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『Just the way you are』 by Riko
第二章 盛大に執り行われた記念式典は滞りなく幕を下ろし、招待客の面々は各々自国 へと帰っていった。当然焔も例外ではなく、儀礼的なやり取りさえ済んでしま えば、早々に帰国の途につくと思われたのだが─── 「…何と仰られた?」 言葉遣いだけは辛うじて賓客に対する礼を保ってはいるものの、眉間に明らか にシワを寄せている三蔵が問いの言葉を発する。相対する焔はといえば至って 悠然とした態度で、口許には軽い笑みすら浮かべていた。 「私はこちらの国の風光明媚な土地柄に深く感銘を受けました。叶うことであ れば国王陛下の寛大な御所存により、今しばらくの滞在をお許し願いたいので すが。」 白々しいまでの低姿勢を見せる焔に、出来ることならその胸倉を掴んで「何を 企んでやがる」と怒鳴りつけたい衝動に駆られるのを、三蔵はギリギリのとこ ろで堪える。焔は全く笑みを崩さぬまま「何卒よしなに」と一礼してみせた。 「どう思う?」 執務室で書面に目を通しながら、三蔵が姜氏に問い掛ける。斜め向かいの席に 坐す姜氏は、書面を捲っていた手を止め顔を上げた。 「…焔太子は身分上は『太子』ということになってはいるものの、政治面・軍 事面共に権限のほとんどを握っておられると聞いております。現国王であらせ られる御父君は、重い病の為もう何年も床に伏せられたままだそうですし。」 姜氏の明瞭且つ的確な説明に耳を傾けていた三蔵が、紫の瞳を眇める。つまり 焔は名目上は『国王の名代』という立場を取ってはいるものの、実質的には彼 自身が君主同然の存在であるということなのだろう。 「あちらは西方の大国です。焔太子の真意は計りかねますが、些細なわだかま りから諍いの元を生じさせてしまうのは、得策ではありますまい。」 政治外交面から常に三蔵を支え続けてきた姜氏の判断は、あくまで冷静である。 先方の意図するところが見えないのは事実だが、建前上は焔の要望を受け入れ ざるをえないだろうという姜氏の見解に、三蔵は不本意極まりないという表情 で、溜め息を一つ吐き出した。 「…あの男は悟空に興味を示している。初めて顔を合わせた時に『まさかこの 瞳の持ち主にお目にかかれるとは』と抜かしたそうだ。」 三蔵の発言に、姜氏がその秀麗な面差しをにわかに曇らせる。三蔵は既に姜氏 黄氏等の信頼のおける者にのみ、観世音菩薩の口から語られた悟空の生い立ち や今日に至るまでの経緯を話し聞かせていた。その為現在は姜氏も、悟空がた だ愛らしいだけの子供ではないことを承知している。 無論、彼の持つ『金晴眼』が、人智を越えた力を持つ者の印であるということ も。 とはいえそれらの事実を知らされた後も、姜氏の悟空に向ける情愛の深さには 何ら変わることはなく、時に姉のようにまた時には母のように、暖かな眼差し で日々の成長を見守り続けている。 「裏表のない素直な気性のあの子に、焔太子のことを適当にあしらえというの は難しい話かもしれませんが…私の方からも、それとなく注意を促しておきま しょう。」 まさか表向きは国賓という扱いである焔のことを、あからさまに無視しろとい うわけにもいかず、かといって当り障りのない社交辞令でやり過ごすことが出 来るほど、悟空は器用な性質ではない。となれば、焔が必要以上に悟空に接近 することのないよう、周囲の者がそれとなく気を配るよりないのだろう。 どうにも納得しかねる状況に、三蔵はより一層眉間のシワを深くし、強く唇を 噛みしめた。 「悟空」 中庭のお気に入りの木に登り、のんびりと空を眺めていた悟空が、呼びかけの 声に振り返り視線を下げる。 「焔…」 木の下からこちらを見上げている焔の姿を目にした悟空が、木から下りようと する。しかし焔は軽く手を上げることで、悟空の動きを制した。 「俺もそこに行っていいか?」 焔の口から発せられた思いも寄らない一言に、金の瞳を丸く開いた悟空だった が、すぐにその表情は屈託のない笑顔へと変わった。 「勿論」と悟空が答えるのとほぼ同時に焔は幹へと足をかけ、軽快な動作で上 へ上へと登っていった。 「なるほど…これは随分といい眺めだな。」 