相対論的こころ 2(後)

それじゃだめだって、ほんとのところはわかってるけど。
けどそう思っているからってできるかどうかは別問題だ。

「雪菜、何があった?」
「え?」
いつの間にか膝の上からは起こされて。
でも呟き続けるごめんなさいの上に、父さんの質問がふりかかる。
「理由もなしに人の行動は変わらないよ。ましてや雪菜の気持ちは前と同じだ」
え、え?
「どう見てもね、雪菜の行動をいちばん良くないと思っているのは雪菜なんだよ。少し前から、辛そうだ」

・・・・・。そんなふうに、見えるわけ?
あたしはもうごめんなさいも言えなくなって、ぼろぼろぼろぼろ泣き続けた。

「なあ雪菜、何があったんだ?」
父さんはあたしを抱きながら、何度か聞いた。
あたしは泣きながら、そのたびに首を振る。

言えない。絶対に、言いたくない。

父さんがなんとかしてやりたいって思ってくれてるのは分かるけど、けど絶対に、言いたくない。
「心配しているんだよ」
うん、分かってる。だからあたしは言葉もなく頷く。でも言えない。
「母さんも、祐樹も心配してる」
・・・・・・・・・。うん。

お兄ちゃんのせいじゃないのだ。そんなのよくよくわかってるけど、それでもやっぱり一瞬固まった。それからどうにか頷いた、だってそれはわかってるから。
でもその空白の時間に、父さんはやっぱり何かを感じたみたい。

「祐樹が、どうかしたかい?」
「してない!どうもしてないってば!お兄ちゃんのせいじゃない!
あたしの、あたしだけのせいだから。お兄ちゃんには絶対何にも言わないで!」

「雪菜・・・」
「お願い、黙って!」

言いたくない。言ったら、言っちゃいけないところまで突き進んじゃう。
言っちゃいけないどころじゃない、思うだけだっていけないのに。
お兄ちゃんがいなかったらよかったのにって思うことがある、っていうかいまそう思ってる、そんなことお兄ちゃんに知られたいはずがない。
たとえ父さんが黙っててくれてお兄ちゃんの耳には入らないにしたって、とにかくあたしが言いたくないのだ。
お兄ちゃんは何も、悪くないのに。

これだけ強く反応したら、お兄ちゃんに関わることだっていうのはばれちゃっただろう。
だから重ねて訴える。
「お願いだから、お兄ちゃんには黙ってて。お兄ちゃんのせいじゃないから。あたしが勉強してないのは、あたしのせい。お兄ちゃんには、心配しないでって」

激したあたしを宥めるように。父さんは静かにわかった、と答えてくれた。

「雪菜が、祐樹を大切に思ってくれて嬉しいよ」
胸が痛い。だって、全然そう思えてない。
お兄ちゃんがいなかったら、比べられたりしないのに。
お兄ちゃんのことを嫌いじゃないのにそう思っちゃうあたしが嫌で、仕方がない。
あたしがもっとちゃんとできればいいんだろうけど。けど、お兄ちゃんみたいになんて、無理。
それであたしは、逃げていたのだ。

項垂れたあたしに、父さんはもう一度言った。
「祐樹は、いいお兄ちゃんかい」
「うん!」
あたしは、一も二もなく頷く。普段なら照れくさくて言えないかもしれないことだけど、いまあたしは結構必死だった。

そうだね、と父さんも頷いて、言葉を続けた。
「雪菜、お前は祐樹のいい妹だよ」
首を横に振ろうかどうしようかためらったとき、畳み掛けられる。
「否定しちゃいけない。祐樹は間違いなしにそう思ってるんだから」
「でも」
言いかけたあたしを、父さんは唇に手を置いて止めた。

「雪菜は何かを不安に思ってる。自分の中の何かを」
うん。
そこで気がついた。あ、あぶない、さっきあたし自分からお兄ちゃんに聞かせたくないこと言いかけるところだったよ。
父さんはあたしの言いたかったこと分かっちゃっているんだろうか。

「雪菜が何を不安に思ってるか、父さんはホントのところは分からない。たぶん祐樹にも。」
教えてくれれば手伝ってあげられるかもしれないとは思うけれど、けれど言えないこともあるだろう。でもね、と父さんは言葉を継いだ。
「でも私たちは、その不安が何であれ、雪菜が祐樹のためにそれを不安に思っていることを疑わない。わかるかい?」

・・・・・。よくはわからないけど、なんとなく。
「それで十分なんだよ。今の雪菜のままで、雪菜は祐樹のいい妹だ。それを自分で否定して、自分を傷つけたりしないでほしい」
・・・・・。あたし、嫌なこといっぱい思ってるのに。
それなのに!

