暑さ寒さも彼岸までって、よく言ったものだと思う。
なんか、今朝起きたときから体が重い。
まあ、授業に差し障るほどじゃなかったけど、部活はパスして帰ってきて、お夕飯は普通に食べて、宿題もそこそこに熱いお風呂に入って、早めに寝ようと、した、のね。
「双葉、大丈夫?」
うっ、しまったな、やだな、ばれた?
や、別にばれて困るような話じゃないんだけどね。でもさ、何か嫌じゃない?
もちろん、風邪引いたからって怒られたりなんかしないよ。(いつも、とは言わないけどさ、少なくとも今回は怒られるような要素はない。ないよね?)
でも、そういうことじゃなくて、嫌なんだ。心配されるのが嫌。心配かけるのも、ね。
「え、何が?何でもないよ。気にしないで」
とりあえず言っておく。三咲兄は少し眉をひそめたような、でも見ないふり。
と、そしたら、その瞬間。
くしゃん!
わっ・・・。
ゴホン、はっくしょん、くしゅん、ゲホン、くしゃん!
間が悪いったらない。どう考えても心配されない訳もないような咳き込み方をして、あたしと三咲兄は気まずく見つめあった。
「双葉、」
三咲兄の手が額に伸びてくる。やだってば、だって熱っぽいのは自覚してる。
「や、あの、いいから」
そう言いながらちょっと後ずさったら、どん、と誰かにぶつかった。
誰か、ってそりゃ、陸兄に決まってる。
さくっと左手首をつかまれて、陸兄の右手はあたしのおでこ。
ちょっと驚いたようにお兄は言った。
「双葉、おい、相当熱あるぞ?」
まあ、そうだと思うよ。だからさ、さっさと寝るつもりなんだってば。
放っといてくれたらいいんだってば。
「気のせいだよ、気のせい。じゃ、おやすみ」
陸兄の手を振りほどいて自分の部屋に逃げ込もうとしたんだけど、お兄は手を離してはくれなかった。
「双葉」
こんどは陸兄と見詰め合う羽目になる。あたしはぷうっと膨れて、陸五兄をちょっと睨んだ。
だ、か、ら、放っといてほしいんだってば。
けどそうしたら、睨んだ先の陸兄の視線も、ちょっと険しくなってくる。
「双葉、そーゆー態度ってどーなの?」
ぱしぃん!って。
すかさずお尻が鳴って、痛い。服の上からなのにさ、涙がにじんだ。
ひどい、こっちは病人なのにさ・・・・・なんてことはもちろん言えないけど、叩かれるなんて思わなかったから、やっぱりあたしはむくれた。
「まあ、そこまで。双葉、寝るんでしょ?」
ふっと、あたしたちの緊張を和らげるゆっくりとした三咲兄の声がする。
「え、あ、うん」
あわてて返事したあたしに、陸兄もあたしの手を離した。
「・・・そうだな。早く寝ろよ」
ぽん、と頭の上に手が置かれて見上げた陸兄の目は真面目で、あたしは何も言えずに目を逸らした。
***
ベッドに入ってコホンコホンと咳き込んでいると、ノックの音。
「双葉、入るよ」って声がして、三咲兄が何かを持って来た。
部屋の明かりに目を瞬かせながら見ると、お兄の手元にあるのは生姜湯。
「・・・いい香り」
「飲むよね?」
お兄の落ち着いた眼差しに向かい合うのが、ちょっと恥ずかしい。
そんな気分になるのって、おかしいよね。
布団から身を起こしたあたしに、三咲兄は上着を掛けてくれる。母さんのお手製の生姜湯は、今日はちょっと甘めで喉にやさしかった。
「熱、測る?」
三咲兄はそう聞いて、あたしは首を振った。いま測ったって測らなくたって、どうせもう、寝るしかできないもの。病院に行くような時間じゃないし、風邪だってことも分かってる。明日の朝になっても全然変わってなかったら、そうも言ってられないんだろうけどさ。
お兄はあたしの返事には異を唱えず、ただ、体温計を枕元に置いた。