悟空と同じ高さまで辿り着いた焔が、彼方へと視線を巡らせながら感慨深げに 呟きを漏らす。それを聞いた悟空はパッと明るく顔を輝かせた。 「だろ?この木、俺の一番のお気に入りなんだ。眺めもキレイだけど、いい風 が通るからスゲェ気持ちいいんだぜ。」 自慢げに胸を張って答える、如何にも子供らしい純朴な反応に、焔が自然な表 情で目を細める。そんな焔を笑顔で見上げていた悟空だったが、ふと何かに気 付いた様子で、ズイッと間近まで顔を近づけた。 「この前会った時は気付かなかったけど…焔の右目って、俺と同じ…?」 初めて川で会った時は距離が離れていたし次に会ったのは夜だったので、悟空 が明るい日の下ではっきりと焔の顔を見たのは、これが初めてのことだった。 焔の瞳は片方が深い蒼、そしてもう片方は───悟空と同じく、煌く黄金の色 をしていた。 大きく瞳を開きまじまじとこちらを覗きこんでいる悟空へと、焔は緩やかに微 笑いかけた。 「あぁ。俺も初めてお前を見た時は本当に驚いた。まさか自分以外にもこの瞳 を持つ者がいるとは思っていなかったからな。」 焔の言葉に、悟空はコクコクと繰り返し頷く。今度は焔の方が、間近から悟空 の金の双眸を覗き込んだ。 「俺の母の里には、この瞳を持って生まれ出る者は、神に斎しい力を授かると いう伝承がある…お前はこの国の生まれなのか?」 真正面から強い眼差しを向けられ、悟空は気圧されたように視線を落とす。 躊躇いがちに口を開きかけては閉じるという動作を何度か繰り返していた悟空 は、視線を焔の顔へと戻し「えっと…」と言葉を繋ぎ始めた。 「俺、さ…昔のこと、全然覚えてないんだ。自分が何処で生まれたのかとか、 家族はいたのかとか。気が付いた時には独りで…三蔵と出逢うまで、ずっと独 りのまんまだった。」 何処か困ったように微笑う悟空の横顔には、幼さを色濃く残す容貌に不似合い な苦さが刻まれていて。それに気付いた焔は、静かに悟空に向かって腕を伸ば した。 「知らなかったこととはいえ、無神経な物の尋ね方をしてしまったな…すまな かった。」 柔らかな仕草でフワリと頭を撫でられ、悟空は小さく笑って首を横に振った。 「ううん。確かに俺は独りっきりの時間が長かったけど…今は三蔵もいるし、 他のみんなもいるし。」 だから決して不幸ではないのだと語る金の瞳は、健やかで明るい。焔は左右の 色の異なる目を眩しげに細め、目の前の幼子を見遣った。 「そういえばさぁ、他のお客さんはみんな自分の国に戻ったみたいだけど…焔 は帰らなくて大丈夫なのか?」 ふとそのことに思い至ったという様子で、悟空が焔に疑問を投げかける。焔は 少々おどけ気味に軽く肩を竦めてみせた。 「国元には非常に優秀な側近を残してきているんでな。その二人が万事上手く 執りしきってくれているので、俺の帰国が多少遅れたところでどうということ もない。先程国王陛下に今しばらくの滞在をお許し願ったところだ。俺はこの 国が気に入ったし…お前とも、もう少し色々と話してみたいしな。」 「俺…と…?」 全く予想だにしなかった焔の返答に、悟空はきょとんとした表情で瞳を丸く開 く。焔が楽しげな表情で滑らかな頬に触れようとした、その時。 「悟空」 柔らかだが凛としたものを感じさせる声が悟空を呼ぶ。二人がほぼ同じタイミ ングで木の下を振り返ると、そこには一人佇む姜氏の姿があった。 「姜氏のお姉さん…どうしたの?」 「今日は本読みの復習をすると約束した日ですよ。貴方が中々出向いて来ない ので、こうして迎えに来たのですよ。」 姜氏の返答に悟空が「あ…」と声を漏らしながら顔色を変える。悟空は急いで 木から下り、後に続く焔もそれに倣った。 「ゴ…ゴメンなさい、約束のことは覚えてたんだけど、もうそんな時間になっ てると思わなくて…」 姜氏の元に駆け寄った悟空が、たどたどしく釈明をしながら懸命に頭を下げる。 そんな悟空の一歩前に進み出た焔は、姜氏に向かい深く一礼をしてみせた。 「失礼。姜夫人、こちらの方をお引き止めしてしまったのは私です。何卒厳し いお咎めのなきよう。」 「焔太子…顔をお上げ下さい。何事かあったのかと気になり、様子を見に参っ ただけの話ですので、別段咎めだてをしたりは致しません。どうぞお気遣いな されませんように。」 悟空を擁護する姿勢を見せた焔に、姜氏はあくまで優雅に微笑んで答える。