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『Just the way you are』 by Riko
第三章 その後も焔は城への滞在を続け、気の向くままに散策をしたり、いつもの木の 上で悟空の話し相手をしたりと、至ってのんびりと過ごしていた。 一方、焔の真意を掴めない三蔵は日々募っていく苛立ちを隠しきれなかったが、 焔は完全に何処吹く風といった様子で飄々としていた。 そうこうして日々が過ぎていったある日。悟空は西の館近くで黄氏に体術の稽 古をつけてもらっている最中だった。 黄氏が最も得意とするのは槍だが、天性からの身体能力の高さもあり、武術全 般において並みの男では足下にも及ばないほどの実力の持ち主である。彼女は 悟空の身のこなしの俊敏さ、持久力の強さを高く買っており、稽古中も子供相 手だからといって手心を加えるようなことは一切なく、一般兵士を訓練するの と同等に扱った。 「これはこれは…随分とご熱心ですな。」 背後から届いた声に黄氏が踏み込みかけた足を止め、瞬時に姿勢を正す。声の 方へと向き直った黄氏は、深々と一礼してみせた。 「ごきげんよう、焔太子。お見苦しいところをお見せしまして。」 「とんでもない。こちらこそ稽古のお邪魔をしてしまったようで、申し訳あり ません。」 「いいえ。そろそろ休憩を取ろうかと思っていたところですから。」 黄氏の傍らに立つ悟空はその横顔を見上げながら、微妙な違和感を覚えていた。 黄氏は正面から焔と視線を合わせ、平素の彼女らしい溌剌とした様子で談笑を している。だが…… 「女性とはいえ、黄夫人は音に聞こえた一流の武人でいらっしゃる。そのよう な御方の元で研鑚を積めるとは、悟空殿は大変恵まれた方だ。」 「そんな…『闘神太子』の異名で広く知られる御方にそのように仰られまして は、畏れ多いばかりでございます。」 (闘神太子…?) 初めて耳にした言葉に、悟空が不思議そうに金の瞳を瞬かせる。焔はほんの一 瞬だけ、短く悟空に笑いかけた。 「これ以上お邪魔になってもいけませんので、私はそろそろこの辺で。稽古中 に失礼を致しました。」 二人に向かって一礼した後、焔は踵を返し元来た道を去って行った。 悟空が再び視線を上向ければ、黄氏はひどく真剣な表情で去り行く焔の後ろ姿 をみつめている。悟空は手を伸ばし、黄氏の手をそっと握った。 「悟空…」 ふと現実に引き戻されたように、黄氏が悟空を振り返る。こちらを気遣わしげ に見上げている幼子と瞳を合わせた黄氏は、口許に緩やかな笑みを刻んだ。 「館に戻って一休みしましょうか。そろそろお腹も空いた頃でしょう?姜氏か ら頂いた焼き菓子があるのよ。」 悟空の手を握り返した黄氏は、まるで子供同士がするように、握った手を小さ く揺らしながら歩き出した。 「努めて平静にしているつもりだったんだけど…悟空には本当のことだけが見 えるのね。私、そんなに気を張ってた…?」 厚めに切った焼き菓子を乗せた皿を差し出しながら、滅多に見せることのない 自嘲気味の苦笑いを黄氏は悟空に向ける。悟空は皿を受け取りながら、遠慮が ちにコクリと頷いた。 確かに黄氏は精一杯いつもどおりに振る舞い、焔と接していた。しかしそれと 同時に、彼女がいつにないほどの緊張を全身に巡らせているのが、傍らに立っ ていた悟空にははっきりとわかった。 おそらくそれは意識してのことではなく、黄氏の中に存在する武人としての本 能の部分が反応した結果なのだろう。戦の前線で自ら兵を率いたこともある黄 氏だからこそ、理屈ではないところで感じ取った『何か』が、この人物に対し て緊張を解いてはならないと彼女に告げていたのだ。 自らも腰を下ろし茶器に口をつけた黄氏は、細い息を一つ吐き出した。 「焔太子の国は、西方の大国でね…こと軍事力に関しては、近隣諸国でも一、 二を争うほどの圧倒的な規模を誇っているの。さして国土が広いわけでもない この国とでは、とても比べ物にならない…正直なところ、大人と子供ぐらい違 うわ。幾ら賓客とはいえ、焔太子があれだけ自由に過ごしていられるのも、太 子の行動に対して陛下が強く出られないのも、それが歴然とした事実だからな のよ。」 