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去る日(シェバト2)

現時点で自分が置かれている状況は、この後輩の態度でおおよその見当はつく。

その夜、ジェサイアの顔を見るなり、ヒュウガは痛言を吐いた。いや、むしろ悪態だ。

「無計画、考え無し、大ざっぱ、浅はか、ドジ、間抜け……」

「ちょっと、知りすぎちゃったかな」

ははは……とジェサイアは笑ってごまかそうとする。余裕を気取ってみたのだが、ヒュウガは渋い顔のままだ。

「知ったことが問題だったわけじゃない。知ったことがバレバレだったということが問題だったんですよ。私なら、痕跡を残したりはしない」

「侵入の痕跡は消したぜ」

「消したという痕跡が残っちゃったんですよ。で、あなたを含め何人かに疑いがかかっています」

「そこまで疑いがかかっているやつに、次期ゲブラー総司令の内定がおりるかよ」

「楽観的なのはいいのですが、程度問題ですよ」

「何とかならんか?」

「無理です。私を何だと思っているんですか」

きっぱりと即答したヒュウガは、ますます不機嫌な様子でジェサイアを睨んだ。

不穏なジェサイアの言動に上層部は神経をとがらせていた。近々、より明確な形で圧力をかけてくるだろう。ジェサイアとて、まったく考えなかったわけではない。すべて覚悟の上だ。とはいえ、想定していたより状況悪化のスピードがはるかに早い。

さすがにまずい。

ジェサイアは少し真摯な面持ちで、ヒュウガに向かい合う。

「後輩ごときに心配されるとはな。俺だって、今、自分の置かれている状況くらい理解している」

ヒュウガはジェサイアから視線を外し、思いを巡らすかのようにしばらく宙を見つめていた。やがて、ジェサイアに焦点を戻しぽつりと言った。

「何処へ行こうとしているのですか?」

ジェサイアは答えなかった。ヒュウガは諦めたように嘆息してから、次の質問をする。

「シグルドは地上から、私たちはここ《ソラリス》から世界を変えるはずだったのでは。……ソラリスの変革はどうするのですか?」

「ヒュウガ、お前は気付いているんだろ? カールが思い描いている理想国家で誰が救われるというんだ。今度は誰を犠牲にし、誰を救済するというのだ。しらじらしいことを言うな」

「カールと話は?」

「今のあいつはミァン以外の声は聞こえやしないさ。だいたい、もうそんな時間はない。じきに史上最年少のゲブラー総司令カーラン・ラムサスが誕生するだろう。その能力からいって誰もそれを疑わない。あいつは、理想国家実現のためにその地位を第一歩として頂点まで目指そうとするだろうな」

理想国家――カーラン・ラムサスの実現しようとした理想国家は、出自によってすべてが決められてしまう階級制度ではなく、すべての人に等しくチャンスを与えるというものだった。そのために組織されたのがエレメンツだった。

エレメンツ――ソラリスを理想国家へと変革していくためへの精鋭部隊。もともとラムサスと彼の意志に同調したジェサイアが、メンバーを選定していった。ヒュウガもシグルドもラムサスが見出したエレメンツ候補生だった。選定したとはいえ、ラムサスもジェサイアも強制したことはない。二人とも自らの意志で彼の志に同調したのだ。

それが、いつのころからだっただろうか。あれ程、熱く語り合った理想だったのに微かな違和感を覚えるようになってきたのは。

微妙なズレ、疑問、齟齬。最初は、耳を澄ましていなければ、聞き取れないほど微弱な不協和音。それは、やがて軋むような耳障りな音を立てはじめる。

そして、当たり前の真理を冷酷に突きつけられる。

我々は別の個なのだ。

決定打となった三年前のあの事件。

シグルドソラリスから離反した。いや、離反という言葉を当てはめるのは不適切だ。彼は奪われた記憶と想いを取り戻し、彼が本来いるべき場所、守るべき人のもとへと帰っていっただけなのだ。

ところが、それは、ラムサスには信じがたい事件だった。

なぜ、危険をおかしてまで、地上にある小国家の一大事にかけつけようとするのか。それが、なぜ自分の提唱する理想国家よりも優先順位が高くなるのか。彼には理解などできなかったし、したくもなかった。

なぜなら、ラムサスの中にある理想国家のビジョンは彼そのものだったのだ。それを否定することは自らの存在を根幹から否定することに他ならない。

「裏切り者ぉ!!!」

そこで、ラムサスの思考は完全に停止する。

三人とも、ラムサスの主張が全面的に間違っていると思っていたわけではなかった。彼の言うところの理想国家は被差別民として一生を終えるという生き方しか選べない人々に希望を与えるだろう。現にシグルドとヒュウガを救った。だとしても、形を変えたところで、新たな階級制度は新たな憎しみを生む。そのことを彼は理解できなかった。

