薔薇姫の棘 12
朝、グラスランドと勉強部屋に入ったエリザは机の上に見慣れない包みを見つけました。
何だろう?教師を見上げると、彼は「おや、よく気がついたね」なんてうそぶいて笑って。
ぱたんと部屋のドアを閉めてから、それを取り上げるとくるりとエリザの方に差し出しました。
「遅くなったけどね、君にプレゼントだよ。気に入ってくれるといいんだけど。
お近づきのしるしに、どうぞ、エリザベス」
茶色の包みにはふんわりとした幅広の白いリボンが掛けられていて。
だけどそれって突然で、エリザベスは手を出していいものかどうかためらいました。
そんな様子の彼女にグラスランドは微笑みかけて、そして包みはずっと差し出されたままだったので。
何拍かのあと、エリザはそっと手を出しました。
エリザが包みを受け取ると、グラスランドはさらに明るい顔で笑いかけました。
「ほんとは、最初の日に渡すつもりだったんだよ?
でもね、君のことを少しでも知ってから渡せるのも嬉しいよ」
最初の日?とエリザは首を傾げましたが、ややあって思い出します。
そういえばこれはグラスランドが机の引き出しを開けようとして彼女を怒らせた、
そのときに彼が持っていた包みでした。
「・・・・・」
受け取りはしたものの、掌の上のささやかな重みに固まっているエリザ。
軽く包みを揺すってみると、かたかたとやさしい音がしました。
なんだろう、って気持ちと、どうしよう、って気持ち、それから。
ありがとうって言いなさいって、言われる、かな?
いろんな気持ちにはさまったままそんな思いも彼女の頭を掠めましたが、
教師が優しく促したのはそうではありませんでした。
「開けてごらん、エリザ」
何かに何故か、ほっとして。
ううん、何だか何か、気遣われたことを感じて。
黙ったまま、けれどエリザは丁寧に包みを開け始めました。
ふんわりと、きれいだけれど緩やかな結びは小さな手の中ですぐにほどけて、
紙包みを開くと中にはこれまた焦茶色の丸い筒。
優美な浮彫が施されてはいるものの地味といってもいいその筒をすぽんと開けると、
転がり出てきたのは鮮やかな色とりどりの鉛筆でした。
「わ、」
目をぱちくりさせて声を上げたエリザ。
「何本あるかな?」という教師の声に、すべてを机の上にざらりと出して彼女はゆっくり数え始めました。
1、2、3・・・。
ひとつづつ、左から右へそっと移して。そのうちエリザは鉛筆を並べるのに熱中し始めました。
赤のとなりに黄色、橙色のとなりに茶色、それとも水色?
いつの間にか数えるのなんかすっかり忘れてあれこれと並べ替えている娘を、
グラスランドは黙って見守っていました。
ぜんぶ並べて、また少し並べ替えて、そうしてしばらく。
ついに納得いったのか、ぱっと振り返ったエリザの表情にグラスランドは微笑みました。
とはいえ教師と眼が合った瞬間に彼女は慌てて視線を外し、並べた色鉛筆も思わずはねのけてしまいかねないところでしたが。
「あ!」
だめ、いけない!エリザはこの綺麗な色鉛筆たちを振り捨ててしまいたかったわけではなかったのだから。だから、ともかく、彼女はその手を止めようとしたのですけれど。
ころころころ。
それでも止め切れなかった指がかすめた色鉛筆はころころと机の上を転がりました。
テーブルから落ちかけた赤と橙の色鉛筆を、あやういところでグラスランドが捕まえました。
「あ、ありがとう・・・」
ほっとして、そのせいかエリザは思わず言っていました。
やだ、聞こえてなければいいんだけど。
次に思ったのは、叱られる、ってこと。
だって、この鉛筆たちを落としそうになったのはわざと、なんだもの。
・・・・・。ごめんなさい、なんて言えないよね。
叱られるのはもちろん嫌だし、ありがとうを褒められるのだって嫌。
