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こんなサイトをやってることなんて、知られたくはないよねぇ。けど、あたし、ばれちゃってる人がいる。
 まあね、別に普段はあんまり干渉してくる人じゃないから、いいんだけどさ。
 いいんだけどさっていうかどうしようもないんだけどさ、
 うっかり油断してると痛い目に遭うんだよね、そりゃ自業自得なんだけど!
 それって例えば、こんな話。
 
 
 磯崎さんは、お姉ちゃんの家庭教師の大学生でご近所さん。
 お姉ちゃんが中2のときからだったから、もう3年になるのかぁ。
 あたしもたまに勉強見てもらうことあるけれど、教え方は上手いし、優しいんだよね、普段は。
 普段は、なんて言っちゃうのはさ、ちょうどいま、あたしが先生・・・おっと、磯崎さんに問い詰められてるせいだったりする。
 
 「茜ちゃん、あの本いつ返したの?」
 大学の講義の都合で早く時間が空いちゃって、なんて言って今日はまだお姉ちゃんが帰る前に来ちゃった磯崎先生。いらっしゃい、って声を掛けたらそのまま呼び止められちゃって、二、三の世間話の後に続いたのはそんな質問。
 あの本、ってどの本なんだか、知らない振りして聞き返しながらどきどきしてるあたしがいる。
 「え、どの本?」
 「ブログに書いてたやつだよ。俺も好きだよ、あれ」
 で?、って。
 磯崎さんは、話を見失うってことを知らない不思議なひとだよ。
 
 「・・・うん、もう返したよ?」
 とりあえずお返事。これはほんとね。
 「質問に答えてなくない?いつ返したのって聞いてるんだけどさ」
 「だから、それは・・・」
 歯切れが悪いのは、貸出期間をそれなりに超過したから。
 たいしたことない、って思うじゃない?
 でもね、磯崎さんはこれ怒る、たぶん。だってそんな聞き方だったんだもん。
 
 たいしたことない、なんて言ったら余計怒るもんね。
 あたしがブログやってることとか、実はこんなサイトまで持ってることとか、そういうことは見てても何にも言わないのにねぇ。
 「・・・返したし。貸出期間の更新だってしたよ?」
 言うと磯崎さんの眉毛はぴくっと動いて、ふう〜んって意地悪な頷きが、ちょっと遠くで聞こえた。
 
 「それって語るに落ちるってやつじゃないかな?
 いいや、じゃあ更新後の返却期限はいつで実際にはいつ返したの?」
 そ、そうかな?っていうか何でばれてるんだろ、謎過ぎ。
 でも、ほんとにばれてるのかどうか、わかんないよね。
どうしようかな。
 「えーっと・・・わ、忘れたかも」
 あたしの返事は、一笑に付された、って感じ。
 
 「往生際が悪いなあ。本っ当に忘れた?」
 「・・・それは・・・」
 「俺は何に使ったか知ってるんだよ?どんな本だったかもね。
 で、もう一度聞くけどさ、あの本、いつ返したの?」
 や、一笑に付された、っていうよりはもっと真面目なことなのかも。
 軽い口調なんだけどさ、磯崎さんは笑ってるわけじゃない。
 そしてその笑ってない磯崎さんの言葉の意味を、あたしは上手く捕まえられなかった。
どんな本だったか知ってるからって、だから?
 
 「え、えっと・・・?」
 「言ってること分かるよな?
 ほかの本じゃない、あの本のことで嘘なんてつくの、って聞いてるんだよ」
 うっ。
 分かるよな、なんて言わないでよ、分かんなかったもん。
 で、でも、言われちゃったらもう分かんないなんて言えないんだよね。
 うん。分かっちゃったよ、分かりたくないけどさ。
 
 「・・・ずるいよ、そんなの・・・」
 言ったらこれまた軽く返された。
 「そうかな?それで?」
 それでやっぱり話は見失ってないんだよね。
 どうしよう。
 あんな言い方、ほんとにずるいよ。
 
 ・・・・・。
 「・・・う〜・・・か、返したのは先週だよ。先週の、火曜日」
 嘘じゃない。それでこれ自体は、なんてことないただの事実。
 次の質問が、怖いけどさ。次の質問にあたしはなんて答えるのかな。
 
 「返却期限はいつだったの?」
 そりゃまあ、聞くよね。聞かないでって思ってるって分かってても聞くよね。
 あの本のことで。
 さらりと言われた一言は、無視したくて仕方がないけどそう簡単にそうすることはできなかった。
 
 ずるいずるいずるい!
 磯崎さん、あたしがそんな気持ちになること分かって言ってる。
 どんな本か知ってるって、はったりならいいのにな。
 あんな本。あの本のことで。
 ・・・・・。
 あの本はあの本、磯崎さんがずるくったってあの本の中身が変わるわけじゃなかった。
 
 「・・・多分・・・3週間ちょっと前」
 たったこれだけの言葉だけど、なけなしの勇気とか、ううんそれよりもっと、意地になるのやめようってためのエネルギーとか、なんとか振り絞っての答えだったりする。
 磯崎さんの受け答えは、とっても、シンプルだった。
 
 「そう。」
 
 少しの沈黙の後、磯崎さんは続ける。
 「言い訳は?」
 「・・・ないよ・・・ごめんなさい」
 これって。言い訳があると思って聞いてるんじゃなくって、あたしに言い訳しないことを選ばせてくれるための言葉。あたしを問い詰めてる磯崎さんは、あたしを助けてくれてるんだった。
 
