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『Just the way you are』   by Riko










                              第四章



「三蔵…?」
いつもの如く長椅子に並んで座り、その日一日の出来事を話していた悟空が、
傍らから相槌の声が聞こえなくなったことを訝しんで振り返る。すると三蔵は
いつの間にやら背凭れに全身を預けるようにして寝入っていた。
「三蔵…三蔵、こんな寝方したら風邪ひいちゃうって」
眠りが深くなってしまう前に三蔵を起こそうと、悟空は少々乱暴にその肩を揺
さぶる。心が痛まないと言えば嘘になるが、幾ら小柄な割には力がある悟空と
いえど、完全に眠ってしまった後では三蔵を一人で寝台まで運ぶのは難しい。
何度か前後に身体を揺さぶられ、三蔵が顔を顰めながら薄く目を開ける。半ば
無理やり意識を引き戻された三蔵は明らかに不機嫌そうだが、この際仕方がな
い。悟空は努めて柔らかな笑顔を三蔵に向けた。
「眠いならちゃんと寝よう…?ここじゃ身体が痛くなっちゃうよ。」
幼子を諭すような悟空の言葉にも、初めは要領を得ない様子で「あ…?」と間
の抜けた声を上げた三蔵だったが、やがていきなりすっくと立ち上がると、無
言のまま悟空の身体を肩へと抱え上げた。
「え…ちょっ、三蔵??」
悟空の困惑を物ともせず、三蔵はズンズンと寝台に向かって進んで行く。寝台
の目の前まで辿り着いた三蔵は、まるでネジの切れたぜんまい仕掛けの人形の
ように立ち止まったかと思うと、そのままの姿勢でグラリと前方へ倒れ込んだ。
「うわ…っ」
突然のことに、悟空が思わず声を上げる。三蔵の身体ごと寝台の上に引き倒さ
れる形となった悟空がやっとのことでその腕の中から抜け出せば、三蔵は全く
気付く様子もなく、うつ伏せのままで再び寝息を立て始めていた。
「…三蔵…」
未だ子供らしい丸みの残る手が、そっと眩い金の髪を梳く。瞼の閉じられた秀
麗な横顔には、濃い疲労の色が見て取れる。その寝顔を見下ろす黄金の瞳に、
淡い憂いの表情が滲んだ。
ひどく疲れているのだなと思う。さして大きいわけでもないその背中で、この
若き君主が背負っているものは、自分には想像がつかないほど重い。多くの来
賓を招いての盛大な式典の後に焔の滞在が続き、まさしく彼は気を休める暇な
どなかったのだろう。
小さな唇から、深い溜め息が一つ零れる。三蔵を起こしてしまわぬよう肩の位
置まで上掛けを引き上げてから、悟空は部屋の灯りを消した。
「おやすみ、三蔵。」
少しやつれてしまった頬にそっとキスを落とした後、悟空は三蔵の頭を胸に抱
え込むようにして、自らも瞼を閉じた。



