夢うつつのなかでクリスマスキャロルを聴いた。
 小さな頃。家族でケーキを囲み、僕が蝋燭を吹き消す。クリスマス用のアイスクリームケーキに蝋燭を立てた。
    これ、堅くて刺さんないよぉ、お母さん。
 ツリーの模様のセーターを着た姉さんが、色とりどりの蝋燭を手に悪戦苦闘している。お下げ髪に、細い赤と緑のリボン。
 箸かなんかで穴開けてから蝋燭立てるのよ。
 キッチンから母さんが振り返る。七面鳥の代わりに鶏の足をオーブンから出しながら。
    なんで僕の誕生日なのに、明日じゃなくてクリスマスイヴにやるのさ。
 部屋に持ち込んだ植木のモミの木にサンタの人形をぶら下げながら、僕は頬を膨らませてみる。クリスマスは嫌いじゃないんだ。わくわくするくらいに好きなんだ、本当は。
 一生懸命蝋燭をアイスに突き刺しながら、姉さんが顔を上げる。
    いいじゃない。世界中の人が祝ってくれてる時にやっちゃえば。クリスマスイブと誕生日で二度おいしい訳でしょ。私もクリスマスに生まれたかったくらいなんだから。
    お、いいこと言うねぇ。お姉ちゃん。
 一人だけ先に、シャンパンの代わりのビールを飲んでるお父さんが、上機嫌で笑う。
 揺れる蝋燭の炎。暖かな光りにみんなの顔が浮かび上がる。柔らかに僕を見守る、笑顔。
 ひとつ、大人になった儀式。僕は背を反らすほど大きく息を吸い込む。
 苦しいことも、切ないことも、階段を上っていくようにひとつづつ越えていけるように。
 一心に祈る。幼い心で。少年の心で。少しつづ古い殻を脱ぎ捨てていっても、それは変わらない。忘れな。
 僕は独りじゃない。いつも誰かが側にいた。両親がいた。兄弟がいた。友達がいた。だから上っていける、一段づつでも階段を。泣いても、立ち止まっても。
 神様は願いを聞いてくれた。
 僕が前に進めるように。
 そろって揺れる蝋燭は、ひと息で消えた。
 
 
 
 目を覚ますと部屋には誰もいなかった。
 なんだか薄暗くて、もう夕方かな、と思って窓の外を見ると、空は一面の雲だった。エアコンの作動音が静まった室内でやたら大きく唸っている。僕は起き上がってぼんやりしたままテレビの前に座り、リモコンのスイッチを入れた。見覚えのある映像が映る。ちょっと昔のドラマの再放送だ。ちょうど最終回で、クリスマスイブのシーンだった。
 この女優、今より随分若いなぁなどと思いながら、ぼけた頭で首を傾げる。
「あれ、もしかして今日……」
 ちょうどその時、カチャリと鍵の開く音がした。
「あ、歩さん、起きてていいのか?」
 僕のマフラーをした裕也が、コンビニの袋をカシャカシャいわせながら靴を脱ぎ散らして上がってきた。
「お帰り」
 僕は首だけ振り返って声をかけた。眼が合った一瞬、裕也がふわりと微笑んだ。でもすぐに難しい顔をして、
「ほら、なんか着てなきゃダメだろ。まだ病人なんだから」
 ベッドの上に丸まっていたカーディガンを取り上げ、感心するほどかいがいしく僕の肩に掛ける。裕也が連れてきた外気の匂いと、その拍子に触れた指先の冷たさが、ひやりと僕の頬をかすめた。
「お前、手袋してかなかったのか? 僕のなかった?」
「いいの、いいの。ほら、初めて会った時、俺手袋してなくて手ェ冷たかっただろ? あん時手が温かかったら、俺拾ってもらえなかったかもしんないし。冷たい方が縁起いいからいい」
 言いながら、背後の裕也がすっと身をかがめて僕の肩に手を置いた。
「ついでに唇も冷たいよ、俺」
 囁く吐息が耳元に戯れかかり、僕はびくりとしてその場を飛び退いた。
「ぶん殴られたいのか、お前っ」
 裕也は悪戯を成功させた子供の顔で笑って、僕の肩を滑り落ちたカーディガンを拾い上げた。
「俺とキスしちゃいなよ。そしたらそのしつこい風邪も俺に移って、すっきり治っちまうぜ」
 カーディガンを持った裕也の手が向かい合う僕の肩へ回る。僕は内心の動揺を隠す為に慌てて口を開いた。
「風邪引きたいのか? 変な奴」
「歩さんの風邪だったらもらっていいよ」
 語尾が甘く、かすれた。
 慌てた。あたふたと視線を外しながら、僕はうろたえる。
「そ、そういえば、今日って何日だっけ?」
「24日。クリスマスイブだよ」
「え? もう?」
 風邪で寝込んでいる間に、数日が過ぎてしまっていたらしい。
「巷じゃ、どこ見てもジングルベルの音楽とカップルばっかだよ」
「行こう」
 僕は立ち上がった。
「え?」
「イブの日に、二人で家に閉じこもってても仕様がないだろ。手袋買ってやるよ」
「だけど歩さん、まだ風邪治ってないだろ」
 僕は意地悪な目つきで裕也を見下ろす。
「ほぉ。僕の誘いを断るのか、お前。他の奴と約束でもあんの?」
「……そんな意地悪いこというなよ。約束なんてある訳ないだろう。俺はあんたの身体を心配してるの」
「お前に心配されるほど、落ちぶれてないよ」
 さっさと着替えを始める僕を、裕也は苦笑して見上げた。
「分かったよ。お供する」
 
