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Ume blossom(常闇の楽園4)

「ジェサイア先輩、どうしたのですか? 予定ではまだ地上のはずだったかと」

怪訝な顔をしながらもヒュウガは夜の訪問者を部屋の中に招き入れた。

確か、任務で地上に降りていて帰還は明日の早朝だったはずだ。予定が変更になったのか。

ゲブラーの制服を着用したままだということは、自宅には戻っていない。

「土産だ……」

ジェサイアが差し出したのは、一枝の白い花。仄かな芳香がふわりと立ち上った。知り得ない風景が目の前に広がり一瞬のうちにかき消えた。

時として、匂いはとうに忘れさった記憶を鮮明に思い出させることがある。

だが、これは自分の記憶ではない。

「この花は梅ですね。花屋ではあまり一般的ではないから……。地上で?」

「目に付いたから失敬してきた。いい匂いだろ?」

「ええ、私も実物は初めて見ました。でも、それならなおのこと、ご自宅に先に帰ったらいかがです?」

ジェサイアは何も答えずに、上着を脱ぎデスク前の椅子に放り投げた。ヒュウガはキッチンから水を入れた水差しを持ってくるとジェサイアに渡された白い花を生け、ベッド脇のサイドテーブルに置いた。

「取りあえず、生けておきますから、ちゃんと持って帰ってくださいね。花ならラケル先輩に……」

首をまわし振り向こうとした時、いきなり後ろから抱きすくめられる。首筋にかかる生暖かい息のアルコール臭さに、自宅に戻ることなく酒を飲んでいたのだと理解する。

「先輩?」

無言のまま首筋に這わされた唇が耳たぶに触れるとヒュウガはくすぐったさに首をすくめた。片手をヒュウガの頬にあて首を捻らせて自分の方に向けさせると唇を重ねる。

背後からという不安定な体勢に半分だけ重なった唇。ヒュウガは逃れるように身を捩りながら抗議の声を上げた。

「ちょ、ちょっと先輩……。何をしているんですか!? 部屋に入ってくるなり……」

「嫌か?」

「地上から戻ったばかりでしょう。一息ついたらいかがです? 今回の任務に関してする話とかないんですか?」

「話? 何、女みてーなこと言っているんだよ」

「じゃあ、シャワーくらい浴びて落ち着いてくださいよ」

「きたねぇ男に抱かれたくねぇっていうのか?」

「そういう話ではなくて……」

ヒュウガは内心、頭を抱えた。

不意に拘束する腕が緩む。が、すぐに今度は胸と胸を重合わせるような形で抱き込まれる。黒い髪をゴツイ指に絡ませ、そのまま頭を掴む形で固定するともう一度深く唇を重ねてきた。

貪るようになされる口付けは始めから酷く強引で、息苦しさの中逃れようともがくが、太い腕の中にすっぽり抱き留められれば身動きできない。自慢にはならないが、殺傷能力なら負けない自信もある。でも、こういったシチュエーションでは体格差がものを言う。

どうやら、抵抗は無駄だ。無駄な抵抗を続けるのは面倒くさいということもあり、取りあえずこの傍若無人な男を受け入れることにした。話はそれからだ。

それにしても、らしくない……。

いつものジェサイアとは違う強引さ。いや、もともと強引で、自分勝手な男ではあった。それでも、こういったやり方は彼らしくない。

だが、何がらしくないというのだろうか。それが何なのかをはっきり言葉にすることはできなかった。もっとも、そのらしさなどというものは、あくまでもヒュウガがジェサイアに求めるらしさにしか過ぎないのだが。

片腕を背中にまわしたままジェサイアは寝衣の重ね襟を固定している紐をほどく。「脱がしやすいな、これは」と低く呟き、襟元に指をかけ胸を開くと両肩からするりと床に落とした。

地上から戻ったばかりだというジェサイアから土埃の臭いがした。そして、それに混じって硝煙の臭い。それと、もう一つ……僅かに感じる。……これは、血の臭い。

荒い息づかいを耳元で聞き、首筋を辿る唇や舌の感触や、微妙な指の動きをどこか醒めた意識で感じていた。身体の感覚は確実にそれを受け入れようとするのに、奇妙な違和感はヒュウガを快楽の中に完全には溺れさせはしなかった。

