薔薇姫の棘 14
「僕が来るまで、何をしてたの?」
何をしてたの?って「逃げて隠れてた」んだけど。
そんなこと、言いたいわけがありません。
「君はいま、鳥の声を聞いたね。木漏れ日も感じた。それから?」
は?
何をしてたの、ってそういう質問?
ちょっとほっとして、でもなんだか複雑な気分で、それからグラスランドの視線が
彼女の膨らんだポケットに楽しげに向けられているのに気付いて、急にエリザは腹が立ったのでした。
「見ればわかることなんか、聞かなくていいでしょ!
だいたい、何で笑ってるのよ!怒ってるくせに」
怒ってなきゃ、おかしいのに。そこが分からないのが、たぶんいらいらの原因。
「あれ、怒らせてしまった?ごめんね、エリザ。
でも、すぐに声を荒げるのはよくないよ。癖になっているなら直しなさい」
・・・・・。
逃げ出したことより、いま怒鳴ったことの方に怒るなんて、なんでよ?!
わかんないことだらけだけど、それでも。
「・・・意味わかんない」
ふてくされての言葉だったけれど、エリザはこんどは普通の声で言いました。
「うん、そんなふうにね。偉いよ。どんな言い方でも、ちゃんと聞いてるから」
教師が髪を撫でるのが、嬉しいとは思わないけど、でも嫌じゃなくって。
その気持ちはたぶん、グラスランドの次の答えとも繋がっていました。
「逃げ出したことなら、怒ってないよ。今日はね。
・・・まあ、怒ってないからって叱らなくて済むと思っているわけでもないけれど」
はぁぁ?
わけがわからなくてグラスランドを睨みつけたエリザの視線を、彼はじっと受け止めました。
「僕を怒らせたくて、僕に嫌われたくて逃げ出した?
それならもう、二度と試さなくていいよ。僕は君を嫌いにはならない。教えるのをやめたりもしない。
君にまだ、はっきり言葉で伝えてなかったから。
だから、それは僕は怒ってない」
今日はね、と最後に付け加えられた言葉はちょっと物騒だったけれど。
嫌いにならない、なんて面と向かって宣言されたのはエリザはもちろん初めてでした。
そんなの、嘘に決まってる、なんて心のどこかで思う。
だから、嬉しくなんてない。ほんとよ。ほんとだったら。
・・・・・ねぇ、もし、嘘じゃなかったら。
エリザは、その答えを考えるのはやめました。
だって、答えが出たときにどうしたらいいか、わからなかったから。
途惑っている彼女を見つめながら、グラスランドはもうひとこと囁きました。
「それにね、嬉しかったんだよ。君はこの朝を、幸せに過ごしたみたいだったから。
もし僕を怒らせることだけずっと考えていたなら、もっと嫌な気持ちでいただろうから」
「・・・別に、あんたのことなんか、ちっとも考えなかったんだから」
半分ほんとで、半分は嘘。
たぶんそんなことは教師はお見通しで、その半分のほんとについて話してる。
「そうだね。君はきっと、ずっと豊かなことをいろいろ感じた。
温かい木洩れ日、シジュウカラの鳴声、ざらりとしたクヌギの幹、涼やかな風。それはとても、いいことだよ?」
グラスランドは、言葉を切りました。
「ねぇ、エリザベス。
僕は君を、幸せにしたいんだ」
え?
話はすごく飛んだような、ちゃんと繋がっているような。
どう返していいかわからないで黙ったままのエリザ。
グラスランドは彼女を抱き上げて、すっぽりと胸の中にくるみました。
「僕は君を幸せにしたい。それはお父上の願いでもある。
そして、だから君には教育が必要だ。・・・いますぐわからなくてもいい、けれど。
ご飯を食べたり、眠ったり、遊んだりするのと同じように、
君は学ぶ必要があるんだよ。幸せになるために」
・・・・・。何か、言い返した方がいいって思うんだけど。
おとなしく、勉強なんてしたくないはずなんだけど。
「・・・嫌よ、そんなの」
言ってはみたものの、自分でもか細い声。
グラスランドはきゅうっとエリザを抱きしめて、そして彼女を一度、膝の上から下ろしました。
「うん、いますぐわからなくてもいいよ。
でもね、君には勉強する義務がある」
さてと、と教師は息をついて。
えーっと、えーっと、この展開って。
嫌な予感がしたエリザは、立ち上がって駆け出そうとしたのですが。
後ろを向く間もなく、グラスランドに手首をきゅっと掴まれてしまいました。
「あ、やだ、離してよ!」
「勘がいいね、お嬢さん。でも残念ながら、離してあげない。
怒ってないけど、叱るとは言ったからね。自分のすべきことは、しなきゃだめだよ?」
もう一回抱き上げられて。同じ抱かれるのに、なんでこんなに違うんだろう?
「や、やだったら!」
「そうだね、だからもうしないこと。朝ご飯の後は、僕の授業の時間だよ。
君の学ぶ機会を捨てるのも、僕の心を試すのも、どちらも二度としないでほしい」
ぱぁぁん!ぱぁぁん!ぱぁぁん!
服の上からだったから、いつもよりは痛くないはずなんだけど。
・・・ごめんなさいって言わされたりも、しなかった。
3つだけでまたきゅうっと抱き締められながら、
エリザは、すこぉしグラスランドに体を預けました。
「・・・・・痛い」
言ってみても、いいかな。
それには教師の優しい声が返って。
「そうだね。だから、覚えていて」
・・・よく、わかんない。
グラスランドを見返すと、真剣な眼差しが注がれていました。
「いま痛かったこと、覚えていて。
また叱るのは、僕も嫌だ」
「だったら、叩かなきゃいいじゃない」
ふてくされて文句を言いながら、でも同じことがあったら、絶対またお尻叩くんだ、ってわかる。
それに、たぶん。自分もきっと、また何かするだろう。
ねぇ、だって。
嫌いにならないなんて、たぶん嘘だもの。
「頼むよ。次なんて言いたくないけど、同じことしたらずっと厳しくするからね?」
・・・うん、まあね。
もうしないなんて言わない。
でも、すぐに試してみなくてもいいのかな。
脅かされてるし、痛いのはもちろんやだし。
それに、この人の腕の中は、木洩れ日みたいにあったかいから。
ツピィ、ツピィと声が響きました。
「あれ、さっきの鳥?」
「そうだね、シジュウカラだ」
グラスランドは目を凝らすエリザの背中をふんわり抱いて、一緒に木立を見つめます。
ピィィと高い声は二人を包んで。
お昼ごはんの時刻まで、温かい日差しを二人はゆっくり浴びたのでした。
2011.10.8 up
なんというか、・・・甘い?
まあ、しかしですね。今回はこれくらいしか無理〜。
実のところ、スパがあるかどうかもだいぶ悩んだのですが、
試行錯誤していたらこういうことになりました(笑)。
次は・・・どこへ行くんでしょう。