いつもいつもとてもお世話になっている貴女に、心を込めて。

あたしのいいところ


最初は、そこまで大したことじゃなかったはず。
や、大したことじゃないなんて言ったらそれこそ怒られるけどさ、
でも、ここまでひどいことにする必要なんて、どこにもなかった。
だけどいつの間に、ここまできちゃったんだろう。

・・・・・。
あたしは陸兄と、睨み合ってる。
分かってる。あたしが悪い。だけど、だから、でもどうしても。
「だって、そんなつもりじゃなかったんだもん!」
「当たり前だろ、そんなつもりでされてたまるかよ」
あたしは陸兄が大事にしてた万年筆を借りて、壊して・・・・・それで。
分かってる。ごめんなさいって言えばよかったのに、言わなかったのだ。

言えばよかった―――ううん、言わなきゃ、いけなかったのに。
言いたかった、のに?

わかんない。あたしの中に、それを言いたい気持ちはゼロじゃない。
けど言えなかった―――言わなかった。言いそびれて、見つかって。いまでもまだ、言えてない。
いま言えばいい。そう分かってるのに。
いま陸兄は怒ってるけど、あたしが謝っても聞いてくれないなんてことはない。
うん、そんなことはない。ない、はず。
だって陸兄は、いま自分を押さえてて。
たぶん自分が怒っているから、あたしを引っぱたいたりしないでいるのだ。

聞いてくれるなら、言えばいい。
聞いてくれなくったって、言わなきゃいけない。
ううん、聞いてくれるんだけどね。
借りたのはあたし。壊したのもあたし。もちろんわざとじゃないけれど、陸兄が悲しんでるのも知っている。

謝る理由はいくらでもあって、謝らない理由なんてひとつもなくって。
それなのにあたしは、まだ謝ってないのだ。

「わざとじゃないもん・・・・」
「わかってるよ。でも、聞きたい言葉はそれじゃない」
言え、って言われてるのに。
それ以上に陸兄は、あたしを責める言葉なんて言ってないのに。

「だって、もう、やだ陸兄の馬鹿ぁ」
「いいかげんにしろって。逃げるなよ」
確かに、あたしは逃げているのだ。ほんとは逃げちゃいけないひとことから。

それだけ分かっているのに、あたしはあたしを止められない。
「うるさいよ!買って返せばいいんでしょ?!」
その言葉が陸兄を余計に傷つけるってことも分かっているのに。
「双葉、」
陸兄が、一瞬言葉を見失うのがわかった。

大切に使い込んだ道具をいくらでも替えが効くもののように言うことは、 それだけで相手と道具を貶めることだ。あたしの大事なティカップとか頭に浮かべてみなくても、そんなことはもちろん十分思い知っているのに。
買って返せばいいわけじゃない。・・・・・買おうが、何をしようが、返せない。
それに実際のところ、あたしのおこづかいであれが買えるかどうかはかなりあやしかった。

返す気なんてない。だって、返せないもの。
それなのに、あたしは何を言っているんだろう。
言わなきゃいけないのは、・・・・・言いたいのは、これじゃないのに。

黙ったままの陸五兄は、怒ってた。
それはものすごく当然で、こんなあたしの態度に怒らずにいられるわけなんかなくって。
大切なものを貸して、壊されて、挙句に謝りもしないで。
隠そうとされたり買って返せばいいなんて言われたり、
感情のままにあたしを怒鳴りつけたり引っぱたいたりしたって無理もないと思うんだけど。

陸兄はきゅっと奥歯を噛み締めた顔で、あたしをしっかりと見遣った。
怒ってるって分かるのに、その瞳はどこかが静かだった。

「双葉」
言葉も同じ。聞きたくはないんだけど。
あたしが悪いのに。でも聞きたくないの!

もちろん、あたしが聞きたくないからって陸兄の言葉が止まるなんてことはありえなかった。
それは怒って尖ってはいたけれど、でも荒れた口調じゃなくって全くの正論だった。

「お前さ、悪いって思ってるときほど言い訳するその癖直せよ」

・・・・・!
そんなふうに言われたことって、なかった。陸兄にも、三咲兄にも。
でもそれがほんとだって、知ってた。いまだけじゃない、いつも。いまも。

うるさいよ!
それがあまりにほんとうで居たたまれなかったあたしは。

ぱぁん!

