伴う被害が各地で出始めるようになった。
 おかげで今では、魔族の存在を疑う者は誰もいない。誰でも考えつくことは同じなようで、『レッサー・デーモン』という名称も浸透してきた。
 もちろん、普通に目撃されるのは、レッサー・デーモンのような亜魔族ばかり。そのため、レッサー・デーモンこそ『魔族』だと思ってしまい、純魔族の脅威までは理解していない者も多いようだが......。
 それでも、心の準備ができただけでも、以前と比べればマシと言えるだろう。
 なにしろ。
 私の予感が正しければ、人と魔族との戦争が迫りつつあるのだ......。

########################

 さて。
 たまには大きな街を訪れてみようか、ということで、ガリアの首都リュティスにやって来た私とサイト。
 しかし......。

「......何か......あったわね......」

「どうした、ルイズ? こんなところで足止めて」

「......これよ」

 怪訝な顔で問うサイトに、私は壁の貼り紙を目で指した。
 この世界の文字が苦手なサイトに代わり、読み上げてみせる。

「こう書いてあるの。『旅行中の学生メイジの皆様。急用なき方は、どうぞリュティス魔法学院までお越し下さい』って」

「......それがどうかしたのか?」

「ああ、なるほどな」

 やはり不思議そうなサイトとは対照的に、デルフリンガーは、わかったような声を出す。

「単純に文面だけ読めば、気軽に遊びに来てくれ、みたいなもんだもんな。相棒が騙されるのも無理ねーや」

「これには裏の意味があるのよ、サイト」

 リュティス魔法学院は、高名なトリステイン魔法学院にも匹敵する格式と歴史を誇る、大国ガリアに相応しい貴族の学び舎。
 交差した二本の杖を模した十字形の広大な校舎は、『旧市街』と呼ばれる中州のほぼ真ん中に位置しており、巨大な建物――各国からの留学生および地方貴族の子弟が暮らす寮や『塔(ラ・トゥール)』と呼ばれる魔法研究塔など――が並ぶさまは壮観であるという......。

「......そうした謳い文句は、少し大げさかもしれないけど......でも、特別なところであることだけは確かね」

「国内外でも裕福で有力な貴族の子弟しか通うことを許されない、選ばれた者たちの学院......ってこった」

 ややカッコつけた言い回しで、無機物である剣が、私の言葉を補足する。
 私は少し苦笑しながら、

「ともかく。どこの馬の骨ともわからぬ旅の学生メイジが、おいそれと入れる場所じゃないのよ。ところが、ワザワザそれを招待している......」

「......学生メイジの手も借りたい......って用件があんだろうな。しかも、具体的な用件が書かれてないってことは、一般の人間には知られたくない、重要な事件が、な」

 たかが学生と侮ることなかれ。
 私を例にするまでもなく、旅の学生メイジの技量というものは、えてして高いのが普通である。街道には野盗が出ることもあるし、弱っちょろいメイジでは、旅を続けられないのだ。
 それに、ガリアでは、貴族は騎士たるべし、との意識が強い。授業の中でも武芸が一番に奨励されているくらいである。学生メイジを戦力としてアテにする傾向も、他国以上であろう。

「......そうか。ここってガリアだもんな」

 私とデルフリンガーの説明を聞いて、ウンウンと頷くサイト。
 旅に出たまま戻ってこない王様とか、行方不明の王女さまとか、ともかくガリアは政情不安な国。だから何があってもおかしくはない、と考えているのだ。
 だが、たぶんサイトの想像は間違っている。
 さすがに、国のトップや政治に関連するような事件には、誰とも知れぬ学生メイジを関わらせるはずがない。

「......ともあれ、行ってみるっきゃないわね」

 言って私は、再び歩き出したのだった。

########################

「あの......『ゼロ』のルイズさん......ですね?」

 後ろから声をかけられたのは、街の大通りでのこと。
 リュティス魔法学院で話を聞いてから、繁華街まで戻り、軽く昼食。いざ目的地に出発、と店を出たとたんである。

「......そう......だけど」

 答えて振り向いたその先には、佇む一人の女の子。
 年は私と同じくらいであろうか。長い髪は無造作に後ろで束ねられ、着ているブラウスも少し薄汚れている。

「......あの......私、聞いちゃったんです。さっき魔法学院で、あなたの名前を」

「あんたも、あの場に?」

「はい。私も一応、貴族のメイジですから」
 
 なるほど、たしかに右手には杖を持ち、背中にはマント。それに、なんとなく高貴な生まれ特有の雰囲気があり、薄い鳶色の瞳には強い意思の力も宿っていた。

「あなた......噂に名高い、あの『ゼロ』のルイズさん......ですよね?」

 もう一度、確認するように聞いてくる少女。
 私は小さく頷いて、

「......どういう噂かは敢えて聞かないけど......たぶん、その『ゼロ』のルイズよ」

「お願いがあるんです! 私を......私を一緒に、カルカソンヌまで連れて行ってください!」

「ちょっ......!?」

 いきなりの大声に、私は慌てて彼女の右手を引っ掴み、そばの路地へと引っぱり込む。
 ちゃんとサイトがついてくるのを視界の隅で確認しながら、声をひそめて、

「......ちょっと! 大声を出さないで! 魔法学院に立ち寄ったなら、当然あんたも知ってるんでしょ!? 今......カルカソンヌで何が起こっているのか......」

「......ええ。もちろん。反乱......ですよね」

 瞳の奥に思いつめた色を浮かべて、彼女は頷いた。

########################

 ガリア南西部に位置したカルカソンヌは、王都リュティスから西に四百リーグほどの場所に位置する、中規模な城塞都市である。
 だが、その見た目は、ただの城塞都市ではない。
 幅五十メイル、長さ二リーグもの細長い、橋のような崖の上に造られた街。それは空から見ると、まるで巨大な蛇がうねっているような姿だという。
 立ち並ぶ赤レンガの屋根は、まさに蛇のウロコのよう。そんな景色にちなみ、城塞都市カルカソンヌは『セルパンルージュ(赤蛇)』の異名も持っている。
 人口二千人ほどの歴史ある街であり、幾度となく亜人の侵攻を防いだとも言われているが......。

「カルカソンヌは、王政府に反旗をひるがえしたんですよね。......ジュール・ド・モットという一人の貴族に乗っ取られて」

 そう。
 鉄壁の城塞都市も、内側の攻撃からには脆かったのだ。
 ただの客人として滞在していたトリステイン貴族が、あろうことか、カルカソンヌを治めていた領主を抹殺、街を武力支配してしまったらしいのである。
 話はすでに国の中枢部にも届き、王政府からは討伐隊も出発している。普通ならば、学生メイジの手など借りる必要もないのであろうが、ここで問題となってくるのが、ガリアという国の政治情勢。
 今回の反乱勃発に関わっていないとはいえ、ガリアには、かねてより王政府に対し不満と不信を感じていた諸候たちがいる。王都から離れたガリア南西部の諸候など、いつ反乱側に与するかわかったもんじゃない......。

「......ミイラ取りがミイラになる可能性もあり、王政府は、いまいち正規軍を信用しきれていない......。だから王政府は、ガリアの有力貴族とは関わりが薄い、旅の学生メイジたちを駆り出そうとしてるんですよね」

「状況わかってるじゃない! だったらわかるでしょ!? 大通りの真ん中で立ち話できる話題じゃない、ってことくらい!」

「......あ」

 今さら気づいた、という声をあげる少女。
 しかし、私に声をかけてきた時の彼女の目を思えば、どうやら彼女、何かワケアリっぽい。

「......とにかく......あんたの事情も聞かせてもらいましょうか。まず......そうね、あんたの名前は?」

「......リュリュ......」

 答えたのは彼女ではなく、しわがれた老人の声だった。

「......!?」

 思わず振り向いたその先、路地裏の奥には、佇む黒い影ひとつ。
 黒のマントに、目深にかぶった黒フード。うつむき気味なため、フードの下の顔は陰になっている。猫背のせいもあって、かなり小柄な体躯に見えるが......。

「......あなた......は......?」

 不安の色を滲ませながら、少女――リュリュという名前らしい――が問いかけるのを、老人は無視して、

「......なるほど......そちらが、あなたの目にかなった刺客ども、というわけですな。我らを倒すための......」

「我らを倒すため、って......。それじゃ、あなたはモット伯の......!?」

「わしのことは『赤蛇の王』とでも呼んでくだされ。それでは早速......お手並み、見せてもらいますぞ」

 大げさに名乗った老人は、右手の指をパチンと鳴らした。
 どこかで見たような動作。
 頭の中を通り過ぎる既視感には執着せず、とにかく私は杖を構える。老人が私たちに宣戦布告したことだけは、確実だからである。
 サイトも背中の日本刀デルフを引き抜き......。

「......なっ......!?」

 異様な光景に、サイトが驚愕の声を上げた。
 蠢く闇......。
 路地の奥、老人の周りにわだかまる闇が、波打つようにザワザワと動いているのだ。
 ......いや、闇ではない。
 その正体を悟って、リュリュの口から小さな悲鳴が飛び出す。

「......ひっ!?」

 それは影に潜んだ、数十匹のネズミたち!
 老人の合図で寄り集まってきたのだ。
 しかも......。

 ミチッ!

 きしむような物音が、路地裏に響いた。
 私の横では、サイトが、踏み出しかけた足をその場に止めている。
 そして......。

 ミチッ......ミチミチミチッ! ミリッ!

 きしみ、音を立てているのは、老人の周りに集まった大量のネズミたち。
 ......いや、もはや『ネズミ』と呼ぶのは相応しくないであろう。それは異形のものへと変質しつつあった。
 骨が、肉が、裂け、きしみ、新たな肉と骨とが生まれる。
 両手のひらに乗る程度の大きさだったものたちが、今やそれぞれ、ひとかかえほどの大きさに巨大化し、なおも大きさを増しつつあった。

「......う......あ......」

 ありえない光景に、小さく呻くリュリュ。
 その傍らで、私は大きく叫んでいた。

「思い出した!」

 この『赤蛇の王』と名乗る老人がやった、指をパチンと鳴らす仕草。あれは、以前に出くわしたヴィゼアという魔族が、オーク鬼の大群を呼び出した時のものと同じだったのだ。

「......あんた......魔族だったのね......」

 そう。
 魔族ならば、これくらいの芸当、たやすいのであろう。
 ただし、今回はオーク鬼ではない。
 彼が今、やってみせたことは......。

「......っくっくっ......。めったに見られる光景ではないはずじゃが......前に見たことあったのか?」

 ネズミから造り上げたレッサー・デーモンたちに囲まれて、『赤蛇の王』は、余裕の笑い声を漏らしていた。

########################

 ヒュゴガァッ!

 爆音と火炎が、いきなり弾け散る。
 人々の悲鳴は、一瞬の間を置いた後だった。
 私たち三人が路地を抜け出し、横へと避けた、まさにその時。
 レッサー・デーモンたちが放った炎の矢が、大通りの真ん中で炸裂したのだった。
 
「みんな逃げてっ!」

 時間のせいか、大通りにもあまり人は出ておらず、さいわいケガ人などはいないようだ。
 それでも、路地裏からヌウッと、レッサー・デーモンが姿を現せば大騒ぎとなる。
 再び悲鳴が巻き起こり、さして多くもない通行人たちは、慌ててバラバラと逃げてゆく。

「サイト!」

「おうっ!」

 これくらい開けた場所に来たなら、なんとか戦える。
 それはサイトにも伝わったのだろう。
 剣を携え、彼は走る! レッサー・デーモンの群れに向かって!

 るぐぉぉぉぉぉぅっ!

 レッサー・デーモンも吠え、体の前に、数十本の炎の矢を出現させる。サイトを迎え撃つつもりのようだが、そうはさせない。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ!」

 私の魔法で、先頭の三匹がまとめて消滅。
 これで連中の注意は私に向いたが......。

 ザンッ!

 一気に飛び込んだサイトの剣が、一匹のデーモンの腹を薙ぐ!

 ぐををををうっ!

 断末魔の悲鳴を上げて倒れるレッサー・デーモン。
 再び私からサイトへ、奴らの関心が移動。その隙に。

 ボワッ!

 小さな爆発魔法が、一匹のレッサー・デーモンを貫いた。
 サイトが斬り込んでいった以上、あまり大きいのは、彼を巻き込む恐れがある。ピンポイントで、一匹ずつ狙って倒していくしかない。
 とはいえ、このレッサー・デーモンという奴、能力的には決して低くはないのだが、連携など考えておらず、攻撃もかなり一本調子。互いをフォローしつつ戦う、私とサイトの敵ではなかった。
 やがて......。

「......すごい......」

 感嘆の声を上げるリュリュ。
 最後のレッサー・デーモンが、私の呪文で無と化したのだ。
 さて、これで残るは、あの『赤蛇の王』とかいう奴だけなのだが......。

「ほほぅ。あれだけの数のレッサー・デーモンをこの時間で、か。なかなかやるのぅ」

 声は、上から聞こえた。
 振り仰いだその先、建物の屋根の上に、佇む小柄な黒い影。

「見物してないで降りてきたら!? 私達のお手並み拝見なんでしょ? レッサー・デーモンじゃ役者不足......となれば、あんたの出番のはずよ」

 魔族である『赤蛇の王』にとっては、高いところに登ったり降りたりするのは、メイジ以上に簡単なこと。空間を渡って、私達の背後に突然出現することだって可能なはず......。

「いやいや。わしは高いところが好きでな。どうじゃ、お前たちの方から、上がってきてみてはいかがかな?」

「おう! 言われなくても、こっちから......」

「ダメよ、サイト!」

「やめとけ、相棒。娘っ子の言うとおりだ」

 ズイッと歩み出るサイトに、制止の声が二つ。

「なんでだ? あいつ、高いところに登ったはいいけど、降りてこれなくなったんだろ? その程度の奴......」

「なんでぇ、相棒。そりゃあ相手を甘く見過ぎだ」

「そうよ! ああ見えて、あの老人は魔族なのよ!?」

 もしかするとサイトの言うとおり、『赤蛇の王』には、空間を渡る能力はないのかもしれない。
 だからといって、ナメてかかれる相手ではないのだ。レッサー・デーモンを一気に大量生産する、という技があるのは確実だし、他にも何か大技を隠し持っている可能性は高い。
 だいたい、魔族と戦うというのに、足場の不安定な屋根の上に登ったら、人間であるこちらの不利は目に見えている。

「......どうした? 来てくれんのかな?」

「行かない」

 キッパリ言い切る私に、『赤蛇の王』は余裕の口ぶりで、

「しかし......それでは、お前さんがたの方が困るのではないかな? わしがその気になれば、この王都の全てのネズミや犬猫たちを、デーモンにしてやることも出来るのだぞ」

「そう? じゃ、やれば? 私はちっとも困らないから」

 スケールの大きな話だが、そんなもんに負ける私ではない。

「......ハッタリだと思うておるのか......? それともレッサー・デーモンなど、何百何千いようと敵ではない、とでも?」

「残念。どっちでもないわ」

 私は指を一本、ビシッと相手に突きつけながら、

「あんたがこれからここで何をしようとも、私たちは、無視してリュティスを出て行くだけだから」

「......っなっ......!?」

「え!?」

「おいルイズ!?」

 敵である『赤蛇の王』だけでなく、リュリュやサイトまでもが声を上げた。
 デルフリンガーだけが、少しニュアンスの異なる感じである。

「さすがは娘っ子だ。言うことが違ぇや」

「さ、みんな。とっとと街を出るわよ。あいつが屋根の上で遊んでいる間に、カルカソンヌまで行って、その、モット伯ってやつ倒すのよ」

 言ってスタスタ歩き出す。

「こら待て! 待たぬなら......この王都を破壊してもよいのだぞ!?」

「......なあ、ルイズ。あいつ何か言ってるぞ」

「放っておけばいいわ」

「けど......街を壊す、って言ってますよ」

「気にしちゃ負けよ、リュリュ。どうせ口だけなんだから」

 アッサリ返す私。
 こちらは口からデマカセではなく、根拠あっての発言である。
 ......ここまでの言葉のやり取りから考えて、『赤蛇の王』は、カッとなって突っ走るタイプとは違う。そして最初に言ったとおり、あいつの目的は、こちらの戦力調査。ならば、王都壊滅などという、意味のないことをするはずがない。

