「あ・・・、もうこんな時間」
彼女が呟いたから、俺も初めて気づいた。
確かにもう、だいぶ遅い。
家が近い俺はいいけど、彼女が家に着くのは11時過ぎになってしまうだろう。
「ごめん、気づかなくて。駅まで送ってくよ」
そう言ったら円花は驚いたような表情を浮かべて、気のせいかもしれなかったが
俺はひそかにほんのすこし傷ついた。
研究室を出て人のまばらな構内を二人で歩く。
さっきまで、それこそ時間を忘れるくらい話していたのに、いま流れるのはぎこちない沈黙だ。
一瞬の表情を気にしても仕方がない、そう思ってもそう思うこと自体それにとらわれていて。
明るい月夜じゃ、なかった。
きっと、だから尋ねることができたのだ。
「俺が送っていくの、いやだった?」
薄曇の夜が俺たちをやさしく包む。
だから、はっきりと見えたわけではなかったけれど。
気のせいかもしれなかったが彼女はやっぱり、驚いた顔をした。
同じ表情にこんどはほんのすこしどころではなく慰められて。
俺は円花の返事を待つ。
彼女は数歩進めた足を止めて、こちらを向いた。
「違うんです、あの」
「だって、叱られるかと思ったから」
驚かされたのは俺だった。逆に彼女は慌てたらしい。
「あの、えっと、違うんです、それも嫌なんじゃなくて」
「だから、・・・こんなに遅くなっちゃいけないなんてわかってる話で。
でも、つい、楽しかったから無駄話してて。
だから、ちょっとびっくりして・・・」
「やだ、ちが、びっくりしたっていうか」
「あの、別に、先輩が怖いっていうんじゃなくって」
「いえ、もう、えっと」
自分の言葉に余計に焦ってる。
俺自身がショックを受けるところなのかどうか、ちょっとそれは脇に置いて、
彼女が慌てる必要はないはずで。
「円花さん、咎めてるつもりなんかないから、落ち着いてよ。
今日はほんとに、むしろ俺が気付かなかったのが悪かったんだし」
話に夢中になっていたのは俺も同じだ。と、えっと?
さっき彼女、聞き捨てならない・・・っていうか聞き逃したくないこと言ったよな。
「楽しかったよ」
そう言って、彼女の反応をうかがってしまう俺がいる。
円花はちょっと恥ずかしげにうつむいた。
・・・。言っても、いい、かな。
ここしばらく、いつ言おう、いつ言おうと思っていたひとこと。
薄雲越しの月の光が、明るすぎず、暗すぎず、俺の背中を押した。
「円花さん。俺さ、円花さんが好きだよ。
良ければ、付き合ってくれない?俺が怖いっていうんじゃないんだったら」
「怖くなんか!・・・ないです、だって、いつも、先輩正しいんだもの・・・今日も」
・・・。
ぎこちない沈黙は、たぶん、さっきより居心地は悪くない。
それでも、待つ時間には耐えられそうになかったから、「返事はいまじゃなくても」と
言いかけたとき。
「私なんかで、や、あの、私・・・」
「うれしいです」
すうっと雲が切れて、光が一瞬はにかんだ円花の顔を照らした。
そしてまた穏やかな明かりに戻る。
楽しいところも素直なところもとてつもなく愛しくてさ。
彼女に選ばれる男でありたいと思うんだ。
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