それでもゆっくりと快感が目覚めていく中、薄目を開けるとぼやけた視界に白い花があった。ジェサイアが気まぐれに手折ってきた花。

この花はよく知っている。祖父が懐かしむ故郷に普通に見ることができる果樹だと言っていた。早春という季節に白い花を咲かせる。

ソラリスに四季はない。

実物を見たことはなかったが、祖父はよほどこの花が好きだったのだろう。地上の思い出の中に、よく語られた。なんとなく、自分でも調べてみた。だから、栽培方法やら利用法に至るまで、いつの間にか覚えてしまっていた。主香気成分はベンズアルデヒド……その匂いすら正確に知識の中にある。

いや、そんなふうに知ることしかできなかったのだ。

不意にジェサイアの動きが止まる。目を開けると険しい表情のジェサイアの顔が見えた。

目と目が合う。気まずそうにジェサイアは目を逸らした。

「わりぃな……」

ヒュウガはゆっくりと上半身を起こし、くすり……と小さく笑った。

「いいえ……。かえって好都合です」

「なんでぇ、その気になっていたんじゃなかったのか?」

「半分だけはね。でも、納得できないセックスはやりたくないですから。……って、『やるな』って言ったのは先輩ですよ」

「すまん……」

「どうしたんですか? らしくない」

「疲れているんだろう……」

「そういったことではなくて………」

と、言いかけたヒュウガの言葉をジェサイアは無視して立ち上がった。

「シャワー借りるぞ」

バスルームへと向かうジェサイアの背中に声をかける。

「タオルと寝衣の場所は解りますね。それから、脱いだものは、洗濯層に放り込んでおいてくださいね。かなり汚れていましたから」

バスルームへと彼の姿が消えるのを待って、ベッドから降りると床に落ちている寝衣を拾い袖に腕を通した。

やはり、変だ。

いつもの彼なら地上任務を終えソラリスへ帰還すると真っ直ぐ家族のもとへと向かう。だが、彼は、今回まだ家に帰ってはいない。かといって、ここへ真っ先に来たわけではない。

コンピュータを起動させる。低い振動音。ディスプレイの前に置いてあった眼鏡をかけ、椅子に座る。

この件に関しては自分の正規アクセス権だけで十分な情報を引き出すことは可能だろう。

ジェサイアの今回の赴任先とその目的。

しかし、引き出してみた情報は実につまらないものだった。ゲブラー士官にしてみては、取り立ててどうこう言うほどのこともない、ありきたりな任務でしかない。

もともとゲブラーの主任務など、内政干渉と一方的大量殺戮でしかない粛正を含めた軍事介入だ。いずれにしろ地上支配プログラムの一環でしかない。今のジェサイアの地位くらいの軍人であれば、ソラリスの地上管理をより円滑にする為のものと割り切っているはずだ。いちいち地上人などに感情移入していてはきりがない。

だが、この土地は……。眼鏡の奥でヒュウガの目が細くなる。

バスルームから聞こえるドアの開く音。ジェサイアが出たことを確認してディスプレイ画面を切り替えた。

「何を調べていた?」

背後からの声に、椅子を回し振り返る。

「ええ、ちょっとね」

寝衣を着たジェサイアの胸元を見てヒュウガは小さく吹き出した。

「先輩、上前と下前が逆ですよ」

「何がだ?」

ヒュウガは立ち上がりジェサイアの寝衣の紐をほどき左右の襟を入れ替える。そしてジェサイアの腰に腕をまわして紐をきっちりと結んだ。

「これでよしと。こういったタイプの衣類の襟は、左が上です。右を上にするのは死人だけなんですから」

「どうでもいいだろう。大体、そんなこと初めて聞いたぜ」

「まあ、確かに祖父はそう言って拘ってはいたけど、世間では気にしていないからな。祖父の一族だけの極めてローカルな因習なんでしょうね」

「おまえのご先祖様の故郷は皆そうなのか」

「色々、面倒なしきたりとかがあったみたいです。意味があるのかどうかは疑問ですけどね」

「俺は第三階級市民には地上の記憶などないと思っていたぜ」

「私は地上のことは何も知りませんけれど、祖父は、故郷の記憶を鮮明に持っていましたね…。ソラリス政府としては柔順で役に立てば、記憶はあってもなくてもどちらでもいいわけです。一人リアレンジするのもコストがかかるのですから、やらないで済むのならそれに越したことはないでしょう。私の家族は表面上、柔順でしたから」