時間をかけて徐々に視野を広げてやるしかない。

ところが、シグルドのソラリス脱出事件から、堅く心を閉ざしてしまったように見えた。心を開くのは全面的に肯定する者のみ。今やほんの少しの異論も受け付けなかった。

ジェサイアもヒュウガも距離を置きながら見守る、というふうにスタンスを変えざるを得なかった。彼が再び心を開くまで。

そのころからだった。常にラムサスの傍らに美しい女性が影のように寄り添うようになったのは。インディゴブルーの髪を揺らし、優しく微笑むミァンという名の女性。有能な女性士官。

誰の目から見てもラムサスの補佐としては申し分なかった。

やがて、ジェサイアとヒュウガが距離を取りはじめるのを待っていたかのように、彼のまわりに大勢の支持者たちが集まり始めた。現体制に不満を感じていた被差別階級出身の軍人を中心に、それは一大勢力となっていった。

ラムサスの帰属基盤はエレメンツから、ミァンを中心とした熱狂的な支持者たちへと移っていった。ラムサスは多くの支持者に囲まれ、再び自信を取り戻し精彩をを放ちはじめる。

エレメンツは自然消滅した。

今更、自分がカールにしてやれることなど、何もない。

「ということだ。お前が、カールの補佐をしてやれ」

「そんな、投げやりな言いかた。無責任な人だな」

ヒュウガは苦く微笑し目を伏せた。それ以降、その件について言及しようとはしなかった。

「おかえりなさい」

「ビリーは?」

「寝たに決まっているでしょう」

「そうか……。明日出発だ」

「なんですって?」

ラケルは目を丸くして、ジェサイアの顔をまじまじと見た。

「数日中に宣務庁の諜報課が動き出すだろう。そして、最終調査を終えた段階で、軍警に連絡を入れるはずだ。あと少し猶予はあるだろうが、悩んでいる暇はない。拘束されたら終わりだ」

「随分と切迫しているわね」

「ああ、俺の読みが甘かったことは否めないな。置かれている状況は想像していたよりはるかに悪いらしい」

「あなたらしいわね」

「ま、予定が早まっただけで計画は計画通りだ」

「そう…」と、ラケルはぐるりと部屋を見回した。

「この家ともお別れね。……急で、かえって良かったかもしれないわね。考えたり思い出に浸ったりする暇がない分」

そのしんみりとした様子にジェサイアも頷いた。結婚してから、二人で住み続けた家だ。それなりに愛着はある。

「心残りか? 地上にて被差別民の生活を知るべきだと言ったのはお前だぞ」

「ソラリスに心残りはないわ。地上へ降りることは間違ってはいない。でも、ビリーのことを考えると不安になるわ。私たち、地上というものをまるで知らない」

「おいおい、おまえがそれでどうする。しっかりしてくれよ」

「だめね。あなたにあれほど偉そうなこと言ったのに」

ラケルは口元に指を添え、くすくすと笑った。

セキュリティロボもガードロボも、前もって手懐けておいた。人気《ひとけ》のない通路に二人分の足音だけが静かに響いていた。

厳重にロックされた最後のシャッターを慎重に開けば、視界が開ける。

人の気配? 誰かいる。神経を研ぎ澄ませ、懐に指を忍ばす。が、指が拳銃に触れる前に、それがよく知った人物であることに気づく。ジェサイアは、ほっと胸をなで下ろした。

「ヒュウガ、おまえが何故ここに?」

こじ開けたコンソールからケーブルをゆっくりと抜き取ると、黒髪の青年はゆっくりと振り向いた。

「『ジェサイア・ブランシュは家族を伴い、定期連絡船にて密航する可能性が高い。便の特定には至っていないので、四九九便から五〇六便までのカーゴルームを厳重にチェックせよ。また、乗務員になりすましている可能性もある。再度乗務員チェックを行い、疑わしきものは直ぐに連行せよ』という状況でね。今、空港はどたばたしています。で、その隙をついて、一機かっぱらうつもりですか?」

「よくわかったな」

「このドックは、そのセキュリティシステムを過信してますからね、人員もさほど配備されていない。部外者から見れば難攻不落であったとしても、ある一点から見れば実に脆い。あなたが、突くとしたらここしかないと思っていました」

「で、俺を捕まえるのか?」

ヒュウガは「まさか」というように少し肩を竦めてみせた。

「捕まえるつもりなら、こんな間際まで放っておきませんよ。……計器に細工できるところはしておきました。私が引きつけておきますが、連中が気付くまで、十分足らずというところでしょうか。奪取する機体は分かっていますね。管制官の誘導もない。追撃をかわせるかどうかは、あなたの腕次第です。それに関して、私は一切、手を貸せません」

