|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
タイプライターの打刻は明確かつ鮮明に印字されていなくてはならない。全ての印字が均質な濃さになっていること。このために2つの要素が重要である。インクリボンの種類と質。そしてタイピストのキータッチにムラがないこと。タイプライターは清潔にしておく。大文字やその他全角文字を打つ時には他の文字と同じ濃さになるように気をつけよう。当然ではあるが句読点を打つ時は軽目のタッチで行う。紙に穴を開けてしまうようなことがあってはならない。印字ミスは全て削除する。修正が必要な場合には消しゴムを上手く使うこと。[註1] |
|||||
『秘書学』 |
|||||
|
|||||
『マルタの鷹』2度目の映画化となる |
|||||
|
|||||
本日の]ノワール[はスペード&アーチャー探偵事務所(後のサミュエル・スペード探偵事務所)で長年勤務されたエフィ・ピラインさんをゲストに迎えております。エフィさんは米ハードボイルド文学に登場した女性秘書先駆けの一人であり、後世に至る非常に大きな影響を残された方となっています。先駆者としての苦労話、探偵秘書の心構え、さらにスペード事務所の内情など、これまであまり公にされてこなかった裏話が聞けるのではないかと期待しています。エフィさん、初めまして。 |
|||||
エフィ・ピライン: 初めまして。 |
|||||
インタビュアー: さっそくですが「探偵秘書」が誕生するまでの経緯を伺っていきたいと思います。エフィさんが小説に初登場されたのは有名な『マルタの鷹』(初出ブラック・マスク誌1929年9月〜翌年1月)なのですが、それ以前にもハメット氏はコンチネンタル・オプを主人公とした私立探偵の連作を書きつづけていました。記憶にある限り、この時点では秘書の姿はなかったと思うのですが… |
|||||
エフィ・ピライン: そうですね。事務所からコンチネンタル・オプに電話がかかってくる時っていつも「親父さん」からでした。同僚の探偵さんも数度姿を見せていますが、秘書の話って聞いたことがないです。なぜでしょう(笑)。同業他社の悪口になりそうなので口をつぐんでおきましょうか(笑)。ダッシュ[註:ダシール・ハメット]の初期作は「男世界」の発想が強かった気がいたしますし、当初それほど「秘書」を重要視していなかったのは事実かな、とは思います。 |
|||||
インタビュアー: その意味で『マルタの鷹』は大きな転換点になった思うのですが、何かきっかけとなった出来事があったのでしょうか。 |
|||||
エフィ・ピライン: どうでしょう。自然な流れだったんじゃないでしょうか。それまでのコンチネンタル・オプ作品への反動とでも言えばいいのでしょうか。あの人(コンチネンタル・オプ)って個人主義者だったと思うんですよ。「個」としての自分がしっかり確立されているんですけどそのせいで孤立しがち。もちろん会社組織の歯車という自覚はあったはずですけど…「仕事は完璧にこなすから口は出すな」みたいな。あの世界に女性秘書が入りこむ余地はなかったと思います。 |
|||||
インタビュアー: そんな雰囲気が出てたんですか。 |
|||||
エフィ・ピライン: 仕事絡みで何度かお会いした時…どう言えばいいんでしょう、空気に棘があって正直怖かったです(笑)。サム[・スペード]とは大分違うのかな、と。でもね、ご存知かどうか知りませんが、ダッシュはコンチネンタル・オプとサム・スペードの間にもう一人別な探偵を作ってるんです。 |
|||||
インタビュアー: …アレキサンダー・ラッシュ。「世界で一番醜い探偵」[註2]さん(短編『殺人助手』に登場)ですね。正直あまり印象に残っていないのですが… |
|||||
エフィ・ピライン: ある意味でアレックスが過渡期になるんです。孤立した一人称の限界にダッシュは気がついていて、どこかで次の展開を模索していたんだと思います。一人称ではなく三人称。会社に雇われた一歯車ではなく自営業の私立探偵。ダッシュはコンチネンタル・オプとは全く違うタイプの探偵を試していたんです。 |
|||||
インタビュアー(頁をめくりながら): 確かに『殺人助手』の記述は面白いですね。扉には探偵事務所の名を彫った金製のプレートが打ち付けてある。一歩足を踏みこむと椅子はそこら中からかき集めてきたもので種類が全てバラバラ。灰皿には吸殻が突き刺してあって盆栽か剣山かという有様[註3]。かなり散らかっている様子。資金繰りに苦労しながら立ち上げたばかりの男の城という感じが伝わってきますね。 |
