薔薇姫の棘 5

「エリザ、さっきと一緒だよ。君の目の前には、選択肢がふたつあるんだ。正しい判断をしなさい?」

エリザをぎゅうっと抱きしめながら、グラスランドはあくまで静かに話しました。
・・・でないと、僕は君を叱らないといけない。最後の部分は口にはしません。エリザがちゃんと気づいているように、叱られるからする、というのでは立派な態度とはいえませんから。
けれどできなければ叱らなければいけない。これも譲れないのはさっき話したとおりです。 賢いエリザはさっきの会話を覚えているでしょう。

「・・・・・。」
エリザは少し、試みたようでした。そして、首を振りました。
「・・・・・やだぁ・・・・・。」
やだ。言えない。ゴメンナサイって言葉をエリザはもちろん覚えていましたが(だってきのう、その一言のためにあれだけ叩かれたのですし)、どうしてか声が出てきません。言いたくない。
いいえ、言いたくないのかどうかもわかりません。とにかく喉が詰まって、言えないのです。
さっきからもうエリザの目には大粒の涙が浮かんでいました。

ぽん、ぽんとグラスランドは抱いているエリザの頭を軽く撫でて言いました。
「エリザ、苦しいね?」
それはそのとおりでした。喉が詰まって、胸も痛くて、やりきれない。
さっきグラスランドを打った手の感触は、まだ重苦しく残っているのです。
こんなこと、気にする必要なんてない。そう思う自分もどこかにいるのですけれど、苦しい。

グラスランドの言葉に涙はどんどん溢れてくるのです。でも、声は出ない。

「・・・・や、ちが・・・・」
やっとかすれるような声が出たかと思うと、どうしてこんな言葉になるのでしょう。
エリザは首を振りましたが、もう何を否定しているのか、自分でも分かりませんでした。

エリザには見えないけれど、グラスランドは困った顔で、でもエリザを愛おしげに眺めて。
ぎゅうっともう一度強く抱かれたかと思うと、エリザの体はくるっと横向き、グラスランドのお膝の上にセットされてしまいました。

「・・・・や、やだぁ!」
ぱしん!

「痛ぁい!いや!」
ぱしん!

痛くて、逃げたくて。エリザは暴れるのですが、頭の片隅では今なら声が出るのを不思議に思ったり。と、そこへグラスランドの声が降ってきました。

「エリザ、どうして叱られてるかわかる?」
ぱしん!
「・・ふぇ、え、・・・知らないもん!」
ぱしん!
何でこんなこと言っちゃうんだろう。だってもう、こんなに痛いのに。知らないなんて言ってたら、いつまで経っても終わらないなんて、わかってるのに。そうしたらもう一度、静かな声がかかりました。

「よおく考えて、エリザ。・・・どうして叱られてるかわかる?」
お尻に振り下ろされる手は、少し止まったみたいです。
「う、うぇ・・・た、たたいた、から・・・」
そうだね、と優しい声が返されて、グラスランドの手はエリザのお尻を撫ぜてくれました。

「でも、それだけじゃないんだ。僕が君を叱っている理由は、もうひとつある。わかる?」
「えぇ・・?わかんないよ・・・」
今度は本当に分かりません。答えながらまた叩かれると思ってエリザは身をすくめたのですが、そうはなりませんでした。グラスランドの言葉が続きます。

「思い出して、エリザ。僕のことを思わず叩いて、君はどう思った?」
「・・・・・知らないよぉ」
ぺちん!
さっきほどは強くなかったけれど、この返事にはグラスランドはひとつ手を上げました。
「うぇ・・・」

「君は知らないんじゃないよ、思い出そうとしていないんだ。思い出したくないのはわかるけど、それじゃあまた繰り返す。僕のことを叩こうなんて思ってなかったろう?」
「・・・・うん・・・」
「それで思わず叩いてしまって、そのとき、どう思った?」

