お誕生日の甘いカタチ
雪菜はさすがに女の子だなあ、って思う。
彼女はお菓子作りが好きで得意だ。
末の弟の高天(たかま)の誕生日、雪菜は昼ご飯のあと台所を占領して何やらやってた。
そのうちに香ばしい匂いが家中に広がる。
上手くできたのかな?自分の部屋で机に向かいながら僕はふっと考えた。
たまには真っ黒なクッキーとか食べさせられたこともあるからね。
でも匂いから察する限り、今日のお菓子は上出来みたい。
いけない、そんなこと考えてる間に勉強しなくちゃ。
中学生になった僕は来週中間試験なんだ。
そうしてしばらく真面目に問題集に向かっていたんだけど。
「うわああ〜ん!」
急に大きな泣き声が聞こえて。
・・母さんが下に居るから放っておこうかとも思ったんだけど、でもやっぱり気になって、僕は試験勉強をほっぽりだして台所に降りていった。
リビングのソファー、母さんのお膝の上で泣いているのは雪菜で。
ううん、雪菜だけかと思ったら、台所の床の上で高天も泣いていた。
高天の回りには生クリームがあちこちべたべたくっついていて、まあ、何となく状況は見えた。
テーブルの上にはかなり無残につぶれたデコレーションケーキが載っている。
母さんは相当怒ってるみたい。容赦なく雪菜のお尻を叩いてる。
「あんな小さい子を突き飛ばすなんて、頭でも打ったりしたらどうするの!」
ぱしぃん!
「だって、高天が悪いんだもん!」
「高天が何をしたって、手を出していいことにはならないでしょ!」
ぱしん!
「だって、せっかく上手くできたのに・・」
ぱしん!
「高天に謝りなさい!」
「やだもん!」
ぱしぃん!
雪菜もだいぶ怒ってるみたい。このお仕置きは、長引きそうだなぁ。
とりあえず僕は濡れたタオルを絞ってきて、やっぱり生クリームでべったべたの高天の手を拭いてやった。
まだ泣いている高天に聞いてやる。
「高天、どこか痛いの?」
高天がびっくりしたみたいに泣き止んだのが可笑しかった。
少し考えて、高天は首を横に振った。
「そう、それはよかった」
そう言って笑いかけてやると、高天も「うん」と照れたように笑った。
甘えん坊さんはいったん泣き始めると泣く理由がなくなってからもずっとぐずぐずしてるんだよね。雪菜もむかしそうだったって、覚えてる。もしかすると僕もかな?
あたりの床もきれいに拭いて片付けてから、僕は今度は真面目な顔をつくって高天に話しかけた。
「高天、何があったの?」
「おねえちゃんがぼくのことどんってやったの!」
隠してる、とかいうんじゃなくて、ほんとにそれ以外言うべきことを思いついていないあたりが、子どもだなあ、って実は可愛い。でもそんなこと顔には出さずに、重ねて話した。
「うん、それは雪菜がいけないね。じゃあ、お姉ちゃんが高天をどん、ってやったのはどうしてかな?」
「・・・・・」
やっぱり高天は一瞬びっくりしたみたいで、それから下を向いた。
聞かれればちゃんと思いつくんだよね。
高天は下を向いたままあっちへこっちへ視線をうろうろさせていたんだけど、せかさずに静かに待つ。
・・・後ろでは母さんのお小言と雪菜の泣き声が聞こえ続けているから、静かではなかったかもしれないけどね。
しばらく待っていてあげると、高天は最後にはおずおずと僕を見上げて。
「ん?」
軽く促すと、一生懸命話しはじめた。
「おねえちゃんのケーキ、きれいで、いい匂いだったから・・」
「うん」
「ちょうだいって言ったら、おねえちゃん「まだだめ、あとでね」って言ったの」
「うん」
「・・・だから・・・」
「だから?」
「ほしかったから、手を出して、とろうとしたから・・・」
「おねえちゃんがだめって言ってぐいってぼくを押して、もっとほしくなって・・・・気がついたらべたべたになってて、おねえちゃんが怒って「高天のばか!」ってぼくをどんってしたの」
「ふーん」僕は高天の頭を撫でてあげた。「高天、正直に言えていい子だね」って。
高天はちょっとだけ嬉しそうな顔を見せて、でも、困ったような顔になった。
うん、いい子だ。
「あとで、って言われたけど我慢できなかったんだ?」
「・・うん」
「夢中になってお姉ちゃんのケーキつぶしちゃったんだ?」
「うん」
「それはいいことかな?悪いことかな?」
「・・・わるいこと・・・」
「それじゃあ、」僕はいったん言葉を切った。「お姉ちゃんにごめんなさいって言えるかな?」
「うん!」
思いのほか元気な声が返ってきて、僕は少しびっくりした。
見ると、高天は何だかすっきりしたような顔をしている。
ああ、高天はどうしたらいいかを知らなかった、気付いてなかったんだな、って思った。
分かってるけど謝りたくないって気持ちには、この子はまだ遠いんだ。
ねえ、雪菜、君がいま意地を張ってる相手は、こんな子なんだよ?
・・・意地になってるときにそれに気がつくなんて、とんでもなく難しいことだとは思うけどさ。
僕はもう一度高天の頭を撫でてあげて、それからふたりで母さんと雪菜のいるリビングへ向かった。
「母さん」
軽く呼ぶと、母さんはお尻叩きの手を止めた。
「祐樹、どうしたの?」
いぶかしむ母さんに、僕は口に指を当てて、静かに、って伝えて。
そっと高天の背中を押してやると、高天はとてとてと泣いている雪菜のところへ寄っていった。
「おねえちゃん・・ケーキだめにして、ごめんなさい」
「うわ〜ん」
いまは叩かれていないのに、雪菜の目にはさっきよりもずっとたくさんの涙が溢れてきた。ひっく、ひっくとしゃくりあげて、泣き止もうとしているのに上手くいかないみたいで。
結局泣き止めないまま、雪菜は言った。
「・・高天、ごめんね・・・」
母さんがほっと息をついた。
雪菜は母さんにも「ごめんなさい・・」って言って、ぎゅうっと抱っこしてもらっていた。
あんなに叩かれても謝らないってずっと意地を張っていたのにね。
その気持ちはすごくよくわかるんだけど、すごく不思議だと思う。
しばらく母さんの膝で泣いたあと、雪菜と母さんは一緒に台所へ戻っていった。
待つまでもなく戻ってきたふたりは人数分のお皿にお菓子を載せていた。
スポンジを崩して山のように積んで、いっぱいの生クリームで覆って。
銀色のきらきらした粒がかかっていて、雪山みたいできれいだった。
「ちょっと遅いけど、3時のおやつね」
母さんと雪菜が笑って、僕たちは4人でにぎやかにお菓子を食べた。
これをケーキって呼ぶのかどうかは分からないんだけど。
クリームだらけでかなり甘かったんだけど、みんなが笑ってたからまあ、いいやって思ったんだ。