「ま......待てっ! 待てと言っておるにっ! いかんぞ、そういう無責任な態度はっ! これだから最近の若いもんは......」

 まるで人間の老人のような愚痴を吐く『赤蛇の王』を完全に無視して、私たち三人は、その場をあとにしたのだった。

########################

「......さてと。それじゃあ聞かせてもらいましょうか、リュリュ。一体どういう事情があるのか......」

「......いや......事情説明するのはいいんですけど......なんでこんな場所で、なんですか?」

 声をひそめて問う私に、つられてリュリュも、声をひそめて問い返す。
 王都リュティスを出て少しの場所。
 私たちは街道を離れ、さして大きくもない森の中へ。そして、やや奥まで進んだところで足を止めたわけである。

「......決まってるじゃない。あの『赤蛇の王』ってのをやり過ごすためよ。さっきの様子だと、私たちを追っかけてきそうだったし、当然そうなると、カルカソンヌへ向かう街道のほう探すでしょうから。......こうして反対側に隠れてたら、見つかりっこないわ」

 いくら空間を渡れる魔族とはいえ、私たちの居場所がわからなければ、追いつきようがない。
 まあ、あの魔族の場合、そもそもその能力を持たないようだが、まだ断言はできないし、油断は禁物である。

「なるほど......。ここでしばらく話をして、それからカルカソンヌへ向かうわけですね?」

「そういうこと。多少は時間のロスになるかもしれないけど、あいつをやり過ごせるなら、そのほうがいいでしょ?」

 言って私は、マントを敷物の代わりにして、草の上に腰を下ろす。

「......と、いうわけで。説明してもらいましょうか。あなたがカルカソンヌへ行かなくちゃあいけない理由。そして、あの『赤蛇の王』が、あなたをマークしていた理由を」

「......ええ......」

 彼女も私と同じように、マントを下に敷き、腰を下ろす。
 しばし、何か考えこむかのように、黙って下を向いていたが、やがて顔を上げると、キッパリとした口調で言った。

「友だちを......助けなきゃあいけないんです」

########################

 ガリア西部に、ルションという街がある。暖かい気候の住みよい街だ。
 リュリュは、そのルシュンの行政官の娘として、何ひとつ不自由なく育った。
 お金に任せて、世界中の美味しいものを買いあさるくらいだったが、食べるほうから作るほうへと興味が移ったのが、彼女の人生における大きなターニングポイントとなった。
 ......料理は身分が低いものの作業とされており、貴族の娘が本格的に料理を学ぶとなると、風当たりも強かったのである。
 色々あって家を出て、各地を放浪するリュリュ。その過程で彼女は知った。世の中のほとんどの人は、美味しいものを食べられない、ということを。
 おいしいものが庶民に行き渡るには、どうしたらいいのか......?
 リュリュは考え、彼女なりの答えを出した。量が足りないからいけないのだ、と。そして『錬金』で、豆から代用肉を作り出し、それは行く先々の街で、お店で売られるようになり......。

########################

「へえ。リュリュって、あの代用肉の考案者だったんだ」

 素直に感心する私。
 味は悪いのだが値段は安いので、旅の学生メイジの中には、保存食として活用する者もいる。

「はい......」

 自慢げな態度は取らないが、リュリュは、もっと誇ってもいいと思う。
 本来『錬金』という魔法は、食べ物を作るには向いていないのである。それくらい、私でも――『錬金』など使えぬ私でも――知っているくらい、メイジには常識な話。

「......で、それはいいとして......。あなたの生い立ちと、カルカソンヌの話と、どう関係してくるわけ?」

 このままでは、いっこうに本題に入りそうにないので、話のペースを上げるよう、それとなく催促する私。

「あ、はい。旅の途中で出会ったのが......アネットさんとオリヴァンさんだったのです」

########################

 代用肉の味を向上させるという、一風変わった魔法修業の旅を続けていたリュリュ。時には悪い奴に騙されて、その技術を悪事に利用されることもあり、一人旅の難しさを痛感することもあったが......。
 そんな時に出会ったのが、オリヴァンとアネットという主従であった。
 オリヴァンは、古くからガリア王家に仕える名門貴族の家系であり、リュティス魔法学院に籍をおく学生メイジ。一時はグレて屋敷に引きこもっていた時期もあったのだが、ちょっとした事件をキッカケに立ち直り、一念発起して、修業の旅に出た。
 その『ちょっとした事件』にも関わったのが、アネットという名前のメイドである。オリヴァンがグレていた頃ですら、唯一彼を信じていた彼女は、オリヴァンの専属メイドとなって、当然のように旅に同行していたのであった。

「彼女は私より一つだけ年上なのですが、一つしか違わないとは思えないくらい、大人なんです。包み込むような雰囲気を持った女性で......。伯爵家で甘やかされて育ったオリヴァンさんとは、ある意味、いいカップルでした」

 年齢が近いこともあって、リュリュは、すぐにアネットと仲良くなった。
 ごく自然に、二人の旅に同行する形となったリュリュ。普通ならば、仲の良い男女二人と共に旅をすれば、自分は邪魔者だと感じる瞬間も出てくるかもしれないが、そんな疎外感は全くなかった。
 しばらく三人で、愉快な旅を続けていたのだが......。

「......あの街に立ち寄ったのが、不幸の始まりでした......」

 城塞都市カルカソンヌ。
 少しの間、そこに滞在することにした三人。
 街の中を歩く彼らをたまたま見かけて、いきなりアネットに言い寄ってきたのが、ジュール・ド・モットであった。
 ......彼は『波濤』という二つ名を持ち、元々はトリステイン王宮に勤めていた貴族。それが何やら問題を起こして国を追い出されたらしく、客人としてカルカソンヌの領主のところで世話になっていた。トリステイン時代から好色で知られていたそうで、国外追放となったのも、女性問題のトラブルが原因ではないか、というのが、もっぱらの噂だった。
 そんな男に、アネットがなびくわけはない。それでもモットは、しつこくアネットに言い寄り続けた。

「アネットさんは『将来を約束した恋人がいるから』と断ったのです。ええ、もちろん、オリヴァンさんです。......それまで二人は、ハッキリとした恋人同士という意識はなかったみたいですが、モット伯が、ある意味では良いきっかけになったのですね」

 もちろん、オリヴァンとアネットの間には、貴族と平民という身分の違いが存在し、それなりに前途多難であるのだが、それでも二人なら何とかやっていける......。リュリュはそう思っていた。
 そんな時。
 そのオリヴァンが突然、おかしな事故で亡くなった。
 三人を知る者たちは噂した。モット伯が、アネットを手に入れるために、事故に見せかけて、オリヴァンを殺したのではないだろうか、と。
 噂の真相は、むろん誰にもわからない。
 しかし、そんな噂のある男に、アネットが好感を持つはずもない。
 誰もがそう思った。
 だが......。

########################

「......アネットさんが、モット伯の妾になったのは、それからしばらくのことでした......」

 うつむいて、リュリュはポツリとそう言った。
 その辺りの話はあまり触れたくないようで、彼女は途切れ途切れに、おおざっぱに話を進めていた。

「理由を聞いたけど......答えてくれませんでした......困ったような顔をして......。アネットさんのことが心配で、しばらく私はカルカソンヌに留まっていたのですが......あまり会う機会はありませんでした。ただ、噂で聞いた限りでは、幸せとは程遠い生活のようで......」

 ......そりゃそうだろう。
 アネットという彼女が、何を考えてモット伯の妾になったのかは知らない。だが、モット伯がロクな男でないことだけは確かだ。
 私もトリステインの生まれなので、昔、彼の噂を聞いたことがある。王宮の勅使として様々な場所に出かけては、平民の若く美しい娘に目をつけて、半ば強引に屋敷へ連れ帰っていた......とのこと。
 手当り次第にメイドを手篭めにするような男が、一人の女性を愛し続けるはずもない。気に入ったものは欲しがるが、手に入ってしまったものには興味をなくす、というタイプのようだ。

「......そろそろカルカソンヌを発って、また一人旅に戻ろうか......。そんなことを思いながら、ズルズルと宿に滞在して、出発を先延ばしにしていたら......ある日、使いの人が来て......」

 それは、アネットからの呼び出しだった。

「今すぐ会いたい、って。そんなこと初めてだったので慌てて行ってみたら......。そこで彼女から聞かされたんです......」

「......モット伯が反乱起こそうとしてる、って?」

 私の問いに、リュリュはこっくり頷いた。

「街全体を巻き込むつもりだ、あなたは逃げて、このことを王都に伝えてくれ、って......。まさかそんな、と思いましたが、それでも私は出発しました。けど......」

「......もう手遅れだったわけね」

 私の言葉に、リュリュは再び頷いた。
 彼女が王都リュティスに辿り着いた時。すでにモット伯はカルカソンヌを乗っ取り、大規模な反乱を開始していたのだ。

「しょせんモット伯は、よそものです。どうやって街を支配したのかはわかりませんが、国の正規軍が動けば、街の鎮圧は時間の問題だと思うんです......。でも、そうなったら、きっとアネットさんも巻き込まれる......」

「......なるほど......ね。それで、正規軍より先にカルカソンヌへ行って、なんとかしたい、と」

 正規軍云々に関しては、おそらく、リュリュが考えているほど話は単純じゃない。国の情勢や諸候の動向などと絡んで、この一件が長期化する可能性もある。
 まあ、それでも、魔法学院経由で多くの学生メイジたちが戦力として送り込まれているのは事実。モタモタしていられないのは、確かである。

「......私もメイジですけど、攻撃呪文は苦手ですから......」

「......で、あんたをカルカソンヌまで連れていってくれそうな人間が来るのを待ってて......私たちがそこに来た、と」

「虫のいいお願いだ、ということはわかっています。足手まといになることも、私がカルカソンヌに行ったからって、どうにかなるものでもない、ってことも。......けど......」

 リュリュの言葉が、そこまで進んだ時。

「......とりあえず、話は一時中断だ」

 突然サイトが口を挟む。
 それまで彼は、近くの大木にもたれかかっていたのだが、今は身を起こして、しかも剣を構えている。

「......ほう...わしの気配に気づくとは、さすがだのう......」

 森の中から、新たな声。
 生い茂る緑の連なりを、カサリとも揺らさず、木々の間から出てきたのは......。

「へえ。あんたこそ、さすがだわ。私のフェイントに引っかからず、もう追いつくなんて」

「なぁに。若いもんの考えることくらい、お見通しじゃて」

 相変わらず、まるで人間の老人のような口ぶりの魔族......『赤蛇の王』であった。


(第二章へつづく)

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第十一部「セルパンルージュの妄執」(第二章)

「へえ。あんたこそ、さすがだわ。私のフェイントに引っかからず、もう追いつくなんて」

「なぁに。若いもんの考えることくらい、お見通しじゃて」

 こんなに早々と見つかってしまうとは、正直、私も驚いていた。
 同時に、作戦ミスだったという後悔の念がドッと湧いてくる。
 ......長話をするのであれば、せめて、何かあっても有利に戦える場所で話し込むべきだった......。
 なにしろ、ここは森の中。
 生い茂る木々。広がる大自然。
 当然、森の中には無数の小動物が生息している。
 それら全てが『赤蛇の王』にとっては、レッサー・デーモン量産の材料となり得るのだ。

「......そうするとやっぱり、自分の力に自信ないから、今回もレッサー・デーモンぽこぽこ呼び出して、私たちにけしかけるつもり?」

 挑発してみる私。
 おそらく『赤蛇の王』は、私の挑発なんて受け流して、レッサー・デーモンを呼ぼうとするだろう。
 だが、あらかじめわかっているならば、こちらとしても対処のしようもある。
 動物たちが憑依されてレッサー・デーモンになるまでの、そのタイム・ラグを利用すれば......大技で一気に吹っ飛ばすことも可能! その意味では、街中ではなく森の中であることが、私に有利に働く!
 ......と思ったのだが。

「いやいや。御期待のところ申し訳ないが、あれは今回、なしじゃ」

 その一言が、私の計算を引っくり返した。

「さっきの戦いを見たところでは、レッサー・デーモンなどけしかけたところで、単なるいやがらせにしかならんようじゃからのぅ。......そんなもの戦いの邪魔になるだけだ、と仲間に言われての......」

「仲間......?」

 眉をひそめて問う私。

「おうとも。紹介しよう。......これ。隠れておらんで出てこんか、『トカゲ』よ」

 その言葉と同時に。

 ゾワリッ......。

 凍てつくような殺気が、私たちの後ろに生まれた。
 慌てて後ろを振り向けば、同じような緑の連なりの中。
 木陰から陽の光の下へと姿を現す、異形の怪物......。

「リザードマン!?」

 リュリュが思わず声をあげていた。
 全身を覆う、枯れ葉色のウロコ。長々と伸びた尻尾。
 たしかにリザードマンだと言いたくなる気持ちはわかる。
 しかし、そんなものは、英雄譚の本にしか出てこない架空の生き物である。
 ならば......おそらく、こいつも魔族。トカゲと人間のキメラという可能性もなくはないが、『赤蛇の王』が仲間と言った以上、彼と同じ種類の存在だと考えた方が理にかなっているだろう。

「さてと......『トカゲ』、お前はどちらと戦いたいかの?」

 問われて『トカゲ』は、答える代わりに......。

 シャウッ!

 音を立てて両手の爪を伸ばす。
 合計十本。長さはまちまち。短剣程度から、ロング・ソードほどの長さまで。
 そしてそれで、ゆっくりとサイトの方を指し示した。

「......なるほど、剣士か。なら当然、わしの相手は嬢ちゃんじゃな」

「そういうことになるみたいね」

 私は『赤蛇の王』の方に向き直り、

「......って、それはいいけど、人と話をする時は、せめて相手に顔くらい見せるもんよ」

「おうおう。これは気づかんかったの」

 応えて彼は、無造作に、伏せていた顔を上げる。
 フードの下のその顔は、白い髭をたくわえた老人のもの。

「......へぇ。普通の顔してんのね」

「当たり前じゃ。人間の顔をしとらんとでも思うたか? そう化け物あつかいせんでくれ。......話は尽きぬが、そろそろ始めるぞ」

 言って動き出す『赤蛇の王』。戦闘開始宣言とは裏腹に、こちらを向いたまま、森の中へと退いてゆく。
 木々の間に隠れ、気配を消しながら、私を攻撃するつもりらしい。そんなことをされては厄介である。

「そうはさせないわ!」

 あとを追いながら、呪文を唱えて杖を振る。
 私の爆発魔法が木々を薙ぎ倒すが、『赤蛇の王』には直撃しない。彼は早くも、森の陰と一体化して、その姿を消していた。

「乱暴な嬢ちゃんじゃのう。森が火事になるぞい」

 軽口だけが聞こえてくる。 
 ......いや!
 言葉だけではない。続いて、森の奥から氷の蔦が伸びてくる。『赤蛇の王』の冷気攻撃だ。
 こんなものに絡め取られては、ただ寒いというだけでは済まないだろう。
 慌てて大きく後ろに跳ぶが、氷の蔦は、まだ広がりつつある。
 爆発魔法で迎撃するには、ちょっと広範囲すぎ。まとめて大技で一掃する......ほどの呪文を詠唱している余裕はない。

「サイト!」

 助けを求めるかのように、私は大きく叫んだ。

########################

 ギッ! ギュンッ! ギィンッ!

 立て続けに上がる金属音。
 防戦に回っているのは、サイトの方だった。
 敵の『トカゲ』は、長さの異なる長短の爪十本を武器としている。それが、一見でたらめのような動きで、波状攻撃をしかけてくるのだ。
 サイトは、それらを捌くので手一杯で、攻撃に移るチャンスを掴めない。これでは、せっかくのガンダールヴの神速も封じられた状態である。
 なにしろ、彼が間合いを取ろうとすれば、その前にサイトの挙動から察して、『トカゲ』が踏み込んでくる。完全に『トカゲ』の間合いで二人は斬り合っているのだ。
 とはいえ、サイトの得物は、日本刀バージョンのデルフリンガー。たとえ不利な間合いでも、あんな爪を斬り落とすくらい、簡単そうに思えるのだが......。

 ヒュンッ!

