ヒュウガが、触れていただけのジェサイアの髪を束ねるようにして、ぎゅっと握りしめた。
「どうした? おま……」
言葉は最期まで繋げなかった。ヒュウガのもう片方の手が、ジェサイアの首の後ろにまわされ、いきなり顔が近づいてきたと思うと、唇になま温かく柔らかいものが触れた。
それがヒュウガの唇だとジェサイアが認識するのに数秒ほどかかった。
一瞬離れた唇が再び角度をずらしながら重なってくる。ジェサイアは突然の口づけに茫然としながら、それでも応える形で相手の腰を抱くと引き寄せた。
ほとんど条件反射だ。こういった状況に対する順応性は我ながら高いなどと頭の片隅でのんきに感心していた。
しばらく触れていて、納得したのか、ジェサイアの膝の上に座る形に収まっていたヒュウガがゆっくりと唇を離した。
「ヒュ……」
と、呼びかける間もなく、今度は首に腕をまわされ、抱きつかれたままの体勢で体重を掛けられた。気がつくと、身体がベッドの上で小さくバウンドし、立ち上がった風がふわりと頬を掠めた。どうやら、押し倒されたらしい。
押し倒された?
ちょっとまて。シグルドならともかく、いくらなんでもエレメンツで一番ウエイトの少ない相手に押し倒されるはずはない。たぶん、体重を掛けてきたヒュウガに合わせてサービス精神からつい倒れてやったのだというべきだろう。
ジェサイアは驚くを通り越して、どこか他人事のように感心していた。その間にヒュウガは自分のペースで淡々と押し切っているように思えた。
それにしても、今のこの状況についてどう考えたらいいのだろうか。ヒュウガのこの突飛な行動の理由は皆目見当がつかない。
今までもヒュウガに限らず、後輩たちとはよくじゃれ合った。まだ子供なんだから、スキンシップは必要だろうと言うジェサイアに、みんな迷惑そうな顔をしているからやめなさいとラケルは呆れながらも笑っていた。
確かに、ただのじゃれあいでしかないスキンシップに性的なものを意識させられたこともあったかもしれない。しかし、エレメンツというチームの和を乱さないという最低限のルールが暗黙のうちにあった。ジェサイアは誰か一人と親密になることは意識的に避けてきた。
何よりも子供に手を出す趣味はなかった。
いつもならば、相手に対しセクシュアルなものを感じる時、もしくは相手が自分に対し向けられる眼差しにいつもと違う色が混ざる時、それとなく感じ取れていた。気づけば、はぐらかす。
それが、今回、何の前触れもなくいきなり訪れた。あまりにも突然だった。
ジェサイアは、自分の胸の上に覆い被さっているヒュウガの身体にそっと腕をまわした。薄く筋肉のついたしなやかな肢体。うなじをから背中を掌でゆっくりと撫でる。その伝わってくる骨格は彼の基準でいえば、まだまだ子供のものだった。
密着した胸に感じる相手の体温も、首筋をするりと掠めていく唇も、耳元に感じる湿った呼気の温かさも、髪に絡めてくる指遣いも、ふわっと鼻腔に侵入してくる甘い香りも、何もかもが奇妙に心地よくジェサイアは目を閉じそうになった。
が、悠長に気持ちよくなっている場合じゃないと頭の端っこで、かろうじて目を覚ましたままの理性が警告した。
ジェサイアは、ヒュウガの身体を腕に抱いたまま上半身を起こした。
肩を掴み密着していた相手の身体を少し引き離し、まじまじと顔を覗き込んだ。どこか潤んだような闇色の瞳がじっと見つめてくる。
「いったい、どうしたんだ? この状況をどう解釈していいのか、俺は非常に悩んででいるんだがな」
ヒュウガは、軽く首を傾げ顎に指を当て考え込むような仕種を見せた。どうやら、自分のとってしまった唐突な行動とその意味が当の本人すらよく飲み込めていなかったらしい。
やがて、ジェサイアが今も引きずっているだろう印象に気づいたのか「す、すみません。迷惑でしたよね」と言うと、自分が座っているベッドから慌てて立ち上がろうとした。
腰を抱く腕に力を入れて、相手を引き留めながら、ジェサイアは吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。
ベッドに並んで座ったまま身体を捻り、相手と向かい合う。
