arnaud

朗読版 『黒い男』
〔2009年〕

ジョルジュ=ジャン・アルノー
     朗読、地方主義(リヨン)、幽霊屋敷
精神分裂症、HLM、移民問題

原作: ジョルジュ=ジャン・アルノー
朗読: ジャン=マルク・ガレラ

L'Homme noir
Auteur : Georges-Jean Arnaud
Interprète : Jean-Marc Galéra
-Lyon : Hemix éditions. -(Polar : AE-35).
-1 CD MP3 (4 h 50 min). -2009.

【あらすじ】

 鼻にツンとつく匂い。安物の油で揚げたフライドポテトの匂いが漂っていた。バスから降りた男(ロジェ・クルソン)は大通りの枯葉に目をやった。子供の頃と変わっていなかった。久しぶりの帰省。広場では町並みを新しくするための工事が行われていた。ようやく実家のアパルトマンにたどり着く。裏手に石造りの階段もあったのだが、あえて木製の階段を上っていく。少年時代にずいぶんと怖がっていた「黒い男」の話など思い出していた。母親が妻ジゼルの近況を尋ねてきた。「殺してきたよ」、素っ気無く答えておいた。酒瓶で撲殺。今まで我慢してきたのが不思議な位だった。

 
 夕刻。室内が大分と冷えこんでいた。この時間になっても母が暖房を入れていないのが驚きだった。「ママ?」。呼んでみたが返事がない。食堂には父親の杖も置いてあったがやはり気配がない。おかしいな、と思いながら両親の寝室に入っていく。何かがドアを塞いでいた。椅子?狭い隙間から入りこむと父親のベッドに近づいていく。ずいぶんと静かな寝顔だった。額に手を置いてみた。振り返ると椅子に深く座りこんだ母親の姿。すでに二人とも息絶えていた。  
 警察を呼べるような状況ではなかった。室内で息を押し殺す。物音を怪しまれるのが怖くて石炭ストーブを焚くことすらできなかった。寒さで歯がガチガチ鳴っている。トイレの水を流す時でさえ何かに怯えていた。深夜、窓から見下ろすと数人の影が広場に向かっているのが見えた。この時間帯に何を?向かいの建物の鎧戸が下ろされ、住人たちがみな窓際に立っていた。広場に置かれていたブルドーザーが不意に火を放つ。工事の妨害だった。炎上、爆発音。ロジェは呪いの言葉を噛み殺す。住人たちが何をしようと勝手だが、消防車に次いで警官たちまでやってきたのは願い下げだった。  
 地下室まで石炭を探しに下りていく。缶詰を見つけて喜んで持ってあがってきたが賞味期限はとうに切れていた。山ほどの砂糖を溶かしたコーヒーでカロリー補給、ロジェは何とか飢えを凌いでいく。  
 同アパルトマン。新都市計画に反対する住民たちが一室に集まっていた。当局との交渉が破綻、大半は実力行使による妨害工作に賛成し、署名運動を通じて圧力をかけていく方向に動いていた。打ち合わせに参加した女性社会学者エレーヌは口述された一文をタイプで打ちこんでいく。  

【引用】
 「ここには一から作り直される形で幾つかの神話が蘇っています。子供たちを地下室から、危険な場所から遠ざけるため、大人は年端のいかない子供たちを怖がらせてみせるのです。目の潰れた大きなネズミ、子犬並みの巨大ゴキブリがいるんだよ。どろどろした地下、湿った階段には”黒い男”が棲んでいるんだよ、と…」
 エレーヌ・フェルニはタイプを打つ手を止めた。フィルター付のゴロワーズに火をつけ、今しがた打ったばかりの文章に目を通していく。「凄い!文学って奴ですね。一番たちの悪いタイプ。何なのか知らないままに現実を作り出してしまう類の」
  "[...] Certains mythes y apparaissent, recréés de toute pièce. Pour les éloigner des caves et des endroits dangereux, les adultes menacent les plus jeunes, le parlant du gros rat aveugle, du grand cafard gros comme un petit chien, et surtout de l'Homme noir, croque-mitaine des sous-sols boueux et des montées des escaliers humides..."
 Hélène Ferny s'arrêta de taper à la machine, alluma une Gauloise filtre, et relu ce qu'elle venait d'écrire. "Eh bien bravo! De la littérature, la plus mauvaise, celle qui va recréer une réalité sans la comprendre".
 

 「神話」にすぎないのだろうか。誰もが一度は「黒頭巾」姿で「ピアニスト並みに指の長い」男を目撃した覚えがあった。通りに放置されていた野良猫たちの死体を覚えていた。ある老婆の話によると、戦時中、1940年にこの建物で子供が一人レイプされ殺された事件もあったのだという。階段下で発見された少女の遺体。事件は未解決のまま放置されていた。「他にもあるんですよ。別に死人が…」。

 

 階上。ジャガイモとコーヒーで生きながらえながら男は脱出の機会を伺っていた。両親の残したへそくりがどこかにあるはず。家捜しを開始。母親の死体の首元に手を差し入れる。布団の下からビニール製のポシェットを引き出した。幾らになるのか数える気も失せていた。ハッと身を強張らせた男。どこかから話し声が聞こえていた。地元の中学生二人組が冒険がてら屋根伝いにやってきたようだった。天窓から覗きこまれ、危うく死体を発見されそうになる。追い払うために驚かせたまでは良かったが…「黒い男だ!」、パニックと化した少年二人は足を踏み外し、屋根から転がり堕ちていく…

 

【注釈】
 70年代アルノーを代表する一作『黒い男』(1975年)の朗読CD版。同僚作家のブリュソロ同様、アルノーは「呪われた家/館」のパターンを得意としていました。しかしブリュソロが例えば「壁に塗りこめられた死体」のような見えやすい「恐怖」を扱っていたのに対し、アルノーはよりアトモスフェリックで形のない不安感を描いていきます。本作で登場する「黒い男」も、階段や屋根の上から「突き落とす」という(昨今の猟奇犯罪者たちと比べて)一見原始的な手口を使っています。
 しかしアルノーの目的は残酷行為や怪奇現象の描写ではなかったわけです。上述のあらすじから伺えるように、急階段や欄干の無い屋上、さらに閉所での不安感といった誰もが子供心に感じていた「恐れ」、ある種の恐怖の原光景を蘇らせる書き方になっています。派手さには欠けますが正直こちらの方が心にチクチク刺さってくる感じ。
 妻を殺して逃亡してきた男が両親の変死によって身動きが取れなくなる。ややひねった展開を「呪われた家」パターンと組み合わせ、さらに地元の過激な政治運動や土着の迷信を絡みあわせることで物語世界があまり閉じすぎないように配慮も凝らされています。
 朗読を担当したジャン=マルク・ガレラ氏は舞台俳優で、裏声を巧みに織り交ぜながら老若男女の声を演じ分けていきます。時代の流行廃りにおもねらない。だから古びない。仏ミステリの朗読CDはこの数年結構な数発売されていますが、紛れもなく内容的にトップクラスの一枚でした。
Photo : "The Seventh Victim" / Mark Robson, 1943
] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010

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