 風を裂く音が辺りに響いた。
 ......尻尾!
 長い『トカゲ』の尻尾が、サイトの足下を狙ってうねる。
 しかし、この時。
 計っていたかのように、サイトが後ろにさがった。今この瞬間、『トカゲ』は不安定な状態であり、動けないのだ。
 サイトの剣が閃く。

 ギュガギィンッ!

 一撃を受けた『トカゲ』の爪数本が、まとめてへし折れ、宙に飛ぶ。
 チャンス......と思いきや、しかしサイトは、さらに退いて間合いを外す。
 そして。

 シュンッ!

 へし折れた『トカゲ』の爪が、再び元の長さに伸びる。
 なるほど、これは面倒な相手である。
 呪文で援護、といきたいところだが、むしろ助けて欲しいのは、こちらの方。

「サイト!」

 私の叫びに気づいて、反応するサイト。
 身をかがめたかと思うと、こちらに向かって、何か投げつけた。
 立った今サイトにへし折られたばかりの、『トカゲ』の爪である!

 サンッ!

 地面に突き立った爪を、氷の蔦が絡め取る。
 ......なるほど、身替わりを用意してくれたわけね。
 氷の蔦が爪とたわむれていたのは、時間にすればわずかであったが、その一瞬のタイム・ラグを利用して、私はダッシュで逃げ出していた。
 森を出て、やってきたのは元の場所。
 しかし。

「逃がしはせんぞ」

 一体いつの間に!?
 目の前には、先回りしていた『赤蛇の王』。サッと手を振り、私に向かって冷気の矢を放つ。
 私は反射的に、近くの木の幹に身を隠した。
 とりあえず今の一撃はやり過ごした、と思ったのだが......。

「あぅっ!?」

 上がった悲鳴はリュリュのものだった。
 見れば、少し離れたところにいた彼女が膝を折り、地面にしゃがみ込んでいる。その左足の先は、霜吹く氷に覆われていた。

「ふむ。リュリュ殿を巻き込むつもりはなかったのだがのぅ。へたに嬢ちゃんが避けたりするもんだから......」

 言いかけた『赤蛇の王』の体を、唐突に飛び来た水の塊が吹っ飛ばす。
 盛大に地面を転がって、それでも何とか身を起こし......。

「おやおや。邪魔が入ってしまったようじゃな」

 彼の視線の先には、見知らぬ顔の少年が一人。

「失礼。どう見ても、そちらが女性を襲っている......という場面に見えましたから」

 まだそばかすが目立つ子供であるが、杖とマントを見れば、いっぱしのメイジであることは一目瞭然。
 子供とはいえ侮れぬと判断したか、あるいは、ただ単に邪魔が入ったのを嫌がったか。『赤蛇の王』は、少年と私とを交互に眺めつつ、

「......『トカゲ』よ! 今日のところは退くとしようぞ!」

########################

 ギィンッ!

 爪と刃が交錯する。

「......くっ!」

「おい、相棒!?」

 押し負けたか、はたまたバランスを崩したか。相手に背を向けるように倒れ込んだのは、サイトの方だった。
 好機とばかりに、『トカゲ』が爪を振り上げるが......。

「......『トカゲ』よ! 今日のところは退くとしようぞ!」

 退却の声が響いたのは、この時だった。
 わずかに。
 戸惑いの色を浮かべて、動きが止まる『トカゲ』。
 その隙を見逃すサイトではない。
 瞬間、身を捻りざま、デルフリンガーで斬り上げる!

 ザンッ!

 不安定な状態で放った一撃だったが、さすがはガンダールヴ。『トカゲ』の腹を大きく薙いでいた。
 のけぞった『トカゲ』は、そのままドウッと仰向けに転がり、動かなくなる。

「あれ......? 意外に、あっけなかったな......」

「それだけ相棒が強いってこった」

 彼と剣との会話には、余裕の響きすら混じっていた。
 一方、仲間の絶命を悟ると同時に、『赤蛇の王』は、無言のまま森の中へと飛び込み、姿を消した。
 本当に退却したのか、あるいは、そのフリをして私たちを闇討ちするつもりか。
 私は、しばし警戒を続けるが......。
 どうやら、奴は本当に逃げ去ったらしい。その場は、平穏な森に戻っていた。

########################

「......シャルロと申します。以後、お見知りおきを」

 自己紹介しながら、魔法でリュリュの足を癒す少年。
 そばかすのせいで幼く見えるが、年齢は私と二つしか違わないらしい。聞けば、トリステイン魔法学院に籍を置く学生メイジだ、とのこと。

「......あの......ありがとうございました」

 リュリュがペコリと軽く頭を下げた。今してもらった治療と、さきほどの介入と、両方の分であろう。
 彼はパタパタと手を振りながら、

「なあに、いいってことです。ああいう場面に出くわしたら、レィディを助けるのは男の義務ですから」

 紳士ぶった口調で言い放つ。

「ところで、あなたのお名前は?」

「リュリュ、っていいます」

「そっちの二人は、従者?」

「......おい......」

 思わずジト目で突っ込む私。
 サイトはともかく、私の格好はどう見ても貴族。私が同じトリステイン魔法学院の生徒だとは知らぬとしても、さすがに従者扱いはないぞ......。

「違いますよ! 手を貸してもらってるんです......私がカルカソンヌへ向かうのを」

「カルカソンヌ?」

 リュリュの言葉に、シャルロは目を見開いて、

「それじゃあ、あなたもリュティスの魔法学院で要請されて、カルカソンヌへ?」

「『あなたも』......ってことは、あんたもそうなわけ!?」

 横から口をはさんだ私に、彼はジロリと目を向けて、

「......失礼。僕は今、こちらの美しいレィディと話し中なのです。あなたも僕に感心があるのかもしれませんが、ちゃんと順番を守って......」

「はあ!? だれがあんたみたいなガキに......」

「ルイズ、それはちょっと言い過ぎじゃねえか? 一応、こいつのおかげで、あの魔族も退いてくれたんだろ?」

 大声で叫んだ私を見て、サイトが苦言を呈する。それを聞いて、シャルロが小首を傾げていた。

「ルイズ......?」

「そうです。こちらは、ルイズさんと、その使い魔のサイトさん。......ほら、有名なメイジの『ゼロのルイズ』さんですよ」

 リュリュが、笑顔で私たちを紹介したその瞬間。

 ズザザザザザザッ!

 ごっつい音立て、シャルロは大きく後ろに下がる。
 完全に腰の引けた姿勢で、地面にガバッと手までついて、

「申し訳ありませんっ! 知らぬこととは言え、数々の無礼な言動っ! どうかお許し下さいっ! 命だけはっ!」

「......あ......あの......シャルロさん。そんなに怯えなくても大丈夫です。噂ほどこわい人じゃありませんから......」

 フォローのつもりであろうが、フォローになってない。これじゃ「私もとんでもない噂を聞いてました」と言っているようなもの。

「いやいや! リュリュさん、あなたは何も知らないから、そんな平然としていられるんですっ! なにしろ『ゼロ』のルイズと言えば、かつてトリステイン魔法学院において......」

「......なあに? 私が何をしたって言うの?」

 私の言葉に、ハッとかたまるシャルロ。
 サイトが歩み寄り、彼の肩をポンと叩く。

「まあまあ。そう心配するなって。なんだかんだいってルイズは、いい御主人様だぜ」

「ま、噂にゃ尾ひれが付きもんだ。相棒も娘っ子も、あの学院じゃ悪いこと一つしてねぇもんな」

「そうそう。むしろ俺たち、いいことしたよな。盗賊退治とか、あと......あれ? そういえば、あの事件で誰か死んだような気が......」

「......メンヌヴィルって奴だな。『白炎』のメンヌヴィル」

 陽気な口調で剣と語り合うサイト。
 これはこれで、さらにシャルロを怯えさせているような気もするが......。
 私は、つとめて穏やかな笑顔を作り、

「......ま......まあ、とにかく、よ」

 そしてリュリュの方に視線を向けながら、

「......彼女がちょっと、わけありでね。で、どうしてもカルカソンヌに行かなくちゃなんない、ってことになってるの」

「わけあり?」

「......ええ......」

 シャルロの問いに、リュリュは再び、ポツリポツリと事情の説明を始めた。

########################

「......なるほど......そういうわけですか......」

 リュリュの説明が終わったその後。
 ようやく硬さもとれたシャルロは、それでもなるべく私ではなくリュリュの方を見て、

「......でも、リュリュさん。カルカソンヌへ向かうのであれば、ひとつ御忠告です。このまま街道沿いに進むのは止めた方がいいですよ」

「え? どうして......ですか?」

「実は僕も、リュティス魔法学院の要請を受けて、カルカソンヌへ向かっていたのですが......」

 シャルロの説明によれば。
 ここから半日ほど行った先で、王政府から派遣された騎士団が居座っているらしい。大量のレッサー・デーモン相手に苦戦して、足止めされた状態なのだとか。

「レッサー・デーモンが?」

 思わず眉をひそめる私。
 まるで『赤蛇の王』のやり口だが、あいつはリュリュをずっとつけていたはず。となれば、同じようにレッサー・デーモンを呼び出せる魔族が、モット伯の陣営にいる、ということだ。
 ......まあ、魔族にとってレッサー・デーモン召喚がどれくらい難しいことなのか、私たち人間にはわからないし、ひょっとすると魔族ならば出来て当然、なのかもしれないが......。
 ともかく、正規軍が魔族相手に手こずっていることは確実なようだ。

「......というわけで、彼ら王軍は、レッサー・デーモンに対抗するため、通りかかったメイジを片っ端から徴用しているのです。......しかもタダで」

 一応、リュティス魔法学院からは、多少の駄賃ももらっている。だから路銀には困らないわけだが、それでも正規軍に無理矢理編入されては、いい気はしない。

「僕はトリステインの学生メイジですからね。フリーで一時的に仕事を受けるならまだしも、ガリアの騎士団に組み込まれるなんて、ちょっと気が進みません。どうせ正規の『騎士』扱いではなく、雑用をやらされたり、使い捨てのコマにされるのは目に見えてますから。......それで、慌てて逃げ出してきたら......あなたがたに出会ったのですよ」

 王軍より先にカルカソンヌに着きたいリュリュが、その王軍に徴用されるわけにはいかない。だから街道を行くのはやめた方がいい、というのが、シャルロの言い分だった。

「リュリュさんたちがあの街へ行くというのであれば、僕も同行しましょう。もともとは僕だって、カルカソンヌを目ざしていたわけですから。......しかし......」

「なるほどね。でも、街道行かずに、森の中を分け入って進む......というのでは、かなり時間かかりそうね」

 言って腕組む私。
 王軍よけて大きく遠回りして、カルカソンヌに着いたのは、事件が片づいた後......なんてことになったら、それこそ意味がない。

「それなら......」

 何か考えがあるらしく、リュリュがポツリとつぶやく。

「陸路がダメならば、水路を使いましょう」

########################

 カルカソンヌは、両脇が切り立った崖の上に位置する街。崖の裾野には平原が広がり、そこには、幅二百メイルほどの大河が流れている。名をリネン川という。
 私たちは、今、そのリネン川の中を進んでいた。
 川の上、ではなく、川の中、である。
 のんびり顔を出して泳いでいては、カルカソンヌを警備しているであろう敵に見つかるのも必定。だから私たちは、水中深くを進んでいるのだ。
 人間は本来、水の中では息が出来ない生き物。しかしメイジが三人も入れば、こういう場合のための魔法を使える者も、一人くらいはいるもので......。
 私たちが用いているのは『風』。空気を操り、風の結界に包まれての水中移動である。水中で呼吸ができる魔法、というのも『水』魔法にはあるのだが、それでは濡れてしまうので、今回はパス。
 しかし......。

「なんじゃこりゃぁぁぁっ!? 聞いてねぇぇぇ!」

「しゃべっちゃいけねぇよ、相棒。舌を噛むぜ。......ま、俺は剣だから平気だけどな」

 風の結界球に包まれたままで水中を進む......。
 言葉にすれば簡単なことであるが、遊覧船に乗るのとは、わけがちがう。
 水の中は平坦な川底の連なりではなく、岩あり、浅瀬あり、深みあり。
 なおかつ、そこを水が流れているのだ。緩急、流れの方向性は、ほぼ完全に予測不可能。
 そうした中を流されていく乗り心地が、一体どれほどのものか......。もはや言わずもがなである。

「ルイズさん! あれ!」

 しばらく進んだところで、声をあげたのはリュリュ。
 そろそろカルカソンヌが見えてきたのであろうか? こんな川底深くで、風の球の中から、川の上の風景が見えるとも思えないが......。
 とりあえず左右に視線を走らせた私は、右手の方を向いたまま、完全に沈黙する。

「......」

 目がひとつあった。
 風の結界のその向こう、水の中からこちらを見つめる、大きな目が。
 それがピッタリ、こちらの風のボールに貼りつくように、同じスピードで進んでいるのだ。
 異様というより、むしろ恐い。
 目の本体の姿は、ハッキリとは見えないのだが、大きな影が、水の中に揺らめいているのはわかる。

「......えぇっと......お魚さん......ですよね?」

「んなわけねぇっ!」

 リュリュの引きつった声に、思いっきりツッコミを入れるサイト。
 どうやらサイトやシャルロも気づいたようで、風の結界球を操っていたシャルロは、結界球を急上昇させていた。水の流れに逆らうのは無理でも、なんとか水面に飛び出すくらいの動きは可能、ということである。

 バシャッ!

 水面を割って飛び出す私たち。
 ちょうど中州がある辺りだったので、そこに降り立ち、風の魔法も解除する。

「ああ! あと少しだったのに!」

 リュリュの言うとおり。
 この中州からは、もうカルカソンヌの街がハッキリと見えていた。
 細長い崖の上に、赤レンガの屋根が立ち並ぶ......。なるほど、『セルパンルージュ(赤蛇)』と言われるのも、もっともである。
 しかし今の私たちに、街の景色を楽しんでいる余裕はなかった。
 カルカソンヌの街と共に、私たちの視界に入ってきたものは......。
 空をゆく翼の群れ!
 羽の生えたレッサー・デーモンに似たシロモノだ。いや、似ているのではなく、あれもレッサー・デーモンの一種なのだろう。獣ではなく鳥に憑依したタイプのレッサー・デーモン!
 そして、空の脅威に加えて......。

 ザバァッ!

 水音を響かせて、川から這い上がってくる、いくつもの影。
 全身を覆うウロコのようなものが、ヌラリと輝く。
 こちらは鳥ではなく、魚のレッサー・デーモンだ。
 どうやらこいつらが、先ほどの大きな目の本体だったらしい。

「水中部隊と飛行部隊の挟みうちかよ!?」

 叫ぶサイトだが、まだまだ終わりではなかった。
 魚デーモンたちに続いて、また別なのが出てきたのだ。

「......おまえたちが来るのはわかっていた......」

 中ボスっぽいセリフを吐いているが、見た感じは青緑色の水死体である。
 まるで水ぶくれしたかのような、ブクブクと膨れ上がった体。足先には大きなヒレが生えており、カギ爪の伸びた手の指の間には、水カキのような膜がある。
 なんとも気色悪いことに、人間ならば鼻や口があるべきところには、代わりに無数の緑色の触手。何か言うたびに、それがウニョウニョ蠢いていた。

「......へえ......よくわかったわね。私たちがこの中州に来る、なんて」

「......このフォンサルダーニャを舐めてもらっては困る......。水路を使ってカルカソンヌの街へ侵入しようというのであれば、ここの地下道を行くのは当然であろう......」

 ......へ? 聞いてもいないのに、こいつ、わざわざ......。

「......ふーん。貴族みたいな名前してるのね、あんた。モット伯の配下の水中警備責任者、ってことだろうけど......。どうやら自分で思っているほど、頭よくないみたいね」

「......なんだと......?」

 読めない表情で問うフォンサルダーニャに、私は大きく胸を張り、

「あんたの口ぶりだと、この中州には秘密の地下道があって、それが街まで通じてる、ってことみたいだけど......。それをわざわざ教えてくれるなんて、見かけのわりには親切ね!」

「......なに......? まさかきさまら......知らなかったのか......?」

「当然! だって私たち、魚デーモンに驚いて、上陸しただけだもん!」

 唖然とするフォンサルダーニャ。
 しかも、私が彼の相手をしているうちに、後ろではシャルロが呪文を唱え終わっていた!

 ザァバァッ!