ジェサイアはちらりとコンピュータを見ると言った。

「どうせ、調べていたんだろう? あそこは、おまえのじーさまの生まれ故郷か? 皆おまえより陽には焼けていたが、同じ傾向の肌色と、黒い髪に黒い瞳を持った連中がごろごろいたぜ。武術も盛んらしいな」

ヒュウガは悪びれない。

「あそこって、今回の赴任地のことですか? 資料から推察するに、たぶん、違うんじゃないかな。もっとも、祖父がどこから連れてこられたかのデータは抹消済みでしたし、祖父も語りたがりませんでしたので本当のところは解りませんが」

「そうか……」

「確かに、遺伝子分析上の系統樹からみれば地理的には極めて近い可能性はありますけどね。その辺を追求していけば、一族の生まれ故郷を割り出せるのでしょうけれど、どうも、興味を持てなくて」

ヒュウガは笑いながら肩をすくめた。

不意に伸ばされた指に顎を掴まれ上を向かされた。上背のある相手に、真顔で、まじまじと見つめられて、ヒュウガは少なからず狼狽えた。

顎を押さえたまま、もう片方の手で、ヒュウガの黒い髪を数回梳いて、ジェサイアは言った。

「やはり、似ているな。最初に見た時、一瞬、おまえかと思った。肩くらいで揃えられた黒い髪も、瞳の色も、剣の構えすら。……だが、少女だった」

自分によく似た少女? 剣の構え? 唐突な会話の展開に困惑する。

「いや、見た目で少女と言ってしまうのは失礼か。実際はおまえくらいの齢なんだろうな」

その地上人の女性がどうしたというのだろうか。

ヒュウガは黙って相手を見つめ返す。だが、目を凝らしたとしても、アイスブルーの虹彩に彼の心情を読みとることはできない。

ジェサイアは、ヒュウガの顎と髪から指を離し、ゆっくりと後方にさがるといつもソファがわりにしているベッドに腰をおろし、どこか疲弊しきった様子で嘆息した。

ヒュウガは相手の表情を伺いつつ、どう反応したらいいか思案した。こういった場合、根ほり葉ほり訊いた方がいいのか、そっとして置く方がいいのか。それとも思い切って茶々をいれてみるべきか、少々途方に暮れていた。

息苦しい沈黙が続く。もっとも、息苦しく感じているのはヒュウガだけであって、当のジェサイア本人は何も感じていない。彼は、自らの思いのみに耽っているように見えた。

場の重い空気に耐えられず、ヒュウガは当たり障りのなさそうな言葉と行動で切り抜けることにした。

「喉乾きませんか。何か飲むもの持ってきます?」

「ああ、悪いな、水をくれ」

ほっとして、キッチンに向かった。

クーラーからミネラルウォーターのボトルを取り出しグラスに注ぎながら、ちらりとジェサイアの方へ視線をやる。

らしくない。そう感じさせた理由がなんとなく解った。

ジェサイアという男が感じさせる剛胆さは、どちらかというと鈍感で繊細さに欠けるような印象を与える。が、その実、相手の心情を汲み取るのが上手かった。

彼は、場の雰囲気とタイミングと相手との距離を計算して、あえて身勝手で強引な行動に出ているのだ。

ヒュウガとて気付いたのは最近のことだった。たぶん、それは無意識にやっているというか、本能的なもので、ほとんど才能と言っていいかもしれない。

だから、うかうかしていると、心のかなり深い部分に入り込んでいるから、要注意ではある。が、不思議と不快感はなかった。もっとも、苦手意識を持つ人間も多い。カールのように。

でも、今のジェサイアは自分の内面以外、関心がないようだった。こんなジェサイアをヒュウガは知らない。

今回の赴任地で取り立てて問題視されるようなアクシデントは報告されていない。しかし、それでも、地上で何かがあったと考えるべきだろう。それも、かなりプライベートな領域で。やはり、その地上人の女性に関することだろうか。

