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『Wish You Were Here』 byRiko

 

第三章②

 

彩とりどりの花が咲く庭へと運び出された茶卓に、こんがりと美しく仕上がった焼き菓子が並べられる。それをみつめる悟空の金の瞳は、驚きと喜びに満ち溢れていた。

「すっげぇー…俺こんなの初めて見た…コレ、食べてもいいの?」

いかにも子供らしい素直な反応に、姜氏は優雅な手つきで茶を淹れながら微笑んだ。

「お好きなだけ召し上がれ。こちらのお茶もどうぞ。」

そう答えながら、姜氏は香り高い湯気が立ち昇る茶器を悟空へと差し出す。悟空は満面の笑みで大皿に並べられた菓子へと手を伸ばした。

 

「あらまぁ、何処からか良い匂いがすると思ったら…ごきげんよう、姜氏。お庭で茶会とは、御珍しいこと。」

悟空が三つめの焼き菓子を頬張りだした頃、庭の外から明るい快活な声が聞こえてきた。

「ごきげんよう、黄氏…本日はとても愛らしいお客人がいらしたので、特別です。お時間がよろしければ、ご一緒にいかが?」

姜氏のその一言で、ごく自然な動作で一脚の椅子が運びこまれる。黄氏と呼ばれたその女性は、軽い会釈をしてその椅子に腰を下ろした。

「そういうことでしたら、遠慮なく。あぁ、こちらが噂のおチビちゃんね。」

そんな風に声をかけられて、悟空は食べかけの菓子を手にしたまま視線を上げた。隣りに座ったその人物は、姜氏のように飛び抜けて美しいという印象ではなかったが、きりりとした面立ちの、清々しい雰囲気の女性だった。

「悟空、こちらは黄氏。この館とは逆の位置にある、西の館にお住まいになられています。」

「よろしくね、悟空。…?どうかした?」

姜氏の紹介を受けて明るく挨拶をした黄氏が、悟空の不思議そうな表情を見てその顔を覗き込む。悟空は口の中の菓子をゴクンと飲み込んでから、その口を開いた。

「うんと…黄氏のお姉さんも、三蔵の『夫人』なんだよね?どうして他の女の人達と、着ている物が違うの?」

無論悟空本人は例外だが、三蔵の『夫人』と称される女性達は目の前にいる姜氏も含め、皆華麗な衣裳を身に纏っている。それと比べて黄氏が身に付けている物は、大変上等な作りの品物だということはわかるが、どちらかと言うと男性の装いに近い。

「あぁ、なるほどね…そういうこと。確かに他の御夫人方のお召し物はきらびやかで美しいけれど、私にはとてもとても…動きにくくて。」

悟空が疑問に思っている事を理解した黄氏が、少々苦笑い気味に答える。

「悟空…黄氏は勇者の誉れ高き黄将軍の御息女で、ご自分も名だたる槍の名手でいらっしゃるの。かつてこの国にも戦乱があった頃、黄氏は御君と共に戦場を駆け巡っていらしたこともあるのですよ。そして現在も、城の兵士の訓練を引き受けておられるのです。」

黄氏へ茶器の受け渡しをしながら、姜氏が悟空にもわかりやすいように補足をする。姜氏の言葉に、黄氏は面映そうに首を振った。

「私は姜氏のように近隣諸国の歴史や風土に通じているわけでもなく、難解な書物に目を通すことも出来ません…けれどせめて、陛下のお傍にある限りは、自分が出来ることがあれば精一杯していきたい…それだけのことです。」

あくまで穏やかに言葉を紡ぐ黄氏の眼差しは、真っ直ぐで迷いがない。この時悟空は、王宮にいる他の夫人達と、今相対している二人の夫人との違いが何処にあるのかを、理屈を超えたところで感じ取っていた。

明確な決意をその胸に宿す者だけが持ち得る、瞳の「力」。三蔵と同じその力を間違いなくこの二人は持っている。おそらくそれによって二人は王としての三蔵の存在を支えており、だからこそ幾多いる三蔵の夫人の中でこの人達は「特別な人」なのだ。

