「ねぇ、ひどいと思わない?」
図書館から帰ってきた祥ちゃんの愚痴に、僕は返事を悩んだ。
「う〜ん」
祥ちゃんの言ってる駐車場は、確かに、2、3分の超過だったら見逃してくれることが多い。
ちょっとびっくりして、ちょっとショックで、それで愚痴を言いたくなる気持ち
わからないでもない、というかよくわかるんだけど。
そして、ただの愚痴なんだからさ、「そうだね」って受け入れてあげれば、
きっと祥ちゃんも満足してそこで終わるとは思うんだけど。
そこまで思ったけど僕が言えたのは結局賛成でも反対でもない言葉で。
祥ちゃん、いい気持ちしないだろうな、って思う。
・・・でもやっぱり、賛成してあげるわけにもいかなくて。
ねえ、祥ちゃん、気付いて止めてくれないかな。
何も悪くない人を責める言葉は、よくないと思うよ?
「だって、いつもだったらおまけしてくれるのに、機械じゃないんだしさ」
あ〜。・・・。
祥ちゃんが止められなかったのは、半分は僕の返事のせいだろうけど。
「ほんのちょっと遅れただけなのに」
「ね、そのくらいにしておいたら?」
だけどもちろんいまさら受け入れるわけにはいかなくて、というか祥ちゃんが
言えば言うほどそんなことはできなくて、僕はちょっと息をついてなるべく静かに問いかけた。
「祥ちゃん、本気で管理人さんがひどいって思ってる?」
祥ちゃんは、一瞬目を泳がせた。
「だって、あれくらい」
・・・。祥ちゃん、いま気付いたのに続けたよね。
「あれくらい見逃してくれない方がおかしいんだよ」
言いたくないでしょ?それなのに。
祥ちゃんをじっと見ると頬を膨らしてふいと目をそらす。困った子だね。
僕が違う言葉を返していたら、こんなこと祥ちゃんに言わせずにすんだかも。
そうも思うけど、でも、賛成してあげるのがよかったとも思えない。
どうすればよかったんだろう。
こんな風になっちゃうと放ってもおけないから、
言わなきゃいけないと思うことを言うんだけれど、それは僕にも苦かった。
「お膝に来る?祥ちゃん。言わない方がいいこと言ってるって、
わかってるよね」
「やだ・・・だってだって、あたしが悪いんじゃないもん」
子どもみたいなお返事は、祥ちゃんが間違ってるって知ってるしるしで。
・・・・・。そうだよね、祥ちゃん、ちゃんと分かってるんだから。
間違った甘やかし方しなくても、きっと答えにたどり着くよね。
ね、お願い。がんばって。
「ほんとは、お膝の上じゃなくてもわかるはずなのにね」
祥ちゃんをお膝の上に倒して、お尻を出す。
「や、やぁだ」
祥ちゃんの声には構わず、ぱしぃん!
「や、修ちゃん、やだ、止めてよ!」
「うん、止めてあげたいんだけどね。どうしたらいいの?」
ぱしぃん!
「えぇ?やめるのあたしじゃないもん・・・。やめようよぉ・・・」
ぱしぃん!
「そうかなあ。祥ちゃんは全部わかってるって思うんだけど。
決めるのは祥ちゃんだよ。だから、早くやめさせてくれないかな」
「そんなの・・・!だって」
「うん、だってなぁに?祥ちゃん、自分の気持ちとよく相談してから
言ってごらん。ほんとに言いたいこと、素直な気持ち」
ぱちぃん!
最初は、気付いてなかったかもしれないけれど。
でも途中からは確実に、自分でも言いたくないこと言ってるでしょ。
口にしちゃった言葉が、祥ちゃんの素直な気持ちだなんて思わない。
いい子だからさ、あんなこと言い続けて平気なはずないよね。
祥ちゃんが嫌な気持ちでいるの、僕もいやだよ?
ね、だから早く言ってくれるといいんだけど。
ぱちぃん!ぱちぃん!
「も、やだぁ…」
泣く祥ちゃんは可愛い。泣いてもいまは相手を責める言葉を選んでないよね。
それならやだって言うくらいはいいって思う。痛いって言うのも、泣くのも。
でももっと探して。その奥のもうひとつ素直な気持ちと出会ってほしい。
「うん、それも素直な気持ちだと思うよ。それから?」
ぱしぃん!
