winter squall



10.


 ぼんやりと瞬きをした。自分の部屋にいるのではないことは分かった。
 布団の感触が違う。まくらの高さが違う。それにベッドから見える窓の位置が違う。
 眼鏡はどこにあるのだろう。無意識に自室でいつも置いてあるサイドボードの位置へ手を伸ばそうとして、両腕とも後ろ手に縛られて、動かせないことに気がついた。
 辺りは暗かった。唯一明るい窓だと思われるところからの光も赤暗くて、夕焼けの色に見えた。
 自分に何が起こったのだろう。まだ這い寄ってくる眠気を何度も瞬きして押しのけていると、かさり、とすぐ間近で衣擦れの音がした。
「起きた?」
 総毛立った。記憶が途切れる前の光景が一気に押し寄せてきて、今の状況とつながった。
 聡一郎は自宅の前から誘拐されたのだ。小幡幸紀に。
 思わずそこから逃れようとよじった身体を、後ろから腕が伸びてきて布団の中で抱き締められた。
「びっくりした? ここ、俺ん家。聡、よく寝てたから、もう夕方だよ」
「……どうして!」
 彼は誇らしげに言った。
「俺、車運転出来んだよ。バレたら退学だから、内緒な。でさ、昨日聡ん家に親父の車で乗り付けて聡が帰ってくんの待ってたの。あ、聡ん家は教えてくれなかったから、自分で調べたんだぜ。住宅地図見りゃ、すぐだったけどな」
 どんどん薄ら寒さが増してくる。
「……は、離してくれよ!」
 聡一郎は叫んだ。手だけではなく足も縛られていてうまく動かせない。
「いいじゃん、そんな恥ずかしがるなよ」
 どうして彼は、こんな平気な声が出していられるんだろう。
「離せよ!」
 どうしてこんな目に遭わされなければならないのだろう。理不尽さと触れられることの嫌悪感に闇雲に暴れていると、急に押さえつけていた腕が放り出すように外れ、聡一郎はベッドの下へ転がり落ちた。肩を思い切りぶつけ、思わず呻きを上げる。
「……んだよ」
 低い声が頭の上から落ちてくる。聡一郎は転がったままベッドを見上げた。ぼやけた視界では、彼の表情は読み取れなかった。
「なにマジで抵抗してんだよ。シラけるだろ。せっかく聡の為を思って連れてきてやったのにさ」
「……僕の、為?」
 声がかすれる。彼の声は苛々と尖っていた。
「そうだよ。聡があのでかい男のいいなりにさせられてるから、助けてやったんじゃねーか。ここなら、誰も邪魔しねぇ。俺と聡はずっと一緒にいられる」
「違う! 僕は誰のいいなりにもなってない。僕が君に言ったことは、全部僕自身の意志なんだ」
「なに、洗脳されてんだよ!」
 怒鳴り声が耳を叩いた。思わず肩がすくんだ。
「聡、いつまで騙されてんだよ。早く気づけよ」
 腕が伸びてくる。頬を掌が撫でる。後ろへ逃れようとすると胸元を掴まれた。
「思い出せよ。聡は俺が好きなんだ。聡も俺とずっと一緒にいたいって思ってるはずなんだ」
 馬乗りになってがくがくと揺さぶられる。身体の上にのしかかられ、何度も床にぶつけられて、怖くてぎゅっと眼を閉じる。
 不意に胸ぐらを掴む手が止まった。はっとしたように彼が息を飲む。
「……ごめん、聡!」
 床に転がった聡一郎を抱き起こし、顔を覗き込む。
「大丈夫か? 怪我してないか? 痛かっただろ? ごめんな」
 乱れた髪を撫で、強張った頬にそっと指を当てる。身体も頭の中もぐらぐら揺れて、聡一郎は口が利けなかった。間近に寄せられた彼の顔は、自分がひどい目にあったかのように苦しげだった。
「……ごめんな」
 それでも応えないでいると、彼の声が泣きそうになった。
「聡」
 抵抗できない聡一郎を抱き寄せ、肩に顔を埋める。
「俺を嫌いになるなよ……」
 縋り付くような囁きだった。
「……なるなよ……」
 捨てられかけた子供の、必死の懇願のように。
 どうしていいか分からず、聡一郎はただ、されるがまま抱き締められていた。




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