冬に揺らめく暖炉の火

「・・・・ユウ、ユウったら。起きなさい」
「ん・・・、あれ、リオさん・・?」
「起きなさい、ユウ」

「うん?・・・あ、はい!」

うとうとと、いつ眠っちゃったのかちっとも思い出せなかったけど、どうやら俺は寝ていたようでリオさんのちょっと怖い声に慌てて起きた。
瞬きする俺をリオさんは軽く睨んでる。

「えーと、あの、その?」
起きたは起きたけどまだ頭は働いてないみたいで、何でリオさんが怒ってるのか思いつかなかった俺はちょっとぼやけた反応をした。
さっきまで赤々と燃えていたと思った暖炉の火は今すこしおとなしく揺らめいている。
リオさんは困った子ですね、と言いたげな声音で言った。

「こんなところで寝たら、風邪を引くでしょう。それに」
途中で言葉を切られると、どきっとする。
リオさんの視線だって、心なしか鋭くなったみたいな気も。

「道具を出したままですよ。前にも言いましたよね?」

う、あ、はい。
・・・・・。

覚えてる、覚えてますけど。
・・・きょうは、わざとじゃないんだけどな。だって、彫ってたんだから。

彫刻刀を持たせてもらったばかりで彫るのが楽しくて仕方がない俺は、夕食後もひたすら花菱を彫り進めてて。で、いつ寝ちゃったんだろう?
いつ置いたのかもはっきりしなかったけど、使ってた小刀は作業台の片隅にぽんと放り出されていた。彫ってる最中に船を漕ぎ出せば、まあ、こういうことにはなる。

でも、もちろん覚えてもいるんだ。確かについこの間も、言われたっていうか叱られた。
そのときは彫ってる最中にお隣の(っていっても結構離れてるんだけど)おばさんがお裾分けに魚を持ってきてくれて。先にそっちを片付けちゃおうってやってたら、きっぱり言われた。
道具を出しっぱなしで別のことをしないようにって。それがどんなことであろうとも。

俺がリオさんのところに住み込んで半月。
少なくともここまで俺が見た限り、リオさんは声を荒げることを決してしない。
口数も多い方じゃないけど、でも丁寧で。厳しく言われた時でさえ丁寧でさ。

それに甘えるつもりなんて別になかったけど、そうじゃないかと問われたら反論できないかもしれない。
うたた寝くらいは仕方がないじゃないか、とたぶん無意識に俺は思っていたんだろうから。
いや、いまもちょっとそう思っているのかも。

「ええと。ごめんなさい」
俺はそう言いはしたけど、リオさんは少し眉をひそめて俺を眺めた。
そうして、ゆっくり息を吐く。

「ユウ、この間私が言ったこと、ちゃんと覚えてます?」
「え?あ、ハイ、道具を出しっぱなしで別のことをしないように、って」
覚えてたつもりだった俺は頷いて答えた。けどリオさんはまだ眉を寄せたまま。
ほかに何か言われたっけ?考えてみるけど、わからない。

リオさんはやっぱり丁寧な口調で、続けた。
「まあ、いいでしょう。覚えているなら、ちょっとこちらにおいでなさい」
うん?

リオさんの視線が促すとおりに、とりあえず小刀を箱に収めてから。
よく分からないままに立ち上がってリオさんの座ってるところまで進むと、リオさんは手を差し出してきた。その手を取るときゅっと引かれたから、俺もまた座り込む格好になる。と、リオさんはさらにその手を引いて―――えっと、そうすると俺、リオさんの膝の上に倒れ込む格好になっちゃうわけだけど、ええっと、これって、まさか。

「え、リオさん?」
まだぼうっとして、というかまったく予想外でというか、訳も分からずリオさんに身を任せたみたいな俺だけど、この体勢から考えられる次の事態ってのはそういくつもなくて、というかあれしかなくて。
いや、確かに、初めてじゃあないけど。この間―――リオさんとこに初めて押しかけたときの記憶が急に浮かび上がってくる。でも!
嫌だっていう無意識が、事態を正しく認識するのを拒んでるかも。俺はやっぱりどこか呆然としていた。

ぱしん!

「わ、痛!」

けどちゃんと現実は襲ってくるわけで。ぱしん!
「や、やだ、リオさん!痛いよ!」
むしろ恥ずかしい、ってことのほうが嫌かもしれないけど。
それを口にするのも恥ずかしかったりするからそうは言えない。
ぱあん!