焔 は姜氏の手を取り、再び一礼をしながらその甲に口づけを落とした。 「才色兼備の誉れ高い姜夫人のご指導とあれば、さぞかし勉学もはかどること でしょう。それでは私はこれで失礼致します。」 「こちらこそ失礼致しました。ごきげんよう。」 立ち去る焔の背中を暫く見送っていた姜氏が傍らに立つ悟空を振り返り「では 参りましょうか」と声をかける。悟空は不可思議そうな表情で、じっと姜氏を 見上げていた。 「どうかしましたか?」 「あのさ…姜氏のお姉さんは…焔のこと、好きじゃないの?」 さらりと核心部分へと切り込まれ、平素はほとんど表情を崩すことのない姜氏 が思わず瞠目する。どれほど表面上は丁寧に接してはいても、この一点の曇り もない心を持つ幼子の目には、物事の本質が見えてしまうらしい。 姜氏は微かな苦笑いと共に、小さく首を横に振った。 「そういうことではないのですよ。ただ…私や焔太子のような立場の者が話を する場合、それは当人同士というより寧ろ、国と国との関わり合いという方が 重要になってきます。ですから、和やかに打ち解けてお話をすればそれでよい というわけにはいかないのは事実です…悟空は、焔太子のことを善い方だと思 いますか?」 「ん…?うん。焔は偉い人だけどやたらと威張ったりしないし、俺とも普通に しゃべってくれるし。」 らしいといえばこの上なく悟空らしい素直で明快な物言いに、姜氏は「そうで すか」と静かに答えた。 「ですが悟空…一つだけ覚えておいて下さいね。焔太子がどれほど気さくで好 感の持てるお人柄の方であっても、あの御方はあくまで余所の国からいらした お客様で、貴方の友人ではないのです。どうかそのことだけは、常に心の中に 留めておいて下さいね。」 繰り返し念を押す姜氏の言葉に含まれた本当の意味は、正直この時点での悟空 にはよくわかってはいなかった。しかしながら、姜氏の真剣な眼差しに何がし か感じるところがあったのだろう。 悟空は力強く「うん」と頷き、白くたおやかな姜氏の手をキュッと握った。 次の日も、焔は木の上にいる悟空の元へやって来た。昨日の姜氏の口ぶりから、 あまり気安く焔に近付くべきでないと諭されていることは悟空も何となく理解 していたが、こうして焔の方から近寄ってこられれば、悟空としてはそれを拒 絶する理由がない。第一相手は賓客という立場なのだから、あからさまに邪険 な態度を取っては失礼にあたるし、かと言って姜氏が三蔵にも話していたよう に、悟空は上辺だけ愛想よく振舞うというようなことが出来る性格ではない。 結局、悟空は今までと何ら変わりなく焔と接していた。焔は居丈高で押し付け がましいところのない穏やかな話し方をする人物だったので、悟空としても彼 と会話をするのは少しも不快ではなかった。 「なぁ、最初に川で会った時にさ、俺のことを『人魚』って言ってたじゃん? それって何?」 不意に初めて言葉を交わした時のことを思い出したらしい悟空が、焔に問い掛 ける。焔は意外そうな表情で軽い瞬きをしてみせた。 「知らないのか?割合有名な、子供向きのお伽話なんだが…」 その言葉の出典を全く知らないらしい悟空に、焔がかいつまんで語り聞かせた のは次のような話だった。 人魚というのは上半身が人、下半身が魚という姿をした海に住まう種族である。 ある嵐の晩、人魚の姫は難破した船から海へと投げ出されたとある国の王子を 助けた。 王子に恋をした人魚姫は、人間に姿を変えて地上に行きたいと海の魔女に打ち 明ける。海の魔女は人魚姫の美しい声と引き換えなら、地上で暮らすことので きる足を与えること、しかし王子の愛を得られない時は海の泡になってしまう ことを告げる。 人魚姫は自らの声を失うという代償を払い、魚の半身を人間の足に変えられる 薬を海の魔女から手に入れたのだった。 地上に行った人魚姫は、幸運にも王子の城に引き取られ共に暮らすこととなる が、王子は嵐の晩に自分を助けてくれたのが彼女であることを覚えていない。 そして足と引き換えに声を失った人魚姫は、それを王子に伝える術を持ってい なかった。 ある日王子に、隣国の姫君との結婚話が持ち上がる。あの日自分を助けてくれ たのがその姫君だと思い違いをしている王子は、この縁談を快諾してしまうの だった。 失意に暮れる人魚姫に、姉の人魚達は短剣を手渡す。