古代オリエントと説話文学

"今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語は、およそ紀元前15世紀頃に遡るその濫觴においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作である。当時のヘレネス(古代ギリシア人は、自分たちをこう呼んだ)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた[3] [4] [5]。"しかし人々は、この地上世界の至る処に神々や精霊が存在し、オリュンポスの雪なす山々や天の彼方に偉大な神格が存在することは知っていたが、それらの神々や精霊がいかなる名前を持ち、いかなる存在者なのかは知らなかった。どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを教えたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった[6]。この故に、ホメーロスにおいては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた[7]。口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的に纏めたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである[8]。彼が歌った『テオゴニア』においても、その冒頭には、ヘリコーン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っているが、ヘーシオドスは初めて系統的に神々の系譜と、英雄たちの物語を伝えた。このようにして、彼らの時代、すなわち紀元前9世紀から8世紀頃に、「体系的なギリシア神話」がヘレネスの世界において成立したと考えられる[9]。

しかし、個々の神や英雄は具体的にどのようなことを為し、古代ヘレネスの国々にどのような事件が起こり、それはどういう神々や人々・英雄と関連して、どのように展開し、どのような結果となったのか。これらの詳細や細部の説明・描写などは、後世の詩人や物語作者などの想像力が、その詳細を明らかにし、ギリシア神話の壮麗な物語の殿堂を飾ると共に、陰翳に満ちた複雑で精妙な形姿を構成したのだと言える[10]。ギリシア悲劇の作者たちが、ギリシア神話に奥行きを与えると共に、人間的な深みをもたらし、神話をより体系的に、かつ強固な輪郭を持つ世界として築き上げて行った。ヘレニズム期においては、アレクサンドレイア図書館の司書で詩人でもあったカルリマコス[11]が膨大な記録を編集して神話を敷衍し、また同じく同図書館の司書であったロードスのアポローニオスなどが新しい構想で神話物語を描いた。ローマ帝政期に入って後も、ギリシア神話に対する創造的創作は継続して行き、紀元1世紀の詩人オウィディウス・ナーソの『変身物語』が新しい物語を生み出しあるいは再構成し、パウサーニアースの歴史的地理的記録やアプレイウスの作品などがギリシア神話に更に詳細を加えていった。ギリシア神話を体系的に記述する試みは、既に述べた通り紀元前8世紀のヘーシオドスの『テオゴニア(神統記)』が嚆矢である。ホメーロスの叙事詩などでは、すでに聴衆にとっては既知のものとして、詳細が説明されることなく言及されている神々や、古代の逸話などを、ヘーシオドスは系統的に記述した。『テオゴニア』において神々の系譜を述べ、『仕事と日々』において人間の起源を記し、そして現在は断片でしか残っていない『女傑伝』において英雄たちの誕生を語った。

何人かの地質学者は、氷河期の終息による海面上昇が、神話に影響を与えたのだと考えている。"このタイプの最新の学説の一つで論議を呼んでいるのがライアン - ピットマン理論であり、紀元前5600年ごろ、地中海から黒海にかけて破壊的大洪水があったという黒海洪水説である。津波を含む、他の有史以前の多くの地質学上の事件が、これらの神話のベースになりうるものとして提案された。例を挙げれば、ギリシャ神話におけるデウカリオンの洪水の原話はおそらく、紀元前18世紀から15世紀のサントリーニ島の火山爆発によって起きた大津波の経験に基づくものだとされる。[2] さらに推測すれば、洪水神話は民間伝承から生じたものであり、最後の氷河期の終わり、10、000年前に海抜が大きく上昇したことが口伝として何年も伝わってきたものであろうと考えられる。""別の学説で論議を呼ぶものとしては、1つあるいは複数の隕石によって大洪水が引き起こされ、空気中や低地に大量の水蒸気を発生させた、というものである。 トルーマンの隕石の仮説を参照。"

古代ギリシア人は人間と非常に似た神々が登場するユニークな神話を持っていたが、彼らはこれらの神々を宗教的信仰・崇拝の対象として考えていたのだろうか。実際、西欧の中世・近世を通じて、人々はギリシア神話を架空の造り話か寓話の類とも見なしていた。現代にあっても、ポール・ヴェーヌは、「ギリシア人がその神話」を真実、信仰していたのかをめぐり疑問を提示する。彼は古代ギリシア人がソフィストたちの懐疑主義を経てもロゴスとミュートスの区別が曖昧であったことを批判する。しかしヴェーヌの結論は、古代ギリシア人はやはり彼らの神話を信じていたのだ、ということになる[90]。また、古代のギリシア人自身のなかでも疑問は起こっていたのであり、紀元前6世紀の詩人哲学者クセノパネースは、ホメーロスやヘーシオドスに描かれた神々の姿について、盗みや姦通や騙し合いを行う下劣な存在ではないかと批判している[91]。"とはいえ、ホメーロスもヘーシオドスも疑いなく、自分たちのうたった神話が「真実」であることに確信を持っていた。この場合、何が真実で、何が偽なのかという規準が必要である[92]。しかし彼らがうたったのは、神々や人間に関する真実であって、造話や虚構と現代人が考えるのは、真実を具象化するための「表現」であり「技法」に過ぎなかった[93] [94]。"

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