ミックマックと参考文献
14世紀から18世紀にかけての記述はほとんどないものの、オラウス・マグヌス(1555年)のような聖職者は、古くから根づく信仰を絶滅させることの難しさを書いた。この物語はハグバルドとシグニューの恋愛物語のように、快活に描かれた『スリュムの歌』にも関連しており、どちらも17世紀と19世紀終わりごろに記録されたと考えられている。19世紀と20世紀に、スウェーデンの民族学者達は一般の人々が信じ、北欧神話における神々の残存する伝承を記録したが、その当時伝承は結集されたスノッリによる記述の体系からはかけ離れたものであったという。トールは数々の伝説に登場し、フレイヤは何度か言及されたが、バルドルは地名に関する伝承しか残っていなかったそうである。特にスカンディナヴィアの伝承における霊的な存在のように、認知されてはいないが北欧神話の別の要素も残されている。その上、北欧の運命の考え方は現代まで不変のものであった。クリスマスにブタを殺すスウェーデンのしきたり(クリスマス・ハム)など、ユール伝承の原理も多くが信じ続けられた。これはもともとフレイへの生贄の一部であった。"ゲルマンの神々は現代において、ゲルマン語派が話されている多くの国々における生活や語彙に数々の足跡を残している。一例として、曜日の名称が挙げられる。ラテン語における曜日の名称(Sun、 Moon、 Mars、 Mercury、 Jupiter、 Venus、 Saturn)を基にして作られた火曜日から金曜日までの名称は、それぞれのローマ神話の神々に相等する北欧の神々に取って代わった。英語の土曜日(Saturday)はサターンが起源とローマの神に由来するが、ドイツ語では土曜日のザムスターク(Samstag)は Sabbath から付けられたもので、スカンディナヴィア地方では「洗濯日」と呼ばれている。"
"考古学者のマックス・マローワンとレオナード・ウーリーの支持を得た理論は、地域的洪水の説で、古代近東洪水説話とユーフラテス川の特定の一つの河川氾濫(放射性炭素による年代特定で紀元前2900年、ジェムデト・ナスル期の終わりとされる)とを結びつけるものである。 アトラハシス叙事詩のタブレットIIIのiv、6-9 行めで明らかに洪水が地域的河川氾濫だと確認できる。"「とんぼのように人々の遺体は川を埋めた。いかだのように遺体は船のへりに当たった。いかだのように遺体は川岸に流れ着いた。」"シュメール王名表 WB-444 はジウスドラの支配の後に洪水を設定しているが、彼が、他の洪水伝説と多くの共通点を持つジウスドラ叙事詩における洪水の主人公である。 考古学者のマックス・マローワン[8] によれば、創世記の洪水は「紀元前2900年頃、初期王朝の始まりに実際に起こった事象に基づいている」という。"
"ニュージーランドのノースアイランド、東海岸のマオリ族のンガーティ・ポロウ(Ngāti Porou)の伝説によれば、ルアタプ(Ruatapu)は、父のウエヌク(Uenuku)が若い異母兄弟カフティア・テ・ランギ(Kahutia-te-rangi)を自分の前に上げたことに怒った。ルアタプはカフティア・テ・ランギと大勢の高貴な若い男たちを自分の船に誘い出し、彼らを海に放り出して溺れさせた。 彼は神々に敵を攻撃するよう求め、初夏の大波になって戻ってこいと脅した。 カフティア・テ・ランギは必死でもがいて、南のザトウクジラ(マオリ語でpaikea)に自分を海岸へ運んでくれるよう祈願する呪文を唱えた。 それから、彼は名をパイケア(Paikea)と変えたが、生き残ったのは彼一人だった。(Reed 1997:83-85).""マオリのタファキ(Tawhaki)神話のいくつかは、主人公が洪水を起こして、嫉妬深い二人の義兄弟の村を破壊するというエピソードを有する。 グレイの『ポリネシアの神話』の中の記述が、マオリが以前には有しなかった何かを彼らに与えたのかもしれない=A.W Reed がそうしたように。 「ポリネシアの神話のグレイの言によれば、タファキの先祖が天の洪水を放ったとき、地球は圧倒されてすべての人類が死んだ - このようにグレイ自身の有する全世界的な洪水伝説をマオリに伝えた」(Reed 1963:165 脚注)。 キリスト教の影響は、タファキの祖父ヘマがセム(聖書の大洪水に出てくるノアの息子)として解釈しなおされた系図に現れている。""ハワイでは、ヌウ(Nu'u)とリリ・ノエ(Lili-noe)という人間の夫婦が、大島のマウナ・ケアの頂上で洪水を生き延びる。 ヌウは月に供物をささげたが、彼は自分の安全を感謝する相手を間違えたのである。 創造主のカーネ・ミロハイ(Kāne Milohai)は、地球に虹をかけ、ヌウの間違いを指摘し、その供物を受け取った。[7]"
"北欧神話は、他の多くの多神教的宗教にも見られるが、中東の伝承にあるような「善悪」としての二元性をやや欠いている。そのため、ロキは物語中に度々主人公の一人であるトールの宿敵として描かれているにもかかわらず、最初は神々の敵ではない。巨人たちは粗雑で乱暴・野蛮な存在(あまり野蛮ではなかったサーズの場合を除く)として描かれているが、全くの根本的な悪として描かれてはいない。つまり、北欧神話の中で存在する二元性とは厳密に言えば「神 vs 悪」ではなく、「秩序 vs 混沌」なのである。神々は自然・世の中の道理や構造を表す一方で、巨人や怪物達は混沌や無秩序を象徴している。"世界の起源と終局は、『詩のエッダ』の中の重要な一節『巫女の予言(ヴォルヴァの予言)』に描かれている。これらの詩には宗教的なすべての歴史についての、最も鮮明な創造の記述と、詳述されている最終的な世界の滅亡の描写が含まれている。この『巫女の予言』では、ヴァルハラの主神オーディンが、一度死んだヴォルヴァ(巫女)の魂を呼び出し、過去と未来を明らかにするよう命じる。巫女はこの命令に気が進まず、「私にそなたは何を問うのか? なぜ私を試すのか?」と述べる。彼女はすでに死んでいるため、オーディンに対する畏怖は無く、より多くを知りたいかと続けて嘲った。しかしオーディンは、神々の王としての務めを果たす男ならば、すべての叡智を持たなければならないはずであると主張する。すると巫女は過去と未来の秘密を明かし、忘却に陥ると口を閉じた。