岸壁の天使 4
家の前で、エフェはしばらく立ち止まっていました。
握っている左手が、痛いほど。
それは、もちろんそうですよね。帰ったら、叱られるし。謝らないと、いけないし。
いま誰かがちょうど家から出てきたら、立ち尽くしている私たちを見てきっと中に連れて入ってくれたでしょう、そして物事は大急ぎで動き出すでしょう。叱られるし、たぶん、謝れたでしょう。
でも、そうじゃなくて。
自分で決めて進める時間を。
エフェはそう願っていましたし、私もそのように祈りました。
怖い、けど。
(・・・怖いよね。)
ぎゅうっと一層強く手を握って、エフェは玄関を潜りました。
「エフェ!」
お母さんが大きな声で叫ぶと、エフェはきゅんと肩をすくめて小さくなって、でも、私の手を離してお母さんの前に立ちました。
「まったくあんたって子は・・・どこ行ってたんだい、手伝いもほったらかして」
「・・・・・。」
お母さんははきはききっぱりとした感じの、きっととっても働き者の女の人です。
エフェは下を向いてしまいました。顔を上げようとしているのはわかるんですけど。
がんばれ、エフェ。
「何黙りこくってるんだい、何か言うことはないのかい?」
お母さんの重ねた言葉に、エフェはきっと顔を上げました。
怒ってるような苦しんでるような、悲しいような自分でもわからない感情。
「・・・・・。」
「昼ご飯も食べないで飛んで行っちまってさ、まったく」
(お腹も空いただろうに)
お母さんはそう言いたかったのだと、私には聞こえましたけれど。エフェには聞こえているでしょうか。
ねぇ、エフェ。私は、あなたが謝るつもりで帰ってきたことを知っています。
黙ったままでも逃げ出しても、楽にはなれないってあなたは知っているから。
怖いけど、怖いだけじゃないいろんな感情があなたの中にはあるけど、でも、自分が悪かったってことも知っているから。
ここまで一緒に来たけれど。
私はもう何もしてあげられなくて、心の中で祈るだけでしたけど。
「・・・ごめん。・・・・ごめんってば!」
エフェはどうにか、いえちゃんと、ひとりでその言葉にたどり着きました。
お母さんはちょっと息をつきました。
「まあ、よく帰っておいでだよ」
お母さんの一言に私はちょっとほっとしましたが、でももちろん、お母さんはそれだけでは許してくれませんでした。
「自分から帰ってきたのは偉いけど、ちゃんと反省できるよう、お仕置きだよ」
・・・・・。
エフェは、もちろんこれを予想していたのでしょう。下を向いてでしたけど、かすかに頷きました。
「おいで」というお母さんの声に、やっぱりぱちぱちと瞬きをして、きゅっと一瞬目をつぶって。そうしてお母さんの膝に体を預けました。
ぱちぃん!
痛そうな音が響いて、私は首をすくめました。いえ、もう立ち去ったほうがよいのかとも思ったのですが、実のところ痛々しくて怖くて動けなかったのです。
ぱちん!
「うぇ・・」
エフェは今度は涙をこぼしました。
ぱちん!
「痛いよぉ!」
ぱちん!
「当たり前だろ、お仕置きなんだから」
ぱちん!
「痛ぁい!」
ぱちん!
「水汲みも草むしりも、あんたの仕事だろう?」
ぱちん!
「うう・・」
ぱちん!
「あんたがやらなかったら、別の誰かがやらなきゃいけないんだ。わかるね?」
ぱちん!
「うん・・」
「自分の分の仕事もやらないで、注意されたら口答えなんて、もってのほかだよ」
ぱちん!
「う・・痛いよ・・・」
ぱちん!
ぱちん!ぱちん!
「ましてや逃げ出すなんてさ・・・心配するじゃないか」
ぱちん!
「ごめんってば・・・」
私に叩かれたときとは違って、エフェはぽたぽた泣いています。
痛々しいのですけれど少しほっとして、私はエフェを見つめていました。
だって泣きたいのに泣けないのって、苦しいですもの、ね。
叱られるならお母さんから叱られるのがエフェの望みだったのだと、きらきら零れる涙がそう語っていました。
ぱちん!ぱちん!ぱちん!
お母さんは手を止めました。
「エフェ」
「・・・・。」
エフェはただしゃくりあげています。お母さんは構わずに続けました。
「あたしらはあんたのことも頼りにしてるんだからさ」
「・・・・・。」
「水汲みはすんでるから草むしり、今日のうちにやっといておくれよ」
「・・・・ん・・・・。」
「昼飯済ませてからでいいからさ。お腹空いたろう?」
うわーん!
エフェは大泣きに泣き出して、抱きかかえてくれたお母さんの腕の中でごめんなさいを繰り返していました。
お母さんはなだめるようにエフェの背中をとんとんと叩きながら、すっかり優しい顔になっていました。胸に顔を埋めているエフェには、見えなかったでしょうけどね。
私はじんわり温かな気持ちで、エフェの涙が輝くのを見つめていたのでした。
2007.01.06 up
今年もよろしくお願いします。