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楽しかった休日も終わり、お夕飯も食べてお風呂に入って。お部屋で髪を乾かしてたら、不意に呼ばれた。
 「茜ちゃん、」
 「ん?」
 振り返ると、黒髪が綺麗なお姉ちゃん。
 ええと、うちのお姉ちゃんじゃないんだけど、お姉ちゃんに似てるかな。
 誰って言えないけどあたしのよく知ってる誰か。
 
 そんなことより気になるのはね、そのお姉さんはどことなく悲しそう。
 何だか分からないけど、どきん、とする。
 「えっと、なあに?」
 ドライヤーも櫛も置いて尋ねると、お姉さんはあたしの目を覗き込んだ。
 
 「茜ちゃん、今日買った髪止め、どうしたの?」
 「え、あの黒いの?失くしちゃったの、買ったばっかりなのに」
 そうそう。今まであたしショートだったんだけど、いまは肩にかかるくらい。
 それで、先月髪止めを買ったのね。それから、今日も。
 それなのにさ、今日買ったやつ、どこかで落としてきたみたい。
 歩きながら付けたりしたから、ちゃんとできなくてすり落ちちゃったんだと思う。
ショック、だよね?
 
 お姉さんは嘆く。
 「茜ちゃん、あの子を探してくれなかったでしょ」
 あ〜、うん。まあ。
 落としたなぁって思って。その前に、落とすかもなぁとも思ったんだ。
 あーあ、やっぱりって感じ。
 気付いたときには辺りを見回したけどさ、それ以上は何もしてない。
 
 思ったこと、そのままお姉さんに言うのはちょっとまずいかなって気がして。
 結局口にしたのはひとことだけ。
 「う、うん」
 返ってきたのもひとことだった。
 「ひどいわ」
 
 ・・・。そう、かも。で、でも。
 「だって、見つかりっこないよ」
 まあいいかな、って思ったって言うよりいい?
 けれど、お姉さんの顔はさらに沈んだ。
 
 「あ、あたしだってがっかりだよ?」
 ・・・。
 「困るの、あたしだし。なくなったの、がまんするし」
 ・・・・・。
 うう。黙っていられなくてあれこれ言ってしまったけど。
 どんどん気まずさが増していく。
 
 「茜ちゃん」
 ・・・。
 傷ましい響きにもう何を言っていいか分からない。
 「大切にしてほしかったのに」
 ・・・。
 
 「最初の子は大事にしてくれているのに」
 ・・・うん、青緑のお花が付いてる、これまた黒い可愛い髪止め。その子はだいぶ気に入ってる。
 失くしちゃった方も、もちろん気に入って買ったんだけどね。
 でも失くしちゃって、諦めて。大事に思う前だったの、多分。
 
 お姉さんはあたしをきゅっと抱き締めて「悪い子ね」と囁いた。
 そう、かも。
 
 パジャマ姿のあたしを膝に乗せちゃって、ベットの上でお姉さんの綺麗な手があたしのズボンとパンツをすうっと下げた。
 裸のお尻を撫ぜたその手は少しひんやりとして。ぱしぃん!と叩いたその手は静かに熱かった。
 
 ぱしぃん!
 「あの子、悲しんでる」
 ぱしぃん!
 「あなたが使ってくれなかったから」
 ぱしぃん!
 細い手がしなって、とても痛い。
 「わ、わざと失くしたんじゃないよ」
 ぱしぃん!
 「でも」
 ぱしぃん!
 「あなたが買ってくれたのに。ほかに誰もいないのに」
 そう、だね。でも。
 ぱしぃん!
 
 「で、でも。あたしのだから」
 
 ぱしぃん!
 
 その言葉に、お姉さんの返事はなかった。
 ぱしぃん!ぱしぃん!ぱしぃん!
 痛い。
 
 あたしのだから。あたしのおこづかい、困るのもあたし。
 ぱしぃん!
 痛い・・・痛い。
 ぱしぃん!
 鋭い痛みだけがお尻で弾ける。痛くて、そして。
 
 お姉ちゃん、怒ったのかな。
 そうだよね。かなしい、とても。
 ぱしぃん!
 痛いよ。
 ぱしぃん!
 
 「茜ちゃん」
 ようやく口を開いてくれたお姉さんの声は、怒ってたんじゃなかった。
 悲しいんだ。
 
 ぱしぃん!ぱしぃん!
 ふぇ、えっ。
 泣けてきた。
 ぱしぃん!
 ふぇ〜ん。
 
 痛い、よ。そして悲しい。あたしも。
 何がだろ。
 お姉さんが悲しんでることが。なくしてまあいいかって思ったあたしが。
 困るのあたしだからとか、あたしのおこづかいだからとか、そういうのって。
 ぱしぃん!
 ふぇぇん。
 ぱしぃん!
 
 「茜ちゃん」
 お姉さんの声は優しい。それですごく悲しい。
 お姉さん、何も言わないけど。声にはいろんな何かが詰まってる。
 
 お姉さんが悲しい、あたしがかなしい。
 ううん、それより。
 あの髪止め。
 
 ぱしぃん!
 痛い。
 ぱしぃん!
 
 どこに、行ったんだろう。
 鈍く光るシンプルな、綺麗な髪止め。
 あたしの。
 あたしが選んだ。
 
 かなしい。
 ぱしぃん!
 
 どこに、行ったかな。
 もう見つからないけど。
 ・・・どうかな。
 
 ぱしぃん!
 
 お尻はじんじん痛んで、あたしは泣いた。
 どこに行ったかな。
 どこで泣いているだろ、あの子。
 
 お姉さんは優しく言う。
 ぱしぃん!
 「あの子、悲しんでる」
 ぱしぃん!
 「う、うん」
 ぱしぃん!
 
 「大切にしてほしかったのに」
 ぱしぃん!
 ふぇ〜ん。「うん」
 ぱしぃん!
 
 ぱしぃん!ぱしぃん!
 ぱしぃん!
 「茜ちゃん」
 ぱしぃん!
 
 たくさん泣いて。大切にしたかったのに。
 綺麗だったのに。折角あたしの手元に、来てくれたのに。
 戻ってこないかな。だけど、無理かも。
 あたしが失くした。
 
 たくさん泣いて、そしてようやくあたしは呟いた。
 「ごめんなさい」
 ぱしぃん!
 謝ったって戻ってこないけど。お姉さんに謝っても仕方ないけど。それでも。
 お姉さんは「そうね」とささやく。
 「伝えておくわ、茜ちゃんの気持ち」
 え、えっと?
 
 手を引いて起こされて、ぎゅうっと抱かれた。
 そして、「ありがとう」と囁いてお姉さんはかき消えた。
 ありがとう、って言われるようなことなんて何もないけど。
 お姉さん、伝えてくれるかな。ごめんなさいって、あの子に。
 
 髪はすっかり乾いてて、あたしは痛いお尻をかばいながらベッドに入った。
 おやすみ、ってさっきと同じ声がどこかから聞こえて。
 しっとりとした青緑のお姉さんの眼が脳裏に映る。
 おやすみなさい、とあたしもお姉ちゃんとあの子に呟いて、そのまますうっと眠りに落ちた。
 
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