手にしていた菓子を皿に置き、悟空は何かを訴えるような眼差しで二人を見上げた。

「俺も…俺もさ、頑張ったらみつけられるかな。俺が出来ることで、ちょっとでも三蔵の役に立ったり、手助けになれるようなこと。」

そのあまりにひたむきな表情に、二人の夫人の口許に自然と笑みが零れた。

「大切なのは…実際お役に立てるか否かということよりも、貴方が今その胸に抱いた志を、見失わないことです。さすれば、己ずと結果は現れましょう。」

「…ねぇ、今度時間がある時に、槍の稽古をつけてあげるわ。貴方身のこなしが俊敏そうだし…呑み込み早いわよ、きっと。」

姜氏は真っ直ぐに視線を合わせて頷き、黄氏は隣りからポン、と軽く肩を叩いた。悟空ははにかみがちに笑い、「ありがとう」と呟いた。

 

「あのさぁ…俺、八戒に別の館に住んでいる人は三人だって聞いたんだけど…もう一人のお姉さんて、どんな感じの人?」

和やかな時間が流れる中、悟空は不意にそんな疑問を口にした。期せずしてこの二人の夫人と出会ったことで、悟空は三蔵の十二人の夫人のほとんどと顔を合わせたことになる。残りの一人は一体どんな人なのか───悟空にしてみれば、素朴な好奇心だった。だが予想に反して、二人の夫人の表情には、にわかに翳りの色が浮かんだ。

「…桂花姫は生まれつき御身体が弱くて、ほとんど御自分の館からはお出ましにならないの。」

「姫…?その人、お姫様なの?」

王宮のことについて何一つ知らなかった悟空に、八戒は一通りのことを丁寧に説明してくれた。今なら悟空にも、「姫」と呼ばれるのがどんな身分の人物なのかがわかっている。

「桂花姫は先代の王の妹君の御息女…つまり家系上では、御君の従妹君にあたられます。妹君は少し離れた国へ嫁いでおられたのですが、そちらの王が若くして亡くなられ、その後の勢力争いから内乱が起こったのです…その身を案じられた先代の王は、妹君をこちらへ呼び戻されました。その時既に妹君はご懐妊されており、この王宮で桂花姫をお産みになられたのですが…数奇な運命が

心身を蝕んだのか、その後数年も経たぬうちにお亡くなりになられました。強い後ろ盾もなく、病弱故に他国へ嫁ぐこともままならない桂花姫をお護りする意味で、先代の王は姫を形式上御君の夫人ということになさったのです。」

「実際のところ、陛下も決まったご挨拶を差し上げる以外は足を運ぶこともないようだし、私達もほんの数える程度しかお目にかかったことはないのよ。」

悟空が納得のいかない表情を浮かべていることに二人は気付いていたが、敢えて素知らぬふりでこの話題を終わらせてしまった。

先代の王の実子でない三蔵に対して、桂花姫がある種の蔑みの感情を持っていること。亡き王の言いつけに従い手厚い保護をしてはいるが、三蔵は姫に対して全く好意的な感情を持っていないこと。その二人の間には容易く埋め難い、深い溝が存在すること。そんな複雑な事情を理解させるには、あまりに悟空は無垢だった。

 

 

「うっそ、マジでマジで?クッソ~、俺がほんの一月留守にしてる間にそんな面白いコトが起こってたとはなぁ~…あー畜生、これなら武術大会なんて他の奴に行かせりゃよかった!」

「…何を言っているんですか。主催国の姫君直々のご指名だったんですから、そういうわけにもいかないでしょう…悟浄?」

明らかに面白がっているのがわかる口調の男性に、八戒が半ば呆れた様子で声をかける。悟浄と呼ばれたこの男性も八戒同様、三蔵とは旧知の間柄である。彼の母が幼少時の三蔵の世話係だったこともあり、それこそ兄弟のように遠慮のない物言いが出来る、数少ない一人だった。