「別に迷惑ってことはないけどな、説明してみるか?」と意地悪く言ってみる。
ヒュウガは観念したように大きく息を吐いた。
「先輩の顔を見ていたら、いきなりその気になったみたいで…。頭の中は真っ白になって、それでも、自分のやっていることは一応自覚していたんですが…、自分のことばかりで、それが先輩にとってどういう意味があるのかまで配慮できなかった……。ごめんなさい」
いつもよりは歯切れが悪いとはいえ、一応自己分析はできている。どこか他人事のような口調もいつものまま。この状況下でそれは問題多いかもしれないが、それがいかにもヒュウガらしいとジェサイアは思う。
確かに性的欲求はいきなりだ。しかし、通常の社会生活を営める人間であれば、受け入れの場が形成されていないのに、性衝動が赴くまま突っ走ったりはしない。それではただの性犯罪者だ。
ジェサイアは内心吹き出した。
ヒュウガは突っ走っていたわけではない。ヒュウガの動きに性急さや強引さの欠片もなかった。ジェサイアが不快感をあらわせばすぐに我に返っていただろう。
「迷惑でしたよね」
「迷惑じゃないと言っているだろう」
再度、迷惑じゃないと言われたことに安堵したように、ヒュウガは邪気を感じさせない笑みを返した。
そのどこか幼さの残る笑顔を凝視して、ジェサイアは一ヶ月前に自らの意志で地上へと帰って行ったシグルドの顔を思い浮かべた。
浅黒い肌と銀色の髪のコントラストと、鮮烈な印象を与えるブルーの瞳。
人種サンプルとして地上から、拉致。記憶を奪われ洗脳を施され、約二年間、被験体としてドライブの大量投与と過酷な同調実験を繰り返された。保護した時、重度のドライブ中毒により廃人寸前だった。
エレメンツ候補生の中でも一番問題が多いというのが、ジェサイアとラケルの共通の認識だった。
だから、ジェサイアはラケルに本格的治療を依頼し、自宅に引き取った。実際、治療は困難を極めた。
しかし、ソラリスを去る時のシグルドのみごとなまでの成長ぶりをどう解釈すればいいのだろうか。
不屈の精神、と言葉にしてしまえば簡単だ。誰よりも多くの困難を抱えていたシグルドは、誰よりもはやく一人前に、大人になった。
感動した。守りたいものがある人間、本当に大切なものを知っている人間はこうも強くなれるのかと。
ジェサイアはヒュウガのまだ華奢な肩にそっと手を置いた。いったいこの差はどこから来るのか。
ヒュウガは、ジェサイアの身体の胸よりも低い位置で抱きしめるように両腕を絡みつかせ、胸に左耳をそっと押しつけける。そして、心音を聞くようなその体勢のまま瞼を閉じた。
ジェサイアは溜息をついて、ヒュウガの黒い髪の流れに沿ってゆっくりと指を滑らせた。
艶やかな黒い髪を指先で絡め弄びながら、彼は、自分と相手を同時にはぐらかす方法をしばし模索して、失敗した。
過去、目の前の存在が欲しいと思った時に否定したことはない。自分の欲求を伝え、相手の欲求を聞く。それだけで十分だった。
もうごまかしはきかない。相手がまだ子供だということも、理由にはならなくなっている。子供でも大人でもない。ヒュウガはヒュウガでしかないのだ。
ジェサイアは自分の中の欲求を認め、肩を抱く腕に力を込め言った。
「おまえとは、真剣に向き合う時期なのかもな」
ジェサイアはヒュウガの右頬に掌を当て、上を向かせる。ジェサイアの胸に頭を押しつけたままヒュウガはゆっくりと瞼を開いた。
部屋の照明が落とされる。
部屋が暗くなると同時に、室内に充満していた甘い香りを意識させられ、ジェサイアはベッド傍に置かれた鉢植えを見た。
昼間、清楚な印象のあった白い花は悩ましげに薄闇の中浮かび上がっていた。
白い花はここに置かれてから、ずっと芳香を拡散し続けている。その香りは夜が深くなるにつれ、どこかしっとりと妖艶な甘さを含んできているようだった。
ジェサイアの視線を追って、ヒュウガは言った。
「あ、この花の学名どころか俗名もなんだったかチェックしてくるの忘れちゃった」
「忘れたくらいのほうがいい」
そう言って、相手を一度強く抱きしめてから、ジェサイアはヒュウガの部屋着の胸元を開いた。そして、そのまま袖を引き抜いてしまう。