リオさんはさっきまでと全然変わらない口調で答えた。
「やっぱり、覚えていませんでした?同じことをしたら今度はお仕置きって言いましたよ?」
えぇ?
覚えてない!っていうか聞いててもやだし、これは。
まさか、こういうことだったなんてさ。
あれ?・・・う、いや、聞いたような気もしてきたけど。
(どっちにしてもリオさんが言ったと言うからにはきっとそれはホントなんだけどな)
ぱしん!
でも、やだって!

お尻が、次第にじんじんしてきた。もう十分痛いのに、リオさんは俺のズボンに手をかけてしまう。
うわ?
「リオさん!そ、それは嫌だ!」
いや、ちょっと、恥ずかしすぎるって!
俺は暴れたんだけど、無駄な抵抗ってやつだった。

暖炉の火は燃えているはずなのに、どうしてもひやりと冷気が背中を伝う。
ぱちぃん!
「痛ったぁ!」
肌を守るものがなくなって。さっきまでとは―――それからこの前とは、全然違う痛み。
高く響く鋭い音。リオさんの手の感覚。
っていうか、とにかく。痛い!

ぱしぃん!
恥ずかしいんだけど、だけど。そんなことより、痛かった。
リオさんの手を邪魔しようとしてみたけど、俺の手はリオさんに簡単に押さえられてしまう。
ぱちぃん!

「嫌だよ!」
「まあ、嫌じゃなければお仕置きにはなりませんから」
そりゃそうかもしれないけど!ってそうじゃなくって!
ぱぁぁん!

リオさんのどこにそんな力があるのか、しっかり抵抗は封じられちゃうんだけど 俺は黙ってはいられなくて、叩かれながらもやっぱり嫌だってずっと喚いてた。 そうして幾つ叩かれたかなんてもう全然わかんなくなってきたころ、リオさんに一方的に通告される。
それを有り難いと言っていいのかどうかは、微妙だけど。
「そうですね、あと十回でお終いにしましょう。しっかり反省してくださいな」

「えぇ??」
ぱしぃん!
痛っ・・・。変わらずに、っていうか叩かれれば叩かれるだけ余計に痛かったんだけど、喚いたからって途中で止めてくれるなんてことはありえないって分かった。だから声は出なくなったけど、その代わりに涙が零れる。痛いし、嫌だしさ。
ぱしん!

結局膝の上でぼろぼろ泣かされて、リオさんが手を止めたときには俺はもうほっとする気力もないくらいにぐったりしていた。胸の中は訳がわかんないくらいにぐちゃぐちゃ。
痛いし、恥ずかしいし、何だか、悔しい。
けどそんなぐちゃぐちゃの俺の頭をリオさんは撫でていた。

リオさんの手は、温かい。
やだな、ただでさえぐちゃぐちゃな胸がもっとぐちゃぐちゃになるじゃんか。
温かいのと嫌なのと混ざって、胸の中はぐるぐるする何かでいっぱい。

お尻がじいんと痛みを主張している。
確かに痛い。嫌だ、って思う。でも、それだけでもなくて。
嫌なんだけどさ、仕方ないのかもとそこで初めて思った。

だってリオさんは、変わらずに丁寧で、いま撫でてくれる手は温かで。
俺の心にはじわりと何かの感情が溢れる。
何だろう。

わかんない。
どうしてこんなふうに叱られなきゃいけないのか。
どうしてこんなに嫌で、だけどそれだけじゃなくて胸の中がこんなにぐるぐるしてるのか。
道具を出しっぱなしで別のことをしないように、って。
それは分かってる。分かってるけど、それでこんなふうに叱られるものだろうか。

こんなにこんなに嫌なのは、たぶん、痛いせいじゃなかった。

「ユウ?」
リオさんの呼ぶ声は、やっぱりとても丁寧だ。
それはつまり、ちゃんと聞いてくれて、ちゃんと話してくれるってことだと思う。
あわてて先に進んだり、分からないまま先に進んだり、そういうやり方をリオさんは嫌うから。