「あー、まぁね…でもあそこのお姫様は、ちーとばかし俺のストライクゾーンからズレてんだよねぇ…ぶっちゃけ、王妃様の方が俺の好みっつーの?」

「悟浄」

今度こそ強い調子で窘められ、悟浄は小さく肩をすくめた。

「さて…と、そんな楽しげな情報を入手しちまったからには、医務室で油なんか売ってる場合じゃねぇな。早速そのおチビちゃんの面、拝んで来ねーと。」

とびきり上機嫌の笑顔を見せて、悟浄は椅子から立ち上がり扉へと向かった。

「あ…悟浄、一つ忠告しておきますけど、くれぐれも下手な悪戯心起こしちゃダメですよ?こと悟空のことに関しては、僕でも貴方を庇いかねますから。」

部屋を出て行こうとする悟浄の背中に向かい、八戒が声をかける。悟浄は振り向かぬままヒラヒラと手を振り、了解の意を伝えた。

 

通常召使いを除けば、王以外の男性が夫人達の暮らす棟に足を踏み入れることはまず滅多にない。しかし悟浄はその辺は全くお構いなしに気軽に出入りしていたし、明るく会話上手な悟浄に対する夫人達の人気も高かった。今も軽やかな足取りで長い廊下を進み、八戒に教えられた部屋へと向かっていた。

目的の部屋に辿り着き、扉をノックする。少し間を置いて「どなた様でしょうか?」という声が返ってきた。

「その声は旬麗?俺だよ、悟浄。」

目の前の扉が開かれると、旬麗が明るい笑顔で悟浄を迎えた。

「まぁ悟浄様…お帰りなさいませ。長の遠征、お疲れ様でございました。」

「ありがと。旬麗にねぎらってもらえば、疲れなんか吹っ飛んじゃうよ…ところでさ、こちらの新しいご主人様は?」

「悟空様ですか?今日は朝から外へお出かけになっていらして…あぁ、このぐらいの時間なら、あそこかもしれませんわね。」

悟浄の問いかけに答えながら、旬麗は小さくクスリと笑った。

 

(しっかし…国王陛下の目下一番の情人が、木登りとはねぇ…)

旬麗が笑いながら教えたその場所とは、中庭で一番高い木の上だった。悟空曰く、そこが一番良い風が通るということらしい。目指す場所に着いた悟浄が空を振り仰ぐと、両足をブラブラさせながら枝に座っている悟空の姿がその視界に入った。

(何だよ…どってことない、そこらにいそうな只のガキじゃんか…)

王の情人というからには、もっとなよやかげな、少女めいた雰囲気を想像していたのだが。遠目なので容姿の方は何とも言えないが、目に映る彼の仕草はあまりに子供で、「情人」という言葉から受ける艶かしさからは程遠い。

(…っつーか、完璧サルだろ、アレ)

「おいっ、そこのチビザルッッ」

初対面の遠慮などカケラもない大声で、思ったとおりを口にする。その呼びかけに、のんびり空を眺めていた悟空が、音のしそうな勢いで振り返った。

「誰がチビザルなんだよっ!?」

そう怒鳴り返した悟空だったが、先刻の声の主が見慣れぬ人物であることに気付き、その顔を覗き込むように枝の上で身を屈めた。

「…あんた誰?」

不可思議そうに小首を傾げながらの悟空の問い掛けに、暫し言葉を失っていた悟浄はハッと我に返った。

「オ…俺様の男前ぶりを確かめたいってんなら、まずそこから下りて来いよ。これじゃ話も出来ねぇだろ?」

悟浄の言葉に素直に従い、悟空はスルスルと器用に枝を下りていく。ある程度の高さまで来て身軽に飛び下りた悟空が、改めてその視線を悟浄に向けた。

真っ直ぐに見上げてくる金の瞳に、内心の動揺を悟られまいと、悟浄は努めて平静を装っていた。

(…でっけぇ瞳…そんなに開いてたら、マジ零れるんじゃねぇの?確かにコレは、インパクトありありだな…)