うなじに指で触れ生え際の髪の毛を掻き上げると、ヒュウガは反射的に瞼を閉じた。伏せられた黒い睫が微かに震えていた。
僅かに開いた唇にジェサイアは自分の唇を重ねた。
なまぬるい口づけの感触はどちらにとっても、物足りなくて、かといって、性急に貪り合うのはどこか違うような気がして、それでも口づけは徐々に深くなっていく。
息苦しさからか、不意に顔を背けたヒュウガがジェサイアの肩口に額を押しつけ、大きく息を吐いた。乱れた呼吸に肩を上下させ、指を相手の腕に食い込ませ強くしがみつく。その指を一本一本剥がして、ジェサイアは自ら着ていたものを落とす。暖かい肌をじかに重ねて二人一緒にベッドに倒れ込んだ。
ジェサイアはゆっくり身体を持ち上げながら、ヒュウガの肩の横に手をついて見下ろした。
静かに視線が交わり、二人は少しの時間、見つめ合う。
一瞬、ジェサイアは暗い色の瞳の中に、ヒュウガは明るい色の瞳の中に、それぞれ情欲とは別の“何か”を見つけてしまう。
見つけてしまって、それを表層意識に上らせることを二人は同時に拒絶した。
輪郭の見えぬ不安に押されるようにして抱き合った。欲しいと思うまま求め合い、与え合い、二人、貪るようにして快楽を共有した。
やがて、自分の感覚についていけなくなり、力の入らぬ腕でしがみつこうとするヒュウガの身体をジェサイアは包み込むように抱きしめる。
愛おしさ。
これは庇護欲とか保護欲という欲望でしかない。
それを自覚しながら、彼は無防備にぐったりとした身体を預けてくるこの少年が自分のものになったのだという奇妙な錯覚に捕らわれる。それと共に、頭をもたげかけた不安は目に見えぬ粒子となって、意識の海にゆっくりと分散していくのを感じた。
誘惑された、などとは言えない。気の迷い、などとも言えない。
こういった局面で、ほんの短い時間とはいえ一通り言い訳を考えてみたりする自分がおかしかった。最終的には、開き直るという結論に達するのも毎度のことであったが。
ベッドから上半身を起こし、ジェサイアはヒュウガの寝顔を見下ろした。
もし、今後、この関係が自分の身辺に悪い影響を及ぼすようだったら、自分の。ヒュウガの行く先に影を落とすようだったら、ヒュウガの。個人の勝手な責任だ。
外泊するとは、ラケルに言っていないから帰ったほうがいいだろう。
ジェサイアは床にそっと足をおろし、ベッドに振動を与えないように立ち上がる。
シャツの袖に腕を通しながら、ヒュウガの寝顔を見下ろした。小さな寝息をたてよく眠っている。
おそらくヒュウガはシグルドが去ってから、あまり寝ていない。
物音をたてないないように、動いたつもりだったが、けはいに勘づいたのか不意にヒュウガが薄目を開けた。
もともとヒュウガは寝ていようがけはいに敏感だ。敵意を持った人間が近づけばすぐに目を覚ます。寝首を掻こうなどというのは自殺行為に等しい。
「あ、帰るんですか?」手の甲で、瞼をごしごし擦りながらヒュウガが眠たげな掠れ声で言った。
ジェサイアはベッドに腰掛けて、上体を起こそうとするヒュウガを制した。
「ああ、お前はちゃんと寝ていろ」
「すみません……」そう言って、つけ加えた言葉にジェサイアは凍った。
「ラケル先輩に謝っておいてください」
数秒の間をおいて、恐る恐る訊いてみる「何をだ?」
ヒュウガは目を丸く見開いて、なぜそんなこともわからないのだと言いたげな表情をした。
「え? だって、引き留めてしまって、こんなに夜遅いし心配しているでしょう?」そして、またもや邪気なく笑ってつけ足した。何の含みもなく。「近々、ビリーくんに玩具でもつくって持って行きますから。ラケル先輩に見ていただきたいレポートもあるし……」
間違いなくマジボケしているとジェサイアは思う。何となくばかばかしくなって、笑いを押し殺してからジェサイアは言った。
「ああ、だがおまえのミニチュアギアはビリーにはあまり受けがよくないから、考えておいてくれ」
「そうですか。うーん、なぜ子供受けしないんだろう」
真剣に考え込んでいる様子はすっかり普段の彼のものだった。あれだけ、感じさせていた危うさもすっかり影を潜めている。