「えぇ・・?・・・・。そんなの、いえない・・・わかんないよ!」
うまく言えない。あ、って思って。縮こまって。そんなのどう言葉にしたらいいかなんてわからない。不思議なことに今度は叩かれませんでした。

「いい気持ちじゃなかっただろ?」
「・・・うん・・・。」
悲しかっただろと聞かれても、後悔しただろうと聞かれてもたぶんエリザは頷けなかったのですが。いい気持ちじゃなかったのは確かでした。
エリザ、苦しいね、とグラスランドはまた呟きました。それはエリザに聞かせるためのものではないひとりごとでしたけれど、エリザの中にじんわり染みとおっていきました。
あ、あたし、苦しかったんだ。

「そういうときに、言うんだ。『ごめんなさい』ってね。
いけないことをしたって知っている重い気持ちを押し込めて、なかったことにしようとしても、楽にはなれない」
「・・・・・。」

「僕が君を叱っている理由のふたつめ、わかった?」
「・・・・・。」
わかったような、わからないような。ごめんなさい、って言わなかったことのようだけれどそれだけではないような。わからないからなのか別の理由からか、まだ気持ちはもやもやもやもやしていて、だからエリザは口にしました。

「・・・・ごめん・・なさい」

「うん」
それは質問に対する答えではありませんでした。けれどグラスランドはエリザの言葉を肯定し、ふわっと彼女をまた抱き上げてきゅうっと抱きしめました。
「そうやって、自分の気持ちを大事にするんだ、エリザ」
彼のこの生徒は意地っ張りで。素直すぎるくらい素直な感情を、けれど素直には外に出せずに自分の中で持て余している。

エリザは返事をしませんでしたが、抱きしめられて勝手に涙が溢れてきました。
心の中のもやもやは完全になくなりはしませんでしたが、でも、さっきよりは薄くなって。うん、って言われたときに胸に詰まった何かがすこし溶けたように思ったのです。

泣いたままのエリザに、グラスランドは子守唄のように語りかけました。
覚えておいで。いつでも君の前には、選択肢がふたつある。いつでも。いつでも正しい選択肢を、君は選ぶことができるんだよ。最初に間違えてしまっても。次も間違えてしまっても。いつでも君は、正しい選択肢に戻れる。覚えておいて。


しばらくの時が経って、エリザがグラスランドの腕の中で少し落ち着いたころ。
グラスランドはちょっとしかめつらしい声を出しました。
「じゃあ、十分に反省したところで最後に3つ叩くからね?」
「えぇ?やだ!何で!」
エリザは盛大に抗議しましたが、グラスランドは構わずエリザの姿勢を変えてしまいました。

「人を叩いてはいけないよ。そして、悪かったと思ったら謝りなさい。
そうやって、自分の気持ちを大事にすること」

ぱしん!ぱちん!ぱしぃん!
「いったぁい!」
「はい、おしまい」
もう一度グラスランドはエリザを抱き上げましたが、エリザはもちろん抗議を続けます。

「ひどい!意地悪!あたしごめんなさいって言ったのに!」
「うん、偉かったね」
「わけわかんない!」

エリザの抗議に対して。
「エリザ、君は叱られるから起きるわけじゃない」
まじめな口調でグラスランドが示した返事は、しばらく前に話した言葉の繰り返しでした。

「当たり前でしょ!」
やっぱりわけがわからない、とエリザは反論し、あれ?と言葉を飲みました。
「そうだね。君は賢い。素直で可愛い娘だよ」
「・・・・!」

エリザがそれ以上の言葉を重ねないことに、グラスランドは微笑みます。
だからね、君が謝るのは叱られるのが怖いからじゃないから。
君が正しい選択をするのは、叱られるからじゃないから。

だからいつでも思う存分正しい選択をして欲しいな、とグラスランドは言葉にはせずに呟くのでした。

2007.5.19 up
たまには素直でも?(笑)。
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