「…で、あんた誰?」

「あ?あぁ、俺様は悟浄。王国騎馬隊の隊長をやってる。ここ一月程武術大会で留守にしてたもんでさ…三蔵サマが連れてらした新顔さんに、ご挨拶に伺ったってワケ。」

ようやく落ち着きを取り戻した悟浄は、そう答えながら改めて悟空の全体の様子に目をやる。その視線が、とある一点で止まった。

(おいおい…それってばちょっと犯罪っぽくねぇ?三蔵サマってば…)

頼りなげな項に残る、噛み痕に近い蘇芳色の花。半ば呆れ気味の表情で視線を送りつつも、悟浄は口許に昇る笑みを禁じえない。

十二人もの夫人を持ちながら、その誰にも情熱を傾けることのなかった三蔵。もしやこいつは一生そんな相手に巡り逢えないのではないかと、八戒と共に密かに心配していたのだが。どんな女性の前でも小面憎いほど淡々としていた彼が、こんな大人げない真似をするほど、このちっぽけな子供に惹き込まれているとは。全く人生とはわからないものである。

「ふーん…悟浄、か。よろしくな。なぁなぁ、『きばたい』って何をする人?

『ぶじゅつたいかい』って、どんなことすんの?」

溢れるほどの好奇心に瞳を輝かせた悟空が、矢継ぎ早に問い掛ける。いかにも子供らしい反応に、悟浄は小さな苦笑いを漏らした。

「こんなトコで立ち話も何だからさ、とりあえずお前さんの部屋に戻ろうぜ。茶でも一服しながら、ゆっくり聞かせてやるからよ。」

 

 

部屋へと戻り長椅子に並んで腰掛けた二人は、旬麗が淹れてくれた茶を飲みながら話を始めた。話題が豊富で巧みな悟浄の話の数々にすっかり夢中になった悟空は、身を乗り出して笑ったり驚いたりと大忙しだった。

ひとしきり盛り上がっていた話が少し途切れた頃。いつからか悟空がじぃ…っと悟浄の顔を覗き込んでいた。

「ん?どうかしたか?」

「うん…あのさ、俺の瞳もずいぶん珍しいって言われたけど、悟浄もあんまり同じ人っていないよな。瞳も髪も真っ赤だもん。」

「あ…?あー、まぁ…な…」

それまで流暢だった悟浄の話しぶりが、途端に歯切れの悪いものとなる。悟空の言うとおり、悟浄と同じ瞳や髪の色の持ち主は滅多にいない。いや、滅多にいないどころか、おそらくはこの大陸中を捜しても、まずみつけられはしないだろう。

実は悟浄の母方の先祖には、別の大陸から来た異郷人の血が混じっている。その血がよほど強い力を持っているのか、何代かに一人、突然変異的に悟浄のような子供が生まれることがあるのだ。先代の王はその類のことに全く偏見を持たない人物だったので、悟浄が表立ってひどい差別を受けたことはない。しかし心無い者や迷信深い年寄りには、「異郷人の呪い」などと陰口と叩かれたことも結構ある。そんな中、母に肩身の狭い思いをさせまいと、悟浄は数々の武勲を立てながら、自らの力で今日の地位を築き上げたのだ。

 

「三蔵の瞳が夕暮れの空の色なら、悟浄のは朝焼けの色だな。雲まで真っ赤に染まる、あの色とおんなじ。」

 

悟浄の物思いなど知らぬ悟空が、パッと花が咲くような笑顔と共に口にした、一言。全く予期せぬその反応は、悟浄の胸に驚くほどの衝撃をもたらした。

(…なるほど、ね。三蔵サマってば、コレにヤラレちゃったワケか…)

あの傲慢なまでに誇り高き王が、何故このちっぽけな子供をそれほどまでに欲したのか。その理由を、悟浄は何となく理解出来る気がした。

「呪い」とも囁かれ、己に忌々しい思いばかりを背負わせ続けたこの色を、空を染める朝焼けの色だと言い表した子供。余計な知識が無い故の、単純な発想と言ってしまえばそうかもしれない。それでも悟浄の気持ちを揺り動かすには充分だった。