木の実のたっぷり入った焼き菓子を頬張りながらも、悟空は神妙な表情で黄氏 の話を聞いている。無論、国同士の力関係といった政治的なことはよくわから ない。それでも悟空は自分なりに、出来る限りの理解をしようと努力していた。 「あちらの国の軍は非常に優秀なことで有名だけれど、その中でも焔太子の強 さは別格よ。おそらくこの大陸中でも、剣術において焔太子の右に出る者はい ないでしょうね…その絶対的な力を目の当たりにした人々の間では、敬意と畏 れをこめて『闘神太子』と呼ばれているわ。」 闘神太子───闘いの神の如き、他を圧倒する力を持つ者。人々はその強さを 敬いながら同時に畏れ、ひれ伏す。 『あぁ、だからなのか』と、悟空は思う。悟空が見る限りでも、焔に接する者 は皆何処か彼との間に一線を引いている。それは勿論他国からの賓客というこ ともあるのだろうが、やはり無意識の内にも焔から何がしかの威圧感を感じる せいなのかもしれない。そしてそんな彼が自分に対して好意的なのは、自分が 妙な特別扱いをしないからなのだろう。 果たして今の立場は、焔が本来望んだものなのだろうか。 過ぎたる力は、必ずしも持ち主を幸福にする方向へと作用しない。そのことは 悟空自身が誰よりもよく知っている。 皆が焔を警戒する気持ちを理解しながらも、悟空の胸中には様々な思いが交錯 していた。 黄氏から話を聞いた後も、焔に対する悟空の態度は変わらなかった。彼が特別 扱いされないことに心地良さを感じているなら、いきなり変に余所余所しくす るのは却って良くないことだと思ったし、たとえ焔がどのような立場の人物で あろうと、悟空の中の彼の印象は最初に会った時から全く変わっていなかった。 格式ある身分を持ちながら居丈高なところがなく、いつでも気さくで自然体。 悟空にとって彼はあくまで焔という名の、只の一青年だった。 そんな二人の間には、今までどおりの至って穏やかな時間が流れていた。 それから更に数日が過ぎたある麗らかな午後のこと。 この日悟浄と遠乗りの約束を取り付けていた悟空は、厩の前にいた。王国騎馬 隊の隊長である悟浄は、言うまでもなく乗馬の腕も一流であるが、それと同時 に王城周辺の地理に関しても非常に多岐に渡る情報を有しており、悟空が遠乗 りに出かける際は悟浄と共にというのが暗黙の了解となっていた。 それは悟空自身が悟浄に厚い信頼を寄せているということもあるが、それより 何よりこの幼子を寵愛してやまない君主から、一つでも心配の種を取り除くと いうのが最も大きな理由であった。 「悟空」 落ち着いた響きの声が悟空を呼ぶ。振り返れば、緩やかな足取りでこちらに向 かってくる焔の姿があった。 「何処かに出かけてきたところか?」 歩み寄りながらそう尋ねてきた焔に、悟空は小さく首を振った。 「これから悟浄と遠乗りに行くんだ。そろそろ野苺が熟す頃だから、沢山摘ん できて旬麗にお菓子を作ってもらおうと思って。」 何とも子供らしい屈託のない様子に、焔は穏やかな表情で目を細め「そうか」 と答えた。 「遠乗りか…俺も一緒に行ってもいいか?ここ最近碌に身体を動かしていない から、すっかりなまってしまっていてな。」 「勿論いいよ。でも焔は乗馬上手そうだから、俺の方がついていけなくて足を 引っ張っちゃうかも。」 「それはお前のペースに合わせるさ。別に訓練ではないのだから、景色を眺め ながらのんびり行けばいい。」 同行したいという焔の言葉に、悟空は快く頷く。二人が笑って会話のやり取り をしているうちに、一足遅れて悟浄がやって来た。 「よぉ、お待たせ…」 至って呑気な調子で軽く手を上げかけた悟浄の表情が、悟空の横に立つ人物を 視界に捉えたのと同時にピタリと固まる。急ぎ足で悟空の元に駆け寄った悟浄 は、その小さな肩を抱き込むようにして、焔から数歩距離を取った。 「何で焔太子がここにいるんだよっ」 焔には聞こえぬよう声を顰め、悟浄が悟空に耳打ちする。 「たまたま今ここに来たんだよ。それで焔も一緒に行きたいって言ってんだけ ど、いいだろ?」 明らかに動揺している様子の悟浄に対し、悟空は全く平素と変わりのない調子 で答える。