 フォンサルダーニャの足もとから、水の柱が立ちのぼる。

「......くっ......。愚かなのは、おまえたちとて同じこと。このフォンサルダーニャに『水』で攻撃をしかけるとは......。むしろ心地良いくらいだぞ......」

 余裕のセリフで、フォンサルダーニャは、その場から動こうともしない。
 しかし、そうやってジッとしていたのが命取り。シャルロの魔法は、奴にダメージを与えるためのものではなく、単に足止めを狙っただけ!

 ザンッ!

 ガンダールヴの神速で斬り込んだサイトが、あっというまにフォンサルダーニャの頭を断ち割っていた。
 悲鳴一つも残さぬまま、大きくのけぞり、倒れゆくフォンサルダーニャ。
 ......こんな弱っちょろい奴ならば、最初からアッサリ倒せばよかった、という話もあるが、それはそれ。様子見していた間に、重要な情報をゲットできたのだから、結果オーライである。

「さあ! 秘密の通路とやらを探すわよ!」

########################

 空からは鳥デーモンが、そして水の中からは魚デーモンが。
 てんでばらばらに、私たちを襲う。
 リーダー格のフォンサルダーニャは倒したというのに、むしろ逆に、奴の死と同時に、一斉攻撃が始まっていた。

「数が多すぎるぜ! 足を止めるな! 逃げ回れ! 移動しながら反撃しろ!」

 デルフリンガーに言われるまでもない。
 こちらは、この中州のどこかにあるという、抜け道への入り口を探したいのだ。一つところに立ち止まるはずはなかった。
 しかし、戦いながらの探索は大変である。本当ならば手分けして探したいところだが、この状況では、バラバラになるのは危険。

「っわわわっ!」

「まかせて!」

 私はリュリュを保護する意味で、なるべく彼女の近くをキープ。近寄るデーモンたちに、爆発魔法を食らわせる。

「おりゃっ!」

「その調子だぜ、相棒!」

 さらにサイトが、私とリュリュの女性二人を守りつつ、剣を振るう。
 レッサー・デーモンが飛ばしてくる炎の矢や氷の矢を、デルフリンガーで斬り飛ばしていた。
 ただの日本刀では無理だろうが、デルフの魔法吸収能力が補助になっているようだ。
 ......シャルロ一人が、三人とは少し離れた場所で戦うことになっているが......。

 ボシュッ! スパァッ!

 うん、彼も大丈夫そうだ。
 鳥デーモンには水の塊を、魚デーモンには風の刃を。うまく魔法を使い分けて、奮戦している。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ......」

 しばらく私は、向こうはシャルロに任せて、とにかく周りのデーモン撃退に専念。
 ......しかし。

「ぎぇっ」

「シャルロさん!?」

 リュリュの悲鳴を耳にして、彼女の視線の先へと目をやれば......。
 背後から近づく魚デーモンに、鋭利なヒレで胸を貫かれたシャルロ!
 それ以上うめき声すら出すことなく、彼は、その場にガクッと崩れ落ちていた。

「シャルロさんっ! シャルロさんっ!」

「だめよ、危ないわ!」

 彼の名前を連呼しながら、そちらへ駆け寄ろうとするリュリュ。彼女を止めようと、手を伸ばしながら追いかけて......。
 その時だった。

「......っえっ......!?」

 突然、足場がなくなった感覚。
 一瞬、フワッと体が浮いたような気がして......。

「きゃあっ!」

 私たち二人は、暗い穴の中へと落ちていった。


(第三章へつづく)

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第十一部「セルパンルージュの妄執」(第三章)

「きゃあっ!」

 リュリュと二人で暗い穴の中へと落ちていきながら、私は悟っていた。
 ......地面に偽装されていて気づかなかったが、落とし穴があったのだ。その上蓋を踏み抜いてしまったらしい。攻撃魔法が乱舞する中で、脆くなっていたのだろう。
 いや。
 落とし穴ではない。
 暗くてよく見えないが、横に長々と続く洞窟だった。
 ......これこそ、カルカソンヌの街へ通じる、秘密の抜け穴なのだ!
 そこまで私が把握した時。

「おーい、大丈夫か!?」

 ザザーッとサイトが滑り降りてきた。
 私とリュリュは垂直に落ちてしまったが、よく見れば、斜めになっている部分もあり、一応は昇り降りも出来そうだ。

「ルイズさん! サイトさん! 早く戻って、シャルロさんを助けないと!」

 叫ぶリュリュに向かって、サイトは暗い顔で、首を横に振る。

「......無駄だ」

「ありゃあ、即死だな。......もう助からねぇ」

 サイトに同意するデルフリンガー。

「そんな!?」

 リュリュは私に顔を向けるが、私も黙って首を振るしかなかった。
 ......私は知っている。人間とは、案外あっさり死ぬものなのだ、と......。

########################

「......私......」

 ポツリとリュリュがつぶやいたのは、洞窟を歩きながらのこと。

「......どうしたら......いいんでしょう......?」

 私たち三人は今、岩壁の通路を、先へ先へと進んでいた。
 中州には、あいかわらず敵のデーモンたちが溢れている。穴を陣地として、そこから顔を出して戦う、という選択肢もチラッと考えたが、やはり敵の数が多すぎる。それよりは、デーモンたちが追いかけてくる前に先へ進もう、ということになったのだった。
 相手は空を得意とする鳥デーモンと、水中を庭とする魚デーモン。よしんば追いかけてきたとしても、洞窟の中では、そう有利には戦えないはず。第一、一度に全員は入って来れないだろうから、奴らの数の利も減少する。狭い洞窟の中ならば、こちらが相手する敵の数は、広い外よりは少なくて済むのだ。
 ......という思惑で進む以上、一応、後ろにも注意を払っているのだが、まだ今のところ、デーモンたちが追ってくる気配はなかった。

「......私のせいで......シャルロさんは死んでしまった......」

 暗い洞窟の中、リュリュの杖の先には、魔法の明かりが灯されている。その明かりに照らされた彼女の顔は、暗いを通り越して無表情になっていた。

「気にしちゃダメよ。あんたのせいじゃないわ」

「でも......私がカルカソンヌへ行きたい、なんて言い出さなかったら......シャルロさんは......」

 そのまま尻すぼみになり、彼女は口を閉ざした。
 私もかける言葉はなく、サイトもデルフリンガーも、何も言わない。
 ただ黙って、ひたすら歩き続けて......。

「けど......えらく長いなあ、ここ......」

 うんざりした口調でサイトがつぶやいたのは、かなり歩いた後のことだった。
 体力はあるはずの彼でも、もう疲れてきたのかもしれない。
 洞窟の道は平坦ではなく、ゆるやかな上りと下りを繰り返している。
 いや、もう『ゆるやか』とも言えないだろう。途中から、ほとんどが上りで、かつ、かなりの勾配になっていた。

「安心しろよ、相棒。そろそろ出口は近いぜ」

「......ほんとか、デルフ!?」

「ああ。ここって川を越えるための地下道だろ? それが上に向かってるってことは、出口が近いってこった」

 たしかに。
 もしも、まだ川の半ばなのだとしたら、道が上向きになるはずはない。そんなことをしたら川底にぶち当たって、大惨事である。
 しかし......。

「そうか......そうだよな! やっと終わるんだな、この洞窟も!」

「......盛り上がってるところ悪いけど、サイト」

 私は冷静に言葉を挟んだ。

「これがカルカソンヌの街中に通じてるらしい......ってこと、忘れないでね」

「......ん? どういう意味だ?」

 はあ......。一から百まで説明しないとわからんのか、このクラゲ頭のバカ犬は。

「さっき見た街並を思い出してごらんなさい。カルカソンヌって、どこにあった街? ......リネン川へと広がる草原から、普通にカルカソンヌの街へ上がろうとしたって、およそ百メイルからの切り立った崖を階段で上がらなきゃいけないのよ」

「......つまり私たちは、潜った分プラス百メイル、登らないといけないんです......」

 少しは気持ちもふっ切れたのか、私たちの会話に参加するリュリュ。
 それでサイトにも理解できたらしい。

「......」

 彼は、完全に言葉を失っていた。

########################

 終わりのない道はない。
 ひたすら歩き続けた結果、ようやくゴールが見えてきた。
 はるか視線の先で、洞窟は行き止まりとなっており、そこには一枚のドアがある。

「あの扉の先が、たぶんカルカソンヌの街ね」

「そうらしいな。番人っぽいやつもいるし」

 そう。
 サイトの言うとおり、しっかりとした金属製の扉の前でデンと構えているのは......。

「......はじめまして。私のことはヴァッソンピエールとお呼びください......」

 声は人間の男のものだが、見た目はそれとは程遠い。
 ひとことで言えば、白く膨れ上がった巨大な肉塊である。
 人の身長を上回る大きさの、崩れかけた球形。不健康に白いその肉塊の、ほぼ人の胸くらいの高さのところに、少年の顔がひとつ、場違いなレリーフのように存在していた。

「状況はだいたい知っています。この扉の向こうにある、モットさまのお屋敷へ行こうというのでしょう?」

「へえ。あんたもフォンサルダーニャと同じタイプのようね。聞いてもいない情報をペラペラと勝手に教えてくれる......」

「いいのですよ、どうせここで死んでいただくのですから。......しかしフォンサルダーニャと言えば、彼も意外と脆かったですね。あれでは可哀想ですから、少し活躍の場を与えてあげましょうか」

「どういう意味?」

 私の言葉に、ヴァッソンピエールは満面の笑みを浮かべ......。
 少年の頭のすぐ横で、ぐみゅっと肉塊が盛り上がる。

「......ぐ......」

 私の後ろで、リュリュが嫌悪の声を上げるのが聞こえた。
 ヴァッソンピエールの、少年の頭の横からは......。
 二つに断ち割られたままの、フォンサルダーニャの頭が生え出していた。

########################

 りゅぎぉぉぉぉぉっ!

 縦に割られたそのままで、フォンサルダーニャの頭から、呻き声のようなものが出てきた。口の周りに生えた触手も蠢いている。

「どこで拾ってきたのか知らないけど......あんた、フォンサルダーニャの死体を取り込んだのね!?」

 私の問いかけにヴァッソンピエールが返すより早く、サイトがすっ頓狂な声を上げる。

「死体を拾って取り込んだ!? ......ってことは、いつのまにか俺たち、こいつに追い越されてたのか!?」

「ちげーよ、相棒。おそらく奴は、外から来たんだな。あのドアの向こうから」

「そういうことです」

 剣の言葉を肯定するヴァッソンピエール。
 扉の先がカルカソンヌの街ならば、私たちがモタモタ地下を進むうちに、地上を先回りすることは容易であろう。

「もしかして、あんた、取り込んだ死体の力を、そのまま貰い受けたりできるわけ? でもフォンサルダーニャごときの能力なんて......」

 私がそこまで言った時。
 いきなり土の塊が飛んできて、ヴァッソンピエールに直撃、少年の顔の部分を潰した!

「......先手必勝......ですよね。こういう場合......」

 私の後ろで、リュリュがつぶやく。
 今までは攻撃魔法ひとつ放つこともなかったが......色々と吹っ切った結果なのだろう、これが。

「そうね。モタモタしてると、後ろからも敵が来るかもしれないし」

 ここまで追いつかれてこそいないものの、中州の入り口からレッサー・デーモンが追ってきていない、という保証はない。ここでヴァッソンピエール相手に手間取っていたら、挟み撃ちにあうかもしれないのだ。

「......見るからに頭が弱点、って感じでしたし......。やっつけたなら、先に進み......」

「よけてっ!」

 素人丸出しの意見を述べるリュリュに、私が叫ぶ。
 直後、一瞬前まで立っていた場所を通り過ぎる光球。
 ......あぶなかった......。

「無駄ですよ」

 見れば、リュリュが潰した部分がボロリと剥がれ落ち、その下から肉が盛り上がって、ヴァッソンピエールの顔は再生している。
 どうやらこいつは、高い再生能力を持つらしい。どうせこの顔も、相手の注意を引くための擬態のようなものなのだろう。

「......そんじゃ俺が!」

 剣を構えて、サイトが突っ込んでゆく。

「ほう! 私と斬り合うつもりですか」

 応じるかのように、地に根ざした肉塊から、いくつもの腕が生え出してきた。
 もちろん人間の『腕』とは違う。節があり、異様に長く、むしろ枯れ枝のようである。

「......くっ!」

 その腕を、サイトの剣が薙ぐ。
 ヴァッソンピエールの腕が斬られて宙に舞う......かと思いきや。

 ギィンッ!

 腕は硬い音を立て、横に弾かれただけ。
 見かけと違って、かなりの強度を備えているようである。
 なるほど、これならサイトと『斬り合い』も可能であろう。その場合、腕の数の多いヴァッソンピエールの方が有利。
 ならば......。

「相棒! さがれ!」

 数合、斬り合った後。
 タイミングを見計らって、デルフリンガーが叫んだ。
 敵に全ての注意を向けていたサイトに代わって、彼の愛剣が、ちゃんと私の方を見ていたのだ。
 ......剣に言われるがまま、スッと退くサイト。
 そこに。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「げほ! ごほ! 相変わらず乱暴だな、ルイズは......」

「そう言うなよ、相棒。ちゃんと娘っ子は計算してたんだぜ。扉のすぐ向こうが目当ての屋敷なら、ちょっとくらい洞窟が崩れても大丈夫だろう、なんかあったらすぐ屋敷に駆け込めばいい、ってな......」

「ま、そんなところね」

 爆煙と土煙が舞う中。
 余裕の口調で、私はデルフリンガーの言葉を肯定してみせた。
 再生能力のあったらしいヴァッソンピエールも、さすがに竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)の直撃を食らっては耐えられず、跡形もなく消し飛んでいる。
 ヴァッソンピエールの向こうにあったドアも吹っ飛んでおり......。

「あの......扉の先にあるはずの屋敷は、大丈夫なんでしょうか? モット伯の屋敷なら、アネットさんもいるはずなんですけど......」

 あ。
 リュリュに言われて、一瞬絶句する私。
 でもすぐに、パタパタと手を振りながら、

「平気、平気。......どうせ屋敷に通じてるって言ったって、地下室か何かにつながってるはずよ。地下深くを進んできた洞窟なんだもん」

「そうかなあ? かりにそうだとしても、地下が吹っ飛んだら、屋敷全体がヤバいんじゃね?」

 とりあえずの言い訳に、サイトがツッコミを入れるが、それは無視。

「と......ともかく! さあ、屋敷に突入よ!」

 今のでアネットが大丈夫だったかどうか、確かめるためにも......という言葉は、敢えて口に出さなかった。

########################

 広さは、普通の家庭の部屋より少し広い程度。薄暗い部屋の片隅には、調理器具やら掃除用具らしきもの。天井からは、明かりのついていないランプが一つ。
 洞窟を抜けると、そこは、物置っぽい地下室だった。
 ......さっきの竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で半壊、いや少しだけ壊れているけど。

「ここが......モット伯の屋敷?」

 私の疑問には、誰も答えず。
 リュリュは、部屋の奥にあった階段を、一目散に駆け上がっていた。
 サイトと顔を見合わせてから、私たちは彼女を追う。
 幅も狭くてやたら急な階段を、上がった先には一枚の扉。

 ......キィ......。

 鍵はかかっていないようで、リュリュが押したら簡単に開いた。
 その先にあるのは、まっすぐにのびる廊下。

「......間違いありません......。ここはモット伯の屋敷です!」

 言って、再び駆け出すリュリュ。
 アネットを訪問した際の記憶を頼りに、アネットがいるはずの部屋を目ざす。
 モット伯の本拠地とも言える屋敷ならば、どこかに敵が潜んでいるかもしれないのに、リュリュは気にせずグングン進む。
 廊下を行き、階段を三階まで上がり......。
 ヒタリと足を止めたのは、一枚の扉の前でだった。
 スゥッと大きく息を吸い、扉に手をかけて......。

「待って! ここは慎重に......」

 私の声など聞こえなかったのか、あるいは、敢えて無視したのか。

 バタムッ!