肩を竦めてきゅっと身を固くしたちいさな女の子を、グラスランドは愛おしく見つめました。
(いい子だ)胸の奥だけでつぶやいて、禁じられた言葉以外に伝える手段を探します。
ありがとうって言えるのも、落としかけたのを後悔するのも、すごいことなんだけど。
ゆっくり進んだらいいんだよ?ひとつづつ。
そうしていつか、自分がいい子だって気付いてくれたら嬉しい。
・・・・・と、先走りすぎ。グラスランドはにっこりとエリザに笑いかけました。
「どういたしまして。落ちなくてよかったね」
そうして、2本の鉛筆をエリザに手渡します。
「あ・・・」
エリザはほっとしたのと何も言われなくていいのかなって迷ったのとで言葉につまって。
あたし、いま何を言いかけたんだろう。
グラスランドの顔を見ると、よかったね、って気持ちだけが声じゃなくてまた聞こえました。
いいのかな。・・・うん、でも。
落っこちなくってよかった、っていうのはエリザにとってもこの上ない本音でした。
受け取った鉛筆を元の場所に並べて、それで。
「・・・ありがと」
エリザベスは小さくつぶやきました。
さっき、言いかけたのはやっぱりこれだったから。
だからしょうがないじゃない、言いかけたんだったら言えばいいのよ。
言わされるのも嫌だけど、この人の反応を気にして言わないのだって同じくらい嫌。
だから、ね。
エリザにとって有り難いことに、グラスランドはその呟きに返事はしませんでした。
ただとっても嬉しそうに笑ったことに、エリザはもちろん気がつきましたが。
それにもうひとつ、さっきの「どういたしまして」は彼女の「ありがとう」への答え
だったってことにも、エリザはいま気がついたのでした。
「きれいに並べたね」
こんど教師が褒めたのは、別のこと。
「折角だからその順番で、何か描いてみようか」
色とりどりの線を引いてみて。数をふって数えてみて。そうそう、色鉛筆は18本でした。
色の名前を聞いてみたり、それぞれ丸く塗ってみたり、
たくさんの色とりどりの水玉模様を3つ、4つづつ囲んでみたり。
色遊びをひとしきりした後に、ふたりは山吹のスケッチをはじめました。
エリザの部屋の、山吹の花。
三日前にコンフリーにもらった花束は、どれもまだ美しく咲き誇っていました。
リリィが毎日水を換えてくれているの、知ってる?
そんな話をしながら(もちろん、エリザは知っていましたとも)選びに選んで勉強部屋の
一輪挿しに移してもらった一本の枝を、エリザはじっと見つめてゆっくり手を動かすのでした。
あたし、何やってんだろ?
ふとエリザがそんなことを思ったのは、スケッチがほとんど完成するくらいになったころ。
だってそもそも、エリザはおとなしくグラスランドの授業を受ける気なんてぜんぜんなかったというのに、ね。
机に向かって、教科書を開いて、っていうのだったら逃げ出すことも本を投げ出すこともできた、のに。いままで、そうやってきたのに。
そりゃあ、そんなことしたらお尻を痛くされるってのも予想はつくけど・・・・・、
黙って言いなりになるのも癪だし。
逃げてしまえばお尻を叩かれることもないよね・・・と、これには不安もあるけれど。
ところが考えてみればこの五日間、庭で遊んでお話を聞いて、そして花瓶の世話やら絵を描いている間に時間が過ぎていって。机に向かったのだって、スケッチに取り掛かったいまがはじめて。
・・・・・。
このスケッチ、放り出しちゃおうか。
一瞬そう考えないでもありませんでしたが、せっかく描いたのに!って思う自分もいる。
そんな気持ちを知ってか知らずか、エリザに教師はのんびりと声を掛けました。
「完成かな?それとも、もうちょっと描き込みたい?」
ええっと、どうだろ。
いろいろ考えはしましたけど、エリザが一生懸命その絵を描いたのは確かでしたし、それに・・・うまく、描けたよね。だから、ちゃんと最後まで。