数日後。悟空は八戒を茶に誘い、三蔵の体調について話をした。只の疲れだと
言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり一抹の不安を拭いきれなかっ
たからだ。旬麗が淹れてくれた茶をゆっくり味わった後、八戒は悟空の気持ち
を落ち着かせるよう殊更意識をしてニッコリと笑いかけた。
「まぁ疲労が溜まっているんでしょう。式典の準備から先日焔太子帰国するま
で、ずっと気を張りどおしだったでしょうからね。ですが流石にここまで忙し
いことは当分の間ないでしょうから…いつもどおりの日常のペースを取り戻せ
れば、追々問題はなくなっていくでしょう。心配ないですよ。」
悟空の不安な思いを充分に承知しつつも、八戒は敢えて平素と変わらぬ調子で
答える。しかし医師である八戒の口から『心配ない』と聞かされてもなお、悟
空の表情はもう一つ晴れなかった。
「何かさ…三蔵が元気になる為に、俺が出来ることってないのかな…」
俯き加減の悟空は沈みがちの声でぽつりと呟きを落とす。確かに八戒の言うと
おり、時間にゆとりが出来れば蓄積された三蔵の疲労も徐々に改善されていく
ことだろう。ただ悟空としては、三蔵の不調がはっきりわかっているのにそれ
を見ていることしか出来ない自分がもどかしいのだ。
そんな悟空に八戒はこの上なく穏やかな眼差しを向け、その小さな肩にそっと
手を置いた。
「あの人にとって他の何にも勝る疲労回復の特効薬は、まず貴方自身が元気な
笑顔でいてくれることですよ。」
「そりゃあわかってるけど、さぁ…」
ひどく優しい声音でそう説かれ、悟空は中途半端に口ごもってしまう。
無論悟空にもわかってはいるのだ。政治や軍事の面で彼の力になれない自分に
出来る唯一にして最大のことは、少しでも余計な心配をかけぬよう、いつも明
るく元気に接することぐらいなのだということは。
でも───…
「そういえば…今ふと思い出したのですけれど、西の森に疲労回復にとても効
果のある薬草が群生している場所があるそうです。もしよろしければ、二人で
探しに行ってみませんか?」
空になっていた器に新たに茶を注ぎながら、如何にもさりげない口調で旬麗が
悟空に話を切り出す。何か具体的に三蔵の役に立てることをしたいのだという
悟空の思いは、旬麗にも痛いほど伝わっている。多分それはどんなささやかな
ことでも構わないのだ。案の定、弾かれたように顔を上げた悟空は、今にも零
れ落ちそうなくらい丸い瞳を見開いて旬麗の顔を覗き込んだ。
「ホントに?それって三蔵の疲れにも効くかな?」
「はい、きっと。悟空様がご自分の為に摘んできて下さったのだとおわかりに
なれば、疲れもいっぺんに吹き飛ぶに違いありませんわ。」
懸命な様子で問い掛けてくる悟空に、旬麗は笑顔で頷いてみせる。つい先刻ま
での沈みがちな表情は、見る見るうちに明るいものに変わった。
「よかったですね悟空。薬草を摘んで帰ってきたら、一度僕にも見せて下さい。
より効果的な使い方を教えてあげられるかもしれませんから。」
「うん!そしたら薬草を持って医務室に行くな。」
八戒の言葉に悟空は満面の笑みで答える。八戒は少し眩しげに翡翠色の瞳を細
め、大地色の髪をクシャリと撫でた。
おそらくこの幼子は、自分が『何にも勝る特効薬』と表現した真の意味を理解
してはいないだろう。あの絶対的な力を持つ君主にとって、己の存在がどれほ
どの重さを持っているのか───この子供自身はわかっていまい。
唯一人の想い人がいつの日も健やかに笑っていること。王としての責務云々を
除いた三蔵個人にとっては、それ以上に価値のある宝など何一つありはしない
のだ。
焼き菓子に手を伸ばす無邪気な横顔をみつめながら、八戒はごく自然に口許を
綻ばせた。



仕事に戻る八戒を見送った後、二人は早速西の森へと向かった。今からでは薬
草を摘み終えて戻って来る頃には暗くなってしまうが、旬麗から話を聞いた時
からもう悟空はいてもたってもいられない様子だったし、そんな悟空の気持ち
を十二分に察している旬麗にすれば否と言えるはずがなかった。

西の森へと入り暫くして、旬麗が目当ての薬草をみつけた。
「コレ?この、先が少し尖ってる感じの葉っぱがそう?」
「えぇそうです。なるべく若そうな、柔らかな物を選んで摘んで下さい。」
旬麗の助言に従い、悟空は腰を屈めて薬草を摘み始める。その姿は真剣そのも
のだ。
少しでも三蔵に元気になってほしい、その為に自分が出来ることならどんな些
細なことでもしたい。今悟空の小さな胸を占めている思いは、ただそれだけで
あった。
「…アレ?」
ひたすらに薬草摘みに励んでいた悟空がふと顔を上げ、辺りを見回す。近くに
旬麗の姿がない。どうやら薬草を探すことに夢中になり過ぎて、気が付けば一
人で森の奥へと進んでしまっていたらしい。
「旬麗」と呼びかけようとした、その時。

