意地悪なお兄ちゃん

「うるさいなあ、雪菜、あっちに行けったら」
「だってー。だってゆきなひとりであそんでてもつまんないもん。お兄ちゃん一緒におままごとしてよ」
「僕はもうおままごとなんてしないよ。それよりこのマンガ読んでるんだ。分かるだろ、あっち行けったら。」
「おままごとがだめならボール遊びでもいいからあ。」
雪菜は自分のお気に入りの小さなボールをどこからか持って来ていた。準備がいいのは認めるよ、でもだめ。
「あ、それかお外へ行こうよ」
「なに言ってるんだよこんな雨の中。とにかくだめったらだめ」
「お兄ちゃんのばかあ」

僕は聞き分けのない雪菜にイライラしていた。だいたい、3年生にもなって男の子がままごとなんてできるわけがない。なのにどうして雪菜はそれがわからないんだろう。このマンガは明日友達に返すやつだから、今のうちに読んでおきたいんだ。僕の言ってること、間違ってないよね?
「雪菜になんて言われたって、だめ!あっち行けよ!」
あんまりイライラしたからつい怖い声を出しちゃって、雪菜が「う・・」と黙り込んだときにはしまったと思った。泣くかな?これで雪菜が泣くと結局僕が怒られるんだ、妹を泣かしたって。わがまま言う雪菜が悪いのにさ、ったく年上って損だよ。妹なんていなきゃいいのに。

「・・お兄ちゃんなんて嫌い!」
でも、予想に反して雪菜は泣かなかった。顔を真っ赤にして怒って、そしてボールを僕に向かって投げつけたんだ。泣かれるよりこの方がずっといいや、と僕は一瞬考えた。だって泣かれたらもうどうしていいかわかんないし、こっちが一方的に悪者だし。攻撃されるなら避ければいいだけだよね。さすがにいくら僕がイライラしてたって、2つも年下の、しかも女の子の雪菜に仕返しなんてしないよ。どうせ雪菜のボールなんて当たらないし、当たっても痛くもないしさ。そう思ったのはほんとの一瞬。だって、次の瞬間には。

がっしゃん!!

「!!」
僕の部屋には母さんの描いた絵が飾ってあったんだ。雪菜のボールは見事に狙いをそれて、それに当たって。運悪く絵は額縁ごと床へと落ちた。がっしゃん!嵌め込まれていたガラスがすっかり割れてしまった。
「う・・うわあああん」
ついに雪菜は泣き出した。どうしよう、と僕も呆然とした。

考える間もなくとんとんとん、と父さんが2階へ駆け上がってくる足音が聞こえる。
がたっと部屋の扉が開いた。
「おまえたち、大丈夫か?」
僕は頷く。雪菜はただ泣いているけど絵からは離れていたから別にケガはしていない。
泣いてばかりで答えられないけどさ。
「ふたりとも、ケガはしてないよ」
雪菜の分もそう答えると、父さんは一瞬ほっとした表情を見せて、それからすぐにすごく怖い顔になって部屋を見まわした。

落ちた額縁。割れたガラス。その横にいつもの雪菜の小さなピンクのボール。なにがあったかは隠しようがない。こういう危ないいたずらのとき、父さんはすごく怖いんだ。絶対、お尻を叩かれる。
・・でも、僕は悪くない。黙り込んでいる僕と泣き続けている雪菜を見て、父さんは静かに立っていた。
ごめんなさいを言うならいま。心の中で僕は雪菜にそう言うけれど。雪菜はただ泣くばかりだし、僕もこれを口に出しては言えなかった。ごめんなさいって言えないともっと叱られるって僕らふたりとも知っているけど、こういう時ってのどがからからになって開かないみたいで、何も言えないよね。泣き続けて何も言えない雪菜の気持ちは分かった。

父さんはもう一度黙り込んでいる僕と泣き続けている雪菜を見比べて、そして、ついに厳しい声を出した。雪菜に向かって。
「雪菜、おまえがやったのか?」
「あああああん!」
雪菜は答えずにいっそう大きな声で泣く。同じ質問が僕に向けられなかったことに、僕はほっとしたはずなのに。雪菜が悪い、そのはずなのに。

泣き喚いている雪菜の声に、僕はなぜか、言ってしまった。
「ごめ・・ごめんなさい、父さん」
雪菜と父さんがこっちを向いた。雪菜がびっくりしたように涙でいっぱいの大きな目を見張っている。父さんも意外そうな顔をしたような気がしたけど、気のせいかな? 4つの大きな目を向けられて、僕はどぎまぎしながら続けた。
「・・・ボール遊びをしようって言ったの、僕だから。だから僕のせいだから。雪菜を怒らないで」

