■ 日記のふりをした日記でないもの ■


鬼じゃなくてさ
2009.10.06
「病院、どうだった?」
修ちゃんが帰ってくるなり聞いてくれるのに、どきどきしながら笑って返す。
「うん、大丈夫。順調だって」
薬もお休みになったんだよ、って言えば、よかったね、って予想したとおりに答えてくれて。 で、それで、それから。
言わなきゃ、ってささやくあたしの中のあたしの声。 だけど、後でもいいかな、とか。そういう気持ちだって胸の中ではさざめいてるんだ。

「お夕飯なあに?あ、酢豚、美味しそうだね」
えっとえっとえっと。
このまま黙っていたら状況はどんどん進んじゃう。
病院のせいで今日は会社を早引けししたんだし、お話終わってから作ってたらいつのことになるやらだから、お夕飯の仕度はもうすっかり出来ている。
ねぇ、食べてからでいいじゃない、って思うのは止められないんだけどさ。
ほら、言わなきゃ、ってささやく声があるのもほんとだよ。

と、そのとき。修ちゃんはあたしを見て優しく笑った。
それはさっきの言葉と同じ、経過順調でよかったね、とか、今日のお料理上手に出来たねとか、そういう含みの何気ない笑顔なんだけど。
あたしはとても困ってしまって、あやうく泣きそうになっちゃうところだった。

「ん?」
気付いたような、そうでもないような修ちゃんの顔。
どうしたの、って聞いてくれたら。
聞いてくれたらたぶん、言えるよ。

・・・でもわかってる、それでいいってわけじゃないよね。
先生の言ってたことってそうじゃない。

たぶんね。最初っから、気付かれてたら謝れてたもの。
でもさ、ばれないんだったら、隠しておきたいって。
あたしはそう思ってて、で、それでいいの?って言われちゃったんだよね。

先生は、それじゃだめでしょ、って言ったわけじゃない。
それにさ、隠しておきたいって、あたしは今でも思ってる。
でも。
でもそれじゃだめだって、あたしが知ってたはずだった。

だから、修ちゃん、ごめんねって。お昼にそう思ったよね、あたし。ねぇ?
「・・・あのね、修ちゃん、」
「ん、どうしたの?」
あたしが思ったはずの気持ちであたしをどうにか励まして、なんとか話し始めることができたので。 あたしはどきどきしつつもほっとしたんだ。

「あの・・ね。先生に怒られたの。
っていうか、修ちゃんに、言わないといけないことあるの」
「うん?」
修ちゃんの表情は、まだやわらかい。いやだな、それが強張っちゃうの。
怒る、かな。かなしむ?。わかんないよ。考えたくない。
でもねぇ。
黙ってるままの方が傷つけるって言われたときに、
確かにそうかもって思ったんだからさ。
修ちゃんが怒るも悲しむのも、いまのままよりいいはず・・・だよね?

「えっとね・・・ごめんなさい。
先月のね、修ちゃんが出張の日に、遅くまで、起きてて」
修ちゃんは、怒ればいいのかどうか判断つかないでいるみたい。
すこしの沈黙の後、「何時まで起きてたの?」って。
聞かれるのも当たり前だけどすっごく聞かれたくないこと聞かれた。

言いにくいよぉ。
「・・・・・・。・・・・・・。4時・・・ご、5時?」
5時、じゃないんだけど。ほとんどそれくらい。
4時っていうとちょっと嘘になりそうかな。7時過ぎに目が覚めたときには、ほんとにほっとしたんだよね。
修ちゃんの目がみるみる丸くなる。
「ごめんなさい!」
あたしは思わず目を閉じて、すっごく早口で謝った。

怒ってる、かな。一息置いておそるおそる目を開けると、修ちゃんはあたしをじいっと見つめてた。
「次の日、辛くなかった?」
ふぇぇん、心配させちゃってる。そりゃあ、そうだよね、考えてみれば当然。
ああもう、あたし、そんなことにも気がつかなかったんだよね。
「・・・うん、まあ、平気って言ったら嘘なんだけど。でも、何とか。
その日は早く寝たから。もちろん、後悔したんだけど」