戻って、ジェサイアにグラスを手渡しながらおずおずと訊いてみる。

「あの……。先ほどから、話が全然見えないのですが」

ジェサイアはグラスに満たされた水の半分程を一気に喉に流し込み、手の甲で口元を拭うと、ふぅーと息を吐いた。

「ただの寝言だ。寝言に脈絡などないんだから、話が見えるはずねぇだろうが。別に聞き流してくれて構わん。何なら、先に寝ていろ」

ヒュウガは小さく苦笑した。

「自分勝手なところは、一生そのままなんだろうな。寝言ほどの意味があるのでしたら、付き合いますよ」

ジェサイアは「そうか」と答え、残りの水を干して、おかわりとヒュウガにグラスを差し出した。

「それと、その女性と私はそんなに似ていないですよ。馴染みのあまりない人種の顔ってけっこう同じように見えたりするから。私も最初、先輩とカールはよく似ているなんて思ったし」

「ああ、解っているさ。よく見りゃ、おまえよりずっと美人だった」

そもそも比較することが、間違っていると、ヒュウガはぶつくさ言いながら、グラスに水を注ぎ足した。

「大方、さぼってその辺をほっつき歩いていた時にでも出会ったのでしょう。まったく、地上人とのむやみな接触は禁じられているはずなのに、規約違反ですよ」

ジェサイアは「堅いことを言うなって」と薄く笑い、グラスに口を付ける。

「妙なところだよ。気温が低くて吐く息がまだ白い。そのくせ日差しは強い。サングラスを持っていかなかったことを後悔した」そう言って、地上の光を思い出したのか、眩しそうに目を窄めた。

紫外線に強い黒い瞳を持った自分ならたいした問題ではないのにとヒュウガは思う。だが、直射日光にさらされることがほとんどない色素の薄いガゼルにとっては、地上の紫外線はきつすぎる。サングラスまたはカラーコンタクトは地上勤務時の必需品だった。

「寒い中、唯一咲いていたのがそれだった」

ジェサイアは、くいと顎を上げる。顎が示した方へと視線を移せば、生けられた一枝の白い花。

瞬間、冷たい微風を頬に感じたような気がした。

目の前に、また、知るはずのない風景が広がった。

花咲く梅林は、遠目には白い霞のようにけぶって見える。近づき樹下で見上げれば、白い花を散らした梢の隙間から見える空の青さが鮮烈だ。

強烈とも言える光。肺を満たす清涼な空気。早春を告げる小鳥の鳴き声。

「果実を採る為に栽培されているものだと言っていたな」

言っていた? 誰が、言っていたって?

少し考えて、すぐに理解する。ああ、自分によく似ているというその少女が言っていたのかと。

「道場で、剣術を教えていた。俺のことを武術に興味を持ったもの好きな外国人だと勘違いしていたな」

口調は淡々としている。しかし、誰かに聞かせようといった感じではない。目の前の相手が理解できているかどうかなど、まるで関心がないようだった。

意志疎通の目的などない一方通行の会話。相づちをうつタイミングすら見付けられず、ヒュウガは仕方なく目を閉じた。

瞼の裏に、群れて咲く白い花の下、語らう二人の姿がぼんやりとイメージされた。

――異国の方…ですね、言葉解りますか?

――ああ、一応な。

――梅の花を見ていたのね? 今がちょうど見頃ね。

――梅というのか。

少女は黙って頷く。肩で切りそろえられた黒い髪がさらりと揺れた。

――あなたも、大陸から武術を習いに来たのかしら?

――武術?

――え? 違うのですか。ここに来る異国の方って、ほとんどが、武術目的だからてっきり。昔はあなたのように青い目で淡い色の髪を持った方は好奇の目で見られたけれど、最近はちっとも珍しくなくなったわ。うちの道場にも一人いるし。

――悪いな、俺は、もの好きなだたの旅行者だよ。

――あ、そうなんだ。

少女は、傍らの木刀を掴むと、すっくと立ち上がる。

――そろそろ、帰らなくちゃ。生徒さんたちが来る時間なの。

――生徒?

――ええ、私、剣術の師範代だから。

少女は木刀を構え、いたずらっぽく笑った。

――あのね、私、強いのよ。

――また、会えるか?