「やぁ…っ!」

短い悲鳴が、悟空の鼓膜を震わせる。ほぼ反射的に立ち上がった悟空は次の瞬
間、薬草を入れていた籠を放って走り出していた。
「旬麗!!」
鋭い声でその名を叫んだ悟空が、大きく息を呑み瞠目する。見開かれた金の瞳
に映ったのは、意図的に気絶させられたらしい旬麗と、それを取り囲んでいる
男の姿。
「…っ!」
ただならぬ事態を察した悟空が、ほとんど無意識の内に構えを取ろうとする。
相手の人数は四人。完全に丸腰とはいえ、悟空の腕力を持ってすれば倒せない
ことはないだろう…が。
握りかけていた拳をダラリと下ろし、悟空は構えの姿勢を解いた。旬麗の身が
向こうの手の内にある以上、こちらから攻撃を仕掛けるわけにはいかない。
「賢明な判断だな。」
くやしげに唇を噛みしめる悟空に、男の一人が声をかける。改めて男達と向き
直った悟空は、怪訝そうに眉を顰めた。
目の前の連中は、単なる野盗やごろつきの類いとは違う。ある程度一定の訓練
をきちんと受けている者だ。日頃から黄氏や悟浄と接している悟空にはそれが
わかる。
(こいつら何者だ…?)
「…何が目的だ。」
正面から合わせた目線を逸らさぬまま、いつもの彼からは想像もつかぬほど硬
い声音で悟空が問いを発する。地に倒れていた旬麗を抱え上げると、先程話し
かけてきた男は軽く顎をしゃくって悟空を促した。旬麗に危害を加えられたく
なければ、おとなしくついて来いということなのだろう。悟空は無言のまま短
く頷き、男達の方へ向かって一歩踏み出した。
一人の男が縄を取り出し、悟空を拘束しようとする。悟空は首を振り「必要な
い」と告げた。
「旬麗の命がかかっているのに、逃げ出すようなくだらない真似はしない。」
きっぱりと言い切ったその横顔には、未だあどけない容貌に不似合いな、静か
だが明確な意思が宿っている。思いもかけなかった幼子の気迫に気圧されたか
のように僅かに後退った男は、結局悟空に縄をかけることはしなかった。
この先の行動を確認するように頷き合った後、男達が歩き出す。一度だけ背後
を振り返った悟空は、何かを振り切るように踵を返すと、男達の後に従って歩
き出した。



そして夜。ようやく一日の職務を終えた三蔵は、悟空の部屋へと向かっていた。
扉の前に辿り着いた三蔵が数回のノックの後、取っ手に手をかける。悟空は基
本的に就寝時以外は施錠する習慣を持たない。予想に違わず部屋の主の返答を
待たずして、あっさりと扉は開いた…が。
「…悟空?」
訝しげな表情で三蔵が呼びかける。外は既に漆黒の闇に包まれているというの
に室内には灯りが点っておらず、しん…とした空気が流れている。次に三蔵は
侍女である旬麗の名を呼んだが、やはり返事が戻ってくる様子はなかった。
「あれー?どしたの三蔵サマ、そんなトコでボーっと突っ立っちゃって。」
いつもの如くの至って軽い調子で声をかけられ、三蔵がそちらへ顔を向ける。
三蔵の何とも表し難い表情を見て取った悟浄は、小首を傾げて「どしたん?」
と再び問い掛けた。
「悟浄…お前今日、悟空と会ったか?」
「ん?いや。俺はちょっと旬麗に頼まれてた物があってさ、それを渡しに来た
んだけど…何、二人ともいないの?こんな時間に…?」
手にしていた小さな袋を軽く持ち上げてみせた悟浄が、三蔵の横から部屋の様
子を覗き込む。明らかに人の気配がないのを確認し、悟浄は神妙な表情で紅い
瞳を眇めた。
「あ…そういや八戒が、悟空から茶に誘われたとか言ってた気が…」
ふと思い出したような悟浄の呟きを拾い上げたのとほぼ同時に、三蔵は医務室
へと駆け出す。悟浄も慌ててその後を追った。

「えぇ、お昼の後に一緒にお茶を飲みまして。その時に、西の森へ薬草を探し
に行く話をしてましたけど…まさかまだ戻ってないんですか?」
とんでもない勢いで医務室に駆け込んできた三蔵の剣幕に少々驚きながらも、
八戒は午後に悟空と会ったことを話す。しかし二人がまだ薬草探しから戻って
きていないと知るや、端整な面差しに昏い翳が過ぎった。
旬麗があの薬草の話題を出した時点で、すっかり悟空は行く気満々になってい
た。おそらくは八戒が退室して程なく、二人は仕度をして出かけたのだろう。
確かにあの時間から徒歩で西の森に向かったのでは、薬草を摘んで帰って来る
頃には夕刻になってしまうだろうことは想像に難くない。とはいえ、幾ら何で
もこの時間になって二人揃って帰って来ていないのであれば、その身に何事か
があったと考える方が自然だ。
無言で視線を合わせた三人は、そのまま厩へと足を向けた。