 かなり派手な音を立てて、彼女は扉を引き開ける。
 ......そして......。

「アネットさん......」

 つぶやいたリュリュの声は、かすかに震えていた。

########################

 テラスの窓からは、外の光が射し込んでいた。
 他に明かりも何もない、広い部屋には、天蓋つきのベッドと小さなテーブル。ベッドの脇には、揺り椅子が一つ。
 そこに座っていた女性が、こちらを振り向く。

「......リュ......リュ......?」

 以前にリュリュが語ったとおり、優しく、包み込むような雰囲気を持つ女性である。
 カチューシャで纏め上げた赤い髪の下に、たれ気味の鳶色の目がまぶしい、健康的な感じの美人であった。

「アネットさん!」

 叫んでリュリュは駆け寄ると、立ち上がったアネットの胸に、顔を埋めた。

「リュリュさん......どうしてこんなところに?」

「アネットさんを助けに来たの。......モット伯の反乱を知って、王政府の軍隊がこちらに向かっているのよ。もうすぐこの街は戦場になるから......だから助けに来たの!」

 親友との再会に、張っていた気が緩んだらしい。リュリュの声は涙混じりになっていた。
 アネットは、そんなリュリュの頭を優しく撫でながら、視線をソッと私たちに移し、

「......そちらの方々は......?」

「彼女の護衛......みたいなもんよ。けど今は自己紹介より、この場を離れるのが先ね」

「そうだよな。いつ敵が来るか、わかんねーし」

 私とサイトの言葉に、リュリュはハッと顔を上げ、

「......そ......そうね。アネットさん、私たちと一緒に来て!」

「そういうわけにはいきませんな」

 いきなり。
 廊下の奥から響いた声は、聞き覚えのあるものだった。

「......『赤蛇の王』!?」

 言って振り向いた私の視線の先には、マントにフードの小柄な影。
 彼の隣には、一人の男が佇んでいた。
 青い上着のさらに上に、襟周りを白い布で飾り立てた赤いマント。もみあげはカールしており、鼻の下の髭も眉毛も、同じく左右にクルリとカール。こういうのをカッコイイと思う者もいるのかもしれないが、むしろ私には貧相に見える。
 この状況で出てきたということは......。

「......あんたがモット伯?」

「そういうことだ。ここまで来たことは褒めてやるが......それもこれまで。ここが貴様らの墓場だと思え」

 ......あれ? ちょっと聞いていた話と違うような......。
 好色な中年貴族という噂は聞いていたものの、こんな三流悪役バリバリのセリフ吐くイメージはなかったのだが。
 まあ、まさかモット伯の名を騙るニセモノ、ってこともないでしょうし......。

「反乱おこして街ひとつ乗っ取ったボスにしては、ずいぶん月並みなセリフね」

「月並みだろうがなんだろうが、ここで貴様らが死ぬ、ということに変わりはない!」

「......さーて。そいつはどうかしら......ね!」

 言って私は壁際へと寄る。
 同時に、後ろで呪文を唱えていたリュリュが『土弾(ブレッド)』を放った。
 私が話して注意を引いているうちに彼女が魔法攻撃の準備をする......。ヴァッソンピエール戦の再現である。

「なめるな! その程度の魔法!」

 しかしモット伯は杖を振り、渦巻く水をぶつけて、これを迎撃。
 ......なるほど、さすが『波濤』のモットであるが......。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 続けざまに襲いかかる、私のエクスプロージョン。
 奴らがいるのは、狭い廊下の奥だ。魔法を放った直後では、これは避けられまい!
 と思ったら。

「来い、『メイド』!」

 モット伯の後ろで一言、『赤蛇の王』が叫んだ。
 すると呼ばれて飛び出してきたのは、緑の服の女。
 ......いや、よく見れば緑の服を着ているのではない。顔も体も髪も手足も、まるでエメラルドのような、透き通った緑色の何かで出来ているのだ。
 その『メイド』が、主人をかばうかのように、モット伯の前に立ち......。
 エクスプロージョンが直撃したと思った、まさにその瞬間。

 ヴァッ!

 女の放った無数の小さな光球が、その場に満ちた。

 ドワッ!

「くっ!?」

 爆圧で叩きつけられる私たち。
 これは......威力は落ちてはいるものの、まちがいなくエクスプロージョン!

「私が放ったのを、拡散反射したってことね......」

 起き上がりながら言う私に、モット伯は歪んだ笑みを浮かべて、

「そのとおりだ。それが『メイド』の能力だからな」

「それにしても......『メイド』とは、ひどい名前ね。あんた、人間の女だけじゃ飽き足らず、化け物までメイドにしてコマしてるわけ?」

 モット伯は『赤蛇の王』と『メイド』を従えて、余裕の足取りで、こちらに向かって歩いてくる。部屋に入るところで、いったん立ち止まり、

「さては貴様、何か勘違いしているようだな」

「勘違い......?」

「そうだ。この者は、もともと我が屋敷で働いていたメイドだぞ。人間やめたからといって、メイドまでやめる必要はなかろう?」

「人間やめたから......って、まさか!? こいつら魔族じゃなくて、あんたが作ったキメラだったの!?」

「なんだ、嬢ちゃんは本気で、わしのことも魔族だと思っておったのか。酷い話じゃのぅ」

 まだ戦闘には参加していない『赤蛇の王』が、会話には参加してきた。
 ......そうか、そういうことだったのか。
 どうりで『赤蛇の王』には、空間を渡る力もなかったわけだ。まあ魔族ではないといっても、たぶん材料には魔族を用いた『人魔』なんでしょうけど。

「ククク......。安心したまえ。ここで死ぬ貴様らも、あとでキメラとして蘇らせてやろう。私の忠実な部下として、な」

 いやらしく笑うモット伯。
 こいつ......。
 屋敷の者たちだけでなく、敵対していた者までキメラ化しているのか!?
 そういえば、ここカルカソンヌの街は、別名『セルパンルージュ(赤蛇)』。モット伯は、その領主を倒して街を乗っ取ったはずだが......。その殺された『領主』も、キメラにされて働かされているのだとしたら......。

「なるほど......だから『赤蛇の王』ね......」

 私は、そちらにチラリと視線を送った。
 ......もちろん、人間だったときの自我や意識が残っているならば、素直にモット伯に従うわけがない。『赤蛇の王』にしろ『メイド』にしろ、もう生前の意志や記憶はないのであろうが......。
 あれ? そうすると......モット伯のキャラが違うような印象って......もしかして......。
 そこまで私が考えた時。

 キンッ!

 後ろでした物音に、私は思わず振り返った。

「サイト!?」

 そう。
 いつのまにか彼は、テラスの外から入ってきた枯れ枝のようなものを相手に、剣を振るっていたのだ。
 ......私がしゃべっている間に、サッサとモット伯たち相手に斬り込んで欲しかったのだが、サイトはサイトで、ちゃんと戦っていたのね......。
 その『枯れ枝のようなもの』は、その見た目とは裏腹に、かなりの硬度があるらしい。サイトの剣とも真っ向から渡り合っていて......って、これって!

「ヴァッソンピエール!? 地下で死んだんじゃなかったの!?」

「貴様は勘違いしてばかりだな......」

 私の叫びに、モット伯は面白そうな口調で、

「......ヴァッソンピエールは、植物とかけ合わせたキメラ。そう簡単にやられはせんよ。......貴様らは、奴の地下茎の一部を刈り取ったに過ぎぬ」

「そっか......。植物って、動物とは違って、根っこやら枝一本からでも再生する種類もあるもんね。ヴァッソンピエールの再生能力も、それと同じってことか......」

 しみじみとつぶやく私。
 こうしてモット伯の軽口につき合いながら、頭の中では、必死に作戦を立てていた。
 ......サイトはヴァッソンピエールと戦うので手一杯。どうやらヴァッソンピエールは、アネットをさらおうとしているようで、リュリュもアネットのそばから離れずに、サイトの援護に回っている。
 ならばモット伯たち三人は、私一人で何とかせねばならないのだが......。

「『赤蛇の王』よ」

「なんでしょうか、伯爵さま」

「この者たちをキメラとして配下に加えるのであれば、そろそろ『メイド』も不要かと思うのだが......」

 私を前にして、何やら不穏な話を始める二人。
 捕らぬタヌキの皮算用で、この場から戦力を減らしてくれるのであれば、こちらとしても好都合。とりあえず、話に耳を傾けてみる。

「そうでございますな。むしろ伯爵さまのパワーアップの糧とするのが、よろしいでしょう」

 ......パワーアップ......とは?
 私が疑問に思うのも、一瞬だった。
 モット伯は、右手で『メイド』の頭を鷲掴みにし......。

 ギンッ!

 硬い音が響いた。
 緑色の破片が宙に散る。

「......仲間の頭を握り砕いた!?」

「またまた勘違いしておるようだな。こやつらは仲間ではなく、忠実なしもべ。......とはいえ、頭を残したままでは混乱するのでな」

 頭を失い、クタリと倒れ込む『メイド』の体を、抱きかかえるモット伯。
 ......いや、抱きかかえているわけではない。その体は......モット伯の中に沈みこんでいる!

「......他の者を生きたまま吸収する......。それがあんたの能力ね」

 ということは、やはりモット伯も、すでに人間ではないということだ。
 やがてほどなく、『メイド』の体は、完全にモット伯の中に埋没した。
 私の問いかけに、答えはなく......。

「きききははははははは!」

 モット伯の、常軌を逸した哄笑だけが、その場に響いた。


(第四章へつづく)

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第十一部「セルパンルージュの妄執」(第四章)【第十一部・完】

 私の背後では、テラスの外から伸びてくるヴァッソンピエールの『腕』を相手に、相変わらずサイトが剣を振るっていた。
 もちろん、あの枯れ枝のような『腕』は、一本だけではない。リュリュもアネットを守りつつ、土魔法でサイトの援護に回っている。
 おそらくヴァッソンピエールの本体は、屋敷の外にいるはず。奴さえいなければ、みんなでテラスから逃げ出すというテもあったのだが、この状況では難しい。
 かといって、部屋の入り口には、モット伯たちが陣取っている。三人から二人に、勝手に数を減らしてくれたとはいえ、そこを突っ切って逃げてゆく、というのも無理な話。

「言っておくが、私が身につけたのは『メイド』の力だけではないぞ! 見せてやろう!」

 言うなり、モット伯は獣じみた咆哮を上げる。
 同時に虚空に生まれたのは、十数本の冷気の矢!
 ......レッサー・デーモンでも取り込んでいたのか!? さっきはワザワザ杖を振るって魔法を使っていたが、本来その必要もなかったということか......。
 そして出現した冷気の矢は、モット伯自身に突き刺さる。

「まずい! サイト、気をつけて!」

「なんだ!? こっちはそれどころじゃねえ! そっちはそっちで......」

 ゴウッ!

 ひりつくような冷気が、私たちを襲う!

「......くっ......!?」

 呻きを上げる間にも、ふたたびモット伯が吠え、またもや吹き付ける冷気の嵐!
 ......いきなり『メイド』を取り込んだ時には、なんてアホな奴かと思ったが、どうしてどうして。能力の活かし方は、ちゃんと心得ているらしい。 
 単純な冷気の矢ならば、迎撃するなりなんなり、対処のしようもある。しかし拡散した冷気の嵐として放たれたら、さすがにどうしようもない。
 私の後ろではサイトが咄嗟にデルフリンガーで吸収したようだが、拡散している分、全部は吸いきれていない。
 もちろん、拡散している以上、ダメージはゼロに等しいのだが、こうして連発されれば......。
 こちらは確実に体温を奪われ、動きも鈍くなる。適当なタイミングで直接攻撃なり、『赤蛇の王』が参戦するなりしたら、大ピンチどころの話ではない。

「あんた......なかなかやるわね......」

「そう思うなら、反撃してみてはどうだ? なかなかの魔法を使うと聞いておるぞ」

 冷気の嵐をくらいながらつぶやく私に、モット伯は余裕の言葉を返す。
 だが、挑発に乗る私ではなかった。
 なにしろ、あの『メイド』は、私のエクスプロージョンさえ反射してみせたのだ。
 ある一定以上の破壊力の術をぶち込めば倒せるとは思うが、万一『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』あたりを拡散放射されでもしたら、こっちはひとたまりもない。
 ならば......。

「そこまで言うなら......これでもくらいなさい!」

 挑発に応じたフリをして、爆発魔法を放つ私。
 ただし、狙いはモット伯や『赤蛇の王』たちではなく......部屋や廊下の天井!

 ドガァッ!

 ド派手な音を立てて天井が崩れ、大小の破片をまき散らす。
 モット伯の上にも降りそそぐが、彼は忌々しげに吐き捨てるのみ。

「......フン、つまらん真似を!」

「ルイズさん!?」

「何やってんだ、ルイズ!? これじゃ俺のほうも視界が......!」

 モット伯だけではない。味方のリュリュやサイトの文句も聞こえる中。
 私は急いで、次の行動に出る。
 爆煙と土埃がモウモウと立ちこめ、確かに視界はひどいものだ。だが、それは敵も味方も同じこと。

「おおかた、目くらましのつもりでしょうな。しかし伯爵さまは魔法を拡散するのですから、見えようが見えまいが、こちらは困りますまい」

「そういうことだ。メイジとしての技量は高くても、しょせんは知恵の回らぬ小娘ということか......」

 傍らに控える『赤蛇の王』の発言に、そちらを向きもせずに答えるモット伯。
 彼は構わず、冷気の拡散攻撃を続けていたが......。

「......ん? その小娘は、どこに消えたのだ?」

「はて? そういえば、姿が見えないような......」

 少しずつ煙が収まっていく中で、主従が、怪訝そうに言葉を交わす。
 その時。

 スパッ!

 隣で『赤蛇の王』が両断される音を聞き、慌ててモット伯が振り向いた。

「なっ!? 貴様、いつのまに......!?」

 咄嗟のことに、人間だった頃の癖が出たのか、彼は杖を振ろうとするが、もう遅い。
 返す刀で、私はモット伯に斬りつけた。
 闇の刃『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』が、その体にめり込む。

「......がぁ......!?」

 モット伯の体が、一瞬、黒く染まる。
 そして......。

 ゴブッ!