――この時間はいつもここで稽古しているわ。

彼女はジェサイアの好奇心を刺激したのだろう。興味を持った相手ならば、この男は理由を付け、また会う機会を持とうとする。

地上に降りていた間、暇を見付けては、その少女と会っていたのだろうか。短い逢瀬の間、ジェサイアとその少女はどのような時を過ごしたのか。

交わされた言葉。交わされた視線。

お互いの胸にどのうような感情を抱いたのか。ヒュウガには解らない。

この男を惹き付けるだけの存在感を持った女性。

白い花の咲く樹々の下で彼女は笑う。風に黒い髪をなびかせ、木刀を構える。

ジェサイアは彼女を目で追う。視線を交わし、笑みを返し、指を伸ばし、彼女の黒い髪に触れる。

深呼吸を数回してから、意識をこちら側に戻し、ヒュウガはゆっくりと瞼を開けた。

刀を持つジェサイアが目に映った。何時の間に手にしていたのか。ヒュウガが祖父から譲り受けた刀。いつも、無造作にベッド脇に立てかけている。

不用心だからちゃんとしまっておけと、ジェサイアにもカールにも口うるさく言われていた。

確かに無用心だったなと、ヒュウガは思った。

と、ジェサイアは左手で鞘を握り、右手ですっと刀を引いた。柄と鞘の隙間から銀色の刃が覗き、きらりと光った。

ヒュウガは目を細くした。

「おまえの剣の構えと微妙に似ていて、微妙に違う。刀のつくりもどこか根本的に違うな」

ヒュウガは何度目かの苦笑を口元に浮かべた。

「ですから、そこは私の先祖の故郷ではないですよ。私にとっては、どちらでもいいことですが」

ジェサイアは鞘から刀を抜き取り曇り一つない銀色の刃を眺めている。反射した光が顔面をかすめる度に、眩しそうに目を窄めていた。

少しの沈黙の後、ヒュウガはずっと引っ掛かっていたことを訊いた。

「シャワーを浴びる前の先輩からは……血の臭いがしました」

「そうか」

「あれは、先輩が?」

「いや」

「……そうですか。てっきり」

「ビリーだよ。おまえの一つ下の俺の息子と同じ名の……一度会ったことがあるだろう」

ヒュウガは顔を上げ「覚えていますよ」と言った。

彼のことは、ジェサイアの息子と同じ名前だったから、なんとなく印象に残っていた。ヒュウガと同じ第三階級出身の一つ年下のゲブラー下級兵。能力は別にしても、とても、軍人に向いているとは思えなかった。感性がまともすぎる。その優しげな面立ちが脳裏に浮かんだ。

「あの二人が同じ土地に生まれていたのなら、いい友人となれたかもしれんな。あいつも、ドライブの力を借りてまで、あんな娘を撃ち殺さなくても済んだ」

ヒュウガは眉をひそめた。

さっきからのジェサイアの話は整理されておらず、時間的繋がりがや、人間関係が今ひとつ掴めない。しかし、事件の大まかな輪郭を浮かび上がらせるには十分だった。

おそらくは、ラムズとのトラブル。

戦争まっただ中でないとしても、駐屯地は軍事基地であることに変わりない。

このところ突然現れて、彼らにとって圧倒的な科学という力を武器に内政干渉を始めたゲブラーという組織。そんな連中に対し、当然反感を持つ地上人たちは多い。小さなテロ行為を繰り返すものもいる。

兵器類の消耗、駐屯施設の大きな破損、およびこちら側に人的被害がなければ、報告義務すらない。まして、数名のラムズが始末されようが問題視されることはない。それが、大きな厄介ごとへと繋がらない限り。

そんな些細ないざこざに巻き込まれ、その少女は命を落とした。そして、直接手をくだしたのはビリーということになる。

珍しくもない、よくある話だ。ジェサイアくらいの地位で、割り切ることができないようならば、問題多い。ヒュウガは感情なく思う。

「また、えらく感傷的なことを。これに懲りたのでしたら、もう地上人とのむやみな接触は避けることです」

「今でも、真剣を構えたあの姿が目に浮かぶ。振り払っても振り払っても、消えない」

ジェサイアは指で両瞼を押さえた。

全身に強いエーテルを纏い、真剣を構えジェサイアの前に立つ。武術の盛んな土地の住民たちには、ラムズとはいえエーテル感応力が強いものが多い。だから、被検体として、利用価値があるといえるのだが。

――どうして? どうして、あなたが?

