久々の師弟もの。リクエストありがとうございます。
雑に彫る、丁寧に考える
「ユウ、今朝お願いしたナツさんちのお届け物、持って行ってくれました?」
「あ、ごめんなさい、まだです。昼過ぎに行こうと思ってて」
「そうですか、よろしくお願いしますね」
なんてことない会話、だけど。
だけど、嘘は嘘。
余計なことを言った。実は朝のリオさんの話、忘れてたんだ。
言った瞬間、後悔した。
・・・だったら、すぐに謝ればいいのに。
たぶん俺、これくらいはって次の瞬間に思った。だから、訂正はしなかった。
何気なく、昼食の席でリオさんといつもと変わらない雑談を続けながら。
俺の内心はどうしようとこれくらいとの間で揺れていた。
こういうことには鋭いリオさんが、気づいてくれない、もとい、気づかないことにも複雑な気分で。
上手く隠せちゃってるんだ、俺・・・。
もちろん、リオさんが気付いてくれないことが不満だなんてのは我儘もいいところだった。
食事の片付けをして、早々にお隣りへのお使いを果たして。
いくらお隣りが離れているったって5分も歩けば着くわけで、やれば15分とかからない仕事だ。
帰って、「届けてきました」とリオさんに一声。
「ありがとうございます」とリオさんがわざわざ部屋から出て言ってくれたのは、ちょっと困った。
こんなこと、何度もそう思う。
だけど、とも思う。
リオさんは嘘が嫌いだ。
ここに来たばかりの頃、もっとささやかな嘘で叱られたことがある。
「疲れたでしょう」確かに疲れていた時にそう聞かれて、でも心配かけたくなくて「いいえ」と答えた。
返ってきたのは怖いくらいの真剣な眼差しで。
「ユウ、私のためでも、嘘はいけません。心も、手も、雑になりますから」
・・・・・。
ああ、もう。
なんでここまで覚えてるのに、余計なこと言ったんだろう。
言わなきゃ、それで済んだことなのに。
・・・だから、そう思うなら謝れ、って。
その内心に、でも従いたくない自分がいる。だって、リオさん気づいてないし。
「げ」
何十、何百と彫った花菱文様。気が散ったまま彫っていいわけもないけれど、
それでも彫れてしまうくらいには数を重ねていたのに。
ふと手を止めて仕上がりかけたひとつを見た俺は固まった。
手が雑になる、ってこれか。
今朝彫ったのと見比べてみる。やっぱり、違う。
真っ直ぐ彫るところで、彫りの深さが変わる。曲線が微妙にずれる。
余計なこと考えていれば、それはそうかもしれない。
集中しなきゃ、そう思うほどどんどん手は狂っていって、俺は唇を噛んだ。
「ユウ」
「わっ、リオさん」
振り向くと、リオさんが立ってじっと俺の手元を見ていた。
こういうの時々あるけど、ここまで俺が慌てたことってないから・・・ばれるかな。
ったく、そういうことばっかり気にしてる自分が、心底嫌なんだけど。
俺の反応をどう見たんだろう、リオさんは静かに続けた。
「ユウ、努力しているのはわかりますけど。努力のしどころを間違えていませんか?」
・・・・・。
俺が何も言えないでいるうちに、リオさんは自分の部屋に戻っていった。
それ以上彫り続けることはできなくて、俺は彫りかけの花菱を奥歯を噛んだまま眺めた。
リオさん、どこまで気づいたのかな・・・。
そんなことを考えたまま、彫れるわけなんてない。
彫ることだけ考えてようと思うんだけど、あれ?。「努力のしどころ」って何だろう。
ゆがんだ花菱が、俺を映している。
上手くいってない、それはリオさんに知られた。
努力しているのかな。集中しようと思う、その気持ちを「わかりますけど」と言ってもらって。
でも。
彫り筋は、自分の気持ちと彫りとの間で揺れてる意識を映してずれる。
確かに、間違えている。
問題を棚上げにして集中するよう努力するより、問題を解決するほうがまっとうだ。
あなたの彫るものは、あなたを表しますから。
リオさんの声が、脳裏に響いた。
たったこれだけの嘘なのに。
いまもリオさんはきっと、俺の問題が何なのかには気づいてない。
なのに。
こんなこと、そう思って忘れられるならそうしたいのに。
できない。
リオさんは「こんなこと」とは思わない、それを俺は知っているから。
俺自身だって「こんなこと」と思うなら、逆にさっさと謝ったっていい、たいしたことじゃない。
そうできないのも「こんなこと」ですまないからだ、どこまでいっても嘘は嘘だから。
叱られるのが嫌なのかな。あるいは、リオさんを悲しませるのが?
