winter squall



14.


 事件があったのは6年前、光が鳴滝家にやってきて半年ほど経った頃だった。
 現場は鳴滝家の前の路上。時間は早朝。第一発見者は聡一郎だった。
 相手は、以前光が付き合っていたという少年達だった。光が裕福な家に引き取られたというのを聞きつけて、昔の素行を家や学校にばらすぞと脅して金を取ろうとしたのだが、光はもちろんそれを拒否し、その報復に家の前に呼び出され、集団で襲われたのだった。
 その時光は、体調が悪く喘息をおこしかけていた。そんな状態で6人を相手に殴り合い、重傷を負いながら全員を殴り倒した。倒してもまだ殴り続けていた。
 その時の光景を、聡一郎は忘れられない。血まみれの光と、その普段とは全く違う表情と、ヒューヒュー鳴っていた呼吸音が恐ろしくて、光が今にも死んでしまいそうで、悲鳴を上げて光にしがみついた。
 彼がICUから一般病棟に移るまで、一睡も出来なかった。何も出来ず、ただ待つことしか出来ない恐怖を、身体の底から、嫌というほど味わった。
 待つものへの希望や期待を信じ切ることが出来ない。それがどんなに恐ろしいことか、初めて知った。
「ごめんな」
 光の掌が、そっと髪を撫でる。顔を上げると、光は眸の奥を覗き込むように見つめた。
「怖い思いさせて」
 小さく首を振る。
 両親との再会の後、慌ただしい帰国で疲れたという両親は自宅に戻って、聡一郎は光の部屋にきていた。
 サイドボードの糖蜜色の灯りに眸を煌めかせて、光がソファにもたれる聡一郎を抱き締める。
「昔のことまで、思い出させちまったか?」
 聡一郎は肩をすくめて光の首筋に顔を伏せた。光のぬくもりが頬に触れる。
「ごめんな……兄貴にも釘さされてたんだけど、俺、やっぱ聡のことになると、昔みたいに正気が飛んじまう」
 あの時もそうだった。光は、金を寄越さないならお前の友達に代わりに払ってもらうと言われて、逆上したのだった。
 聡一郎は浮かんでくる光景を振り払う為に、強く眼を閉じた。
「僕のことはいいんだ……だけど、光は……あんなことは、もうしないで……」
「……分かってる」
「光」
 顔を上げる。間近に見つめる彼と目があって、その明るい色の眸に魅入られてしまいながら、囁くような声で言った。
「光が好きだよ。他のどんな人も、どんなものも、光の代わりにはならないんだ」
 光がうっすらと笑った。
「知ってる。俺も、同じだから   
 すぅっと光の顔が傾いて、聡一郎は眼を閉じた。柔らかで甘い感触が唇に降りてくる。
 一度軽く重ね合わせて顔を離し、眼鏡を取り上げられて今度は深く重ね合う。痺れるような甘さに酔いながら、何度も角度を変え、舌先を絡め合う。
 何度目かのキスの後、ソファに聡一郎を押し倒そうとした光が、ふと、カーテンが開いたままの窓の外に眼を遣った。
「……あれ?」
 外は暗いが、何カ所かライトアップされていて、真っ暗、という訳ではない。聡一郎も眼鏡をもらって視線を向けると、庭の奥の植え込みの陰に、半分隠れた形で見覚えのあるスーツ姿が見えた。それと、見えにくいが、もう一人。
「あれ、ウチの親父と、圭一おじさんだよな?」
「……うん。何やってるんだろ?」
 確かに、聡一郎の父親らしき影は、低い生け垣を挟んだ聡一郎の家の庭にいるようだ。疲れたから先に寝るよと言っていたはずなのに、あんなところで何をしているのだろう。
 様子を窺っていた光が、ぼそっと言った。
「なあ、アヤしくねぇ?」
「え?」
 光はさらにぼそりと言った。
「なんか、雰囲気ヤバくねぇ?」
 窓の外を見遣る光の横顔が、心なしか引きつっている。ソファの背もたれに乗った手が握りこぶしになっているのを見て、聡一郎もなんだか不安になってきた。
「聡、兄貴の部屋行こう! あっちの方がよく見える」
 光が勢いよく立ち上がる。手を引っ張られて、聡一郎も慌てて走り出した。廊下に出てノックもそこそこに陽海の部屋のドアを開けると、ベッドの上に座っていた陽海と暁が、驚いて振り返っていた。
「なっ……なっ……!?」
 赤い顔で口をぱくぱくさせている暁に、「悪ィ、邪魔して」と軽く流しながら、光は窓際へ駆け寄ってカーテンの隙間に顔を突っ込んだ。
「なんなんだ、光」
「……うわ、やっぱり」
 光がうめいた。
「なにが」
「兄貴?」
 光が引きつった顔で振り向く。
「見てみ。すげーもん見れるぜ」
 言われるまま、陽海と暁がカーテンの中にもぐり込む。聡一郎も後について暗い夜の庭を覗き込み  そして全員が息を飲んだ。
 最初に口を開いたのは、暁だった。
「……ナニ、あれ」
 光が答える。
「見た、まんまだろうな」
「……眼に入ったゴミを取ってやってるんじゃないのか?」
 陽海がなんとか現実的な見解を出そうとするが、
「父さんの両手、おじさんの背中に回ってるよ」
「だな」
 暁の見解に、光も頷く。
「マジで?」
「マジだろ」
「マジかよ……」
 窓の外の植え込みの陰で、鳴滝三兄弟の父親、一臣と、聡一郎の父親、圭一は、こともあろうに抱擁していた。一臣の方が強引に抱き寄せているようにも見えるが、圭一も本気で抗っている様子はない。
 どう常識的な頭で見ても、友人同士の親愛を込めた抱擁とは明らかに違っていた。密着度が違うのだ。その場に漂う雰囲気が、全く違うのだ。
 そして、一臣が顔を寄せ、2人の顔が重なり合った。
 息子達は、言葉も出ない。
「親父ってさぁ……」
 ようやく光が口を開いた。
「女だけじゃなかったんだな」
 陽海がうめく。
「ありえねぇ……」
「けど、あれって、今日初めてお誘いしましたって雰囲気じゃないよな」
「言うな……それ以上、何も言うな」
 暁が呟いた。
「もしかして、父さんが結婚しない訳って……」
「んなバカなことあるか!」
 陽海が大きな声を上げた。兄弟3人ともが、無責任な父親の為に私生児として生まれ(光は戸籍上では義父が実父になっているが)、そのおかげでまっとうな環境では育っていない。それぞれの母親の苦労する姿も見てきている。そんなことを素直に認められるはずがない。
 だが。
「……あるかもなぁ。あの親父、あれでけっこうロマンチストだし」
 光が顎に手を遣って頷いた。
「光、お前まで……」
「だってさぁ」
 陽海の声にかぶさるように、暁が言った。
「俺達の父親なんだぜ」
 全員が黙りこくった。遺伝というものがこの場合も適応されるのなら、説得力がありすぎだ。
 耐え切れない、というように、陽海が頭を抱えた。
「あんな奴の遺伝子なんか、いらねぇ……」
 人ごとでは全然ないのだが、聡一郎は思わず笑ってしまった。



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