 
  
 さすがに本番の24日は街のざわめきが違っていた。行き交う人も、店の店員も気合いが入っている。
 寒い街灯で声を張り上げてケーキを売っているバイトの前を通り過ぎて、僕はその隣の店へ裕也を引っ張っていき、ミトンの手袋を買ってやった。太い毛糸でざっくり編まれた黒の手袋だ。早速はめさせて思った通り似合っているのを確認し、僕は満足した。
「けど、なんで指の無いやつなんだ?」
 裕也は物珍しげに掌を開いたり閉じたりしている。
「不満あんの?」
「これ、なんか不便だよ。はめたまんまじゃキスしにくい」
「なんで?」
 裕也は僕のおとがいに手袋をはめた手で触れた。
「顎を持ち上げる時、格好がつかない」
 真顔でいう彼に、僕は吹き出した。
「そんなことしなくていいんだよ。お前に似合ってるんだから。犬らしくなってよろしい」
 途端に裕也が拗ねる。
「はいはい、どーせ俺はあんたの犬ですよー」
「言葉のわりには不満そうだけど」
「とーんでもない。拾ってもらったご主人の言うことだったら、3回回ってワンって言うよ、俺。でも、餌くれないまんまだったら、そのうち飢えて噛み付くかも」
 僕は立ち止まってじっと見上げた。
「捨てるぞ」
 裕也が、うっと息を詰める。たっぷり5秒は黙らせておいて、僕は笑い出す。
「お前、からかうと面白い」
「ば、ばかやろっ、マジ焦ったぞ、今」
 上機嫌で笑いながら、僕は彼を置いて歩き出す。
「そーやって虐待してると、本当に狂犬になっちまうぞ。いきなり後ろから襲いかかって押し倒すんだからな!」
 肩越しに振り返ってにっこり微笑む。
「どーぞ、ご自由に」
 裕也が負けるのは分かっているから。
「……ったく、もう。あーあ、やっぱご主人様にゃ、かなわねぇ」
 思った通り、悔しさを残した裕也の顔が、苦笑混じりに解けていく。僕の後ろをついてくる。
 その光景が、僕の胸を温かくする。
「にしても歩さん、今日元気だね」
 大きな歩幅で裕也はすぐに追いついてきた。
「クリスマスだからね」
 耳を澄まさなくても、立ち止まればクリスマスキャロルは寒空の下へ降りてくる。街全部を、そわそわしながら街を歩くこの惑星の上の、全ての人々を包み込みながら。
「楽しむことに決めたんだ、今年から」
 見上げると、僕の隣で優しく笑う裕也の息が白かった。



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