|||||
エフィ・ピライン: あの短編にも秘書は出てきませんが(当時のアレックスにそこまでの金銭的余裕はなかったので)、その代わり一場面だけ同業の女性探偵が登場しています。マンションに入っていった男性を見張ってもらうんです。ダッシュが対等なビジネス・パートナーとしての「女性」を描いたのはあれが初めてだったはずです。 |
|||||
インタビュアー: 『殺人助手』は1926年発表でしたか。『ダイン家の呪い』や『ガラスの鍵』を見てもビジネス・ウーマンの発想は希薄ですが、実はコンチネンタル・オプからサム・スペードの間にアレクサンダー・ラッシュという伏線が用意されていたんですね。なるほど。 |
|||||
|
|||||
ロイ・デル・ルース監督による『マルタの鷹』で |
|||||
|
|||||
インタビュアー: エフィ・ピラインさんは大の甘党という話ですので(笑)、今日は地元産、手作りの金平糖を茶菓子に用意させていただきました。 |
|||||
エフィ・ピライン: これは…煮つめた砂糖の塊ですか。 |
|||||
インタビュアー: …そうとも言いますね。あ、美味しい。アールグレイにも合うと思いますよ、多分。折角ですのでお土産に持って帰ってください。さてそれで、と。話は『マルタの鷹』につながっていく訳ですが、初めて登場された時エフィさんはすでに事務所に欠かせないベテランさんとしてご活躍されていました。あまりに自然な登場なので読み飛ばしてしまう人も多数いるかな(笑)と思います。 |
|||||
エフィ・ピライン: むやみやたらと脚を組み替えたり妙な愛想笑いを振りまいたり…秘書が目立つ仕事場っておかしいと思うんです。あくまで脇役であり補佐役、気が付かれない位の方が優秀なんだって、ビジネス・スクールのインストラクターからはそう叩きこまれました。 |
|||||
インタビュアー: …とは言え『マルタの鷹』でエフィさんは要所要所に登場、サム・スペードの調査を助けていくわけです。また他の短編では相談役として探偵の頭を整理していく役割も果たしています。ただ部外者としては見えにくい部分があるんですね。サムさんが出社されていない時は何をされていたんでしょうか。質問を一般化してみましょうか。当時の秘書業務とは実際どの程度の作業だったのでしょうか。 |
|||||
エフィ・ピライン: え”ぇ”ぇ”。実際どの程度…忙しかったです(笑)。(ゆっくりと人差し指-中指-薬指を立てる)。3つですね。当時の秘書が任されていた作業は大きく言って3本の柱に分かれていたと思います。電話応対を中心に事務所スケジュールを組み立てていく作業と来客の接待が一つ。次が手紙類の確認・開封から書類全般のファイリング。最後は細々とした入出金の管理。小口の現金を用意しておいて必要な買い物や支払いを済ませたり、銀行窓口で入金や小切手の換金をしたり。狭義の秘書業務に事務、庶務プラス若干の経理業務。大手企業と違ってアシスタントがいる訳ではないので、出来る範囲の仕事は全て一人でこなしていました。 |
|||||
インタビュアー: ハリウッド映画の影響かもしれませんが、タイプライターを打っている秘書のイメージがとても強いんですね。しかも朝-昼-夕方、いつ見ても打ってる(笑)。個人営業の小さな事務所がそれほど大量の手紙を発送するとは到底思えないのですが… |
|||||
エフィ・ピライン: そうですね。手紙というのは秘書仕事で一番の花形で、文面やレイアウトを含めて秘書の能力が見えてくるものです。私自身は指先が器用だった方ではないのですが、妙な勘があったようで自分や他人の間違い、誤植を次々と見つけてサムやマイルズ[・アーチャー]に誉められたり怒られたりしていました(笑)。 |
|||||
〔助手がキャスター付のテーブルを押してやってくる〕 |
|||||
エフィ・ピライン: あーら、懐かしい。 |
|||||
|
|||||
ハメットが使用していたのと同型の |
|||||
|
|||||
インタビュアー: レミントン社ジャパン蒲lの提供により、ダシール・ハメット氏が生前に使用していたのと同型[註4]のタイプライターを用意させていただきました。よっこらせ、と。ポータブルと名は付いていますが…結構重たいですね、これ。 |
|||||
エフィ・ピライン: 触らせてもらってもいいですか。 |
|||||
インタビュアー: どうぞ、そのために準備させていただいた物です。当時の雰囲気に少しでも近づけるために便箋を二枚重ね、間にカーボン紙を挟んであります。重要な手紙を作成する場合等、この方法で一部コピーを残しておくと聞いたのですが… |