リオさんの声に背中を押されて、俺はわからないことをわからない、と率直に言った。

「リオさん、・・・わかんないよ。こんなことでこんな叱られ方って、嫌だ」
俺はリオさんの膝から降りて、ぺたん、と床の上に座る。
リオさんを見つめた俺に、リオさんは優しい視線を振り向けた。

「ユウ、それは逆ですよ。私はそうすべきことだと考えたから、あなたを叩いた」
包み込んでくれるような視線にそぐわない気もする、きっぱりとした言葉。口調もとても柔らかいのに。
意味するところの厳しさと、その優しさと、でもそれは両方俺が知ってるとおりのリオさんだった。

言われてみれば、最初から分かっててもよかったことかも。
リオさんは感情で手を上げたりしないし、そんな叩かれ方でもなかったから。
俺のしたことを、あんなふうに叱らなきゃいけないことだとリオさんはだから考えてる。
リオさんは言葉を繋いだ。

「次の行動に移る前には、道具は必ず片付けなさい。
 彫ることと、そうでないことの境界を曖昧にしてはいけませんよ。
 良いものを作りたいと望むなら、道具に正しく接しなさい」

俺がリオさんの言葉の意味を、ほんとに分かったかどうかはわからない。
けど、リオさんが真剣にそれを俺に伝えたいと思ってるってことは分かる。
だってそういう視線で口調。
その優しさ柔らかさは俺を思ってて、俺に分かってほしいって願うからだ。

・・・・・言葉で伝えてくれれば、それでいいのに。
そう思ったのは、正直な気持ちだった。
思ってから気付く、さっき俺が悔しかったのは、言われれば分かるのにってたぶんそう思ったから。
何も叩かなくったって・・・・・けど。

リオさんは言葉を紡ぐ。
丁寧な言葉と視線とその口調が、リオさんの伝えたい何かを俺の中に届ける。
ぐちゃぐちゃな俺の胸の中に、何かでぐるぐるいっぱいの俺の中に、まっすぐに。

「熱心なのはいいことですけれどね。眠い眼を擦りながら彫っても、いいものは彫れませんよ。
 それにね、危ないでしょう。刃物を持ったまま意識を手放すなんてね」

う、まあ。それはそうかも。
道具を出したまま目を離すのも、夢の世界に出かけてしまうのも。
何かあってからでは遅いのですよとリオさんは淡々と繰り返す。
確かにそれは、前にも聞いた。

道具を出しっぱなしで別のことをしないように、って。
リオさんは真剣で、それでこの手段。
いま言葉を探して選んでくれているように、この痛みとかその眼差し、全部ひっくるめてリオさんが選んだ。

嫌なんだけど。痛いし、恥ずかしいし、悔しいっていう気持ちもあるしさ。
・・・言われれば分かるのに、ってリオさんに二度目を言わせた俺が言えた義理じゃないかもしれないけどさ。でも。

それでも。

リオさんは、言葉を諦めてこの手段をとったわけじゃなかった。
だってそれなら、こんな言葉にはきっとならない。

リオさんはまた俺の頭をゆっくり撫でた。
それはやっぱり温かくて。
痛くて、嫌で、泣いて、ぐちゃぐちゃでそして温かくて。言葉も、言葉じゃないものも。
たぶんこの全部が、リオさんの伝えたいことなんだ。
そんな何かがみんなひっくるめて入っている胸の中から、もう一度声を出した。

「ごめんなさい」

リオさんは、優しい目で笑う。
「さあ、今日はもう遅いですからお休みなさい」
そして笑みを含んだ口調で付け加えた。
「素直で一生懸命な可愛い弟子に、風邪を引かせたくはありませんからね」

そう言われるのもちょっと困ってしまって、照れたように俺も笑う。
ちゃんとみんな片付けて、お休みなさいって言おうと思いつつもでも。
リオさんの視線とゆらめく暖炉の火が暖かで、俺は黙ってしばらくその温かさに包まれていた。



2007.12.30 up
日常のお仕置きは、前回の非日常とはやっぱり違う気がします。
ユウくんは素直なだけにだからこそすぐには受け入れられないみたいな。
曜日の感覚がすっかり行方不明の年の瀬ですが、たいっへん遅くなりました。

さて季節が一巡りしたので、今後の予定は未定です。書きたくなったら書いているかな?
(だいたい、秋から始めれば4話でもたぶん多少格好のつく終わりだったのにねぇ・・^_^;)

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