うわ、えっと、嘘・・・。
あたしの掌が、じんわり熱い。
思わず陸兄を引っぱたいちゃったあたしは、ばたん、とドアの音を大きく立てて部屋から逃げ出した。
陸兄の驚いた顔がまぶたに残った。


***


部屋を出てきちゃったら、どこにも行くとこなんてない。
リビングの片隅で、あたしは小さくなった。
・・・謝らなきゃ・・・。
分かってる、けど。

さっきとまったく同じ問題が、さっきよりもずっと重たくあたしの肩にのしかかってくる。
陸兄は、ほんとうに怒ってるのか追いかけてこなかった。
あたしはただひたすら小さくなって固まっているよりほかに、何もできない。

いつの間にかとっぷりと日は暮れていたけれど、灯りを点けることなんて思いもよらずにあたしは縮こまっていた。
涙も出てこない。動けない。
追いかけてきてくれないから、謝れない。
馬鹿なこと考えてるってことは、よくよく分かってたんだけど。

いつまでもこうしてるわけにはいかない。
謝らなきゃいけない。
どうしようもなくあたしが悪い。

固まっていたって、何も解決しないって分かってる。
動くのは、あたしがしなきゃいけないことだってことも。
陸兄が来てくれたら。ううん、三咲兄でもいい。
叱られて、それでお膝の上ででも、無理やりでもごめんなさいって言えたら。
それでなんとかなるのに。
それは嫌だけど、でもそうだといいけど、けど、だけど。
だけど、それはあたしが望んでいいことじゃない。

叱られるようなことだってわかってるなら、(確かに、わかってるんだけど)
謝らなきゃいけないのは、あたしで。
陸兄が、三咲兄が手を貸してくれるのを、あたしが求める筋じゃない。
そういうのは格好悪いって、陸兄ならきっと言う。三咲兄だったら「甘えないの」って。
わかってる、あたしだって。

わかってることは幾つもあるのに。あたしはやっぱりそれを直視できないで固まっている。
追いかけてきてくれない陸兄はひどい、とかって思っちゃうのだ。
ほんと馬鹿なことばっかり考えてる。

どれだけ暗がりの中で膝を抱えていただろう。
不意に空気の揺れる気配が、した。

リビングの端っこに置いてあるソファー。
あたしは、その向こう、窓ガラスとの間のさして広くない空間にちんまりと座り込んでいる。
入ってきた誰かは部屋の灯りをやっぱり点けないままに、 しばしの躊躇いのあと黙ってソファーに腰を下ろした。

あたしは膝頭に顔を埋めて見ないようにしてるんだけど、それでも全身でその気配を追ってしまうから。ここまでくればもちろんそれは誰だかわかった。
あたしたちの距離はだってもう、1mもない。
陸兄は、まだ怒っていたけれど。
けど、あたしのことを気にして、・・・うん、気遣ってくれていた。

泣きたい。けど、涙も出てこない。
ごめんなさいって、たったひとこと。言えば聞こえるところまで、陸兄は来てくれた。
たったひとこと。ひとこと、なのに。

あたしのしたことは、ほんとはたったひとことで取り返しのつくようなことじゃなかった。
ひっぱたいて、逃げ出した。
謝らなかったし、ひどいこと言ったし、壊したし。
しかも陸兄はひとつも悪くないのにもかかわらず、だ。

ひとことじゃ、追いつかない。けど、そこからしかはじまらないのも知ってる。
わかってるのに。
そして陸兄が、来てくれたのに。

陸兄はソファーに掛けたまま、じっと黙ってた。
気配はこっちを向いている、視線がどうかはわからないけど。

叱られた方が、楽。
それは認めたくないけど本音で、でもあたしが言っていいことじゃなくって。
そのうえ問答無用で叱られたら、ううん少しでも何か言われたら、 自分がまたひどい言い訳をするかもしれないのも怖い。
その癖直せよ、って―――。陸兄は正しい。

陸兄はじっと黙ってた。黙って、くれてた。
陸兄が何を言おうと、変な言い訳するあたしの方が悪いんだけどね。
けど、たぶん陸兄は、あたしにそれをさせずに済むならと思ってる。
陸兄のせいじゃないのに。
陸兄が、正しいのにね。

・・・・・。ほら、ちゃんとして、甘えないで、がんばれ、あたし。
もうずいぶん、甘やかしてもらってるけどさ。
黙っててくれるのに。来てくれたのに。

おそるおそるこっそり窺ったソファーの上では、陸兄は少し目を伏せて部屋の向こうの暗闇を見ていた。 あたしを意識してるってわかるのに、視線はじっと、近くて遠いどこか。
そして身じろぎもせずにじっと黙ってた。
怒り出したい気持ちとか、言いたい事とか、きっといっぱいあるのに。
たぶん何か、いろんなものを抱えて。抱え込んで、黙ってくれてた。