何でこんなことを言ったのか、自分でもよくわからないんだ。でも泣いてる雪菜が叱られるのはなんか、嫌で。父さんはベットに腰掛けて、僕を手招いた。
「ふたりで遊んでいたのか?」
「・・うん」
立っている僕と座っている父さんの目の高さはちょうど同じくらいだ。真っ直ぐ僕を見る目。怖い目なんだけど、冷たくはない。父さんは一回僕の髪を撫ぜた。
「自分からごめんなさいが言えるのはいいことだ。一緒に遊んでいたのなら、ガラスを割ったひとりだけが悪いんじゃないのもおまえの言うとおりだ。」
「うん」
「どちらがガラスを割ったのかは聞かないことにしよう。でも。」
父さんは一息ついた。

「雪菜、おいで」
雪菜はまだ涙をぼろぼろ流していたけれど、もう声をあげて泣いてはいなかった。僕にしがみついて父さんの前に立つ。
「雪菜、おまえもボールを投げたのかい」
父さんは静かに尋ね、この問いには雪菜は黙ってうなずいた。・・・ばか、そこでごめんなさいって言うんだよ。僕がかばえるのだって限度があるんだぞ。父さんはさっき僕にしたように雪菜の頭を撫ぜる。

「お部屋の中で、ボールを投げるのは悪いことだ。わかるね。
雪菜がケガをするかもしれないし、お兄ちゃんにケガをさせるかもしれない。
壊れたものは元には戻らない」
今度も雪菜はただ黙って頷く。そんな雪菜に父さんが怒り出しませんように、と僕は心配する。

「雪菜、自分が悪いことをしたと思ったらごめんなさい、って言うんだよ」
これにも雪菜は黙って頷くのだ。何か口を開こうとしたけど、声になってない。・・ばかだなあ。
父さんは苦笑いをしたみたい。
「やれやれ。雪菜、あとでお兄ちゃんにごめんなさいを言うんだよ。今日おまえがいちばん迷惑をかけたのはお兄ちゃんなんだからね」
え、僕?そんなふうに言われて僕はちょっと驚いた。雪菜はやっぱり頷いて、ぎゅっと僕に抱き付いてきた。あったかい。さっき雪菜にまとわり付かれるのはあんなに嫌だったのに、いまは嫌じゃなかった。僕も雪菜の頭をなでてやる。

「さあ、雪菜、おまえも悪いことをしたんだから罰を受けなくてはね。お膝においで」
「え、父さん、だから、僕が悪いって。だから」
「おいで、雪菜」
父さんは僕の言葉に答えない。雪菜がまたぎゅうっと僕に抱き付いてから父さんのお膝に向かうと、そこではじめて父さんは言った。
「いい子だ、雪菜。1回だけ叩くよ、優しいお兄ちゃんに免じてね」

ぱしん!
雪菜のお尻で高い音が鳴った。雪菜は目に涙をいっぱい浮かべたけれど泣かなかった。
僕はそのことに少しほっとした。
「二度としちゃいけないよ、お約束できるね」
そう言いながら、父さんは雪菜を抱いてやる。雪菜は頷いて、でもぐすぐすとしゃくりあげていた。

雪菜が落ち着くまで待って、父さんは雪菜を床に下ろして。そして僕に呼びかけた。
「祐樹」

僕は何を言われるのか、何回叩かれるのかってどきどきしていた。こうなると、何であんなこと言っちゃったのかな、って思う。雪菜があんまりひどく叱られなかったのは、雪菜が泣いてないのは、嬉しいんだけど。でも自分の言ったことを後悔しちゃうなんて、勝手だなあとは思うんだけどさ。
だからって、部屋の中でボールを投げるのは悪いことだ、なんて言われなくてもわかってるし。3年生にもなってやっていいこととわからないことの区別もつかないのか、なんて言われるのもやだよね。だってわかってるんだもん。でもそれがこんなときのお説教のパターン。僕がボール遊びを誘った、って言ってるんだから当然のお小言だし。あーあ、ひどく怒られるのかな。
ちょっとばかり顔がふてくされちゃったかもしれない。父さんがじいっと僕を見た。

「祐樹、雪菜のことがかわいいと思うかい?」
え?思いもかけない質問で、冗談かと思ったくらいだ。雪菜もびっくりして僕のほうを見上げている。
首を横に振ってやろうかと一瞬思ったけど、雪菜の目の前でそんなことできるわけがなかった。っていうか父さん、そういう当たり前で恥ずかしいこと、言わせないでほしいな。だから僕は口は開かずに、ただ頷いた。

