ポリネシアと始まり
ゼウスは更に、ティーターンの女神と交わり、運命や美や季節、芸術の神々をもうける。法律・掟の女神テミスとのあいだに、ホーライの三女神とモイライの三女神を。オーケアノスとテーテュースの娘エウリュノメーとのあいだにカリテス(優雅=カリス)の三女神を。そして記憶の女神ムネーモシュネーとのあいだに九柱の芸術の女神ムーサイ(ムーサ)をもうけた。オリュンポスの十二の神々は、ゼウスを例外として、息子や娘が少ないかいない場合がほとんどである。ポセイドーンは比較的に息子に恵まれているが、アンピトリーテーとのあいだに生まれた、むしろ海の一族とも言えるトリートーン、ペンテシキューメー、ヘーリオスの妻ロデーを除くと、怪物や馬や乱暴な人間が多い[46]。"アレースは妻である美の女神アプロディーテーとのあいだに、デイモス(恐慌)とポボス(敗走)の兄弟がある。またヘーシオドスが、原初の神として最初に生まれたとしている愛神エロースはアプロディーテーとアレースの息子であるとされる[47]。この説はシモーニデースが最初に述べたとされる[48]。しかしエロースをめぐっては誰の息子であるのか諸説があり、エイレイテュイアの子であるとも、西風ゼピュロスとエーオースの子であるとも、ヘルメースの子、あるいはゼウスの子であるともされる[49] [50]。エロースと対になる愛神アンテロースもアレースとアプロディーテーの子だとされる。"
フィン・マックールはボイン川近くで出会ったフィネガスの弟子となる。7年経ち、もうすぐ成人しようというとき、フィネガスに命じられ、食べたものにあらゆる知識を与えるという知恵の鮭・フィンタンの調理を行う。鮭を調理してもってきたフィンをみたフィネガスは、彼の顔つきが変わったのを見咎めて、鮭を食べたのかと質問すると、フィンは食べてはいないが調理中に鮭の脂が跳ねて親指を火傷したので口に含んだと答える。その後、彼は困ったときに親指を口に含むとたちまち名案が浮かぶようになった。彼は後にゴールへ復讐を果たした、また一説によればゴールを許し、配下に迎えたという。ウェールズの吟遊詩人の口承に基づく物語群。アーサー王の物語として日本でも広く知られている物語を含む。文字による記録は、現存する最古のものでも13世紀頃のもので、そのままを古代からの伝承と受け取る事はできないが、「魔力を持つ切り落とされた首」などの点で、アルスター伝説との共通性、更には大陸のケルト人が残した彫刻から推測される「首への強い執着」との関連性等が認められる。主な資料となっているのはマビノギオンであり、これは中世ウェールズ語の写本が原典となっている。シャーロット・ゲストが19世紀に初めての完訳を行った際にタイトルにしたものが定着したのであるが、この根拠となった写本に1カ所だけ存在する「マビノギオン」という言葉は写本の誤写によるものと現在は考えられている[4]。
フィン・マックールはボイン川近くで出会ったフィネガスの弟子となる。7年経ち、もうすぐ成人しようというとき、フィネガスに命じられ、食べたものにあらゆる知識を与えるという知恵の鮭・フィンタンの調理を行う。鮭を調理してもってきたフィンをみたフィネガスは、彼の顔つきが変わったのを見咎めて、鮭を食べたのかと質問すると、フィンは食べてはいないが調理中に鮭の脂が跳ねて親指を火傷したので口に含んだと答える。その後、彼は困ったときに親指を口に含むとたちまち名案が浮かぶようになった。彼は後にゴールへ復讐を果たした、また一説によればゴールを許し、配下に迎えたという。ウェールズの吟遊詩人の口承に基づく物語群。アーサー王の物語として日本でも広く知られている物語を含む。文字による記録は、現存する最古のものでも13世紀頃のもので、そのままを古代からの伝承と受け取る事はできないが、「魔力を持つ切り落とされた首」などの点で、アルスター伝説との共通性、更には大陸のケルト人が残した彫刻から推測される「首への強い執着」との関連性等が認められる。主な資料となっているのはマビノギオンであり、これは中世ウェールズ語の写本が原典となっている。シャーロット・ゲストが19世紀に初めての完訳を行った際にタイトルにしたものが定着したのであるが、この根拠となった写本に1カ所だけ存在する「マビノギオン」という言葉は写本の誤写によるものと現在は考えられている[4]。
"19世紀アメリカの文学者であるトマス・ブルフィンチはギリシア・ローマ神話に関する一般向けの概説書を著したが(Bulfinch's Mythology、 『ギリシア神話と英雄伝説』)、「神話の起源」について次のような四つの説をまとめ紹介している。1)神話は『聖書』の物語の変形である。2)神話はすべて歴史的事実の反映であり、後世の加筆や粉飾で元の姿が不明となったものである。3)神話は道徳・哲学・宗教・歴史の真理などを寓意的に表現したものである。4)神話は多様な自然現象の擬人化である。この最後の解釈は、19世紀初頭のワーズワースの詩作品に極めて明瞭に表出されているとする[112]。"ブルフィンチは神話学者でも宗教学者でもなく、彼の時代にはそもそも「神話学」という学問そのものが未だ存在しなかった。神話の解釈や研究において大きな刺激となったのは、19世紀にあっては、印欧語の比較研究より生まれた比較言語学である。ドイツ生まれで、後半生をイギリスに生き研究を行ったマックス・ミューラーは比較神話学という形の神話解釈理論を提唱した。比較言語学の背景にある思想は当時西欧を席巻していた進化論と進歩主義的歴史観である。ミューラーは、ギリシア神話をインド神話などと比較した上で、これらの神話の意味は、最終的には太陽をめぐる自然現象の擬人化であるとする、ある意味素朴な神話論を主張した[113]。ジェームズ・フレイザーはミューラーと同じく自然神話学を唱えたが、彼は浩瀚な『金枝篇』において王の死と再生の神話を研究し、神話は天上の自然現象の解釈ではなく、地上の現象と社会制度のありようの反映であるとした。また神話は呪術的儀礼を説明するために生み出されたとも主張した。ミューラーの解釈では、ゼウスは太陽の象徴で神々の物語も、太陽を中心とする自然現象の擬人的解釈であるということになる。他方、フレイザーでは、「死して蘇る神」の意味解明が中心主題となる。エレウシースの秘儀がこのような神話であり、ディオニューソスもまた死して後、ザグレウスとして復活する。