妹たちの夕方
2) 奥山家
映画館でも少しその後を気にした雪菜に、祐樹は「楽しんでいいんだよ」と囁いた。
「ま、いま考えてもしょーがねぇもんな」と、双葉の兄の人好きのする笑みに、雪菜は釣り込まれて微笑む。
映画は楽しかったし、兄が友人と話すのを見るのも新鮮だ。だけど楽しい時間には、どうしても終わりが来て。
双葉たちと別れた雪菜は、祐樹にはっきり分かるくらいに沈んだ。
二人並んで家まで歩くその肩を、祐樹は軽く抱く。
二人は何も、話さなかった。
「ただいまぁ」
「ただいま」
二人が玄関をくぐっても、父はまだ帰っていなくて。
雪菜はその時間を、祐樹の部屋の片隅で映画のパンフレットを眺めて潰した。
「ただいま」と、玄関に声が響く。
雪菜はパンフレットを閉じて動きを止めた。
祐樹はそっと雪菜を見つめ、柔らかくその髪を手で梳いた。
「・・・ありがとう。・・・行ってくる」
「頑張って」
交わした言葉は短くても、相手の気持ちはよく分かる。
雪菜はぐっと、こぶしを握った。
父の書斎。そのドアは、そんなに厚いわけでも重いわけでもないのだが。
入りたくない、そんな思いは、何度も味わったことがある。
雪菜だけじゃない、祐樹も、高天も、何度でも。
だけど、このドア開けないと、どこにも進めないんだよね。
逃げたい、けど。逃げても雪菜の表情に、祐樹はきっと気づくだろう。
頑張って、って声が胸に響く。
無理やり連れてくるとか、告げ口するとか、方法はたぶんいくつかあるけど、
祐樹は「ちゃんと見てる」って言葉を選んだ。
頑張れ、あたし。言えるってお兄ちゃんも思ってくれてるんだし。
ふたちゃんも、今頃怒られてるのかな。・・・ほんと、悪いことした。
・・・うん。
人を巻き込んどいて、あたしが逃げるわけにいかないよね。
コン、コン。
意を決して、ドアをノックする。「雪菜かい?」
そう言われて、ちょっと笑う。あたしたち、みんなノックの仕方が違うんだって。ほんとかな。
「うん。入っていい?」
「おいで、どうした?」
ぎいっとドアを開けて、書斎に滑り込んだ。
デスクで何かを書いていたようだった父は、ソファーに移って雪菜を招いた。
まだ、優しい顔で、優しい声。
嘘ついたって言ったら、やっぱり、怖い顔になっちゃうよね。
でも。
「・・・あの・・・。ごめんなさい、謝らないといけないことがあって」
「おや。どうしたんだい?」
父さんはまじめな顔になってあたしを見詰める。
そうだよね。あたしの言葉に合わせて、聞いてくれるわけで。
嘘つくのって、そういうのを台無しにするんだよね。
「・・・今朝。あたし双葉ちゃんちに勉強しに行くって言ったでしょ?」
「ああ。何かあったのかい」
「・・・ごめんなさい。それ、嘘で。今日、二人で映画を見に行ったの。
双葉ちゃんにまで、嘘つかせちゃった」
「そう、か」
父さんは、しばらく黙って何か考えていた。
あたしを隣に座らせると、静かに話す。
「いま、ちゃんと言えるのに。どうして、嘘をついたんだい?」
ええと。
「ちゃんと言えるっていうか・・・。見つかったから言ってるだけかな・・・」
そういう問いを立てられると、気づきたくなかったことにも気づく。
だめだよね・・・確かに、せっかく言えたんだけど。
ほんとにそうじゃなきゃいけないところって、なんて遠い。
「うーん、何があったんだい」
父の質問に答えるには、午後いっぱいのことを全部話すしかなかった。
聞き終えた父が、最初に選んだ言葉はこうだった。
「祐樹に会えてよかったな」
「・・・・・。」
答えは「はい」であるべきだ。それはわかっているけど、言いたくない。
でも言いたくない、で済ませていいわけじゃないこともわかってる。
「・・・・・。うん」
言えたのは、父がゆっくり待ってくれたからだ。
雪菜の言葉に、父は頷く。
「最初の質問に戻ろうか。どうして、嘘をついたんだい」
「どうして・・・?」
遊びに行くって、知られたくなかったから。
行っちゃいけないって、言われたくなかったから。
ほんとは、勉強しないといけないと思っていたから?
