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記念日(シェバト1)

毎年、その日を覚えていた試しなど一度もない。

次期ゲブラー総司令にもっとも近い男と呼ばれ、現総司令の任期満了を待ってこの男がその椅子に座るのだと誰もが疑わなかった。

しかし、内々に受けていた打診を、男はのらりくらりとかわし続けていた。

ソラリスネット内は、その機密レベルに従い、アクセス可能な情報に制限が加えられている。現在のジェサイアの地位であれば、それなりに上位アクセス権を与えられていた。

ジェサイアの正規アクセス権で引き出した情報の中にあるキーワードが浮かび上がる。

M計画。

通常なら気にも留めない言葉“M〈マラーク〉計画”。カレルレン指揮下、極秘裏に続けられているプロジェクト。

表向きは、難病治療などに応用されるという研究。ギアなどのより優れたインターフェイスへと応用されるというその最新のテクノロジー。まさに天使と呼ぶに相応しいプロジェクトだ。

しかし、その実態は何も見えてこない。膨大な予算。次々に実験動物として大量消費されていくラムズ〈地上人〉たち。いや、もともと、ラムズ〈地上人〉は、シグルドのような実験動物としての需要が大きい。しかし、それも限度問題だ。それなのに、多くの地上人の犠牲を引き替えに、得られた研究成果など見あたらなかった。ソラリス市民がその恩恵を受けたという話は、聞かない。

そして、一ヶ月前にジェサイアの抱く疑惑を確固たらしめる事件があった。

ニコラ・バルタザール――マラーク計画の中心的研究員――がソラリスからの脱出をはかる。

彼自身の脱出は失敗に終わったが、その研究データを移したギアごと娘を脱出させることに成功した。もちろん、外から手引きしたものがいた。手引き可能だとすれば、シェバトがらみと考えるのが順当だろう。

正規アクセス件で得られる情報など、高が知れる。

ならば……。

ジェサイアは事件の核心に触れるべく、さらに深い情報を求めキーボードを叩こうとした。その瞬間、指をやんわりと摘まれ我に返る。振り返れば、背中からのぞき込むようにしてラケルが首を横に振っていた。

「駄目よ」

「ラケル?」

「これ以上は危険よ。焦りは禁物。急いては事をし損じる……って言うわ」

すでに時間の問題ではあるのだが、焦ってはすべてをぶち壊しかねない。それどころか、ラケルやビリーにまで危険が及ぶかもしれない。あと少し、時間を稼ぐ必要がある。

「すまん。少し頭を冷やしたほうがいいな」

ジェサイアが申し訳なさそうに謝れば、ラケルはにっこりと微笑んで頷いた。

「……それで、話変わるけれど、そろそろよね……」

「そろそろって?」

何のことを言っているのかわからなかった。ジェサイアはまじまじとラケルの顔を見た。ラケルは口を少し尖らせて不満そうに言った。

「また忘れている。記念日よ」

「ああ、そうだったな」

そこまで言われてやっと思いだした。といっても、まだ一ヶ月は先の話だ。

毎年、その日が近くなると、失念しているジェサイアにラケルがそれとなく言ってくる。そして、ジェサイアはレストランを予約する。その日だけは小さな息子を一晩知人に預け、恋人同士に戻ることにしていた。