ゆっくり生姜湯を飲み干したあたしは、お湯呑を三咲兄に返す。
「・・・ありがと」
言うと、さっきの陸兄みたいな真面目な視線が返ってきて、「いい子だ」とお兄は言った。
・・・・・。やっぱり、何故か何か妙な気分。
また視線を逸らしたくなって、でも、それも余計に恥ずかしいって気もした。
さっき痛かったお尻が、微かにもういちど熱くなったような感じ。
よく、わかんない。何でこんな気持ちになるのかな。
「何か、変な気持ち」
そう言ってみると、三咲兄はあたしの頭にぽんと手を置く。
あ、これもさっきの陸兄と一緒。その感触にあたしがやっぱり途惑っていると、三咲兄はこういった。
「そうだね」
そうだね、って。どういうことかな。
あたしがわからないでいるまま、三咲兄はくすっと笑った。
「陸五も、自分が風邪を引いたら双葉と同じ反応をする気もするけどね。
ひとのことだと、ちゃんと見えるみたいだね」
ええと、ええと。どういう、ことかな。
そのままお兄はあたしを寝かし付けて、今度は軽く布団を叩いた。
「いまは素直な双葉ちゃん、ゆっくりお休み。
時間はたっぷりあるからね、何で変な気持ちなのか、何で陸五が怒ったのか、考えておきなさい」
穏やかそうに聞こえる声の奥が、たぶんあたしをからかってるよ。
だいたい、ゆっくりお休みっていうのと考える時間はたっぷりっていうの、 矛盾してない?!
ちいさな電気を残して三咲兄は部屋を出て行った。
こっそり熱を測ったら、38.5℃…うわわ、隠し通せる状態じゃないわけだわ。
寝返りを打ったら、また、ちょっとお尻がじんじんした。
陸兄、隠してたことに怒ったのかな。心配かけちゃったかな。そうかな。でも、心配かけたくなかったんだけどな。
・・・まぁ、それだけじゃないよね。心配されたくなかったってのも、あたしの気持ち。
やっぱりそれって、無理なことかな。ああ、でも。
お兄たちは、結局あたしの望むようにさせてくれたんだよね。だからこうしてあたしはひとり、静かに寝てる。
・・・三咲兄、ありがと。・・・陸兄も。
咳き込む声が、お兄たちの部屋に聞こえないといいとあたしは願った。
聞こえてもたぶん、お兄たち、今夜はあたしをそっとしておいてくれるだろうけど。けど心配かける。
あたしが心配されたくないって思っても、それは無理な相談で。お兄たちは、心配してくれて、そしてその心配を押さえ込んであたしをそっとしておいてくれているんだ。ふたりとも。
ときに咳き込んで、ときにぼうっとして、ときにお尻が痛いと思ったりして。
そのうちにあたしは寝入って、気がついたら朝になってた。部屋の電気はいつの間にか消してある。
まだ喉は痛かったけど、身体はだいぶ軽くなって、熱は下がったみたい。
(測ったら7度2分だった)。
「双葉、どうだ?」って声と一緒に入ってきた陸兄に、あたしは照れた笑い顔を向けた。
「きのうより、だいぶいいみたい。まだちょっと、喉は痛いけど」
ここで止めても、たぶん陸兄は気にしない。けど、それじゃ、いけないんだよね。あたしの中の変な気持ちは、それじゃダメだって、あたしに言ってる。
あたしはきゅっと軽く手を握って、ちょっと恥ずかしかったけど、でもちゃんと言った。
「陸兄、きのうはごめんね・・・ありがとう」
心配してくれて。それで、そっとしといてくれて。それでそれから、そういうことを忘れちゃってたあたしを叱ってくれて、ね。
陸兄の返事も、照れたような笑い顔。母さんにも生姜湯のお礼を言わなくちゃって、あたしは陸兄を部屋から追い出し、あったかく着替えて台所に下りていったのだった。
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