 鈍い音と共に、その全身は砕け散ったのだった。

########################

 種明かしをすれば、簡単な話。
 もうもうたる土煙の中、私はテーブルやベッドを踏み台にして、急いで天井裏へと駆け上がったのだ。ベッドが天蓋つきだったからこそ、できた芸当である。
 そして天井裏を走りながら、呪文を唱えた。モット伯にもガレキが降りそそいだことからわかるように、あらかじめ奴の真上にも穴を開けておいたので、そこから飛び降りざま、二人に斬りつけて......。

「......やったんですか......?」

 たちこめていた土煙が完全に晴れた後。
 リュリュが、私に問いかけてきた。

「こっちの二人はね。......って、悠長に話してる場合じゃないでしょ!? まだそっちは、あのヴァッソンピエールってやつが......」

 言いかけて、私は気づいた。
 サイトを苦しめていた触手は、床にダラリと垂れている。
 いや『垂れている』というよりも、茶色くしなびているので、『枯れ落ちている』とでも言うべきか。
 肩をすくめてみせるサイトを見て、私はテラスへと駆け出した。

「これって......」

 困惑のつぶやきを漏らす私。
 屋敷の表面は、ヴァッソンピエールの本体らしきもので覆われていた。
 いくつもの巨大な肉塊だか瘤だかのような塊が張りついた、ツタのような生き物だが......。
 そのことごとくが、今や完全に枯死していたのだ。
 巨大な瘤は、まるで枯れた大きな白い花。風に揺られて、カサカサと乾いた音を立てている。

「......死んでる......んだよな?」

「......みたいですね」

 サイトとリュリュが、ポツリとつぶやいた。
 私に続いて、二人もテラスに出てきたらしい。

「......どういうことだ......?」

「......モット伯が死んだから......じゃないでしょうか......?」

 リュリュの意見には、一理ある。
 そういう細工を施されたキメラだった、という考え方だ。

「......自分にもしものことがあった場合、部下たちがのうのうと生きているのが許せなかった、とか。あるいは、そういうふうに改造することで、自分を守らざるをえなくした、とか......」

 理由まで推察するリュリュ。
 そこに、部屋の中から声がかかる。

「ええ、そうです。そのように造っておいたのです」

 ロッキング・チェアに座って、どこか寂しげな微笑みを浮かべるアネット。
 彼女の言葉に、私は、妙な違和感を覚えた。
 ......造っておいたのです......。
 状況から考えれば、省略された主語は『モット伯』のはずなのだが......。

「アネットさん! アネットさんは大丈夫だった!? モット伯に......おかしなことはされなかった!?」

 心配そうに駆け寄るリュリュ。
 みんなや自分をキメラ化し、道連れにまでしたモット伯ならば、アネットの身にも何か......と考えたのであろう。
 問われてアネットは、優しく微笑み、

「私は大丈夫ですよ、リュリュさん。だって、みんなを変えたのはモット伯じゃなくて私なのですから」

 一瞬、理解できずに沈黙する一同。
 しかし私は、気づいていた。
 アネットの瞳の奥に眠っている、静謐な狂気の色に。

「......説明してもらいましょうか......」

 歩み寄り、リュリュをアネットから引き離しながら。
 私は、静かに問いかけた。
 アネットは、視線をリュリュに向けたまま、

「......モット伯は......こうなるべきだったんです......。反逆者の汚名を着て......何もかも失って......。こうなるべきだったんです......。私から......ぼっちゃまも......幸せも奪っていったのですから」

「それじゃ、やっぱりモット伯がオリヴァンさんを......?」

 ハッとした表情で問いかけるリュリュ。

「はっきり言われたわけではないけど......私の心の中では、それが事実でした......。だから......モット伯を......みんなを変えたのです......。ちょうど......ヴァッソンピエール家の御子息やフォンサルダーニャ侯爵家の御長男も......昔ぼっちゃまをいじめていた二人も......カルカソンヌに来ていたから......」

「な......何を言ってるの......? 私が変えた、って......?」

「......私ね、リュリュさん。もう諦めたつもりでいました。......でも......違ったのです。諦めたつもりでいても......心の底には、憎しみが、少しずつ積もっていって......。だから私は、みんなを変えたの。みんなを変えて、モット伯の名前で反乱を起こさせたの」

「嘘よ! そんなの嘘よ! それじゃ私......アネットさんと戦ってたことになる......」

 激しくかぶりを振るリュリュに、アネットは寂しい笑顔で、

「......あのひとが死んだ後......私はモット伯をはねつけたんですけど......ある日、言われたのです。親友までもが、恋人のようになったらどうする、って......」

「......!?」

 無言のまま。
 リュリュは、ピクンと体を小さく震わせた。

「......その時、私は確信しました。やっぱり、ぼっちゃまはモット伯に殺されたんだ、って。......今思えば、私に言うこと聞かせるためのデマカセだったのかもしれないけど......でも、その時はリュリュさんを死なせたくなくて......」

 リュリュをタテに脅されて、モット伯の妾になった......というわけか。
 つくずく最低な男である。

「......う......そ......」

「嘘じゃないわ。......だから......あなたのことは大好きですけど......同時に......」

 ......憎んでもいる......。
 大好きだから、街から出した。リュリュを戦いに巻き込まないため。  
 憎んでいるから、街から出した。一人で街を出た自身を責めさせるために。そして、反乱の首謀者がモット伯だという情報を確実に振りまくために。
 監視役として『赤蛇の王』を派遣したのも、そのリュリュを眺めるため......。
 たしかに、そう考えれば納得できる。
 目的が『モット伯に汚名を着せて死なせること』なら、彼の死後に部下たちは必要ない。むしろ王軍にしつこく反抗するようであれば、邪魔でさえある。
 ......だが......。

「どうやって?」

 私のつぶやきを耳にして、アネットは、ようやく私に視線を向けた。

「あんたの動機はよくわかったわ。でも、あんた、ただのメイドでしょ? キメラ製造の知識なんて、なかったはずよ。ましてあんな、魔族とかけ合わせたキメラなんて......」

「力をくれた人がいるのです。名前も教えてくれなかったけれど......私が力を欲しがっていることに気づいてくれた......」

 人魔キメラ製造の技術!?
 ......いや、それを研究していた一味は以前、私たちが叩き潰したはず。まさか、その残党が......アネットに接触して......!?

「モット伯だけを殺すことは簡単でした。でも、それじゃあ許せなかった......。だから反逆者の名前を背負ってもらうことにしたのです。......ごめんなさいね、巻き込んでしまって。関係ない者まで巻き込んだ以上、私も死ぬつもりです。でも、モット伯に反逆者の汚名を着てもらうためには、あなたたちも一緒に......」

 言って再び、リュリュに顔を向けて、右手を静かに真横に上げると、

「見てください、リュリュさん。これが......私がもらった力です。......来なさい、ドゥールゴーファ」

「......なっ......!?」

 かざしたアネットの右手に、闇が生まれてわだかまる。それは一瞬にして収束し、真っ黒い片刃の剣と化した。

「......お......おい! ルイズ! あれって......」

「あわてるな、相棒! ありゃあ......」

「......わかってるわ。エギンハイムで出てきた奴ね」

 私は、自分でも意外なほど冷静な声で答えた。 
 覇王将軍シェーラ=ファーティマが携える、魔剣にして魔族たるもの......ドゥールゴーファ。
 あの時は杖の格好をしていたが、私とサイトは、確かに見たのだ。このドゥールゴーファに触れた者が、異形と化してゆくのを。
 ......なるほど......こいつの力を使えば、みんなを『変える』ことも、決して難しいことではなかっただろう。

「アネットさん! やめて!」

「......終わりに......しましょう......」

 つぶやくように言ったアネットの右腕は、もはや魔剣と同化しつつあった......。

########################

「させるか!」

 叫んで床を蹴ったサイトの左手には、ガンダールヴのルーンが輝いていた。
 神速で迫り、剣を振るう。
 魔剣を斬り折って、同化を防ごうという魂胆だ。
 ......だが。

 キゥン!

 アネットの剣が、その一撃をアッサリはじく。

「なっ!?」

 驚愕の声を上げて、サイトは大きく後ろにさがった。
 ルーンの光り方から見ても、今のは本気の一撃。剣の心得などないメイドでは、さばけるはずもないのだが......。

「手遅れです......この剣は......ずっと私の中にいたのですから......。私はもう、この剣とほとんど同化しているのです。......私は戦い方を知りませんが、ドゥールゴーファは知っています......」

 刀身が手のひらに吸い込まれるようにめり込み、彼女の右手が黒く染まる。
 闇の色は、右手からその全身へと広がって......。
 やがて、アネットの全身が闇色となった。
 つまり、完全に魔剣と一つになったのだ。

「アネットさん!」

 リュリュの叫びが虚しく響く。
 ......かつて私とサイトの目の前で、ドゥールゴーファが一人の少女と同化した時には、彼女の意志を無視して無理矢理だった。
 結果、同化した二者は、巨大な肉の塊のような異形となった。
 しかし、今回。
 アネットは、自らの意志でドゥールゴーファを受け入れたのだ。
 その外見は、さながら、漆黒の女神像......。
 もはや『彼女』が、アネットなのか、ドゥールゴーファそのものなのか、私にもわからない。
 私が言えるのは、ただ一つ。
 これこそがドゥールゴーファの完全な同化の形なのだろう、ということ。

「アネッ......」

 呼びかけようとしたリュリュに、『彼女』は無言で右の手をかざす。

「あぶねぇっ!」

 同時に、サイトが床を蹴る。
 リュリュに飛びついて、ひっさらうように駆け抜けた瞬間。

 ドンッ!

 テラスの手すり――リュリュがいた辺りの後方――が、不可視の『力』の圧力で、あっさり砕け散る。

「サイト! 逃げるわよ!」

「わかった!」

 リュリュを抱えたまま、サイトはテラスから外へジャンプ。
 ......ここは三階。いくらガンダールヴでも、これは無茶じゃないか......!?
 と思ったが、サイトは屋敷の壁に、片手でガッと剣を突き立てた。外壁をガリガリと削って、落下スピードを殺しつつ、庭へ降りていく。
 途中でリュリュも気づいて、『レビテーション』を唱えたらしく、二人はフワリと着地した。

「今度は私! リュリュ、お願い!」

 リュリュに魔法をかけてもらって、私も飛び降りる。彼女の魔法だけでは心配だったのか、下では一応、サイトが受け止めてくれた。

「『彼女』が来る前に、街まで逃げるわよ! リュリュ、街に出たら、あんたはどこかに隠れてちょうだい!」

 叫んで駆け出す私。サイトとリュリュもついてくる。
 ......街に出たら、というのは他でもない。植木もまばらなこの庭では、隠れるところもないからである。

「......どうするんですか......?」

「......」

 言葉に詰まった。
 こうなった以上、もはやアネットを元に戻す方法はない。倒すしかないのだが、その現場はリュリュには見せたくないし、ハッキリ告げるのも躊躇してしまう。
 しかし。

「......それしか......それしかないんですね......」

 私の沈黙で、彼女は悟ったらしい。

「......わかりました......お願いします......」

 リュリュは、絞り出すようにそうつぶやいた。

「それじゃ......ここはリュリュが先導してね! 隠れて、とは言ったものの、そのために街のどこへ向かったらいいのか、私にはわかんないし」

「......はい」

 頷いて、リュリュが私の前に出ようとした時。
 
「リュリュ!」

 とっさに私は、隣のリュリュを突き飛ばした。
 背後に殺気が生まれたからだ。
 刹那、音も風も伴わず、目に見えない何かが、私と彼女の間を通り過ぎる。
 そして......。

 ゴッ!

 はるか先にある庭木の幹が、鈍い音を立て、はじけ散る。
 立ち止まってふり向けば、ゆっくりと歩み来る『彼女』の姿。

「......どうやら......『とりあえず街に出て、リュリュが安全な場所に隠れてから』なんて言ってる場合じゃなさそうね......」

 アネットが、リュリュに対する愛情と憎悪を抱いたままで、ドゥールゴーファと同化したゆえに。
 その妄執が固定されてしまったのだろう。『彼女』はまず、リュリュを狙っているようだった。
 となると、リュリュだけがどこかに隠れたならば、『彼女』は私たちを無視してリュリュ探索に向かい、抹殺しようとするおそれがある。

「娘っ子の言うとおりだ。ここで決着つけにゃいかんな」

「ああ、そうだな......」

 私と同じく、サイトも足を止めて『彼女』と対峙する。

「リュリュ! 少しさがってて! ただし離れすぎないようにね!」

「......わかりました!」

 リュリュが返事をする間にも、またもや『彼女』は右手をかざしていた。今度の目標は......私!?
 私はとっさに右へ跳ぶ。不可視の気配が、そのすぐ隣をすぎてゆく。

「......なるほどね。リュリュを倒すための障害として、先に私を排除しよう......って判断ね」

 一撃を放った後、そのまま『彼女』は、こちらに突っ込んでくる。
 急いで私も、爆発魔法を放って迎撃した。

 ボワッ!

 直撃したが、この程度は、たいしたダメージにも足止めにもならないだろう。
 でも、それでもいいのだ。
 今ので、辺りに爆煙が立ち込めた。
 これで見えない術の軌道を見切る......。以前に、あるメイジが不可視の衝撃波対策でやったのと同じ戦法だ。そのメイジは『水』の使い手だったので霧を利用したが、私の爆煙でも、代用できるはず。
 今、目の前で『彼女』はまたまた手をかざし......。
 瞬間、私は不吉な予感を覚え、やはりとっさに横に跳んだ。
 ......煙は何の軌跡も描いてはいないのだが......。

 ドンッ!

 そして、はるか後ろで重い音。
 ......おい......。

「空気を震わせることなく、目標を破壊する力!? 反則よ、そんなのっ!」

 どうやら連打で放つことは出来ないらしい、というのと、比較的気配を察知しやすいのとが幸いして、なんとか身をかわし続けてはいるものの......。
 いつまで続けられるか、わかったものではない。

「ルイズ! こいつは俺が!」

 迫り来る『彼女』の前にサイトが立ちはだかり、斬撃をくり出す!

 ギン! ギン!

 いくたびか鋭い音があたりに響き、そのことごとくが防がれる。
 いつのまにか『彼女』の右手には、黒い短剣が握られていたのだ。
 おそらくは自身の中から瞬時に生み出して、サイトの攻撃を受け止めたのだろう。

 ギッ! ギッ! ガッ!

 サイトと一進一退の攻防を続ける『彼女』。
 ドゥールゴーファと一体化した『彼女』は、ガンダールヴのサイトに匹敵する技量となっていた。しかもおそらく、耐久力は人間を圧倒的に上回るはず。

「......やっかいだわ......でも......」

 迂闊に手を出すことはせず――下手な魔法ではサイトも巻き込んでしまうので――、冷静に観察して、分析する私。
 どうやら『彼女』、接近戦の間には、あの不可視の力を放つつもりはないようだ。
 それなりの集中と時間が必要なのか、あるいは、剣には剣で相手したいということなのか......。
 などと思いつつ、呪文を唱えていると、突然、デルフリンガーの声が。

「娘っ子! 今だ!」

 剣の合図で、サイトが大きく後ろに跳び、すかさず私は杖を振った。
 エクスプロージョンの光球が、『彼女』に襲いかかる。『彼女』は短剣をかざすが、そんなものでは......。

 ジャッ!

「うそっ!?」

 かざした短剣で、光はアッサリ切り裂かれた。
 裂かれた光球は二つに分かれ、彼女の周囲で爆発する。

「......くっ!」

 爆発の余波は、間合いをとっていたはずのサイトにまで及んだ。跳んだばかりで不安定だったこともあり、バランスを崩すサイト。
 そこに『彼女』が斬りかかる!

「サイト!」

 私が牽制の爆発魔法を撃つより早く。
 サイトは右足で『彼女』の足もとを払った。

 トサッ。

 軽い音を立てて、『彼女』は倒れ伏した。

「......なんだ......?」

 あまりのあっけなさに、思わず攻撃の手すら止めてつぶやくサイト。
 先ほどの足払いも、苦しまぎれの行為であり、彼自身、効くとは思っていなかったのだろう。
 たしかに今のは、まるで戦いのシロウトがコケたような感じ。先ほどまでサイトと対等以上に渡り合っていた『彼女』には、似つかわしくないのだが......。
 ......まさか......!?

「サイト! もしかするとそいつ、足技弱いかもしれないわ!」

 アネットは言ったのだ、戦い方はドゥールゴーファが知っている、と。
 だが、そもそもドゥールゴーファは剣である。以前に出てきた奴は杖を装っていたが、それとて手に持つ武器。
 だとしたら......ドゥールゴーファは、手で振るう武器の戦い方しか知らないはず!

「そうか! こいつ、足もとがお留守なんだな!」

 言ってサイトは、起き上がりかけた『彼女』の足もとにスライディングをかける。
 またもやアッサリ、『彼女』は足もとをすくわれて、ひっくり返った。

「......これで終わりだ!」

 無防備に転がる『彼女』に、サイトは剣を振り下ろす!

########################

 ギィンッ!

 硬い音が響いた。

「......なっ!?」

 驚愕の呻きがハモる。
 私とサイトと、はたで見ているリュリュと、三人同時に驚いてしまったのだ。
 ......なにしろ。
 サイトの剣は、『彼女』の胸に正確に振り下ろされたというのに、キズひとつつけることさえ出来なかったのだから。

「ダメだ、相棒! こいつの体は、全身が剣みたいなもんだ!」

 真っ先に理解したのは、デルフリンガーだった。
 言われてみれば、単純な話。
 生み出した短剣が『彼女』の体の一部である以上、全身が同じ強度を有していたとしても不思議ではない。

「......ど......どうする!?」

 茫然とサイトがつぶやく間に、起き上がる『彼女』。いきなりクルリと身をひるがえすと、屋敷に戻る方向へ走り出した。

「......あれ? 逃げる気か......?」

「追うわよ!」

 見逃してくれた......という雰囲気ではない。『彼女』はアネットの妄執を核に、ドゥールゴーファが同化した存在である。
 私たちを放って逃げ出すような奴ではあるまい。今、屋敷へ向かっているのも、何かの魂胆があってのこと。
 案の定。

 ヒタリ。

 屋敷の外壁に向き合うように、『彼女』は足を止めた。
 ちょうど目の前には、屋敷全体にからみつくヴァッソンピエールの死体。
 枯れ木のような、そのカサカサの死体に......。

 ゾンッ!

 いきなり『彼女』は、右手の短剣を突き立てた。
 ......何を......?
 いぶかる間もなく、『彼女』は短剣を引き抜き、クルリとこちらへ向き直る。
 
「......やべえ! みんな気をつけろ! ありゃ......」

「ストップ!」

 デルフリンガーの言葉にかぶせるように。
 私の号令で、サイトもリュリュも立ち止まった。
 そして......。

 ブァッ!

