薔薇姫の棘 6

きのう結局ふたりは、机に向かうことはありませんでした。
ふたりして庭を歩いたそのあとで、午後グラスランドは木蔭でおやゆび姫やかえるの王子なんかを語って。
ちょうどちいさなアマガエルがひょっこり姿を見せたりして、気持ち悪いのとでもちょっと可愛いかもの間で揺れてるエリザがじいっとその小さな生き物を眺めつくしたところでぴょんと彼は跳び去っていき、授業らしからぬ授業はお終いになったのでした。

きょうは、どうしようかな。今朝またお尻を痛くしてしまったし。
まだグラスランドはエリザに痛いのを我慢してまで机に向かってもらいたいとは思ってはいませんでしたから、当初の予定を変更してやっぱり中庭を眺めました。

と、茂みの向こうに人影があります。
おや、と思った教師はエリザに尋ねました。

「エリザ、中庭においでなのはどなたか知ってる?」
「あ、コンフリー!」
庭師の名前を口にしたとき、つんと聳やかしたエリザの眉がすこし緩んだのをグラスランドは微笑ましく認めました。
この分なら、庭でコンフリーと共に過ごしても大丈夫でしょう。

「コンフリーさんは庭で何をしてるのかな?」
重ねたグラスランドの質問に、エリザはそんなことも知らないの、と言いたげな口調で答えました。
「決まってるじゃない、枝を切るのよ」
グラスランドが遠目に眺める限り、エリザの答えは正解のようでした。コンフリーは脚立と長柄の鋏を運んでいる様子です。
「へえ、枝を切るんだ。どうしてかな。切らない方がすくすく伸びると思わない?」

何を言い出すんだろ。
グラスランドの言ってることは間違ってる、エリザは直感的にそう感じましたけれど(そして彼女は正しいのですが)、「そんなわけないじゃない」って言えるほどの自信はありません。
といって「そんなの知らないわよ」っていうのも悔しい気がします。

春の終わりの剪定作業。エリザが知っているのはコンフリーが手を入れた後の庭は前よりもいっそう綺麗だ、ということくらい。だけどそれは確かに知っていました。

「そんなの、コンフリーに聞けばいいじゃない」
それで結局きょうもふたりは中庭で一日を過ごすのでした。

「ねぇコンフリー、何で枝を切るの?」
「この木は花が終わりましたからな」
??
エリザもグラスランドも顔を見合わせます。

「どんな枝を切るのですか?」
「どんな、とは」
庭師は雄弁とは言いがたいところでしたが、その質問にはエリザが答えることができました。
「ひょろひょろしてるのを切るのよ、ねぇ?」
「そうですな」

弱っていれば切りますし、混んでいるところも。
「切ったら伸びなくならないの?」
「切らないと樹が弱りますな」

そしてコンフリーは、「元気な若い枝を伸ばしてやらんと」と言いました。

若い枝、と口にしたときにコンフリーがエリザに投げかけた視線は淡々としてはいましたが。グラスランドはそこからふたりの関わりを推し量ります。
彼が思う以上に、エリザは長い時間を庭で過ごしてきたことと。
そしてその時間はひとりのようでいて、必ずしもそうではなかったことを。

ふたりはそれからもあれやこれやと庭師に問いかけて、いくつかの答えを貰って。
それからしばらく庭師の後を付いて回って遊んでいました。

コンフリーが落とした花を潰して指を染めてみたり。
木登りをしてみたりちょっと茂みに分け入って隠れたり。
グラスランドは案外いろんな遊びを知っていました。

まあさすがに、木登りを勧めたのは教師ではありませんでしたが・・・。実のところエリザはグラスランドが叱るだろうかと試すつもりで登ってみたのですけれど(それに、叱られても上に逃げたらきっと捕まりませんからね)、彼は「おや、上手いね」と言って笑っていただけなのでした。

逆に、というべきでしょうか。茂みの中ではふたりで庭師に叱られて。
「その木の周りをやたらに踏まんでください、根が傷む」
愛想があるとは言えない声。エリザにとってもそれはめったにないことで、びくっとして庭師と教師を見上げました。