父さんの言葉は、少し温かく、そして少し納得できなかった。

「でも」
また言いかけたあたしを、父さんは優しい目で見て厳しい口調に変わる。
「雪菜」

「雪菜は祐樹には、何も言わないでいてほしいんだね?」
少し戻った話に、あたしは慌てて頷いた。
「うん。どうかお願い、父さん」
万が一にもこのあたしの中の不安っていうかひどい気持ち、気取られたくない。

「わかった、それは約束しよう。たぶん雪菜の判断は、正しい。
雪菜がこれを、自分だけの問題だと考えたことも含めてね」

・・・うん。勉強してないのはあたしのせいだから、お兄ちゃんのせいじゃないから、お兄ちゃんには何も言わないで。・・・それは確かに、セットなのだった。

「雪菜、よく聞きなさい。雪菜は大事なことを、ちゃんと分かってる。
いまの自分の態度に納得していないのも雪菜だ。それが祐樹のせいじゃなくって雪菜のせいだと、痛いほどに分かってるのも雪菜だ」

・・・・・。うん。

「何があったのかは、聞かないよ。
もちろんいつでも雪菜が望むなら相談に乗る。忘れないで」

うん。

「いい子だ。もう一度、お膝においで。
ここしばらくの雪菜の態度は間違ってるよ。わかるね?」

・・・・・・うん。

「誰と比べる必要もない。私たちや学校の先生たちが、何て言ったかも本質じゃない。
けれど自分自身が納得できていない態度を繰り返すのは、何より雪菜自身にとって恥ずかしいことだ」

「・・・はい。」

父さんの言葉は、厳しかった。あたし、まだできるかどうかの自信はない。
けどたぶん、父さんは大体のことを正しく推測したんだろう。人と・・・お兄ちゃんと、比べるんじゃないって。あたしが間違ってると思うことは間違ってる、そのままじゃだめだって。
そのお説教にはひとかけらも、異論はなかった。
できるかどうか、わかんないけど!

できるかどうか、不安な上に。
この間までのあたしの精一杯だって、足りてるかどうかわかんない。
・・・っていうか、足りないんじゃないかって。やれることぜんぶやったって、お兄ちゃんには届かないんじゃないかって。

ああ、またあたし自分をお兄ちゃんと比べてる。
そんなことしなくていいと言われたばかりなのに、でも。
あたしが納得できてたら、ほんとにそれだけでいいのかな。話の始まりはそこだったのだ。
(いまはそれすらできてないけどね)

「あたし・・・あたしの、あたしの判断って」
言いかけたことは、涙に変わっちゃった。それでも父さんは、なぜだかあたしが聞こうとしたことが分かったみたいだった。
「雪菜の判断は、正しいよ。大丈夫」
祐樹の判断と、同じように。
自分を信用してあげなさい。自分の声に、従うんだよ。

聞こえてて、従えないときには。度が過ぎたら、こうやって手伝ってあげるから。

・・・・・。父さんの膝の上にもう一度体を預けると、いい子だ、と繰り返す声がして。
ぺちぃん!
そしてまた痛い平手がお尻の上で破裂した。

ぱちぃん!ぱしぃん!ぱちぃん!
「いったぁい!  わ、や、・・・」
ぱちん!ぱちぃん!ぱちぃん!
「ふぇ、や、うわ・・・や、ごめんなさぃ!」
ぱちぃん!ぱしん!ぱちぃん!ぱしん!
「やぁぁ・・・ごめんなさぁい・・・これからはちゃんとします!!」

ぱちぃん!ぱしん!ぱちぃん!ぱちん!ぱちぃん!
「いやぁ!!・・・いたぃぃ・・・ごめんなさぁい・・・」
ぱちぃぃん!ぱちぃん!ぱちぃん!ぱしぃぃん!

ぱしん!ぱちぃん!ぱしん!
「いたぁい!やだぁ、もう・・・」
ぱちぃぃん!!ぱちぃん!ぱしぃぃん!

ぱちぃん!ぱしん!
「うぇ、ごめんなさぁい!」

結構な数叩かれてから、父さんは手を止めて静かに聞いた。
「雪菜、ごめんなさいって言っていたけれど。誰にごめんなさいなんだい?」
え?
えーと。お兄ちゃんでもないし、まして父さんでもない。・・・・・ええと・・・・・??

「えっと・・・あたし?」
おずおずと答えたのは、どうやら正解だったらしい。
「いい子だ」

父さんはあたしを抱き上げた。
「雪菜はちゃんと分かってるし、ちゃんとできるよ。この間まで、ちゃんとできていたしね。大丈夫、そんなに不安にならなくていい。いい子だ」

それに、できてなくったって放ってはおかないよ?
こんな風に叱ってあげるから。

「や、もう、十分だから!大丈夫!」
思わず叫んじゃったりする。だって、お尻はこんなに痛い。

父さんはにっこり笑って、じゃあ今日の宿題をやっておいで、と言ったのだった。

2007.09.29 up
真っ向からお勉強ネタは、はじめてでした(^^ゞ。
ところでさらに派生品がひとつ、そのうちに。
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