「で、今日先輩に見つかって叱られたの?」
「うん、う〜ん・・・叱られたっていうか。どうする?って」
「どうする?って?」
「だから・・・。修ちゃんに隠したままでいいの?みたいに聞かれてね。
ああ、だめだなぁって思ったの。
言われるまで、気付かなかったんだけど。・・・ほんとは、気付いてたかもだけど。でも。」
項垂れたあたしに、修ちゃんは「そう」と、静かに答えた。

沈黙が落ちる。
修ちゃんは何か考えてて、うん、あたしには見せないようにしてるけど、考えてるっていうより困ってる。
叱らなきゃいけない、けど。「けど」って思うから、なんだよね。
ごめん、ほんとに、困らせちゃって。
叱られるのすっごくやだけど。でも修ちゃんがそれで悩むのもおかしな話。
修ちゃん、優しいよね。

しゅうん、と小さくなってるあたしの頭に、修ちゃんはふんわり手を置く。
「祥ちゃん」
「・・・・・。ごめんなさい」
「うん」
その返事ははっきりしていて、あたしは顔を上げた。

「祥ちゃん」
あたしの眼を見ながら、修ちゃんは聞いてくる。
「ひとつだけ約束するなら、何?」

「え、一つだけ?」
修ちゃんの意外なお話に、今度はあたしが目を丸くした。

「そう、一つだけ」
えっと。
これって、何がいけなかったの?って聞かれてる。
でもさ、いけないこと、いっぱいしたような気がするんだけど。
一つだけ、であたしが約束しないといけないこと、何だろ。

すがるように修ちゃんを見ると、見つめ返されるよね。
たしなめられてるかな、自分で考えなさいって。ううん、でも、それよりやさしい。

なんだろう。
修ちゃんに言わなかったこと、先生をごまかそうとしたこと、夜更かししたこと。
もうしないって、それはたぶん、全部そうじゃなきゃいけないんだけど。
一つだけ、修ちゃんに約束するなら何だろう。

あたしが、修ちゃんと。
先生じゃなくって、あたしじゃなくって、修ちゃんと。
お約束。
修ちゃんに言いたいことって、なんだろう。

「えっとね、あのね、」
なあに、と修ちゃんは優しくささやく。優しいからさ、だからさ。えっと、あの、だからじゃないんだけど、だからさ。

「あの、修ちゃんの。修ちゃんの目を盗むのは、しない」

しない。したくないって思うんだよ、ほんとに。
修ちゃんはふんわり笑んで、あたしをきゅっと抱きしめて、「そうだね、約束」って耳元でささやいた。

それから。

修ちゃんは真面目な顔であたしを見つめて、さっきと同じしっかりした声で言う。
「祥ちゃん、おいで。」

しゅうんってなるけど、やだけどさ、心の底の底から嫌ってわけじゃないんだよ。
優しいからさ。しょうがないよね。

「ごめんなさい・・・」
修ちゃんは、あたしの頭をぽんと撫でて、それからあたしのお尻を叩いた。

ぱあぁん!

ぱあぁん!

ぱしぃぃん!

・・・・・。

3つだけ。
しばらくあたしたちはそのままで、ちょっと経ってあたしはためらいつつ聞いた。
「もう、いいの?」
修ちゃんはもう一回、あたしの頭を撫でて答えた。
「もう、いいでしょ?」

そして、あたしを抱き起こしてくれる。
「約束したからね、大丈夫だよ」

笑う修ちゃんに、何かまた、泣きたくなっちゃう感じもしたんだけど。
にっこりまっすぐ笑いかけてくれるから。
泣くんじゃなくて、あたしも笑う。
修ちゃんと、いつも笑ってられますように。


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