winter squall



5.


 陽海とは違うクラスだし、暁とは学年が違うから、兄弟そろって家路につく、というのはあまりない。だから、たまたま廊下と生徒玄関で出くわして、一緒に帰る途中で奴らが現れたのは、間が悪いのかいいのか、全くの偶然だった。
「よう、沢崎」
 5人ほど取り巻きを引き連れて、待ち伏せていたらしい公園からのろのろ出てきた藤野は、一緒にいた陽海や暁には目もくれず、ニヤニヤ笑いながら光を見据えた。
「お前ん家、招待してくんねーかな」
 聡一郎がいないだけ、まだ不幸中の幸いだ。光はため息をつきそうになりながら、そっけなく返した。
「沢崎、なんて奴は知らねーな」
「おいおい、自分の名前も忘れちまったか?」
 大袈裟に驚きの顔を作って見せる。
「俺は憶えてるぜ。引ったくりにカツアゲに食い逃げだろ? 小学生のくせにバイク盗んで乗り回すわ、自販機ぶっ壊して金盗むわ、学校の窓ガラス割って回るわ。沢崎光って奴はおっそろしく凶悪犯だったぜ」
 黙ったままの光の顔を嘲るように、首を傾げて覗き込む。
「いくら名前変えようが、居場所を変えようが、てめぇのやったことは消せねぇんだよ、沢崎。俺が憶えてる限りはな。一人だけご立派な家に養子に行って、過去を全部忘れて優雅なお坊ちゃま生活が出来ると思ったら大間違いだぜ」
 フン、と鼻で笑ってやった。
「なんか、勘違いしてねーか?」
 藤野の薄い眉がぴくりと動いた。
「俺は別に過去にフタして生きてんじゃねぇ。バラしたきゃ、気が済むだけバラせよ。学校にチクろうが、チラシばらまこうが、家の塀に落書きしようが、勝手にすりゃいい。けどな、昔クズだったからって、今もクズでいる必要はねぇんだよ。お前らと付き合う気はさらさらねーぜ。しつけーんだよ、てめぇ。粘着男は嫌われるって、女に教わらなかったのか?」
「……言うじゃねぇか」
 口の端がひくひくと引きつっている。
「覚悟決めて言ってんだろうなぁ、オイ」
 逆に嘲笑ってやった。
「何の覚悟だよ。クズにクズって言って、何が悪い」
 藤野達が一斉に気色ばむ。「てめぇ、ふざけんなよ」「ぶっ殺すぞ」の声にかぶさって、脳天気な声が背後からした。
「もしもし、今僕達、ガラの悪い不良さん達にインネンつけられてるんですぅ。助けてください。早くきてくんないと、殺されちゃうよぉ」
 ぶりっこという死語がまさに当てはまるような声で、暁が携帯で110番通報している。思わず吹き出した。それが合図のように、藤野達が襲いかかってきた。
「ナメんじゃねーぞっ!」
 殴りかかってくる、名前も知らない奴のこぶしを避けながら回り込み、腹に蹴りを入れる。
「こっちの科白だっつーの!」
 二折れになった背中に組んだ両手を叩きつけたその時、視界の隅に、藤野の灰色の髪がちらりと見えた。一瞬過ぎった眼に、尋常ではない殺気がぎらついていた。考える間もなくとっさにカバンで身を庇った。ぐさりと、嫌な感触がカバンの中央にめり込んだ。刺された感触が掌に伝わって、頭に血が上る寸前に、藤野の身体が横なぎに吹っ飛んで視界から消えた。
「光を殺す気か、てめぇ!!」
 光より先にぶん殴ったのは陽海だった。ひょろ長い藤野が見事に路上にひっくり返る。その顔が白目をむいているのを見て、残った2人が青ざめて動きを止めた。
 6人いたはずだが、残りは陽海と暁が倒したらしい。暁が殴った手を痛そうにひらひらさせながら、威勢を失って立ち尽くす2人に言った。
「動くなよー。もうすぐ警察くるからさ。それまでに逃げようとしたら、殺すぞ」
 最後の言葉に凄みが利いている。まったく、どこからそんな芸当を覚えたのだろう。呆れて見ていると、陽海の声がかかった。
「大丈夫か、光」
 片手で拝む真似をする。
「悪ィ、兄貴。暁まで面倒に巻き込んじまって」
「そんなことは気にしなくていい。怪我はないか?」
「カバンが、ぐっさりやられた」
 手に持った学生カバンを見てみると、真ん中にバタフライナイフが刺さったままだった。もしカバンを盾にする判断が遅れていたら、と思うと、少し背筋が寒くなる。
 陽海も同じ感想を持ったようで、「こいつ、イカれてるぜ」とのびた藤野に吐き捨てた。
「ま、でも、あれだな。これじゃあ、どっちが襲われて殺されそうだったのか、警察きても分かんねーな」
「バカ。そのカバン見れば、こっちが襲われたのは誰が見たって分かるだろ」
「ていうかさ、兄貴。カツアゲとか引ったくりやってたってマジ?」
 不安げな顔をする暁に、笑ってみせた。
「んなことする訳ねーだろ。こいつが自分のやったことを並べただけだ。俺がやったのは食い逃げだけ」
「えー、マジで!」
「後でちゃんと金は払いに行ったぜ」
 暁がにっこり笑って親指を突き出す。
「さっすが兄貴! ダッセー」
「悪かったな」
 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。暁が「おーい」と無邪気に手を振った。通報から数分。どうやら、この辺りの警察は優秀なようだ。