「ありがとう」
父さんはそう言う。でも、それってなんか違うよ。だって雪菜は僕の妹なんだし。それはありがとうとか言うことじゃなくって、当たり前で。ここまで考えたとき、僕はさっき妹なんていなけりゃいいのにと思ったことを思い出した。
・・・。これは絶対ありがとう、って言われることじゃないんだけど、でも、当たり前って言い切れない僕の気持ち、父さんにばれちゃってるのかな。

「祐樹にはお説教はいらないね?部屋でボールを投げたらどうなるか、知っているから自分のしたことじゃなくてもごめんなさいが言えたんだから」
父さんの話は雪菜のことからそれて、僕はほっとする。
「どうしてボールを投げたのか、祐樹はそこまでさかのぼって考えられるようになったんだね。大きくなったね」
えーと?そんなこと言ったっけ。雪菜がどうしてボールを投げたのかなんて、僕は考えてない。
でも、そんなことを思った瞬間に答えはわかったけど。僕が雪菜を怒らせたからだ。

「おいで」
父さんは僕を呼んだ。叩かれるのは嫌だったけど、雪菜だって我慢したんだ。だから僕はおとなしく父さんの膝に乗る。この瞬間はいつでもすごく嫌だ。怖い。僕は悪くないのに、とまたふっと思って。そして、そうじゃないと僕は自分が気付いてしまっていることを知った。

僕が雪菜を怒らせたから、こうなったんだ。

それって、僕がボール遊びに誘ったのとちっとも変わらない。ううん、たぶん、それより悪い。
雪菜が笑っているんじゃなくて怒っている分、きっとそれより悪いんだ。

ぱしん!
父さんの大きな手が振り下ろされて、僕はぎゅっと目をつむって体を固くして我慢した。ぱしん!お尻がすごく熱くて痛い。泣いたりはしないけど。だってほら、雪菜が見てるし。ぱしん!
「うわあああん」
自分が叩かれたときは泣かなかったのに、どうしてか雪菜が泣き出した。おいおい、叩かれてる僕が泣いてないのに泣くなよ。ったく、しょうがないやつなんだから。
ぱしん!ぱしん!雪菜が泣くから、僕は泣かない。雪菜、泣かなくてもいいのに。僕は雪菜の代わりに怒られてるんじゃないから。雪菜に意地悪を言ったから、だから怒られる羽目になったんだ、きっと。
ぱしん!

雪菜の泣き声をぼんやりと聞きながら痛いのを我慢していたら、不意に痛みが終わった。父さんが僕を抱きかかえたんだ。ぎゅっと抱いてくれて、それからさっきみたいに頭をなでてくれて。
父さんの顔はやさしくてお仕置きは終わったんだってわかったけど、あんまり早くて実はびっくりした。

「・・もう、いいの?」
おずおずと小さな声で尋ねると、父さんは声は上げずに笑った。
「なんだい、まだ叩かれ足りないのかい?6つ叩いたよ。今日のおまえたちにはそれで十分だろ?」
6つ。そして雪菜がひとつ。合わせて7つ・・・雪菜の歳の数。いつも雪菜が叩かれる数。僕の嘘、ばればれなのかな。またそれで、怒られちゃうかな?
内心ではかなりどきどきしてたんだけど、父さんの顔はやっぱりやさしくてもう怒ってなくて、そしていたずらをしたときのように目が輝いていた。
父さんの考えてることって、読めない。

「いいお兄ちゃんがいて、雪菜は幸せだよ」
そんなふうに言われた。嬉しかったけど恥ずかしくって、僕は首を振る。
「優しくないよ。意地悪だよ?」
「でも、おまえが雪菜のたったひとりのお兄ちゃんだろう?」
それはそうだから、僕は頷く。
「それをわかってるのは、いいお兄ちゃんだよ」
やっぱり父さんの言うことはわかるようでわかんないんだけど。

僕たちを見ていてうらやましくなったのか、雪菜も父さんの膝によじ登ってきた。父さんは雪菜の涙を拭いてやって、ふたり一度に膝に抱えて言う。
「二人とも優しいいい子だよ。ケガがなくて本当によかった」
ほんと、よかったよ。雪菜にケガさせてたらって思うと、すごく、怖い。
そんなことになってたら、僕は悪くない、とかなんて言ってらんないよね。

雪菜も同じことを考えたのかどうか、父さんの膝の上のまま僕の顔を見上げて言った。また泣きそうな顔だった。
「・・おにいちゃん、ごめんね」
「ばか、泣くなよ」
慌てて僕は意地悪な口調で言う。雪菜に泣かれるのは、ほんとに苦手なんだ。
僕のせいで泣かせたときはもちろん、僕のために泣いてくれるときも、だよ。

父さんが僕らを見て笑った。雪菜もつられて笑ってくれたから、僕はとっても、嬉しかったんだ。


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