|||||
エフィ・ピライン: きちんと紙を留めておかないと途中から二枚目がずれて文字列が歪んでしまうんです。最初の頃はよく失敗したな。 |
|||||
〔カチャカチャという金属音と微かなベルの音〕 |
|||||
エフィ・ピライン: 全然忘れてます。指が攣(つ)りそう。 |
|||||
インタビュアー: 思う存分打ってください。止めませんので(笑)。最後に直筆でサインをしていただけると嬉しいです。家宝にいたします。『マルタの鷹』でもエフィーさんはタイプを打っていたのですが、覚えておられますか。 |
|||||
エフィ・ピライン: いや、全く記憶に…そうでしたっけ。 |
|||||
インタビュアー: 第1章、来客をサムさんのオフィスに案内した直後です。「タタタンタン…(The Tappity-tap-tap」。ハメット氏はエフィーさんがタイピングしている「音」を描写しています。その後、記述は室外から響いてくる「何かのエンジン音」に移っていきます。車でしょうかね。[註5] |
|||||
エフィ・ピライン: そんな場面ですか(苦笑)。相当うるさくて恨まれていた(笑)。 |
|||||
インタビュアー: いえ、もっとポジティヴにいきましょう(笑)。この室内で目を閉じてみると面白いんです。隣の部屋からはカチャカチャと機械音が響いてくる。窓の外からはエンジン音やクラクション、店先の鎧戸をガラガラと引きあげる音。新聞の売り子が声を張り上げ、誰かが調子外れな口笛でルース・エティングのヒット曲「シェイキング・ザ・ブルース・アウェイ(1927年)」を吹いている…いかにも騒々しい大都市の午前といった趣ですが、これはまさに未来派と呼ばれるアーチスト達が「アート・オブ・ノイズ」の名で夢想した音風景に他ならないんですね。ハメット氏の知覚構造は紛れもなく1910年代のモダニズムを引きずっているのですが、作家はエフィさんを取巻くBGMに未来派型のノイズ・ミュージックを選んだことになります。ハメット氏は耳の聡(さと)い人ではなかったのかな、と邪推しているのですが実際どうだったのでしょうか。 |
|||||
エフィ・ピライン: どうでしょう。お酒が入ると人の話が聞こえなくなる悪癖はありました(笑)。耳の聡さねぇ…私的にはむしろ『ダイン家の呪い』でしょうか。個人的にも思い入れのある一冊ですし。ある夏、「やっと本になったよ」、ダッシュが嬉しそうに一部もってきてくれたんです。 |
|||||
インタビュアー: それは…1929年の話ですか。 |
|||||
エフィ・ピライン: ですかね。一度クノプフ夫妻[アルフレッド・A・クノプフ&ブランシュ・クノプフ、ハメットデビュー当時のエディター]とダッシュが食事をしているのに同席させていただいて、その時アルフレッドさんがダッシュの文才をとても評価していたのを良く覚えています。血が流れたりする小説って本当は好きじゃないんですけど、あれだけ誉められているのを聞いたら読まない訳にいかないじゃないですか(笑)。休みの日に頑張って徹夜で読み通したんです。 |
|||||
インタビュアー: 『ダイン家』のどの辺に驚かされたんでしょうか。 |
|||||
エフィ・ピライン: 主人公の探偵[コンチネンタル・オプ]が夜に中々寝つけなくて悶々としていたとき、何かの「花の香り」にふっと気がつく場面があるんです。それも一つの花じゃなくて幾つかの香りが混ざっているのを「より分けて」いく。ヨルガオにスズラン、スイカズラ。結局それが事件を解き明かしていく鍵の一つになっていきます[註6]。ダッシュが植物の話をしていたのにはびっくりでした。普段そんな話をする人ではなかったので。あぁ、こんな側面も持ってるんだって。とても感心したんですけど、悔しかったので面と向かっては誉めませんでした(笑)。先程の「音」の話と違うかもしれませんが、あの人の繊細さが並み外れていた証拠にはなるのかな、と思います。 |
|||||
インタビュアー: 「ダシール・ハメットと薫り」ですか。目に見える世界、耳に聞こえる世界は頻繁に扱われますが嗅覚は盲点かもしれないですね。1920年代合衆国の闇をハメット著作と薫りという主題から切っていく。そんな可能性も開けてきそうです。 |
|||||
|
|||||