 その日、日直だった聡一郎は、全員提出のノート集めにてまどい、光達より遅れて教室を出た。
 3年生も年末ともなると、教師に用がある者以外は放課後まで居残る者も少なくなり、各教室も廊下もすぐに閑散となる。とは言っても、毎年生徒の半分くらいはエスカレーター式に同じ系列の大学へ進学するから、この時期になってもそう切羽詰まった雰囲気は薄い。聡一郎も同じく他の大学を受験するつもりはないから、のんびりしていた。
 光も陽海も進路は同じだから、大学へ行ってもまた一緒だ。
 嬉しいと思ったことを、歩きながら問題集を睨んでいる同級生に少し申し訳ない気持ちになりながら、階段を降り、生徒玄関へ向かう。自分の下駄箱に手をかけた、その背中に声がかかった。
「聡。遅かったじゃん」
 びくりとして手が止まった。さっきまで胸の中で暖かかったものが、しゅうっとしぼんで消えていく。
「なにやってたんだ? 授業長引いたの?」
 振り向くと、カバンを片手に彼がにこにこと笑っていた。
「……どうして?」
 ようやく疑問を口にすると、彼は聡一郎の止まった手の代わりに、下駄箱の中から外履きを出して下に置きながら、笑顔で言った。
「この間一緒に帰ろうって約束したろ? こっちは授業早く終わったから、かなり待ってたんだぜ」
「約束……してないよ」
「何言ってんだよ。3日前のことだぜ。忘れんなよー」
 ほら、と外履きを指して促す。
「早く帰ろうぜ。俺、聡ん家行くの楽しみなんだから」
「幸」
 このまま流されたら余計に傷つける。聡一郎は思いきって彼に向き直った。
「ちゃんと言っておきたいんだ」
「なにを?」
 聡一郎はしっかりと彼を見つめて言った。
「僕には好きな人がいる。だから幸とは友達にはなれるけど、それ以上の関係にはなれない」
 彼の表情が空白になった。
「『聡』っていう呼び名も、その人にしか呼んでほしくないんだ。だから幸が使うのは止めてほしい」
「……冗談きついなぁ」
 停止していた唇が動いて、彼はにこりと笑った。
「俺にやきもち焼かせたいんだ? そんなこと言わなくても、俺は聡がちゃんと好きだぜ」
 不思議に平べったい笑みだと思った。笑っているけれど、本当に笑っているのかどうか分からない笑みだった。その平べったい笑みに隠されて、彼の心が見えない。
「そうじゃないよ。そういうつもりで言ったんじゃない。本当のことだよ」
「またまた。聡って意外と心配性なんだな。そういうところもかわいいけど」
「僕は君と真剣に向き合って言ってる。嘘なんかついてない。ちゃんと君に分かってほしいから」
 彼の眉がぴくりと動いた。
「それ、この間の奴に言われたんだろ」
 幼いほどの声音が、急に低くなる。
「え?」
「図書室で俺達の邪魔した、でかい男」
 聡一郎は慌てて首を振った。
「違うよ。陽海に言われたんじゃない」
「あいつ、俺達に嫉妬したんだろうな。俺のこと邪魔者扱いしやがって」
「違う。幸、聞いて……」
「やっぱ、やめた!」
 突然、彼が大きな声を上げた。驚く聡一郎に、彼はまた満面の笑みに戻って笑いかけた。
「聡にマフラー返すの、やめた。あれは俺が預かっとく」
「え?」
「聡が、俺ん家きたときに返してやるよ。それまでおあずけだからな」
 彼の心がまるで見えず、聡一郎はただ混乱する。
「幸?」
「じゃあな、聡。寄り道すんなよ」
 軽く手を挙げて、さっさと行ってしまう。
 その背中を見送って、聡一郎は途方に暮れた。




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