悟浄の口許にそれまでの茶化すようなものとは違う、緩やかな笑みが浮かぶ。悟浄は手を伸ばし、包み込むようにそっと悟空の頬に触れた。

「…俺のが朝焼けなら、お前さんのは蜂蜜だな。甘くて…蕩けそうな色だ…」

静かに呟きながら屈み込んだ悟浄は、悟空の目許に羽が触れるくらいの、ごく軽いキスを落とした。一方、された方の悟空はといえば、きょとん…とした表情で悟浄を見上げるばかりだった。三蔵に出逢うまで口付けの意味すら知らなかった悟空は、当然ながら今まで三蔵以外の者にそうされたこともない。だからこんな時に、どう反応を返していいのかすらわからないのだ。

しかし甘い余韻に浸る間もなく、この時間は唐突に終わりを告げた。悟空の方へ屈み込んでまるで無防備になっていた悟浄の後頭部に、冷たい鉄の感触が押し付けられた。

「この空っぽな頭に風穴空けられたくねぇんなら、今すぐその手をどけろ。」

氷点直下のその一声に、悟浄が「降参」の意で両手を挙げる。悟浄の背中越しに悟空がヒョイと覗き込むと、そこには怒りの最頂点といった表情の三蔵が仁王立ちになっていた。悟浄が手を離したことで、三蔵がその頭に突き付けていた物を下ろす。それはこの大陸でも数える程しか現存しない銃という武器で、この国では代々の王にのみ受け継がれる、門外不出の代物だった。

「またまた三蔵サマってばもう…ちょっとしたお茶目だっつーのに、大人げないんだからぁ…ま、しょーがねぇか。今の三蔵サマってば、他の女になんか目がいかないくらい、このおチビちゃんに首ったけらしいもんな。」

「え…?」

やれやれといった調子で立ち上がりながらの悟浄の軽口に、悟空が驚きの反応を示す。その表情に、悟浄は意外そうに首を傾げた。

「何不思議そうな面してんだよ?お前さんが来て以来、この王サマは他の御夫人方の所へはまるっきり足を向けてないって、俺はそう聞いたけど…?」

「いい加減その口閉じてさっさと出て行かねぇと、本当に風穴が空くぞ。」

「ヘイヘイ、了解致しました…んじゃーな、悟空。」

苛々した口調で再び銃口を上げようとする三蔵に、殊更軽い口調で返した悟浄が扉へと足を進める。その背中に向かって、悟空が「悟浄」と呼びかけた。

「何だよ?」

「いろんな話してくれて、ありがと。すっげぇ面白かった。今度さ…馬の乗り方、教えてくれる?」

「お安い御用だ、いつでも言いな。」

明るい声で答えた悟浄は、小さく振り返り悟空に手を振ってから、部屋を出て行った。

暫しの沈黙の後、三蔵が改めて悟空へと向き直る。次の瞬間、悟空が「え?」と思う間もなく、その頭にガツン!!と容赦のない拳骨が炸裂した。

「痛ってーーっっ!!いきなり何すんだよ!?」

「うるせぇっっ、何でテメェはよく知りもしねぇヤツをホイホイ部屋に入れてやがるんだ!?少しは警戒心てモノを持ちやがれっっ」

全く、八戒から話を聞いて「もしや」と思い来てみれば案の定このとおりだ。どうしてこの子供はこんなにまで、誰に対しても無防備なのだろう。

「知らないヤツじゃないもんっ、中庭で会った時に、ちゃんと自己紹介聞いてから一緒に部屋に戻って来たんだからっ」

半分涙目の状態で殴られた頭を抑えながら、悟空は懸命に反論する。彼にしてみれば、何故こんな一方的に叱られているのか納得出来ないのだから、言い返したくもなる。しかし悟空のこの反応は、益々三蔵の怒りを煽ってしまう結果となったようである。