「ね、祥ちゃん、がんばって。
いちばん言いやすい言葉が、いちばん素直な気持ちってわけじゃないんだよ」
ぱちぃん!
自分が嫌な気持ちでいるの、祥ちゃん気付いてるかな。
「素直になりたいよね。手伝ってあげるから」
ぱちぃん!
「泣いてもいいよ、痛いって言っても。それでゆっくりでいいから考えて。
つい口から出ちゃう言葉じゃなくって、ほんとにほんとに言いたいこと」
ぱしぃん!
早く気付いてほしいのにって思いながら。
僕が言わせちゃったって思うから、早く気付いてほしいなって思ってるところあるかも知れない。
祥ちゃんが苦しい気持ちでいるままなのが嫌なのはもちろんだけど。
でも、ゆっくりでいいんだよね。
祥ちゃん、一生懸命探しているし。
つい言っちゃうんじゃなくて、ゆっくり考えて話してほしいって、それはそういうことだから。
「考える前に言わないで。傷つくのは祥ちゃんだから」
つい口から零れそうになる言葉って、確かにある。僕にもある。
だけど、それで祥ちゃんが傷つくの、見たくないんだ。
ちょっと立ち止まって、考えて。
傷つくぐらいだからね、ちゃんと自分でわかってるから。
ほんとにほんとに素直な気持ち、ほんとに自分で選びたい言葉、
きっとちゃんと選べるよ。
「痛い・・・」
「うん、そうだね」
ぱしぃん!
それから?って聞こうと思ったけど、やめて。
僕が何を待ってるか、祥ちゃん知ってるもんね。
待ってればいい、祥ちゃん、言おうとしてるから。ゆっくり待ってるから。
だから、できれば祥ちゃんがあんまり痛い思いをしなくて済むうちに。
「う・・・」
「うん?」
ぱしぃん!
うん、がんばれ。
「・・・言いたくない、のに」
ぱしぃん!
いい子だね。言うべきこと、見つけたんだね。
「そうかな。よぉく考えて?」
ぱちぃん!
ほんとにほんとに、言いたくない?
「だって・・・」
「言いたいこと、あるんじゃない?」
ぱちぃん!
「がんばって。いま祥ちゃんはちゃんと言葉を選んでる。
もうひとつ、選んでよ。選べるから。待ってるから」
ぱちぃん!
「・・・・・。う・・っと、あの」
祥ちゃんは、何度かトライして。そうして声を絞り出した。
「ご・・・ごめんなさい。悪いのは、あたしで。管理人さんは悪くないのに」
よかった・・・。よくできました。
ふえぇんと泣き続ける祥ちゃんを僕は抱き上げる。
言いたかったこと、言えたよね。管理人さんは悪くない。
・・・・・まあ、祥ちゃんが悪いわけでも、ないんだけどね。
別に2時間に収めなきゃいけなかったわけじゃないし。
何も言わずに済んだら、誰も、何も悪くなかったんだけど。
「祥ちゃんはいい子だよ。もう泣かないで」
「・・・だって・・・ごめんなさい」
「うん、自分でそう言えたんだからさ。言いたかったんでしょ?」
祥ちゃんはしばらくして「・・・ありがとう」と呟いて、僕は思わずぎゅうっと祥ちゃんを抱き締めた。
僕じゃないよ。僕だって、どうしたらよかったのかに自信はない。
僕が間違ってなかったとしたら、それは祥ちゃんが答えにたどり着いたから言えることでさ。
僕にとってもそれは素直に「ありがとう」だ。
「僕じゃないよ。祥ちゃんが言ったんだよ?ちゃんと言えて、よかったね」
「でも、ほんとは最初から、嫌なこと言わなきゃよかったんだよね」
そうだね。でもそういうことわかってる祥ちゃんだから。
「次は、言わずにいられるよ。きっと大丈夫。
だからね、がんばって」
「・・・でも。考える前に言わないって、結構、むつかしいよ」
不安そうな顔の祥ちゃんに、僕の気持ちを伝えられますように。
祥ちゃんはいい子だよ。大丈夫、僕は大丈夫って思ってるから。
だから祥ちゃんも信じてよ。
そんな気持ちをいっぱいこめて、祥ちゃんに向かって笑う。
祥ちゃんの顔もふわっと少し緩んだから。
笑ってた方がきっと、うまくがんばれる。だから大丈夫だと僕は思った。
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