Série Noire / Editions Gallimard

セリ・ノワール
 〔1945 - 〕

ガリマール社 (パリ)
     マルセル・デュアメル
レイモン・クノー、ボリス・ヴィアン

【概説】
フランスの出版業界に「ノワール」を提案し、新ジャンルを確立したガリマール社の犯罪小説コレクション。翻訳家でもあったマルセル・デュアメルの貢献が大きく、叢書の監修者がそれぞれのロマン・ノワール像を提示していくというフランスの独自スタイルを打ち立てていきます。流行に左右されやすいジャンルの中で採算を取っていくのが難しいようで、80年代以降は何度もフォーマット変更を重ねながら現在に至っています。  

初代監修者マルセル・デュアメル

【諸データ】
【1944年7月】
マルセル・デュアメルが知人から勧められたチェイニーとチェイスを読み始める。自力での翻訳作業を開始する。
 
【1944年8月】
パリ解放。デュアメルはガリマール社経営者の一人クロード・ガリマールに紹介されています。ハードボイルド叢書の新設を提案。
【1945年初頭】
クロード・ガリマールの命を受けてデュアメルが渡英。チェイニーとチェイスの版権を獲得。他にもアイリッシュやチャンドラー、ケインといった作家のエージェントとコンタクトを取っています。
【1945年9月】
セリ・ノワール第一弾としてピーター・チェイニーの2作品が発表される。最初期の8冊はナンバリング無し、12cm×18.5cmのフォーマットでした。
【1945年9月15日】
レイモン・クノーによる時評「セリ・ノワール」が「国民戦線」紙に掲載される。
【1948年】
ミシェル&ボリス・ヴィアン夫妻の翻訳による『湖中の女』(レイモンド・チャンドラー著)が発表される。
【1948年6月/12月】
叢書第9番からカバーの付いた新装丁に変更。ガリマール社による大規模なキャンペーンが展開される。
【1949年】
フランス語圏作家による初の作品『死と天使』発表。テリ−・スチュワートというアメリカ風ペンネームでの出版でした。
【1949年】
サスペンス系の姉妹叢書「セリ・ブレーム」が創刊される。
【1953年】
セリ・ノワール史上最大のベストセラーとなる『現金に手を出すな』(アルベール・シモナン著。ドゥ・マゴ賞受賞作)が発表される。
【1958年】
ジョゼ・ジョバンニ作品『おとしまえをつけろ』(第414番)からフォーマットが一回り小さくなりました(11cm×18cm)。
【1966年】
セリ・ノワール1000番『ポップ1280』(ジム・トンプソン著、デュアメル訳)が発表される。前年にヌーヴェル・オプス誌に連載の形で発表されていた翻訳をまとめたものです。
【1968年】
ガリマール社より隠語辞典『例解プティ・シモナン』が刊行される。57年に別な出版社から出ていた『プティ・シモナン』の廉価版です。
【1971年】
仏作家としては初めてとなる女性ノワール作家作品『BはバプティストのB』(ジャニーヌ・オリアノ著)が公刊される。
【1971年】
ジャン=パトリック・マンシェットによる『ヌギュストロ事件』発表。同年にA.D.G,もデビュー作を発表しています。
【1972年】
マルセル・デュアメルの自伝『お前の自伝は聞きたくない』が公刊されれる。叢書創設時のエピソードにも触れています。
【1973年】
この一年間で98冊のセリ・ノワールが公刊され、現在までの年間最多記録となります。ジャン・ヴォートランのデビュー作『赤い投票』もこの年でした。
【1974年】
姉妹版叢書「シュペール・ノワール」の創刊。第1番はラフ・ヴァレの『さらば刑事』でした。
【1977年】
初代監修者マルセル・デュアメル逝去。

第2代監修者ロベール・スーラ(右端)を囲んで。

【1978年】
第二代監修者ロベール・スーラを中心とした編集体制が固まる。表紙の白枠が黄色に変わり、小さな写真を添えた装丁に変更。
【1983年】
初めてイラスト入りの表紙が登場。
【1984年1月〜1991年8月】
TF1局にてTVドラマ「セリ・ノワール」放映。叢書の作品をベースにした1時間半番組でフランス作家の作品を多く扱っていました。計37回放映。
【1984年】
ディディエ・デナンクス第2長編『記憶のための殺人』が公刊される。
【1985年】
セリ・ノワール2000番『野獣と美女』(ティエリー・ジョンケ著)が発表される。
【1989年】
第2代監修者ロベール・スーラへのオマージュとなる短編集『スカートの下を黒は流れて』(クロード・メスプレッド監修)が発表される。序文をリヴァージュ・ノワール監修者のフランソワ・グェリフが書いています。
【1991年5月】
第3代監修者パトリック・レナル着任。表紙を以前の黒地白枠、イラスト無しの形に戻しています。
【1992年】
クロード・メスプレッドによる全作レビュー本『セリ・ノワールの世紀』の第一巻が発表される。2000年の第五巻で完結。
【1994年10月】
第2代監修者を務めたロベール・スーラが病没。
【1995年3月】
ジャン・アミラ逝去。
【1995年4月】
叢書創刊50周年を記念して連作長編『金婚(1945-1995)』が発表される。セリ・ノワール作品を2冊同時購入で入手できた一作です。
【1995年6月】
ジャン=パトリック・マンシェット逝去。 
【1996年】
ガリマール社ホームページに叢書50周年を記念した中篇『天使が堕ちる場所で』(モーリス=G・ダンテック著)が掲載される。前年ル・モンド紙で掲載された作品をオンライン化したものです。
【1996年】
クロード・メスプレッドとジャン=ジャック・シュルレによる『セリ・ノワール作家』の公刊。1945年〜95年にセリ・ノワールで出版された全作家のバイオグラフィーと書誌をまとめた労作です。
【1998年1月】
アフリカ-アラブ系の仏作家アクーシュ/ヌゴイ/ヌディオヌの三作家で固め撃ちしてきました。
【1998年】
セリ・ノワール2500番『ソレア』(ジャン=クロード・イゾー著)発表。
【1998年】
セリ・ノワール旧作を中心とした復刊専門の叢書フォリオ・ポリシエが新設。
【1999年】
オーギュスト・ルブルトン逝去。
【2000年1月】
ジャン=クロード・イゾー逝去。
【2000年9月】
『ジャパニーズ・サマー』(ロマン・スロコンブ著)が写真入りのカバー付きで発表される。翌年の装丁変更への布石となりました。
【2001年10月】
写真入りの新装丁にフォーマット変更。サイズも一回り大きくなりました。新装丁第一弾はデナンクスの『メケール通り12番』でした。
【2002年4月】
ピエール・シニアック逝去。
【2004年11月】
パトリック・レナルが監修者辞任の意向を表明。
【2004年12月】
A.D.G.逝去。
【2005年10月】
新担当者オーレリアン・マソン氏を中心とし、フォーマットを大きくする形で叢書再開。

第4代監修者オーレリアン・マソン氏
09年リヨンでのミステリーフェス「河岸のミステリー」

【2007年1月】
静かなるミステリ・マニア紙9号が「死んだ叢書は黒かった」の辛辣なタイトルの下、現在の出版戦略を批判する文章を掲載。
【2008年5月】
オンライン文芸サイト、ビブリオ・シュルフでインタビュー企画「セリ・ノワール」が行われ、その結果が公開される。「値段が高くなってから買い控えを始めた」の意見がある一方で、新監修者マソン氏の判断の的確さ・優秀さを誉める声が上がっていました。

【最終更新】 2009-06-23
Photo : "Voici le temps des assassins" / Julien Duvivier, 1955
] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010

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