悟浄は空いている方の手でこめかみの辺りを押さえ「信じられない」 と言いたげに頭を左右に振ってみせた。 「お前ねぇ…自分の立場とかアチラの立場とか、わかって物言ってんの?お前 と焔太子が二人で遠乗りに行ったなんて知れたら、ウチの君主サマは脳血管が キレて卒倒しちゃうよ。」 「だからぁ、悟浄が一緒なら何も問題ないじゃん。何たって、王国騎馬隊隊長 殿の護衛付きなんだからさ。」 「な?」と同意を求めながら、クルクルと動く丸い金の瞳が悟浄の顔を覗き込 む。暫し「う…っ」と言葉を詰まらせた悟浄は、やがてあきらめの表情で大き な溜め息をついた。 「ハイハイ、わかりましたよ。僭越ながらこの沙悟浄が、お二人の護衛を勤め させて頂きます。」 完全に開き直った悟浄に、悟空は「ありがと」と笑った。 焔の言葉どおり、遠乗りは非常にのんびりゆったりとしたものになった。 穏やかな陽射しの下、時折笑顔で会話を交わしながら、緩やかに馬を走らせる。 絵に描いたような平穏な光景に、ともすれば互いの微妙な関係も忘れ、只々気 のおけない仲間同士が集っているような錯覚すら覚える。 心地良い風に身を委ねながら、三人は馬を走らせていった。 悟空の本日最大の目的である野苺の群生地に到着し、馬を降りる。 「どうやらこいつは喉が渇いているらしい。何処か水場を探して、水を飲ませ てくる。」 労を労うように馬の額を撫でてやっていた焔が、悟空に声をかける。早速野苺 を摘み始めていた悟空は、焔を振り返り頷いた。 「うん。少し南に行った所に小川があるから、そこで飲ませるといいよ。つい でにちょっと昼寝でもしてくれば?今日はいい陽気だから、きっと気持ちいい と思うよ。」 手綱を引いて歩き出そうとした焔へと、悟空がそんな提案をする。自分が野苺 を摘んでいる間、焔は手持ち無沙汰になってしまうし、城外へ出たのが久々と いうこともあり、焔ものびのびと過ごしたいだろうと思ったからだ。 「確かに絶好の昼寝日和ではあるな。では折角なので、お言葉に甘えて休むこ ととしよう。」 悟空の勧めに小さく笑って答えた焔は、少し離れた場所にある小川へと向かっ て行った。 「何だよ悟浄、そんなポカンとした顔して。」 焔の背中を見送り、改めて野苺摘みに励もうとした悟空が、悟浄の表情の変化 に気付く。暫し呆気に取られた表情で固まっていた悟浄は、悟空の呼びかけに 「へ…?あ、うん…」などと要領を得ない返答をしながら、ポリポリと頭を掻 いた。 「いやー…やっぱ天然は最強だわ。あの闘神太子に面と向かって草っぱらで昼 寝してこいなんて言えるのは、この大陸中でもお前さんぐらいだと思うぜ?」 「焔はそういう堅苦しい特別扱いが嫌いなんだよ。だから俺もなるべく普通に してんの。」 心底驚いている様子の悟浄に、悟空は至極当り前のことのように答える。既に 野苺摘みに関心を戻しているあどけない横顔をみつめる悟浄の心境は、かなり 複雑だった。 確かに悟空の言葉どおり、焔は身分や格式といったものに拘らない、大らかな 人柄なのかもしれない。遠乗り中に交わした二、三の会話からも、それは充分 に察せられる。とは言っても仮にも一国の太子たる人物が、誰に対してもその ような気安さを許すとは到底思えない。 つまりは相手が悟空だからこそ、あのような接し方を焔は許容しているのだ。 (それってば結構やばくねぇ…?) その考えに行き着いた悟浄は、いつもの軽薄な調子とは異なる思慮深い表情を 滲ませていた。 「アレ…?」 悟空が野苺摘みに熱中している間、のんびりと煙草を吹かしていた悟浄がふと 声を上げる。 「何?」 その声に手を止め振り返った悟空に、悟浄は前方を指差してみせた。 「いや…あそこの木だけ、何か他のと違くねぇ?と思って。」 悟浄の言葉に、二人は立ち上がってその木の目の前まで歩み寄った。確かに悟 浄の指摘どおり、その木は周囲の光景から明らかに浮き上がって見える。他の 木々は柔らかな緑の若葉を芽吹かせているというのに、その木からは瑞々しい 生命の息吹を感じられない。 「コイツだけ寿命がきちゃったのかねぇ…結構立派な木なのにな。」 そんなことを呟きながら、悟浄が木の幹をペチペチと叩く。悟空は全身で寄り 添うようにして幹に耳を押し当て、そっと目を閉じた。 「…大丈夫。