描きかけだった葉っぱの模様を少し書き足して、エリザは色鉛筆を置きました。
「うん、上手に描けたね。枝ぶりもいい形だし、花の色合いがとても可愛いよ」
グラスランドは絵とエリザを交互に見て、丁寧に感想を紡ぎます。
自分と、絵の中から掛け値なしにほんとの気持ちを。
実際、エリザの絵には一心に描いた美しさがありました。
エリザ自身が気づいたように。
グラスランドがそれを言葉にするのは、癪に触るけど、でも嬉しい。
「―――最後にね、サインを入れるんだ。君の作品だってしるしだよ。
名前を、左下のその余白に書いてごらん」
それでも、次の教師の言葉には、エリザはすぐには従いませんでした。
せっかくの絵を放り出しちゃうのはやめるとしても、言われたとおりにすることもないよね。
それに。
エリザがそっぽを向いていると、彼はまず自分の描いた絵にサインを入れて。
それをちらちらと見ながらまだつーんとしているお嬢さんのために、
サインの見本をスケッチブックの端に大きく書きました。
はい、と渡されたスケッチブックをエリザは持て余しました。
書いたら、格好いいかもしれない。というより、それ以上に。
書かなかったら、書けないと思われるのかな、どうだろう。
・・・・・。
こんどエリザを動かしたのは、書けないって思われたくないっていう意地でした。
グラスランドがエリザから少し目を離している様子なのを見計らって、サインを写します。
綴りをひと文字ひと文字確かめながら。自分の名前ではあるけれど、たどたどしい手つきで。
「おめでとう、完成だね」
エリザがそれを書き終えたとき、教師は手早く余白を切り取って黒い紙に貼り、
小さな額に飾りました。
エリザは微かに照れたようなほっとしたような表情を浮かべます。
グラスランドは自身も見せないところでほっとしていました。
・・・・・傷つけずにすんだ、かな。
エリザの思いは気遣いつつも、教師は彼の生徒が読み書き自体満足でないって事実を確かに知ったのです。
そして彼女がそれを気にしていることも。
ご領主からも、前任の教師からも聞いていない事実。
入れ代わりが激しいとはいえ、家庭教師について2年と聞いていたけれど・・・。
子どもを置いてけぼりにして、進む授業。
いえ、授業が成立したことがそもそもないのかも知れません。
たぶんその両方が絡み合って、学ばずには長い月日が流れたのです。
追いつけない?そんなことはありません。
読むこと、書くこと、数えることを教えるのが教師の仕事というものです。
けれど置いてけぼりの2年は、耐えるには長い。あまりにも。
その責任の一端がエリザにあるのを忘れるわけにはいきませんでしたが、
しかしやはりグラスランドはエリザのためにそう思いました。
「きょうの授業はこれでお終い。お疲れ様、エリザ」
遊んでおいで、というグラスランドの言葉に、エリザは黙ってお部屋を抜け出しました。
そっけない態度に教師は苦笑します。
そう、彼女に教えてあげたいことは、たくさん、たくさんある。
それは知識だけじゃなくて。エリザが幸せになるために教えてあげたいことの全体に比べたら、読み書きなんて所詮、物の数じゃなくて。
どうか自分が無事にそれをやり遂げられるよう、グラスランドは心から祈るのでした。
2010.5.5 up
な、なんとか予定のところまで・・・。
二つに切ろうかと結構迷ったのですが、スパがないのでやめました(^^ゞ。
前回から1年後、にはなりませんでしたがしかし、かなり近い。
さて次は、どうしたものか。
ここまでは結構既定路線で(?)、あとはゴールとの間がぽっかり空洞。
でも行き着きたいところがあるんだからがんばるぞ〜。
薔薇姫ちゃんはグラスランドさんも私も、素直に褒めてあげられないジレンマと
付き合う話だったりするようです(^_^;)。