インタビュアー: …もう一度『マルタの鷹』に戻っていきたいのですが、あの小説には《三人の女》と題された有名な章段が含まれています。後にファム・ファタル典型として語り継がれていく女性(ブリジッド)、探偵主人公との不倫関係が破綻しかけている人妻(アイヴァ)と並び、エフィさんもその一角として登場されておられます。この三角形でエフィさんが一体どのような位置付けを占めているのかな、と。 |
|||||
エフィ・ピライン: …引き立て役(笑)?自分で言うなって感じですけど、色気のない優等生タイプを一人置いておけば他の女性の魅力が際立ちますし。 |
|||||
インタビュアー: 果たしてそれは事実なんでしょうかね。作中では髪を短くした「ボーイッシュな顔立ち」の形容を与えられていました。確かに人によっては「色気のなさ」と解釈しています。愛称による親しげな呼びかけやスキンシップはある。でも秘書を見つめる探偵の視線に「女」は映っていない、そんな話になります。 |
|||||
エフィ・ピライン: 秘書の在り方としてはそれが理想的かな、とも思います。 |
|||||
インタビュアー: 確かに。とは言え1910〜20年代は合衆国で「女の在り方」が大きく揺らいでいた時期でもあったわけです。1919年に批准された禁酒法がハードボイルド文学(と隣接したギャングスター小説)創生に影響を与えた事実はよく知られていますが、翌20年には女性参政権の拡張も行われています。1910年代は「モダンガール/フラッパー」たちがそれまでの倫理基準や美的基準に否を突きつけて論議を呼んだわけで、そういった要素を加味して考えていくとまた違った解釈ができるのではないのかな、と。 |
|||||
エフィ・ピライン: 幼友達にもそう(フラッパー)呼ばれていた子が一人いたんですけど…彼女的には秘書の仕事は嫌だったみたいです。押し付けられた「女性向けのお仕事」のイメージがあったんでしょうね。現実問題、大学やビジネス・スクールを出てありつける仕事のうち8〜9割はその手の事務や庶務でしたけれど。 |
|||||
インタビュアー: だからではないですか。「女性向け」と認知されていた秘書嬢のポストに「ボーイッシュ」で「日焼け」したスポーティーなエフィさんを選び出す。ここにハメット氏のささやかな独創があったのではないかと。モダニズムを通過し、それでもなお社会上で有能・有効な女性を描き出していく。 |
|||||
エフィ・ピライン: でも結果として周りを引き立てている(笑)。 |
|||||
インタビュアー: まだ言いますか。ではもう一押し。先程… |
|||||
エフィ・ピライン: 誉めても何も出ませんよ(笑)。 |
|||||
インタビュアー: いや、最後に直筆のサインが(笑)。…先程タイプライターの話が出ていました。現在でこそ埃をかぶったレトロな骨董品、蒐集品の扱いですが、20世紀初頭この機械は最先端のテクノロジーを代表する一つだった訳です。 |
|||||
エフィ・ピライン: タイプライターが。 |
|||||
インタビュアー: 普段使っていると実感が沸かないのかもしれませんね。アームを半円状に配置したメカニカルな構造は今見ても美しい[註7]ものですが、当時でも「来たるべき社会」の想像力に訴えかける部分が多々あった訳です。ハメット著作と同時期に発表された「都市映画」、例えば『伯林〈ベルリン〉大都会交響曲』(1927年)や『カメラを持った男』(1929年)を見ると、蓄音機やラジオ、機関車やモーターなどのクローズアップに紛れてタイプライターが登場してきます。 |
|||||
|
|||||
『伯林〈ベルリン〉大都会交響曲』 |
|||||
|
|||||
『カメラを持った男』 |
|||||
|
|||||
エフィ・ピライン: キリル文字のタイプは初めて見ました。綺麗ですねぇ。 |
|||||
インタビュアー: ですね。ヴェルトフの審美眼は形像のパターン配列、デザインとしての文字、メタリックな輝きと闇の対比を強調しています。『カメラを持った男』公開と『マルタの鷹』初出(ブラック・マスク誌連載)が同じ年だったのは重要だと思うんですよ。 |
|||||
エフィ・ピライン: もしかして…タイプライター誉めてません? |
|||||
インタビュアー: えぇと…しばしお待ちを(笑)。『マルタの鷹』を彩っていた女性陣ですが、髪型や衣類などの描写とは別に社会的ステイタスを象徴する「アイテム」をそれぞれ手にしています。アイヴァは「自家用車(セダン)」なんですね。決して高級車でもハイテク車でもありません。ブリジッド嬢は部屋に飾ってあった「花瓶」です。どんな花瓶だったか覚えておられますか? |
|||||
エフィ・ピライン: …焼き物の花瓶。銀と黒の四角い奴[註8]。 |