少し疲れてるだけだって。」 先刻までの無邪気な様子は影を潜め、まだまだ子供らしい丸みを残すその顔に は、ひどく静かな笑みが浮かぶ。木の幹に身体を預けたまま、悟空は僅かに口 を開いた。 「あ…」 穏やかな笑みを滲ませる唇から、小さな小さな唄声が零れる。それと同時に、 周りを取り巻く空気が微妙に変化したことを、悟浄は自らの肌で感じ取った。 全てを優しく包み込むような、暖かな風が流れる。気が付けば、ほんの少しで はあるが、内側に生命の力を取り戻したその木の枝先には、小さな若芽が顔を 出し始めていた。 ゆっくりと幹から身体を離した悟空が「もう大丈夫」と言いながら、柔らかな 手つきで木の皮肌を撫でていく。ハッと我に返った悟浄は、その薄い肩に手を かけ「悟空」と呼びかけた。 「どうしたの悟浄?」 平素とは違った真剣なものを感じさせる悟浄の声音に、悟空が不思議そうに小 首を傾げて振り返る。深い色を宿した紅い瞳が、真っ直ぐに金の瞳を覗き込ん だ。 「お前がよかれと思ってやっていることは、俺にも充分わかってる…でもこん な簡単に、その『力』を使うのはダメだ。特に俺達身近な人間がいる時以外は、 絶対に…だ。これからは気を付けるって約束してくれ…いいな?」 未だ幼い悟空に対し一つ一つを言い聞かせるよう、悟浄は丁寧に言葉を繋ぐ。 いつにない悟浄の様子に、悟空はよくわからないながらもコクリと頷いた。 そんな悟空を安心させるよう、悟浄は大地色の小さな頭を軽く撫でた。 絶対なる王の庇護の下、限られた人間だけに囲まれて暮らしてきた悟空は、本 当の意味での外の世界の恐ろしさを知らない。現実の醜さを知らぬが故に、彼 は誰に対してもあまりに無防備だ。 この屈託のない幼子が持つ途方もない力は、下手をすれば世界を揺るがしかね ない可能性を持っているというのに───。 「悟浄?」 深い物思いに沈みかけた悟浄に、悟空が気遣わしげな視線を投げかける。悟浄 は口許を上げいつもどおりの笑みを返そうとしたが、今一つぎこちなくなって しまい、上手く笑えなかった。 その夜のこと。焔は三蔵に帰国の旨を申し出た。突然のことに三蔵は「何か裏 があるのではないか」という思いを拭えなかったが、焔に一日も早くこの国を 離れてほしいと思っていたことも紛れも無い事実であるので、彼の申し出を了 承した。 三蔵との話を終えた帰り、焔はその足で悟空の元へと向かった。焔は露台で星 空を見上げていた悟空に声をかけ、明日帰国することにしたと告げた。 「そっかぁ…俺は正直寂しいけど、焔だって自分の国の仕事があるもんな。短 い間だったけど、色々ありがとう。気を付けて帰ってな。」 最初悟空ははっきりと気落ちした表情を見せたが、すぐに明るく笑って焔に礼 を述べた。決して社交辞令ではない、悟空らしい素直な反応に、焔は目を細め ながら頷いた。 「あぁ。俺もお前のお陰でいい時間を過ごせた…今度はお前の方から、俺の国 へ来てくれると嬉しい。」 「ん?うん、そうだな…いつか焔の国にも、遊びに行けたらいいな。」 焔の言葉に、悟空は伸びやかに笑いながらそんな風に答える。焔は悟空の両肩 に手を置き、静かに身を屈めた。 「焔…?」 呼びかける声に応えることなく、焔は悟空の両の瞼に、羽根が触れる程度の口 づけを落とした。 零れ落ちそうなくらい丸い瞳を開いて、悟空は焔を見上げる。焔に対する拒絶 や嫌悪はなく、思いも寄らないその行為に只々驚いた。焔はこの上なく穏やか な眼差しを目の前の幼子に向け、ひっそりと微笑った。 「その身の内に黄金の瞬きを持つ我が同胞に…敬愛をこめて。」 悟空の耳元に唇を寄せ、深い声色で焔は囁きを落とす。再び顔を上げた焔は、 左右の色の異なる瞳を黄金の瞳と絡ませた。 「また会おう。」 一言そう告げた焔はそっと悟空から身を離し、露台から去って行った。 結局何も焔にかける言葉をみつけられないまま、悟空は見えなくなるまでその 背中を見送った。 あくる日。昨日の申し出どおり、焔は帰国の途についた。 今後自らの運命の輪が大きく動き出すことを、 この時の悟空は知る由もなかった───。 |
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