 破裂音にも似た音を立て、『彼女』の体から、触手のようなものが何本も伸びてくる!

「退却!」

「は......はい!」

「異議なし!」

 慌ててその場できびすを返し、逃走を始める私たち。
 必死で走る私たちに向かって、サイトの手の中から剣が語りかける。

「あのドゥールゴーファって奴、エギンハイムの時の奴より厄介だぜ。今度の奴にゃあ、剣の切っ先でキズつけた相手の能力や知識を吸収する力があるみてぇだ」

「エギンハイムの時、って......あの時はデルフ、いなかったじゃん」

「ひでーな、相棒。言ったろ、しゃべれないだけで、この刀の中から見てた、って」

「そんなことはどうでもいいから! それよりデルフ、今の話、確かなの!?」

 サイトを一喝してから、デルフリンガーに確認する私。

「ああ、間違いねぇや。しょせんは奴も剣だからな。俺には丸わかりだぜ!」

 そうだ。
 デルフリンガーは、ガンダールヴのための剣。サイトに引っ付いていれば、武器のことは色々わかるのだ。
 何度か剣を交えたことで、あのドゥールゴーファの特徴も見抜いたらしい。

「つまり......私やサイトが、かすりキズでもつけられたら、こっちの戦い方やなんかを、あっさり『彼女』はマスターしちゃう......ってことね!?」

「そういうこった」

 かなりとんでもない話である。
 サイト並みの剣のウデと、木の枝のような触手を何本も持ってる奴に、かすりキズさえ受けずに勝つ、などというのはまず不可能。
 今のところ、まだヴァッソンピエールの能力しか取り込んでいないが、もしも屋敷の中へ入ってモット伯の死体に目をつけたら......。
 この上、例の『メイド』の拡散反射能力まで身につけようものなら、完全に手のつけられないことになる。
 なんとしてでも、この場で倒す必要があるのだが......。

「......知識を吸収する......ということは、言いかえればつまり、記憶を吸収する、ということですね......」

「......まあ......そうね」

 隣で言うリュリュに、私が答えたとたん。

「......わかりました......決着をつけます......」

 リュリュは逃げるのをやめて、その場に立ち止まった。
 慌てて、私も急停止。

「......救ってあげてくださいね。アネットさんを......」

 言ったリュリュの瞳を見て、私は悟った。
 彼女が、何をしようとしているのかを。

「ダメ!」

 クルリと振り向き、『彼女』に向かって駆け出そうとするリュリュの手を、ガシッと私は掴んだ。

「あんた、自分を犠牲にする気かもしれないけど、やめなさい!」

「えっ!? ......でも......」

「無理よ、無理! あんたの彼女への想いを伝えれば、彼女もわかってくれるかもしれない......。どうせそんなこと考えたんでしょうけど、それは無謀な賭けだわ!」

 そう。
 リュリュは、敢えて『彼女』に貫かれようと考えたのだ。
 たしかに、アネットが心に抱いていた憎悪さえ消えれば、妄執を核に同化を果たしていたアネットとドゥールゴーファとの間に、ひずみが生まれることだろう。
 しかし。
 その『憎悪を消す』ということが、そう簡単にできるかどうか。
 もしかすると、アネットの憎しみは、世の中すべてに向いていた可能性だってあるのだ。なにしろ、ドゥールゴーファの力で、無関係な人間まで人魔キメラに変えたくらいなのだから......。

「あんたの命を、分の悪い賭けのチップになんてさせないわよ!」

 もしもリュリュが、アネットの恋人だったり姉妹だったりしたら、成功の確率も少しはあったかもしれない。
 だが、二人は親友とはいえ、しょせんは他人。幼馴染みですらない。上手くいくとは、とても思えなかった。

「おい、二人とも! ウダウダしゃべってる場合じゃねえぞ!」

 剣を構えて叫ぶサイト。
 私たちが立ち止まったため、彼も足を止めていたが、私やリュリュとは違って、しっかり敵を見据えている。
 今や『彼女』は、すぐ間近に迫ってきていた。

「......でも......それじゃどうしたら......」

「大丈夫よ」

 泣きそうな声のリュリュに、ひとこと冷静に返してから。
 私は、サイトとデルフリンガーに向かって言った。

「......剣の切れ味を上げましょう」

########################

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 私の魔法を受けて、デルフリンガーの刀身が赤く輝く。
 赤く染まった光の刀を手に、『彼女』に斬り掛かるサイト。
 迫り来る触手を斬り飛ばし、その本体に肉薄し......。

 ギゥン!

 しかし『彼女』は、それを二本の短剣で受け止めていた。一瞬にして左手の中にもう一本出現させて、左右の短剣を使い、デルフリンガーの刀身を挟み込むようにしている。

「......くっ!」

 圧し合うサイトの口から、声が漏れた。
 触手を斬ったのと同じようには、いかないらしい。全身が同じ硬度......という認識は間違っていたのかもしれない。
 それにしても......。
 破壊力絶大の赤い刃を受け止めるとは、さすがドゥールゴーファ。前回の奴のように、ドゥールゴーファ特有の再生能力を活かしているのかもしれないが......。
 今の『彼女』は、もう触手を伸ばすことはしていなかった。
 剣での戦いに集中して、そちらに意識が回らないのか。
 あるいは。
 剣と剣との勝負を選んだか、ドゥールゴーファ!

「娘っ子!」

 私を呼ぶデルフリンガー。
 わかっている。私とて、ただ悠長に見ていたわけではない。

「......四界の闇を統べる王......汝の欠片の縁に従い......汝らすべての力もて......我にさらなる魔力を与えよ......」

 四つの指輪――『魔血玉(デモンブラッド)』――が、四色の淡い光を放つ。
 そう。
 サイト一人では力が足りないというのであれば......。

「......悪夢の王の一片(ひとかけ)よ......」

 でも。

「......世界(そら)のいましめ解き放たれし......凍れる黒き虚無(うつろ)の刃よ......」

 サイトがこうして、『彼女』の動きを止めてくれているのであれば......。
 剣技の拙い私の斬撃でも、発動時間の短い私の魔法でも、ちゃんと当てることが出来る!

「......我が力......我が身となりて......共に滅びの道を歩まん......神々の魂すらも打ち砕き......」

 呪文を詠唱しながら、私は走った。
 サイトに加勢するために。
 そして。

「虚滅斬(ラグナ・ブレイド)!」

 杖に沿って生まれる闇。
 振り下ろした虚無の刃は、あっさりと『彼女』を縦に断ち割った。

########################

 すべてが終わったカルカソンヌの街を、私たちは無言で歩いていた。

「ルイズ......もう寝たか......?」

「......ん......まだ起きてるけど......」

 まあ実際には二本の脚で歩いているのはサイト一人であり、私は彼におぶってもらっている。
 前にもやったことはあったが、やはり『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』と『虚滅斬(ラグナ・ブレイド)』を立て続けに、というのはキツかったのだ。
 ちなみに、すでにリュリュとは別れた後。それなりに街の人々と面識があり、アネットとも深く関わっていた彼女は、これから色々と駆けずり回ることになるのだろう。

「なぁに? 何か聞きたいことでも......?」

「いや、聞きたいことってほどでもないが......。なんだったんだろうな、今回の事件......って思ってさ」

「そうね。なんだったのかしら......」

 サイトの背中で体を休めながら、私は曖昧に返した。

「......でも、まあとりあえず、事件も解決したし、あの剣も消したし」

 ......たしかに......。
 私の闇の刃を受けた『彼女』は、黒い塵となり、跡も残さず虚空に消えた。
 ドゥールゴーファも、ただでは済まなかったはず。
 しかし......。
 覇王将軍シェーラ=ファーティマがいる限り、あの剣はまた再生する。
 シェーラ=ファーティマは、何を考えてドゥールゴーファをアネットに渡したのか。
 魔族たちは、何をもくろんでいるのか。
 答えは、まだ出ていない。
 ......ふと顔を上げてみれば。
 長い一日が終わり、辺りはすっかり夜になっていた......。


 第十一部「セルパンルージュの妄執」完

(第十二部「ヴィンドボナの策動」へつづく)

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番外編短編12「ハルケギニアの海は俺の海」

 無限に広がる大海原。
 それは人にとっての未知の領域。
 いつか人々が安全に東へ行けるようになり、陸地がすべて探検された暁には、海こそが最後のフロンティアとなるのかもしれない。
 ......という未来の可能性は、ともかくとして。
 船員たちの動きが慌ただしさを増し、やがて船が停まったのは、出発した陸地が遠く霞む辺りまで来た時のことだった。
 風が運ぶのは、ただ潮の香り。
 陸地と船との間には、小さな島がいくつか見えるが、もちろんいずれも無人島。
 それもそのはず。
 ここは昔から、正体不明の怪物が出没することで有名な海域なのだ。

「ここでっか?」

 船べりで海を眺めていた女、ヤッタニアが振り向いて声を上げた。
 正直、トシはよくわからない。子供のようにも見えるし、結構なオバサンのようにも見える。
 短い金髪に、小太りの体型。いつもは横縞のシャツを着ているのだが、これから海に潜るため、今は胸と腰に巻いた布切れのみだった。

「ああ。ここだ」

 コツコツと靴音鳴らしてやってきたのは、右目の眼帯と顔の傷痕が特徴的な船長である。

「この下に、おたからが眠っている」

 言われて覗き込んでみた昼の海は、ただ陽の光を照り返し、ギラギラと輝くだけだった。

########################

 ことの起こりは、昨日にさかのぼる。

「旅のメイジが来ていると聞いたんだが」

 昼過ぎのメシ屋に響いたのは、大きくはないがよく通る、朗々とした声だった。
 客たち全員が一瞬、静まり返る中。

「......ひょっとして......私のこと?」

 窓際の席で海を眺めながら食事をしていた女......つまり私が、それに応じる。
 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。
 こんな典型的な学生メイジの格好をしたやつは、現在の店内には私しかいない。
 ......気まま気楽な一人旅。連れのキュルケも姿を消して久しく、本当の意味での一人旅。残暑の厳しさゆえか、唐突に海が見たくなり、この海辺の街に立ち寄ったのである。
 これといって特徴のない街ではあったが、魚介類のおいしさは予想以上で、ついつい何泊もしてあれやこれやと食べまくり......。
 どこから話が伝わったのか、お客さんの御訪問、ということになったのだろう。

「あんたか」

 船長服に身を包んだ男は、ズカズカとこちらに歩み寄ってきた。
 眼帯やら顔の傷痕やらのせいで、まっとうな船長というより海賊船のキャプテンに見えるが、海賊ボスが真っ昼間から堂々と出て来るはずもあるまい。

「話がある。......が、その前に」

 問答無用でテーブルの向かいに腰を下ろすと、眼光鋭くこちらを一瞥し、

「まさか貴様、魔女オンナではあるまいな......?」

「......は?」

 思いもよらぬ問いかけに、ちょっとポカンとする私。
 メイジだから魔女と言えば魔女だけど。
 でも『魔女オンナ』って、『頭痛が痛い』とか『馬から落馬する』とかと同じレベルで、微妙におかしいような気が......。

「あかん! あかんで、キャプテン!」

 バタバタと騒ぎながら、副官らしき女性が飛び込んできた。

「キャプテン、女メイジ見かけるたびに『魔女オンナ』って決めつけるの、やめなはれ!」

「だがな、ヤッタニア......」

「交渉はワイにまかせて、な?」

 彼女は、渋る船長の横に座り込み、そして私に向かって、

「あんさん......おたからに興味あるやろか?」

########################

「......沈没船!?」

「シッ! 声がでかい!」

 思わず上げた私の声に、船長の叱責が飛ぶ。

「誰かに聞かれたらどうする」

「海鳥くらいしか聞いてないわよ」

 周囲を見回し、私は言った。
 詳しい話は場所を変えて、ということで、船長とヤッタニアが私が連れてきたのは、波止場から少し離れた海辺だった。
 辺りには船もなく視界も開け、こちらの声も波音に消される。密談にはもってこいの場所である。

「伝説の海賊船ユートピア号......おまえも名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

「......ごめん、知らない」

 船長の問いかけに、身も蓋もない言葉を返す私。
 海の男の間では有名なのかもしれないが、海の常識を陸に持ち込まれても困る。
 彼は顔をしかめるが、横からヤッタニアが取りなすように、

「......ともかくな。キャプテンは最近、突き止めたんや。おたから満載の......大昔の海賊船が、この海域に沈んどる、って。......でもな......」

 そして二人は同時に、遠く海の彼方に目をやった。
 おだやかな陽ざしに水面は輝き、遠くに小さな島影がいくつも見える。
 平和そのものの光景だが、その水平線の向こうにあるのは......。

「今度は私も知ってるわ。......『魔の海域』でしょ?」

 私が言うと、二人は無言で頷いた。
 魔の海域。
 正体不明の怪物が生息し、近づくもの全てを呑み込む、と噂される海域である。
 本当に怪物がいるかどうかはともかく、その海域に向かった船が一隻たりとも戻ってこなかった、ということだけは、まぎれもない事実だった。
 ......まあ私もこの街に来てはじめて聞いた話だが、この地方では、わりと有名な話らしい。

「なるほどね。何があるかわからないから、護衛としてメイジを連れていきたい、ってことね?」

「そういうことだ。宝探し自体は、俺達でやる。一緒に海に潜れ、とは言わん。船の上から怪物を倒してくれたら、それでいい」

 船長は怪物が出ると確信しているようで、警護というより怪物退治っぽい雰囲気になってきたが......。
 まあ、難しい話ではなさそうだ。もしも出てこなければ、のんびり船旅を楽しむだけで終わるわけだし。

「いいわ。それじゃ、依頼料は......」

 どうせ怪物も宝も出てこないだろう、と思って、ささやかな額を提案する私。
 二人は一瞬、驚いたような表情を見せた後、静かに頷くのであった。

########################

「まずは、この辺りから探索を始めよう」

 甲板に仁王立ちした、船長の宣言が海原に響く。

「ようし、みんな! 出撃やでぇ!」

 ヤッタニア副長に率いられて、乗組員が次々と海に飛び込んでいった。
 かなり深く潜るはずだが、特別な装備も何もつけていない。海の男たち――ヤッタニアは女であるが――にとっては、素潜りなど出来て当然、ということらしい。
 もちろん、人間は本来、水の中で呼吸するようには出来ていないので、潜っていられる時間は長くない。
 実際、早々と一人、海面に浮かび上がってきた。

「......どうした? もう何か見つけたのか!?」

「違いまさぁ、キャプテン! 海中に何かいるんでさぁ! 何か......巨大な何かが!」

 海面から顔だけを出して、男は怯えた表情を見せる。

「気のせいじゃありゃあせん。とてつもなく大きな、なんだか生白い......」

「もしかして......それって、例の怪物!?」

「あるいは、沈没船の一部かもしれんな!」

 最悪の事態を想定する私とは対照的に、楽観的な意見を述べる船長。
 そこに。

「プハーッ!」

 ヤッタニア副長も浮上してきた。
 彼女は、海面に浮かぶ男をつかまえて、

「こら、サボってたらあきまへんで! さっさと作業に戻りなはれ!」

「ちょっと待って! その人が言うには、海の中に何かあったらしいけど......」

「あらへん、あらへん。まだなーんもあらへん」

 片手で男の腕を掴んだまま、ヤッタニアは、もう片方の手をパタパタと振ってみせる。
 あれでよく沈まないもんだ、と私が感心しているうちに、

「ほな、もう一回いくで」

「ちょ......ちょっと待って、副長......」

 何やら喚く男を引きずり込みながら、彼女は再び海へと潜っていく。
 ......なんだったんだ、今のは......。
 ポカンとする私の横では、船長が苦笑していた。

「あいかわらず強引だな、ヤッタニアのやつ......」

「......というより、船長さん、部下の心配したほうがいいんじゃない? あの男の人、さすがにあれじゃ、溺れちゃうんじゃないかしら......」

「何を言ってる。俺の部下に、そんなヤワな男はいない」

 誇らしげに言う船長に対して。
 ......そんなこと言うくらいならおまえが潜れよ、とツッコミを入れる代わりに、私はジト目を向けるのであった。

########################

 結局、初日の収穫はなかった。
 潜っては上がり、船を移動させてポイントを変え、また潜っては上がり。
 そんなことを何度か繰り返すうちに日は暮れて、その日の探索は終わった。
 行き来のタイムロスを嫌って、もとの港には戻らず、一番近い小さな無人島の沖に停泊。そこで私たちは、夜を明かしている。