二人は目を疑う。

彼女はその時初めて、ジェサイアの正体を知ったのだ。自分たちにとって、憎むべき存在であることを。

利用されたこと、裏切られたこと。

突き付けた抜き身の切っ先に込められたものは、怒りか、哀しみか、それとも絶望だったのだろうか。

銃声と共に、ゆっくりと崩れ落ちる少女の身体。抱き留める男の手が赤く染まる。

そこまで、イメージを組み立ててしまって、はっとする。

ヒュウガはジェサイアを見た。

「見抜いていたんですね。その娘が刀を振り下ろすことなどできないということを。でも、ビリーは……」

その先の言葉を遮り、ジェサイアは苛立ちを滲ませ言った。

「ああ、そうさすぐに解ったさ。だが、あいつは……あれは上官を守る為の咄嗟の判断だ。極めて正しい。誉めてやるしかねえだろう」

鋭利な刃をむき出しにした刀の柄を握るジェサイアの手に力が込めらる。

渋面をつくり、ヒュウガは立ち上がった。

「刀をむやみに鞘から抜かないでくださいね。仮にも殺傷道具なんですよ。扱い馴れない人間にいじくりまわされるのは心臓に悪い」

取り上げた刀を鞘に戻し元あった場所へと立てかけてから、ジェサイアの傍らに腰をおろした。

「ヒュウガ、おまえは前に言ったよな。剣技は、所詮人を殺める為の技に過ぎないと。でも、あれは人を殺したことなど一度もない。それどころか、真剣を生身の人間に向かって振り下ろしたこともない。だとしたら、あれは……あれは何の為の剣技だ?」

ヒュウガは両手の指を組むと深く屈み、膝で両肘を支えた。垂れた頭を組んだ両手に乗せて、小さく嘆息する。

「殺人の技もね、スポーツ、ゲーム、そして精神修養と、きれい事に置き換わってしまうんですよ。そして、表面上、平和が続けばその本来の目的を忘れてしまう。だから、剣技を極めたからといって、生身の人間に躊躇うことなく刃を振り下ろせるわけではない」

「無意味なことを……」

斜め下から見上げれば、額に指をあて左右に小さく首を振るジェサイアが見えた。ヒュウガは上体を起こし、ジェサイアの横顔に指を伸ばした。頬にかるく触れるとこちらを向いた。静かに視線が交錯する。

やるせなさを湛えたアイスブルーの瞳。

「しっかりしてくださいよ、そんな局面は今までいくらでもあったじゃないですか。連中から憎まれているのはご存じでしたでしょう。そもそも、割り切れていたからこそ手に入れることができた今の地位なんですから」

頬の上で、ヒュウガの指に自分の指を重ねて、ジェサイアは目を閉じた。

「ああ、そのつもりだった。だが、過去、明かな敵意と殺意を向けてくるものは、俺にとって名前を持たない連中でしかなかった。だが、あの娘は名のない娘ではなかった。……いや、なくなっていた。そんな相手から露骨な憎しみをぶつけられること、間近に死を見ることが、あんなに生々しくショッキングなことだったとはな」

そう言いながら、ヒュウガの首に左腕を絡め、左肩口に額を乗せた。

肩にずしりと重みがかかる。

「………我ながら情けねえ話だよなあ」

肩口に、ジェサイアのくぐもった小さな声が響いた。

ヒュウガは、ジェサイアの頭を抱き、プラチナブロンドの細い髪に指を絡めた。

「それは、先輩の感覚がまだ真っ当だからですよ。でも、事象としての記憶のみに留めて置けないとしたら、先が思いやられるな。これから先、こんなものじゃすまされない」

「ああ、肝に銘じておくさ」

ジェサイアは身体を少し離し、大きな両てのひらでヒュウガの頬から顎にかけて包み込むように挟むと、まっすぐ視線を落とした。

「白状しちまうとな、俺はあの娘を抱きたかった。こんなことになるくらいなら、抱いておけばよかったよな。いい女だったのに……もったいねぇ」

半分は呆れ、残りの半分は感心して、ヒュウガはジェサイアを見た。

強い思慕の念。焦がれ、求めずにはいられない。恋はいつだって不条理だ。

かつて、ジェサイアをある意味解き放ったのはラケルだった。彼はさらなる解放を欲していた。しかし、所詮、ソラリスというフィールドに縛られているのものたちに、それを望むことはできない。ヒュウガはもちろんのこと、最愛の妻も彼の望むインスピレーションを与えることはできないのだ。