「どっちだって同じことだろーが、このバカザルッッ」

更に怒鳴り返した三蔵が、再びその拳を振り上げる。

「大体何で警戒なんてしなきゃいけないんだよっ、悟浄は三蔵の友達だろ?」

悟空のその言葉に、三蔵の拳が途中でピタリと止まった。

「…あいつがそう言ったのか?」

三蔵の声に、それまでの怒り一辺倒な感じとは異なる、奇妙そうな色合いが含まれる。確かに悟浄はお互いズケズケと言いたいことを言い合える、数少ない一人ではある。しかしそんな仲でも悟浄はきっちりと互いの立場というものを理解していて、第三者がいる場面で三蔵を呼び捨てすることは決してないし、ましてや自ら「友人」などという言葉を口にする筈がないのだ。

三蔵の問い掛けに、悟空は小さく首を振った。

「違うよ、悟浄は言ってない。でも、わかるよ…八戒もそうだけど、三蔵のこと話してる時の声の感じとか表情とか、他の人と全然違うもん。悟浄はずっと『三蔵サマ』って呼んでたけど…でも、すぐわかったよ。この人は、三蔵の特別な友達だって。」

疑いのかけらも無い笑顔で、悟空は真っ直ぐに三蔵を見上げる。三蔵は返す言葉をみつけられず、半ば茫然として悟空をみつめ返していた。

王宮の臣下達は三蔵の統率力を評価してはいるが、それでも全ての人間が無条件の信頼を寄せているわけではない。一見忠義に厚いように見せかけている連中の中にも、出世の為の駆け引きや、己の保身の為の計算を巡らせている者も決して少なくはない。そんなことを何一つ知る由も無いこの子供は、事も無げに「でもわかるよ」と、ただ笑うのだ。

邪なものを一切寄せ付けないその瞳は、真実のみを選り分ける力を持っているのだろうか。

「三蔵…?」

いきなり黙り込んでしまった三蔵の顔を、悟空が訝しげに覗き込む。三蔵はそれには答えぬまま椅子越しに身を屈め、先刻悟浄が軽いキスを落としたのと同じ場所に唇を押しあてた。

おそらく悟浄にしてみれば、からかい半分の、ほんの戯れのつもりだったのだろう。それを承知していても腹立ちが収まらないのが事実なのだから、如何に「子供じみている」と呆れられてもどうしようもない。

この存在は決して何者にも譲れぬ、自分だけのものなのだ。

唇を離し身を起こした三蔵は、ちょうど腰の辺りにくる悟空の頭を、緩く抱きこんだ。

「…馬に乗りたいなんてそれぐらいのこと、何でわざわざ俺を通り越してあのヤローに頼むんだ。直接俺に言えばいいじゃねーか。」

「ん…でもさ、悟浄は騎馬隊の隊長さんだって言ってたし…三蔵は『国王様のお仕事』が忙しいもん。」

悟空にしては珍しく静かな声で紡がれた言葉に、三蔵の口から大きな溜め息が漏れる。小さな頭を抱き込んだ手で、三蔵はその髪をクシャリと撫でた。

「テメェは本当にバカだな…お前は俺を、働かされどおしの奴隷とでも思ってんのか?俺は国王だぞ…お前を馬に乗せるぐらいの時間、作ろうと思えばどうとでもなるんだよ。」

次の瞬間、三蔵は悟空が顔を上げて「ホントに?」と楽しげに笑う様を想像していた。しかし実際の彼はその顔を三蔵に向けることはなく、やはり静かな声で「うん…」と呟いただけだった。

「悟空…?」

三蔵の戸惑いがちの呼びかけにも、悟空は答えない。ほんの少し前の笑顔の名残りは跡形も見られないその表情は、思慮深い賢者のような、ひどく静かなものだった。

 

 

姜氏と黄氏から聞かされた孤独な姫の話。先刻の悟浄の口から発せられた言葉と、今の三蔵の一言。今日一日でいっぺんに頭に入ってきたそれらの事柄は、今まで何の疑問も抱かず三蔵の寵愛を受けてきた悟空の胸に、小さなわだかまりを生じさせたのであった────。

 

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