外は寒いけどガラス戸の内は穏やかな冬の日の昼下がり。
リビングで、みんな思い思いに好きなことしてたはずだったんだけど。
あたしは、覚えたての編み物をしてた。かぎ針でマフラー、基本だよね(笑)。
陸兄は確かゲームをしてて、三咲兄は本読んでたか、音楽聴いてたんだと思う。
でも。 糸と格闘してたあたしが発作的に叫んだせいで、それぞれの手を止めちゃったんだ。
「ああ、もう、いや!ムカツクったら!何これ!」
「双葉?」「双葉ぁ?」
心配そうな声と怪訝そうな声。聞こえてはいるんだけれど、耳には入らなかった。
どうしても、すっごくいらいらして、あたしは編み針を床に投げ出したのね。
「もういい!もうやだ!」
毛糸がね、絡まって絡まって固く結ばっちゃって。 しばらく前からほどこうとしてたのに、もう、全然だめで。
今ならね、ばかなことしてるってわかるけどさ。その瞬間は、だめだったわけ。
糸が絡まるって、ほんとに苛つくんだよ?あたし、あの時半分泣いていたかも。
まあ、ね。子供だな、って思うよ。
でも確かに子供だったんだけどさ、それを言い訳にできるほど子供じゃない。
4年生のあたしに、三咲兄は厳しかった。
「双葉。」
何にも、聞いてくれなかったんだよね。
さっきの心配そうな声ってのは聞き違いだったかなって思うくらい、今度の声は
厳しくてさ。
・・・ううん、ほんとは厳しかったわけじゃないかも。
ただ、同情してくれなかったってだけで。
当たり前、なんだけどさ。でも、ね。
「双葉、おいで」
何が待ってるか、なんて、嫌でもわかっちゃうよね。
そりゃもちろん、イライラして癇癪起こすなんて、褒められたことじゃないのだってわかってる。
でも。
「やだ!」
ほんとに、小さな子みたい・・・今思うと、ね。
だけどさ、そのときのあたしには、やりたいことが上手くいかないイライラと、どうしていいかわかんないストレスと、そして三咲兄がわかってくれないっていういじけ虫とさ、それから、わけもなく怒鳴っちゃったことへの後悔が、ぐちゃ混ぜになって渦巻いてたんだよね。
素直になんか、なれないって。
だいたい、三咲兄、怖かったしさ。
「双葉、おいで」
立ちすくむあたしに、次の声は少し静かだったかな。
それとも、変わってなかったのかな。
「やだぁ・・・」
「おいで」
三咲兄が3度目を繰り返したときに、陸兄が固まったあたしの傍にやってきた。
ますます固くなっちゃうあたしの頭をぽん、と叩いて、
「お前って、俺にそっくりかも」って笑った。
「でも、じっとしてても、いいことないぞ?」
そう言って、お部屋を出て行っちゃう。
気を遣ってくれたんだって、わかってるけどさ。
じっとしててもいいことないってのも、わかるけどさ。
そうして三咲兄の傍に寄ったあたしは、でもごめんなさいなんて気分じゃなくて、やっぱり黙ってた。
陸兄とあたしがそっくりなんて、嘘だよねぇって思ったりしながら。
だってさ、陸兄はこんなふうに黙ったりしないもん。
三咲兄は、あたしが謝らないことには頓着しなかった。
そもそも、やっぱり何も聞いてくれなくて、言ってもくれなかったんだ。
ぱしぃぃん!
「ふぇぇ・・・」
ぱしぃぃん!
「やぁぁ・・」
ぱしぃぃん!
ぱしぃぃん!ぱしぃぃん!ぱしぃぃん!
ぱしぃぃん!ぱしぃぃん!ぱしぃぃん!
いくつ叩かれたんだか、覚えてない。いっぱい。
そのうちあたし、泣きながらごめんなさいって言ってたんだけどさ、
構わずにいっぱい。
まあ、「うん」とか、「そうだね」とか、言ってくれてはいたけどさ。
嫌になるくらい叩かれてから、手が止まって、それからはじめて話しかけられた。
「イライラした気持ちのままに嫌なこと言って怒鳴っても、 何にもいいことないよね?」
うん。
お尻は痛いし、あたしの気持ちだって余計にぐちゃぐちゃ。
三咲兄や陸兄に、嫌な思いさせたのだって落ち着けばわかる。
「・・・・・うん」
答えたら、さっきの陸兄みたいに頭をぽん、ってされて。
「それじゃあ、お終い。それで、双葉、どうしたの?」
それではじめて聞いてくれたんだ。
そのときにはさ、もうあたし、糸の絡まりなんてどうでもよくなってたけど。
どうでもよくなるようなことだったんだ、ちょっと時間を置いて、落ち着けば。
だから、三咲兄は聞いてくれなかったのかな。
どんな理由だって、理由にならないってことかもしれない。
それでも、くしゃくしゃの毛糸玉を拾って、「ほどけない・・・」って訴えたら。
そのあと1時間くらいかけて、三咲兄はそれを切らずにぜんぶほどいてくれた。
すっごく、面倒くさかったと思うけど。
今のあたしだったら、たぶん切って、継ぎ直す。
そういう方法を、お兄が知ってたかどうかわかんないけど。
ひとつ、ひとつ、三咲兄の大きな手が、(それに、ちょっと赤くなった手が、)
絡まった結び目をほどくのを、あたしはびっくりして見つめてた。
「ほら、解けたよ」
ぜんぶほどいて、玉にして、あたしがかぎ編みを再開できるようになったとき、
「あ、ありがとう・・・」
あたしの言葉に、三咲兄はすごく嬉しそうに笑った。
もつれた糸を解くのはさ、ゆっくりと、時間をかけて丁寧に、
いらいらしないで・・・いらいらしても、それは棚の上に上げておいてさ、
やっぱりゆっくり丁寧に。
「・・・ごめんなさい」
今度こそ落ち着いて、あたしは同じ言葉をさっきと違う気持ちで言った。
「どういたしまして」
まあ確かに、ほどいていると、叫びだしたくなる瞬間ってあるけどね。
三咲兄は冗談とも本気ともつかない感じであたしをからかう。
それを聞きながら、あたしは、心から思った。
「こんどは、自分でやるよ」
あたしも、また、たぶんいらいらしちゃうんだけどさ、でもやってみる。
ゆっくり、深呼吸して、ひとつづつ。
三咲兄だって、陸兄だってイライラすることはあるってことでしょ?
あたしにだって、たぶんできるよね。
糸も、気持ちもほどいてくれた三咲兄は、「そうだね」って笑う。
「でも、絡ませない方がいいんじゃない?」って。
「そうだけどさー。それができたら苦労しないよ」
「まあね。健闘を祈るよ」
そのあとあたしは、ふかふかのクッションの上に座りなおして、
(ちょっと顔をしかめながら、)続きを編んだ。
どうか絡まりませんようにって思うけど、でも、まあ、絡まってもいいかな、
って気持ちになっちゃったりしてね。
外は寒い、冬の日の午後。
不格好だけど一生懸命編んだマフラーの、あったかいかもしれない思い出。
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