|||||
インタビュアー: ご名答。キュビズムとまでは行きませんが落ち着いた色彩にスクエアな視覚感、居住空間は適度にモダン化されています。登場時点でアッパーミドル・クラスの位置付けだったブリジッド嬢は細部に贅沢を凝らしているんです。 |
|||||
エフィ・ピライン: 私の持ち駒は…地味にタイプライター。 |
|||||
インタビュアー: そういう話になってきます。決して地味ではないですよ。作家はタイプライターに何がしかの「美」を読みこんでいます。音を含めてね。贅沢な機材ではありませんがテクノロジー、未来に一番近い位置にいたのがエフィさんだった訳です。 |
|||||
エフィ・ピライン: 秘書がそんな大層な意味を持つんですか。 |
|||||
インタビュアー: 見方によるんでしょうね。先程の言葉にあったように、押し付けられた「女性向けのお仕事」の側面もあったと思うんです。取り方によっては幾らでもネガティブに書くことができます。一方秘書はビジネス/テクノロジー/フェミニズムの接点の一つだった訳で、表現の仕様によっては面白い造形が出てきます。エフィさんを取巻く音風景が未来派風のノイズ音楽だったこと。モダンガールの痕跡を残したボーイッシュな姿と立振舞い。ジガ・ヴェルトフ。テクノロジーの接点としての指先(マン・マシーン・インターフェイス/サイバー・フェミニズム[註9])…様々な跡を追っていけばエフィさんがブリジッド嬢やアイヴォさんに拮抗する「もうひとつの女」の可能性となっている様子が見えてくるはずです。 |
|||||
|
|||||
インタビュアー: 電話、メール、ファックスによる質問は先程締め切らせていただきました。多数のご参加ありがとうございます(助手が大きな紙箱を持ってくる)。ではエフィさん、一枚引いていただけますか。 |
|||||
エフィ・ピライン: ではいざ(とブラウスの袖をめくりあげる)。ちょっと奥から…これにしようかな。 |
|||||
インタビュアー: はい、お預かりいたします。本日のラッキーなリスナーは徳島県在住のピノキオさん。ありがとう、エフィさんから取って置きのプレゼントが待っています。お、布に包まれた凄そうな物が出てきました…これは何でしょうか。 |
|||||
エフィ・ピライン: 『マルタの鷹』で事務所の表札を代えておいてって頼まれたんですよ。「スペード&アーチャー探偵事務所」から「サミュエル・スペード探偵事務所」にって[註10]。業者に電話して交換してもらったんですけど、古い方を捨ててしまうのも何だなと思って取っておいたものです。勝手に貰ったんじゃないですよ。サムにもお伺いを立てたんです。「頂戴」って。あの人こめかみを掻いてプイと何処かに行ってしまいました。きっと自分も欲しかったんです(笑)。ある意味マイルズ[・アーチャー]の形見ですから。 |
|||||
インタビュアー: ああ、これは世界に一つ。ピノキオさん聞こえていますか?これであなたも明日から探偵に。スペード&アーチャー探偵事務所の金属製ドアプレートを送らせていただきますね。さて、ピノキオさんからの質問ですが…中々面白い内容です。「エフィ・ペライン様こんにちは。わたしは大学生時代にサンフランシスコにホームステイしていたことがあります。当時の彼氏と一緒にハメット氏の墓参りにも行って参りました。名前は忘れましたが、何かの短編でエフィさんとスペードさんが一緒にお茶をしている場面を読みました。映画にいこうか、と誘われて終わるのではなかったかと思うのですが、一緒に見た映画は果たして何だったのでしょうか」 |
|||||
エフィ・ピライン: ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。 |
|||||
|
|||||
サンフランシスコ市テレグラフ・ヒルに |
|||||
|
|||||
インタビュアー: この短編は「スペイドと呼ばれた男」(1932年)ですね。最後の章段ではレストラン「ジュリアスの城」でご両人が楽しそうにお話されている場面が描かれています[註11]。「映画でも見ていこうか。それとも他に何かすることある?」。さてエフィさん、映画のタイトル、内容を覚えておられますか。 |
|||||
