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『アルテファクト』 |
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99年発表の第3長編『バビロン・ベイビーズ』が映画化され(『バビロンA.D.』、2008年)、便乗する形で英訳の発表も続いている。ダンテック愛好家たちが「ほら見たことか」と溜飲を下げている姿をあちこちで見かけるようになった。この作家の「メジャー復帰」は去年の『アルテファクト』出版から予想できた展開だったとはいえ、メディアをフル活用したダンテックの逆襲がこのレベルのインパクトを持つとまでは正直思っていなかった。 |
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現在、ネット上には「ダンテックは天才だ」風の安易な礼賛がひしめいている。この手の人たちは4年前の大規模なダンテック・バッシングの時は作家を奈落に突き落とす側にいたのではないのかな、ふと怖くなる。 |
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とはいえ結論は明確である。期待を裏切り、暴言失言を繰り返してきたこの作家をそれでも丁寧に追い続け、支援し続けてきた読者側の批評、広報活動は「ダンテック復権」には大して役に立たなかった。映画化と出版社の派手なプロモーションには敵わなかったのである。07年の秋、『アルテファクト』の発表直後(出版の数日後)にオンラインで素晴らしい要約と批評が公開されたのだけれど、記事のタイトルが「初心者向けのダンテック」だった辺りに愛読者の微かな苛立ちは見てとれる。 |
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『アルテファクト』は明らかに『ヴィラ・ヴォルテクス』や『グランド・ジョンクション』ほど重要ではない。それでも昔の仲間(凡庸な読者層。初期ミステリの愛好家で後になってガッカリきた連中。図書館の本の虫。にきび面の青少年…)の所まで戻ってきたくれた感じがする。作家の要点は譲らず、考え方のダイナミックさは譲歩せず、それでも多く読み手から手の届く位置にいる。そんな印象を与えてくれるのである。 |
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「初心者向けのダンテック」 |
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「ダンテックは天才作家」。そう公言している連中は初心者向けの『レッド・サイレン』や『悪の根』、『アルテファクト』で盛り上がっているだけである。サイバーパンク寄りの傾斜を見せ、流れを制御できず後半の筋立てが崩壊している550ページの『バビロン・ベイビーズ』、開き直って分裂した文学機械と化し、奇妙な美しさ、難解さに到達した800ページの『ヴィラ・ヴォルテクス』…化物じみた言葉の混沌を最後まで読み解いていけば「天才」という形容がいかに幼稚で古びているか良く分かる。彼の作品が要求しているのはもっと複雑なレベルでの解読作業である。 |
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1993年。『レッド・サイレン』でのデビューは鮮烈だった。組織に命を狙われた少女を助ける形になった傭兵のユーゴ。設定は同時期の映画『レオン』に似ていたが牛乳で心身を労わっているジャン・レノとは違いユーゴはLSDをあおり続けていた。道徳観、価値観の違いは歴然だった。ボスニア‐フランス‐ポルトガルの横断で西欧史の黄昏までスマートに描き出した力量は確かに並外れている。セリ・ノワールの裏表紙には短めの髪を立て、サングラスで武装したク−ルな面持ちのダンテック像が近影で使われていた。 |
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99年。セリ・ノワールを離れた作家は第3長編の『バビロン・ベイビーズ』で「サイバー・ダンテック化」(ヌーヴェル・オプス誌)していく。ユーゴが再登場、『レッド・サイレン』でジミヘンのTシャツを着ていたこの傭兵は世紀末、U2の『ズーロッパ』を聞いている。ウィリアム・ギブスン近作の完成度には遥か及ばないとはいえ、ジャンル越境的な作品をポップにまとめ上げてみせたのは流石だった。この時期のダンテックは髪を剃り上げ、サングラスをつけない裸眼姿で公に登場している。クラブカルチャーに接近。「テクノは終わった」と予言してみせる。 |
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01年のNY同時多発テロがダンテックの存在を深く揺るがした。『ヴィラ・ヴォルテクス』はベルリンの壁崩壊(89年)に始まり01年の「黙示録」で大きな転調を迎えていく。 |
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「CNNの”ライヴ映像”のロゴの下、飛行機がクラッシュする映像が流れていく。[...] |
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『ヴィラ・ヴォルテクス』、578ページ。 |
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極右団体「ブロック・イダンティテール」の活動を支持、「ヨーロッパのイスラム化」を「阻止する活動に」「共感を覚えます」の発言で物議を醸したのは04年の1月だった。以前にも「形而上的論争の日記」の副題を付したエッセイ『作戦の舞台』を出して「優れた作家だからといって何でもかんでも書いてよい訳ではない」(テクニカール誌)と釘を刺されてはいたが、今回の発言の波紋はその比ではなかった。ガリマール社のオフィスには抗議の電話が鳴り続け、叢書ラ・ノワールの監修者パトリック・レナルは弁解と釈明を重ねるはめになった。 |
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この前後のダンテックは「知識人」として頻繁にTV出演している。伸ばした髪を左右前後に垂らし、ぎこちない白いスーツ姿で「パリの暴動」について、「イラクとイスラム主義」について語ってみせた。明るい照明の下、いつでもサングラスをかけてはいたが背後で不安定に動いている視線を隠すことはできなかった。 |
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05年、大手アルバン・ミシェル社から作品の公刊を再開。文芸誌や文壇から無視される状況が続いていく。この時期ダンテックを形容する際に頻繁に使われていた言葉は「相手にしていられない。付き合いきれない(アンフレカンターブル)」だった。問題児として文壇から排除されてしまう。ダンテック自身も移住したカナダで頭を冷やしていく。状況の沈静化を待ち、次の奇跡を待つ。『アルテファクト』、映画版『バビロンA.D.』。話は冒頭へと戻っていく。 |
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最近イベントやTVに出演しているダンテックは随分と大人しくなっている。白いスーツを落ち着いた黒に変え、ネクタイも光沢の良さがはっきりと見てとれる。一時「成り上がり乞食」と揶揄されたブルジョアぶりが板についてきた証拠でもある。こんな行儀良い作家だったかな、ふと影武者かクローン説でも信じたくなってくる。 |
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「将来を約束された作家」〜「流行作家」〜「問題作家」〜「怪物作家」。ダンテック大公の四季は一つのサイクルを閉じていく。また調子に乗らなければ文壇やメディア、マーケットとの関係は悪化しないはず、そう信じたい。これほどの力、これほどの信念を持った作家なのだから。 |
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現象としての「ダンテック」。それはそれで追っているだけで確かに面白いのだけれど、実際には上澄みの部分、資本と欲望のインターフェイス上で消えていく泡の一つにすぎない。おそらく残るのは作品である。 |
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「世界を作り出したのはまさに文学なんだよ。自分が生みの親だって主張するのは当然さ。世界の破壊は自分が引き受ける、そう言い張るのもね」 |
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「実験工房としてのフィクション」 |
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そろそろダンテックを読み始めよう。キーワードは「遺伝子」と「タイプライター」、「神」と「メディア」だったりする。未来と過去と天と地が混ざりあい、祈りと叫び、生と死とミクロとマクロが交差する。言葉の内側で。四季の次の新しい季節に向けて。 |
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] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010 |
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