どっちも嫌だ、・・・忘れてたって言わなかったのも、いま思えば同じ衝動だ。
自分が忘れてたのに、自分が嘘をついたのに、それって、変えようがないのに。
やっぱり、「こんなこと」と言えはしなかった。
これくらいの嘘、ここに来るまでは時々ついてたと思うけど。
相手を気遣っての嘘すら叱られるのに、自分を庇うための嘘なんて許されるわけがない。
彫れない、このままじゃ。
ようやくそこに行き着いて、俺は花菱を手に取り立ち上がった。
リオさんの部屋のドアの前、入りたくないって思う自分がいる。
小さく深呼吸、大丈夫、リオさんはこういうときに急かすことはない。
ゆっくりでいいんです、考えて、納得してから始めなさい。
一度刀を入れた木は、何をしても元に戻ることはあり得ない。
・・・・・。
俺はもう一度深呼吸をして、リオさんの部屋をノックした。
「リオさん、」
「どうぞ、お入りなさい」
いつも通りの静かな声。
「失礼します」
バタンと音を立てないように、そっとドアを閉める俺に、リオさんは柔らかい表情を向けた。
「ユウ、どうしました?」
リオさんの声の速度、声の高さ。
それはどんな感情とセットのときだって、丁寧に響く。
だから、自分の言葉もそうならいいと、思うんだ。
「ごめんなさい、 ええと。ごめんなさいってことがあって」
「どうしました?」
リオさんの声はさっきと同じ響きだった。
「ごめんなさい、さっきのお届けもの、ほんとうはリオさんに言われるまで忘れてて」
リオさんはすぐには何も言ってくれなかった。
じいっと顔を見られて。それからリオさんの視線は俺の手に落とされた。
だからそこに持っていた彫りかけの花菱を、俺はリオさんに手渡した。
リオさんは俺の彫り跡をすうっと指先で辿る。
雑だというほかに、何かが読み取れるんだろうか、それ。
じいっと彫りを見つめた後で、リオさんはカタンとそれを机に置いた。
「迷うまま彫っては、いけませんよ」
ぴいんと張った言葉が、ぐっと刺さる。
「・・・ごめんなさい」
「私に謝るものではありませんが。
嘘はいけません、とは前に言いましたね?」
「はい」
返事をすると、リオさんは小さく頷いてくれて。
そして「いらっしゃい」と俺に手を差し伸べた。
これって・・・あれだよなぁ。
待ってるものを思えば、やっぱり嫌だった。でも。
叱られるようなことをしたのは確かで、それは多分叱られるのが嫌だったからで、
そしてそれはリオさんがこういうふうに叱らなきゃいけないって思ってることで。
同じことを繰り返すんじゃなければ、行くしかない。
「ごめんなさい」
ああ言われてもそれをもう一度リオさんへの言葉にしたのは、自分に勇気が欲しかったから。
自分の声に背中を押させて俺はリオさんの手を取った。
きゅっとリオさんは俺の手に力を込める。
そして俺を膝に倒して、俺は抗いたいのをぐっと我慢した。
そっと、頭が撫でられたのを感じる。
そして、ズボンに手がかけられる。
心底嫌なんだけど。ほんとに、つくづく。
だけど、俺のせいなんだよね。
ぎゅっと目を閉じて、ぐっと拳を握る。
ぱちぃん!
痛くて、恥ずかしい。そして悔しい。
だけど、間違えちゃいけなかった。悔しいのは、嘘なんかついて、彫りも一つ無駄にした、そういう自分。
ぱちぃん!ぱちぃん!
痛い、痛いけど。
ぱちぃん!
リオさんのせいじゃない。
ぱちぃん!
「どんな小さな言葉でも、一度口にしたものは、取り戻せません」
ぱちぃん!
「はい」
「彫りも同じ。してしまってから気づくのでは遅いのです」
ぱちぃん!
わかってた、とは言えない。・・・今日わかった、つもりだけれど。
ぱちぃん!ぱちぃん!