「今年は早めたほうがよさそうね。忙しくなりそうだし」

「そうだな。いつにする?」

「明後日の都合は?」

「随分と急だな。……たぶん、大丈夫だと思うが、予約も無しでか?」

「場所なんてどこでもかまわないわ。どこかは空いているでしょうし」

約束の当日、ラケルから指定されたレストランへとジェサイアは向かった。

店で名前を告げればウェイティングルームへと案内される。ソファで、ゆったりと脚を組んで座っていたラケルは、ジェサイアの姿を認めると軽く手を振った。

「待たせたか?」

「いいえ、それほどでもないわ」

「この店、よく、空いていたな」

「運がよかっただけよ」

くすりとラケルは笑った。

「アヴェ産子羊のローストが今夜のおすすめです」と、説明するギャルソンに「では、二人ともそれを」とオーダーを告げ、メニューを閉じた。

ガゼルとはいえ、合成ではない天然の食材でつくられた料理を口にできる機会はめったにない。

テーブル中央で静かに揺らめくキャンドルの炎を見つめラケルはぽつりと言った。

「贅沢なものね」

「まあな。もっとも、上を見ても下を見てもキリはないだろう。地上、アヴェあたりの支配者層はこの程度の食事は毎日だからな」

グラスにワインが注がれ、前菜、スープ、そしてメインの皿が運ばれた。

ラムローストにナイフを入れる。綺麗なピンク色の切断面に目を奪われる。

「良い焼き加減だわ」

「羊か……。地上の牧草地で放牧されている羊を一度見たことがあったな。何百匹もの羊が群れになっているんだ。で、管理するのは犬なんだよ、牧羊犬という」

「犬ですって?」

ラケルは目を見開いた。

「俺たちの仕事にそっくりだな」

唐突に吐き捨てられた言葉にラケルは顔を上げた。

「え?」

「ゲブラーだよ」

「何と似ているの?」

「だから牧羊犬だ。仕事は地上支配。粛正と内政干渉。ラムズという家畜を管理することだ。でもな、俺達ガゼルだって所詮家畜さ。羊を管理す役目を与えられたに犬にしか過ぎない。このソラリスという檻で飼われ、この天空の国から地上を支配しているような気になっているだけさ。自覚も無いままにな」

ワインを一口飲み、ラケルはくすりと笑った。

「仕方ないわよ。誰だって与えられた材料でできる範囲の料理を作ることしか出来ないもの。限定された材料を与えられ、『お前の自由だから好きに料理をつくれ』と言われるとするじゃない? それで、つくりながら、メニューを決めたのは自分のなんだって思いこむの。でもね、与えられる材料を制限されれば当然メニューも限定されるでしょう。それが、ソラリス人であり、ガゼルよ」

「上層部の人間もコントロールされた情報しか知らないってことも事実だ。ヒトは自分が持つ情報でしか物事を判断できない」

ジェサイアは骨を残してすべてたいらげ、ナイフとフォークを揃えて置いた。

メインの皿が下げられ、デザートとコーヒーが運ばれた。

現状を分析しようとすれば憂鬱になる。何もかもが、がんじがらめだ。この国の真実はどこにあるのか、それを知ろうとジェサイアは、自分なりに動いてきた。それなのに、真実に近づいているようには感じられない。むしろ、真実はさらに深い闇の中にあることを見せつけられただけだった。

結果、自分の……いや、家族の立場を微妙なものにしてしまった。得られたものは、それだけだったのかもしれない。

ジェサイアは深く嘆息した。

「ジェス?」

呼ばれて顔を上げれる。ラケルのガゼルらしいやわらかな色調の瞳がまっすぐジェサイアに向けられていた。

「しっかりしてね。だから私たち……」

「ああ、わかっている」

「まだ迷っているみたいね」

「おまえやビリーを危険に巻き込むかもしれない」

「では、見て見ぬふりをする? このまま、このソラリスでガゼルである恩恵を一生甘受することできるわよ」

一切の迷いを感じさせない澄み切った瞳が強い光を湛え、ジェサイアをまっすぐ見据えていた。一瞬、気圧された。ラケルはお構いなしに続ける。

「でもね、私はそんなあなたを許さない」

静かだが凛とした響きだった。

らしいと思う。彼女は、決して逃げ場など与えないとだろう。ジェサイアは苦笑して首を横に振った。自分の甘さを見せつけられた瞬間だった。

「ああ、大丈夫だ。真実から目を逸らすことなど、俺自身が許さないさ」

「そう」

安心したように、ラケルの口許から笑みがこぼれた。

この期に及んで迷っていたとは、どうかしていた。スタート地点に立ったばかりなのだ。悩むのも後悔するのも柄じゃない。

ジェサイアは空になったコーヒーカップを置いた。

「さて、まだ帰るには早いし、飲みにでもいくか?」

「ええ、いいわね。この前とてもすてきなバーを見つけたのよ」

レストランの外へ出る。

ひやりとした夜気が、ワインで軽くほてった肌に心地よい。

ジェサイアの腕に自分の腕を絡めラケルはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「で、何年目だったかしら?」

「さて?」

「七年目よ」

ラケルはジェサイアの腕に唇を押しつけ、くすくすと笑う。布地を通して伝わってくる唇の感触が、くすぐったかった。

「よく保ったな」

「ええ、本当に」

エテメンアンキの歓楽街は、一日の仕事を終えた善良なソラリス市民たちで賑わっていた。あの人々の中に、ソラリスという国の本質を見極めようとする者が、果たしているのだろうか。

ジェサイアは宙を仰ぐ。

日中の明るい光も夜の闇もすべてつくられたもの。どこか人工的なものを感じさせる闇の色調。

ふと、このソラリスの夜に、地上から眺める星々や月の静かな美しさを重ねた。それをビリーにも見せてやることができる。それも、悪くはない。

「ソラリスで迎える最後の結婚記念日になりそうだな」

ラケルは黙って頷いた。

そして、二人は煌びやかな夜の歓楽街へと紛れていった。

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