「お節介なヤツだな。それとも、俺に恩でも売っておくつもりか?」

「どうせ、買ってはくれないでしょう?」

「お前もやばくなったらとっとと手を引け。逃亡の手引きをしたなどということおが、バレたらこれからのお前の立場が危なくなる」

「ご心配には及びませんよ。先輩じゃあるまいし、そんなドジは践まない」

「言ってろ」

最後の最後までかわいげのない後輩のままだった。それでも、こいつの助力は正直ありがたい。これで、無事脱出できる確率が数パーセント程度は、上がっただろう。

ジェサイアの後ろから、彼の妻ラケルがヒュウガの前まで静かに歩み寄った。そして、黒い髪に触れ名残惜しそうに別れの言葉を口にした。

「ヒュウガ君……。お別れね。いつかまた会えるかしら」

「ええ、いつか……。ラケル先輩にはお世話になりっぱなしでした。お元気で」

横目でちらりとジェサイアを見て「ラケル先輩も、苦労しますね」と付け加えた。

「おい、俺が苦労かけているって言いたいのか?」

ヒュウガは、「なんとでも」と笑って、ジェサイアの腕の中で寝息をたてているビリーに視線を移した。ビリーには一服盛って眠らせてある。下手な脱走の記憶は危険だとラケルと相談した上でのことだった。地上に無事逃れたとしても、裏切り者に対する追跡は続く。いつ、何があるかはわからない。

「ビリーは、シグルドのことは覚えていても、私のことなど忘れてしまうでしょうね。シグルドがソラリスを去ってから、ほとんど顔を合わせることなかったし。……先輩、地上でもしシグルドに会うことがあったら、よろしく伝えてください」

「ああ、会えたらな」

「シグルドがね、ソラリスを去るときぽつりと言ったんですよ。『いつかまた四人そろって同じ場所に立ち同じ未来を見ることができる日がくる』とね。不思議と彼の勘ははずれたことがありませんから」

ジェサイアは黙って頷き、ヒュウガに背中を向け歩き始める。

本当は伝えるべき多くの言葉があった。交わしたい思いも山のようにある。それなのに、それを口のするきっかけが掴めないまま、この日まできてしまった。いや、口からこぼれ落ちた瞬間に消えてしまう儚い言葉を並べることなど、何の価値もないのだ。知り合ってからの五年という歳月。何もかもがぎりぎりで、危ういバランスをとりながらの交流だった。ほんの少し歯車が狂えば、あっというまに崩壊してしまうような。その中で伝えたこと、ヒュウガが感じ取ってくれたこと、それがすべてだ。

だから、今更、伝えるべき言葉など何もない。 ないはずだ。

「先輩…どうか、必ずご無事で」

背中からの声に、ジェサイアは振振り返る。佇むヒュウガと目が合った。哀しみや寂しさが入り交じったような闇色の瞳が、ジェサイアを見つめていた。不意に思い出す。一つだけ約束させるべき肝心なことをを忘れていたことを。

ジェサイアはラケルに抱いていたビリーを預け、ヒュウガが立つ場所まで駆け戻った。

「どうしたのですか?」

ジェサイアは真っ正面から、ヒュウガの両肩を強く掴む。ヒュウガは怪訝な表情をジェサイアに向けた。二つの視線が交差する。

「最後に一つだけ、約束してくれ」

「約束ですか? できることとできないことがありますけれど」

「できることだ。よく聞け、おまえは、ここ《ソラリス》にいろ。俺のようにしくじるな、逃げようなどと考えるな」

「はい?」

黒い瞳を見開いて、ヒュウガは呆気にとられた表情でジェサイアを凝視した。

「だから、何が何でもしがみついていろ。偉くなれ。最高権力にもっとも近いところまで昇りつめるんだ。そうでないと見えてこないものもある。おまえにならできるだろう。できないとは言わせない」

しばらく黙ったままヒュウガは、ジェサイアを見つめていた。やがて。両手で自分の体を抱いてうつむき、くっくっと肩を震わせ笑いはじめた。

「もう、何を言い出すかと思ったら……。まったく、最後の最後まで、強引で身勝手な人だな」

過酷な要求だということはわかっていた。

しくじった自分が、こんなこと言えた義理ではない。

自分が、ソラリスから離れざるを得ない状況になってしまったことは、本当に単純なミスなのだろうか。それとも、ここ《ソラリス》にいることが耐え難く逃避を正当化するために無意識がおこさせたミスだったのだろうか。

答えなど出ない。考えても堂々巡りを繰り返すばかりだった。

危険な賭ではあることは百も承知だ。最終的にもっとも厄介な敵に成り得る。それでも、こうなってしまった以上、この後輩に最後の希望を託すしかないのだ。

ジェサイアは、もう一度強く言う。

「わかったな」

ヒュウガは顔を上げ、静かに微笑むと素直に「はい」と答えた。

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