でも、わかったからって痛くなくなるわけじゃ、もちろんなかった。
「・・・ごめんなさい」
痛い、けど、仕方がない。
痛いけど!
「お終いですよ」
リオさんがそう言って手を止めてくれたときには、やっぱり涙は滲んでいた。
それをリオさんに見せたくなくて、俯いたのに。
リオさんはそのままでいさせてくれなかった。
「ユウ、痛かったですか?」
いいえ、と言いたくなるのが悪いことだとは思わないんだけど、でも、それが本当じゃないことは確かだ。
「でも、仕方がないから」
目を擦って、リオさんの顔を見て、言う。
・・・俺のせいだから、って言うべきだった?ともかく質問には答えてないけど真実の範囲内の言葉を選んだ俺に、リオさんは頷いた。
「それでいいんです、ユウ。
嘘よりも、楽ではないでしょうけれど」
え。
予想していなかった言葉を向けられて、俺は結構うろたえた。
嘘はいけないって、俺が思ってる理由と違うのかな。
「・・・そういう嘘でも、同じふうに叱られた?」
リオさんは、小さく微笑む。
「まったく同じではないと思いますけれど。でも叱りましたね」
どこが同じではないかは、わかっているんですよね?
作った怖い目で軽く睨まれて、リオさんが面白がっているのは感じられたけど、俺は笑っているわけにはいかない。
「さっきのは、自分を庇いたい嘘だったから・・・。ごめんなさい」
リオさんは視線を優しく戻してくれた。
「いいでしょう。狡い嘘は、もちろん駄目ですが。
だけど、そういう嘘でなくても、嘘はいけませんよ。
心が雑になるって、言ったでしょう?」
雑になる。わかっているような、でも、違うような。
わかった振りをしてはいけない。
「雑になるって、その彫りみたいなのじゃなくて?」
リオさんは俺の質問に、首を傾げた。
「こういうことでは、なくて。
迷うまま彫ってはいけませんが、ユウ、あなたはこれを彫りながら、いろいろ考えましたよね」
・・・ええと。確かにいろいろ考えた。いろいろ、というよりは同じことをぐるぐる、かもしれないけれど。
リオさんは「何を考えたんです?」とふんわり尋ね、
「え、・・・リオさん気付いてないのに、とか」思わず言うと、くくっと笑われた。
「っていうか!これって罰の続きですか?!」
「いえいえ。ユウのことを知りたいから、聞いているんですよ」
笑っているのにそういう直球、リオさんこそ、ずるい。
だけどリオさんの温かい視線は、いろいろ考えた俺自身に向けられていて。
いま振り返ると情けないこと考えてたなって思う、でもそういう後悔も含めて聞いてくれて、受け入れてくれた。
「ユウ、あなたは素直で鋭い。丁寧に考える自分を大事にしてくださいな」
そして、リオさんは視線の色を変える。
「けれど、何気なく嘘がつけるなら、そういうことも考えないでしょう?
集中することはできるかも知れませんけれど、それは彫りにはなりません」
・・・雑になる。
リオさんが話す「雑」の中身に、俺はちょっと竦んだ。
「それって、・・・俺、気付けないかも」
考えないってこと自体が間違いだったら、それを考えることができるかどうかが最大のハードルだ。
リオさんは俺の言葉に、肯定も否定も返さずじっと見つめ返してきた。
だから、か。
「ごめんなさい、どんな嘘も、嘘はつかない。気を付けます」
考えないことには、たぶん気付けない。
だけど、嘘には気付けるし、嘘は吐かないことができるから。
あなたの彫るものは、あなたを表しますから。
リオさんの声が、脳裏に響く。俺の考えること、すること、それが俺で、俺が彫るもので。
俺が自分の中に見つけた答えに、やっぱりリオさんは答えず、でも、口元がすこし綻んだ。
声は荒げない、間違いなく優しい、でも結構厳しいこの師匠に、
言った自分を嘘にしないようにと俺は願った。
2013.05.06 up
リクエストでいただいた「師弟もの」。
当家唯一の師弟にご登場いただきましたが、あれ、前に彼らを書いてからもう5年?!
ちょっと呆然としておりますが、いかがでしょうか。
気持ちはついこの間書いたばかりなんだけどなあ……(苦笑)
いずれにしましても、リクエストされた方のお好みからあまりずれていなければよいのですが。
久々に書けて(笑)、とても嬉しかったです。リクエストありがとうございます<(_ _)>。