薔薇姫の棘 10

「先生、こちらにはお慣れになりましたか?
エリザベスには手を焼いていらっしゃるでしょうが」

昼食後のお茶のひととき、めずらしく時間があるのかゆったりした風情のご領主が グラスランドに話しかけます。
教師は丁寧に答えました。

「ええ、ありがとうございます。
美しい庭のおかげもありまして、もうすっかり」

それに、と彼は言葉を切ります。
同じように穏やかな声でしたが、それは横で食器を片付けていたリリィの手を一瞬止めるような真面目な響きを含んでいました。
「エリザベスはいい子ですよ。僕の仕事はもちろんありますが」

けれど、その声に答えたのはご領主ではありませんでした。

「彼女は誇り高くて賢い、いい子です」
そう続けたグラスランドの声に重ねて、「いい子じゃないもん!」と上がったほとんど悲鳴のような声。
グラスランドとご領主が振り向くと、エリザは顔を真っ赤にして叫んでいました。

「いい子なんかじゃない!絶対いや!」
「エリザ?」
グラスランドと眼が合うと、エリザベスはティースプーンを投げつけました。
「エリザ?!」
「エリザベス!」
スプーンはあさっての方向に飛び、慌てて咎める声を上げたのはむしろご領主の方でしたけれど。

「エリザベス、どうしたの」
厳しい響きだったけど静けさを欠いてはいなかったグラスランドの問い掛けに、エリザは怒鳴りました。
「いやよ、嫌!違うったら!」
「エリザ」

教師の声を聞かずに、エリザは食堂から駆け去ります。
引き止め損ねたグラスランドはご領主に一礼して席を立ちました。
「・・・お先に失礼します、
あの子と話をしなければいけませんから」
それを聞いて頷きつつも、どうしてこんなことになってしまったのかと嘆くご領主に。

「それでも、エリザベスはいい子ですよ。大丈夫です」

教師はもう一度真剣な、いえ、真剣な中にもご領主を安心させるように柔らかい声で一言を付け加えてから立ち去ったのでした。


***

一方、食堂を逃げ出したエリザは、どうしていいかわからない黒くてざわざわとして重たい気持ちを抱え込んで途方に暮れていました。
いえ、自分が途方に暮れている、と気がつけばもう少し楽になれたのでしょうけれど。
それもわからない、ただ重くて苦しくて、嫌で嫌でしょうがない。
誰かと一緒にいるのは嫌で、どこへ行ったらいいかもわからなくって。庭に出ても行くとこなんかなくって、お屋敷の中にももちろんなくって。とぼとぼと歩いて結局は、自分のベッドに潜り込むしかなかったのでした。

コンコン、と小さくノックの音がして。入って来ないでって言うのすら嫌で、エリザはそれを無視します。
ややあってきいっとドアが軋む音がしました。

ノックをした側のグラスランドには、エリザが部屋にいるという確信はありませんでしたけれど。
自分だったらここか、それとも。エリザが一人になれそうな場所で彼が知っている場所なんか、まだそういくつもありません。
だから子どものサイズにこんもり盛り上がっているベッドカバーが見えたときには、彼は静かに安堵の吐息をもらしたのでした。

「エリザ」

ゆっくり近付いてゆっくり呼び掛けたグラスランドに、エリザはまた黒くてざわめいた気持ちが暴れるのを感じました。
「いや!来ないでよ!寄らないで!」
枕を投げ付けて掛布を投げ付けて。けれどそうしたらエリザの身を隠すものはもうどこにもなくって。
グラスランドは投げ付けられた掛布ごと、エリザをそっとくるみました。

「やだったら!触らないで!」

抗うエリザをグラスランドはを優しく抱きしめて。
そしてそれからベッドの上に下ろします。

「エリザ、君は」
いい子だよ、グラスランドはそう言いたかったのですが。
グラスランドを睨み付けたエリザの目に涙が浮かんでいるのに気付いて言葉を飲みました。

「いい子なんかじゃないもん!絶対ならない!!」

・・・・・。
グラスランドは迷い、そして結局それを口にするのを止めました。
エリザの叫び声はとても乱暴だったけれど、その瞳は酷く苦しそうで辛そうで。
いかに正しくとも、言えばまたエリザにそんな目をさせることになるだろう言葉を、彼は口にはできなかったのでした。

「僕は、君を傷つけたのかな」
代わりに、ではありませんが。グラスランドはエリザの目を覗き込んで語りかけました。
エリザは、思いもよらない教師の言葉に固まりました。

「傷つけたくなんてなかったけれど」
けれど、傷つけたね。

エリザは、言い返しはしませんでした。
聞きたくはないのだけれど、グラスランドが何を言い出すのか謎で。
そしてそれ以上にグラスランドの視線があんまり真剣だったので、息を継ぐことも忘れるくらいでした。

「申し訳ないと思っている・・・・・・、いや。」
グラスランドは少しためらいます。言おうと思う気持ちに偽りはありませんけれど、これではエリザには伝わらないでしょう。

「・・・ごめん・・ごめんなさい」

「・・・!!・・・」
エリザはどうしていいか、分かりませんでした。
ただ、何も言えないのに涙がぼろぼろあふれて来ました。

やさしい言葉、伝わることば。
それが、(自分には言えと言うくせに)グラスランドにとっては普段使わない言葉遣いだってこととか、だから言いにくかったってこととか、それでもその言葉を選んだのはエリザに伝えるためだとか。

分かりたくなんてないのにそういうことが分かってしまうと勝手に涙がこぼれて。
謝る。傷つけたって思う、傷つけたくなんてなかったって思う。もうしない・・・したくないって願う。そして、許してほしいって。・・・あたしに。
そういうこと、つまりグラスランドが本気で謝っていることとか、でも彼が謝らなきゃいけないようなことってほんとにあったのかとか。
そんなことどれも分かりたくないのに。

グラスランドは何も言わずに泣き続けるエリザをもう一度抱き寄せました。
エリザは身体を強張らせていましたが、つい先刻のような拒絶は示さなかったので教師は心底ほっとしました。

「エリザ、君は」

さらにぎゅうっと身を硬くする少女。
やっぱり、嫌だ。いい子だなんて言われたくない。
そう思うのが何故なのかエリザにはわかりませんが、その思いは強く強くて。
グラスランドはそんなエリザのために悲しみながら、考えて言葉を継ぎました。

「エリザ、君がどんな子でも。君は僕の大切な子だよ」


2009.7.05 up
続きます。

・・・このあとに続きって、なんだかひどい気もしますが(^_^;)。
ここはスパサイトだから・・・・・じゃなくて、やっぱり、
放っておけないからですよ?!
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