ほっとしたような、拍子抜けしたような、複雑な気分になる。こっちに気を遣わせないように惚けているだけかとも思ったが、そんな感じではない。
ジェサイアは身支度を整え、ふっと、笑い顔をつくった。
「じゃあな」
「では、お気をつけて」
ヒュウガは晴れやかとも取れるようなすっきりとした笑みを浮かべた。
踵を返し部屋を出て行くジェサイアを目で見送ってヒュウガはもう一度瞼を閉じた。
出がけにキスの一つもしていってやろうかとも思ったが、どうやらそんな雰囲気ではなかった。それはそれで物足りないような気がするが、まあ、そのほうが変に気を遣わないですむから助かる。
何故ヒュウガがいきなりそのような気になったのか。
シグルドが去った寂しさを刹那的に紛らわしたかっただけ、というのが一番すっきりする解釈ではある。だが、そこまでわかりやすい奴ではないということをジェサイアは知っていた。
いずれにしろ、ジェサイアはすでに起こってしまったことを一々気にするほうではない。これからのことは、ヒュウガ次第だと思っている。ヒュウガにとって忘れてしまいたいことであるのなら、無かったこととして処理してしまえばいい。もし、この関係が続くことをヒュウガが望むのであるのならば、いつでも受け入れるだろう。情に振り回されたりはしないという自信はあった。それは、きっとヒュウガも同じだ。自分の見込み違いならば、こういった関係はさっさと切るまでだ。
宿舎の外へと一歩足を踏み出した。
防犯の為にと完全な闇に覆われることのない薄闇の街。ひんやりと心地よい夜気を頬に感じる。
宙を仰ぎ、深呼吸を一つする。
閉鎖空間であるソラリスの中であっても、疑似季節でリズムをつけ、一日のうちでも朝夕の寒暖差を人工的にコントロールしている。
自宅まで少々距離はあるが、歩いて帰ることにする。深夜ということもあって道すがら人に会うことはほとんどない。歩道は防犯灯の淡い光りに照らされ、ところどころに設置されている監視塔が不気味な影を落としていた。
この時、既にジェサイアの頭の中を占める懸案事項はヒュウガのことではなかった。
植物園を出て、ゲブラー本部の資料室にて過去十年間に遡ってある資料を漁っていた。
地上から拉致されてきた人々の正確な数と三級市民の人口の格差があまりにも大き過ぎる。もちろん、シグルドのように人体実験のモルモットとして消費される地上人がかなりの数いることは知っている。だが、それを差し引いたとしても、誤差範囲をはるかに超えている。
地上人の別の利用法があることは薄々気がついている。が、それ以上踏み込もうにも、今のジェサイアが持つアクセス権では不可能だった。今、無理な不正アクセスは危険だった。このソラリスでのし上がっていくしか手がないのかと思えば、暗澹たる気分になる。
いったい、ソラリスは誰が何の目的で動かしているのか。
シグルドはソラリスを発つ間際に毅然と言い放った。弟の国を取り戻した時、ソラリスが次の敵になると。
ソラリスという腐った国を変革しようとしているラムサスも、自分やヒュウガも、そしてソラリスと敵対しようとするシグルドですら敵の手駒の一つでしかないのかもしれない。そんな絶望的仮説が、浮かんだ。
ジェサイアは何度か頭を振って否定する。今悩むべき問題ではない。
当面の目標はゲブラー内で頂点を目指す。それと同時に、いや、その為にも近いうちに検証しなくてはならないことが山のようにある。
ヒュウガやラムサス、そしてシグルドのことも巻き込みたくはなかった。
気が付けば、いつの間にか一級市民居住区のゲート前に辿り着いていた。外灯で照らされた閑静な住宅街を縫って行く。ほとんどの家は明かりを落とし、寝静まっていた。
自宅が近づいてくるに従い、足は自然と速くなる。
やがて、遠くにぼうっと窓から漏れる金色の光が見えてくる。
ジェサイアは、ほっとした気分でその明かりの方角、家族の待つ我が家へと無意識のうちに走り出していた。
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