ぽつ、ぽつと雪菜は答えを探して話す。
「どうだろう、勉強した方がよかったのかな?」
「・・・そう、かもしれないけど。でも、行きたかった」
「楽しかったかい?」
「・・・うん。」
楽しかった、楽しんだ。それでも、どうしても少し気になった。
それは言っても仕方がないことだし、何より自業自得だから言わないけど。
「それは、良かった」
父の口から出たのは肯定の言葉だけだったけれど、雪菜が言わなかったことも承知の上だと聞こえた。
それは、あくまでも優しい声だけど。
「雪菜。今日は息抜きをしよう、っていう判断も、ちゃんと考えてできたはずなんだよ。
決めるのは雪菜だけ。自分で決めるんだ、何からも逃げずに」
「・・・。」
何を言われているかはわかる。
決めるなら、何かを隠してするんじゃないって。
ごまかして流されるんだったら、決めたことにならないって。
「ここのところ、雪菜はかなり頑張っているからね。相談してくれたら、そう言ってあげられたのに。
・・・ほかに隠してることなんて、ないだろう?」
ない、けど。
嘘をつくと、信じてもらえなくなっちゃうよね。
頼りなく父の顔を見ると、まじめに、見詰め返された。
言ってごらん、信じてるよ。
父の口が、そう動く。雪菜はぽろっと涙をこぼした。
「・・・嘘ついて、ごめんなさい。ほかにはないよ、ほんとに」
父の大きい手が、雪菜を撫でる。
「いい子だ。いつでも自分にそう言えるように、しておいで。
そう言えるなら、雪菜の判断はきっと正しい」
「祐樹に会えて、よかったな」
「はい」
もう一度言われて、もう一度答える。嘘をついたままでいたくはない。
そう思える自分に、ちょっとほっとして。
「おいで、もう嘘をつかないって、約束できるね?」
「うん・・・ごめんなさい」
招かれるままに膝に乗ると、お尻を出されて。
ぱぁん!
仕方ないってわかっているけど、それでも痛かった。
ぱぁん!ぱぁん!ぱぁん!
痛くて。痛いって言えないから、余計に痛いのかな。
ぱぁん!ぱぁん!
痛くなくても、もうしないとは一応思っているけれど、
ぱぁん!ぱぁぁん!
そりゃあ、厳しくされちゃうよね。
ぱぁん!ぱぁん!
痛いのを、ちゃんと覚えておきなさいって、声じゃない気持ちが手から伝わる。
ぱぁん!ぱぁん!ぱぁん!
こんなに痛いんだから、忘れたくったって無理だけど、と思ったり。
ぱぁん!ぱぁん!
だけど、自信ないかもって思ったりもする。
だから、こんなに痛いんだから、二度としないって。
ぱぁん!
どう思おうと、痛いのを決めるのは父の方。
結局たっぷり泣かされて、ごめんなさい、もうしません、を繰り返す。
言っても言わなくても、たぶん、父には伝わっているんだけど。
痛いのしょうがないけど・・・双葉ちゃん、大丈夫かな。
父が手を止めてくれたとき、双葉を思っていくつか涙が余計にこぼれた。
「もういいね?父さんも祐樹も、雪菜を信じてるよ」
「・・・はぁい」
双葉には、謝る以外何もできなくて、何も言えない。
「気にしないでよ、雪菜ちゃんのせいにしたらあたしが余計に怒られちゃう」
そう言って、別れ際に彼女は兄と笑ってた。
それぞれが、それぞれのことだっていうのもよくわかる。
だけどごめんねって、もちろん思う。
どっちにしてももうしないって、それ以外の表し方、ないんだよね。
「嘘ついて、ごめんなさい。ほんとに、もうしないから」
いろんな気持ちのこもったひと言。
雪菜は父にではなくて、自分に言った。
2012.09.17 up
おまけその2、雪菜ちゃん編。
雪菜ちゃんと双葉ちゃんは、嘘をつく動機もちょっと違う。
高天君も出したいところでしたが、だめだった・・・(^^ゞ。
もう少しお仕置きシーンも多い方がいいのかなと、この前のアンケート見て思うも、
ごめんなさい、これが精一杯・・・(^^ゞ。
とにもかくにも77777Hit御礼申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。