「こんなところにおったんかいな」

 ヤッタニアが声をかけてきたのは、夕食後、私が甲板で夜空を眺めていた時のことだった。

「海の上での夜って、初めてなんでね」

「......ま、普通の人はそうやろうなぁ」

 彼女は、私のそばに歩み来て、

「海は波があるさかい。同じ船旅でも、空船を選ぶもんが多いんやろな」

「でも、たまにはこういうのも面白いわ」

「......面白い、って......。ま、海を楽しんでもろうたら、ワイとしても嬉しいんやが......あんさん、一応これ仕事やで」

 言われて、私は苦笑いする。
 なにしろ、宝も怪物も信じてなかったからこそ、引き受けた仕事なのだ。
 その辺を突っ込まれるのを避けるため、私は、軽く話題を変える。

「そういえば......最初に私を見た時、あの船長さん、私のことを『魔女オンナ』って呼んでたけど......あれは何?」

「ああ、あれかいな」

 今度は、ヤッタニアが苦笑する番だった。

「キャプテンには、ちょっとかわった奥さんがおってな......」

「奥さん?」

「そうや。その奥さんも『私は、去る』と言って出て行ってもうたから、もう昔の話やけど......」

「へえ。船長さん、奥さんに捨てられちゃったのか」

 普通なら『実家に帰らせていただきます』とかなんとか言う場面で『私は、去る』とは......。
 なかなか個性的な奥さんである。

「......でも、なんでそれが『魔女オンナ』? その奥さんって、メイジだったの?」

 私の問いかけに、ヤッタニアは首を横に振った。
 彼女の話によると。
 船長の奥さんは、海の生き物と心を通わせることが出来たらしい。特にシャチとは相性がよく、シャチ使いの異名すらあったとか。

「キャプテンには、魔法に見えたんやろうなぁ」

「ちょっと待って。それって、シャチを使い魔にしたメイジ......ってことじゃないの?」

「ちゃいまんがな。シャチだけやおまえへんで。......船長が初めて彼女と出会った際には、サバと話をしていたとか。結婚した後には、夕食の焼サンマと話してるのを見たこともあったそうで......」

「や......焼き魚とお話......」

 それは単に会話のフリをしていただけだろう!?
 さすがに、焼き魚に意志があるとは思えない。そうなると、海の色々な生き物と意思の疎通が出来る、というのも眉唾になってくる。

「それは......メイジじゃないわね......」

「やろ? あれは魔法やない。海の女の特殊能力や」

 ......いや私は、そういう意味で言ったのではないのだが......。
 ひょっとして、ヤッタニア自身にも、なんらかの『海の女の特殊能力』があるのだろうか。これ以上会話を続けるのが、ちょっと嫌になってきた。
 黙り込んでしまう私。
 船腹を叩く水の音だけが、しばし続く。

「ま......明日は早いんや。そろそろ休みぃや。......それと......ワイが奥さんの話をした、ってのは内緒やで」

「わかってる」

 答えて私は、彼女と共に、船室へと引き返したのだった。

########################

 変化があったのは、翌日のことだった。
 やはり朝から何度か潜り、もうすぐ昼という頃。

「キャプテン!」

 水面から顔を出したヤッタニアの声には、ただならぬものが混じっていた。

「船や! 船が沈んでたんや!」

 垂らした縄梯子を伝わって上がって来ると、彼女は、水着の端にはさんだ何かを船長に渡す。

「これは......!」

 つぶやく彼の手には、サビと水コケのついた大きめの金貨が一枚。

「船のマストらしいものを見つけて! 辺りを調べたら! それが......!」

「もしかして、お目当ての海賊船!?」

 興奮して捲し立てるヤッタニアに、私もその気になって尋ねたのだが。

「......違うな」

 水を差すように冷たく言い放ったのは、船長だった。彼は、ジーッと金貨を見つめながら、

「見ろ。ここにある刻印......そして金貨のデザイン。この金貨が造られた時代は、ユートピア号沈没よりもずっと後だ」

「あ......ホンマ......」

 シュンとするヤッタニアに、私は慰めの声をかける。

「いいじゃないの、ユートピア号じゃなくても。沈没船があって、金貨を積んでたんだから......他にもお宝があるんじゃないの!?」

「そうだな。せっかくだから、その沈没船の宝も貰っていくとするか」

 フッと笑う船長。これでヤッタニアの表情も、また明るくなったのだが、ちょうどその時。

「キャプテン! お客さんですぜ!」

 見張り台の上から、叫び声が降ってきた。

########################

「無人島の陰から出てきたわけか......」

 船長がポツリとつぶやいたように。
 一隻の帆船が今、こちらへ近づきつつあった。
 宝探しは一時中断。
 ヤッタニアが、魔法のたいまつを海に投げ入れる。トラブル発生時の合図として、事前に打ち合わせていたものだ。

「みんな! はよ上がってこい!」

 その声が届いたわけではないが、魔法の光は海中でもハッキリ見えたのであろう。
 潜っていた船員たちが、続々と戻って来る。

「逃げるぞ! 全員配置につけ!」

 船を動かすことを決めた船長。
 なにしろ相手の船はこちらより一回り大きく、しかも甲板に並んだ男たちは、手に武器を持っているらしいのだ。

「へえ。海賊なんて、まだいたんだ。......最近じゃみんな空に上がって、空賊になった、って聞いてたけど......」

「あんさん、何をのんきなことを......」

 言いかけて。
 ヤッタニアは、ようやく気づいたようで。

「キャプテン! 何も逃げることおまへんで! こういうときのために......メイジを雇ったんやろ!?」

「......!」

 私に目を向ける二人に対して、私は、自信たっぷりにウインクしてみせた。
 そして......。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ボクバジュンッ!

 はるか前方に炸裂させた一撃は、海水をえぐり気化させて、大きな波を引き起こす。
 こちらの船体も揺れたが、向こうはそれ以上。波を腹に受けた海賊船は、大きく翻弄される。
 その揺れが収まるのを待って、

「そこの海賊船! 命が惜しけりゃ、停船して白旗を掲げなさい! そうすれば沈没船に変えるのだけは勘弁してあげる!」

 私の呼びかけに、ほどなく海賊船の帆柱には、真っ白い旗が翻ったのだった。

########################

「......やっと初めての獲物だと思ったんですよぅ」

 こっちのマストにしばりつけられた海賊船のボスは、遠いまなざしで、誰に言うともなくつぶやいた。

「......最初は山賊をやってましてね......役人の取り締まりがキツくなって......それで海に目をつけたんですよ......。最初は『これだ』って思ったんですよ......魔の海域に近い無人島をアジトにすれば、役人の手入れもない、って......」

 海賊ボスの嘆きは続く。

「ええ手入れなんてありませんでしたとも。そもそも通る船がないんですから......。無人島の辺りで、木の実や魚や海藻やらをとって食いつないで......はじめて獲物らしい獲物を見つけたと思ったらこれですよ......何も悪いことなんてしてないのに......」

 彼は自覚皆無のつぶやきを漏らした。
 かつては山賊だったと言った時点で、過去の罪を白状したようなものなのだが。

「まあそうしょげるな」

 海賊ボス以上にそれっぽい格好の船長が、海賊ボスに言い渡す。

「おまえたちにも、俺の宝探しを手伝わせてやろう。もしも思った以上の宝が見つかって、お前たちが海賊稼業から足を洗うと誓うなら、役人に突き出すのも勘弁してやる」

「ほ、本当か!?」

 海賊ボスの顔が輝く。

「ああ。海の男に嘘はない」

「そ......そうかっ......すまねえっ......すまねえっ......」

 船長の言葉に、思わずむせび泣く海賊ボス。
 そんなわけで。
 おたから探索要員が、一気に倍以上に増えた。

########################

「ようし、みんな! 出撃やでぇ!」

 ヤッタニア副長をリーダーとして、一斉に海へと飛ぶ込む男たち。海賊メンバーを併合した、大捜索団である。
 ちなみに、海賊ボスは相変わらずこちらのマストにグルグル巻き。また、一部の海賊たちは、船を動かすための最低限ということで、海賊船で待機。海賊たちがおかしな動きをしないよう、こちらの船の甲板上で、私が睨みをきかせている。

「これだけ人手も増えれば、伝説のユートピア号を発見するのも時間の問題だな」

 楽観的な意見を口にする船長。
 ......そうかなあ......?
 敢えて口にはしないが、私は全く同意できない。問題のユートピア号とやらが本当にこの付近に沈んでいるのかどうか、それを疑問視していたからだ。
 今までに見つけたのは、ボロっちい沈没船が一つと、チャチな金貨や装飾品のみ。まあ何も出てこないよりはマシと言えばマシなのだが......。
 とりあえず、適当に相づちを打っておく。

「そ、そうね」

 そして、ただ海の風の音だけが聞こえる中。
 しばらくして......。

 バシャリッ。

 水のはねる音と共に、潜っていた男が一人、頭を出した。

「......どうした!?」

 船長の呼びかけに男が答えるより早く、二人目、三人目が浮かんでくる。

「何かいます!」

 答えた一人目の声には、あきらかな怯えの色が混じっていた。

「何か、だと? また......」

「キャプテン! 今度は違うでぇ!」

 顔を見せるなり叫んだのは、ヤッタニアだった。
 彼女だけではない。男たちは次から次へと浮かび上がり、それぞれの船を目ざして、慌てて泳ぎ来る。
 やはり、いるというのか。何かが。

「出航用意!」

 わけもわからぬながら、それでも何かを感じて船長が声を上げる。
 船員たちは、あわただしく動き始めた。
 錨を上げて帆を下ろし......。

「何かおった。見たこともない、でっかい奴やった」

 甲板に上がってきたヤッタニアの声は、かすかに震えていた。

「何か、って何よ!?」

「わからへん! せやから言うてるやろ、見たこともない奴や、って!」

 私の問いに、彼女は左右に首を降る。

「......出航用意できました!」

 船員の声が響いたのは、浮かび上がってきた全員が、こちらの船と海賊船とに這い上がった直後。

「よし! 取舵いっぱい! 間近の島を目ざして......」

 船べりの船員たちがどよめいたのは、その時だった。
 目をやれば......。
 海中の一部が、影に染まっていた。
 いるのだ。そこに。
 長細く巨大な何かが。
 それは迷わずまっすぐに、こちらを目ざしてやって来ていた。

########################

「なんだありゃあ!?」

 船長の声を聞きながら、私は呪文を唱えていた。
 水面が波立つ。影が濃さを増す。
 ......いや影ではなく、黒く巨大な......何かが。
 だがこちらとしては、招かれざる客には、早々退散してもらうのみ!
 私は杖を振り下ろし、完成した魔法を解き放つ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 グガゥンッ!

 一撃に、海がはじけた。
 爆光が影をかき消し、波を起こして船を揺さぶる。
 船員たちは悲鳴や悪態つきながら、それでもなんとか、あらぶる風と波に船を乗せ......。
 やがて海面が静まった頃、二隻の船は、もといた場所からかなり陸地側へと流されていた。

「......やったのか......?」

 船長がつぶやいた。不安と期待とを半分ずつ詰め込んで。
 船員たちは、ただジッと海を見つめていた。さきほど黒い影が走った辺りを。
 今やそこには何もない。
 だが。

「たぶん......答えはノーよ」

 言ったのは他でもない。一撃を放った私自身だった。

「あれだけの爆発で、か!?」

「直撃させることは出来なかった。水がクッションになってるわ」

 私は海を見据えたままで、言葉を紡ぐ。

「ひょっとしたら衝撃で、気絶くらいはしたかもしれないけど......。仕留めてはいないわね」

「しかし......」

「聞くけど。もしあれだけの大きさの生き物が、バラバラに吹き飛んだとしたら、海が濁るはずじゃない?」

「......たしかに」

 船長は海を見つめて、苦い口ぶりで頷くと、

「なら......奴が生きているとして......また戻って来ると思うか......?」

 そう問われても、正体不明な生き物の習性など、わかるはずもない。
 しかし。

「たぶん」

 私が直感的な言葉を口にした、ちょうどその時。

「キャプテン!」

 誰かが叫ぶが、その必要はなかった。誰の目にも明らかだったのだ。
 再び見え始めた黒い影。
 みるみるうちに、それは大きさを増し......。

「上がってくる!?」

 ザバァァァァッ!

 大きな音と波を立て、ついに海面に全貌を現した!

########################

「......これは......」

 私は、呪文を唱えることすら忘れて、怪物の正体に見入ってしまっていた。

「船......やろか?」

 ヤッタニアの言葉に、船長がハッとする。

「沈没船が自力で浮上してきたのか!? まさか......これが伝説のユートピア号!?」

 おおっ!

 どよめき始める船員たち。
 しかし。

「やーねぇ。沈没船よばわりは止してよ、縁起でもない」

 怪物船の船室らしき部分の扉が開いて、聞き覚えのある声と共に出てきた人物は......。

「キュルケ!?」

「あら、ルイズじゃないの。何やってるのよ、こんなところで」

 私と同じく、旅の学生メイジ。そして時々は私の連れ。キュルケであった。
 彼女は、赤い長髪をバサッとかきあげながら、

「......もしかして、さっきの魔法攻撃もルイズなの? 再会の挨拶にしては、ちょっとひどいんじゃないかしら?」

「ちょ、ちょっと待って! キュルケこそ、何やってんのよ! その......船......」

「ああ、これ? この近くで偶然、昔うちに勤めてたメイドに出会ってね。面白いものがあるって言うから、私も乗せてもらったの。......海に潜れる船なんですって」

「海に潜れる船......だと!? そんなバカな!?」

 叫ぶ船長に向かって、キュルケは軽く流し目を送りつつ、

「ほら、『ゲルマニアの技術力は世界一ィィィッ!』って言うでしょ。......それより、その眼帯と顔の傷痕が素敵ね。あなた、情熱は御存知?」

「冗談はやめてくれ! それより、その船についてもっと......」

「そうです、やめてください。私の夫を口説くのは」

 船長の言葉にかぶせるように。
 何やら言いながら、キュルケの背後から、一人の中年女性が姿を現す。
 服装も背格好も、どこにでもいそうな普通のメイドに見えるのだが、今の発言からして......。

「出たぁっ!? 魔女オンナだ!」

「キャプテン! まさか、あれがキャプテンの奥さんでっか!?」

「全員急げ! モタモタするな! 船を出すぞ!」

 大騒ぎする船長。とりあえず従って、出航準備をする船員たち。

「......えーっと......どういうこと......?」

「つまり、魔の海域に棲む怪物って......キャプテンの奥さんやったんや! しかも彼女は、あんさんの友人の知り合いで......」

 船長は、甲板にしゃがみこんで頭を抱えて、ブルブル体を震わせている。

「......キャプテン......奥さんのこと、よっぽど恐かったんやなあ」

 こちらでヤッタニア副長が説明している間に、向こうの船でも、事情説明が行われていた。

「まあ! あの眼帯の人、あなたの旦那さんなの?」

 無言で頷く船長奥さん。

「じゃあ、この潜れる船も、旦那さんへのおみやげとして用意したの?」

 再び無言で頷いてから、彼女はこちらへ目を向けて、ポツリと言った。

「......私は、帰る」

########################

 こうして。
 宝探しは、うやむやのうちに中止となった。
 伝説の海賊船の代わりに潜れる船を手に入れて、おたから獲得の代わりに奥さんと強制復縁することになった船長。
 彼や船員たちのその後を見届ける気もなく、私はキュルケと共に、早々に港街をあとにした。

「旦那のために、あんな船まで用意しちゃうんだから、よくできた女性よねぇ。彼女が戻ってきて、あの眼帯船長さんも、さぞかし幸せでしょうね」

「そうかなぁ......?」

 彼の態度を見る限り、とてもそうは思えなかったのだが。
 男女の仲に関しては、私よりもキュルケに一日の長があるのも確かである。
 ならば。
 ......めでたし、めでたし......かな?


(「ハルケギニアの海は俺の海」完)

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