この短剣で王子を刺し、 その血を足に浴びれば元の人魚の姿に戻ることが出来ると、姉達は懸命に人魚 姫を諭す。 しかし結局愛する王子に刃を向けることなど出来るはずはなく、人魚姫は海の 泡となり、儚く消えていった─── 「あの時は川の中を自在に泳ぐ姿を見ての喩えだったのだが…実際この王宮内 でのお前の立場は、この物語の人魚姫に近いのではないか?」 思いの外真剣な表情で瞳を覗き込まれ、暫し悟空は言葉に詰まる。二人の間に 数瞬の沈黙が流れた後、悟空は徐にその口を開いた。 「そう…だな。少し似てるところも、あるかもしんない…でも…やっぱ俺は、 人魚のお姫様とは違うよ…。」 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ声音はひどく穏やかで。彼方を見遣る金の瞳は、こ の上なく深い色を宿していた。 そして夜。悟空は長椅子に座り、一冊の絵本を開いていた。 あの後部屋に戻ってきた悟空が焔から聞いた話をしたところ、旬麗が「その物 語の絵本でしたら、私持ってますわよ」と言い、自室から持ってきてくれたの だ。 「子供の頃の持ち物はほとんど処分してしまったんですけど…この絵本は亡く なった母が誕生日に買ってくれた物だったので、どうにも捨ててしまうのが忍 びなくて。」 大人になった今もその絵本を持ち続けていた理由を、旬麗はそんな風に語った。 焔が語り聞かせてくれたのは大まかなあらすじだけだったので、こうして実際 に本になっている物を読んでみると、より詳細なエピソードがわかってくる。 更に添えられている挿絵が繊細で美しい分、報われぬ想いを抱えたまま海の泡 となる人魚姫の悲哀が、より一層胸に染みるのだった。 「何を珍しく神妙な面してんだ?」 背中越しにフワリと抱きしめられ、耳元に戯れめいた囁きを落とされる。 「三蔵…」 どうやら物語りに没頭し過ぎて、三蔵が入ってきたのに気付かなかったらしい。 三蔵は小柄な身体を抱きしめたまま、悟空の手元へと目を遣った。 「…絵本?」 「うん。『人魚姫』っていう話。昼間焔から教わって、それを旬麗に話したら この本を持ってきてくれたんだ。」 悟空の口から発せられた焔の名に、三蔵の端整な面差しに僅かに剣呑の色が混 じる。しかし悟空はそれには気付かぬ様子で話を続けた。 「焔はさ…俺と人魚のお姫様は近い立場なんじゃないかって、そう言ったんだ。 でも…」 その後の言葉は続かなかった。表情により剣呑さを増した三蔵が、有無を言わ さず小さな唇を塞いだからである。 「ちょ…ん…っ…」 一切の抵抗を許さず、三蔵は我が物顔で悟空の口内を侵していく。息苦しさに 袖を掴む悟空の指先が震え出した頃、三蔵はようやく腕の中の恋人を解放した。 「さん…ぞ…」 「フザケたこと抜かしてんじゃねーぞ。自分の命を助けられたことすら覚えて いないような恩知らずの低脳と俺とを、一緒くたに括る気か。」 どうやら三蔵は、最後まで人魚姫の一途な真心に気付くことのなかった王子と 己とを同列で語られることに対して、憤りを抑えられなかったらしい。 一瞬虚を突かれた表情になった悟空は、すぐに小さく笑った。 「違うって。焔がそう言って…少し似てるとこもあるかもしんないけど、でも やっぱり違うよって…そう答えたんだよ、俺。」 穏やかな笑みを浮かべてそう答えた悟空は、今度は自分の方から三蔵に長いキ スをねだった。 充分に互いの熱を分け合い、夜が更けて。悟空は寝台の上で身を起こし、眠っ ていてさえ秀麗な三蔵の寝顔を見下ろしていた。 『祝福してくれるだろう?誰より私の幸せを願ってくれていたお前だもの。』 ふと悟空の脳裏に甦った言葉。それは物語の中で隣国の姫君との婚礼の決まっ た王子が、笑顔で人魚姫に告げたものだった。 「勿論…祝福するよ。それが『三蔵の幸せ』なら。でも俺は、消えたりなんか しないよ…?たとえ何に姿を変えたとしても…最期の瞬間まで、三蔵の幸せを 祈り続ける───…」 未だ幼さを残す丸みを帯びた指先が、眩い金の髪をそっと梳く。月明かりに照 らされたその横顔には、この世の真理を悟っている賢者のような、深く静かな 笑みが刻まれていた。 |
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