エフィ・ピライン: モノクロで…無声映画でした(笑)。私は何を見ていたんでしょう(笑)。光と闇が他愛ない物語を紡いでいたのは漠然と記憶にあるんですけど。視線はスクリーンを追っていて…たぶん心ここに在らずでした。実は映画には何回か連れていってもらってるんです。決まって大きな事件が解決した後でした。数週間、時には数ヶ月に及ぶ長丁場の仕事に片がつく。犯人が見つかれば終わりじゃないんです。私の机には手紙類のファイリングから経費系の処理まで、諸々の紙仕事が溜まっているので(笑)。サムの方も警察に顔を出さなくてはいけなかったですし。全て完了してホッと一段落。映画館の薄暗がり、隣にはサムが座っている。優秀な私立探偵、尊敬できる上司、そして魅力的な男性。どこか子供のようでいて、同時に父親の包容力も持っている。それがサム・スペードでした。でも次の事件が終わったときも同じだって保証はどこにもないじゃないですか。いつ銃を向けられるか分からない。どこから跳弾が飛んでくるか分からない。いつLAタイムズの物故欄を賑わせるか分からない。私は何かに感謝していたんです。映画のリール音、静かな呼吸の音に耳を傾けながら。 |
|||||
インタビュアー: 「無事でいてくれてありがとう」。でも面と向かっては言わなかった。 |
|||||
エフィ・ピライン: …面と向かっては言わなかった。悔しかったからじゃないですよ。秘書だったからです。骨の髄まで染みついた秘書心がね、何かに逆らってるんです。頭が痛くなりそうな因果な商売、それはそれは楽しかったです(笑)。 |
|||||
|
|||||
【原注】 |
|||||
〔1〕: The type should give a clear, sharp impression, and all impressions
should have the same |
|||||
〔2〕: The first, The Assistant Murderer, is a novelette out of Hammet's "Black Mask" days, written three
years before the fabulous Falcon; it introduces Alec Rush, the ugliest detective in fiction, one of Hammett's most authentic private ops. |
|||||
〔3〕:GOLD ON THE DOOR, edged with black, said ALEXANDER RUSH, PRIVATE
DETECTIVE. Inside, an ugly man sat tilted back in a chair, his feet on
a yellow desk. [...] The four chairs in the room were unrelated to one another in everything
except age. The desk's scarred top held, in addition to the proprietor's feet, a telephone, a black-clotted inkwell, a disarray of papers having generally to do with criminals who had escaped from one prison or another, and a grayed ashtray that held as much ash and as many black cigar stumps as a tray of its size could expect to hold. |
|||||
〔4〕:ダシール・ハメットが実際に使用していたクワイエット・ライター・ポータブル現物は |
|||||
〔5〕:The tappity-tap-tap and the thin bell and muffled whir of Effie Perine's typewriting came through the closed door. Somewhere in a neighboring office a power-driven machine vibrated dully. |
|||||
〔6〕:I turned my face back into the room, sniffing. There was an odor
of flowers, faint, stuffy, more the odor of a closed place in which flowers
