薔薇姫の棘 4

次の日。朝の挨拶にエリザの部屋を訪れたグラスランドが目にしたものは、廊下で途方にくれているリリィの姿でした。

「おはよう」
「あ、おはようございます、グラスランドさま」
グラスランドと目が合った一瞬、リリィはしまった、という顔をしました。
もちろん目敏いグラスランドがそれを見逃したりするはずはありません。
「どうしたんです、リリィ」
「あの、ええと・・・」
リリィは部屋のドアとグラスランドに交互に目をやりながら返事をためらっています。
どちらもを気遣ってでしょう困り果てているその表情に、グラスランドは口の端で微笑みました。

「そんなに困らなくてもいいですよ。エリザに聞きましょうか?」
「え、いえ、それは・・・。お嬢様の寝室に入られるのは、ちょっと・・・」
まあグラスランドはれっきとした男性ですし、リリィのためらいは分からないでもありません。もしかして「お嬢様」がまだベッドの中でしたら、なおさら。
とはいえ、今度グラスランドはリリィにはっきり伝わるように苦笑しました。
「彼女はお嬢様である前に、僕の生徒ですからね。あなたは僕を止めたりしないでしょう?」
リリィはためらいながら頷いて、ドアの前から一歩下がって道を空けました。
けれどグラスランドがドアに手をかけた瞬間、「あ、あの、やっぱり」リリィは思わずグラスランドの腕に手をかけたのでした。

「あの、・・・まだお嬢様はお寝みでいらっしゃいます。でも、私のせいなので・・・あまりお叱りにならないでやってくださいませ」
「・・?何があったの?」
リリィが話した事の次第は、グラスランドをもう一度苦笑させるに十分でした。


がちゃ、とドアを開けるとベットの上ではもぞもぞと掛布が動きます。
グラスランドは何食わぬ顔で近づきました。
「おはよう、エリザ。もう起きなさい」
返事はありません。これはまあ、彼の予想の範囲内でした。
「僕に叱られたがっているのだと聞いたけど?ほんとかな?」
からかうようなグラスランドの台詞には、エリザはカチンと来たようです。
「何わけのわかんないこと言ってるのよ!ばか!」
お布団から顔を出してグラスランドを睨むと、しまった、と慌てたようにまた潜り込んで壁の方を向いてしまいました。
「ほら、やっぱり」
「・・・・。」

「起きなさい、エリザ。もう起きる時間だということ、わかっているだろう?」
「・・・・。」
「目も覚めているのに意地を張って起きないのは楽しくはないよね?
リリィは自分のせいだから君を叱らないでと言っていたけれど」
「・・・・リリィが?」
エリザは掛布の下でそろりとグラスランドの方を向きます。
目が合わないようにほんの少しだけ顔を出して、こちらの様子を窺っています。
「そう。彼女はいい子だね。そして君を好いている」
「・・・頼んでないもん!」
グラスランドは笑いました。
「結構。取り成しを頼んだところで君の責任は変わらないからね」
「・・・・・。」

「僕に叱られるよ、ってリリィは言ったって?確かにそれは正しいけれど。
でも叱られるのが怖くて起きる、なんて思われるのは悔しいだろ?」
リリィの話によれば、エリザは別段いつも朝が苦手ということはありません。
ただ今朝はちょっとぐずぐずしているときに、リリィは「お起きにならないと先生に叱られてしまいますよ」と言ったようなのです。「そんなの知らない、別に怖くないもの!」とエリザは宣言して、またお布団に潜り込んでしまったということでした。
「・・・・・別に。」

グラスランドは取り合わずに続けました。
「悔しいとすればね、そのプライドは正しい。僕はそれを尊重する。
でも、君が起きられないなら叱ってでも起こす。それも譲れない。」
反応はありません。エリザは黙って聞いている、というべきでしょうか。

「だから、今日はあと5分あげる。自分で起きられるなら、今日は叱らない。
君は叱られるから起きるわけじゃない。
だけど、その間に起きられないなら僕は君を起こす。叱ってでもね。
どちらにするかは君が決めることだ。僕はどちらでも構わない。」
ことん、とグラスランドは自分の懐中時計をベッドサイドテーブルに置きました。

「じゃあ、いずれにしてもまた5分後に。おやすみ」
おやすみ、はもちろん冗談でしたけれど、彼は言葉通りすたすたとエリザの寝室を出て行きました。後に残されたエリザはちょっとびっくりしてぼうっとします。
起き上がり、テーブルの懐中時計を取り上げました。7時20分。
どうするのがいいかは、この上なくはっきりしていました。
どちらにしても起きなきゃいけないなら、わざわざ叱られる―――お仕置きを受けるなんて愚かもいいところです。言われるままに起きるようなのも癪ですが、言われたとおりにお仕置きされるのなんてもっと癪に障りますよね。
起きて着替えたエリザはしかしそのまま素直に部屋を出るのも嫌で、 どうしていいかわからずにテーブルの下に潜り込んでしまいました。

7時25分。時間どおりにグラスランドは寝室に入ってきました。
空のベットを見て微笑むと、くるっと部屋を見回します。
「おはよう、エリザ。正しい判断ができたんだね、偉いよ」
返事はありません。けれど、居心地悪そうにもぞ、と動く気配を彼は感じました。

部屋の中ほど。そうであれば隠れるところは幾つもありません。
グラスランドはひょい、とテーブルの下を覗き込んで、「おはよう、エリザ」と呼びかけました。

エリザは、ただびっくりしただけなのです。
とてもびっくりしたものだから、何か恥ずかしかったものだから、だから覗かれたくなかったから。
思わず彼女は押しのけるように払い捨てるように、覗き込んだグラスランドの顔を打ってしまいました。少し見開いたグラスランドの目と目が合って、その瞳に「あ・・」と驚いた、後悔した色を浮かべたと思いきや、くっと奥歯を噛んで頬を膨らせてそっぽを向きました。
「エリザ」
グラスランドは静かに呼びます。
エリザは激しく首を振って、きゅうっと縮こまりました。
グラスランドは小さく息を抜くと、手を伸ばしてエリザを抱き上げました。

「やだぁ!」

エリザは手足をばたばたさせて抗います。
「やだ、やだよ!」
まだ叩かれても叱られてもいないのですが、エリザはもうすでに大泣きに泣いてしまっていました。

グラスランドはやっぱり静かに言いました。
「嫌なのはわかっているよ。でも、ほかに言うことがあるでしょう?」
「うぇ・・・やだもん・・・。」
うつむいて固まっているエリザをグラスランドはぎゅうっと抱きしめます。

「エリザ、さっきと一緒だよ。君の目の前には、選択肢がふたつあるんだ。正しい判断をしなさい?」


2007.5.12 up
またここで切るのか?!みたいな^_^;。でも切るとしたらここしか・・(苦笑)。
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