「ごめんなさい、コンフリーさん」
一瞬その木に眼を遣って(それは確かに葉の勢いが弱々しげな梅の古木でした)。そして少し頬に朱を注したグラスランドが庭師の目を見て答えたのを、エリザはついとそっぽを向いたようででもじっと見聞きしていました。彼女自身は何も言いませんでしたけれど。
そのあとエリザがその木の周りを踏まないように気をつけていたことを、グラスランドはちゃんと見ていました。エリザに向かっては何も言いはしませんでしたが。

日が空をほとんど上りつめた頃、片付けにかかったコンフリーは切り落とした山吹からまだ花の付いている枝を二、三拾いました。軽く整えて、エリザベスに渡します。
その山吹はまだ十分に美しく、エリザは少し頬を上気させました。
「あ、あり・・・」
けれど口にし掛けたところで彼女はふとグラスランドが自分を眺めているのに気がついたのです。
・・・・・。

しまった、とグラスランドは内心臍を噛みましたけれど後の祭り。
僕が見ているのを気づかれなければ、そのまま最後まで、きっと言えたのに。

ひととき、彼はエリザの言葉を待ちましたけれど。
エリザは言葉を続ける気配を見せなかったので、グラスランドは言わないわけにいかなくなりました。
「エリザ、何て言うの?」
おそらく逆効果だと思いはしても、グラスランドが見ていることを彼女が知っているからこそ見て見ぬふりをすることは到底できません。
案の定というべきでしょうか、エリザはふいっとグラスランドを無視しました。

「別に礼など」
固い声を出したのはコンフリーでした。
「無理強いするものではなかろうに」

「おっしゃるとおりです。けれど」
グラスランドも譲りませんでした。
「この子は言えた筈ですし、言えずに後悔するのもこの子です」

二人はじっと向き合います。庭師は軽く首を振りました。
「花さえ愛しんでくだされば」
「それはもちろん大切ですが、それで十分とは言えませんよ」

険悪、と言ってもいいかもしれませんでした。
すくなくともエリザは、怖い、と思ったのです。

エリザは呆然と二人と、そして自分をおいて進んだ会話を眺めていました。
おとなふたりが、言い争っている。
それ自体エリザがこれまでに見た覚えのない場面でしたし、それが自分のせいだとエリザは確かに認識していました。そんな経験、知らない。

エリザはきゅうに我に返り、そおっと後ろに下がってぱたぱたと駆け去りました。
山吹を腕に、抱いたまま。

引き止めなくて、よいのか。
尋ねる視線を投げかけられたグラスランドは、すこし寂しそうに頷きました。
「ええ、仕方ありません。聞くべきことは聞いたでしょう」
・・・怖がらせて、しまったかな。悲しませてしまったかもしれませんね。
そう呟いて彼は改めてコンフリーに頭を下げます。
「コンフリーさん、エリザのために私に意見してくださって、ありがとうございます」
庭師は少し、眉を顰めました。

「あんた、嬢様に聞かせるために話していなさったのか」
「いいえ、私はあなたにお伝えしたかった。けれど、エリザベスが聞いてくれることも知ってはいました」
怖がらせるつもりは、なかったのですけれど。けれど私もあなたも、譲ることのできる話ではありませんでしたから。

そう答えたグラスランドに、今度はコンフリーは首を振りました。
「譲れないと知っていながら、ああ無理をおっしゃったのか」
「私にとっても譲れないことですからね」
「それでその無理を嬢様に押し付けるのか」
率直な追及に、教師は真剣な視線を返しました。

「それが私の仕事です。どちらも「無理」ではないことを、エリザベスは知っていますよ」

その視線でしばらく向かい合った教師と庭師。けれど数瞬の後、グラスランドはふわりと笑いました。
「伸びるべき枝を、切ったりはしません。 コンフリーさん、私にひとつご伝言を願えませんか?」


2007.8.4 up
ええと。ここで切れてはおりますが。
実は今回グラスランドは、枝を切るどころか矯めるつもりも微妙です^_^;。
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