 「いい本だったんだ?」
 続けてのご質問、これは頷きやすい。
 「うん」
 答えたら、磯崎さんは少し笑った。
 「ん。ま、そーだね。いい本だったみたいじゃん」
 あれ?何か変。落ち着かない気持ちになったあたしは言い返す。
 
 「むぅ〜・・・どんな本だったか知ってるのにそんな言い方ってないよ」
 「そんなことないよ」
 磯崎さんはきっぱり答えた。
 「嘘ついてたら、いい本だったって茜ちゃんも言えなかっただろ?」
 
 「・・・うーん?そうかなあ?」
 「そうだよ。でも茜は素直に言えたからさ、だからあれはいい本なんだよ」
 そう、なの?・・かなあ??
 あたしはまだ納得しきっていないけど、磯崎さんは話を切り替えようとする。
 
 「まあいいよ、そこは。嘘をつくことへのお説教なんかもう要らないだろ?」
 「う、う〜・・・」
 あたしになんと答えろっていうのよ。どんなお説教だって欲しくはないけどさ、でも。
 「要らないだろ。聞きたいって言われても言ってやらないぞ?分かってんだから自分で考えろ」
 「・・・は、はい・・・」
 ちょっと乱暴になった言葉。こんなときに反論が入れられる余地はないから、そう返事するしかなかった。
 まあね、あの本だから。・・・分かってる。
 
 けどお説教自体は終わってなかったみたいで、それにはちょっと凹んだ。
 「返却期限はルールだからね。ちゃんと守りなさい」
 「・・・む、それこそ分かってるよぉ」
 「そうかな。茜が抱え込んでる間は他の人は読めないって、本っ当に分かってる?」
 
 「・・・う、うん・・・」
 わかってる、つもりなんだけど。けど磯崎さんは容赦ない。
 「わかってない。いい本だったんだろ?誰かに薦めたいような。
 っていうかネットの向こうの不特定多数の皆様に薦めちゃうような」
 何か微妙に恥ずかしいよ!
 でも事実ではあるので、頷く。どうせ隠せない相手だしさ。
 「うん」
 
 「当然、うちの図書館使ってる人達にとってもお勧めな本だよな?
 まさかスパンキング好きにだけお勧めって訳じゃないだろ」
 もう返事できない。ともかく首を縦に振る。あからさまに恥ずかしいよ!
 「特に児童文学だしな。多感なお子様にもお勧めってわけだ」
 うん。
 
 「で、誰かがこの本とめぐりあってもしかして人生変えるかもしれない貴重な機会を、
茜は奪ったわけ。理解しろよ」
 「・・・・・。」
 そんな大げさな。片方でそう思ってるあたしは確かにいる。
 人生変える本なんてめったにない、本は本棚に眠ったままだったかもしれない、だいたい永久に返さなかったって訳じゃない。
 けど、けどけど。
 
 あたしだって、本好きで図書館好きの端くれだ。
 力のある本はわずかでも確かにあたしを変えるし、大転回をおこすかどうかは人と本のめぐりあわせの問題だし、図書館であるときある本とめぐりあうかどうかはすごく偶然で本がなければ絶対にそれは起こらない。それはいつ起きるか分からない、あるとき起きなかったらもう二度と起きないかもしれない。
 
 「・・・・・ごめんなさい」
 言ったあたしに磯崎さんはうん、と頷いた。
 
 「じゃ、おいで。お仕置き」
 やだ、やだけど。
 あたしが悪いって分かっててもやだけど。
 あたしが悪い、しょうがない。「償うべき罪を犯した」ってやつだ。
 
 おずおずと磯崎先生の膝に身体を預ける。
 はじめてじゃない、けど、よくあることでもない。
 磯崎先生の手は大きくて、力が強くて、痛い。
 毎度二度とごめんだって思うお仕置きに、あたしはぎゅっと目を閉じた。
 
 スカートが上げられて、下着が下げられて、ぱちぃぃん!
 痛ぁい・・・。
 でも痛いって言うのやだから、拳も握って、やっぱり目も開けないで、奥歯も噛み締めてる。
 ぱちぃぃん!ぱちぃん!ぱちぃん!
 お尻が熱い、痛い、磯崎先生の意地悪、って思いながら、そうじゃない、そうじゃないんだって一生懸命思う。
 
 ぱしん!ぱちん!ぱちぃぃん!
 痛いのは、あたしのせいで。
 あたしが、ルールを守らなかったせいで。
 ぱちぃん!
 あたしが、ルールの意味をちゃんと考えてなかったせいで。
 ぱちぃん!
 嘘までついて、それで痛い思いをするのはしょうがないよね。
 ぱちぃん!ぱしん!ぱぁぁぁん!
 やだけど。ほんとやだけど。
 磯崎先生は納得のいかないお仕置きはしない。
 ぱちぃん!
 
 ぱしん!ぱしぃぃん!
 ひときわ大きく叩かれて、そして磯崎さんは手を止めた。
 「さ、お終い。ちゃんと我慢できたから、きっとちゃんと守れるね」
 そうだといい。だけどできるかな。
 でもそんなこと言ったら、じゃあ自信が持てるまで叩いてあげるよ、って言うよねきっと。
 できるかな。できるよね。
 やらなきゃいけないのはあたしだけ、いくつ叩かれたって叩かれなくたって、それはちゃんとわかってる。
 
 「うん。ごめんなさい」
 
 余分なものをつけないあたしの返事に、磯崎さんは真面目に頷いた。
 「いい本に出会えてよかったね」
 その返事にあたしは、本があたしを助けてくれるってことを知ったのだった。
 
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