had died than of flowers themselves. Lilies of the valley, moonflowers, perhaps another one or two. I spent time trying to divide the odor into
its parts, seriously trying to determine whether a trace of honeysuckle was actually present. |
|||||
〔6〕:I turned my face back into the room, sniffing. There was an odor
of flowers, faint, stuffy, more the odor of a closed place in which flowers
had died than of flowers themselves. Lilies of the valley, moonflowers, perhaps another one or two. I spent time trying to divide the odor into
its parts, seriously trying to determine whether a trace of honeysuckle was actually present. |
|||||
〔7〕: 「機能美としてのタイプライター対身体」の関係性が21世紀型想像力を喚起した一例としてジェレミー・メイヤーによる「タイプライター彫刻(Typewriter Sculpture)」を参照。 |
|||||
ヌードV(細部) / ジェレミー・メイヤー (Nude III / Jeremy Mayer) |
|||||
〔8〕: The red and cream sitting-room had been brought to order and livened
with flowers in |
|||||
〔9〕: ニューヨーク・ダダとテクノロジー、フェミニズムの関係についてはアレックス・グーディーの論考「サイボーグ、女&ニューヨーク・ダダ」(2007年)を参照のこと。 |
|||||
〔10〕: He stood up and put on his hat. "Have the Spade & Archer taken off the door and Samuel Spade put on. I'll be back in an hour, or phone you." |
|||||
〔11〕: "[...]Want to catch a movie or have you got something else
to do?" |
|||||
|
|||||
【書誌 / ダシール・ハメット】 |
|||||
・『マルタの鷹』 ダシール・ハメット著 |
|||||
・『ダイン家の呪い』 ダシール・ハメット著 |
|||||
・『コンチネンタル・オプ』(短編集) ダシール・ハメット著 |
|||||
・『悪夢の街』(短編集) ダシール・ハメット著 |
|||||
・『ダシール・ハメット書簡集(1921-1960)』 ダシール・ハメット著 |
|||||
|
|||||
【書誌 / 秘書学】 |
|||||
・『秘書学』 ルペール・ピット・ソレッレ&ジョン・ロバート・グレッグ著 |
|||||
・『婦女子向け、ビジネス・メソッドと秘書仕事』 ヘレン・レイナード著 |
|||||
・『個人秘書:その責務と可能性』 エドワード・ジョーンズ・キルダフ著 |
|||||
|
|||||
【参考文献 / フェミニズム・未来主義・タイプライター】 |
|||||
・『サイボーグ、女&ニューヨーク・ダダ』 アレックス・グーディー著 |
|||||
|
|||||
【映画】 |
|||||
・『マルタの鷹(1931)』 監督ロイ・デル・ルース |
|||||
・『悪魔、淑女と出会ふ(1936)』 監督ウィリアム・ディターレ |
|||||
・『マルタの鷹(1941)』 監督ジョン・ヒューストン |
|||||
・『伯林〈ベルリン〉大都会交響曲(1927)』 監督ヴァルター・ルットマン |
|||||
・『カメラを持った男(1929)』 監督ジガ・ヴェルトフ |
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
] Noirs [ - フランスのもう一つの文学 by Luj, 2008 - 2010 |
|||||
|