そんなジェサイアがソラリスのものではない女に惹かれたとしても、不思議はない。軽率だ、うかつだと責めることは簡単だが、ヒュウガはそこまで追いつめられていたジェサイアを思う。

ジェサイアは、輪郭を確かめるように何度か指を滑らせた。そして、もう一度「もったいねぇ」と低く呟き、かるく唇を重ねた。唇を離し、ヒュウガの表情を伺うかのように覗き込む。そして、にやりと笑った。

その日、初めての一方通行ではない心のやりとりに、ヒュウガも柔らかな笑みを返した。

ジェサイアはヒュウガの身体を緩やかに押し倒す形で、ベッドの上に組み敷しき、真上から見下ろした。

「だから、これで終わりだ。終わりにする。あの娘のことは」

ジェサイアの顔がゆっくりと近づいてくる。間近に迫った相手の唇を指でそっと押し戻し、顔を背けた。

「私の中にその少女の亡霊を探し、抱こうというのですか?」

「ああ、半分はな。だが、付き合うと言ったのは、おまえだ」

半分ねぇ……。

あっさりと認めるジェサイアに、ヒュウガは淡く苦笑した。もう普段の彼に戻りつつある。

と、ジェサイアの肩越しに少女の姿がぼうっと浮かんで見えた。

その時、自分が無自覚にやらかしていたことに、ヒュウガはやっと気付く。

網膜に一度も焼き付けたことのない、心象風景のみに現れる少女。自分が勝手にイメージしていた少女の面立ちは、亡くなった母親に酷似していた。いや、させていた。だから、これほどまで鮮やかにイメージすることができたのだ。

少女は口元に微かな笑みを浮かべた、その瞬間、消えた。

亡霊に取り付かれているのは、むしろ、自分の方なのかもしれない。

母は……母は、祖父と父と九人の息子たちの中、家族でただ一人の女性だった。

母もあの事件の犠牲者だった。

家族を一度に奪った疫病事件。検疫官の過失により地上から入り込んだ病原菌が発端となった不幸な事故というのが表向きの発表だった。しかし、最近、自力で探り当ててしまった真相は、未だジェサイアにも話していない。この男にしてみれば、喉から手が出るほど欲しい情報であることは理解している。それでも、自分の口から話す気にはなれない。

新たな真実が明らかになる度に、想像を絶するような現実を突きつけられる。闇は深まり、自分の存在の小ささを思い知らされるばかりだ。

ジェサイアはあと、どれほどの時間耐えられるのだろうか。もともと堪え性ない男なのだから、それは、あまり遠くない未来のことのような気がした。

虚無へと続く階段を下りきったとき、自分もジェサイアも、そしてカールも何を見るのだろう。

やめよう。

ヒュウガは、堂々巡りを始めた思考から、今向かい合うべき相手に意識を戻す。

空調がコントロールする夜気の中に、ふと、梅の匂いを嗅いだ。エロチックさの欠片もない清雅な芳香に、二つの吐息が混ざり、微かな甘さを含み始めていた。

重なる胸で響く心音や温もりも、ずしりとした身体の重みも、しっとりと汗ばんで吸い付く肌も、後で思い起こせば赤面してしまうような睦言も、乾いた心を確実に潤してくれる。それは刹那な安らぎでしかなかったが、それでも、お互いに求めずにはいられない。

だから、いつでも答えを出せる「理由(わけ)」は、まだ当分の間棚上げにしておこう。

ジェサイアの指が、ふわりと腿に触れる。膚の上を走る鋭い感覚に息を詰め、ヒュウガは手を伸ばした。そして、ジェサイアのうなじを掴むと、強く抱きしめていた。

 

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