黙っててくれるのに。来てくれたのに。

ね、だから、あたし。
言うこと知ってるんだから、声に。

「・・・・・ふぇ・・・・あ、・・あの、」

これ自体、ここまではっきり言えてない。
息が抜ける音なんだか、声なんだか、なんだか。(・・ごめ、)
ごめんなさいが音にすらなってないのは確実だった。それでも。

陸兄は、辛抱強く待っててくれた。

「・・・うっと、えっと、陸兄・・・」
さっきよりは少し、声。
けどね、言えなきゃ意味がないよね。

言い訳じゃなくって。
ただごめんなさいって。
陸兄はあたしを責めたりしなかったのに。
陸兄の言うのは、正しかったのに。

陸兄は怒ってたけど。(当たり前だよね)
でも、怒っての言葉じゃなかったのに。

「・・・陸兄、えっと、あの。・・・・・。

・・・・あの、・・・ありがとう」

え、あ、あれ?
ふぇ・・・。

言わなきゃと思ってたのと違う言葉が口から零れて、うろたえたのはあたし自身。
うろたえたところに、涙も零れた。

「うぇ・・やだ、何で、」
お兄のまた驚いた顔が涙の向こうに。
それから陸兄は、手を伸ばしてあたしのこの髪をくしゃくしゃにした。
ソファーのこっち側に近づいてきてくれたのがわかって、 その乱暴なあったかい手にあとからあとからあたしの涙はあふれた。
「ふぇ〜ん・・・・・ごめんなさい、陸兄」

泣きながらだったら、言えたの。
泣いて優しくしてもらってはじめて謝れるってのは、やっぱり、格好悪いんだけどさ。

・・・・・。ううん、そうじゃないよね。
陸兄は最初から優しかったんだ。
怒ってたけど。
けど、最初から、あたしのための言葉だった。

わざとじゃないってのも、分かってくれたし。
謝れって、言ってくれたし。逃げるなって、そして、それから。

「―――悪いって思ってるときほど言い訳するその癖直せよ」

認めたくないけど、でもあれ、ほんとで。
いまだけじゃない、いつも。いまも。
それはどうしようもなくあたしが何とかしなきゃいけないあたしだ。

陸兄は、あたしに傷つけられて当り散らされて大事なもの壊された陸兄は。
あたしを傷つけるために何かを言ったりしなかった。
どの言葉も、陸兄のためのものじゃない。―――あたしの。

ぽたぽたと泣きながら、ごめんなさい、とありがとう、を繰り返すあたしの髪を陸兄はずっと撫でてくれてた。確かにそれは、ありがとう、だ。
そしてひどいこと言って、ひっぱたいて、・・・万年筆壊してごめんなさい。
すぐ謝らなかったのも。

結局この日、陸兄はこれ以上何も言わなかった。
あたしが泣き止むまで付き合ってくれて、で、ひとの髪くっしゃくしゃにして。
お尻叩かれないのかな、って思ったとき、怖くて確かめたくなかったのもほんとだけど、
でも、うん、たぶん。
あたしが。あたしがひとりで何とかしなきゃいけないことがあるんだって。
陸兄はそう言いたかったんだってあたしは思った。


2007.11.10 up

感謝企画リクエスト、いつつめです。
ご依頼はお題が「ありがとう」、双葉ちゃんのお話で、と。
いつもいつも大変お世話になっております。ありがとうございます♪
けどリクエストなのにスパが入れられませんでした・・・。お許しくださいませ m(__)m。
ええ甘えてます、ごめんなさい。でも陸兄も(そして三咲兄も)、
うーんと考え込んで結局やっぱり首を横に振ったのでした。

悪癖は長所の裏返しです、誰であっても。故に長のお付き合い。(屈折したタイトルで^^;)
そう伝えたいひとにちゃんと伝えているかには自信がなくて、故にこんなところでも呟いてみる。
この話、陸兄−三咲兄編もあると思われます^_^;が、まずは次回は最後のリクエストを。

あ、万年筆なんてどうやって壊すんだ!っていう突っ込みがあるかもですが(笑)、
ねじのように締める部分を何故かぱっきりと根元から、折ってしまったことがあるのです。
あれは結構衝撃でした。お気に入りだったのに!(>_<)

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