何一つはっきりしていないこの段階であまり大事にしたくないという三蔵の意
向に沿い、多人数を集めることはせずに三人だけで西の森へと馬を走らせる。
ある程度中に入ってからは馬を繋ぎ、それぞれに散って捜索を始めた。
「オイッ、ちょっと来てくれ…っ!」
暫くが過ぎた頃、何かを発見したらしい悟浄の声が耳に届く。早足で駆けつけ
た二人に、悟浄はある物を握っていた手を静かに開いてみせた。
「これは…」
「旬麗の物だ。記憶にあるから間違いない。」
八戒の声に、手の中の物に視線を落としたまま悟浄が簡潔に答える。それは旬
麗がいつも身に付けていた髪留めだった。
それからは悟浄が髪留めをみつけた場所を基点に、周辺を徹底的に探す。幾ら
も経たぬうちに、今度は八戒が摘んだ薬草を入れたと思しき籠が草むらに放置
されているのをみつけた。
「かどわかし…でしょうか…?」
えも言われぬ沈黙が落ちた後、八戒が重い口を開く。その言葉を耳にした三蔵
は、口許に手を当て考えを巡らせている表情を見せた。
確かに、国を治める立場の者からすれば甚だ不本意なことではあるが、そうい
う類いのロクでもない連中が存在するのは事実だろう。しかし。
悟空は常に三蔵から贈られたあの腕輪を身に付けている。そこに彫られている
のが王の紋章であることは、この国の民であれば子供でも知っていることだ。
それを踏まえた上で悟空をかどわかすというのは、どうにも考えにくい。
王家に縁のある者に仇なす───それは即ち、そのまま『死』を意味すること
に他ならないからである。
わざわざそんな危険を犯してまで、敢えて悟空を攫うような無謀な者が果たし
ているだろうか。
そう考えると、今一つ八戒の意見には同意しきれぬものがある三蔵だった。



「ん…」
ゆっくりと意識が覚醒していき、旬麗が目を開く。初めはぼやけ気味で焦点の
合わなかった視界が、次第にはっきりとしてくる。辺りに視線を巡らせながら、
旬麗は怪訝そうに眉根を寄せた。
一体ここは何処だろう。ざっと見渡した感じでは山小屋のような場所らしいが、
どうして今こんな所にいるのだろうか。自分は確か、悟空と西の森へ向かった
はずだ。
大切な王の為、疲労回復に効果がある薬草を探したいという主と共に森へ行き、
どうにか目当ての薬草をみつけることが出来て、それで───…

「お、どうやらお嬢さんが目を覚ましたようだ。」

不意に耳に飛び込んできた聞き慣れぬ声に、旬麗が弾かれたように身を起こす。
「部下の奴らが手荒な真似をしたようですまなかったな。日頃から女子供には
無体をするなと言い聞かせてあるんだが、何しろ事情が事情だったんでな。」
微かな苦笑いを滲ませながら軽く頭を下げてみせた男へと、旬麗は視線を向け
る。男の言葉に、旬麗はようやく自らの身に何が起こったのかを思い出した。
そうだ。薬草摘みに夢中になっていた悟空の姿が、気が付けば見えなくなって
いて。あまり離れてはいけないと思い呼びかけようとしたら、いつの間にか複
数の男に周囲を取り囲まれていて…驚いて声を上げたのと同時に、気絶をさせ
られたのだ。
とすれば、彼らはあの辺りを根城にしている野盗か何かで、自分達は攫われた
のだろうか。否、そうではあるまいと旬麗は思う。自分に話し掛けてきたこの
男には、野盗のような荒んだ感じがない。
「旬麗」
柔らかな声で呼びかけられ、咄嗟に旬麗がそちらを振り返る。穏やかに笑いか
ける主の元へと、旬麗は慌てて駆け寄った。
「悟空様…!大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」
両肩に手を置き気遣わしげに顔を覗き込んでくる旬麗へと、悟空は心配させぬ
よう小さく笑い返した。
「平気だよ。俺は別に何もされてないし。でも…」
そう答えた後、悟空が男の方へと向き直る。

「どうやら簡単に帰してくれるってわけにはいかないようだ。」

いつにない悟空の厳しい声音に、旬麗がハッと息を呑む。目の前の相手を真っ
直ぐに見据える黄金の瞳は、今までに見たことのない、ひどく険しい色を宿し
ていた。





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