ゲルマンとポリネシア

その結果、西洋古典文学を教養として知っている人の数は日本とは比較にならないと言える。欧米の場合では、子供向け、あるいは若い人向けにギリシア神話物語が書き下ろされている場合が多々あるが、それはやはり、オウィディウスの本のようにヘレニズム的な甘美さと優しさのある物語が多い。日本でも状況は似ているが、異なるところは、成人向けのギリシア神話の書籍であっても、なおさほどに重要でもない「変身」の物語や恋愛譚が多いということがある。ローマ人も、ほかのインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)と同じく、先史時代から神話を語り継いできたと考えられている。しかし、ローマ人たちは、彼らの神話を巧妙に「歴史」や「祭儀」へと転換していったとしてこの過程をあきらかにしたのが、ジョルジュ・デュメジルである。彼はローマ初期の歴史や祭儀などとほかの印欧神話を比較検討し、ローマ人のあいだにも他の印欧語族と共通する神話があることを立証し、三機能体系の適用や、やる気のない曙の女神の神話、水の神の神話などいくつかの比較神話学的再構を主張した。デュメジルの主張のなかでとくに論争を呼んだのは、ロムルスもレムスもヌマも、そしてサビニ人でさえ、純粋な歴史上の存在ではなく、神話の中の存在が歴史に読み替えられたか、または歴史的な存在に当てはめられたという説である。デュメジルは膨大な著作を著し、自説を裏付けるべく精力的に活動した。しかし、近年の研究の成果によって、伝説とされていたことの一部が史実と証明されており、そのため「神話の歴史化」説が疑問視されるのは不可避である。古代史研究者のあいだでは、デュメジルの説を無視するか、否定する者が多い。ただし、ギリシア神話の輸入以前からローマに独自の神話があったことは間違いない。"ローマ人は、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」が行われた。その結果、下記の「主な神々」の欄に記したように、ローマ固有の神に対応するギリシアの神が決まっていったのである。"

"北欧神話は、他の多くの多神教的宗教にも見られるが、中東の伝承にあるような「善悪」としての二元性をやや欠いている。そのため、ロキは物語中に度々主人公の一人であるトールの宿敵として描かれているにもかかわらず、最初は神々の敵ではない。巨人たちは粗雑で乱暴・野蛮な存在(あまり野蛮ではなかったサーズの場合を除く)として描かれているが、全くの根本的な悪として描かれてはいない。つまり、北欧神話の中で存在する二元性とは厳密に言えば「神 vs 悪」ではなく、「秩序 vs 混沌」なのである。神々は自然・世の中の道理や構造を表す一方で、巨人や怪物達は混沌や無秩序を象徴している。"世界の起源と終局は、『詩のエッダ』の中の重要な一節『巫女の予言(ヴォルヴァの予言)』に描かれている。これらの詩には宗教的なすべての歴史についての、最も鮮明な創造の記述と、詳述されている最終的な世界の滅亡の描写が含まれている。この『巫女の予言』では、ヴァルハラの主神オーディンが、一度死んだヴォルヴァ(巫女)の魂を呼び出し、過去と未来を明らかにするよう命じる。巫女はこの命令に気が進まず、「私にそなたは何を問うのか? なぜ私を試すのか?」と述べる。彼女はすでに死んでいるため、オーディンに対する畏怖は無く、より多くを知りたいかと続けて嘲った。しかしオーディンは、神々の王としての務めを果たす男ならば、すべての叡智を持たなければならないはずであると主張する。すると巫女は過去と未来の秘密を明かし、忘却に陥ると口を閉じた。

内容は、同じセム系神話として旧約聖書などとも共通する物が多い。特に重要視されているのは、英雄神バアルの戦いと死、そして再生を描いたものである。"これは『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。 紀元前3千年頃のシュメール文明で成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなるような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)"

"ギリシア神話においては、ヘーシオドスが語る五つの時代の最後の時代、すなわち現在である「鉄の時代」の前に、「英雄の時代」があったとされる。英雄とは、古代ギリシア語でヘーロース(heeroos、 ηρως)と呼ぶが、この言葉の原義は「守護者・防衛者」である。しかしホメーロスでは、君公とか殿の意味で支配者・貴族・主人について普通に使用されていた[67] [68]。"神話学者キャンベルは、英雄神話を神話の基幹に置いたが、彼の描く英雄とは、危険を犯して超自然的領域に分け入り勝利し、人々に恩恵を授ける力(force)を獲得した者である[69]。古代ギリシアの英雄は、守護者の原義を持つことからも分かる通り、超自然の世界に分け入って「力」を獲得する者ではない。文献や考古学によれば、ミュケーナイ時代には存在しなかった「英雄崇拝」が、ギリシアの暗黒時代[70]を通じて、ホメーロスの頃に出現する。ここで崇拝される英雄は「力に満ちる死者」であり、その儀礼は、親族の死者への儀礼と、神々への儀礼の中間程度に位置していた[71]。祀られる英雄ごとで様々な解釈があったが、祭儀におけるヘーロースは、都市共同体や個人を病や危機から救済し恩恵を齎した者として理解された。このような崇拝の対象が叙事詩に登場する英雄に比定された。ときが経るにつれ、ヘーロースの範型に該当すると判断された人物、すなわち神への祭祀を創始した者や、都市の創立者などには、神託に基づいて英雄たる栄誉が授与され、彼らは「英雄」と見なされた[72]。

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