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カブールの燕
〔2002年〕 |
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ヤスミナ・カドラ著 |
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アフガン情勢、イスラム型フェミニズム
原理主義、公開処刑 |
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ジュリアール社 (パリ)
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Les Hirondelles de Kaboul / Yasmina Khadra
-Paris : Editions Julliard.
-187p. -2002. |
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【あらすじ】 |
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アフガニスタンの首都カブール。大通りで公開処刑が行われていた。太股まで土に埋められた「不道徳な女」。モラと呼ばれる聖職者がコーランの一節を朗誦し、石を持つよう群集に促す。女を罰する石の洪水が襲いかかっていく。偶然立ち会ったモーゼンもまた瓦礫を握りしめる。汚れた女に向けて。 |
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今朝、最後の死刑囚である売春婦が引き立てられていった。牢獄看守のアティクは虚ろな目で空の監獄を見つめていた。死刑囚を引き渡すだけの人生はうんざりだった。アフガンに希望などない。導師の約束も信じられなくなっていた。妻ムサラとの関係の悪化が絶望に追いうちをかけていく。 |
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帰宅したモーゼン、家で妻が待っていた。
「今日は何も手につかないよ」
「辛い時代ね」
いつもと違う。妻は何か感じ取ったようだった。隠しつづける訳にもいかない。モーゼンは自分が処刑に荷担したことを告白する。立ち上がった女。男は手を伸ばす。届かなかった。よろめきながら台所に駆けこんでいった妻。衣擦れの音が現実離れした響きを残していた。 |
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【講評】 |
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戦火で疲弊した二組の夫婦から始まった物語は「夫殺し」に収斂、さらにその一歩先で罪と罰の形を模索していきます。中近東、小市民の家族ドラマを背景としながらも『カブールの燕』はイスラム原理主義の狂気を真っ向から引き受けた作品となりました。 |
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悪くはない。悪くは無いのですが…手触りは大きく変化しています。心理描写の比重が増え、物語の速度感が犠牲にされています。焼けつくような初期作を貪り読んできた者には物足りなさ、歯痒さが残りました。 |
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【最終更新】 2009-06-16 |
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