参考文献と神的存在
トロイア戦争の英雄であり、平穏な長寿よりも、早世であっても、戦士としての勲の栄光を選んだアキレウスは、ペーレウスと海の女神テティスのあいだの息子である。ヘーラクレースとその数々の武勇譚は、ピエール・グリマルによれば、ミュケーナイ時代に原形的な起源を持つものであり、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとする[76]。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼は全ギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、争ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した[77]。アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。
他の学者は、創世記神話は物語の後世版であり、初期メソポタミア神話(ジウスドラ叙事詩、アトラハシス叙事詩、ギルガメシュ叙事詩を含む)がベースになっていると考えている。"何人かの学者の論議によれば、創世記神話はごく初期のバビロニア神話に通じる特徴を有するが、聖書の物語に特有の様々なポイントは、ごく初期の洪水神話にも一般的にみられるものである。 聖書学者のキャンベルとオブライエンによれば、創世記の洪水神話ではヤハウェ資料による記述と祭司資料による記述の両方が、バビロニア追放(紀元前539年)以後に制作されたもので、バビロニアの物語に由来するという。""地殻変動による大洪水の痕跡を求めてこれらの説を実証する代わりに、歴史家の一部は、エジプトのナイル川、メソポタミア(現代のイラク)のチグリス・ユーフラテス川などのように、河川の洪水によって肥えた土地で初期の文明が発生したことを指摘する。 そのような人々が洪水の強烈な記憶に対し、洪水にまつわる神話を生み出して、彼らの人生にとって欠かせない部分を説明し対処しようとするのは珍しいことではない。 このような古代文明にとってはおそらく、彼らの知る限りの世界を襲った洪水は、西側先進国の基準では地域的洪水であっても文字通り惑星全体と感じられたであろう。 学者の指摘によれば、洪水など発生しそうにない地域に住む文化のほとんどが、自身の洪水神話を生み出さなかった。 人は元来の事件をさらに劇的に語るという傾向とあいまって、大部分の神話学者が必要性を感じるように、これらの論評は、地殻変動による世界を破壊するような洪水の伝説がいかに発達したかの説明となりうる。"
"ドイツ語のメルヘン/メルヒェン (Märchen)、英語のフェアリーテール (fairy tale) を含んでいる。メルヘンは、スティス・トンプソン以降、英語圏でもよく使われるようになった。"説話の多くはもともと口承文芸である。地域・言語によっては、ある時代から書き言葉で残されるようになったものもある。現代では出版されて活字で残されるようになったものも多い。西洋の『ペンタメローネ(五日物語)』や『グリム童話』なども、口伝に取材して後年本にまとめられたものの一例である。また、口承の場合は地域や時代によって細部に異同が多い。語られるたびに内容が微妙に違っていても、聞き手はそれを同一の物語として受け取っている点にも特徴がある。
"フィン族は精霊信仰をベースに、世俗化はしたものの原始宗教的な伝説を守ってきた。狩り(ペイヤイネン Peijainen)や収穫、種蒔きといった儀式は、社会的イベントとして開催されたが、根底にある宗教的部分は全く欠落しなかったのである。"周囲の文化の緩やかな影響によって、単一神教的な考え方から空神を主神格に上げたけれども、彼らにとっては空神も元来は他と同じ「自然界の存在の1つ」でしかなかった。"最も神聖視された動物の熊は、フィン族の祖先の化身と見なされていたため、具体的な名前を声に出して呼んだりせず、”mesikämmen”(草地の足)、 ”otso”(広い額)、 ”kontio”(陸に棲むもの)といった婉曲表現で呼んでいた。"